はてなキーワード: 太平とは
蒲生(後の苻生)は幼い頃から無法な行いを繰り返しており、祖父の蒲洪(後の苻洪)からは強く忌み嫌われていた。
生まれた頃から隻眼であり、彼が幼少の頃に蒲洪はふざけて侍者へ「片目の子は片方からしか涙を流さないと聞いているが、まことかね?」と問うと、
苻生は隻眼であったので『不足、不具、少、無、缺、傷、残、毀、偏、隻』と言う文字の使用を禁じ、これを犯した者は左右の側近でも処刑され、その数は記録出来ないほどであった。
苻生が即位して幾ばくもしない内に、殺された人間は后妃・公卿以下僕隷に至るまでゆうに500人を越え、
截脛(膝から下を斬り落とす)・拉脅(わき腹を圧し潰す)・鋸頸(頸を鋸で斬り落とす)・刳胎(胎児を抉り取る)の刑に処される者が相次いだ。
治世の末年には、その数は千をはるかに越えたという。
苻生は群臣と共に太極殿において宴会を開き、右司馬の辛牢が酒監となった。
宴もたけなわとなると、音楽が奏でられ、苻生自ら歌を詠み、場を楽しませた。
だが、苻生は辛牢が酒を飲んでいないのを見ると「酒が進んでいない者がどうしてこの席に座っているか!」と怒り、辛牢を射殺した。
苻生は夜に棗を多く食し、朝になると体調を崩したので、太医令の程延を呼び寄せて診断させた。
苻生は左右の側近へ「我が天下に臨んでいることについて、汝は外からどのようにきいているかね」と問うと、
側近は「聖明なる陛下が世を治めるおかげで、賞罰は明確となり、天下は太平を謳歌しております」と言うと、
苻生は激怒して「汝は我に媚びを売るか!」と言い、斬り殺した。
明治時代に新撰組が庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌の記事だとか読み物だとかを抜粋していく。
『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄と明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇」とある。
近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。
同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。
このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。
まずは近藤勇について。
近藤勇は武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる
新徴組と間違えられとるやんけ!
新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。
土方歳三も紹介されている。
土方歳三は幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽の戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。
新撰組について何も触れられてねえ!
とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。
『汗血千里駒』は坂本龍馬を主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬の暗殺犯として近藤勇が登場する。
縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと
近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬と中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品に踏襲されていったようだ。
当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん
時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。
偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん
お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。
こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。
近藤勇の話
江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。
武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護の干将莫耶とは成りたりけり。
めっちゃ褒めるやん。
土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。
国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。
コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。
著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。
是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三のことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。
として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三の少年時代」が掲載されている。
婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇の知名度は高かったのだろうか。
