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2021-01-26

今更だけど2020年に読んだ本

1月(15冊)

池澤夏樹個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョンヴァインランド

前野ウルド太郎バッタを倒しにアフリカへ」

ドナルド・キーン「百代の過客 日記に見る日本人」★★★

岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆

ドナルド・キーン「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」★★

町田康くっすん大黒」☆

西村淳「面白南極料理人

町田康夫婦茶碗

西村淳「面白南極料理人 笑う食卓

青山潤「アフリカにょろり旅」

石川啄木ローマ字日記

今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★

奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らし人類学者が考えたこと」

ピーター・ゴドフリースミスタコの心身問題 頭足類から考える意識起源

西村淳 「面白南極料理人 名人誕生

現代語訳対照枕草子(上)」田中太郎訳注

2月10冊)

現代語訳対照枕草子(下)」田中太郎訳注

タミム・アンサーリーイスラームから見た「世界史」』★★★

ミカエル・ニエミ「世界の果てのビートルズ

アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」★

池澤夏樹マシアス・ギリの失脚

テッド・チャン「息吹」★★

田尻祐一郎「江戸思想史 人物方法・連環」

ピエールバイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆

子安宣邦江戸思想史講義」☆

イリヤ・ズバルスキーサミュエルハッチンソン「レーニンミイラにした男」☆

3月12冊)

「1491―先コロンブスアメリカ大陸をめぐる新発見」★★

マイクル・フリン「異星人の郷」上巻。

マイクル・フリン「異星人の郷」下巻。

ボッカッチョデカメロン 上」(河出文庫

ヤスミナ・カドラ「昼が夜に負うもの」。★

チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★

ボッカッチョデカメロン 中」(河出文庫

ジョン・サザーランドヒースクリフ殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」

甘耀明「神秘列車

ボッカッチョデカメロン 下」(河出文庫

東京創元社編集部「宙を数える」

4月12冊)

東京創元社編集部「時を歩く」

東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形

葉月十夏「天象の檻

春暮康一「オーラメイカー」★★

高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」

堀晃ほか「Genesis万年の午後 創元日SFアンソロジー

江戸川乱歩作品集I 人でなしの恋・孤島の鬼 他」

水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日SFアンソロジー 2) 」

江戸川乱歩作品集II 陰獣・黒蜥蜴 他」

今野真二「振仮名歴史」★★★

村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★

サリンジャー「このサンドイッチマヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。

5月(13冊)

江戸川乱歩作品集III パノラマ奇談・偉大なる夢 他」

林俊雄「興亡の世界スキタイ匈奴 遊牧文明」★★★

清水勲「ビゴーが見た明治職業事情

原聖「興亡の世界ケルトの水脈」★★

夢野久作「瓶詰の地獄

大森望責任編集NOVA 2019年秋号」

パク・ミンギュ「短篇ダブル サイドA」☆

パク・ミンギュ「短篇ダブル サイドB」

チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」

森谷公俊「興亡の世界史 アレクサンドロス征服神話」★

三方行成「トランスヒューマン ガンマ線バースト童話集」

三方行成「流れよ我が涙、と孔明は言った」

高山羽根子オブジェクタム」

6月12冊)

宮内悠介「スペース金融道」。

草野原々「最後にして最初アイドル

石川宗生「半分世界」★

「ガラン版千一夜物語 1」★★★

「ガラン版千一夜物語 2」

「ガラン版千一夜物語 3」

「ガラン版千一夜物語 4」

「ガラン版千一夜物語 5」

「ガラン版千一夜物語 6」

オースン・スコット・カード無伴奏ソナタ

ジョン・サザーランドジェイン・エア幸せになれるか?―名作小説さらなる謎」★★

アン・マクドナルド火星夜想曲

7月12冊)

ジョン・サザーランド現代小説38の謎 『ユリシーズからロリータ』まで」

J・P・ホーガン未来からのホットライン

ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語迷宮へ」★

クリストファー・プリースト奇術師

ルーシャス・シェパード「竜のグリオールに絵を描いた男」

ウィルワイルズ時間のないホテル

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★

栗田伸子・佐藤育子「通商国家カルタゴ」★★

アーヴィングアルハンブラ物語」上巻☆

アーヴィングアルハンブラ物語」下巻

J・P・ホーガン創世記機械

J・P・ホーガン未来の二つの顔」

8月10冊)

