はてなキーワード: 創作物とは
当方25年ぐらいオタクやってて書いたり出したりもしてる経験からいくと
https://twitter.com/between_A_and_A/status/1528212999345180673
>「ジャンル分けは見つけやすくするためであり、住む場所を分けるためではない」が男性向けの認識ですね。だから「公式タグ+ジャンルタグ」が基本になってます。嫌なら各自ミュートしろの精神
基本認識はこれであってるんだけど多分これだけだと理解ができない状況を見たことのある女性がいるかもしれないので解説しておく。
これは太古の昔からそうなんだけど
男性向けは言葉が汚い。「死ね」は「おはよう」とかそういうスタンスだと思ってくれればいい(今はそうでもないけど)
だから「百合に挟まる奴は死ね」は強い言葉に見えるかもしれないがこれはポケモンの鳴き声みたいなもので
誰かを漠然と叩いてるみたいな人は"少ない" いないとは言わない。
基本的に男性は何かを名指ししない、漠然としたジャンルに対しての暴言はかなり広い範囲で許容される部分があるので
この男性向けのスナック感覚の暴力性を理解できない女性にとっては攻撃してるように見えるのだと思う。
あと男性は傾向として空中リプと鳴き声の区別がつきづらい部分があるので
女性から見ると空中リプで誰かを牽制してる!みたいな姿がただ遠吠えしてるだけみたいなことはザラにある。
これは先天的なものか後天的に獲得するものなのかは分からないが
男性は地雷踏んでも女性のリバやら解釈違いみたいなのを踏んだ時より
遥かにダメージが少ない、または大ダメージを食らってもすぐ回復する。
ダメージ食らったらうわっみたいなダメージボイスぐらいは皆出るじゃん?
それが「百合に挟まる奴は死ね」とかそういう言葉を出力する理由な訳だ。
女性向けで主流の「視界に入るのも嫌」という気持ちはあるにはあるけど
ちょっと視界に入ってしまうのは仕方ない 地雷を踏むのは仕方ない
適当にtwitterとかで吐き出してさあ次行ってみよう!みたいなスタンス。
純愛にNTR混ぜるな死ね、みたいな言動を見たことある人が多いと思う。
これに関しては前作が純愛だったのに次回作がゴリゴリのNTRになる
または不意打ちNTR(ページの7割が純愛に割かれて後編怒涛のNTR展開が発生する)の場合に多く
これはジャンルを叩いているというよりもパッケージにりんご書いてあるのにレモン味だったじゃねえかという文句であって
棲み分けとかそういう概念での攻撃じゃないのは理解してほしい部分だったりする。
そしてタグは本当に成分表でしかなく、見て欲しいと思ってつけてるものなので
キャラの受け攻めの表記が違ってたとしてもそのタグをつけてる人が多ければそっちに付ける
そしてそれを気にする人も少ない。
百合はカップリングと受け攻めが重要な部分から言っても女性向けの影響を多分に受けてるので
そこそこ小競り合いが発生するんだと思う。
それこそ男性向け界隈とは住む世界が違ってるという感想にならざるをえない
喧嘩しているように「見える」という部分は多分にある。
こういう思想の全ての根っこにあるのが「キャラそのものへの信奉」である
シチュエーションがどう、とか関係性がどう、とかそういうのではなくそのキャラだけを見てる
もっと簡単に言うと「多少アレでも○○(キャラ名)がエロければorかわいければor絵がうまければOK」の人が圧倒的にマジョリティなのだ。
男性向けはこういう適当な空気感で、pixivとかで漁るのもとにかくタグから辿って全てクリックして
地雷踏みながらえっちな絵を自分のHDDにおさめていくものなので
適性がないやつはどうしたんだろうかという話になると多分死んだんじゃないのとしか言いようがない。
そしてそういう奴の声は本当に少数派なので届かない。
たまに聞こえる声は断末魔かダメージボイスかの区別がつかない。
というか根本的なものの考えとして男性向けと言われる領域の住人は創作物で他人が死のうが傷つこうがどうでもいい。
むしろ存分に傷をつけてやろう爪痕を残してやろうと思ってるフシすらある。
だからタグの棲み分け等お気持ち表明しても殆ど誰も乗っかってこないのだ。
また何か思いついたら追記するかもしれない
今回の件で問題になっとるんは「他人の創作物そのものを勝手に改造して売った行為」や。
同人誌でも単行本やアニメの本編の顔の絵を切り抜いてエロ本とかに張り付けて売ったら逮捕やで。
まぁ、フィギュアは昔から版権キツイから全部ゼロから自作しても逮捕されるかもしれん。
『エヴァンゲリオン』シリーズのファン創作物公開に関するガイドライン内で
「ファンアートの販売・製品化に関するルールについても検討しています。 続報をお待ち下さい」
とあるけど、出た?
