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次のChatGPTとのやり取りに目を通してほしい。
増田:メキシコにおいて、犯罪撲滅や麻薬の取締を公約に掲げて当選した政治指導者が暗殺されるのは、どの様な原因、社会の構造によってでしょうか?
ChatGPT:メキシコで犯罪撲滅や麻薬取締りを公約に掲げて当選した政治指導者が暗殺される背後にはさまざまな要因や社会の構造が影響しています。以下はその主な原因です:
麻薬カルテルとの対立: メキシコは麻薬カルテルの存在が顕著であり、これらの犯罪組織は麻薬取引や暴力行為を通じて多大な利益を得ています。政治指導者が麻薬カルテルとの対立姿勢を採ると、彼らは脅迫や攻撃の対象になる可能性が高まります。
腐敗と犯罪の浸透: メキシコの政治、警察、司法などの機関には腐敗が広がっており、麻薬カルテルはこれらの機関に浸透し、政治指導者を脅かすことができます。腐敗により、犯罪組織は法執行機関内に内通者を持つことができ、指導者を護衛できない状況を作り出すことがあります。
社会的不平等と貧困: メキシコには社会的な不平等と貧困が根深く、一部の地域では犯罪が生計手段として選ばれることがあります。政治指導者が貧困削減や社会的な公正を提唱する場合、これに反対する勢力からの脅威を受けやすくなります。
国際的な麻薬需要: メキシコの麻薬カルテルは、主に米国との国境に近い地域で麻薬を生産し、供給しています。米国の麻薬需要が高いため、麻薬カルテルは巨額の利益を得ており、政治指導者の取締りや対抗策は反発を招くことがあります。
暴力文化: メキシコは暴力文化が広がっており、銃撃事件や殺人が日常的に報告されています。政治指導者が麻薬取締りなどの暴力的な問題に取り組む場合、彼らは暴力行為の標的になる可能性が高まります。
これらの要因が組み合わさり、政治指導者が犯罪撲滅や麻薬取締りに取り組む際には、極めて危険な状況にさらされることがあります。そのため、政府は指導者の安全を確保し、犯罪組織に対抗するための包括的な対策を検討する必要があります。
メキシコの社会は麻薬カルテルの暴力によって支配されている。そして、政治、警察、司法には犯罪組織の内通者がいるので、「犯罪撲滅」や「麻薬の取締り」を公約に掲げて当選した政治指導者が殺害されるという事件が起きているのだ。
一方、日本においては、安倍晋三元総理がカルト宗教団体との関わりにより銃撃・殺害された。
それでは、メキシコで殺害された政治指導者と、山上被告に殺害された安倍元総理の違いは何だろう?
違いは、前者は、犯罪を撲滅したり麻薬を取り締ることによりメキシコ社会を改善しようとした、志高い政治指導者が犯罪組織によって暗殺されたのである。
後者については、統一教会と関係を築いてきた日本の有力政治家が、1回の謝礼100万ドル目安の講演料を対価として統一教会関連イベントで演説を行ったことが切っ掛けとなり、元総理と統一教会との密接な関係が印象付けられ、霊感商法の被害を受けた元自衛隊員から銃撃・殺害されたということだ。
つまり、メキシコの政治指導者は、メキシコの社会を良くしようとして麻薬カルテル(犯罪組織)に邪魔者扱いされて殺害された。それに対して、日本の政治指導者は、カルト宗教団体との深い関係が原因となり、霊感商法被害者から殺害された。そして、未遂に終わったが岸田総理を襲撃する模倣犯も出た。
この内容から理解できることは、現在のメキシコの社会と治安は救いがたい程に悪い状態なのであり、一方、日本の治安は、それとは比較にならない程に良好だということだ。
それでは、日本の治安がメキシコのように悪化する可能性はあるのだろうか?
2022年の「世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング(https://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html)」によると、アメリカが76,348USドルで7位、日本が33,821USドルの30位、メキシコが10,867USドルで74位だ。つまり、日本の一人当たりGDPはアメリカの44パーセントで、メキシコの一人当たりGDPは日本の32パーセントに過ぎないことがわかる。
また、「一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2023年)(メキシコ, 日本)(https://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=MX&c2=JP)」を見ると、日本は1985年(の11,815USドル)から'95年の10年間に4倍(の44,210USドル)になって以降はほぼ横ばい、また、'21年から'22年にかけて約6,000USドル下落し、現在は厳しい状況にある。
一方、メキシコは、日本が17,466USドルであった'86年に1,937USドルであり、それを底に緩やかに上昇、2008年の10,053USドル以降は(リーマンショックの影響を受けるなどして)横ばいだったが、'20年の8,533USドルから'23年には12,673USドルになると推計されている。これは3年間で約1.5倍というダイナミックな数字でありマレーシアに肉薄するが、同じ期間に日本では40,117USドルから35,385USドルに減少すると推計されている。
以上の内容から、メキシコについては、仮に現在の成長ペースを維持できた場合、20年以内に一人当たりの名目GDPが3万USドルの大台に乗ることが考えられる。また、「社会的不平等と貧困」が犯罪組織の力の源泉である(by ChatGPT)とするならば、国家の発展に伴って(麻薬カルテルの力が削られ)メキシコ社会の治安が改善する望みがあると捉えることができる。
一方、日本については、2012年の49,175USドルをピークとして、横ばいか成長か下落するか、厳しい状況にあることがわかる。アメリカと中国が上昇軌道を描いている中、毎年3万5千USドルを切る状態ならば明らかに厳しいと言えるだろう。
もしも日本の経済や産業が衰退して「社会的不平等と貧困」が蔓延し始めたら、それは、日本のメキシコ化の始まり、麻薬カルテルの様な犯罪組織が日本社会を牛耳る時代の始まりを意味するのかもしれない。
だが、日本のどこに「麻薬カルテルの様な犯罪組織」が存在するのだろう?