花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。
かっこいい。
松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組を講談の主人公とした最初期の人物だったという。
巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体に成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇と海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱。
本編では、坂本龍馬を暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸で近藤勇と坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。
『少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌に掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。
人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷、大久保、坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中、龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。
として近藤勇と土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。
前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司や永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組十勇士伝』には登場する。
ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。
芹沢鴨の暗殺、山南敬助の切腹、伊東甲子太郎との敵対、池田屋事件などのエピソードはある。
また、こちらでは龍馬暗殺が近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。
京都見廻組の佐々木只三郎らが龍馬を暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。
京都の観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組に言及がある。
節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇、土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない
当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派の武装集団なので新撰組とは正反対の存在である。
単なる勘違いなのか、それとも庶民のあいだでは混同されていたのか。
松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。
こちらには沖田総司・永倉新八・斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、
中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした
とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。
同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。
ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛『新選組始末記』の元ネタらしい。
・明治の始めにはまず「近藤勇」個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。
・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬を暗殺した男」として近藤も知名度を上げた。
・近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。
・近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。
・しかしエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。
・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇を主人公とした講談が演じられるようになった。
向いていないものや無理なものに対しても前向きに積極的に「周りに迷惑かけずに」取り組めるなら良いと思う。運動全くしていない50代のおじさんが「初心者だけど今からスケートボード でオリンピック出る!」って言ったとして、休日や仕事後にパークで楽しく一生懸命練習したり大会出るなら何の問題もない。
けれど無理とわかっているものに自分で取り組んだ結果自分で苦しむというのは幼稚というか大人になれていない気がするな。
ましてや恋愛は1人でするものではなく、どうしても相手が必要だから「周りに迷惑かけずに」が難しい。
女性から異性として認識され難いことをわかっていながら女性にアプローチして嫌な気持ちにさせ自分も傷つくってのは馬鹿の所業だよ。
どうやっても這い上がれない水瓶に酔っ払って落っこちて、それでも這いあがろうとして短い前足でカリカリもがく猫と同じ。
それでは太平は得られない。