ジュリアン・バーンズフロベールの鸚鵡」

松谷健二カルタゴ興亡史 ある国家の一生」★★★

イアン・マクドナルド黎明の王 白昼の女王

松谷健二「東ゴート興亡史 東西ローマのはざまにて」★★

ピーター・S・ビーグル「完全版 最後ユニコーン

松谷健二ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢」★

オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆

ユヴァル・ノアハラリ「ホモデウス テクノロジーサピエンス未来」上巻☆

ユヴァル・ノアハラリ「ホモデウス テクノロジーサピエンス未来」下巻

シュティフター晩夏」上巻

9月(14冊)

シュティフター晩夏」下巻

岡嶋裕史「5G 大容量・低遅延・多接続のしくみ」

住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★

西田龍雄アジア古代文字の解読」☆

山内進『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』★★

マリオバルガス・ジョサ(リョサ)「嘘からたまこと」

吉岡乾「現地嫌いなフィールド言語学者かく語りき。」

原田実偽書が揺るがせた日本史」☆

ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」

オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」

森安孝夫「興亡の世界シルクロード唐帝国」★

後藤明「南島神話」☆

A・レシーノス原訳「マヤ神話 ポポル・ヴフ」

杉勇、屋形禎亮「エジプト神話修集成」。

10月(15冊)

八杉佳穂「マヤ文字を解く」★

トンマーゾ・ランドルフィカフカ父親

加藤文元「宇宙宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」★★

スティーヴン・ミルハウザー「三つの小さな王国

エイミー・B・グリーンフィールド完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国密偵大航海物語

リン・ディン「血液石鹸

ヴァールミーキ著、中村了昭訳「新訳 ラーマーヤナ1」

ザカリーヤー・ターミル「酸っぱいブドウ はりねずみ

ヴァールミーキ著、中村了昭訳「新訳 ラーマーヤナ2」

ダニヤール・ムイーヌッディーン「遠い部屋、遠い奇跡

ヴァールミーキ著、中村了昭訳「新訳 ラーマーヤナ3」

プラープダー・ユンパンダ」☆

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」

チュット・カイ「追憶カンボジア

馬場隆弘「椿井文書 ――日本最大級の偽文書」★★★

11月(12冊)

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」

タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆

井伏鱒二山椒魚」(新潮文庫)★★

志賀直哉清兵衛と瓢箪網走まで」(新潮文庫)★★★

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」

ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★

カズオ・イシグロ充たされざる者

池上英洋・川口清香美少年美術史: 禁じられた欲望歴史

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」

プラープダー・ユン地球で最後のふたり」☆

ソーヴァデーヴァ「屍鬼二十五話―インド伝奇集」☆

プラープダー・ユン「鏡の中を数える」

12月(12冊)

グレアム・グリーン第三の男

ローデンバック「死都ブリュージュ

ショレム・アレイヘム「牛乳屋テヴィエ」

池上英洋・荒井咲紀「美少女美術史 人々を惑わせる究極の美」

ヤスミナ・カドラ「カブールの燕たち」☆

ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」

カズオ・イシグロわたしたちが孤児だったころ」★★

ロレンススターン紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻

ロレンススターン紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻

ロレンススターン紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻

ハン・ガン菜食主義者」★★★

マリオバルガスリョサ「継母礼賛」★

漫画(22冊)

入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)

浅野いにお短編集 ばけものれっちゃんきのこたけのこ

八木ナガハル物質たちの夢」

詩野うら「有害無罪玩具」★★

詩野うら「偽史山人伝」

道満晴明ニッケルデオン」【赤】【緑】【青】

中村明日美子「Aの劇場 新装版」★★★

panpanyaおむすびの転がる町」

中村明日美子「Bの劇場 新装版」

石黒正数「Present for me」

水上悟司「放浪世界

須藤佑実ミッドナイトブルー」☆

澤江ポンプ「近所の最果て」

道満晴明メランコリア上下巻★

カシワイ「光と窓」

ヨシジマシウ「毒百合乙女童話

総評

月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。

数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。

1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に4月から6月SFファンタジーほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。

