はてなキーワード: 技術書とは
本記事を開いていただきありがとうございます。
前提となるイラストレーターかかげ先生の炎上を巡る騒動について、資料として簡単に共有させて頂きます。
概ね把握されている方は飛ばしてください。
本題に入る前にひどく長くなってしまいました、申し訳ありません。
彼個人については、私もあまり良い印象を抱けませんでしたので、やや乱暴な纏め方になってしまっているかと思います、ご容赦ください。
私が雑考したいのは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきたフレーズである「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」は真か、という点です。
結論から言えば「そういう人もいるが、恐らくあなたはそうではない」というのが正直な考えです。
結論から言ったはずなのによく分かりませんね。順を追ってお話させていただければと思います。
では、そもそも「本気で絵が上手くなりたい人の行動」とは、どういった行動なのでしょうか?
「毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座でもなんでもして作業環境を一式整えて技術書で理論や技法をデジタルも含めて学び、毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座してでも専門的な学習ができる環境で添削してもらう」。
端的に、それが私の思う『本気』です。
更に覚悟が決まった人ならば専門の教育機関で勉強し、毎日毎日ノウミソを煮ながら作品制作に勤しむでしょう。
そこまでやってようやく画業の卵に成りうるのです。
もちろん環境的な要因もありますし、それが出来ないから本気ではないとは言いません。
しかし、絵にせよ、スポーツにせよ、勉強にせよ、仕事にせよ、『本気』とは大なり小なりそういうものです。
「やるべき事をやっているか」と言い換えても良いかもしれません。
それができているか否かは、きっと自分が一番良くわかるはずです。
真剣に向き合えば、「やったつもりになっている」というのは自分でもわかってしまうものですからね。
「自分はやるべき事をやったし、最低限の基礎に関しては習熟している」。
そう胸を張れる人ならば、かかげ先生の動画を見るのは非常に参考になると思います。
一家言あるだけに、かかげ先生の動画は「見栄えを良くする」「バズりやすくする」「いいねを貰いやすくする」という点に置いて非常に参考になります。
「今このキャラの二次創作を描いても伸びない」という余りにも明け透けすぎるアドバイスもありますが、なりふり構わず本気でやる上で必要なアドバイスである事に私も否やはありません。
かかげ先生に添削を依頼する方たちの水準は他の添削動画と比べてハイレベルに見えますし、モチベーションも高く、糧になるか、あるいは良い思い出になるでしょう。
繰り返しになってしまいますが、「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」とフレーズは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきました。
そう言っている方々のアカウントのメディア欄を全て確認した訳ではありませんし、安易なレッテル貼りになってしまうのであまり言いたくはないのですが、あえてハッキリ言わせてもらうなら「やるべき事をやっている」とはとても思えない人達が非常に多い。
もし『本気』で絵が上手くなりたいのなら添削動画なんかを見ている場合ではない。
そういう方たちが、本当に多い。
これもぱっと見の主観になりますが、平均して年齢層も低く見えました(先だっての例に学生さんを想定した理由でもあります)。
なぜそういう方々が多いのか。
私も明け透けに言ってしまいますが、かかげ先生の動画は「本気でやってるつもりにしてくれるから」です。
かかげ先生の辛口、あるいは暴言と言い換えても良いですが、その口撃はファンサービスであり、むしろ糖衣なのです。
かかげ先生はデッサンが狂った絵を添削する時に「複雑骨折してる」「化物になっとるやん」「この絵は伸びへんよ」等々の言葉を使って、逐一「こうする」という訂正を行います。
私が思う辛口です。
