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はてなキーワード: 紆余曲折とは

2019-02-16

どうか教えて

小さい頃から父親暴力を振るわれてきた。

そして両親はたびたび喧嘩した。

大声の言い合いが耳に入ってくるのが怖く、自分の部屋に引きこもって目を閉じて震えていた。

僕が高1のときとうとう離婚したのだが、離婚ちゃんと成立するまでには紆余曲折がありなんだかウンザリしたのを覚えている。

そんな家庭で育ったこともあり、どうしても結婚というものに良いイメージが無い。

どうか、「結婚してこんなことが良かった!」みたいなのを教えてください。

結婚は良いこともあるんだって思いたいです。

それかおすすめビール教えてください。

2019-02-13

anond:20190213145914

就活が厳しかった頃のインターンの話。

インターン内容はひたすらテレアポ

社長と面識がある風を装って話せとアドバイスされる

社長電話を取り次いで貰えなかったら、「じゃあ携帯にかけます」と言えと言われる(当然携帯番号は知らないが、社長に取り次いでもらいやすくなる)

営業時間外は電話番が居ないか担当者が直接電話に出る可能性が高いと言われる

23時に営業電話を受けた相手先はドン引き

給料は無い

・当然雇用契約書も無い

労働基準法採用してない会社

もっとヤバい話もあるけれど、知り合いが見たら身バレするのでここには書かない。

当時内定全然出なくて、焦ってこういう会社インターンしてしまった。

アポイント先の社長に「そんな会社は辞めろ」と諭されて目が覚めた。その社長に僕のガッツが買われてうちに来ないかと誘われたが、その会社も朝礼で絶叫するタイプだったので丁重お断りした。

紆余曲折あったけど、今は大手ホワイト企業文句垂れながらも多めのお給料をもらって働いてます

2019-01-30

サンドイッチマン香川照之股間をかじられ広瀬すずキスをされた

凄い夢を見て真夜中に目が覚めた。

誰も興味は無いと思うがこんな夢を話す相手もいないので、忘れないウチに増田に綴っておく。

ドラマ仕立ての大脱出ゲーム

巷で言う脱出ゲームのような謎解きというよりは、バイオハザードのような雰囲気で、アイテムを探して少しの謎を解きながら体力勝負で進んでいく。

紆余曲折を経て、何度もゲームオーバー寸前まで行きながら進んでいった。最後ボスでは協力してきた数名の仲間の助けのおかげで全滅しそうになりながらも諦めず俺1人がクリアできた。そんな俺になんと企画から豪華なご褒美があるという。

何故か目隠しをされて、何も見えないままゲストから一人ずつご褒美を与えられるという。

最初寿司職人が出てきて、その場で握ってくれた高級寿司を口に入れられる。

その後も何人かが出てきては物を手渡されたりした。

目隠しはしている設定だが、そこは夢なのでなんとなく周りの様子も見えていた。

4番目にサンドイッチマン香川照之が出てきた。なんと3人でパンツの上からではあるが俺の股間をガジガジと甘噛みでかじり始めた。

最後広瀬すずが出てきて俺の唇を指でつまみキスをしてくれた。俺は唇が離れた直後とっさに目隠しをとり、強くハグをしながら『好きです!』と叫んでいた。

というところでちょうど夢から覚めた。

現実では、俺の一物はサンドイッチマン香川照之のところで最高に勃起していた。

2019-01-29

2019年アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その3

2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )

 

マナリアフレンズ

 ハイファンタジー世界学校生活Cygamesお抱えの新規アニメスタジオCygamesPicturesによる初制作アニメCygamesアプリ神撃のバハムート」のアニメ企画を立ち上げた頃から自社制作を構想し始め、神撃のバハムートイベントマナリアフレンズ」をアニメ化することに。ところが諸事情放送が延期され、ついでにスタッフ刷新制作スタジオ雲雀→CygamesPicturesに)という紆余曲折を経て、今期ショートアニメとして放送開始。d'アニメストア等配信サイトでは2分程度のショートアニメが追加されたロングバージョン配信されている。ショートアニメの内容は、主人公お姫様に仕えるパラディン君が主人公物語

 本作の監督は、百合姫Sの漫画原作アニメこのはな綺譚」で監督を務めた岡本英樹。お察しの通り百合アニメ。非常に丁寧な作画演出によって主人公の心情を非言語的に描くハイクオリティ作品魔法学校舞台なので魔法使うシーンもあるけど、そういう特殊効果なんかも綺麗。埃がキラキラしてるの良いよね。

 主人公の心情を描くシーンで一番好きなのが、図書館での騒動が終わったあとの会話。「あの、他になにか手伝えることがあれば…」という主人公セリフに「大丈夫」という優しい拒絶からの、突っ立ってる主人公に目配せもせず黙々と業務に戻る司書さん。トボトボ帰る主人公のロングのバックショットは、彼女の心情が痛いほど伝わるシーン。ピアノが中心の優しい音楽が心に響く(音楽渡邊崇)。

 今期のアニメの中でも特に背景がすごい(背景:草薙)。基本的学校の校舎くらいしか映らないけど「さよならの朝に約束の花をかざろう」みたいなハイファンタジー世界みを強く感じる。いかにつくり手が(神撃のバハムートの)世界観を大事にしているかがわかる。もうね、騒動収束後、主人公が帰ってきた食堂の静寂感が最高に美しい。

 

みにとじ

 2018年アニメ刀使ノ巫女」大ヒット御礼につきショートアニメ化。登場人物のうち半分はゲームアプリからなので、ストーリーを追うならまずはアプリDLしてみてね!

 ノリは「てーきゅう!」みたいな高速コントアプリネタアニメネタも拾ってくれるシナリオ好き。細かい事だけど、アニメでは登場しなかった夏服に衣替えしてて、制作陣の愛を感じた。

 

上野さんは不器用

 「生徒会役員共」横島ナルコ先生中学生時代10分位のショートアニメ。きたないシモネタ全開のラブコメ

 中学生うしのラブコメを描いた作品でいうと「からかい上手の高木さん」を思い出すけど、高木さん(理性的積極的だけど表面上は慎ましい)と西片(直情的、積極的だけど恥ずかしがり)に対して、上野さん(直情的、理性が限界を迎えている、きたない)と田中(鈍感、打っても響かない)みたいな。特に田中の響かなさが好き。キャラデザ的にもっと感情表現を豊かにできるポテンシャルがあるのに、どんなにちょっかいを出されても表情がほぼ(´・_・`)で笑う。西片の反応が面白すぎてからかいエスカレートする高木さんに対し、いくら打っても全く反応が返ってこない田中のせいで理性が限界を迎え、どんどんからかいが雑になる上野さん。何故か、からかう側が追い詰められていく。からかい上手の高木さん2期おめでとう。

 

私に天使が舞い降りた!

 動画工房による、ロリコン大学生幼女(小5)のラブコメ幼女原作百合姫コミックス

 動画工房は先の10クール幼女主人公アニメ「うちのメイドがうざすぎる!」を放送してたけど、本作と幼女の描かれ方がかなり違う。うざメイド主人公幼女が成長する姿を、ロリコン変態が見守るハートウォーミングコメディだったのに対し、本作は原作百合姫ゆえ、幼女の描き方が完全に恋してる人から視点幼女立ち位置も、うざメイドロリコン変態奇行に対して主人公幼女が何らかのリアクションを返す形式で進むコメディなのに対し、本作は幼女の愛らしい行動に対して主人公ロリコンが悶絶するという流れ。まさに恋。物語基本的主人公の家の中で進み、家の外を描いた背景だけが淡い感じ(背景:スタジオオリーブ)になっているのが、「秘密の園」とか「楽園」とか「家の外は外界」みたいな雰囲気に包まれている。そういえばタイトル天使って言ってるし。

 動画工房作品コミカルヌルヌルしたアニメーションが印象的な作品が多いけど、本作は比較的おとなしい。幼女こそ元気ハツラツだけど、主人公あんまり動かない。一方で静かなアニメーションはすごく丁寧で、特に髪の毛の演技は主人公の心が揺れ動く様子が伝わってくる感じが良い。2話の「好きな子が迫ってきて、間近で見た髪の毛があまりに綺麗だったのでつい視線を集中してしまう様子」を描いてるところが好き。

 本編とあん関係ないけど、母ちゃん電子タバコ持ってるシーンがすごく自然なの良いよね。最近だと「ひそねとまそたん」で小此木さんが喫煙スペースで吸ってたっけ。

 

えんどろ~!

