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2018-06-18

https://anond.hatelabo.jp/20180616193840

劇場版アイカツ!いちごちゃん視聴者の隣でずっと一緒に成長してきた存在から手の届かない存在になった瞬間、そしてアイカツ!178話であかりちゃんがその隣に立った瞬間、その感動が、あの武道館にあったと思います。私にとって、武道館でのSTAR☆ANISおよびAIKATSU☆STARS!のステージ演者の皆さんの集大成であり、5年(と8ヶ月!)前のアイカツ!で見た美月さんのステージ動画から劇場版アイカツ!での、あるいは178話のソレイユとルミナスが揃ったあのステージ動画へと成長していったあの体験と並ぶ感動がありました。

かにこのタイミングでの演者さんの再登場は、あの感動を失わせるものだと思えなくはありません。周りの演者さんそれぞれのフアンの皆さんの憤りっぷりったら目にも当てられないもので、曰く「卒業」とは一体何だったのかと、演者さんがそれぞれにアイカツシリーズからそれぞれにとっての距離を置こうとしている段階でのこのイベントはなんなのだと、そしてあの武道館の日に受け入れ難きを受け入れた自分のあの思いはなんだったのかと。

実際その思いは間違っていないと思いますし、否定はできません。蛇足だな、とは思います

しかし同時に、今更何を言っているんだという思いもありますクリスマスになったら木を切り倒す、崖を登る、そういった描写が毎年毎年行われてきたような作品における今回の展開において「過去を向いている」という指摘は、あまりにも繰り返されてきた、今更な指摘ではないでしょうか。

私は、幾度となく元増田の今の気持ちと似たような気持ちを覚えてきました。あかりジェネレーションで、またアイカツスターズ!で木を倒したのを、崖を登ったのを見て、それは感じませんでしたか? フォトカツ!の発表で、それは感じませんでしたか? 劇場版アイカツスターズ!同時上映のアイカツ!狙われた魔法アイカツカードを観たときに、それは感じませんでしたか? TVアニメアイカツスターズ!においていちごちゃんが再登場したときに、それは感じませんでしたか? 「データガードダスアイカツスターズ!ではアイカツ!曲を再録しない」と明言されていたのにも関わらず幾度としてステージが再録されたとき、それは感じませんでしたか

今回の5周年イベントは、10年、20年につなげるための布石なのだと思いますバンダイナムコHDIR資料を追っている限り、アイカツスターズ!1年目の計画と実績の差異はそれはもうひどいもので、個人的には正直2年目はないだろうと、アイカツシリーズ自体危ないだろうと思っていました。そんな中での辛うじての策が、今回の5周年コラボであったのだろうと想像します。

かに5周年企画は乱発気味ですし、もう5周年ではないだろうというのはありますしかアイカツシリーズというコンテンツ継続のため、公式でこういったイベントを開催してくれるのであれば、私自身の楽しみのためにもコンテンツ自体継続のためにも、私はそれを享受します。

元増田10周年、20周年のタイミングでのイベントならば参加するというのであれば、そのときには一緒に楽しみましょう。あの作品は、あのイベントは良かったと、語らいましょう。そしてできればその際には、「あの日があって今が最高に」なったんだということを感じてもらえればと思います

2018-06-16

アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」について思うこと

 あの日武道館で『輝きのエチュード』を聴きながら、左隣りの人も右隣の人も、嗚咽を漏らして泣いていました。私も泣いていて、まともにサイリウムを振ることすらできませんでした。会場中から鼻をすする音が聞こえてきました。でも、こんな企画をやられてしまうと、あの武道館は一体何だったんだろうと、そう思わざるを得ません。

 別に「卒業」したはずの歌唱担当が『アイカツ』のイベントに登壇することに文句を言いたいわけではありません。「あなたたちは卒業したので来ないでください。歌は全部声優が歌います」なんてことになったら、それこそひどい話です。だからそういうことではなくて、「5周年」にかこつけてイベントを乱発すること自体問題だと思うわけです(というかもうすぐ6周年じゃないですか?)。「思い出は未来の中に」ではなかったのか。「同じ光のなかこれからも 迷わないでわたし歩いていける」と、あの日誰もがそう思ったのではなかったのか。「心に集めるたくさんの永遠」とは、「いやあアイカツは素晴らしいね尊いいつまでも終わらないね」と定期的に執拗確認しないと消えてしまうような「永遠」だったのだろうか。これではまるで、星宮いちごアメリカ行きを無理矢理引き止めているみたいではないか。なんでも弁当スターライト学園も全部放ったらかしにして、無理矢理マスカレードステージに立たせているようなものではないか。霧矢あおいが、光石織姫が、星宮りんごが、一体そんなことをするだろうか。大げさかもしれませんが、そう考えてしまます

 東日本大震災が起きたあの日を契機に、『アイカツ』は「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」を目指してきました。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」と。

——その後、ゲームおよびアニメ企画は、どうなったのでしょう?

加藤陽一)大きな転機になったのが、東日本大震災です。コンセプトを固めている最中2011年3月に、東日本大震災が発生しました。地震が起きた瞬間、僕は東京浅草バンダイ本社で『アイカツ!』の会議に出席していたんです。地震電車が止まったので、車で来ていた僕が3人に声をかけて、皆を送っていくことになりました。TV原発津波ニュースを見ながら進むうち、都心で車も動かなくなっちゃって。結局浅草を出て、皆を送って23区内の家に帰るまで12時間位かかりました。そのとき一緒にいたのが、アニメアイカツ!』の若鍋竜太プロデューサー企画スタッフです。車に缶詰状態で、8時間から10時間ぐらい、地震の影響を目の当たりにしながら、皆で『アイカツ!』のことを話しました。まるで合宿みたいな濃い時間でした。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」という話もその場で出て。それを受けて書き直した企画書の内容が、そのときの僕らの思いを込めたものだったんです。

——どんなふうに変わったのでしょうか?

 ネガティブ出来事も起こりえるレトロスポ根路線は消えてなくなり、代わりに、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」が必要だろうということになったんです。「トップアイドルを目指すスポ根サクセスストーリー」の部分はそのままに、「温かくて前向きな気持ちになれる作品を作ろう」と、企画ブラッシュアップしていきました。この段階の企画書に書いてあることは。現在のところほぼすべてが、作品内で実現しています。あの震災が、『アイカツ!』という作品にとっての転機だったと思いますね。

アイカツオフィシャルコンプリートブック』(学研パブリッシング2014年、130頁)

 そして『アイカツ』はたくさんの人を「温かくて前向きな気持ち」にし、たくさんの人が前へと進みました。「今日が生まれかわるセンセイション」、「いつだって、ここから、あたらしい夢 どこにだって行けるよ!」。『アイカツ』を観たたくさんの人が「素敵な明日」を迎え、「未来向きの今」から未来へと全力で走り出したはずです。『アイカツスターズ』もそうです。あれだけの作品を前にして、前作とは別の方向へと舵を切るなど、並大抵の覚悟ではできません。巴山萌菜さんもそうです。私は詳しい動向を追ってはいませんが、TVドラマ『賭ケグルイ』のOPを歌っていたようですし、ワンマンライブもやっていたと思いますSTAR☆ANIS/AIKATSU☆STARS!から卒業し、自分の決めた道で頑張っています

 それが、何故こうなるのでしょうか。別にイベントをやるなとは言いません。「卒業」した歌唱担当を呼ぶなとももちろん言いません。ただ、何故今なのか。10周年や20周年まで待てないのか。これではまるで、私たちに「明日を信じる力、未来への夢」なんかないのだと言わんばかりではないか。全く「未来向き」じゃない、完全に過去を向いている。私にビジネスの知見はありませんが、商業的に考えてもこんなやり方では長生きできないと思います

 昨年9月、甘粕試金氏によって『この幼形成熟の世紀に』と題された原稿が公開されました。当時それを読んだ私は「言いたいことはわかるし何も間違ってないと思うけど、アイカツファンダムはそんな人ばっかりじゃないのになあ」とかなんとか思っていました。でも、どうやらもうそんなことを言ってはいられないみたいです。

アイカツ!』が放送終了して新シリーズアイカツスターズ!』が始まった今『アイドル活動!』よもう一度とばかりに『アイカツメロディ!』が来ることの意味は、先述の原稿の論旨で言えば「和声」的解決意味することになり、『アイカツ!』も円環的時間気持ちよさによって欲望生産する作品だったという結論にならざるをえなくなる。それを証し立てるきっかけになったのが「シリーズ5周年記念企画」の楽曲だったという事実は、フランチャイズ圏内にある作品ファンク的時間を持つことの不可能性をも証明してしまったのではないか。このことに私はほとんど嘔吐せんばかりになってしまったわけです。

「なんで和声的ならダメなの? 気持ちよければ良いじゃん」という問いに答えるには、それだけで一つのまとまった原稿必要になるのでここでは書きません。フランチャイズに話を絞りましょう。ここ数年で最も忘れがたいフランチャイズ批判高橋ヨシキさんが『ローグ・ワン』を前にして発表した「幼年期の終わり 〜さようならスターウォーズ』〜」を部分的引用しま

観客が耽溺し続けること自体を難ずる権利はぼくにはありません。〔中略〕それでも、観客を「耽溺させることを目的に」商品を作り、供給することは邪悪なことではないかとぼくは思うのです。

〔中略〕

なぜなら、それは観客を消費者へと変え、幼児化させ、駄々っ子のように振る舞うことを是とするものであり、その駄々っ子の口に好物を際限なく突っ込み続けることで、彼らを判断能力を失った中毒患者へと変える行為からです。

〔中略〕

「前へ!」というのは、ルーカスだけでなく、どのようなクリエイターにとってもいちばん重要姿勢だとぼくは信じています。その先に何があるか分からなくても、あるいはそれがどういう評価を下されるにせよ、とにかく 「前へ!」。これはクリエイターに課せられた祝福でもあり呪いでもあるのですが、「前へ!」という大前提は旧三部作でも、またプリクエルでも(プリクエルは実は後退していたわけではないとぼくは思っています。何度も言いますがコンセプトに対してエクセキューションが貧しかったのがまずかった)、そして部分的ではあれど『フォース覚醒』にも共通していました。前へ!

