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2020-10-06

高三くらいまで神様信じてた

日蓮宗系の2世です。今はもう宗教を信じてないけど、だいぶ長い間宗教を信じてた。ちなみに今は21才

思い込みが激しすぎたのがこの長さの原因だと思う。人生もっと楽しい生き方があったかもな〜と思うよ。順を追って話すので暇だったらよんでってくれー

まず小学生から中学生まではひたすら神とか仏を憎んで生きてた。

嫌いだった理由は祈るのがめんどくさかったのとマザコンだったから。

朝と夜に何十分も正座しながら唱題して、休みの日には結構な頻度で寺に行って、その寺でまた1時間正座して唱題する。めんどくさかったなぁ。

マザコンだったからっていうのは、母親が熱心な信徒で、神様に親を取られたような感じがして嫌だったから。幼児期には誰にでもある分離不安症がねじ曲がって神様に向かったのかもしれない。

…………………………そう!嫌いになる動機無茶苦茶弱いんだ!正直俺がアメリカとかヨーヨッパとかの当たり前に信仰がある国に生まれたらこんなに悩まなかっただろうなって思ってる。

こんなクソ弱動機なのに、なんで高三になるまで宗教のことを考え続けられたのかというと、まぁ、負の感情には中毒性があるからだと思う。あと毎日やることがなくて暇だったからかな。野球とかサッカーとか活動の多いことしてればこんなこと考える時間もなかったんじゃないかなと思う。もしもの話が多すぎるな笑

中三くらいまでは神様のことが怖かった。俺はサンタクロースを信じてる中学生みたいに、神様を信じてる中学生だった。すごく痛い。神様嫌いだなぁって思うだけでも罪だったから、俺は地獄に落ちるしかないんだと思って絶望して生きてた。中二乙www

神っていないんだなあって思ったきっかけがNAVER まとめで同じ宗派の元修行僧修行からドロップアウトした話を読んだ時から。中3くらいでした()

話に出てくる場所描写がめちゃくちゃリアル自分も見たことがあることを話してたからこの話は本物だと思ったよ。元修行僧集団生活が嫌になって辞めたようで、この宗教のこと自体は悪く言ってなかったなぁ。

 中三で神はいないって気づいたのにもかかわらず、宗教関係者とか、人間とか世の中のことが大嫌いになってしまって高校卒業するくらいまで扱いづらい厨二病だった。釈迦ムハンマドキリスト宗教設立者がみんな嫌いだった()

大学生になってからは親元を離れて寺にも行かなくなって、新しい人間関係で忙しかったりしてどうでもよくなった。

今は親のことは好きだし愛されてると思うし感謝してる。育ててくれてありがとう宗教をしてる親を尊重してるつもり。世の中の有神論者も無神論者も好きにしたらいいと思ってる。今だから言えるけど、辛い思いをしてる人には宗教とかは心の救いになると思う。人との関わりとか、認知行動療法っぽいところとか。ただ小学生の俺には神のありがたさとか全くわからなかった。生まれときからただ連れてかれるだけのお寺に心を洗われるとか、スッキリするとか感じられなかった。

ここまで長かったけど読んでくれてありがとう!話せてスッキリした。

2020-09-05

中二の頃の恋の思い出

剣道部男の子で、黒髪サラサラヘアで、背はそんな高くなかったけど

私好みの顔してました。

可愛かったなぁー…

私はよくいじられてて、3学期に一緒に学級委員に選ばれたの嬉しかった。

全校集会で2人並んで先頭に立ってたのすごい思い出す。

私の気持ちクラス中にバレバレだったと思うけど、受け入れはしなかったけど

黙ってそのままにしてくれてた。

この間中学の同級生に偶然会って,ふと思い出して完全に放置してたFacebook

検索したら出てきて、もちろん結婚して子供もいて、びっくりしたのか

会社社長になってた。地方の小さな会社だけどすごいなぁって。

当時の私と同じでそんなに勉強できなかったはずなのに。

中三になってやりたいことができてガリ勉になった私。

クラスが離れて、態度も変わった私に思うことがあったんだろう。

たまに廊下とかで会うと嫌な顔された。

何なら高校の近くの通学路でよくあったけど、また嫌な顔された。

今あったらどんな顔するだろう。

この間会ったいじめっこの同級生は今までも嫌いだけど「私もまだ独身よ〜」の一言

妙に親近感を覚えたけど(笑)

数年前に会った同級生は私が独身と知るやいなや、うれしそうにやーっとしたので

当時表面的には仲良かったから残念だった。(昔から感情が表に出る子だった)