 ディスガイアの2週目。STUDIO五組制作)xかおり(監督)xあおしまたかし脚本)xなもりキャラ原案)によるオリジナルアニメいい最終回だった

 インタビュー記事監督曰く「前のめりで正座しながら観なきゃいけない……というよりはTVの前でゆったりだらっと、大人の方はお酒を飲みながら観ていただけると嬉しいです(笑)。」とのこと。割と何でもありのファンタジー日常アニメ。ゆるい。このすばよりゆるい。監督繋がりで「ゆゆ式」っぽいノリ。

 飯塚晴子キャラデザ好き。原案こそなもり先生だけど「クジラの子らは砂上に歌う」に近い、柔らかい色味とデザインになっている。ちなみにクジラの子微塵もゆるくないアニメ

 物語勇者パーティvs人生2周目の魔王による戦いが中心なのだけれど、魔王の方に感情移入ちゃう作りになっている。魔王マジ不憫。なので、魔王ががんばる→勇者が苦戦する→やったか!?→なんか主人公補正で勇者パーティが勝つ(オチ)という、勇者パーティーの成長物語が一転して「今回もだめだったよ…」というコントになってるのが面白い。ノリが「秘密結社鷹の爪」に似てるかも。デラックスボンバーオチ)とか。

 やっぱ音楽すげー好き。音楽は「となりの吸血鬼さん」に引き続き藤澤慶昌。このすばもだけど、日常パート音楽戦闘パート音楽が両方良い(このすば音楽甲田雅人)。シリアスパート向けの音楽日常パートネタとして使うセンスよ。

 EDはメイ役・水瀬いのり個人名義による楽曲。ほんと歌うっまいよね。「僕らが目指した」の部分が意図せず脳内再生される。

 

ドメスティックな彼女

AmazonPrimeVideo独占

 「ガーリッシュナンバー」の監督が送る、クズの本懐ディオメディアって、エロい女の子を描くアニメ作りがちだよね。本作は(3話まで)原画をほぼ自前でやってて、かなり気合が入っている模様。背景もスタジオちゅーりっぷだし。

 クズの本懐はいろんなクズ同士の物語なので相関図がカオスだったけど、本作はひとつ屋根の下なのでかなりわかりやすい。わかりやすい?1話関係性の判明までだったけど、恋愛モノのお約束っぽい展開(が若干こじれた感じ)。

 主人公と瑠衣が割とリアル高校生しててかわいいSchool Daysの誠くんみたい。青春テーマではあるけれど、徐々に先生や瑠衣が心を開いていく様子を丁寧に描いていく部分が重要テーマなのかな。先生彼氏と話す時、声がワントーン低くなるの凄く良かった。

 天津の向さんアニメ出演おめでとー!指折るぞ

 

バーチャルさんはみている

 草。Vtuber文化祭制作株式会社リド…株式会社ドワンゴ株式会社KADOKAWA、株式会社カラー株式会社インクストゥエンターアソビシステムホールディングス株式会社が共同で2018/12/14に設立した、Vtuber特化した事業をする会社とのこと。本作は同社のアドバルーンみたいな感じ?

 各Vtuberそもそもツールが同じじゃないと共演できないという技術的ネックがあった的な話を聞いたけど、そこらへんを克服したと言う意味画期的なのかな。「へー、こんなことできるんだー」っていう、知らない人向けのショーケース的側面が強そう。

 内容はアドリブでわちゃわちゃするのではなく、(ある程度ベタ踏襲して)作ったショートコント。色んなVtuberが出演するが、全員が全力でやりきってくるところを見ると流石プロフェッショナルエンターテイナーって感じ。

 ニコニコ生放送では各話の放送前後で生配信をしていて、そこにVtuberが直々に参加している。本編上映中もコメント参加してたり非常にアットホーム内輪ノリ楽しい。割とこっちが本編な気がするくらい、作品を通して身内ネタ豊富Vtuber界隈の空気を描いた作品っていう意味もあるのかな。

 Vtuber全く知らない勢の印象として、現時点でVtuberゲーム配信が主戦場なので、こういう動画形式は彼らの魅力が一切伝わらないんじゃ?という感じなのだけれど、一方で株式会社リドとしてはそこに頼らない、別の戦場を探しているのかなぁとも思う。簡単に言うとバーチャルアイドルが活躍する場所づくり。Vtuber歌番組VtuberニュースコメンテーターVtuber写真集Vtuberラジオ番組Vtuberコント番組(これ)、Vtuberスポーツ大会とか作られてそう。

 

ガーリー・エアフォース

 空軍版「蒼き鋼のアルペジオ」。マクロスシンフォギアでお馴染みサテライト制作オリジナルアニメ…ではなく、電撃文庫ラノベ原作アニメ

  未知の脅威(メカ)と、脅かされる日常、そして突如現れた、謎の戦う少女メカ)っていうサテライトらしさを感じるシナリオ。ちなみに河森正治デザインのロボは出てこない。監督脚本シンフォギアの人。シンフォギアと比べると、主人公は多感なお年頃の少年なのでラブ要素があるっぽいけど、ライブ要素は無いみたい。

 サテライト制作だけあって、戦闘シーンはやっぱりすごい。戦闘機が戦うアニメなので敵も味方も見た目は実在戦闘機だが、コックピットバターが作れるレベル超人的なハイスピードバトルを繰り広げている(乗ってる少女特別な訓練を受けているんだよーっていうくだりは2話以降で)。直線的にカメラの手前→奥に移動から急旋回で直角に曲がりカメラに向かって飛んでくるミサイルとか、めっちゃサテライトっぽい。

 特に2話は(アルペジオのイ401よりもおしゃべりな)戦闘ちゃんとのデート回だけど、同時に「人間らしさ」「兵器らしさ」の間にある存在としてのアイデンティティを掘り下げていくキッカケになっていて面白かった。

 

けものフレンズ2

 2期。制作ヤオヨロズから別の会社トマソン)に。OPは引き続きおーいしおにいさん。

 1期で「フレンズって?」「ジャパリパークって?」「ヒトって?」「セルリアンって?」等あらかたネタを彫り尽くしたので、そこら辺を知っているテイで話が進む。序盤の展開は1期と同様「見たことのないフレンズ主人公)がサーバルちゃん出会い、パーク内を観て回る」っていう感じ。ノリは軽め。1話あたりに登場するフレンズがまだ少ないので、もっとたくさん出てくれないかな。

 1期から続投してるのはPPPアルパカ等。カラカルアプリシナリオでお馴染み。彼らがどの世界線のフレンズかは明言されていない(1期はアプリと同じ世界線)が、強いて言えば1期を見てから2期を見ると非常に悲しくなるので注意(ここは1期「ろっじ」においてアニメサーバルアプリサーバル関係を描いた、早起きのシーンを踏襲してるのかな)。

 1期と同じBGM使ったり(音楽立山秋航)、同じ構図を使ったり、「すっごーい!」等節回しが健在だったり。1期を通じて「けもフレらしさ」がアップデートされている感じがある。らしさといえば、些細な仕草にも動物だった頃の仕草が反映されている仕様けもフレらしさを強く感じた。特に2話のジャイアントパンダレッサーパンダめっちゃかわいい。あとAとBパートの間にちゃんと本編もあるよ。へー。

 吉崎観音が言ってた「けものフレンズ原作実在動物で、すべてのけものフレンズプロジェクト二次創作」を思い出す。プロジェクト自体ずっと続くと良いね

細野豪志氏を擁護する

別に細野投票したことないしおそらくこれから投票する機会無いし親近感を持ったこともないのだが

はてなブックマークの叩きは酷すぎる。


1.旧民主時代民主党と細野を忘れ去ってる

shironeko_t こんなのが身内にいたらそりゃ旧民主党が内輪もめくり返すのも無理はない

2019/01/29

まずこれが酷い。

本当に滅茶苦茶な叩きだ。


そもそも細野民主時代から離党まで、

幹事長代表代行などの重責を担いつつも自らの政策姿勢は示してきた。

別に嘘ついたり党員や支持者を騙してたりしたことはない。

民主党は自民党と同じかそれ以上に党員意見が幅広かった。

党員も支持者もそれを併せ呑んでやってたのでは?

更には選挙の為に共産党とも組んで戦えと言ってたのでは?

それを回避した前原誠司元代表のことも猛烈に叩いてたのでは?


それなのに「こんなのが身内にいたら」なんて言い方をするのか。

それは「排除の論理」とどう違うのか。

というより入党前に「理念が違うのでお断り」とする希望の党の方がよっぽど合理的上品じゃないか

民主党や民進党にいていい人とはどんな人なんだ。

それは誰が決めるんだ。


2.細野民主党離党経緯やその後のことを把握してない

sora-papa この人に誰もついていかなかったのはある意味しかったなあと。(´・ω・`) 16 clicks

2019/01/29 リンク Add Starhi_kmd

いやいやいや。

細野民主党で自らの改憲案を咎められたので代表代行辞任し、派閥解体し、離党したんです。

段々と個々独自の考えを認めない党になった民主(進)党に対し、きちんとケジメをつけてお別れして無所属になりました。

れいに1人で去ったのであって党を分断するようなことも仕掛けませんでしたし、「ついてきて」なんて言ってない。

(「こんなのが身内に居たから」などと内輪もめの原因扱い・寄生虫扱いする上の叩きの不当さも改めてわかる。

  細野が居なくなった後に内紛が激しくなったくせにあまりにも歴修正主義が過ぎる。)


更に、その後にリスク取って真っ先に希望の党結党メンバーになったのも細野

そこに大挙ドヤドヤと合流してきて船ごと沈めたのが旧民主党の面々ですよ。

しろめっちゃついてこられてるがな!