このガイドラインはファン活動をその内容含め【規制・禁止】するものではありません。
このガイドライン含めたいていの2次創作に関するガイドラインは、動画、静止画、および小説を対象にしていて、立体物、グッズに関しては対象外となっている
このガイドライン含めたいていの2次創作に関するガイドラインは、公式の素材の流用を禁止している
このガイドライン含めたいていの2次創作に関するガイドラインは、頒布は即売会や同人流通、一部の有料ファン会員サービスなど限定している
自分は今まで誰とも付き合った事がなく、告白したこともされたことも無い。小学生の頃に好かれていると耳にした事はあったが、実際の所どうだったのかは知らない。
当時は少女漫画が大好きで、母にねだって買ってもらったちゃおを、何度も何度も繰り返し読んでいた。漫画の中の彼らと同じように、自分も恋愛をして結婚し、子供を産むんだと当然のように信じていた。
けれど今は、その"ふつう"がとても遠くに感じる。
同性だけに恋愛感情を抱くという訳でもないし、異性が苦手という訳でもない。アセクシャルでも、性嫌悪でもない気がする。
自分じゃなくなるみたいに感じてしまうから。自分で制御しきれない感情に満たされるのが、ものすごく怖いから。
ドラマや映画を初めとしたフィクションに加えて、世の中に蔓延る噂やスキャンダルを見て、恋愛感情というのはなんて衝動的で破滅的なんだろうと打ちのめされた。そして世の中の多くの創作物が、それを美しいものとして描いていることも気味悪さに拍車をかけた。
コントロールしきれない感情に振り回されて他人もろとも自分を傷付けるならば、はじめから無い方がいい。他人に近づきすぎるのも恐ろしかったし、どんどん依存してのめり込んでしまいそうという予感もあった。
その誓いの一方で、心の中に閉じ込めてきた秘密の自分を見つけ出して手を差し伸べてくれる救世主を、ずっと探し求めている。どうしようもなく辛くて悲しくて涙が止まらない夜を、眠りについたまま目覚めなければいいと願って布団に潜る夜を、それでも大丈夫だよと、自分も知らぬままにできた深い傷をあたたかく癒してくれる存在を、ずっと求めている。
権利者が許すなら二次元のキャラに何しても自由に決まってるだろ。
アイドルやった人間はイメージを壊すし既存のファンにも届くから過激なAVに出る権利はないってことか?
そもそも二次元キャラそのものには人権も人格もなく、あるのは権利者の権利だけだ。
権利者が股から脳天まで串刺しにしようが四肢切断しようが自由に決まってるじゃん。勝手に気を失ってろよ。
しかしまぁ存在しなかったものを作り出し、コストやリスクを支払ってそれを維持している創造者・権利者に対する敬意というものがまったくないよね。(ちなみにデザインして現在は権利を持たない創作者が最初に戸惑いを表明していたが、そのあと応援的なことも述べている。創作の現場で実際に戦っている人間はちゃんと覚悟がある)
キャラクターに対して「自分が気に入らない表現を禁止する権利」を行使したいなら、コストを支払って自分が権利者になるか、理想の創作物を自らの手で創造すればいい。
ラノベに限らず、創作物ってある種の自己投影というか、自己満足、自分に足りないものや満たされない何かを補う機能があるように思う。ラノベの場合は、特にそれが露骨というか、タイトル一つでどれくらいその成分が入っているかアピールしているところがあるよね。
ただ、年齢や環境によって、補いたい成分や必要な分量が変わったり、そもそも全く違うもので補えるようになったりもするんだろう。だから一つのジャンルやクリエイティブに拘らずに、色んなものに触れる、でいいんじゃないか。
ちょっと待て。
例に挙げるのがいつも「blog・創作物(テキストデータ・画像データ・動画データ)の置き場・プログラムスクールの課題発表」のみって。
結論から先に言えば、blog・創作物(テキストデータ・画像データ・動画データ)の置き場・プログラムスクールの課題発表、
それ以外で今さらレンサバで何をするつもり?って話じゃねーかなって
その答えは多分、レンサバのホスティング会社自身も持っていないし、
ホスティング会社は、自社のエンジニアに、レンタルサーバー上で展開しているサービスの保守だけではなく、
『はてな』と一緒だね。というか今のはてなはクラウド監視パッケージとか提供している会社というイメージが強い
▼Hatena with AWS 共催オンラインセミナー
〜今日からはじめるAWSクラウド監視。Mackerelによる運用監視の実践デモ〜
