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はてなキーワード: ペンとは

2024-07-25

無くして初めて気付くものがある増田の夏なの出す丸吾野目月手目地は手しくな(回文

おはようございます

私たぶんここで256回ぐらい書いてるかも知れない事柄があるんだけど、

仕事事務所で使っているボールポイントペンがなくなっちゃったのよね。

いや値段的には100円とかそのぐらいの値段で

買い直せばすぐにいい話なんだけど執着しているわけでは無いけれどなんか失った物を探したくなるのよね。

そんで私が前いた会社フロアが隣なので、

昨日お手伝いしたときとか電話とったときかに

そこら辺に落ちているのかなー?って思って

昨日の私を振り返ってみたの。

うーん、

行ったところには私のボールポイントペンがある形跡がなく、

これは密室完全犯罪可能性もあるわ。

この密室の中で私の3色ボールポイントを失うのは不可能

そう言えば三食そぼろご飯みたいなお弁当久しく食べていないけれど、

あの黄色玉子ゾーンとそぼろの部分のゾーンと緑のゾーンが色鮮やかなトリコロール文字通り鮮やかなお弁当なのよね。

うそれだけでご馳走!って感じ。

でね、

そのふと食べていたそぼろご飯のお弁当の3色カラートリコロールを見ていたら

ハッとして私のつ買っていた3色ボールポイントペンがなくなったことに気付いたの。

そんなに執着しているわけではないけれど

身近に愛用しているものがなくなったら寂しいじゃない?

失って初めて分かることってあると思うの。

それよそれ。

そんで私はもう1回昨日の私のゴーストデータと戦うべく同じコースを走ってみたの。

でもやっぱり私のお気に入りの3色ボールポイントペンはなかったのよね。

ちなみに

その3色そぼろお弁当を食べるときに箸が無かったからってボールポイントペンを箸代わりにしたわけでは無いか安心してね。

そこまで節操ないことはしないわ。

うーん、

って諦めかけた途端、

私が昨日電話を取ったデスクの机の机上の上のペン立てにご丁寧にも刺さって収納しまわれていたの。

えー!誰かが大事にして収納してくれてたのね!って

涙。

ごめん、

涙拭くね。

そんで私はめでたく見つかったご機嫌な3色ボールポイントペンに再開出来たの!

マルコー!って

ハウス1社提供世界アニメ劇場母をたずねて三千里は見たことないけれど

たぶんそのノリだと思うわ。

今回私はその母の立場的な。

いやーでも見つかってよかったわ。

使ったらしまう!って週間を強化している習慣だったのに。

ついつい電話を取ってメモしてそのまま置いてしまっていたんだわ。

から投げ捨てられてない分よかったわ!って思う分、

もっと私もボールポイントペンに対して大切な思いをこのインクに乗せて、

そんな感じでメモ取っていきたいと思うわ。

今日はそんなボールポイントペンが見つかったと同時に

三食そぼろご飯弁当が美味しかったでもある、

二本立てでお送りしたわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドね。

よくよく考えたらサンドイッチって飲み物と一緒に食べる前提だから若干塩気があんのかしら?

今日は珍しく牛乳で一緒にいただいた朝食は美味しすぎて超ショック!

なんてね。

そんな美味しくいただいたところよ。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラーね。

のこり2ケースつまり48本あるから

また残り減ったら買い足しておかなくちゃね。

シュワシュワの爽快な感じが夏のレモン香りをまたいっそうもり立ててくれるわね。

とにかく暑いから

水分補給はしっかりね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-07-24

anond:20240724134240

それ書けるくらいのやつは書籍化してるんで

シャンフロのサンラク・カッツォ・ペンシルゴンの三馬鹿とかそれだろうけどコミカライズガシガシ進めとるし

anond:20240724103109

ミサト「おめでとう」 アスカ「おめでとう」 レイ「おめでとう」 リツコ「おめでとう」 加持「おめでとう」 ヒカリ「おめでとう」 ケンスケ「めでたいなぁ」 トウジ「おめでとさん」 ペンペン「グワッグワッ」 マコト「おめでとう」 シゲル「おめでとう」 マヤ「おめでとう」 冬月「おめでとう」

