はてなキーワード: 研鑽とは
かみ田の単行本、悪魔みたいにキミは立ってたが非常によかったので勢いで筆をとった。何を書くか。適当に好きなエロ漫画挙げるか。同人含めるとキリがないから商業で。数はぁキリがいいから10でいいか。思いついたら書くから順位もベストもないよ。
あと性癖は雑食で使う比率も巨乳の方が多いけど釣るためにロリコンとしておこう。
増田でエロ漫画レビューってOKなの?って思ったが[エロ漫画感想]というカテゴリがあるからセーフっぽい。
女性上位ぎみに女児が男を誘惑する蠱惑系ロリです。可愛い系の顔に陰影がしっかりした体が好みなの。エッチも女の子主導だけどしっかり感じて楽しんでるのがいいですね。
ロリが好きな理由に(人妻やNTR系が好きなのと同じく)背徳的な要素が必ず含まれているという点がある。女児に手を出すのは真っ黒犯罪なワケでリアルなら女児は完全な被害者。男は加害者弁解は罪悪と知りたまえ。だけどエロ漫画ではそれが逆転できるんですよね。女児に手を出したというのは男が犯罪者になるという「弱み」であってそれを握った女児が普通は加害者である男の生殺与奪の権を握れるわけです。(この展開は未成年全体でJKでもあるからロリ要素ではないけど)
そういった中で女児からの「お誘い」の色気、受身ではない積極的な主体性。最高にファンタジーで最高にエロいですね。そこにちょっと陰の雰囲気をまとわせればなおよし。
方向性は砂漠に似てるっぽいけどこちらの方がだいぶ読みやすかった。
エロ漫画読者が一番喜ぶことはなにか。それは漫画を書いてくれることです。特に原稿不足に喘ぐ姿が見れるLOでは同人やパトロン系と共存しつつも取られているな感がありますね。
次に書くさらだの単行本も出ちゃったし、読んじゃったしで最近LOに好きな作家が減った・たくさん出ている号が減ったと感じていたときに出てきてくれた作家です。それから体感、コンスタントに作品を提供し続けていてくれて、個人的にここ数年LOをひっぱってきた人です。ありがたし。
作風は概ねエッチ好きな女の子が楽しむ女児メイン視点で明るめで開放的です。女の子はやわらかぷにぷに目で、ぽっこりおなかや大きめな胸の子も柔らかそうでヨシ!
全部好きすぎて単行本はどれでもいいけれどこれか初単行本の妹モノが好きです。
たまにインピオ書いてくれて助かる。
ロリ挙げるなら避けないかな。圧倒的リアル感の圧倒的ファンタジー作家。
とにかく気持ちいいことが大好きな女児というドエロいファンタジー存在を描きつつ、そこに男のエロに食いつく焦りであったり女児の無知さだったりで糖衣することですごい(ファンタジーだけど)リアル風さが出て興奮を煽られる。
逆に「売り」みたいなので事務的に処す子もそれはまたリアルで、またキスやフェラで感じるまでは行かないあくまで「穴ありき」さもエロい。
こんなに都合の良い存在が手に入るチャンスがあればいいのになあとつい思ってしまうのである。
純愛ものって苦手なんだけど、イチャラブに反してプレイが激しいのでギャップでエロい。女の子の発情してる感がつよつよのエロエロです。
作品は特に近作の「妹とノリでエッチした件」連作がずば抜けてクリティカルヒットしてるんですが、収録単行本は7/28発売で未読なのでこちらで。気になるなら「妹TRIP」の方をぜひ。
ロリもの、特に近親相姦ものの特色として、性に対して誤った倫理観を植えつけることができるというものがあります。所謂無知シチュにも通底する部分もありますね。それ自体が洗脳じみて背徳的なのですが、さらに一歩進んでそれがいけないことだと女児が成長とともに理解したうえで誤った行為を受け入れるというのはさらにさらに背徳的で、そういった近親相姦はもはや3乗4乗といったE=mc^2を軽々と超える破壊力を有します。それ以外にもいろんな方向性がありますが、インモラルな父娘ものでまとまった一冊です。
ロリの描き方にもいろいろあってあばら骨が浮くようなスレンダーなのからまだ肉が胸と尻に行かないもちもちとしたイカ腹幼児体形なのまでさまざま。それぞれによさがあります。
この作家はとくにかくプニプニな女児がいい!って時に。年齢はさらに下めで園児、園ジぇる寄り。+太眉属性です。プレイは激しくボテ腹までいくので尖り具合がすごい。刺さってしまったら返しがついているので覚悟しましょう。こんなの供給すくないぞ。
エロ漫画って男で抜いてるときと女で抜いてるときってありませんか?この作者は圧倒的に「感じてる女の子で抜いてるなぁ」と思う作風です。小さな体で限界いっぱい感じてる姿がエロすぎてヤバい。一貫してほぼ胸が膨らまない平坦な体でこれだけエッチにかけるのはもう脱帽です。
(王子様系と違って)男の子に間違われたり混じったりするボーイッシュが描けるのはロリの特権!そういった中性的な魅力もロリにはあるのです。そしてそんなロリがメスになる。いいですね。
SNSでもすこし前に流行った男水着チャレンジ。あれはいいものだ…。
笑顔が光る可愛い女の子たちと、ちょっと多めなおしっこ要素もついてきてボーイッシュが好きならアリアリです。
ただサンバ衣装はかなり厳選されるなー。僕はちょっとないです。
近親相姦する兄妹の「日常」の一部を切り取ったような作品が非常に素晴らしい作家。
行きずりの女の子もいいけどやはり今までの関係性が伺える長い付き合いの女の子や妹といったものはバックグラウンドを感じさせてディティールが深まりますよね。
昔は作品ごとに女の子の顔?の好みの当たり外れが大きかったが、ここ2冊でぐっとまとまり個人的に安定したので印象深く思い出し。
でも一番印象深いのは過去作の「ドライアウト」で作風も珍しいながら子が親に言う「あんたの穴ってさ なんのためにあいてんの?」というセリフ。女児が犯られる作品で放つこのセリフが親子の関係性合わせすごく記憶に焼きつきました。
メイトレジェンドやリョナキングを読まない自分の限界はこれぐらいかなという作品。たぶんほとんどの人はムリなはず。さすがに女児の堕胎まで商業誌でやるのはめったにないでしょう。
子供の家庭内の陵辱というのは、ただの監禁と異なって子供単独で逃げ出すことが難しいという点があるでしょう。自立できない被保護者である子供はひどいことをされていると自覚していても家を飛び出すということが容易には出来ません。そういった中での睡眠姦もまた独特で、薬で眠ったままや一度きりではなく、逃れられない家の中での逃れられない日常の眠りを脅かされるわけで、眠ると何かされるとわかっているが眠らないわけにもいかず寝ても覚めても地獄という様相です…。
好きというとただでさえアレな人間性がさらに疑われますが、ロリレイプものとしてレベルたっけーな…(げんなり)という感想です。
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10じゃ全然きかんな!ただ好きな作品を挙げるというよりロリってこういうのがあるよねって方向性でいろいろ思い出してみた。それでも純愛や大ベテランや淡い感じなのは好みじゃないので偏りある。
