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2018-07-01

あいつが低能先生だった

大名小学校廊下にいたのは犯人だったのか、メディア風貌が出てから顔を確認した。松本という低能先生自分と同年代だった。

帰る時に今思えば犯人廊下の影から出てきたので覚えている(立ち飲み屋の横、入り口近く)

何でこんな暗い所に身を潜めてるんだ、と不審に思ってチラッと見たら、ガバッと一気に勢いつけて廊下に出で来たので驚きつつも、自分相手をたまに繁華街で見かける不審人物、変質者かと思った

今にして思えば尋常じゃない怒りに満ちて興奮してたんだろうが、変質者かと思って、そこまで過激危険人物とは気がつかなかった

正直、挙動不審な人はたまに見かけるし、 嫌だなーとは感じたけど自分にとっては人混みの中で稀にある事だった。相手はなぜかは意味不明だが興奮してるようだったし、その後は怖いので目を合わさずに、早足で外に出た。

施設内はスタートアップカフェがあり、ベンチャー企業スタッフ達?がちょうど近くの入り口横で飲み物片手にずっと談笑してたのだ。

なので、入る時に見かけた彼等が出る時も(メンバーは違うかもだが)居たので安心感があった。

報道では、2回目のかもめ会の間、廊下をウロウロしてたのが防犯カメラうつっていたらしい。

豊洲では確かドアに窓もなかったし、奥が上座だった。もし仮に途中で覗いたとしたらhagex さんは見えても聴講者は全員後ろ姿だ。

あとは定員50名に対して参加者30数名で、部屋が広かった(快適)

福岡では入り口上座間取り。定員30名の小部屋で息苦しい程にギュウギュウ詰め。学校仕様なのでドアに窓があり、講演中、廊下から覗いてくる人がチラホラ居た。覗いても自分のような聴講者とやたらと目が会うだけで、ドア横斜位置ハゲックスさんはたいして横や後ろ姿しか見えないような気がした

覗いてくる人に対処してる人は存在してた。豊洲阿佐ヶ谷スタッフ女性ひとりだったが同郷の人なのか自分のような部外者には謎だが、3人に増えていた。

内容はまだフワっとして硬めだった豊洲よりも回数を経てこなれて来た感があり、内容も濃く充実してきたが、逆にノリを棲み分けてたはずの阿佐ヶ谷と近くなってしまっていた。

ちなみに豊洲と違い、今回は低能先生への言及は無かった

第1回では、はてなハゲ子さんへの反応が賛否両論だった話題について取り上げる時に、idコールはてブ?の低能先生割合も表示して、説明していた。全体の1、2割を占め、

ものすごい割合で改めて驚愕したが、会場内ははてな村の人が大多数で、ふつうにウケて笑いを取っていた。hagex さんも、自分別に良いけど、慣れてない人がこれをされるとビックリして辞めちゃうんじゃないかとおっしゃってた

豊洲では帰る時にハゲ子さんがキャバ嬢みたいに名刺渡してお見送りで皆おとなしく帰って行ったと思う

阿佐ヶ谷終電関係で早めに帰ったので自分は見ていない。

福岡でも自分は先に帰ったが、ファン取り巻き達が居残って、囲まれて、きゃっきゃウフフしてたような気がする

しかし、ハゲ子さんは何しろ帰郷してるので、きっと半ば同窓会みたいなものから…と傍目には納得感があった

今思えば犯人が覗いて見てたら反感買ったかもしれない。

自分飛行機距離土地勘がない場所でひとりで食事をする場所を探してたのだが、旧小学校内には19時半終わりに隣を見たら20時までのカフェしかなかった。

その隣には立ち飲み屋

人の熱気で疲れていたので、静かにゆっくり食事たかった。

しかし週末の天神は混み混みでなかなか良さげなお店が決まらなかった。

いったんホテルに戻っても、ホテル内の小さなカフェレストラン満席ルームサービスもないビジネスホテルだった

また仕方なく天神の街をウロウ

人混みの中を自転車暴走してるのが一台来た

その時間帯、ゆっくり乗ってる人か、チャリを押して歩いてる人ばかりだったので、爆走は少し目立っていた危ないなーと感じたのを覚えている

しかしたら、犯行後の犯人だったのかもしれないまさか二度も見かけたのか?とのちに震えそうになった

その後は、やっと偶然にも空いてるお店を見つけ、ハズレのお店だから空いてるのかな?と心配になったが充分美味しく、ゆったりとひとりで食事をしてホテルに帰った。ホテルニュース速報を知った

眠れなかった眠ろうとしても寝付けなかった

外では明け方までサッカーで盛り上がってて超うるさかった、さすが天神、まるで渋谷中目黒みたいだった

ハゲックスさんが大変な目にかあってる時に呑気に自分

動揺したが何とか気持ちを立て直して東京に帰って自分の猫に会おうと思った

hagex さんはペットシッターに預けたと言ってた。私もペットホテルに預けると過去に猫が体調を崩してストレス等で血尿が出たりがあるので、家族に見てもらうかペットシッター派だ。

彼は本当にネコ先生を大切に思っていたのだ。自分ハゲックスさんの親しい他の人とは違って浅い付き合いだったが、優しく、仕事ぶりが丁寧で誠実な人だった

今回、福岡まで来たのは

ハゲ子さんが「東京以外で開催すると参加人数が一桁の事があるらしい」と

かねてより心配されていたので、せめてものサクラ効果になろうと考えただけで、実際は満員御礼で、完全に余計なお世話だった

でもマイレージが失効直前で余っていたので自分にとってはちょうど使えて良かったのだ

自分は悲しむなんておこがましい

ハゲ子さんの親族仕事仲間、くまざわ会など趣味仲間はどんなにか怖くつらく悲しいだろう

そう思って、己を奮い立たせて帰宅したが、一睡もしてなかった為か、熱中症になったのか、帰宅後に虚脱してしまい、寝込んでしまった

その後ニュースを見て読んで、犯人執拗に刺していた事を知った

もうニュースは見たく読みたくなかった

事件は忘れたかった

思い出してはパニックになってしまうので、心の整理のために一気に書いてみた不愉快にさせてしまったら申し訳ないです

思い出して泣いてしまうかもしれないが、自分には泣く権利も無いと思う

このまま埋もれて風化してhagex さんの事、忘れてしまうのだろうか

2018-04-29

anond:20180428213654

うーむ。これはひどいと思う。他の増田意見ちょっと冷たいのが多いけど、俺は100%共感します。本当におつかれ様。とりあえず書かれていることを100%信じた上で書きますね。

さて、じゃあ自分だったらどうするか、なんだけど、実は俺も上司とのストレスでギックリ腰を患い正社員をやめた経験があるのだけれど、そこから20年たった今では、「最初の蔑みを受けた時点でキレる」が正解だとわかる。残念ながら、キレないと伝わらないヤツが、世の中にはいるっていうことなのですよね。

「はぁ!?先方が俺じゃだめと言ってきた、上司あんたを指名している、そのうえで相談しててその回答か!?あーいいぞ、これで失注したら、いいか「おまえのせい」だからな!全部記録は残してあるからな!」と。