本来創作物ならエロだろうとグロだろうと本来何でも出していいし、GTA なら殺人も許されるし、エロゲなら現実ではありえないハーレムが許される。むしろそういうことを楽しむためのゲームだけど、集まれどうぶつの森で殺人やエロはいらないってだけ。ゲームタイトル毎に Not for me が適用できる。
ゲームに限らず近年のエンタメに政治的に正しくないを持ち込むのが間違っている。
で、仮になんでもできるゲームがあるとすると、プレイヤー毎の多種多様な価値観で何を楽しみたいかも違うものを一緒くたにしてしまったら現実と同じになってしまう。VRCが一番近い状況だと思う。
そうなると結局現実と同じような他人の権利を害するものが許可されない→ポリコレの流れになるしかないんじゃないかな。
仮に飲酒運転して事故っても別に怪我しないし他人のアバターや創作物に影響しないならそれが許可されるし、他人に迷惑をかけるようなシステムなら罰せられるかゲーム内ゲームに隔離されるんじゃないですかね。
現実と違って、首が飛ぼうが何しようが所詮データでしかないので、あくまで楽しめないとかむかつくとか精神的な権利・ダメージを負ったり、首を飛ばすことによって他人のアバターの行動制限したりしない限りなにしてもよさそうなもんだけど。つーか、ゲーム内の飲酒がどんなバッドステータスになるのか、バッドステータスのオンオフ自由なら便利そう。セックルだって気分に合わせたアバターで新しい境地を開いたって良いんだし。それこそスクワットしながら・・・ねぇ。
ただ精神世界で、かつこれからできるもんなので、一部利権団体がより一層 XXXXX の権利がーとか良いだしそうな気もする。
今話題になっている例のアパレルブランドの火種とたわわに対して、Twitterの鍵垢でずっと色々考えていたことのアウトプットとぼやきです。人間なので矛盾してたり、破綻してるところもあるかもしれない。あくまでも自分の意見をまとめてアウトプットする形になるので、こういうこと考えとる人も居るんだろうな、くらいの気持ちで見ていただけたら幸いです。
まず、たわわの作品そのものに対しての意見は黒澤さんに概ね同意です。自分自身も時と場合、相手でそうすることがあるように、胸を自分の魅力として着飾ること、振る舞うことは"個人の自由"でもあるし、そういう女性の自己表現のかたちがあっても良いと思います。
なぜ彼女の発言があそこまで燃えたのかは、"心の中で性的だと思われることも嫌だ"という層が一定数存在することにあると思っています。
増田は、公序良俗に反さない限り、谷間が見えたり、ボディラインのはっきりした服を着ることは個人の自由ですが、「エロく見られたくて着るわけではない(服が好きできているなどの理由な)のだからエロく思うな」と他人の内心まで制限するのは非常に傲慢な行為だと思っています。同時に、心の中でエロく思うことは自由でも、他者が着ている人の意図を想像して「媚びている」「OKサイン」などとジャッジを下すことも傲慢だと思います。
現状フェミニストが「ハトクロを着る女性は男性にエロく見られたい女性だ!」と行なっている主張は、後者の傲慢さも含んでいると感じるので、(彼女たちが本当に原義的にフェミニストなのかは置いておいて)ハトクロに対しての過度な叩きは女性の身である増田からしてもかなり傲慢に映ります。
エロい服を着るのに必要なのは、エロく思われない社会ではなく、そう思っても表に出したり、相手をそういった視点からジャッジしないという社会だと思うのです。(これはエロい服に限らず、ゴスロリやパンク、どんな服装において言えると思います。)
黒澤さんは、ハトクロ着用の写真は性的な目的の写真ではないので、そう言った言葉を投げかけることは制限していますが、心の中でどう思うかまでは制限していないことが、"心の中で思われることも嫌だ"という層からしたら裏切りに感じられたのかもしれない、それが火種になったのだと考えています。
■内心と言動の話
ではなぜ心の中で思うことまで制限したい人が出てくるのか、と考えると性犯罪の認識が内心にまで及んでいて、男性の性欲に対して潔癖なのだと思います。
自分も勿論男性からのそういった行動や言葉で傷ついたり、嫌な思いをしたことはありますし、被害者としてそういったトラウマや負の感情を抱える気持ちも理解できるし、そこには同情しますが、男性の性欲が"原罪"だとは思っていません。
自分はいわゆる腐女子であり、バイセクシャルで、男性同士の恋愛に対する幻想や女性に性的な気持ちや欲求を抱いたりします。というかどういった人であれ、そのような欲求は誰しもが当たり前に持ち得るものだと考えています。
