はてなキーワード: 並木とは
高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。
都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。
青高は東京メトロ銀座線の外苑前駅の近くにあって、ヤクルトの本拠地の神宮球場の目の前の高校。
高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)
国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校だから(物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。
まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。
僕は大江戸線の国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場の敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。
あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)
立地はこんな感じ。
次にイベントについて書いていく。
確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。
応援団をやる人は2、3週間くらい応援団の練習をするんだけど、練習場所が代々木公園だった。
定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。
外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、
インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、
表参道を歩いたりとか、原宿の竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。
今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。
11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑の絵画館」前のちょっとした広場的な場所で練習をしてた。
正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。
文化レベルって観点では、絵画館の建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館と銀杏並木の風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。
イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。
個人的には、学校に自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。
あと僕は部活やってたからバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人な世界を垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。
僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生の場合、都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。
まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。
あと仲良かった奴が、「スイスでヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間の文化レベルたけぇなって思った。
お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿の古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。
あとはまぁ、今はもうない明治公園でフリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。
もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?
高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、
大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。
まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端な文化に触れられるのじゃないかな?
僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身で電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。
僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプの携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオのTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。
■晴海トリトンスクエア:東京の小金持ちが好きそうなタワマン街にあるショッピングモール。夜景が綺麗。
■日本橋室町:ウィンドウショッピングをするなら銀座よりこちらの方が外国人観光客が少ないし街並みが綺麗。
■東京駅周辺&丸の内イルミネーション:東京駅の皇居側にある丸の内仲通りを中心にオシャレな店が並んでいる。
■神宮外苑:再開発が始まるのでイチョウ並木を見られるのは今だけかも。
■上野公園:上野駅公園口駅舎がかっこいい。上野公園も噴水広場のあたりが綺麗になっている。紅葉は終盤。
関ジャムの若手アーティストが平成の曲を選ぶアンケート企画が話題になっている。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
そういえば昭和から平成に変わった当時でも同じような企画をNHKがやってたなと思い出しちょっと調べてみた。
無作為抽出の2000人に対する電話アンケートで思い出の曲を聞くという当時のNHKらしい力強さを感じるが平成になったばかりなんでこんな曲が何故そこにというのもゴロゴロ。
NHK昭和の歌・心に残るベスト100(1989年10月10日発表)
Best 1位~100位
2位 ◇影を慕いて(1932_昭7)藤山一郎
5位 ◇悲しい酒(1966_昭41)美空ひばり
6位 ◇柔(1964_昭39)美空ひばり
8位 ◇岸壁の母(1954_昭29)菊池章子/二葉百合子(昭和51年カバー)
13位 ◇お富さん(1954_昭29)春日八郎
16位 ◇有楽町で逢いましょう(1957_昭32)フランク永井
19位 ◇矢切りの渡し(1983_昭58)細川たかし 他(競作)
22位 ◇北国の春(1977_昭52)千 昌夫
25位 ◇襟裳岬(1974_昭49)森 進一
30位 ◇アカシアの雨が止む時(1960_昭35)西田佐知子
31位 ◇君恋し(1929_昭4)二村定一/フランク永井(昭和36年カバー)
37位 ◇銀座の恋の物語(1961_昭36)石原裕次郎&牧村旬子
39位 ◇くちなしの花(1973_昭48)渡 哲也
40位 ◇涙の連絡船(1965_昭40)都はるみ
41位 ◇黒い花びら(1959_昭34)水原 弘
42位 ◇この世の花(1955_昭30)島倉千代子
44位 ◇せんせい(1972_昭47)森 昌子
45位 ◇さざんかの宿(1982_昭57)大川栄策
48位 ◇ブルーライトヨコハマ(1968_昭43)いしだあゆみ
49位 ◇娘よ(1984_昭59)芦屋雁之助
50位 ◇月がとっても青いから(1955_昭30)菅原都々子
52位 ◇いつでも夢を(1962_昭37)橋 幸夫&吉永小百合
53位 ◇長崎は今日も雨だった(昭和44年_1969)内山田洋とクールファイブ
57位 ◇与作(1978_昭53)北島三郎
59位 ◇湖畔の宿(1940_昭15)高峰三枝子
60位 ◇夜霧よ今夜も有難う(1967_昭42)石原裕次郎
61位 ◇誰よりも君を愛す(1959_昭34)松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
63位 ◇氷雨(1977_昭52)佳山明生/日野美歌(昭和57年カバー)
65位 ◇異国の丘(1948_昭23)竹山逸郎
71位 ◇酒よ(1988_昭63)吉 幾三
72位 ◇三百六十五歩のマーチ(1968_昭43)水前寺清子
75位 ◇二人は若い(1935_昭10)ディック・ミネ&星玲子
76位 ◇夢追い酒(1979_昭54)渥美二郎
79位 ◇おもいで酒(1979_昭54)小林幸子
80位 ◇潮来笠(1960_昭35)橋 幸夫
81位 ◇人生劇場(1938_昭13)楠木繁夫/村田英雄(昭和34年カバー)
82位 ◇見上げてごらん夜の星を(1963_昭38)坂本 九
84位 ◇てんとう虫のサンバ(1973_昭48)チェリッシュ
87位 ◇かえり船(1946_昭21)田端義夫
90位 ◇喜びも悲しみも幾歳月(1957_昭32)若山 彰
93位 ◇ブルーシャトー(1967_昭42)ジャッキー吉川とブルーコメッツ
94位 ◇みちづれ(1979_昭54)牧村三枝子
96位 ◇おふくろさん(1971_昭46)森 進一
97位 ◇もしもピアノが弾けたなら(1981_昭56)西田敏行
