はてなキーワード: 理科とは
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=2768
中1の娘が理科の時間に先生から「藻類が植物ではなくなりました。資料集では植物になっているけど、注意してください。」と言われ、教科書にも「藻類は植物ではない」と書かれています。
藻類が植物かそうでないかは、「植物」をどう考えるかによります。
植物とは何か、についてはこれまでいろいろな考え方が出されてきました。
おそらく多くの人になじみ深いのが、「光合成をして独立栄養で生きる生物(いわゆる生産者)が植物である」という考え方だと思います。
しかし近年、生物の系統関係(類縁関係)に基づく分類体系の見直しが進められている中で、この考え方は現実的ではなくなってきました。
つまり、上述の意味での植物は単系統群(1つの祖先から進化したひとまとまりの近縁なグループ)ではないことが明らかとなっているのです。
例えば、植物(藻類)として扱われていたラン藻類は、他の植物よりも大腸菌などに近縁です(そのため最近はシアノバクテリアと呼ばれています)。
https://www.dlt-spl.co.jp/life/cat_research/202008_whatsAlgae.html
植物は、かつては、「光合成をして独立栄養で生きる生物」だと考えられてきました。
ところが、近年では、生物を「動物界」「植物界」「菌界」「原生生物界」「モネラ界」の5つに分ける「5界説」が一般的となっています。
そのなかで、藻類は「植物界」ではなく、「原生生物界」に分類されていて、中学校理科の教科書でも、2012年度版から植物の仲間とはされていません。
https://www.city.himeji.lg.jp/school/cmsfiles/contents/0000014/14651/R4kaiyou.pdf
ワカメなどの藻類は、葉緑体を持ち、光合成で栄養を作る『植物』の扱いでしたが、近年は植物=『陸上生活』という定義が加わり、藻類は「植物界」ではなく、「原生生物界」に分類され、2012 年度の教科書以降は、発展学習の扱いになりました。
一方で、海の藻類の役割は非常に大きく、地球の酸素の 3 分の 2 は、『ブルーカーボン』と言われる浅いところに住む植物プランクトンや海藻類による光合成で作られています。
地球上の二酸化炭素の削減(カーボンニュートラル)を考える中で、ワカメは地球上の光合成をする生物の中で最も高い能力を持つ(陸上の森林の約2倍)ことが分かり、評価されています。
藻類(そうるい、 英語: algae)とは、酸素発生型光合成を行う生物のうち、主に地上に生息するコケ植物、シダ植物、種子植物を除いたものの総称である。
すなわち、真正細菌であるシアノバクテリア(藍藻)から、真核生物で単細胞生物であるもの(珪藻、黄緑藻、渦鞭毛藻など)及び多細胞生物である海藻類(紅藻、褐藻、緑藻)など、進化的に全く異なるグループを含む。
酸素非発生型光合成を行う硫黄細菌などの光合成細菌は藻類に含まれない。
ワカメ(若布、和布、稚海藻、学名: Undaria pinnatifida)は、褐藻綱コンブ目チガイソ科に分類される大型の海藻の1種である。
根のような付着器で岩に付着し、羽状に分岐した葉(葉状体)は膜質で柔らかく食用になる。
この藻体は胞子体であり、茎に胞子葉(メカブ)を形成、ここから放出された遊走子(鞭毛をもつ胞子)が微小な配偶体になり、卵と精子を形成、受精卵が再び大きな胞子体になる。
日本や朝鮮では広く食用とされ、味噌汁やスープ、酢の物、煮物、サラダ、乾物、ふりかけなどの形で食される。
https://takatakurashi.jp/story/500/
移住者に聞く
2018.01.11
[ASIN:4306073610] 復興・陸前高田:ゼロからのまちづくり 単行本 – 2022/4/12
中井 検裕 (著, 編集), 長坂 泰之 (著, 編集), 阿部 勝 (著, 編集), 永山 悟 (著, 編集)
永山悟というのは宮崎南高校から理科一類に後期で入ったんだけど2003年の理系後期問題はなんかよく分からない数学というか数理科学といった感じだったので
数学としての面白さはない、数理科学的な問題が出たときにそれが出来て採用されてその後に工学部の大学院にいって市役所に入った男ですが
だからなんだよ、市ヶ谷にいたときは筋肉もりもりだっただろ、カレー食べてトリビアの泉みてただろ、ましかし、後期試験で選ばれんだろ、あの問題は興味もないし解く気もないけど
処理水問題に関して。
安全だから安心するほど人間は単純じゃないんだけど、そこを無視して「安心しないお前がおかしい」みたいな議論になっていて気味悪い。
不安を持っていることに対して「安心です」というメッセージだけを押し付けても反発しか生まないのに。
政府や専門家が国民の不安に耳を傾け、こういう理由で安全ですというコミュニケーションの回路が貧弱だからなんだろうなとは察しが付く。
むろん国民側もそれらの主張を咀嚼するほどの(最低中学理科レベルの)基礎知識を身につける必要があるのはいうまでもないが。
で、そこに付け込んで「原子力は危険であってほしい」という手合いが願望流言を垂れ流し、不安を持っている人がそういうのに回収されることとなる。
あいつら「高レベル放射性廃棄物の地層処分は危険だから人間が責任もって永遠に管理すべきだし、それが倫理的責任」みたいなこと言っていて大丈夫なのかと本気で心配になった。
1 戦国時代終了
15 江戸幕府終了
→その他
の順だと思うんだが、学校の授業だと家茂の暗殺はサラっと触れて終わりで、その代わりに家光・綱吉・吉宗をやたらクローズアップするから違和感すごいわ。
政策にしたって日本の政治経済史として重要な事柄について中身の解説もせず「生類憐れみの令」とかを名前だけ覚えさせてキャッキャッしとるやん?