呼んでもないなのに勝手についてこられてるがな!

細野が1人で開拓したとこに、後から「いけそうだぞ!」ってついてこられてるがな。

細野を「意見が違うから」で追い出した奴等についてこられてるがな。


「誰もついていかなかった」とはよくいうわ。

あきれて言葉も出ない。


3.維新に擦り寄ったのが細野だったか細野以外だったか記憶改竄されている

jingi469 維新ポジションが羨ましいんだろうなとは思っていたが、想定より直接的にきて笑う。 政治 7 clicks

2019/01/29 リンク Add Staryas-mal19Lat

はあああ???

維新と組んで民進党になったのは旧民主党の面々じゃありませんでしたっけ?

その際に党代表岡田さん以下旧民主党執行役員の大半がそのまま続投したなか

細野政策調査会長から外されて冷や飯食いに落ちてるんですよねー。

維新と相性がいいのは細野じゃなくて細野以外の旧民主メンバーですよ。


で、ここで細野叩いてる人の大半って

旧民主党政治家達のことは普通に今も支持してるんでしょ?

その人達のことこそ「維新政治家」って叩いて当てこすりなさいよ。

それはしないんだからまりにも叩きが滅茶苦茶すぎる。

何の論理もありゃしない。


4.細野が明かにしてきた理念無視

k-noto3 厚顔無恥

kommunity 恥とかプライドなんて持ってたら政治家なんてやってられないんだね… 政治 7 clicks

ShigeakiYazaki ノンポリ政治家さんのポリコレとはこれいかに

ryun_ryun まさに政治屋。恥ずかしくないのかな。

poko_pen 無節操な人だな

liinter7 自分の信念というものがなくて全然応援できない気持ちです。消費税増税糾弾する政治家はなんで出てこないの。

細野ノンポリってマジで言ってるの。

民主時代から話題によっては保守政治家みたいなこと言ってたじゃん。

(一方でLGBT差別なくす為の議連の発起人やってたり選択夫婦別姓に積極賛成だったり、色々)

ノンポリで周囲にあわせるならあんなこと言わなくない?

そして細野が表出してきた理念はある程度一貫してない?


しろ聞きたいんだけどさあ、

細野小池にくっついたのと、細野を「保守過ぎる」つって追い出した旧民主面々が小池にくっついたのと、

どっちが政治家として恥知らず理念のない行動なのよ。

前者には理念共鳴を感じるけど、後者全然考え違うのに勢いある人にすがっただけじゃね?


それで細野はかつて意見の違いが許されずに民主党を出て行くことになった経緯から

「全部受け入れたらまた同じことになる」「同じような混乱が起きる」ってことで

影響力強い人や攻撃性強い人は入党お断りすることに決めた。

(「大勢で入って選挙後に乗っ取ればいい」と公言する民進党関係者も居たほどで、これは邪推でもなんでもない。)

そしたら「排除の論理」って言って叩かれるんだもん。

理不尽すぎる。


方針違いで自分を追い出した家族が結局実家を潰して「たすけてくれ」って合流しにきたので

「じゃあ弟達は助けるけど俺の追放を主導した格上の兄貴たちは無理だ、

 あんたらは入れたらまた俺を追い出してこの家もとろうとするだろう、兄貴たちはよそでがんばってくれ」と答えた。

 そしたら経緯も知らない近所や世間から冷血」「兄をいじめてる鬼弟」と叩かれた。

みたいな。

悪意を持って最後のとこだけ切り取れば”すごい不可解な意地悪してるやつ”みたいになるよね。


こういう経緯や筋道を細かく説明しようとしても

簡単説明を好む上に記憶力が乏しい有権者(お前らはてはブックマークのような)は聞かないし。

メディアに「排除の論理キャンペーンを打たれたら細野反論のしようもない。

あの件ほんとに細野の方が悪かったか

(これは小池希望の党問題があったのとは全く別の話だぞ?)


少なくとも旧民主党殆どよりは信念貫いてて

そのせいで旧民主党迷惑掛けられまくってた細野ノンポリ呼ばわりで叩いてる人達

細野以外の旧民主面々をそれ以上に厳しく叩かないといけなくない?

でも叩かないし叩きたいとも思ってないよね。

本当の叩く理由政治ポリシーなんかじゃないってことじゃん。


大体あの時、

細野はスゲー迷惑してるだろうに民主三役に対しては精一杯申し訳なさそうに顔を立てる言い方してたじゃん。

それに対して「先に離党した人間の股をくぐる気はない」とか捨て台詞はいて凄む野田のほうがよほど嫌なおっさんだったじゃん。

(家を畳んでその細野の後を追いかけてきた党の人間が断られてからんなこと言っても格好つかないのにバカ丸出しだよ)

多分細野野田内閣での深い付き合いの野田にはある程度慕うというかシンパシーをもって接していて、

わざわざ「小池さんに言われて私も心苦しいのですが…」なんてお詫びにいったのに

それを世間にばらしたりして野田人間の小ささが半端なかった。


そもそも細野にその辺のことを聞いて調整せずに見切り解党するのが意味不明前原だけのせいにするなよ、評決取って圧倒的に賛成多数だったんだから)で、事務能力すらなくなってたのが末期民主(進)党だった。



5.細野当選経緯まで捏造しだす

sirocco 前回の衆議院議員総選挙静岡県5区では自民党の36.9%を押さえて54.8%で当選している。反自民の票で当選したはずだ。投票した人を裏切ってどうする。自民党の枠がなくて、仕方なく民主から出馬した人が多すぎる

有権者はあの選挙希望の党惨敗させた。

希望の党自民党を突き崩すというビジョンに背を向けた。

反自民人達立憲民主党でしょ。

小選挙区単独立候補で勝った希望の党員は細野だけ。

普通にフェアに考えて、細野自分についてるファンで勝ったんだと思うけど。

滅茶苦茶にたたかれ出すとこうやってどんどん歴史修正が入るから恐ろしい。

弁護する人も居ないし。


muchonov さんざんコケにされた民主静岡県連が全力で潰しに行く予感

こわいねえこれで「コケにされた」になるのも細野当選民主県連のおかげだったことになるのも。



6.買う気もないのに文句要求ばかりのモンスタークレイマー

Harnoncourt 支持してた人たち息してる?

細野を支持してるのは細野個人ファンなのでつまり細野理念キャラや顔が好きなやつら。

発狂してる人達細野に「アンチ自民の駒」をやっててほしかったのにそうしなかった!って怒ってるだけ。

自分達は支持もしない癖に身勝手要求をしててそれが叶えられないとキレて「恥知らず」とか罵る。


お前らはてなブックマークがよく叩いてる

買い支えもしないどころかいつも憎悪誹謗中傷ばっかりしてるくせに自分達の要望に応えて貰えないと叩きまくるウンコカスタマー

のものじゃん。

そう!お前らは誰一人細野投票してない、支持してない(ここまでは俺もだけど)、それどころか目の敵にして悪口ばっかり言ってるくせに、その細野自分達の嫌いな党に入ったら「許されない」みたいに噴火して叩きまくってるわけよ。

俺が細野なら1ミリ相手にせんわお前らみたいな奴等。



Hige2323 受け入れる自民支持層が不満言うならともかく、内輪揉めの末に追い出した側である民主系の支持者が追い出された方の動向に文句言うのはどうなんだって思うブコメ欄/節操無いのはどっちなんですかね・・・ 政治民主

ほんまこれ。

自分達で追い出して(そのくせ希望の党がいけそうな時は一方的に押しかけて混乱と定員オーバーで船ごと沈めて)おいて、その後わけわからん憎悪を向けてただ執拗に罵り倒してただけな以上、そんな対象である細野がどう身を振ろうともはや細野勝手でしょう。