98位 ◇骨まで愛して(1966_昭41)城 卓矢
99位 ◇浪花節だよ人生は(1984_昭59)木村友衛/細川たかし
102位 ◇啼くな小鳩よ(1947_昭22)岡 晴夫
106位 ◇別れても好きな人(1979_昭54)ロス・インディオス&シルヴィア
107位 ◇昔の名前で出ています(1975_昭50/昭52年ヒット)小林 旭
109位 ◇東京ナイトクラブ(1959_昭34)フランク永井&松尾和子
111位 ◇星はなんでも知っている(1958_昭33)平尾昌晃
120位 ◇花街の母(1973_昭48/昭52年ヒット)金田たつえ
124位 ◇いとしのエリー(1979_昭54)サザンオールスターズ
130位 ◇祝い酒(1988_昭63)坂本冬美
131位 ◇青春時代(1976_昭51)森田公一とトップギャラン
133位 ◇夜霧のブルース(1947_昭22)ディック・ミネ
134位 ◇東京のバスガール(1957_昭32)コロムビア・ローズ
135位 ◇九段の母(1939_昭14)塩 まさる
142位 ◇時には母のない子のように(1969_昭44)カルメン・マキ
145位 ◇夢は夜ひらく(1966_昭41)園まり
147位 ◇白い花の咲く頃(1950_昭25)岡本敦郎
148位 ◇北上夜曲(1961_昭36)多摩幸子&和田弘とマヒナスターズ
149位 ◇嫁に来ないか(1976_昭51)新沼健治
151位 ◇時の流れに身をまかせ(1986_昭61)テレサ・テン
154位 ◇ジョニイへの伝言(1973_昭48)ペドロ&カプリシャス
155位 ◇ガード下の靴みがき(1955_昭30)宮城まり子
163位 ◇お座敷小唄(1964_昭39)松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
166位 ◇おひまなら来てね(1961_昭36)五月みどり
167位 ◇好きになった人(1968_昭43)都はるみ
168位 ◇知りたくないの(1965_昭40)菅原洋一
169位 ◇東京の花売娘(1946_昭21)岡 晴夫
170位 ◇圭子の夢は夜ひらく(1970_昭45)藤 圭子
171位 ◇浪花恋しぐれ(1983_昭58)都はるみ&岡 千秋
175位 ◇黄色いさくらんぼ(1959_昭34)スリー・キャッツ
177位 ◇夜明けのスキャット(1969_昭44)由紀さおり
181位 ◇蘇州夜曲(1940_昭15)霧島 昇&渡辺はま子
182位 ◇ダンシングオールナイト(1980_昭55)もんた&ブラザーズ
187位 ◇高原の駅よさようなら(1951_昭26)小畑 実
190位 ◇僕は泣いちっち(1959_昭34)守屋 浩
191位 ◇島育ち(1966_昭41)田端義夫
194位 ◇港町ブルース(1969_昭44)森 進一
テレワークが出来なくなったとかじゃなくて、物を会社から発送しなきゃいけなかったので、午前だけオフィスに出社したって感じ。
基本的にテレワークで月に1、2回現地作業のために出ることはあっても、オフィスに朝から出社してPCを開くのは久々。
出社すると半年ぶりくらいに対面で会う上司がいて、4月からの体制関連での雑談だのなんだのしながら仕事。
ずーっと家にいると話す(会議除く)相手が家族しかいないので、改めて「他人」と話すことはいいものだな、とか思いつつ。
荷物を発送する用事も終わって、オフィスを出てからの帰り道、ちょっと二駅くらい?遠回りしてみた。
ちょうど東京では桜が満開でいろんなところできれいな並木道を歩く。ちょっと汗ばむくらいの暖かさ。
歩いていて、Googleマップを見ると有名な神社があることを知る。
賽銭箱にお金を投げ入れ手を合わせる。境内を少し歩くと白い猫が毛繕いをしていた。
午後はしっかり仕事。
・前年度借金28で圧倒的最下位だったにも拘わらず、2位巨人と2ゲーム差の3位
・楽天から移籍した近藤さん(防1.02)と今野さん(防4.15)の使い勝手がヤバい
・巨人から移籍した田口さんのQS率(71.43%)が異常。とうとう神宮でも好投しはじめる。ツイッターではファンと交流もし燕ファンを虜にする。無事、スワローズ名誉生え抜きに
・奥川さんが1試合毎に成長してヤバい(5月の防御率2.25、被打率.233、whip1.08)
・古田臨時コーチらのおかげで、捕手中村さん・古賀さんのリード・フィールディングが覚醒
・オスナ・ミンゴ・サイスニード、まだまだ本調子じゃないが十分役に立っている。夏場にアジャストして調子を上げていく事が約束されている
・山田村上以外、全ポジションで競争があり試合を重ねながら成長している
・エース金久保さん(防1.69)、阪神佐藤との熱い新人王対決
・勝ち継投が盤石。近藤さん(防1.02)・マクガフ(防1.42)・清水昇さん(防2.60)・石山さん
・ビハインドや敗戦処理も今野さん・坂本さん・杉山さん・吉田大喜さんで大崩れしなさそう
・サニ・ブラウンに勝った男に勝った男並木さん(くりぃむ上田晋也似)、脚が早すぎてファインプレーや好走塁連発
