はてなキーワード: 油絵とは
よく出来ていると思う。肖像権なしに広告に使用できるわけだから普及しそう。ストックフォトには、もう出回っているのかも?
ただ、本当に肖像権なし? 結局は肖像権無視して学習をしたものでしょ? 構図とかもカメラマンの著作権無視して食わせていった結果なのでは?
今日話題になっていた記事の生成AIがどういう学習しているんかは知りませんし、あの技術的な記事に対して、ハリウッドの話を持ち出すんも違うと思うので、私はこんなところに殴り書きしている。
プロのカメラマンは、リアルで学んできたから、生成AIを使っても良いものを生み出せるのはそうなんだろうけど、じゃあ、今後生成AIばかりが増えたら、リアルな撮影を学ぶ機会が減り、撮影技術は衰えていくことになるのでは? そうなると生成AIの学習機会も減っていき、リアルなモノがよく分からないものになっていくのでは?
まあ、そもそも生成AIの画像は、「実在」ではなく「虚像」。リアルの追求には向いていないと思う。一つのCGモデルを仮想空間でポーズを取らせてつくる画像のほうが、まだ「実在」なのではないか。
なんだろう、すごいざっくりとした個人的な感想ですが、生成AIには、先が明るい感がなくて好きになれない。自動化、生産効率の向上に技術が発展していくのは良いことだと思うけど、生成AIで作品作るのって何か違うと思っちゃう。
写真の出現で、リアルな油絵の画家が食っていけなくなったような話しの延長で、批判的、悲観的になる必要は、後になって全く無かったねってことになるのかもしれませんが。
今後の治療方針の話をするために、姉の私が病院の先生と話すことになった。
そしたら早々に「弟さんって女の子ですね」って言われた。
確かに弟は女の子みたい。顔がとかじゃなく、女の子が好きなものが好き。多様化の社会といえど、30手前の男がディズニープリンセスのスマホケースを堂々と使い、スマホや音楽プレイヤーなどのデジタル機器はピンクで統一。趣味はぬいぐるみ集め。正直変わり者である認識はあったし、母も「あの子が女の子になりたいって言ったとしても止めないわ」と姉に相談するくらいには女の子らしい男である。
じゃあ、心も女なのか?といえばそうではなく。性自認は男(だと思う)。女子トイレに入りたいなんて言わないし、スカートやメイクをしたいわけじゃない。学校は年相応の男の格好。女の子扱いしろと言われたこともないし、自ら進んで銭湯(もちろん男風呂)に行く。
でも、女の子らしい精神の男だ。何なら「女である姉より女らしい」と言うと喜ぶ。
本人の自覚がないだけで心が女ってことがあるのか?と一瞬混乱したが、先生が「性同一性障害とかではないですが、話し方や考え方などが女子です。検査した結果言語に関する数値が高くて、女性に多いバランスになってる」「女性に強い憧れみたいなのがあって、無意識にそちらに寄ってるんだと思うんですが心当たりありますか?」と聞いてきた。
心当たりはあった。父方祖父が学歴厨で、特に男には厳しかった。いい学校に行って、人脈作らせたくてしょうがない人。一方で女に興味がなく、私は絵画教室に通っていて「小学生から油絵やってる孫(娘)」というラベルで十分らしく、教育面は放置されていた。
端的にいえば、わかりやすい虐待はされてないけど毒親家系という感じ。
男は男でお小遣いが多かったり、学校休んで旅行連れて行ってもらえたり、何かと意見が通りやすかったりと私からすると羨ましい点もあるが、弟は「女の子に生まれたらこんなに苦労(いい学校行けと勉強を強制されたり)しなかったのに」という意識が強いというのは感じてた。
最たるものは、大学受験時に「俺は行きたい学校行けなかった。姉は金のかかる絵の学校行ったのに、俺は長男だろ。ここにしろって指示されて普通の理系大学さえダメだった」といまだに怒っている。
ちなみに、地方の有名私立大学(高額、弟の当時の学力じゃ無理)なところに下宿して通いたいので受験したい、お金出してというのを拒否され、同じようなこの大学じゃだめか?と言われただけである。
話ずれたが、何が言いたいかというと弟は「女だったら俺はもっと幸せになれた」という思い込みの強い「女のような態度の男」だったって話。
先生曰く、最近はこういう人が多いと。これまで何百人と性同一性障害だと主張して受診してくる人はいたが、本当に性同一性障害だった人は3人しか見たことがないと言っていた。
体を作り替えたら後悔しても遅いので、性同一性障害の疑いのある人は何度も何度も診察をするし、患者のために厳しいことも言う。すると、ほぼ全員が途中で諦めるらしい。
