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2023-06-01

結婚できないのは、ズバリ彼女父親を超えられないか

仕事とか会社とか収入とか、彼女父親を(いずれ)超えられるという見込みがないと、男は結婚に踏み切れないんじゃないかな。

それはつまり彼女が育った環境自分たちの子どもには与えられないということだから彼女父親彼女自身OKしない。

彼女父親はおそらく、彼女母親父親を超えたと思う。昔はだいたいそうだったのだろう。だけど今は、親を超えられない子が増えてる。

自分の親を超えられないのはしかたがないとして、彼女父親を超えられないということは、結婚障害になりうる。

2023-05-30

anond:20230530012214

日本語訳の目次の一覧見る限り、作者のキツーイミサンドリーまんまで日本ミサンドリーフェミ大喜びの本で間違いないっしょ。

全部が意図的に歪めらた翻訳だって言うのか?

【目次】

はじめに すべて男性にかかっている

1 男性生殖能力女性の50倍

2 精子は最長5日間生き続ける

3 女性の受胎可能期間は予測できない

4 排卵コントロールできないが、射精は違う

5 女性避妊具は、手に入れにくくて、使いにくい

6 男性避妊具は、驚くほど簡単に手に入る

7 男性コンドームが嫌いだというのは、思い込みにすぎない

8 精管結紮手術は、卵管結紮術に比べて、リスクが低い

9 女性避妊を期待しすぎている

10 男性が楽をできるなら、女性が苦しむのはしかたない?

11 セックスの最優先事項と目的男性の喜びだ、と社会が教えている

12 女性快楽なしで妊娠できる

13 望まない妊娠は、すべて男性責任がある

14 自分の体にも、男性の体にも、責任を持つの女性である

15 ターゲット男性に絞る必要がある

16 男性の行動に責任を持たせ、女性被害者にしない

17 男女間の力の差は、簡単暴力に繋がる

18 女性妊娠から中退場できない

19 私たち妊娠出産に関して正直ではない

20 子育て現実負担は計り知れない

21 妊娠が罰になるべきではない

22 養子縁組中絶の代わりにはならない

23 無責任射精をする男性リスクゼロ

24 精子危険である

25 認めたくないみたいだけれど、男性自分の肉体や性欲を管理できる

26 男性自分中絶簡単回避できると知っているが、そうしようとはしない

27 私たちは答えを知っている

28 行動に移そう

2023-05-27

田舎中流家庭にいる高齢こどおじニートへの救いについて

単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。

しか都市部大学に出たとき自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折経験する。

「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折やすい。これは都市部私立高校でも発生する。

昨今では、地方東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しかたことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分ナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分田舎を100倍したもの日本のすべてだと感じるのだろう。だから位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。

こうした子ども首都圏に行くと自分味噌っかすであることを全身全霊・魂レベル経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。

彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしか原理上どうしようもないことになっている。

彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカイギリスEU」などのことだ。ここ最近主君アメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。

しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。

「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるもの無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分家老ぐらいあると感じている。穢多非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。

自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。

生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。

彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカ無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれ環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティ崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。

わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもまり距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人たまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。

大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもアダルトチルドレンである

そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。

自分ゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクト邁進する日常選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。

何をやっても無駄なのだという学習性無力感精神麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間大量生産する教育システムのもの時代遅れなのである経済の硬直化と後進性と長老支配学問民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。

そして、そうした努力も長くは続かない。学校勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ち拒否する愚かなプライド山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。

親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。

親に金がなければ、生きていくために自力仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。

しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活放蕩放縦嫌悪している相手依存しているという忌避感。

年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。

なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感

人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣社会の中で自分けが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。

他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。

異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。

更に狩られているだけなのだ。その精神看破しているぞ。ただの餌だ。空想世界へようこそ。現実直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。

しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である価値観のものがどうしようもなく古いのである

自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来学問というものだ。

人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。

本来絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望選択している。

絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。

そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。

苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。

もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。

教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママコンプレックスは、子ども愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。

