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はてなキーワード: 資するとは

2019-05-24

anond:20190524194146

洗脳されまいとか、流行りの商業音楽なんて聞くものかとか、そういう抵抗をしなければならないのって、

一人ひとりにはわずかだとしても、社会全体に結構な負荷をかけているんだとおもう。

ある程度公共空間で流してしまった音楽はもう公共の共有財産として自由に使わせるべきなんだよ。そのほうが文化の発展に寄与する。

ヒットした音楽家は稼ぎすぎでしょう。小室哲哉とか成金のようにしていたけど、あんなに独りに金が集まるのは正しくない。

社会に対してそれほどの貢献をしたわけじゃなくて、皆が洗脳されただけです。

皆が聞いてどこでも流れたから、また聞きたくなったという減少に過ぎない。

ブームになったのは、一定価値をうんだとしても、そんな莫大な儲けにつながるほどの社会貢献と考えるべきじゃないので、

適正な稼ぎがあったらそれ以上は公共資するように共有物とするべきなんだ。

環境をぶっ壊す権利ってあると思う

レジレジ袋うるせえスーパーがあるんだけど、環境保護資するとしてもそれを認めず頑なに環境破壊する権利って認められるべきだと思う

大事なのは今の生活なんだから環境問題として今まさに自身リスクが曝されてから対策をとっても遅くはないと思う

現に水俣病などの公害病も発病してから対策を取っているのだし

肉を食べるのは良くないことだからやめろと言われても反論できない

はてなでは最近ヴィーガン話題だ。自分も肉は食うのだが、しかし肉を食べるのは良くないことだからやめろと言われたら反論できない。

まず環境に良くない。同じ量の栄養を持つ食品を作ろうとすると、牛や豚を育てるのと豆を育てるのでは環境への負荷が数桁違う。牛が出すげっぷに温室効果ガスが含まれていて、世界中の牛が出す量を合計すると地球温暖化無視できない勢いで影響しているという話もある。肉を食べるのは環境に良くないからやめろと言われると反論できない。

また健康にも良くない。脂身の多い肉は心疾患のリスクを高める。加工肉や赤身をとると発がんのリスク高まるWHOも言っている。肉を食べるのは健康に良くないからやめろと言われると反論できない。

さら日本人としても良くない。日本で牛や豚の肉を食べることが全国で一般に広まったのは明治以降の話だ。肉を食べるのは日本人本来の姿に反するから良くないからやめろと言われると反論できない。

そして倫理的に良くない。動物愛護法は「生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」ため「動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめること」を禁止罰則も設けられている。動物を苦しめるのは良くないことだという倫理は既に日本法律に組み込まれているのである。そして、人間も犬も猫も食べてはいけないのに牛や豚は食べていいというのは一貫していない。哺乳類全般は食べない、あるいは恒温脊椎動物は食べないという風にした方がルールとしても一貫している。肉を食べるのは倫理的整合性がとれていないからやめろと言われると反論できない。

肉を食べるのは正しいことだと主張する方法ほとんどないが、肉を食べない方が正しいと主張する方法はいくらでもある。ヴィーガンの主張をはねのけることができたとしても、このままではいつか何らかの形で肉食反対派が勝利を収める日もやってくるのではないだろうか。

2019-05-21

anond:20190520203308

(1)「『同性婚を推進すべき』という意見に対する肯定根拠が見えない」という指摘について

増田にならって自分が指摘したいことをまとめると

◦ 現行の婚姻制度共同体の安定の機能のためなるべく「現状を肯定することを前提に」運用する

パートナーシップ制度は「共同体の安定」のために先進的な制度「の導入については慎重を期す」←同性婚は「現状」に沿った形で「現行の婚姻制度」の柔軟な運用により対応する

となる。増田意見とは結構真逆な結論になるよね。つまり増田提案する「新しいパートナーシップ制度」が、極めて近代的発想に基づくもので、それがうまく「共同体の安定」に資するビジョンが見えない、と言いたいわけです。分かりにくくて申し訳ない。


極東ブログ意見は、それこそ「(我々のイメージする近代的)家族はなかった」という話に過ぎないし、引用している本も40年ほど前の本だよね。それこそ「近代見直し」が盛んだった時代の論としてはありがちな意見だけど、その時代意見については、今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い。

いずれにせよ、江戸時代初期までは、日本社会の多数の庶民には、父子の関係は薄く、母子関係はあっても家族はない。

これが極めて極論であることは、たとえば古事記を引いてもいいだろう。ヤマタノオロチに娘を捧げなくてはいけない状態にあった老夫婦アシナヅチテナヅチ)を見たスサノオ大蛇退治をする、というストーリー。この人たちが当時として特異な「家族」として描かれているように読めるだろうか? むしろ普遍的理解される家族・親子の姿として描かれているのでは? あるいは「物語のいできはじめの祖」とされる「竹取物語」ではどうだろうか。「子供の出来ない老夫婦が、子供を拾って家族となる」ところから話が始まるのではないだろうか。宇治拾遺や今昔物語などを調べてみてくれてもいいが、「一対の夫婦がいて子供がいて共に暮らす」というのはむしろ多くの物語で見られる「一般的な『家族』の姿」だよ。

もちろん増田の言う「ひょっとすると近代作品が伝わるにつれて近代にそぐわない婚姻スタイルの話が継承されなくなったのかもしれない」という想像100%廃するわけじゃないけど、それを主張するなら、むしろ「確実に古代から伝わっている多くの本」に描かれたこれらの姿をどのように説明するかについての納得のいく説明必要じゃないかな。

2019-05-20

anond:20190520102818

婚姻制度共同体の安定に資するべきである」という立場であり、

個人自由尊重し、望むものがいて自分個人が損しないのなら権利を認めたい」という立場ではないのね。

それならそれでちゃんとした考え方だし立論は認めます。俺とは相容れないけど

 

その場合同性婚の許容は本当に共同体の安定に資するか考えてから賛成すればよいと思う。今までこのツリー積極的な賛成の要素は出ていなかったので例があればよろしく。俺も考えを変えるかもしれない

 

以下、気になった点

重婚否定は長い歴史のなかで共同体の安定に役立ってきた

近代以降しかかめられてないと思う。一夫多妻制の歴史の方が長く、汎世界的にわたっていた

これが禁止されたのは個人自由人権利の観点からだ思う(女性の権利が低く抑えられる実績があった)ので

増田の言うような共同体安定の要請ではない

なお俺個人意見といては共同体の安定のために個人権利を阻害するのは嫌なので

一夫一婦制はのこしてもらいたいところ

パートナーシップは好きにするといい

 

・近親婚の否定共同体安定に役立ってきた

共同体の安定のために個人選択否定する必要があるという立場なら問題ない

俺のように個人自由を重んじたい人間場合どう立論すべきか悩んでるだけ

 

増田が考えるほど私たちは「近代的」ではない。

→そこは十分理解してるんで、現行制度差別的であってもなるべく手を加えず、新しい制度を作ろうとしている

2019-05-17

電柱好きと電柱嫌いについて。

電柱邪魔風景募集したら「電柱萌え」が集まった

https://togetter.com/li/1144041

こういう人がいるというのはもちろん知っている。

でも私は美しさが理解できない。

電柱電線)のある街で生まれ育った。電柱の無い場所を通り、電柱のある地域まで出勤している。

電柱が良いとかノスタルジーと思ったことはない。

私にとってノスタルジーってなんだろうな。夕日かな。

鉄塔存在感が凄いとは良く思う。しかし、美しいとは思わない。

もちろん、電柱好きが集まり写真を撮って盛り上がるのは自由だ。

ただ、無電柱化の推進に関する法律には次のように書かれている。

六条 国民は、無電柱化の重要性に関する理解と関心を深めるとともに、国又は地方公共団体実施する無電柱化の推進に関する施策に協力するよう努めなければならない。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000112