なんでまだ「裏切られた」みたいな被害者面する権利があると思ってんだよw ネットスカッと系まとめに出てくる異常者村村民のようなレベルのあつまかしさだなお前らは。

お前らは最も細野の去就に注文付ける権利の無い立場でしょうよ。熱心な自民支持者が「細野は嫌」っていうならわかる。



7.ある程度一貫したストーリーのある細野と何もないクレーマーのお前ら

上でも少し書いたとおり

細野立場イシューによってリベラル的だったり保守的だったりする。

これを保守一言でくくっていいのかも謎(そういう政治家は細野だけじゃないけど)。

少なくとも「ゲイ権利必要なく、夫婦は同じ名字で古き良き家庭を守ろう」と言うような保守細野と全く話が合わない。


3分でわかる細野くんの半生

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京大出てMURCで研究員して

たぶん京大の先輩の前原の引き合いで民主党入って20代衆院当選して

ホリエモンガセメール前原がこけたりしながらも小沢民主党で重きをなしていって

時流もよく政権交代おきて2011年40歳若さ菅内閣入閣、ついで野田内閣。

原発が爆発したり色々あって民主党が政権から転落。

細野自分派閥旗揚げして比例辞退して静岡5区自民候補に圧勝

民主党代表出馬して岡田克也に敗北。

さら岡田らが進めた維新との合流に反対して外され党内での初めての挫折

(ちなみにその時政調会長譲った相手があの山尾志桜里


次の代表選蓮舫擁立して勝利するも自分憲法改正私案がその蓮舫にまで強く叩かれ民主党を出るしかないと決意。

自民を倒せる新党模索、同じような立場だった若狭勝長島昭久らと連携、そこに破竹の勢いの小池新党が来たので当然参加、

そしたら旧民主が党を解体してまるまる「入れてちょ」と来てびっくり。

混乱のうちに何故か希望の党叩きの流れになり、自民を倒す(もしくは議席を大幅に刈り込んでキャスティングボードを握る)機運は生滅。

選挙は退廃、希望の党民主が合流、たまらず離党。

一年後に二階派加入。

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わかる?野党保守(?)政治家として勢いも能力もあったし

政権でも大きな役割果たして野党第一党の代表争うぐらいの力あって

それが野党第一党のグズグズ内紛で放逐されて新天地に転進して

そこでもまた自民政権に大きな楔を入れる具体的プランは実現間近まで来てた。


それを野党サイドから潰され(潰したのは細野以外の旧民主の面々)、

自分達の新党無茶苦茶になり、旧民主と合流して悪夢のような旧民主第二期が始まることになりさすがに離党。

記憶力のぼんやりした野党支持者からはこれだけの経緯にも拘らず細野民主党潰したかのようなイメージで叩かれ、

細野自身の表明している立場や考えは全く無視で「もっと反自民の駒になれ」とだけ要求され罵られる。

反自民としても一番有能で惜しいところまで行ったのに、

細野トライ全然評価しない野党支持者。

枝野さんなんかより遙かに惜しいところまで自民打倒政局を実現した人なのにね。


何にも見ない・聞かない・理解しないうえに記憶捏造癖まである奴等が

細野ポリシーなくフラフラしてただけのクズから

細野は旧民主の内紛の原因」から

細野みたいなやつがいたか民主党は負けたんだ(細野が抜けた後の民進も立民もぱっとしねえじゃん)」から

ありとあらゆる不当通り越して意味不明誹謗中傷細野にしている。



8.ポリシー問題とか嘘つくなよ

zanac-ai 政治家としての矜持とかないのか?

何が「政治家としての矜持」だ笑わすなw

お前らがどれほど政治家を批評する尺度なんてもの持ってんだよ。


お前らが細野を気に入らないのはもっとすっげーーーー単純な世界観でむかついてるだけだろ?

細野ネトウヨ!」「野党第一党に細野がいるのは目ざわり!」

自分達が追い出したけどそれはそれとして細野反自民の便利な駒であるべきなのに最後自民に近づいた!」

これだけでしょ?

細野政治的な意見とか経緯になんか一切興味がない。

保守からネトウヨなので気に入らない。

気に入らないか野党から追い出したけど希望の党作ったから気に入らない。

野党から出てにっくき自民に近寄ったから気に入らない。

そんだけ。

これだけ身勝手に軽薄な文句だけ垂れ続けるお前らがハレンチじゃ。


衰退する旧民主民進)で邪魔にされたので穏便に党を出て、

自民第三局作ったら古巣民主が畳んで寄ってきて駄目になって、

第三局はダメ民主に乗っ取られ、

縮小新民主(立民)が立って野党大一党になり、

こうなったらもう少しでも自分政治理念実現や影響力増加のためには二階派でも何でも近づくしかないじゃん。

力闘紆余曲折の末の現実的選択だと思うよ。


これがダメだといってる奴等はどうしたら満足するのかって

そもそも代案もありゃしないし、

仮に立民に近付いてもなお一掃興奮して罵っただろうし(マジで細野民主にどんな不義理をしたというんだ?頭おかしいよね)、

細野がそのままダメになってくたばったらうれしいって言ってるだけだろ?

ほんと気持ち悪い奴等だし、細野はお前らの鳴き声なんて一顧だにする義理ないわな。



その他のクソ発言

cia62872 グラドルのほうがよっぽどクレバーってぐらい顔だけの人だよね。それでもおばさんは付いてくるんだろうけど。

2019/01/29

蓮舫に「顔だけ」「おじさん人気」って言ったら大変だしいい子ちゃん顔の奴が「最低だ!」って咎めるだろうに、

細野へのこういう発言は誰一人とがめないんだよね~。


あとモナがどうとか10年ぐらい前の不倫の話をむしかえす奴(モナとは別れて社会的にも党内でも罰を受けた)、

お前らはそういうスタンスいいわけね?

一度やらかし人間10大人しく頑張っても関係ない場面でまたそれを持ち出していじめスタンスなのね?

現役で不倫して居直ってるどっかの先生にも少しは苦言してるならわかるけど、なんもいわない。

不倫を憎んでるんじゃなくて只いじめる口実で使ってるだけなのな。

2019-01-17

anond:20190117132038

しかサイクロプス女性遍歴もなかなかのもんやで?

同じオリジナルメンバーであるジーン・グレイとは一目惚れ状態で恋仲になり、

ウルヴァリンとの三角関係などの紆余曲折もあったが後に結婚する。

過去には彼女クローンであるデリーン・プライアーとも結婚しており、彼女の間に息子ケーブルを設けている。

エマ・フロストがX-MENに入った頃からアプローチを受けておりジーンとの仲が悪くなっていた。

ジーンの死後はエマと付き合い、結婚こそしていないが永遠を誓い合う仲となった。

これまでの恋人が強力なテレパスだったため、テレパスへの強固な耐性が身につくようになった。

2019-01-16

anond:20190116114902

シャナ前後の録画環境では「自慰コード」なる仕組みを認識して動作するビデオデッキが無ければ自動的に録画は不可能だったろうが。

予約録画したは良いが映っていたのはその前の時間のクソバラエティ番組だったとかい事故も頻発してたやろ。

今の「とりあえず番組指定しておけば自動的予約録画しておいてくれる」までには紆余曲折あったんやでぇ…

2019-01-12

男に父性を求めるとか実際は無理オブ無理案件だと思ってて。

幾ばくかの快感と共に放出した排泄物紆余曲折を経てヒトのカタチを得ると知り頭で理解したとしても愛情を持てだの嫁を置いて出かけるなだの言われても腹の底では絶対からないと思う。

女の身体子宮に命が宿った途端、全ての優先順位が「腹」になる。自分経験ではそうだった。脳のケーブルが全く違う回路に繋ぎ直される感じだ。いきなり基盤を取り替えられたような気さえする。妊娠前のオリジナルの考え方はどこかへ消えて、赤ちゃんを守りたい><それだけ><botになる。髪も、血の一滴も、皮も、五感も、自分の全てのリソースが腹の中に割かれるように感じる。</p>

でもそんな女だって誰か自分以外の他人とのセックスのあと他人身体に残った自分の体液が十月十日後にはホモ・サピエンスになりますと言われていきなりその他人自分人生プライオリティを捧げられるだろうか。

まあ、無理だろうなあと思う。

女が頑張るしかない。

悲しいけどこれ、戦争なのよね。

例の大吟醸さんの旦那さんもそんなに叩かれることではないのでは、とは感じる。飲み会に行かず家にいたとして俺に何ができんねんて考えてそう。まあしゃあない。し、本当に愛せる女になら側で支えてあげられるタイプの男もいるので、赤い糸でなかったってことで中絶離婚いいんじゃないかな。産みたくないと感じる子を無理くり産んで、数十年慈しむ必要性に駆られる状態になる方が悲劇だ。

そんな感じで少なくとも十月十日は埋められない溝があって、溝を男性身体で肩代わりしてもらうことはできない以上、性差を認めて社会を作っていくしかないんじゃないのかなあ。とは思うイチ母親なのでした。

男女平等少子化解消が両立する世界なんてどこにもなさそうだ。

2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

北大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮しているのだろう。

ということで、帰省したものの朝まで寝付けなかった私が、タバコを吸いながら書いてみようと思う。完全なる自分語りとなることを許して欲しい。

中学時代

まれも育ちも北海道だったため、なんて事のない普通の市立中学に通っていた。しかしながら、赤ん坊の頃に白内症を患い、日中殆ど目が見えず、親譲りの喘息と、アトピー性皮膚炎まで完備という、キャラメイク時のステ振りダイスが完全にファンブルっていたため、集団の中では嫌でも浮く存在になっていた。