「デッサンが出来てませんね、次」
終わりです。
適当なだけに思われるかもしれませんが、これは実際、合理的なのです。
そもそもデッサンが狂っている絵を逐一直した所で、その人のデッサン力が向上するわけではないからです。
言い換えるなら「根本的な基礎となるデッサンが狂っている以上どれだけ作品を直しても無駄です。評価する基準に達していません。出直してください」と暗に言われている訳ですね。
端的な事実の指摘というのは、下手な罵倒よりもよっぽど心を抉ります。
それと比べれば、なるほど、確かに「かかげ先生の辛口は愛のある辛口」「関西人なら分かる」という評価があったのも頷けます。
個人的には「関西人は毎度毎度テメーらの文化が全国に通じるモンと思い込んで当然のように全国ネットに脳死で流し込んでくるけど何で高々47都道府県のうち2府4県周辺しかないクソローカル文化にそんな影響力があると思ってんだクソ土人共が関東関西じゃねえよ全国ネットあんだから関西以外:関西で分かれるの理解して弁えろカス」とも思いますが、そこは一度置いておきましょう。
かかげ先生は本当に巧みな点は、まさにそこなのです。
意識的にやっているのかはともかく、「この動画を見ているあなたは本気でやっていますよ、正しいですよ」と思わせる雰囲気作りが非常に上手い。軽快な関西弁も一助を担っているのでしょう。
それが時に「オンラインサロンっぽい」とも揶揄される独特の空気感の正体です。
本当は薄っすら自分が「やるべき事」をやっていないのに気づいているし、
しかし、面白くもないデッサン模写クロッキーを毎日あらゆる娯楽を犠牲にして数時間繰り返すだけのモチベーションもない。
もっと単純にイキりたい、背伸びをしたいと見てもいいかもしれません。
そういった方々にとって、暴言じみた辛口で叱る動画は福音に見えるでしょう。
「こんな辛辣な動画をあえて見ている自分は『やるべき事』をやっている」と自分を誤魔化せるからです。
断言しますが、何にもなりません。
そういう方がやるべきは鉛筆を握ることで、動画を見ることではありません。
辛口の添削動画を見て何か成し遂げた気になるのは、例えるならサウナのようなものでしょうか。
私はサウナが好きでよく行くのですが、不思議なもので全身から汗を吹き出しながらサウナ室を出るとひどく何かを成し遂げたような心持ちになるのです。
その後に水風呂に浸かる時などは自分が苦行僧になった気さえしますし、外気浴の心地よさは今までの苦行の報酬のようにさえ思えます。
そうして整った帰りは心身がリフレッシュされて、健康になった気がします。
全て勘違いです。
健康になりたいのならば毎日運動して食事制限を行い酒を減らして煙草を絶ち規則正しい生活をすれば良いだけの話です。できやしません。
それなのに「サウナとは自分が気持ちよくなりたいから入るのだ」という自覚を忘れてしまう。
下手な例えで申し訳ありませんが、辛口の添削動画を見る時の怖さはそこにあります。
もしこれを読んでくださっている方の中に感ずる所があった方がいらっしゃるならば、その方に言いたいのは見ただけで自分が上等になれた気がする何かがあったならばそれは単なる勘違いであり、あなた自身の成長にとって害であるということです。
絵が本気で上手くなりたいなら、やるべき事は先程も申し上げた通りですし、 「人を描くのって楽しいね!」など、優良なサイトは世の中に沢山あります。
修了するのは中々高いハードルですが、もし本当に『本気』で絵が上手くなりたいのなら是非ご一考ください。
そして、ここまで長々と説教じみた話を繰り返しておきながら最後にちゃぶ台を返すようですが、絵を描くという事を趣味として楽しむことは何も悪いことではありません。
今は描けなくとも、20年後30年後に描けるようになればそれで良いというのが絵の良いところです。
何かを表現したいという意欲があるならば、たとえそれが趣味であったとしても『本気』に繋がると思います。
楽しんでください。
最後に、2009年の書き込みな上にやや畑違いではありますが、古のコピペを貼って締めさせていただきたいと思います。
どこの馬の骨とも知れぬオジサンの何の根拠もない雑考(というより半ばお説教になってしまいましたが)に長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
よう、ニートども!