2年前にやるべきことリストとやりたいことリストを作った男だけど、結局2年前から1mmも進歩しなかった。
いや、何も進歩しないまま2歳老けたわけだから、むしろ後退したのか。
何かを始めよう、自分を変えようと思ってもどこかでつまづいて行動意志がキャンセルされるようにできてて世の中は面白いなって思った。
結局、就活もできず、免許も取れず、運動の習慣もつけられず、不眠症も改善できず、風俗にもいけず、マッチングアプリも始められず、新しい服を買うこともせず、美容室に行ってみるということもできず、ましてや実家を出るということもできなかった二年間であった。
今も俺は四年前に購入した毛玉だらけのセーターを着て、たるんだ腹と二の腕をボリボリと掻きむしり、ボサボサ頭のままで住み慣れた子供部屋でこのエントリをパチパチ打っている。
そろそろ、仕事を終えて一旦食事を作ってから短時間のパートに出かけていた親が帰ってくる頃なので食事の支度を始める。
もうやるべきことリストややりたいことリストを作ったり、今の状態を脱しようと行動を起こすつもりはない。
どうせ意志や行動をキャンセルする力が働くのに、何かに期待して行動を起こそうとして、期待と何も変わらなかった現実のギャップに苦しむのである。
自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹っているのは馬鹿げている。
もうよそう。勝手にするがいい。
俺はニートのままでいる覚悟を決めた。ニートとして太平を得る。太平はニートでなければ得られぬ。
ありがたい、ありがたい
天より被下候
村々小前のものに至迠へ
四海こんきういたし候ハゝ天祿ながくたゝん小人に
天下後世人の君人の臣たる者を御誡被置候ゆヘ
東照神君ニも鰥寡孤獨ニおひて尤あわれみ
を加ふへくハ是仁政之基と被仰置候然ルに茲二
百四五十年太平之間ニ追々上たる人驕奢とておこり
姓共へ過分之用金申付是迠年貢諸役の甚しき
苦む上江右之通無躰之儀を申渡追々入用かさみ候ゆへ
四海の困窮と相成候付人々上を怨さるものなき樣ニ
御失ひニ付下民之怨何方へ告愬とてつけ訴ふる方な
皆天より深く御誡之有かたき御告ニ候へとも一向上たる人々
のなんきを吾等如きもの草乃陰より常々察し悲候
の政道をいたし江戸へ廻米をいたし
差出し大坂市中游民斗を太切ニ心得候者前にも申通
道德仁義を不存拙き身故ニて甚以厚ヶ間敷不届
利德之金銀并扶持米等を莫大ニ掠取未曾有之有福
誘引參り高價の酒を湯水を呑も同樣ニいたし此難
ひ平生同樣に游樂に耽候ハ何等の事哉紂王長夜の
御赦しなき事ニ候蟄居の我等最早堪忍難成湯武
之勢孔孟之德ハなけれ共無據天下乃ためと存血
市中金持之丁人共を誅戮およひ可申候間右之者共
穴藏ニ貯置候金銀錢等諸藏屋敷内に隱置候俵米
出來程之難澁者へハ右金米等取らせ遣候間いつに而も
大坂市中ニ騷動起り候と聞傳へ候ハゝ里數を不厭一刻も
早く大坂へ向駈可參候面々へ右米金を分け遣し可申候
鉅橋鹿臺の金粟を下民へ被與候遺意ニて當時之
飢饉難義を相救遣し若又其内器量才力等有之者
ニハ夫々取立無道之者共を征伐いたし候軍役ニも遣ひ申
輕くいたし都而中興
神武帝御政道之通寛仁大度の取扱にいたし遣
海萬民いつ迠も
救ひ死後の極樂成佛を眼前ニ見せ遣し堯舜
天照皇太神之時代に復シかたく共中興之氣象ニ
張付置候間大坂より廻し有之番人ともにしられさる
樣ニ心懸早々村々へ相觸可申候万一番人とも眼付大
坂四ヶ所の奸人共へ注進いたし候樣子ニ候ハゝ遠慮なく
面々申合番人を不殘打殺可申候若右騷動起り候を
金持之米金者皆火中の灰に相成天下之宝を取失
ひ申へく候間跡ニて必我等を恨み宝を捨る無道者
と陰言を不致樣可致候其為一同へ觸しらせ候尤是
類ハ都而引破焼捨可申候是往々深き慮ある事ニて
人民を困窮為致不申積に候乍去此度乃一擧當朝
下國家を簒盗いたし候慾念より起し候事にハ更無之
而已ニて若疑しく覺候ハゝ我等之所業終る處を
爾等眼を開て看
より篤と讀聞せ可申若庄屋年寄眼前乃
禍を畏一己ニ隱し候ハゝ追而急度其罪可行候
奉天命致天討候
攝河泉播村村
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
1899-1922 インタグリオー
1907輸入 小岩井農場
1905-19?? ダイヤモンドウェッディング(ダイヤモンドウェッヂング)
1909輸入 奥羽種畜牧場
1905-1928 イボア
1909-1930 ガロン
1911-19?? トリニチースクエーア
19??輸入
19??-19?? ラシカッター
19??-19?? ペリオン
19??輸入
1922-19?? ミンドアー
19??輸入
1922-1946 トウルヌソル
1923-19?? レヴューオーダー
19??輸入
1924-1953 シアンモア
1927-1951 ダイオライト
1928-19?? ハクリュウ(父・ラシデヤー)
19??供用
19??供用
1930-19?? レイモンド
19??供用
1932-1956 月友(父・マンノウォー)
1931-1955 プリメロ
1936輸入 小岩井農場
1932-1950 セフト
1937輸入 日高種畜場
1936-1956 ステーツマン
1936供用 社台牧場
1936-1953 クモハタ(父・トウルヌソル)
1936-19?? トキノチカラ(父・トウルヌソル)
1941供用?
19??供用
1946-1968 ヒンドスタン
1955輸入 荻伏種馬所
1946-1970 ソロナウェー
1959輸入
1947-1966 ライジングフレーム
1953輸入
1949-1974 ガーサント
1961輸入 社台ファーム
1953-1982 チャイナロック
1960輸入
1953-1965 モンタヴァル
1961輸入
1960-1985 ネヴァービート
1963輸入
1960-1985 パーソロン
1961-19?? ファバージ
19??輸入
1963-1987 テスコボーイ
1967輸入
1967-1991 アローエクスプレス(父・スパニッシュイクスプレス)
1967-1989 ディクタス
1980輸入 社台ファーム
1971-2004 ノーザンテースト