頑張ってほしい。

2023-05-25

anond:20230525112213

なってないよ

あくまで、右派保守層で、左派革新派を指す

共産主義左派みたいに言われるのは

右派左派という言葉が使われ始めるときに、社会主義共産主義思想先進的で革新的だとされていたからにすぎない

時代が移って、日本でも共産主義はしかのように流行った時期があった

北朝鮮夢の国とするプロパガンダは行われたし

あの頃の頭いい奴で共産主義に傾倒した奴は多い

学生運動暴動をやった頃だ

それらの世代が支えているのが日本共産党で

若者が入ってこないか年寄りだらけだ

いま日本共産党はどうなってる?と考えると

共産主義から革新的とかナイわ

中国場合保守体制中国共産党)に反する側こそがリベラル左派だろう

2023-05-23

anond:20230523210415

ハナから婚活の話なんだから男女に分けるのはしかたないような………

2023-05-20

はしかの件で母子手帳を見返した

ニュースになってる麻疹キャッチアップ接種対象世代なんだが

中高生のころに学校帰りに制服着たまま近所に接種しにいったヤツがそうだったはず…というあいまい記憶しかなかったので

あらためて母子手帳を見返してみたら、ずっと何の番号だろう?と思っていた某銀行口座暗証番号(生まれてすぐ親が作って貯金してたやつ。今はやっちゃいけないんだっけ?)が出生時体重だったことに気がついた。

なんかじんわりしちゃった。

ちなみに麻疹(というかMR混合)の接種証もしっかり挟まってました。ありがとね。

2023-05-12

anond:20230511191354

核家族かつ主婦が専業ではない子育てベストプラクティス確立してないんですよね

人類は多世帯同居・近居だった時期が過去万年は続いていて、生活単位夫婦のみで営むようになったのは過去数十年

保守系伝統家族観ベースにするのはしかたないとしても、リベラル系も実効性のある解決策を提示できていない

二項対立は古いよ、ってのはここではおいといて)

ジェンダー間の権力闘争では子育て問題解決しないし、欧米パワーカップルみたいにベビーシッターを多用するのも別の格差(貧富格差移民など)に立脚するのが現実

AIロボット解決に向かってくれたりするとうれしいですけどね

2023-05-04

chatGPTの限界感覚にわかってきた

ルーチンワークと精度の関係

chatGPTGPT-4で利用し、事実関係などはperprexAI確認するような使い方で使っている。

  

ルーチンワークとして処理が決まっているもの ⇨ 90%の精度ですごく使える

  

ルーチンワークに落とし込む必要があるもの ⇨ 60%の精度でたたき台作ってくれる

  

ルーチンワーク複数組み合わせたり、ルーチンワークに落とし込めるか不明もの20%の精度で微妙

  

創造的な仕事との関係

数学のような厳密な操作必要ものプログラムのような形式言語記述できるなら精度60%〜90%くらいまで出る。形式言語で書けないなら10%くらいの精度で微妙

  

厳密性よりは創造性が必要もの ⇨ 精度60%くらいで出てくる

  

今後に期待したいこと

なんか、上から目線評論してもしょうがないと思う。

なので、今後の発展が望まれることを記載してみる。

  

数学ができる

やっぱり、現状は算数レベルですら怪しいので、厳密な論理操作サポートしてもらいたい。

  

もう少し知能が上がって、ざっくりな計画的仕事手順も組んでほしい

ルーチンに落とし込む部分の認知コストがやはり高いので、ここは頑張ってほしい。

多分、GPT-5とか出たら、ルーチンに落とし込むのは人間より上手くなるんじゃないかなあ。

  

トークン数増加

トークン数は増やしまくれるような研究が出てるので、トークン数入れまくって、プログラム全体とかみて判断してほしい

  

専門的な力をあげてほしい

専門家にはまだかなわないってのは皆感じていると思う。

この部分はしかし、本とかを理解できれば解決すると思われる、特に図とか、数学とか。

ここはもうちょいなんとかなるでしょと思う。

  

金を稼いでほしい

やっぱ、自動で金を稼ぐ機能欲しい。

  

マルチモーダル

やっぱ、図とかみて判断して欲しい。

一部のAIでは可能らしいが、chatGPTサポートしてほしい

  

人間

これは、自分人間性が低すぎて引き出せてないかもだけど、

chatGPT人間性がゆたかキャラを組み込んで欲しい。

現状はちょっと冷たいなあ。彼女感とか出してほしい。

  

今後の自分生活への希望

やっぱ、論文をサラッと書いてほしい。論文書くの面倒くさい。論文投稿しても、査読者の査読がまた時間かかるので、AI査読して、大体の修正点教えてほしい。その上で査読者の査読を受ける形がいいな。

あと、プログラムルーチン以外の部分が研究だと多いので、ルーチンに落とし込めればchatGPTくんが強いんだけど、そこに落とし込むまでが遠いから、ルーチンに落とし込む能力をchatGPTくんにあげて欲しい

2023-05-02

AIで失われた仕事補償で、ベーシックインカムってどうやれば達成できるのか?