それから竿役にキモデブおじさんがあんまりいない…好きだけどそういうのは同人が主戦場かな。
なんとなく作家+単行本の形にしたけど結局、エロ漫画って最新話が一番エロいことがほとんどなんだよね。EB110SSみたいないろいろ変えてる作家は別だけど、EB110SS含め全員常に研鑽してるからすごいよね。何人か過去作挙げたけどもし興味が出て気に入りそうなら挙げたやつじゃなくて最新巻から読もうね。そっちがおすすめ。
穏やかな気持ちがほとんどだが、焦りというか、こんなことをしている場合なのかと不安になる。
いつも焦燥感に駆られている自分がいて、その自分をある意味で受け止められているということもいえるが、一方で、一社会人として、差をつけられているような気がする。アウトローな生き方だと思っていたけど、実は競争が好きなのかもしれない。
◯◯だが、一方で、という考えはまだある。
社会人として東京で揉まれることが人としての研鑽に繋がるとも思うし、でも、揉まれる中で大事な何かを失ってしまっている人もいると思う。親への感謝とか、人への優しさとか。
その間をうまくバランスを取ろうとして、結果不器用さが露呈しているのかもしれない。
自分の弱さを見つめ始めた2022年。その結果生まれた甘え。昔から甘えの要素は大きかった。
もしこうやって穏やかに過ごせる環境でなければ、真っ当に働いていたのかもしれない。
モテたいとも最近は思わなくなった。彼女ができて安定したのだろう。だから、金がかからない。
すごいなと思う人は学生の頃も社会人の頃もよく会う。昔は逐一刺激を受けて、または比較して自分を卑下していた。最近は、そういう人もいるな、としか思わない。
これが成長なのか。大人になるってことなのか。それとも、老いてしまったのか。
やりたいことがなくなったわけじゃない。現に、事業を起こそうとしている。でも、その割には暇だ。退屈。
業務委託もちょこちょことやっている。先月全部切ろうかと思ったけど、今月は業務委託に救われているようにも思う。
バランスを取るのって難しいな。そうやって人間が揉まれていくのかもしれないし、20代はバランスなんか考えずに偏ってしまった方が厚みが出るのかもしれない。
丸くなるな、星になれというキャッチコピーがあるが、あれが刺さる年代になった。
いまならまだまだ取り返せるとは思うけど、そうしたいかどうかはわからない。一種の精神病なのかも。
必要に駆られて動けるタイプと昔褒められたことがあった。それはつまり、必要でないと動けないということ。ドーパミンで生きてきた人間だから、ドーパミンを出すことでしか自分を動かせない。そうじゃない人もいるのかもしれない。もしかすると、ドーパミンを出さず別のところに源泉となるエンジンが付いている人こそが成功者として誉められる。
この感情・状態に模範解答はあるのだろうか。自分の心に向き合うというのが答えなんだろうが、その結果、あまり働かなくなった。
その人生は物寂しいと思うなどしている。
穏やかな気持ちがほとんどだが、焦りというか、こんなことをしている場合なのかと不安になる。
いつも焦燥感に駆られている自分がいて、その自分をある意味で受け止められているということもいえるが、一方で、一社会人として、差をつけられているような気がする。アウトローな生き方だと思っていたけど、実は競争が好きなのかもしれない。
◯◯だが、一方で、という考えはまだある。
社会人として東京で揉まれることが人としての研鑽に繋がるとも思うし、でも、揉まれる中で大事な何かを失ってしまっている人もいると思う。親への感謝とか、人への優しさとか。
その間をうまくバランスを取ろうとして、結果不器用さが露呈しているのかもしれない。
自分の弱さを見つめ始めた2022年。その結果生まれた甘え。昔から甘えの要素は大きかった。
もしこうやって穏やかに過ごせる環境でなければ、真っ当に働いていたのかもしれない。
モテたいとも最近は思わなくなった。彼女ができて安定したのだろう。だから、金がかからない。
すごいなと思う人は学生の頃も社会人の頃もよく会う。昔は逐一刺激を受けて、または比較して自分を卑下していた。最近は、そういう人もいるな、としか思わない。
これが成長なのか。大人になるってことなのか。それとも、老いてしまったのか。
やりたいことがなくなったわけじゃない。現に、事業を起こそうとしている。でも、その割には暇だ。退屈。
業務委託もちょこちょことやっている。先月全部切ろうかと思ったけど、今月は業務委託に救われているようにも思う。
バランスを取るのって難しいな。そうやって人間が揉まれていくのかもしれないし、20代はバランスなんか考えずに偏ってしまった方が厚みが出るのかもしれない。
丸くなるな、星になれというキャッチコピーがあるが、あれが刺さる年代になった。
いまならまだまだ取り返せるとは思うけど、そうしたいかどうかはわからない。一種の精神病なのかも。
必要に駆られて動けるタイプと昔褒められたことがあった。それはつまり、必要でないと動けないということ。ドーパミンで生きてきた人間だから、ドーパミンを出すことでしか自分を動かせない。そうじゃない人もいるのかもしれない。もしかすると、ドーパミンを出さず別のところに源泉となるエンジンが付いている人こそが成功者として誉められる。
この感情・状態に模範解答はあるのだろうか。自分の心に向き合うというのが答えなんだろうが、その結果、あまり働かなくなった。
その人生は物寂しいと思うなどしている。
趣味・同人企画での声優募集で受かるには、一番は常日頃から研鑽を怠らず、自分に合った役を選んで全力を尽くすだと思うんだけど
あえて傾向と対策の話をするなら
・最近のボイスコのレベルやばい(事務所辞めてきたプロ崩れとか、養成所通ってたのがウリのやつとか、腐るほどいる)から、とにかくライバルの力量を正確に知り、自分がそれに勝てるのか負けてるのかを把握する
・「何でもできる」は「特に何も出来ない」のと同じなので名乗るだけ無駄 どの道もらえる役は一つ
・やりたい役と合ってる役は必ずしも一致しないのである程度諦める。努力の仕方で寄せられることはある
・ドラマとかアニメとかゲームとか、プロの優れた教本がいくらでも転がってんだから、見聞きして勉強する
しかないのでは。
たとえば医者。
教育に多額の金と時間をかけて、難関試験を突破して、ようやく医者になっても勤務医ならせいぜい年収1000~2000万円しか稼げなかったり。
そんで医者になってもずっと勉強や学会発表を続けて研鑽し、臨床は寝る時間を削っての超激務で、感染症に常に晒されている3K職場。
一方、どんな低学歴でアホの無能でも、とりあえず職を選ばなければなんだかんだで年収200~300万円は稼げる。
「たった200万円では生活できない!」とかそういう絶対額の話は今回は置いといて。
