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2024-11-05

anond:20241105122822

ありがとうございます自分は、自分の住む街の小さな新刊書店必要インフラだと思っていなく、基本的に専門書へのアクセスを確保したいと思っています。そのため大型書店が持続可能ビジネスであることが死活的に重要です(amazon重要)。自分読書好きになった経緯から子どもが本好きになるためには図書館へのアクセスの方が重要かなと思います古本屋一定数ある街は、それがインフラかどうかは別として、素敵だなと思います

頂いたご質問自分感覚で答えてみます:

リアル店舗web店舗を問わず在庫検索システムの構築にかかる費用書店単体で担うのか。

個人的には書店在庫APIがあれば、誰かがそういうサイトを作るのではと思います図書館の蔵書に関しては、calilがあるかと思います

会計列を短くする目的レジ台数を増やすとして、そのレジスペースを確保できるのか。またそのためのレジ要員の人件費はどうするのか。

店舗によると思います八重洲ブックセンター本店ときは、1Fにレジスペースがありましたが、最上階に銀行カウンターみたいな会計スペースがあったのでそこで座りながら数十冊・数万円の会計10分ぐらいでしてました。客単価によって、セルフレジ有人レジカウンターみたいに使い分けても良いと思います

新刊小売書店の付加サービスのもの訴求力必要なのか。

必要ないと思います書店での体験が全てです。ただ、「15000円以上のときに送料無料」のようなサービスがあると、(基本的に本を持って帰る自分のような)顧客対話できていない感を感じます。「ポイントx倍」とかのサービス本棚勝負できていない書店稚拙集客に走っている印象です。なお、八重洲ブックセンター物理的なポイントカードは結構好きでした。

書籍を取り寄せするために行われる口頭でのやりとりを短時間で済ませることがはたして可能なのか。

オンラインフォームのようなものがあれば、十分だと思います。参考までに、e-honだと注文は一瞬ですが、物理書店との連携中途半端です。丸善ジュンク堂のshopifyのサイトでも取り置き可能なので、取り寄せを可能にすることは出来るかもです。なお、その際、amazonサイトを見ているときがありますが、様々な理由により敢えて物理書店で買いたいときがあります

書籍を取り寄せするための流通システムamazone-honとでは流通システムが異なるが、その責は新刊小売書店が負うべきものなのか。

流通の細かな話は分からないですが、amazone-honを使わないで書籍を取り寄せしたいニーズもあるので、そうした潜在ニーズ新刊小売書店企業努力で発掘されたら良いと思います個人的には、敢えて物理書店で取り寄せする際は、10日後に納品とかで問題ないです。

しおりを作っているのは大半が出版社であり、自社でしおり制作している書店がどのくらいある(あった)のか。つまりコストカットしているのは本当に書店なのか。

八重洲ブックセンターではしおりがありました。ただ、トーハンが49%の株を持った2016年から、無くなりました。2024年オープンしたグランスタ八重洲店ではオープン当初はありました。神保町東京堂書店も昔あった記憶です。

本棚微妙につまらなくなったとして、それは取次のせいなのか。

→ これも細かな話は分からないですが、取次とのパワーバランス本棚書籍が決まっているような印象を受けるときがあります丸善日本橋丸善丸の内ジュンク堂池袋紀伊國屋書店本店自分比較的詳しい分野だと同じような本が並ぶ感覚が強くなっています神保町東京堂書店自分比較的詳しい分野だと結構厳しくなってきている印象です。

書籍以外を収益源にするのを少し危険に思う根拠

大型書店でx年前に入荷した数千円の本が売れた、みたいなのを積み上げるときに、数千円の文房具雑貨を売るのとオペレーションモチベーションも違うのかなと思います。また、文房具雑貨収入がメインの有隣堂を見ても、書店セレクトした文房具雑貨からといってそこまで面白くなく、中途半端に終わる気がします。丸善丸の内日本橋にあるような高級文房具絵画などは別かもしれませんが、自分がそうした商品を買うときは結局その専門店に行きました。なお、八重洲ブックセンタープレスマンシャーペンは良く購入してましたので、書店アクセントとしてあっても良いと思います

・書棚の回転率よりも客単価を意識するとなにが改善されるのか。

書店体験が変わると思います。今はレクサスを買うのに、カローラ販売店で購入している感覚があります

ブックカバーの付け方が凄く雑になったとして、それは取次のせいなのか。

→ 取次のせいではないと思います。なお、神保町東京堂書店はけっこうちゃんと付けてくれます外人外商に支えられている紀伊國屋書店微妙にこの辺が改善してきている気がします。