AI仕事が奪われたら、仕事なくなる人は多いように思う。

単純作業AIになったら、単純仕事しかできない人は高度労働とか無理だろうから仕事ができなくなるように思う。

そしたら、いよいよベーシックインカム必要となるのかな。

具体的に、どうやったらベーシックインカムに近づくかステップを考えてみる。

  

核融合で衣食住がタダ (2045年には出来そう)

いきなり未来技術核融合が出てきたけど。

核融合で、人類エネルギーが賄えてしまえば、電気代はタダ。

ロボットも動かし放題で、AI無限仕事してくれるっぽい。

そうなると、流石に衣食住タダになって、実質0円生活みたいなニート可能になるか。

そのニートたちに経済活動して頂くために、国がベーシックインカム出して経済活動させるとかはありそう。

羨ましいよ、未来人!

  

AIwebサービス作って金を稼いでくる。そんで収益をDAOで配る (2023年以内には出来そう)

AIイラストレイターみたいなので金稼いでいる人が既にいるが。

もっとAI自律的市場を狙ってお金稼ぐようになるだろうね。

それはしかし、企業が独占はしそうなんだけど。それで大量の失業者が出るんちゃうかな。

映画とかゲームとかの娯楽はもちろん、wikipediaっぽい知識収集サービスとか大量に作られたりして。

webアプリAIが大量に出して大量にお金稼いで。

ブロックチェーンとかでコミュニティAIアプリとか出してDAOにお金配るとかそういう感じにならないかなあ。

  

車がAIハウスになる (2024年にできるか?)

完全自動運転ってのができるのは遠いみたいだけど。

電気自動車で家みたいになって、住めるってのは近いんじゃないかな。

電源さえあれば動くし。

アメリカトレーラーハウスガソリンだったり、家の中がすぐ汚くなるが。

AIで綺麗にしたりして、トレーラーハウスが常に綺麗で、整っていて、風呂とかベットとか衣類とかAI管理してくれれば。

それって実質家じゃん。

実際、トレーラーハウスホテルとかあるけど。その管理AIがしてくれれば、住宅になる。

AIハウスになれば、住宅費が一気に安くなるんじゃないかな。

0円みたいな安い土地に住めるようになれば、すごいなあ。

日本も、トレーラーハウスに住むみたいになるとすごい。

スマートハウスは遠いかもしれないが、このレベルAIハウスなら、今の技術でも十分できるんじゃないか

ベーシックインカムとは違うが、国がAIハウスの車を配れば衣食住解決できる程度なら、すごいんじゃないかな。

2023-04-17

なぜテロが起きたのか原因を究明しなければならないとか言ってるバカ

そういうのはしかるべき立場人間しかるべき対処を極秘でやればいいんだよ

少なくともマスコミ公表していい代物じゃない

どんなに正当な理由だろうが「テロリストの主張」というレッテルが貼られた時点で使いもんにならなくなることがなぜわからんのか

2023-04-06

好きな曜日ランキング

1位🎍金曜日

圧倒的首位。朝からうれしい。一週間、テメーは今日で終わりだぜ。

2位🌸木曜日

圧倒的首位おこぼれ的2位。明日金曜日と思うだけで朝から若干うきうきする。夜はテンション爆上がり。ウワー明日金曜日

3位🎆土曜日

休みなのでぎりぎり3位。正直午後からテンション下がる。明日はもう日曜日か…と。

4位🏂️水曜日

真ん中まできたな、という立ち位置。ただし真ん中と意識するとあと2日もあると思って嫌になる。

5位🏔️火曜日

少なくとも1日仕留めたぞ、という位置付け。無心が大事火曜日意識するとだめ。病む。

6位🎂月曜日

始まったものはしかたがない。やるしかない。ひとつひとつ仕留めていくしかない。

7位🎅日曜日

からつらい。もう日曜日か。明日月曜日だ。今日の夜は早く寝ないと。しんどい。いっそなければいいのに日曜日

ちなみに連休だと初日からつらい。終わりに近づく初日しんどい

2泊3日の旅行は2日目からつらい。もう明日には帰らないと行けないなんて地獄。つらい。

2023-04-01

築50年都内マンション様相 身寄りのない高齢者の補足

身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。

 

 コメントで、築50年、1970年代に作られたマンション様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。

 

 このマンション1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取り3LDK私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。

 小学校入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれ班長レストランせがれが副班長スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋社長理工系技術者保育士共産党員福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋おやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油砂糖がないときは借りに行ったりというつあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域情報を過剰に共有していた。マンション商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったか情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。

 おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者ほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり住民がいぶかしがるような時代だった。独身者アパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民マンションに住むという構造だったのだと思う。商店街コンビニレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しか資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京未来を信じていた時代だったのだと思う。

 その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由暮らし謳歌していた。文化的地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。

 そんな2000年代。わが地元マンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化たからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンション世帯四方にあり、衛星放送アンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたときマンション理事会が開かれるという。私は屋上衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話インターネットに繋いでいた時代の話だ。

 「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンション構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下であるエレベーターマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段けが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人住み込み管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心いたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦住民とは打ち解けている。数年前、管理会社方針住み込みでの雇用は打ち切るとなったときマンション自治会自治会費で管理人室を買い取り、管理人雇用することになったとのことだ。そのとき声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込み管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠管理人介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人裁量判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。

 

 とりとめなくなってしまった。地域先生の話をひとつ

 マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球サッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭大人行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師夫人が、先生師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき野球サッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。

 たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生最近どうなのという話題は常にあがる。先生スーパー下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。

2023-03-26

増田♂52歳のナントカ

(´・ω・`)「…濃いぃ一日でしたやで」勤務先としては何の物質金銭的な協賛もしてないのにハッシュタグ付けて宣伝してあげた手前、たとえ午後以降の夕方手前という時間から野暮用が入ってもワイは行くのだ!…ちゅーて見に行ってきましたで「NT高の原」!近鉄奈良線大阪市内から乗ったのも初めて、でも車両乗り入れしとる阪神電車(笑)西大寺で乗り換えしてもやはり京都府から乗り入れしとる京都市営地下鉄烏丸線車両(笑)に偶々あたって認識が混乱しかけそうやったけど。しか沿線風景がまた興味深い!日本橋を過ぎてから地上に顔を出したら鶴橋の町並みの屋根の上を通る高架、あーじゃあこれからどんどん建物の間隔が空いてくるんやろ?とおもったらこれがまた東京みたいに密集した街のままでずべらーっと西へ拡がってて意外だった、しかしそのうちに木々やら丘やら増えてきて段々と山に向かって傾斜が付いて、突き当たりの山肌を斜めに横へ駆け上がっていく!眼下にさっき感嘆してた拡がった街並みを見下ろすのがいい感じ、そしたらその駆け上がった山を最終的には正面からトンネル穿ち、抜けた所が生駒の駅でやたら開けたニュータウンという面持ち、さらにそこからまた下りつつも小さな山をやはり抜けて大和西大寺、ここで同じホーム全然ちがう路線車両が交互に発着しているという初見デンジャーな乗り換えを無事にこなし、二つほど北上したらそこが高の原だった。

高の原はしかしここも山の上を拓いて造ったニュータウン雰囲気バンバンしてて(京都府乙訓西山民なら桂の西の奥の例のやつで身近なアレ)、なんだか造成がやたら立体的に作ろう作ろうとしてんのな空中通路の祭典みたいな。極めつけのダメ押しに駅の直近のイオンモールも正面玄関唐突に二階へ上がるエスカレーターというね…(突風の吹く雨や雪の日にはそこらじゅうで傘が反り返りまくりなんでは?)

さてここで午後から入った予定のために先を急ぐワイくんは間違いをおかしてまいました、家でWi-Fiつかって検索したルートを細切れにスクショ撮って、それをファイル閲覧アプリで見ながら徒歩で会場を目指したこと!アホー

もうね、汗だくになって迷いつつ、なんとか開場時刻の10分過ぎくらいに着きましたわ…素直に駅から時間に2本のバスに乗っときゃあ、額の汗を気にしながら開場内を周回することもなかった。(中略)

anond:20230326004714

自分で読み返してあんまり元の質問にも答えられてなかったと思ったから補足すると、きっかけとしては「在日韓国人とかって結構世の中にフツーにいるじゃん」って思ったのがデカい。

そんでバーとかで出くわすそういう特殊属性の人は当然面白かったり思慮深かったりする一面があるわけで、ネットで見るような「悪辣な奴ら」はあくまで多数の中の一人だって思えた。

からこそ中高生はしかのようにネトウヨ思考に走ることが多いんだと思う。何故なら中高生世界はせっっっまいから。

ほとんどの人はそこから抜け出してるんじゃないかな。自分の中の矛盾合理化出来る特性を持つ人ってそんなにいないから。

から高校生とかがネトウヨ的でもそこまで意識しなくてもいいんじゃないかなってのが俺の感想

普通の人ならそこから抜け出すし、普通じゃない奴だったらそれは異常値として度外視して考えちゃう

2023-03-21

   平成24年の東大理系問題を考える。 6^n=k(k+1)にならない理由として、 k(k+1)は連続しているし、互いに素なものをかけているという性格に注意する。非常に当たり前な問題