上司にその経緯はつたえ、とりあえずは自分で処理する、失注しても上司のせいになる、というのが正解だった気がする。そこで、また上司が上上司と結託してそうだったら、もう辞める覚悟かな。クソな上司漏洩するコンプラ上司マネジメントできない無能上司、そんな管理層の企業にお先はないと思います

迷ったときは、第三者がその経緯を判断して、それじゃ仕方ないよねっていう状況になっているのであれば自信をもっていいです。ここは冷静になって状況判断必要です。

でもほんと、仕事って、何の仕事をするかよりも、誰とするか、がホント重要なんだよね。いい関係がチームのパフォーマンスに影響しそれが勝敗を決する、が現代ビジネスの鍵だと思ってます

俺もフリーでやって、会社経営もして、って経験してきたけど、業績ってほんと運とタイミングがかなりの割合しめるから現場のがんばりとか根性とかって、ほぼ関係ないんだと思ってる。だって、それに頼ってマネジメントしてたら、今は時間外労働ってことになって=ブラック、じゃん。

熱量時間外労働の多さ、でしょ。よく無能経営者や投資家熱量って言葉簡単に口にするけど、それって結局人生をかけてくれるかっていう、自主的時間外労働を越えて仕事できるか、ってことと思う。

でも、それはマネジメント的に言ったらアホだよ。ほんと。

ビジネス成功は、運とタイミングビジネスモデルと市場によるのよ。それを根性でどうにかなるってものももうない。

ほんと無能上司の下でご苦労されたと思うよ。お疲れ様です。

天網恢恢疎にして漏らさず。天はきっと見ているし、そしてもあなたももっと自分に正直に生きていいし、あなたらしい仕事の仕方をしていいし、それをもっと他人に伝えていい、大事にしているものはこれだって伝えて、でも今は命令に従いますけど、って。

退院したら、とりあえず故郷に帰って、癒やされてね。世界的なデザイナー川崎和男さんも帰郷して再起したって読んだことあるふるさとはすべてあなたを受け入れてくれると思うからおすすめです(いやな思い出があったら心のふるさとの地でいいと思う)。

復職や職探しはそれからでいいと思う。殺意を抱くほどのいやな体験は、良い体験で押し出すしかないのよ。本当に次は、稼ぎも大事かもしれないけれど、最優先は「居心地の良い職場」で探してください。もちろん自分もその職場の1人になるわけだからアサーション自分のことも伝えつつまわりとも協調する)も大事にしては欲しいですけど。

あなたの言っていることは間違っていないし、誰も傷つけていない。自信をもっていいです。立派だと思うよ。

ほどほどにがんばって。そして生きて。

迷ったら、親や愛する人を喜ばせる道を選べばいいと思うよ。

いまはゆっくりまれて下さい。

本当にお疲れ様でした。

2018-01-06

学生時代関係性に甘える大人たち



我が家は今年関東で年越しをしたのだが、正月から残念なことが起きてしまった。

地方帰郷していた旦那同級生たちが飲み会をしていて、その場のノリでこちらへ連絡をよこしたのである

ここまでは別になんてことないことで、私もただ「旦那は友人達に好かれているのだな」と思っていた。

けれど旦那の様子が段々おかしくなってきたため声をかけると、参加者の一人から夫婦の営みの写真を送ってこい」とのLINEが。

これ以前にも彼を揶揄するようなLINEが別の参加者からも来ていたという。

さらに付け加えるなら当時は上京してきた義両親と共に私の実家訪問中で、そのことも通知済みだったらしい)

旦那は完全に頭に血が上っており、私も「悪質だな」と感じつつ、怒りのメッセージを送れば相手も盛り上がってしまうだろうと返信を代筆した。

「この件につきましては嫁からNGを出させていただきました、また今度ゆっくりお話できれば嬉しいです」

これに対する返信が「じゃあ旦那ソロ性的写真で良いよ」。

頭がクラクラしました。

私はこれをどう解釈して良いのか、今でも分からない。

旦那性的な目で見ている……というのでなければ、性的な「いじり」をするというのか、配偶者が見ていると知っていながら。

ちなみにこれを送信したのは現在教壇に立っている人物である

この後は他の参加者たちから謝罪を受けたり、私を巻き込み一悶着あったのだが、例の性的写真を求めてきた男性から謝罪はない。

曰く「嫁を出したのが卑怯だ」ということらしい。

私たち夫婦対応にも落ち度はあっただろう、しかし、私は先述の通り一度話題を打ち切っており、話を繋げたのは相手方である

嫁を出した旦那卑怯なら、友人達が代わりに謝っているのを盾に自らは簡単謝罪すらしない彼とはいったい何なのだろうか。

さらに驚きなのが、「旦那の方が大人になるべき」と遠回しにこちから関係改善に歩み寄れと促す人物いたことだ。

飲み会参加者でないにもかかわらず集団からかわれ、配偶者を前に性的ないじりをされ、それでも旦那が耐えろというのか。

身内ながら他人の痛みの分かる優しい夫だ、いつもそれを許してきたのだろう。

けれど今回は相当こたえたようで、個人個人はともかく、集団での付き合いは止めたという。

旦那学生時代いじられキャラであった、というのは知っている。

けれど妻子ある男性に対して度を超したイタズラが許されると思っているのは、ある程度の年齢に達した者の考えることではない。

「きっとあいつらのなかでは俺がつまらない奴で、悪いことになってる。けどもう諦めた」

そう笑ってはいものの、旦那の胸中はいかほどのものだろう。

それが私は寂しくて、悲しくて、インターネットの片隅に吐き出している。

かなりフェイクを入れているため当事者が見ても分からないと思うが、少しでも心当たりのある人は胸に手を当てて考えてみてほしい。

学生時代から関係性、自身の見栄、色々と守りたいものはあるのだろう。

けれどそれは青春時代から十年以上にわたり友情を繋いできた友人を傷つけてまで、貫きたいことだろうか。

「悪気はない」、「いつものノリ」で甘えられる範囲を、今一度考えてほしい。

今はただ、旦那のような思いをする人間が一人でも少なくなることを祈るばかりである

2017-12-31

一人暮らしの年越しは静かだ

帰郷する実家もない

買って放置していたクロスステッチでもやろうかな

2017-10-09

有給が取れないぜ

20代男。高卒正社員

有給取れないのは俺じゃなくて周りの人間の話。

俺は有給取れ過ぎちゃって毎年使い切ってる。有給付与される1月ぐらい前には風邪がひけなくなる。欠勤はボーナス下がるからね。


先般、高校時代同級生と遊びに行った。久しぶりに全力で楽しませてもらった。会社入ってから知ったが、全力投球で遊ぶってなかなか大人には難しい事なんだね。

多分参加者みんな楽しかったんだろう。そんなに間髪置かずにまた集まる事になった。だけど今度はスケジュールの調整が全然上手くいかない。

たまたまみんな同じ業界に勤めてるからなんとなく分からんではない。土日も無ければ盆暮れ正月に親に顔見せに帰郷することすらままらなん業界だ。

一人は多忙人員不足業界で有名な会社に勤めてて、親類の結婚式から死んでも外せないとかウソついて有給もぎ取ったようだ。

一人はたまたまその日になんかが控えてるとか控えてないとかで有給禁止令(‼)