・「雑誌ベースインフラを全国に構築している」トーハンは同時に、書籍流通システムも構築していますが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わるのが危険する根拠はなにか。

一般論として、toBをメインの収益源にしている企業toCに関わるのは難しいと思いますtoB向けのコストカットkaizentoC向けに中途半端にすると安っぽくなるだけな印象もあります大型書店場合について考えると、ニッチ需要にどれだけ対応できるかが重要なので、書籍流通システムを維持するためにマス向けの本や雑誌毎日物流網に載せたい取次とはやや利益方向性が違い、結果として大型書店で数万円の本を買いたい顧客ニーズ対応する体制を整備することが難しくなるのだと思われます

・いち業界流通販売構造をはたして社会全体で考えるべきなのか。

新刊書籍流通市場で寡占状態により競争が少なくなっていることで、公益が損なわれているならば、社会全体で考えるべきだと思います。なお、再販制度独禁法適用除外となっていることとは別の論点ではあると思います

・「文化事業」でなければ大型書店運営はほんとうに難しいのか。

1978年オープンしたとき八重洲ブックセンターは「文化事業」として数年の赤字前提だったようですが、結局2年で黒字化したようです。オープンして数ヶ月で1000万人の来店者数みたいな記事もありましたが、潜在的ニーズを当時の経営陣が把握できたのは、それが彼らが自身ニーズであり一番の顧客であったからだと思いますが、同時に「文化事業」として大胆な投資を出来たかなのだと思います上記のしおりが必要なのかどうかや文房具雑貨で稼ぐことの問題点みたいな議論貧乏くさい気がしており、結局大型書店は「文化事業」としてすることで潜在的ニーズを中長期で発掘し持続可能ビジネスになるのかなと思います。なお、今の大型書店本棚を見ると、ただ大きなスペースに本を沢山並べているだけ感もあり、そもそも書店員や経営陣はその書店利用者なのかなと思うときがあります紀伊國屋書店みたいな外人向けの運営は良く分かりません。

以上です

2024-11-04

大型書店の「トーハン」化

休日に暇だったので、図書館行って東京商工リサーチデータベース神保町にある東京堂書店データを見てみたら、トーハンが25%株持っていた。歴史的には東京堂の株をずっと持っていたようだが、2011年東京堂東京堂書店合併したらしく、その頃からパワーバランスが変わったのかなと思ったりした(多分、東京堂不動産賃貸収入東京堂書店赤字節税やすくした)。トーハンは、2013年にはブックファーストの全株、2016年には八重洲ブックセンターの株を49%取得している。2023年には丸善ジュンク堂書店も裏側のシステムトーハンに合わせた。結果として、今の日本大型書店に行こうとすると、紀伊國屋書店三省堂書店(現在本店改装中)等々を除き、トーハンの影響圏のなかでしか選択肢がないようだ。

個人的には、東京堂書店株主データを見て、少し納得感があった。というのも、八重洲ブックセンタートーハンが関わってから良くなったと思える点が全く無かったので(旧本店)。あと、下記の点も多くの書店共通すると思う。

...

折角なので鹿島出版社データも見てみたが、近年は売上は3億円程度を推移しているようだった。昨今の書店文化の衰退は、どちらかというと雑誌不況であり、書籍はまだ底堅いニーズはあるのではないかという言説を支持出来る一つのデータに思えた。雑誌ベースインフラを全国に構築しているトーハンが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わることが良いことなのかは、もう少し社会全体で考えるべきだと思われる。確かに伊藤忠ファミリーマートに関わったことで、ファミリーマートクオリティーは上がったが、書店場合、取次が小売に関わることで本当にエンドユーザーにとって良いことなのか。少なくとも大型書店エンドユーザーにとって具体的に何が良くなったのか。八重洲ブックセンター鹿島卯女氏の遺産は数百億円あったが、そういう人の「文化事業」ではないと大型書店運営は難しいのではないか

鹿島卯女氏の遺産文化学術財団の基盤になったが、次の鹿島守之助が居るであろう新興企業への投資には流れなかった。アメリカワシントン・ポスト紙はグラハムからジェフ・ベゾス経営権が継承されたが、こういうところでも微妙に日米の差を感じる。

ちなみに、セブンイレブン鈴木敏文氏はトーハン出身

2024-08-11

文章を書くことは苦しい営為

中学生の頃からはてな、なろう、Twitter個人ブログnote、某ゲームファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンル文章を書いてきた。主戦場匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。

このような過去から察せられる通り、自分文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説はてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。

最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときサービスアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。

このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロ小説先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリー矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントストーリー構成がしっかりしていて、論理的妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。

しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品主観的客観的分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである

このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分意見を表明する場合でも、脳内にある自分アイデアパソコンディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分脳内にあるもの自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内しかないもの、書いたものしかないもの無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。

そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかたことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたもの100%他人のものである断じてしまうことである中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去自分現在自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法文章100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章にらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分脳内文章が一致する。

根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分意見が初めから脳内に整然とした文章存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分意見言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章100%自分のものにする方法最後で、自分意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分意見言語化するあいだに自分意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。

2024-01-19

2023年出来事

2023-08-28

八重洲ブックセンタージュンク堂池袋店には絶版になってない商業漫画であれば全ての漫画が扱われているんでしょうか? この両者に売られてないマンガというのはそもそも商業流通に乗ってないとほぼほぼ言い切れるんですかね?

中途半端な規模の書店を数多く巡って世の中にどんな漫画雑誌や単行本があるか知ろうとするより、上記の二者のどちらかにさえ行けば世の中で絶版されてない漫画全てを把握できる点では確実でもあり一度で済み合理的なのだろうかとか考えてました。

それとも両超大型書店の品揃えからたまたま漏れてるけど中途半端書店では扱ってる漫画というのもあるのでしょうか?

2022-05-05

質のいい本屋さん教えて

今まで行った中で一番好きな本屋八重洲ブックセンター本店

そこまで大きくなくてもいいけどセンスがいい/質が良い本が置いてある本屋さんが知りたい

2019-05-08

マナー本・マナー講師は本当に「お疲れ様は目上にNG」と広めたのか?

前提

「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter

上記まとめにもある通り、杉村喜光という人は、以下のような発言をしている。

 

 

しかし、これまで「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」というマナーは、(そのよしあしはともあれ)聞いたことがあるものの、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」という言説は、少なくともマナーマナー講師)関連において見聞きしたことがなかった。

 

※ただし、マナー講師ではなく芸能人タモリ氏)や言語学者園田博文氏)は、「お疲れ様」という言葉について以下のように述べているようである

タモリが「お疲れ様です」は目上の者に使ってはいけないと指摘 波紋呼ぶ - ライブドアニュース

子役が誰彼かまわずお疲れ様です』といって回るのはおかしい」(タモリ氏)

「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(園田氏)

調べてみた

ならば、本当にマナー本は、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と主張しているのだろうか?

このことを検証するため、八重洲ブックセンター八重洲本店2Fの「ビジネスマナー」コーナーにあったマナー本を片端から当たってみた

……かったのだが、1段・56冊あり、全部を立ち読みするのは時間的にも労力的にも足りず、かつ、売り物の書籍を使って調べ物をするのが申し訳なかったので、20冊だけ抽出した。

八重洲ブックセンターを選んだのは、会社から近く、また今日仕事関係で立ち寄りやすかったというだけであり、他意はない。図書館を選ばなかった理由は3つある。近隣の図書館が思いつかなかったこと、冊数としては八重洲ブックセンターの方が豊富だと判断したこと、古い、昭和の本も交じっていそうで、そうすると有効な冊数はさらに少なくなると考えたこからだ。八重洲ブックセンターさんには申し訳なかったが、普段も毎月1万円程度は購入しており、今日も本を買ったので、許してもらえたらうれしい)

 

なお、書籍はスミからスミまで見たわけではなく、「あいさつ」「言葉かい」といった項目のところだけざっと流し読みしているので、漏れがあるとは思う。この件についてはご容赦願いたい。

 

さて、その20冊の中で、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と書いてある書籍は何冊あったか

 

答えは0冊だ。

調べた限りでは見つからなかった。

ただし、「ご苦労様を目上の人に使うのはNGお疲れ様を使いましょう」と推奨する書籍は、5冊発見した。もっと多いと予想していたので、案外少なかったが、精査していないため見落としもあるのだろう。

個人的には、杉村と同じく、ご苦労様だろうがお疲れ様だろうが、目上の人に使っても、まあいいんじゃないのかな、とは思っている)

念のため、その書籍名を記しておく。

○知らないと恥ずかしい!おとなのマナー図鑑

○男のマナー パーフェクトBOOK

○必ず役立つ!仕事の基本とマナー面白いほど評価が上がる本

常識以前の仕事ルールマナー

新人の「?」を解決する ビジネスマナー100 または 社会人としての常識マナーQ&A(メモミスで、どちらか分からなくなってしまった。申し訳ない)

 