ゲンドウ&ユイ「おめでとう」

2024-07-23

ギターって何が弾けたら上手い部類に入るんだろうな…

禁じられた遊びエレキで弾けないので却下

ギター買って初めて引いた曲はDeep PurpleのBurnだった気がするけど、パープルは奥が深いよ…

ジョン・ロード範囲まで弾いて一人前な気もするし…

あと、Iron MaidenのTrooperも初心者の頃だった気がする

メイデンは同じようなコード進行ばかりだし、弾きやすい気もする

イングヴェイインペリテリは相変わらず弾けない

楽譜ほとんど買ってない

耳コピか、ネットに落ちてる採譜されたものを参考程度にするかぐら

アドリブペンに毛が生えた程度のものは弾けるので、AC/DCのようなものは誤魔化せるけど、難しい奏法は弾けない

YouTubeとかニコ動見て劣等感感じてばかりだな…😟

最近YouTube流しっぱなしにして、推薦されれば知らない曲でもその場でコピーしたりして、だらだら弾いてるけど、こんな練習じゃ一向に上手くなった気がしないよなぁ

一曲一曲ちゃんと弾く、ちゃんと採譜して、メモ書いて

なんか鍛錬みたいなことしないと駄目かな

地獄のなんとかみたいな教則本とかやるべきかな

   8年前はドンペンの次に可愛いと思っていた、おぺち、だが、この8年間で別のものになっているし、全然可愛くなくなったし、この流れになると、ツイッターアカウント

 10時間前で停止しているので、爆睡していると思うが、なんでこんなものいいねしていたのか、記憶が亡くなった。

  平成10年9月8日から手伝うことになったドンペンが傷つくからであるという理由理解できるが、どれがドンペンか確定できないし、ドンペンはDonqijoteが採用したもので、

  警察採用したものではないから、趣旨精神言っている目的不明マジで終わっている。

2024-07-22

anond:20240722125905

ペンで描けるものAIで描けて悪い理由はないんだよな

  平成28年4月からなんでPtt_krにいいねしてたかというと、ドンペンくらい可愛かったからで、今のような奴だったら、いいねなんかせんわ、糞

anond:20240722110732

女という性に特別価値をもたせるためには、

女性に対する性犯罪厳罰化するのが手っ取り早いわけよ。

そして、女性はとにかく光り物を全身に身に着けたり、顔にペンキを塗ったりして、自分価値を高くみせることに必死になってる。

ダイヤモンドのように輝く自分のおしりを触るなんて、万死に値する。

そういう価値観に生きているせいで、性犯罪だけを特別視してしまうんだわ。動物本能みたいなもん。

  平成28年頃は東京の方にいる、ドンペン現代版みたいなもので、かわいいと思っていたかいいねしていたが、話が違うしウソばかりだったというのが結論

2024-07-21

  微妙に違う。

   被告人は、2ちゃんねるを多くの虚偽情報も含まれる種々雑多な事柄が大量に書き込まれインターネット上の掲示板認識している上、本件各書き込みは、2ちゃんねるスレッドを伸ばすことにあったのであるから被告人は、本件各書き込みによって警察業務妨害するおそれがあることを知らなかった

   弁護人がこの主張をしたとき裁判官被告人法廷での実物をみたときドンペンだったから、 知らなかった、という主張に対して勝てず、最初無罪にするつもりだったが、そこの書記官と付き添

 いの刑務官と、弁護士岡本卓大とかが、AI操作して、故意があるようにみせて、強引に有罪にもっていった。

  平成10年9月8日から、蕨警察署の横にあるドンキホーテを手伝うことになった、鈍ペンというのが、蕨警察署石毛署長であるとか、その仲間の石村であるかどうかは疑問なしとしないし

  令和3年8月4日にいつものところマウンテンバイクで到着して東進していた女が、その鈍ぺんの、妻であるかどうかも疑問なしとしない。一般に、 夫がドンペンで妻は、豚足屋のマイアーレのま

  の豚であると推測できるが、マイアーレのまの豚のアイコンドンペン結婚したのかどうかも、こちらの方では推認できないところである

2024-07-19

  平成29年1月28日にだんなの兄弟の親戚の祖父がなくなり、急遽、新幹線延岡へ。

   平成30年1月には、愛犬のアロが、令和6年6月14日に愛犬のぺちが虹の橋渡り・・・

  二匹目の愛犬のぺちは、去年の10月17日頃から、自宅で、苦しいです、というようになり・・・、今年の1月16日に、もう無理です、といって自宅で動かなくなったので

   動物病院に入れていたのでした。

  最近はまっているのは、ドン・キホーテの、ドンペンドンコです。

https://anond.hatelabo.jp/20240719124957

  平成10年9月8日に株式会社ドンキホーテ代表取締役の決裁で、 新河岸にあるのは、株式会社ドンキホーテではなくブックアートだし、ドンペンマスコットキャラクタ採用した経緯も