暴力団は、暴対法による取締りを受け、暴力団構成員等の数は平成25年の58,600人から令和4年には22,400人に減少しているのだという。
暴力団情勢と対策 | 全国暴力追放運動推進センター
もっとも、暴力団に属さない半グレ組織、闇バイトを含め、日本の衰退と共に息を吹き返す可能性はあるだろう。
だが、日本で最も「麻薬カルテルの様な犯罪組織」に近いのは、(暴力団を除けば)統一教会が該当するのだと考える。
90年代後半から2000年代にかけて統一教会問題を追及した調査報道ジャーナリストのロバート・パリー氏の記事に『文鮮明のダークサイド(続き): 麻薬の盟友』(https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html)がある。下記はその一部。
(略)
ホンジュラスとのつながり
ケリーの上院報告書は、ホンジュラスが北へ向かうコカイン輸送の重要な中継地点になったと結論づけた。「ホンジュラス軍の一部は1980年から麻薬密売人の保護に関与していた。「ホンジュラス軍の一部は1980年以降、麻薬密売人の保護に関与していた。米国は麻薬取締局のホンジュラス駐在を強化し、米国がホンジュラス人に提供していた対外援助をテコに麻薬密売の撲滅に断固とした態度で臨む代わりに、テグシガルパの麻薬取締局事務所を閉鎖し、この問題を無視したようである」。[麻薬、法執行、外交政策--ケリー・レポート--1988年12月]。
1980年代半ば、ジャーナリストや議会調査官が麻薬密売の証拠を探り始めたとき、彼らは文鮮明のワシントン・タイムズから厳しい攻撃を受けた。私がブライアン・バーガーと共同執筆したAP通信の記事は、タイムズ紙の一面で「政治的策略」と非難された。[1986年4月11日]
タイムズ紙は、まずケリーの調査官を金の無駄遣い[1986年8月13日]、次に司法妨害[1987年1月21日]で攻撃した。今、南米の麻薬に汚染された役人たちとの文の歴史的なつながりがより鮮明になり、これらの調査に対する嫌がらせは、自己防衛の可能性という別の様相を呈している。[詳しくは「文鮮明のダークサイド」シリーズを参照されたい。]
さらに最近、文はウルグアイの豪邸に活動の拠点を移し、南米に保有する資産を拡大し続けている。彼はアルゼンチンのコリエンテス州に多額の投資をしている。コリエンテス州はパラグアイに近い国境地帯で、主要な密輸センターとして知られている。
《パラグアイ》旧統一教会敷地内の麻薬輸送滑走路を爆破=国際犯罪組織が利用、教会関与の疑い(ブラジル日報)
https://news.yahoo.co.jp/articles/64477ef04951e7916bd1426874a3e9a6064a903c
1996年1月2日、文鮮明は信者たちに対する説教の中で、南米の遠隔地に小さな滑走路を建設し、沿岸警備隊のパトロールから逃れるための潜水艦の基地を建設する計画を発表した。飛行場計画は観光のためのもので、「近い将来、世界中に多くの小さな空港ができるだろう」と付け加えた。潜水艦が必要なのは、"世界には国境による制約がたくさんあるからだ "と彼は言った。
その経歴と知名度から、文鮮明とその組織はアメリカ政府の監視の目にさらされるのは当然のことのように思える。しかし、文鮮明は多くの有力政治家を買収することで、立ち入った調査に対する保険をかけているのかもしれない。~
文鮮明の統一教会は、ホンジュラスだけではなく、ボリビアやパラグアイなど南米のコカイン利権に食い込んで麻薬密売に関わってきた。そして、ケリーの上院報告書に基づいてアメリカのジャーナリストや議会の調査官その事を調べ始めると、文鮮明は自分が経営しているワシントン・タイムズの記者たちに攻撃させるようなことをしてきたのだ。また、ブッシュのような有力政治家に利益供与を行うことによってその庇護を受け、捜査対象になることを巧妙に回避してきた。
暴力団や半グレが、闇金や闇バイト、オレオレ詐欺、ぼったくりバーの様な違法ビジネスによってターゲットから金を奪うことによって収益を上げてきたとするなら、統一教会の様なカルト宗教団体は、信者をマインドコントロールして霊感商法を行うことにより、より巧妙な形で金を巻き上げて収益を上げてきたと言えるだろう。
さらに、その使いみちについては、統一教会は1999年〜2008年の期間に日本から韓国に4900億円を送金しているのであり、他方、1990年代から統一教会は北朝鮮に5000億円の資金を提供している。送金された資金が北の核開発の資金に流用され、現在の北朝鮮の核問題の原因になっている疑いがあるのである。
この様に、南米の麻薬犯罪に関わり、資金洗浄を行い、信者をマインドコントロールして霊感商法で金を奪い、批判者は自前のメディアに批判させ、有力政治家に利益供与を行いその庇護を受け、敵性国家に資金援助を行い核開発を促進させてきた文鮮明の統一教会は「麻薬カルテルの様な犯罪組織」には該当しないのだろうか?