それでもやっぱり体の性に違和感があってこのままは無理なんです!!って訴えた3人にだけ診断書をだしたと。
多様性が叫ばれすぎて自分の性がぶれている人が多い。本物はどんなことがあっても自分の認識している性に戻りたいと強く思ってる人。他人に言われてぶれるようなやつは思い込み。多様性と叫ぶのもほどほどにしてほしい。と先生が言っていた。
って、女子トイレ利用の裁判の話を見て思い出したって話。弟は鬱の治療の中でADHDの診断は降りた。大学の話とか話通じてないからまあそうだろうなとは思った。
半年ぐらいで退院して毒親と離れるために地方の親戚を頼りに引っ越した。一年は連絡してないけど、今もディズニープリンセススマホケース使ってんのかな。
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
博物館は分かるんだよな。
材質や質感について実物に触れて学べる所もあるし。
動物園は言わずもがなで匂いとかの情報を遠くに飛ばしたり正確に再現するのがまだまだ人類には出来てない。
フィギアもぐるぐる回してパンツを自分の意志で覗きに行くところまで含めての体験が必要だし。
まあどれも本で読んだほうが詳しい解説を見やすいし見比べるのが楽なのはある。
でも絵画は本で見れば良いと思うんだよね。
絵なら本にそのまま載せられるもの。
絵という表現の本質が写真で失われたり、大きさが縮められたことで大きな変化が起きるとは思わんのよね。
油絵の重ね方や画材の質感についても、詳しい本なら解説付きのアップで見せてくれたりするからなあ。
というか美術館行っても額縁に嵌め込まれたガラスのせいでビミョーにのっぺりした見え方なんよねえ。
当時飾られる予定だった空間が再現がされてたりするならまだいいんだけど、洋風の部屋に掛け軸が並んでたりするとこういう所で見てもなあとなるわけよ。
その子は体が弱くて体育の授業はいつも見学。学校を何日も休む時もあったが、頭がとても良く、肌が白くて髪が長くて話し方も大人っぽいので女子から人気があった。お父さんはおらず、お母さんとお婆ちゃんと3人で暮らしていた。
高校は別々だったが、3月のちょうど暖かくなる時期の昼下がりにその子の家に行った。お母さん同士が同級生だったことから、祖母の畑で採れた野菜をお裾分けしに。
家に近づくと垣根越しの庭から不思議な楽器の音が聞こえた。声を掛けて門を潜ると、庭のテーブルにその子とお母さんがいた。お母さんはコーヒーを飲んでおり、その子は楽器(後でそれがマンドリンと知った)を弾いていた。テーブルの横には描きかけの油絵があった。庭に面した広縁のガラス戸が開け放たれていて、お婆ちゃんが座敷で花を生けていた。建物は日本家屋なのに庭はイングリッシュガーデンなのが印象的だった。挨拶をして、その子やお母さんと少し世間話をし野菜を渡して帰った。
時間にして5分もない位の起承転結もない出来事だが、それから数十年経つ今でもこの時期になるとその光景を思い出す。その男の子に恋愛感情はなかった。しかし、野球命で年中真っ黒な少年野球コーチの父、チームの子供は全員息子の肝っ玉母ちゃん、同じく真っ黒な野球少年の兄や弟に囲まれ、芸術のげの字も当てはまらないいつも散らかった家庭で育った私にとって、綺麗な庭、花を生けるお婆ちゃん、描きかけの油絵とイーゼル、男の子の奏でるマンドリンの音、それを聞くお母さんという光景があまりに非日常というか、ジブリ的で幻想的で綺麗だった。
美術の授業で油絵か何かを描いていたときに、カンバスに乗っている絵の具の色を指して誰かがどどめ色と言った。
どどめ色ってなんですかと先生に聞くと、少しバツの悪そうな顔をして
あまりいい言葉じゃないから使わないようにねとだけ言っていた。
帰宅して調べると、女性の性器の色、しかも黒ずんで汚いというニュアンスを含んだ色をどどめ色と呼ぶとあった。
当時うぶだったので、酷い語源だなと思って堂々と使う言葉ではないんだなと理解した。
ところで最近藤井風にハマっておりシャッフル再生で聴いていたら
NGワードじゃないのかと思い、びっくりしてWikipediaを見に行くと、
どどめ色というのは上に書いたような意味はないようで、青紫色であるとか、濁った色くらいの意味らしい。
さらに調べると古い意味ではやはり侮蔑的表現の意味があったようだが
自分が知らないうちに言葉の意味が移り変わって、侮蔑的な意味合いがなくなったようだ。
ビビる。
無産は罪だとでも思っているのか?
