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2018-11-08

初めて出会い系サイト登録した時の思い出

20歳だった。

彼女が出来ず、周りは童貞卒業していく。

孤独だった。周りに一番人が多い時期だっただけに、より一層孤独だった。

 

彼女を作るのは難しいが、童貞の捨てるのは簡単だ。

お金を払えばいい。所謂プロ」が所属するお風呂屋お金を払い、そして「プロ」と(結果的金銭が発生するが)恋愛の末、童貞を捨てればいい。

20歳になるとそういうお風呂屋童貞を捨てた人も居た。自分もそうなればいい。

しかし、そうはいかない。童貞を捨てるというのは見栄なのだ。見栄を貼るのに妥協はいらない。と言った所で、彼女ができるわけでもない。

そこで考えたのが出会い系だった。当時はまだスマホも普及していない時代だが、その頃からワ○ワ○メ○ルとかはあったような気がする。

ネット検索をし、「サクラが少なく、えっちな事にしか興味がない女性が多い」という謎の情報が書いてあるブログを見つけ、早速登録したのだ。(ご存知の通りだが、所謂アフィリエイトサイトなのでそのサイトサクラ塗れで、女性登録フォームがまずなかった。)

※ちなみに登録したところは「ワ○ワ○メ○ル」ではない。

 

プロフィールはしっかり書きましょうと言われ、

名前:増っち

住まい神奈川県

年齢:20歳

タバコ:吸わない

お酒:飲まない

趣味カフェ巡り

一言プロフィール:湘南の風の増っちです(嘘)カフェ巡りが好きで鎌倉の○○ってカフェに出没します。

みたいな事を書いた。今思うと意識の高さが垣間見えるし、本当によくそカフェはいってたのでクッソ危ない(逆に言うと、そのカフェぐらいしか行かない)。サクラサイトでよかったな。 

 

するといきなりメールがくる。

相手は19歳のJDプロフィール写真がなぜか下着姿で結構スレンダーゆるふわヘアでどストライクだ。

はじめまして、増っちさん。今晩にでもあえませんか?もう我慢できません。」

おいおい、とんだ淫乱野郎が来たみたいだぜ。プロフィールを見ると、踊り狂うスリーサイズ、88-52-74!可愛い顔してバスト88!?これはたまりませんな!

返信をする。

はじめましてめぐみんさん。自分大丈夫ですよ。どこに住んでいますか?自分鎌倉市です。」(初回ポイント500ポイントのうち50ポイントが削られる。)

するとすぐに返信がくる。

「私も鎌倉市です!すぐに会えそうですね~。早速ですが、ポイントもったいないのでメールしましょう!メールアドレス送ってください。」

おほー、今日俺はバスト88のゆるふわJD童貞卒業する!すまんなお前ら!俺はバスト88のゆるふわJD初体験じゃよ!

「わかりました。私のメールアドレスはmasutti○○@d○c○m○.ne.jpです。」

送信をしようとする。

すると、エラーが表示され、こう映る

メールアドレスの送信には500pt必要です。 450-500=50pt 50pt足りません! ポ イ ン ト 購 入

なんてことだ、最初メールアドレスを送っておけばよかったのだ。仕方がないのでポイント購入をしようとするが…

なんと、ポイント購入が5000円(500pt)からしか出来ない。支払いはクレカか、ウェブマネー…。クレカは持ってないし、コンビニは徒歩10分の距離だ…。

しばらくするとめぐみんからメールが来る。

「あ、いきなりメアド交換は引いちゃいましたか?ごめんなさい>< 私も早くえっちしたいので別の人見つけますね…」

ま、まて!違う!19歳バスト88のめぐみん!まって!という思いで返信を書く

すみません、いまポイント書いに行ってます!もうちょっと待ってください!10分ぐらいで買ってきます。」

部屋から飛び出してコンビニ走る。

「ああ、増っち様。」うめくような声が、風と共に聞えた。

「誰だ!」増っちは走りながら訪ねた。

あなた不安でございますあなたの心の良心でございます。駄目でございます。走るのをやめてください。今月5000円を使うと明日から実家から送られてくる米だけで過ごさねばなりません。」

