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2024-11-16

生成AIに反対される人の気持ち想像してみる

自分エンジニアなのでなるべく芸術寄りの人の気持ち想像して、彼らの苦しみを理解したい。

自分の絵がパクられるのは辛い

 ・これに関しては正直申し訳ない、というしかない。大抵のイラストレーターあなたが長い時間かけて積み上げてきた技術を真似できないもんな。でも技術を使えば一瞬であなたの絵を模倣できるから法で守れない以上ごめん意外の言葉がない。

・生成AI禁止したい

 ・気持ちはわかる、でもそれは難しいんだ。生成AIが生まれる前から音楽世界ではパクリかどうかって議論日常的に起きてたし、結局いい音楽は残ったしそうじゃない音楽は残らなかった。コード進行模倣するのはいけない、という議論馬鹿げているように、単なる色彩コードの羅列であるイラスト模倣を禁じる正当性説明できる人は誰もいないんだ。

・じゃあイラストレーター仕事を失ってしまうじゃないか

 ・生成AI以上の価値を生めないイラストレーターはそうなるだろうね。そもそも仕事というのは誰かに価値提供して、その価値が認められてはじめて対価をいただけるものだ。価値のないものお金を払う人はいない。労働舐めるな。

自動運転実用化されればタクシードライバー仕事はなくなるし、会計ソフト進化すれば会計士の仕事はなくなる。産業として当たり前の話だ。だってこの国は資本主義なのだから

じゃあタクシードライバー会計士も不要になるのか?私は、形を変えてそれらの仕事は生き続けると思ってる。

例えば交通ルールが変わればそれを理解して自動運転技術を発展させる人は必要だし、税制が変わるたびに会計ソフト修正に尽力する人も必要だ。

イラストレーター産業世界では不要になってくるかもしれない。でも、芸術世界ではクラシック演奏家が残っているように、自ら価値を生み出すイラストレーター需要ももしかしたら今よりも高まるかもしれない。もしかしたら、絵を描くことでお金を稼げなくなっても、コンセプトの立案とか、そういった形での需要が生まれるかもしれない。

あなたたちがやるべきことは生成AI否定することでも、それを禁じることでもない。人間が絵を描くことの、それ以上の価値は何か考え、生み出すことだ。

誰かの真似をするな、自ら生み出せ。芸術世界あなたを待っている。

2024-10-21

anond:20241021004208

音楽は、サンプラーとかリズムマシンが出たときにひととおり演奏家仕事が奪われる論争をやりつくしたからなあ。現在進行形仮歌シンガー仕事は奪われつつあるけど、そういうもんだという諦観がある。

絵に関して仕事が奪われるのは歴史的写真の登場くらいか漫画の背景を写真から加工して生成とか、ゲームエンジンで生成とかあるけど、キャラ絵がおびやかされるのは初めてかも。

「師」は、イラストレーターとかミキシングエンジニアとかはそれで飯を食ってるプロを指す言葉なので、ネット活動する自分たちはそこまでじゃないっすというかプロを目指してるわけでもないし、みたいな区別するための言葉だったと思う。

師が嫌ならインターネットお絵描きマンでいいと思うけどね。

anond:20241021004208

絵師という言葉最近できた言葉ではなく律令制にもある外来語が入ってくるまで使われた伝統的な言葉1990年代から再度使われ始めただけ

そんな事より絵をかくことと音楽を作る事を同列に考えた場合作曲家が考えた音楽楽譜をとおして一般演奏家演奏するというのは紀元前より行われていた

しかし描かれた絵を再現する方法というのは生成AIが出てくるまでなかったのだ

生成AI音楽でいう所の楽譜である

音楽では作曲家演奏家が別の能力であり演奏できるからといって作曲できる訳ではなく、多くの人が作曲家が作った曲を楽譜をよんで演奏しているだけである

絵は絵師が描いた絵を模倣するための中間言語存在せず演奏家にあたる人がいなかったのだが生成AI中間言語の役目を果たしプロンプトエンジニア演奏家の役目となったのだ

anond:20241021004208

音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。

生成AI学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。

ここが問題なんだよ

AI絵師様はどうやって循環に戻すんだ?