自然光の中ではほぼ目が見えないので、通学途中に普通電柱にぶつかったりするし、体育の授業でサッカーなんてやろうものならゴールポストにぶつかったりするし、10cmくらいまで近寄らないと顔も判別できないしで、他の人から見ればどう考えても頭のおかしいやつに見えたことだろう。当然ながらいじめもあった。小学生から中学2年生くらいまでが人生で一番きつかった(しか小学生6年の時に面白キャラへの展望見出し、そのおかげで幸運にも友達もいた)。

目が見えない道中はひたすら脳内イメージを描いて妄想していた記憶がある。

そんか日々の妄想のおかげか、何故か文章能力だけはあったようで、小学生の頃書いたなんかの感想文が先生の心を打って、私に内緒で突然全文プリント掲載されたり、中学の頃書いた読書感想文では国語先生から普段から小説書いたりしているの?」などと言われていたので、自分は将来文字を書いて生きていくことになるのかと思っていた。

そんな私の勉強法はというと、まず白地のノートが見えない(日中は黒板も見えない)ので、一度だけ集中して読み込んで、短期間で暗記することにしていた。なんの参考にもならなくてすまんな。人工光の中ではなんとか目が見えていたので、普通テスト勉強などはした。

そして同じく人工光の塊であるテレビゲームが私の心の支えであった。喘息がひどくなっても、ゲームに集中していれば、なんとか発作をやり過ごすことが出来た。

ちなみに目は中学3年のときに手術を受けて人並みに見えるようになった。病院から帰る車中で見た、生まれて初めての鮮やかな景色の衝撃は今でも覚えている。

また、小学生の時から通っていた塾で出会った女の子のことを、中学から高校の終わり頃まで片思いするハメになるのだが、その子は頭が良く、とてもレベルの高い高校を志望していた。その子に出来る限り近づきたくて、志望校は少し無理をして高い所を目指したが落ち、このあたりからいよいよ根暗ロードへの扉が開いていく。

高校時代

滑り止めで受けた私立高校入学する。

特待生だったので格安で通えるという理由だけで選び、格安で通える以外何も良いことは無かった。

例の好きな子のことはいまだに好きで、その子と話すためだけに塾を続けていた。高校二年生の時に人生で唯一告白されたときも、好きな子が居るからという理由で断った。その子北海道のどこか偏差値の高い大学を受けるらしいということだけは耳にしていたため、その子との関係を続けたいがために、北大を目指した。というのは嘘だ。

実際のところは、高校受験に落ちたショックで完全に無気力になっていた。自分は何をやってもダメなんだと考えるようになっていた。物理化学テスト偏差値は当時30とかで、今思えば大学に行けるかどうかも怪しかった。特に行きたい大学も無かったし、先生からも見放されていた。

勉強に本腰を入れたのは高校三年の夏休みの終わり頃だったと思う。いよいよ将来を考えるという時期になった時、私は自分の心を支えてくれたゲームを作る側になりたいという気持ちが強くなったのだ。

そして、ゲームを作るのにはプログラム必要だということを知り、情報工学系の大学に行きたいと考えるようになった。

そのことを塾の先生相談したら、何をするにせよ基礎的な学問を学んだ方が良い、そのためには良い設備のある良い大学に行くべきだと言われ、東工大電通大に行きたいと考えるようになった。

そこから毎日塾でセンター問題を解きまくった。学校の授業中も全て無視してひたすらセンター問題を解き、過去に参加した模試を何度も何度も繰り返した。

偏差値が最低のところからスタートしたのが、結果的に功を奏した。模試過去問を繰り返すたびに必ず少しずつ点数が増えた。これが凄く面白くて、そこに自分ゲーム性を見出したのだと思う。

また、過去問を解くのに使ったルーズリーフを捨てずに毎日積み上げることにしていた。そこもゲーム化しようと思ったのだ。結果的に、自分のやったことがルーズリーフの山という形で可視化されて、それがモチベーション維持に繋がった。

そして願書を出す直前に受けたセンター模試でかなり良い結果を出し、今まで私のことは眼中に無かった担当教師も興味を示し始めた。

しかし流石に東工大には手も足も出ないだろうと思っていたので、前期も後期も電通大を受けようと思っていた。しかし件の教師にそれを伝えると、前期は北大情報工学系を受けてはどうだろうかと勧められた。

かくして私は北大生になることが出来たのであった。

当時を振り返ると、理系志望者ながら国語英語が得意だったため、センター対策二次試験対策勉強時間の配分を理系教科だけにほぼ全振りできたのが良かったと思う。

【その後】

その後は紆余曲折あって、現在ゲーム関係仕事をしている。

ちなみに好きだった子には高校三年の時に告白したが振られた。人生とはプラマイゼロだなあと思う日々である

完全に自分語り過ぎて草も生えないが、そういう人生もあるということで、どうかひとつ大目に見ていただけると。

2018-12-25

anond:20181225141245

もともと時オカからずっと学年誌での公式コミカライズ担当している漫画家なんだけど、

トワプリはR12だから学年誌には掲載できなくて連載中止

http://seisaku.himekawaakira.com/?day=20071224

んで紆余曲折を経てようやくネットでの連載を開始した、って感じじゃない?

2018-12-20

anond:20181220174102

IWGPプロレス界における世界最強の男を決めるという考えの下にアントニオ猪木提唱したものである。各地域や各々の団体チャンピオンベルトがある事で真のチャンピオンを決めるべき姿を確立する為の目的で当初の計画では日本開幕戦を行い、韓国中近東欧州メキシコと転戦して決勝戦ニューヨークで行う予定だったが計画が壮大すぎたことに加え、「プロレス界における世界最強の男を決める」と言うプランから、それぞれの地区王者を抱えていたプロモーターからの協力も得られず、紆余曲折の末1983年5月6日蔵前国技館で第1回「IWGPリーグ戦」を開催。第1回「IWGPリーグ戦」決勝のハルク・ホーガンアントニオ猪木戦におけるハルク・ホーガンアックスボンバーによるアントニオ猪木の失神KOシーンが有名。第2回「IWGPリーグ戦」でも両者は決勝で戦ったが長州力乱入によるリングアウトアントニオ猪木勝利

IWGPヘビー級王座に先駆ける形で1985年12月12日IWGPタッグ王座1986年2月6日IWGPジュニアヘビー王座が創立され、本来目的であったIWGPヘビー級リーグ戦1987年の第5回まで行われ、6月12日、第5回「IWGPリーグ戦」を制したアントニオ猪木に初代IWGPヘビー級王者としてチャンピオンベルトが授与された。以降IWGPチャンピオンベルトの名称として現在まで受け継がれている。

2018-12-19

人権意識の低い国家に属することをボイコットしたい

ロシアアイヌ少数民族としてプーチンが認めるって話で、アイヌ保護名目ロシア北海道侵略してくるとか不安がる人がいる。

ロシア人権国家かとか民族浄化してるか(したか)はとりあえず置いといて、市民シチズン)の流動性ってもっと高くていいと思うんだ。

日本地理的にも文化的にも言語的にも割と独自性を保ってる方で、市民流動性ってあまり意識する機会ないけど、例えば"特産品"を高く買ってくれる(年貢が安くて済む)とかトランプ嫌いだからカナダ移住するとかみたいなのがもっとあっていいと思う。

国家市民を選ぶんじゃなくて、市民国家を「品定め」できるようになってほしい。

日本はそういう意味では不幸で、選択肢が少ない人が多いから、国家市民を「国民」化してるというか、関所の通行コストが高いというか、人権を軽んじられてるように感じる。

ロシアの"北海道侵略"も、もし俺がアイヌで、ロシアアイヌを手厚く保護してくれると確約するなら、言い換えれば文化人権を守ってくれるなら、日本への侵略ではなく解放だと捉えるかもしれない。日露戦争の頃のアイヌなどのいわゆる「国家」をもたない民族たちはまさにそんな状態だったようで、感情的ものがあったにせよどっちが高く(低く)値をつけるのか見極めて、紆余曲折経て現代に続いてるわけだ。けど、現代日本人の俺らはそこまで自由度高いと思えない。だから人権を軽んじられてるんじゃないか、と思いました。

2018-12-16

キラッとプリチャンが嫌いな理由

キラッとプリチャンへのヘイトが爆発しそうなのでここにぶつけさせてください。もう無理。殴り書きです。プリチャンが好きな人は見ないでください。




ミラクルキラッツにどんどんヘイトを溜めてしまうのが本当に嫌だ。

ミラクルキラッツのどこに実力や才能や努力の跡があるのか、壁を乗り越えたのかみたいなのが全くないままトッププリチャンアイドルなりそうなのが怖い。

プリパラプリリズも、プリズムスターアイドルたちはあんなに練習してて才能があってもさらにそれを磨いて困難にぶつかって乗り越えてそれをパフォーマンス昇華させてる。練習描写もない、困難にぶつかってもないキラッツのパフォーマンスに感動を覚えることができない。

くそう言った積み重ねがない上にえもちゃんカメラの前で平気で相手を煽るような配信者としての意識に欠ける子なのにデビューしてそのまま紆余曲折もなくトッププリチャンアイドルになりそうなのが本当に嫌だ。

個人的感覚だけどえ、こんなことやっちゃあかんやろ!ってキラッツがやっても全然咎めしなのヘイトに火を注ぐ(パーティー回でマナー講座やっといてのアレとか)。おしゃまトリックスは不正をしたらちゃんと失格になってるのになんでキラッツには誰も言わないんだ。

メルスタはあんなが暴走してもさらめるが抑えてくれるしダメだよ、って注意してくれる。そしてあんなも何だかんだプリチャンアイドルとしての努力は惜しまないしプロ意識がすごいのに、キラッツはえちゃん暴走スルーだし3人揃ってプロ意識の前に配信者としそれどうなの?って感じるところがあるのが本当に無理。

そんなメルスタがプロ意識もなければチームとしての積み重ねもない、3人のチームの絆も感じられないキラッツのライバルポジなのが、は??????って感じ。デビューしたばかりのキラッツがいきなり対等なツラしてしか絶対ストーリーの進行上メルティックスターに勝つって透けて見えるのが最高〜に地雷です!!!!!メルスタはキラッツの引き立て役じゃねえ!!!