ちなみに俺は業界では珍しく暇で暇で仕方無い会社窓際族から土日休み有給取り放題だから事態を静観中。

残念ながら会の開催には暗雲が立ち込めてる感じ。あーあ。


こんな事があったか有給取得ってどんな決まりごとに沿ってるのか興味が出て調べてみた。近頃はGoogle先生がなんでも教えてくれるし。

労働者保護関係する国際機関としてILOってのがあるのは学生時代に習っていたけど、日本がその常任理事国であることはさっき知った。でも有給について定めてる国際条約である132号条約には批准してないらしい。クソだな。

という訳で日本法律である労働基準法有給関係の部分を確認してみると最低日数だけはILO条約とも見劣りしない内容らしい。

まぁ批准してない決まりごとを見ても仕方無いか労基法の内容をみて、簡単に内容を自分なりの解釈でまとめてみると

・まぁ年間10日以上はあげる

・勤続年数が長けりゃもっとあげる(7年働いてりゃ20日とか)

・いつでも取っていい

理由必要ない

会社許可必要ない(申請必要ある)

会社却下しちゃいか

・でも休まれたら困ることもあるから「違う日にしてくれ」は出来る

なるほど。

自分感覚から行くと「案外マトモ」という感想が出てきた。

でも自分の周りの状況から言ってこれが完全に守られてるとはとっても言い難いのが現実

上に挙げた例の一つ目の場合、多分「遊びに行く」なんて理由だと却下されるんだろう。二つ目場合有給禁止令なんてのは申請する前から時季変更権が使われてるようなもんで、労働者を萎縮させるには十分以上の力を持ってる。


この間、うちの会社で2人辞めた。給料いから嫌になって、もっと給料貰えるところに内定貰ったそうな。

辞める前に有給消化があるから退社日の2週間ぐらい前から来なくなるんだろうなぁとか思ってたら意外にも退社するその日まで出勤してきた。

辞める2週間ぐらい前に人事異動があって、辞める人がいる職場は1人ずつ増員されたんだけど、「引き継ぎもせずに辞めるなんてけしからんから最後まで来いや」とのことだったらしい。

さすがに周りの人間組合相談した方がいいとか言ってたけど、本人は「辞めたら次の会社入社するまで1か月無職から別にいい」って事で文句一つ言わずに出社してた。良い人だ。

今月からうちの会社休日出勤禁止になった。客先都合で出勤しても必ず振替休暇を取らされるらしい。これは政府の「働き方改革」に呼応してのことらしい。

残業時間の削減は大事から歓迎…する訳なく、職場人間文句轟々であった。職場差あれど客先都合で休みに出勤するのは良くあるから手取りが万単位で減る。

うちは幸せな事に暇で暇で仕方無いか普通にしてれば残業ほとんど無い。尚更である

ちなみに当然ながら振替休暇は有給より優先して消化される。多分有給消化率はガタ落ちするだろう。

斜陽産業だと言われて久しいこの業界。どんどん状況は悪くなるばかり。なんだか気が滅入る出来事ばっかりで嫌だなぁ。


最近SILENT SIRENに嵌ってるんだけど、「チラナイハナ」って歌があってこれの歌詞が心に刺さる。

花は散り涙を流し そっと空を見上げる

私は今日も呼吸する

そして嫌でもまた明日は来る

2017-09-12

中学時代保健委員に憧れていた。急病人看護する、親切な人。

立候補者複数いて投票を行った結果、私は外れた。その結果、たまたま空いていて誰もやろうとしない図書委員という枠に収まった。

職場体験自分が望む職場に行き働く事を疑似体験する授業。私は病院勤務希望した。希望者が殺到した為に介護現場に回された。他人に弾き飛ばされて、彼らの望みを優先させ続けた結果が私という存在だ。それは決して優しさなんかではなく弱さで、夢とは他人領分を侵してでも叶える物なのだと今なら解る。

この残酷仕打ちを私は中学で全て味わった。

田舎の閉鎖された学園、互いを傷つけ合う精神に心の底から嫌悪を感じ、以降一切近付かなくなったのにまた帰郷してしまった。

2017-08-27

赤ちゃんの泣き声について思うこと

半年前くらいに甥が生まれた。

この夏の帰省に合わせて義兄がマスオさん的に実家に来てくれて、父母・姉夫婦・甥と3日間ほど過ごした。

甥は、初日は軽く緊張してたようだが、2日目、3日目ともなると慣れてきたようで、私の手を弄んではバタバタしたりウキウキャ言ったりしていて、死ぬほど可愛かった。

比較的おとなしい子ということだったが、どうも機嫌が悪いときには、うぁーんとなってしまい、私が側にいるときは抱っこをすると大人しくしがみついてきたり、それでも泣き止まず姉夫婦パスしたりしていた。

3日間のそんな帰郷生活を終えて家に帰ると、(それは当然普段生活へと戻っただけなのだが)赤ちゃんの不在がとてつもなく大きく感じられた。

とくに不思議だなと思ったのは、通勤中の電車内や家の近所で赤ちゃんの泣き声がしたときに、反射的に「あらららどうしたの??」という気持ちになってしまったことだ。

実際に毎日大変な思いをしているお父さんお母さんからすると、なんのそれっぽっちの子経験で…と思われるかも知れない。しかし逆に言えば、それっぽっちでも赤ちゃん意思疎通できれば、赤ちゃんへの共感努力傾向が我が心にこれ程までに生じるのである毎日赤ちゃんと一緒にいるお父さんお母さんのことを考えれば、日毎に強まるその共感努力傾向の中、それでも泣き止まない不可解な赤ちゃんと、やっぱり泣き止むかわいい赤ちゃんを交互に抱っこしているのだから、その心的な揺れ動きは相当なものだろうと想像する。

さて、そこに読んだのがこの記事である

http://www.goodbyebluethursday.com/entry/baby__harassment

生後数ヶ月の赤ちゃんを連れ回す親たちに想うことと、“ベイビーハラスメント”について - さようなら憂鬱木曜日

はっきり言えば、ちんちくりんである。この人は赤ちゃんの泣き声は不快だということは誰もが同意できる前提だと思っている。だから、その不快を与える泣き声を適切にコントロールしない親が「ベイビーハラスメント」をしていると言うのだ。

しかも彼は「ハラスメント」なる言葉を使っているが、ハラスメントとは私の英語理解によると、面と向かって「やめて」とは言いづらい嫌がらせのことだ。それは、ハラスメントをする主体権力があったり、言うと嫌がらせがより悪化するからだ。

このブログ主が面と向かって「やめて」と言えないのだとしたら、それは母親権力があったり、母親が「なんだと?もっとこいつに泣かせてやろうかぁ?!」となるからではない。そうではない何らかの圧力ブログ主が感じているのだとすれば、それは単に、周りの人の目、だろう。

まり、「ベイビーハラスメント」なるものがあるとして、それを彼に強要してるのは、世間なのだしかし、世間は好んで「彼に赤ちゃんの泣き声を強要する」という嫌がらせをしているのだろうか。もちろん違う。結局のところ、それはハラスメントではなく、ただのアクシデントなのだ

話を戻そう。私が今回の帰省で感じたことは、赤ちゃんの泣き声は何か私たちを駆り立てるような言葉としても聴こえる、ということだ。赤ちゃんの泣き声を我が事として捉え、そこから赤ちゃんとのコミュニケーション成功した(と思えた)ことのある人には、どの赤ちゃんの泣き声もその人を駆り立てる言葉として聴こえてくる可能性がある。