また、芥川賞をはじめとした日本現代文学ほとんど手に取っていない。ベストセラーエンタメホラーもない。逆に、韓国タイペルーチリなど、日米欧以外の海外文学割合が高い。

意識してきたわけではないが、自分の好むジャンル科学歴史ノンフィクション神話、行ったことのないラテンアメリカアジア文学メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典であるようだ。一方で、女性作家割合は低く、特に日本現代女性作家ほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガン自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。

割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつから例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。

今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。

以上。

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2020-11-27

anond:20201127002724

詳細は不明だが1995年の「現代小説1995」のなかでモフモフが使われている。

https://books.google.co.jp/books?id=LJ0qAQAAIAAJ&q=%22%E3%83%A2%E3%83%95%E3%83%A2%E3%83%95%E3%81%A8%22

空は青く、モフモフと柔らかそうな雲が空の低い所を泳いでいた。

筋肉少女帯よりは後だが、食べものに用いられていない例である

ちなみに1924年中央公論

https://books.google.co.jp/books?id=sRQ8AQAAIAAJ&q=%22%E3%82%82%E3%81%B5%E3%82%82%E3%81%B5%E3%81%A8%22

自動車の太輪の砂塵もふもふとたちけむりつつ道の邊の櫻。

は飛び抜けて古いが、おそらく「もうもう」の歴史的仮名遣いか

ラノベなら1999年発売の「フルメタル・パニック 本気になれない二死満塁?」に登場するボン太くんも忘れてはならないだろう。

彼はモコモコのきぐるみで「ふもっふ」「ふもふも」「もっふる」などとしゃべる。

もふもふ」でこそないが、それに近い音の並びであり、柔らかな毛並みを連想させるものである

フルメタシリーズマスコットキャラとしてアニメ2003年放送されており影響力は強い。

他に影響が大きそうなものとしては、2005年発売の「テイルズ オブ レジェンディア」に登場する、ラッコ進化した「モフモフ族」なるものか。

企画2002年から立ち上がっていたらしく、そこから2005年までのあいだに「柔らかな毛並み=モフモフ」という認識が浸透していたことを示唆する。

実際、2ch検索してみると2003年ごろから「モフモフ」の使用が見える。

http://hobby.5ch.net/test/read.cgi/dog/1058378352/981

981 :わんにゃん@名無しさん:03/08/30 12:41 ID:cOjoIUjg

>>979

長毛MIXなのでデカく見えるだけです。

とにかくフサフサモフモフ。

調子に乗って、動画も(・∀・)ノ゛

https://hobby.5ch.net/test/read.cgi/dog/1063382568/714

714 :わんにゃん@名無しさん:03/10/12 22:43 ID:VyEtJSzx

>>708だったにゃん。

間違えたにゃん。ごめんにゃん。

そろそろおねむなので、にゃんのお腹をモフモフしながら寝るにゃ~ん♪

https://game9.5ch.net/test/read.cgi/gamerpg/1101732011/110

110名無しさんお腹いっぱい。:04/12/02 02:08:22 ID:XAv7a6E6

>>108

やっぱケルベロスかなぁ。ルーパイメージも入ってるかもしれないけど。

あと白虎ヘタレでかわいかった。

毛皮だしもふもふだし舎弟にしていっぱい無茶いっていぢめたい。

いずれも動物に対して用いられている。

以上からもふもふ」が動物の毛並みを表すようになったことの原因にルイズコピペを置くのは不適当であると言える。

追記

ちなみに2002年こちらのスレでは

https://life2.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1022140222/

85 :マジレスさん:02/05/27 12:07 ID:GQ/tFpr.

モフモフってどんな行動だろな。

まれて初めて聞いたよ。モフモフ。

280 :マジレスさん:02/06/07 22:01 ID:55o5J4HP

モフモフって外部的接触としてはどれに該当する行為なのだろうか。

などと全く「動物の毛並み」「ふんわりした食べ物」などが連想されていない。

せいぜい発音から「毛布」と結び付けられている程度であるが、

にもかかわらず「モフる」などの簡略形が既に生まれているのが興味深い。

2020-11-05

アメリカ大統領選挙、次の大統領はどうなるか

どっちが勝つかわからないけど、とりあえず次の大統領はこんな感じ。

どっちが勝っても

アメリカ史上最高齢就任した大統領

これまでの「史上最高齢就任した大統領」はロナルド・レーガン(2期目の就任時に73歳)で、「史上最高齢で1期目を開始した大統領」はドナルド・トランプ(70歳)だけど、バイデントランプも2期目のレーガンより年上なので、「アメリカ史上最高齢就任した大統領」が誕生する。