個人的はともかく、社会的には無電柱化に協力しなければならないものらしい。

ついでにこれも貼っておこう。

第一条 この法律は、災害の防止、安全かつ円滑な交通の確保、良好な景観形成等を図るため、無電柱化(電線を地下に埋設することその他の方法により、電柱鉄道及び軌道電柱を除く。以下同じ。)又は電線電柱によって支持されるものに限る。第十三条を除き、以下同じ。)の道路上における設置を抑制し、及び道路上の電柱又は電線撤去することをいう。以下同じ。)の推進に関し、基本理念を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにし、並びに無電柱化の推進に関する計画策定その他の必要な事項を定めることにより、無電柱化の推進に関する施策総合的、計画的かつ迅速に推進し、もって公共の福祉の確保並びに国民生活の向上及び国民経済の健全な発展に資することを目的とする。

2019-05-07

労働組合組織について執行経験者が解説するよ

ここ最近労組関連の増田はてブコメントを見ていると、どうも労組の内部(?)事情というのは思ったより知られてないようだぞ、と感じたので少し知見を共有したいです。なお、当方は小規模な単組の執行経験者です。また、ここで記述する内容はどの組織オフィシャル見解でもなく、個人理解をまとめているだけです。

労働組合階層について

労働組合」という同じ名称で呼ばれる組織でも、大きく分けて2種類に分かれます。「企業労組(単組)」あるいは「ユニオン」と呼ばれるような、直接的に組合員所属する組織と、「産別組織」「上部団体」と呼ばれるような労働組合を束ねる組織です(名称の揺れは多少有ります特に後者はまとめてどう呼べば良いのか私はよく分かっていません...)。

多分、皆さんが「労働組合本来任務」と思うような、会社との交渉・折衝を行う組織は前者の「企業労組」「ユニオン」になります。ただし、(当然ですが)基本的には組合員所属する会社以外のことには口出ししませんし、出来ません。

「産別組織」「上部団体」にも階層があって、例を出すと自動車産業の単組が集まった「自動車総連」、その上部団体の「日本労働組合総連合会連合)」や「金属労協」、といった具合にツリー上の組織構成になっています。大体、「産別」と呼ばれる団体が単組が1次加盟する組織だと私は理解しています。この産別から、すでに個々の会社とのやりとりはしませんが、大体企業側も対になるような組織(何度も例に出して申し訳ないのですが、自動車総連に対しては「日本自動車工業会」など)を作っているので、そこと大枠の交渉・折衝をしていますイメージとしては、個々の企業・単組に対するガイドライン出しをする感じです。産業別、言い換えると同業界ですから景況感などが概ね共通するため、割と単組と会社の折衝でも使えるようなアウトプットが出てきます。ただし、拘束力は皆無だという感触ですが...

追記・ここは書き方が悪く誤解を与えてしますみません。産別で出されたアウトプット、例えばお互いのトップコメントなどはガイドラインになります拘束力はないと感じる、と言う意味です。上部から要請、例えばイベントの人だしは人数必達で、バリバリ拘束力あります…)

さらに上部の連合などまで行くと、もはや単組や個々の企業など見えていないですね。じゃあ何が任務となるかというと、「政治活動」「平和活動」などの、労組活動じゃないでしょ、と思われがちな(最近評判の悪い)ところをやっています。実際の行動および結果に対する評価は別としますが、理念としては、労働者の数を束ねに束ね、圧力団体として労働者に有利なロビー活動をしよう、あるいは労働者に有利な社会を作ろう、と言うことだと理解しています

単組の活動について

続いて、簡単に単組の活動について触れていきたいのですが、その前に少しご質問労働組合という組織は、会社にとって有益無益か?色々な角度から考えることが出来ると思いますが、労働組合会社にとってメリットをもたらす側面があります。その一つが、対労働者の折衝窓口の一本化。労働協約労使協定企業が人を使う上では労働基準法が定めるとおりにいろいろな取り決めを労働者と結ぶ必要がありますが、全労働者の明示的合意を都度取るのも結構大変です。なので、法律上は「労働者過半数以上で組織する労働組合」あるいはそれがない場合は「労働者過半数代表する者」との間で合意を取ればOK、となっています((法の意図するところが違ったら訂正コメントください))。過半数代表者は真実1名だけが選出されるので全員の意見集約は実質的に難しいと思いますが、労働組合は一応意見を吸い上げるシステムを作っている場合が多いです。なので労働組合と折衝して決めた事項については、話す相手は1つで済む反面、後から個別労働者から文句が出にくい、という利点があります ((ただ、これが悪用されて、労働者の大半の意見無視されて労働組合勝手企業の良いような条件を飲んで協定・協約を交わしてしまう、というのがいわゆる御用組合問題ですね。また、そこまで邪悪でなく、己の怠慢で聞き漏らした声に対しても、事後に上がった声に対しては組合は冷淡な傾向があると思います。)) 。

前置きが長くなりましたが、そういう背景があるので、大体の単組は企業の(あるいは各事業所の)総務部門と密にやりとりをしながら、時に(と言うか大体)労使協調して諸々の業務に当たります。実際の内容については、単組で結構異なるかもしれないので詳述を避けますが、概ね、個人レベルまで見る粒度企業(あるいは各事業所)の労働環境が適正になるような活動をしているのは共通していると思います。例えば、36協定がらみで特別条項適応申請があった人とかは、過去残業時間をチェックしたりして本当に認めて大丈夫判断したりします((しますよね?これは共通でなされていると思いたいのですが...))。

それから、当然ですが組合員の皆さんとの情報共有・吸い上げも重要ですので、そのための業務します。多分、ほとんどの単組は代議員会というシステムを持っているかと思います。個々の組合員の皆さんは、一旦意見代議員の方に集め、その意見を持って代議員さんが代議員会に臨み、議案に対して賛成反対を述べる、あるいは代議員会で連絡のあった事項について代議員さんが個々の組合員の皆さんに展開する、と言った具合に、ここでもツリー上の構成を持っています。このシステムを以て、「全組合員意見を集約した」形を作っているので、この存在は非常に重要です。ですので、各単組は定期的に代議員会を開催するのはもちろんのこと、代議員さんが適正に任務を果たせるような教育を施したりフォローをしたりします。

後は、ろうきんとか全労済とかの労働者互助会的な出自金融機関の窓口にもなります

ここまで明示的に述べていなかったのですが、色々な行為主体が「単組」と表記されていることに違和感を持たれた方もいらっしゃると思います。正確には、「各単組の執行部」がこれらの実際の仕事をこなしており、その構成員には執行部活動だけをして通常の企業営利活動に関わる業務を行わない「専従」の人と,どっちもやる「非専従」の人がいます。これらの人の人数は単組によりバラバラで,全員専従の単組もいれば、全員非専従の単組もあります

ここまでを前置きとして、最近覚えている範囲増田へのコメント


さて、長文を書き慣れていないので大分時間がかかってしまいましたが、上記最近見かけて思うところのあった匿名ダイアリーニュースへの意見として書いた側面もありますので、ちょっとコメントを書かせてください。

https://anond.hatelabo.jp/20190328211509

NTT労組の話で、私はこの記事以外に内情を知らないんだけど、ここまで分かり易く強制力を出すんならユニオンショップ制に出来ないのかな、とか思っちゃいます。ただ、ここまで書き連ねて来たとおり、組織率が高いことが単組活動の暗黙の前提みたいなところがあって、非組合員労働者がいるとその人には会社個別アプローチしないといけないとか、最悪過半数割れすると協定を結ぶ権利すらなくなるとかで、全員加入は必達になるのもよく分かります。でも初っぱなから悪印象を持たれちゃうと、執行部としても後々やりづらくなるので、こういう形になっているのは非常にモヤモヤしながら読みました。