女同士は仕方がないのかも。

あんな別れ方して今あったらあいつも馬鹿にするんだろうか。

社長では無いけど、世界中旅してきて自分技術で食べていけるようになって

独身だけど充実して幸せ人生は今送ってると思うけど

この地方都市において、結婚してないアラフォー立ち位置がかなり弱いか

個人的には成功してるつもりだし、同級生から今の方がきれいになったと

言われるけれども、名前が変わってない時点で下に見られるのはやだなあ。

子供死ぬほど嫌いだし、結婚が向いてないのはわかってたので

あとご縁もなかったし。

結婚してる人を羨ましいとは思わないけど、子供居る人見ると、

大変そうとしか思えないけど、この地方メンタリティー的に

私が少数派なのはわかってて、万が一再会したり、風の噂で私の話聞いたりしたとき

私がこれまで成し遂げてきたことより、いの1番に独身子なしの気の毒な女って思われるのは

すごい腹が立つ。

そんなとこからやる気もないのに婚活パーティー行って、

好みのタイプに「料理ができる人」得意料理「なし」と絶対に引かれるプロフィールを書き

自分時間無駄にしてきた。

ちなみに料理和食なら普通にできます

得意料理を聞いてくる男、料理上手アピールする女が嫌いなだけ。

それでもその中のアラフィフの1人にすごいぐいぐいこられて困ったけど。

なんでこんなことをしたんだろうって自己嫌悪になって考えて

結局今のあいつに会いたいわけじゃなくて、ただ当時がすごく懐かしかっただけ。

あんな終わり方したけど、中学2年の1年間、なんだかんだ私すごい幸せだったんだと思う。

今では考えられないけど、当時の私は恋愛至上主義で、毎日ちょっと話ができただけで嬉しかった。

仲良くしてくれて嬉しかった。

大人になって自分もおばさんになったと言うことは、対象年齢の異性もおっさんなわけで

どうしようもない面食いだった私には全く食指がわかず、恋愛のものに興味がなくなって

から当時の若くてピチピチしててピュア少年が懐かしかったんだろう。

ショタコンではないが。

(好きな芸能人野村萬斎ミッチー)

Facebookは2年前で止まってて、でもお子さんと一緒に写ってる写真

当時の面影にほんのりヤンキー風な細眉の若々しいおじさんだった。

でも今は野球をやってんだね。。

凛々しい剣道着が好きだったのになぁ。

すごいお子さんのこと考えてるのもわかってほほえましかった。

子供大嫌いだけど、子煩悩なパパって憧れがある。

自分毒親育ちだから

同窓会は呼ばれないし(苦笑)、自分から会いに行くほど酔狂では無いけど

ただ当時の思い出を自分の中で成仏させてあげようかなと思う。

出なきゃまた婚活パーティー自分時間相手時間無駄にしそうだから

10歳年下のいとこが妻子とマイホーム持ちでも気にならないのに

20数年も昔の同級生コンプレックスなんて変だもんね。

2020-07-03

坂の上の家のはなし

今住んでいるところには海も丘もあります

私が子供の頃住んでいた場所には、そのどちらもありませんでした。

悲しいときに砂浜にしゃがみこんでじっとしていると、いつの間にか凪いだ気持ちになります。むしゃくしゃしているときに丘に登って街を見下ろすと、胸がすく思いがします。今はそうやって心を落ち着かせることができるのですが、昔このような環境享受できていればどんなに良かったかと思わずはいられません。

私の故郷の町は平べったくて、田んぼがどこまでもどこまでも続いていて、海ははるか遠く、電車に乗って数時間かるところにありました。案内板を見ても、図書館で詳しい地図を調べてみても、この町には目立った起伏はないようでした。

犬を飼いたかったのですがそれは叶わなかったので、隣の家の犬とこっそり仲良くしていたら、その家のおじさんのご厚意で自由散歩させてもらえることになり、起伏を探すための現地調査によく連れ立って出かけたものでした。しかし、長い時間をかけて町を隅から隅まで歩いて調べても、やはり小高場所存在しないようでした。

今ではそんなことをしなくても、グーグルマップを使えば半日もかからず調べ終わってしまます。そのくらい小さな町です。今調べても、ほとんど起伏は認められません。

なぜ、地図にないとわかっているのにわざわざ歩いて探していたのか疑問に思う人もいるかもしれません。私が執念深く町を歩き回って高い場所を探すようになったのは、ある出来事きっかけになっています。もちろん、高いところから自分が住んでいる町を見下ろしてみたいという願望は物心ついた頃からずっと持っていたのですが。

****

犬のことや、高い場所を探し回ったことはよくおぼえているのですが、その他のことはほとんどぼんやりしていて断片的にしか思い出せないのです。

から、具体的にその女の子がいつ転校してきて、どのくらいこの町に住んでいたのかはよくわかりません。ただ、クラスメイトランドセルを背負っていたような気がするので、おそらく小学生の頃だったのだと思います

その女の子をAと呼ぶことにします。Aのお父さんはトウモロコシ研究をしていて、私の町にはトウモロコシ国立研究所の一拠点があったらしく、それで一家引っ越してきたようでした。

私は幼い頃誰かと遊んだり、仲良くさせてもらったことはなかったように思います

から、どういう展開でAの家に遊びにいくことになったのかよくわかりません。Aは新参者でこの町のことをよく知らなかったので、ある意味暗黙の了解のようなもの認識しておらず、それで私のことも誘ってくれたのかもしれません。あるいは、Aが他のクラスメイトを誘い次いで私にも声をかけてくれたとき、その場には新卒若い担任先生居合わせていて、クラスメイトの多くはその先生に好かれたがっていたので、何となくそのままの流れでAの家に向かうことになったのかもしれません。