トランプが勝ったら

アメリカ史上初の一般投票で勝たずに2期務めた大統領

開票結果を見ていると、一般投票バイデンが勝ちそうなのはほぼ確定。この結果を選挙人投票でひっくり返したら、トランプは「史上初めて一般投票で勝たずに2期を務めた大統領」になる。

過去一般投票で勝たずに選挙人投票で逆転して大統領就任した者は5人いる。1825年に就任したジョン・クインシー・アダムズ1877年就任したラザフォード・ヘイズ1889年就任したベンジャミン・ハリソン2001年就任したジョージ・W・ブッシュ、そして2017年トランプである。このうち、アダムズとハリソンは次の選挙落選し、ヘイズは次の選挙出馬せず、ブッシュは次の選挙一般投票勝利した。したがって、「2回とも一般投票で勝たずに選挙人投票で勝って2期務めた大統領」は歴史存在しない。

また、大統領の急死や辞任によって昇格した大統領は、皆、次の選挙落選するか一般投票勝利して再選されるかのどちらかであり、「副大統領から昇格して、次の選挙一般投票で負けたけど選挙人投票で勝って2期努めた大統領はいない。

したがって、仮にトランプが再選された場合、かなり高い確率で「アメリカ史上初の一般投票で勝たずに2期務めた大統領」が誕生することになる。

バイデンが勝ったら

アメリカ史上最高齢で退任した大統領

レーガンは77歳で退任したけど、バイデン就任式当日には78歳になっているので、「アメリカ史上最高齢で退任した大統領」になることが確定する(トランプ場合任期途中で辞めたりすると史上最高齢にはならない)。

アメリカ史上2人目のカトリック大統領

アメリカカトリック信徒大統領になるのはジョン・F・ケネディ以来2人目。

およそ30年ぶりの戦前第二次世界大戦終結前生まれ大統領

1993年ビル・クリントン1946年まれ)が就任して以降、ジョージ・W・ブッシュ1946年まれ)、バラク・オバマ1961年まれ)、トランプ1946年まれ)とここ30年ほどは戦後まれ大統領が続いている。もしバイデン1942年まれ)が勝利すれば、ジョージ・H・W・ブッシュ1924年まれ)以来28年ぶりに戦前第二次世界大戦終結前生まれ大統領就任する。

ブコメで指摘されて気付いたけど、1939年ナチスポーランドに侵攻してから1945年日本降伏するまでの間に生まれ大統領はこれまでにいないから、アメリカ史上初(そしておそらく唯一)の「第二次世界大戦中に生まれ大統領」になるのか……

前任者より早く生まれ新人が2人続けて就任するのはおよそ100年ぶり

前任の大統領よりも年上の者が新しい大統領になったことは何度もあるが(前回の大統領選は、クリントンが勝ってもトランプが勝ってもオバマより年上の大統領だった)、それが2回続けて起きるのは、セオドア・ルーズベルト(1858年まれ)より年上のウィリアム・タフト1857年まれ)より年上のウッドロウ・ウィルソン(1856年生まれ)が大統領就任した1913年以来のことである

苗字文字数が同じ大統領が3人続けて就任するのはアメリカ史上初

これまで2人続けて苗字文字数が同じ大統領就任したことは6回ある(Van Buren→Harrison、Lincoln→Johnson、Grant→Hayes、Kennedy→Johnson、Carter→Reagan、Obama→Trump)。だが3人連続したことはない。もしバイデン(Biden)が当選したら史上初の例となる(Obama→Trump→Biden)。

そういえば、オバマバイデントランプペンス(Pence)と、2代連続で正副大統領苗字文字数が一致しているのはレアケースかもしれない。大統領選挙二大政党候補者苗字文字数が一致する(Trump vs. Biden)のは、2000年ブッシュゴアBush vs. Gore)以来20年ぶり。