〔中略〕

ところが『ローグ・ワン』は「もはや前に進む必要などない」という、ルーカスフィルム/ディズニー宣言のように、ぼくには見えました。なぜ前に進む必要がないのか? なぜならそれを誰も望んでいないからです。誰も、 というのは『スター・ウォーズ世界に耽溺することに慣れきった観客のことです(ぼくも含みます

〔中略〕

興行的に、『スター・ウォーズ』が「前へ」進む必要がないことを『ローグ・ワン』は証明してしまったのです。

Crazy Culture Guide Vol,30-30,5(http://www.mag2.com/m/0001673228.html

 SWシリーズにまったく思い入れを抱いていないうえに『ローグ・ワン』も(ドニー・イェンドン・キホーテ役をやっている映画なのだし)楽しく観ることができてしまった私は、当時「はぁ、そういうものなのかなぁ」程度にしか読めなかったのですが、少なからず前のめりに接してきた『アイカツ!』5周年企画に際して、これらの文章は「あっ、この状況を言ってたのか!」という今更の得心とともに蘇ってきました。「前へ」進む必要がないこと、それは「和声」的時間に閉じること、フランチャイズの体系に閉じること、円環的時間=手回しオルガンの歌に耽溺しきることを意味してはいいかベケットらを念頭に置いて「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品偽装された姿を言っていはしないか。それこそがフランチャイズの罠であり病ではないのか。という疑惧と危惧が一斉に襲ってきたわけです。これは単に「前に書いた文章矛盾しちゃった」から狼狽えているのではありません。「あれっ、自分は《これ前にも聴いたことあるわ、良いわ〜、知ってるわ〜、延々と続けられる正当な伝統、良いわ〜》みたいなことに気持ちよくなりたくてこの作品を支持してたのか? そもそもこれってそういう気持ちよさを是とする作品だったか?」という、本質的な足場が揺るがされたことに原因があります。それも公式の「5周年記念企画」によって。

甘粕試金『この幼形成熟の世紀に』(http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-165.html

 

アイカツシリーズ5thフェスティバル!!」を楽しめる人を悪だとは一切思わないですし、主催者ダメだとも思いません。もちろん、私が正しいとも一切思っていません。私も何かの手違いでチケットを手に入れたら、それはそれでそれなりに楽しめるんじゃないかと思います。そりゃあ声優歌唱担当が揃ったら嬉しいです。生アフレコなんてしたら最高です。そりゃそうです。ただ、あの日「車に缶詰状態」で「合宿みたいな濃い時間」を過ごし、それを受けて書き直した企画書は、そこに込められた思いは、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」とは、こういう類のものだったのか。木村監督プロットを書いた「大スターいちごまつり」のMCの「みんなの今日が、明日が、少しでも素敵になったらいいな」とは、「いつでも何度でも集まって際限なく盛り上がれる。いつまでも終わりを引き伸ばせる。ずっとここにいられる」という意味だったのだろうか。『アイカツ』が3年半、『アイカツスターズ』が2年かけて描いてきたことは、そういうことだったのだろうか。どうしたって、そう頭を悩ませずにはいられないわけです。そして、“「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品偽装された姿を言っていはしないか。”。このことは、常に考えるべき問題であると思います

 でも、ツイッターを見ている限り「歌唱担当戻ってくるなら純粋に楽しめばいいじゃん」「そんなにヒリつくことじゃなくない?」という人が多数派を占めているようです。だから私がおかしいのかもしれません。「めんどくさいオタク」なだけなのかもしれません。なので、「アイカツシリーズ5thフェスティバル!!」に行かれる方には、純粋に楽しんで来て欲しいと思っています皮肉でも嫌味でもなく、本当にただ純粋に、楽しい時間を過ごしてきて欲しいと思いますアイカツファンの方々——あるいは演者スタッフの方が読んでいないとも限りません——、お気を悪くされた方がいたら、本当に申し訳ありません。拗らせたアイカツファン戯言だと思って、どうかご容赦ください。

2018-06-14

イケメンを見つけたハナシ

某SNSで、AV監督男優さんのページを眺めていたら、何だかすげーイケメン画像が時々載っていた。

スタッフさんなのか、それにしては写真目線がやけにまっすぐなので演者側の方なのかと気になって過去ログを辿って行ったら……男優さんだった。

俺は今までその方の存在を知らず、こんなイケメン(しか長身で腹も割れてる見事な体型)が男優さんをやっているんだ、と驚いた次第。世の中色々あるもんだ。

名前検索したら、出張ホスト?もされているとのこと。

HPを見たらかなり良いお値段のようだったが、世の裕福な女性が利用されたりしているんだろーか……。

2018-06-10

バラエティをつまらなくしたのはめちゃイケだと思う。

テレビっ子によるテレビの話ですm(_ _)m

めちゃイケ特殊番組だったと思う。

バラエティが苦境に立たされても挑戦を続け、テレビっ子に支持され続けた。

末期は叩かれることも多くなったが、それでもバラエティファンからは厚く信頼されていた。

なぜか。

それはめちゃイケ視聴者を楽しませるだけではなく、

バラエティ番組アイデンティティも発信する番組だったから。

バラエティファンの期待を裏切らず、バラエティ文化を守り続けるという思いを届け続けた。

規制クレームといった逆風の中でも、めちゃイケらしさをやめなかった。

やめないことをファンへのメッセージにもしていた。

そこにファン安心した。この番組自分たちが好きなバラエティ文化の味方だと。

私もそうだった。

土曜8時はテレビマンにとって特別な枠であることや、

批判を受けると簡単にコーナーが終わってしまうこと、

そんな厳しい風潮の中で過激なことを放送するのは「冒険であること、

こうしたバラエティ周りの事情めちゃイケで学び、

「作り手や演者視聴者を笑わせるためにリスクを冒しているんだ、応援しないと」という気分になった。

だが、それと同時に違和感もあった。

上のようなバラエティ愛というのはナイナイロンブーなど、

思春期80年代バラエティを観て育ったお笑い第4世代芸人特に強い。

彼らの番組では「ムチャクチャやっていた時代」へのリスペクトや、

「俺たちも規制を恐れずキワドイ部分を攻めていこう!」といったメッセージがよく発信される。

そして現に、暴力犯罪エロなどがテーマの「攻めた企画」を敢行している。

こうした「攻めた企画」は逆境で見せる反骨精神のようで、バラエティファンには心地がいい。

心地はいいが、私はそれで笑えない。

笑えないというのは「不謹慎から」とか、そういう理由ではなく、

単純にゲラゲラ笑えるほどのものではないからだ。

だが「攻めた企画」と銘打たれると、

彼らはバラエティにとってとても有意義なことをしていると錯覚してしまう。

「攻めた企画」が放送されるとSNSには彼らの冒険を称えるような投稿があげられ、

バラエティ史にまたひとつ伝説が刻まれた、とファンは安堵する。

そうすると、だんだん企画自体で笑えることより、

バラエティ道を貫くことの比重が多くなっても、気付きにくい。

正直、ここ数年のめちゃイケはこの状態だったと思う。

応援しているのは古参バラエティファンのみで、若い視聴者から共感を得られない。

それもそのはずだ。バラエティ歴史を知らない子供めちゃイケを観て、

「こんな時代にあえてゴールデンめちゃ日本女子プロレスを復活させるのは冒険だ」などと、

説教くさいナレーションを聞かされてもファンにはならない。

それよりも今そこで笑えるユーチューバーの方が魅力的に見えるだろう。

「苦情も覚悟の魂込めた企画」を観たいのではなく、ゲラゲラ笑いたいからだ。

それこそお笑い第4世代からよくリスペクトされる「元気が出るテレビ」は、今そこで笑える番組だった。

基本的に誰かにイタズラをして怒ったりパニックになる姿が連発されるのだが、くだらな過ぎてゲラゲラ笑った。

手の込んだロケも多く、あのくだらない映像が出来上がるまで相当苦労もあっただろうが、

元気が出るテレビ」は作り手の事情を出すことはなく、徹底的にくだらない番組であり続けた。

「俺たちはプライドを持ってバラエティを作っている」ではなく、

「こんなバカなことやってすみません」という姿勢が潔かった。

私も自宅でリラックスしながら「バカなことやってるな」ぐらいの温度バラエティを観たい。

ただしめちゃイケが再定義した感のある「バラエティ」の文化は、

この先さらに年老いて、保守的で、閉鎖的で、形式けが残る笑えない文化になると思う。

めちゃイケバラエティ界に残した功績は偉大だが、

その「バラエティらしさ」や「バラエティプライド」が、

規制クレームよりもバラエティを笑えないものにしているのではないか

一度皆が大切にしているバラエティ文化から離れて、

中2ぐらいのふざけた男子がパッと見で笑い転げるようなお笑い番組を作って欲しいと思う。

2018-06-07

本当にリーダーシップがあったら講演者無視して劇団員AEDますところまですべき

劇団員があばれたらこれは死戦期呼吸だと言ってみんなで羽交い締めにすべき

2018-06-05

アイドルマスターミリオンライブ5thライブによるオリメン云々

先日、アイドルマスターミリオンライブ5thライブが開催されました。念願のぶどーかんを経て、グリー版終了ミリシタ始動後初めての周年ライブ過去最大規模の会場であるSSAはかつてMOIW2014において765AS・シンデレラと合同という形でライブが行われた会場でもあり、ミリオンライブというコンテンツにおいてとても大きな意味のあるライブであったと思います

もっとも今回この文章では「5thライブ優勝!w」的内容を書きたいのではなくどちらかというとネガティブな面からライブとその後についてタイトルにあることの僕個人の感想を書き連ねるものになりますので見たくない方はブラウザバックでさよならしてください。


書きたいことは先も言った通りタイトルにあるライブにおける「オリジナルメンバー」(オリメン)についてです。

今回の5thライブは新しいソロ曲MS)とミリシタ発のユニット曲TG)とミリシタで配信されている既存曲と全体曲から構成されていてアンコール含め各日35曲を披露するものでした。この一曲一曲パフォーマンスについてどうのこうの言うつもりは毛頭ありません。ですが1つ、どうしても納得しかねる点がありました。

なんで僕の担当アイドルが出てる日に ""今まで一度もやったことのないオリメンであるユニット曲"" がセトリにあるのに歌ってないんだろう、と

その曲は1stから歌われているものでした。でも僕の担当は1stにはいませんでした。どころかその曲を歌ったアイドルは誰一人出演していませんでした。そのことに文句があるのではなく、むしろあの日の僕は「出演していなくたって同じ劇場アイドルなんだなぁ」と感じ、そして「いつかこの曲を歌う姿を見たいなぁ」といつかの未来に夢を見ていました。

その夢から今の今まで機会は訪れることはありませんでした。

5thまでこなかったことに、悲しさはあっても文句を言いたいわけではありません。ミリオンライブは多くのCDを出してきてその度に披露しなければならない曲があり、全部で37人という人数、タイミングに恵まれなければ機会は訪れないでしょう。

だけど5thライブでその機会を目の前で捨てられて、その瞬間ただただショックでした。なんで…と。MCの中で「今回は今までやったことのなかった曲にチャレンジしました。オリメンでもない曲の中から」と言われていました。でもそう言われると当然、「じゃあジレハは…?」ともなりました…。もちろん、灼熱少女の5人を批判したいわけでもジレハのパフォーマンス批判したいわけではありません。4thでの鬼気迫るパフォーマンスとは違う、そこを経ての5人だからこそのステージホントに素晴らしいものだったと思います。開演前など少し斜に構えた気持ちでいたのは事実ですが曲が始まり終わった後にはやっぱり普通に感動しました。「羨ましいなぁ」とは思うしそこから転じて「ずるいなぁ」とも思ってしまますが、コレが醜い嫉妬なのは事実だしこの辺りについては自分の周囲の方とお話ししてきちんと呑み込めたのでもう過ぎたことなので良いです。

見たいものがあってそれを半ば無下にされたような感じではありました。だけど担当に歌って欲しかった曲を歌った演者さん、それとは違うものをやった担当演者さん、また他全ての演者さん達のステージはどれも本当に素晴らしかったと心から言えます。正直、セトリを組んだ方には不快感はありますが。個人的文句があるのはその後のことです。今回、僕と同じ担当の方もそうでない方も同じように感じた方は数多くいらっしゃいました。そうしてそのままの想いをツイッターに書いてる方も多く見て、同様にそうは思わなかったオタクが「それは違うよ」と反論してるのも見ました。僕が強く不快に思ったのはそんな反論するオタク達にです。

まあ単純に言うとオタクうっせぇよってことです。

765からアイドルマスター伝統アイドルがすべての曲を歌えることにある???ライブの楽しさとはCDになかった組み合わせでの可能性の発見???