先ほども書いたように、子供の頃の記憶はじつに曖昧なのですが、その日のことは犬との思い出と同じくらい今でもくっきりと残っています

Aの家は学校からかなり離れたところにあるようで、自転車に乗って登校することを許可されていました。私の住む家がある地域を越えて、線路を越えて、さらにどんどん歩いていって、… そうしているうちに少しずつ夕暮れの気配が近づいてきました。

クラスメイト達は最初の方こそお喋りに花を咲かせていましたが、歩き疲れたいか徐々に口数が少なくなってきました。ずっと喋っているのはAだけで、家に友達を呼ぶのが初めてではしゃいでいるようでした。私はAの隣を歩いていたので黙っている訳にもいかず、ただひたすら相槌をうっていました。辺りはすっかり薄闇に包まれていて、お喋りをするAの大きな口だけが際立って見えました。

ふいにAが立ち止まり、この坂を登ったら私の家だよと言いました。

私たちの目の前には急勾配の広い道がまっすぐ伸びていて、Aが指差すその先は暗くて目を凝らしてもよく見えませんでした。こんな場所がこの町にあったのだなと私は思いました。ここまで来るのにかなりの距離を歩いてきたようでふくらはぎが痛かったのですが、ともかく登らなければAの家に着かないので、私たちは坂を登り始めました。

Aは学校を出発してからずっと自転車を押してきて疲れているだろうと考えて、私がAの家まで自転車を押して歩くことにしました。ただの親切心というよりは、ここまでの道のりでAは私にたくさん話しかけてくれたので、そのお返しのつもりでした。

恐ろしく急な坂でした。

急な坂がやたら多いNという街がありますが、そこと同じくらい険しかったように思えます自転車を押していると何度も後ろにひっくり返りそうになり、しょっちゅう立ち止まらなくてはいけませんでした。後に、授業中三角定規を使っていて、あの坂は60°くらいはあったなと思ってしまったほどです。

Aの家に漸く辿り着いた時にはもう日が暮れていました。いつの間にか他のクラスメイトはいなくなっていました。坂があまりにきつかったので途中で帰ったのだろうと思いました。

****

坂の上にはAの家だけがありました。

Aの家は平屋で、縁側がついていました。縁側の先には広い庭があり、両腕を広げた大きな木にブランコハンモックがぶら下がっていました。私はすぐにでもブランコハンモックに乗ってみたかったのですが、いきなりそれで遊ぼうとするのはお行儀が悪いだろうと思ったので黙っていました。Aは、お母さんが晩御飯を作って待っているから、食べ終わったら一緒に遊ぼうとにっこり笑って言いました。私は心の中を見透かされたようで少し恥ずかしくなりました。

Aの家族は私を暖かく迎えてくれました。

Aのお母さんはAとよく似ていて口が大きく、笑うと顔のほとんどが口であるかのような印象を受けました。テーブルにはお母さんの作った料理が湯気を立ててずらりと並び、張り切って作ったのと笑いました。トウモロコシ研究をしているというAのお父さんも食卓についていました。

オレンジ色の電燈の下で、Aとその両親と色々な話をしながら、Aのお母さんが作ってくれた晩御飯を食べました。私もAも半袖を着ていたのでおそらくそときの季節は夏だったと思うのですが、私の町では夏でも夕方になるとひんやりとしてくるので、温かい食事は沁み入るように美味しかたことを覚えています

こうやって談笑しながらみんなで食事をとるのは初めてでした。普段は話そうとすると喉がつっかえたようになってしまうのに、そのときはすらすらと言葉が出てきました。ハンモックブランコのことを聞くと、ここは借家で、ハンモックブランコは前の住人が残してくれたのだとAのお父さんが教えてくれました。

ブランコハンモックも私とAが二人で乗れるくらい巨大でした。

ハンモックバランスを取って乗らないとすぐに転げ落ちてしまうことを初めて知りました。何度も転げ落ちてしまうので笑いが止まりませんでした。仰向けに横たわって見上げると、いつもは見えない暗い星まで見ることができたので、ここらあたりには街灯が少ないのかもしれないと考えました。

まりに楽しかったので、この時間がずっと続けばいいと思いました。こんなに夜遅くまで人の家にお邪魔したので、きっと母は機嫌を悪くして私をひどく叱りつけるだろうということは容易に想像がつきました。それでもやはり帰る時間はやってきて、また来てねとAとお母さんとお父さんに玄関口で見送られて、Aの家を後にしました。

****

その後のことはあまりよく覚えていません。

Aのお父さんは別の拠点に行かなければいけなくなって、Aはすぐにまたどこかの町に転校していきました。私は犬と一緒にAの家があった場所を探すようになりましたが、とうとう見つかりませんでした。それから何年も経って私も町を出て、今は海も丘もある街で暮らしています

