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はてなキーワード: 下宿とは

2020-05-18

anond:20200518110143

その中の大学卒だけど文系公務員専門学校と化してたわ

公務員志望なら良いけど、最近公務員ブラックなので新卒カードを捨てる形でドロップアウトする人が多い

高校生までにだめだこりゃと悟れるかどうかが勝負なんだけど進学校いかないとそんな状態とわからないし、そもそも地方なら首都圏下宿させられるだけのお金がある家も多くないからなあ

2020-05-13

JK関連のエロい夢をみただけの日記

ざっくり言うとJK2人と仲良くなってちょっとエロに踏み込んだ。

覚えておきたいか関係ないところも全部かくけどゆるしてね。

前編:

唐突ながら大規模に避難活動中。なんか現実コロナ関係の影響で、そういう世界観なんだと思う。

自分新幹線を使うレベル下宿から実家近くに帰ってきているところで、忘れ物によって実家に帰れない。

なんか避難中に「北側名古屋らへんにあるミッドガルテロが起きて云々」みたいな情報をきいた覚えがある。そういう世界観なんだと思う(思えない)。

で、自分も移動中、前にJK2人組。どうぶつの森の話をしていて、聞こえてちょっと笑ってしまった。そしたら話しかけられて関係が始まった。

1人目は黒髪2つ縛り(ツインテ)で、2人目はそれより身長があって髪色明るめセミショート

現実の時事に影響されすぎである特にゲーム

移動先がJK2人組の家だった。正しくはJKツインテの家。隣にJKセミショの家。

なんか裏口(むしろ2階の窓とか屋根裏とかの印象)から入って、誰の目にも触れず一晩して、正面から出て解散した。正面の脇に別の部屋があった。

南:移動元→JK家→実家:北 みたいな配置で、特にJKから実家は実際に知っている道のりだった。

知らないうちに自転車で通学モードっぽくなっていたJK2人を追いながら走って帰った。

後編:

で、何がなんだかわかってないけどもう一度再会して、またJKツインテの家に泊まることになった。JKセミショもいる。

「正面の脇の部屋」からJKツインテの両親が出てきたりもして、やたらドキドキしながらすごす。風呂も頂いたりした。

このあたりからJKセミショとの距離感が近い。風呂上がりにやたらくっついてくる。

寝るにあたって、ベッドに3人並んだ。ベッドがデカい。JKツインテJKセミショ|自分の順番。

案の定JKセミショが絡んできて、キャッキャしてしまった。あとから気づいたらJKツインテはオナっていた。

JKセミショが満足して寝入ろうかというところで気付くと、JKツインテが尻を突き出し悶々としていた。下半身パジャマはなかった。ものすごい理想的な尻だった。(唐突描写

どうしたもんかと思って悩んだ末、なぜかプチ奇行に走ってしまい、アナルを舐めた。

その瞬間、セミショの手前声も出せないツインテが驚きふためいて、ベッドの自分エリアにひっこんだ。夢だったので謎視点が発生したけれど、真っ赤になって「なんで!?!?!?!?!?」となっていた。

そんなこんなで夜が明けて、メッチャ微妙空気で朝を迎えて有耶無耶になったところまで覚えている。

起きてから時間経ってしまたこともあって意味わからん文になったけど、備忘夢日記やし多少はね・・・

2020-05-10

anond:20200510231338

まあ一度はOKしたのに覆されたというのはショックだろうけど、受験直前ではなくて、約束から1週間でしょ?

私立大学下宿程の額をポンと出せる親なんて少数派だろう。

2020-04-26

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれ白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあい台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズ化石彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれ化石などを作り出し、ベリンガー化石採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかし化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しか調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は共謀罪有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ケンペレンの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡りアメリカなどで大金を稼いだが、1854年火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、ルイ・ド・ロアン枢機卿を巧みに騙して首飾りの代理購入をさせ、王妃に渡すと言って受け取った首飾りをばらばらにして売りさばいてしまった。その後、事件が発覚して伯爵夫人逮捕された。かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。また「王妃はラ・モット伯爵夫人同性愛関係にあった」「この事件王妃陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアム戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアム父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女インド洋島国王女ラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女メアリー・ベイカーという家政婦で、架空言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ポヤイス国(1822年)

イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地役職通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーフランス高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュアヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人化石捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見たかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人化石見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハル観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい新聞記者から取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石捏造されたものだと断定された。捏造犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝艦隊見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざい変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当ものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アルバニア王オットー1世1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した。ただし、そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られており、新聞などでは人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報は「元アルバニア王オットー1世」に対するものだった。

アーン・マレー(1943年

オーストラリア現代詩誌『アングリーペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるセルから送られてきた。『アングリーペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派詩人であるジェームズマコリーハロルドスチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメものだった。この事件によりオーストラリア現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品シュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界から多額の寄付が集まり居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論特集に、アランソーカルから寄せられた『境界侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

2020-04-03

東京からの引き上げ

3月20日上京、春から大学生活に期待。

4月1日帰郷

春学期の授業が全てオンライン化し、サークル活動等もとりあえず禁止大学構内にも基本的に入れない。

なんのために、上京したのか?

結局、とりあえず5月連休明けまでは実家で授業を受けることにする。

下手すると、9月下旬の秋学期まで上京しないかもしれない。

上京したもの10日の間に、買い物で3回合計1時間ほど、大学には手続き等でたぶん2時間ていど居ただけ。

コロナが怖くて、下宿からほとんど出ていない。

大学の授業が、受験サプリなみになる可能性大。

なんだかなぁ

2020-03-21

4月から新大学生になる人への助言

 従兄の慎一くんは、私の父の兄の子だった。彼は自分父親のことを、かならずしもふざけているわけではなく、よく「ご当主」と呼んでいた。

 大学ではゴルフ部主将を務め、それとは別になんだかよくわからないイベントを季節ごとに催すインカレサークルも創設していて、むしろラグビーよりはそっちで有名だったと聞いた。

 私が入学して一週間とたたないうちに、あらたまって訪ねてきた彼はお茶を共にした。

 蜂蜜入りの菓子パンアンチョビをのせたトースト、今はなきフラム・ド・フラムで買ってきた胡桃入りのドフィノワと、たっぷり平らげてからタバコに火をつけて籐椅子に体を沈めた彼は、大学生活で私が守るべき心得をつぎつぎに並べてきかせたが、その忠告大学生活のほとんどすべての分野にわたった。

 わたしは今でも、そのときの彼の言葉を一語一語、あらかた暗誦できる。


「……君の志望は歴史だったね。歴史なら申し分ない。

 いちばんいけないのが英文学、次が哲学だ。

 試験では、優になるか不可になるか、どちらかだな。中途半端じゃ無意味だ。良になってみても無駄だよ。

 自分の専攻なんか無視して、最高の講師講義ばかりとるんだ――例えば、アークライトデモステネスとか……。

 服装はね、なるべく立派なのがいい。ユニクロシャツチノパンなんていう格好はいけない。手頃なショップ見立ててもらうんだね。

 ……サークルはさしあたりボランティア関係に入っておいて、並行して自分の興味のあるサークルも兼部して、二年の初めに後者に専念するといい。文化祭に関わるのはやめておけ。

 ……地方人間とはつきあうなよ。田舎金持ちより都会の中流家庭のほうがまだ付き合いやすい」


 向かい建物の切妻の向こうの空が夕日にかっと赤くなったと思うと、しだいに暗くなってきた。

 私が暖炉に薪木を足して電灯をつけると、光のなかに従兄の上品ロンドン仕立てのゴルフズボンと、チェック柄のネクタイが浮かび上がった。

「……大学先生たちを、中学高校先生みたいに扱っちゃいけない。近所の坊さんに対するような態度で接することだ。

 ……二年目の半分は、一年目にできた好ましくない友だちと手を切るのに使うことになる。

 ……K大の連中には気をつけろよ――ーあいつらはみんな不愉快な口をききかたをするホモ野郎だ。と、いうより、あの手の連中にはいっさい近づかないことだな。ろくなことはないよ……」


 帰りがけに、彼はさらにこう言った。

「もうひとつ。この下宿は引っ越すんだな」

 その部屋は広くて快適で、大学からも近く、新入生の身でこんな部屋にあたった私は幸せものだと思っていた。

大学に近すぎる部屋に入ったばっかりにだめになったやつはいくらでもいる」と言った従兄の声は実に重々しかった。

「色んな人間が気安く入ってくるようになるんだ。翌日に使う教科書を預けていっては、翌日の昼に取りによる。君は缶チューハイをだしてやるようになる。そして気がつくと、大学じゅうの不良学生にただで居酒屋を開いてやったような結果になるんだ」


