はてなキーワード: 過去問とは
文章をよめばわるかと思いますが、私は頭がありまよくないです。
加速する可処分時間奪い合い競争の中において、睡眠時間を確保するためには漠然とした「ちゃんと寝なきゃなあ~~~」ではもう無理です。
「私は、何時間寝たい」 →
「私は、いつも何時に起きる」 →
この三段論法によって寝る時間と起きる時間をコントロールしていかなければ、理想的な睡眠時間の確保は不可能です。
学校の授業が前もって何時に何をやるのかが決まっているのと同じように、自分の人生において前もって「夜の何時~朝の何時までは寝る時間」と決めておく必要があります。
その時間に推しの配信があろうが関係なく、寝る時間だから寝るという絶対的なルールを定めていく。
もしも入試の日と推しのLIVEが被ったとして、貴方は入試をスッポかしますか?
本当に人生の全てを捧げる覚悟があるならスッポかすという選択もありますが、そこまでの覚悟がないなら入試を優先するべきですよね?
それぐらいの気持ちで「寝る時間は前もって絶対的に決まっている」という気持ちで日々を生きることにしていました。
同級生の中には様々な理由で生活リズムを乱していた人がいましたが、そういった人達とは基礎的な体力や健康状態の面で圧倒的優位に立っていたと思います。
ぶっちゃけ単なる有酸素運動は毎日の通学時に少し早歩きしていれば勝手にハァハァ息が上がってくれるので十分だと考えています。
ですが単に早歩きしただけでは痛めつけ方が足りない筋肉達が元気を持て余し身体のリズムがおかしくなっていくようです。
私は帰宅部な上に体育の授業も積極的にサボるタイプだったので全く運動せずに高校生活の前半を過ごしましたが、段々身体の調子が悪くなっていくのを感じました。
何より、いざ基礎体力が必要になった時に全然力が出ないんですよね。
椅子にいつもよりも長く座るとかそういうことさえ難しい。
ネットでHIITを調べてそれを実行するだけです。
ただ、タンパク質を取らずに筋トレだけすると筋肉痛がヤバイのでプロテインを飲むことにしました。
私は親がジムに持って行く分のプロテインを拝借していましたが、家族からプロテインを分けて貰えない人は自分で買う必要があるでしょう。
学生の金銭感覚だと高いですけど、社会人が健康維持に使う経費としてはかなり安いと思うのでプロテインはちゃんと飲みましょう。
他人に褒めてもらうことを期待して生きていると意外と上手くいきません。
頑張って成績を上げても親は段々と「よく分からんが、ガチればこれぐらい出来るもんなんだろう」みたいな感じで「そうなんだ。すごいね」で終わらせてくるようになります。
1年・2年と続く受験勉強を日々積み上げていく中で「B判定が出たよ。頑張ったね」なんて薄っぺらい模試の結果にだけ一喜一憂するだけではモチベなんて維持不能です。
定期的に「凄いな。ちゃんと勉強してるぞ」 「今日は委員会活動サボらなかったの偉いなあ」 「筋トレ毎日続いてるとか、帰宅部で一番健康なのお前だよ」とか褒めてやります。
「1 ちゃんと寝る」の中で寝る時間を決めていると書きましたが、寝る時間を決めても中々寝付けないときがやはり出てきますので、そういうときがチャンスでした。
ベッドにいるけどいまいち意識が遠のかず、かといって起きて勉強なんてしたら生活リズムが乱れてしまうという状態を、「自分を褒めちぎってやるのに丁度いい時間が出来た」と解釈するわけです。
電気を消した部屋の中でぼーっと天井をみながら「今日も3食残さず食べたなあ」「毎日学校行くって案外大変だけどちゃんとやってるなあ」「毎日風呂で丁寧に身体洗ってるから清潔だなあ」といった今更誰も褒めてくれないし他人から褒められたら困るようなことまでひたすら自分を褒め続けます。
「他人から言われたら皮肉にしかならないけど、それをやるのに全く何の苦労も一切ないわけではないもの」というのは人生に山ほどあるので、そういった「自分で褒めるしかないもの」をひたすら褒めて心をメンテしてやりました。
こういうのってジワジワと自尊感情に効くらしいんですよね。
うつ病になった人なんかはこれと同じことを毎晩積極的にやれって医者から指示されたりするとかなんとか。
私はメンタルがまだまだ健全なので、タイミングがいい時に数週間分まとめてやってしまってますが。
重要だと思ったことを上から3つ挙げたら見事に勉強と無関係になりましたね。
受験勉強って結局のところは「モチベの維持が難しい長期戦」なわけで、そこで大事なのは如何にして心身のメンテを行うかなんですよね。