ところで、個々人の組合員が、単組を評価して「こいつら居なくても良いんじゃないの?」という感想と、自分労働環境評価して「まぁ今の待遇特に不満無いかな」という感想を両立して持っているなら、単組の活動としては概ね成功しています労働組合基本的に、有事の際、すなわち労働者権利侵害されたときにその真価を発揮する組織であって、実は会社側に切れるカード結構な枚数を持っています。ので,有事には頼れる組織なのですが、残念なのはそのカードを切るより組織を維持することの方に莫大なコストがかかってしまうことです。つまり活躍していてもしていなくても大体かかるお金は一緒です。上記のように平常運転でもそれなりに業務が発生するもので、その人件費馬鹿になりません。自分が払っている組合費と、自分事業所の人数をかけ算してみて、人が何人雇えるか考えて見るとイメージがつくかと思います。もし、今の待遇に不満を持っているならそれは執行部に(というか代議員に)伝えましょう。それが出来るのが、組合費の対価だと私は考えます。...なので、あんまり組合のことを悪く思わないでね...


https://www.asahi.com/articles/ASM4J55H4M4JULFA021.html

ニュース記事へのリンクですが、港湾労働者ストライキの話。正直すごいと思いました。ストを打つとなると、当然組合員にはもれなく業務放棄してもらわないといけないのですが、私の肌感覚ではまぁこ理解を得ることが無理だろうな、と思っていたので。みんな、業務に対する責任感がすごいですよね。メンバーシップ雇用型の作用かもしれませんが、上が一元で責任を持たないので、割と組合員層まで責任を感じて仕事に励む傾向があると思います会社の発展のためとか、本人のモチベーション維持的には良いと思うのですが、この状態だとスト中の逸失利益とかも自分責任と感じますし、だから業務放棄したくないですよね。私が執行部だとすると、説得する自信がありません。まぁ業界とか色々あるのかもしれません。

と言うことで、お願いなのですが、「港湾でスト打てたんだから他産別・他単組で打てないのは労組の怠慢だ!戦え!」とは言わないでくださいね(まだそういう意見は見かけていませんが)。


https://anond.hatelabo.jp/20190504184608

さて、本当に長くなりました。直接的にこの匿名ダイアリーを書こうと思った理由記事です。とは言っても、もう結構な前半でこれに対するアンサーは書いていて、ここで言う「労働組合の本分」は各単組がやっています。で、反戦活動平和活動は上部団体がやっています役割分担。ただ、当然、個々の賃上げ資するような活動も上部団体ミッションなので、そういうロビー活動はやるべきです。ただ正直、もはや連合レベルまで行くと、単組の交渉で使えるようなアウトプットがない気がするんですよね。高プロの件だって阻止できなかったし(なので、単組レベルで阻止するしかないですよね。自分企業労働協約改悪しないようにする形で)。ただ、生臭い話ですが、圧力団体ロビー団体政局に影響を与えられるレベルの集票力が背景に無いと成立しないので、支持政党民進党(か立憲民主党?正直どっちになったかよく分からない)をもっと当選させられる集票力が無いとそういうことが出来ないんでしょう。

労働組合話題については、正規非正規問題や、同一労働同一賃金話題とか、同じ労働者の中で対立が生じる矛盾もあり、当然批判はあるべきかと思っています。ただ、政治参加の話と同じことで、コメントしている人が労働者であれば、その人も労働活動の一端を担っているわけです。多分、政治家になるよりは遙かに簡単に、労働組合組織の中でステップアップが出来るんじゃ無いかと思います労働者が、労働組合活動を「享受するサービス」ではなく、「共に行う活動」と考えてくれることを祈り、本稿を終えたいと思います

2019-05-06

チーズケーキ革新陰謀

ある街には5件の菓子店があった。それぞれの店で看板商品は異なっているものの、その街に住む人々の飽くことなき食への欲求を満たすべく、積極的商品開発を行なっていた。

そんなある日、ニューヨークのある企業革新的菓子を開発した、とのニュース流れる。その新たな菓子は、分類するならば”チーズケーキ”と表現するべき物のようだが、その味たるやチーズケーキはおろか、過去に作られたいかなる菓子とも比べても桁違いの芸術であるニュースは伝える。その味は個々人の好みを凌駕し、すでにニューヨークの大半の人々を魅了しはじめているようである

何より驚くべきことは、そのチーズケーキの開発元企業インターネット上でレシピを公開していることであるWebページではレシピに添えて、この公開が世界公益資するものと強く信じている、という社長メッセージ掲載されている。彼らはもともと食品販売を専門とした企業ではないとはいえニューヨーク中を虜にしたケーキレシピをなぜ一般に公開するのか、その真意は今のところ誰にも知りようがない。

レシピを見る限り、決して高価な材料特殊調理法必要としない。むしろ安価で広く手に入る材料ばかりで構成されている。取り立てて珍しいものとしては寒天くらいであろうか、ただチーズケーキ作りに使われることは珍しくとも、一般的な菓子作りにおいて決して風変わりな食材であるとも言えない。

ともあれ、このレシピの公開を受け、この街の5件の菓子店も大きな決断を迫られることになる。

というのも、例のチーズケーキニューヨーク菓子店の店頭に並ぶやいなや大きな人気を博し、従来の菓子市場をあっという間に席巻した。明日この街において同じ状況が訪れないとは限らないのだ。今すぐこのチーズケーキ商品化に取り掛かるべきなのか?

奇しくも5つの菓子店が出した結論は全て同じであった。「このチーズケーキ商品化しない」

一体何故だ?決して製法が難しいわけでもコストが高い訳でもない。

その理由は、彼らの既存商品ラインナップにあった。彼らは、今の看板商品の売上がチーズケーキによって奪われてしまうことを恐れたのであった。

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以上、駄文でお恥ずかしい限りです。しかし愚にも付かない創作ですが、この結論違和感を感じはしなかったでしょうか。

5つの菓子店はなぜチーズケーキの開発を進めないのか。仮にそのチーズケーキの味が本物で、5つのうち1つの店でもチーズケーキを売り始めてしまえば、彼らが恐れている看板商品の売上は他店によって大きく損なわてしまうでしょう。

ひょっとすると何らかの理由で5つの店は談合しており、このチーズケーキ販売を見合わせる協定をしているのかもしれません。たとえそうであっても、第6の新たな菓子店がそのチーズケーキをひっさげ、街の菓子市場に割って入るのも時間問題でしょう。

市場経済が常に企業間の競争連続の上に成り立っている以上、既存商品とのカニバリゼーションだけを理由に、あえてチーズケーキに手を出さないという決断をし、その結果市場チーズケーキ供給されないという考え方は合理的ではないと考えています

(もちろん現実はこれほど単純ではなく価値の捉え方・企業戦略多種多様ですし、イノベーションのジレンマが示したのはチーズケーキに手を出せなかった過去巨大企業実例でしょう。ただしその際は新たなイノベーター市場破壊しにきます。)

ただ、何故か医薬品においては起こりうるべきこととして考えてしまう人も一定数いるようです。(痛ニュー記事一般論として書くのはいかがなものですが)