 私には、彼の忠告ひとつとして正直に実行した覚えはない。すくなくとも、部屋はぜったいに変えなかった。窓の下にはニオイアラセイトウが生えていて、夏の夕暮などには、その香りが窓一杯に流れこんできたのだから

2020-03-19

夏目漱石坊ちゃん」における坊ちゃんと清の関係についての疑問

子ども教科書に出てきたので久しぶりに家の本を読み返してみて疑問に思うことがあって。

坊ちゃん家の下女、清というおばあさんと坊ちゃん関係が、どうも子供のころに読んだときイメージと違うんだよね。

子供のころに読んだときには、坊ちゃんをかわいがるおばあさん、という印象だった。

坊ちゃん母親を亡くしていたので、おばあちゃん子がおばあちゃんに懐いているようなものだと思ってた。

でも今改めて読み返してみて、どうもこの二人の関係がそれとは違う、なんだか年の離れたカップルのように思えてきて、当惑している。

例えば、山嵐一銭五厘返すことを決意するときに、清にかつて三円借りて今だ返済していないことを思い出し、

これは返せないのではなく、返さないのだ、なぜなら

【清は今返すだろうなどと、かりそめにも俺の懐中をあてにしてはいない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。

こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑るようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。

さないのは清を踏みつけるのじゃない、清をおれの片破れと思うからだ。】

と、清を自分の片破れ:かたわれ、とまで云う。

また、田舎暮らしで嫌なことが重なり、もう帰りたいと思ったときに、

数学なんて役に立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本にして牛乳屋でも始めればよかった。そうすれば清もおれの傍を離れずにすむし、

おれも遠くから婆さんの事を心配せずに暮される。いっしょにいるうちは、そうでもなかったが、こうして田舎へきてみると清はやっぱり善人だ。

あんな気立のいい女は日本中さがしたってめったにはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪を引いていたが今頃はどうしてるか知らん。】

と清を懐かしみ、清から手紙を待ちわびて、下宿先のお婆さんに東京から手紙はこないかと何度も尋ねたので、なぜ奥さんを連れてこないのか、

手紙相手が離れて暮らす妻からのものだろうと勘違いされる始末。

そして最後東京に帰った坊ちゃんは、まっさきに清の家に向かい、涙を流して喜ぶ清に、

【俺もあまりしかたから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだ】という。実際、つてで職を得て玄関もないような家を借り、そこで清と暮らす。

清と一緒に暮らすことを、清と家;うちを持つ ということに当惑したし、

ほどなくして清が亡くなる際に今度は清が、坊ちゃん

坊ちゃん後生から清が死んだら、坊ちゃんのお寺へ埋めてください。お墓のなかで坊ちゃんの来るのを楽しみに待っております

と云うんだよ。

これって、あの世でも一緒になりたい、っていうくらいの遺言じゃない?

とまあ、これ以外にもこの話では端々に坊ちゃんが折々に清を思い出しては今ごろどうしているだろうかと思いを馳せる場面がいくつもあったりして、

マザコンというのとも違う、おあばちゃん子というのとも違う何かを感じて仕方がない。

しかに、清はまっすぐすぎて社会からはみ出しがちで生きるのが下手な坊ちゃんの唯一で最大の理解者であり、その清を坊ちゃんが大切に思う気持ち理解できる。

でもそれだけじゃないでしょ、と。

親子でも、おばあちゃんと孫でもない、英国モノのご主人と忠実な執事との間の独特な信頼感に基づく絆、というのとももちろん違う。

これって一体どういう関係なんだろう?

とはいえ私自身はこれを今回改めて読み直してみて、こういう二人の関係っていいなと実は思っている。

年齢差はあるけど、恋愛結婚ではない別の形の家族の作り方、とでもいえばいいのかな。

これを夫婦と呼ぶのは違うかもしれないけど、もしこういう関係も含めるならば結婚の幅って広がるかもしれない、と思ったり。

なんの結論もでてないけど、とにかくもやっとしたので書いてみた。

2020-03-15

住民票を移したい

進学で上京することになり、住民票を移したいのだが親から許可下りなくて動けず。どうすればいい?それとも移す必要はない?