以上のことから

○「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」とするマナーは、確かに複数の著者が主張している

○「『お疲れ様』を目上の人に使うのはNG」というマナーを主張する著者(マナー講師)は、少なくとも「『ご苦労様』NG」以下だろう

ということが確認および推測できた。

杉村は、どのような根拠をもって「この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。」などと断じているのか、また、そのようなマナー本がどこにあるのかを示してほしい。

加えるならば、「新ルール」とまで言うからには、1人のマナー講師・1冊の著書の主張では足りない。最低でも3冊は「お疲れ様NG」と述べているマナー本を、杉村に限らないので提示してほしいところだが、どうだろうか。

※言っちゃあ悪いが、マナー本なんて、よくも悪くも似たり寄ったりだ。二重敬語NG例など、同じ表現を何度見たことか…。だが、それは当たり前で、マナー本ごとに言っていることが違ったら、プロトコルとしてのマナー機能しないかである。逆説的に言うと、本当に「お疲れ様NG」というマナーが新たにできたというならば、上記の通りタモリ氏・園田氏の事例もあるし、20冊も拾い読みすれば、2~3冊は目に引っかかっておかしくないのであるが…。

少しだけ寄り道

改めて、杉村tweetを見てみる。スクリーンショットだが、元ネタをたどると、

山田優、「両陛下お疲れ様でした」という投稿に批判殺到「皇室をなんだと…」(1ページ目) - デイリーニュースオンラインが出てくる。

デイリーニュースオンラインという段階で、取り上げるのもあほらしくなるのだが、ひとまずそこは置いておこう。

 

で、そもそも元ネタ記事には、

会社上司にすらお疲れ様と言うのは失礼と言われるのに。。」

引用されているだけであり、どのような根拠、つまりマナー本を読んだりマナー講師に教わったりしたのか、上司にそう注意されたのか、はたまた、自分個人思い込みなのかは一言も書いていない。

個人的には、元の発言者は「ご苦労様」と勘違いしているのではないか、という第一印象を持ったのだが、もちろん、定かではない)

 

それをいきなり、マナー本が~と言い出しているのは杉村である(だからこそ、典拠となるマナー本を提示してほしいのだ)。

実は最初杉村も「ご苦労様」と勘違いしたんじゃないか、と思ったのだけど、その後別のtweetで、

と述べているので、「お疲れ様は目上にNG」と主張するマナー本を数冊は読んでいるのだろう。ぜひ教えてほしい。本当にそう思う。

 

ブックマークコメントで「マナー本・マナー講師」を断罪している人へ

これまで述べた通り、一個人としては、

○「ご苦労様は目上にNG」というマナーは聞いたことがあっても、「お疲れ様は目上にNG」は見聞きしたことがない

書店に並んでいるマナー本を抽出調査したが、「お疲れ様は目上にNG」とするマナー本が見つからなかった

ことから

○「お疲れ様は目上にNG」だと主張する平成マナー本は、あったとしても本当にごく一部で、「ご苦労様NG」ほどには広まっていない

○「平成マナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張には根拠が薄い

と考えているが、はてなブックマーク

[B! 日本語] 「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter

において、「『お疲れ様は目上にNG』という謎マナーマナー本(マナー講師)が広めた」というベースのもとでマナー本やマナー講師をののしっているブックマーカーは、

○実際に「お疲れ様は目上にNG」というマナー本を読んだか、マナー講師指導を受けたことがある

のか、

○「平成マナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張を鵜呑みにした

のかは、せめて教えてほしい。

ついでだ

杉村は同じtweetで、

それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。

と、あたかも、言葉遣いのマナーを追及している者も言葉遣いがなっていない、という含みを持たせた書き方をしている。

 

が、これは釈迦に説法だが、「違和感を感じる」は、話し言葉引用したコメント言葉)ならば別におかし表現ではないし、書き言葉としても、許容範囲内だと考える。

その破堤基準を一つ挙げると、「○○感を感じる」の前半の「感」を取ったとき表現違和感があるかどうかである

 

×不満感を感じる(不満を感じる、と表現しても違和感はない)

○一体感を感じる(一体を感じる、と表現すると違和感がある)

違和感を感じる(違和を感じる、と表現すると違和感がある)

一種ジョークとして「○○を感じる、と表現しても(すると)違和感がない(ある)」という書き方をしている。読みづらくしていることは謝りたい。

 