 不明であるし、いかんながら、ドンペンは、夜が好きなペンギンで、平成10年9月から手伝うことになった、と書いているだけで、おそらく、事業部女性の発案で採用が決定したと思われるが、

  社長従業員の方が当時それに対してどう考えていたのかとかそういうことも理解できない。

絵師特権階級意識がにじみ出た名文

anond:20240718203834

AIの登場によって絵師がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、

AI創作に役立つ」っていう建前は嘘ってことになるし、「AIを使ってより稼げる」も嘘ってことだし。

結局、AIには純粋創作市場のものを縮めていく効果があるってことになると思うんだけど。


こういう発想が出てくる事自体おこがましいことなだってことに気付いて欲しい

AIが嫌われるのは「テクノロジーの発達によって属人的技術普遍化するのは喜ばしいことだ」っていう人類全体の進歩大原則に歯向かっているからなんだよ

テクノロジーの発達によって職人的な仕事がなくなっていくってのは当たり前のことだし、それ自体は非常に良いことなだってことをまずはわかってくれ

例えば、昔は漫画イラストを描くには専用の画材必要だった

画材専門店なんてのが主要駅の近くには必ずあって今で言う絵師に相当する人間Amazonなんてあるわけないからわざわざそこに赴いて自分技術必要商品を買っていた

ところがPCソフトウェアの発達とペンタブの登場によってイラストに関する画材市場は壊滅的な打撃を受けた

パソコンならいちいちペンを持ち替える手間もないし書き損じたときに0からやり直す必要もないからどっちが便利かなんて明らかだったんだよね

ソフトウェア製作者はユーザーの声を聞きながら「どうやったらあの画材の書き味をパソコン上で再現できるか」ってことに腐心して(反AI言葉を借りるなら無断学習して)研究開発しまくった

その結果、結局今となっては画材屋なんて軒並み潰れ果てたし画材製造会社だって何社も潰れまくっている

あるいは印刷分野に目を向けてもいいよ

今では考えられないことだけどadobeがここまで普及する前は印刷屋さんにDTPを行う専門の技術者が必ず常駐して高給で働いていて、同人を描いている人はみんなそこに依頼していたんだよね

絵描きの全員が印刷に適したデータを持ってこれるわけではないから、紙に書いた生原稿スキャンしてちゃん形式を整えて装丁して一冊の本として出す

そしてそれには職人的な技術必要だった

当然いまはその程度の作業なんてみんな家で簡単にできるようになったかDTP職人の働き口はめちゃくちゃ狭くなってしまった

絵師の使っているソフトウェアなりペンタブなりは全部そうやって廃業していったDTP職人なり画材製造職人なり画材の卸問屋なりの屍の上に成り立っている技術なわけ

で、反AIデジタル画材の普及に際して「創作市場のものを縮めていく効果がある」なんて声を上げたりしたわけ?

してないよね?

自分たちだけが特別扱いされるべきだって考え方を恥ずかしげもなく披露しているその傲慢さは本当にどうにかしたほうがいいと思うよ

そしてまともな社会人はみんなこの手の技術革新に対してはちゃんと柔軟に対応しているんだよね

自分の携わっている産業が誰かの廃業の上に成り立っていることを自覚して、あるいは自分もいつ廃業するかわからないリスクを抱えながらキャリアプランを練っているわけ

例えばWEBライターなんかはあと数年で滅びるだろうけど、いまWEBライターやっている人もその経験を活かしてWEBサイト分析等を行うマーケター、サイト運営のものを担うWEBディレクターなんかに転職して、あるいはもっと趣味的で属人的な文筆業に鞍替えしたりして生き残ろうとしているわけ


絵師だって別に転職すりゃいいだけの話なわけじゃん

仮に下手くそな絵を描いていたのだとしてもPhotoshopとか画像編集系のソフトの扱いに長けているんでしょ?

AIの登場によってむしろAIが生成した画像レタッチしたり修正したりする仕事需要が爆増するだろうし、あるいはちゃんとした審美眼を持っているデザイナーだって重宝されるに違いないわけじゃん

もともといま日本会社人手不足が甚だしいんだから就職先なんて引く手あまたでしょ

AIが一体何にそんなブチギレているのかさっぱりわからん

別にAI貴方仕事を奪ってないよ

しろ働き口の多様性を押し広げているようにしか見えないんだけど

anond:20240719111906

書いて書いて書きまくれ。不満に思ってることをペンで紙に書け。

カビ→くさい→やだ みたいなんでもいいし

退去費用→金ない→親に借りたい→貸してくれなそう→どうしよう→借りる?→借りたくない→弁護士 とかだっていい。

書いてると頭ン中スッキリしてくるよ。

支払いを遅らせたり、待ってもらうことはできないのかって思いついたり、

クレカの借り入れと、退去費用をまとめてローン組めればその後生やすくなるんじゃ?とかって考える余裕が出てきたりもするね。

2024-07-18

カンニングした理由からカンニングをやめるまで2

前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635

勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服スカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。