勉強の内容自体は究極は教科書と過去問だけひたすらやってれば何とかなるとも言われてますし、あとは如何にして集中力と時間を確保し続けるか。
要するに「心身の健康維持」 「勉強時間確保」を先に固めてしまうのが大事で、そっから先は個々人が好きなように気晴らしを選べばいいだけだと思うんですよ。
自由時間はひたすらゲームやるでも、部活に専念するでも、そこでの時間の使い方は大事じゃないっていうか。
そもそも勉強の方法も脳のタイプが人によって違うから他人のやり方は参考にならないっていう話もありますからね。
というわけで、私としては1に睡眠、2に筋トレ、3に自分を褒めるの3つが東大現役合格できた理由なんだろうなと思ったわけですな。
うん。
頭わそるうな文章だな本当。
YouTubeダラダラ観て、ショート動画の助言聞いたり、聴き取れない耳コピしたり、タブ譜なぞったり、キリがないし、なんかやり切ったって感じにならない
年齢がバレるけど、例えば大学受験だったら、鉄則シリーズをひたすら読み返したりとかしてたけど、まあ、それでも結果は散々だったけど、
あー、受験のときもそうだな、参考書やたら買ってしまって、移り気でフラフラしてしまったりして、なんかどの本かに真理が書いてないか、というか、
要は楽して結論を欲しているからそうなるんであって、受験と同じで、結局は少ない参考書をひたすら繰り返しやれよ、教科書をすべて覚えろよ、という結論になるんだよな、
高校受験で学年中の下から、3年の1年で県のトップクラスにまで行けたのも、自己流を滅して、入った塾のカリキュラムだけに従ったから
途中で欲を出して、都内の塾とか難題出す通信とか取り入れて失敗した、あれも余計だったと思うけど、学校でトップクラスになったら、もっと上に行きたくなるんだよな
まあ、大学受験でまた叩き落されるんだけどさ、お山の大将が全国大会になるんだから、そりゃ誰だって順位も偏差値も下がるわな
過去に戻って自分に言えるなら、いちいちそんなこと当たり前なんだから動揺するな、と言いたい
結局、ギターも同じなんだよな
個人競技のスポーツとか受験勉強に似ている、速弾きとかスウィープは筋トレみたいなもんだって、プロのギタリストはみんな言うし、
それを信じて、ろくにギター弾けないけど、スウィープの練習だけは長年続けてきたりしていた、今は癖レベルになってる
イングヴェイもインタビュー中に手持ち無沙汰で似たようなことやってたから、そういうもんなんだろう
しかし、インターネット時代、ネットは広大だわ、自分の想定していたスウィープよりもレベルが高い、超変態的なプレイまである、どうやって弾くんだこれ?
いずれにせよ、少ない決められた教則本を参考書みたいにひたすら繰り返しやれ、隅々までやれ、まずはそれからだろ、ということなんだろう
あんまり中途半端な興味しかないのに、プリキュアの曲を全曲耳コピしてみようかと思ったり、そういうの無駄だ、自分はそこまでプリキュア好きじゃない
好きでもない曲をやるってのは、あんまりモチベーションがわかないものなんだな
売れてるって曲をひたすら流してみて、ギターでコードぐらい探ってみて、意外と面白いなぁ、と思うこともあるけど、なんかこの人、全部同じコード進行じゃね?つまんなくね?みたいなのも売れてるし、
でも、同じコード進行だろうが、当然メロディーは異なるし、演奏とか、録音というか、総合的なプロのレベルがそれを支えている、というのはある、それは勉強になるけど、
自分が今求めてること、やるべきことはそういうことじゃないだろ、人前で恥ずかしくないレベルは弾けるようになること、楽譜をもっと苦なく書けるようになること
しかし、YouTubeでプロ?のピアニストに初見でいきなり流行曲を演奏させるネタをやってる人がいるけど、あー、初見でいきなりあのレベルが弾ける人っているんだな、そういうもんなんだな
ヤマハの音楽講師の試験でも初見演奏ってあった気がするけど、過去問みたいなの大分昔に見たけど自分には無理だった
曲を先に聴いてから、楽譜やタブ譜を読むことはできるけど、楽譜やタブ譜から曲を想像するということが俺には未だにできない
上記の人は転調も頻繁にある複雑な曲をいきなり演奏できてるし、そうは言いつつも初音ミクの曲は嫌い、複雑だから、みたいに言っていて、
まあ、打ち込みだから可能なんで、手で演奏する人泣かせなのはよく分かるけど、それでもこなしちゃうんだよな、スゲーは、俺にはこのまま死ぬまで無理だと思うわ
高専を卒業してからしばらく経つのだが、定期的に高専はうんぬんですごいみたいなXの投稿が流れてくる
実際のとこ世の高専卒のみなさんってその選択に満足しているのだろうか?
