はてなキーワード: 雨戸とは
今から20年ほど前、中学生の頃、毎週土曜に放送されていた声優のラジオ「林原めぐみのハートフルステーション」をそれはもう全力で聞いていた。
当時はガラケー時代で、インターネットで聴ける環境もなく、実家にあったラジオデッキで聞いていた。手回しでラジオ局の電波をキャッチしなければならない当時としても古くて面倒なやつで、毎回、番組の前の時間帯にやっているラジオが聞こえてきた時は歓喜したし、だんだんとそっちの方のラジオも聞くようになった。音質は全然クリアじゃなくて、よく朝鮮語の番組の音声が混じった。バカな自分は北朝鮮から電波が届いたんだと思って(当時、拉致被害者の帰国などがあって朝鮮といえば自分の中では北朝鮮だった)、海の向こうの知らない世界に思いを馳せた。林原めぐみは番組の最後にキーワードを言っていたが、朝鮮語の演歌みたいな曲が流れる中、「雑音リスナー聞こえる?キーワードはイタズラ!イ・タ・ズラ!」と言っていたもんだ。
当時、MDという記録媒体が流行していて、ラジオ生活を快適にしようとラジオをMDに録音できるコンポを買った。ちょうど部屋を妹と交換することになり、ラジオ電波をキャッチする力が弱くなって、デカくて黒いクッキー型みたいなアンテナを、布団にこもりながらアッチコッチ動かして、雨戸が悪いのか?と思ったら親にバレないように大雨の日でもちょっとだけ音を立てないように雨戸を開けてみたりして、これはよく聞こえるぞとやったりしてた。
今は声優のトーク番組はスマホで聴けるし電波の心配もない。youtubeに進出してる声優もいて、動画まで見られる。しかしカジュアル化しすぎてどうにも楽しくない。思春期の頃ということを差し引いても、やっぱラジオで聴くというのは面白かったし、ラジオと向きあっている時間は宝物みたいだったと思う。
田んぼと山と高速道路の陸橋に挟まれた山の中の集落に住んでいる。
山の麓から神社へ雑木林を切り開いた参道があって、参道から逸れた小道の奥に集落がある。家は全部で7軒。住んでいるのはうち含めて二軒。
父は既に故人で母は入院中、兄弟姉妹は家を出ている。集落の住人は俺と一人暮らしの高齢女性2人。
この山、集落、神社、裏山のトンネル全体がまとめて心霊スポットになって困っている。原付に乗った高校生やBBQ帰りのヤンキー、帰省してドライブしているらしき大学生などが肝試しに参道や家の前を大騒ぎしながら歩いている。夜は雨戸を閉めているので光が漏れず人が住んでいるとは思われないらしい。
夜中にちょっとコンビニ行こうと思って建て付けの悪い玄関をガタガタ開けたり、参道ですれ違っただけで若い子たちに「ぎゃー!」と叫ばれる。
都市部に住んでると遠隔のぞきとか強盗・空き巣とか夜中のうるさいトラック通行とかあって、窓はマジでいらん。
3階の窓から網戸を落としてしまった。裏のマンションとの狭ーい隙間に落ちていった。拾いに行かなくちゃと道沿いに区画6軒をぐるっと回ってきたけど、この辺どこも猫しか通り抜けられないような間隔で建物が建ってるから、網戸に辿り着けそうなルートが見つからん。右後方のマンションにお願いして室外機とバイク置き場の間を通る許可をもらえれば、ワンチャンあるかもしれんが…網戸持って帰ってきたらバイクに傷つけそうだなあ。
3階から砂利の地表に落ちた網戸が拾って使えるかわからんし、ていうかそもそも戸車一個壊れてて落ちたんだし、何より落ちた網戸の下に同様の経緯で見捨てられたのだろうどこかの家の雨戸が落ちてて、なんだかなあ。あれ、回収するの無理なんじゃないかなあ。
センサーライトにしたよ。あと便座の蓋が勝手に閉じるのは今標準装備だろうけど実家が来たときよろこんで真似してた
・食洗機の音
リビングの隣の部屋で妻と娘が寝てない。別の階で寝てるから、その意味ではいつでもまわせるけど。
食器たまってると勝手にまわされてテレビ音とかさなって不愉快なことにきづき、
たまったら自分で食洗器を回す知恵を付けたのでありがたい。
・ロールスクリーン
奥まったとこにある北向きの和室だけ合成和紙の屏風みたいな折り目のロールスクリーンにした。いい雰囲気。
はかどるー。
・駐車場の目地
