はてなキーワード: 芸術家とは
対人コミュニケーションが苦手な発達障害者がITエンジニアに活路を見出すパターンは多い
発達障害を扱ったウェブサイトでもエンジニアや芸術家が向いていますと言われるからな
流石に芸術家は食っていく上では非現実的なので、必然的に求人が多くホワイトカラーでそこそこ儲かるイメージのITエンジニアに流れるって話
連中の中には異常な集中力を発揮してプログラミング技術に特化するやつがたまにいる
だが現実的なチーム開発ではそもそもそんな超絶技巧など出番がない
現実のサッカーの試合でリフティングの超絶テクニックを使わないのと同じだ
昔の人権無視の3K労働時代ならいざ知らず、現代ではITの開発現場もだいぶ働き方改革が進み、
普通の人が普通の集中力で普通の量の仕事を分担してこなせば終わる仕事がほとんどになってきた
現代の開発現場で発達障害者のアドバンテージとされる特殊能力にはほとんど需要がない
一方で発達障害者の苦手分野である対人コミュニケーション能力の価値は些かも衰えない
気軽に話ができる雰囲気作り、自部署や他部署、自社や他社のステークホルダーと友好的に話を進めるための根回し、情報収集能力
発達障害者がエンジニアを目指したところで、現実には段々と能力不足で疎ましがられる機会が増えていく
こうして窮地に追い込まれた発達障害者は保身のためにチームに害をなす戦略を取りやすい
情報の囲い込みとは自分が得た情報をあえて出し惜しみして自分を情報の出所として位置付けることで、チーム内での価値を高めようとする戦略のことだ
当然必要な情報がチーム全体に行き渡らなくなるのでチーム全体のパフォーマンスの低下を招き、トータルでの生産性が低下してしまう
2つ目のマウティングはチームの他メンバーの仕事にダメ出しをすることで相対的に自分を優位に見せかけ、重要性をアピールしようとする行為だ
例えば設計レビュー、コードレビューでの些末な指摘や部下へのマイクロマネジメントなどだ
重大な問題提起であれば必要なことだが、発達障害者の場合は自身の無駄に発達したプログラミングスキルをテコにした枝葉のこだわりに過ぎない場合が多い
こうしたマウンティング行為はチームメンバーの士気を低下させ、チーム内で軋轢を発生させることでこれまた全体の生産性を低下させてしまう
要するに発達障害者がエンジニアになると、人付き合いが苦手なので自分のスキルを高める職人方向に向かいがちだが、
現実のITビジネスの現場では発達障害者が好む職人的な拘りなど対して価値がなく、
自尊心はまだない。
何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。
他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。
ウィトゲンシュタインはコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。
まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的な共感能力と空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ。
一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間のコミュニケーションの曖昧さが本当にもう耐えられない。
明確で論理的で常に同じ意味で言葉が扱われることは、法律の世界においてさえ存在せず、裁判所で弁護士や裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧なものがその場限りの意味と解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。
私からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。
恐ろしいのは、その99:1が出来る人間の割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。
いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。
彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出して必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。
犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?
ふざけているわけではない。
色盲にとっての戦隊―ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉の機微なのである。
これはもう大変に厳しいことだ。
きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃんと文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。
私だってそう思う。
だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ。
これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。
今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的なパズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである。
普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。
こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。
何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから。
これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。
私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。
行き詰まった人生に方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家や芸術家になりましょう」「発明家や研究者に向いてますよ」と無責任な言葉が返ってくる。
実に下手くそに「貴方は社会不適合者なので、象牙の塔なり自分のアトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋な善意によっての社会からの排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。
その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別な生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日も迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。
これはもう精神的なリストカットとしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。
私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。
もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。
いい加減疲れた。
人生の先行きのなさが、生来生まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。
これ以上我々を責めないで欲しい。
責めるべきは、我々のような人間が人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか?
本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通の人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから。
例のソール・ライターみたく発表されなかったインスタグラムっぽいとこはあんまりないのだけど、
当時のメインストリームの写真家たちの作風とか彼女自身はどうおもってたのか、それとも全然関心も興味すらもなかったのか、タイムマシーンがあれば訊いてきてほしいくらい凄い写真群なのである
裕福じゃないと芸術家にはなれないんだわ
WEBTOONというのかSMARTOONというのかわからないけれど、韓国?のコマがめちゃくちゃでかい漫画が翻訳されて読めるじゃないですか。
日本漫画に漬かりきった増田はページ1コマとか引き伸ばしすぎて薄味にしか感じないんだけど、読み味どころかなんだか男主人公のビジュアルも薄味。
目鼻がシンプルですっきりしてて、なんだか特徴がない感じ。別の漫画とキャラ入れ替えても画風の違和感生じないんじゃない?て思う。
日本でおきたのはなろうのキリト風主人公とか?なーんか似たビジュアルの主人公が量産されてたよね。あんな感じの収斂進化的ななにかが起きてるの?
意識して読んでみると、おそらく日本の少女マンガの影響が強そうで読者層も女性が多いのかな?で塩顔も納得できそうだけど、少女マンガ系以外の日本なろうっぽいタイトルの異世界転生・チートモノもそのあっさりビジュアルでやってる。だから日本ナイズじゃなくてWEBTOONの完成形がこれっぽいのかな?
悪く言うとクリエイターの個性を出す芸術家タイプの日本の漫画と違って企画化された工業生産品のような安定感がある。絵じゃなくシナリオ勝負ってところなのか。タイトルも少女マンガやなろうっぽい量産品の匂いがするけど…。
フルカラーで読めるのは嬉しいがどうにも画面構成がスカスカでかったるくてキャラの見た目も印象にならない、と好きになれないんだよねー。
伝統文化が根強く残ってる地方出身者としては、先人が築いてきた文化に抱かれて育って、文化は触れるものだし、作るものだし、守るものだと思ってるよ。
私自身、大学で東京に出た時は、文化的な活動の量と質とアクセスの容易さに驚いたし、都会出身者に勝てるわけないと思ったよ。
増田みたいな展示を見るのが好きな人にとっては、地方はつまらない場所だと思う。
でも、増田が享受してる文化を作る側の人たち、芸術家やクリエイターと呼ばれる人たちが皆んな都会出身かというと、全然そんなことないんだよね。
そして彼らが都会でだけ活動しているかというと、地方を拠点に活動してる人も沢山いるんだよね。
東京以外には文化がなくて、文化的な活動が出来ないというのは全くもって間違っている。
ただ増田にとって余暇を過ごす場所やイベントが少ないというだけ。つまり、地方には遊ぶ場所がない、娯楽が少ない、という話だと思うよ。