正直、分かったような顔してこんなこと言っちゃえるアイドルマスター知ってますよ系プロデューサーさん方が腹立ちます

そういう話じゃなくないか

お前らがあげたジレハの歓声、過去に遡るなら乙女ストームやクレシェンドブルー、TA3曲。765ASやデレであってもフェアリーや竜宮、りっぷす炎陣ポジピンチェトラプリetcはなんだったんだ?それが嬉しいから歓声あげてたんじゃないのか?ならそれを望む人間存在がいることも理解できるんじゃないのか?やっすい分かってますよ風の言葉否定すんなと。

さらに言えば今回、僕含め多くの物申してるオタク達はオリメン全員揃えて歌わせろともオリメン以外に絶対に歌わせんなとも言っていません。ただただ一度も歌ったことのない担当に歌う機会が欲しいだけです。そして今回はその機会を作ろうと思えば作れたのに目の前で捨てられて、だからこそ言いたいことがあるだけです。この一度歌ってほしいってそんな無理難題ですか?今回は全員初挑戦の曲だったなら演者さんの負担だって変わらないしグリー版が終わっても過去はきちんと受け継がれるものと示す為にやっても全然問題なかったのでは?縛るのはライブ未挑戦の方だけで良かったのでは?

少なくとも僕は上に書いた色々な可能性があるからライブ楽しいということに同意できるしそれが楽しさというのは分かります

でも同様にオリメンで歌うのだって楽しさです。この2つを楽しいと思うのは両立できることです。

今回はその中でも一度も歌ったことがない担当オリメンである曲を歌ってほしいという願いを刺激されるようなことをされたから納得できないだけです。

例えば、初星の時にフェアリー以外でオバマを歌っていたら、デレならハートボイスはやるけど出演者にいる幸子が歌わなかったら、それを悲しいと思うのはそんな多くの人から反論されなきゃいけないことですか?

自分の中のもの言葉にしたかっただけなのでだからどうこうしろというつもりはありません。でも強いて言うなら

こういった事情を汲み取れない方が「SSAは俺のココロかえる場所!w」とか言うのはやめてほしいです。

アニクラは変わった。

村人Aは、友達を作るのが苦手だ。

人と繋がることが苦手だ。

というか、人と別に仲良くしたいと思うことがあまりない。

しかし、アニメアニソンが好きで、同じ感性を持っている人が集まるところには興味がある。アニソンDJという文化に興味がある。オタ芸コスプレを楽しみたい。濃いつながりはいらないが、自分オタクである事を知ってほしい気持ちはある。

そんな気持ちを満たせていたのがアニクラだった。

客としても演者としても、良い意味でも悪い意味でも、少し前のアニクラは何でもない村人Aがその数時間はさまざまな欲求がみたせる場所だったように思う。

しかし、アニクラは変わった。

人口が増えることで、求められるもの多様化し、スタイルが変わった。

類似イベントではDJをまわし合い、客もまわし合う。

DJの女はDJはじめがちだし、客も軽率DJはじめる。

本当にアニソンが好きなやつ、DJうまいやつよりも、酒をバラまくから客を持ってるようなやつの方が名前をよく見る。

ちょっとDJが論をつぶやけば炎上してtwitterで物申すマンが登場する。

どこもかしこも身内臭が漂って空気が悪い。

名のある大型イベントでさえ、仲良い者同士が集まって夢を見てるだけのよう。

人の集まる場所なんてのは、職場だろうと、趣味の場だろうと、結局はコミュ力高くてお友達多い選手権なのか。

村人Aの気持ちは満たされることがなくなり、疎外感を覚え行き場がなくなった。

2018-05-29

anond:20180529215915

寄席は半分くらいはスベリ芸みたいな感じだし初心者が行ったってつれえよ

事前に演者調べて誘って用意してる時点で全然フラッとじゃないし

最初は強力な独演会に連れてって圧倒したほうがよほどハマる

2018-05-28

anond:20180528124629

そんな苦しむぐらいならコンテンツから離れろよって思うんだけど。

なんでそんな苦しいものをわざわざやるのか意味からないし、わざわざ毒垂れ流して楽しんでるファン文句言うほうがおかしい。

楽しめないのに文句言って苦しむのが、そもそも本末転倒じゃない?

そういう人がうるさいか普通に楽しんでる人もおおっぴらに楽しみづらいし、運営だって演者だって人間なんだから文句言われて嬉しいわけない。

コンテンツが好きな癖に自分の思い通りにならないからって苦しんだり文句言うオタクってまったくマイナス要素しかないと思う。

2018-05-25

最近アイドルマスターSideMに関して。』の人へ

最近アイドルマスターSideMに関して。

https://abcdefgz.hatenablog.com/entry/2018/05/23/153558

 読んでくれるかわからないけれども、貴方エゴサをしてこのエントリが引っかかってくれることを期待してこれを記します。

 以下の文章は、直接貴方のために、というより、自分にとってのアイドルマスターのためにも書いた理論感情の発露なので、伝えたいことはあるけれど、貴方はこれを読まなくてもいいし読んでもいい。

 

  

 私は、所謂『箱マス』から始めて、765ASもDSミリもデレも、そしてもちろんSideMもやっているアイマスPです(本家SideMは垢だけ作って放置エムステ毎日デイリー消費のみ、CDは全部買ってる、アニメは全部見て大変感動したけど金が無くて円盤は買えてない、ライブ金も時間もなくて行けてない、という状態)。そんな私から老婆心ながらアドバイス……というわけではないんだけれども、少し話しかけたくなったのでこのエントリを立ち上げました。

 

 

 まず最初に、貴方文章に対する自分立場を明らかにすると、「今のSideMはまだまだ不十分だとは感じるけれども期待している状態」です。ちなみに、私はいわゆる『箱推し』。

 そりゃもちろんゲームクソゲーだし、アイドルの人気や演者さんの忙しさによって登場頻度の差があったりもするのは分かってるけれど、ゲームクソゲーと分かるってことはまだ改善余地があるってことだし、アニメ以外の新曲はほぼ公平かつコンスタントに出ているし、アニメはどの回も大変感動したし、2期だってまだ望みはあると思ってます。何より、『315のあいつらが生きてる』という事実それ自体が歓びなのよね。 冬馬たちと出会って8年。輝たちと出会って3年。なんだかんだあいつらを見てきて、なんだかんだ好きになって、あのスットコ共を見守れているということ自体が嬉しいのよ。ゲームがクソだったり出番に差があったりってのは、彼ら自身を彩るモノ……と、私は思ってます

 

 

 その上で、貴方に2点伝えたい。

 

 

 

①その『体験』を大切にしてほしい

 まず最初に大切だと思うのが、「その体験を大切にしてほしい」ということ。

 

 いや、ちょっと待ってくれ、ジコケハツっぽいかもしれないけど聞いてくれ。

 

 『アイドルマスターSideMというコンテンツ出会った』、『担当推し)と出会った』、『セカライを楽しんだ』、そして『エムステをクソだと思った』、『アニメがっかりした』、『ライブで期待を裏切られた』、『愚痴を見た』、『自分愚痴を吐き出した』、『その愚痴に反応を受けた』……その全てが貴方にとっての『アイドルマスター』だと思うのです。元石原Dの言葉を借りるなら「アイマスを好きになったり嫌いになったりしてほしい」、中村繪里子さんの言葉なら「アイドルマスターに係る何かをすること全部が『プロデュース』」ってのが、その一端かも。

 12アイマスを見続けて思ったけど、アイドルマスターとは『体験』であり、『個人だけの物語』だ。貴方にとってのアイマスは、アイマス出会い、楽しみ、失望し、愚痴り、場合よっちゃこのまま辞めちまうところまで含めて一つのコンテンツなんだ。その『体験』は誰にも否定できるもんじゃないし、口を出していい物でもない。喜びも悲しみも、嬉しいも楽しいも辛いも苦しいも、全部ひっくるめて『貴方アイマス』なんだ。その『貴方アイマス』を大切にしてほしい。辞めるなと言ってるんじゃない。辞めてもいいからその個人的な体験個人的なものとして心の大切な部分にしまっておいてほしい。つまり、後から思い返してほしいし、その時に感じた事や行動をなかったことにしないでほしい。それら全部がアイドルマスターの欠片なんだ。それらみんなをまとめて初めてアイドルマスターなんだ。

 

 自分でも書いてて自己啓発みたいな、宗教みたいなことを言ってると思うけど、これが私が12年見てきた『アイドルマスター』ってコンテンツの、偽らざる事実・側面の一つなんだ。俺も千早愛ちゃんや未央で思ったけれど、『アイマスプレイする≒アイドルプロデュースする(DSはちょっと違うけど)』ってのはどこまで行っても個人的な体験に過ぎなくて、誰とも共有できるわけじゃない。逆に、誰とも共有できないからこそアイマスは素晴らしいんだ。そこが、一つの決まったストーリーをみんなで共有するコンテンツとの違いだと思う。(関係ない話になるけど、アイマスのこういう側面はアニメアイドルマスターシンデレラガールズ』の終盤で語られていたりする)。

 

 

 

自分創作してみたらいいんじゃない

 ブコメtwitterで色々な人が言っていて、逆に貴方の「追記」には、今これを書いている段階では無い要素に「二次創作してみたらいいんじゃない?」って事(への反応)がある。

 上と同じで、『二次創作をすることそれ自体』『二次創作を楽しむこと(作ることも、視ること聴くことも)』も、自分にとっては『私のアイドルマスター』の欠片なのよね。ゲームとしてのアイマスを買ったのは2008年に『L4U』と一緒にだけど、2007年からいわゆる『ニコマス』に触れていたのも大きいと思う。2006年ニコニコ(仮)が始まり2007年pixivが始まり……アイマスは時期もよかった。

 担当推し)がもっと美しく見えるような、カッコよく見えるような、もっと好きになれるような何か……動画でもイラストでも小説でも、単なる「説明図」でもいいから、何か作ってみるのはいいんじゃないかな。それこそ正に『プロデュース活動』だろう。それを作る過程で、担当の事をもっと好きになると思う。

 自分も、過去12年を振り返って「あれ、あの記憶公式作品だっけな、自分二次創作だっけな、誰か他人二次創作だっけかな」ってことがままある。それもまた『私のアイドルマスター』なのよね。

 というわけで以上2点。どれか一文でも貴方の心に響いてくれれば嬉しい。

 貴方のこれからの『アイドルマスター』に幸多からんことを。

 

 

 

 

 

 以下は私の愚痴

 

 ……なんでこういう愚痴ばかりが取り沙汰され、人に害を与え、責めれられるんだろうね。本来愚痴も、非難も、逆に称賛も、感動の言葉も、全ては感情の発露という点で同一、平等なはずなのに。

 なんでインターネットにはマイナスばかりが溢れるんだ。なんで、そういう愚痴非難ばかりが拡散し、人に害を与えまくりさらに責められなきゃならないんだ。DSの時も、アイマス2の時も、アニマスの時も、デレアニの時もそうだった。なんで負の感情ばかりがこう強く広まるんだ。

幸せ犠牲なしに得ることはできないのか。


 追記

 ↓についてるトラバでも書いたけど、なんで発しただけで揶揄されるような、人からまれるような感情がポッと生まれなきゃいけないんだ。誰がその感情を回収するんだ。回収されなかった感情はどこへ行くんだ。誰かがそれに付き合ってやらなきゃ誰も救われないだろ。誰か一人でも寄り添ってやらなきゃならないだろ。なんでそれを誰も分からねえんだ。

 遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのか。

2018-05-22

ライブでイキルオタク

先日彼女と一緒にアイドル声優ライブに行ってきた。

これで3回目になる。

僕の目の前のオタクがおそらく自作したであろう大光量のライトが5本くらいついてるの

ブンブンしまくる感じのごみだった。

お前が目立ってどうするんだ…

そんなに目立ってどうするんだ…

きっと彼(もしくは彼のような人)は普段から注目あびるようなこともできず、

日々くすぶっているような感覚なのだろう。

その性分なら間違いなくネット弁慶だろうし、

ネトウヨなんだろうなとまで考えてしまう。

(無論、ただの偏見である。)

そもそもこれはもはや議論尽くされているだろうが、

ライブとかって演者を見に来ているのであって

その邪魔になるような行為というのは賠償責任があるくらいの迷惑行為だのに、

なぜこうも自己中心的な振る舞いができるのだろう。

それと「お水おいし~?」とかあの類の茶々が大の嫌いである。

ただちに声帯にがん細胞根付いてほしいところ。

それを聞いてどうする?