自分は高専卒業後に大学編入をして、以降は普通の大卒のルートに乗って社会人になっているので、キャリア的な不満は一切ない
高専卒でそのまま働いている人たちはみんな早婚で20代で2人子供がいる人もよく見かけており、それなりに幸せそうには見える。学生時代女性に縁がなさそうだったやつも子供がいたりするので、実質男子校に5年間幽閉されても恋愛面での影響はないのかもしれない
一方で学業的の不満はたくさんある。
5年間の学生生活で講義はフル単を要求され、受けないという選択肢がない。
きちんと出欠を取るのでサボることも難しく、それでいてどの科目も宿題があるので放課後も忙しい。高専は進級要件が厳しく全単位の平均点数が6割を超えてないと留年したりするが、自分の高専は下限の学生に合わせた救済措置がある。課題プリントの点数が最終点数のn割、中間期末試験の点数の10-n割が最終点数として計算されるケースが多かった。
まあ大学の講義でも似たようなシステムを採用してたりしますが、編入学志望の学生は大学受験と関係ないことにかなり時間を割かれるので厳しいわけです
高専は四半期に10科目以上の講義を受講し、それぞれの最終点数平均で席次が決まる。体育や第二外国語みたいな科目の点数も席次に影響してくるので、本当に5年間学生生活にコミットしないといけない。それに加えて受験科目の勉強も必要なので拷問
厄介なのが、就職希望の学生もいいとこの推薦が欲しいので成績ガチ勢になる。席次を上げるのが受験生活で1番苦しかった
推薦入試はこの席次の点数配分がめちゃくちゃに高いので受験までの4年間きちんと努力しないといけない。
特に苦しいのが、旧帝大などハイレベルな大学はそもそも一般受験を受けるために推薦が必要となるため、受験勉強に全振りすることができないところ。よく編入生は優秀なんていわれたりするが、単に受験難易度が高いから本来の適性の大学に進学できていないだけでは?と感じる。一方で地方駅弁レベルの大学はそれほど受験需要が高くないので、クラスで下位の学生が数ヶ月勉強して受かってたりする。上を見るときついが、とりあえず進学したいならたしかにコスパのよい選択肢かもしれない
編入のペーパー試験は過去問を公開している大学が少ない(特に旧帝大など)ので情報量の格差が大きい。それだけでも赤本というものが存在する普通受験が羨ましい。他にも模試が定期的に開催されるので自分の適正感を測ることもできるし、お金さえかければ学習塾でみっちり対策できる。編入試験は基本的に宅弁なのでね、内省力とか調査力が高くないと受験競争に勝てない
高専はどこも金がない、まともな論文指導ができる教員もいないし、講義の熱量は教員によって露骨に違う。授業時間の半分くらい高専卒は優秀、大企業にコスパよく入社するのが幸せを連呼する教授のせいでその専門科目が嫌いになった
大学の図書館のような時間を忘れて学業に専念できる空間もないし、そもそも専門科目が難しくなる時期は受験生なのでそれほど授業に集中できない。編入生は在来生よりも専門科目が得意っていうのは当時から大嘘だと思っている。東大の講義資料でクラウド構築して〜とかやってたりするのを見ると、高専ではBASICでGOTOしてましたとは言えない。
レポート作成も全部手書きだし(多分地元では今でもそうだと思う)、なにかと無駄が多い。大学はなにかと勉強するためのストレスが一切ないので楽しすぎワロタだった
あとはサークル活動もしょぼいし、恋愛模様も少ない。というか年齢層が中学卒業したてから大学4年生(専攻科)の年齢まで在籍している空間なので、校内恋愛が本当に歪で気持ち悪い。16歳と20歳で恋愛していることもザラだし、学校見学にきた中3と連絡先交換して付き合ってた奴はマジでキモかった。女性が希少すぎるのでとんでもないブスが高飛車になってたりして、男女双方に悪影響すぎる。女性の理系進学が推されている昨今ではあるが、自分が親ならせめて大学の理系学科進学にしときなさいと伝える
社会人になってから久々に高専出身の人間にあうと、みんなどこかズレてるなと感じることが多いが、いつまでもあの頃のノリで会話ができるのは嬉しかったりする。愚痴っぽくなったが、それなりに悪くはない選択だったと思っている
