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2020-05-28

はてなの青いヤツに気をつけろ

いろいろいるけどやっぱり一番はデフォルトアイコンのヤツね

中身のない罵倒マンアカウントに対してアイコンを設定するほどの愛着も持たない

自分を愛さないヤツは他人ぞんざいに扱う

じゃあ個別アイコンを設定してなお罵倒を繰り返すマン安全なのかというと逆でこれは本物のキチガイ

こいつらは個別に警戒するべし

2020-05-19

血液が〜」とか「所有欲」とか蒐集家の存在とか言及してる時点で「グロ(リョナ)」以外を想定してるわけないだろ。「Stuff」ってぞんざい命名も大概だし。

それを「かわいい」でオブラートに包むことそのものの「グロ」を楽しみたいんでしょ。

「わかってなさそう」「かわいい〜としか思ってなさそう」みたいなツッコミは野暮なんじゃないの?


まあでも百歩譲って、ある種の冷めた視線は常に必要と言われればわかる。個別創作垢ならともかく、布教垢を名乗るならその辺もっとドライでよかったかもね。それを差し引いても炎上するようなことでもないと思うけど。

2020-05-14

検察ニュースを見て思い出したこと

高校2年のときクラス替えがあって、最初の1ヶ月ほどなかなか馴染めずにいた。そんな中で教室を移動する授業の予定があり、日直だった自分が施錠をすることになっていた。

移動教室前日の体育の時間だったかと思う。同じように浮きがちのクラスメイトからちょっといい?」と呼び止められて、移動教室中にクラスメイトの鞄から財布を抜き取る計画があること、施錠を忘れたことにして移動して欲しいことを頼まれた。話ぶりからするに、他クラスにも協力者がいるようだった。

自分性格的に弱気な方なので、その場ではショックで何も言い返せなかった。できない、とモゴモゴと言っていた程度だったと思う。ただ、帰り道になんだか無性に腹が立ってきて、彼の連絡先を知っている1年時のクラスメイトに聞いて、その日の夜に思い切って電話をした。何考えてるんだと、お前なんか最悪だと、感情の赴くままに5分ほど話したと思う。

自分が協力しなかったことで、結局、盗難事件が起きる事はなかった。彼との間での気まずさは当然あったけれど、自分と同様にクラスに馴染んでいく彼を見ていると、ぞんざいに扱うことも、彼を陥れるために悪事を公にすることも悪い気がしてできなかった。高校3年から違うクラスになったので、その後に彼と関わることはほとんどなかった。

先日、高校の友人の結婚式にて、彼が今、司法試験を通って検察官仕事をしていることを聞いた。あの悪事を企てていた彼が検察官?と思わず顔を歪めそうになったけれど、墓場まで持っていくつもりの話なので友人には言えなかった。あのとき自分が彼に協力していたら、あるいは直後に彼の悪事を皆に公にしていたら、お互いどんなその後の人生があったのだろう。

誰にも話さずに今に至ってる俺って、めっちゃ偉くない?

2020-05-10

anond:20200510103902

お茶を入れてくれたスタッフありがとうもいわず

矢部のような親しい同業者にもぞんざいな態度でうんざりされてて

全方位的サイコパスみたいな生活態度、に的確な名前さえつけばその名前で繰り返し罵倒されると思うよ。

なぜ岡村はいつまでも「女性差別アングルで叩かれてるのか

世間に広く受け入れられている矢部説教証言採用するならば

お茶を入れてくれたスタッフありがとうもいわず

矢部のような親しい同業者にもぞんざいな態度でうんざりされてて

全方位的サイコパスみたいな生活態度だという。

 

じゃああの発言女性に対して偏見差別があったというより

他者に対する思いやりが絶無の怪物の1放言であって

岡村に対する非難を長く続けるとすればその全人格サイコパス性が焦点になるべきはず。 

 

なのに矢部のその様な証言は受け入れながら

岡村女性に関して差別意識を持っている」というアングルでのみ非難が続く。

 

みんな「女性差別だー」とやり玉に挙げる脳の回路は出来てるけど

その範囲内でない問題を処理する脳の回路が未発達なんだよね。

なんとかの一つ覚えとも言う。

認知と処理の回路がそれしかないので問題のほうをそれに合わせるという感じ。

 

メディアで扱える性スキャンダル痴漢レイプ不倫ぐらいまでで

もう少しだけ入り組んだ性欲だともう全然扱えなくなるので大して炎上しないということがある。

デリヘル一等海佐なんかも怪事件だし機密漏洩しまくってたから大問題なんだけどぶっ飛びすぎててすぐ消えた。

もっと常識的」な、たとえば部下にパワハラセクハラしてたという話だったら機密漏洩なしでも連日ワイドショーだったろう。

 

頭の悪い人は処理回路が非常に少なく柔軟性もないために

自分の乏しい処理回路に現実の形を合わせてしまう。

からすべてが同じような議題になって同じような言葉を繰り返していて世界が狭いパターナリズムに見えてる。

 

その様な指摘をしたところで何も解決しないのがこの問題の恐ろしいところだ。

たぶんソフトではなくCPUスペック問題から

2020-05-05

長年要職についていたジジイ退職すると

本当にウザイ。まだ自分が偉いもの勘違いし過ぎている。

みんなてめーとは仕事での付き合いしなかったんだと気が付いていない。

そしてぞんざいに扱われるようになってからキれやすくなっている。

さっさとくたばってくれ。

「実力と重要性を背景に強気な態度を取る人」を目指してしまっていた

それを「実力があるがゆえに他人言動を揺るがされないカッコイ大人」だと勘違いしていた。

人生設計根本的に間違えていた。

自分がなりたいと目指していたモデルタイプそもそもクソ野郎だったことに気づいてしまった。

人生方向性にずっと違和感があった。当たり前だ。

私はそんな人間になんてなりたくなかった。

技術力を身に着けたかったのは自分を安売りせず正統に取引を行えるだけの力を身につけるためであって、自分他人ぞんざいに扱う側に回るためじゃない。

必要不可欠たる存在を目指したのは不当な圧力をかけようという気を削ぐためであって、自分が誰かに対してマウントを取るではない。

私は自分目標を見誤っていた。

ヒーロー番組に憧れた子供が「正義理由暴力を奮って自分正当性をこれでもかと主張できる存在」を目指してしまうのと同じ心理だろう。

虐げられることがない力を手に入れて目指していたのは平穏に暮らせる社会構成者の一員となることだ。

自分が今までやられた分誰かに理由をつけて心身を痛めつけて溜飲を下げることじゃなかったはずだ。

間違えていた。

この歳になりようやく気づいた。

力があって高値自分を売れるから他人を買えるほどの金があるから、そんなことを理由にして横柄な態度を取っているやつなんてなにも格好良くない。

俺は強いから俺がやっていることは正しいと喚き散らす猿山大将なんて目指してどうする。

そんなものを良しとするのは欲求の段階が原始的本能レベルで止まっている蛮族だけだ。

ようやくそのことに気づいた。

技術力、経験、人脈、そういったものを身に着けて次にやることが、他人に対してマウントを取ることだなんて人間として情けないにもほどがある。

なんで俺は、そんなものに憧れていたんだろう……

2020-04-26

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれ白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあい台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズ化石彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれ化石などを作り出し、ベリンガー化石採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかし化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しか調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は共謀罪有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ケンペレンの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡りアメリカなどで大金を稼いだが、1854年火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、ルイ・ド・ロアン枢機卿を巧みに騙して首飾りの代理購入をさせ、王妃に渡すと言って受け取った首飾りをばらばらにして売りさばいてしまった。その後、事件が発覚して伯爵夫人逮捕された。かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。また「王妃はラ・モット伯爵夫人同性愛関係にあった」「この事件王妃陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアム戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアム父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女インド洋島国王女ラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女メアリー・ベイカーという家政婦で、架空言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ポヤイス国(1822年)

イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地役職通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーフランス高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュアヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人化石捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見たかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人化石見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハル観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい新聞記者から取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石捏造されたものだと断定された。捏造犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝艦隊見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざい変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当ものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アルバニア王オットー1世1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した。ただし、そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られており、新聞などでは人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報は「元アルバニア王オットー1世」に対するものだった。

アーン・マレー(1943年

オーストラリア現代詩誌『アングリーペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるセルから送られてきた。『アングリーペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派詩人であるジェームズマコリーハロルドスチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメものだった。この事件によりオーストラリア現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品シュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界から多額の寄付が集まり居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論特集に、アランソーカルから寄せられた『境界侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

2020-04-18

あほの晋三

https://heimin.hatenablog.jp/entry/2020/04/17/111700

読みづらいので、改行入れてみた。

 4月12日。ずっと雨が降っている。おまけに寒い

 一日中から出なかった。一日中から出ない、くらいのことは別に普通なのに、今この言葉を書くと、なんか意味を持つようになってしまう。自粛しての結果、みたいな。

 しかし思ったけど、2月29日元町1003でのイベント時、はっきり記憶にあるのだが私はあわててぎりぎりの時間に会場に行ったので、会場に着いた時からぶわっと汗が出てきて、「マスクしたほうがええんかなーしゃあないなー」くらいの感覚マスクをしていて、でもそれがうっとおしいから鼻を出したり、アゴにひっかけたり、またマスクをしたり、やっぱりうざいとアゴにひっかけたり、そういう動作マスクの口のとこをぐしゃっと掴んでこう、ぞんざいに繰り返してしゃべっていたんだけど、今ぞんざいに、とか書いたけどよ……、自分にとっては当時マスクの扱いってそれくらい雑なものだったんだよな……。当時て。

 あれからまだ一ヶ月ちょいしかたってないんやで。それでもう今の自分マスクの口のとこをぐしゃって持って何かをしたりしないし、鼻と口を覆ってちゃんマスクをしている。この変わりようというか、変えられようというか、この一ヶ月、二ヶ月くらいでこういう小さなレベルから、いろんな変化が起きて、だから「え?あれ、たった一ヶ月前の話やっけ?」みたいな感覚になる事が色々な局面でけっこうある。

 雨やまへんなあ。きのう「市場ってどうなってんのかな」と湊川のほうに行ってあちこち見てきて、予想していた通りだったのは、多くの店が普段どおりに店を開けていたことで、予想していた以上だったのが、普段より通りがにぎわっているように見えたことだ。直前にMTを見かけて「ちょっとワシ市場見てくるわ」みたいな事を言ったので「市場にぎわってるで」みたいなメールを送る。

 市場特性上(露天やし)、空気がこもりようがない所とか、誰が手に持ったかからないカゴをさわらなくていいとか、誰が持ったかからないカートの持ち手をさわらなくていいとか、人との距離をとりやすい、レジに並ばなくていいとか、いろいろなあれがスーパーと違って安心感があってみな行くのかな。

 星野源の「うちで踊ろう」という動画総理大臣が乗っかった動画話題になっていて、自分はこの歌を巡ってまき起こっているムーブメントになんかこう、全然のれなかったから、正確に書くと歌をめぐって広がっていく大きな輪のようなものが見えて、自分はその輪の外にいる人間だと思っていたから、えっあほの晋三がやってるのかと思い初めて歌を聴いた。映像を見て、なんか久しぶりにこれはおもろいぞ、と思った。

 怒りがなかったのはやはり、歌に感情移入していなかったからだろう。たとえば100日後に死ぬワニの話でも、ずっと楽しみにしていた人にしたら最後あんなぐじゃぐじゃにされたら腹も立つだろうけれど、何も見ていなかった自分には滑稽にうつるだけ、みたいな感じだろうか。なんか説明しにくいんだけど、みんながこういう状況の中でもいい感じにやっている事に対してあほの晋三みたいなのがとつぜんやって来て、それで「おまえこっちに来ていい人間ちゃうやろ」みたいな理屈はわかるんだけど、そういう構図があるのならば、私もまた、あっちに行っていい人間ちゃうな、みたいな思いがあり、輪から外れた場所でふと隣を見たらあほの晋三君がぽつんと立っている、みたいな奇妙な感覚すらおぼえた。

 うちで踊ろう、と歌ってる歌手の着てるシャツにFuck RacismとかRacist Go Homeとか書いていて、それにあほの晋三が乗っかってきたのなら、おまえ差別と断絶でメシ食ってんのに気でも狂ったのか、と私も驚くけど、あの歌やん。ワシらアレに8年付き合っとんねんで。自分発言のせいで人さまが死んでも平気な顔してるような人間ならやるやろこれくらい。「うちで踊ろう」じゃなくて「官邸を燃やしてしまえ」だったらぐっときた。踊ろうって言われてもな。

 もっと、今の状況にふさわしいドス黒い歌がききたいな。もっとあほの晋三の顔を引きつらせるような。輪から外れた場所でふと隣を見たらあほの晋三君がぽつんと立っていて、私は、おれら仲間やったりしてなとあほの晋三君の手をとって、おれらはあんなんじゃなくってこれで踊ろうやと言って、赤木俊夫氏の遺書を私が朗読する。そのあと私たちは牛馬に引き裂かれる。

あんまり変わらんか。

2020-04-13

[]隠亡

これも江戸川乱歩を読んでいて知った言葉だ。

おんぼう、と読む。地域によりオンボ、とも。

火葬場で死者の遺体荼毘に付し、墓地を守ることを仕事とする人のことを指していた。

人の亡くなった場に立ち会う大切な仕事なのに、差別されたり賎民扱いされたりと、不当に扱われてきた歴史があり、この言葉自体は差別用語となってしまった。

インド写真を見ると、よくガンジス河で火葬をしている人々を見るが、こちらも差別されているらしいし、ヨーロッパ小説では墓掘りがでてくるときも、どうも扱いがぞんざいである。「ハムレット」に出てくる彼らは、ブラックジョークかまして場を盛り上げてくれるのだが。

2020-04-12

LINEにはきせかえプレゼントという機能がある

LINEの背景は自由に変えられる。白や黒みたいなシンプルカスタムなら無料ダウンロードできるし、150円出せばサンリオだのディズニーだのキャラクターものの背景を手に入れられる。目移りするけど、パステルカラーキキララなんてどうだろうか。思わず、大切な人にプレゼントしたくなるようなピンクハート柄。LINE側もそういうニーズを把握しているのか、「背景の着せ替えをプレゼント」という機能がある。だれかのアカウント選択、「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでにこの着せ替えを持っています」すでに持っています?、戻る、「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでに…」

真冬だったと思う。平日の18時過ぎ、待ち合わせた喫茶店はそれなりに混んでいた。彼の第一印象は、「やぼったい人」だった。ぶかっこうに厚手のコート毛玉のついた黒のマフラーは、その印象を強めていた。