煽ってるの?

演者も聴衆も不快まりない思いに苛まれる。

もしこの記事を見て憤りを感じる人がいたら、

もう一度自分の振る舞いを見直してほしい。

ライブなんだからのしませろ!」

「盛り上げてんだよ!」

いや、そういった間違った楽しみ方で他の人の邪魔しちゃいかんし、

盛り下がるんだよね。

というかなんでこんな低レベルなことで悩まなきゃいけないんだろうな。

幼稚園とかで先生の話をちゃんとききましょうね~とか習わなかったのかな。

猿や犬、猫みたいな動物だってある程度空気読めるのに、それに満たないだな。

まずこれだけは絶対に言えることだけど

・ああいった行為は何があっても正当化できない

これだけ。

ただ良心のある我々が彼らに対してどれだけ言葉を尽くして、

どれだけ論理性を駆使して、時によっては過去判例なんか遡って説明しても、

理解せんのやろなぁ。だからダメなんだよ。

からリアルで充実できる術を持てないんだよ。

それから

自分推しに会いに行くのになんでそんな

ちゃんとできないんだ。

髪をセットして髭も剃って爪も切って

清潔感のある服装で来いよ…

好きなんじゃないのかよ、くそ

2018-05-20

anond:20180520224052

番組のもの商品なのです。その制作に関わった脚本家や、演者スタッフ努力が、違法な形で売られるのです。

もし自分制作したもの勝手コピーされて、それにお金が発生しているとしたら嫌ではありませんか?少なくとも私なら嫌です。発生する損害とは、お金に限りません。

2018-05-18

もう僕の中での「アニラジ」は終わりかもしれない

個人的に「アニラジ」にハマったのは約8年前。

会社でいつもはニコ動を見たり流したりしながら仕事していた時、

PCスペックが足らなくなり、CPU100%とかメモリスワップが追いつかなくなって、よく落ちるようになっていた。

ニコ動じゃなくて音声だけなら流しながら仕事できるんじゃないかなーと思っていたときに、

休みニコ動アップロードされていた井口裕香超ラジ!Girlsを見た。


衝撃をうけたのは今でも覚えている。

「やべえ」「なんだこいつ」「くそおもしれえ」と思って、番組名を知り、A&Gとかいうのがインターネット放送でしているのを知り、そこからアニラジにハマりまくった。

元々地元AMFMメールを送ってたりした経験もあり、番組メールを送る障壁は低かったので、

所謂ネタコーナー以外でメールを送りまくっていた(ネタ作るのニガテ…)ら、

結構採用されるようになってきて、さらにハマった。

タイミングよくTwitterの実況が一大ムーブメントとなりはじめ、さら熱量はあがっていった。

もう仕事してるのか、番組メール送ってんのかわかんねえな、レベルで。



それから8年。

あの時の熱量はほぼ消えている。

番組おもしろくないのだ。

昔は尖っていた番組も、年を重ねるごとに丸くなり、

新番組として尖ることも少なくなり、台本コピペ台本のようなものばかり。

コーナーはどの番組でも同じようなものばかり。

演者の可愛さはアップしたかも知れなけれど、なんだか違う。

番組メールを送る人は多くなったかもしれないけど、なんか内容が足らない。

デジマジはどこに…

RadioCrossはどこに…

じゅうはちキンは…ホンバン。は…

Lady Go!!の後釜はFIVE STARSだけど、Lady Go!!ほどおもしろくない…

GT-Rはどこにいったのさ。

羅列するとAGQR番組ばっかりだな、でも音泉アニメイトTVも響も結局は同じだ。

ちゃんとした「アニラジ」は面白いけど、「中の人ラジオ」になると台本が同じになって途端に面白くない。

そう感じていることが多くなってきた。


僕の中で面白さの信用が継続されてるのは

しかいない。

ルナイトは面白いし、思春期面白いし、ラジオラジオ面白いし、本渡上陸作戦面白い

SDBは言うことなしだし、NNNYだって視聴者数少ないかもだけど十分。

でも並べてみて思ったのは、これらは「アニラジ」ではない気がした。

ということは、僕の中での「アニラジ」はもう面白いというものではないのかもしれない。


もう僕の中での「アニラジ」は、終わりかもしれない。

2018/05/12 アイドルマスターMR 千早主演公演第3部に参加して  その3/3

https://anond.hatelabo.jp/20180518014637 の続きです。

長すぎて途中で切れたので、そこから再開しま

記事全体の構成

2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSICGROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。


レポート感想というよりは感情吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います


※注意※

・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。

基本的自分千早観丸出しなの独善的解釈を多く含みます


構成

●公演の概要

感情の整理。

●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。


●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。

注意:ここから先は今井麻美さんについても必要場合言及いたします。

【実現したいこと】

1.如月千早約束をかなえる⇒リベンジMR公演を実現させる

2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ


2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ

結構大きな問題だと思っています

基本的後遺症が残ったり、長期間治療リスクを発生させるようなことは、たとえ可能性が低くても絶対に避けるべきです。

どういう理由があってもです。

何よりこんな思いはもうしたくないのです。

からこそ、何か防ぐために出来る事があるならやっておきたいと思いいろいろと考えてみました。


【今回の公演について】

それはそれとして、私は今回の公演を否定しません。如月千早のやったことを否定しません。

彼女の何を思って舞台に立ったのか、それを考えれば考えるほど、その選択をした彼女はまさに私が応援してきた如月千早のものであり、私が支えたい、応援したいと思ったアイドル選択として痛いほど苦しいほど納得できます

からといって、彼女が傷つく姿を見るのは何より辛いです

公演が成功だったとは口が裂けてもいえません。

が、それでも私は、「避けるべきリスクを避けずに行われたあげく、結果製品レベルサービス(すなわちちゃんと歌えるソロパート)が提供できなかった」という理由をもってして、「今回の公演はすべて失敗でありあらゆる判断は間違っていた」と結論付ける事は絶対にしたくありません。なのでしません。

これはこの章においてなお理性の1000倍存在する感情判断なので、理性に欠けておりいろんな意味でよくない判断だと思います

それでも私は如月千早舞台に立ったこと、そしてその決断をした背景と意思否定したくありません。

如月千早は観客のことを思い舞台に立ちました。

結果、第三部は互いに傷ついてぼろぼろになりながら何とか最後までたどり着くというかたちになりました。

多くの部分で良くも悪くも感動があり、大きな心の動きがありました。

私はより如月千早を好きになり、応援したいと思い、支えたいと思いました。

でもこんなライブは二度とごめんですし、絶対に繰り返してほしくないですし、繰り返させないようにしたいです。

その上で、がんばった千早とその思いは否定したくないのです。絶対に。

なので私の中でこの公演については例外として扱います。唯一無二の例外です。

これ以外は絶対にもう二度と同じようなことは認めません。というつもりで生きていきます


今井麻美さんについて】

今井麻美さんについても言及します。

目的は3つです

1)今回のような事態リスクの重大さを確認するため

2)今井麻美さんに対するポエムを書きたいか

3)今回のような事態アイマスにおいて防ぐ方法分析のため


今回の件のリスクの重大さを理性的判断するには今井麻美さんにも注目する必要があります

なぜか。今回のような無理をしてリスクを背負うのは如月千早今井麻美さんであり、実存存在今井麻美さんだからです。

今井麻美さんは声優であり歌手です。したがってのど・歌声というのは命と同じぐらい大切なものです。

そこにリスクを負うということが今回行われました。これは大変なことです。

今井麻美さんは如月千早役だけをやっているわけではありません。

歌も歌いますし他のキャラクターにも声を当てます

そしてそれを生業として人生を歩まれています

一個のコンテンツが、ひとつイベントが、その人の人生を左右するようなリスクを背負わせていいのか?

一般的に言えば「コンテンツ側の都合だけで持たせるのは絶対NO」です。


以上が(1)の確認です。アイマスを長く続けるためにはコンテンツ全体でこういった事態を招かないような仕組みを保持し、信頼を獲得する必要があるようにも思います


さて、リスク確認できたところで(2)のポエムを挟みます

確認したようにリスクを負うのは今井麻美さんです。

このことから今回の件については、今井麻美さん自身も少なくない割合で「如月千早舞台に立たせる」という判断をとったのではないかという推察が出来ます

リスクを負う本人の意思はまったく考慮されず、ライブ制作側(バンダイナムコから強要だけで強行ということは考えにくいからです。

あくまで推察であり、経緯の詳細が判明することはありませんが、少なくとも今井麻美さんの判断0で決まったということはないでしょう。(そんなことしてくるような極悪人集団と10年以上辛酸をなめながら同じコンテンツを作るなんて到底無理です。)

これは逆も言えることで、演者が無理を押して出たいといっても主催側がOKを出さなくては舞台が始まらないはずです。

主催側にはいろんな事情がありそうです。

1つ前の公演の終了が会場時間の1時間半前ということも考えると、主催側としても公演の中止や内容変更についてかなり厳しい状態判断する必要があったであろう子とも想像できます


では、今井麻美さんは何を思いあの舞台如月千早を送り出したのでしょう?(ポエム開始)

今井麻美さんにとって如月千早が大切で特別存在であるということは随所のインタビューコメントなどで知ることが出来ます

今回はその如月千早MR公演の初回であり、現実世界における初めての舞台でした。

私はおそらく世界で一番如月千早のことを思う今井麻美さん自身が、少なからず今回の公演を予定通り実施することにこだわった可能性はあるのではないかと思っています

千早を最もよく理解し、千早とともに悩み、歩き、喜びと苦しみを分かち合ってきた今井麻美さんだからこそ、ゆずれないものがあったはずです。

自分負担とか不利益とかそういったことを超えて、如月千早にとっても、今井麻美さん自身としても、逃したくないもの、失いたくないもののために、今この時をどうしてもゆずることができない。