共和党政権が1期しか続かなかったのは戦後

第二次世界大戦後のアメリカでは、民主党が1期でホワイトハウスを明け渡したことはあるが(ジミー・カーター政権)、共和党が1期でホワイトハウスから追い出されたことはない。再選に失敗したジェラルド・フォードジョージ・H・W・ブッシュも、前任者(リチャード・ニクソンロナルド・レーガン)が共和党員なので共和党ホワイトハウス支配は2期以上続いている。もしトランプが1期で追い出されバイデン政権誕生したら、戦後初めて共和党が1期でホワイトハウスを明け渡すことになる。

初の女性副大統領・初の黒人副大統領・初の黒人女性副大統領

カマラハリスは、女性としても黒人としても、そしてもちろん黒人女性としても初めての副大統領になる。

メディアだと「黒人女性としては初の副大統領」って言われるけど、女性としても黒人としても初なので表現が難しい。「初の黒人女性」だと、白人女性黒人男性がそれ以前にいたかのように聞こえる(「黒人女性初の国務長官」だったコンドリーザ・ライスがそうで、「女性初の国務長官」はマデリン・オルブライト、「黒人初の国務長官」はコリン・パウエル)。

追記

戦前警察アメリカ分署です。1942年はすでに米もWW2に突入しており、バイデン戦前まれは明らかに誤りです。戦中か戦勝前としてください

ご指摘感謝。おっしゃるとおりで赤面の至り。

カトリックの少なさに驚く。ググる2014年時点で37%がプロテスタント23%がカトリックらしい。それでも凄まじい偏りだが、どんな背景があるんだろう

大きく2つの理由があって、

このうち後者について、ケネディ1960年選挙演説で次のように言っている。

わたしは、公的にはカトリックでも、プロテスタントでも、ユダヤ教でもないアメリカを信じます。そこでは、公共政策に関して、公僕が、ローマ教皇キリスト教会全国協議会やその他の宗教組織に指示を求めたり、そのような組織から指示を受けることがありません。

https://www.jfklibrary.org/learn/about-jfk/historic-speeches/address-to-the-greater-houston-ministerial-association

まり20世紀後半になっても「教皇の言うことを聞くやつが大統領でいいのか」という不安があったという話。

ちなみに、バイデンアメリカ史上初の「カトリック信徒副大統領」でもある。「二大政党から大統領候補に指名されたカトリック信徒」としては4人目(アル・スミスJFKジョン・ケリーバイデン。全員20世紀以降に民主党擁立)。

なお、これまで日本首相になったカトリック信徒は3人いる模様(原敬吉田茂麻生太郎)。プロテスタントも何人かいるし、首脳の信じている宗教という一点に限ってはアメリカなんかより日本の方が遥かに多様という。

初の女性米国大統領副大統領からの昇格で実現する可能

仮にバイデン任期途中でリタイヤしてハリスが昇格し、2024年の大統領選挙ハリス女性候補に敗北すると、「初めての女性大統領」と「初めて選挙で選ばれた女性大統領」が別人になるので、トリビア好きにはたまらない展開になる。ニッキーヘイリーには頑張ってほしい。

(現状、「最年少大統領」がこの状態で、「最年少の大統領」はセオドア・ルーズベルトだけど、彼は前任のウィリアム・マッキンリー大統領暗殺に伴って昇格したので、「選挙で選ばれた最年少の大統領」はジョン・F・ケネディ。仮に今回の選挙ピートブーティジェジが勝っていたら限定なしで「史上最年少の大統領」になっていた)

バイデンさんが大統領になったら、健康問題的な意味で4年間きちんと勤め上げられるかどうか不安だよ。

一番のリスク大統領就任式という説も。就任式は1月に屋内で行われるけど、高齢バイデンには風邪を引くリスクがある。実際、1841年に、68歳だったウィリアム・ハリソン大統領めっちゃ寒い日に就任式で長々と演説して3週間後に風邪を引き、そこから肺炎になってアメリカ史上最も在任期間の短い大統領になってしまった(在任31日間)という故事があるので……

(ちなみに、日本内閣総理大臣で最も在任期間が短かったのが東久邇宮稔彦王の54日なので、日本首相よりアメリカ大統領の最短在任記録の方が短い。ハリソンの在任期間はあの宇野宗佑の半分以下)

2019-10-11

創業1924年

ってことは西暦95年に創業ってこと?

578年創業世界最古の企業と言われている金剛組よりも更に歴史あるとか、マジでギネス級じゃん。


…それとも、まさか絶対そんなことないと思うけど、もしかして1924年創業って意味で言ってる?