そうではなくて、相対的に本人の能力や努力や苦労や投資に対する見返りとしてコスパがいいかどうかの話ね。
何の努力も苦労もしてこなかったうえに無能な人でも、どこかに雇われて黙って働いてれば最低でも200~300万円はもらえるよね、って話。
(もっと年収が低い非正規派遣ガー!とかそういう話も今回は直接関係ないので置いといて)
こう考えると、どう考えても医者がポンコツ無能底辺の5倍~10倍くらいしか稼げないのって社会の歪みだと思うのよ。
単に難易度や苦労だけの話だけでなく、社会への貢献度なんかも総合的に考慮してね。
だから無能を排除せよ!とかそういう優生思想的な話でもないから、サヨクさんたちは落ち着いて読んでね。2:6:2の法則で、社会には各階層がそれぞれ必要なんで。
そんで、話を元に戻すと、こういうコスパの悪い職業って他に何があるのか知りたいなと思って。
自分の想像力と知識ではパっと思いつくのが医者くらいしかなかったので、他に何かあれば具体的な数字と共に教えてくれると助かります。
そんなランキング作って何になるのか?という向きもあるだろうけど、社会の歪さを可視化できるんじゃないかと思って。
なんたらな努力は努力とは言わないとかいう勢力のせいで苦労してきたものを無駄な労力に書き換えられる訳だけども
その変換させられたことへのショックさにより「努力」という当たり前に尊いもの、得難いものを認めたくなくなる訳ですね
その結果が上手いこと狙ったところに落ちないことがままあるだけです。
そんな当たり前の繰り返しで、
そしてようやく狙ったところに落ちて嬉しいな!というだけの話なのだけど
その失敗を糧にして成功へ辿り着くという道筋にいろんなカッコイイ名前を付けてしまったから、努力君がそっちに行ってしまうのが嫌なのです。
だから当たり前だとか、ルーティンだとか、普通のことだとか嘯くのです。
たまたま狙ったところに入っただけですよ、とか勘違いさせるのです。
彼等はちゃんと狙ったところに落ちるように日々改良していってます。
その際に出た汗をクールに拭くことができるだけです。
あまりにも自然に汗を拭うから汗をかいてないように見えるだけです。
彼等も我々も人間で、弛まぬ研鑽を行なって日々を過ごしています。
私のこの長文も努力の賜物です。
そしてこれが的外れだとしても私は明日も数分後も未来に気が向いた時にも駄文を書き連ねるのでしょう。
あの日、反省文を四百字詰めの紙に書くのがしんどかった時と比べれば雲泥の差でしょう。
今ではコツも知っていますから一枚でも二枚でも反省文を書くことが可能です。
凍結されたネット論客の青識亜論さんが別垢へ移動→別垢で大学生フェミニストになりすましR18イラストを叩くなどマッチポンプしていたのがバレる
これね。
このまとめに挙がってるのがキタノエニシ(青識のフェミ垢)の発言の叩けそうなものの選り抜きであれば
これは少しもマッチポンプではない。
溶け込もうとしてる発言ばっか。
エニシ@KitanoEnishi
Aug 22, 2021
kutoo運動で女性の労働環境を改善するという成果を実際に挙げている。
エニシ@KitanoEnishi
Nov 23, 2021
エニシ@KitanoEnishi
Aug 15,2021
石川さんは立派な人だー
青識の周りはクズだー
そりゃフェミニスト設定ならそう言うわ。
青識の周りはクズだし。
俺はこういうのは真っ先に吊る。
主体的に喋らない、
なぜそうなるかっつうと
相手陣営の情報や感情をエミュレートして喋るのは非常に難度高くてボロが出やすいから。
レベル高くない偽装者は相手陣営の基本情報ばっかりなぞってさも参加してる風に装う。
「この人は昨日人狼と確定してましたね!」とか。「石川さんは偉いですね!」とか。「青識周辺はクズですね!」「キモオタのpixivゴミですね!」とか。
何でこいつは何の新情報もないことばかり喋るのか?っつうと溶け込む努力しかしてないからなわけ。
一定以上の腕前のプレイヤーの目からはその消極的な偽装はバレバレだけど。
絶対に即吊り。
ただまあ人狼じゃないし
一人一人が注目されないtwitterなら偽装なんてこんなんでもいいのだろうし
いつかオープンにすること込みでこうなってんのかもしれない。
このアカウントであまりアクティブになってフェミニストを先導主導しちゃえば
逆に、溶け込んでるだけのアカウントの何がマッチポンプなんだよ?
こっから本編で今回言いたいこと。
hesopenn
こういう2ch仕草みたいなの、言論空間にとって本当に有害だからやめてほしい。
言論の自由とか言っている人間が議論を阻害、混乱させようとしているの、意味がわからないんだよな。
2022/05/09
論敵の視座が欲しいのよ。
相手の席に座って相手の風景で見て相手の環境に首まで浸かって考えんの。
だからキタノエニシはフェミニストの議論を止めよう邪魔しようとかしてないし、逆に進めよう広げようともしてないだろ。
俺は青識なんて馬鹿にしてたけど
基本が出来てる。
これ見て動機がわからん意味わからんとか言ってる奴こそ頭使ってないので
青識とディベートすりゃ確実にぼろ負けする。
だいたい青とか白とか小山とかあんな連中が羽振り良くしてるのなんて
もしリベとフェミが居なくなったら途端にあいつらはケチなチンピラに逆戻りする。フォロワーもnote購読者も激減する。
リベとフェミがゴミみたいなバットマンであいつらはそれを食べてるカスみたいなジョーカー。
青識がフェミニストアカウントの一つも持ってなかったらそっちの方が不見識だわ。
それは自分のテーマや飯のタネを地道に研究してないってことだから。
白もフェミアカウント人文アカウント色々持ってなければおかしいし
小山ならメンヘラ姫アカウントでオタク釣るのを毎日の素振りにしてるはず。
これがおかしいって思うなら連中に敵うと思わない方がいい。
ついでに格付けも教えると
青が一番格下。言ってることが緩いというか脳の滑りがちょくちょく見える。けど今回は見直した。
知能は小山が一番上かもだけどあれはなんか怒らせる隙が潜んでるように見える。ムキになる・荒らしが通用するタイプ。
白が一番安定してるけど仕事が多いぶんだけ足がフラフラしてるぞ。
お前等には無理だけど俺は出来るよ。
aminisi
言論の力を信じ武器にする人間がやることではない不誠実で恥ずべき行為
2022/05/09
これなんかも本当にバカじゃねーのかと。
・論敵サイドのアカウント作って論敵の生の思考のタイムラインに入浴して実態感じて考える奴。
どっちが誠実な論者かなんか考えるまでもねーわ。
haha64
議論の場を破壊する最低の禁じ手だけど、優しい目で見てる連中が多くて驚く。
これが通用するなら、今後青識とその賛同者が過激な「ツイフェミ」を叩いた場合、
2022/05/09
全然尖ってない、実際に騒動起こしてマッチポンプした形跡もないんだろ?