もちろん不快だと感じることが悪いと言っているのではない。意味理解できない外国語を大声で話されたら単にうるさいだけだし、うるさくないと感じるためにはその外国語理解しろ!というのはナンセンスだと思う。私も疲れていたり忙しかったりしたら、単にうるさいなあと思うこともあるだろうし、泣いてる子の言葉が全く親に伝わってないように見えたら「赤ちゃん訴えてるのにかわいそう」と思ってしまったりするだろう。(実際は何しても泣くときは泣くものだし、一概には言えないにもかかわらず)

まあ、話の方向的には、もっと赤ちゃんが身近になるといいとかいう話になるのかも知れないが、それも少子化からこそ難しくなっているところがある。というか、該当の記事こそ、少子化社会の一つの症状的なものだということが言えるのかもしれない。

2017-08-26

https://anond.hatelabo.jp/20170826123219

秋田みたいな僻地に自ら戻るくらいだから就活仕事ストレスにも耐えられないよっぽどな人なんじゃ?

帰郷就職率考えたら、その手の人はレアケースじゃないの

2017-08-24

社内墓参り

お菓子コーナーに社内の皆がお菓子入れていくの

お墓や仏壇お菓子お供えしていく感じにすごく似てて笑う

そこからつまみ食いする私はさながらお盆帰郷した亡霊である

またはカラス

2017-07-14

妹と私

■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。

■妹は15才年下。

■妹ができたことはうれしかったけど、40代子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。

■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。

■私が実家を出た時、妹はまだ3才。

■妹の赤ちゃん時代可愛さは異常。なんだあれは。毎日学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡

■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親悪態をついたりしてみたかった。

上京してからは、妹と会うのはお盆年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。

■妹が小6の時、母から電話で苦笑まじりに言われた。

■「あの子あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫かしら、今からあんなにマニアックになって....」

実家では妹が私の部屋を受け継いでた。部屋には私の本やCDDVDが大量にあった。妹はそれらにひたすら耽溺していたようだ。

■実際は少しもマニアックではないんだけど、母にはそう見えたんだろう。まあ、なんと言っても私と妹は年齢差が15もあるのだ。母の心配もわからなくはない。

■中1になると、すでに妹はかなり仕上がってた。好きなバンドジザメリグレイプバイン。好きな作家倉橋由美子多和田葉子。好きな映画監督クロード・シャブロルウディ・アレン

大丈夫か、妹よ。クラスのみんなと話は合うのか? 友達はいるのか?

■当時、実家に帰ると、妹はとりつかれたように本や映画音楽の話をしてきた。もはや私より詳しくなってた。子供の吸収力、おそるべし。

■中3に進級してすぐ、妹に危機が訪れた。不登校になってしまったのだ。またしても電話で母から伝えられた。理由は母にもわからなかった。

■結局、妹は1学期、最初の数日しか登校しなかった。そのまま夏休み突入

■ついでにいうと、当時は私もピンチだった。ろくに先のことも考えず、勢いで会社を辞めてしまったのだ。

■私は30才になろうとしてた。ちょうど妹の倍だ。倍なのに、やってることはそう変わらない。反省

無職不登校。最低な姉妹誕生。とりあえず何か記念が欲しいと思った。

不登校真っ盛りの妹をサマソニに誘ってみた。出演者ラインナップがかなり私好みだった。そして私好みということは、妹にとってもストライクなはず。

案の定、妹は私の誘いに飛びつき、前日に上京。私のアパート宿泊

■夜、私は妹と布団を並べて寝た。ついこないだまで赤ちゃんだったのに、もうあまり背丈が変わらない!

■お互いに心細い身の上だった。姉は無職で、半年先の家賃も危うい。妹は中3という大事な時期に不登校。泣ける....。

■にもかかわらず、2人でサマソニ!そのボンクラ加減がなんか笑えた。 何とかなるんじゃね?という謎の開き直り

■妹はフェスどころかライブ自体が初めてだった。しかも、いちばん好きなジザメリが出るのだ!

■当日、お昼前に会場入り。妹は、はしゃぐのを通り越して、なんだかずっと茫然としてた。「大丈夫疲れた?」と聞くと、「全然平気、なんか楽しすぎて....」と夢遊病者のようにつぶやく妹。最高!連れてきた甲斐ありまくり

■妹はジザメリが出てきた瞬間に泣き出し、ライブ中もずっと泣いて、帰りは放心状態だった。「人生いちばんしかった」というので「大げさ!」とつっこんだ。

■とりあえず、15才の妹に何か特別経験が刻まれたのを、姉はしっかりと見届けた!

■妹はそれから2日間、私の家に滞在した。一緒にとしまえんプールに行ったりした。

■妹は大いに楽しんで帰郷。そういえば、不登校の話とか、姉としてのアドバイスとか、一切しなかった。そもそも学校の話をしなかった。でも楽しんでたし、まあいいかとむりやり納得。

■2学期、妹が学校に通い出した!母が電話で泣きながら喜んでた。

■私もどうにか転職成功。そこで今の夫と出会う。ちなみに妹は私の夫をふざけてカスガさんと呼ぶ。オードリー春日に似てるからとのこと。夫は本気で嫌がってる。

■妹が大学に受かって上京。同じ年の夏に私が娘を出産

■娘かわいい

■でも、今度は自分母親可愛いだけじゃ済まなかった。めちゃくちゃ大変な日々だった。

■妹が赤ちゃんだった時、もっと色々と家の事を手伝うべきだったと本気で反省

■娘が4才になる頃まで、妹がまめにうちに来て育児の手伝いをしてくれてた。本当に助かった。感謝してもしきれない。

■そんな妹が、来月、結婚するんです!

2017-05-19

枝吉神陽

枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) - 文久2年8月14日(1862年9月8日))は、江戸時代後期の幕末活躍した佐賀藩思想家教育者国学者藩校弘道館教諭外務卿内務大臣を務めた副島種臣実弟本名は経種。贈従四位佐賀の尊皇派の中心的存在

目次 [非表示]

1 経歴

2 影響

3 同時代評価

4 関連項目

5 参考資料

経歴[編集]

佐賀藩藩校弘道館教授であった枝吉南濠種彰の長男として生まれる。幼児期より神童と賞され、20歳の時には江戸の昌平黌に学んでいるが、ほどなく舎長に推されている。また、漢学に偏重した内容に異議を唱え、国学を学ぶことを認めさせた。

早くから儒教朱子学の教えに疑問を抱いており、佐賀藩哲学である葉隠』をも否定したといわれる。

26歳で帰郷してから弘道館教諭や什物方などを務める傍ら、父南濠の唱えた「日本一君論」を受け継ぎ勤王運動を行った。1850年には「義祭同盟」を結成。天皇を中心とした政治体制である律令制などの知識を伝授するなど、藩論を尊王倒幕に向かわせようとしたが藩主鍋島直正を動かすことは出来ず失敗している。なお、この義祭同盟から実弟副島種臣のほか、大隈重信江藤新平大木喬任島義勇明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出しており、「佐賀吉田松陰」とも言える人物である。また、水戸藤田東湖と「東西の二傑」と並び称された。