表面の砂は固定されてなかったようでだいぶながれたけどそれでも1キロくらいじゃないかな。
なおパナです。でも電動雨戸はかなり高いよ。
母方の実家は福島の浜通り、ということで2011年に曾祖母はがっつり被災している。それ以来「様子がずっとおかしかった」と聞いている。心のね。
そりゃそうだろうって感じ。なんせそっちのほうの親類は流されて、未だに見つかってない人も、沢山居たらしいから。
私は顔も名前も知らないけど、それで亡くなった血の繋がった人はわりといたらしい。
最後に曾祖母に会ったの、私が小学生のとき。もう何十年も会ってなかった。会ったところで私と分からないかもしれないが、携帯も持たず施設にいて大叔母にあたる人が世話をしてたので結婚した報告もしてなかった。
両親に「お前は若いし忙しいんだから参列も香典もいらないからね」と言われたので、通夜の最後の対面の時に、私の代わりに謝っておいてくれとだけ伝えておいた。
古い考え方の人ではあったので、嫁入りしてきた祖母や、叔父らのお嫁さんたちとは折り合いがよくなかったことは知っている。鎌で蛇の頭狙い撃ちにしたり、素手でイタチとっ捕まえたり、豪快で偏屈な人ではあったけど、私には優しかったし、優しかったという年頃の記憶で止まっている。
10歳未満の子供なんて役に立たなかっただろうに、田んぼや畑に一緒に行って手伝いをして、大した仕事もできないのに、偉いねえって褒めてくれた。
ほかにも従兄弟がいるけれど、曾祖母とそうして過ごしたのは一番年長の私だけ。
軟膏や樟脳、線香のにおいがする曾祖母だった。腰が曲がってて、骨と皮みたいな手で、爪が丸くて。目と爪は、曾祖母と、母と、私は同じ形だなとか。
そんなことだけはよく覚えている。
この10年しんどそうだった、と今になって教えられたので3.11だし誰かに連れていかれたのかもしれないな、楽になったのであれば良かったんじゃないか、なんて思っている。
母方の実家の墓、車でないと行けないようなとんでもない山の中にある。数える程しか墓石がなく、戦没者墓地のほうが大きいような、山の斜面にあるような場所。
そこに曽祖父も、祖父もいる。ゆくゆくは祖母もそこにいくんだろう。もう後継ぎのいないあの家の墓に入る人は以降いない。
宿題と漫画雑誌を持ち込んで夏休みを過ごした、あの日本家屋はいずれ取り壊すらしい。そこに曾祖母はいないし、あの畑もない。仏壇もない。夜中に鳴り出す柱時計も、ネジを巻く人がもういない。掘りごたつに炭を入れることもないし、縁側の雨戸も腐り落ちていくんだろう。
もう一度くらい、顔を見せておけばよかったな。そしたらそういう思い出に上書きしてボケたなぁ、嫌な人になったなぁとか、可哀想だなぁと思ったかもしれない。そしたらこんなに寂しくなかったかもしれないし、こういう後悔もしなかったと思う。今日明日、曾祖母の葬式らしいので、もう少しだけ、曾祖母の顔を思い浮かべて過ごしてみようかと思う。
この増田と同じく二拠点生活をしている。自分の場合は房総半島の海沿いだ
もし興味持った増田が居たらと思って役に立つか分からないアドバイスをいくつか
田舎って家安いの。逆に賃貸物件は工場でもないと少ない。そうなるといっそ家買うか?とか思う。でも飽きた時の処分や定期的な手入れや防犯とか考えると賃貸一択になる。
面倒でも賃貸にしよう
一軒家の賃貸もたくさんあるけど止めよう。マンションやアパートにしよう。理由は上と同じ。草刈りとか各種面倒。あと場合によっては町内会とかに入る必要まである。
信じられない価格のアパートとかあるけど鍵が南京錠だったり防犯レベルが1なのが多い。ある程度拠点化して次来たら何もないとか辛いぞ
安い物件はだいたい畳。基本雨戸閉めっぱなしだとフローリングより湿気が大変なことに。利用用途にもよるがエアコン常時稼働でもなければ止めよう
湿気や虫の被害は圧倒的に少ない。蜂と鳥の被害は残るがまだマシ
特に理由がなければ風呂場は排水溝に蓋をして少しでも虫とかの侵入は防ぐ。風呂自体はスーパー銭湯とかで済ませる。でもトイレはどうやったって利用する。コンビニに毎回行くとかでも良いが田舎のコンビニは見えるところにはまず無い。