AI出力をまたAI収集させんのか?

新しい風潮は誰が作るんだ?

仮に新しいものが生まれたとして、その個の認知AI消費に勝てるのか?

音楽はさ、AIで出力してハイ公開なんてやらんべ?

特定クリエイターの曲が聞きたきゃそこで聴くんだよ

AIで似たものを出力する互換品は、互換品でしかないべよ

逆に言えば、ごの互換品が本家を食う勢いで認知され、著作権?何それおいしの?とばかりに広まれば、集まって「No more 生成AI」ってやるよ、賭けてもい

音と違って絵は分かり易い

鳥山絵、手塚絵、ディズニー絵、ジブリ絵、その他諸々

石恵くらいのところならAIで出力して認知度を利用してやれとやれる

音楽ではそういうのが居ても肯定的に受け入れられている」という実績あるんか?

聞けば〇〇と分かる音楽を、その認知度を利用するためにAIで出力され、著作権関係リマセーンみたいな奴

JASRACに甘え過ぎなんだよ


今、音楽本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIときには脅かされない実力がある。

失笑

誰もそんなとこは問題にしてねぇんだよ

音楽だって「個」の認知必要だろうがよ

それを掻っ攫う事への反発だよ

MOD界隈とかのその循環()とやらに関係ない所が蠢動してるが

あぁいうの笑って「循環循環♪」と言える界隈ならJASRACなんぞ存在しねぇんだよ

マヌケ

追記あり日本絵師界隈が、反AI因習村と化した理由についての一考察

10/22追記

深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。

コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。

絵師界隈にもプレイヤーはきちんと多数存在していて、それはいわゆる多くの「二次創作をメインに活動する者」なのではないか
にもかかわらず、「二次創作をメインに活動する者」は、自身を「プレイヤー」ではなく「クリエイター」だと勘違いしているから、絵師界隈の創作の循環は停滞し、変なことになってしまっているのでは?

現行法合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)


声優はどうなの? について

彼らの職業は、対脚本家演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。

そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論余地はないのでは。

■ 「絵師」だけじゃなくて、「猟師」とかもあるやん? について

自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。

追記終わり


本編


最近日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。

それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。

因習村呼ばわりも、宜なるかな・・・・・・。

もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。

このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。


さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。

から、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。

ただ、不思議な点があったので、分析しようと思った。


生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。

他の分野でも生成AI進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。

実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較自然に受け入れられている。

同じクリエーターなのに、なぜ、こうもスタンスが異なるのか?


私は、三つの理由があると考えた。


-「創作の循環」の認識の違い

音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。

生成AI学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。

しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。

全ての創作は己の独力によるものだと勘違いしてしまう。


-「才能と作品」の認識の違い

西洋芸術は、音楽絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。

信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユース思想として残っている。

対して、日本には、そのような一神教概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。

更に、音楽理論そのものが、西洋ルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。

一方で、日本絵師界隈は、ガラパゴス状態進化しているため、「自分ゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品自己表現」という認知になりやすいのではないか


-クリエイターレベルの違い

今、音楽本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIときには脅かされない実力がある。

そうでないクリエイターは、純粋趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。

一方、イラスト本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIとき簡単に脅かされてしまう。

リアル生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。

参入障壁の低さと、00年代から需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間プロとさせてしまったのかもしれない。

さながら、チューリップ・バブルだ。


以下、それぞれ、補足。


創作の循環」の認識の違い

音楽界隈においては知覚しやすい「創作の循環」

音楽界隈では、古くからクリエイタープレイヤーリスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。

例えば、クラシックプレイヤー過去の偉大なクリエイター作品演奏し続けたり、ジャズヒップホップにおいて、サンプリングリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存作品表現再利用する文化根付いているかである

表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。

これは、DTM世界も同じで、音源サンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源手法を追加しただけという感覚が強い。

技術的な進化日常的に行われており、特定の著名なプレイヤー演奏サンプリングして音源化することも一般的である

これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。

また、音楽界隈において、多くの場合クリエイタープレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。

ただ純粋聴くだけの音楽愛好家は存在するのだろうか?