学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線バカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。

そうなってからカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟旅行遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。

一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校勉強なんだし当たり前じゃん。しか地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画アイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。

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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。

その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。

せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。

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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校テスト大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。

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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニング邪魔をしてくる。

それから模試最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニング文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。

自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたこしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。

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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはようから何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。

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そんな時、行きたいなと思った大学AO入試を知った。自分勉強指定校推薦は無理だったので早急にAO入試シフトした。論文面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。

大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去存在しているのになと時たま思い出してしまう。

受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。

母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。

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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。

中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。

当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめ受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。

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大学時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。

そして検定を好んで受けた時、カンニング意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。

検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。

勉強以外では仲良くしている。受験就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。

社会人の今は帰りに図書館に寄って気象勉強をしている。今度は地震勉強でもしようと思う。

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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子カンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭取引をしているようなカンニングは知らん。

ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供カンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)

出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。

定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。

それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母兄弟も私を勉強いじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。

カンニングをする子は本人の意識問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。

点数を気にしない人と出会しかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子カンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。

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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。

今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学から今まで勉強していますカンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。

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カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

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カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

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理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

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カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

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小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

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中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

anond:20240718110500

思い出すと色々あるが、狙って出すのはむずくね?

手作りジュエリーのワイヤーアートようの謎ペンチ群を見かけたときは驚いたな。

プレゼントでは村上春樹小説世界の終りと〜」が個人的にはそれだった。

  ドンペンドンキホーテのマスコットキャラクターであるペンギン)は、平成10年のドンキホーテの新規開店に伴い、驚安の殿堂ドン・キホーテに置いてあるような商品があると

 お母さんやお祖母さんを喜ばせることができるのではないかとして、市議会議員の木内満の40歳同窓生が当時作ったものです。発案者は、黒羽刑務所内で、平成25年6月19日に

 亡くなりました。

   また、発案者の愛犬ぺちは、令和6年6月14日午前1時15分に、癌のため息を引き取りました。1月16日頃から、自宅で、今日もう無理です、苦しいですと言い始めたので

 入院させていたところ亡くなりました。

   警察の監察課は株式会社ドンキホーテとは関係がないし、警察が使っている衛星電磁場で、ドンペンドンコを強調したら、バクサイが消えるからやらない。反対反抗勢力の死までをも

 実現してしまうようなことは、養老はしないからな。

    ドンペンドンコの思想的由来は定かでないが、男が中心だった昭和53年までは明らかに存在せず、昭和54年1月1日以降の日本社会革命によって創発された。

  よってこの30年間、40年間の東京や全国の発展のせいで、甲斐武安とかが生きていること自体おかしい。

    東京都内に尊敬できる警察官などというのは客観的存在せず、東京拘置所の中に刑務官が数名いることで、平成24年頃までは有名だったが今は不明

  商品は神で本部は糞

2024-07-17

今日みた夢

2階建てアパートの2階(緑多め、日が入りやすい)に女主人公と男2人が暮らしてた

分家

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ある日、政府組織?に家が取り囲まれ

そこで男2人が「おれたちは戦う、お前は家でかくれてろ」と女主人公に言い、玄関から出ていった

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少し時が経ち、女主人公が一人で同じアパート暮らしていた

一緒に暮らしていた男たちの影はない

急に男女複数人が家に入ってきて、我が物顔で寛ぎ始める

事態が飲み込めなかった女主人公はその人たちに何しに来たか問う

すると「証明書がある。ここは自分たちもいる権利がある」と全員が持ってる紙を見せてきた

紙は白いA4用紙に赤ペンサインが書いてあるものだったが、全員バラバラサインで紙の向きもバラバラデタラメなことは一目瞭然だった

だが、戦いに負けた女主人公文句も言えず、そう、と返すだけだった

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場面が変わり、冬ではない夏の晴れた日に女主人公は一人でスキーにでかけた

コースを滑っていると、かつて惹かれていた中高の同級生が話しかけてきた

海外にいるはずの同級生に驚きながらも再会を喜んだ彼女は嬉しそうに会話していた

次の瞬間、昔家を包囲してきた組織?が周りを取り囲んでいた

同級生自分の弱みである組織にばれ、同級生組織に取り込まれたことに失望し、また同級生純粋に会いにきてくれたのではないことにダメージを負った

それでも同級生のことは諦められなかった

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会社勤めのシーンにかわり、同じ部署ではないながらも同級生が同じ会社勤めなことは監視抑制?されてる身のため当然のことと思えた