理科や数学の授業で習ったことについては限られた枠の中で詰め込むならベストの内容だったと思うんだが、日本史に関しては無駄な寄り道する割には大事なこと教えて無くねと思ってしまう。
丸暗記の受験勉強に教科書まで乗っかって、丸っと暗記科目に成り下がっていた印象が強い。
それでも意味のある部分をひたすら覚えさせて真剣に学ぼうとしたときの足がかりにするつもりなら分かるんだが、「歴史を好きになって欲しい」みたいな助平心からかおもしろエピソード必死に紹介してたのがアホっぽいなと。
人類が少しずつ人間らしくなっていく過程を追うのが面白さじゃん。
神が皇帝を定め、皇帝が己の人民となるを認め、皇帝は神に祈りを捧げることを仕事にするクソバカの時代から少しずつ科学的で文化的で人道的に変わっていくのをマイルストーンを辿って追うのが面白いわけじゃんか。
他の科目は頑張ってた。
除湿が何してるか知らない人が多すぎる。
アレって「一度冷やしまくって結露を起こして空気中の水分量を減らしてから、もう一度温め直す」っていうスーパー無駄行為だから。
なんで冷えると水分量が減るのかって話は「湿度とはそもそもなんぞや?湿度100%って水なの?」みたいな話を思い出してくれよな。多分中学校の理科でやってる。
うろ覚えからググるのも面倒くさいだろうから簡単に言うと「冷やすことで湿度100%状態の水分量(飽和水蒸気量)を減らすことで空気から水分を追い出し(つまり結露させる)、その水はねずみ返し的なのをつければ勝手に滴って配管の中を落ちていくので(ドレン(drain)と言うのだ)、その後にもう一度空気を暖めると、飽和水蒸気量の違いから湿度が下がる」って話だな。
湿度が高くて気持ち悪いって状態は「不快指数が高い」っていう状態なんだけど、この不快指数って簡単に言うと「温度が高く、湿度が高いほど、高くなる」ってことで、超シンプルに言うと「温度の高さ✕湿度の高さ(言っておくけど計算式ではないぞ)」で決まるんだな。
んでまあこれが日本の夏の温度的には「とりあえず温度を下げれば不快指数が改善される方向に働く」んだな。
不快指数が低すぎると快適からちょっと寒いかもモードへと反転しだすんだが、これは湿度20%の時でも室温21℃ぐらいにならないと始まらないんだな。
つまりさ、わざわざ除湿モードにして部屋の室温を維持しつつ湿度を下げるのは不快指数の改善って意味じゃ無意味なわけ。
不快度を下げたいならとりあえず部屋の温度を下げて、そのついでに湿度が勝手に下がるのを狙っていきゃ良いわけよ。
いちいち除湿モードで「温め直すための無駄な工程」を作る必要もないし、そもそも「温め直して無ければ同じエネルギーでもっと不快指数を下げられていた現実」をちゃんと意識すべきなわけよ。
除湿って冷やしてないから省エネとか思ってるならマジのバカだぜ?