じゃあ非難出来るところはねーんだよ。
Gl17
普段の青識垢の杜撰極まる発言はフォロワーの知性をよほど極端に低く見ているのではないか。
2022/05/09
そう、すげー穏健なフェミニストを演じてんだよな。
ラディカルで暴言の多い好戦フェミ、とかでは全然ない。少なくとも周りより出過ぎない。
(溶け込むことだけが目的で干渉しないようにやってんだから当然だが。)
で、これが何のマッチポンプよ?
その時はせっこいくっだらねえズルだから大いに非難されてどうにでもなりゃいい。
だが頑張って漁って出てきたのがあのまとめのログだけならあれの何処にも問題はねーわ。
どれがどうマッチポンプなんだ?
って言うと毎度モグモグモグ~って何も言えなくなって一人もかかってこないからお前等はカスなんだけどな。
つーかそもそもおかしなこと言うリベやフェミなんか処理し切れないほど自然発生するのに
リベやフェミが本格的に退潮していなくなって、今更商売替えられなーいって追い詰められた時は
でもリベやフェミがいなくなるのいつだよ。
生物的死滅まであと20年はかかるだろ。ゴキとムカデは死ぬまで一緒よ。
俺も若い頃はよくネットの掲示板で口喧嘩なんかした。一人二役で。
ip出てたって構やしない。他の利用者もそれぞれに乗ってくる。途中で1人でやってると気づいて騒然としたりもする。
そういうことの積み重ねで言い合いに強くなるんだから
それもやってねー奴がやってる奴に敵うわけないんだよ。
本当にレベルが低いんだわ。
俺も一時期白や小山が気に入らねーなーと思った。
そんであいつらのnote購読してあいつらが喜ぶかなーって思う感想やリプを色々飛ばした。
ああこれに反応した、これには反応しなかった、これに喜んだ、こう答えた。
こう言えばいいねがいっぱいついた。フォロワーの中で存在感出た。
白も青もそれぞれ欲しがってるフォロワー像のストライクゾーンあるぞ。
そういうの積み重ねて相手のこと感じて考えるんだよ。
俺はちゃんとそれだけやって結論出た。俺はこいつらどっちもやっつけられる。
これは何かのなりすましか?当たり前の理解の積み重ねだわ。相手への誠意だわ。
これくらいやってないお前等は圧倒的に努力が足りない知能が足りない誠実さが足りない。
「そんなことやってられない」って言うならそれも嘘な。
あいつらに怒って時間的労力的にはこれぐらい余裕で出来るだけのものを既に投下してるやつ大勢いるじゃん。
単に誠実さや能力が足りないから青でもやってることすらやってないだけ。
何回も何回も同じように工夫なくかかっていって同じようにやられてるだけ。
客観的に見てお前等は連中よりだいぶ下だという話をしている。
前から言ってるけどリベやフェミがあの連中に引きずり回されてるの、
どっちが正しい以前に単にあっちの方が腕力があるからなんだよな。
だってネットで暴れてはあいつらの食い物になってるリベやフェミ、
それじゃ青にすら勝てんわ。
誰かの尻馬に乗ってワーワー言ってるだけの奴等、
それじゃショボい投石しか出来んわ。
真面目にやれ。
つーかお前等こそ青の薄汚れたモンチッチみてえなツラの角質でも煎じて飲んで
嫌いなクラスタに溶け込むアカウントを作る&自我を薄めて思考をなぞるってとこから始めたらどうなの?
もしくはそれこそ人狼でもやったらいいんじゃないのとマジで思う。
アモンガスみたいな不純物の多い三輪車じゃなくてテキストだけのやつな。
鯖立てて1,000時間やれ。
大概の人はこの人のようにスポーツ/バトル感覚で議論を楽しんでいるのではなく、現実を少しでも改善しようと声を上げていると思うので、そもそもの動機が違うよね。同好の士とだけ前に進まない議論しててください
それは明確に嘘だね。
君達はスポーツすら真面目にやれてないだけ、単にレベルが低いだけであって、
方向性が違うから!とかいうのは低レベルの言い訳にはならない。
他者の主張や思考をトレースせずに自分の気持ちだけわめくのが現実へのアクションなのか?
だいたいいまリベやフェミがやってることはどういうこった? キモオタ漫画に因縁つけることがどう現実改善への真摯なアクションなんだよ。痴漢がけしからんなら摘発の仕組みを真面目に考えろ。
そんで「キモオタ漫画を規制したら犯罪防止になるエビデンスあるのか」のような話が大嫌いで逃げ回るの、現実改善なんか目指してない何よりの証拠だろ?
そもそも論敵を理解しようってアクションがどうして建設性を欠くのか、
やはり誠実さが足りない。
todomadrid
「これも本人?」基本的には誰が何言っても、どちらのサイドに対しても、
すべてこれで対応すればいい、という話になりそう。
今回で分かったのは、まともに聞くに値しないこと。
2022/05/10
フェミもアンフェもあれが人生無駄なのはその通りだと思うよ。ネトゲと変わんねえ。
逆にあれを人の役に立つ議論のつもりでやってるやついたら
どういう了見なのか教えてほしいわ。
あとさあ、てめえの気に入らない奴を擁護してたら「本人?」っていうの
頭悪すぎるからやめてくんね?目が腐るわ。
青の文と俺の文比べて「癖がこれこれこう似てるから本人だ!」とか
お前の言ってるのは「ぼくのきにいらないいけんはぜんぶおなじやつだー」でしょ?
「レベルが低い」って言う俺の指摘は間違ってるか?
typographicalerror
「真面目」「誠実」みたいなふんわりとポジティブな表現を多用して
具体性は欠くの青の人っぽいわ / 信用と自由についてもお考えを聞かせてほしい
2022/05/10
こっちの方が未だ理由付けしてるだけまともだが
青が何のためにあれやってるのかは超具体的にカッチリ解説しただろ。
ふんわりしてんのはおめーの読解力だ。
この程度の文量で読めなくなるメモリのせいで読んだ内容まとまらねーんだよ。
信用と自由について何を聞きたいんだ。
幾らでも答えてやるから具体的に聞け。
nori__3
よくわからんが、なりすましアカウントを作らないと相手方の視座がわからんのか…?