この増田のように、ロジカルじゃない人間が人の上に立っているのはおかしい!ロジカルな社会じゃないのはおかしい!というロジカルバカは一定数いて、なぜか男のほうが目立つのだが(それこそQkの伊沢の免許の話題で湧いてた有象無象もそうだね、何なら掛け算の順序もそうかも)、世の中はロジカルを基準に回っていないのはイスラエルやロシア中国、何なら運転免許試験問題過去問を見ても明らかである。
ロジカル全能主義は上のような文章を見て悪文であると見做すだろうが、これこそがロジカル全能主義の欠点である。思えば文章力テストの問題を見てわかりにくいといった指摘をしていたのも彼らだった。曰く、このような悪文を読めることには意味がない、このような悪文を解かせることは一種の虐待である、云々。
論理的な思考力は必要であるが、絶対ではない。論理的な整合性を優先順位の第一位に据える人々はこの事実を受け入れられない。論理的な社会において無駄な思想、文化、感情を包摂する多様性は存在し得ないのだ。人々の揺らぎこそが余分であり、それは整えられるべき脂肪でしかない。ある意味で彼らはストイックであり、マッチョイズムの体現者であり、パターナリストなのだ。
ちょうどアイドルマスターSideMの9thライブ2日目から一か月たつわけですが、
一か月もたったらこの気持ちも落ち着くかな?と思っていたのにあまり落ち着かなかったので折り合いをつけたくて文字に起こしてみることにしました。
長いし、読みにくいし、自分の恥ずかしい話をする感じの日記です。
3か月ほど前のこと、わたしはせむPだったので、「2日目せむ揃ったのか!!現地はもう間に合わないので配信見るぞ!!」という気持ちで日々を過ごしていた。
そして時は流れ9th直前の金曜日、仕事でどうしても納得できないことがあり、
2024年はいってからずっとバタバタしてるし、その上先輩へのモヤモヤがチリ積もで無視できなくなってきたしで珍しくめちゃくちゃ落ち込んでいたわたしは、とにかくこの配信を楽しみにしていた。
ライブは本当に良かった。
当時せむの最新CDは未発売で、あえて視聴も聞かないようにしていたので、Life’s Side Menu!の衝撃はすごかった!せむってこれだよな~~~~~
そんなこんなでライブも終わった頃、自分が思っていたより元気になっていないことに気付いた。
当然、SideMを摂取したはずなのになぜ……という思いがぐるぐると渦巻く。
確かに子どものころアイドルになりたかったこともあるよな…なりたかった気持ちを思い出しちゃってセンチになったのかな……うーん。
もう寝ようかという頃、ある一曲が引っ掛かっていることに気付いた。
それが『Eteniteen Age!!!/S.E.M』である。
『今になって やればよかった なんて思うこと やろうよ一緒に』
これをきいて無意識のうちに「今になってやればよかったと思うこと」がジワジワと心に染み出してきていたことに気付いた。
アイドルになりたかったとか、お笑い芸人にもなりたかったんだよなとかいろいろあったが、その最たるものがまさに大学院進学だったのだ。
でも辞退した身で、就職して2年目となり権限が付与された身、いまさら戻る決心もできず、
あと後述のとおり先輩へのモヤモヤで院進から逃げたのに職場の先輩のモヤモヤで院に戻りたいなんて、お前はまた逃げるのか???となり、
とにかく自分の選択が正解であったことを確めるためにとにかく一か月間いろいろ考えた。
それはつまり、なぜ院をやめて就職を決めたのかを振り返る時間だった。
〇この日記はつまり、振り返ったことを整理したいというのが主な目的です。
大学に入学したばかりのころは、当然院に進学することまでセットだと考えていた。
しかし2年のとき、コロナウイルスが突然猛威を振るい、外出自粛からの映像授業で完全に家に引きこもらざるを得なくなった。
1年の頃はあんなに時間割詰め詰めで忙しかったのに、急にあまりにも時間が増え、世の中が変わりすぎて漠然とした不安を覚え、そこでふと「公務員になりたかった」ことを思い出した。
小学生のころ、響きのカッコよさで国家公務員になりたいと思ったことがあったのだ。
あらためていろいろ調べてみると、合格したら3年(今は5年らしいけど)は有効なので、「学部で合格しておけば院いってから就活楽じゃん」と安直に考え、学部4年で受験することを決めた。