今後の日本において「腐敗と犯罪の浸透」や「社会的不平等と貧困」の問題がどの様に変化していくかについては経済や産業の状況と関係することであり明らかではないが、その前に安倍元総理が銃撃・殺害されるという事件があり、統一教会の霊感商法の問題が注目されたのだから、岸田政権としては、統一教会に解散命令を出して国内では活動できないようにすることが最善の策であると考えられる(信者の脱マインドコントロールも必要だろう)。
現在のメキシコ社会のように、麻薬カルテルの様な犯罪組織が社会を牛耳ってしまってから、志ある政治指導者が犯罪や麻薬の撲滅を望んでも手遅れなのである。
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
私美大の大学生で、学費は奨学金なしで払ってもらえるくらいの家庭。中受して私立の中高一貫の女子校通ってた身だけど、中高の友人と大学の友人、あまりに金銭感覚や家庭状況違いすぎて、どこにも自分の置く場所がなくなってる。社会的階層の上にいるんだなって、強く感じてしまわざるを得なかった。
中高では海外旅行行くのは珍しくない話だし、大学になってからも(コロナ禍にも関わらず)年に何回も行く人を何人も見かける。ランチは1000円以上は普通に出すし、1500円くらいのもまあ出す感じ。みんなMARCH以上くらいにいて、ザ・私文ライフを謳歌してる。サークルの飲みやら、ゼミ合宿で男女入り混じって陽キャなお金持ち集団な感じ。自分の中の卑屈なおじさん心が社会的階層の上だなあ、みんなお金に困ってないでバンバン旅行行ってほんとよかったねえとネチネチ言いたくなる。非モテすぎて男女のワイワイにすごいコンプ持ってるからもある。美大に恋愛はない。
対して大学の友達には一度も海外に行ったことない人や、なんなら家族旅行に行ったことない人が多数いて、話題のピックアップに死ぬほど神経使う。本当に。奨学金使ってないだけでお金持ちだなあ…という視線と苦労してないくせに!という感情も読み取れる。東京のかなりの都会住みだからお金持ちだと思われないように、お金の使い方も気をつけてるつもりでも、画材は高いしバカスカ買ってしまう心理的障壁の低さや、お金への感覚がバレて結局意味ない。
大学の人で死ぬほどお金の使い方や親からのお金に対して死ぬほどしつこく嫌悪感を出す人がいる。それでも普通に感覚合うかなと思って旅行に行ったら、後から「あんたは強制するのがすごい嫌だった」と言われて、すごい傷ついた。別に何千円もするご飯を頼んだわけじゃない。ただ私は友達との旅行なら少しグッズとか色々買っちゃおうかなって財布の紐が緩んでしまうタイプなのに対して、その人は例えそうであろうと数百円のご飯でも高いと思うようなドケチだった。もう出来るだけお金使いたくない感じ、でも他のところでは豪快に使う。
私の元いた世界では極々普通の金銭感覚が、「浪費だ」と糾弾されて、親に出してもらってるお金を自分で払うのを始めて欲しいとか言われ、自分の家庭では普通に合意が取れていることをなぜお前にごちゃごちゃ言われなきゃいけないんだよと、すごく気分が悪くなった。私が親に甘えているのは事実。でもそいつの金銭感覚は意味不明すぎて、大喧嘩してそれっきり。
「東京の〇〇区住み」ということだけで、自分が選んで生まれ育ったわけではないこの土地出身だというだけで、物凄いお金持ちだね!!とびっくりされる顔をするのが本当に嫌すぎて、地元の話になるといつも濁す。大学ってこういう価値観に色々出会う場所だけど、こんなにお金の話が根深いとは思わなかった。あれから友達と旅行に行くのですら怖い。何円までがあなたにとって安くて、たかいのか、どれにどのくらいお金を出せるのかリストアップして意思確認しないと、またあんな目に遭うのは二度とごめんだ。かといって、美大で夜遅くまで制作して、学科内で全く恋愛する雰囲気ではないところで、しかも女の方が多くて、週5.6みっちり授業があった私には、バイトもサークルも行く余裕がなくてちっとも彼氏なんかできないから、喪女が加速して私文ライフをケッ!!!と捻くれたキモオタみたいに思ってしまって、もうどこにも居場所がない。社会的な問題についても関心があった上に躁鬱でこんな感じで頭でぐるぐる考えてしまって、頭が痛い。苦しい。ADHDと躁鬱の頭の中ってこんな感じ。四六時中から続くのしんどいでしょ?
私美大の大学生で、学費は奨学金なしで払ってもらえるくらいの家庭。
中受して私立の中高一貫の女子校通ってた身だけど、中高の友人と大学の友人、あまりに金銭感覚や家庭状況違いすぎて、どこにも自分の置く場所がなくなってる。
社会的階層の上にいるんだなって、強く感じてしまわざるを得なかった。
中高では海外旅行行くのは珍しくない話だし、大学になってからも(コロナ禍にも関わらず)年に何回も行く人を何人も見かける。
ランチは1000円以上は普通に出すし、1500円くらいのもまあ出す感じ。
みんなMARCH以上くらいにいて、ザ・私文ライフを謳歌してる。
サークルの飲みやら、ゼミ合宿で男女入り混じって陽キャなお金持ち集団な感じ。
自分の中の卑屈なおじさん心が社会的階層の上だなあ、みんなお金に困ってないでバンバン旅行行ってほんとよかったねえとネチネチ言いたくなる。
非モテすぎて男女のワイワイにすごいコンプ持ってるからもある。
対して大学の友達には一度も海外に行ったことない人や、なんなら家族旅行に行ったことない人が多数いて、話題のピックアップに死ぬほど神経使う。
本当に。
奨学金使ってないだけでお金持ちだなあ…という視線と苦労してないくせに!という感情も読み取れる。
東京のかなりの都会住みだからお金持ちだと思われないように、お金の使い方も気をつけてるつもりでも、画材は高いしバカスカ買ってしまう心理的障壁の低さや、お金への感覚がバレて結局意味ない。
大学の人で死ぬほどお金の使い方や親からのお金に対して死ぬほどしつこく嫌悪感を出す人がいる。
それでも普通に感覚合うかなと思って旅行に行ったら、後から「あんたは強制するのがすごい嫌だった」と言われて、すごい傷ついた。