私には恋人がいて、その人はずっとこの街で暮らしています。ある日、海も丘もあるところで生まれ育ったことを羨んだら、そうですかね?と言いつつも誇らしげでした。

恋人は街のことを隅から隅まで知っていて、美味しい料理を出す店や景色が良いところへよく連れていってくれます。無口な人ですが、そうした場所にまつわる思い出について尋ねると、比較饒舌に、嬉しそうに話してくれます。私の隣でぽつぽつと語る横顔をこっそりと眺めながら、恋人がそのような良い環境の中で子供時代を過ごしていたことにいつも安堵するのでした。私の住んでいた町ですか?いきなり聞かれたのでびっくりしてしまいました。特に何もない平べったいただの田舎町で、冬にはたくさん雪が降ります。ここはとても素敵ですよね。海と山が近いなんてなかなかありません。食べ物も美味しいし。そんな風にして、いつも話題この街のことに戻すのでした。

私はもう故郷には帰らないと思います

隣の犬もずっと昔に死んでしまったので、帰る理由がなくなってしまいました。でも、結局Aの家を見つけられなかったことだけが心残りです。

町の人は、ここには見てわかるように丘なんてないし、線路の向こうにはそもそも家がないと言っていました。トウモロコシ研究をしているお父さんを持つAという子は確かに一時期この町に滞在していたけれど、遊びに行ったというのは君の夢か空想なのではないのかい?そう言って、人々はAの家を探すことに何年もずっと執着している私を気味悪がっているようでした。そう言われると、そうなのかもしれないと思います

でも、Aの家まで自転車を押して坂を登ったときふくらはぎの痛みや、Aのお母さんが何度もすすめてくれた不思議な味のする温かいスープが喉を伝う感覚や、ハンモックにうまくバランスをとって横たわることができたときの浮遊感と体に網目が少し食い込む感触は私の体にまだ残っていて、それらはリアリティをもって私をあの日に引き戻してくれるのです。

いつか自分たちの家を建てることになったら、それは坂を登ったところにあったらいいなと思います。庭もあったらいい。そこには両腕を広げた大きな木があったらもっといい。そうしたら、その木に大きなブランコハンモックをぶら下げて、私の子供が淋しそうにしている友達を連れてきたら、温かい食事をご馳走したいなと思うのです。

2020-06-17

この漫画ラノベギャルゲエロゲかの名前が思い出せない

めちゃくちゃうろ覚えだが、概ね以下のシーン

この記憶にいろいろ別の作品が混ざっている可能性は大いにある。

書いていて思ったが、付き合うふりをするストーリーラインは、ほぼそのヒロインが勝ち確なので、複数ヒロイン系の漫画ラノベじゃないような気もする。

タイトルが思い出せなくて昨晩は全然寝れなかった。

あるいは前に見た夢を小説だと勘違いしているのか・・・?と自分創造性を過信しそうになっている。

それはそれとして寿司が食べたい

追記

こんなふわっとした問いかけにいろいろ出してもらってありがたい。

げんしけん

げんしけん読んでないんだが、なんかちらっと見たことあるとかの可能性はあるので寿司回あるらしき6巻をかった。

人間関係わからんかったが、眼の前のレーンを流れる高い寿司に手が出ないあたりとかが関係性の比喩なんかなと思った。

多分これではないと思う。

寿司がうまそうだった。

江戸前の旬

これも読んでないんだが、なんかちらっと見たことあるとかの可能性はあるのでKindle Unlimited様の力を借りて読んだ。

江戸前職人の心意気、穴子からカツオイカ回のコンボやばい

多分これではないと思う。

寿司がうまそうだった。

鉄火の巻平

これも読んでないんだが、なんかちらっと見たことあるとかの可能性はあるものKindleにもないので確認できない。

物理本の購入を検討しており、鋭意調査である

多分これではないと思う。

寿司がうまそうだった。

満天握り月太郎

これも読んでないんだが、なんかちらっと見たことあるとかの可能性はあるものKindleにもないし、物理本の取扱もないので確認できない。

冒冒グラフなる番組を初めて知った。

鋭意調査である

多分これではないと思う。

寿司うまそうか?

SUSHI食べたい

あなたがいない、夜は寂しい

真夜中三時、思い出す。

多分これではないと思う。

寿司がうまそうだった。

君の膵臓を食べたい

読んだこと無いので読んでみる。

とりあえず今日買ってみる

俺たちに翼はない

プレイなんだすまん。NavleはSHUFFLE!しかやっていない。

当時カレハ先輩好きだったんだけど今考えるとシア一択だし、

嫁とは移り変わるものである

ゲーム中、楓があっさり引き下がったのいまいち納得行ってなかったので空鍋肯定である

ニセコイ

ニセコイ寿司回って何巻なのかな。

めちゃくちゃ腹へるじゃんこれ

2020-02-02

ゲーム依存症とかゲーム規制きっかけにいろいろとぼんやり思ってしまう。

からみれば俺はかなり悪い状態にあるのだろうし、

ビデオゲームを集中してやった時期もあるが、

ゲームと悪い状態個別的因果関係は正直よくわからない。

ふつうに考えればゲーム精神病の原因ではないと思う。

きっかけではあるのかもしれない。

集中してやっていたってのをやや詳細に書くと、

好きなゲームの関連作が出たら、一通りやるまで集中してやるとかが多い。

また、特定ゲームをやらなければ俺の人生はより悪かったんじゃないかとも思う。

中一の冬くらいに精神病の前駆期らしき状態になった。

高一の夏に精神病陽性症状らしき状態になった。

中一の春の連休に発売直後のFF3をほぼ徹夜してクリアした。

当時は早くクリアすることが偉いみたいに思ってたからか。

中一の前半くらいはほぼ毎日メガテン2やファイアーエムブレムエンディングを見ていたと思う。

メガテン2のラスボス現在現実信仰されている対象神話エピソードにおける振る舞いと

とてもよく似た振る舞いをするキャラ場合があり、

そのキャラ毎日やっつけて呪われていたことが現在の悪い状態の原因なのでは、

とか調子の悪い時に一瞬思う。精神病ありがちな症状の原因の説明だと思う。)