2年の途中から、「実験科目は対面でないとどうしようもない」ということで少しずつ家を出る機会も増えたが、このころにはわたしの公務員試験受験の決意は固まっていた。
また、この2年から3年にかけての実験授業で諸事情あって手が爆荒れしたので、もともと有機に憧れていたものの「実験系はやめよう」となり、もう一方で興味のあった物理系を志すことにし、研究室は計算系のところを選んだ。
さて、この研究室は先生も先輩も同期もみんないい人で居心地は大変良かった。
しかし、あまりの緩さに、というか、先生はきちんとコアタイムを定めていたが、月に1~2週間程度リモートワークで研究室にいなかったり、
当時M1先輩が若干先生のことをナメていて(個人の感想)平気で「コアタイム?ないよ」と言い放って午後5時に来たり(まあPCがあれば計算できるので100歩譲ってこれは良いとしても)、
週に1回ある、英語の本の読み合わせを頻繁にぶっちしたり、予習忘れたので変わってなどなどあったりした。
もともと夜型でなまけ癖のあるわたしは、3年の3月に配属されてから数か月この環境で過ごす中で、
「このままでは、わたしもああなってしまう……それどころか、もっと完全にダメ人間になって研究どころではなくなってしまう、、、、、、どうしよう」
と考えるようになった。(シンプルにめっちゃ腹立った、というのも、もちろん考えたことあります。)
4年になってから、研究したり、決意に沿って公務員試験も受けたり、(ちょっと教育実習も行ったり、)して過ごして8月になった。
わたしの通っていた大学の前期の院試は8月下旬なので、このころはちょっと研究のスピードを落としながら試験勉強をしていた。
大学受験みたいに(まあもちろん過去問とかはありますが)問題集が充実してるわけじゃないので、手探りで不安になりながら勉強している中、
いつものように遅刻をキメる先輩を横目にみていると「このまま院に行ったところで、わたしは大丈夫なのか……???」という気持ちがどんどん強まっていく。
また、院試が近付いてきたときに親からかかってきた電話で院の話をしたときに「お金は?また奨学金借りられるんだよね」という話もされた。
まあ、もちろん院でもいったら奨学金を借りるつもりだったが、本格的にお金のことを考えると、また借金が増えるのか…
そういえば高卒で就職した妹はもう貯金3桁あるって言ってたな…ゔ、頭が……という気持ちにもなった。
そしていよいよ院試まであと1週間ちょっとというところで、公務員一般職の合格発表があった。
と思った矢先、某省庁からいわゆるスカウト電話がかかってきた。
もともと院を卒業したら入りたい省庁だったのもあり、「運命では!?」と思い、ほいほい説明会に行った。
とはいえ、院に行くことを第一に考えていたため、院試も受けた。
このころの時系列としては、
某省庁の説明会に行く → 院試 → 某省庁面接からの内々定 → 院試合格
8月下旬という短い間に、わたしはいきなり二つの選択肢を手に入れてしまったのだ。
(いろいろではなかったかも、前述のダメ人間になるか否か・お金問題をどうするか・わたしがやりたい仕事はなにかの3点が主です)
結果、いったん就職して、先輩から逃げ、規則正しい生活を手に入れ、お金を稼いで借金を減らすことを決意した。
(10月の内定式のときの人事課長の「皆さんが4月に来る準備を、我々一同進めていますからね」という言葉に、ここで辞退したら迷惑かけるなという気持ちにさせられたというのもある。)
就職した今となっては、生活リズムは整ってるし、きちんとご飯も規則正しく食べるようになったので大学のころは痩せすぎて頬がめっちゃコケてたのがマシになってちょっとだけ鏡見られるようになったし、貯金もちょっとあるし、転勤族になったのでものも減らすようにしてすっきりしたし、いいことばかりではある。
でもやっぱり、今になってやればよかったって思うこともあるなって、SideM 9th ライブを見て思い出した、というところに戻る、というわけです。
俺は現役自衛隊なので「やす子」みたいな古巣をネタにする芸で食ってる奴らが嫌いだわ。
アイツらって結局は「自衛隊ってマジでアホですよね。何が敬礼!だよwwwwwww」みたいなネタでメシ食ってるじゃないですか。
でもそれって失礼じゃないですか?