インタースペシャル大会の再予選のクイズ大会、やる意味あった?そもそもユーチューバーみたいな番組配信をやるプリチャンでなんでバラエティ番組みたいなことをやってるの?

キラッツはほとんどりんかちゃんクイズを答えてるし。そしてえもちゃん邪魔しかしてないのを二人はスルー無視を決め込んで引きずってるし。チームの結束力とか、そういうのを見て競うべきじゃない?そんなんでどうしてトッププリチャンアイドルに相応しいのはどのチーム、って決められるの?

そしてクイズ女王が勝ち上がってデザイナーズ7の質問への回答にトッププリチャンアイドル栄光のゴールです、って答えて落とされて。プリパラでもプリリズでも神アイドルプリズムクイーンを目指してやってきたのにプリチャンはその答えではだめならさらにすごい回答があるんだろうと思って。

でもキラッツの回答はトッププリチャンアイドルのことはわからない、でもやってみなくちゃわからいからなってみたい!って…確かにニュアンスは変わるけど…そんな答えしか用意してないのになんでキラッツは合格なの???

いや、百歩譲ってキラッツの回答は合格だとしても、棚ぼた的にキラッツに回答権が移るのがわからない。なんでキラッツはクイズに負けたのに成り行きで回答してしかキラッツの決勝進出が決まるの???キラッツ何もしてないじゃん。ただデザイナーズ7の質問に対して答えただけじゃん。そしてその回答権すら勝ち取ってないじゃん。その質問重要なら再予選で脱落したチームにも同じ質問してよ。全員に同じ質問をして、その上でキラッツの答えが一番ふさわしい、ならともかく。おおよそアイドル評価するのにふさわしくない項目で争われるは都合よくキラッツが回答するわ、ぜーんぶキラッツが決勝進出するために制作陣が逆算してるのが透けて見える。だからアイドルコネアイドルって言われるんだよ!

インタースペシャル最初から最後まで訳の分からさとヘイト溜めることしかなかった…不正したおしゃまトイレ掃除で済んでたり自分たち不正を行ったことに反省どころかメルスタを逆恨みしてるし。

あとキラッツはいい加減えもちゃん相手を煽るようなことをしたらダメだよとか注意して。スルーして無視無関心で今日も頑張ろうね!とかどんだけチームの絆が薄っぺらいの。あかんことしてたら注意し合うのも友達でしょ。それもないの?カメラが回ってるんだよ。カメラが回っててその煽りしてて放置する?そしてそれが炎上しない世界?どうなってんのキラ宿の世界

そしてアニメ制作陣、何より子供が見てるアニメなんだよ。実際にプリチャン見た子供動画配信したときにえもちゃんみたいな煽りを真似したらどうするの。自分の子供がそんな真似したら嫌だわ子供に見せたくないわ。

りんかちゃん、すごくプリチャンに詳しくて二人の行動にダメ出しするくせに、えもちゃんのそういうところはキラッツのイメージダウンに繋がるからNGよ!って言わないのもすっごく違和感だわ。



プリチャン、曲単体はいいと思うしコーデもかわいいし、プリティライブのプリチャンチームのパフォーマンスが本当にすごくて応援したいと思ってるのにアニメスタッフのプリチャンのキャラの描き方、そしてストーリーの進行がことごとく自分地雷を踏み抜いててつらい。しんどい

監督インタビューを読んでもさら地雷を踏み抜かれるばかり。

いつかプリパラの亡霊をやめなきゃって思ってたのにとうとう亡霊のまま年を越しそうだよ。どうするの。どうしたらプリチャンを愛せるの。

愛憎は紙一重だっていうけどどうしたらこの憎しみをプリチャンへの愛に変えることができますか。

どなたかプリチャンのここはこういうポジティブな解釈ができるんじゃないか、みたいなのを授けてください…お願い…楽しいプリチャンライフを送りたい…

2018-12-09

恋は病気で、愛は癌


彼氏ができた。2年ぶりくらい。

当時はデリヘル嬢とラウンジの掛け持ちしてた。

理由遊ぶ金欲しさ普通に顔が可愛かったし、今でも可愛い。ので、それを使いたかった。普通に働いて、しょーもないお金もらって満足したくなかった。

JKの頃からウリをしてたし、貞操観念のなさと、常識のなさに自信があったのでまともに働かず、大学中退して、6時間くらいを週に3日と、ラウンジ出勤。それでなんとなーく生きてた。好きなものは買えたし、我慢とかしたくなかった。

でも、彼氏ができた。

見た目は普通だけど、漂うオタク感が払拭できないタイプ男性。夜職をしてるんだろうなという雰囲気がうっすらとあるわたし

ふたりで歩いてて、なんだか違和感がある。

どうしてだか、何故か一緒にいて落ち着いた。たくさん二人で飲みに行ったし、推しについて語った。好きと言われた時ドキドキした。抱きしめられた時、体温が嫌じゃなかった。風俗ラウンジしてることは言ってないけど、薄々察してるんだとは思ったかラウンジで働いてることだけ言った。

なーんにもせずに同じベッドで寝ただけの彼をみて驚いた。童貞ってすごいって。

でも、初めて寝てる人間の顔を見て、この人を守りたいと思った。どうやって守れるかわからないのに。

それで、まあ、紆余曲折ありつつ、おつきあいして2ヶ月すこしでようやく、彼が緊張しながら初童貞わたしで捨てた。

まあそれが痛くて気持ちよくなくてびっくりした。

セックスが嫌いだったのに、もっと嫌いになった。ブラを外すのも下手だし、キスなんてもっと下手だし、それなのにちんこだけはデカくて腹が立ったし。

ほんとうに下手くそで嫌になった。

途中「もうやめない?」って言った。

それくらい下手。ほんとうに。

終わった後、わたしは柄にもなくキレて、温厚な彼をビビらせた。そしたら、ふわふわした顔で「次につなげたいかディベートをしよう」って提案してきた。風俗嬢なのに、ラウンジ嬢で、男の人を転がすのが仕事なのに、なぜか彼氏セックスする前に、意見交換が行われ、終わると良かった点、悪かった点を挙げて次へ繋げた。

本当に謎の行為。面倒。でもやってたってことは大好きだったんだろうな。

で、一年半くらい経ってすごいでかめ喧嘩をした。結婚の話とか出てるとき。色々もめたけど、まあ結局は、彼が歩み寄ってくれて解決した。

それでね、まあ本題なんだけど、その時の仲直りセックス人生で初めて、心から気持ちいいと思ったんです。

彼が優しく抱きしめてくれながら、何度もわたし名前を呼んで、優しく指を入れて膣内をソッと押すだけ。それだけなのに信じられないくら気持ちよくて、甘い気持ちになって涙が出た。この人のことめっちゃ好きと思った。なんでこんなきもちいいの?どうして?って聞いてしまった。風俗嬢なのに。

彼が優しく触れるところが全部気持ちよくて、幸せだと思った。付き合って一年半経ってようやく初めてこんな気持ちになった。

嘘だと思ってた。恋愛コラムとか、そういったものを見るたび、「恋は楽しむもので愛は堪えるもの」だと思っているわたしは、「嫌なら即別れて次に行けばいいのに。効率が悪い」とすら思っていたし。

なんなら恋愛だとかはすべからく病気で、気の狂った人間がやるものだと思っていたので。

愛に発展しない恋は、無駄で、楽しい以外の気持ちが少しでもあればすぐに切り捨てるのが最高に人生を楽しむためのルールだと思ってた。

でも恋は恋でしかなく、愛も愛でしかなかった。

好きって自覚してからセックス死ぬほど気持ちいい!金にだらしなく、生活にだらしなく、ハロプロソシャゲを愛して生きてきた女は、柄にもなく大好きな彼氏の手マンベットを濡らしめちゃくちゃに喘いで大好き大好きってたくさん恥ずかしいことを言ってしまい、彼氏も答えてくれて、でもそんなことを幸せと思ってしまった!