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1989967.html

今、世界中の製薬企業はアンメットメディカルニーズと呼ばれる既存薬での治療法が確立されていない病気治療薬を、それこそ血眼になって探しています。そして、がんはその中でも最も大きな市場となっており、多くの製薬企業の主戦場となっています

もし虫下しで癌が治るのであれば、2004年発見から15年経っても市場に現れないということはまず考えられません。そしてそれが製薬企業陰謀であるなどということも、まずないでしょう。一般的な薬の開発にかかる期間は7-10年程度かなと思います最近

製薬におけるパラダイムシフトはすでに起こっており、これまでの低分子薬ではすでにあらかた取り尽くされてしまい、最近新薬ではバイオゲノムなどこれまでと全く異なる方法での研究開発が主となっています

世界中で星の数ほどの製薬ベンチャーが生まれ大手製薬企業はその中で見込みがありそうな薬を持つ企業の買収や提携により薬の種を仕入れることが珍しくありません。

これが製薬企業陰謀なら、世界中のありとあらゆる製薬関係者が関与するカルテルでも作るんですかね。毎年研究者の卵が生まれるので大変ですね・・。どんな談合があったとしても、裏切ったもん勝ちな感じもします。囚人のジレンマってやつですかね。

なお別の記事ブコメで、この薬剤では治験にかかる費用がペイできないのでは、というコメントがありましたが、これも可能性としては低いものと考えています

まず薬価については、日本では新薬薬価算定方式厚生労働省によって定められておりそれに従い価格が決定されます

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12404000-Hokenkyoku-Iryouka/0000144409.pdf

虫下しががんに効くとすれば、これまでの作用機序とは全く異なる新薬で、薬価基準制度における原価計算方式になります。ここで研究費や開発(=治験費用一般管理費として計上した上で、さら営業利益等を上乗せした価格が最終的な薬価となります

ただし日本医療費は年々上がる一方で国も薬価引き下げのための施策を多数取っていますし、原価計算方式であっても必ず利益が出る薬価になるという担保はありませんが。オプシーボも想定以上に販売数が上がり、その結果劇的な薬価の引き下げに繋がりました。

いずれにせよ、がん細胞をこれまで止まったく異なる機序死滅させるとすればそれこそオプシーボのような画期的新薬となり、採算を気にしなければならないような話ではありません。

ちなみに余談になりますが、がんに効くと言われた虫下し薬がどれだけ安価に作られるものだとしても、人間治療に使う医薬品が同じような価格帯となることもまたありえません。薬が保険適用対象となるまでには10スパン研究〜開発〜承認の流れがあり、また製造においても品質担保するための様々な規制があります。それらのコストが全て医薬品にはかかっており、動物用薬と並べて比べられる類のものではありません。

かかるコストは決して安いものではありませんがそれが命、健康の重みでもありますし、万一承認された医薬品安全性問題があったとすれば、国も裁判賠償責任を問われることとなるでしょう。私個人としては安心して薬を使うことができるということの価値を感じますし、総じて日本医療制度は(先行きが不安であるとはいえど)非常に優れたものであると感じています

話を戻して先ほどの虫下しがまだ上市されていないことを考えると、おそらくはまだ基礎研究段階、もしくは動物等を使った非臨床試験での問題が解消されていないものか、またはそもそも2004年時点で話に尾ひれがついてしまったのではないかと思います

最近SNSの発展とともに(特にがんがひどいのですが)見ず知らずの他人代替療法提案したりするところを目にしてしまます。これまで積み重ねてきた人類の叡智を以ってしても完治が難しい病気存在する、というのは辛いですが間違いのない事実です。

いざそのような病気に直面した時、どこかに魔法のような治療がある、という言葉を信じたくなってしま気持ちは察するに余りあります。(これは病気となってしまっった当人だけではなく、その周りの親類や友人にも当てはまります

ただ今私たちが受けている医療は、それだけ多くの科学エビデンス過去から積み上げてきたからこそ享受できているものです。決して第三者の甘い言葉だけに惹かれてしまことなく、担当医の見解を聞く、セカンドオピニオンを取る、各種支援団体相談する、など出来る限り多くの情報を、出来る限り冷静に集めてみてください。

また治験では未承認ながらより新しい治療薬が利用できることもあり、条件さえあえばまた違った選択肢を取ることができおることもあります治験についてもWeb上で実施している病院などの情報が公開されています。(治験という性質上、通常の治療とは異なりますリスクを含め必ず専門医相談の上、治療方針検討してください)

長々と書きなぐってしまいましたが、これがこの連休を締めくくる最後活動になりました。少しでも薬についての理解につながることを祈って。

2019-05-03

藤本タツキ『妹の姉』の問題点」を書いた人の問題点

http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439

 

一言で言えば創作物に対して現実社会規範をもって批判していること。作品巧拙にはまったく関係がないし、ポリコレ的にアウトだから「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」とか言い出すのは表現の自由の侵害につながる。

くだんのブログはよく創作物批判しているが、そういった規範批評対象になっているのは性的な要素を含んだ作品だけだ。世には犯罪者主人公に据えたロマンノワールなど現実的には許されない行為を華々しく描くもの存在するものの、そういった作品批判対象になっていない。けっきょくのところブログ主が性嫌悪者であり、自分の気に入らないものを叩いて回っているのが実際のところだろう。

最も問題なのは、そういったいわばオナニーにすぎないものを「一人の大人として、社会をより良いものにしていきたい」とか「社会構成員として子供安心して安全に暮らせる社会を目指」すことに資すると考えている点にある。

(すでに消されているのでスクショhttps://i.gyazo.com/d67c7963d6021fb51b56279d0aba7b95.png

この手の自分の嫌いなものをただ叩いているだけにも関わらずそれを正義と思い込んでいる人間いちばん始末に負えない。

 

作品の是非を倫理道徳で問うならブログ主の考える良い社会他者にとっての地獄になりうる、というモラルぐらい持ってほしい。

 

追記(2019-05-05)

なんか上記を「作品批判表現の自由の侵害! という主張」と誤読してる(あるいはそういう主張をしてるようにしたい?)人がいるんだけどそんなことは一言も書いてないよ。

最初から

ポリコレ的にアウトだから「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」とか言い出すのは表現の自由の侵害につながる。

って書いてるんだよね(誰かがとった魚拓https://archive.is/af9dJ)。

ブログには「ポリコレを目指すことで様々なコンテンツ面白さが損なわれていくとは思ってません」という文章もあって、ポリコレ的にアウトな作品は無くせという主張と地続きになってることを危惧してる。なんか言うなら最低限そこは理解してからにしてくれ。

 

あと、

書いた人です。好き嫌いの話じゃないんだなー。君は例えばクジラックス作品コロコロに載ってても問題ないと思う?抗日ドラマを流す国をどう思う?俺は創作物の「扱われ方」とその社会の在り方に関係があると思っ

http://b.hatena.ne.jp/entry/4668195090215590242/comment/lightly

いやいやいやいやゾーニングの話は全然してなかったよね!?!?!?

ポリコレ的にアウトだからそこ直せって主張だったよね!?!?!?

そこまったく違う話なんだけど自分で何いってるかわからんくなってんの?