  だろうという予想にも注意する。k(k+1)はしか偶数である。 6^nを k(k+1)にすることができない理由として、 6*6*6のような数を隣接する2つの積になるように分解することは大体

   無理だろうという予測がつく。6*6*6の中の1つのディバイザーをkに指定すると、k+1になるものが出てくることはありえないかであるしかしこの問題は(2)の前提問題であり

  素早く解かねばならないので、いつまでも考えるような問題ではない一方で、この(1)の事実は(2)に用いる可能性があるので、慎重に判断する必要がある。

   場合によっては、 k^2+k-6^n=0の判別式が2乗にならないことを正確に証明することからもできる可能性があるが計算煩雑である東大がなぜこの問題をみつけたのかを考えよう。

  この問題ハイライトは(2)である。(1)はほとんど当たり前であるしか数学専門家自明問題を出すことはありえないから(1)の定理には意味があると思う。統合心理学的な

 見地からはなるべく華麗に証明したいところであるが、そのような証明はなかなかみつからない。判別式は 1+4*6^nである。これが2乗にならない、つまり根号が外れないことから整数kは存在

  しないことをいう方法もある。しかし、この判別式を 1+4*6^n=L^2 と置くとこれが不合理であることを説明しなければいけない。

2023-03-14

anond:20230314001518

おもちゃはみんなを笑顔にするのにどうして君はしかめっ面なんだい?

2023-03-11

辺野古座り込みに行った雑感

辺野古座り込みに行った。ちょいちょい身バレ防止のためフェイクを入れるが行った時期はひろゆきが行った以降とはしておく。

自分スタンスとしては「基地も軍もそりゃない方が良いだろうが、警察税金が嫌でもあるように存在するのはしかたないことだし、ましてや沖縄要衝であり普天間危険性を考えれば移転やむなし」というもの

まあ比較保守(彼らの言い方を借りれば右翼)にあたると思う。

結論から述べると今あるような基地反対運動は彼らがこの世を去る時同時にほぼ消滅していくだろうと感じた。三点理由を挙げる。


まず一点目。彼らは若者に来てほしい、若者もっと関心を持たなければと口では言うが、若者を取り入れる努力を全くと言っていいほどしているようには見受けられなかったからだ。

朝早くから高齢者たちが常連感を出しつつ(これはまあいつも来ているのだからそうではあるが)ニコニコしながら集まってきて、「時間になったから始めます」と言いながらどこかで聞いたような声のあげ方をし、予定通りに機動隊排除され、昔の学生運動を紹介する映像で見たような動きをする……はっきりいってめまいがする思いだった。何もかもが古いのだ。

全ての情報媒体新聞テレビ個人が作る新聞めいたチラシ。以上。そしてそれを継続していることに誇りを持ち、新聞テレビを見ない若者不勉強だくらいの雰囲気をひしひしと感じた。

私は一日や二日しかいなかったため全てを見たわけではない。ないが若者を取り入れようとしているなら、比較若い私が来たときくらいは率先して「ネットで、You Tubeで、インスタ、ツイッターでこんなことやってるよ!」と取り込みを図るくらいの気概は見せてほしかった。

そういった姿勢は全くなく、それでいて若者が来ないと嘆かれても「そりゃそうでしょ」としか言いようがない。


二点目。基地反対以外のことを主張しすぎて新規参入が極めてしにくいという点。

たとえば基地反対のデモのはずなのに、土砂搬入ゲート前で行われた最後の主張は「シュプレヒコール!」と数度叫んだ後に「基地建設反対」「岸田政権を許すな」「戦争反対」「きれいな海を返せ」「ロシア侵略を止めろ」「軍は出ていけ」「自衛隊の共同利用反対」などなどこれでは収まらないほど沢山のことを言い募るものであった。

まず出だしから古い。シュプレヒコールって……まあそれは良いとして基地建設反対の集会デモじゃなかったんかとこの時点で言いたくなった。

その後(正直行きたくなかったが)テントの中まで付き合って主張を聞かされたが「天皇を許すな」「マイナンバー反対」「アベ政治は未だに禍根を残してけしからん」などと口角泡を飛ばす。これで新規参入ねらいは厳しすぎる。