相手方のタイムライン見ればいいし、ウォッチ用のアカウントならなりすます必要ないし
って思ってしまうのは間違っているのだろうか
2022/05/11
間違っている。
ってかどうしてなりすましが必要か、どういう風にやるのか、解説したよな?
俺は白や小山の信奉者になりきってnoteも全部読んで感想書いて当人とやりとりを重ねた。
「白や小山がむかちゅくううう!」って言いながら
たまにバズってる発言を読んでるだけの奴は0点だろ?
「白や小山がむかちゅくううう!」」って言いながら
俺はちゃんとしているしお前等は怠けている。
なんかネットの話で言ってると異常者に見えるらしいから別のことでもいいよ。
眺めてたってなんにも理解しないわけ。
絵に描いてみたらどうなってるのか深く理解する。
紙で同じもの作ろうと思ったらペットボトル分解して見詰めて更に考えるよな?
「私はペットボトルを眺めてるだけで理解してます」って言うわけ。
なんにも見えてないのにな。
レベル低いわけよ。
別にそれをやってる暇がないって言うならやらなくてもいいんだけど
ってことは自覚していてほしいわけ。
Zephyrosianus 本人乙。はさすがに冗談にしても、
ここは増田みたいな匿名で個人を攻撃する卑怯者の居場所じゃないぞ。
中学生未満の臭い作文を必死こいて書く前に最低限のルールを守れ。このレベルもアンフェは共有できないの?
2022/05/11
はてなブックマーク使ってる奴に言われたくねーわ。
はてブこそ勝手に野次馬観覧席設置しては無責任投石するサービスじゃねーか。
何故かとんでもないことされた被害者のようなツラになってピーピーいう。
俺は俺の書いたことについて異議や不服があればいくらでも受け付ける。
連中が何か気に入らんというなら異議をきちんと読んで応答するぞ。
おめーらはそれすらしねえで逃げるじゃん。
わきまえて口開け。
akutsu-koumi
これだけ長々と書いておいて、肝心なピクシブの「牧場学園」をスルーしている時点で色々とお察しください。
あっ、わざと大きな突っ込みどころを用意してバズろうって肚かな?
2022/05/10
次は「さっき見たときはなかった!後で書き加えた!」とか言い出すのかね?
hirorpt1
Togetterまとめタイトルの「マッチポンプ」とは、いつもの憎クリさんの雑な煽りでしかないけれど、
「牧場学園」というコンテンツに自分から火付けしていたことなら観測されているからな。
さすがに擁護しようがない
2022/05/11
俺は正直白や小山に比べて青には興味惹かれないから普段の言動とか詳しくしらんし
「こいつはこういうことする」「こういうことはしない」みたいなこと言えないんだけどさ、
あのまとめを見る限りでは火付けなんかしてないと思うんだよね。
分かりたい、覚えたい、が最初に来るわけがなく、人と打っているうちに面白さが分かってくるものだと思う。対人ゲームなのだし。自己の研鑽を突き詰めるなら、もっと偶然性の低いパズルなどの方が合っている。詰碁はそういう面もあるが。
コミュニティが紹介されているが、質問できるとかより棋力の合う人と打てるかが重要。将棋はある種のコミュニケーションツールとして普及しているから、駒の動きは分かるって人は多く、子供の最初の相手は多い。
碁は興味が湧いて覚え始めた人に、碁会所には行かないようにお願いするんだよね。碁を嫌いにならないように。
常駐している人の中にタチの悪い人がいるからって。飽くまでも一部の人ではあるが、どこにでもいる。新しく入って来た人をマウンティング対象として扱う。ルールが覚えにくいから碁を打つ自分に酔いやすいが、頭ひとつ抜けるのは難しく天井は高く、歪んだ承認欲求の行き場が無いのだろうか。
少し昔の話なので今は違うのかもしれない。せめて禁煙になっているといいなと思う。
ただの日記なので読まないでください。ご不快になると思います。
衣食住足り傷病もなく、温かい人間関係の中で過ごすことができました。本当にありがとうございます。
肌に触れる布類も清潔で、布団は柔らかく、床暖房を使わせてもらうこともできました。
子猫が甘えてくるようになりました。ふわふわで、どこの匂いを嗅いでもビスケットのような香りがします。抱きしめると喉を鳴らして喜ぶので、自分はなんて幸せ者なんだろうと思います。
今日は暖かくなったら食べようと思っていた、フレッシュサルサを自分で作ることができ、家族みんなで頂きました。
〇が食べたかったナムルや太巻きを用意してくれたので、ありがたくいただきました。〇のために苺を切ってあげられてよかったと思います。
とても美味しかったですが、まだトマトの季節ではないので、おそらくガス暖房ハウス栽培でしょう。いま空気中の二酸化炭素濃度が世界平均420ppmを超えていますが、このような食生活もいつまで続けていけるのかなぁと思いました。
露宇戦争の影響でエネルギー価格も高騰していくでしょうし、空気中の二酸化炭素濃度が更に上がれば、地球は砂漠化するでしょう。
食欲があまりなかったので肉類は食べませんでしたが、アメリカ産の植物性プロテインとニュートリショナルイーストで調整しました。
これも蝗害でいつまで入手できるかわかりませんね。自分はできれば昆虫食は遠慮したいので、今から肉食は減らし植物食に慣れていこうと思います。時代が来たら食べるかもしれませんが、今のところその勇気はありません。
40代の男女の誕生日プレゼントを検討中です。お互い予算は2500円と相手から言い渡されているのですが、そこまで絞ると逆に何がいいのかわからないですね。
〇〇さんには虹の積木、自家製の酵母パン、南国土産のアクセサリー、いくらでも思い浮かびますが、〇〇〇さんにはなにがいいのか皆目見当がつきません。でもがっかりさせたくないので腕が鳴ります。カンナビアもよさそうですが、もう生産終了ですからね。ハンドクリーム、使ってなさそうです。
当初目星をつけていた、parks projectのキャップは5000円だったので予算オーバーでした。一体どうしたら良いのやら。
でも、学生時代を終えて新しく気の合う人に出逢え、しかも友人たりえたのは本当にありがたいことです。気持ちの良い尊敬できる方々で、自分は人に恵まれています。ありがとうございます。
最近爪先が気になるので、NailsIncの45秒速乾タイプを買うか検討中です。
色々試しましたが、何も塗らないと爪の筋が目立つのでエチケットとして磨かなければならない。しかし磨くと薄く折れやすくなる。SNSで見かけたCHANELやOSAJI、ドラッグストアに売っている数々のベースコートも試しましたが、異臭が辛い。ジェルネイルも爪の違和感と異臭が辛い。水性のものはアルコール除菌で剥がれ落ちる。何をすればいいのかもうよくわかりません。
すこし〇〇というゲームもしましたが、あまり楽しめませんでした。なんとなく、自分には向いてなさそうです。
南国の〇〇の〇〇をモチーフにした〇〇を描こうというアイデアが浮かびました。なぜなら、自分にはどうしても読みたい〇〇がないのです。どれを手に取っても、浸りたい世界観がマッチしない。なら、自分で〇〇を描くのはどうだろうと思いました。
〇〇〇と〇〇〇〇で発表して、〇〇〇を狙うのがいいでしょうか。ゆくゆくは〇〇〇〇の〇〇もできれば良いなと思っています。
ということで、〇〇朋子さんの最近出版した書跡を資料として購入します。
今日は全く他人に会いませんでした。疲れてしまうので全く自分には向いていません。
参加しなければならないズームもありましたが、任意なので取りやめました、人と会うと疲れてしまう自分に、今の仕事は全く向いてないと思います。なぜできると思っていたのだろう。結局定期的に体調を崩すことになっています。
なんのために働いているのかわかりません。周りからは破格の扱いを受けていますが、自分にできないことを求められるので、別にそれが当たり前だとは思いますが、向いてないという結論にしかなりません。どうしたら周りと同じように振る舞えるのか、わからない。
アドバイスをもらっても全く活かせないので歯痒いです。せっかく良いご縁をいただいたのに、お役に立てることができず申し訳ありません。
でも、少しずつですが収入は上がってきているので、まだ暫く試行錯誤しようと思います。
別れた〇のことを思い出しました。結局あの方は介護者を求めていたのだなぁと、今になって思います。そして、あまりにも多く嘘を吐く人だったので、自分に対してさまざまな言葉を言っていましたが、あれも全部嘘だったのだろうなと思います。
などと会いたくありませんし、関わりたくありません。縁が切れてよかったです。
アルコール中毒だからうつ病で、レイシストで批判愚痴暴力を愛していたから孤独で、努力を嗤うから進歩がなく、そのために卑屈になり精神的不安定に陥る人でした。自らご自身の幸せを捨てていることを早く自覚して、悔い改めて欲しいと思います。