ちなみに俺は抗日ドラマを流す国のことはなんとも思わない。フィクションだし。日本で流してもぜんぜんいいと思う。ただ俺は見ないだけ。

クジラックス作品(ここでは『がいがぁかうんたぁ』を想定)がコロコロ(ここでは『月刊コロコロコミック』を想定)に載るのはまずいでしょ。18禁マークをつけて売り場をわけてる意味とそれによって守られているものはあるわけで、それは支持する派。

2019-04-19

ワイルド萩生田の件から

消費税増税延期をめぐって信を問う可能性なんて話を萩生田氏が発言するなどしている( https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041800634&g=pol / https://www.ytv.co.jp/press/politics/32768.html )。そんなところで再び思うのだけれど、仮に野党が勝つことで政権が入れ替わることに期待するにしてもしないにしても、これはあくまで先の民主党政権ときに指摘されていた、日本官僚機構根付問題与党政権関係に基づく問題というのはそのままになっている中での話だということだ。

どんな政治的立場の人にとっても、その部分に手をつけない現政権には、将来の国家運営資する期待を持ちようがないはずである

まりごく挟視野的な期待で「自分は賭けに勝てる」と信じているものたち以外にとっては、この問題に手がつかないまま早数年を経た現政権への実際的・長期的な魅力はないまま、しかし現政権はその立場を維持しつづけているのが現状だろうということだ。

そんな中で、現政権の「お友達」的な姿勢は、もともとの官僚機構問題与党政権との関係問題を避けようとする中で(当然だが、管理機構政権関係政権与党との関係についての問題は現政権にとっても問題であるわけだから、彼らなりに何らかの対策を講じているのだ)公文書問題などさらに別の懸念問題点を生むばかりだ。彼らはこの問題に関しての革新的方法論を示すどころか、日本の政治機構への負の遺産を積み上げる大活躍を繰り返しているばかりである

これは言い切っても間違いではないと思うのだが、現政権には、たとえ第何次との数字を重ねたところで、官僚機構与党政権との問題改善する力も意思もない。つまり、現政権自身チートによる「勝ち抜き」を信じる存在のものであり、将来に通じる政策に取り組もうとしてしかしまだ果たせないなどという「美しい」存在では決して、ない。チート思考である以上、現在ルールへの自負や敬意があるわけではない。彼らにとってのルール構造というのは、ただ単に「勝ち」に関する、自身が信じる合理性材料であるというだけの話だ。

しかし(この点がこの文章における嘆きの中心なのだが)現政権・現与党がこの問題に手をつけなければ、問題先延ばしになって他からそこにコミットするルート方法もない。私自身、民主党による政権交代とその失敗から数年を経てやっと言い切ることができるようになったのだが、しかしこれが現状であるようなのだ

まり、現政権にとって代わろうとする勢力があったとして、彼らはまず最初に失敗を約束されているということだ。構造的に政権交代を果たしたとしても、その同じ構造によって、失敗を運命付けられているのだ。

制度的には、ついには国民不利益として司法権に訴えるという方法が考えられるものの、一票の格差問題についての弱腰さを思えば、司法もまた現状では、限界を訴える存在ひとつなのかもしれない。つまり今のところ、ここに大した期待は持てない。

そのような構造と現状の前で、選挙によって可能になる最大の現与党への働きかけというのは、現政権にお灸を据えるといったごく可愛げのあること以外に何も無さそうなのである。これは同時に、野党による前向きな政権交代に期待したところで、この負の構造を引き継ぐことになるその新与党仕事自体には、そもそも構造的に期待できるものはないという話だ。

この点は、現与党もこの社会マスメディア論壇も、民主党政権の失敗や民主党政権への大きな落胆を彼らのパーソナリティ押し付けることで自身立場を得ており、よって、ほぼ意図的に、これが私たちが共有する構造上の問題であるとか継続した論点であるというふうには扱われていないと言えそうである

このことは、現与党に任せたい仕事に関してより良い質を期待する層にとっても、まったく同じく、大きな問題であるしかし、実際にはその是正を促す方法がないままになっているのだ。

ではその限界を分かった上で、仮に近い将来政権交代が起こり、今ある限界のままその政権が失敗に終わるとして、そのことを私たち社会が予定された正しい敗北としてポジティブに受け止めるようなことは可能か? といえば、これはまず無理であるとも感じている。選挙で負けた現与党以上に、その新政権への参画者たちは傷つくことになるだろう。

その後の無法を思えば、現政権の敗北に期待するのがそら恐ろしくなるという意見があるとしても、私はそれを責めづらく感じる。

天皇陛下野党http://diamond.jp/articles/-/13434

イケノブ http://agora-web.jp/archives/1668593.html

いまの政権民主党政権の、官僚制をめぐる「意外な共通点https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57386

民主主義の良さとは間違っても、やり直しがきくこと https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yoshida-toru

われわれとしては、解散を堂々と受けて立つ用意がある(福山https://twitter.com/fuku_tetsu/status/1118781710437474305?s=21

2019-04-17

anond:20190417102506

哲学創作、と言う区別というよりは

・「特定コンシューマーが喜ぶ」ことを求めるもの市場審査させる。その方が規模もでかくなるし、効率的である

現代社会では十分なコンシューマーが確保できないが、無くしてしまうのは惜しいものに関しては政府支援する。

 その場合は、特定の誰かではなく「全人類資する」という観点から、(予算枠は政府が決めるが、どれに振り向けるかは)通常はピア審査する。

 市場規模は小さくなるが、より特殊ものを残せる。

 という違いかな。

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-01-25

anond:20190125105400

動物虐待する人=やばい人、だろうけど

動物愛する人=いい人、というのは勘違いというだけじゃないか

友愛及び平和の情操の涵養に資する」というのは法律をそういうことに役立てるという意味

法律破綻しているわけではなく、人間破綻してるんだと思う

2019-01-24

動物愛護法イコール差別法論

日本動物愛護法動物の愛護及び管理に関する法律)は

動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ること」

立法目的としている(第1条)

そして、「愛護動物」への虐待禁止し、罰則を設けている。

しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。

動物愛護法十四条

「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの

要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級ランク付けされていることになる。

仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、

以下のようになる。

(※鳥獣保護法特定外来生物法についてはこの際考えない)

****************************************

【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物

・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種

【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物野良対象外

哺乳類

鳥類

爬虫類

【Cランク動物】(愛護動物ではない動物

魚類

両生類

・すべての無脊椎動物

****************************************

この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。

法律上では金魚カエルカブトムシといったペット愛護しなくてもよいことになっている。

何故なら【Cランク動物】だから

一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。

何故なら【Aランク動物】だから

しかし、現実には「金魚カエルカブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。

そして、金魚カエルカブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、

単なる好き嫌い以外に存在しないのではないだろうか。

もっと言うなら、ゴキブリペットとして愛している人もいるだろう。

だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、

平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリ場合は、器物損壊にはなるだろうが)

にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、

「全国民」が愛護しなければならない動物とされている。

別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。

それなのに、個人自由であるべき嗜好を、法律罰則まで付けて強制している。

【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、

【Cランク動物】を傷つけた人は無罪放免

【Cランク動物】を嫌って殺す人は無罪放免なのに

【Aランク動物】を嫌って殺す人は罰金を払うことになる。

さて、この構造差別以外の何と呼べばいいのだろう?