元気か。
今日はオレ様がお前ら腐れ豚でもアニメーターになれる方法を教えてやる。
鉛筆が無いやつは画材屋か文具店かホームセンターかスーパーで買ってこい。
ネット通販は駄目だ。
今すぐ買え。
Bを買え。
消しゴムは買うな。
必要ない。
紙はA4のコピー用紙だ。
これも手元に無い奴は今すぐ買いに行け。
用意ができたら描け。
すると手が慣れてくる。
緊張もほぐれる。
ウォーミングアップは終わりだ。
次に模写をやってもらう。
他の本では駄目だ。全く駄目だ。
消しゴムは使うな。
失敗した線を残したまま描き進めろ。
決して小さな絵を描いては駄目だ。
肩を動かして描け。
全身で描くんだ。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる。
間違いない。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる、というのは嘘だ。
理屈はその後でいい。
注文して買ってもらう。
その他の本は一切読まなくていい。
『ディズニーアニメーション生命を吹き込む魔法―TheIllusionofLife―』
も良書だが、
『アニメーターズ・サバイバルキット』は2~3日あれば読める。
もう一度読み直せ。
ただし今度は模写をしながら読め。
全ページ分の模写だ。
この再読&模写の作業が終了する頃にはありえないほどの自身が付く。
騙されたと思ってやってみろ。
ポイントは、教科書は『アニメーターズ・サバイバルキット』のみに
絞るということだ。
多少の違和感もあるだろうが、
勉強はまだまだ続くが、順番は守れ。
そうすればお前もアニメーターになれる。
上に挙げた2冊の模写が終わったら、『アニメーションの本』を注文しろ。
この本には、近藤善文が作った練習課題が載っているから、それをやれ。
2冊分の模写を終えた奴なら必ずできる課題だ。
だが、何の勉強もしていなくても、
そういう天才もいるが気にするな。
必ずだ。
巻末にある動きの実例集が役に立つ。
値段も安い。
動きの基礎が分かってきたら、今度は絵の練習をしてもらう。
絵は上手ければ上手いほどいい。
練習をしすぎるということはない。
たぶん、これはもう持っているだろう。
だが、持っていても、
全ページ分の模写をやった奴はそんなにいないだろう。
やれ。
ここで色々な本に手を出して、
この本を模写すると、
“あ、人間と~、動物って~、同じ~じゃん~”ということが分かるはずだ。
今のところは『やさしい人物画』で学べる内容で十分だ。
あせってマグの本に手を出すな。
そうです。
一瞬ほんのちょっとだけTwitterで人気があってお金が貰えたことを一生勘違いして、古くて需要のない絵柄だから売れないんじゃないかとか、今流行りのキラキラした透明感がないからじゃないかとか色々悩んで他の人が絶賛していた技術書や自分と絵柄の近い絵師の画集を買いあさって何年も画面の前で時間を浪費して、絵柄が今の流行に少し近づいたただそれだけで何の結果にもつなげられなかった自称絵師の無能が私です。
一冊5000円は確かに私が無知なだけで安い部類なのかもしれませんが、絵の関係で散財した総額は5000円どころではありません、絵に掛けてきた時間とお金がかなり大きいので後に引けなくなっていたところもかなりあったと思います。
現実世界を本当に蔑ろにしてきたので一般常識も普通の仕事も地域のことも年相応のあらゆることもよくわかっていないことにかなりせっぱつ詰まった焦りがあって、少なくともこのコメントを書いた時点では絵で成果を出してカバーしないといけないという強迫観念のような状態になっていました。
35才の弱者男性だけど、寂しくて辛い
マッチングアプリでもフラれて知り合いの女の子にもフラれて寂しいよ
一人ぼっちで狂ってくる
お金を使うことでしかコミュニケーションをとれない毎日が続いてる。
ある土曜日の一日
5:40起床
6:00ローソンで盛りすぎのサンドイッチを買う。コーヒーももらってコミュニケーションをとる。サンドイッチは半分だけ食べてお昼に残した
7:00読書(AIのアルゴリズムについての技術書)浜村淳のラジオをBGMに流す。
14:00映画を観に行く。電車の中で読書(令和元年の人生ゲーム)。あんのことを見る。去年やってた市子って映画と雰囲気が似てるなって思った
16:30映画館を出た。第三ビルで寿司を食べたべ。(マグロとサーモンと日本酒を飲んだ)。食後に移動