除湿は冷やしてるよ。
冷やしてから温め直してる。
冷凍みかんを解凍するとか、湯冷ましを作るとかそういうのと同じ「わざわざ起こした温度変化を逆流させるエネルギーの浪費」が行われているんだよ。
梅雨の時期とかに「部屋の温度下げたらクソ寒いけどこの湿度は耐えられねーよーーーーー」みたいな時に使う機能だからなせいぜい。
マジで。
不快指数ってどんな分布なんやろって気になる人はWIKIとかカシオのページとかを見てね
https://keisan.casio.jp/exec/system/1202883065
https://www.orionkikai.co.jp/technology/pap/temperature-humidity/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%BF%AB%E6%8C%87%E6%95%B0
追記:
弱冷房方式は「せっかくエネルギーを使って冷えた空気を作ったのに、それを湿度を下げるためだけに使ったあとそれを部屋にちゃんと送風せずに終わらせる」という方式で、単位エネルギーあたりの不快指数減少コスパは通常よりも低い方式になります。
まあ再熱除湿ほどクソバカではないんだけど、こっちも「夏場にそれを使うぐらいなら普通に冷房使えよ」の機能ですよ。
たしかにね、厳密に言えばタイトルを「再熱除湿はクソバカなので使うな。弱冷房除湿も夏場にわざわざ使う機能じゃねーよ」にするべきなのかも知れませんね。
でもね、大抵の人は自分の家のエアコンがどっちの除湿方式かなんて知らないと思うんですよね。
だからひとまずは「ウチのエアコンは再熱除湿かも知れない」と考えて除湿機能を使うのは控えるのが正解なんですよ。
まあこの季節でも雨の日とかだと弱冷房除湿の出番はあるんでしょうけど、その機能をポチっていいのは「ウチのエアコンはどっちの除湿を使っているんだろう?」の疑問を解消し終わった人間だけですよ。
何て言うかよ。
「つうか単にジメっとしてるだけなら熱中症の心配はねーんだからそれぐらい我慢しろよ」
が俺の答えだ。
そん、こうすけちゆうか、要するに人間じゃった頃のこうすけがよ、じゃき、夢の中で見たこつには、10年前に、頭がいてえいてえゆうて、死んだち、一々運営が分からんやり方で
みせちくるちゆうかよ、そん運営がとにかく、長いもんには巻かれろでよ、30歳過ぎたら警察ん、ストッパーの中じ、生活せにゃいかんちゆう、歪んだ価値観で、それを批判するもんが
こん社会にはだりもおらんところがこの社会の癌でよ、とにかくもうたまらんでよ、それが
宮崎県人寮のときにおった、神野と、もう一人の慶応の香具師は行方不明でわからんきよ、寮監もおったけんどん、そいが死んでん、だりも紹介せんきよ、慶応の香具師は名前も分からん
どこにおるかもわからんでよ、 神野は当時、hukuwautiって自分でいうとったき、一回新宿まで行って遊んだだけでそれ以外に記憶がねーき、確か早稲田に入って嫉妬に狂って理科2類に
入り直したちいうようなこつを覚えちょるけんどん本当かどうか分からんで、
とにかくこうすけがよ、10年前に死んだちゆうたしよ、そればっかりでよ、それで、運営がよ、俺が、ゆうきちじゃちゆうてよ、もうたまらんでよ、そん運営の制御術がよ、5年前から段々に開始された
のやけど、それより前はなかったんよ。勇吉はまだ生きているとか理解できん話ばかりで死んだはずなのに実は実家で話し合っているとかミイラ状態で生きているとかそんげな夢ばかりでたまらんして
①→そうだよね。質問で奨学金の話を出したのは、下宿代含めてもお釣り来るような地方医療用の奨学金があって、
恐らく都内の学生は、わざわざ地方医療の奨学金なんか考えなくても地方医大に出してもらえる子息が多い環境だったろうから、
そういう環境に囲まれていると尚更「そもそもなんで家庭環境のせいでそんな事まで考えないといけないのよ」って不満が溜まりやすくなるよね。
②→そういう事か!女性の友人同士だとこんな事言われずに済むの、
やっぱりまだまだ男性の同僚や旧友の母親には理解されてない証拠だよね。
なんか知らん横増田達が「会社の男性の同期からも環境のおかげだと思われているのは、元増田が無能だからじゃないかな?」とか
無責任に「元増田は研究はかなり向いてなさそうなので、理系だと開発職しかないだろうね。」とか言ってくるの見てると、
そんな類推される筋合い無いのに言われるって、尚更やるせないよね。
すぐに興味を持ちすぐに飽きる。
幼少期からそうだった。習い事は絶対一年以上続かなかった。親には迷惑をかけてしまった。