「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人属性によって、

大幅に不利益を被ることになる被差別者層が生まれる。

その上、この愛護法上の差別正当化する理由噴飯物で、

曰く「犬猫虐待する人間殺人犯になりやすい」だの「昆虫愛する人間は異常者」だの、

差別常套句が並ぶ。

これは「黒人犯罪率が高いか黒人犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。

ニューヨークなどの都市黒人犯罪率が高いのは統計的事実だが、

から「肌の黒い人間規制せよ!」などというのはバカバカしい。

相関関係因果関係ではない。

黒人犯罪率が高いのは、「黒人貧困層が多いから」「黒人教育を受けてない層が多いから」かもしれない。

肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。

犬猫動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。

動物愛護法44条はこの「命のランク制」を廃止して、

「すべての動物例外なく愛護する」ことにするか、

さもなくば動物愛護法自体廃止した方がよかろう。

そもそもこの法律自体が「動物に優しい人はいい人である」という無根拠選民思想に基づいている。

動物好きであろうが悪人はいるし、動物嫌いの善人もいる。

動物が好きかどうかで人間の良し悪しを区別する」という立法趣旨自体差別的と言わざるを得ない。

2018-12-20

anond:20181220005045

そういう運動被害者性の文化というらしいが、その被害者性というのは永久不変なのか、そして次の時代共生にその被害者宣言果たして真に資するのか…

2018-12-05

動物虐待者に対する『差別』の存在

差別をする側は、「自分差別をしている」という事実認識しにくい。

肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、

それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。


出身土地職業差別することが当然の時代で生きてきた人間は、

部落差別差別であると知ることができない。


同性愛悪徳だと教えられて生きてきた人間は、

同性愛差別を当たり前のこととして受け入れてしまう。



「それは差別ではなくて当然の常識だ」

区別をつけるのは当たり前のことだ」

そんな風に自己認識を歪め、差別正当化してしまう。

しろ一部のグループ迫害することを「正義」だと考えてしまう。

人種差別や、部落差別も、同性愛差別も、

今の我々は「それが差別である」という認識社会で生きているか

差別として認識できている。

だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしま

見えなくなっている差別もあるのではないか



私は、その一つが「動物虐待者への差別」だと考えている。




恐らく、この記事タイトルを見たとき多くの人が


動物虐待者は悪人なのだから非難されるのは当然だ」

「そんなもの差別じゃない」


と思ったことだろう。

実際に日本では動物愛護法が制定され、

愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という

罰則が定められている。





>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物死体放置された施設であつて自己管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。

3 愛護動物を遺棄した者は、百万円以下の罰金に処する。

4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる

二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物哺乳類鳥類又は爬は虫類に属するもの








現在日本では愛護動物に対する虐待法律的にも倫理的にも「悪」とされ、

非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。


だが、ここであえて問いたい。

「何故?」

と。

動物虐待がなぜわざわざ社会全体で法律を制定してまで、

排除しなければならない「悪」なのか。


動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。

それでは、理由もなく人種差別部落差別同性愛差別をしてきた人々と

同じ間違いをしていることになる。



では、手始めに動物愛護法第一条を見てみることにしよう。

基本的には、法律第一条にはその法律が作られた目的が記されている。





第一条 この法律は、動物虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物健康及び安全の保持等の動物愛護に関する事項を定めて国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物管理に関する事項を定めて動物による人の生命身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物共生する社会の実現を図ることを目的とする。





なるほど、「国民の間に動物愛護する気風を招来し、生命尊重友愛及び平和の情操の涵養に資する」。

かに生命友愛平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。

少なくともその目的自体は間違ってはいない。

だが、ここで当然の疑問が生じる。


動物愛護すれば」

生命尊重友愛及び平和の情操が涵養される」


という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。


結論から先に言うとこれは完全に間違いで、

現実には多くの動物好きが凶悪犯罪を行っている。

2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件

2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパート大家サバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件

2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件

ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。

したがって、「動物愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。


恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に動物愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、

科学的・統計的根拠があったわけではないのだろう。

そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは

哺乳類鳥類爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。





命の大切さを謳うこの法律では、魚類両生類無脊椎動物については何一つ保護対象になっていないのである

何故なら愛護動物ではないから。



イヌネコウサギを殺すと「生命尊重友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、

金魚カエルカブトムシ別に殺してもいいので無問題という、

この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。




さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、

動物虐待行為「悪」として迫害することの正当性担保するものは何も無いことがわかった。




からといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、

なかなか受け入れられる人はいないだろう。



その理由の一つが、広く社会に流布している以下の言説だ。



動物虐待はやがて人間への攻撃エスカレートする」

冷静に考えると「○○というグループ犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想典型なのだが……



実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。




聞くところによると、FBI専門家が、虐待精神に悪影響を与えると言っていたらしい。

FBIといえば犯罪捜査プロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、

きっと「動物虐待はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。




自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。



さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である





犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリング技術確立したFBI捜査官だ。




その手法については彼の著書であるFBI心理分析官』に詳しい。



私は以前、その『FBI心理分析官』を読んだ。

そして、愕然とした。

実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待殺人エスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。

彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、

動物虐待癖についてはシリアルキラー発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。



別に動物虐待殺人暴行因果関係については一言言及していない。

(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人過去に○○しているパターンが多い」と、

犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)

恐らく、このわずかな記述が誇張され、曲解され、

FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待人間への暴力エスカレートする』と言っていた」

というフェイクニュースを作り出したのだろう。




実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。




そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。


FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、

一度もそれを確かめようとはしなかった。




もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前出版された本であり、

今では犯罪学や心理学の研究状況は変わっているかもしれない。


だが、軽く調べただけでも

暴力段階説(動物への暴力人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。



ここに来て、私は動物虐待行為「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。

結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。


それも、かなり悪質な差別だ。


しろ法律まで制定して、公然動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから

そして、「動物虐待はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの

言説も、ヘイトスピーチしか言いようがない。



何の根拠もなく(ヘイトスピーチそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定グループへの誹謗中傷を行っているのだから

もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。


動物好きな人可憐な犬や猫を殺す行為社会であると思いたがってしまう。

何故ならその方が自分たちの感情にとって、都合がいいから。




自分の好きな犬や猫を攻撃するものが悪ではないと認めるのは、都合が悪いから。




だが、そのこだわりこそが差別の源であることを、人間は肝に銘じなければならない。

2018-12-02

NTT入社して10年ほど経つがとりあえず辞めてません

そろそろ書いとく。フォーラムお疲れ。

まず、NTT研究所がどういうところなのか知らない人が多いので概要から

研究所概要

普通の人がよく知っているドコモNTTデータNTT日本NTT西日本っていうのはNTT持ち株会社の子会社になる。

正確には日本電信電話株式会社っていうんだが、あまりにも知られていないので合コンで言ってもモテないというのは有名な話。

この持ち株会社大手町にあってグループ全体の調整・取りまとめ的なことをやっている(らしい)が、

NTT研究所っていうのはこの持ち株会社存在している。

ただ、ロケーション武蔵野横須賀厚木、がメインどころで後は筑波とか京阪奈とか品川(まだある?)とかになる。

ややこしいのは、ドコモデータ研究組織を持っているし、NTT東西も持ってる(東は怪しいが)。

この辺の違いの表向きの理由は、グループ全体に資するような研究を持ち株でやって、各事業分野に特化した研究・開発は各事業会社実施する、ということになっている。

で、持ち株研究所は3つの領域に分かれていて、誤解を恐れずにわかやすく書くと

先端・ネットワークソフトウェア

という感じになる。

先端ではいわゆるガッチリした研究をやっていて、量子コンピュータなんかはここ。

ネットワークは各事業会社次世代ネットワーク的な研究、というより事業導入をやっていて、NGNなんかはここ。

ソフトウェア・・・まぁいろいろやっている。

で、この3つの領域それぞれに「研究所」が「12個」ある。

12個の研究所をまとめて「NTT研究所」と呼んでる。もちろん正式名称じゃないし中の人はそう呼ばない。

12個もあるもんだから、もちろん研究者もいっぱいいて、2000人ぐらいいる。毎年100人ぐらい採用してる。

まずはそもそもそんな規模の研究所だと把握しておいて欲しい。

部署による

ここまで書いて分かって貰えたと思うが、ぶっちゃけ研究所毎で文化が全く違うし、ネットワーク系の研究所と先端系の研究所は180度全然違う。

例えば厚木はみんなTシャツ海外の人も多いが、武蔵野はみんなスーツオッサンばかりだ。(ごめんなさい)