18:30ヨドコウに到着。サッカーを見た。コミュニケーションが取りたいので売子さんのビールを3回飲んだ。サポーター席でコミュニケーションをとったほうがいいのかな…
22:00近所の同級生がやってるスナックで女の子に振られたことを愚痴る😢
辛い…
助けてよ…
国際数学の私が自分で解けたことのある問題をですが、 第1問、 数の範囲を絞り込めないが必要最小限の順序仮定を何回も用いるとするりと答えが出る。
第2問 論外。 数式を等分してAMGMに入れると邪魔な項が消えて証明できる。
第3問 過激な対称入れ替えと、2倍だけの関数倍化を許すというきつい方法で片割れが出て、もう片割れは
理論的な問題。 または、完全補題を発見しないといけないが驚愕的なのでほとんど無理。
第4問 分からない、なんか出来たことがない。要点補題か、フェルマー小定理に少し改変を加えると出来るらしい。
幾何の場合は、補助線。 補助円は体験したことないから知らん。
第5問 第2問と同じようなもので、簡潔なclaimか何かをするだけ。
第6問 パスカルの定理が出て来るところを指定して出すのが難しい。
東京武蔵野病院は、 院長の、 黄野きみどりをトップとして体系的に構成されているので、本来は、数学の専門用語も交えて、その体系を説明できるはずだが、誰もしていない。
私は統合失調症患者で、人生に迷いを感じることがある。そのため、自己啓発本を買ったこともある。
しかし、生活で実践するレベルの話だと、本を読まずとも英語でググって「こういう習慣を身につけると○○に効果があるというエビデンスがある」ぐらいの情報は山のようにある。
そして有限の精神と時間の中では実践できる内容にも限りがあるから、あまりたくさんやろうとしても疲弊するだけである。
それこそ謙虚さを身につけるという意味において、よくわからない自己啓発本より聖書の箴言のほうが実りは多いだろう。
私はプログラマーなので技術書も読むことはあるが、周辺の本屋で売っているような本を買うぐらいならオライリーを探したほうが良い。
オライリーの時代背景としては、ヘルシープログラマーが売られていた頃の空気感が好きだ。「生きていく上で健康に気を配る必要がある」というあたりまえのことに気がついていなかった当時。
そういえば人間関係は幸福度のために最も重要な要因の一つらしい。私にとって両親や兄弟、そして飼っている🐶は大切な存在である。
といっても私はすでに結婚することは諦めている。統合失調症患者の遺伝子を残しても、誰も喜ばないだろう。
今日はまず朝起きて冷水を浴びた。最近この習慣を続けているが、眠気が一気に冷めてパワー全開になる。
そして行こうか迷っていたインドカレー屋に行った。ベジタブルカレーの中辛を選んだが、これまた旨い。
帰りに本屋へ寄ったが、買いたくなるような本は見つからなかった。正直、自分でもどういう本を求めているかはっきり言語化できない。ただ「これじゃない」ということがわかるだけだ。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
仕事で扱うインフラの技術についてのO'Reillyの書籍を先日購入しました。
はい、フリーランスのWebエンジニアとして働いている場合、仕事に関連する技術書や資料の購入費用は経費として申請することができます。日本の税法では、仕事のために必要な費用は、所得から差し引くことが認められています。これには、書籍、オンラインでの学習資料、ソフトウェア、ハードウェア、その他の業務に直接関連する資材やサービスの費用が含まれます。
経費として認められるものの具体的な条件や方法は、事業の形態や収入の状況によって異なる場合があるため、確定申告の際には、税理士や税務署の指導に従うことをお勧めします。また、経費として申請する際には、購入した書籍や資料が仕事に関連するものであることを証明できるよう、領収書や購入記録を保管しておくことが重要です。
ChatGPT
グラップラー刃牙全巻を経費として申請することは、一般的には困難です。経費として認められるものは、仕事上必要なもの、または事業運営に直接関連するものに限られます。たとえば、Webエンジニアリングの技術書やプログラミングに関する書籍などは、その知識を業務に活かすことができるため、経費として認められやすいです。