中二のときはお勉強をする時間が多かったと思う。

ほとんどゲームやってなかったはず。

中三ドラクエ5FF5をやったと思う。

ドラクエ5エスタークを9ターンで倒すくらいまで。

精神病陽性症状がほぼなくなったあとに、

ラングリッサー2の全部と真メガテンifのアキラルートテキスト

知っているものは全部ノートに筆写した。

どうでもいいけどラング2のセリフほとんど印象に残ってないな。

2020-01-04

私と、FtM親友のはなし

私(シス女性ヘテロ)にはFtM親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。

この記事を書こうと思ったのは、ツイッターネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者ヘテロの人との関わりについて、ヘテロから書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったかである

最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友現在進行形社会トランスジェンダーの人々への不理解不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題考える人の参考になったら幸いである。

↓以下自分語り↓

私(シス女性ヘテロ)にはFtM親友がいる。

彼とは中学出会ったけれど、初めて出会たこからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立女子校に入った割には少しやんちゃタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止校則を破って一人で新宿電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。

一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。

毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味アルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセン結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンル彼女理系学問歴史担当で、私はアニメゲーム芸能担当だった。あと彼女クレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか彼女クレーンで私のために戦国BASARA伊達政宗フィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。

中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。

とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。

中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服服装も、ワンピースカーディガンみたいな感じからTシャツジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分性別についてとか、そういう話を彼女したことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女本来自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分勝手美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。

中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女携帯の電源を切っていた。確か彼女携帯ストラップも何もついていない、青いシンプルソニーのやつだった。

高校生になると、彼女だんだん学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校性別が一つの空間だったから、自分男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。

けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係もつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生かに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子ケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。

彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったとき予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。

そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子ゲームが好きな子小学校クラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。

夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚河合塾とか駿台テキストに混ざって横光三国志とかジョジョかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。

最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミング性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか記憶あいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである性別というものは全くもって不思議ものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。

けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまたことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式ドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。

とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってから名前漢字男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校事情説明して対応してもらったらしい)、高校を出てから基本的に男として過ごしていた。だから予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当ごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtM女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。

とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやす説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。

つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもついから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り自分ができることをやっていきたいと思っている。

2019-12-02

anond:20191202153157

マジかよ中三でミ=ゴになるなんて名状しがたいな

ワイは小学生の頃はわりとクラスの真ん中らへんにおったけど中三ではみごになったやで

しかったやで

2019-11-28

https://anond.hatelabo.jp/20191127201601

中学三年生の文章とは思えないほど語彙力も論理構成も素晴らしく、釣りしか思えませんが、万が一本当に中学三年生であるならば、という仮定のもとアドバイスします。

先に申し上げた通り、あなた論理構成は素晴らしい。

率直に言えば、まだまだもう少し練る余地はありますが、熱意からくる粗さだと思えば、中三にしては素晴らしいレベルです。

論理の殴り合いに勝つスキルは、どんなフィールドで生きることになっても役に立ちます

ある程度の独創性も感じられます

論理的に説明する力とほんのちょっと独創性があれば、世の中はイージーモードです。

マーケティングをやっても企画をやっても、エンジニアをしてもリサーチャーをしても、自在予算を取ってこれるでしょう。

どんな仕事でも、理屈通りに上手く行かないこともあるので、成功者になれるとまでの保証はできませんが、他の人より有利なのは間違いないです。

もちろん、絵画デザインにおいても役立つでしょう。

ロジカルでなければ高度に計算したものが作れないわけで、ある一定構成力がないと勝負土俵に上がることが出来ません。

ただ、技術ロジックに頼った作品を嫌う傾向が芸術世界はいくぶんあります

教官自身論理のその向こう側への憧れを受験生に求めるのが正しいことかわかりませんが。

個人的には、デザインとは「モノ」に「形を与える」ことにより「機能」を持たせることだと思っています

例えば、鉄という素材そのままでは何の役にも立たないものが、形を与えられることによって刀にもハンマーにも自動車にもなる。

例えCGも同じです。

なにもなかった画面にドットを表示させるだけで、点は座標に、画面は座標平面になる。

ただ、藝大は日本における芸術世界権威ですからあなたをどう評価するか少し心配です。

あなた能力なら、美大ではない大学に進んだほうが特性を活かせる気がする一方で、美大を出ても美術以外の生き方を出来る気もするので、応援したい気もします。

自分でもなにを言ってるのかわからなくなりましたが、最後一言釣りだろ?