仮にも日本語ネイティブスピーカーが、こんな噴飯物の言い間違いはしないよね?

2017-09-02

6000人虐殺論を採用すると

4県合計の12,840人の6000人が1923年9月以降に虐殺されて次の年の調査までに14000人も流入する計算になるわけで

半数近くを虐殺しながら次の年には3倍に増えるのを受け入れるってのはありえないように思える

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス-

http://synodos.jp/society/14990

ここから次の年の人数まで引用

     1923年  1924年

東京府  8,567人  13385人

埼玉県  311人   787人

千葉県  317人   707人

神奈川県 3,645人  5678人

4県計  12,840人 21,213人

https://anond.hatelabo.jp/20170902034014

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2017-06-21

選手宣誓ポーズルーツナチスというのはデマ

そろそろやめませんか?

https://lineblog.me/sascha/archives/8342298.html


これが拡散されるのはアカンと思って取り急ぎ



オリンピックで初めて選手宣誓がされたのは1920年アントワープ五輪

おそらくだけどこれがかなり印象あったんだろうね、1924年パリ五輪ではポスターに使われる

http://gigazine.net/news/20080807_olympic_poster/



この超有名なポスターで全世界選手宣誓=手を挙げるってのが広まったのかと


1924年パリオリンピック検索すると写真も残されてる



追記

信用できるソースとしてはオリンピック公式サイトこちらをどうぞ

https://www.olympic.org/paris-1924


POSTERのところで確認できる、下には手をまっすぐに伸ばした宣誓の姿もある

2017-05-01

鉄道技術で後追いの中国の方が先行した日本より優れている云々」という話は孫文も『三民主義』(1924年の講演をまとめたもの)で簡略にだが述べていた。

http://anond.hatelabo.jp/20170429225222

2015-07-10

人間らしい動物たち

ローマ元老院議員インキタトゥス

ローマ帝国皇帝カリグラの愛馬。

カリグラはこの馬に宝石を散りばめた馬具を与え、ローマ元老院議員の職を与え、大邸宅奴隷を与えた。

インキタトゥスは人の言葉が分かるほど賢く、カリグラは彼を執政官にすることを約束していた。

賢馬ハンス

人語を解し、計算ができるとして見世物にされた馬。

ハンスに問題を与えると、彼は答えの数字と同じ回数だけ地面を蹄で蹴った。

だが実は、ハンスは飼い主や観客の顔色を窺って行動していたにすぎず、観客が答えを知らない場合は正解することができなかった。

ヴォイテク伍長

第二次大戦中、ポーランド軍に属し、伍長となった子熊。

赤ん坊の頃にイラン保護され、近くに駐屯していたポーランド軍に引き取られたあとは部隊マスコットとして可愛がられた。

彼はまるで人間のように振る舞い、仲間たちの真似をして弾薬の運搬作業従事した。

戦後スコットランド動物園に引き取られてそこで亡くなった。

イギリス首相官邸ネズミ捕獲

イギリス首相官邸には「ネズミ捕獲長」という役職があり、旺盛な狩猟意欲を持つと判断された猫が公務員として雇われている。

現在捕獲長は財務大臣の飼い猫だったフレイヤ氏で、前任の捕獲長であったラリー氏が捕獲員として留任している。

この役職1924年から存在し、その年収はおよそ2万円ほどである

ハンサムダン

イェール大学マスコットを務めるブルドッグ

1889年以来、ハンサムダンという名は代々襲名されており、当代で17代目である

運動部試合の大観衆にも物怖じしないこと、ハーバード大学およびプリンストン大学人間に対して猛烈な敵意を示すことが就任の条件とされ、選考委員会によって選ばれる。

2015-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20150615171454

ハーバードって私学だから帝大と比べるなら州立大学じゃないの?

女性入学が認められたのはいからみたいなのはないけど(設立当初からから書いてない?)