・元山さん、才能がありそう
・結婚した松本友さん、OPS.983で代打の切り札へ。しかも足が速いので代走としても使えるユーティリティっぷり
・二軍投手コーチがお花ニキ・小野寺さんなので、木澤・山野・大西がいつ覚醒してもおかしくない
・ベンチの雰囲気がいい(ミンゴ卵かけジャパニーズパワー事件、オスナベルト破壊打法事件、村上先輩事件)
無料版。シングルプレイヤー。マップは「The World」。時間は無制限。
ちょっと古びた住宅街。パッと見では日本かと思ったが、看板の文字が中国語。
標識に「育徳路」「新吉路」と書いてある。その交差点が初期地点だ。
とりあえず大きな建物が見えるほうに進んでみる。
大通りに出た。これが「樹考路」というらしい。
すぐ近くの店名に「香港」と付く店が2軒、「台中」と付く店も2軒。
この街が香港/台中なのか、それとも香港/台中に本店があるチェーンだったりするのか。
香港の道は「〜〜街」とか「〜〜道」という名前が多いかもしれない。
「〜〜路」が多いのは圧倒的に台中だ。というわけで台中市に絞ろう。
道の名前だけがヒントなので意外に手間取ったが、何とか「樹考路」を見つけた。
誤差は14.1m。5000ptだった。
わりと広い道の交差点。信号機のそばにアメリカ国旗が掲げられている。
国道番号として「201A」と「2」が書いてある。もう少し進むと高速道路番号「95」。
最北東部まで辿っていくと国道2号線と並走するようなところがあった。
その周辺を探ってみると「201A」も発見。
201A号線と2号線が交差する「ノリッジウォック」のあたりで解答ボタン。
誤差は144.5m。5000ptだった。
南北に真っ直ぐに伸びた閑静な並木道。どこまでも森の中という感じ。
なにかの建物(表札などはない)の門前が初期地点だが、その他に建物があるようには思えない。
とりあえず北に向かって進んでみよう。
最初の標識。出たぞ、キリル文字だ。「БОРОДИНСКОЕ」かな。
他の地名と照らし合わせて解読してみよう。
Бは「B」、Рが「R」、ゴルァの口が「D」、Иが「I」、Нが「N」、Сが「S」か。
というか「КОНДИНСКОЕ」という地名を見つけた。
これの読みが「コンジンスコエ」なので、БОРОДИНСКОЕは「ボロジンスコエ」と読むのだろう。
この「〜〜スコエ」という地名は他にも見られる。なにか「〜〜山」とか「〜〜川」みたいな意味なのかもしれない。
そしてロシアの中南部あたりに集中している気がするのでボロジンスコエもそのあたりにあるかもしれない。
でもそれ以上は分からん。
ロシア広すぎんよー。
北に進みまくっても何もなかったので出発点に戻って南へ行く。
あっさり小さな町(というか村?)があった。
その町の入口の看板に「ATTENTION! ZONE OF THE BORDER CONTROL!」と英語で書いてある。
ロシア国旗が掲げられているのでやはりロシアなんだろうと思うが。
Border Controlというのは国境かなにかだろうか。国境付近?
ここらへんで諦めてロシア最南部、オムスクのあたりで解答ボタンを押した。
うーん、ぜんぜん違った。
国境というのは合っていたが、南ではなく西、フィンランドとの国境付近だ。
サンクトペテルブルグの北西に「ボロジンスコエ」という町はあった。
残念。誤差は2675.1km。832ptだった。
ロシア広すぎんよー。
けっこう大きめの街。看板が多くて助かる。言語は英語っぽくない。
「MERCAMA'S DOMINICANA」という店があったのでドミニカなのかな。
道路標識があったが色褪せていてほぼ読めない。
大きな橋があった。やはり色褪せていて読みづらいが「REGRESA PRO…」と書かれた標識が見える。橋の名前だったらいいけど。
なんか大きめの胸像みたいなものが見えるな。「DR. JOSE FRANCISCO PEÑA GOMEZ」と書かれている。あとで調べてみるか。
うーん、だいぶ探したが案内標識のたぐいがない。街の名前がわからない。
看板の上のほうにちょろっと「SANTO DOMINGO ESTE」と書いてるんだよな。やはりドミニカなのか。
あと「SAN VICENTE DE PAUL」というのが道の名前らしい。
でもサント・ドミンゴ・エステ(サント・ドミンゴとは違う地区らしい?)に絞って探したけどそれらしい道や橋は見つからない…
諦めてサント・ドミンゴ・エステの真ん中で解答ボタンを押した。
誤差3.8km。4987pt。意外と惜しい。でもストビューの印象と地図がぜんぜん違うな。
「José Francisco Peña Gómez」さんはドミニカ共和国の有名な政治家で元サント・ドミンゴ市長だったらしい。
大通りに出てみる。なんか急に日本語で「ねぎらーめん」って書いてある店があるぞ。
あと「づぼらや」の写真。日本人の店なのか。「Negi Ramen Trang」とアルファベットで書いてある。
なんとなく東南アジアっぽいな。
ここのストリートビューは歩道視点なんだが。自転車で走ってる?