勉強も嫌いだったが算数やる、飽きる、理科やる、みたいなちょい摘み方法でなんとか乗り越えた。仕事も持ち場移動OKなとこなのでなんとかやれてる。
しかし趣味は色々齧ってきたが長続きするものが無い。短いと数日、長くて数ヶ月。飽きたら見向きも出来ずに処分する。メルカリとヤフオクには助けられている。
いつか全てに飽きたら生きることに飽きて死ぬことを選ぶような気がしている。死を選んだら終わりだと言うが、終わりを選ぶ事で来世のチャンスをゲットだぜ!みたいな。
やれる事というのは無限にあるように見えて年齢を重ねる事にそれらは狭まっていくのだなと日々感じる。
理学部には、数理科学科と、数学科の2種類がありますが、数理科学科は、必ずしも数学そのものという彫刻のごときようなものの完全論証といった驚愕的なことをする必要がなく
既に知られている数学的な事実を用いて様々なことをするだけの学科ですので進学振り分けでも点数は高くない。しかし数学科は、刺激的なことを大量にするので知能指数が高い
学生でないと採用されないのが昭和の実情だった。第一に数学はその定理や問題を発見することが甚だしく難しくて出来ない
令和3年度の京都大学の理系試験問題では、第5問だけが数学科用の問題だが難問すぎるので捨て問だった。それ以外の第1~4問はただの計算であり、別解なども存在しておらず
逆に法律学は必要となる知能指数も低いとされているし、その構造は専門技術的とされるわけのものであるが、
ウソだし最悪だな
昭和59年頃までは、金八先生とかの威光で学校教育というのは神様で凄いオーラがあったんすけど、鈴木秀行っていう裁判官が検事になるようになった昭和60年から悪化して
小学校だと、平成2年頃かな、もう最悪でね、 クソガキが。っていうかただのクソガキなんですよね、Twitter界隈にいる奴で東大生で、これから先生になる奴がね
昔は老人が中心で偉人もたくさんいたんだけど、 平成11年から文科一類が人気だったのは当時警察があまりにも、ものを書かないので、Z会や予備校が代わりにやったら反骨精神
んであれなんですがもうそういう老人がいないというか、志村警察署とか、蕨(けつ)署、延岡署って、 ババアもしくは、クソガキか、 佐藤しかないので、
例えば25年前の西階中の理科の先生の児玉先生とか、 斎藤久美子先生っていないんすよね、 児玉先生は理科の先生で、平成10年当時に、警察のやってることは君たちのためでは
毛頭ないのよ、と言っていた
斎藤久美子先生は、普通の善人ではなかったか。 まあ昭和59年より前はもっとやばい人ばっかりだったんですけどね、今はカスの話をしてるので え?なんですか?
それで佐藤って金八先生の時代とか知らないのでね 私がこの世で一番嫌いな人間が佐藤ですが
それで西階中のことはほとんど覚えてないんだけど、 理科の児玉先生とか、 斎藤久美子先生、 高千穂小学校だったら、 こうすけの担任だった、財部祥子っていうのがいたけど
どうなってるか分からないというか、誰も語らないのでね
夏休みに入り、自分を見つめ直す時間が得られると、普段考えもしなかったことに気づく場合がありますね?
死にたいな
ふとそんなことを想うときもあるでしょう。
地面に近づくのがスローモーションで見えてきて、途中で「やっぱ死にたくない」と思ったそうです。
だけど、もう止められないから後悔したと。
この教訓から学べることは、
自殺を試みる人は、途中でやめようと思ったら引き返せる方法で試してみるべき
なのでしょう。
だから酸素がなくなると生物は死にます。(酸素を使わないで生きている生物も一部いますが、ここでは省略します。)
死にたいと思ったとき、今死ぬ時期なのか?を簡単に判定する方法があって、
息を止めてみる
と分かります。
もしも、今死ぬ時期じゃないことが分かっても、落胆する必要はありません。
死にたくなくても、どっちみち死ぬ運命にあるなら、焦って死に急ぐ必要もありませんね。
たとえば学校や会社でいじめられて、苦しくて自殺する場合、苦しいと感じている自分がいなくなれば、苦しみがなくなると考えるかもしれません。
苦しいという感情を生み出している自分がなくなれば、もう苦しいという感情が生産されない、という構図ですね。
しかし、あなたが死んでも、他人をいじめる悪党は残っており、他のターゲットをいじめるだけでしょう。
つまりあなたが自殺しても、世の中からいじめはなくなってないのです。問題の原因は残り続けているのです。
じゃあ、自分をいじめていた悪党や上司を殺してから、自殺すれば良いのか?と。
確かに、いじめていた人間の一部は確実に減らせますが、世界全体を見渡すと、他にもいじめをやる人がまだまだ残ってますね。