でも、自分自身はあの経験があったので、危険人物はすぐに離れることができるようになりました。ありがたいことです。
そういう人が幸せになるように、手を差し伸べなければいけないのだと思い込んでいました。全肯定をしなければならないと。でもそうではなく、そう言った方々ご自身の問題は、自ら解決する力があるのだとわかりました。
そして、自分は自分自身の目的のために時間を使うことが罪ではないと学ばせてもらいました。
〇〇さんに連絡しませんでした。なんだか嫌な感じがするので。そのうちします。ごめんなさい。
10億稼いで5億納税して3億寄付して2億で〇〇〇〇保護の活動がしたい。
今〇〇〇は送金できました。残り〇〇です。泣き言言わずに達成します。
そういえば、体重がとうとう〇〇kgになりました。げっそりとしていた部分は無くなりました。
これまでの違いとして、下半身はそれほど問題はありませんが、上半身に皮下脂肪がついた感じがします。
まずは背中を重点的に鍛えて、健康的な体型に近づけようと思います。
体重は、気をつけていたら一日で1kg減っていたので、明日から3日間は-1kgを保持し、4〜6日目は-1.5kgを保持。と言ったふうに、恒常性が働かない範囲の緩やかさで筋肉を増やしむくみと不要な脂肪を削っていこうと思います。
明日は抹茶ラテ、カプレーゼ、納豆麦飯を食べようと思います。〇〇さん、に連絡します。
理由あってこちらを利用していますが、人に読んでいただくために書いておりません。ご感想は不要です。推敲研鑽はしませんので、お手を煩わせるだけの結果になるでしょう。
最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。
歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである(構造主義の話はしません)。
すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋『テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。
さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石の思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石の意図」に接近しようとした。
これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。
聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である。
これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者のあなたが「八百屋さんの隣にあるポストに手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供が八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。
これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァの世界で公式に起きたこと」にアニメや劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダムの関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀「データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。
話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生のノートをもとにソシュール『一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。
聖書や漱石の研究など、ソシュール以前は「世界が言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンルの議論で酷使されすぎだと思う)。
それに対して、「言葉が世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回」である。ソシュールが言ったのはあくまで言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまりに革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義は1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてからの文学理論の最近半世紀である。
それまでの哲学(世界観と言ってもよい)においては、言語の研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたま」のものをいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?
よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題は一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも「日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学の講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。
これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しかし言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかしソシュールいわく言語と対象の結びつきは「たまたま」である。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語が言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。
冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。
もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。
二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野や富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズ、エラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者が調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。
しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野や富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ「作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたしの感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。
上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこの言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作とアニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観をいかに正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。
しかしそうした努力にもかかわらず、論理学や数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデルの不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。
かくして文学研究者らはそうした論理的数学的理論を縦横無尽闊達自在に引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。
しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日の文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに、自分の場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。
だから、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情=想像力こそ、人間が発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから。
最後に
これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探しています。Pythonとかほんの少しできます。よろしくお願いいたします。
【追記】追記編と初手編、日常用語編、国際編、人物編、二眼の説明を加えた。
anond:20220131231934にインスパイアされてやってみた。
省力のために一部wikipediaからの引用も交えながら独自の解説を記した。
一手で隅をほぼ専有できてしまう反面、中央から遠く発展力やスピードに欠ける。
江戸時代以前の古くから打たれている手であり三々よりは中央に近く、星よりは地に近いバランスの取れた手。
隅を占めるのに二手かかるのが欠点。
4・4の地点で碁盤の目印のある部分のこと。
後述の昭和の新布石時代からよく打たれるようになった手。それ以前は置碁くらいでしかあまり見られなかった。
地に甘いというのは、相手に三々に入られるとほとんど地を奪われてしまうためである。
碁盤において、この地点がもっとも高い地点であり、端は地面という概念となっている。
後述の厚みが確定地ではない未来への投資であるのに対し、序盤から陣地になる可能性が高い場所を実利という。
実利をとれば厚みを作られ、厚みを作ると実利をとられるという表裏一体な関係にある。
盤上において影響力を及ぼすことのできる、しっかりと連絡して眼形の心配もない強力な石の集団である。
「厚み」は「薄み」に対する対義語である。囲碁で「薄い」というのは連絡が十分取れていない形、眼に不安がある石のことであり、相手に攻撃される可能性を持っている状態を指す。
これに対して強力な「厚み」は相手からの攻撃を受ける可能性が低く、周囲に近づいた敵の石に対して攻撃するための基盤となる。また、相手が近づいてこなければ大きな模様や地を形成する拠点となる。
大きな地になりうる可能性のある勢力圏のことを指す。多くの場合、隅から辺、中央へ広がるものを呼ぶ。
手の順番や形を変え、定石等と比べることで本来の形に対して余計な石があることなどを評価し、効かし効かされを判断する。
1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
またAlphaGoの台頭以後、新布石時代に負けるとも劣らない布石の変化が囲碁界を席巻している。
例えば星への三々入りを序盤に行うの「ダイレクト三々」は相手に厚みを与えるため不利と言われていたがそれが平然と行われるようになった。
隣り合った隅・辺・隅の星を占める布石である。辺を打たず、隣り合った隅の星を占めるのは二連星と呼ばれる。中央に大きな模様を張ることを主眼としたスタイルで、武宮正樹が有名な使い手である。
安永流ともよばれる。星・小目・辺の星脇を組み合わせた配置である。
小目からシマリを省略して星脇へヒラく手法は、江戸時代初期に本因坊道策が使用している。
本格的な中国流の開祖は安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。1965年の日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本に逆輸入された。
右上空き隅、小目、相手の星へのカカリから星脇へのヒラキまでの一連の配置を指す。下図下辺の黒の配置がミニ中国流である。右上隅の着点は必ずしも決まってはいないが、星との組み合わせが最もよく打たれる。平成期に流行した構えだが、すでに400年ほど前に本因坊道策が試みていた。このため道策流とも呼ばれる。
序盤早々、周囲にまだ石がない段階で、相手の星に対して直接に三々に打ち込んでいく手段を指す。かつては全く考えられていなかった戦法だが、AlphaGoなどの人工知能がこの手を打つことから注目され、人間の棋士の間でも広く採用されるようになった。ダイレクト三々の名称は、2018年5月から河野臨によって週刊碁の連載のタイトルに使われ、定着した。
囲碁の基本的な手筋のひとつである。アタリの連続で、逃げる側は盤がある限りは逃げることができるのだが、盤の端まで到達してしまうとどうにもできず、石を取られてしまう状態をいう。逃げきれるつもりでこの手順に入ると非常に大きな被害を受けること、シチョウアタリという攻守が全く逆転する危険な変化があることから、「シチョウ知らずに碁を打つな」という格言もある。
シチョウの追いかける先に相手の味方の石がある場合シチョウが成立しないので、この手を選ぶことが多い。
相手の石にフタをするように斜めに置き動きを封じる。
一旦相手のふところに石を打ち、一度は取られてしまうが取った後の姿がアタリになっていてすぐに相手の石を取り返すことができる。
漢字表記では「追い落とし」となる。 ツグ手を打っても引き続きアタリになり、取られてしまう状態をいう。別名をトントン、ツギオトシ、バタバタとも。
相手の石にも自分の石にも触れないような位置に、文字通り「置く」ように打つ手のこと。動詞では「置く」となる。多くの場合一線や二線など辺の低い位置の、敵陣の急所に打つケースを指す。
相手の二団以上の石を同時にアタリにし、二眼を確保する手段。文字通り相手を押しつぶすイメージであることからつけられた。着手禁止点を利用して生きる手筋である。
相手の石をアタリにし、自分の石を相手に取らせた上でもう一度相手をアタリにする一連の打ち方を指す。途中、さらに捨て石なども交えることもある。多くの場合、相手を凝り形にし、自分が形を整える目的で打たれる。また、攻め合いの場面で相手の手数を詰め、攻め合い勝ちに導く手筋としても用いられる。また、あまり効果のないシボリを「西洋シボリ」と称することがある(前田陳爾の造語)。
ある石のダメが詰まることで、各種の不都合が生じる状態を指す。「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁格言があるように、不必要にダメを詰めてしまうことは身の破滅につながり、碁において戒められる事柄のひとつである。
駄目については後述。追記編を参照。
ヨセ(終盤のこと)において相手の陣地を侵食するための鮮やかな手筋。
一見繋がってないようなところに打つのだが、見事に繋がっていて相手の地をかなり減らすことができる。
盤上にある石の一団は二眼(空間が2つ)ないとゆくゆくは駄目(呼吸点)が詰まり必ず取られてしまう運命にある。
これはルールとして定められているというよりは、石は呼吸点を有してないと取られる、着手禁止点には打てないという2つのルールから導かれる定理のようなものである。
2つ眼があると、駄目が最低でも2つある状態と着手禁止点が2つある状態が存在するため、着手禁止点を同時に2つ塞ぐことはルール上できないので必ず取られない最強の存在となるのである。
この取られない石の状態のことを「生きている」と言い、この「生きている石」の内側の領域が陣地となる。
この石の生き死にさえ理解できれば、初心者の、どっちがどっちを囲んでるのか、これは内側も外側も囲んでると言えるのではないか、という疑問は消えるだろう。
相手にそこを継がれると眼となる部分に先行して打って欠け目にすること。
「打って欠く」(打ち欠く、あるいは内欠く)の意
相手にそこに打たれると完全な二眼ができてしまう部分に先行して打てなくする、相手の石の一団を殺す必殺の手。
隅に打った既存の石から陣地を確保するためにもう一手かけて領域の守りを固める手
ふたつ隙間を空けて打つ手
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自分の石の斜めひとつ空けた場所に置くこと。●から見て★の手のこと。
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相手の石の隣にくっつけて置くこと
相手の石を挟むように置くこと
相手の石の斜めに置くこと
相手の石のつながりを断つように斜めに打つこと