一方で、グラップラー刃牙のような漫画全巻は、一般的に趣味や娯楽の範疇に入ります。仮にその内容が仕事のインスピレーションになったとしても、税務上は業務必要性が直接的でないと見なされることが多いです。そのため、趣味やエンターテイメント関連の出費は、経費として申請するのが難しいと考えられます。
ただし、特定の業種や職種で、例えばクリエイティブな仕事やコンテンツ制作など、漫画が直接的な仕事のインスピレーションとなり、その内容が業務に密接に関連している場合は、経費としての申請が可能なケースもあり得ます。このような場合でも、その必要性を明確に説明し、文書化することが求められます。
結論として、一般的なWebエンジニアリングの業務においては、グラップラー刃牙全巻を経費として認められる可能性は低いでしょう。確定申告や税務処理について不明点がある場合は、税理士などの専門家に相談することをお勧めします。
本屋自体が少なく、あっても技術書の専門コーナーなんてない田舎住まいだったので、
Amazonで専門書を買って勉強してたんだけど、本当に何も知らないので「基礎から」って本を数冊買った。
しかしどの本も全体のうちの半分は「ハローワールド」と「変数の基本的な使い方」と「ifの使い方」で占められ、
そこを超えるといきなり、コード掲載だけが10Pくらい続く本格的なプログラミングを解説なしでやらされるものだった。
知らない命令とか構文がいっぱい出てくるし、それを一々ネットで調べないと進められないので全部挫折した。
更に本を追加で買って、運良く段取り良く進めていってくれる本にあたったことでなんとかなった。
その後、別の言語を勉強しようとする度に、全体のうちの半分は「ハローワールド」と「変数の基本的な使い方」と「ifの使い方」で占められ、る本に当たるし、そこについては大体どの言語でもやり方は同じで、まるまる読み飛ばすことが多い。
今日日、エクセルをちょっと触ってればifくらいは普通に使うものだからパソコンで仕事する人ならみんな知ってると思うし、シリーズとして「ifくらいまでは知ってるところからスタートする入門書」が欲しいなぁと思う。
「絵師は絵師同士としかつるまない」と言われてるけど、これは完全に嘘。
小説書いてる人や技術書書いてる人とだったら普通につるんでる。
産みの苦しみを一切知らず、それ故に他人に対して「原価で食いたきゃ自分で作れ」「俺はお前のママじゃねえ」「文句があるならお前がやれ」という言葉を日々飲み込ませてくるようなアホの相手を皆したくないだけ。
そういう嫌われ者の無産階級でないことを証明する手段が「何かしら自分で作っている」ぐらいしか界隈にないから、無産であるという時点でシャットアウトされがちってこと。
絵師が特権を持ってるんじゃなくて、何も生み出してない人間が持ってない権利が沢山あるってだけだよ。
絵師が海抜3000mの高い山の上に住んでるんじゃなくて、無産が海底数万里で蠢く深海魚だって話。
さっさと陸に上がってこいよ。
自費や会社の補助で技術書を購入している。オライリーとか翔泳社とかSBプロダクツとか色んなとこの。推薦図書とか書泉とかで見かけて買ったり一貫性も無い
なるべく読んだりハンズオンをやってみたりしたんだが、どんどん面白そうな本も出てきて買っては積んである。読むのは苦じゃないくテンポよく読み終えているが読み終わった本の処分に悩んでいる
知り合いとかは裁断してスキャンしてPDFにして切ったのをメルカリで売ってるようだが自分は紙をめくるのが好きだったりPDFだとなんか読まないのとスキャン環境を持っていないので出来ないと思っている
実際読んでから見直さない本もあるのだが処分してからやっぱ読みたくなるとかもありそうでなかなか踏ん切りがつかない
部屋の本棚の容量もあるので処分はしたいのだけど同じような悩みの人はスキャン以外ではどうしてたり、どういう本は処分してるのか参考にしたいから教えてください
社内のほぼ全員が社内ニートである会社で働いたことがあるだろうか。
強制的にクビになるまで意地でもしがみつくその根性、そして増やすだけ無駄な仕事を勝手に増やす愚かさ。
利益を追求するチームと、社内ニートとして仕事っぽいことをしているその他のチームがいるのである。
まあ滅ぶ寸前だったら転職すればよい。
しかしである。社内ニートの連中は暇な時間をなんとか仕事に変換したいらしい。
そこでここでは連中が駆使している暇つぶし創出のちょっとしたテクニック集を開陳する。
1. 議論
だれかが議論をするといい始めた時は、大抵暇な時だ。