2019-09-19

anond:20190919155553

ヤクルトの岡林はパラグアイのド田舎で育ち中三日本に来てプロ野球選手になった

田舎がどうこういってるのは甘え、才能がない奴の言い訳

2019-09-02

中学生の時

中二のとき同級生女子が一個上の男の先輩と付き合ってるという噂を聞いた。あくまで噂のレベルだ。

その女子は超スタイル良くて、胸もスゲーでかかった。スカートも膝上くらいまで短くしてて、当時はスカート丈はスネくらいまでだったので、膝上とはいえ短くしている女子が少なかった。スカートが揺れるたびに太ももとか出ててエロかった。体育座りとかしたとき、中の方まで見えたりして興奮した。

そんなエロい子が先輩と付き合ってるなんて噂を聞いたから、絶対セックスしてると話題持ちきりだった。クラスイケてる男子たちは妄想話に花を咲かせていた。

中三になり、卒業近くになった時、クラスイケてる男子が、その女子セックスさせて欲しいとお願いしてみたらしい。当然断られようだ。でも、それをきっかけに、色々な女子セックスさせて欲しいとお願いするのが学年で流行ってしまい、問題になった。

全校集会後に中三男子けがそのまま残るように言われ、最も怖い男性教師から全員に対して厳しく注意された。中にはショックで学校を休んだ女子もいるらしい。

でも、自分クラスカースト下位でその流行りに乗れるようなキャラじゃなかったが、結構女子も楽しんでたように見えた。だめ〜、とか、最低〜、とか言ってキャッキャしてて楽しそうに見えた。

ただ、その休んだ女子というのが、冒頭のエロ女子だったのだ。別のクラスだったので状況は伝え聞きだが、その子のところには毎日のようにお願いがあったらしい。結局その子卒業式までずっと休んでいたようだった。

話は飛ぶが、大学卒業とき、同じように学科の同期の女子セックスさせてくれた頼んで回ったやつがいた。そいつは別大学彼女もいたし、結構遊んでたので、別にお願いしなくてもやりまくってるやつだった。

そいつは一通りお願いして回った後に、結局誰もやらせてくれなかったと文句を言っていてしょうもない奴だった。

ただ、そんなことを言われても、女子たちからそいつは阻害されることなく、普通に接している。むしろ女子はそういうやり取りを楽しんでいるように見えた。

中三からみんな成長してねーんだなと思った。

また話は飛ぶが、自分最近転職した。退職が決まって、近しい人が送別会を開いてくれた。送別会をやってくれると分かった時から考えていたのだが、参加した女性社員に、最後からセックスさせてくれたお願いしてみようかと思った。

でもその時、中学の時に学校を休んでしまった女子のことを思い出して、お前はバカかと、そんなことをが許されるのは大学までだと、そんなことをしようと一度でも思った自分を恥じた。

気持ちいかも知れないが、その日、その休んだ女子名前Facebook検索してみた。すぐに見つかった。更新結構前に止まっていたが、海外にいて、外人結婚して小さな子供もいた。年齢を重ね、とても魅力的な女性になっていた。

2019-08-27

中学の時の担任エロかった

中二と中三の時の担任先生エロかった。

いつもタイトスカート履いてて、ストッキング履いた太ももエロかった。

しゃがんだ時、スカートの奥まで丸見えで、胸元からブラと胸がチラチラ見えてた。

先生オカズに覚えたてのオナニーを何回もした。AV見てから先生とのセックス想像するようになって、学校でもオナニーするようになった。

ませた友達先生に、セックスしたことあるの、と聞いてて、そういうこと言うんじゃないの、って言ってる先生が最高にエロくて仕方がなかった。質問だんだんエスカレートして、ま○こ濡れてんの、とか、パンパンされて感じてんの、とか言われても、もうっ、と軽くあしらう先生

もう我慢できなくて、学校トイレオナニーする日々。

結局、卒業まで先生オナニーする日々を続けるだけだったけど、どうせだったら、セックスさせてほしいとお願いすればよかった。

高校に入ってからも、先生とのセックス想像してオナニーして満足してた。同級生の女の太ももとか全然エロく思えなかった。パンチラとか逆に臭そうで汚く見えた。

そんなだから高校3年間童貞だったけど、先生オカズオナニーして受験も乗り切った。

大学に入ってからも、しばらく同期の女がガキっぽくて興味がなかったけど、バイト先の巨乳の先輩女性先生みたいに大人っぽくて、先輩と先生オナニーするようになった。先輩は彼氏がいるみたいで、彼氏セックスしまくってんだろなと想像するとたまらなくて、一日中先輩とのセックス想像してオナニーしまくった。