そういった感情があったのではないでしょうか。

如月千早絶対にやりきるはずだ。やりきってみせる。彼女の志を、積み重ねを嘘にしないために。

そういった思いがあったのではないでしょうか。

そういう妄想です。


(3)について。

ポエムでもちょっと触れましたが無茶をする背景には演者舞台主催側両方の都合があるはずということです。

ではどっちかを説得できれば今回の事態は避けられるということで、そこにヒントがありそうです。


ポエミーおおめの前置きが長くなりましたが、私としては

といった意見です。


上記を踏まえ取り組んでいくとよさそうなことを考えてみました。


・本件の神格化美談化を防ぎ「好ましいモデル」になることを防ぐ

最近ではもう前時代的な感覚になってきていると思いますが、スポーツ競技特に若年層の部活動などでは怪我や不調を押してチームに貢献しようと試合に出たりそれで結果を残したりする選手が居ると、美談化され感動物語としてもてはやす風潮がかつて見られることがありました。

これは結構危険です。

「その選手自分意思でやってんだからいいやろ!」というのが有りますがそういう問題だけではないです。

どちらかと言うとその選手の周り、コミニティ価値観が作る空気のほうが問題になってくると考えます


ミニティの中で上記のような行動がもてはやされていると少なからずそれを強制する力が働き、場合によっては逃げられなくなります

チームの柱、そいつが居ないとどうしても戦えないような試合エース限界を超えて延長戦永遠に出場し続ける。

そうするとほめられる風潮がそれを後押ししている可能性は大いにあります

そして一番厄介なのがその風潮のせいで「そうしないといけないのでは?」「そうしなかったら私は薄情ものになるのでは?」と言う気持ち選手に抱かせる可能性があるということです。

「みとめてやらなくちゃいけないのでは?」「こいつの意思を踏みにじるだめな大人なのでは?」という迷いを監督指導者に抱かせる可能性があるということです。


関係ない話に見えますが構図は似ているように私は感じます

アイマス元祖である765ASの歌姫、蒼の系譜如月千早が行った今回の公演が美談化され神格化されたとしましょう。

そんな中、ほかのアイマスアイドル演者達が似たような窮地に立たされたとしたら。

演者は何を思うでしょうか。現場は何を思うでしょうか。


防ぐ必要があります

今回の事はあってはならぬこと、深く反省し戒めるべきことだとコンテンツ消費者側が認識していることを表明する必要があります

皆さんお気づきの通り私はこれを行うことが出来ません。

私は先ほど自分勝手な感情論で「今回の公演を絶対否定しない」と決めたからです。

ですので皆さんが私の代わりに、今回のような体調不良を押して、後に影響が残るかもしれない健康身体リスク演者に背負わせる公演はダメ!ということをコミニティ共通認識にしてください。

プロデューサー達はアイドル健康について大変関心が高く、無理をすることを好まない」

これは予防としては大変効果的だと考えます

私はその動きに参加も貢献も出来ませんが、邪魔絶対しません。


アンケートで体調を押しての出演はやってくれるなと伝える

意思決定機関の内の一方、舞台主催であるアイマス制作陣営に「消費者演者の体調が優れない場合は、公演強行よりも中止や代打演出変更での対応を高く評価する」といった認識を伝えるということです。

これが最も直接的で効果的だと思います。そしてそれ以外ほとんど手がないようにも思えます

どうやったって当日現場でまさに今判断とき!となっているところに私達は口を挟めないです。

ですので、中止や代打演目変更が妥当で最善だと判断させるための材料を事前に送っておくしかないでしょう。

私は、今回のMRアンケートにはかなり強めに複数個所「今後はもう絶対にやめてほしい」と意見を書きました。

これは私にとって直接第三部公演を否定しない行為だったので何とか実施できました。


最後

5/17の深夜(正確には針はてっぺんを越えているのでもう5/18です)、果たして明日の公演はどうなるのか。

複雑な思いを抱えながらこの記事をアップしています


はじめはネットに散らばる色々なプロデューサーの記録を拝見することで感情を整理しようと考えました。

色々な意見見方、捉え方が有り、千早へのアイマスへの愛がありました。

そして多くの方の思いに触発され、私はよりいっそう色々と考える結果になりました。

そんな中、自分感情を整理するために怪文書をしたためたわけですが、いまだに様々な感情の渦が心をめぐり、落ち着きません。


結局、元気に力強く歌を歌う千早に再び出会うことでしか整理できない何かを感じているのかもしれません。

彼女の窮地に手を差し伸べることが出来ず、逆に彼女に救いを求めているというなんとも情けない状況です。


情けなくても何でもいいので私は心から如月千早に元気になってもらいたいです。

如月千早回復と復活を祈ります

今井麻美さんの回復と復活を願います

今後も如月千早応援し続けます


健やかに歌う如月千早が帰ってくるよう祈り続けます




2018/05/18追記

2018/05/18に開催された千早主演公演に参加してきました。

結果、彼女はこの日の公演をすべて歌いきってくれました。

参加した1部、2部公演の感想レポートにまとめました → https://anond.hatelabo.jp/20180518235241

2018/05/12 アイドルマスターMR 千早主演公演第3部に参加して  その2/3

https://anond.hatelabo.jp/20180518014142 の続きです。

長すぎて途中で切れたので、そこから再開しま

記事全体の内容

2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSICGROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。


レポート感想というよりは感情吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います


※注意※

・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。

基本的自分千早観丸出しなの独善的解釈を多く含みます


構成

●公演の概要

感情の整理。

●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。


感情の整理。“プロデューサー”として

MC後半からユニットパート

MC後半は色々とMRイベントとしての演出が光っておりとても魅力的でした。

最後に歌うソロ曲に向けて何か励ましがほしいという千早が、プロデューサー座席指名して一言もらうシーンはとても千早的な受け答えでよかったです。

私はあの場面で千早への愛を叫んでくれたGの15番さんに敬意を表したいです。

MC前半のひりついた緊張感と重苦しい不安を含んだ空気(進んで味わいたいとは決して思えない空気です)は、ひとえに会場に居る人たちの千早への愛と思いの大きさゆえに発生したとも感じていて、その愛自体尊いものだと考えています

Gの15番さんの言葉に、私はその理解は間違ってないのかもと感じています

千早は「そういうのは今言うことではない」と一蹴しましたが、そんな彼女らしい回答は私を安堵させ、言葉のとげとげしさとは裏腹に心を暖かくしてくれました。


MCパートはところどころまだ千早が現状に納得できず申し訳なく思っていることに触れつつも、私達のよく知る千早らしい会話をしてくれたのでいくらかほっとしました。

心配は拭い去れなくとも、何とかライブをやりきろう、やりきる千早応援しようと言う感覚を少しずつ得られてきていたと覚えています


また、これは千早公演共通演出だったようですが、プロデューサーからリクエストをもらった曲を一節アカペラで歌ってくれるシーンがMCにありました。

3部公演では声の調子が悪いかボイスレッスン?で確認したいといったような文脈だったと思います

正直ひやひやだったのですが、ここではかなり安定感を取り戻したしっかりした歌声を聴かせてくれました。

それでも最後の曲が「眠り姫」だとしっている今、心中穏やかなプロデューサーはいなかったのではないかと思います


この辺から時系列がいよいよあやふやなのですが、千早は仕切りに自分パフォーマンスが不十分なことで、今日来てくれた人たちの期待を裏切ってしまったのではないか、満足してもらえていないのではないか、ということを話していたと思います

この言葉をきいて、私はやはり千早自分の強い意思で、不調ながらも舞台に立とうとしたのではないかと考えるようになりました。

たぶん彼女自身体調不良のせいで中止にしたり、ソロパートをなくしたりと言うことが一番期待を裏切ることで、それだけはしたくないと思っていたのではないかと、今改めて思います

そういうところをゆずることが出来ない、彼女の頑なさは皆さん知っての通りで、そこが彼女の魅力でもあります


最後の曲を歌うとき衣装を選ぶというイベントもあって、「オーロラディーヴァ」かビキニかの2択をプロデューサーにきいて決めるというものでした。

さすがにこの流れでビキニは着せられないと皆が思っている中、「おなかを冷やすのはよくない」というとても暖かく、やさしさのこもった声を上げてくれたプロデューサーのおかげで、無事千早オーロラディーヴァを着ることになりました。

私はこのプロデューサーにも勝手にとてつもなく感謝していて、千早の体を気遣う言葉をしっかりと彼女に伝えてくれたことは、この公演でとても重要なことだったと思っています

千早はとにかくパフォーマンスが期待を裏切っているのではと気にしていました。

そのことに引け目を感じていたようですが、それはそれとしても、あなた自身が何より大切なのだ、ということが千早の体を気遣う言葉から、ほんの少しでも伝わったのではないかと思っています

からこそ「おなかを冷やすのはよくない」と言う言葉の優しさが貴重だったと思うのです。

千早は頑固なので自分が満足いく歌を歌えないことには結局悔しさをもつしょうが、それはリベンジの機会を一緒に作ることでも克服できるはずです。

私は千早を大切にする言葉ちゃんと伝えてくれたプロデューサー尊敬しています

短絡的な私にはかなわなかったことです。


ちなみにオーロラディーヴァは私がステラステージでずっと千早に着させていた衣装だったので目頭が熱くなりました。

千早が「好きな衣装を選んでいいと言われて選んだ」といっていたので余計に涙腺に来ました。

でもたぶんみんな着せてると思います。とても似合うので。


最後に、ラスト一曲どうなるか分からないけど何とかやってみるといった趣旨のこと(ディティールがぜんぜん思い出せません。まったく違うこと言ってたかも)を話しつつ、後半のユニットパートへと移行して、千早は一時退場しました。

その声にはまだ不安が感じられました。もちろん私の胸の中にも不安はありました。


豪華なラインナップのユニットパート

後半のユニットパート所謂全体曲的なチョイスになっていて非常に豪華でした。

千早のためにも、このパートはめいいっぱい楽しんでやる!と思っていました。

どうしたって千早心配する気持ちはずっと有りましたが、それでも私をわくわくさせて、楽しませてくれる曲がたくさん聴けました。

765ASのアイドル達が1人残らず魅力的だったおかげです。

本当にすばらしいアイドルたちです。私は勝手彼女達が千早の窮地を助けてくれたと思っています

私が心から愛する曲であるMUSIC♪が聴けたことは本当にうれしかったです。

音楽に壁はないのです。


最後ソロ曲「眠り姫」

いよいよです。

arcadia」のところではぜんぜん触れませんでしたが(正直見ている余裕がなかった)ソロ曲リアル人間ダンサーさんとアイドルコラボレーションがあり、「眠り姫」にいたっては千早リアル物理椅子に座るという演出がありました。

大変挑戦的かつドラマティックな演出可能ならもう一度意識がはっきりした状態で拝見したいです。


この曲の間は、ただただ千早が歌いきることを祈るだけでした。

なにも出来ませんでした。私はただ祈るだけでした。

千早歌声は「arcadia」の時点よりは安定していましたが、やはり苦しいものでした。

ところどころかすれながら、それでもあきらめず、何とか最後まで。

最後の超高音部分はアドリブで音を下げて(楽典など納めてないので詳しくは分かりませんが低音に向かって解決するように最後の3音を調整?)して対応していました。

私はその対応力に(音響監督などと打ち合わせしていたのかもしれませんが)感動し、安心しました。

おそらく千早自身が一番納得していないということは分かりつつも、何とか最後まで歌って終われたことに安堵し、拍手を送ることしか出来ませんでした。

今日歌ったことがどう影響を残すか。

もはや避けがたい不安を抱えながらも、今日をやりきった千早必死拍手を送りました。


「眠り姫」を終えて

最後千早挨拶で閉幕でした。

最後まで千早自分パフォーマンスが訪れた人たちの期待を裏切ってしまったのではということを気にしていました。

今日来てくれた人はこんな結果になって怒っていないだろうか」という彼女言葉には、なきそうになりました。

彼女最後まで如月千早に会い来た人たちのことを思っていました。


彼女最後に、次の機会がもらえるなら今度は必ず満足できるものをみせるという約束をしてくれました。

これはおそらく18日や27日に残っている公演の事も含みつつ、もっと先のことをさしていたのではないかと今は思います

たぶん千早は今回の開催機関の中では今日しか会いに来ることのできない人たち、今日如月千早に会うことを、彼女の歌を楽しみにやってきた人たちのことを思っていたのだろうと思います