「君の服、あったかそうだね」

彼は、私のことをときどき「君」と呼んだ。若者らしくない古風な話し方で、それもまた彼のやぼったさを加速させていた。彼の性格が好きだった、とはっきり言えると思う。彼と話しているときにふと感じる、昔から知っていたかのようななつかしさが好きだった。彼のやぼったいルックスも、モクモク煙るセブンスターも、大きすぎるいびきも、全然好きになれなかった。だけど、私は確かに彼が好きだったのだ。彼はときどきうちにやってきて私をぞんざいに抱いたあと、「君とは身体の相性がいいような気がするな」などと抜かした。私は適当に相槌を打ったのだが、いつも酔っていたので正直なところよくわからなかった。口づけの煙草臭さだけを覚えている。うちのアパート禁煙から、というのにどうしても煙草を吸いたがるので、ベランダに出して吸わせた。真冬だったと思うので、相当寒かっただろう。もしかしたら、そのせいかもしれない。

映画に行こう、と切り出したのは私からだった。観たい映画があったのだ。彼はふたつ返事でOKし、映画の前にお茶しに行こう、という約束を取り付けた。お世辞にもデート向きとは言えず、とうていヒットするとは思えない作品だった。ストーリーが暗いことが目に見えて明らかだったし、主演の俳優も有名ではなかった。今思えば、私がその映画を観たくなったのは、彼と会う口実が欲しかたからだったのだ。

待ち合わせはスカラ座だった。真冬だったと思うが私は髪をアップにし、首をすくめながら日比谷線に乗り込んだ。スカラ座の近くにどんな喫茶店があるか調べようと思ったが、私の携帯電話通信速度制限の真っ最中で、調査は難航した。彼に午前中送ったLINE既読がまだ付かないことが心配だったが、それも通信速度制限のせいかもしれなかった。

スカラ座に着いてしばらく待ったが、彼は現れなかった。電話を入れたが、18コール目でもついに取らなかった。先にチケットを買っておこうとしたが、彼の座席の好みが分からなかったからかけたのだ。仕方がないから、とりあえず真ん中のほうの席を2つ押さえた。

真冬だったと思う。土曜の19時すぎ、待ち合わせから1時間経ったが彼は現れなかった。LINE既読は未だに付かなかったし、電話が取られることもなかったが、これはおそらく通信速度制限のせいだろう。彼との関係を前々から相談していた先輩にこのことを報告すると、それってLINEブロックされてるんじゃない?と返された。先輩からLINEが返ってくるということは、通信速度制限LINEの送受信に影響がなかったということだ。ふと思い立ってFacebookメッセンジャーを開いてみたが、彼の名前友達一覧になかった。私はひじょうに混乱したが、昨日したLINEのやりとりは確かに今日約束していた。

明日時間あったら映画の前にコーヒー飲みに行こうよ」

「もちろん!!」

映画チケットは2枚あったが、1枚はナチュラルローソンゴミ箱に捨てた。わんわん泣けたらよかったのだが、なんとなく泣けなかった。そのままナチュラルローソンに寄って、いつもは買わないちょっと高いコーヒーと、いつもは買わないちょっと高いお菓子を買って、その足でスカラ座に向かった。驚くほど落ち着いた素振りで上映室に入り、買ったばかりのお菓子予告編あいだに食べ切った。映画ストーリーは暗かったし、出演者俳優もあまりよく知らない人ばかりだった。正直、つまらない映画だったと思う。驚くほど落ち着いた素振りで家まで帰ろうと思った。乗り込んだ地下鉄が自宅と逆方向だと気がついたときには、すでに15分以上電車に乗ったあとだった。日比谷線アナウンスを聞きながら、ああ自分は捨てられたのだ、という自覚がようやく出てきて、ちょっと笑ってしまった。捨てられたくらいで傷ついたわけじゃない。ただどうせなら、思い切り引っぱたいてから捨ててほしかったのだ。

私は大人になって、彼のことをすっかり忘れていた。彼と何の関係もない知人と、数日前から連絡が途絶えている。コロナウイルスが巷で騒がれている時期なので、一人暮らしをしているその人の安否がとても気にかかった。連絡をとりたい人がいるんだけど、LINEブロックされてるわけじゃないんだよね。なのにいつまで経っても既読もつかないし、電話もつながらなくて。その不安を友人に吐露すると、彼女に「LINEブロックされてるかどうかなんて、どうやってわかるの?」と返された。わかるんだよ、なんて返事をしながら、私は息が苦しかった。この人は、今までつながっていた誰かから一方的に拒絶された経験がないのかもしれない。この人は、グーグルで「LINE ブロック 確認」なんて検索ワードを打ち込んだことがないのかもしれない。この人は、私が今抱えている種類の不安想像することができないかもしれない。誰かとつながっていたい気持ちばかりが肥大して、コミュニケーション遮断されることを必要以上に恐れている自分自意識に心底嫌気がさした。なにも知らないで「そっち側」にいる彼女が本当にうらやましかった。相手自分を拒絶しているかどうか、知ろうとしたことすらない彼女のほうが、私なんかよりよっぽど自然に誰かとつながっている。

私は負け組だ、と思った。

夜中にふと目がさめて、あの時映画に誘った人の名前LINE検索してみた。プレゼントする背景は、トイ・ストーリーにしてみよう。「この人にプレゼントしますか?」、はい、「この人はすでにこの着せ替えを持っています」、笑っちゃうな、あなたみたいなやぼったい人がLINEの背景を着せ替えなんてしているわけないでしょう、ディズニー映画なんて見たこともないくせに、私を嫌いになったなら嫌いになったと一言いえばいいでしょう、なんの会話もなく捨てられるのは引っぱたかれるよりよっぽどつらい、人間関係シームレスに終わらせようとしてんじゃねえ、ナメられたもんだな一方的に拒絶するなんて、何のつもりなんだ、ふざけるな、クソ、

彼はディズニーだけじゃなく、スヌーピーとBT21とスポンジボブハローキティムーミンあらいぐまラスカルの着せ替えをすでに持っているようだった。あのやぼったい彼が本当にそのすべての着せ替えを持っているとしたら滑稽だ。あのやぼったい彼が本当はいずれの着せ替えも持っていないとしたら、それもまた滑稽だ。なんにも知らないで、私のプレゼントまみれだ。なんだかすごく笑えて、また息が苦しくなった。あと何回こんな思いをしなきゃいけないんだろう、と想像すると、明日世界が終わっても全然かまわないと思える。

2020-04-05

anond:20200405005022

ふだんは丁寧

セールスの類や職質などに不意につかまったときなどはついぞんざいに反応するようになった

とずっと言ってるよ

お前が自分の頭の中のえらそうなおっさんイメージ相手に喋るのに俺いらんよね

知らんおっさん(警官販売員等)に話しかけられて

気を付けてないとナチュラル

あ?何?とかタメ口になってる自分に気づいて

おっさんになったなー、これ完全体のおっさんやなオレって思う今日この頃

自分からときは気を付ける暇が十分あるのでぞんざいに話しかけはしない

でもいずれはそこも気を付けられなくなりそう

2020-03-24

三月二十四日(火)

今日頭痛にならなかったのでよかった。ただ、仕事中に同僚から声をかけらえることが多く、ついぞんざい対応をしてしまった気がしたので、あとで少しフォローを入れておいた。というか、いつもよりも丁寧に接した(つもりだ)。

帰宅すると思った通りに妹がいない。妹はコロナウイルスのためにテレワークを導入しているのだが、職場まで遠いので普段はそれなりの距離を歩いている。一日に七千歩ほどだそうだ。その分がなくなって運動不足になることを嫌がり、朝はジョギング夕方にはテニスをしている。それだけの元気が一体どこから来るのか、自分にはよくわからない。自分だったらきっと本を読んで過ごすことだろう。