住民票を移したい理由としては

UQモバイルWifi契約クレジットカード必要な為(デビットだと恐らく蹴られる)とamazonの支払いで使いたいかクレジットカード申請をしたい。親からwifi通信料仕送りから自分で支払えとの指示が来ている。親のクレカだと親名義の契約にせざるを得ないので面倒臭くなりそう。公共料金領収書保険証で行けるのか?すると5月まで待たないといけないのか?

ブックオフやリコマースなどの古本買取サービスを利用するつもりであるため。学生証不可だし本人確認書類実家に届くと困る。

・区立図書館の貸し出しサービスを使いたい。学生証で行けるのか?

バイト関連で銀行口座作成必要に迫られたとき保険証で通るのか?ゆうちょジャパンネットは持っている。

・正直地元で再び住みたいとは思わない。

・長期休みの時しか帰省するつもりはないし、修士まで進むつもりでいるから少なくとも6年は地元に住むことはない。

親の言い分としては

国民年金の支払い負担自分(増田)に向くため。(正直就職までは払ってもらいたい)

・「自分とき学生証でどうにかなった」から時代ニーズも違うと思うのだが。

成人式選挙はどうでもいい。免許証テスト最初更新地元でやるつもりでいる。

もちろん住民票を移さないと過料が云々も進学のための下宿場合住民票そのままでも一応セーフなのも理解はしている。

誰か教えてくれ。

2020-02-11

脳内爆弾

きょう、「さよならを教えて」というエロゲ存在を知った。

内容の肝は主人公に起こる奇々怪々な出会いイベント精神疾患由来であり、寛解する訳でもなく病状は淡々と進むというもの

古のオタクたちが綴ったブログに書かれた「さよならを教えて」のあらすじを貪るように読んで、10年前に工学部大学生だったころの記憶が厳冬の流水のようにひひたひたと流れ込んできた。

読書が好きだった。特に精神疾患について書かれた本が大好きだった。

医師の目を通して病識の無い人が狂っていく様子だったり、家族措置入院制度悪用して健常者を精神科幽閉する話だったり。

事実小説より奇なりというのはこういうことを言うのだ。

そういう本を読んでいくうちに、ひょっとして自分は何らかの精神疾患を抱えているんじゃないかという疑念に駆られるようになった。

特にひどかったのが、2か月の夏休み下宿に引きこもっていたとき精神状態は乱高下し、将来への不安も相まって最悪だった。

もし自分が狂って居たら、「自分は狂っていない」という自覚はあてにならない。もしかたらこうやって考え続けること自体病気なんじゃないか

今狂っていなくても、いずれ狂うんじゃないだろかという考えが頭の中に渦巻いた。頭の中に時限爆弾的な疾患があって、いつか爆発して発症するんじゃないかと恐怖した。

同時に、両親が私の自立を妨害しているという妄想に取りつかれていていた。何か私の人生良心に滅茶苦茶にされてしまうという根拠のない恐怖を感じた。

怖くて仕方がなかった。人生無意味さや空虚さに押しつぶされそうで、それはおいしいものを食べてもきれいな景色解決の助けにはならなかった。

医者には行けなかった。そういう勇気も無かったし、精神科の本を読みすぎていたせいで怖かった。私の正常性を私自身が証明できないということを認めるのが怖かった。

ひたすらに悩み、孤独を味わい、恐怖を感じて寝れなくて朝焼けの街を徘徊しているとふとストンとすべての悩みが消え去ったりする。

気分よく過ごしているとまた深淵に落ちたりする。

ときは過ぎ、就職して自分収入で暮らすようになると両親の恐怖妄想は消えていった。将来への不安はあるが、仕事上の具体的なものになった。

ただ、漠然とした恐怖と虚無が消え去って、過労と不眠症睡眠薬が手元にやってきただけだ。


今日は「さよならを教えて」を入り口自分過去を思い出した。現実こそが一番残酷で恐ろしい。

2020-01-16

anond:20200116091909

離島全体の進学率だよ

別の島に通う子もいるし本島に下宿する子もいる

2020-01-15

何者にもなれなかったあの子統合失調症

友だちが統合失調症になった。私がアパートに様子を見に行ったときは既に「手遅れ」だった。

とはいえ、パッと見はそこまでヤバくない。一応、コンビニで買い物をして最低限の生活はしていたようであるしかし話してみると分かる。言っていることが支離滅裂だ。日本語で話しているはずなのに意味不明というのは何ともいえない恐怖である。何も返事のしようがないので気のない返事をしていると「あなた適当な相槌しか打たないのは、黒幕男性に操られているからだ」という。仕方がないので私がタクシー精神病院に連れて行ったところ、そのまま保護室入院となり、現在退院したようである