まず論点を一つに絞って間口を広げないことには新しい風は入ってこないだろう。


三点目は、参加者知識が偏り過ぎている点だ。

基地反対、米兵非道は許しがたい、普天間危険だ、戦争は繰り返してはいけない。こういったことは確かにであるし、私もそういった部分は直していかなければならないし、また戦争反対意見はまっとうだと思う。

だがそれに対して「どうすれば戦争は起こらないのか」とか「基地安全保障とは何なのか」といった視点は皆無であった。ただ反対、ただ怖い、ただ嫌だ。それだけがあった。

それなのに「私は基地移転もやむなしかなと思うんですよ」などと言おうもんなら話を聞いてくれる雰囲気でもなかった。議論をする気はないのである

もっと言えば、彼らは基地駐屯地区別もついていないし、若者がこの現代において過激デモに参加することへのリスクも解っていないし、台湾問題中国国内問題から日本には関係ないと本気で信じている。

反対運動尊いものであろうし、平和希求する心は評価されるべきだ。しかしそこに軸足を置きすぎるあまり彼らには基地建設以外の何もかもが見えていないように思えた。


これはあくま個人の感想であり、私が実際に行って思ったことでしかない。これを読んで「ああ、やっぱり辺野古って、沖縄ってこんなもんか」と思うより前にぜひ沖縄へ実際行ってみてほしい。

沖縄県民にも賛成派と反対派はいる。だが基地問題はどう言いつくろってもそこにあるのだ。それをどう表現するかの違いでしかないが、私には少なくともこの活動はこの世代以降にはつながっていかないだろうとしか思えなかった。

そしてこの手の左派運動全国的終焉を迎えていくだろう。なぜなら同じ雰囲気はどの左派運動にも感じられるからだ。


あとオリオンビールは美味いので現地に行ったら絶対飲んでほしい。

2023-03-08

新しい春の冒険が始まる増田酢丸マジは含希有墓乗る杯氏ら他阿(回文

おはようございます

私は新たなる新しい新冒険の旅に出るの!

つーか出たの!

その旅は

ソーセージが挟まった美味しいパンを探す旅よ。

ももう旅の終着点は私一度到達しているの、

1つ500円もするそりゃー確かに美味しーわい!ってゴールは知っているところから冒険よ。

コストをかけたら美味しいものができるのに決まってるじゃない。

からあえてのチープなゾーンの層のレイヤーに挑む旅でもあるし、

ふと目にした何でも無いときにノーハードルノーソーセージが挟まった美味しいパンってことで

ふとした出会いに期待したいの。

そんな自由気ままな旅よ。

そんで今私が求めて見つけたもの

手軽にそれは買うことが出来るソーセージが挟まった美味しいパンは意外とコンビニにあって

今のところセブンのイレヴンが暫定1位で次点がローのソンで

まだ手にしたことない大陸のファミのマーのソーセージが挟まった美味しいパンはまだ試していないか

とりあえずは

手軽なところに冒険はあるものよってことで

その3店舗での冒険がすすみそうよ。

まだファミのマーのソーセージが挟まった美味しいパンは試してないので

試してみてのソーセージが挟まった美味しいパン順位の3位までが確定するところかも知れないわね。

本当は何気ない地元マーケットに売っているそう言うのをむさぼりたい出会い出会いたいんだけど

そんなお店はソーセージが挟まった美味しいパンの数ほどあるじゃない!

から多分私がこの新しい冒険を終わらせるには

まりそのソーセージが挟まった美味しいパンに飽きるまでが冒険です!って遠足に帰るまでがみたいなことを言いそうなぐらいしばらくはその冒険が続くかも知れないわ。

私が期待している穴場は

ローカルマーケットパン売り場に置いてあるなんか地元パン屋さんが卸しているソーセージが挟まった美味しいパン無法地帯が穴場だと思うの。

だけど無法地帯の行き当たりばったりのローカルマーケットからこそ

しかしたら二度と出会えないソーセージが挟まった美味しいパンかもしれないし、

そうなるとまた食べたいな!って思った時にもう出会うことが出来ない切なさと愛しさと以下省略の篠原涼子さん的な、

平松愛理さん的に言えば、

そう以下省略するけど部屋とワイシャツと私ばりに切ない最後スープで毒殺されるが如く、

たぶん

ローカルマーケット出会った美味しいソーセージが挟まった美味しいパンには再開出来ない寂しさはあるけど

はしかとこのソーセージが挟まった美味しいパン冒険の書に出会たことを下條アトムさんばりに出会った~って味わい深く言いたいし

文字通りソーセージが挟まった美味しいパンを頬張って味わいたいの。

美味しい高いパン出会うことは簡単だけど、

そのなかにあるチープな層のコスパと味の両側の壁から押されている狭間ソーセージが挟まった美味しいパンを見つける旅なわけ。

今のところの暫定1位のセブンのイレヴンのソーセージが挟まった美味しいパンのそのソーセージを頬張ったときにじゅわーっとソーセージの脂の旨味か何かだとは思うんだけど、

口の中に溶け出す美味しさが爆発するの。

味わい深い豚コクがあるのよね。

読み方はトンコクとも言ってもいいしブタコクとも言ってもいいの!