音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか

クリエイタープレイヤーリスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。

AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。

私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作可能性として受け入れている。

音楽分野では、クリエイタープレイヤーリスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。


絵師界隈においては知覚しづらい「創作の循環」

一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。

クリエイターリスナー立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。

その結果、生成AIは「自分領域侵害する存在」として映ることが多い。

絵師界隈において、絵師は、自分作品について、「自分ゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人作品に手を加えたり、既存表現再利用することに対しては、現行法問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。



「才能と作品」の認識の違い:

西洋における芸術史とフェアユース

絵画音楽を問わず西洋における芸術歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。

パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術研鑽を重ねた。

結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。

芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋芸術特に歴史的な音楽絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。

元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。

この背景が、西洋フェアユース概念が広く受け入れられている一因のように思う。

才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。

任天堂とパルワールド訴訟問題における、日本欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。

この点、日本絵師界隈にとって、才能は「自分努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。

創作の循環」という巨大なうねりに触れる機会もないもんね。

その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AI個人努力創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。



まとめ::生成AI技術未来資本主義への影響

このまま日本絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIアンタッチャブルとなり、なんらの議論進歩も遂げなくなるだろう。

最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義論理に飲み込まれ可能性が高いと感じる。

外国大企業規約契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術データを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来

絵師界隈の過激活動により、日本企業にとって生成AI技術のものアンタッチャブルとなったので、日本企業呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。

そういう世界に誰がした?

もちろん、これは資本主義の一環であり、技術進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。

私自身はそのような未来諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。

技術は常に進化し、その中でクリエイティブ表現方法もまた変わっていくものだ。

しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?

AIをただ拒否するのではなく、技術と共にクリエイティブ可能性を探求する道もあるのではないかと思うが、彼らはその選択肢考慮しているのだろうか? 

AIは決してクリエイター創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。

これからクリエイティブ世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。

クリエイターは、絵師だけではない。



余談:呼称問題

「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。

私としては、生成AIを用いて絵を出力する者は、「プロンプト・エンジニア」がより正確な呼称だと考える。

望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単技術ではない。

命令文の模索や、好みのモデル階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識必要だ。

現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。

もちろん、これらはローカルGoogle Colaboratory等に環境を構築している者に限って、の話である

「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。

企業最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般消費者、それ以上でも以下でもないのでは。

消費者イラスト生成AI恩恵にあずかれるようになっただけ。


そんなことより、絵師界隈の人たちは、自分自分のことを「絵師」って呼んで、恥ずかしくないの?

絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。

「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。

敬称なので、自分自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。

絵師になりたいです!!!」なんて、とんでもない。

一体全体いつから自分自分のことを「師」」と自称するような、恥ずかしい使われ方をされるようになったんだろう?

ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。



2024-05-30

anond:20240530140820

演奏家楽団名前演目名前出さずに「クラシック」とかいうとこがすでに嘘くさい

わかる人にわかればいいんだから書けばいいじゃん

N響とか東フィルの会員になってて定期演奏会に通ってるとかいう話だったら「東京すごいなー」って思うけど、

たまに有名どころの海外楽団来日したの見に行くぐらいだったら地方民も普通に上京するし、なんなら地方公演だってある

2024-05-02

anond:20240502124023

田舎だけど、子ども同級生に親が作家大学教授はいたな。あと叔父さんが世界活躍する演奏家とか。

なんか特別授業でその教授さんがプログラミング教えてくれてた。

まあうちはただの農家なのだけれども。

2024-04-20

サントリー不買しない人ってどういう属性


軽く遡るだけでもこれだけの悪行を働いているクソ企業なんだけど、こんかい西村博之を起用したことで、さらに以下の属性が追加されたよね。



サントリー我が国にふさわしくない売国企業であり、さらには児童ポルノ陰謀論に対しても肯定的姿勢を取る世界的にもクズゴミで滅ぼすべき企業だという自己紹介。ここの商品を購入するということは以上に挙げた姿勢肯定的に捉える売国奴