「いや、米だけで生きていける。」

「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分生活大事です。童貞を捨てるチャンスはもっと余裕があるときで良いではありませんか。」

「そんなことはない、だから走るのだ。後先の問題でないのだ。童貞問題でないのだ。私は、なんだか、もっと柔らかくて大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! 俺の良心。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、サクラじゃないかもしれない。走るがいい。」

増っちは走った。増っちの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。

コンビニにつくや否やウェブマネーを買いたい旨を店員に告げ5000円分を発行してもらう。

そして、韋駄天のごとく、部屋に戻り、ウェブマネーの番号を入力し、500ptを得たのだ。

めぐみんさん、遅くなりました。私のメールアドレスです。masutti○○@d○c○m○.ne.jp

増っちは待つ。どれぐらい待っただろうか。携帯が今にでも鳴り出すんじゃないかバクバクしていた。

そして…

 

「ユーガッタメール…(ピロリン)」

 

来た!

急いで確認する。19歳バスト88!今晩だ!今晩が勝負だ!

 

しかし、届いたメールは期待したものではなかった。

「ご入会完了のお知らせ」

「入会手続き完了のお知らせ」

「お支払い期限が近づいています

「○○動画使用料について」

人妻がお待ちしております

 

くるわ、くるわ迷惑メールの嵐。

旋風。

トルネード。

一瞬にして携帯電池は50%を切る。

騙されたのだ。サクラだったのだ。

5000円騙し取られた上にメールアドレスを売られる。

どんな罪を犯せばこんなひどい罰を受けるんだ。俺はただ19歳バスト88とえっちがしたかっただけなのに。

俺はそっと涙を流し、来るメール来るメールキャンセルし続けて、そしてド○モのメニューからメールアドレスを変更したのだった。

 

今となれば笑い話だが、その後は18日間、米と海苔だけで過ごした。

バイト先の賄いだけがまともな飯だった。

あのときほど、人の何気ない優しさに触れたことはなかったね。

 

人は天の邪鬼だ。

周りに人が多いときほど、孤独を感じ、

優しさを当たり前に受けているときほど、優しさを軽視する。

孤独なほど、人一人の存在感謝をし、悪意に傷ついたときほど、当たり前の優しさを再確認する。

きっと、邪智暴虐の限りを尽くす王もそうだったのだ。

でも本当に失ってからでは遅い。

普段からその当たり前を感じ、周りに感謝を伝えることこそが、本当に大切ではないのだろうか。

2018-06-26

君たちはどう排泄するか(私はこう排泄する)

こないだ同居人ウイルス性胃腸炎になった。旅行から帰宅した朝に気持ち悪いと言いだして横になったかと思うと、トイレへ爆走し、前夜に食べたタイ風から揚げやモンゴルパンの残骸を吐いた。その一連の動作すばやさは初期ミスターポポを思わせるほどで、これは大変だと駆け寄り背中をさすったところ、「さわらんでぇ!」と渾身の北陸式ノーサンキューを受けた。気持ちはわかる。吐いてるとき背中をさする人のおせっかい感はピンクフロイドアルバムおせっかい20枚分くらいに相当する。しかたなく水を持って後方待機していると、彼女の全身は嘔吐の瞬間、筋肉が隆起してビキビキになっていく。全力だ。もうめちゃくちゃに全力淑女だった。さっきの韋駄天のごときスピードも考えると、異常な力を発揮している。思えば人間は「なにか」を催してしまったとき、このような通常の範疇をこえた力を出すことがある。そうやってこの緊急事態に立ち向かうのだ。「なにか」は三種に分類され、それぞれ「うんこ」「おしっこ」「ゲロである。催し界の三強。というか催し界はそれ以外にいない。この界隈は衛生陶器業界以上の完全なる寡占市場である。かくいう私もこのビッグ3には幾度となく辛酸をなめさせられてきた。特にうんこである。私にとってのうんこ錦織選手にとってのジョコビッチに相当する(だいたい負ける)気まぐれな小悪魔うんこにより私の自尊心は何度もズタズタにされ、何枚ものオキニパンツたちが葬られてきた。つまり私はうんこ辛酸をなめさせられてきた。そう、私はうんこ辛酸をなめてきた(!)あるとき花園神社境内でむせび泣き、あるときは仲間たちの嘲笑を受けながら学校トイレにこもり、あるときは家でも寸前で間に合わずカーペット張替えの大惨事をひきおこしてきた。そのときそのときは全力で最悪を回避すべく尽力したが、私は非力だった。彼女のように人の心を捨てミスターポポと化してもどうしようもならないことはある。ビッグ3は強大だった。催し界のチャンピオンズリーグを制すには身体能力以外の力が必要だったのだ。私は年2・3回の戦いをコンスタントにこなしながら、ついに王座を奪取するたったひとつの力を知る。それは、「決断力」だ。「決断力」とはなにを「決断」するのか。それは開き直ってクソをすることである。もうただその場でクソをするのであるおしっこならサーモス水筒へ、ゲロなら弁当箱突っ込みうんこリュックの中にしてしまうのだ。この力をもってして、私はかつてないピンチを乗り越え、それどころかチャンスに変えてきた。ベイブリッジ夜景を眺めていた際の急襲にもなんなく嘔吐決断し、直後スムーズなキッスをかました。富山のまんだら遊苑では天国ゾーン横の森にてナップザックグソを選択しすれ違う子供たちを欺くどころか、軽薄な交流すらしてみせた! もう何も怖くなかった。2010年くらいのサッカースペイン代表みたいだった。ティキ・タカ状態だった。最近ではもう敗北することはまったくない。私は催し界のCLを制したのだ。喜びのあまり、この話を会社飲み会でした。今日、私に話しかける同僚はいない。王者はいだって孤独である