廊下に出ると必ず会う彼

会える嬉しさと自分意志ではない彼の行動に悲しさを覚える

組織管理下にいる彼を困らせたくない彼女大人しくしていた

組織ではないけど彼の上司が通りかかったとき礼儀正しくしていたし、困らせる問いかけ(なんでこんなことしているのかとか)はしなかった

しかし、第三者グループと思わしき男性が彼に、相談することがあるため彼の上司名前を教えてほしいと言ってきた

彼はちょうどその上司名刺を手元に持っていたが、相手に見せないよう伏せていた

だが、ごく自然な流れでふとした拍子に相手がかがみ、上司名刺の表側を見てしまった

主人公はその場面を隣で見ていたが時すでに遅しだった

歯車さらに狂う気がした

自分この街に残ると彼がこのようなトラブルに巻き込まれると思った彼女は街を出ることにした

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街の出口はラグビー会場の観客席の上の方だった

ひしめく観客の隙間を通りながら彼女は出口に向かった

上の方に向かうにつれ、観客席はラグビー地域企業スポンサーばかりになった

偉そうなおじさんがお金に関わる自慢(時計とか株の儲けとか使い道とか)をし合って、大きな声で笑っている

会話の中にはパワハラセクハラもあり、聞いてはいけなさそうなものばかりだった

その横を通りたい彼女は小さくなって通ろうとしたが、ぶつかってしまった

オジサマのラグビー選手のように身体が大きくて魅力的でぶつかってしまったと謎理論を繰り返すことで、解放された

解放されたあと、同じ方向に向かっているおじいさんを見つけた

彼女に一緒に休憩しようと誘ってきた

おじいさんはどちらかというとホームレス寄りだったが、ポンサから少し遠い上の席で一緒に休憩することにした

話してみるとおじいさんは彼女のことを知っていた

一緒に暮らしていた男の知り合いだった

おじいさん曰く、男はこの街をめちゃくちゃにしたか追放されたのだと言っていた

全く知らなかった情報に詳しく尋ねると、元々この街は賭け事も八百長もない健全ラグビーがある街だった。しかし、男が来たことで一変してしまった。地域企業スポンサーと手を組み、賭け事などの悪いことを中心となって行い、もう街は元のきれいな精神に戻れないところまで来てしまった。賭け事のおかげで、観光客は増え、観客も増えたが、マイナスなことが大きすぎた

から追放されてしまった

そんな悪事をしているとは全く知らなかったが、組織に捕まって拷問されているとかではないことに彼女は安堵した

この街は人を殺すこともよくある街だったが、男はおじいさんに「人は殺すな」「彼女よろしく頼む」と常々伝えていた男により、人を殺すことはなかった

彼女今日まで脅威にさらされなかったのもそのおかげだった

彼女はおじいさんに感謝した

別れはさみしいが時間もないため、別れを告げた

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街を出て、街から街へ向かう移動の電車に乗った

電車では30前後の同い年くらいのカップルと向かい合わせの同席になった

移動時間は長く、その席でレストランのように食事を取れるとのことで、意気投合したカップル食事を取ることにした

カップル女性がウェイターの男性に注文をし、その流れでこの電車で女主人公意気投合したことを話した

愛想よくしていたウェイターに「彼女口臭が全くないのよ!すごいわよね!あなた、今度彼女デートしてらっしゃいよ」とカップル女性が声をかけた

主人公は急な展開に驚いたが、ウェイターが快くOKしてくれたため安堵した

ウェイターと握手し、ハグした次の瞬間、ウェイターがあの同級生であると急に確信をもった

また再会できたことにうれしくて、でも全く違う外見になってしまたことがかなしくて、でもふたりとも自由な身になれたことがうれしくて、抱きしめたまま号泣してしまった

ウェイターも抱きしめ返してくれたまま動かない

カップルが驚いている

..

ところで目が覚めた

映画チックな夢は初めて見たので書いてみた

                   人気のあったキャラクター等           人気がなくなった理由

  平成28年4月              ぷちくら               ドンキホーテの、ドンペンドンコというよりハイレベル可愛いものがあることが発見され、

                                        クソアニメなのがばれた。なぜ当時、ドンペンドンコがいることに国民が気づかなかったのか?

  平成30年10月10日       『死(DEATH)とは何か』           平成30年はそれこそ、死、が国家全体を席巻したテーマであった。

  

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