からこそ彼女には悔しさが残ったと思います


彼女最後に残した「約束」をかなえることができる舞台を、必ず実現させなくてはならないと強く思います

彼女が私達にしてくれた、彼女彼女自身にむけて結んだ約束を果たす機会を必ず。


反省会

友人と一緒に訪れていた私はその後、食事がてら上記の思いについて聴いてもらったりしました。

忍耐強い友人は私が一方的に話し続けるのをうなづきながら聴いてくれました。

その当時話したことと内容がだいぶずれている気もします。

こういうのははやくまとめたほうがいいのかもしれません。

このときの私は、「最初はとめたかったけど途中から自身を賭して歌う千早応援することにしたのだ」といったことを話し、自分感情にも整理が付いたと思っていましたが、ぶり返して今こんな怪文書を書いています


今回、如月千早はのどに不調を抱えたまま無理に舞台に立ち、歌いました。

未来のある、大切な身を削って歌いました。

彼女が一番好きなこと、歌うこと、それを賭して。

第1部,第2部では本調子ではないにせよ、ちゃんとした舞台にはなっていたと伺っています

ただ第3部はそうはならなかった。本格的にもう歌えないというところまできていた。

そんな状態で歌を歌う。あってはならぬことです。取り返しの付かないことになるかもしれない。

体調不良を分かっていながら歌うことを強いることな言語道断、たとえ彼女が望んだとしても、強引にでも止めなくてはならなかったでしょう。


それでもなお、私はこの公演をやりきった千早をほめてやりたい。

「よくやった」、「がんばったな」、「立派だったぞ」、「絶対リベンジしような」そんな言葉をかけてやりたい。

彼女を待つ人のために、会いに来てくれた人たちのために、身を削った彼女をたたえてやりたい。

そんな彼女の優しさと誇りと覚悟ありがとうといってやりたい。

最後には声もかれながら、それでも最後までやりきった彼女をほめてやりたい。


「もう絶対無理は許さないし、させないからな」と約束したい。

「無茶させてごめんな」と謝りたい。


●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。

注意:ここから先は今井麻美さんについても必要場合言及いたします。


とにかく今回の公演は事件でした。とんでもない公演でした。

千早のこと、アイドルのこと、色々と考えさせる公演だったと思います

今回の出来事を踏まえつつ、今後のアイマス如月千早のために私がやっておいたほうが良い事はなんだろう。

具体的に出来ることは何か有るだろうか。ということを少し考えてみました。


ただしここでも理性は感情の1/1000程度しか機能していません。

したがって「やっておいたほうがいいこと」の内容についても、その実現のための方法についても私の独善的感情がだいぶ入っています

ここで言う理性というのはあくまMR世界から一歩離れて、現実世界アイマスというコンテンツと向き合うぐらいの意味合いだと読み返していて感じます


【実現したいこと】

1.如月千早約束をかなえる⇒リベンジMR公演を実現させる

2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ



1.如月千早約束をかなえる⇒リベンジMR公演を実現させる

まずなぜこれを実現したいかですが、話は単純で約束からです。

何の憂いもない万全の状態で挑む彼女の全力のライブを観たいからです。


如月千早が結んでくれた約束を果たすために私達にできることはなんでしょう?

目指すところは単純で、MRの公演機会をたくさん作るということだと思います

今のところ如月千早がああいった形で私達に会えるのはMR劇場しかないので、これしか手はありません。


そうなると具体的手段で、貢献・実行できそうなのは下記ぐらいかなと考えます


2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ

長すぎて途切れたのでその3に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20180518015238

2018-05-17

男が男で抜くのが当たり前になる

今でも男の娘もの漫画AVが一ジャンルとして確立しているが、Vtuber用に完全な女声ボイスチェンジャーが開発されたらポルノコンテンツに流用されるのは想像に難くない。

女性3Dアバターを用いた男だけのアダルトライブチャットも楽しそうだが、VR空間でのTSJKレズ乱交ロールプレイングは間違いなく隆盛する。

中身が男の方が心理的安心してセクハラできるので寧ろ女性は煙たがれるか、あるいはその空間では実際の性の垣根が曖昧になるだろう。

まあよくよく考えたら男性作家エロ漫画で散々抜いてきたわけで、創作者や演者の中身自体は抜くにあたってどうでもいいのだろう。大切なのは刺激である新しい時代カモン。

2018-05-16

ゆりしぃ引退感情の一部を見つけたオタクの話

よぉオタク、よく来たな。

え?何で読み手オタク呼ばわりするのかって?

そりゃタイトルオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは

いかなる理由があってもオタクだろうさ。

.

さて、attention!

そう、pixivlogかによくあるあれだ。オタクよろしく頼む

.

・このエントリにはガルライブ5thの両日ネタバレが含まれます

オタク独りよがり解釈が含まれます

オタク独白がメインです

・例え話がアニメネタで、ネタバレを食らうかもしれません

・流れでラブライブの話もしま

・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)

・なんでも大丈夫な方のみどうぞ

・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。




さて、それでは話を始めます

.

私は昔から感情の薄い人間でした。

はいっても感情が無かったわけではありません。

悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。

ただ、小学校低学年を過ぎてから、泣かなくなりました。

CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。

ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。

オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で

定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています

.

さて、そんな私の過去ですが、物心いたこから捻たタイプ百合厨でした。

わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、

それ以前の私は女子プロレスキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、

嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。

.

一方で成績も悪くなく、本が好きデブとしてオタクの例に漏れインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます

バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、

演奏技術として課されるノルマ相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。

感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく

――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツレベル推し測ることができるものです――

ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。

まぁそれは今も変わってないのですが。

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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――

大学受験に失敗し、ラブライブ出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタク大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。

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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれオタクは、project DIVAにのめり込みます

extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易スクフェスに手を出します。

浪人期の私にとって、スクフェス勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ二次創作無限供給される百合

オタクオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステサービス開始一年前とかの話です。

オタクラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。

曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。

アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望共感することができたのです。

このときオタクは思い出していました。

自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。

理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズNG披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。

そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。

ストーリー死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、

どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんオタクになります

普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。

そして何気なく見てたyoutubeで、オタクラブライブライブ映像を目にします。

始めは何気なしにアニメライブか、程度で見ていたのですが、オタク気づきます中の人マジでパフォーマンスしていることに。

ラブライブアニソンの例に漏れ歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンス再現しています

このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブオタクになりました。

しかし時は5thライブ直前、ラブライブオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。

アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます

結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、

それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります

そうして、初めてコンテンツ興隆寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。

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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。

あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。

プリパラ3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。

とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。

二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、

他人からホントヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。

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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります

大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、

奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。

オタク音楽趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、

大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推し奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaめっちゃ好きです。

Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話から再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります

dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメ最終話主人公覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。

とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。

ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。

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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス

片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、

この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます

それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈リサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoselia精神的支柱だという気付きを得ます

そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。

引退。よくあることですね。ラブライブオタクとしてμ'sの実質的引退経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、

Roseliaメンバー中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタクFGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。

このオタクホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。

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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きますガルライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?

ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。

もともと田舎出身貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtube公式が上げている

映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。

ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVRoselia」くらいの認識だったと思います

許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。

その週、気の利くラッキーボーイGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属Roselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。

これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。

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GiGSに載ってたのはRoselia中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります

全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年

かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります

Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。

そして見せてもらった1stライブ中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。

そしてゆりしぃリサでした。まごうことな今井リサでした。ツッコムトークを回すわリサゆきだわでオタクRoselia中の人たちにもメロメロでした。

キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaメロメロオタクにはあまり関係ありません。

というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。

こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。

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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライト演出とかほんま神だったしポピパの中の人新曲への熱意が凄かったしでオタク普通に楽しんでいました。

ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。

ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。

そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンスライブとしてのラブライブちゃんと終わらせてなかった、

ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、

幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、

それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。

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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。

何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています

Bメロでもうダメでした。

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声となって

表情となって

導いてくれる

やさしい人よ

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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。

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二番に入り、

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離れていても 帰る場所がある

どんな時でも 傍にいてくれた

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Aメロリサであるゆりしぃことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。

たとえRoseliaパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、

Roseliaメンバーにとって、ゆりしぃリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。

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太陽となって

月となって

照らしてく

つよい人よ

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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。

Roseliaベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、

これからRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。

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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます

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ます魔法のように 囁いたの

あなたがいれば、怖くないよ」

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名前を呼ぶ声

こんなにも特別な事だと

想い あふれてゆく

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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。

これからいなくなってしまゆりしぃが呼んでいた誰かの名前Roseliaメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別ものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。

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最後は、全てのファンメンバーからリサへの、ゆりしぃへの「感謝を…」

カーマインの海の波間で、たくさんの感情や思いが奔流となって

2018-05-15

anond:20180515102228

長く続いてるシリーズ場合単に演者が歳取っただけで設定や役の精神上おばさんってわけでもないケースも多いような

2018-05-13

俺はそういうアイドル推したかったわけじゃない

2016年末にリリースされた「二人セゾン」は、アイドル素人の俺の絶妙な隙間に入り込んできた。

ストリングスの効いた美メロ4つ打ち制服姿のアイドルたちのコンテンポラリーダンスフォーメーション湾岸都市の無機質さに対比する彼女たちの笑顔

それまで持ってきたアイドルへのステレオタイプが崩れていった。

俺の彼女らへの感動がピークに達したのは不協和音カップリングエキセントリック」のMVを観た時だった。

普通/エキセントリック の対比に苦悩する主人公を謳う内容の楽曲

「僕は普通と思ってる みんなこそ変わり者だ」のタイミング彼女らのダンスは紛れもなく「エキセントリック集合体」を表現し、結局主人公や周りの人間らは見方によって普通にもエキセントリックにもなれてしまうという非常にシニカルな内容になっていた。

ここまでシリアスな内容を表現できる1020代女の子がいることにただただ脱帽する限りだった。

そしてバラエティに出演すれば素朴な笑顔ややりとりを繰り返のがまた彼女らの魅力だった。

しか2017年末の紅白出演から、俺の中で何かが変わっていった。

共演する内村光良が真顔で心配するほど平手友梨奈限界を過ぎたパフォーマンス、終演直後の一部メンバーが倒れたことは切実な他のメンバーの切実な表情を切り取った写真とともに速報された。