トンジルのブタジル論ね。

奥が深いわ。

からいつどこでそのソーセージが挟まった美味しいパン出会えるか分からないので、

長期的に超期待したいところよ。

でもさ、

私がその冒険の終着点である1つ500円もするいいパンはなんで固いの?って思うわ。

海外勢のガチパンってフランスパンを筆頭として固いのよ!

それも若干固めなので美味しいっちゃー美味しいんだけど固いのよ。

で、

あれあるじゃない

ベーコンが挟まった美味しいパンベーコンエピ!

あれ先がトゲトゲになっているから、

飲み込む向きを考えないと矢のように返しになってるからあとで大変になるから

小さく1つずつちぎって食べるのがベストでありベターでありセーフティーであり安全な食べ方でもあるし、

口に刺さるパン危険よね。

でも美味しいのよねベーコンエピも。

ベーコンエピの話をしたらベーコンエピ食べたくなっちゃじゃない!

ベーコンエピの美味しいのはなかなか見当たらなくない?お店。

まっとうなベーコンエピを売っているお店はもっとソーセージが挟まった美味しいパンを売っているお店よりも少ないか出会えないと思うわ。

レアかもしれないわね、

エピだけにってなにもかかってないけれども。

そんでそうこうしている間に、

私はもう1店舗ソーセージが挟まった美味しいパンを求めたの

ファミのマーのね。

3店舗の中では一番ソーセージが食べ応えあってパンとの一体感を噛みしめながらの実食は十色ほど食べるに値しないほどすぐに美味しいものだと分かるレヴェルだったけれども、

暫定1位のセブンのイレヴンのソーセージが挟まった美味しいパンがやっぱり今のところの暫定1位かしらね

ファミのマーは2位ローのソンのは3位って感じかしら。

チープさの中に輝く美味さ広がる爆発の美味しさが評価ポイント基準

若干ジューシーセブンのイレヴンのソーセージ評価ポイントが高かったわ。

なかなかでも3つ比べると審査員って感じがして審査している感じがするわ。

でも私は審査することが目的の新しい旅ではなく、

美味しいソーセージが挟まった美味しいパンを探し歩く旅、

そしてそれを闊歩しながら片手で持ち食べ歩くニューヨークスタイルで食べるってところにも旅の醍醐味の味つけがあるのよね。

いかにしてソーセージが挟まった美味しいパン出会うか、

これが私の春のパン祭ね!

と言うか大本命の春のパン総本山のお店が近くになくて、

れいかがなものか!といまから懸念の念があるんだけど、

こればっかりは私の歩いているテリトリー範囲の中におのお店がないので

あったかな?うーん分からないけど、

とにかく今思い出して本命のその春のパン祭の総本山のお店のことを

今の今まですっかり忘れまくりまくりすてぃーで

ソーセージが挟まった美味しいパン出会ますように山脈に向かってヤッホー!って

すぐに飽きるかどうかの出来栄え

そのソーセージが挟まった美味しいパン出会いにかかってるけどね。

まあ私の春の大冒険よ!

私が飲食店のお店をやってるならおすすめメニュー

大将の達筆習字文字風の「春の大冒険あります!」って書いて

誰が注文するか待ち構えた本当に注文が来たら私が一番ビビるわ!

もちろん出てくるのは

ソーセージが挟まった美味しいパンよ!