2018-06-02

anond:20180527134500

つい、見てしまった。

これも更新止まってるんだよな・・・

あー、続きが気になる。

ちなみに「平穏世代韋駄天達」が正式名称な。

2018-04-10

韋駄天」をエロい用語だと勘違いしてる友人がいた

あのゲームのせいです

2017-01-04

ほならね2題

アニメ監督新海誠さん

ほんでーまあ…『君の名は。』の反響でね、ちょっとコメントがあったんですけども、

「有りがちなモチーフの組み合わせだけ。そりゃヒットするよ」というコメントがありました。

いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね。

こっちは、こっちはみんなを楽しませるために映画の背景を…作っているわけでして、

やっぱり、前はちょっと喪失から意味を引き出す映画だったのですが、

いや…ちょっと2011年以降やっぱみんなが求めるものが変わってきたかなーと思って

まあ最後に生を獲得する物語作り始めたわけですけども。

そんな、「キャッチーな要素の積み重ねだよね」とか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、だと思いますけどね?ええ。

結構ー…大ヒット作るのは大変に困難なことだと思いますよ。光源の構図、から考えなあかんし。

そんなに「容易だ」と言うんだったら皆さんが作ってみればいいんじゃない?っていう話でしょ?私はそう言いたい。うん。

字幕翻訳者戸田奈津子さん

ほんでーまあ…『ロード・オブ・ザ・リング』の字幕に対してね、ローカル信者からちょっとコメントを?

「ややや けったい翻訳」というコメントがありました。こいつはコトだ!

いやーほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいかもだ。

こっちは、字幕以外に、ほかにやりたいことがなかったか字幕を…作っているわけかもけど、

最近批判を恐れて直訳に近い字幕を見ることもありますが、バカこくな!

いや…ちょっと字幕やっぱ凝った意訳がいいかなーと思って まあベストを尽くさにゃ!

そんな、「韋駄天が間違っている」とか言われたら、じゃあお前が作れって話でしょ、ファック野郎!ええ。

結構ー…字幕作るのは大変だと思いますよ。字数制限から考えなあかんし。

「嘘をつくな!」と言うんだったらボランティア軍が作ってみろ!っていう話で?私はそう言いたい。うん。

2016-09-17

デレマスアイドルワールドトリガー世界に居た的な奴

桐生

桐生つかさ(隊長

ポジション:スナイパー

メイントリガーイーグレットライトニングエスクード、FREE

ブトリガー:バッグワームカメレオンシールド、FREE

・棟方愛海

ポジションアタッカー

メイントリガーレイガスト(改)、カメレオンシールド、テレポーター(試作)