休みに行く美術館を昨日いろいろと検討したが、ツイッターで出てきた広告によればバンクシーが近所に来るらしいので、そこがいいかもしれない。九月まで開催しているとのことだが、早めにいかないと混むのが目に見えている。しかチケット制だから、どんどん予約が取りにくくなるはずだ。できたらここ二三週間のうちに行きたい。bunkamuraのほうは金曜日仕事帰りに行けばいいだろう。エゴ・オブスクラ六月までやっている。焦ることはない。

それよりも、オリンピック延期に伴って、また美術館側が判断を慎重にしてしまい、一度開いた美術館を閉めてしまうのではないかということが心配だ。そういうことも考えられるので、できたら今週の土日に二か所くらいは足を運んでおきたい。で、バンクシー横浜なので、帰りに有隣堂に寄ってハヤカワSFコンテスト新潮ファンタジー大賞の受賞作、それから漫画を数冊購入することにしよう。久しぶりに図書館を使わずに済ませる。それから、ふとベトナム料理が食べたくなってきたのだが、これは金曜日仕事帰りに行けばいいだろう。

しかし、これだけ大ごとになってくると、風俗に行く気も萎えてくる。客観的に見てリスクは非常に低いと思うのだが(性病のほうがよほど危険だ)、単純にやる気がなくなってくる。いや、そもそも道徳的に行くべきではないと判断している自分がいて、だから金曜日の帰りは美術館に寄ろうと決断している面もある。そのあとにバニーガールバーかおっぱぶくらいには寄ってしまうかもしれないが(いや、さすがにそんなことはあるまい……)。あとはウイルス潜伏させたまま、祖父母に会って感染させたりしようものなら、とんでもない罪悪感があるだろう。

あと、当分海外は無理だろう。特に欧米方面人種差別問題がある。不確実な状況が続く中で、犯人探しをしてしま心理というのは誰にでもあるものだが、わざわざ心がすさんでいるところに足を運ぶこともあるまい。平時であっても、自分旅行した時は街の人々は概して親切であったが、失礼な態度を取る人間ゼロではなかった。そういう目に合うのも社会勉強なので、いい経験にはなったのだが、留学中の後輩はさぞ大変な思いをしているのだろう。

今日の夜のティータイムアーモンドクッキーともなか、それからミルクティ

それにしても、ここで日記を書くの、いつまで続けるんだろう。小説が書けなくなったのでその気晴らしにいいのだが。

あと、タグはつけたほうがいいのだろうか。それとも、匿名の中に埋没したままのほうがいいだろうか。

追記渡仏した後輩は、関西実家にて隔離されているとのこと。まずは帰国できてよかった。

2020-03-19

自暴自棄

自分のものとされる体や心をぞんざいに扱う

所有の概念によって我とか欲とかが生まれ

そのことで努力できる場合もあるけれど

それに疲れてしま

自分の、という概念を捨てようとする振る舞いなのでは

2020-02-08

男尊女卑が苦手な一番の理由

友達だけで集まると決まって彼女の話だったりせフレの話になるわけだけど、

語り口が大体女性を見下していたり、蔑称を使ったりで当人達に悪気がなくても居心地があまり良くない。

その理由が単純に自分が昔いじめられていたからです。

異性だから自分達と違うからっていうだけで敵対視したりぞんざいに扱うのは誰かをいじめる人が使うロジック共通しているから。

女性を他の対象に置き換えたらきっと男尊女卑な人も共感を示すと思う。それぐらい単純なのに気付かない人が多い。

自分女性ゲームで負けたら理不尽な敵意を抱く時があります。弱いもの探しやめようね。

2020-01-20

私はうんこを漏らしていない

私はうんこを漏らしていない。

 

毎週日曜日バイトをしている。知り合いの店の店長代理みたいなものである

で、その帰りには決まってラーメンを食べることにしている。デフォルトで大盛りのいわゆる二郎系というやつだ。そのラーメン屋はスープクリアで豚臭くないところがよい。大量の旨味調味料依存していないことは食べればわかる。

その日、私は体調が芳しくなかった。しかし、毎週の習慣には打ち勝てず、迷いながらも入店した。サイドメニュー無料クーポン券みたいなものを持っていたことも、入店を後押しした。期限が迫っていたのだ。

 

サイドメニュー餃子チャーシュー丼であった。ミニチャーシュー丼もあったが、せっかくだからミニではない方にした。コスパという言葉が好きだ。

メインディッシュは、普通ラーメンではなく、汁なしまそばにした。前に食べた記憶では、汁なしまそばラーメンに比べて全体的にやや量が少ない。さすがに山盛りラーメンサイドメニューミニでないものを平然と平らげられるほど私は食いしん坊ではない。どちらかというと痩せ型だ。

 

この時点で私はうんこを漏らしていない。

 

漏らすわけないだろう。意気揚々と注文をしながら漏らしてるって頭おかしい。もしそうならこの文章タイトルは「狂人日記」とでもなっているはずだ。私は狂っていないので、オーダーをしながら漏らすわけがない。

 

汁なしまそばは思ったよりも量が多かった。そして、ミニじゃないチャーシュー丼もそれだけで1食分くらいの量があった。おいおい。しかし、残すことは私の信念に反する。今までもこういったラーメン屋で残したことは一度もない。夕食を残したら父に激怒され家を締め出されるのではないかと怯えながら、出された飯を必死に食べていた幼年期が私の全てだ。

よし、食うぞ。

チャーシュー丼は非常に旨かった。サイコロ状のチャーシューご飯の上に乗る。ラーメンチャーシューとはまた違うトロトロチャーシューであった。ラーメンチャーシューちょっと硬い。

汁なしまそばも旨い。旨いよぉ。この店は最高だな。あまりにも最高なので毎週通って常連パスをゲットしたくらいに最高だ。

問題なのはミニではないチャーシュー丼と汁なしまそばをオーダーしてしまたことだ。

 

どちらも半分くらい食べたところでお腹がいっぱいになった。腹パンパン。変な汗がどんどん出てくる。体調が悪化していくのを感じた。

そもそも体調が悪かったので、メシをいっぱい食べればよくなるかもという目論見もあった。前にそんなことがあった。しかし、今日はそういう問題ではなかったらしい。

 

まだうんこを漏らしていない。まだってゆうか今後も漏らす予定はない。私の消化器系はところてん式ではない。食べたそばから漏らす仕組みにはなっていない。なってたら常にトイレで飯を食まなければならないじゃないか。この時点で便意は1グラムもなかった。

 

数週間前、違うラーメン屋で濃厚煮干中華そばを食べ、店内を出てすぐ嘔吐してしまった。本来は五年に一度ほどしか風邪を引かないほどの健康体なのに、昨年は3回も風邪を引いた。で、昨年の12月くらいからずっと体調が悪い。年末年始は謎の高熱で寝込んでいた。ここ数日は咳をする度に右の肋骨のあたりが尋常じゃなく痛い。

 

この症状についてパートのおばちゃんに話したところ「肺炎じゃないの?」と言われた。肺炎かー。肺炎という病気について私は寡聞であったのでウィキったところ、症状が当てはまるようであった。肺炎かー。いやだなあ。

 

閑話休題

尋常でない満腹であった。私は肉が大好きだが、目の前の二つの器には肉が結構残っていた。もちろん、米も麺も残っていたが、肉を口に入れるだけで吐き気がした。ここまで肉が憎いことは今まで一度もなかった。なぜならそれはダジャレからだ。

 

誤解を避けるために一応言うけど、ラーメン屋さんは悪くない。豚と小麦粉と米も悪くない。私の体調とオーダーが悪かった。

 