から支給されるPCなんかの環境全然違うし、上司文句を言って通るとか通らないとかも全然違う。

流石に給与体系は同じだが、評価基準全然違うし、働いてる時間全然違う。

から退職エントリ読んでも「へぇ」としか思えない。

もちろん共通システムがクソだとか大手町が何も分かってないとかいろいろあるが

それで辞めるほどではないので、退職の原因はほとんどが直属上司・その上の上司なんだろうなぁ、と思っている。

自分がいたところは恵まれていてやりたいことをやらせて貰っていたので環境面で文句はなかったし

他の会社個人では絶対に買えないような数億円の装置を割と自由に使えたりしていた

ただ、ソフトウェア系は結局AWS使ってたりオープンソース使ったりしていてあまり大企業の強みは活かせてないだろうとは思う。

とはいえ、それも部署による気がする。同期その他の話を聞く限りは。

給与は安い、が・・・

辞める人が皆「給与が安い」といって辞めていくが

そんなことは就活の時点で山のように聞かされていたはずなのに

何を今更、としか思えない。

給与を求めるなら金融系に行けば良いのに。

とはいえ、他のIT企業だけでなく大手企業と比べても給与は安いし、ボーナスもアホらしくなる。

なので是非とも給与を上げて欲しいところではあるが、そう単純では無い。

研究所給与NTT東・西などの事業会社にある程度合わせてあり、彼らより極端に高い賃金設定にできない。

研究所は人事交流という形で特にNTT東・西に人を送り込んでいる。

異動にはネガティブイメージはなく、むしろ出世コースだし、優秀な人ほど送り込むようになっている。

まり研究所賃金だけ優遇すれば各事業会社に異動した人は給料が大きく下がることになるから

下手したら異動先でぐーたらに働いてさっさと研究所に戻させようとする人が出てくるかもしれない。

結局、グループ全体で賃金体系を見直さないといろんなところで無理が出てくる。

余談だがデータドコモ給料グループ内でもトップクラスなのでみんな異動したがる。

やりたいことが出来ない

結局、辞める理由は1位が大学に戻って楽しようって奴と、2位がやりたいことが出来ないって奴。

特にソフトウェア系は研究所組織的にやりたいことが出来ない。

研究所あくまでも研究をやりやすいように組織ができあがっているので、例えば論文を出したり海外に発表へ行くのは楽にできる。

ところが研究成果を世の中のサービスにしようとすると、サービス提供してくれる会社グループから探してこないといけない。

運良くそういう会社が見つかっても、会社間の取引なので非常にいろいろな手続きを踏まないといけない。

もちろん、その辺りをいろいろ工夫してサービス化しやすいようにしてはいるが

普通IT企業と比べたら圧倒的にサービス化しにくい組織になっているのは変わらない。

いっそのこと先端系意外の研究所は無くしてしまって全員事業会社へと異動した方が幸せになれると思う。

NTTは辞めてません、が

正直、上記のような不満を持っていたので転職する気満々でいろいろ探していましたが、そもそも入社したとき志望動機である

「全国どこでも自分技術を導入できる可能性」

に魅力を感じたのもあって踏みとどまってました。

年俸面でも日本給与が上がっても大して生活は変化しないという現実を知った後だったので特に魅力も感じなかったです。

で、上司や人事にいろいろそういう相談をしたところ、割とあっさりと(とはいえ半年ぐらいかかって)事業会社へと異動させて貰えました。

会社をまたがずにサービス化できるのでいろいろとやりたいことが出来てきています

まぁとはいってもやっぱりサービス化するのは大変で、もっと普通ソフトウェア企業になれないか模索しているところです。

なので実は今は研究所には居ません。首輪が付いた状態なのでいつか戻されるのでしょうが、なるべく戻りたくはありません。

強引に戻されたら、退職エントリを準備するかもしれませんが、人事は意外と優しいので、無理矢理戻すことは無いと信じています

2018-12-01

anond:20181201001147

正直どんな理路で元増田懸念正当化してるかさっぱりわからない。

婚姻を利用して不当に経済的利益を得ようとしている」人間がいるとして、その人が選ぶのは、一般的異性愛婚姻でしょう? なぜなら異性婚姻のほうが圧倒的に多数であるから不正行為カモフラージュ性能が高いから。つまりこれは異性愛異性愛のどちらの性的指向がより周囲への関心が高いかとか社会正義資するかなんて話ではなくて、ただ単純に、不正行為効率問題なわけで。

例えに上がった同性愛者による性犯罪において規制車両障害にならないってのは、性そのもの目的からそうなるんだよ。でも経済的利益目的場合、性は関係ないわけで。ならばより一般的で目くらましになるアリバイを選ぶでしょ。

まあ、そもそも、だとしたところでそれを理由社会制度を設計するのがナンセンスなわけだけど。

2018-11-15

anond:20181115190539

できないことをしないって敗北者がよく言うよね。

「僕はできないんじゃない、しないんだよ、できるんだけど、しないんだ」ってのは説得力資する事は何もない。

だけど、そうしないと手詰まりで勝てないから、そうせざるを得ない。

かわいそうになあ、きっとネットに入りたての新規入村者なんだろう。

しっかり住民票は移したかな?

逆にガラパゴスを売りにしたらいいのでは

という発想。

キャッシュレス決済もストリーミング配信も、日本は立ち遅れている。というか、現金払いCD購入がいまだに力を持っている。

ここを見るようなはてなの人々は前者を勧める、あるいは推進する人が多いだろう。ただし現状はまだそこまで動いていない。

政府が何をどうしようとも、国民のこういうところは治らないのかもしれない。世代が変わればあるいはしだいに動いていくのかもしれないが。

ところで近世以前の日本では、中国古典籍を大量に輸入した。とうの中国の人々が捨て去ってしまった典籍日本人は大事に保管して読んできた。

そして近代に入り逆に中国の蔵書家日本を訪れて書物蒐集する動きがあった。

またもう少し典籍を絞ると梁のオウガンが著した『論語義疏』という論語注釈書の注釈書は早く中国では失われたにもかかわらず、日本に何故かあって研究資すること大である

日本の「物持ちの良さ」はある場所では武器になるかもしれない。

ま、こんな感じでさ、ガラパゴスも悪くないわけよ。むしろガラパゴス求心力を生むこともあるわけよ。

生活に著しく不便を感じないのであれば現金買うのでも、CD買うのでもいいのかもしれない。

100年後、外国人に、彼らにとって珍しい物理紙幣物理貨幣を買わせて(両替させて)物理音源を買い物させる謎国ジャパン、という発想も部分的にはあっては良いのではないか

2018-10-17

FORTNITE(フォーナイト)が面白すぎてやばい~導入編~

みんな、フォーナイトってゲーム知ってる?これがさ、ほんっとに面白くて時間泥棒なんだわ。

けど、面白いんだわ。面白すぎて嫁にもうやめなさいと言われ、素直に辞めたものの、フォーナイトへの熱が冷めなくて、日記に手を伸ばしている。

今日は少しでも日本フォーナイト人口が増えることを願って思いを綴りたい。

興味をもった人はぜひブックマークしてほしい。10人くらい興味持ってくれたら週末に~基本操作編~でも書きたいと思う。

そもそもフォーナイトはどんなゲームか。

一言でいうと「TPSバトルロワイヤルゲーム

100人のプレイヤーが広大な島に降り立って、最後の一人になるまで殺しあうゲーム

むかしバトルロワイヤルって映画あったじゃん?まさにあれ!ワクワクしない?