たとえば昔ラーメン屋でバイトしてたと言ってラーメン屋のコスプレしてる芸人が「ラーメン屋って本当に馬鹿なんですよね。何がウチはスープから味わってよ!(腕組みしながら)だよwwwwww」とかやってたら凄い失礼じゃないですか?
少なくとも一時期はお世話になってた場所に対してそこまで露悪的な態度で接する必要があるのかなって?
辞めたゲームに対して10年も20年も「そもそもコンプガチャみたいなのやり始めた時点で終わってんなと俺も思ったのよ。でもサークルの友達とギルド組んでるのにそうそう辞められないじゃん?過去問とかも貰ってるしさ」みたいなことをネチネチずっと言ってる人みたいなキモさがあるなと。
つうかさ、結局の所は「俺もうコイツらとはやってけねーわ」と出てっておきながら、その格好を続けてキャラを立てるってなんか変じゃないですか?
ずっと「俺は香川出身だけどあそこのうどん狂いは本当にキモいよ。小麦の輸入規制でもかかって一度うどん依存を抜くべきだわ。白砂糖中毒とかだと思うんだよねもはや」と言いいつつ看板に「香川県出身先祖代々」と書いてるうどん屋さんみたいなもんじゃないのそれ?
マジでありえんと思うよあの態度。
性格の話じゃないのよね。
芸人としての姿勢、社会人としてのスタイル、縁のある人に対しての礼儀、そういう所の問題なの。
自衛隊を半分コケにしながら自衛隊のコスプレをして、その上で「元自衛官です」で売ってる。
その状況からマジメに「私が自衛隊を辞めてしまったのはこことここが駄目だったからです。これでは皆長く続けられませんよね」って真剣に語ってくれるならいいんだよ。
でもあの人って本当にただただ自分のキャラ作りのために自衛官の格好してコスプレ芸で笑いを取ろうとしてるだけでしょ?
たとえば全然ドラゴンボール好きじゃないのにフリーザやナッパのコスプレしてる芸人がいたらそれはただの冒涜じゃないですか?
そういう態度をね、国防っていう要るんだから要らないんだか分からないけど辞めたら中国やロシアがやってきて国が滅びはするってことだけはなんとなく分かるなんともモヤモヤするもののために働いてるナイーブかつエッセンシャルな我々にぶつけてくるのが本当にナンセンスだなって。
もうじきアラフォーの増田だけど、最近大学受験に挑戦しようと思い、勉強を始めた。結構いい加減に生きてきたなか、契機があってこれじゃあ詰まらんし割と遅いかも知れないけど、マンネリ化してきたのを変えようと言う心持ちがあって来年の受験に向けて始めた。当然二十年くらい前にやったことだったし、しかも大学受験しなかったから脳が錆び付いた感覚がだいぶある。だから見出しとしては新しいこととしたけど、実際は新しいことではない。けれどだいたい新しい知識。
で、勉強を始めたんだけどまず領域が結構変わってたことに驚いた。情報という科目が追加されたとか。ITとは無縁の職種ばっかりやってきたから、わからないことだらけだし、飲み込みが遅いのも自覚する。
数学に至っては初っ端の二次関数で躓いている。参考書で青チャートってのが良いらしいと聞いてやり進めているけど、変域と不等号の処理がわからない。なんでここで不等号の向きが変わって、なんてのもわからない。なんなら解答をみても、どこから引っ張られた数式なのかもわからない。なんならその前のエクササイズで解けた問題が3日寝かせると解けなくなる。なぜ
今更私立は自分が碌でもない職ばっかりで、貯金が少ないのもあって国立を選ぶから、結構焦りが酷い。たまの休日を使って図書館で(若者に混じっておっさんが同じ参考書を使ってるわけだが)、2Bに手を付けている若い人なんかがいて、相当な遅れがあるのもわかる。
国語も、試しに過去問を解いてみた。古典と漢文はダメだろうけど現代文なら半分は取れると思ってたのも甘かった。相当ズタボロで、自分頭わるいなと毒づきながらやってる始末。
英語もそうだし、歴史も問い方が広範に知っておかないと解けないものばかりだった。
果たして今年に間に合うのか?