ただ私は友達との旅行なら少しグッズとか色々買っちゃおうかなって財布の紐が緩んでしまうタイプなのに対して、その人は例えそうであろうと数百円のご飯でも高いと思うようなドケチだった。
もう出来るだけお金使いたくない感じ、でも他のところでは豪快に使う。
私の元いた世界では極々普通の金銭感覚が、「浪費だ」と糾弾されて、親に出してもらってるお金を自分で払うのを始めて欲しいとか言われ、自分の家庭では普通に合意が取れていることをなぜお前にごちゃごちゃ言われなきゃいけないんだよと、すごく気分が悪くなった。
私が親に甘えているのは事実。
でもそいつの金銭感覚は意味不明すぎて、大喧嘩してそれっきり。
「東京の〇〇区住み」ということだけで、自分が選んで生まれ育ったわけではないこの土地出身だというだけで、物凄いお金持ちだね!!とびっくりされる顔をするのが本当に嫌すぎて、地元の話になるといつも濁す。
大学ってこういう価値観に色々出会う場所だけど、こんなにお金の話が根深いとは思わなかった。
何円までがあなたにとって安くて、たかいのか、どれにどのくらいお金を出せるのかリストアップして意思確認しないと、またあんな目に遭うのは二度とごめんだ。
かといって、美大で夜遅くまで制作して、学科内で全く恋愛する雰囲気ではないところで、しかも女の方が多くて、週5.6みっちり授業があった私には、バイトもサークルも行く余裕がなくてちっとも彼氏なんかできないから、喪女が加速して私文ライフをケッ!!!と捻くれたキモオタみたいに思ってしまって、もうどこにも居場所がない。
社会的な問題についても関心があった上に躁鬱でこんな感じで頭でぐるぐる考えてしまって、頭が痛い。
苦しい。
ADHDと躁鬱の頭の中ってこんな感じ。
何も考えずにジミー〇ュウのバッグをママに買ってもらえる友達が羨ましい。
何も考えてなくて。
https://anond.hatelabo.jp/20230905214928
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230905214928
元増田に思うことは、大学で友達付き合いが難しいと感じているのかもしれないけど、大人になったらもっとどえらいやつとも会うので、驚くのはまだ早い。
人を見る目を養う練習の場所だと思って、冷静に人間観察をやってみてください。
本当に気立てが良くて優しい人は稀なので、大学卒業後も大切にしましょう。
一生を通じてホワイトリストに残る人が数名もいれば恵まれている方だと思います。
私美大の大学生で、学費は奨学金なしで払ってもらえるくらいの家庭。中受して私立の中高一貫の女子校通ってた身だけど、中高の友人と大学の友人、あまりに金銭感覚や家庭状況違いすぎて、どこにも自分の置く場所がなくなってる。社会的階層の上にいるんだなって、強く感じてしまわざるを得なかった。
中高では海外旅行行くのは珍しくない話だし、大学になってからも(コロナ禍にも関わらず)年に何回も行く人を何人も見かける。ランチは1000円以上は普通に出すし、1500円くらいのもまあ出す感じ。みんなMARCH以上くらいにいて、ザ・私文ライフを謳歌してる。サークルの飲みやら、ゼミ合宿で男女入り混じって陽キャなお金持ち集団な感じ。自分の中の卑屈なおじさん心が社会的階層の上だなあ、みんなお金に困ってないでバンバン旅行行ってほんとよかったねえとネチネチ言いたくなる。非モテすぎて男女のワイワイにすごいコンプ持ってるからもある。美大に恋愛はない。
対して大学の友達には一度も海外に行ったことない人や、なんなら家族旅行に行ったことない人が多数いて、話題のピックアップに死ぬほど神経使う。本当に。奨学金使ってないだけでお金持ちだなあ…という視線と苦労してないくせに!という感情も読み取れる。東京のかなりの都会住みだからお金持ちだと思われないように、お金の使い方も気をつけてるつもりでも、画材は高いしバカスカ買ってしまう心理的障壁の低さや、お金への感覚がバレて結局意味ない。
大学の人で死ぬほどお金の使い方や親からのお金に対して死ぬほどしつこく嫌悪感を出す人がいる。それでも普通に感覚合うかなと思って旅行に行ったら、後から「あんたは強制するのがすごい嫌だった」と言われて、すごい傷ついた。別に何千円もするご飯を頼んだわけじゃない。ただ私は友達との旅行なら少しグッズとか色々買っちゃおうかなって財布の紐が緩んでしまうタイプなのに対して、その人は例えそうであろうと数百円のご飯でも高いと思うようなドケチだった。もう出来るだけお金使いたくない感じ、でも他のところでは豪快に使う。
私の元いた世界では極々普通の金銭感覚が、「浪費だ」と糾弾されて、親に出してもらってるお金を自分で払うのを始めて欲しいとか言われ、自分の家庭では普通に合意が取れていることをなぜお前にごちゃごちゃ言われなきゃいけないんだよと、すごく気分が悪くなった。私が親に甘えているのは事実。でもそいつの金銭感覚は意味不明すぎて、大喧嘩してそれっきり。
「東京の〇〇区住み」ということだけで、自分が選んで生まれ育ったわけではないこの土地出身だというだけで、物凄いお金持ちだね!!とびっくりされる顔をするのが本当に嫌すぎて、地元の話になるといつも濁す。大学ってこういう価値観に色々出会う場所だけど、こんなにお金の話が根深いとは思わなかった。あれから友達と旅行に行くのですら怖い。何円までがあなたにとって安くて、たかいのか、どれにどのくらいお金を出せるのかリストアップして意思確認しないと、またあんな目に遭うのは二度とごめんだ。かといって、美大で夜遅くまで制作して、学科内で全く恋愛する雰囲気ではないところで、しかも女の方が多くて、週5.6みっちり授業があった私には、バイトもサークルも行く余裕がなくてちっとも彼氏なんかできないから、喪女が加速して私文ライフをケッ!!!と捻くれたキモオタみたいに思ってしまって、もうどこにも居場所がない。社会的な問題についても関心があった上に躁鬱でこんな感じで頭でぐるぐる考えてしまって、頭が痛い。苦しい。ADHDと躁鬱の頭の中ってこんな感じ。四六時中から続くのしんどいでしょ?