病状が進行してしまたこ自体は可哀そうだが、何人かの友人が怪訝調子で話していたのと同様、私もかなりもやもやしている。あれから数か月経って今更こんなものを書いているのだから、そのもやもやたるやという感じである

例えば、Eはかなりキツい口調で「なぜ働いていなかったの」と言っていた。あの子は一流の私立大学卒業して以来、定職に就いていなかった。風俗仕事ばかり転々として、会う度に職場が変わっていた。最も長く勤めていたのは、そこそこ特殊風俗だったと思う。素敵な仕事だと思うが、病気になる前から不安定だった人間にとって、デリバリーで「変態」を相手にするという仕事が適切なのかどうか。

今振り返ってみるともう手遅れだった昨年の秋、私は「昼間の仕事をしないのか」と話した覚えがある。コンビニアルバイトでもいいから(というのはコンビニで働く人に失礼な話だが)、週に何日か日中シフトを入れれば生活リズムも整うだろうし、疲れたら今よりもよく眠れるのではないのかという話をした気がする。それに少し無理をしてでも人と接するのがよいとつくづく思う。

こうした話を私は以前にもあの子にした気がする。多分、仕事に関する私の考え方は変わらないので以前にもしたのだろう。しかしあの子は結局働かなかった。いや、働いてはいたのだが、自活はできていなかった。

じゃあどうやって生活していたかというと、結局親に依存していた。実家を出ていたこともあるが、そのときも親の援助で下宿をしていたし、最後実家を飛び出したときも親が家賃生活費を負担していた。しかし病状が進行したあの子は「親から虐待されていたので入院することは親に知られたくない。保険証も使いたくない」と言って私と精神科医を困らせた。

の子には夢があった。作家になるという夢だ。とある雑誌投稿し、投稿欄のようなもの掲載されていたりしたようである

創作に打ち込みたいから働きたくないという気持ちはよくわかる。仕事で一日の大分を使えば、読書をする時間も、創作をする時間も限られる。何より働いていると「感性」が鋳型に嵌められて想像力が衰えると思う。

とはいえとはいえ私たちはもうこの歳だ。この歳で作家として世に出ていない以上、「才能」なんてないのだと自分に蹴りをつけなければならない。

もちろん遅咲きの作家もいる。華々しく世に出なくても、徐々に大成する人もいる。熱意があるなら諦める必要はないと思う。私は筆を折って「社会人」になれなんて言わない。でも働かずに創作演劇に打ち込んでいいのは、そのことで病まない人だけだよ。そしてそんな人は五万といる。なぜあの子は働きながら執筆を続けるという手堅くも痛々しい生活を選ばなかったのだろう。

の子は「安定した収入がないこと」「生産性がないこと」を気に病んでいた。それが最後には幻聴として聞こえるようになったようである。Yが「あの子はいつも『私は創作に打ち込んでいるから』と必死説明していた」と回想していた。そんなに気に病むくらいなら尚更なぜ働かなかったのだろうと思う。開き直るか、働くか。

私は一度「なんで私がこんな仕事をという気持ちがあるのかもしれないけれど」というようなことを言って釘を刺したと思う。「こんな仕事」でも、何者でもない私たちはせっせと働かねばならないし、誰しもがそうしているのに。

退院したあの子は自宅で療養しているようである実家が裕福なので、生活費や通院費に事欠くことはないのだろう。でも今後はどうするのだろう。あの子には、履歴書に書ける職歴がほぼない。面接に行けば必ず突っ込まれるだろう。Yは「このまま自殺するか、引きこもりになるんじゃない」と心配していたが、そうならないことを祈る。僕たちはみんな何者にもなれなかった自分と折り合いをつけて生きている。あの子もそこに加わってくれるといいのだが。