問題は、その欲求を相手に言葉や行動としてぶつけたり、相手の意図を自分の欲求をものさしに解釈してジャッジしたり、そういった行動に起こすことです。悪いのは相手の服装や仕草でも、欲求そのものでもないと考えています。
そこに対する考え方が、黒澤さんと今回ハトクロを誹謗中傷している方で違うのだな、と思いました。
ですが、国際女性機関(でしたっけ)の「あの作品は女性に対する、異性を性的魅力で応援するというシンボルの押し付けである」という意見にも同意できません。
増田はたわわが好きです。(増田が絵を描くので)絵としてのクオリティも尊敬していますし、胸の大きな女性は現実でも創作でも好きなので、毎週更新を楽しみにしています。何度も言う通り現実でたわわのような女性の自己表現があってもいいし、ああいう男女の関係性があっていいとも思っています。
黒澤さんの「自分の魅力で異性を応援したって良いのではないか?」という作品の中で起きている関係性や、女性の自己表現の自由に対する意見にも同意します。
ですが、たわわの登場人物ではなく、作者様や(自分も含め)それを楽しむ人たちによる、性癖やフェチに基づいたコンテンツの作成意図とその性的な消費が存在するのも事実だとも思っています。
たわわはあくまでも作品で、たわわに向ける印象や作品に対する言葉が女性を性的にジャッジしたり、それを基準として女性像を縛りつける社会を作る!とは思っていませんし、当たり前ですが、現実と創作は違います。もちろんそれを理解している方が大半だとは思いますし、たわわと性犯罪はイコールにはなりません。
ですが、新聞という老若男女、そう言った切り離し方ができない人まで目にする可能性がある場に、元々性的な目線を向けられたり、少なからずそういった欲求から作られている作品を載せる、というのはなかなかリスクのある行為だと思いました。
私たちは1人の人間で、そういったことを期待されるコンテンツではないことも事実です。
(ただ、女性の"シンボル"としてたわわと対局の女性が描かれるのも、またアイちゃんのような女性の自己表現を否定になり得るので本当にメディアと表現と現実の切り離しはセンシティブで難しい問題だと考えています。)
これに関しては自分が女性向けジャンルにおいて、創作物が原作やそれに関わるものに与える影響にとても敏感で、"検索避け"というのにとても気を遣っていたという増田自身のちょっと偏った考えもあるかも知れません。
創作物と現実はイコールにはなりませんが、お互いがお互いに与える影響もゼロではないと思っています。ので、増田というただの人間にはそれが良いとも、悪いとも言い切れません。
■最後になんか色々
性別や年齢、どんなことに関わらず自分以外の人間に対して、相手の立場や考えを噛み砕くことはできても、完全に理解してその立場になることは無理だと考えています。
私はあくまでも私の立場でしかものを語れないし、自身も性被害にあったことがあるので、作品と性被害の切り離しが完全に行えているかというとかなり怪しいことも自覚しています。
また、そういう人間が第三者として完全に冷静に話すことは難しい、とも思っています。
被害者や弱者が何かに対して発言する時、行き過ぎればその立場を振りかざした暴力にもなり得るので。
なるべくそういう個人的な感情は省いて考えているつもりではありますが、正直完璧に第三者視点で公正にものを考えることはかなり不可能に近いです。正直自分にできている自信はありません。
なんか話があっちこっちに行った気がするのですが、初めにお話しした通り、こういう気持ちを抱いている人もいるんだな、くらいの気持ちで捉えて頂ければ幸いです。
難しいよな
昔、とにかく保守系政治家を悪者として登場させる某小説について、「読者に、実際にそのような人物や組織があると勘違いさせ、あるいはモデルになった思しき実在の組織や政治家のことを、描写されたような組織ないし人物であると勘違いさせる」と批判する人がいて、「そんなわけあるか(笑)」と擁護する人と議論になってるのを見たことがあるが、創作とジャーナリズムの境界が曖昧になるというのはありうる話だなとは思った。どこぞのマスコミがありもしない事件を報道したとかそういう話じゃなくってよ?
史実と信じられていたものが実は小説家の創作だった、というのはよくある話
それを思うと、創作物に対する野暮な批判ないし指摘というのは、あれはあれで必要なんじゃないかしらと思うのだ。必要というか、省力化に役立つというか