何も考えずにジミー〇ュウのバッグをママに買ってもらえる友達が羨ましい。何も考えてなくて。
anond:20230908183917 anond:20230908184104 anond:20230908184500
この増田に対する当て擦りと思われる→anond:20230907113408 「大学時代の友達が金持ちで嫉妬で死にそう」
というか↑この増田にトラバしてるanond:20230907183115←こいつが筆者じゃないの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230905214928
最近人への当たりが強くなってきていて、このままだとパワハラになるのでは?と悩んでいる。
私は気づいたらなんでも相談係みたいなポジションにいることが多い。たぶん新卒だろうが何だろうが仕事の依頼は敬語で下から依頼する、とりあえず話を聞くの2点を大事にしてるので相談しやすいのだと思う。
相談されれば普通に回答するし、繰り返し説明するのも苦ではないので優しく教えられていたんだが、30代入ってから他人を攻撃するようになってしまった。
というか、我慢できたことが我慢できない。これが老いなんだろうか。まだ30代なのに。
たとえば、「このファイルは操作間違えると消えるから指示があるまで触らないで」って指示をしてるのに触る人がいた時。
今までなら「消えてないから今回はセーフだけど、触らないでほしいんです…!わかりづらい操作が悪いんですけどねー、まあよろしくお願いします!」ってフォローできたのにそれができない。
さすがに最初はできるんだけど、何回かやられると「…どこが理解できないですか?」ってきつめに詰めてしまう。
前は何だ言われても「あるあるっすよね〜でもやめてね〜」くらいで何度でも教えられたのに最近できてない。
繰り返し間違える同僚にどこまで教えるか?という問題とは別に、
私は「どんな質問も嫌な顔せずに教えてくれる人」「困ったらどんなに忙しくてもフォローしてくれる」として立場が確立されていて、私に聞いてくる人は過去の過ちのせいで他の人に聞くの怖くなってしまってる場合が多いので、このままでは逃げ道がなくなってしまう人が出る可能性がある。それはまずい。人を泣かせたいわけじゃない。
ここから言い訳をさせて欲しいんだけど、何でこんなことになってしまったんだろうと思った時に、「教えてるのにやらずに他責にする」人も増えてきたからかなと思い始めている。
最近、どう見たって「これを提出したら怒られる」ってわかってることがわからない人が多い。
もちろん初めての人にはわからないことも多いし、時間やサンプル作って丁寧に教えてる。
でも、やらないんだ。なぜか。
絶対やらなくて怒られて泣くか、「言わねーとわかんねーよ」って逆ギレしてる人が多い。
その度に話を聞いて、これはこう書かないと伝わらないよねとか、こう伝わる書き方してるけど本意じゃないよね?書き直さないといけないよって教える。
埒があかないときは私が代わりに資料を作って、まずこれで説明して、一回この議論を終わらせようとか調整するんだけど、MTGになるとその資料を勝手に書き換えたり、一部だけ抜き取って自作の謎資料に貼り付けてることが多い。で、わけわからんこと言って怒られて、裏で逆ギレする。
こういう人が本当に多くなった。
特定の誰かだけって話じゃなくて、何人もそんな感じ。性別は関係ないけど、年齢は20代から30代半ばくらいの人たちが多い。
あまりにもしんどくて職場変わってみたけど、同じような人は何人かいた。
私の過去の職場が天国で会話が通じる人たちばかりだったのかもしれない。
私は怒ってる声や大きな声が苦手で自分が怒られてなくても泣きそうになるタイプなので、厳しく言うのはあまり好きじゃない。
人によって理解しやすい説明方法があると思うので、理解してもらえないときはただ調整すればいいと思ってたし、逆ギレするのを見て、もっと根深いところに間違いの元がありそうと思って1 からヒアリングしたりしてたけど、どうやっても頑なに変えない人ばかりで、気づいたら強く言ってしまう。
最近は「増田さんが冷たくなった」って噂されてるし、中途3ヶ月目の女の子は「敵になってしまった」って泣いていたらしい。
私も仏じゃないから無理だよと思いつつ、彼らのメンタルを思えばキツく言う前に他の人に相談して「優しい増田さん」の皮を脱がないためにどうすればいいか相談すべきだったと後悔している。チームのバランスが崩れる。
でも、提出1週間遅れて出した資料に説明を書かず、上司が見る前に指摘して直しとけって言ったのに直さず怒られてのを、いつもMTGで怒られると憤慨されても助け方がわからないよ。どうしてほしいんだ。
差別とかの連中が大嫌いなのはこういう言いがかりをつけている点。
偏見は自ら作り出しているって気づかないのがすごいわ。
まさにこの話の話題になってる「近畿地方」住まいの人間からいうと、この題名と「名前の伏せられた忌むべき地域」とか、寂れた団地・マンションとかの要素から、近畿地方の根深い地域差別を連想するのはさほど難しくないというか、それ意識してないわけないでしょ、って思っちゃう。
8月30日に発売するっていうんで、カクヨムに載ってる作品を(話題になってたけど読んでなかったので)読んだんだけど。
まさにこの話の話題になってる「近畿地方」住まいの人間からいうと、この題名と「名前の伏せられた忌むべき地域」とか、寂れた団地・マンションとかの要素から、近畿地方の根深い地域差別を連想するのはさほど難しくないというか、それ意識してないわけないでしょ、って思っちゃう。
さすがに関東の方中心のTwitterでは https://twitter.com/atkyoudan/status/1640702253698011137 くらいしか指摘もなかったのだが。
いやでもこれ本当に「部落差別」っていうものの存在をまったく知らずに、意識せずに書かれたとは思えないんだよね。
どう考えても意識して「近畿地方」を取り上げて、揶揄してるでしょコレ。
ていうか、それだけじゃなくて、もっと「えええ・・・・・・・」って思っちゃったのが、WEB版のノート?にあるこの写真
https://kakuyomu.jp/users/sesuji/news/16817330654329836615
いやいやいやいや、これはさすがに言い逃れ不可でしょ。
あきらかに斜視とか口蓋裂とかの症状のある子供の写真を「気持ち悪いもの」「不気味なもの」「呪い」といったイメージに短絡させて描いてるよね。
もしかすると今はやりのAIとか使って描いてもらったものだから肖像権は問題ない、とかいうのかもしれないけど、ここまで直球で特定の病気や生得的な障害で生じた、身体的な特徴を揶揄する表現って、アリなの?
なんか告知を見たので読み始めたらすげえ地雷ふんじゃったよって感じなんだけど、これ出版するってときに、誰もこういうことを指摘しなかったのか?それか俺の考えすぎ?
