はてなキーワード: 素手とは
まず尿道口というか、左右の大陰唇のまんなかをなぞる感じで拭くじゃん。
その後、小陰唇の外側?小陰唇と大陰唇のすきまの部分?を左右に分けて拭いてる。
おしっこが小陰唇をつたって出る(私がびらびらデカ人間なだけかもしれないが)ので、拭かないとそこにおしっこがついたままになるのかめっちゃ痒い。
で、そうして股間をトイレットペーパーでなん往復もしてると、水分でやわくなったペーパーが陰毛のやすりで削られてもろもろと陰毛や小陰唇にまとわりつくので、最後に股間を覗き込んで素手でペーパーをちまちまつまんでいる。
俺はたまご大好き!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
喰う!
俺はなんら恥じることなくたまごを食しているが、このゴミはすこし恥ずかしかった!
それにゴミ袋のスペースもあまり有効活用できていないようでもったいない!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
喰う!
落ち着いたら殻用袋をパンパンと挟み潰す!
さすが生命のゆりかご、硬てぇぜ!手のひらにグサグサ感じるぜ!
しかし目算通りスペースすっきり、粒が粗い粉状に近づいた!
袋が破けた!
…負けたぜ!
これは手を汚さずに殻を潰したいという俺の傲慢さへのバベル・ストライクと受け取った!
あぁ~あわかったよ神さンよ!
握りつぶせばいいんだろ!
俺にこの手を汚せと言うんだろ!
潰す!手のひらから血が流れようとも!
俺は!たまごを!食し続ける!
ゴリョウボシでもゴリョウカクでもなくミチシルベと読む。これくらいは誰でもわかるだろうが、
実はマーベル映画のフェーズ4のようなワールドが展開されている。
まず原作の「名探偵コナン」と映画の「名探偵コナンシリーズ」だが映画の名探偵コナンシリーズは基本パラレルだと思っていい。
基本、というのは作者があまりにも映画に関わりすぎているため原作とリンクしていく部分がある…ということだ。
映画であったことが原作であったらおかしくなったりもするので良いとこどりしてると思ってほしい。
まじっく快斗は青山がコナン以前に連載していた「怪盗キッド」が主人公の作品だ。
この2つは9割同じ世界だと思ってほしい。そして作品時系列はリンクしている。同じキャラがコナンにも出ている。
10割ではない理由としては、紅子という存在がいるせいだ。紅子は黒魔術が使える。なのでコナンの世界では紅子は登場できない(作者談)しかしまじっく快斗の方では紅子は新一を認識している。
まじっく快斗の少しあとに連載されアニメ化にもなった作品で40代以降ではコナンよりもこっち派という人も多い。
その「YAIBA」のキャラクターが「名探偵コナン」にも出てくる。名前も同じである。
まず最初に登場したのは平次の母親が昔剣道大会で戦った相手、YAIBA主人公ヤイバの母親だった。名前の登場である。
そこからヤイバのライバルである鬼丸も名前だけ出て、後に本格的に平次たちと同世代の全日本2連覇の学生として出てくる。
さらに今年の映画にも出てくる沖田総司は原作YAIBAの終盤に出てきたキャラだ。
コナンでの登場シーンは鬼丸よりも少し多く「工藤新一のそっくりさん」として登場する。
これは作者が自虐で使う「キャラの描きわけが下手」ネタを使ったものだと思う。
ちなみに沖田が心を寄せている女の子はヤイバの妹(灰原の原型モデル)であるが原作YAIBAにはそのような描写ではなく、当時のファンの話から思いついたネタのようだ。
ここで注意。
「YAIBA」と「名探偵コナン」は別の作品世界だ。つまり「まじっく快斗」と「YAIBA」も別の世界である。
では名探偵コナンに出てくるYAIBAキャラクターは一体何なのかというと、単純にスターシステムであるということだ。
何故か?YAIBAの世界観がぶっ飛んでいて、キャラクターが強すぎるからだ。常人ではない。
YAIBAのキャラクターがコナンの世界に居たら黒の組織を潰してしまうだろう。
ここで問題が生じる。
京極真は名探偵コナンのキャラである。そしてYAIBAのキャラたちと素手で勝負したら戦えるらしい。
つまり京極真は名探偵コナンの世界にいたらいけない存在なのだ。しかし存在する。ここは特別ルールだ。
怪盗キッドは黒の組織とニアミスするが、京極真と黒の組織は絶対に会わない。
ちなみに京極真と同じくらい強いキャラは作者いわく沖田以外にもう一人いる。予想では若狭先生だと言われている。若狭先生は組織とガッツリ関わる。
鉄 刃 → 高山みなみ
ヒトデ男 → 高木渉
食洗機の話題になると毎回「手洗いでは不可能な高温!洗剤!」をメリットに挙げる人がいるんだけどそれゴム手袋で実現できます。
以下は種類の解説。
100円ぐらいの安いのはこれ。
数ヶ月で指先が硬くなってしまうのでこれが原因でゴム手袋は使いづらいと敬遠される原因になってるかも。
硬くならないし柔らかくて使いやすい。
オカモトとかいう聞いたことない会社が出しているマリーゴールドフィットネスが最高。真っ赤っかで気分もあがる。
ただし切れる時は切れる。たぶん薄く作るのも無理。
今ダンロップのジョーブネというのを使ってるんだけど自分史上一番長持ちしてる。
これダイマ。
私はあえてサイズ大きめのを使ってる。
蒸れにくいし付け外しもラク。
あと書いてくれてる人がいるけど真冬でも水仕事が億劫にならないのもメリットだね。
追記2
慣れます。
慣れます。
慣れます。
知らん。
洗え。
乾かせ。
裏返せ。
キミたちは赤ちゃんか?
