はてなキーワード: 創作物とは
Aさんが描いた創作物="Aさんの画風"+"公式のキャラデザ"
このときAさんは”公式のキャラデザ”の著作権を侵害しています
Zさんが"Aさんの画風"+"公式のキャラデザ"の2次創作した場合
"Aさんの画風"には著作権がないため
Bさんが描いた創作物="Bさんの画風"+"Bさんのキャラデザ"のとき
Zさんが"Bさんの画風"+"公式のキャラデザ"+"Bさんのキャラデザ"で2次創作した場合
Zさんは”公式のキャラデザ”と"Bさんのキャラデザ"の著作権を侵害しています
(例えば、公式は百合漫画、BさんのはBL漫画でZさんの2次創作の男性キャラがBさんのキャラデザになってしまった等)
Cさんが描いた創作物="Cさんの画風"+"Cさんのキャラデザ"で
Zさんが"Cさんの画風"+"Cさんのキャラデザに似たデザイン"の創作した場合
篠房六郎氏の新連載「姫様はおあずけです」前回の掲載である"前編"を載せた4/10からとうとう半年が経過してしまった。
https://urasunday.com/title/2182
Xを見るに名前・固定・bioで新連載を周知しており、前編という中途半端なところで切られていることから打ち切りの可能性は低いだろう。
あれから一月、現在の篠房六郎のXには「姫様はおあずけです」のひの字もない。
xの規約改定を契機に上げていた画像の一掃ついでに連載の存在も一掃したのだろう。
まああれだけ吹き上がってたのにXの規約が読めてなくて15日から行動を変えるという個人事業主としてのリテラシーの低さを露呈した絵描きのうちの一人だったのにも愕然としたが。
もはや絶対に創作物を無断収集・利用される可能性がないプラットフォームが現れない限り篠房六郎の創作物は生まれないのかもしれない。
ここ数年で、AIツールを使わないプログラミングに苦痛さえ感じる体になってしまいました。
IT分野におけるAIの活用は必然の流れだと思うし、その結果仕事が奪われる未来も議論するまでもなく、近い将来に控えていると思っています。
同じ考えのエンジニアは少なくないはずです。
ところが、別の分野、特に絵の世界になると、ご存知の通り、凄まじい対立構造が生まれています。
毎日のように、X上で激しいバトルが繰り広げられているわけです。
というのも、IT分野でのAI活用とは、文化としての背景が大きく異なりまして、非常にナイーブな問題ではあるのでヒートアップも致し方ありません。
ただ、その対立は、私のように外部からその流れを観測している者からすると、
不勉強から自らの価値を過信し、本来の「師」という言葉からは程遠いにも関わらず自らを絵師と呼ぶ厚顔無恥な人間と
誰かが作ったクリエイティブにただ乗りし、ランダムなパターンをひたすらガチャすることをクリエイティブと勘違いしたあまりに厚顔無恥な人間
両者の声が非常に大きく、互いに感情に任せ罵り合う、あまりにも稚拙で生産性のないものに見えてしまうのです。
ですから、冷静な情報が全く得られていません。感情論に寄りすぎず、AI絵に対する意見を知りたいという欲だけでこの日記を書いています。
前置きが大変長くなりましたが、以降、AI絵に対する意見を書きますので、ぜひ両者に反論いただきたいのです。
今更、中立な意見など書けないので、あえてAI絵師に寄せて書いてみます。
人が絵を描く時、意識をしていないにせよ、必ず「考える」という作業が発生します。
この「考える」という作業はこの議論において、非常に厄介です。場合によっては、あたかも本人の頭の中から、無から全てが出てきたように思えるからです。
これが「絵師」が「AI絵師」を叩きたくなる要因の一つです。自身の完全なるオリジナル(と思い込んでいる)創作物を他者にパクられてしまえば、誰しも怒りたくなるものです。
ところが、実際には「考える」は無から有を生み出す行為ではありません。単に、これまでの「経験」から結果を導く推論です。
この「経験」とは、一般に努力とも捉えられるかもしれませんし、学習とも捉えられるかもしれません。
そして、厄介なことにこの「経験」もまた無意識下に行われることがあります。顕著なのが、人の絵を見て模倣してしまうことです。
模倣のレベルは場合によって異なります、意識的に模写することもあるでしょう。模倣するつもりがなくても似てしまうこともあるでしょう。レベルが違えど、無意識下で影響を受けていることを否定できる人がいるでしょうか?
生まれてから外界の情報を遮断し続けた人がいたとして、ペンを渡すだけで、いわゆるアニメ絵を描けるでしょうか?
結局のところ、人の創作の大半は大量の「経験」をもとに「考えて」作られたものなのです。
だからこそ、普遍的に愛される素晴らしいものなのだと思います。
(あくまでベースとしては)こちらも大量の画像を学習させ、疑似的に「経験」を行います。そして処理する、すなわち「考える」ことで画像を生み出します。
とんでもなく大量のデータからの学習ですから、一つ一つの絵の結果に対する影響など微々たるものです。もはや、出力結果に対して、一人の絵師の絵の学習など、「無意識」に近いのです。
あえて乱暴な言い方をすれば、もはや人と同じではないですか。
こういう乱暴な言説を唱えると、当然、「AIは勝手に学習してるんだ」というお怒りの意見が来るでしょう。
ただ、それは人も同じです。
アニメを見て、きれいな絵だなと思った。その瞬間無意識下では「経験」として変換されているわけです。それに対して、誰も勝手に絵の参考にするななんて言わないですよ。
この話の難しいところは、いわゆるキャラデザと画風で話が微妙に異なるところです。
(反AIの絵師の方がパル〇ールドを随分楽しそうにプレイされており、大変驚いたのは本筋とは異なりますが面白いエピソードとして記載しておきます。)
では、画風は?