それなのに、

それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。

などと言うのは、これこそ表現無駄なかせをはめる「新マナー」じゃないのかと。

2018-09-23

東京就職した友人たちが変わってしまった。

Twitterアカウント実名になりアイコンは本人画像になった。

八重洲ブックセンターで開かれるイベントに参加するようになった。

noteを書き始めた。オンラインサロンかにも参加しているんだろう。

そういうこともあるだろう。

いわゆるインフルエンサーに憧れて,新しい生き方標榜する人びとは腐るほどいる。

後ろのソファに置いてあるiPhoneを手に取ってTwitterで「お金2.0」とか「hogehogeをアップデート」とかで検索したら5秒で見つかるはずだ。

知らんけど。

でも,僕の大切な友人が,かけがえのない人たちが,そんな腐るほどいるであろう人びとのコピーアンドペーストみたいな発言をし続けることはどうにも耐え難い。

もちろん,彼らの生き方だし,彼らの考えることなのだから僕の口をはさむ余地はない。

分かっている。でもどうにも耐え難い。そんな気持ちで今文章を書き殴っている。

彼らは(僕らは),偏差値が高くも低くもない地方国立大学で同じサークルに在籍していた。

みなさらなる地方から出てきて下宿をしていたので,口実を見つけては(あるいは口実などなくとも),酒を飲んだり,タバコを吸ったり,深夜アニメを観ながら麻雀を打ったりした。

彼らはみな何かを考えていたし,自身哲学を持っているように見えた。

僕はあまり友人が多くなかったし,地元にあまりいい思い出もないので,彼らとの時間こそが僕にとっての青春時代だったのだと思う。

願わくば,彼らにとってもそうであって欲しい。

彼らはみな優秀だったし,特に就職活動で苦労することもなく大企業内定した。

僕は就職活動をしなかったので詳しいことは分からないが,当然の結果だと思う。

魅力的な人間が正当に評価されたことは自分のことのように嬉しかった。

そして,僕らはそろって卒業し,僕は別の地方へ,彼らは東京へと転居した。

卒業後も出張帰省やその他もろもろの用事で近くに行ったときには連絡を取るし,酒を飲みながら,コーヒーを飲みながら色々な話をする。

彼らは相変わらず魅力的な人間だったし,仕事の話も僕にとっては新鮮で興味深い。

僕は彼らのことが本当に好きだし,匿名のこの場では,恥ずかしげもなく親友であると言いたい(もちろん実際にあって確かめ合うようなことはしないので実際のところは分からないが)。

近ごろSNS上での彼らの様子がおかしい。

繰り返すが,彼らの生き方に僕が直接何かを言う権利などありはしない。

からこれは完全なる独り言だ。

SNSの使い方というのは非常に難しい。

僕は母親Twitter上で相互フォローなのだが,ある時を境に母は政権批判リツイート以外をしなくなってしまった。

彼女には彼女なりの思想があるのだろう。何かを言うことはできない。

彼女Twitterアカウントは数年前から僕のミュートリストの中にある。

思うに,誰もが言いたいことや考えていることがある。

しかし,咀嚼して,飲み込んで,消化してしまう前に色々なもの燃え尽きてしまうのだ。

一瞬で燃え上がり,そして燃え尽きてしま情報について考える時,僕は大気圏で煌々と輝くスペースデブリ想像せずにはいられない。

欲望と抑圧の排泄物が,燃え尽きる瞬間に光を放つ。

考えるべき問題について考える時間永遠に与えられない。

そんな時に目に飛び込んでくるキャッチーフレーズはあたかも答えを与えてくれるように思えるのだろう。

自身にも思いあたる節がある。

話が逸れてしまった。

大学時代の彼らの話は未消化で,拙く,青臭かった。

でも,決して誰かのコピーアンドペーストではなかった。

一切の出典のない話はこの世に存在しない。

でも彼らの話は本物だったし,彼ら自身だった。

そんな彼らの話が僕は好きだったし,僕自身もずいぶん恥ずかしい話をしたような気がする。

現実世界の彼らは昔と変わらないように思える。

変わらない人なんていないのだろうが,そう思える。

だとしたら,僕の感じる嫌悪感の正体はアウトプット方法にあるのだろう。

情報を噛み砕いて,飲み込んで,消化する。そして何らかの形で放出する(あるいは排泄する)。

この一連の作業必要ものは枠組みだろう。フレームワークなしで人間論理だった話をすることはできない(もっと言えば論理的思考も)。

いわゆるインフルエンサーは,旧来のフレームワークを貶しながら「新た」な,「多様性」の名の下に画一的フレームワーク提供する。

ただ,そのフレームワーク問題なのだ

以下は宇野常寛氏のインタビュー引用


では、そのグローバルな新しい世界を受け入れたビジネス書に何が書かれているかというと、究極的には自己啓発的に「がんばれ」としか言っていない。

しかし、現在東京は、シリコンバレーでも深圳でもない、世界の中で2周遅れた街になっています

東京にはグローバルな情報産業プレーヤーとして誇りを持てる環境は全くなくて、そこで生まれ言葉は非常に貧しい。

もちろん、東京にもポジティブにもがいている個人はたくさんいますけど。やはりこの現状では「がんばれ」くらいしか言うことがないのだと思うんです。

https://www.asahi.com/and\_M/articles/SDI2018071041031.html])