じゃあ、他に残っている悪党も全員退治してから、自殺すれば良いのか?と。
確かに、いじめを行う人間は全て消滅しますが、将来再びいじめをやる人が生まれてくる可能性は、まだ残ってますね。
じゃあ、将来もいじめを行う悪党が生じないように、世の中の仕組みを整えてから、自殺すれば良いのか?と。
…それは良いアイデアの1つかもしれません。
できるものなら是非そうしてください。で、やり方が分かるなら教えてください。どうすればいいですか?(マクドナルド理論)
このように論理的に考える訓練をすれば、たいがいの問題は解決策が見つかります。
世の中には、自殺回避の方法を理解するよりも、もっと難しい問題がたくさんあります。
自殺する前に、まだ誰も答えを知らない未解決問題に取り組んでみてください。
そのためには、数学~とりわけ論理学や圏論を学んでみてください。
例えば、あなたが「死にたい」という感情を抱いたときは他のパート、つまり残りの経験と論理の部分での考察が不足していることになります。
というプロセスを経て、ゴーサインが出れば、多分後悔しないでしょう。
本当に困ったときは、リアルで身近にいる人の方が役に立ちます。
もしも、精神的な問題を抱えている場合は、専門の医者や弁護士などに相談してみましょう。
あと、役所(行政)の支援サービスは、自分から問い合わせないと利用できない仕組みになっています。待ってるだけでは役所から支援は得られません。これは税金の無駄使いを避けるために、なるべく金を出さない方向で制度が設計されているからなんです。
あるホームレスの体験記だったか、何かで読んだ記憶があるのは、自分から役所にいってとにかく聞きまくって、何か使える支援制度はないか?徹底的に食らいついていった人は、支援制度を活用して、貧乏から脱却したとか、そんな話がありました。
カフェで休憩するつもりで、役所の窓口に行って、くだを巻けば良いと思います。
こんなもん日本の国語教育の駄目なところを煮詰めたようなテンプレートだろ。
(中略)
国語教育はロジカルライティングを教える以外にも、自分の感情を文章にすることを教えたりします。これはあなたも認める通り。
また「自身の経験ベースのお気持ちを述べることが求められるような文書を求められる機会」ってまさにコレじゃないですか。社会に対して必要だから使命感のもとに、経験ベースで気持ちを交えつつ論理的に書いたんですよね。良かったね。役に立ったね国語。
読書感想文やエッセイでロジカルライティングされても困惑するし、卒論で感想文を書いたら留年します。
人間には記憶力があり、テンプレを2つ以上身につける事ができます。
まとめ
どちらも学ぶ内容は似通っているからだ。
しかし、その上で文学部と法学部まで併願するのは理解ができない。
高校で長い期間をかけて大学入試のための勉強をしておきながら、大学の4年間で何を学ぶべきかを決めなかったの?
文学と法学とでは学ぶことは大違いだけど、併願するってことはどちらを学ぶことになっても構わないってことなの?
大学入試時は最低でも17歳だけど、それだけの年齢になっておきながら自己を確立できなかったの?
例えば私だと、中学の理科で電気回路の問題を解くのが好きだったよ。
高校の理科でも物理を選択して、そこでも電気分野が好きだったから大学でも電気を学ぼうとしたよ。
工学部の中でも電気系の学科は他の学科に比べて就職が有利で、インフラ関係などの安定した企業に就職できるからという理由もあるけどね。
大学受験ではいろいろな大学を受けたけど、全て電気系の学科を受けて、機械・情報・建築などの他の学科を受けることは無かったよ。
残念ながらセンター試験であまり点数が取れなかったから、国公立大学はあきらめて地元の私立大学に進学したよ。
大学入学後は大学の勉強と併せて電気主任技術者(電験)の勉強をして、在学中に資格を取ったよ(それでも、一番簡単な第三種のみだけど)。
そして、高校生の時から考えていた通りにインフラ系の企業に就職したよ。
私の話はこれくらいにして君の話に戻るけど、慶応大に入学できるくらいに勉強してきたのに、なんで肝心の大学で自分が何を学ぶかについて無頓着なの?
低レベル高校生が、大学に進学できるならどこでもいいとFラン大学を受験して、学部も適当に選ぶのとはわけが違うはずなのに。
君は早稲田大も受験したのだから、おそらくは偏差値の高さで受験する大学を選んだようだけど、大学の偏差値が高ければ学部なんてどうでもいいの?
大学で何を学ぶのかさえ、どうでもいいの?
低レベル高校生の愚かな進路選択なんて興味ないけど、私より遥かに勉強ができる人の進路選択について興味があるから答えてくれるかな?