限界ギリギリで頑張っている少女性、俗な言い方をするならスポ根的な、そういう少女たちのアティチュード。

これは確かにアイドルにおいてとても話題になるし、アイドルを推す側にとっても「あの子たちが頑張っているから推せる」というモチベーションに一番つながる。

ただ紅白でのそれは正直限界というか、度を過ぎていた。

自身が多少ならずともパフォーマンスする側に立っていた人間からそそう思うのかもしれないが、演者舞台上で倒れるなどあってはならない。

そして運営からはいくらかのお知らせがあり、一部のメンバーからブログインタビューで「もう大丈夫です」といった内容の告知があり、この件は収束した。

収束した、ようにさせているようにしか見えなかったが。

2月に初めて全握に参加した。

昼ごろのミニライブ終了後、屋外に3時間待機してレーンのメンバーふたりに対して計6-7秒程度の握手

わかったのは想像以上に画面で見る本人らより実物はとてもかわいかったし、きれいだった。

ただそれ以上のことは特に感じられず、メンバーらを見世物のように感じてしまい、もう全握には行けないような気がした。

あの場に行って感じたが、いろんなものが過密化していて、それでいて握手して直接会っているにも関わらず結局メンバーとなにかコミュニケーションがとれているというわけでもない。

夥しい数の観客がいるのに、この中の一体何人が本当にメンバーコミュニケーションがとれたのかと思うと、ひどく虚しい環境のように感じられた。

そしてまた俺自身のそういう過熱しすぎた環境に加担してしまっているとかと思うと、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

その帰路で、たまたま日向かいの会場で行われていたももクロの有安卒業ライブ待機列との熱量を、どこか羨ましく思う自分がいた。

今年は平手友梨奈不在のライブが続いた。

そしてほか数人のメンバー欠席のままワンマンライブフェスへの出演。

その度に聞こえてくる「不在のメンバーがいても素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられている!」という賛美の声。

そうだけどさ、そうじゃないんだよ。

全員選抜でずっとシングルリリースしてきて、21人でずっとやってきたんじゃん。

それでてメンバー足りなくてもすごいって、休んでる方も出てる方もどんな気持ちなんだよ。

それでも色んな意味での「運営」は滞りなく続いていくの、本当になんなんだよ。

俺はそういうアイドル推したいんじゃないんだよ。

21人がちゃん健康活動を頑張っている姿が好きだったんだよ。

それこそ二人セゾンのあの笑顔が見たいんだよ。

アイドル推すのってこんなに大変なことだって知らなかったよ。

2018-05-11

anond:20180511001757

演者テーマ的に完全にTPOを外してはいないというか、まあ出てきてもちょっとやりすぎと思う程度かな。アニメトゥーンシェードにおいて肌の質感って常に拘り所ではあるので面積広くしちゃう気持ちは分かる。だったら上半身裸の男でもいいじゃんという見解は受け入れるけど。

歪んだ欲望とまで言われるとそれは違うんじゃないかなあと思う。「じゃあお前の歪んでない欲望を見せてみろ」って返しちゃう気持ちは分かる。

2018-05-04

1+1+1は2だと思う

Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」

 わたしたちコメダ珈琲新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。

ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的ものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカルインコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義記号化してるんだよね」

 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。

 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたし彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれている、狂人の「風采堂々たる好男子で……常に万巻の読書疲れたような憂わしげな顔をしている」という描写を思い出す。

「ひとの顔をじっとみないでよ。たいぼくちゃん、繊細そうにみえて、そういうところ図太いよね」

 いとうは愁眉を寄せた。

「――お待たせ」

 倫理わたしたちに声をかける。黒のカットソーで、シースルーレースが首周りから両腕を覆う洒落た服だ。それを着こなすだけの顔立ちをしていた。アップにした髪型が、服と調和している。彼女ほど顔立ちが整っていると、髪はまとめた方が素の魅力を出せていいのだろう。

 倫理をみると、ときどき冷たくて薄い靄のような感情かられる。

「遅い」

「ごめん。バルトで『ラブレス』みてた」

セックスするとネコミミのとれるマンガ? 女子ゼロいいよね」

 わたしがいうと、倫理は苦笑した。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作。失踪した息子を探す離婚協定中の両親のはなし。郊外舞台なんだけど、途中から延々と廃墟の場面になって、それがいいんだ」

証券って忙しい?」

 いとうが尋ねる。遅刻への当てこすりではなく、ただ気になっただけだろう。

営業そうかもしれないけど、ディーリングは定休が決まってるからそうでもないよ。うちは外資リテール部門がないしね」

 待っているあいだ、何をはなしていたか尋ねられる。いとうが説明すると、倫理は笑った。

「たしかにダナ・ハラウェイのサイボーグフェミニズムはそういう論旨だね。ただそこまでいくと、むしろチャンの『顔の美醜について』みたいに、みる側の感情操作する方が自然な気もするな。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の〈情調オルガン〉みたいにね」

 倫理はいとうのはなしをすぐ理解して、気の利いた返しをした。そのことに体内が熱くなるような感覚をおぼえた。

 店を出て、新宿御苑沿いに新宿駅に向けて歩く。二人が話しているため、わたしはその後ろをついていく形になった。他意はないとわかっていても疎外感をおぼえる。

「でも、Vtuberアンドロイドでもただのキャラクターでもないでしょ。だからナマモノと同じようにあつかわなきゃいけないわけだし」

 そう口を挟む。いとうは歩きつつふり向いた。

カントは『純粋理性批判』で対象物自体として存在していて、人間はそれを超越論的主観性において認識するのみだといった。で、ハイデガーは『存在と時間』で、そうした直観主観性にすぎないと批判して、現象学でもって実存存在者を存在させると定義しなおした。存在論的にいえば、ヴァーチャルYouTuberという架空人格存在する、あるいは存在しないというどちらの立場も幼稚すぎる。他人人格ですら、無条件に存在するとはいえないんだから。まあ、未成熟なひとは自分理想像を押しつけることで、他人人格所与のものとしてあつかうけどね。そういうひとが勝手に本人を代弁して、ナマモノダメだとか言いだすわけ」

常識範疇なら、そういう代弁もいいと思うけどね。二次エロとか。ただ本人がナマモノを解禁してるのに頑なにナマモノ禁止するひととかは、そういう主観論に陥ってるんだろうね」

「だからVtuberについていえば、Vtuberとしてした百合営業に〈中の人〉が触発されて、それがまたVtuberとしての百合営業につながるというような、循環的な重層性があるわけじゃない。実在非実在二元論じゃないでしょ。ウンベルト・エーコの『ヌメロ・ゼロ』もそういうことを主題にしてるわけでしょ? 『存在と時間』では記号をただ指示するものでなく、それ自体がもろもろの記号構造を暗示するものとしているけどね。でも、常識範疇ってなに?」

 いとうは苛立たしげに髪を掻いた。

Vtuber自然人としてあつかうとして、どうして身体属人性を与える方向にいくかなぁ……、それなら自然人の身体人格とは別個のものとする方向にいくべきでしょ。天与のものである身体人格と同一視して自然権を認めるのは、明らかに不合理じゃん。だからグレゴリーマンキューも皮肉で〈身長税〉を提唱したりするわけでしょ。……、え? マンキューくらい専門外でも知っておきなよ」

 議論めいてきて、倫理の口調も熱をおびてきた。自然わたしは無言になる。

そもそもVtuber著作物と見なした方が簡単じゃない? 〈中の人〉はVtuber演者としての著作隣接権もつわけ。二次エロには著作隣接権著作人格権に準用して対応すればいい」

「ちがうね。マッピングで体をリアルタイムに同期させてるVtuberはVRよりARの方が近い。もちろんARみたいに空間認知人格投射するわけじゃないけど、運動感覚でも同じことがいえるでしょ」

身体人格から分離するのが進歩的なのはわかったけど、テクノオプティミズムすぎるよ。こんなことをいうと、イーガンSFに出てくる保守主義者みたいかな。けど一般論として、エロが一部のひとに不快感を与えるのは事実でしょ? 前から思ってたけど、自分に関わることだとすぐ感情的になるくせに、他人には正論を押しつけるよね」

自分に関わることな感情的になるのは当りまえじゃない? 正論を曲げる理由はないよ。倫理こそ、他人配慮してるようだけど、等しく他人を見下してるだけでしょ? あと、テクノオプティミストでけっこう。わたし原発推進派だし」

 感情露出して落ちついたのか、いとうは息を吐いた。

倫理のいうこともわかるよ。でも、制作者の意見もないのに他人規制しようとするのはただの自治厨だと思うな。そういうファンは決まって創作をしない側だよね。創作ができないから、その代わりに自分ルールを考えて、それをコミュニティ強制しようとすることで存在を主張しようとするんだ。まあ、そういうファンはどこのコミュニティにもいるから、無視する以上のことはできないんだけどね」

 いいながら、いとうは自分言葉でふたたびイライラしてきたようだった。いとうは神経過敏だ。紙やすりのようだと思う。

 いとうが自家中毒めいて、自分言葉で気分を荒立てているのを察したらしく、倫理は優しくいった。

自分他人のあつかいに差があるのは当然だけど、いとうの場合、それが甚だしいってことをいったつもりだったんだけどな。あんたみたいなディスコミュニケーション女にもわかるようにいってあげると、誰もがあんたみたいにコテハン擬人化されて喜ぶ人間ばかりじゃないってことだよ」

「なるほど…」

「あ。いまのでわかるんだ」

「いとうの見方個人主義的すぎるよ。後期ヴィトゲンシュタイン言語ゲームも、そういう分析哲学に対する批判としてあるわけでしょ?」

 それから、しばらく誰も話さなかった。黙々と歩く。倫理雰囲気を変えるようにいった。

「そういえば、たいぼくってウケるんだよ。前に泊まりにいったとき料理をつくったんだけどね。カレーにするつもりで牛筋を煮込んでおいておいたら、朝にたいぼくがコンソメスープだと思って飲んでたんだよ」

 いとうは爆笑した。

「たいぼくって本当に生活力ないよねー」

 倫理に囃す。「それにしても、あんマメだよね。よっ、家父長制」

 倫理は本気で不快そうな顔をしたが、いとうは気づかなかった。

都庁って変なデザインだよね。すくなくとも都の庁舎じゃないでしょ」

 遠景に都庁みえて、なんとなくいう。

「いや、あれは自生する秩序の象徴から都市役所としてふさわしい建築だよ。エッフェル塔と同じ」

 わたしが疑問に思っていると、倫理解説した。

ロラン・バルトの『エッフェル塔』だよ。『あらゆる時代、あらゆる映像、あらゆる意味に通じる純粋表徴であり、拘束のない隠喩』ってね。具体的にどういうことかは、ルイ・マルの『地下鉄のザジ』をみればいいよ。『地下鉄のザジ』ではエッフェル塔の内外から鉄塔の無機質な幾何学模様が無限に顔をもつところが撮影されているから。『地下鉄のザジ』の原作者が『文体練習』のレーモン・クノーっていえば、わかりやすいかな」

 なんとなくおもしろくなく黙っていると、いとうがいった。

「でも、そういう意味をもたないことを意図した無機質なデザインなのに、結果として都市ランドマークになってるのは皮肉だよね。そうそう、ケヴィン・リンチは『都市イメージ』で都市認知地図における主体を〈パス〉、〈エッジ〉、〈ディストリクト〉、〈ノード〉、〈ランドマーク〉の五つに分類したけど、これはプロファイリングのGCT犯罪地理探索モデル)に利用されているんだよ。〈犯人の標的捜索行動は居住地から離れるにつれて犯行に及ぶ確率が単調減少する〉、〈居住地の近隣に犯行の行われない地域存在する〉、という二つの仮説のもとで距離独立変数とする距離減衰関数を導出するんだ。もちろん、それだとただ犯行地点の二次元的な分布の平均を求めるだけだから、ここに認知地図を当てはめるわけ。たとえばエッジに近づくと距離が縮小するとかね。平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』は、これを種本にしているんだよ」