2020-01-07

anond:20200107105232

自宅が世田谷なら分かるが、そうでもないなら逆方向行くなり、下宿すれば良いだけだろ。寮もあるし

2019-12-29

初めて一人で年を越す

今までは実家にいたり、帰省せずに下宿先でうだうだしてる部活仲間たちと集まったりしてたから、常に誰かしらと年を越していた

今年は帰省もせず、また誰にも大晦日の予定を聞いていなかったため意図せず(?)一人での年越しになる

なんか、それに今日の朝気がついてすごい不安やら、寂しさなどを感じた

これからますますこういう思いに嫌でも触れる機会が増えていくんだろうな

2019-11-21

医学部5年生だけど親と絶縁して住む家が消滅した

【要約】

クズ親を引いた結果家が崩壊し、俺の精神崩壊した

【経緯】

高2くらいから親の仲が悪くなり、俺精神を病む。そのせいで狙っていた大学より1つランク下の大学に行くことに。まあ、それでも医学部入れたからいいんだけどね。

大学3年の頃、ついに父親が家を出、離婚調停が始まった。

決定的な理由としては、

母親不貞行為父親出張中に男を家に連れ込んだ)(父親側の主張)

父親疑心暗鬼ぶりに怖くなった(出張と嘘を付いて実際に男を連れ込んだ現場にのりこみ大暴れする。具体的には植木鉢とか食器かめちゃくちゃ割った。家の中の盗聴までしていた)(母親側の主張)

と、両者で食い違っていたので、本当は何が真実なのかは分からない。正直、どっちもあったんだと思う。

父親が家を出てから自分精神状態悪化がぶり返し、大学カウンセリングルーム通いになる。

そして、4年の終わり頃に、ようやく離婚が成立した。父親は住んでいたマンションを売りたがっていたのが、母親はそれを拒否し、結局親戚に立て替えてもらいつつローン返済することになった。なお、その時のダシとして、「俺くんは実家から通いたいと言っている」と主張するよう、母親から迫られた。まあ、この時は、父親と暮らすよりはまだ母親と暮らす方がいいだろうと思っていたから、別にそれはいい。父親暴力性にビビってたので。

その後、5年生の1年限定で、大学近くに一人暮らしをすることに。医学部5年は、BSLといって実際に病院内で実習するので、朝早かったりして忙しいのだ。

一人暮らし費用は、父親7割、母親3割くらいの比率で出してもらえることになった。レストランで、泣きながら、ごめん、本当にごめん、、、と言って父親から金を出してもらえるよう説得したことを、今でも鮮明に覚えている。

しかし先日、母が自分のいない隙に男を連れ込んでいた(たまたま連絡無しで帰ったらいた)。自分激怒して絶縁を言い渡した。というのも、母親不貞行為疑惑の時、母親自身はただの友人として弁明し、俺はそれに対して「誤解されるようなことをする時点で倫理的ダメだ」と、かなり厳しく言ったはずなのに、今回も同じような状況にしていたから。

今回もただの友人だと言って泣いていたけど、正直信用できない。一度下宿まで母親がやってきたけど、ドア越しに蹴りを見舞った。

その後、俺は電話口で激しく罵った。絶縁だ、医学部の周りは家庭環境良好で裕福な奴らばかりだ、こんなハンディキャップを植え付けやがったこと、一生恨んでやるからな!……そう言って電話を切った。

だが、直後に父親も、既に新しい女と新生活を始めていたことが判明した。母親が泣きながら弁明した際にバラしたのだ。

父親は、新生活資金のために、母親マンションの残りローンの一括返済を迫っており、また今家庭裁判所協議しているらしい(俺には教えてくれていなかった)。

どうも、父親は家を出るときから既に女がいたらしい。

もう母親と一緒に実家暮らしたくない。気持ち悪くて仕方がないから。

でも、金銭的な問題で、どうにもならない。

女を作っていた父親とも、もう話したくない。

医学部は6年制で、あと1年ちょっと残っている。

6年の終わりには国家試験もある。

こんな状況で乗り切れるか、不安で仕方がない。

元々精神科医になりたくて、医学部を目指していたのに、今じゃ精神科医に患者として世話になる始末で、情けないったらありゃしない。

最近はもう、なぜ大学に行くのか、なぜ生きているのか分からない。

俺は客観的に見て可哀想なのか? それとも甘えなのか?