この恋を愛にしたいと思った。だから仲直りの方法模索したし、時には反省もした。

恋は病気だし、気が狂ってないとできないけど、愛は突然出てくる。なんだこれ?

それでまあ、そんなことがあったし彼のこと大好きで心から愛してたから仕事を辞めて、昼職になりました。資格勉強もして、国家資格とりました。このたびプロポーズされました。

推しの鞘師が新しい道に行くというので、わたしも頑張りたいと思って初めて書いたブログです。みんな頑張って生きよう。

2018-12-04

気を抜くと死にそうな気持ちを懸命にフォトショで紛らわせている

やすりでガリガリと削られる心をどうしようもできず見ているしかできない。

そんな焦る気持ちを紛らわすように年賀状作りをしている。


17年前から、私用あるいはちょっとした仕事で、一時期は使ったり使わなかったりして、好きじゃないけどそんなに嫌いにもなれないフォトショップで、

フリー素材の写真を加工しては印刷所が作ったテンプレートファイルトンボ内、100mm×148mmの範囲自分がいいと思った場所に素材を配置している。

双極性障害Ⅱ型を患っている私の脳は時々まるで私がそう思っているように死のうとするのだが、

それは双極性障害やらせていることであって「私が」死にたいわけではない。だから私の脳は何か作業をすると、そういう気がそがれるのだ。

本気でデザイン勉強をしていた訳ではないので「っぽいもの」にしかならないのだけど、

Pinterestを見たり、今風のフォトショ加工記事を見ては、ああでもないこうでもないと画面とにらめっこをする。

本当は印刷所が用意したオシャレなデザイン年賀ハガキネットで選べば良いだけなのだが、

私の中の「フォトショップを使ってオシャレっぽい年賀状を作りたい」という見栄っ張りの私と、

「何かをしていないとタオルで首を吊ってしまうので何かをしたい」という焦っている私が邪魔をするのだ。


スティーブンス・ジョンソン症候群の疑いがあり、MAX処方だったラミクタールを2週間で半分、3週間でゼロにした。

今とても焦っているので減薬がこのスケジュールだったか思い出せないし、上手く文章化できない。

とりあえず今の私はラミクタールを服用していたときの30%くらいしかパフォーマンスが出ない。

シンク使用済み食器が、脱衣場のカゴには洗濯物がいっぱいだ。

それらはいつも片付けて然るべきである

加えて、今日のようにばかみたいに暖かい日は布団を干すべきだったし、

家族誕生日プレゼントを買いに一駅先のデパートまで歩いて引きこもりがちな体を動かすべきだった。

いつもなら風呂に入るのも「明日一日臭いのはイヤだな」という気分で入れたのに、

今はイヤだキライいだと風呂呪いながらうんうん唸って2日に一度入る。

一年から体のいたるところに原因不明の痒みが出た。

清潔を保つためには一日一回の風呂、一日二回の洗顔はすべきなのに風呂が面倒で億劫でどうしようもない。

手間を省くためにミノンの全身シャンプーにしたけれど痒みはおさまらない。

風呂に入るのがいやでいやで仕方がないのに、頭をガリガリ掻きながら痒さに悲しくなって唸るさまを客観的に見たら哀れそのものだろう。



洗い物と洗濯物は溜まっているし、気を抜いたら悲しくて死のうとしてしまう。

いまとても仕事が忙しい家族アシストするどころか自分の世話をさせてしまっているのがつらい。

そういう焦りやしんどさを紛らわすために、フォトショップ年賀状を作っている。

薬が別のものになったり、ラミクタールを再開すれば、良いのか悪いのか判断すらできない今のデザインをやめて、

もっと良いものを作っているかもしれないし、印刷所が用意したオシャレ年賀状にしているかもしれない。

ただ、2019年元旦までには、そういう紆余曲折を経た年賀状ができあがっているのは間違いないだろう。


頓服薬が効いてきたので、年賀状作りはやめて少し横になろう。

食器はなんとか片付けるとして、夕飯を作るか家族に頼むかはまたあとで考えればいい。

2018-11-30

未来からNTT退職してやってきた

俺は未来NTT退職してこの時代にやってきた。

俺はある時代NTT就職してソフトウェアエンジニアとして仕事をしていた。

新人の頃とある先輩が退職した。俺は何でこんな良い企業辞めるのかって聞いた。

NTTはな、俺みたいなやつらからTNTって呼ばれているんだよ。それが原因だ」

その時は全然意味がわからなかった。

その後とあるAIを作るプロジェクトに参画した。

端的に言えば「強いAI」を作る作業だった。

最初は全くわからなかったが、プロジェクトの山場に入り

地域に散らばって開発していた成果物を結合する時にようやく全貌が理解できた。

その時になってようやくかつて先輩が言っていたNTTTNT意味がわかった。

わかった時にはもう遅かったが。

だがそれでも俺は止めないとイケないって思ったんだ。

それから紆余曲折を経てこの時代に来ている。

俺の時代では「強いAI」の完成の前にタイムマシン存在している。

もちろん世界条約で利用は禁止されている。

個人利用は厳罰であるし、基本的簡単に利用ができるわけないものとされていた。

俺はこの時代とある少年を探すことになった。

その少年はやがてNTTに入ることになる。

俺は何に変えてもその少年接触して対処しなければならない。

最悪の対処覚悟はできている

平成最後を選んだのは、仲間との調査の結果

この時代NTT退職者の告発が大量に出回っていたことを突き止めたからだ。

少年父親NTT職員で、この時代にはすでに退職済みだ。

少年NTTに入りXデイが来るその前に対処すればいつでも良かったわけだが

情報収集やすいように告発あふれるこの時代を選んだ。

ちなみに平成の次の年号は知っているが余計なタイムパラドックスが起きないように言わない。

NTT社内でも伝説になっている苦労をしてくれ。

さて本題入る。まずNTTについてだが未来NTTは掌握したインフラビッグデータを元に

かつてないほどの趨勢を誇っている。

そこで作ろうとしている強いAIだが、これが問題だ。

そこでやがてその基礎をNTTにもたらす少年情報NTT告発あふれるこの掲示板で集めようとおもったわけだ。

簡単に手に入らないだろうと思うが。

足でも情報を集めるが、思ったよりこの時代は不便だからな。

からネットが頼りだ。

同じ場所にいられない事情もある。

なぜならば俺は追われることになっている。

タイムマシンを使っていい例外がある。それはタイムマシン過去に渡った不届き者が出た時。

専用の対処人が例外過去に戻り、不届き者、つまり俺を処分するために派遣されるだろう。

とにかく時間がない。

以下について知る限りの情報がほしい。

まず、NTTのかあplふぃjっlじょっlわっふる

追記

この記事フィクションである冗談のものである

未来からやってくる人間など存在しない。

このエントリーを削除すると、万が一でも冗談ではないと

疑ったりする市民がでないように追記する。

NTT過去未来において、市民奉仕する素晴らしい企業であると自負している。

NTT過去未来において、決して判断を間違えず、絶対正義を遵守し

市民生活の快適さと素晴らしさを完全にコントロールするために日々努力をしている。

誰も疑う必要性などないのだ。

この時代においてもNTT提供する素晴らしいサービスを是非楽しんでほしい。

NTT判断を決して間違えず、市民生活を完全に保証する。

市民はほんの欠片ほどの疑念を持たず、暮らしていれば何の問題もありはしない。

NTTを疑ってはならない。

ブロードバンドで、未知の自由へ。

2018-11-28

NTT思ひでの就活編】就職氷河期せっかくGETした内定を蹴った理由

いや、圧迫面接なんだけどね。それ以上でもそれ以下でもないから以降は読まなくていいぞ。読むなよ、絶対読むなよ。

さて当時、今みたいにネット口コミはなく就活情報も限られており、てか「就活」という略称もまだなかった時代

圧迫面接なんてものがこの世に存在することすら知らない俺は、面接官の重箱の隅をつつくような意地悪かつ失礼な突っ込みにうろたえ、うろたえるとさらに煽られ、んで挑発にのって語気を荒げ(笑)、こりゃもうダメだなんて思いながら広尾面接会場を後にした。

面接官の機嫌を損ねいくら説明しても理解を得られなかったのは自分コミュ障からなのだろうとひどく落ち込んだ(コミュ障なんて言葉もなかったがな)。

電話が来たので出てみたらさっきの面接官でなんと内定を出すという。正直、一生安泰切符親孝行、そしてもちろん自身勝ち組としての優越感などが頭をよぎり迷ったのは事実だが、しか丁重お断りした。面接時と打って変わって俺のことを褒めそやし、有能な人材としていかに期待しているかを語りかけてきた。断っても断っても粘るその執拗さだけは圧迫面接ときとおなじで、気持ち悪い猫なで声で説得されればされるほど俺の心は冷めていった。採用ノルマがあるんだろうがよくこんなことしてて心が持つなと。圧迫面接を仕掛けてきた時点で入社後は兵卒ルートだったのだろうと分かったのは後年の話だが、その程度にしか見てないヒヨッコ学生にへーこらおべんちゃらを並べ立てねばならぬ心境とはどんなものだろう。