その後も頑張って食べ続けた。まじで頑張った。しかし、あと一口分のチャーシュー丼がどうしても食べられなかった。これ以上食べたら吐く、と本能が言っていた。汁なしまそばは完食した。「ごちそうさまでした」と言って逃げるようにラーメン屋を出た。大量の汗をかいていたので外に出た途端、非常に寒かった。

 

自転車で家まで帰る。店から出ておよそ30秒後、強烈な吐き気を催し、とっさに自転車を降りた。幸い、嘔吐することはなかったが、不快であった。家に着くまでに吐かなきゃいいな。吐くならせめて家に帰ってからだろう。

 

自転車を漕ぐ。家までは10分くらい。そのうち吐き気は収まってきたが、別の問題が浮上してきた。便意である

 

4年くらい前だろうか。同僚と飲んだ後、徒歩で帰っていた途中にうんこを漏らした。長い橋の真ん中あたり。完全に便が100%出切った。夜で一人だったのが幸いであった。誰にもバレていない。この時、私は確実にうんこを漏らした。懺悔します。

 

あの時は漏らしたが、私は今はうんこを漏らしていない。なにしろ今は自転車に乗っている。すいすい進む。大丈夫、間に合うだろう。

 

楽観に反して急速に便意が激しくなる。やばい結構やばい住宅街自転車で駆け抜けながら「やばいやばいよーまじでー」とだいぶ大きな声でひとりごちた。何でもいいから気を紛らわせないと脱糞しそうだった。肛門一世一代覚悟で頑張ってる。私は結婚していないし結婚をする意欲も予定もなく、私の肛門もそれはわかっていたと思うので、あり得たはずの孫の代までの肛門の力を発揮して頑張っていたと思う。

 

家まであと3分くらい。私はうんこを漏らしていない。

 

アパートに着いてすべきことはたくさんある。まず、自転車自転車置き場に停めなければならない。そして、自転車に鍵をかける→自転車ライトを消す→荷物を持つ→2階の部屋まで駆け上がる→鍵を開ける→部屋に入る。いつもやっているこれら行為のいちいちが煩瑣だ。その間に漏れちゃったらどうするんだ。焦っている時ほど鍵穴に鍵が入らなかったりする。荷物が上手に持てなかったりする。なぜなら、肛門に力を入れながらこれら日常行為もこなさなければならないかである。力と集中力分散されるのだ。

 

ようやく家に入った。家に入るまで私はうんこを漏らしていない。以前の俺とは違う。

 

懸案事項はもう一つあった。上着のチャックが馬鹿になっていることである。なぜだかわからないが上着を脱ぐときにチャックがスムーズに降りないのである。脱ぎ終わるまでに1分くらいかかることさえある。この非常事態にあっては、1分もあったら何が起きてもおかしくない。

 

荷物ぞんざいに室内に投げ入れ、上着のチャックを下ろそうとする。案の定スムーズ下りない。家の明かりをつけるのももどかしい。肛門 vs チャック。とは言え、私のリソースは双方に注がれている。うんこテロリストだ。

 

私はうんこを漏らしていない。

 

チャックが下りるよりも先に肛門が緩みつつあるのを感じた。緊張と緩和とか言うけれど笑える事態ではない。別に上着を脱ぐ必要はないのだけれど、なんとなく便器には上着を脱いで座りたいじゃない。とは言え、いざとなったら上着のままトイレに駆け込めばいいのだ。最適解はそれしかない。

 

テロリストカウントダウンはない。いきなり勃発する。あ、と思った瞬間にはもうむにゅっと出てるのだ。4年前の経験から学んだ。

 

私はうんこを漏らしていない。上着のチャックは下りない。トイレまでは五歩くらいでたどり着く。

 

あ、

2020-01-18

自分死ぬのをずっと待っている

 生きていたいわけでも今すぐ死にたいわけでもない。ホリー・ゴライトリーもそんな風に歌っていなかったっけ。

人生が緩慢に詰んでいく。それを感じながら生きている。ずっと待っているけれど、なかなか詰みきらない。

 どう考えても今の仕事自分が向いているとは思えない、といって他の何なら満足にこなせるのか、そうなれるように努力できるのかなんて想像もつかない(ただ生きているだけでもうクタクタで、そんな想像をする気にもならない。だから駄目なんだろう)。

 仕事に限ったことではなくて、家族構成員だとか社会の一員だとか、とにかく何についても満足に役割を果たせる気がしない。

 職がどうとかの問題ではなく、そもそも生きること自体への適性が低いのだと思う。こういう非常にざっくりした悲観的な思い込みに陥ってしまうのは、たぶん自分が何についても真剣に向き合っていないからなんだろう。

 とにかくただ生きているだけで毎日クタクタで、生理的レベルで縛られていることやどうしても頭から離れないこと以外に心のコストを割くことができない。

 きっと、他人に対する自分はおそろしく共感性を欠いた身勝手存在で、関わらなければならないような関係他人からすれば迷惑まりないだろう。自分が色々なことに希望を見出だせないからといって、他人までぞんざいに扱うことが許されるわけはないのだ。自覚があれば許されるものでもない。弁解のしようもない。

 別に自殺がしたいわけじゃない。自殺に失敗した場合は今以上に生きるのが苦しくなる可能性が高いし、自分家族や元家族職場社会的なマイナスイメージ付与されてしまうのは気の毒だし(言いたい奴には言わせておけばいいじゃないか、とはさすがに言いたくない)。

 そういう生ぬるい気持ちを吹っ飛ばすような原動力……例えば何かへの抗議や攻撃のために遺書を残して特別場所で首を括るとか自分を燃やすとか、誰かの死に殉じるとか、そういう積極的自殺というアクションを起こすための動機もない。

 想像力が貧困自分の思い描ける死後の世界イメージは、やり残した仕事だとか遺品だとか自分人生の後始末に迷惑させられている人々の顔ばかり。そんなことが気になるということは、要するに現世にまだまだ未練があるということなんだろう。本当に自殺を遂げる人は、きっと他人や死後の現世の諸々なんて飛び越えてしまうのだと思う。そういう意味では、積極的死ぬことにも自分は適性が低いんだろう。

 自分想像できる範囲世界が全ておしまいになってしまえば死後の憂いもなくなる? 妄想の中のこととは言え、他人を巻き込むのは気が進まない。無気力に生き続けることで間接的にたくさんの他人を害しているだろうに何を今更、とは思うけど。

 生きていることの主観的な苦しさが飽和点に達すると、泡がはじけるようにこの世から消滅できればいいのにね。そんなことをよく考える。自分消滅した後は自動的に他の泡がそれぞれ僅かに膨らんで、何事もなく世の中が回っていけばいいのにね。

 自分主観的な苦しさがなくなって、自分存在することで他人に与えている迷惑もなくなって、自分がいなくなることで誰かを困らせるということもなく、そういう都合の良いことにならないかな……ならないだろうな。

 やはり今の状況と自分自身をどうにか良い方向性に持っていくための前向きな努力をするべきなんだろう。他にできることというと、自分意識のほうをどうにかするくらいなんじゃないだろうか。

 生きていることの苦しさだとか自己嫌悪だとか、全て意識の表層に上がってこないように感覚麻痺させて、死んだように生きる。自分(もしかすると他人も)の肉体を傷付けてしまいたくならないように、精神部分的に殺して自意識スイッチを擬似的にオフにして、余生をどうにかやり過ごす。

 いずれにしても、いつかはおしまいになることなのだ。森茉莉も書いていた。どんな苦しい病気死ぬことで終わる。

 そうして怠惰自分は、かれこれ15年くらいを半ば死んだようにして生きている。死ぬ理由はまだ見つからず、現世への未練は絶ちきれず、自分を変えることもできないままで。

 残りの人生は数秒なのか数十年なのか。こんな風にゾンビみたいに無為に生を浪費していることを自分が本気で後悔する日はやがて来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。