何が恐ろしいって表現したいことがあんまり伝わってこないことだ。
何をしたくていい年こいてから筆を執ったのかも分からない奴らがウヨウヨいる。
性癖を表現しようとしてやっている奴らはまだ全然わかりやすい。
本垢をBANされたくないからと裏垢を作ってはTwitterにBANされ、それを本垢で愚痴っては新たな裏垢を作り続けているような奴ですらそれが性癖の表現という目的意識の元行われているからまだ理解しやすい。
コラ画像を作り出すことに自分の存在価値を見出した果てに絵を描き出した奴もわかりやすい。
「そもそも画像自体を自分で最初から描けばいい」という朝目新聞のような発想を令和の時代に実行に移す古臭い感性が、結果として今どきコラ画像を作っているような奴というキャラを分かりやすくしてくれている。
特定作品のファン活動の一環からいつの間にか色んな作品を描くようになった奴もストーリーはシンプルだ。
まず何らかの作品にハマり、それの話をするのに文章で表現するより絵を描いたほうが早いと白ハゲ漫画の亜種のようなものから初めて少しずつ画力を鍛えていっている。
こういう奴は定期的にどこにでも湧いてくるらしいので、こちらとしてもよくあるテンプレ絵師ストーリーに乗っかっただけだなと把握するのは容易い。
理解不能なのは本当に何の目的もなくいきなり絵の練習を始めたとしか思えない連中だ。
自分のアイコンを描くためとかでもなく、アイコンは相変わらず何らかの写真だったりするのに、今油絵の勉強してますよみたいなアピールをしきりに繰り返す。
アップする絵も習作ばかりであり、そもそもお前は本当にそれがやりたいのかと問いたくなる。
理解不能だ。
子供の頃から好きだったのではなく、大人になってからなんとなくで始めるようなものなのか?