知り合いのデザイナーは、お客さんから某監督風の絵でと言われて、そのとおり納品したそうです。
客側の問題は置いておいて、こういった依頼があることは想像に難くありません。中には表現技法として、客からの依頼ではなく、自ら使う人もいるでしょう。
絵師の皆さんは、ことAIになると、キャラデザも画風も似ていればアウトと判断します。
これは、どうなのでしょうか?
AI絵師でも、追加学習し、完全に同じものを目指しはじめればそれは叩かれるでしょう。
絵師でも人の絵を無断転載しオリジナル発言をすれば叩かれます。
AI絵師でも、明らかに特定の絵に似せたものをクリエイティブ発言すれば叩かれるでしょう。
こいつらは、きもいのです。
冗談はさておき、AIなどというツールはあくまで道具であり、うまくそれと付き合い発展させていくことが、必要なわけです。
きもいやつらと全体を同一視し、感情にまかせ議論していては、生産性がないと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/category/society/41c5f624f7eb4ef79d50882cd560344d
犯人が創作物の影響を受けたと思わせる供述をすると必ず出てくる言葉
「現実と創作の区別がついていないからこうなるんだ」みたいなやつ
いや、なんで 創作物の影響を受けている=現実と創作の区別がついていない になるんだ?
おかしな話か?
創作物を模倣した=創作と現実の区別がついていない という飛躍した理論からは「創作物を創作物であると認識したうえで模倣する可能性」を否定しているように思われるが、その否定の根拠はどこ?
創作物の万引きの描写を真似して万引きをしたら万引きは現実ではなく創作のものだってことになるの?
先に書いとくけど、冒頭で貼った元ニュースの児童ポルノは創作ではなく、現実の児童ポルノ映像の可能性もあるが、そこは論点ではないのでそこを論点として指摘した人は話の論旨がまるで理解できていないし文章が読めていない
ツイフェミ叩きも論旨ではない
最近のAI事情マジで荒れてるよな。特にイラスト界隈は地獄みたいになってて、絵師が何年もかけて磨いてきたスキルをAIが秒で踏みつぶしていく。学習用データに勝手に使われて、努力の結晶をただの素材扱いされてるんだからそりゃキレるに決まってるだろ。
ネットに上がってる絵は全部AIの餌みたいにされて、しかも合法だって言い張る奴らがいる。マジでAI開発者とかAI信者の神経疑うわ。データはフリー素材ですって顔して、他人の創作物を食い散らかしてるくせに「これ技術革新だから」って開き直り。本当にクリエイターのことなんか考えてるのかって感じ。
実際、AI使って商業的に成功してる奴らがいるのもムカつく。何も生み出さずに他人の作品盗んで稼いでるだけだろ。
AI生成物をありがたがる消費者も同罪だよな。本物の絵とAI絵の区別もつかないで、安い方に飛びつくとかマジで文化終わってる。絵師が「AI学習禁止」って意思表示しても、どうせAIは全部無視して勝手にデータ吸い上げるから意味ないし、これ以上進化していったら絵を描く人そのものが消えるかもしれない。人間の創作の価値がAIのせいで崩壊していく未来しか見えないわ。
はい、承知しました。弱者男性になりきって、タメ口でAIに増田を書かせるコツについて体験談風にご紹介します。
「AIに増田書かせようと思ってさ、最初はめっちゃ難しかったんだけど、コツ掴んだら意外といけるようになったわ。まず大事なのは、とにかく具体的な指示を出すこと。ただ『増田書け』とか言ってもAIは困っちゃうからさ、『今日会社でウザいオバチャンに怒られたんだけど、AIが代わりにキレてくれるような増田書け』みたいな感じで、細かく状況を伝えるのがポイント。あとは、感情を込めて伝えることも大事。AIに感情を理解させるのって難しいけど、『ムカつく』とか『悔しい』とか、自分の気持ちを具体的に伝えれば、AIもそれに応えてくれる感じ。あと、文章の長さとか、口語調にするとか、そういう細かい指示も効果的。最初は完璧な文章じゃなくていいから、とにかく色々試してみて、自分好みの文章になるように調整していくのがおすすめ。AIってすごい便利なツールだから、うまく使いこなせば、日頃のストレス発散とかにも繋がるかもね。」
具体的に指示を出す:状況、感情、文章の長さなど、できるだけ詳細に指示を出す
感情を込めて伝える:「ムカつく」「悔しい」など、自分の気持ちを具体的に伝える
色々試してみる:完璧を目指さずに、色々な指示を試して調整する
AIの種類や設定によっても、生成される文章は変わってきます。