 これで良いんだろうか、これで良かったんだろうか。昨日死んでおけばこんな今日を過ごすことはなかったし、今日死ね明日は来ないだろうにね。

 答えはまだ、出せないまま。

2020-01-17

建築士は男(がなってはいけないはず)の特権職業

ようやく合点がいきました。

デザイナー物件が済みにくいというのはもう昔から言われてることですが、なぜなのか。

なぜ建築のことを勉強し続けてる人たちが作った家が住みにくいのか。

デザインステータス全振りしたらそりゃ住みにくいだろうというなんとなくふわっとした理由づけにみんな納得してきましたよね。

でもデザイン物件に住みたい。高くておしゃれな家は住んでて気持ちいい。

でもトイレ風呂が妙な位置についてたり、ほかの部屋に行くのにいったん外に出ないといけなかったり、子供部屋が鬼のように狭かったり暑かったり、プライバシーがなかったり、ベランダ洗濯物を干すには狭すぎたり、でかすぎて物置になっていたり…まあとにかく妙なことになっています

テレビ番組で「突撃!隣のスゴイ家」というのがあります

田中卓志遼河はるひ仮装夫婦になって人様の建てたばかりの家を見に行く番組なんですが、私はずっと引っかかっている回がありました。

その回で紹介された美容師夫婦の建てた家は、建築素人の妻が家の設計をして建てた家でした。それに遼河はるひが食いついた。

設計したのが素人と知る前から、家に入った時から彼女はくいついていました。いつもとは違う熱量だったのが印象的でした。気に入ったんだなあと誰もが思ったでしょう。

そして見終わって、遼河はるひが言った言葉は「この家を真似しよう、このままの家が欲しい」でした。

そこまで?私は正直思いました。

おそらくその場に立ってみないと見えないところがあったんだと思いました。

個人的には今まで番組で紹介された家の中にはもっと素敵であこがれる家はたくさん出てきていました。でも彼女が食いついたのはその家だったんです。

その後も毎週、建築にこだわりがあり、趣味にこだわりぬいた家が紹介されていきます

そしてある回で二階にプールのある家を紹介したときのことです。

その夫婦の奥様が中国人だったためでしょうが、どの夫婦も濁してきた「住んでみての失敗点」のコーナーで、彼女は住みにくくて不満ですとはっきり言ってしまいました。

やはりデザイン性を追求すると住みにくくなるのか……、そう思いながらも、あの美容師夫婦の家を思い出していました。

そして、すべてバラバラだった事象が突然ぽんと腑に落ちた。

陳腐言い回しだがパズルピースがはまるように突然わかりました。

それは理由としてはごくごく当たり前のことでした。

普段家事をしない男がデザインした家が住みやすくなるわけないだろう」。

いわんや、「士業の男」をや、です。世の中建築デザイナーの妻が10歳以上年下で専業主婦でなかったためしがありません。そこに見える男のロマンといわれるような傲慢思想ブラジャーを作っている大手企業幹部が全員男だった時と同じ構図です。

主人よりずっと長く家に住む女子供を思いやれる建築士の顔が浮かびません。彼らは良い服、靴、時計自分趣味に興味があるだけで、妻や子供自分の家にも住まわせてやってるという意識が働いているのです。代々木上原にあるような賃貸デザイナー物件などに至っては「俺の設計した賃貸に住まわせてやるよ」という傲慢が見えるようです。

彼らの設計する家は、デザイン性によって生じる利便性の悪さをすべて自分居住区以外に押し付けており、表から見える場所はきれいでも裏方がぞんざいです。

子供部屋は狭く、暑かったり寒かったり、子供が大きくなったら壁を作って狭い部屋をさらに二つに、とリビング二の次、三の次の扱いです。私が子供なら成長につれ狭くなるような子供部屋は嫌です。

そして自分のこだわりのために毎日家で長時間家事をする妻の動線無視されています自分の金をつぎ込みたいところにつぎ込み、自分が使わない場所への節約が顕著にでた家の数々。そんなもの「家族」にとって住みやすいわけないのです。

そしてデザインに大きな権限を持つ建築主はこう言った番組で必ず言うセリフがあります

キッチンは妻の希望に任せてこのようにしました……」

丸投げなのです。そして換気扇が恐ろしく遠い位置だったり、キッチンの規模に対して小さすぎたりするのです。料理をしないからわからないのでしょう。

日中は家におらず家事なんかするわけない、家事がどういう流れで行われるかなんて考えたことも実践したこともない人間が、特に家事労働時間の長い家族の住み心地になんか元より考えられるわけないのです。

彼らが立てているのは実物大玩具プラモデルなのです。

家の建築士には家事労働時間の長い人こそがなるべきだったのではとおもいました。(日本では女性になるでしょう。)

いわゆる男の特権職業。それが家の建築なのだなと諦観とともに腑に落ちたのでした。

2019-12-20

anond:20191220005744 マクドナルド北白川店の場合

元増田とは別人です。

先日深夜3時にお腹が空いたので近所のマクドナルド北白川店(24h営業)に出向いたところ、張り紙店舗入口掲示してあり、「メンテナンス作業中のためドライブスルーのみ営業中」とのことだった。

当方自転車で、12月の寒空の中、雨も降っており、できれば店内で食事したいものだった。しかし店内営業していないものはもう仕方がないので、さっさと持って帰って家で食べるかと思い、ドライブスルーの窓口に向かった。どうせメンテナンス中なんてのは人手不足言い訳なのだろう、前の車は窓口でだいぶ長い時間待たされており、それを待つ僕も雨に打たれながら順番を待っていた。

で、前の車が進んだので窓口に向かうと、「申し訳ありませんが自転車ではドライブスルーが出来ない」と店員。いや別に自転車でもいいじゃないですかと主張しても「ルールですので」の一点張りこちらとしては24時間営業を信じて店にわざわざ出向いていたことや、低い気温と雨が自分の冷静さを奪っていたこと、そしてなにより「自転車ではドライブスルーが出来ない」というルールふつう店舗内の受付で購入が可能であるからこそ適応可能な内規であって、勝手ドライブスルー営業に切り替えておいて客に主張できるルールではないだろう、という思いがあり、怒り心頭に発してしまった。

かなり強い口調でビッグマックのLセットを購入させるよう再度要求したものの、埒が明かなかったので、渋々家に帰った。そして日本マクドナルドのお問合せフォームクレームを入れたのであった。

種別マクドナルドについて

■タイトルマクドナルド北白川店の深夜営業について

■店舗/所在地マクドナルド北白川店

■利用日時:2019年12月18日 3時ころ

■問合せ内容:
マクドナルド北白川店では、24時間営業と謳っているが、
・深夜店を閉めている
・深夜はドライブスルー営業のみ
となっていることが週2,3回もあり、しかも完全に不定期であり、店に出向くまで分からない。これは問題では?
また今日ドライブスルーのみ営業だったが、当方自転車だったため、断られた。雨降る中店舗まで来て、張り紙1枚でドライブスルー営業にした挙句自転車ではドライブスルー出来ない、ルールから一点張り危険性も何も存在しない中で、このような頭の固いぞんざい対応に非常に腹が立った。