けいおんの影響でギターを始める連中の亜種かと思ったが、どうもひだまりスケッチとかに影響された雰囲気もない。
なんなんだろうかコイツらは。
友達はもともと油絵を描くのが好きな人で、言外にイラストをバカにしてるところがあった。
まぁ、そういう人っているよね。
彼の絵は好きだったし、他の趣味やら考え方もあったし、そこは好みの問題と思ってかなり仲良くしていた。
ちなみに自分は典型的なオタクで、昔から人物イラストは模写したりデッサンやったり多少している。上手くないのは自覚していたので字書きがメインで、たまに細々と描いて満足している。
彼がハマったアニメのイラストを描くようになったのは最近のことだ。
イラストと言っても、ラフ段階くらいで線画にすらせず投稿するような感じ。そういう絵のスタイルというわけでもなさそうで、ごく稀に線画まで仕上げることもあった。
一度投稿し始めると、マイナーなアニメのファンダムの中で絵描きは貴重なようで、交流もするようになったらしい。彼も楽しいオタクライフを送るようになったんだなーと思っていた。よかったよかった。ここで終わればよかったのに。
前述のように自分は彼の絵が好きなので、絵に関してはいつも褒めていた。
イラスト描き始めの頃も、「イラストは初心者だから見てほしい」と自信がなさそうにしていたので、褒め続けた。
やっぱりたくさん楽しく描くのが一番だと思うし、もともと絵の得意な彼のことだからイラストも上手くなっていくだろうな、と楽しみにしていた。
一度だけ、イラスト描きにありがちなミスを見つけたので指摘した。キャラクターの傷の左右を間違える、のような感じの。プロでもやるようなミスだと思う。上手い下手の問題でもなし、字書きにおける誤字のようなものと思った。自分だったら指摘してもらいたいと思ったからこそ、こっそりと伝えた。
が。
彼はめちゃくちゃ不機嫌になった。
いわく、ミスではないと。前述の通り彼のイラストはラフのような絵なので、不必要な線がたくさんある。そのうちの一つがミスのように見えてしまったようだ。
すぐに謝ったが、指摘が細かいと言って怒りを引きずり続けた。
その時点で賞賛しか受け付けない人なんだな、上手くなりたいみたいなのはないんだな、と諦めていたのだが、さらに腹の立つことがあった。
どっぷりとファンダムに浸かっていった彼は、解釈違いの他人のイラストを「こんなん(描くの)ありえない」とわざわざダウンロードして送りつけてきたのだ。
そのイラストは愛を込めて丁寧に描きあげられた作品だった。表情にも構図にも工夫のあとがみられる。上手いわけではないかもしれないが、多少なりともイラストを描いた経験があれば、どれほどの熱量と努力の下に編み上げられたものかと想いを馳せてしまうような素敵なイラストだ。
自分も解釈違いというのにはうるさい方ではある。し、そのイラストが解釈違いなのは同意する。
けれど、特定個人の愛と努力の結晶をあげつらうのは、それはちがうだろうと。
オタクとして、他人の作品に最低限の敬意を払うのは礼儀じゃないか?
なんというか、彼の努力のしなさっぷりも含めて、イラストというものをバカにしているのではないかとすら思った。
それ以外にも自分のプライベートに対する失礼な言動があって距離をとることにしたのだが、いまだに彼のオタクとしての在り方に対する怒りが尽きない。
はぁ……ずっと仲良くしてたんだよ、本当に。大好きだったし。
悲しい。
日舞を始めたくて調べていたら師匠にお中元、お歳暮を送らないといけない?月謝の1ヶ月から2ヶ月ぶん?とかでてきて「ムリムリムリムリ!!」って思った。
日舞界隈って他のダンスの習い事よりお金かかるじゃないですかー??
日本人の若者そんなにお金持ってないので無理ですよ。こんななら他のダンスの習い事やりますよ
日本画も油絵とか水彩画に比べたらたっかいお金がかかるじゃないですかー??日本画を本気でやったらクルマが買えちゃう!!
着物だって、洋装よりもはるかにお金がかかる。子供の入学式や卒業式で着物を着ようとしたら旦那に「目立って恥ずかしいから着物はやめて」と止められた話しもある。恥ずかしいってねえ。着物って私たちの民族衣裳なのに恥ずかしいって……
まぁ私もお金をそんなに使いたくないから子供の行事は洋装ですね。
私は今、手ぬぐいにハマっているのだけれども
みんな知っての通り手ぬぐいよりもハンカチやタオルやスカーフのほうがお店で売ってるしよく売れているのよ!!
手ぬぐいを持ってる人は手ぬぐいが好きだから持ってるんだけど、ハンカチやタオルは別にハンカチやタオルが好きじゃない人でも誰でも持っているのよ。手拭いを好きでもないのに持っているって人は剣道をやっている人とかごく限られた人なのよ。
手ぬぐいって日本のほこるべき伝統工芸品なのになんででしょうねえ?それは幼児が手拭いよりもハンカチやタオルのほうが使いやすくて手ぬぐいはでかすぎて子供には扱いづらいからじゃないかな?って思ってる