ブトリガー:バッグワームタグ

諸星きらり

ポジションアタッカー

メイントリガーレイガストシールド、FREE、FREE

ブトリガー:レイガストシールド、バッグワーム、FREE

高森藍子

ポジション:スナイパー

メイントリガーライトニングシールド、FREE、FREE

ブトリガー:バッグワームシールド、FREE、FREE

川島瑞希

ポジションオペレーター

解説

スナイパー2人にアタッカー2人という構成A級7位の三輪隊と同じだが、中身は大きく異なっている。

中でも一際目を引くのがアタッカーの棟方愛海のトリガー構成だろう。

アタッカーにも関わらず完全に片手が塞がるバッグワームタグを装備し、

さらにメインにカメレオンとテレポーター(試作)と、これでもかと敵に補足されないことを重視している。

これは彼女戦闘スタイルが「背後からの一撃必殺」に特化しているためである

彼女もつレイガスト(改)は、玉狛第二の木崎レイジが得意とする拳撃をさらに特化させた性能で、なんと盾モードへの変形をオミットしスラスターの速度向上に特化させている、

この強化スラスターは、一直線の軌道しか使えないという弱点はあるものの、韋駄天(試作)よりも高速での移動が可能となる。

しかし、あらかじめプログラムされてはいものの複雑な軌道をとる韋駄天(試作)と比較すると、対人戦闘能力は劣っており「愛海見てからルシールド余裕でした」と、あまり評価はされなかった。

そこで桐生隊が取った作戦が「相手認知されない『背後』から攻撃」であった。

桐生隊はこの作戦に全員が完全特化するため、

隊長桐生つかさが、バッグワームカメレオンの隠密の中エスクードを配置、

アタッカー諸星きらりが両手レイガストで護衛しつつ、スナイパーの高森藍子ライトニング牽制

と、「場」を作った後、桐生つかさもスナイプできる立ち位置に戻り、アタッカーの棟方愛海の不意打ちを狙って行く、と三人が一人の「一撃必殺」に特化したトリガー構成をとっている。

点取り屋でエースへの信頼あっての作戦だけに、確かに棟方愛海のアタッカーとしての実力は相当で、

それがテレポーター(試作)やカメレオンも絡めて不意打ちを狙う戦い方は、A級2位の冬島隊と並んでの「変態構成」としてランク戦での戦いづらさは郡を抜いて評価されている。

勝ち筋は説明したとおりだが、負け筋もわかりやすく棟方愛海への対処ほぼほぼ決してしまう。

特にA級1位太刀川隊の出水公平とは彼の膨大なトリオン量からの包囲射撃が不意打ち特化の桐生隊とは相性がよくない。

他にも、目やレーダー以外の探知法、サイドエフェクトによる探知を可能とするB級2位影浦隊の影浦雅人や、A級3位風間隊の菊地原士郎らにも不意打ちが通じず、棟方愛海の不意打ち以外の勝ち筋を模索する必要があるだろう。

余談だが、何故かA級6位の加古隊やB級12位の那須隊とは極端に相性が悪いらしく、この2チームには結成後一度も勝てていない。

理由は一切不明だが、棟方愛海の一撃必殺が一撃必殺として機能せず、強化レイガストから不意打ちで完全に背後から攻撃成功したように見えたにも関わらず、ワンテンポ空いてカウンターを食らってしまっている。

このカウンターは、女性隊員たちの中でのみ広まっており、何故か男性隊員でこのカウンターを使いこなせる者はいないらしい。

2010-08-25

2010年8月25日水曜日) 「さようなら

忘れもしない今年の5月18日武蔵野赤十字病院循環器科医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。

確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIPET-CTなどの精密機器検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。

宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。

一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書最後サインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれカレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界シーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。

少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい

さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師看護師ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。

生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回り人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。

死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメ世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。

出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏わがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。

私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。

しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。

自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。

一番の心残りは映画夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏原作脚本キャラクター世界観設定、絵コンテ音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。

私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏アニメーション監督としても幸せ者でした。

両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。

それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。

両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。

ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました

親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。

両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。

最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。

気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。

そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。

さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

じゃ、お先に。

今 敏

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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565

無断転載しました。ごめんなさい。

 
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