1863年、コレラに罹った妻を看病するうち自身罹患し、死去。享年41。墓所佐賀市本庄町の高伝寺。

影響[編集]

神陽は律令制を学ぶことを奨励したが、彼の教えを受けた江藤新平(初代司法卿)や大木喬任(2代司法卿)は法整備活躍した。また、明治政府が当初導入した太政官制副島種臣が起草したものであるが、ここにも神陽の影響がみられている。

2017-04-11

夢と死の話

俺はあと5日で死ぬ病気死ぬ。体が動かなくなり、死ぬ

焦った俺はエミに電話した。もう10年以上前に別れた元彼女だ。

遠方に住んでてシングルマザーのエミは、高校生だった頃のままの鼻にかかった声でおー増田ゲンキー?と、小生意気な話し方で近況を話してくれた。内容は頭に入ってこなかったが、当時のままの甘美さはより絶望を強くさせた。

5日後に訪れる死はついに伝えられず、電話を切った。窓の外は雨だ。

実家電話病気のことは言わず帰郷することを伝えた。

実家に帰ると歓迎するでもなく迎えられ、温泉に行く。祖父母が元気だった頃によく家族で行っていた温泉街だ。

大正ロマン風の橋を歩き渡りながら、弟に余命のことをつぶやく

んなことあるわけねえべ。マジなん?

んだ。しゃーねべほいなぐ言わったんだおん。死ぬわ俺。

弟は兄に伝える。

なして母ちゃんさ言わねのや。

その配慮のなさに怒りを覚える。

おおっぴらに悲しんで欲しいわけじゃない。実家イベントにして欲しいわけじゃない。いつも通りでいいのだ。

宴会が始まる。おじや兄嫁らとビールを注ぎ交わす。が、食事は喉を通らない。この食事が俺の血肉となることはないのだ。怖い。死ぬのが怖い。

酔いが回り、窓の下を見ると俺とサユリが雨の中一つの傘を差し小川散策路を歩いている。何も考えていないようでいて敏感なサユリは、俺の変化に気付いていた。

どしたん。

なんも。

好きな人でもできた?

うん。

それでいいや。俺がもうすぐ死ぬことを伝えて特別視されるよりは、このまま別れた方が傷つけずに済む。

家に帰った俺は、酔った勢いのまま身の回りの整理を始める。

種々のアカウントを閉じたあと、この硯を誰に託そうかと考え始めたところではたと気付く。

誰にもあげたくない。この筆も文鎮も、それぞれ思い出がある。奪われたくない。何も奪われたくない。怖い。死ぬのが怖い。

おかしい。呼吸が苦しい。腕が動かない。宣告された余命はまだ残っているはずだろ。もう死ぬのかよ。嫌だ。怖い。何がメメントモリだ。そんなもん寿命有り余るやつらの戯れ言だ。くそ、なんで年上の親父が生きてて俺が死ぬのや。ふざけんな。怖い。くそ。惨めだ。怖い。

妻のアラームが鳴ってる。6:00 死んだ?夢か。ああ夢か。夢だったか。生きてるわ。

2017-03-30

きっとこれから先も何も無い

30歳半ば。友達ゼロ恋人なし。

この歳で派遣だし普通に大卒企業勤めの知人らに比べて収入なんて雲泥の差だし、数少ない友人も結婚したし、なんかもう自分が惨めだから(主に収入面で)自らすすんで疎遠になった。

ほんと休日は出歩かないし言葉発しない。

無趣味から酒飲みながらニコ動アニメ一挙見るのが休日の唯一の楽しみ。

こんなクソみたいな休日なら無い方がマシだからまだシフト入れてくれると助かるんだけどな。

働いてお金稼いでるときのほうがよっぽど精神安定する。

暗いこと考えずに済む。

何もしてないときのほうがよっぽど悲観的になる。

ほんと生きる理由がないなあ。

ただ自分が先に死ぬと親が悲しむってのは分かってるからなあ。

それだけはさせたくないな。

これからもしも親が病気になった時とか介護必要になってしまった時は、帰郷して今の仕事辞めざるを得なくなるだろうし、年齢的に再就職も難しいだろうから、せめて少しでも親が安心して死ねるように、貯金をしてようと思う。

しかし、ほんと生きてて楽しくねえなあ。

これからどんどん不健康になって満足に仕事生活もできなくなってくんだろうなあ。

今のところ特に不調はないけど、夜勤からいつか突然ガタがきそうだなあ。

誰とも関わり合いがないか孤独死だろうなあ。

からと言って別に友達恋人がほしくてたまらないってわけでもない。

関わるめんどくささの方が先立ってしまうし、そもそも作り方わからんしな。

それにしてもこれから身体壊して孤独死しか待ってないことが分かってて、ただ生きてくってのは相当しんどいな。

さて夜に備えて寝るか。

2017-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20170310223924

んー、結構こういう話初めて言うかもしれない

本気で言うのは多分初めて

上も下も見たらキリがない

私も似たような境遇(親は健在なのでピンピンコロリを神々に祈る日々)