そして返信が以下の通りであった。

●●様

平素よりマクドナルドをご利用いただき、誠にありがとうございます。
●●様からメールを拝見しました。

このたびは弊社北白川店の営業時間に関し、
ご迷惑をおかけしていると伺いまして、誠に申し訳ございません。

弊社北白川店では、12月18日0時~5時は急な従業員キャンセルにより、
ドライブスルーのみ営業していたことを確認いたしました。

また、以前よりメンテナンスのため、たびたび一時閉店や営業方法を変更していることを、
確認しました。

弊社店舗におきましては、メンテナンス従業員の勤務状況により、
一時閉店や営業方法を変更する場合がございます。

なお、基本的ドライブスルー自動車のみのご利用となっており、
現在、車以外でのご利用は「お客様安全を最優先する」
との判断の上、お断りいたしておりますお客様にはご不便をおかけしておりますことを心よりお詫び申し上げます。

弊社といたしましては、様々な条件が整い次第、
ドライブスルー店舗でも客席をご利用いただけるよう鋭意努力しておりますしかしながら、まだまだお客様にはご不便とご迷惑をおかけしている部分もあろうかと思います。
今後も心地良い店内環境提供すべく日々取り組んで参りますので、
何とぞご理解を賜りますようお願い申し上げます。

●●様にはこのたびご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げますと共に、
貴重なご意見をお寄せ下さいましたこと感謝申し上げます最後に、今後とも変らぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます日本マクドナルドお客様サービス

客観的に見れば僕は勝手に店に来て勝手にキレて帰ってった害悪クレーマーであるのは間違いないので、この返信に対する僕から評論は控え、ここに公開するだけにとどめようと思う。

名前を間違えられた時の指摘の仕方について

自分名前は「増田 瑞紀」という。

当然仮名だけど、話したいポイントは押さえてあるので今回はこれで行く。

自分名前を間違えられやすい。この酷い不快感と生まれてこの方付き合い続けている。

というのも「瑞紀」という名前が、よりメジャーな同音の「瑞希」に誤植されがちなのだ

また「瑞希」になっている名前の表示を見てはぁまたか……といつも酷く落ち込んでしまう。

「みずき」なんていう名前キラキラネームという訳でもなし、漢字別に当て字ではない。

キラキラで間違えられるのなら両親を恨んでも良いかもしれないが、そういう訳でもない。

そもそも自分の考えとして、人の名前を間違えるなんて最低だという価値観もある。

難読で読めないという事はある程度しょうがないが、書き間違えはただの不注意でしかない。

齋藤の齋の字のような画数が多く普段書く機会のないような難しい漢字を少し間違える事はあるかもしれないが、「紀」に間違える要素はない。

ただ単に、「瑞希」というより知名度や一発変換に恵まれた同音の名前があるだけだ。

要するにただの不注意でしかなく、人の名前ぞんざいに扱われていると感じ、腹立たしくてたまらないのだ

重要度の高い書類や何かの登録において名前が間違っていたら、それは指摘しなければいけない。

そこで指摘を渋ると発行が二度手間になったり、無効になってしまったり、かえってややこしい話になる。

しかし、日常ちょっとした間違いにおいていちいち指摘するのは逆に面倒な人になってしまいそうで、なかなか言い出せない。

一番多いのは郵便物だ。

毎年年賀状宛名を「瑞希」にして送ってくる人がいる。多分もう登録データベースに間違えて登録してしまっているのだろう。

今更なかなか「本当は瑞紀なんだけど」とは言いだせないものだ。

メルカリで物を買った時も「瑞希」宛に届いた。「届いたからいいけど郵送事故可能性あるから気を付けてね」とコメントしようか半日迷った。

ダイレクトメールは一番クソである。くっだらないDM名前を間違えて送ってきやがったと憤慨する。この会社商品は買わない。

でも郵便屋さんは親切なので、ちょっと漢字が違うだけならいつも届いてしまう。しかし受け取る方はいちいち不愉快だ。

そろそろ「瑞希なんて人はこの家に住んでないから届けないで」と申請して一斉にシャットアウトできないものだろうか。

新卒入社した会社歓迎会に呼ばれた時、ネームプレート漢字がやはり間違っていた。

しょっぱな間違えて覚えられたらマズいのでその時は自己紹介をしながら「本当は希望じゃなくて紀元前の紀なんですけど~」と述べる事にしたが。

社会人習い事をしているが、そこで渡されるプリント記載されているのもやはり「瑞希」だ。指摘する機会も無く、毎週瑞希を眺めて過ごしている。

たった一文字間違えられているだけで何故こんなに腹立たしいのだろう。

自分は「瑞紀」であって「瑞希」などという人間ではない。増田瑞希さんなんて日本のどこかにいるだろうし、それは自分ではなく他人を指す単語だ。

文字違いでも、それは自分の事ではないと感じてしまうのだ。

初めて何かしらのコミュニティに属する時、殆ど必ず間違えられてきた。

最初は「こんな事もあるのか」という感じだったが、こうも続くとイライラしてくる。

本当は自分がこんな事でイライラしないように変わるのが最も手っ取り早いのは分かってる。

間違えられやすいっていうのはこの先も変わらないし、この先何度もまた間違えられるはずだからだ。

ただとりあえず今一番知りたいのは、誤植をさり気なく指摘する良い感じの方法である

以前社外に少し滞在する期間があり、そこで登録を行った時「もう既にあらかた済んでるので(ドヤァ)」みたいな顔をされながら見せられたのがやはり「瑞希」だった。

さらにその時はフリガナが「ミズキ」ではなく「ミヅキ」になっている誤植祭りだった。

登録間違えたら何かあったときややこしいので、「名前が間違っているので直してもらえませんか」とその時は頼んだ。

するとその場の空気がとても気まずいものになってしまった。

漢字を直してほしかっただけで、別に必要以上に空気を悪くさせたい訳でも、怒りをぶつけたい訳では無い。

が、漢字を直してくれと言うとこの気まずい空気はほぼ避けられない。

なんとかして空気を保ちながら漢字を直してもらう方法はないか、今それが一番の悩みだ。

それとも不可避なのだろうか。これは。

あと重要度が低く、別に間違えられていても手続き的な支障はない私的もので間違えられた場合も指摘していいものだろうか。

追記

元増田です。気付いたら沢山のトラバブコメがついていて驚きました。

まずは沢山の参考になるご意見ありがとうございます

同様の方の体験ありがとうございます

書き忘れていた事を思い出したので、後出し情報で恐縮なんですが、自分には幼少期から瑞希」という友達がいました。

なので「瑞希」という名前自分のものではないという感情が非常に強く植え付けられていました。

希望の方」と「紀元前の方」と呼び分けられたこともありますし、同じ読み方の友達からこそ、一字の違いが本当にアイデンティティだったのです。

本文の通り「名前を間違えるなんて失礼」というのもあるのですが、それは自分ではない!という反応が極めて強いのは、この辺りにも由来があると思います

本文中に書いた通り、本当は自分が気にしない境地に達するのがもっとも手っ取り早いとは思っていますが、それまではなんとか回避しながら立ち回らなければいけないなと思います