一次、二次で短編小説を趣味でやってて、アイデアまとめが苦手だからClaudeを酷使してる身だけど絵師様(笑)には「自分の絵には大騒ぎする癖にDeeplやChatGPTに文章が食われてた事に全く声上げなかったよね、同じ創作物なのに」「二次創作でファンボ乞食やってるお前が言えたセリフ?」という目をずっと向けてきた。
ニーメラーの「私の為に声を上げる者は〜」を地で行くのにはビビる。もちろん個人狙い撃ちLoraだったりわざと本人にそれを見せびらかしに行くのはどうかと思うが……。
しかしエントリにもあるけど絵師って生成AIを実際に使ってるユーザー以上に神格化してるのが一番面白い。実際に使うと分かるけど全然そんなことないのにね。
昨今のイラスト生成AIの使い方で主流な『作品の方向性以外全てランダムなもの』が普通のイラストの”人間(この人)が作りました“という価値には絶対勝ることはない。見てる側も人間なんだから。人間が好きなんじゃ人間は。心配は御無用。
人間の描いたイラストは作者が作品の要素を解説したり鑑賞者が要素ついて議論したりすることができる。作者という絶対的な正解を持っている存在がある。
たとえ、作者が作品のことを多く語らないとしても、人間は作者の存在にかなりの価値があると感じている。生成AIで作ったものは作品の要素が完璧な意志をもって構成されたものではない為(全ての要素に絶対的な意味がなければいけないというわけではない。特定の要素を「なんとなくですね」と言える人すらいないという意味)、それらを鑑賞者が解釈はできるが、“作者(正解)がない作品の価値が空虚に感じてしまう。(エロ系だと多少話は変わってきそうだけど、やはり人間の代わりにはならない)AIの作品にもっと意味を持たせようと工夫をしたらそれは人間の意志が入ってるから“生成AIジャンル”のような新しい概念の一作品にしかならない。結局作者は居る。
なので、今の需要がなくなる・絵師が排除されるようなこたぁねえだろ。そんなにAI万能じゃねぇぜ。
イラスト生成AIで良く問題に出される特定の絵柄やキャラクターを出せてしまうことというものがある。でもそれどっちも人間でも出来るじゃん。
公式絵をかなり意識した二次創作とか、いっぱあるしおれは、そういうのも好きだ。それこれグレーゾーンと言われてしまえば返す言葉がないや。簡単に誰でもそういったことを実現できてしまうAIに怖さを抱いてしまう気持ちもかなり分かるな。だからこそ、使っていくおれらはリテラシーを守り配慮しながら使う必要がある。
あと、絵師に「これってAIですか」ってプロフとか見りゃ明らかに分かるのにわざわざ言うやつ、全部アンチだと思うわ。君、あれでしょトレス疑惑厨。あいつらのやり口が変わっただけ。
Xの規約が変わり画像が学習に使われることについても、思うことがある。いわゆる反AI絵師の方々がアカウントを移行したり、ウォーターマークを入れたり苦労なさっている。だけど、それあんまあんま効果ないかもしれんです。早まるな〜!前述の通りAIが人間の脅威になることはないと思われるぜ。
でも学習使われるのは嫌って気持ち、何となくだかおれにも感覚的に理解は出来なくはない。自分の創作物を勝手に二次利用されているようや感覚なのか。ちょっとわかりますぜ。だけど、実際は二次利用や無断転載ではない。全然違うことじゃ。別のSNSに行ってもデータセット作る人がそのサイトに行っても画像をもらうだけっす。
某絵師の方このことについてポストなさってた「今までどおり綺麗な絵を見てほしいから特に対策はしませぬ」というのは、それを他の人に強要するものではないけれど、「うつくしすぎるっ...本当にありがとう」と感動してしまった。
BLや少女漫画の男キャラが「中身が女性」って言われるのって要はこれだよね
性欲関係なく他人に優しくできる、まともで善良な人間は現実ではほぼ全て女性だから
創作物の中でもそういうキャラクターは女に見えてしまうっていう
@daisuki20230120
> また、女性は『自分たちが優しさ・良心・道徳心を提供しているとき』も清廉潔白ではなく、男性と同様にギトギトした性欲に基づいており
え⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎
好きだった。
大好きだった。人生三度目の恋。
あなたが連絡をくれない間も、私はあなたのことをエゴサしたり、考えたり、相談したり。ずっとずっと考えていた。
でもあなたには彼女がいるし、酔っ払っ時にしか連絡は来ない。私の撮る写真が好きとかほざいておきながら、私が綺麗な写真を撮って送っても、あなたは私に何もくれなかった。
いわゆる、大切にされていない、というよくある状況だった。
私の職業はデザイナーで、その能力を使ってあなたはこれから一緒に仕事がしたかったみたいだけど、もうおしまい。片思いしている限り、私の能力に頼られると、あなたに好かれたいがためについつい過剰にサービスをしたくなる。それは後に必ず搾取に繋がると、デザイナーの先輩から聞いた。