看板に「ASIAN DELIGHT」「THAI TASTE」って書いてある。
標識に「Trang City Hall」とある。やはり「Trang」という街なのでは。
まっすぐ南北に走る広めの道から「ねぎらーめん」を探す…おお、見つけた。
解答ボタンを押す。誤差は5.7m。5000ptだった。
ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。
それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいもしませんでした。
(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)
ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。
それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。
(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)
その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。
(街道《かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生《ちくしょう》。)
ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。
そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。
実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。
(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)
ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。
(あすこはさっき曖昧《あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)
けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。
道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。
その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。
(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)
ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。
「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」
家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。
(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれた着物をぬぎたいもんだ。)
ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。
長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段《かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。
その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれた外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。
(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)
ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。
電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分の背嚢《はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。
ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。
それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。
(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心《あんしん》ができない。)
ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分の背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり、階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。
その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。
(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶《あいさつ》しよう。)
ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。
「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」
向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。
「ははは、百合《ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」
ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。
けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。
それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。
間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。
(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)
それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。
そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。
それもまた、ただしばらくのひまでした。
たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。
美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いか》めしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。
暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から、北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。
雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。
その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまったことを察《さっ》しました。
そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。
ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。
そして背嚢から小さな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。
それからたまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。
そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。
(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。
それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。
ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。
そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんガドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。
それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。
見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。
二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。
ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。
そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。
雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。
ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。
窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。
(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれた着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)
ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。
記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます
朝から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります。
「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。
合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。
「■■(弟)、死んじゃった」
涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において
「え??????????本当????????マジで?????????は???????????」
ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。
弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。
自殺未遂をしていたことから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。
なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。
親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。
薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。
お昼を食べたあとは、前から見たかった時をかける少女のアニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。
(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白い作品を摂ることも、生きている人間の特権です。
実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間の活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。
ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。
ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せを放棄しているから。
ただまぁ、私はまだ人生に幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。
だから、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています。
後から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います。
親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しかし感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。
仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装は私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでからお洒落しても何もないです。
親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。
整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまり好きじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれてしかも折り目つけて返されたり、DSのソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。
ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観を確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。
遺書はなく、スマホのデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。
それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。
独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方を自分もするのでしょうが、さらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。
弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います。事故物件作りやがって……と私は思いました。
しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。
私が教官に監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。
もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。
あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。
火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。
いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。
結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。
ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。
二十代に、広い部屋に引っ越したわけ。元々都営住宅だったのかな?そんな雰囲気の、築50年くらいの、一応マンションだったか。5階建てで、ファミリータイプの間取りで、窓がやたら大きかった。角部屋、2面採光、周りに高い建物がないから朝から夕方まで日当たりが良い。カーテンが好きじゃなくて、周りの視線もあるんだか無いんだか気にならなかったから、窓に何も付けずに過ごした。朝は朝日で目が覚めて、夜は電気をつけないでおくと遠くの高速道路の光がチカチカと光った。敷地内に本当に立派なイチョウの並木があって、歩いているだけで壮大な景色の中にいるようだった。
で、そんな部屋の中で夜、ソファベットに横たわって目を閉じると、眠れない。疲れていても眠れない。仕事が忙しい時も、暇で早く帰ってきたときも、すっかり眠れない。会社の同期も結婚し始めてなんとなく連絡を取る頻度が落ちて、夜に連絡するのも憚られた。そうして考え事をしていると、夜が本当に長い。誰とも話さず、誰のことも考えず、じっとスマホを眺めている時間がどんどん長くなる。夜が空けて、窓の外が明るくなって、周りから生活の音が聞こえてくる。ファミリータイプだから、家族が多かったんだろうね、みんな早起きしてご飯の支度をしたり、遠くで働いてるパパかな、6時前には家を出ていく人もいる。
晴れると、遠くに富士山が見えたりするんだ。ずっとそういう景色を眺めて、家族の朝の気配を感じながら。サイコーに孤独だと思った。
流石に190人全員調べる気にはならないので、『少なそう』な人に限って調べてみた。
※ヘレン、ライラ、ケイト、クラリスは『名前 アイドルマスター』での検索。
順位 | 名前 | 作品数 |
---|---|---|
1 | 太田優 | 0 |
2 | 井村雪菜 | 1 |
2 | 間中美里 | 1 |
2 | 松原早耶 | 1 |
5 | キャシー・グラハム | 2 |
5 | 大西由里子 | 2 |
5 | 長富蓮実 | 2 |
5 | 北川真尋 | 2 |
5 | 野々村そら | 2 |
10 | 村松さくら | 3 |
10 | 丹羽仁美 | 3 |
12 | 楊菲菲 | 4 |
12 | 愛野渚 | 4 |
12 | 上田鈴帆 | 4 |
12 | 伊集院惠 | 4 |
16 | 奥山沙織 | 5 |
16 | 瀬名詩織 | 5 |
16 | 仙崎恵磨 | 5 |
16 | 大原みちる | 5 |
16 | 土屋亜子 | 5 |
16 | 矢口美羽 | 5 |
22 | 松山久美子 | 6 |
22 | 杉坂海 | 6 |
22 | 斉藤洋子 | 6 |
22 | 赤西瑛梨華 | 6 |
22 | 沢田麻理菜 | 6 |
27 | 栗原ネネ | 7 |
27 | 月宮雅 | 7 |
27 | 首藤葵 | 7 |
27 | 小松伊吹 | 7 |
27 | 西川保奈美 | 7 |
32 | ヘレン | 8 |
32 | 古澤頼子 | 8 |
32 | 榊原里美 | 8 |
32 | 持田亜里沙 | 8 |
32 | 小室千奈美 | 8 |
32 | 真鍋いつき | 8 |
38 | 岸部彩華 | 9 |
38 | 江上椿 | 9 |
38 | 浜川愛結奈 | 9 |
41 | 衛藤美紗希 | 10 |
41 | 吉岡沙紀 | 10 |
41 | 桐野アヤ | 10 |
41 | 浅野風香 | 10 |
41 | 涼宮星花 | 10 |
[短評]
・ゼロがいるのも意外だが、それがアッキーの飼い主こと太田優なのも意外。
・声つきで一番少ないのは上田鈴帆(4作品)。次点はおそらく上条春菜(11作品)
・クラリスさんは31作品。やはりセッ○ラリスさんだったか(違)
・あざとみんこと榊原里美や、16歳としては不相応な色気があることに定評のある西川保奈美がここにいるのは意外では?
・伊集院惠は表では4作品となっているが、ロマンティック・ツアーズ(相馬夏美 / 伊集院惠 / 並木芽衣子 / 江上椿のユニット)4部作を夏美、芽衣子、椿まで書いて惠を書かずにエタっている人がいるので実質1作品。
僕の通っている大学は、キャンパスが観光地化している。犬の散歩をしている近隣住民、保育園から幼児をカートに乗せてきて広場で遊ばせる保育士たち、向学のためか見学していく中高生、そして観光目的に入ってくる大量の人間(なぜか中国人が多い)…正直辟易していた。研究で気が立っている時にキャンパスが観光客で混雑しているとイライラするし、食堂は混んで使いにくいし(なお11:30~13:30は学外者は食堂を使ってはいけないというルールができて多少良くなった)、大学生にインタビューしてみようみたいな課題でも課されているのか中高生に話しかけられるし、なんといってもうるさい。幼児や観光客のきゃあきゃあ言う声が教室まで入ってきてうるさかった。
しかし今年は大学がとても静かだ。新型コロナウイルス感染症対策のため、3月中旬頃から学外者のキャンパス立ち入りが禁止されて、キャンパスに入ってくるのは教職員と学生、大学病院の利用者が少し、ほんのたまに通行人だけになった。混雑はないし、観光客に道を聞かれることもなくなったし、とても良い。もっとも大学生協は食堂の客の入りが悪くなり、お土産が売れなくなって経営がめちゃくちゃ大変らしいが。これから銀杏並木が見頃を迎えるが、例年なら人でごった返すところがおそらく学生が数人歩くだけになり、黄色い銀杏をゆっくり眺め写真に収めることができるだろう。楽しみだ。