ついでに言えばサントリー芸術文化事業に乗り出しているのは衆知の通り。国民からアルコールを利用して大金を巻き上げ、サントリーホールを建てたりサマーフェスティバルと称して演奏会などを企画している。

このような演奏会ホールを利用している芸術関係者は深く恥ずべきだし、当然この企業依存しない体制模索すべきである

それをせずに演奏会に足を運んだりホール演奏している楽団演奏家、作曲家、すべて売国奴である

少なくとも、この界隈が健全であれば来週以降のスケジュールはすべて空白となるはずだ。そうならないなら、特にクラシック音楽でメシを食ってる関係者は自浄作用のないゴミクズ売国奴だと自己紹介をし続けることになるだろう。

国民はもちろんこのような存在絶対に赦してはならない。

2024-04-17

anond:20240416191728

めちゃわかる。

自分は4浪して東京藝大入って、絵の先生とかもやった(大学入試共通テスト/センター試験を5回受けたので、ガチの4浪)。

「絵が上手いですね」って言われることもあるし、「どうやって上手くなったんですか?」「生まれた時から才能ある人は違いますね」とか色々言われてきたけど、絵のうまさについて言及されるときに、まず最初に言うことがある。

楽器運動と同じで、小学校に通うくらいの年月、朝から晩まで毎日ひたすら鍛錬しました」「4浪してる間、受験サポートしてくれた両親に感謝しています

相手子供だろうが、必ず「鍛錬」とかそれに類するワードを使う。「絵を描いてた」だと趣味的なイメージしかできない人がいて、「努力していた」のが伝わらないから。

仲が良かった後輩が先に藝大に受かってしまった日に、死ぬほど悔しくてそれまで描いたデッサンを全て破り捨てた日の話とかもする。

「ずるい」って言うタイプの人は、そこで「鍛錬…!?才能じゃないの…?」って思うのか、単に青春を鍛錬に捧げた狂人が目の前にいると思うのか黙る。

子供美大志望の親御さんは、才能が不要であることに安堵したり、逆に覚悟が決まるっぽい(流石に少子化のこのご時世に4浪は稀だとも伝えるよ)。

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思えば、音楽や体育の授業と違って、小中学校では具体的な技術を教えるわけでもなく、なんとなく巨匠の絵にふれつつ「のびのび絵を描こう」みたいな雰囲気に終始する。

そのせいなのか、美術だけは「生まれ持った才能」みたいな神話があるのかな、と漠然と思うことがある。

スポーツ選手演奏家みたいに日々の鍛錬が肝要だし、めちゃくちゃ上手くなるためには血の滲む努力必要なのは一緒なんだけどね。


あ、蛇足だけど、絵を教えてたこともあって非常に稀に「才能がある」子にもたまに遭遇します。

ただ、そういう子は、とてもピンポイントで使いどころが限定的なPERKを、生来のものとして持ってるってイメージ。例えば「目の前のものの色だけは、正確に捉えられる」とか「目の前のもの輪郭だけは、画面上に正確にコピーできる」とか。

結局そういう「絵の才能がある」子たちだって、他の要素はまるっきり素人なので、絵が上手くなるためには鍛錬が必要なんだよね〜。

ゲームと同じで、漠然と「なんかすごくつよい」みたいなPERKがないのと一緒。「絵が上手い」みたいなPERKは存在しない。

自分は生まれる時に、絵に関連するPERKを一つも選択しなかったらしく、ひたすら努力で全てをカバーした)

ともあれ、両親には今も本当に感謝してるし、当時頑張った自分にも感謝してる。あそこで努力を怠って合格しなかったら、全然違う人生歩んでただろうな。今はあんなに努力できないや。

2024-03-26

anond:20240326223248

アラフォーだが?