私は来月26歳になる。
あなたは私より7つも年上だけど、かなり浮世離れしていて、私の恋とか結婚のことなんか微塵も考えていない。男の人には、女が年齢で変化する考えや体のことをどれだけ気にしているかわかっていない場合が多いが、あなたもそうだった。いや、世間の男の人よりわかっていない。
最後に会った時に、いくら言ってもあなたは全くピンときていないみたいだった。
だから、やっぱりこの別れは正しい。
仕事のことなら会ってくれるかと思って、夜の山下公園に呼び出した。仕事についてなのに夜の山下公園に呼び出すなんて変なのに、あなたは全く疑っていなかった。鈍いよ。
毎回あなたに会えるのが楽しみで、遅刻をしたことがなかった私が、初めて30分以上遅刻した。足取りが重くて仕方がなかった。私にイライラしてほしかった。なんでもいいから感情を抱いて欲しかった。
夜の山下公園は、暗い洞窟の中で鉱石がきらきらと光っているかのように、夜景が美しい。神奈川生まれの私には、定番のデートスポットだった。
一番、綺麗な景色だと思ってる。
だから、大好きだったあなたとの、別れにはふさわしいと思った。
今後、あなたがどこの誰とどんな夜景を見ようと、必ず私を思い出すだろう。
雨のちらつく、11月の夜の山下公園。これ以上に寂しく、美しい景色など二度と無い。
そう告げた時、海に浮かぶ橋の近くを通っていた電飾を施した観光船が、きらきらと光りながら遠くへと消えた。
あなたは私がいなくなるとわかって、極端な選択だとか、寂しいなど言っていたが、それは一時的な感情に過ぎないだろう。
だからその喪失感を永遠にしてやろう思って、この美しい景色を、最後の舞台に選んだのだ。
この世は舞台、人は皆役者。シェイクスピアだってそう言ってる。
だから大好きなあなたに別れを告げる、演技をした。演出をした。私は役者であり、演出家なのだ。
これでいい、これがいい。今までの不平等で散々苦しめられた気持ちが、やっと成仏できた。
傷つけられた分、傷つけた。そうでないと、私の身が持たなかった。
家に着いてから惜しむようなラインや、インスタへの急なフォローバックなどがあったが、全て無視してブロックした。
今更、遅すぎる。
山下公園の綺麗な夜景を見ながら、あなたは抱きしめてもくれなかった。
行かないで、とも言ってくれなかった。
その程度だった私への気持ちを、もっともっと倍増させるように、苦しむように、美しい別れを演出したのだ。
この失恋を、私はここに残しておく。そのうち創作物として世に出すから、あなたは私より上手く創作するなよ。どうせできないだろうけど。
もう今生では二度と会うことのない人の幸せなど祈らない。
どうしてもと言うのなら、あの世で語らおう。
例えば日本の漫画は社会問題や政治をあまり書かないって言われてるんだけど
そんなことはなくて、色んな問題を構造だけ抽出して、ファンタジーの皮を被せて世に出してるんだよね
表現の自由はあるものの、思ったより構造部分で悪人を美化する創作物って少ないんだよね
これは良かれと思ってやってるというより、現実問題を扱うと外野がうるさいからだよね
あと先入観が生じるし、漫画外の情報が入ってきて物語にノイズが交じるからという
だから「ここは地球に似たどこか」とか「別の世界線の話」とかの設定にする
でも一応その暗喩に気づきやすいようにもしている、あからさまというか
最近で言えばもちづきさんが巧妙でさー
たぶん作者はアル中の方が上手く書けるんだよね
なんなら読者がガチで見たいのはシャブ中の話かもしれない(前にそんな漫画流行りかけて流行りきれなかったな)
でもそれじゃ社会に受け入れられないから、ギリギリのラインで「ドカ食い」にしたらちょうどよくてハマったんだと思う(狙ってはないだろうけど)
◯◯中毒みたいなコントをやる時でも、絶対ありえないようなものを対象にする
オマージュやインスピレーションって言ってるくせに、他作品の世界設定を流用してるシナリオの何が嫌いかって、自分の創作物です!って顔してるところ。そこまでして承認欲求満たしたいわけ?ちやほやされないと気が済まないの?自分で考えた設定でもないのにオリジナルの顔して出すなんて恥知らずも良いとこだ。
その作品がすきで、その世界観で自分も創作したい、その世界観を味わってほしいって、まじでそういうファン目線の動機でシナリオ書いたなら、パロディシナリオにすればいいじゃん。
ゲームのパロディシナリオです。世界観がすきなのでcocでもやってほしくて、って。
なのに小賢しく名前変えたりオリジナルっぽく見せたりするから、原作ファンが怒るんでしょ?
泥棒!恥知らず!ファンの皮を被ったパクりネタ集め!パクりネタ探しのためにゲームすんな!