ミシガン大学英語サイトをみると1876年最初アフリカ女性入学したって書いてるから

女性ってだけならもっとからだろうし、UCLA1924年女学生団体設立されたみたいな記述あるから

女学生もっとからいたんだろうし。

さらにみるとバージニア大学1890年代後半に何人かの女学生を入れてるって書いてあるな。

2014-11-10

羽生四天王

将棋羽生

羽生善治。読みは「はぶ」。

1970年まれ永世六冠。

サッカー羽生

羽生直剛。読みは「はにゅう」。

1979年まれ。元サッカー日本代表

スケート羽生

羽生結弦。読みは「はにゅう」。

1994年まれオリンピックメダリスト

小説羽生

羽生。読みは「ユーシェン」。

1924年まれ武侠小説の三大家

2013-09-08

蓋を開けたら東京圧勝だったとは

やっぱブックメーカーはすげーや!

ありがとうフランス

君にとって次の2024年大会は絶対パリじゃなきゃダメなんだよね

1924年パリ大会を開催して以来、100年目の正直を何としてでも果たさなければならない

しかし2012ロンドンに2016リオ、そして2020マドリードになると2024年は確実に非欧州開催だ

これを回避する為に、きっと壮絶な根回しをしてくれたに違いない

ひょっとすると福島原発への懸念も彼らが説得し払拭してくれていたのではないか

フランスは誰もが認める先進国であり、優れた核技術を持つことでも広く知られている

放射能の議論はどうしても感情的になるので、当事者よりも第三者が喋ってくれた方が話は早い

それは日本のこの数年で僕たちが身に染みて学んだことでもある

ありがとうフランス、次の開催地パリになることを僕は支持するよ

豪州アテネアジア欧州南米アジア欧州の流れは自然な持ち回りだから

ありがとう韓国

日本除外のロビー活動に尽力していたらしいが力及ばずだったね

おそらくそうなったのは君たちがテコンドーなんてのをプッシュし過ぎた為に

今回の除外候補にレスリング押し出ししまたからだろう

おかげで米と露とイランが共闘するオリンピック精神が発揮されたりもした

ひょっとするとIOC西欧派閥への対抗を産みだしたのかもしれないね

となるとおそらく今回の投票会長選挙理事選出を睨んだものにさえなったかもしれない

ここで非西欧バトンを渡すことで次の開催地会長西欧、とバーターさせる

それはマドリードレスリングの目先のバーターよりも重要なこと、IOCにとっては

妥当な持ち回りだと24年がパリ28年が米国だろうからアジアが開催出来るのは早くて2032年か

いやいや中東カタール南アフリカの頑張り次第を考慮するともう一つ後になるか

きっと上海ベトナムバンコク辺りと争うことになるんだろう

未来はどうなるか分からないけど、そんな時はブックメーカー見てから考えることにしよう

2013-09-07

田中将大投手の記録が世界記録じゃない件について

マー君さんこと楽天田中将大投手が開幕20連勝の大記録を成し遂げたってことで野球好きのみならず世間的にも騒がれているのだけれど、

どうもこの記録が「世界初」の記録なるものとして報道されているらしく、それは違うよという記事。


正しい開幕連勝記録は、1924年ニグロリーグにてNip winters投手が成し遂げた22連勝。

(http://www.baseball-reference.com/nlb/leader.cgi?type=pitch&year=1924)

もっとも、上記のサイトでは、22勝7敗としか記録されていないのだけれど、

John B. Holway氏が書いたThe Complete Book of Baseball's Negro Leagues: The Other Half of Baseball Historyの124ページにはっきりと

開幕22連勝したけれども7連敗したという記述があり、加えて、ニグロリーグ歴史でもシーズン20勝以上というのは特筆すべき数字であると述べられている


ま、台湾とか韓国とかメキシコとかに広げたらもっとすごい世界記録はあるんだろうけど、とりあえず、なぜ日本からメジャーにわたった新人王資格があるのかというと、

こうしないと過去ニグロリーグからMLBに移った選手ウィリーメイズ等)の新人王をはく奪する事態になってしまうからという事情があるわけで、

メジャー日本の成績を考慮しろ!というわりには、ニグロリーグMLB関係史、ニグロリーグ存在すら忘れて、日本メジャーリーグ以外のリーグの成績を全く考慮しない

マスコミ(あるいはそれをうのみにするプロ野球ファンの)姿勢には、皮肉な笑いしかこみあげてこない。


ということで田中将大さんの開幕20連勝というプロ野球史には不滅であろう大記録を祝いつつも

けちのつかない「世界記録」を目指してもっと連勝街道を驀進してもらいたいと思う次第です。

2013-05-26

「頭の悪いサヨクへの俺からアドバイス」を実践するとしたら

http://anond.hatelabo.jp/20130526163927

沖縄タイムスの記事内の「金さんは14歳のころ旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と言われて連行され台湾、広東、香港マレーシアスマトラインドネシアなど前線地で8年間、22歳になるまで慰安婦として従軍させられた。」という記載は正しくは「4年間、18歳になるまで」の間違い。金福童1926年生まれ、1941年に「挺身隊として3年間軍服工場で働くという説明で徴用され、広東の慰安所に連れて行かれた」という。