それ真に受けてるやついるのか

それは認知心理学的なトリックにすぎん

ゲーム自体がやればやるほどクソで有害心理的負荷を与えてくるから、何度も繰り返し聞く比較的無害な音楽の方に好意を寄せてしまうだけ

単純接触効果ストックホルム症候群の合せ技みたいなもんだ

音楽自体はただメロディラインキャッチーで耳に残りやすものから「良い」と思えてしまうだけで

そうやってクソゲー補正選抜された「良」曲に、例えば何周年記念だかとしてオーケストラ編成にして大々的に演じ上げ語り継いでいくほどの価値のある名楽譜存在しない

作曲や録音ってのは結局、才能や名声ある作曲家と演奏家に金かけて作らせたもんの方がクオリティ高くなることはどうしようもない事実

同人ギャルゲーみたいな泣きゲーの決定的シーンで使われた曲は素人DTMでもそれなりに印象的に聞こえるみたいな心理的補正もあるし

そういうもの楽曲それ自体音楽クオリティというのは切り分けて考えなきゃいけない

作曲演奏ちゃん学問としてある専門分野なんだよ

良しあしを語るならそれに準じなきゃいけない

2024-03-24

anond:20240322185217

演奏家が参加してくれば変わるかも? かも?

2024-02-07

anond:20240207124357

増田見解は納得するものがあるなあ。

野太い男声率がやたら高いし、超実力者でも最近テレビでの露出が少ないような、いわゆる玄人好みの演奏家コンサートではほとんど見かけないよね。特にソロリサイタルでは自分経験上は皆無。スタオベは見かけるけど。

折角のいい演奏なんだから最後の余韻までしっかり聴けばいいのになー

2024-01-02

anond:20240101105256

クラシック音楽の人も愚痴ってたのを随分と前にエッセイで読んだことがある。

今の観衆はCDクオリティ音楽を求めてやってくるから大変だ、と。

室内音楽とかあるでしょ?

オーケストラみたいな大編成じゃなくて少人数で行われる演奏のやつね。

そういう場所普通にバイオリンやら何やらを演奏すると、みんな音が小さい、って感じるらしい。

普段CDで音を聞いててその音圧が当たり前だと思ってるから

から普通に演奏するとみんな不満顔になる。

となると演奏家は求めに応じて、本来演奏よりも遥かに大きな音を出さなければいけなくなる。

これがものすごく体力的にも身体的にも大変だ、みたいな話。

2023-09-09

anond:20220712015958

素晴らしい文章を読ませて頂きました。

ありがとうございます

私は数日前にYouTube吉村妃鞠の存在を知り、

さらにその関連動画から村田夏帆を知りました。

二人の天才少女演奏に驚く日々です。

取り寄せた『音楽の友』2020年5月号に「ザ・ライジングスター-ヴァイオリンの新星たち」として

村田夏帆の紹介記事があり、「音を聴いたら私だとわかるような演奏家になりたい」

との本人談がありました。

ピエールアモイヤルからの感動的な賛辞は、彼女にしっかり届いているようです。

(もうそういう演奏家になっている気もしますが。)

2023-07-23

anond:20230723112239

写真が出てきた時の写実系画家や、レコードが出てきた時の演奏家も、同じ目に合ってるんだよな。

それでも今でも風景画嗜む人も、楽器嗜む人もいる。自分がやりたいからやる。たまにスキルを見せてちょっと自尊心満たす、じゃだめなのだろうか。

2023-06-27

anond:20230626204332

歌のメロディ楽器メロディが同時進行していて、しか調和して聞こえる歌ですね?