バイト辞めてからも、先生と先輩とのセックス想像してオナニーしまくった。大学トイレでも、買い物先のお店のトイレでもオナニーした。

大学卒論就活は辛かったけど、先生と先輩をオカズオナニーして乗り切った。

今でも辛いことがあると、二人をオカズオナニーして乗り切ってる。

いつか先生か先輩みたいな彼女が欲しいけど、どうせ無理だからオナニーで満足する。

2019-06-13

anond:20190613014433

それオタクじゃないか

料理趣味ってわけでもないけど料理サークルに属している人と同じ

結局顔で選別しているのだろ

違うなら中三かぶ

2019-06-02

学生バイトだらけのチェーンの塾には気をつけろ

学部時代院生時代塾講師を何軒か転々としていた。結局、5年くらいいろんな塾で働いていた。

チェーン展開している学生バイトが多い塾で働いていたことがあるのだが、保護者申し訳いくら学生講師の質が悪かった。

もちろん、全部の塾の講師がそうではないけども、気をつけてほしい。

学生講師学力がとにかく低いことがある

自分がいた塾は高学力の生徒よりは、学校定期テストが平均点以下の中学生をメインターゲットとしていた。とはいえ学校テストで80点や90点を取れるお子さんも通塾している。

学生が塾のバイト面接を受けに来る時には学力検査を行う。うちの塾の場合は、中三くらいまでの教科書レベル数学英語試験であった。学校勉強から離れていても、だいたいの講師対策なしで7割〜9割くらいは得点できるレベルだ。

テストはやるものの「人物重視」の面接という建前で子どもけが良さそうな学生教室長の判断採用していく。

そのため、講師の中には教科書レベルテスト20〜40点しか取れなかったりする偏差値40代くらいの大学学生講師がいる。体感4割くらいは存在していた。

採用された彼らが悪いとは言わないが、生徒の方が学力がある場合が出てくる。

②どうして授業が成り立つの

では、どうして授業が成り立つのか。

うちの塾は、学校の予習を塾独自テキスト子どもに解いてもらう形式であった。学生講師テキストに書いていることを読み上げながら教えられる仕組みになっている。

中学生にわかるように書いてあるので、低学力の子ども相手ならどうにか誤魔化しが効くのである

だが、そういう講師の授業を聞いていると、突然の生徒の質問には答えられない場合があったり、英語発音が間違えていたりする。ボロが出てしまうのだ。

大学生だしある程度のコミュ力はあるので「そこはあとで答えるね」などと流しながら別の講師バックヤードで尋ねる光景が頻繁に見られる。「island」を「アイスランド」と教えている講師もいた。

果たしてそれは悪いことなのか

確実にそうとはいえない。

学力層で勉強の習慣が本当にない子どもであるが、ノリがいい講師に褒められて、テストが40点から70点にあがって自信がつく例などはたくさんあった。

ただ、子ども学力講師の質がマッチングしない場合は本当に金の無駄だと思う。

④いい先生を引くにはどうするのがいいんだろう

基本的には、生徒の希望時間学生講師大学の授業の空き具合を教室長が調整して、講師をあてがう場合が多い。明らかに気難しい子と陽キャパリピ講師の組み合わせは避けるなどの配慮はあるが、それもかなわない場合は往往にして存在する。

なので、自分の子どもがその手の塾に通ってる場合には保護者面談でどんどん注文すると良いと思う。クレーマーぽく思われるかもしれないが、高額な料金を払って子どもを通わせているので存分に活用してほしい。

塾側も神経質な親相手には配慮をするので、言ったもん勝ちな部分もある。

あとは、学生講師採用状況や教員免許を持っている先生存在について尋ねてみるのも良さそう。

自分の話になって恐縮だが、院生学部卒業時に教員免許をもっていたことがあり、その手の親から専門の科目の担当指名されることもあった。

指名されると講師側としても熱が高まるので、バイトとはいえ真剣に教えようって気にもなる。

あと、子ども学力によって通う塾を見直しても良さそう。定期テストが30点や40点の低学力の子が塾と相性が良くて70点や80点に伸びる場合もある。そうなると、次のレベルの塾を探しても良さそう。中学力や高学力層の生徒をターゲットとした塾なら、高学歴に集中して採用している場合もある。それなら、発展的な内容もカバーできるだろう。

2019-05-15

anond:20190515182254

中学生勢の中で「ブラック・ジャック」「ブッダ」「火の鳥」に評価が与えられていた時期があったか? あっても中三とかでやっとだったと思うぜ。

2019-04-14

「妻が可愛く見えて仕方が無い」の十二年後

最初 anond:20070414112142

八年後 anond:20150106164328

十年後 anond:20170414234733

結婚十七年目。

最初に書いてから十二年経ったが、引き続き妻が可愛く見えて仕方が無い。

ピチピチ!とはもうさすがにいかないが、目尻のシワもほうれい線もまだないし40代には見えないかなとは思う。

前回やや太り気味だった身体はその後ジムに通ったりダイエットしたりしてだいぶ絞られてきた。腰はくびれたしお尻は小さく脚も細くなった。それを言うと嬉しそうにするが、私はふっくらしている方が好みなので少し残念だ。

ただ身体の中の方はだいぶガタが来ていて、会話の話題子どもの成長の話から自分たち健康ネタに移ってきた。

長いこと言い続けてきた「可愛いね」はだいぶ頻度が減って月に二度ほどになった。

前回書いた通り、そう言ったところで喜ぶでもなく出てくるのは愚痴もつかないネガティブなことばかりなので、気付けば減っていた。喜んで欲しいと思って言っているわけではないが、ネガティブな話は聞きたくない。