・同様に証言の信憑性が疑われている元慰安婦に、いわゆる「挺身隊おばあさん」「鄭書云(チョン・ソウン)」がいる。14歳ときに「金属製食器の供出命令を拒否したため」として地主である父親が逮捕区長から「針工場で働けば父親を釈放してやる」と言われ、承諾するが、下関からインドネシアスマランの慰安所に連れて行かれ日本兵の相手をさせられる。彼女1924年生まれとされているが、実際は1927年または1928年生まれ。「金属類回収令」が外地朝鮮で制定されたのは昭和16年(1941年10月1日。よって父親が逮捕されたのはこの日より以降の筈。だとすれば「スラマン日本軍慰安所」に連行された件についても辻褄は合う(日本軍スマトラジャワに侵攻したのは1942年2月から3月にかけて)

2009-05-15

疲れたときに自分を励ます名言自分用)

自分幸せ自分と同じ社会に生きる無数の他人の幸せとつながっている」

佐藤学東京大学大学院教授

「帰って家族を大切にしてあげて下さい」(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)

マザーテレサカトリック教会の修道女、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者)

「やっぱり修行で得た力というのは他人のために使うものだと私は思います」

「・・・傷つき迷える者たちへ・・・敗北とは傷つき倒れることではありません。そうした時に自分を見失ったときのことを言うのです。強く心を持ちなさい。あせらずもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい。自分にできることはいくつもない。一人一人がもてる最善の力を尽くす時、たとえ状況が絶望の淵でも必ずや勝利への光明が見えるでしょう・・・!」

「何もしなければまさに何もはじまらないでしょう?・・・ジタバタしかできないなら方法はひとつ・・・!!みなさん!ジタバタしましょう!!」

アバン=デ=ジニュアール3世(三条陸原作)と稲田浩司(作画)による漫画及びそれを原作とするアニメDRAGON QUEST -ダイの大冒険-』に登場する架空の人物)

少年をよく眺めてください。裁判所に悩む人が居なくなれば裁判所は冷たい箱になってしまいます。」

「あなたには少年事件はつまらなく見えるのかも知れない。確かに声の届かない子供達は多い。何も身につけていない絶望的な子供達も多い。しかし長く少年達を眺めていると判ってくることもあります。」

「多かれ少なかれ、みんな虐められた過去を持っている。小さな子は大きな子に。力のある子は頭のいい子に、女は普通の男に、普通の男は強い男に、強い男は組織に、組織はより強い組織に・・原因を辿っていくと尽きない。」

「私は普通人間です。でも少年法を使えばその連環を断ち切れるかも知れない。貴方は知らないだけですよ。その恐ろしい輪の中から抜け出せた時に、人がどんな顔で笑うかを・・。」

桑田義雄(毛利甚八作・魚戸おさむ画の青年漫画家栽の人」に登場する架空の人物)

世界中のことテレビでざっと見てわかった気になったって、そんなのウソだぜ!世界は目で見える姿の何十倍、何百倍も広いんだ!それに比べりゃ怖い夢も、ハデな超能力も、小せえよ!ごくごく一部だよ!」

南丸洋二(岩明均による伝奇漫画作品七夕の国」に登場する架空の人物)

ファシストになるより豚のほうがまだマシさ」

ポルコ・ロッソスタジオジブリ制作日本長編アニメーション作品紅の豚」に登場する架空キャラクター

「ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなお前と同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」」

ジェイ・ギャツビーアメリカ作家F・スコット・フィッツジェラルド執筆1925年出版された小説「グレート・ギャッツビー」に登場する架空の人物)

「だが、世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」

1924年出版されたトーマス・マンによる長編小説魔の山」より)

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

 
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