上手な自己紹介方法や、郵便物拒否など、取り入れられるものは取り入れたいと思います

それと指摘は割と遠慮なくしても大丈夫そうな事が分かったので、必要に応じて行いたいと思います

2019-12-06

anond:20191206222250

「なんか嫌」って断られるよりぞんざいではないし、良いじゃん

2019-11-30

anond:20191130191251

少女漫画ってイケメン男に守られるかぞんざいに扱われるかの両極端なものが多いかフェミはあまり好まないかもな

2019-11-28

『天気の子』と『ジョーカー』の共通点と、その差異

2019年に印象を残った映画を上げるなら、僕は天気の子ジョーカーを上げるだろう。どちらも大ヒットをした作品で、どちらも非常に「似た要素」を持つ作品だ。

新海誠作品は前回の君の名はの時も、非常に似た要素を持つシンゴジラがヒットした。新海誠作品は、どうも数奇な運命作品に巡り合うらしい。

天気の子ジョーカー、どちらも公開時期は近いから、どちらかがどちらを参考にしたという事も無い。

しかし内容と、そしてモチーフまで非常に似通っている。

「都会で、周りの人にぞんざいに扱われる」「銃を手に入れ、物語を動かす狂言回しとして存在する」「どちらも既存の正しさに異を唱える作品

これらの共通点は、単に箇条書きマジックか、偶然だろうか。僕はそうではないと思う。

新海誠も、トッドフィリップスも、どちらも現代社会を描いた結果導かれた必然ではないかと思う。

しかしながらそのような大きな共通点がありつつも、その結果と印象は全く異なる。

トッドフィリップスジョーカーを「人の温かさを描いた作品だ」と言った。社会的思想だとあえて言わなかった。

明らかに現代社会風刺しているにも関わらず、だ。

先ほど内容とモチーフが似通っていると言ったが、実はその共通点の中に、二つの物語差異存在する。それはまさしく、「人の温かさ」なのだ

・都会での周囲の人の暴力

風俗店経営者と聞くと、多くの人は「ちょっと怖い」とか「金持ちそう」とか「褒められたものではない職業」と思うだろう。

これは天気の子主人公が都会や社会に対して抱いていた感情と似たものがある。

ジョーカーでは、その役割看板を壊した褒められた存在ではない不良、新卒サラリーに抱くちょっと怖く金持ちそうという存在に負わせている。

天気の子の須賀は主人公を体のいいコマとして使うが、同時に役目と居場所を与えている。

ジョーカーではその役目を、ピエロを雇う事務所と、精神科医が担う。ピエロであることで、役目を与え、向精神薬によって居場所を与えているのだ。

そして周囲の人の中に居た女性は、自分の事を気にかけている、までは一緒だったが、ジョーカーではそれは妄想だった。

ジョーカー母親妄想しか目を向けておらず、誰もジョーカーの事を見ていない。

天気の子主人公は猫に自分を重ねて助ける優しさを持っていた。

ジョーカーも、幼少期のバットマンの寂しげな顔に自分を重ね、笑わそうとする優しさを持っていたのだ。が。

・『銃』という存在

この銃は、両映画にとって「社会にとっては間違っている、主人公の正しさ」を象徴するアイテムだ。

二人が銃を手にした理由は違えど、持ち続ける理由は、同じだ。片方は風俗店経営者暴力(足掛け)をされたこと。もう片方は、不良に襲われた事。

社会に恐怖を感じ、自分の身を守る為に銃を持った。

しかし、その銃を持った結果には差異存在する。「銃を見た人の対処」そして「誰に向けたか」だ。

天気の子では、主人公銃をヒロインの前で撃った。標準を「自分を拒絶する社会」としての風俗店店員に定め、しかし恐怖か迷いかで弾は逸れる。

ヒロインは一回それを拒絶するも、主人公家出して不安に感じたことを理解した上、それを許容する。

そして主人公も、その自分勝手な正しさを投げ捨てるのだ。

ジョーカーでは、銃を小児病院で落とす。しかしそれに対して社会や人々は、ジョーカーが銃を持った理由理解しようとせず、拒絶した。

ジョーカーは部屋で銃を持ち踊る時、自分世界象徴である母親椅子に向けて標準を合わせている。結局ジョーカーはその正しさの行き場を失い、自己に閉じ込め、

電車のシーンでは「自分を拒絶する社会」としての新卒サラリーに迷わず発砲する。

天気の子では、あくまで向けるだけで発砲しない。自分の都合の良いように女の子を使って、いなくなっても気にせずに呑気に笑ってる人に対して、脅しとして使う。

主人公にとって世界は「自分を拒絶する社会」ではなくなっていた。主人公も同時に社会を拒絶していた事に気付いて、優しさに触れた。

女の子一人を見捨てる社会」に対して銃を向けていたのだ。かつて自分がそうなりそうな時に拾ってくれ、見捨てずに愛を教えてくれた一人の女の子に対し、同じことをしたのだ。

ジョーカーはその銃で、「男一人を見捨てる社会」の象徴であるコメディアンを撃つ。自分への愛などないと教えてくれた一人の男に対し、同じことをした。

・『正しさに異を唱える』

天気の子では、兎に角「正しさ」に対して異を唱えている。神社で言われた、「現代の人の考える正しさなど、1000年スパンで考えればないも同じもの」という趣旨セリフ

最後マンションのシーンでも、「昔は海に沈んでいた場所が、あるべき姿に戻ったのかも」というセリフ。正しさというもの絶対的ものとして語られがちな現在に対する批判である

そして極めつけは、最後主人公の「天気なんて狂ったままでいい。青空よりも、陽菜がいい」というセリフ主人公にとっての正しさを「選び取る」セリフだ。

新海誠も「選び取る」事に対して、意識して制作したと言っている。

ジョーカーは「正しさ」を雄弁に語るテレビの向こうの人物を見て笑う。ジョーカーは誰も自分を見てくれず、平気で見捨てる社会に銃を向ける。明らかに世界は狂っているのに、その世界自分をことごとく無視する。

薬を辞めて、あるべき姿に戻ったことを感じる。正しさの無い世界で、正しさなんて自分で決めていいんだと気付くのだ。「正義なんて自分で決めたっていい」という、主人公にとっての正しさを選び取る。

天気の子ジョーカーも、暴力に遭いつつも、主人公は誰かを見捨てない優しさを持ち、社会から自分を守る銃を持ち、その銃で正しさを行使し、既存の正しさに異を唱えた。

しかジョーカー場合は、誰もジョーカーを見ず、助けず、愛など与えなかった。結果的に優しさは失い、銃は社会を襲い、誰かを救うためにその力を使えなかった。

天気の子現代社会で愛を描くことで愛を表現し、ジョーカーは愛を絵が描かない事で愛を表現した。

愛を与えればいい、そう結論付けるのは簡単だが、僕たちはまだ犯罪を犯してない、

だが金がマックで寝る男を、精神障害を持ち銃を落とす男に優しさを向ける事が出来るだろうか。

少なくとも、優しさを与えないのなら、ちゃんとその道を選んだ覚悟認識を持ちたい。

そう考えた雨の降る夜であった。

2019-11-25

久しぶりに結構落ち込んだので慰めてほしいです

月経サイクルでガツンと落ち込むときはあるのだけれど

なんでもない日に落ち込んだのは久しぶりで、じわじわ侵略してきた哀しみを受けとれきれないので慰めてほしいですお願いしま


その理由

会社バタバタと人が辞めていってて

それが精神的な休職理由だったり、会社に望みがないという判断だったりと

胸にグサグサきました

わたしマネージメントする立場ではなのですが、だから、采配などどうしようもできない自分が情けないです

ももっと早く手を打つことはできたと思います

業務委託お金だけの関係だと思ってぞんざいに扱う上長

部署新卒が病むまで気にかけない上長

わたしマネージメントする立場に立ちたいと思ってるんですが

自分のため(お金儲けしたいから)と思ってる時点でわたしも今の上長と大して変わらないなとぐるっと回って今のこの状況が

自分に、ボディーブローのように、じわじわ侵略きてきて悲しみが増しま

お金儲けをしたって人の役に立ってない

この仕事

目の前の見えない敵を倒すようなことのために

人の感情精神を痛ませてしまうなんてなんて悲しいことなんだ

なんの役にもたたないし仕事だって

せめて楽しくできたのに

会社に残るのはわたし含め性格の悪い人たちばかりだ

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