って。
そりゃ言われて当然だよね。だって他人の作ったものを自分のオリジナルとして出すなんて、普通の創作者なら恥ずかしくて出来ない。
オマージュといいつつパクリです、のシナリオってこの世に腐るほどあるけどさ、そいつら全員恥知らずだよ。何がシナリオ作者wwwwwww泥棒集団の間違いでしょ?パクり元無いと書けない人多すぎなwwwwwwそんで、パクり元の二次創作とは言わず、影響うけましたーとか言ってオリジナルぶるの。信者にちやほやされてよかったね、現実世界でどんな生活送ってんだ。ヒキニートなの? 誰からも相手にされないからネットで泥棒してまで一生懸命なの?wwwよかったじゃん。パクって燃えても「私は復活待ってます!」とかいう頭弱い人達たくさんいてwwwwその人達からまたお金巻き上げるんでしょ?まーた泥棒して。いいじゃんいいじゃん、弱者相手の商売ってそうじゃなきゃね。
この世にあるパロディの癖にパロディって書かず、オマージュとして自分の創作物にしてる恥知らず共、まとめて全員燃えないかな。燃えすぎて同人シナリオに規制かからないかな。パクリの温床ほっといていいんですかぁ?あーでも、泥棒が作ったものだろうとなんだろうと、金がはいるから公式は動かないか。ハイハイ、弱者弱者。
この日記では、実在の人物を対象にした二次創作(いわゆる、ナマモノや半ナマ)について言及する。本来であればこのような界隈は表に出てくるべきでは無い。この日記に書いてある内容の中で、1番マナーもモラルもないのは、私自身であると重々承知している。いちオタクの戯言だと思って聞き流して欲しい。
そしてこれは、願わくば全員鍵かけてくれないかなという迷惑系界隈全体攻撃である。
本題のお気持ちに入る前に、昨今の事情を踏まえ、私がナマモノ界隈に対して感じていることについて述べておこうと思う。私はナマモノ歴5年程度であり、界隈のマナーについてはある程度理解しているつもりであるが、知らないマナーがあるかもしれないためご容赦願いたい。
事の発端はX(旧Twitter)のブロックの仕様変更である。ブロックの仕様変更により、ブロックした相手からも自身のポストが表示されるようになってしまった。それに伴い、今まで活動者本人をブロックし鍵パカで作品を投稿していた方々が続々と鍵をかけるようになった。
そんな中、自身の表垢でナマモノの腐向けカップリングを含む創作を行う投稿を行う不届き者が現れた。それに対し、嫌悪感を示す者、お気持ちマシュマロを送る者、作り手の自由なのだから別にいいだろという者、更には当該不届き者とは直接関係のない表垢で上げるにはグレーゾーンの創作物の作り手のにまでお気持ちマロが飛び、界隈はまさに大学級会時代なのである。
これに対して私が思うことはただ1つ。
ファンアート以外の捏造を含むマンガや小説を書く奴は、カップリングの有無に関係なく鍵垢でやってくれーー!!!!!!!
ナマモノ二次創作には、現実の人間を創作の対象としているため通常の二次創作より強度のゾーニングが必要となる。これは、界隈における常識である。
古来より、ナマモノで二次創作を行う場合は容易に検索されない場所で行うべきであるというマナーがあった。しかし、昨今では界隈を盛り上げるために各事務所がガイドラインを設定した上で、ある程度の創作は許容されている。NL、BL、GL等カップリングを含むものは従前の通り完全に鍵垢で行い、カップリングが無くガイドラインに沿うものであれば表で、というのが大まかなゾーニングである。カップリングが無くても、幼児化・女体化・年齢操作・家族パロなど、捏造を含むものはワンクッションを置くべきとされている。
しかしながら、表垢で創作を行う絵描き、字書きの方は鍵垢でカップリングを含む創作を行っている可能性がある。そうした方の創作物には、作り手自身がカップリングは無いと認識していても、意図せぬうちにカップリング要素が混入することがある。(これがいわゆる、腐透けなど。)こうしたことが起こらない為、自身の創作物を常に客観視する必要があり、それが出来ないのであれば鍵垢にするべきである。
また当然であるが、表垢でカップリングを含む鍵垢へフォロワーの誘導などを行ってはならない。カップリングを含む創作物は非常にセンシティブであるため、検索避けを徹底したサイトや決して鍵を開けない鍵垢で行うものである。表垢でこうしたアカウントへの誘導を行うと、創作物が創作対象本人に見つかるリスクが上がる。連鎖的にマナーを守っていた人が見つけられる恐れすらある。
こうしたナマモノのマナーについては他の方が丁寧に説明してくださった記事がネット上にいくらでも存在するため、そうした方に説明を譲る。
とにかく、ナマモノ界隈はガイドラインに従うのみでは不十分で、創作者各人のモラルと良心に委ねられているのである。
現在のナマモノ二次創作界隈(特に表垢)では、モラルと良心に欠けた創作者が非常に多い。
少し、あなたの思いつくナマモノ界隈で検索してみて欲しい。それだけで、なんのワンクッションもなく飛び出してくる捏造二次創作のなんと多いことか。
Bio欄におまけとばかりに記入されている【本人B済】の文字が哀れになってくる。公開垢で投稿しておきながら本人に見られたくないとは何事だろうか?本人さえブロックしておけば見られないとでも思っていたのだろうか?なんとも浅はかである。
ブロック仕様変更に伴い、鍵垢にする創作者が増えた中で、鍵にしたくないという意見も散見された。その際に見られた理由は主に以下の3つである。