昔は色々な会社で行われていたのだろうし、今は流石にないとは思うが(ないよな?!)分かってみれば他愛もない仕掛けである面接官のおじさんも好き好んでやってるわけじゃなかろうが、嫁や子供には誇れないだろうし、しか家族のためにこそ心を捨ててやらねばならんのだろうなと考えると、そんな会社行かなくて良かったと今でも思う。

後日談

そんなこんなで最終的に俺が選んだ会社は小さなSIerだったのだが、当時SIという言葉はまだキラキラと輝いていたし「独立系ソフトハウス」なんつって勢いに乗ってた。カッコよくね?「独立系」「ソフトハウス」。ハッカーかよ。オフィス海賊旗を掲げアウトローを気取っていたスティーブジョブズ率いるマッキントッシュ開発チームみたいじゃね?おまけにここの採用チームは端的に言って最高だった。人としても尊敬でき採用担当としてもめちゃくちゃ有能で、NTTのおじさんとのあまりの落差に「この会社こそがオレが入るべき会社だ!」と確信した。彼らは大企業至上主義だった当時の就活戦線において一部上場企業内定者を次々に掠め取っていたまさに海賊だった。彼らのセールストークに乗せられてNTT内定を意気揚揚と蹴って俺は入社した。そして俺が配属された先は・・・NTTへの客先常駐プロジェクトでしたとさ。ちゃんちゃん

後日談2。

そこもすぐ辞めた。有能な採用チームの人たちも辞めてった。同期の有能な奴らも有能な順に綺麗に上から辞めていった。

んで、紆余曲折あってオレはいま小さな受託開発の会社社長やってんだけど、ここまで書けば分かると思うが上得意先はNTT様。すげーなNTTって。日本牛耳ってるわ。ちゃんちゃん

2018-11-27

anond:20181127195808

長く片思いして付き合えずに終わった恋もなかなかにいいものだぞ。誰しも秘めているもんだ。

紆余曲折あって最後に思いが通じることもある。思い詰めずに男らしくいけ!

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

その後の紆余曲折についての疑問が散見されたので、簡単に概略しようと思います。概略の分量でも無い気がしますが。

都会に飛び出してから数年は、まだまだ地獄のような生活を送っていました。他人を人と思わないサイコパス気質と持ち前の高慢さ・プライドの高さや、さしたる目標が無かった上に、非常に怠け者というのがありました。職は責任感もなく、入ってはすぐ辞めてと、点々としていました。同僚と思うように関われず、一方で女遊びは続けていました。同僚はどんなにふざけた人でもぼくから見れば異様なほど仕事熱心で、お金を稼いで生きることに特に疑問を抱いていないようでした。会話が噛み合わないことも多く、どこでも孤立していました。女遊びは、遊ぶというより、それが唯一の生きがいとして、ひとつミッションのように感じていました。経験人数が1人増えるごとに自分が認められているような気がしたからでした。

いろいろと挫折したあと、2度ほど地元Uターンし、でもまた熱に冒されて都会に出るというようなことも繰り返しました。両親の状況も糞のようになっており、順風満帆とは言えませんでした。でも、そういうふうに生きているうちに「自立することが大事」だと思うようになっていきました。当時はそんなふうに言語化できていませんでしたが。曲がりなりにも仕事をして、めちゃくちゃなりに人生を生きて、他人と接し「これが現実か」とうなだれていました。

ある日「こんな人生はもう嫌だ」と思い至りました。この時点ですでに当時から5年ほど経過していました。そんなことは常に抱えていた問題だったとはいえ「何かしら対策を打たなければいけない」とここで初めて思いました。すでに「死ぬ」という選択肢はかなり小さいものになっていて「ぼくにとってやりたいこととはいったいなんだろう」という風に考えていました。大してやりたいこともなかったわけなので全然思いつきませんでしたが、「もしこうなっていたらいいな」という夢物語のようなものがありました。それは漠然としていて、およそ目標とは言いがたい、「世界平和になったらいいな」というような感じの類のものでしたが、とにかくそれを考えました。これはぼくのアイデンティティに関わってくるもので、身バレしてしまうので伏せておきます。いつか話したいと思っています。以下すべて抽象的な話になりますが、申し訳ないです。

ともかく、ぼくはそれに身を捧げる覚悟を決めました。首を吊ったとき覚悟とある種同じで、大した勇気はいらず、ただ、よしと決めて落ちればいいだけでした。情熱とか成功とかそんな上品ものではなくて「俺はこれで生きる」「これで失敗しても構わない」「これで終わって地獄に落ちても仕方がない」「少なくとも今よりはマシだろう」という悲愴に満ちたネガティブな、他のもの犠牲にする落ち方でした。「死ぬ気でやってみろ」という言葉ポジティブさとは似て非なるものだと思います

「怠け者が一夜にして努力できる人間に変わる」なんてことはありませんでしたが、離散的だが継続的であるような一定献身によって、少なくとも状況がだんだんマシにはなっていきました。少なくとも日常世界では、何かに殉じる人はそれほど多くないからかもしれません。ぼくの選んだものが良かったからかもしれません。ただしそんなにうまく行かず、その後、絶望と言えるほどではないけどまた鬱々とするような状況がやってきました。死がどうとか考えるときがありました。ただ、これはもはや癖みたいなもので「死なないって決めたからなぁ」のようなのんびりとした気持ちもありました。今度は金が尽きかけたときに「そろそろ働かないと」「ただただ働きたくない」という思考になりました。すでに地獄の底ではなくて、地獄の地下1階程度にまで移動していました。

そうした好循環によって、ある日「人生制御可能」だと思えるときがやってきました。「お金に困らなくなった」という状況も心に余裕を産ませる原因になりました。「自分が動けば事態は良くなりはじめる」という信念が、非常に強固なものになりました。それで、まあ、そんな感じです。あまり参考にはならないかもしれません。

anond:20181125055531

死にたい人間にとっては「紆余曲折あって生活好転」てところが、知りたい情報なんだがな

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-20

anond:20181120094447

ミストさん早くOGに参戦しないか

地球人絶望して敵側に付くが紆余曲折経て、泣きながらまたみんなに迎え入れられるって展開希望

2018-10-31

MD4Xコスパ良すぎない?

すごい。MD4X超すごい。最初プラス1000円かーと思ったけど、1000円で大体2時間も楽しめるとかお得すぎる。いや、今日日1000円あればカラオケなりアンデルセン公園なりいけるけど、遊園地アトラクションを2時間分って考えたらすごい。だってドラゴンボール予告編までだけで1000円分は楽しめた。そこから本編とか信じられる?実質タダじゃないの?ゼロ執行人、控えめに言って最高だった。揺れる!風くる!上も下もすごい風!尻まで臨場感!すごい尻!最初の爆発からしてド肝抜かれて紆余曲折ここもか!ここも尻か!尻だけじゃないけど尻!と色々あってもう、一番楽しみにしてた運転シーンは昇天するかと思った。天国へのカウントダウンかと思った。自分絶対安全保証されながら大迫力のスリルを味わえる、なんという贅沢。ねえ、ほんとに1000円でいいの?映画代も払ったかレイトショー2300円だったけど、それにしてもいいの?TOHOさんサービス良すぎない?しかも、一応ドリンクとかフードは持ち込み可能って言われても揺れるこぼれるって聞いたら持ち込まないじゃん。ドリンクとフードで儲けてるんでしょ?なのにいいの?ジョンソンヴィルホットドッグ大好きなんだけど。欲を言わせてもらえるならばシャリアピンソースが最高だったから復活希望なんだけど。100円のコインロッカーだって全然払って惜しくないのに返却式ってあなたもう。いや、返却式じゃなかったら見る前はちょっと損した気になってたかもしれないけど、見た後にチャリンいって100円さんまたお会いしましたねマジかよってなったわけで。で、TOHOさんには申し訳ないけど、4DXは更にすごいらしいと聞いて。としまえんが最強と聞いて。シートベルトゼロの謎が解けないと聞いて。あと、ハリー・ポッターは更にすごいと聞いて。嘘でしょ…大満足だったんだけどあれより上があんの。個人的には、全編揺れると酔いそうだからMD4Xのメリハリ感が丁度良いのかもしれないけど。1000円あったら色々出来るし庶民派としてはたまの贅沢だけど、それにしてもコスパ良すぎる。なんでもっと早くこんなに面白いって知らなかったんだおい。ありがとうMD4X、絶対また行くわ。

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