老化の衰え、自粛引きこもりの衰え、風邪(コロナ)で寝込んだ衰え、メディアに踊らされて恐怖を感じた衰え、後遺症はあるに違いないと信じたい気持ち、後遺症って言えばヨシヨシしてくれるという期待感
後遺症って言われてることの9割はこれだろ
人間の流動性が加速していく昨今で過度に周りの人間に固執する必要はないし、取り返しのつかない大失態を犯しても環境を一新させることも比較的容易にできてしまう
そんな中で利他性を保って生きていくことが生存につながったような昔に造られた人間本能に準拠する既成道徳や因習に過度に凝り固められ縛られているから生きづらいのではないか
現代社会において利他的行動は我々に幸福感と生の喜びをもたらしてくれるポエム的なものに過ぎなく、利他的行動により生存が圧倒的に優位となれる可能性が高いわけではない
利他的行動は相手の良心に身をゆだねるため相手が利己的ならば奪われる
野生に生きる動物たちはむき出しの本能で日々血なまぐさく争っているが、人間は理性を用いて自分の身体性の限界を拡張する炎や武器などの圧倒的な暴力を生み出し、暴力に支配された自然の理を理性で制限し人間の利己性を押さえつけることに成功した。そして各々の利己性は利他性に奉仕させられそれを美徳とすることで人間は地球の覇者となった。
つまりは人間性の起点は利他性にこそ存在している。しかし人間はいつまでも本質的な原始本能である利己性をなくすまでには至ることができないでいる。
それは人間がやはりどこまで行っても獣であり、自分の体に縛り付けられた理性しか持ちえないからだろう。
だから我々人類は共生の歴史が根深く完全な利己的行動に走るには良心の呵責が伴いこれは簡単に捨てることができない。
完全に利己的行動へ堕するには獣にならなければいけない
獣になってでも生き延びることが美徳か?人間らしい利他性のために殉ずることが美徳か?
それを決めるのは個人の自由で良い、この世の縦横無尽に広がる無限の地平線の深遠さに比べれば本当にとるに足らないことなのだから、、、
性被害は被害者が傷付くだけじゃなく、敵国を支配する為敵国の女をレイプしたり、被害者の方がふしだらで恥と見られたり名誉殺人されたりする問題も孕んでる。
日本だって、ムラムラさせた被害者の方が悪い加害者は無罪という判決が出たりした
被害に遭っても自分を恥じたり責めることなく、大した事ないと増田が思えるのも、先人が頑張った証かもしれないよ。
でも、性被害に遭ってからも平気だと思っていたら急にパニック発作起こしたケースもあるから気をつけてほしい
あと、皆にこちらを見てほしい。普通はこうなる #性被害者のその後 タグまとめ http://archive.is/4onsZ
東京新聞の記事にヘイトスピーチが付きまくってる状況を見て自分なりに考えてみた。
※前置き
正直、どういう歴史と理由を持って特別永住権が認められているかどうかとかあまり詳しくない。
ただ、自分も在日韓国人であることを理由にいじめや差別にあったことはあるし、「帰れ」という言葉を投げかけられたことも何度もある。
同じように、韓国に行ったときにも在日という理由で差別を受けたこともある。これについては日本よりあからさまで驚いた。裏切り者とか、韓国語も喋れない劣った存在みたいな扱いだった。
よく言われる特権についても正直よくわかっていない。
さっきwikiを見てきたとき、確かに再入国や在留資格については他の外国人に比べて優遇されているとは思ったけど、日本人より何かにおいて優遇されていると感じたことはない。
最初に断っておくと、参政権(選挙権)については自分も否定派。
かといって、参政権がないから自分は迫害されているとも思わない。
※前置き終わり。
本題。
結局のところ、自分でもよくわかってないというのが正直なところ。
先程も書いたけど、韓国でも割りと強い差別を受けるので、そもそも韓国には精神的にも物理的にも帰る場所なんてものはない。
じゃあなんで日本人に帰化しないの?と言われると、まあやっぱりアイデンティティの喪失を感じるからだろうなぁと思う。
例えば、関西で生まれ育った人が東京に引っ越してきたとして、「東京に住む以上は本籍を東京に移してこれからは標準語を喋って東京人として名乗ってください。できなければ帰ってください。」って言われるのに似てるかなと思う。
もちろん関西じゃなくてもいいんだけど。
それで関西の人に、「あいつ上京しやがって。関西人って名乗るな!」って言われても、やっぱり自分は関西人でありたいって思いません?
たこ焼き食べてお好み焼き食べて、これこそソウルフード!って思いたくなると思う。
それを、「いや、本籍書き換えるだけで手続き上は簡単なんだから東京人でいいじゃん」って言われて、「そうだな!」って思えるかどうか。
それでもいいよって人と、いやだなって人がいて当然なのに、嫌だなって人を許さないのは差別だよねという話なんだと思います。
例えがピンとこなかったら申し訳ない。
兄弟はすでに帰化しているし、実を言うと父親世代の親戚の中で在日3世で帰化していないのは自分だけだったりする。
必要に迫られれば帰化しようかなと思ってるまま、同じ在日と結婚してとうとう在日4世の子供も生まれてしまった。
当然、子供に国籍を押し付けるつもりもないし、かと言って隠すわけでもなく、自分たちは在日という特殊な存在であることは事あるごとに言い聞かせている。
そこに残された側としての責任がないと言えば嘘になるけど、そんなことを理由に帰化しないともやっぱり思わない。
結局のところ、帰化する理由がないというのが一番なのだと思う。
だからといって、労働義務も納税義務も等しく満たしていて、日本人に対してチート級の特権があるわけでもなく、法律でも存在が認められているというのに、「日本に住んでいるのに帰化しない」という理由だけで「差別を甘んじて受けろ」というのには当然納得はしないし、それが差別していい理由だとは一切思いません。
北朝鮮がミサイルを飛ばしたからと言って朝鮮学校の生徒が石を投げられていいわけがないのと同じですね。
じゃあ韓国にも帰らず日本人でもないお前は何人なんだ?っていう質問もよく受けるんだけど、その答えは自分は「在日韓国人」なのだと思う。
勝手に新しい民族を作るなって声が聞こえてくるようだけど、日本に入って3世代も暮らしていればそれはもう新しい民族というしかないでしょうというのが正直なところ。
それを「日本に住んでいるなら日本人になれ」というのと、「在日韓国人としての存在を認め続ける」のとでは、どちらが先進的な国際社会のあり方であるかは火を見るよりも明らかなんじゃないかなぁというのが個人的な見解です。