1975輸入 社台ファーム
1972-1994 ブレイヴェストローマン
1979輸入
1976-2004 モガミ
1978供用
1978供用
1975-2007 ミルジョージ
19??輸入
1979-2004 リアルシャダイ
1983輸入 社台ファーム
1983-2000 トニービン
1989輸入 社台ファーム
1983-1999 ダンシングブレーヴ
1991輸入 日本軽種馬協会
1985-2013 ブライアンズタイム
1985-2020 フォーティナイナー
1996輸入
1986-2002 サンデーサイレンス
1990輸入 社台ファーム
1988-2016 オペラハウス
1994輸入 日本軽種馬協会
1989-2011 サクラバクシンオー(父・サクラユタカオー)
1993-2020 ダンスインザダーク(父・サンデーサイレンス)
1994-2015 ステイゴールド(父・サンデーサイレンス)
1998-2009 アグネスタキオン(父・サンデーサイレンス)
1998-2015 マンハッタンカフェ(父・サンデーサイレンス)
1999-2017 ゴールドアリュール(父・サンデーサイレンス)
2001-____ ダイワメジャー(父・サンデーサイレンス)
2002-2019 ディープインパクト(父・サンデーサイレンス)
2011輸入 社台スタリオンステーション
2014供用
之より社中の気風益ますます固結して曾かつて動変することなく、
爾後じご王政維新の太平に逢い又無数の事変をも目撃したれども、
報国致死ちしは我社中の精神にして、
その由来一朝一夕に非あらず、
蓋けだし社中全体の気風なりとは雖ども、
仁三郎君の一言亦重しと云うべし。
第二章 「貧富を問わずに人才を作るは、前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」
「最も恐るべきは貧にして知ある者」
「報国致死はわが社中の精神」
─労働権を軽視する福沢女性論は男女平等論とは無縁である」216
─偕老同穴論が前提されている 226
「夫婦間の権利については、条文の規定一点の疑いを容るるところなく」
─「女徳」へのこだわり 234
「内実は不品行を犯すとも、これを秘密にして世間の耳目に隠すべし」
─ 239
─良家の娘を守るために公娼制は不可欠 242
─薄幸な貧しい女性をそこまで指弾するか?! 251
実際の彼らの掲げている理想と、実際の行動とのギャップには、驚くよ。
こっちが、期待しすぎなのかな。。
甘んじて、罰を受けずに、逃げ延びる人が何か、主張しちゃうってさ。
印象でしかない。
ある意味、無敵の人というか、元々強者の立場にいる人が、更にルールを無視してというか。
太平の世を治めるために、法律やルール・ガイドラインを考えたわけで。
日本人は、割とルールを守りましょうってのが、江戸時代からの流れというか。
もう、司馬遼太郎的な感じでサラリーマンが出世していく時代でもないし。
上司に忖度していたら、引き上げてもらえる。ゴマすっていたらいいよ、って時代じゃないしなー。
グローバルな時代って、なんでもありな、異種格闘技戦というか、総合力だよな。
総力戦。
強くならなきゃね...。
何が正しいかだなんて、後付けでしかない、って世界なんだろうな。。
この夏の恒例、反日運動が一層盛り上がってる。
経済報復卑怯なり!から始まり、経済侵略という言葉に変化し、そして今、経済戦争という言葉がトレンドだ。
その間、日本政府に何らかの対応の変化があったわけではないのに。日本政府は一貫して、懲罰も戦争も何もしかけてはいない。
ただし、一部の政治家が韓国に対して、無駄にガンつけまくっていたのも事実で、韓国側では、これ幸いに、なんだこの野郎やんのか、という対応になっているんだろう。
その一方、韓国政府はエスカレートするばかり。当初のような分析的な視点は消え失せ、いまでは、なんのシミュレーションも事実分析もなく、もはや単なる煽りになっている。
もうすでに韓国政府は客観的には実害がほとんどないことに気が付いているんだろうけれど、ホワイト国除外という言葉は
国際社会では、狡猾な日本にいじめられている無垢な韓国を演出し、国内的には反日キャンペーンをはるのに絶好の言葉だから、
そのネタでぶっ叩けるだけ叩いとこうと考えている可能性が高い。貿易管理上のランクを一つ下げただけで、盗人猛々しいだの、加害者である日本がいけしゃあしゃあと、だの度が過ぎる発言の数々を連日発射。
貿易管理上のランクを一つ下げただけで、なんでそこまで言われなきゃいけないの?というのが大方の日本人の感覚だ。
本当にヤバいと思っていたら、水面下でプラグマティックな対応をするはずだし、
SAMSUNGなど鍛えらえた企業はすでに対応済みとみていいのかもしれない。
ファーウエイをみて何も学ばないなら、そもそも一流企業になっていない。
結局のところ、日本を叩いても安全だからこそ、安心してバッシングができるんだろう。
文大統領もその場のノリで煽っているにすぎず、言葉に事実に裏付けられた重みがあるわけではない。
しかし、そうこうしているうちに、国全体が過剰に煽られて、不買運動の過熱、そして行政すら
ソウル市中区通りに「No Japan」旗設置へ | Joongang Ilbo | 中央日報
ソウル中区(チュング)は日本の韓国ホワイトリスト(ホワイト国)除外に対する抗議の意味で管内に「ノージャパン」旗を設置することにしたと5日、発表した。
退渓路(トェゲロ)、乙支路(ウルチロ)、太平路(テピョンノ)、東湖路(トンホロ)、清渓川路(チョンゲチョンロ)、世宗大路(セジョンデロ)、三一大路(サミルデロ)、貞洞(チョンドン)ギルなど管内22の道路に太極旗とノージャパンのバナー旗1100本が街灯に掲示される。
日本のメディアや言論人は、韓国ネタで売れるだけ売っとこうという魂胆がみえみえ。
元駐韓の大使だかなんだか知らないけど、連日、似たような話を週刊誌に繰り返し書き連ねている人も見かけるし。
この夏しっかり稼いどかないとなってことなんだろうけど。
はー疲れる夏になってしまった。