・鍵垢が増えると界隈が盛り上がらなくなる
少し反論してみようと思う。
・鍵垢が増えると界隈が盛り上がらなくなる
お前が考えるべきことでは無い。界隈の盛り上がりは二次創作の寡多のみで決まらない。確かに、二次創作が界隈にハマるきっかけのひとつになることはある。だが、捏造創作物で興味を持ち、本人の事などまるで興味も示さない人が界隈に増えて欲しいかと言われれば否である。
それに、界隈を盛り上げるとかいう謎の意識で鍵パカにすることが、ナマモノの界隈のマナーを守ることに優先するなら、お前は界隈を去れ。
ガイドライン遵守のみでは不足であることは前述の通りである。これを本気で言っているのならば、3年ROMれ。
論外。自分のことしか考えられないガキはインターネット辞めろ。
そこそこ親しくさせていただいてる一部の創作者さんには、上記内容を1000倍稀釈したような形で、「それちょっと微妙じゃないですか〜?」と指摘したことがある。その際、「ガイドラインに違反してないのに何がダメなんですか?」「別にそんなのどうでもいいです。」「そもそもあなたになんの権限があってそんなこと言ってるんですか(意訳)」と返された。
さすがに開いた口が塞がらなかった。
だがこれは、界隈の縮図なのである。
現在のナマモノ界隈は、マナーを守りたい(守らせたい)人、マナーとか知らんの人、別にどっちでもいいけど創作物見られなくなるのは嫌な人、の3つに勢力が大別される。マナーを守らせたい人がマナーとか知らんの人に指摘を行うと、マナーとか知らんの人は自身が攻撃されたと勘違いして防衛に走る。それを、どっちでもいい人が囲い、結局指摘した側が悪になる。
ここには、モラル・マナーと言った不文律を守らせることへの困難さが含まれている。
通常、モラルやマナーは社会の中でに受け入れている人が多数派である場合にいちばんその効力を発揮する。こうした社会ではモラルやマナーを守らない人に対して厳しい批難が向けられるため、強制的にモラル・マナーを守る方向へ誘導することが出来る。
しかし、昨今のナマモノ界隈ではマナーを守りたい人が少数派になってしまった。そのため、指摘を行ってもノイジーマイノリティとして処理され、まともに取り合って貰えないというのが現状である。
また、マナー自体の認知度の低さも問題である。界隈が大きくなるにつれて、自分の取り扱っているジャンルがナマモノであるという認識は希薄になった。多くの人は、2次元の延長線でナマモノを扱っている。そうした人がマナーを調べることは無いだろうし、今後マナーが周知される兆しもない。非常に残念ではあるが、今後界隈の民度が悪化していくのを指をくわえて見守ることしか出来ないのだ。
ナマモノ界隈でマナーを振りかざして学級会を取り仕切る私たちは、旧世代のモンスターなのである。
昔ながらのマナーを喧伝する老害と成り果てた私に出来ることが1つある。それは、匿名かつ公の場であるこの場でナマモノ界隈の現状を告発することにより、界隈ごと自爆することである。
正直、この日記には起こった出来事をフェイクを全く入れず、そのまま書いている。途中で具体的な界隈を特定出来た方もいるだろう。でも、ほんとにそれでいい。こんな気色悪い界隈が存続してしまうくらいなら、はやく息の根を止めてあげた方がいい。
どうか、どうか、良識のある大人はこの日記を拡散しないで欲しい。それで界隈が延命するのであれば、最後の良心に救われたことになるのだろう。
そして、どうか、特になんとも思わなかった、もしくはクソくだんねぇ、お前がきもいと思った方は遠慮なく拡散してひとつの界隈をぶっ壊して欲しい。
フィクションとかの創作物は一般的に昔より、呪術廻戦とかダンジョン飯のようなオリジナルの新作の方がクオリティは高いと思う。ポリコレで保護されてる安心感もある(ラッキースケベみたいなMPゴリゴリ削られる描写がない)原作改変におびえる怖れもないし。
恋愛ができない。
もう一文字目で躓いてる。
みんなが当たり前に習得していく英語の授業。アルファベットは理解しても単語習得や文法でわけがわからなくなった自分は知ったかぶりして英語で話されても「あーね笑」って生きてきた。気がついたらアラサー。
多分"愛"の部分は分かる。
友人だとかペットに対しては愛を感じるし、大事にしたいし幸せであってほしい。
でも友人に対して"恋"の字を当てがうのは違うと思う。複数人に対して愛を感じているし、なによりそれ以上の関係になりたいとは望んでいない。ただ、何気ない連絡を取り合ったり、たまに会ったり、そういう関係をこれからも続けていけたらとても嬉しいと思っている。
一応趣味や飲み屋で出会った異性の友人もいる。でも同じく、今のこの関係を続けていきたいと願っていてそこに発展も性行為も望んでいないものだからこれもまた恋愛感情ではないと思う。
ちなみに性欲は普通にある。
小柄な女性から大柄な男性まで分け隔てなく興奮する。えろに対するこだわりもある。でも現実だと気持ち悪さを感じてしまう。酩酊状態だったら大丈夫。
AVも観るし18禁アニメも観るし漫画も読む。レズ・ゲイ・それ以外もいける。現実の知り合いでなければ「抱きてぇ」も「抱かれてぇ」も分かるし普通に抜ける。
正直この自分の状態にそれほど悲観はしていなくて、「人生薄っぺらいな」と感じることこそあれ、まぁこのまま生きていくんだろうなと思っている。