代わりに言葉にせずにマジマジと顔を眺めたりしていたが、それも気に入らないらしく怒り出したりするのでそれも少なくなった。

数日喧嘩したり、お互い虫の居所が悪くて口をきかなかったりというのは十七年前からそこそこあるが、振り返れば夫婦はいい方だとは思う。

娘がかかりつけの歯科衛生士さんに「うちの両親はとても仲がいい」と話していたことが巡り巡って私たちの耳に入った。

私自身は子どもの頃、両親が喧嘩ばかりでついには離婚してしまったので、子どもたちにそういう思いをさせずに済んでいるのは幸いである。

前回書いたものニュースサイトで取り上げられたりしてそこから女性向けの掲示板転載されスレッドが立っていたが、そこでは「こんなことを書く男はロクなものではない」的にやや叩かれていたし、気持ち悪く見える御仁もいるようだ。

ただ、男の人の反応からすると、私だけでなく多くの旦那さんは奥さんのことが可愛く見えているようだ。

私はたまたま本人に言ったりこうしてどこかに書いたりしているが、どこの旦那さんも何も言わないだけできっと奥さんは可愛く見えているのだと思う。

前回「次は娘が高校卒業した頃に」と書いたが、日本人的には十二年単位の方がキリがよさそうなので一年早く書いてみた。

娘は今年大学受験をするようだ。息子はエスカレーターでまだまだのん気な中三生活である

長々と書いたが、つまるところ前回と概ね変わっていないので、次は変化があった頃にまた。

2019-03-29

俺は繊細だった

どれくらい繊細だったかというと、中三までは自宅以外でウンコをすることが出来なかった

2018-08-28

中三から引きこもってからもう8年になる

毎日のように遊び呆けていた小学生時代も終わり、中学生になった。

最初不安だったが1年の頃はそこそこ楽しかった。 新しい友達も増えた、部活楽しい小学生の時ほどではないが遊びにも行けていた。

2年生になり学習塾へ通い始めた、テスト順位が下がってきていたからだ。

思えば、この時から歯車が狂い始めていたのかも知れない。

学習塾に入ったことによって、元々少なくなっていた自分時間さらに狭まり、無いも同然になっていた。

4時に起床し、5時から朝練、8時から授業が始まり16時に終わる。そこから18時まで部活をして帰宅

だが19時から学習塾があるので、すぐに家を出て、家に帰れるのは21時過ぎ。ここに来てやっと自分時間が取れる。

かと思いきや、また明日朝練があるのでもう寝なくてはいけない。

ただでさえ1日に8時間睡眠を取りたい自分にとってはかなりキツいスケジュールだった。

そして運命中学3年、もう何もかもが苦痛だった。

まり続ける睡眠不足、疲労、ストレス、解消する術も無かった。

夏休みに入り、これで少しは休めるかと思ったがそうもいかなかった。

依然として部活はあったし、学習塾受験が控えているということもあり張り詰めていた。

そんな夏休みも終わり、始業式の日がやってきた。

その日は頭痛持ちだったこともあり、朝から酷く頭痛がして布団から出られずにいた。

「頭がすごく痛い」

そう母に言うと、自分の予想していたものとは違う言葉が返ってきた。

「それじゃあ休む?」

少し困惑した。てっきり「頭痛薬でも飲んでさっさと行ってこい」くらいは言われると思っていたからだ。

しばらく考えた後、こう答えた。

「休む」

甘えた。 間違いなく歯車が外れた瞬間だった。 引きこもり誕生だ。

それからはタガが外れたように休んだ。

最初今日も頭が痛いと仮病を使っていたが、1週間もすればなんの理由もなくただ家で寝ていた。

結局そのまま学校には一度も登校せず、卒業式にも行かなかった。

今思えばさっさと部活をやめていればこんなことにはならなかったと簡単に言えるが、この事に気づくのに2,3年は掛かった。

当時の俺はそんなことにも気付かないくらい切羽詰まっていて、ストレスで正常な判断が出来なくなっていた。

部活をやめれば内申点に傷が付くと思い込みストレスが溜まるのは自分が弱いからだと思い込んでいた。 実際そうだけれど。

部活をやめていれば、誰か周りの大人が言ってくれれば、家庭がもう少し裕福だったら、色々考えてみてももう遅い。

他人様に迷惑をかける前に早いとこ死なないとな

2018-08-23

https://anond.hatelabo.jp/20180823060543

ペンギンハイウェイ

中三と小三の子供(ふたりとも男)を連れて行ったが、よかったみたい。少し長い。

公開中の映画ではなぜだか不評の「未来のミライ」は未見。

スタジオポノック短編作品集は、たぶん来週見に行く。

今期の作品だと、「バキ」と「あそびあそばせ」が面白いらしい。

わが家は、私が仕事アニメを少し見る必要があるので、

基本的にこどもたちに視聴の制限はかけていない。

ちょっとどうかなと思わないでもないけど、他で何見てるかわからないし。

宝石の国」も良かったようですよ。

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