そもそもこういう意見を匿名じゃないと安心して発信できない状況が、まだまだこの国日本において人種差別問題が根深いことを物語っていて、取り組むべき課題の多さを感じるよねーというお気持ち表明でした。
元々の話題に遡って、「クライアントと提案者」という関係において説明してみる。
この関係において、クライアント側は提案者に何らかの提案、新しいプロジェクト、新しい知見を期待してるんだよ。そのために金を払ってる(あるいは将来的に払うことを検討している)。
つまりクライアントは、提案者の発言に対して自分の側が「なるほど」と言いたいんだよ。そういうやり取りや進捗を期待している。「なるほど」と気づきを得て、それが自社利益の糧になり、金を払いたい。そういう関係を築きたい。
にも関わらず、提案者側が「なるほどですね」っていっていたら(特に連発してたら)そりゃ、カチンとくる場面はあるよ。その種のやり取りが定番化すると、「提案する」「新しい知見をもたらす」という自分の業務を投げ捨てて受け身でいるように感じられるからだ。「こっちは金を払ってるクライアントであってあなたの指導教官ではない。あなたがそうやって納得してふむふむうなずいてて、わたしの側は何の得があるのだ?」と思う。それが積み重なれば、「こいつ仕事する気ないな」「小馬鹿にしてるんだな」と感じたりもするよ。
だからこの問題は、言葉遣い単独の問題じゃなくて、関係性とかその時の会話の流れが絡む問題なので難しいんだ。そういう問題なので「代替の言葉」とか「言い回しを変えれば」なんて対症療法はないし、あっても無意味だ。
この問題は、上司と部下なんかにも発生しうる。上司は部下の教育も業務の一部だから、何かを部下に説明するなり指示する過程で「なるほど、わかりました」「なるほどですね」と言われても、一般論では、それが即座に礼儀知らずとまではゆかない。しかし、そこに至るまでの経緯で何度も説明したことであったり、そもそもやり取りで今は部下の側にボールがある(たとえば指示された業務が部下側にある)にも関わらず「あー。なるほどですね」って言われたら「ああ、こいつ理解してるふうなこと言ってるけど理解してないし、理解する気もないし、自分で判断する気も行動する気もないんだな」ってなる。
そんなわけで、これは言葉遣いの問題じゃないんだ。でも別にそんな単語や言い回しなんて珍しいものじゃない。たとえば「部長は聡明ですね」なんてコメントひとつだって、言って良いシーンとそれを言ったら相手を激怒させるシーンってあるわけでしょう? そんな言い回し一般会話の中にありふれてる。
それを言葉遣いの問題だと考えて言い回しや言い換えを探している時点で、コミュニケーション相手の期待や失望を理解してないっていう自己紹介になってる。そういうひとは、読解能力やコミュニケーション理解力の低さが根深くてやばいよ。
NHKおはよう日本の、7/12(水) 午前7:00-午前7:45 の放送枠で7:21ごろから、「“香り”で体調不良 困っている人が…」と称して、柔軟剤などの香料が引き起こす香害について、7:30ごろまで9分間にわたって特集。
NHKプラスの見逃し配信では再生時間21:39から当該特集が視聴できる。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023071220946?t=1299
NHK (柔軟剤 OR 香料 OR 香害) since:2023-07-11 until:2023-07-13 - Twitter検索 / Twitter
しかし、おはよう日本の過去のエピソード一覧では、▼見出し扱いされていない。
翌日の同等の特集枠とみられる多汗症については、ちゃんと▼見出しになっているのに比べると、違和感がある。
▼石川、富山に線状降水帯・厳重警戒▼ウクライナ支援へ日本とNATOの連携は▼マイナンバーカード“返納”の実態は▼豪雨被災地進まぬ復旧▼多汗症治療最前線
結果として、NHKオンライン内を「柔軟剤」「香料」「香り」いずれで検索しても、当該番組は検索できない。
https://www.nhk.jp/search/?q=%E6%9F%94%E8%BB%9F%E5%89%A4
https://www3.nhk.or.jp/news/nsearch/?qt=%E6%9F%94%E8%BB%9F%E5%89%A4
まぁ、たまたま見出しから抜け落ちただけで他意はないのかもしれないけど、個人的には「マイクロカプセル」なんて仕組みで香料を閉じ込めていたことは知らなかったし、花王・ライオン・P&Gジャパンという大手メーカーに問い合わせて回答を得ていたことは民放にはなかなかできないことだと思ったので印象に残っていて、それがネットの海に埋もれたままなのはもったいないと感じて、増田に記録することにした次第である。
取材を継続して、いずれ夜の放送枠などでも取り上げてもらえたらいいなと思っている。
◆
約3週間後、同等の特集記事がNHKオンラインに掲載されていた。結局、根深い闇レベルの問題とかではなく、「見出しが省略されてしまったこと」「記事化にはかなりのタイムラグがあること」だとしてまとめたい。
柔軟剤 香りで体調不良の相談増加なぜ?マイクロカプセルが… | NHK | WEB特集 | 医療・健康
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230801/k10014147781000.html
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
確かにPCの設定とか単体で見れば役員のあんたに言うことじゃないかもしれないけどさあ
毎回新人が入るたびにだいたいの業務で使うGoogleスプレッドシートやツールの権限が付与されてなくてログインエラーになるの
毎回となるとPCセットアップ段階のマニュアル整備不足の問題だと思うわけ
いつも「現場で何とかしろ」で終わらせるから手順も対応も属人化して標準化されない、会社にナレッジがたまらない
社員に課題を課して成長させる、自分で動けるようにするって、上層部がやるべきことをやってない言い訳にしか聞こえないのよ
社員はレールの上をどれだけ速く、効率的に走れるかを考えて実行するまでが職務であって、何もない所にレールを敷くところから始めるのは職務外です