小学校1年生の頃は、知的障害の男の子を庇っていた。その子は男子にからかわれることが多く、その度に間に入って男子をたしなめていた。その男の子には懐かれて、からかわれるたびに私のところに逃げてくるようになった。2年生になるとその子は転校していった。
小学校中学年の時は、ある女の子が菌扱いされ始めた。○○菌がついた!汚ねー!みたいにはしゃぐ、クラスの邪悪な団結感が嫌だったから、私はクラスの全員が各々独自の菌を持っていることにした。足の速い子の菌がつくと足が速くなり、勉強得意な子の菌がつくと頭が良くなる。クラスの中で○○菌はご利益的な意味に変わっていった。テスト前に頭のいい子の菌を分け与えてもらうみたいになった。徐々に菌ブームは収束した。
その女の子は明らかに知的障害を持っていて、頭はフケだらけ、人前で鼻くそを食べたり、衣服が汚れているような子だった。人が嫌悪感を示す身なりをしていた。コミュニケーションをあまり取れない子だった。
その子にまともに話しかけるのは私と、後に生徒会長になる私の友達くらいで、別室登校しているその子に給食を届けに行ったり、クラスに1人で入れないときは手を繋いで一緒にクラスに向かったりした。
特別その子が好きなわけでも、仲良くしたいわけでもなかったし、正直汚いのは嫌だった。それでも、下手したらいじめに発展しそうな彼女の周りを取り巻く空気感が嫌だった。
クラスの人間達が、作文などで友情や絆の話をしたり、体育祭や文化祭で団結しようと意気込んでいるのをみても、その子の存在を無視したり冷たくしているくせに何言ってるんだと思っていた。
修学旅行のとき、班分けはその子と生徒会長と私、その他無害そうな男子で固められた。男子はこの班割りに不満げだった。移動中のバスで隣の席になり、私が窓側、その子が通路側に座っていた。その子が突然吐いてしまった。私ももらいゲロしそうになりつつも、この子がただでさえ具合悪いのに、さらに辛い気持ちになるのを防ぎたかった。大丈夫だよと言いながら、前の席に流れて行かないよう素手でゲロをせき止めた。徐々にバスの中に混乱が広がっていく。臭い、ありえない、キモい、みたいな発言が飛び交った。みんな根は悪いやつじゃないはずなのになんでそんな配慮のないことを言えるんだろう。その子は泣いていて、私はその子を慰め続けた。その子に貸したハンカチはゲロまみれになった。私も吐きそうで泣きそうだった。先生と私で一緒にゲロを片付けた。
そんなこともあってか、その子は私によく笑いかけてくれた。多分信頼してくれていた。でも私は同じ人としてというより、動物とか庇護する対象のように思っていたのかもしれない。
卒業したらその子は支援学校に行ったと聞いた。高校生になって地元のお祭りで、その子に再会した。昔よりも言葉もはっきりしていて、新しい学校で仲のいい子ができた、学校が楽しいと笑顔で話していた。会話もできるようになっていたし、身なりもまともだった。動物のようだったのに、人間らしくなったと思った。
そのとき私はぶっきらぼうな態度をとってしまった。庇護対象じゃなくなって、優しくする必要がなくなったから。私のそんな冷たさに彼女は気づいていないようだった。今も気づいていなければいいなと思う。
私は偽善者なんだろうか。
かつての同級生のことを冷たい奴らと思っていたけど、私の方がよっぽど嫌な奴なんじゃないか。
優しくすることで見返りが欲しかった訳でも、褒められたかった訳でも、周りから善人だと思われたかった訳でもない。その時はそうするのが当たり前だと思っていた。辛い思いをしている人を見るのが嫌だった。居心地の悪い雰囲気に身を置きたくないだけ、全部自分のためだった。他の人が面倒見るなら、やらなくていいなら別にやりたくなかった。中途半端な正義感なのか、義務感というか。
ちょっと前に食品衛生法?の改正とかなんとかで、「個人経営の漬物製造業者が潰れる!零細企業いじめをする岸田政権!」ってその界隈の人が盛り上がってたけど、アパートの近くにある昔からあるゴキブリとネズミの天国となってる商店街の漬物屋なんて、道路に漬物桶広げて冷蔵も密封もせずコバエがいつも飛んでいて、頼むと素手でそこから掴んで袋に移してるので衛生観念が明治大正で止まってるんだよな。
人の目によくつく小売店でこのザマなので、製造の実態が知られていないような零細漬物業者なんてもっとひどいんじゃないか。
何故、定型句のように令和に価値観をアップデートせよと喚き立てる層が、個人経営だからと旧時代の衛生観念で製造販売している業者を養護するのかよく分からん。
これ系ばっかりで食傷気味。というか袋ラーメンなんてもともと限界飯的な立ち位置の食べ物なんだからそのまま普通に食うのが正しい姿やろ。
すでにごま油だのめんつゆだの明太子だの十分濃い味付けしてるやつをさらに濃厚にして胸焼けしそう。
作った料理を客に出すわけでもなし何のため手袋してるんやろ。どうせ動画撮ってないところだとバリバリ素手やろ?
これやったら釜や内蓋だけじゃなく炊飯器本体もしっかり掃除しないと次お米炊くときににおいが移って最悪なやつ。ズボラ飯どころかこれやる奴相当手間を惜しまない強者だよな。