ただ、友人の話やネットの話、創作物を読んだりする上で理解度が足りないことは憂いていてどういう感覚なのか人間から聞きたい。映画や漫画の創作上の概念でなく、1人の人間としてどういう感情なのか要素が知りたい。
そうやって英単語を集めて集合知として"恋愛"ってものを理解したいから、一言でいいからどんな感覚なのか教えてほしい。
創作物を見るとどうしても「これって実は誰も分かってないからファンタジーとして書いてんじゃねーの?」って気持ちも生まれてくる。これ僻みかもしれない。「男性・女性間で生まれる恋愛ってただの本能的な性欲じゃねーの?」と思うこともある。これも僻みかもしれない。でも僻みじゃなかったとしても同性愛の場合子孫繁栄に繋がらないから説明できない。
教えてくれ。
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初めて使ったのもあって正直コメントくるかも怪しいと思ってたからたくさんコメントくれて本当にありがたい。
まず【「恋をするという行為」を理解しようとして自分自身ではできないからバグってる】ってコメントが刺さった。
確かに自分、恋愛するってどういう感覚なのかを教えてくれって言いながら感情じゃなくてその行為自体に視点が向いてた。そこからまずズレてたんだな。
【純粋に恋愛とは何かを学問や生物学的に知りたいんだろうか?それとも恋愛に発展しない原因を知り改善して恋愛をしたいのだろうか?】
→これに関しては、改めて考えるとどっちも合っててどっちも少しずつ違うかも。最初投稿したときは生物学寄りで、自分じゃ分からないからみんなが恋愛をしてどんな感覚になるのか知りたかった。そうやって解像度を高めたかった。でも、数日置いて、その間考えて自分は恋愛に対して強い憧れがあるんだなって思い知った。みんながめちゃくちゃ羨ましい。好き人がいて、その人と一緒になれない苦しみとか、一緒になれた時の幸福だとかを自分も味わいたい。恋愛について歌った曲に自分を重ねる経験とか、そんな人生の楽しみを方を自分もしたい。自分の状態に悲観してないとか強がりだった。諦めてただけだ。原因が分かれば自分にもまだ希望があるんじゃないかって無意識に閉じ込めた部分があったんだと思う。
【男女間問わない恋愛の創作してるけどまともにリアルの恋愛した事ないから増田の気持ちが凄くわかる。(中略)自分の場合他人に心身を委ねる恐怖に打ち勝てないんだけど増田はどうだろう?】
→他人に心身を委ねる恐怖に打ち勝てない。それ自体は分かるんだけど、恋人にそこまで全てを公開する必要もないと思ってる。もしかしてここから間違ってる…?人それぞれかな?多分この人は自分より素直で性格が良い人だ…
【独占欲】【執着】【性欲】ってワードがよく出てきて、それが自分にはないんじゃないかってのも言われてたけど、それは別々だったらめちゃくちゃある。これは俺の本当に気持ち悪いところなんだけど、自分より小さくて弱い人間に対してとんでもない独占欲と執着が生まれることがある。自分だけに依存させたくなる。これは男女ともに発生する。でも絶対そんなことしたくない。自分自身、自己肯定感はそこまで低くないんだが燻った自己顕示欲とか承認欲求があるのかもしれない。でもそういう対象に性欲は生まれない。ここのズレが影響してるのか…?
【今まで恋したと思ったこと
なんか喋っててすごくくだらないことで二人で笑いが止まらなくなった。相談されて、わが身にも代えても守ってあげたいと思ってしまった。】
→これ、めちゃくちゃ分かるんだけどどうしてもその先の「異性だから珍しかったので恋した」の部分にいけない。人間として本当にこの人好きだなって思う。何かあればすぐに駆けつけるし、できることならなんでもしたい。好きだから。でもこれは複数人の友達に対して同時に発生するし、異性だからって同性の友達と特に違う感情にはならずただ一列に並んでる。お互いに強い信頼があって、だからこそ大切にしたいと思うけど恋愛感情として大切にしたいとはまた違う気がする…
【おれもわかんないけど性欲はめっちゃ湧く】
→すっごい分かる。性欲まじで人並みにある。セックスもしたい。でも実際にする良さは未だに分からない。
一応これまでの人生色々試してきてはいて、好意を寄せてもらった子と付き合ったり、マッチングアプリに手を出して付き合ったこともある。こっちからはなにも言えないから向こうから交際を打診してきたからだけど。1番嫌なのが友達として関係を築いてきた人から好意を寄せられることなんだよな。だから関係性が薄ければいけるかと思った。友達の場合人間として好きだからこれからも関係を続けていきたいのに、そうなると終わりを迎えてしまうから。だからといって雑に付き合うのも相手に悪いし、友達相手に義務で性行為をするのも嫌だ。「異性の友人が結婚してもう会えないって言われたら」みたいなコメントがあったんだけど、そういうことはこの歳になると経験してて、「まぁ夫からしたら異性の友人がいるとか嫌だよな」ってそのまま消えてた。もちろん寂しくはあるよ。仲良い友達ともう会えないんだから。でもその人が幸せならそれが1番だし、"仕方のないこと"として受け入れてる。