区民センターに住民票を取りに行ったついでに、区の歴史を展示するコーナーに寄って、壁に展示してある古い写真のパネルを見た。こういう自治体の地味な歴史展示コーナーがけっこう好きだ。見たことのない写真とかが飾ってあるから。
家の近所の風景だという戦前の写真を見たら、辺り一面の田園地帯で、牧場があって牛の放牧をやっていたらしい。今は家がぎっしり並ぶ住宅地になっているので、想像もつかない。なんかこう、広々とした田園風景が高度成長期ぐらいからどんどん消えていく予感を感じる度に、現代の自分でもちょっと胸が苦しくなる。
その隣の写真は道路の拡張工事をやっている写真で、昭和時代の漫画に出てくるような土方の格好の人たちがたくさん働いていた。この通りは昔はもっと細くて柳並木があるだけで、ほとんど何もなかったらしい。今は車が一日中飛び交う幹線道路になっていて、通り沿いにはオフィスビルやサラリーマン向けの飲食店が並んでいる。
そうなんだよな、となんだか一人で納得した。東京の高度成長期には、車のための道路を作る事が都市計画の要で正義だったんだろう。人は道の端っこを歩くように追いやられて。でも当時は車そのものがかっこよくて、国を発展させる未来そのものに映っていたから、誰も人間のことなど気にしなかったのだろう。
今はどうかというと、なんとなく親しみが感じられないな、よそよそしくて、元気がなくて、歩きにくいなと感じる街は、太い車道が中心に走っている街だ。戦後の都市計画どおりに作られた、車中心の街。逆に、なんだか感じがよくて、人がゆっくり歩いていて、オメガラーメンみたいに個性的な小さな店が出店する余地があるような街は、高度成長期の開発に取り残されて、古い街並みがそのまま残ったまま、店の新陳代謝が進んだところだったりする。
この流れが変わることはあるのかな、車中心の街作りになってしまった街が、人が歩きやすいように作り変えられることは。当面はないだろうな、と思いながら小さなため息をついて区民センターを出た。外を出たら曇り空で肌寒くて、なんだか元気が欲しくなったから、あの小さな商店街に行ってラーメンでも食べようと思った。
本当は近くの郵便局に行くだけだった。
でも、久しぶりに午前中から外に出たし、
残った仕事も結局夜中もするし急ぎでも無いかと、携帯とPCだけ持って遠出した。
知らない道路を突き進んで、道路標識だけを頼りに知ってる街まで車を飛ばした。
知らない風景、
畑の土臭さ
並木道の青臭さ
久しぶりに部屋と近所以外の匂いを嗅いで、扇風機以外の風を感じた。
遠出しても良いんだとか、仕事を忘れて笑っても良いんだとか、当たり前の事を思ってしまった。
街についてから色々回った。
たまたま試読出来るキン肉マン二世の究極タッグトーナメント編を読んで頑張りたい気持ちになった。
リサイクルショップで昔はやった巡音ルカのタヌルカのデスクトップフィギュアが200円位だったから、可愛すぎて衝動買いしてしまった。
その昔、Yahoo!チャットがあって、自分で部屋作って、まだチャットとゆうツールも目新しくて、
そこで色んな知らない人と話してた。話がつまらない人はつまらない。
僕はそこで、その女の子との付き合い方が分からないとゆう恋愛問題を一方的に話してて、
そこに「こんにちはー」とか「おじゃましますね」とか入ってくる人が居て、
その人、女性も片思いに身悶えてて、二人して「辛いですよねー」と愚痴ってた。
片方から見れば「メール書けばいいじゃんj」とか「聞かなきゃわからないじゃん」みたいなことだけど、
自分の相手には嫌われたくない。ふたりして「なんで相手はわからんのだ!」と憤慨してた。
「あえないとさみしー」とか。「待たされるのは辛い」とか。
あるとき「彼女をいじめられる日が来るなら、そのときはめちゃめちゅ仕返ししたい」みたいなことを書いて、
「私も爆発したい!」とその人は書いた。一瞬見逃そうかなと思ったけど、
好きな相手に報われない同士なら、何か色んな問題がないように思えた。
「今日とか暇ですか」「うん」「お茶でも飲みませんか」「そうね」「待ち合わせは」「新宿の甲州街道のカフェで」
2時間後にはカフェの前に立っていて、テーブルに座って本を読む髪の長い女性に気がついた。
その時僕は30歳で、彼女は明らかに年上の女性だった。歳を聞いたけど教えてくれなくて、
でも10際は離れてないだろう。離れててもいいが。いまこの歳になって、
彼女が35歳だったか40歳だったかわからないけれど、年下の男子を狙えてたのかな。
その時それを知っていたなら、年上女性をもっと意識しただろうけど、30歳が若い男性だなんて考えてなかったか。
彼女はシャツにデニムのロングスカート、ソバージュ、お化粧なしの、おとなしめの人だった。
自動車で来たというのでついていくと、ベンツのCクラスだった。
甲州街道の並木道を少し走って、ニフティ(なつい!)のシスオペしてたかとかの話になって、
「行き先はホテルでいいのよね』「はい」と西の方のラブホに向かうのであった(僕は西はわからん)。
部屋に入って、テーブルに向かい合って座り込んでため息ついて、
(ちょっと省略)
雰囲気も何もないけど「横に行ってもいいですか」「うん」
横に座ったを合図に二人はディープキスをするのであった。
片方がそんな気じゃないのに舌入れられるときもあるが、
このときは僕も、きっと彼女もそうするもので間違ってないとゆう、シンクロニシティ!
彼女は素足でロングコートがなくなるとショーツは黒だった。そうそう彼女は痩せ型。
ブラも脱がしてショーツも脱がそうとすると「恥ずかしい。。君も脱いで」と脱がされて、
自分もテント貼ってるトランクスが恥ずかしかったけど、こういうときはいつも、
「これから恥ずかしいことをするんですものね」と恥ずかしさに向かうことに、、
やはり「わー」とか「大きー」とか「かたいー」とか言われてて、
彼女はぺちゃぱいだったけど、ちっぱい好きの僕は「可愛い胸。可愛い顔のなんとかさん!」と返信し、
「彼女にしたいふうにしてもいいですか」「いいよ」との返事をもらったので、
いつものおなにーの妄想のときに考えるような女の子をむちゃくちゃにしたい気持ちだけが先走るけど、
それでもこの人は好きな人でないしマイナスにまで行かないくらいにどうでも良かったから。
やりたいことしたけどなにもできなくて強く抱きしめたり自分勝手にキスしてくびすじなめてべたべたにしたり、
あ、もうおまんこさわったれ。と手をのばしたら、上品なエロ漫画みたいに濡れていたのであった。
僕のちんこもびんびんで恥ずかしいが。女子は興奮したときの外見的変化がないけど、乳首が立ってたら指摘しよう。
男子も射精して5分後くらいにもうびんびんのときがあるけど、あれは「もう一回やりたい!」ってことじゃないからね!
またーりとピロートークのときもびんびんになるときもあるけど、やりたいわけじゃないから。
でもときに「またもうおっきくなったの?」「君だからかな(おなにーのあとでもです)」の流れになる時があるけど、
その先は「立たなくなる」じゃなくて「経つけど痛くてなかなかいかなくなって、いってもなにもでない」が正解。
女子は何回でもいける、はそうだけど、股関節が痛くなるとか、トイレ行きたいとか、「休憩しましょう」になるよね。
つづく