相手の石がそれ以上侵入してこないようにせき止める位置に置く石
相手の石を押すように平行に打たれる石
目外しへのカカリから発生する定石を指す。派生する変化型が多く、複雑な戦いになることから、大斜百変、大斜千変とも呼ばれる、難解定石の代表的なもの。天保頃より特に研究が進み、現代でも多くの変化が生まれ続けている。
小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された
小目への一間高ガカリに二間高バサミして生ずる一連の変化を指す。難解で未解明部分も多く、また変化型が多いために誤ると自らも傷を負うところから、村正にちなんでこの名が付いた。大斜、大ナダレとともに三大難解定石とされる。
竹の節のような並び。
一間空けて2:2で平行に並んだ形で、その間をどちらかを相手に打たれたらもう片方で繋がれるので絶対に切られることがない。
仏教用語ではひとつの宇宙が始まって終わるまでの途方も無い長い時間のこと。
囲碁においては、どちらかが譲らない限り永遠に循環してしまう特別な形があり、その形をコウと呼ぶ。
コウの形で石を取られた側はコウをすぐに取り返してはならず、一手別の場所へ打つ必要がある。
通常、白石はハマグリのくり抜きによってできているがそれが語源か。しらんけど
冒頭で説明。
限られた局面、特に序盤においてある程度決まった一連の手の応酬のこと。
定石は手練の碁打ちの長い研鑽、研究により成り立つもので、お互いに必然の手を打ち、双方ほぼ互角のワカレとなるのが定石の前提である
どちらの陣地にもならないどうでもいい地点の事を指すことから日常用語に転じた。
または、石から出ている呼吸点(全部塞がれると相手に取られてしまう)のこと。
囲碁において死活問題とは、相手の石を殺す、あるいは自分の石を活かすための問題(クイズ)のことである。
現代では上手(うわて)が白を持つが平安時代期には強いほうが黒を持っていた。
そのため
と転じたと言われている。
自分が第三者となった視点で戦いを見ると手がよく見える、あるいはそう錯覚すること。
一目は一子(石ひとつ)の意。
囲碁においては強さに差がある場合、相手より多く先に石を置いた状態で始めることから、相手の実力を認め敬意を示す意味に使われるようになった。
手を省くこと。
力を抜くことではなく、相手の打った手に付き合わず、その場所よりも価値の高い場所へ向かうことを言う。
囲碁にはいくつかルールがあり、基本的には江戸期~昭和期まで囲碁の第一人者であり、世界に囲碁を広めた日本のルールが用いられている。
日本ルールは盤上の囲った陣地(目)のみをポイントとするのに対し、中国ルールではそれを含め置いた石の数もポイントになる。
この2つの大きな違いは、日本ルールが自分の陣地に自分の石を置くことがマイナスとなるのに対し、中国ルールではマイナスにならない点である。
このことが死活に関わる局面や終盤の局面での手入れ、手抜きにおいて大きな違いを生む。
日本ルールでは曲がり四目と呼ばれる形が出現した場合、手を入れるのがマイナスになるためそれが死であることの証明を用いないと議論が生じる。
そのため中国ルールのほうが初心者に優しく、コンピューターにも優しい。
他には日本ルールでも中国ルールでも禁止されている自殺手がOK!というルールもある。
碁打衆を保護、「御城碁」の基盤を築く。近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。(日本棋院表彰ページより引用)
永禄2年(1559年) - 元和9年5月16日(1623年6月13日)
江戸幕府における囲碁の最高位だけにとどまらず、将棋の最高位も得た二刀流。
大橋宗桂との将棋対局は将棋の現存する最古の棋譜でもあり将棋界においても重要な人物の一人。
正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年4月22日)
手割りや布石など、数々の発明を生んだ天才棋士。史上最強という呼び声も高い。
文政12年5月5日〈1829年6月6日〉 - 文久2年8月10日〈1862年9月3日〉
ヒカルの碁で著名。
1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日
またタイトルとなる前の、「名人は一世に一人」の終身名人制時代の最後の名人でもある。
引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。2008年囲碁殿堂入り。
「オマ●コ」発言など、昭和の棋士らしい数々の破天荒なエピソードが有名。
棋聖 6期 (1977-82)
名人 2期 (1962・70)
天元 1期 (1975)
「下駄を履いた男性医学部受験生/不利な状況で受かった女性医学部受験生」
って構造をそのまま
「下駄を履いたが故に相対的に劣った男性医師/不利な状況で受かったが故に相対的に優秀な女性医師」
ってみなしてるコメントもあって尚更アホやなって思った
それが許されるのは
「大学受験における試験の点数の優越」→「医師の臨床能力の優越」
「東大理三から医学部に進級して卒業した東大医学部卒の医師」が最も優秀な医師ということになる。(東大入試で男女差別はありえないのでこの場合医師の性差をないものとする)
つまり女性受験生を差別してた私立医卒の医師は(問題になった大学のうち順天堂以外はだいたい中堅から底辺なので)男女問わず医師としては劣ってることになるだろと
実際はそんなことなく、本当に不出来ならば医学部6年間+国試で淘汰されるし、そもそも医師としての臨床能力は臨床に出てからすなわち医師になってから磨かれるものであるから、それなりに良い教育環境の中で医師として研鑽を積んでいれば実力はプラトーになるんよ
そんなことも考えずに大学入試ごときでヤブがどうとか思えるの、思考が素朴すぎるわ
もちろん私は入試で女性というだけで減点するようなクソ私立医はクソofクソと思っているし、入試は入試問題の解答能力の評価としてはフェアであるべきと考えているから、今回の結果は歓迎している
最近は作家と公務員の2足のわらじに対する世の中の風当たりがやたら厳しい。
仕事で知ったことを平気でバラすようなやり方をしなければセーフだと私は思う。
そもそも金を貰えるにしろ貰えないにしろ私達は文章を書きたくてたまらないわけで、むしろ書かなければ体調を崩して公僕としての機能が落ちるのだから。
言ってしまえば排泄と同じなわけで、仕事に専念するために書くのをやめろなんて我々に言うのは、ウンチをしないアイドルになるために肛門に栓をしようと提案するようなものなのだ。
実際、私の作品が市場の需要を満たせないと判断されて仕事がなくなった今でも私自身は適当な書き散らしは好き放題にやっているわけで。
締め切りという概念から開放されたと思われるかも知れないが、私のやり方は連載作家のそれではなく完成してから納品してそれを編集が見て売れるものかどうかを調べるやり方なわけで。
結局の所、収入が公務員一本になっただけで時間の使い方に大きな違いはない。
お役所仕事は相変わらず嫌いなままだし、組織への忠誠心は文筆業を退いたからといって増えたわけでもなく10年以上前から続く空っぽが今も続いているだけだ。
気持ちの上では作家が本業だっただけで、時間を使う割合で言えば間違いなくフルタイムの副業が上回っていた。
収入についてもなんかの賞を取った瞬間に月収の内訳を比較してようやく作家業が勝つ状態である。
私と同年代の作家が大学を出てすぐプロになった話を聞くたびに、単純な経験値の比較でどれほど差がついているのかを計算してしまう。
こっちが役所のボロっちいパソコンに向き合っている間、あっちは作家として研鑽を積んでいる。
週50時間、月で200時間、年で2500時間、その上向こうにはこちらにないようなサポート体制がある。
10年なら25000時間、よっぽど両者の才気に差がなければ埋めきれない。
そして才能がないのはコチラの方だ。
才能はない、積み上げた時間は違う、モノが違う、それでも負けたくない。
なんで負けたくないのかと言えば、他に自信があるものがないから。
アイデンティティを能力の優劣に委ねるような幼い人間性を成長させることより、能力によって自分の存在を証明する方が楽だと見誤って生きてきたから。
言い訳をさせてもらえば、存在意義を人間社会の存在価値に委ねるような人類全体の幼さに付き合わされなくていいならこんな事に悩む必要がないのだ。
今や本業の収入はゼロだが本業が作家であると言い張ることを辞めたくはない。
公務員として立派に働くことに人生の意味を見出してしまえば、あのねばついた組織の空気と同化してパワハラを繰り返す怪物の一員となるのだから。
それだけは避けなければならない。