ビジネス批判なのだが,いわゆるインフルエンサー発言もこれに近いものだと思う。

絶望的な現状を(現在の枠組みを)冷笑的に貶め,インターネットSNSテクノロジーが新しい生き方を生み出す!と声高々に宣言する。

ではどうしたらいいのか?がんばれ。動け。ポエムを大さじ2杯ほど。

結局のところ,枠組み「っぽいもの」以上が与えられないままアウトプットフェーズにたどり着いてしまう。

インフルエンサーの人びとは「がんばって 」それなりの成功を納めたかインフルエンサーたり得るんだろう。

ただ,彼らの何百倍もの人びとが同じように失敗し続けている。

結局のところ,誰も何も分かりはしないんだろう。

芦田愛菜以外のすべての人間人生1周目なんだから当然だ。

僕はウィナー・テイク・オールでばらまかれ続ける虚無を嫌悪し続ける。そして、僕の好きな人びとに薄っぺら言葉を吐かせたことを悲しく思う。

僕の友人たちは成功するかもしれない。

あるいは失敗するかもしれない。

ただ,彼らが成功者として虚無の枠組みを提供し始めたとしたら僕はとても悲しい。今はそう思う。

2018-07-12

おじさんは本当に「ゲイに好かれたらキモい」と言ったのか

私たちはどうつながっていけばいいのか<広く弱くつながって生きる>佐々木俊尚/小野美由紀 - 幻冬舎plus

佐々木 それはね、ポリティカル・コレクトネス議論ってすごくあるんだけど、たとえばLGBT、たとえばゲイを「気持ち悪い」と内心で思ってしま自由はあるのです。。ただ、それを口に出すのはまた別。ただし内面にあるその気持ち悪いと思う気持ちは許容する。そしてゲイの人がいることは絶対否定しない。そこの両立をさせることがたぶん一番大事で、そこで無理矢理、いやいや、ゲイ気持ち悪くないだろ。ちゃん理解しろよというのはやりすぎだよねというね。マイノリティに対する違和感というのはみんな持っているわけです。その違和感をなかったことにするのも、それはそれで人間本質的には無理があるかなという、そういう話ですよね。


最前列にいたお客さん ゲイなんか普通人間関係だったらつき合えるけど、俺に恋愛感情を抱かれたら、気持ち悪いってことですよね。


佐々木 まあ、そうでしょうね。それは個人自由。ただ、それを口に出すのは良くないということと、そういう気持ちがあることを逆に否定するのも良くないというね。そういうことだと思います

かにゲイにいい印象はもっていないのかもしれませんが、発言のものは単に佐々木氏の言ってることを確認してるだけでしょう。

ゲイ気持ち悪いと思ってしま理由は、俺に恋愛感情を抱かれたらと考えてしまうからですよね」と。

この場合の「俺」というのはおじさん本人ではなく、たとえ話に出てきた「ゲイ気持ち悪いと思ってしまう人」を指しているので、このおじさんが自意識過剰というわけでもありません。


そしてこれが「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話(小野 美由紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)では、