ただ、殺しあうといっても絵柄がポップで血も出ないから、グロいの苦手な人も安心してほしい。

詳細な説明ググるなりして調べてみてくれ。公式HPなりyoutubeなりまとめさいとなり、たくさん出てくる。

でだ。フォーナイトの何がすごいか

まず、普通ゲームってお金はらってするじゃん?

ゲーセンでも、家庭用でも。スマホ無料ゲームはあるけど、強いキャラとかコンティニューのために課金を強いてくる仕様じゃん?

フォーナイトは違うの!!完全に無料なの。しっかり作りこまれゲームなのに、完全に無料なの!!

初期投資ゼロ!!タダ!!やば!!

ただ、課金要素もある。現に自分もわりと課金してしまった。その課金要素っていうのが、自分キャラクターの洋服とか、ゲーム中に踊れる踊りとか。

けど、洋服も踊りも、ゲーム中の強さには全く影響しないの。全く!だから課金プレイヤー無課金プレイヤーも同じ土壌。

そう、勝敗は己の腕だけで決まるの。素敵じゃない?やればやるだけ強くなるのが実感できる。素敵。

たださープレイしてるとみんなおしゃれな格好してるのよ。今だとハローウィンからパンプキンかぶってる人とかいて。

しかも、そいつらに倒されると、そのあとそいつコミカルな踊り踊って煽ってくるのよ。きー!むかつく!

悔しいからこっちも、金出しておしゃれ決め込んで、踊るよね。敵倒して踊るの、ほんとHAPPY。みんなもやってみって。

そういう人がたくさんいるんだろうね。フォーナイト、今海外では社会現象レベルで人気みたいで、

プロサッカー選手がゴール決めた後にフォーナイトの踊りを踊るくらいなんだって

しかも、ビジネス的にもすごくて、ゲーム性に関係ない課金要素なのに、今年の5月世界売上300億円だって。やばない!?

日本で一番売れてるモンストさんでも月間150億円くらいっしょ?その倍よ?(日本だけで150億円のモンストさんもばけものだけど、、、)

で、フォーナイトさんの何が粋って、その収益を原資に、e-sports方面に精力的に動いてくれてて、今後1年間の公式大会の賞金に総額100億円投資するって宣言してるの。

現に、年末海外で開かれる大会では1位から50位まで賞金が出るんだけど、1位の賞金が700万円くらい出るみたいなの。50位でも確か100万円くらい。すごい。

そんな状況だから海外では注目度も高くて、フォーナイトの観戦したり、プレイをしながら、お酒をたしなむBARみたいのもあるらしくて、ほんとうらやましい。

日本もそういったお店でないかなぁ。

じゃあそのフォーナイトは何でプレイできるのか。

なんとPC/PS4/switch/XBOX/スマホ、すべてでプレイできるようになっとるの。

クロスプラットフォームってやつ。スマホは現状操作性に難ありだからおすすめしないけど、

それ以外のハード持ってる人、まーじで今すぐインストールしよう。今。すぐにだ!

最初はなかなか勝てない(めっちゃやってる自分でも最後の1人には数回しかなったことない)

けど、極論言えばずっと隠れてても勝てるルールから自分なりの戦略を練って挑んでほしい。

そうはいっても基本は大事から最初にも書いた通り、興味を持ってくれた人が何人かいたら、

~基本操作編~や、~実践編~も書きたいと思う。気軽にコメントしてくれ。そして、一緒に遊ぼう!!!

日本フォーナイトプレイヤーが一人でも増えることを願って。。。合掌

2018-10-11

anond:20181011083926

anond:20181011083926

バトラー議論がテキトーに数行に要約されそれが正しいかのように流通

それをベースフェミキチガイかーの大合唱になって酷い惨状だが

まともに理解し、考えたいという人がいれば、それに資するように新書の参考文献を挙げておきたい

仲正昌樹 現代思想の名著30 ちくま新書

著者は金沢大学法学部思想史先生思想論点整理、まとめがうまく

啓蒙書を一杯書いており思想哲学に興味がある人には著名と思う

何故この本をあげるかというと

まず、フェミガーで溜飲さげるアホが多いようなので

普通に現代思想として思想方面で取り扱われてる議論ですよというのを示すことと

あとバトラー理解するには、フランス現代思想構造主義ポスト構造主義理解必要だが

この本では先行してそれらが解説されたあとバトラー議論が紹介されるため議論理解がしやすいこと

電子書籍があること

その三点

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-10-07

グリー取締役にとってゲーム体験のエモさはVRChat未満らしい

発言主のEiji氏は、グリー取締役上級執行役員荒木英士氏で、グリーと言う会社方向性を少なからず決める立場に立っている御方だ。

現在グリーが100億円投資するVTuber市場を担う子会社Wright Flyer Live Entertainment社長でもあるので、要するに単なるVR ageポジショントークなのだが、グリー取締役の氏がこういう雑なゲームsageを語ってしまうと割とシャレにならない発言になってしまう。

言うまでもなく、ゲーム体験の思い出とはレベル上げとボス戦の難しさ「とか」で終わるものでは決して無いというのははてなゲーマー民なら共感してもらえるのでは無いだろうか。

特にクロノトリガーゼノギアスFF7クロノクロスなど往年のスクエニ名作RPGレベル上げや難易度以外が抜きん出た強烈なゲーム体験プレイヤーの心を掴み、

それら全てに企画脚本演出等で関わっていた加藤正人氏がグリー入社して制作に参画し、グリー子会社Wright Flyer Studiosが運営するアナザーエデンもそういった全体のプレイ体験の巧みさによって人気が出たタイトルである

そのアナザーエデンだが、先月から課金不正問題炎上している。

スマホゲーム「アナザーエデン」、ガチャ不正操作で謝罪 「特定のケースで再抽選を行う内部プログラム」の存在が発覚 - ねとらぼ

これはお世辞ではなく、筆者が去年リリースされた当時のアナザーエデンを触った際はグリー任天堂を倒す嚆矢になってしまうのではないか?と思ったくらい出来の良いゲームだった。

氏が企画脚本レベルで携わったクロノシリーズゼノギアス等の雰囲気が色濃く出ており、スマホで筋の通ったストーリーがあるサイドビュー戦闘が楽しめるRPGとして遊べる「名作」の可能性が滲み出ていた。

2017年4月当時の任天堂内製のスマホアプリスーパーマリオランファイアーエムブレムヒーローズのみだったので、スマホゲームとしての質とボリュームアナザーエデンが抜きん出ていたためだ。

しかし、そのアナザーエデンも1周年を待たずして暗雲が立ち込めていた。立ち上げプロデューサーの高大輔氏が1周年を待たずしてグリー退職して同業他社転職しているのである

ゲーム業界において、ゲームの「色」を決める立場であるプロデューサー独立でもなく他社に流出してしまう事は古巣にとってかなりの痛手である。(前述の加藤氏はスクウェア所属から一度フリーランスとなりFF11にも関わっていた)

恐らく頭部を失った現場がかなり厳しい状況となっており、今回のようなあってはならない不具合に繋がってしまったのではないかと胃が痛くなる。

何故グリーはこんな勿体無い事をしているのか。アナザーエデンを実際に運営しているゲーム部門子会社Wright Flyer Studiosの社長は一体誰なんだ?と調べてみると、それも何と冒頭で取り上げた荒木英士氏だった。

それにしてもイベントを開催しながらメイン二部二章のクリア強制するディライトワークスの気が知れない。

王は人の心が分からない…私は悲しい…

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