最近、某Vtuber中の人も、相当な毒親持ちと知った。どうやら年齢もほぼ同じらしい。

その毒親エピソードを聞く限り、俺よりもかなり酷い。でもその人は今日も何の苦労も見せずに、楽しい配信提供し続けている。

その人の存在けが、今の俺の救いだ。

どうすればいいんですかね。(なおこの文章は貰った抗不安薬を飲んだ状態一気呵成に書いている)

2019-11-20

anond:20191120231432

大学ってそんなにうるさいというかそもそも出席取らない講義が多すぎて二週間程度じゃ気づかれない気がするんだが学校によって違うんだろうか…。

あと知り合いの子高校進学のために下宿している子がいるか中高生が必ずしも実家暮らしとは言い切れない。

2019-11-08

ヤれたかもな昔話

90年代の話。大学入学直後、生協CD普通のお店より安く買える事を知って、大喜びでCDを買い漁ってた。毎月10枚以上、店頭に置いてないレーベルのをカタログみて取り寄せ注文して、届くころにウキウキでとりに行ってたので、確実に音楽カウンターの人には個別認識されてたと思う。基本パートだか生協職員だかのおばさん2,3人なんだけど、学生バイトなのかすらっとした可愛い系の若い女の子が1人だけ居た。

ある日いつものようにウキウキで注文したCDを受け取りに行った。財布から受け取り用の注文票を出してる自分に、「この、〇〇〇〇〇〇〇〇ってバンド(自分相手も生まれる前に解散したバンド)、いいですよね!」ってバイトっぽい女の子が声をかけてきたのである男子高出で、女に全く免疫のないキモヲタな当時の自分はそこで過去最高にキョドって「え・・・・あ・・・はい」とだけ言ってCDを受け取ってセカセカと生協を後にした。

この後も何度も顔は合わせてるんだけど、勿論二度と声を掛けられることはなかった。そもそもマジでバカな俺は何故声を掛けられたか数年間分からなかったんだけど、分かったとき本当にもったいないことしたなぁ……ってものすごく後悔した。普通お茶誘って話するくらいは300%できたよねこれ。ほんとバカ……それに、相手にも悪い事してるよねこれ。本当にごめんなさい。


で、ヤれたかもな話は別人となんだけど、数年後、女の子下宿に上がり込んで、成り行きで抱き合ってフレンチキスして俺の胸に相手Dカップおっぱいがあたってくすぐったくなったりして、乳首まで舐めたり、「濡れちゃった」とかいわれてシルクパンツのクロッチまで触ってほんとだって言ったのに、ベッドで「(Sex)やる?」って聞かれて、「コンドーム持ってないから」って断りました。その場でコンビニに走る位の事がなんでできなかったんだよマジで。てか用意しておけよど阿呆!!しかも後日その子の家に上がって告白して振られた瞬間、ベッドの下から「うすうす0.02mmダース入り」の箱が見えてさらに撃沈しましたとさ。はぁ……

2019-11-05

酒乱がノンアルコールを飲んでもいいか

自分は酒乱だ。

大学の頃酒を一口飲んだら店を破壊して数人に取り押さえられ車に乗せられるもそこで暴れて下宿強制送還された。

それが理由怪獣特撮映画を作ろうと思った映画サークル追放された。

2度目家出酒を飲んだらニコ動を滅茶苦茶荒らし垢BANされた。ISPから警告の文章も来た。

それ以降怖くて酒を飲んでいない。次酒を飲んだら懲役5年以上になるだろう。

幸い独居中のメンヘラヒキニートなので酒を飲む機会はない。

とはいえノンアルコールビールとか梅酒には興味がある。しかし酒乱なので飲むのには抵抗がある。

20歳未満は飲むな」とも書かれているし、アルコールは入っていなくともアルコールに準ずるものは確かだろう。

場合によっては懲役5年…

2019-10-31

病弱の私の進学は「身の丈」でないとだめなんだろうか

病弱に生まれた。小学校のころからろくに学校に行けなかった。ベッドに寝転んだまま勉強した。

中学病気悪化した。入院、また入院、また入院。終わったときには18歳になっていた。

進学がしたい。大学に行きたい。ろくな子供時代じゃなかったけど、負けたくない。私は病気に勝ったんだと思いたい。そう思った。高認を取った。それなりの偏差値も付いてくるようになった。名前のある大学に行けるかもしれない。そう希望を持ったとき、足かせに気づいた。

私は一人暮らしができない。「もう無理をしないで欲しい」と母に言われた。あなたが無理をして、また体を壊して、再び入院するのを見てられないと言われた。

私は両親に助けられていた。高認試験場まで送ってもらっていた。通院するときにも。私は、自分で気づかなかっただけで、とてもじゃないが下宿できるような体力は持っていなかった。