ゲイがいるのは勝手だけど、俺のことを好きになられたら気持ち悪いって話だよ」

目の前の初老男性がそう叫んだのは、佐々木俊尚さんとの八重洲ブックセンターでのトークイベント終了2分前、話題が「多様性」に及んだ時のことだった。

こうなっています

小野氏にキレられたおじさんがポカンとするのも当然な気がします。

2016-05-29

東京駅八重洲口の八重洲ブックセンター周辺に

ここ数年出没してる寸借詐欺野郎がいる。

50代かそこらの歯が溶けてる見るから胡散臭いオッサンなんだが、

馴れ馴れしく道聞く体で話しかけて、裏通りの方に連れて行こうとする。

で、案内がてら適当に話しかけてきて、最後には「金貸してくれよ」と言い出す。

はっきり言って詐欺師としてもザコらしく断れば終わる話ではあるのだが、

頭が悪くて相手の顔を記憶していないらしくて、何度も声をかけられた。

気分わりい。

2014-10-13

代官山蔦屋こそモデルケース

https://note.mu/hyamaguchi/n/n22cc66180983

ブコメにも少し書いたが、代官山蔦屋の何がそんなに悪いのか。


先日代官山蔦屋の隣を歩いた時、外国人女子二人が写真を撮り合っていた。

確かに過剰にオシャレだ。

あの『T』のモノグラムでできた外壁なんて最初見た時は掃除大変そう!と思った。

凹凸の多い壁は雨風ですぐ黒ずんじゃうからね。

どこに何があるのかも初見ではわかりづらい。八重洲ブックセンター新宿紀伊國屋に慣れてしまうとそうだろう。


でも僕は、あのお店は、「小売」という商売形態の今あるべき姿だと思う。

洋服にせよ家電製品にせよ本にせよ、正直実店舗なんか必要ない時代だ。

ZOZOTOWNヨドバシ・ドット・コムAmazonでなんでも買える。

それどころか洋服や本なんてその必要性さえ疑わしい。


店舗なんて必要ない。

店舗雇用を産み、交流を促し、ブランド価値を高める、そういう店でないと構える必要がない。

ではこれから若い世代を中心に人が集まる店を作っていこうと思うと、どういう店を作るべきか。

ロケーション価値のある店』だ。


車が売れない、服が売れない、CDが売れないという意見はよく聞くが、今20歳くらいの若者に何に興味があるか聞いてみたことはあるだろうか。

彼ら彼女達が一番興味あることは『自分撮り』だ。

TwitterFacebookインスタグラム自己を顕示することに一番興味がある。

ディズニーランドは内容もさることながらロケーション価値がある。

訪れる人はみな一様に写真を撮り、webにUPし「イイね!」を貰う。

いかにオシャレに映るか。いかに可愛く映るか。いかにイイねを沢山貰うか。

イイねを沢山もらえる服や、化粧品カメラに興味があるのだ。

英語マスト?違う。写真こそが世界共通言語だ。価値観微妙な差こそあれど、写真は一番簡単に世界中で通じる言語になった。

誰よりもいい写真を撮って注目を集めたいのだ。


小売を生業にする者達は、これからどんどん店舗運営は厳しい時代になるだろう。

店舗を作る際はよく考えなければならない。

少なくとも僕は代官山本屋を作る時に、八重洲ブックセンター新宿紀伊國屋のようなお店を作ってはいけないと思う。


余談だが代官山蔦屋代官山蔦屋しかもらえない特別なオシャレTカードが貰えるんだぜ。

俺はCCCが大嫌いなのにこんなに擁護してしまったよ。

2009-07-16

買う本がない

買いたい、読みたいという本がなくなってしまった。

八重洲ブックセンターにいたら昔はいくらでも時間が潰せたのだが。

学生時代から本を買いすぎていたのだが、親が死んだり会社を辞めてフリーランス請負派遣

貧乏になってきたので自分にぎりぎり理解できるレベルの本だけを買うように心がけていたら

そのうち本屋図書館で見る本が

・買う価値のないごみ(業績のない学者による新書など)

・うちにあるから買わないでいいよ、な本(大体同じことが書いてある本を含む)

自分には無縁な本(レベルが高すぎる、専門家しか必要としない細かい情報を含むなど)

・実用的に意味のある本(だがもうほとんどない)