一番大きいのは友人

この人がいてくれるから何とか生きてける

妻子持ちのナイスガイだが、

つらい時に相談に乗ってくれる

たまの遊びに付き合ってくれる

カネはほしいが、

上を見たらキリがない

からすれば、

私よりたくさんカネを稼いでいるであろう人間の大多数が、

まあそんなくだらないばかみたいなゴミみたいなものによくもカネを落とすものだというものに散財している

英会話教室に90万カネを払ったとにいまだろくすっぽ英語が話せないという男もいた

お金がなくても、楽しく過ごせる人がいる私は、90万ごときゴミみたいなはした金では決して手に入らない素晴らしい友人がいることを神様感謝している

東京に出ていってる連中はカネに目がくらんでいるとおもっている

カネがなくても何とか生きていけるという私を、

負け惜しみだとか、

金持ち連中に飼いならされた負け犬だと言うゾンビが居る

別に負け惜しみじゃなくて、

幸せを見失ってカネばかりを追い求めて鬱や自殺の恐怖に脅かされる日々を過ごすくらいだったら、

貧乏でもささやか幸せを探す方がよっぽど良いと思っている

正直、ラグジュアリーな富を見せびらかされると、羨みやいらだちを感じることは確かにある

でも、

私のことなんか誰も分かってくれないという苦しみを抱えてまでカネを稼ごうとは思えない

張り詰めた空気の中で生き続けながら帰郷を拒み続けて心を深刻に病んだ人を見て、私はその思いに拍車を得た


都会できらびやか生活一見送っていそうに見える人でも、

一皮剥けば、

自我が8割9割毀損しているようなゾンビのようなひとびとを、私はたくさん見てきた

貧乏が良いとは言わない

田舎ギリギリ生活をすることが良いとは言わない

ってかカネは欲しい

カネはめっちゃ欲しい

狂おしいほど、小腸大腸盲腸ねじれきれるほど、カネは欲しい

だが、



心がゾンビになるくらいだったら、

貧乏のほうがほんのすこしだけ僅かにマシだと思う

2017-02-28

酔っぱらったカーチャンの語った半生がなんか割と大変そうだった

田舎の家に生まれ高校生の頃に祖母が出て行って両親が離婚した。

自立心が強く後にフェミ活動家とか市民活動とかにのめり込む祖母は常に自身人生の充実を探求しており、子育てにはまるで興味がなかった。

祖父母ともに気性が激しかったため怒鳴りあい殴り合いのケンカも頻繁にあって、

母の妹である叔母はグレにグレていたらしいので、話を聞く限り色々と機能不全な家族だったようだ。

高校卒業後、東京美大を目指して東京で絵の予備校に通っていたらしいが、田舎娘ゆえに警戒心が薄かったのか、電車毎日のように痴漢に遭いまくって、

乗る電車を変えたりしても別の痴漢に狙われるなどして解決せず、最後には恐怖で部屋から一歩も出られなくなり、予備校に通えなくなって半年もたずに帰郷

その後地方芸大に入って絵を描いたりしていたらしい。

卒業後、ファッションビル雑貨店に勤務。ポップとか描いていたそうだ。

恐らくこの頃にライブハウス飲み屋で父と知り合い、結婚し、バブルがはじけるころに俺を生む。

父の家は観光地食堂をしていたので、嫁なら当然ということで毎日無償労働

父が家に入れる分以外の収入は一切なく、雑貨店勤務時代の貯蓄を切り崩しながら生活

父方の祖父母は年金なんか馬鹿の払うものだという考えの持ち主だったため、10年近く無年金

父方祖父アル中で手が動かなくなってきていつ引退するかわからない状況になり始めるが、父が一向に調理師免許を取得しようとしないため、

営業許可に関わるので念のため父と相談して母が先に取得したところ、代々続く店に女の名を掲げて恥をかかせる気かと祖母になじられるなどする。

父は数年後に1回落ちたが調理師免許を取得し、ギリギリ祖父引退には間に合った。

その後、父が金がない景気が悪いと言って家にあまり金を入れずに、150万円規模の趣味楽器を無断で購入していたことが発覚し遂に離婚

大手眼鏡チェーンでパート店員として勤務、ようやく年金に加入。

母子二人の生活が貧しいながらも軌道に乗り始めたところで、田舎祖父があちこちガンになって手術連打。

車で片道一時間かかる病院に通うのが大変という話が出はじめ、叔母は親に反発したまま大人になっていたので、やむを得ず俺を連れて帰郷

祖父帰郷一年ほどで死没、死にかけてるくせに皿が飛び交うような言い争いを何度も見た。

飢えるとその辺の草を躊躇なく食いまくる俺の発達障害が発覚したりする中、母は調理師免許を使って公営デイサービスセンターの昼食係に契約(嘱託?)職員として就職

何年か問題なく勤務して契約年数も残っていたのだが、町が方針転換して施設食事業者委託することになったため突然クビを切られる。

かねた施設長に介護員として拾われて同じ施設介護職へ転職介護福祉士ケアマネージャー資格を取りながら何年か働くが、

町の規定契約が何年までと決まっていたらしく、契約満了となり民間の小規模施設転職

同時期に体調が悪化、後にメニエール病であることが発覚して投薬治療が開始されるまで車での送迎業務ができない状態になる。

離れて暮らす祖母とはずっと交流を持っていたが、祖母からお金をただ貯金していることを散々馬鹿にされ、

祖母利益を上げまくっていた和牛投資にコツコツ貯めた100万円を投資する決断を下したところ、一年も経たずに投資先が破綻して回収不能となる。

散々勧めた張本人で、回収不能額よりこれまでに上げた利益の方が多かった祖母からは、自己責任、見る目がないと罵られ当然ノーフォロー

家族経営だった小規模施設サービス残業や持ち帰り仕事が増え、

さら利用者クレーマー家族が発生してスケープゴートにされ続けたため、引責と体調を理由に再度転職することに。

ちょうど俺が独り立ちしたタイミングだったことから、稼ぎよりも労働環境を重視して大きな母体のある中規模デイサービスパート介護員として就職

真面目に数年間働いていたところ、組織全体で正社員登用制度を作る話が出るが、同じ介護パートが数名いる中、母のみ対象外となる。

理由制度開始の三日前に誕生日を迎えて、制度年齢制限に引っ掛かってしまうため。

母体が大きすぎたことが裏目に出て、逆に融通がきかなかった。これには流石の母も一晩でワインを三本空けるヤケ酒。

この話はその時にちょうど帰省していたので聞いたことをまとめたもの

持ち家一人暮らしはいえ、手取り11万円程度での生活がいつまで続けられるかはかなり怪しく、年金空白期間が長いので僅かしか貰えそうにない。

ボロボロ実家はあちこち傾いたり穴が開いたり、開かない扉ができたりしているが、補修のメドは立っていない。

最近の母の趣味は、電気代を前年同月よりも下げる事らしい。

2017-02-02

まだ首都圏で消耗してるの? 田舎で一千万なら最高。

タイトル釣りです。ついかっとなった。反省している。

それから私自身はわりとワープアなので知人の話。

http://anond.hatelabo.jp/20170201120618

http://anond.hatelabo.jp/20170202032911

http://anond.hatelabo.jp/20170202081638

知人のスペック

年齢は38ぐらいなはず。(自分小学校2年のころ6年生だった)

元々は名古屋でと産業機器の中核ソフトウエアを開発するエンジニアをやっていたらしいが、ある日母親脳卒中で倒れ、少しの間は親父さんが介護していたらしいのだがその親父さんも介護疲れか調子が悪くなったとか、東日本大震災をみて思うところがあったとかで、親の介護のために田舎に帰ってきた。仕事は手を切らず元の会社とは契約社員という形でリモートワークで仕事も一緒に持って来た。

それがたぶんちょうど6年ぐらい前の話。

その後、請負開発を法人化、人も常勤で1人雇って、リモートワークで何人か抱えて、自営業社長となっている。年収は聞いたことがないのだが、税金介護費の自己負担金額が話題になることがあって、、その話から逆算すると、各種控除が済んだ後の住民税計算根拠になる課税対象が800万円以上はあるはず。すると額面で一千万ぐらいじゃないかと思う。

それがきちゃった結婚した。

普段の見かけは俺と同じただのキモデブクソアニオタなのに。なぜメガネっ娘美人と知り合えたのか。爆発しろ

今は2児の父。

なお本件はフェイクは混ぜていない。キーワードググるどや顔で写っているインタビューすら発掘されるはずだ。

奴は俺の事をはてなーだと気付いてないはずだが、奴はブログもやっているガチはてなーである末永く爆発しろばーか 参考になる人がいるはずだからこれをみても笑って許してください。

住宅論争について

土地は元々たっていた庭付きの家を取り壊して、介護対応住宅を建てた。

一階は参考にと隅々まで見せてもらったが、2階は彼の部屋しか入った事が無い。一階は5部屋あった。外観から見て総二階なので下手すると9LDKとかになる。

介護対応の専用トイレがついためっちゃ日当たりのいい両親の部屋と、それに続くリハビリルーム車いすOKどころか、歩く人と車いすが軽くすれ違える広くまっすぐな廊下施設か。人が乗っても楽勝の手すり。施設かよ。車いすで入ってその場で転回できる、俺の部屋より広い巨大なトイレ施設なの?施設風呂入れてもらってんのに何故か無駄にでかい風呂エロゲかよ。