もうじきアラフォーの増田だけど、最近大学受験に挑戦しようと思い、勉強を始めた。結構いい加減に生きてきたなか、契機があってこれじゃあ詰まらんし割と遅いかも知れないけど、マンネリ化してきたのを変えようと言う心持ちがあって来年の受験に向けて始めた。当然二十年くらい前にやったことだったし、しかも大学受験しなかったから脳が錆び付いた感覚がだいぶある。だから見出しとしては新しいこととしたけど、実際は新しいことではない。けれどだいたい新しい知識。
で、勉強を始めたんだけどまず領域が結構変わってたことに驚いた。情報という科目が追加されたとか。ITとは無縁の職種ばっかりやってきたから、わからないことだらけだし、飲み込みが遅いのも自覚する。
数学に至っては初っ端の二次関数で躓いている。参考書で青チャートってのが良いらしいと聞いてやり進めているけど、変域と不等号の処理がわからない。なんでここで不等号の向きが変わって、なんてのもわからない。なんなら解答をみても、どこから引っ張られた数式なのかもわからない。なんならその前のエクササイズで解けた問題が3日寝かせると解けなくなる。なぜ
今更私立は自分が碌でもない職ばっかりで、貯金が少ないのもあって国立を選ぶから、結構焦りが酷い。たまの休日を使って図書館で(若者に混じっておっさんが同じ参考書を使ってるわけだが)、2Bに手を付けている若い人なんかがいて、相当な遅れがあるのもわかる。
国語も、試しに過去問を解いてみた。古典と漢文はダメだろうけど現代文なら半分は取れると思ってたのも甘かった。相当ズタボロで、自分頭わるいなと毒づきながらやってる始末。
英語もそうだし、歴史も問い方が広範に知っておかないと解けないものばかりだった。
果たして今年に間に合うのか?
やっぱりさー、あんたは、Z会もやっていたしね、北予備の里見先生から聞いたら、テキストの東大のなんだっけ理系の過去問を糞真面目に解いていたらしくて
相当クソ真面目にやってきたみたいだねぇ。それでさー、あんた、永山悟っていう人と一緒の部屋にいたでしょー、その永山悟が、あんたの机には大量の本が積んであって、
段ボール2個くらいにZ会の冊子が大量に入ってて、養老孟司の本も10冊くらい並んでいたって聞いたんだけど、本当ですかー
だからあんたは平成時代に相当、最初からやって文Ⅰに入ったっていうことでー
それでさー、あんたを担当した、鈴木秀行っていう裁判官いたじゃない、あれはーあんたが東大法だからさー、嫉妬して実刑判決を書いたって5年前も電話で言ったでしょー
目覚まし時計が鳴る前に目が覚め、ベッドの中で天井を見つめながら、焦りが胸に広がるのを感じた。
予備校の授業には出席しているが、成績は思うように伸びない。周囲の友人たちは次第に合格の手応えを感じ始めているようで、話す度にその差を痛感する。 午前中の数学の授業では、講師の説明についていけず、ノートを取る手が止まった。復習しようと試みたが、頭に入ってこない。昼食も喉を通らず、気持ちが空回りしてばかりだ。 午後は自習室で黙々と参考書と向き合ったが、集中力が続かない。時計の針が進むたびに、焦りと不安が増していく。
家に帰る途中、夏の陽射しが肌を焼くように感じられた。帰宅しても勉強に身が入らず、気づけば夕食の時間になっていた。 夜は部屋で一人、過去問を解くが、思うように答えが出ない。焦りがピークに達し、思わず机に拳を打ち付けた。これからどうすればいいのか、先が見えず、ただ焦る日々が続く。
宮廷修士M1、現在就活中。絶賛インターン先を探しているところ。
逆求人でインターン先を探しているわけだが、ジ◯スタイラスもサポ◯ターズもキ◯リアセレクトも、ぜーーーーーーーんぶ自己PRポイントとして競技プログラミングのレートを書かされる。
仕方ないから一度受けたけど、そもそも休日の21時頃じゃないと参加できないのがダルいし、半分提出できたからこれでええやろと思ったら「参加回数が少ないので予測より低いレーティングになります」とか言われて強制的に最低ランクになるしで本当に最悪だった。
出題内容も論理的思考力を問うとかコーディングスキルが問われるようなものじゃなく、「過去問対策しておけば解けるし、知らなかったら(時間内に解くのは)無理」みたいなクソ問題ばっかり。
調べてみたら、攻略するためにはC++を使い、事前にテンプレを用意しておく必要があるらしい。