ポルノを含む純然たる娯楽

の5種類に分類されるようになり、ちょうどその頃見合いした相手と1年半後に結婚した。

不思議なのはかつて山ほど買っては職場を去るときに寄贈したりもした

「実用書」という分類に属する本がこの数年で極端に縮小したことだ。

たぶん仕事(IT系、非プログラマ)で新しい知識を求められることがなくなったせい。

そして背伸びをやめたので無縁な本が増えた。

最近は最後の分類に属するものを見ては、うーん、ブックオフでなんとかしようか、

でも衝動的に欲しいなあ、とか逡巡するようになった。

性欲が亢進するときは、お守りがわりにお気に入りエロ小説を持ち歩いている。

どうせ中身は同じだから、と買いたがる自分を止めるためだ。

亡母や弟と違って小説好きでないのが幸いした。最後に買ったのは

川端の『掌の小説』か、買いなおしとわかっていた『ジャッカルの日』か。

家内にしてみれば私はまだ本を買いすぎると思うけど。

最近趣味で学術論文を読んでいる(学問トレーニングを受けていないので

あくまで趣味の範囲)。IT 系なので IEEE Computer Society に

まずは入ってすぐ辞めて、ACM Professional Membership で

Knuth の昔の投書とか、入手して読んだ。そのうち Google Scholar

ネットサーフィンをしては、arXiv や著者本人の公開している

プレプリントをこっそり会社プリントアウトしては読むという悪癖に染まった。

英語力はないので論文は眺めても洋書はきつい。とりあえず 200 ページ以上ある

本は買わない、ということにしたら、以後増えなくなった。基本的には Dover

ACM の会員資格最近あんまり使ってないけどお布施的に更新している。

MSDN とか OTN とか RHN に個人でお金を払うことを考えたらぜんぜんお得だと

思うことにしているが、あまり役に立ってない。来年はやめるかも。

それでも読めないものがあるので、ScienceDirect とか JSTOR にアクセスするために

国立国会図書館新館地下まで足を運ぶ稀な機会を心待ちにするようになった。

そんな日々に NK-EXA の安藤さんのこの記事をみてちょっと心穏やかでない。

http://www.atmarkit.co.jp/fjava/column/andoh/andoh47.html

同じことをする人が増えるとなにか自分不利益を受けそうな気がするのだ。

何がいいたいのか自分でもよくわからない。たぶん、くだらない本を思い切り

買えないことが少し寂しいのだと思う。

2009-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20090608122256

バカだな。

コンビニ八重洲ブックセンター紀伊国屋で、お前程度の人間の目にとまるような啓発本は、

正にお前レベル人間対象に掛かれてんだよ。

1000万目指せって、お前に言ってんだよ。

だがカンチガイするな。出版している側に誰も、お前がそうなれるだなんて思っちゃいない。

この惑星には重力存在する。

間違ってお前がその雑誌を手にし、内容に心酔してしまい、

実践開始したとしても、たどり着くのは精々プラス5%のベースアップがマックスだ。

aim highだがターゲットには辿りつけないんだ。

あれはそういう類のものなんだ。それに気付けないからお前はそこにいるんだ。

2008-12-05

 最近やけに盛り上がっている東浩紀批判では、「歴史については実証的に捉えるべきだ」「歴史を“実感”で語るな」という方向性をよく見る。もちろんそれはそうだろう。

 でも、実証するなら、もう一つ方向性があるよね。そもそも東の論では歴史をあんまり知らない大衆というのが視点の核になっているんだから、「歴史に接する可能性のある大衆について実証的に捉えるべきだ」という方向もある。

 何で実証するかというと、大きな本屋Amazonなんかが公表しているベストセラーリストだ。リストの上位50冊くらいの中で歴史を取り扱っている本はあるか、あるとすればそれはどんな内容か、というのを追っていけば、大衆歴史観を知るだいたいの目安にはなるだろう。傍証として、テレビ視聴率番付DVDの売上ランキング(またはツタヤの貸出ランキング)から「歴史モノ」をピックアップしていくのもいい。

 もうちょっとテクストクリティーク(笑)的方向を加味するのであれば、上位10冊の中に“歴史”チックなモチーフは含まれているか、もし含まれていればそれはどのようなものか、といったあたりを探るのもいいだろう。大衆への影響力を強く持っていそうな“歴史イメージはどんなものか、何となく手がかりになるかもしれない。

「正しい歴史とは何ぞや」にこだわる人にとって、こういった統計ランキングは何の「実証」にもならないだろう。

 しかし、「大衆に広く受容されている“歴史”はどんなものか」という観点から見れば、こういうデータも立派に役に立つ。

 東が言っていたのは、こういう方向性の話だと俺は思っているんだけどね。

2008-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20081007142938

「全品大増刷!」

なんて書いて、あちこちにベタベタ張ってある本屋なんてあるの? 見たことないんだが…。

ちなみに自分がよく行くのは八重洲ブックセンター

回転しない寿司屋って言わないと。

っていう意味もよく分からない。一体何が言いたい?

蛇足なんだが、

なんで自分が(というより広告が、か)そんなにバカにされなきゃならないのかが分からない。

増田ブックオフが最高で、広告が貼ってあるような本屋はサイテーとでも思っているってこと?

広告なんて営業努力なんだから、暖かくスルーしてあげればいいと思うんだけど…。

2008-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20080922211853

議論が錯綜しがちのようだから、書店書籍を整理しておく

書店の整理
書籍の整理

2008-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20080811220517

追記したけど丸善もね。

店舗数というより、置いてある本のジャンル数と品数で判断すると思う。

誰が読むんだよって感じのマニアックな本が多くの分野にわたって置いてあるような本屋のこと。

なぜなら(店舗数や面積が多くても)体力の無い本屋はそういう売れない本を置く余裕が無いからね。

そういう意味では八重洲ブックセンターとかもでかいと思うけど、本店以外はしょぼいかも。

ジュンク紀伊国屋丸善東京にはいっぱいあるよ。無駄八重洲丸の内に1店舗ずつあったりする。

 
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