ヒートショック防止だそうで全館冷暖房エレベーターは当然、両親の部屋は自動ドアワロタ一般住宅ナースコールが設置されているの初めて見た。

当然彼の部屋には作り付けの本棚が壁一面にあって、本にアニメフィギュアが並ぶという、オタクの夢過ぎる。

これでいくらかと聞いたら建具家具家電まで入れて4000万円だそうだ。土地は入っていないが、5LDK土地建物で1700万円ぐらいから分譲住宅があるような土地なのでそれを入れても5000万にはならんのじゃないのか。

これ以外に、近くの酒屋跡を買い取って社屋としている。悔しいのでいくらで買ったは聞いていない。確かに仕事用の部屋があるが、オタグッズがつまっている部屋があることを知っている。

専業主婦かどうかについて

自営業なので専業主婦かどうかは知らん。

ただ上記の通り、住民税課税基準になる世帯年収は800万以上あるのは確かである

海外旅行とか

行ったと言う話は聞いたことがない。

子どもが小さく介護もあるダブルケア状態のため、家族旅行という訳にはいかないらしい。

ただし、「相方と知り合ったのはfripSideコンサート」という、酒が入ると何度もしてくるクソのろけから分かるように、その手のイベントにはよく言っていて自慢される。

今度合ったら先日のアイマスコンサートの話をされることだろう。世の中の不公平さにくらくらする。許せない。革命しかない。富の再配分としてお土産くれたら許す。

その他細かい部分

当然自動車がないと暮らしていけない土地軽自動車2台(ホンダのN-BOX最近買ったオレンジ色のスズキハスラー)とプリウス。ただしプリウス社用車らしい。

しかしどうみても私用で使いまくっている。脱税であるしかし、N-BOX車いす仕様車であり、自分も貸してもらったりしているため許す。

レストランとかに食事に行っているのかなどはしらないしが、いつも自分と飲むときはそれほど高い店を使わないのでそこに拘りはないと思う。もしここでそこはお前のレベルに合わせてるんだろ等と言う根拠がない誹謗中傷をする奴がいたら訴訟も辞さない。

服とかは基本しまむらしまむらの良い所は介護用の前開き下着などがちゃんとしまむら標準レートの割引価格販売されているところだよね、と言うところで奥さんと情報交換した。

ただし奴の部屋にも仕事部屋にも社屋の二階にも大量にアニメグッズが置いてあり、相当金を使っている物と思われる。業者か。

ある等身大フィギュアコイツが一体持っていますめぐみヤフオクでたたき売られているのをみて忍びなかったマンマシンインターフェイス客観的検証研究するために購入した等と意味の分からない供述をしており、動機不明

貯金はあるかはしらないが、ないに違いない。

これで貯金とかあったらこの世の理不尽さに俺は死ぬ

なお、東京まで出るのに最速で片道5時間

結論

年収1千万あれば田舎では確かに土地が高い都会では考えられないような豪邸がたち、趣味も充実し、美人の奥さんと知り合うことが出来、贅沢ができるように見えるが、こんな生活いつまでも続くわけがないのであいはいつか滅ぶ。

おまけと言う名の本文

彼と再会したのは、自分が小さい頃、地域寄り合いで中が良かった自分母親と彼の母親が同じデイケアセンタで再会し、再び仲良くさせてもらったところになる。

そこで、自分母親気分転換にどこかに連れて行ってやりたいと思っていたが俺には介護必要母親を乗せられる車がなく、N-BOX車いす仕様車を貸してもらったことがきっかけで仲良くさせてもらっている。彼のN-BOX自分以外にも貸してもらっている人は多い。田舎レンタカー屋には福祉自動車はない。その他のいろいろも、正直、尊敬している。

一方の俺だが(フェイクを混ぜているので、あ、あいつのことだ、などと心当たりがあってもそれは間違いである)、年収は額面で280万円。家は親の持ち家で築30年(ただし改装はした。400万ちょいかかったが親父の蓄えで賄った)

一度外に出たが母親が倒れ、親父だけでは介護は無理だと判断して退職帰郷した。帰郷前はもう少し年収はあった。

ただし、世帯収入としては両親の年金があり、これを介護のために使っているので、収入は苦しくない…といえば嘘になるが、言うほどではない。

貯金自分だけで年収の2倍を目安に貯めてある他、積立型の民間年金保険にも入っている。

元増田言葉をかりるとこうだ

贅沢な生活は出来ないかもしれないけど、選ぶものを選べば苦しいと感じたことは一度もない。

人を呼ぶと家に物が少ないと驚かれることはある。でもミニマリストではない。

では何が違うかというと、それは選択肢だと思う。

恐らく年収280万の俺の場合、新たに家を建てると言う選択肢はなく(必要ないのもあるが)、両親の家を使うことになる。(介護用の住宅改修と一緒に耐震補強はした)介護費用を冷静に考えると、この分がもしなければ、当地では十分に結婚して子育てできるだけの費用は捻出できるだろう。職業選択しも広がるし。

しかし、例えば目黒に家を建てるのがいいのか、埼玉分譲マンションを買うのがいいのか、はては田舎に巨大な家を建てて親孝行するか、子ども私立に入れるのか公立がいいのか、といった選べる余地はない。この年収では東京では暮らすことすらままならないのではないか

さらに元となったフィナンシャルプランナーの話も混ぜて、そういう多様な選択のなかで、理想的にぶち上げられているいいとこ取り(都心に持ち家を持ちながら、田舎の豪邸のような暮らしをするのは無理だ)はできないと言う点で、それぞれ一貫しているのではないか

正直、俺から見るとどいつもこいつも贅沢な悩みしやがってと言う気がしている。金持ちには金持ち理屈があるのだと思うが、そうやって選べることそのもの幸せだということも覚えておいて欲しい。

とは言っても、別に選べなくても今にそれなりに満足している人はいるだろうから、それをどっちがいいだの、資産価値が下がるからお前はアホだのいうのはやめよう。

まり、どっちがいいとかわるいとか不毛な話ではなく、選択としてみんな自分事情増田に書こうぜ。それをみんなで批判するんじゃなくて、はーなるほどと呼んで、自分生活に生かそうぜ。

2016-12-09

リクライニングシート倒しルール共通化してくれねか

今日バス帰郷したのだが、リクライニングシートには「後ろの人へ声掛けしてからにしてくれ」と書いてあった。

海外仕事をしているが、飛行機のリクライニングで声掛けをする事はまずない。なぜなら元々「権利」だから

もちろん例えば食事時や前に頭を付けているときなどの最低限の配慮はするが、リクライニング基本的に出来るのだ。

なぜ声掛けをして許可を得てからにするのか意味がわからない。

というか、じゃあ最初からそういうルールに全国のリクライニング事業者統一してくれよ、っていうね。

一度飛行機のリクライニングで後ろの日本人ババアと揉めてイライラしている。そもそも外航なのでよく分からず乗るなと思ったが、面倒だったのでCA対応をお願いして黙らせた。

2016-11-21

彼らはい

寂れた田舎シャッター街 ぽつんと佇むラーメン屋

人っ子一人いない住宅街 ぱっと見民家のラーメン屋

さがしてみよう 川原の石をどかすように

待ってるよ 暖簾のかかった引き戸の奥で

彼らはいる 息を潜めている

現地民は大抵ラーメン屋にいる

なんかの工事おっちゃんや 帰郷してきた出身者もいる

2016-10-11

田舎に戻ると結婚の世話をしたい人が多くてどんなブサイクでも結婚できちゃうのよ。

都会に出て相手が見つからないとお悩みの方は都会暮らしを諦めて帰郷するのをお勧めする。

理想を落とせない場合は都会で心中だけど。

2016-06-15

逆に奇抜なカッコしている類の人って

気配を断つのうまいみたいなポストを見たんだけど、逆に若いころに奇抜なカッコしている類の子って真っ先に「若いころの青い思い出と友人関係」で消えてく類の人達だと思う。

しかも奇抜なカッコする人は大抵、田舎もんなので、その人達も早めに結婚帰郷デフォだったりして。

2016-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20160527153302

そう言われると自分も正しく理解してるか自信がない

懐かしいからと思って帰郷するとどうせ嫌な思いするから遠くで思ってるだけにしとけ、って解釈してるけど

「帰るところにアルマジロ」だっけ?