 往来でプロファイリング平山夢明について語るいとうは完全に異常者だった。

「そういう自生する秩序の象徴をもそのうちに組みこむのが、自生する秩序なんじゃないの?」

 倫理皮肉げにいった。

そもそも新宿のもの意味をもたない記号都市なんだよ。大政奉還前は飯盛女のいる宿場戦前遊郭戦後闇市復興期は赤線地帯。七一年京王プラザ建設を皮切りに七〇年代高層ビル建設されて、九一年都庁移転するまで、ここは周縁だったんだよ。都庁にふさわしい場所でしょ? ちなみに、いわゆる〈新宿二丁目〉は二丁目の北側だけで、二丁目と三丁目は御苑大通りで隔てられてて、歩行者天国地下道もそこで途切れている。で、ご存じのとおり二丁目は都市から外れて住宅街モザイクになってる。つまり、二丁目は周縁の周縁ってわけ」

 そこまでいって、倫理は表情に翳を落とした。

「まあ、これは殊能将之が『キマイラの新しい城』で六本木についていったことを、新宿転用しただけなんだけどね。〈キマイラの新しい城〉っていうのは復元された古城と同時に、六本木ヒルズのことも指してるんだ」

「いいじゃん。ロラン・バルトによれば日本のものが『記号帝国』らしいし」

殊能将之って『波よ聞いてくれ』に引用されてたよね」

 倫理は頷いた。

「『黒い仏』だね。柔むげさんがさ、いつか『殊能将之読書日記』に感動してたじゃん。わたしはそれがわかるんだよね」

 歩きながら、倫理Kindleの端末を開いた。

「『殊能将之読書日記』ではフリッツ・ライバー長編への見方が顕著かな。殊能将之は〈ほとんどエロゲーの世界〉とか腐しながら読んでいるんだけどね……。その皮肉さがわかりやすいのが『A Spectre Is Haunting Texas』だよ。殊能将之は『幽霊テキサスに取り憑く』と訳しているけどね。月周回軌道ステーションまれ主人公が、第三次世界大戦後のアメリカにきたら〈テキサス国〉になってたってはなし。日本でいうと〈「第3次世界戦後大阪日本支配するようになった時代大阪人は全員きんきらきんの漫才師ルックで、『なんでやねん』『そんなアホな』などとしゃべっている」みたいな設定〉ってこと。テキサス国の首都テキサステキサスダラスで、街にはケネディ暗殺を記念した黄金モニュメントが建ってるの。教科書倉庫の窓から突きだす銃身とオープンカーのシャーシのやつ。で、テキサス国の政権交代大統領暗殺でおこなうのが慣例なの。爆笑じゃない? で、まあギャグ小説なんだけど〈A nation nurtured on cowboy tales and the illusion of eternal righteousness perpetual victory. カウボーイ神話永遠に正しくつねに勝利しつづけるという幻想に養われた国。〉とか書いてあって、痛烈にアメリカ批判しているわけ。だからアメリカでは出版できなくて、タイトルだけイギリス英語の〈spectre〉の綴りになってるんだけどね。ちなみに日記には追記があって、このタイトルは『共産党宣言』の〈ヨーロッパ共産主義という亡霊が徘徊している〉のパロディだと教えられたからってタイトルの仮訳を訂正してるんだけどね。教えたのは中村融なんだけど」

 倫理はひと息ついた。

世界にこういう視座をもっているひとは生きるのが辛いよね。そういうひとを理解してしまうひともね。ナボコフの『ロリータ』もそういうはなしだよね。嫌味で文学趣味スイス人が、延々とアメリカ呪いながら一人の少女を愛するはなし。柔むげさんは、そういうところに感じたんじゃないかな。で、わたしもそういうひとたちに片足を踏みこんでいるからそれがわかるんだよね。だからわたしは『程』では灯が好き」

「あ。そこにつながるんだ」

 まったく予期しない展開だったためにおどろいた。が、いとうは思うところがあったらしく、無言で前を見つめていた。

 新宿駅みえてくる。

「そういえばたいぼくちゃんお酒買った?」

キリンをまとめ買いしておいたけど。あ、あとポテチカップラーメンも買っておいた」

 そういうと、いとうは爆笑した。

大学生じゃん」

 倫理も苦笑しながら言う。

「ここの成城石井ワインチーズを買っていこう。あ、でも、それならクラッカースモークサーモンハムを買っていって、ムースをつくった方がいいな。素材の味が出るから、いいものじゃないとおいしくないんだよね」

 買物をしてからJRのコンコース階に移動する。倫理カードで決済して、わたしお金を使うことはなかった。

「ごめんね。一応、ホストなのに」

 いとうは笑って「出世払いにしなよ」といった。

 倫理は微笑していった。

「それにたいぼくちゃんからモラトリアムの気配をもらってるところがあるからね。わたしも……、わたしたちもこうして社会人鋳型にはまってるけど、それが仮初めのものだってことを思い出させてくれる」

 コンコースでは大勢のひとが行き来していた。天井からは各路線を案内する表示板が大量に下がっている。これらの記号が指示するものなかにわたしたちのいく先もあるのだな、と思った。

2018-05-02

街角水着姿で立って、女性限定水着越しにチンコを触らせるパフォーマンスって人気出そうな気がする

ゆっても女だってチンコ触ってみたいと思ってるやつ多いだろ

あくまパフォーマンスとして、性的ではなく水着の上から数秒触る感じ

演者気持ちいいとかそういう顔はせずあくまマネキンになりきる

・・・考えてたら勃起してきたわ

2018-05-01

推しに嫌われた話をする

表題の通りなのだが、自分はどうも好意好意として伝えられないタイプのようだ。

そのため昔から「偉そう」「生意気」「上から目線」「何様のつもりだ」と、この手の類の悪口は散々言われてきた。

だけどもなかなかどうして人間性格は変えられない。

指摘されて素直に改善できるなら世の中警察はいらないんじゃないか?とすら思う。

それに敵がいればそのぶん少なからず味方もいるわけで、自分はその人間関係を大切にしながらここまで生きてこれた。

じゃあ外野のヤジにいちいち耳を傾ける必要もないだろうよ。そのスタンス三次元推し応援してきた。

推しが何の界隈なのか、どうやって出会ったのか、などは全て省略するが、

自分はともかくある推しに興味を持ち、接近したくて現場へ通うようになった。

その現場はまだまだ過疎な場所から、何度か顔を出せばすぐ認知され、推しと二人で絡む時間がどんどん増えた。

推しはいつも丁寧に、それでいてフレンドリーに声を掛けてくれる。

客とパフォーマー関係を飛び越えて、時に友人のような、時に恋人候補のような接し方で夢を与えてくれる。

そんな甘い蜜を吸って期待しない人間がいるんだろうか。いや居ない。

自分はいよいよ「推しの為に尽くしたい」と願った。そして布教活動を始めた。

ツイッター応援垢を作り、推し知名度が上がるような投稿をする。

現場の様子をレポートし、撮影許可が出ている場所なら自費で投資した良い機材で撮影し、無料で閲覧できるようにする。

現場が遠くとも休みをとって必ず遠征

差し入れは小袋包装の分けて食べられるものを。或いは推しロゴ入りオリジナルグッズを。推しだけでなくスタッフ関係者、現場を共にする他の演者にも。

物販も当然、推しのグッズを大量に買い、顔を売るために配る。推しアカウントにリプをして士気を高める。

そうこうしている内、推しとの距離感はどんどん縮まっていった。現場へ行けば向こうから歩み寄ってくる。プライベートな話もする。

他の客の所へ行って構わないと告げても、なぜか側を離れない。それどころか推し日常の弱音などを聞かせてくる。

推し好意はひしひしと感じていた。また推しの周りにいる関係からも同様に、好かれているのが分かった。

他の客と自分とでは明らかに接し方の差があった。言ってしまえばVIPだ。

そこで自分もっと推しを売り出すためにはどうしたらいいか推しパフォーマンスを高めるにはどうしたらいいか、持ち得る限りの知識を全振りしてアドバイスをした。

更に関係者達へのリプを積極的にするようにし、推しを宜しく頼むという気持ち冗談をかましながら場を賑やかせた。

今考えるとこの頃から少しずつ、推しの様子が変わって来ていたのかもしれない。

ツイッター投稿は途絶え、自然とリプやファボを出来なくなった。時々ふらっと投稿がありここぞとばかり応援リプをすると、以前のフレンドリー感はなく、明らかに事務的対応

現場へ行けば会話はするが、以前の活気がない。何か悩んでいるのか、元気を出してくれと声を掛けても手応えがない。

そんな日々が続いたある日、公式アカウント上で不特定多数へ通知が放たれる。要は、スタッフ気取りの迷惑行為をやめろ、周囲に迷惑をかけるな、無礼発言をするな、特別扱いを期待するな。

それに対する推し関係者のコメントはどう見ても自分を指しており、はっきり言ってカッとなった。

なぜ今になって爆発させた?まずそれが最初感想だ。なぜ、嫌なら嫌だったとその場で言わなかったのか。お前のそれは迷惑行為から有害行為から慎めと、なぜ言わなかった。

そしてそんなに不愉快だったのにも関わらず、だったらなぜ接触したのか。推しもその周囲もだ。VIP席に座って期待しない方がおかしいんじゃないのか。

テキスト喧嘩をしたってラチがあかないと、次の現場へすぐさま乗り込んだ。そして件の知らせについて話がしたいと上へ伝えた。

関係者曰く、グッズ作成撮影もその他なんやかんやもこっちは頼んでいない。ファンパフォーマーの線引きを勘違いされたら困る。改善されないなら現場に立たせられない。

また、年下からアドバイスや指示をもらうのも気にくわない、そんな趣旨の事も。

結局推しとは直接話せなかった。

それ以上のオチ特にない。自分はすっかり熱が冷めて、出禁にならずとも自然現場からは足が遠のいた。キツネにつままれたような心地は少しする。

勿論自分が舞い上がって熱心に通っていた、ただそれだけの話と言えばそうだ。だが、そうさせたキッカケはパフォーマー側にあるというのはどうしても書き添えたい。

なお内容はフェイクをまじえている。

2018-04-27

anond:20180427113401

VOICEROIDの親クラスたるVOCALOIDから考えると、

個性音声合成ソフトキャラクター性を獲得したことで、

しろ利用者キャラクター性を無視するように働いたのに対し、

VOCALOID利用者あくまプロデューサーであって歌そのものは「初音ミクの歌」と解されるような風潮)

YouTuberはもとから演者個性を前面に押し出し活動をしていて、

その発展としてのVtuber演者個性が保たれていると言えるのでは。

たとえば月ノ美兎の演者は月ノ美兎とほぼ同一視されており、

それはボカロP初音ミク関係性とは異なる。

ここには本質的な違いがあるように思うが、それについては如何。

anond:20180427103922

演者の生声を出さない」という点に特徴があるゆっくりやVOICEROIDと違って、

Vtuber3Dモデルアバターを使っているものの、声は生声であることが多い。

たとえばVtuberがよくやる「声真似」などはゆっくりでは再現できないだろう。

また、絶対ではないがVtuberモーションキャプチャを使っていることが多い。

ゆっくりやVOICELOIDは方向性として「演者個性を消す」ことを志向するが、

Vtuber独自アバターとボイス、モーションでキャラ付けされるのが違いだ。

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