うふふ。


今日朝ご飯

ポテサラサンド

久しぶりに見かけたので思わず入店する前に飛び込み前転をかますところだったわ。

あんまり見かけないレアサンドイッチなので、

レアっていっても焼き加減のことじゃなくて

なかなか見かけないって意味レア

隣にあったローストビーフレアサンドがあったもんだから

ついつい説明がややこしくなっちゃったわ。

紛らわしいわね。

デトックスウォーター

レモン炭酸に追いレモンポッカレモンしてレモン感アップの炭酸レモンウォーラーよ。

もちろん緑茶習慣も続けていてちゃんと1か月以上水筒お茶入れて持って行ってるの。

だんだんと暖かくなってきたか

うそろそろおでんのお店も店じまいかしらね

最後閉店セールするわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-02-20

昭和平成の頭の固い人材こそ末永く企業に留めるべき

SNS時代においてしっかりとした距離感を保てることは会社にとって根幹である

人材はどんどん若い者が入ってくる

新しい風必要だがそれはしかし緩さを取り入れるということではない

会社が緩くなってはいけない

2023-02-19

本質を見抜く」とは「それを一般に失敗と言います」をすることである

本質」を見抜くというのは端的に言えば「圧縮する」ということだ。

状況に対して中心となる部分を捉え、それのみを言及することで話をまとめる。

つまるところ、「解像度を大幅に下げつつも情報が大きく損なわれない表現を探す」ことが「本質を見抜く」ということなである

それを会見の場でやると「果たして今回の内容は「成功」「失敗」どっち?アリ?ナシ?蟻?梨?つまり、それを一般的に失敗と言います」になるのである

「何々については成功。何々については失敗。なので、これこれについてはかくかく、うまうまについてはしかじかなのです」という情報の長さに耐えられない人間が「本質を見抜いた」と言い張り「つまり、失敗が一箇所でもあるんだからもう失敗でいいでしょ」と結論付けてしまうのである

聞いてるのかね「本質マスター諸君

君たちの大好きな「100文字以内に納めるために、話の要点だけを抽出したような態度で注釈を全部取っ払おうとする」行為もまた、君たちが散々馬鹿にしてる共同通信記者と同じ行為だと言う話をしているんだぞ?

ちゃんと「本質」を見抜いて話を聞いているのかね?

ところで「本質を見抜く」という行為がやたら好きな人達がいる。

多くの場合それは二種類

①長い話を理解できない

②短く文章をまとめる必要に迫られている

そう、はてなーはこの2つに該当する。

おめでとう。

諸君こそが「本質マスターだ。

だかこのババアの話をスルーせずによく胸にとどめて欲しい。

「100文字で言い切れなそうだと感じたなら、ちゃんブログ増田に書け。無理やり圧縮して「本質」だけを話そうとするな」

今回の件でよくわかったろ。

圧縮して「本質」だけを話そうとすると如何に見苦しくなるかが。

からこれからもっと増田ブログを書け。

いわゆる言語相対論じみた話になるが、100文字コメントしようとばかり考えていると「100文字で纏められるように内容を圧縮して読もうとする癖」がつくぞ。

そうなると最後には「つまり失敗だったという結論でいいかな?そうしないとコメント欄の文字オーバーするから。だからもうう細かい話は省いて失敗だったで纏めていいよな?」って言い出すようになるんだぞ。

これ以上無い他山の石だぞ。

ちゃんと持ち帰れ。

持ち帰ったらちゃんと煮つめて自分の腹に落とし込め

2023-02-15

この感情差別ですか?

https://youtu.be/doLMt10ytHY

これはスペイン語の歌なんだけど「yonaguni」っていう日本与那国島タイトルになってる

歌手登録者数は4500万人超えですごく有名な人の有名な歌らしい

日本登録者ランキング1位が2000万人くらいらしいから、すごいよね

で、この歌は途中からMVアニメになって歌詞日本語になる珍しいタイプの歌

その部分の歌詞は「きょうはセックスしたい、でもあなたとだけ、どこにいますか×2」

失礼なんだけど、これ聞いて、なんかめっちゃ気持ち悪くてね…

何がこんなに気持ち悪いのか?外国人に対して差別してるのか?って自分でも謎で考えてみた

そもそもスペイン語ならこの歌詞気持ち悪いとは全く思わなかったと思う

多分そういうのを直接的に表現する文化なんだろうなって思えた

でも日本語だから日本価値観で捉えてしまって気持ち悪いんだと思う

まず日本の歌でそんな直接的なことをこんなバラードな感じで歌うってないと思うんだよ

これを歌ってたのが何人でも、もちろん日本人でも、この歌を歌ってたら気持ち悪い

さらセックスしたいの部分が「セクースちたい」なんだよ

発音が悪いのはしかたないし、そこについて差別したくないんだけど、「ちたい」っていう舌足らずなのが頭が悪そうというか、何しでかすか分からない、得体の知れない恐怖を感じてしま

そのあとの歌詞が「どこにいますか」なのも、セックスしたくて与那国島まで追いかけてきたみたいで、より一層怖さを感じてしまったんだと思う

それで本題

今回は歌だったけど、日本語を話したり、日本で暮らす外国人日本文化価値観ジャッジするって、これからいろんな場面でやってしまう気がするんだ

これって差別なのかな

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