今どきC++の開発環境なんてどこにあるんだよ(いや無くはないんだろうけどさ)。using namespace std;なんて実務で書くわけねーだろ。
テンプレが必要って、それ結局覚えゲーってことじゃねえか。いや覚えゲー以下だよ。カンペ持ち込み可能な試験ってことじゃん。
これでコーディング力の一体何を測れるというのか。時間の無駄すぎる。本当にしょうもない文化。
聞くところによれば、最低ランクの一つ上の緑に到達するには、半分正解を8回、つまり2ヶ月はこのゲームに参加し続けなければいけないらしい。
それだけの時間があったらWebアプリの一つや二つは作れる。ゲームジャムに参加したって良い。
生成AIの話題を見ていると「生成AIと人間の学習は同じ!」という話を見かける。
同じ、といっても「人間も模写をする」や「他人から学習をする」という理論が主。
聞くに生成AIは58億の画像を学習して成り立っているらしい。
58億、とんでもない数字なわけだが、生成AIの機械学習が本当に ”人間と同じ学習” ならば
あそこまでの画力を出すのに58億。些か ”学習下手” だなと言わざるを得ないと思う。
自分は趣味で絵を描いている人間だが人生の中でいくら絵を見続けていたとして、見た絵は50万も行くかもわからない。
その中で更に ”学習” する為に使う資料となれば5万以下にまで減る。
正直、人間が絵が上手くなる為に必要なのは ”他人の絵(資料)そのもの” ではなく ”理解力” だ。
当たり前の話すぎる。
絵が上手くなりたいならデッサンしろって言われたことはないか?
物の本質、構造を理解し、それを絵で表現する力を身に付けるためにやれと言われる。
人間は5万も要らずに多くを理解できるのに対して、生成AIは58億を以ってもまだ理解できない部分があると来た。
これを学習下手と言わずになんと言うのか。生成AIと近未来的な名前をしている割には低機能だなと思ってしまう。
いい加減本題に入ろう。
答えは否だろう。
理由は先に簡単に答えたが生成AIというものに ”物の構造を理解する能力” はない。
私はAI技術というものに詳しい訳ではないが、断言しよう。 ”物の構造を理解する能力” はない。
人間の学習というものはそもそも学習内容を正しく理解し自分の知識として蓄えそれを正しく活かせて初めて ”学習出来ている” といえるものだ。
テストの内容を丸暗記して100点を取ったとしても、それを正しく知識として身に付けていないのならばその学習に意味はない。
よく居るだろう、勉強が出来るだけの馬鹿が。テストでいい点を取っていたのに今はしょうもない平社員なんかやってる人間が。
結局そいう人間というのは正しく活かす為の知恵がなかったというだけの話。
生成AIは過去問全部引っ張り出して暗記して80点を取って「出来た!」と言っているだけに過ぎない。
要はただの数に物を言わせたパワープレイだ。
そこに知恵なんかない。
反AIと呼ばれる人々が生成AIを「コピペ」や「コラージュ」と言うのはこういう面にあると思う。知らんが。
要は他人の技術を、意味や本質学び活用し発展させるのではなく、他人の技術をそのまま切って張っただけ。
その範疇をでないから新しいものは生まれずありきたりなものになり、絵柄を陳腐化させる。
こう見るとコラージュよりも出来が悪いな。
そうではない、と言うならば。
上げればキリがない程に破綻が多い。
そしてその破綻をなくす為にはプロンプトだとかいう呪文とやらの駆使が必要になる。
そこまでやって、やっと手描きと見間違う程のものが出来る。
著作権がどうとかAI技術がどうとか、そういう側面のことは詳しくないので語らないがこれだけは確かだと自信を持って言える。
物の構造や、物事の本質、絵を描く事における技術的知識も何もなく
何一つ活用すら出来ない程度のものが、人間の学習と同じな訳がないだろ。
そもそも「学ぶ」ということをなんだと思ってんだ。
ちなみに私はこの話に於いて「著作権がどうの」 「二次創作がどうの」などという面倒な話はしていない。
だというのにも関わらず「人間が少量で理解できるものを」 「何十億と消費できる機械が理解できていない」という客観的事実を無視して
「人間と機械の学習は同じ」という理論が展開されているのはおかしいだろ、という話をしている。