この二つ以上のメロディ調和しながら同時進行していくのは対位法と呼ばれる作曲技法で、器楽曲では結構あります

コード進行ポップス引用されまくっていることで有名な、パッヘルベルカノンはその典型的な例です。

カノンとは輪唱という意味で、いわば「カエルの歌」と同じ形式になっています

1番2番3番のパートは2小節遅れて1番と同じメロディを弾いていくのですが、これらが最初から最後まですべて綺麗に重なるように作られています

他の人も上げていましたが、バッハ対位法的な作品を残しています

演奏家としては、グレン・グールドというピアニスト対位法固執して天才的な演奏をしていたことが有名です。

クラシックじゃなく、インストバンド電子音楽でもそういう曲はたまにあります

Kettel - pinch of peerはピアノリフとシンセメロディが折り重なっていく曲ですし、DCPRG - MIRROR BALLSはギターが弾く2つ目のリフに重なりながらメインテーマに戻る曲です。

歌曲、とくにポップス系では割合としてはそこまで多くはありません。理由はおそらく、別メロに持ってかれて本来のメロを歌うのが難しくなるからだと思います

同時進行というより、歌が休符やロングトーンしてる隙間を埋めるように動くというやり方が一般的です。

しかそもそも楽曲数が多いので結構見つかります。ただし、器楽曲のような緻密な計算というよりは、どちらかというと感覚ゴリ押しメロディを重ねていそうな雰囲気です。

ちなみに、恋愛サーキュレーションブラスリフで使われているペントニックスケールという音階は、雑に弾き散らしても曲中にあんまり違和感をもたらさないため、歌に被せるときに使いやすいという特徴があります(個人の感想)。

サビの歌にブラスリフが重なる曲

Stevie Wonder - Sir Duke(邦題:愛するデューク) https://www.youtube.com/watch?v=ETFvmkIA6S4

UA - 情熱 https://www.youtube.com/watch?v=R53CceEY77Y

椎名林檎 - 長く短い祭 https://www.youtube.com/watch?v=3LVAmMxICoA

宇多田ヒカル - あなた https://www.youtube.com/watch?v=A_5wTaQKK6c

サビの歌裏でシンセギター別メロを弾いてる曲

POLYSICSBaby BIAS』 https://www.youtube.com/watch?v=Nj0B5fwz4Yk

Neko Hacker - From Zero feat. 利香 https://www.youtube.com/watch?v=GoLyPUxbUC0

錠剤 / TOOBOE https://www.youtube.com/watch?v=xIKW3NKYBWw

イントロシンセリフが歌ウラで流れまくる曲

Yunomi & TORIENA - 惑星ラビット https://www.youtube.com/watch?v=LFYs1iL9iHY

シンセリフとカットアップボーカルメロディ最後のサビで重なる曲

t+pazolite - Marble https://www.youtube.com/watch?v=j0G7OV2WS0Q

貼り付けられるURL数に制限があるため削りましたが、昔から今までわりとあります

2023-06-13

anond:20230613215608

ジャズ自由度が高いし即興性が求められるからセンスが問われる。

クラシックピアノ指揮者以外は「主役」になりにくい。

天才演奏家を書きたいならクラシックよりジャズの方がやりやすい。

2023-06-09

オーケストラ指揮者って存在しなくてもいい程度の存在で、オケを集めて、箱借りるまでが仕事だよね?

なんでみんな目ひん剥いたり、目つむったり、髪ぼさぼさだったりして奇人芸術家気どりしてるの?

いや君、ピアノすら弾けないやんw

しかも音すら鳴らしてないしメトロノームでもできる仕事じゃんw

なんで演奏家がまともそうな見た目で指揮者だけ芸術家を気取った見た目したがるんだろう

2023-05-11

anond:20230511153921

演奏家の好みでもあるし、聴衆の好みでもある。

だけどさ、もし大勢の聴衆が この人の演奏方法めっちゃ好み って言いだしたら、

それはもう、好みの次元を超えて、名演奏と呼ぶにふさわしくなるんじゃない?