風呂洗剤は置かなくてもトイレ洗剤は置いておいて来るたびに掃除しよう。タオルとトイレットペーパーも毎回補充。間違っても汲み取りや和式の物件にはしないように。
間違ってもランタン生活とか止めよう。一番安くてブレーカー落とせば電気代とか雀の涙
凍結するような場所でなければ上下水は最低料金のはずだがそうじゃなければ他の住人か水漏れなので即対処しよう
プロパンとか要らん!と言っても田舎のプロパンの傍若無人は凄い。頑張っても意味ないので契約するけど使わないくらいの気持ちで居よう。なのでプロパン基本料金もちゃんと調べよう
防犯大事
外から見えるところにカーテン的なものを付けると人住んでいる感が出る
結局増田は予算より少し高めの家賃のところを借りた。築30年くらいの辺鄙なワンルームアパートの2階でフローリングだ。キッチンはIHという名の使いにくい電熱器の友達みたいなの1口だ。結果的に何の問題も起きていない。これより安くて広い物件もたくさんあったけど上記の問題を考慮して止めた。
メイ「ああっ…」
サツキ「わかんない。」
サツキ「ゴキブリでもない。ネズミでもない。黒いのが、いっぱいいたの。」
お父さん「この家を管理されてる、隣のおばあちゃんだよ。応援に来て下さったんだ。」
サツキ「メイ、手まっくろじゃない。どうしたの。」
カンタ「やーい、おまえん家… おっばけやーしき~。」
サツキ「メーイッ。メーイッ。」
メイ「トトロいたんだよ。」
メイ「毛がはえて、こーんな口してて、こんなのと… こんくらいのと…」
サツキ「おばあちゃーん。出たーっ!」
ばあちゃん「だれか来たんけぇ?」
サツキ「出たの! お父さん、出た出た!」
メイ「こーんな目してるの。」
サツキ・メイ「コワーイ。」
ばあちゃん「カンタ。本家へ連れてってあげな。電話かしてもらえ。」
ばあちゃん「カンタ~。早く父ちゃん呼んでこい。メイちゃんが」
カンタの父「すまねぇな。みんな。ご苦労でも手分けしてたのむよ。」
お父さん「くたびれたかい?」
サツキ「ううん」
サツキ「あっ! メイ、隠れて!」
ばあちゃん「だれか来たんけぇ?」
お父さん?「もうじきだよ。」
サツキ「みんなには見えないんだわ。」
サツキ「こわれるーっ。アワワワ…」
みっちゃん?「サーツキちゃーん。」
メイ「“サーツキちゃーん”だって。」
お父さん?「ハッハッハ…」
メイ「焦げてる。」
お父さん?「楽しみがちょっと延びるだけだよ。」
メイ「メイも、メイも。」
サツキ「待ってぇ。」
メイ「ちょっとそこまで。」
サツキ「早くーっ。」
サツキ「お父さーん。朝ですよ!」
お父さん?「えっ、もう…?」
サツキ「ない!」
サツキ・メイ「やったー! やったー!」
かつての日本家屋は猛暑を気持ちよく乗り切れるように下記の特徴があった。
「軒が深い」
「壁が少なく開放部が大きい」
「畳、土壁、板の間などの湿気を吸収する素材」
現在の日本家屋は同じ木造であっても暑さへの対応の思想が伝統的な日本家屋とぜんぜんちがう。昭和56年の新耐震基準法を境に日本の住宅はそれまでのものとは全く違う。猛暑への対応についてのみ着目した場合、連続性がない。特徴は下記の通り
「建ぺい率の影響で軒が短い」
「石膏ボードなどの断熱壁」(断熱性にすぐれているが熱がこもりやすい)
「壁を多く確保することが義務付けられ開放部が旧来の半分以下である」
「風の通り道などの考慮がない。空調をエアコンや換気扇に頼っている」
とにかく、夜間に涼しい空気を取り込んでおくことが快適にすごせるポイントになる。どんな暑い日でも夜間は25℃ぐらいまでは下がるのでこれで室温を下げる。そして壁を冷やす。石膏ボード製の壁は冷気を溜め込んでくれる。壁が冷えていると同じ室温でも人間から体温を奪ってくれるので快適にすごせる。
現在の住宅に「軒がない」というのがかなり致命的。これに対処するためには、日中は雨戸を締めるしかない。雨戸、または、シャッター、断熱性カーテンを閉じて直射日光を遮る。窓は熱風が吹き込んでくるだけなので締めておく。とにかく夜間にためた冷気をキープするようにつとめる。
上記の方法を方法を取り入れた結果。日中の気温を34℃以下にたもつことができた。エコに貢献できてうれしい。そして。原発を停止させた民主党は滅んでほしい。