両親が勧めているのは、家から通えるBF大学だ。この大学なら、学校で体を壊したときにも迎えに行ってやれる。

そう言われた。60歳にも近い両親に。

情けなくて、死んでしまたかった。

私は毎日BF大学パンフレットを読んでいる。この大学が私の身の丈に合っているんだろうか。私の努力結晶がこの大学なんだろうか。満足しなければならないんだろうか。大学に行けることに感謝しなくてはいけないんだろうか。

貧困家庭に生まれ大学進学を諦めようとしている人たちが最近ネットで話題になって、勝手に近しさを感じた。全く違う話なのかもしれないけれど。

これを書いたのは、誰かに何か言って欲しかたからだ。「甘えるな」とでも言ってもらえたら、何か自分を変えられる気がした。

2019-10-18

anond:20191018151954

住民票の有無は関係ないって明記されてるよ

住む期間が数ヵ月でも数日でも、家財がやられてるんだし、大学下宿となんら変わり無い被害を受けてるのになーて話

大学側の下宿契約解除してたりしたらもらえたんだろうか

入居時1週間で床上浸水したが、JASSOから金がでない

まあ、タイトル通りなんだが、

大学の実習先のアパートが入居1週間で沈んだ。

ちゃん避難して体は無事だったのが救い。寝具とか家電製品は死んでた。

それで、学生の住む住居が半壊ならJASSO支援金10万貰えるって聞いて、一旦大学に帰って申し込んだんだが、一時的な住居は申請できないんだって

必修単位の実習で数ヵ月に渡って住む住居が一時的な住居扱いってひどくね?大学下宿電気もガスも止めてんだぜ

2019-10-10

普通」に生まれたかった

から、体育は大の苦手だが勉強は苦手ではなかった。

学科で一番偏差値の高い高校から旧帝大ストレート合格した。

最初につまづいたのは、就職活動だった。

履歴書を書いたり、面接の準備をしたりするのが、億劫で仕方なかった。

面接では緊張してしまい、自分が何を言っているのかわからなくなってパニックになった。

周りが次々と大手企業就職が決まる中、夏になっても内定が出なかった。

みじめだった。

夜眠られなくなった。

8月下旬になり、ようやく中小企業から内定をもらった。

卒業論文は締切ぎりぎりに提出した。

提出日の朝に要約文が必要なのに気づき、慌てて書いた。

運転免許は発進前の確認を忘れて、路上教習に出る前の試験に一度落ちた。

悔しくて泣いた。

下宿を退去する3日前にようやく免許証が取得できた。

入社した中小企業では、お局さんが幅を利かせていた。

お世辞を言ったり、謙遜したりすることが出来ず、その人に嫌われた。

2人っきりの時を狙って、延々と罵倒される。

結局その会社を3年で辞め、今は別の仕事をしている。

当初の配属から異動があり、電話を取る機会の多い部署になった。

周りでざわざわと声がしていると、電話を上手く聞き取れない。

そもそも電話を取りながらメモを取るのがとても苦手だ。

ADHDの診断を受けた。

自己診断だけど、ASDでもあると思う。

自分に向いている仕事に就きたい。

しかしま転職活動をするのは辛い。

スーツに身を包み、面接という緊張する場に行くのが嫌だ。

生きづらい。

幸せになりたい。

ずっと、「普通」に生まれたかった。

2019-09-30

ひとりがさみしくなってしまった

配偶者実家に帰っていてしばらく家を空けている。

大学下宿していた時はひとり暮らし謳歌していたが、

就職して一旦実家に戻り、のちに結婚してふたり暮らしが当たり前になり、

数年ぶりにひとり暮らしに戻ってみると、予想外にさみしい。

早く帰ってきてほしい、なんて、わがまま言えない。

2019-09-16

anond:20190916152633

自宅からFラン行くのと、借金背負ってでも下宿してもっとランク上の大学に行くのどっちが良いのかしら。正解なんてないと思うけど。

2019-09-13

特定サイト接続できない

その特定サイトってのはtwitterなんだけど

下宿アパートインターネット回線を使ってインターネットを使ってんだけどパソコンからスマホから特定サイト接続できない。

ブラウザ変えても状況が変わらない。

スマホWi-fiから4G回線に切り替えると接続できる。

ocn接続障害が出てるのかしらん

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