というか、大勢の聴衆がこの演奏家は素晴らしい演奏をするって感動してくれるから

演奏家に成れるんだと思う。

anond:20230511153252

音の強弱のつけ方やテンポ微妙に異なるらしいよ。

作品解釈し、工夫を凝らすことで、譜面にはない豊かな情景を描くのが上手い演奏家なのだ。らしい。

演奏の良し悪し

演奏の良し悪しがわかんない

演奏家と普通演奏家の違いってなんだ

テクニックとかミスしないかはわかるけど、ある一定レベル以上はたいして変わらんだろ

なのにいい演奏と悪い演奏ってなんなんだよ

そもそも譜面どおりにやればええんちゃうの?

好みか好みじゃないかってことか?

わかんねー

2023-04-12

anond:20230412103150

楽器演奏家も初めはコンピューター音楽をひどく叩いてたんよな

一般人からすると、ある種の楽器が増えただけなのにね

2023-04-11

ピアノって富裕層子女教養の一つだったり有閑マダムの手慰みだったりがメインで、有名になって演奏家としてのし上がって行ってやるぞなんてのは逆に白い目で見られるレアケースかと思っていたけど

金にならない技術だってのは大学に入る前くらいには分かってる話ではないのだろうか。

2023-04-03

anond:20230402141536

上に行けば行くほど上を知るからというのはあると思う。ただ本当に嫌いって思いを抱くに至る人は激レアじゃないかなあ。

並の音大出だとそもそもプロ演奏家としてやっていけるようになるのはほぼ無理だし(てかそもそも純粋演奏のギャラだけで生きてるような奴は日本全体でごく僅かではあるが)。

プロ演奏家つっても基本オケの一員であってソロプレーヤーにはなれないし。

大半の人は音大進学時点でだいたいわかってるけどさ。

から色々理由をつけて「ちょっと違う道」で生きていこうとする感じじゃないかね。

2023-03-11

anond:20230310144509

まってまって。著作隣接権演者権利)の存在をまるっと無視してる…!

 

追記:「制定しろ」っていうまえに既存法律を調べろよっていう話だよ

 

「sds-page 著作隣接権について演者権利侵害しているとして争われた判例はありますか? それはコピーされたことが明らかな海賊版対策ではないのですか? 」

判例?いまさら判決まつまでもなくJASRAC管理してる楽曲CD歌手演奏家に入る売り上げがあるもの)は全部そうだよね? 

もちろんデジタルコピーAI学習経由コピーでもコピー元が明らかならば著作権侵害なのでは?

しかもそれ以前に「〇〇風ボイス」でも商標とられてたら即ヤバ案件

 

「ossan31ossan31 声優の声を録音して切り貼りしたら著作隣接権にふれるけど学習して出力したモデル著作隣接権が及ぶの? ラーメンを別の容器に移しかえて販売するのと、味を分析して同じ味のラーメンを作って売るくらい違うよ」

まず味は全然ジャンルが違うが一応いっておくと味自体パテントはとれないが二郎商標とってたら二郎ラーメンで売り出したヤツは一発アウト、二郎商標とってなくても「二郎ラーメン」でうりだして不正競争法アウトの可能性あり、さらに食味に必ず必要な独特の調合や加工をしていたらその技術自体パテントで抑えることはできる(開発した主が発売後1年以内に気づくことが必要ではある)

さて「AI無罪」は通用しないはず、なぜなら学習出力モデル無罪(30条の4)も「成果物思想感情享受できない限り」であってAI著作物には思想感情がすでにある(声優ボイスとおもいこんで鑑賞可能な程度には)から被害が出るからこまるんやろ なら30条の4のAI無罪本来適用されないはずやろ

画像と音声で別の扱いしようってのがおかしいやろ

 

ある法律をキチンとつかえ!!!特に個人事業主

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