2016-03-03

[]日本大邸宅の庭の置物として売られていった…高麗初期の石塔が80年ぶりの帰郷

1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国

朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代違法な持ち出しの規模は把握されず


1935年11月26日東京上野公園で大規模な展覧会が開かれた。

タイトルは「時代民芸石灯籠展覧会」。

日本朝鮮陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。

見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。

高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。


世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。

山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。

最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。

威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。

そのコレクターは、佐賀にある邸宅庭園石塔を運び、生涯これを鑑賞した。

当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。


植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。

学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月韓国へ持ってきた」と語った。

石塔研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。

石塔運命は数奇なものだった。

朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。


『石造文化財、その受難歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔宗教的意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。

また、石塔研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代違法に持ち出されたもの」と語った。


当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。

石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫知識人官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。

1933年11月大阪で開かれた山中商会主催競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。


現在日本韓国石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。

1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。

引用ソース

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851



>>植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。

>>石塔運命は数奇なものだった。朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。

矛盾認知できない」という病気


>>1933年11月大阪で開かれた山中商会主催競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。

チョン・ヒョンピルとは朝鮮人と思われる。

1933年というと日韓併合の真っ最中

そのころの朝鮮人はひたすらニッテイに収奪され、創始改名強要され、過酷植民地支配にあえいでたのでは?

なんで競売普通に参加してるのか?

矛盾認知できない」という病気

2016-02-25

無い袖は振れぬ

現在38歳無職。前職を辞めてもう1年になる。

あっという間だった。

新卒入社した大手SIインテグレータ子会社で、技術の無いSEとしてどうにかこうにか12年働いた。

技術は無いというよりは、まじめに身につけず逃げてサボった帰結。てめえが悪い。

マネジメント方向に進む能力は見当たらず、肝心の技術も無い。

幸いクビにはされなかったため、長くいた職場で培ったノウハウをもとに惰性で働いてきた、だけ。

対外的に認められるものは皆無。

目の上のたんこぶ・老害として会社寄生する以外の選択肢は見えなかった。

目標無く上京して19年が過ぎ、家業が畳まれる(俺が継がなかった)タイミングで、帰郷した。

親の手伝いをして、切りがよいところで労働再開できんもんかな、と。

あわよくば、ネットで稼いだりできんもだろか、と。

ぼんやりと考えていた。

休みたかったのもあるし、たまりにたまった本を読んだり、買ったまま観てないDVDだのゲームだのを消化したかった。

政治やら法律やら歴史やら経済やら、社会対峙したときに不足している知識を補充し、己の意見も固めたかった。

資格も取りたくなった。

が、まあ、何一つ、かたちにならないよね。

漠然としすぎてるし、まじめに進める習慣がないんだもの

働いてたって、できる人はできる。

働くのを辞めて、自分自身が変わるわけがない。

もともとできないものが、突如としてできるようにはならんのだよ。

から鱗が落ちたり、雷に打たれたように衝撃を受けたり、いろんなものごとがつながっていったり・・・しないんだよ。

逃げずに生きろよ、お前。終わっちゃうよ?

2016-01-22

明治政府退職しました

去る明治6年10月24日、私江藤新平明治政府を辞職し下野することになりました。

皆さんご存知の通り、私は征韓派でありまして、志を同じくする西郷氏、板垣氏、副島氏、後藤氏とともに陛下にその重要性を述べてまいりました。

しかし、こうした動きに対して、あえて隠す必要もないかと思いますが、大久保利通氏が強硬に反対しておりました。

無論大久保氏の言い分は充分に解っているつもりです。朝鮮を征伐することが国際的不安をもたらす、と。

その通りかもしれません。しかし我々は西郷氏を挑戦へ派遣することを閣議で決定していたのです。

どうして岩倉氏は両論を陛下に奏上したのでしょうか。三条さんはぶっ倒れてるし。


ええ。負け惜しみです。大久保さんの方が一枚も二枚も上手でした。

今年明治7年、私たち民撰議院設立建白書という文書政府左院に提出しました。

ええ、負け惜しみ反動です。これから政府官僚だけでなく、人民が広く政治に参加して、同じ意見の人々が政党を作り、その意見政権に反映されるべきなのです。

負け惜しみです。だからこそ、この立場政治を考えたいのです。この動きは絶対に広まっていくでしょう。何百年もかけてね。その礎にしたい。板垣君が頑張っています

最近故郷佐賀がなんだか騒がしい。士族鬱憤が溜まっていると伝え聞いています

なんだかそういうの聞いていると、故郷に帰りたくなってきます

みんな何故かめちゃくちゃ私が故郷に帰ることを止めようとしてきました。

故郷が同じ大木君なんかめっちゃやめろ! って言ってきます、笑。 退職したんだから別に良いじゃんw

板垣君も副島君も慰留します。みんなそんなに東京が好きなの? まだ東京で消耗しているの?

私は佐賀で育ちました。幕末には桂君と会ったり(今は木戸君ですね)、姉小路さんに会ったり。大隈君や大木君、副島君、島君あたりとサークル作って活動したり。

維新後は学校を整備したり、四民平等なんて訴えたり、あと民法について仕事したり。警察制度作ったり。いろんなこと中央でをやらせいただきました。

自信あるのは警察制度の中に、新しい技術である写真」を使った捜査を盛り込んだこと。写真ってすごいですよね。これを人相の手がかりにすると効果てきめんだと思います。我ながら先進的な施策だと思います。多分100年以上これ使える手段になるんじゃないかな? とにかく、いろんなことをやらせいただきました。

負け惜しみ反動で書いてます。今佐賀でこれを書いています板垣君、副島君。留めてくれてありがとう大久保氏が私の帰郷するよう権謀術数をめぐらせているということ、聞きました。

でもいいんです! 東京で消耗するより、今は佐賀です。生まれ育った佐賀はいろんなことが今起こっています。あの島君も佐賀に帰ってきているようです。昔は島君といろいろケンカしましたが、今また会ったら。この佐賀で会えたら。また違ったケミストリーを生むことができるんじゃないかと思ってます

板垣君や大木君、副島君等とは遠く離れてしまいましたが、また皆で議論したり、政治をしたりしたいなーと思ってます! まだまだ日本はこれからなんだから!! 今は・・・故郷ゆっくり考えることにしようと思いますそんじゃーね。また連絡するからね。

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