社内SNSでテキストベースで議論し始めたり、誰か特定の人間を集めて会議室で議論したりする。
だがこれらの議論はあまり生産的ではなく、生産的であろうとするが、無能なので何も生み出さない。
ずれたことを言うことに慣れきっているので、こんな議論さえある:
「俺たちの目的は社会貢献だ。社会に貢献するためには社会の不安定要因を見つける必要がある。ハッタショが社会を不安定化させているのではないか。もしそうだとすると、ハッタショを更生するには周囲のサポートがいるのではないか。もしそうだとすると、サポート要員を確保するために人件費を与える必要がある。もしそうだとすると、利益になるビジネスモデルがない限りそのような人件費は払われない。もしそうだとすると、利益に頼らない方法を見つける必要がある。」
こいつがハッタショについて議論し始めたのは、普段からハッタショにムカついていてスカッとしたい以外の理由はなく、ハッタショを更生するビジネスなどやる気は微塵もない。
「もしそうだとすると」が多すぎて、前提が崩れるとすべての議論が無駄になるのである。
2. 調査
調査というのは議論の次に多い言葉だ。まともな調査をする人もいるが、大抵の場合は信頼できないソースを引っ張り出し、自説を補強する以外のことはしない。
そもそもググって情報を見つけることを「調査」と仰々しくいうほどのことではないだろう。だが、そういって仰々しくいうと、本格的な情報を調べるように見せかけることができる。
信頼できる調査とそうでない調査の違いは、その努力の方向性である。
一時情報源を見るために論文を翻訳する人たちや、バグの原因究明のためにデバッグしている人たちはかなり努力しているが、ツイートを引用するだけの連中は脳が足りない。
3. 発信
社会貢献は世間に影響を与えられてこそであるといい、匿名のアカウントを使って炎上や工作活動を行う。
これを最も好んで「暇つぶし」にしている人もいる。会社の目的に合致していればまだしも、ただのインプレ稼ぎに成り下がっていることが多い。
例えば画像生成AIでどんな絵が生成できるか検証してみました、みたいな連中だ。
まだ未検証のうちはそれでいいかもしれないが、何度も生成してどういうものか分かった段階でまだ続けようとしても生産的ではないだろう。
そもそも画像生成のAIをどうやって利益に変換するつもりなのか。そういう根本的な発想が抜けている。
社員のほぼ全員が社内ニートというのだから、そもそも会社としての仕事がなんであったのか誰もわからない状態になることがある。
そういう時に、誰かが暇潰しのための議論で「こういうツールがあったらなぁ」などといい始める。
それでエンジニアが実際にそういうツールを作ると、「なんかちょっと違うんだよなぁ、僕が研究してきた哲学をもっと含ませて欲しいんだよね」と理解不能なことを言う。
だからツールも作ったきりで発展しない。利益に繋げようという意欲がない。
「インフラの監視」といって、無理やり仕事を作り出そうとする人もいるが、インフラのインシデントが常日頃から膨大に発生するようなことはない。
監視のための仕組みをもっと徹底して導入するだの、k8sを使うだのいって無理やり仕事を増やそうとするが、コストにしかならない。
イベントを開いて人を集めれば、確かに社の知名度を高めたり、イベントから収益を得たりは可能だろう。
ただ利益の決定打には及ばない。場合によってはコストの方が高くつく。
被災地にプレゼントを、などと言うが、被災地が今欲しいのは水と食料であるという基本的な部分の認識すら欠如し、頓珍漢なものをプレゼントしようとする。
8. PoC
会社にまともな仕事は存在するのか?と疑心暗鬼になっているエンジニアがPoCをし始める。
これはこれで、後々役に立つことはある。実運用で適用可能な技術も多い。
しかし、一部のエンジニアは漠然と「すごいこと」をやろうとしており、それが厳密に言語化されないので、PoCの方向性があちらこちらに行く。
利益に貢献するようなサービスを運用しているとして、その運用時にマニュアル作業が発生していることがある。
これらを自動化するツールを作る提案をすれば、暇つぶしもできるし、生産性向上によって時間的余裕を創出できる。
まあ、時間的余裕を創出するからこそ社内ニートがより深刻化するのだが。
最新技術の勉強をするといって、技術書を読む。場合によっては、勉強会を開く。
例えばマイクロサービスアーキテクチャを正しく運用するには、とかそういったことだ。