いくつか質問があった自分の性別と性欲に関してなんだけど、性別は男。ここまで"性欲"って言ってきたけどなんか少しだけ違うのかもしれない。「小柄な女性から大柄な男性まで分け隔てなく興奮する」ってのはそこにえろさを感じるってことで、現実で思うのはもちろん、そういう動画を観て処理することもあるわけだけど幅広く興奮要素がある。全部オープンにいうと抱かれる妄想も抱く妄想もする。でもずっと性欲に支配されてるかっていうとタイミングによるってのが大きくて、しばらく性について考えたくもない、考えることすら嫌悪感があるけどルーチンで処理するみたいなこともあるし、進んですることもある。風俗とかは行ったこともないしこれからも行かない思う。昔なにか傷つく経験をしたわけでもないけど、どうしてもそういう行為を実際にしていると自分何してんだろうなって気持ちで虚しくなってしまうし、相手の子に申し訳なくて心がついていかない。だから実際にするのは違うくて、でももしそこで自分がちゃんと相手のことを好きだったら心もついていくのかなと馬鹿な希望を抱いているところがある。
成人済み、それも20代後半以上のオタクははっきり言って精神年齢が低いと言わざるを得ない。私の周りにいるいい歳したオタク達はほぼすべからくそうだし、オタク せ くらいまで打てばサジェストで精神年齢 低い などと出てくる(オタクについてこれといって調べたこともなければ、精神年齢とは全く関係ないことを検索しようとしていたため、このサジェストは恣意的なものではない)。
私ももうすぐ就職する立派な成人済みオタクであるが、自分を含め何故成人済みのオタクは精神年齢が低いのかについて一度真面目に考えてみたい。
オタクと言うと、運動部に入ることも無く、大学でもサークル活動を行わず、社会に出てからも人とあまり関わらないという人がボリュームゾーンなのではなかろうか。(私は一応大学までずっと体育会系の部活動に入っていたためか、この点においてはステレオタイプなオタクより社会に迎合する術を知っているような気がする)
共通の目標に向かって仲間とある程度苦しい鍛錬を積んだり、その過程で仲間のうちの数人とより深い人間関係を築いたりする。そういった精神的鍛錬の機会を逸してきたツケが成人済オタクに回ってきているのではないだろうか。
もちろん文化系の部活動や帰宅部でも勉学に励んでいた人はある程度精神的な鍛錬を積めたかもしれない。しかし高校を卒業してから成人、20代後半になるまでの、これまでと比較して追い立てられるような物事のない期間、恋愛をしたり仕事に打ち込んだりしていた人間と、アニメだけ見て自己研鑽に励まなかった人間との差はじわじわと広がっていく。そもそも我々がアニメを消費している間、一般人が何もせずなんの学びも得ずにいる訳がないのだ。
小学生、あるいは中学生くらいまで、オタクとはむしろ精神的に大人びているという評価を受けがちなものではなかったか。
アニメとは、10代〜20代前半あたりをターゲットに作られるものが大半だ。今はオッサン向けのなろうアニメなんかが増えているが、少なくとも10年ほど前まではそうだったはずである。
やや歳上をターゲットに作られた創作物。もちろんターゲットの年齢層に合った教訓が得られたり、葛藤に寄り添ってくれたりする。背伸びした内容を日夜浴び、それらについて考えを巡らせる。必然的に精神年齢がターゲットとされている層くらいまで引き上げられるはずである。これが前述の大人びているという評価に繋がるのだろう。
しかしアニメの内容は、一定のレベル帯に留まっている。ターゲット層の10代~20代前半にとって高度過ぎる内容ではウケないからだ。
それをターゲット層から外れた高齢者が延々と擦ったところで、新しい学びが得られようはずもない。
もちろん年代を超えて学びを得られる名作も存在するにはするが、そういったコンテンツから年相応の学びを得るためにはある程度実生活を通して精神的に成長しておかなければならない。しかし幼少期に大人びていると持て囃され、哀れな選民思想に浸かってしまったオタクが今更低俗な一般人と同じような生活をして精神的鍛錬を積もうなどと考えられるだろうか?
ここ10年ほどでオタクも随分と市民権を得たものだが、オタクというものは元々爪弾き者の流れ着くシェルターであったように思う。もちろんそうでない人間もアニメを見ていたが、仕事や人間関係など他に打ち込むべきものがありながら、それと両立してアニメに熱意を注ぎ続けられる人間はそう多くない。結果的に、そういった人種はオタクをやめていく。
本人の性質に問題があったのか、オタクという属性故なのかは定かではないが、虐げられ、弱者として生きてきた人間のるつぼとなっているオタクコミュニティ。無職、こどおじ、童貞なんてのはざらだ。そんなのが跋扈しているぬるま湯にいつまでも浸かっていては、精神的に成長できるはずもない。隣を見れば無職なのだから、派遣だろうがフリーターだろうが低収入だろうが焦る必要はないのだ。
まとめると、幼少期に少々背伸びをした創作物を摂取し、大人びていると持て囃されて胡座をかき、実生活を蔑ろにした結果、思春期の成長機会を逃す。普段つるんでいるオタク仲間は高齢者を中心に爪弾き者ばかりなので、その状況に危機感を覚えることもなく、実年齢と精神年齢が乖離していくという二段構えのように思う。
この状況を打開するためには、オタク仲間達をこの世のスタンダードだと思わず、常に世間一般の中で自分が年相応の経験を積めているか、足りないものはないかと問いかける姿勢が大切だ。また、アニメ以外の事象にも目を向け、単純化されていない人間との複雑な関係を築くことも、精神的な円熟のためには必要である。