しかもレールを敷く前から見切り発車で業務がスタートしてるから、効率の悪いやり方で通常業務をやりつつ、一からレールを敷く作業を求められても無理です
と、いう事をすでに何人も上申して受け入れられず辞めていってるので無駄なんでしょうね
サービスの根底がおかしい事に気づく優秀な中途、長年勤めて問題が根深いことを理解した生え抜きがその壁にぶつかって辞めたり病んだりするんだから、優秀でやる気のある人間を除去するフィルターとして大変優れていると思います
自分は当該番組(通称サンソン)をたまに聴いており、いつもはおじいちゃんとそこに集う類友のたわいないハガキと
選曲を楽しんでいるのだが、週半ばにコメントを出すと事務所が告知して以降、どうせロクなことは言わないんだろうなと思っていたら案の定そんな感じだった。
今回の番組の構成も踏まえつつ、結局彼が何を伝えたかったかを考察し、どう受け止められるかを観察する。
山下達郎のファンの方で何故こんなに炎上しているのかわからないひとにも一読していただけると幸いである。
<参考リンク>
https://anond.hatelabo.jp/20230709143809
https://radiko.jp/share/?sid=FMT&t=20230702140000
https://radiko.jp/share/?sid=FMT&t=20230709142936
まず驚いたのがコメントが番組の中盤、30分近く経ってから流れたことであった。
芸人の結婚・恋愛報道が出た後のラジオで冒頭すっとぼけてから中盤で報告するくだりは何回か聞いたことがあるが
こういったお世辞にも明るいとは言えない話の場合はリスナーのために冒頭でさらっと言及して
あとはいつも通りやるパターンが多いので、一旦普通に番組進行してから報告するのは新鮮である。
ちなみに今週は「棚からひとつかみ」という山下達郎の膨大なレコードコレクションから
この番組の中心は洋楽で、山下達郎の曲は基本的には最初と最後にしか流れない。
熱心なファンから送られてくるウィットに富んだおたよりを時折紹介しながら洋楽を流しまくる番組である。
当然山下達郎オンリー回もあるのだが、6月は既にそうした達郎三昧が続いていたので久々に洋楽回になるはずだったのだ。
しかし予定を変更したのか最近リリースしたリマスター盤中心の達郎三昧回となっていた。
コメントを発表する前にかけたのはJuice=Juiceによる「Funky Flushin'」カバーと本人歌唱、
そして「Rainy Walk」の3曲であった。「RainyWalk」はアン・ルイスをプロデュースした際にボツになったものを
本人が買い取ってアルバムに収録したものであり、この放送中でも本人からそのような紹介があった。
コメントで強調されていた「一作曲家、一楽曲提供者」という自身の位置づけにも通ずる選曲であり
この2曲を先にかけたのは、コメントのために野次馬で聞いているひとたちへの当てつけなのではないかと邪推してしまう。
「ジャニーズ批判をしたことによって業務提携を解消した、それに山下達郎が同意した」が事実なのか
また事実であればそこにどのような正当性を見出すのかという点であった。
その答えは簡潔で「松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めます」ということである。
そのあと「理由は決してそれだけではありません」と続くのでおっと思ったのだが
そのことについては触れることを差し控えられてしまった。ここで何か松尾氏との問題や経緯に関する新たな情報があれば
松尾氏側からの視点しか無かったこの騒動に新たな見方が生まれ、
内容によっては契約解除の正当性が見いだされてスマイルカンパニーや山下達郎への風当たりが和らいだ可能性も十分あったはずである。
前から何か問題はあったんですよ風の雰囲気だけ出されても、他に大した問題も無いのにジャニーズ批判をしたからこそ契約解除したことが際立つだけで逆効果だったと思われる。
更に山下達郎には興味が無いが、ジャニー喜多川の性加害報道に関心のある層が気になっていたのは
「山下達郎は当時そのことを知っていたのか、また今こうした告発をどう受け止めているか」あたりだと思う。
別に山下達郎はジャーナリストでは無いので、自ら当時の姿勢を省みて何かしらの責任を取ったり
コメントを絶対に出す必要が必ずしもあるかと言われると、それが望ましいかもしれないが(他の楽曲提供者同様)微妙であった。
吉田豪もコメントしていたがこの件には「誰もが知っていて、誰もがうっすら共犯関係にあった」側面があるからである。
しかしジャニーズ批判を展開していた松尾氏の契約解除、というジャニーズへの忖度と取られかねない行為に踏み切ったために、
諸々問われることになったというのが現在の山下達郎および事務所の前提である。
この問いに対する回答は「噂には聞いていたけど知らなかった」であり、疑念を持つ人はいたとしても大きな問題はない。
そのまま性加害を擁護しているわけではない、第三者委員会による調査は必須という内容をすらすらと読み上げて
楽天カードマン(一社提供なので番組の途中にふざけたCMが延々と流れている)に
バトンを渡していればまだマシな着地を迎えられたと思うのだが、ここからなぜか達郎のエンジンがかかる。
3分にわたりジャニーさんおよびジャニーズ賛美&思い出タイムが繰り広げられたのだ。
「ジャニーさん」との出会い、一緒にやった仕事、キャリアへの影響、功績と感謝・・・
NHKFMの今日は一日ジャニーズ三昧、あるいは関ジャムのジャニーズ特集でそのまま流しても
何も違和感が無いぐらいのめちゃくちゃ熱いコメントである。自分がジャニーズ関係者なら涙ぐんだかもしれない。
更にメンバーが退所したSMAPやキンプリのことを急に惜しみ、妻である竹内まりやの名前を出してまで再結成を願っていたが、
この流れだと大半の人は「なんでジャニーズ辞めちゃったの」という意味に捉えるので
内部軋轢や方針の違いで飛び出したメンバーやファンからしたら余計なお世話といったところである。
山下夫妻がジャニーズ側の視点でこれらの解散・脱退を捉えていることも示唆されたので本当に余計だったと思う。
では何故山下達郎がこのような話を展開したのか。
本人はコメントの中で、今回の件に関するネットや週刊誌の最大の関心事は
「私(山下達郎)がジャニーズ事務所への忖度があって、今回の一件もそれに基づいて関与しているのでは?」
であるとしている。それにこたえる形でこれらのコメントを出したと考えていいだろう。
振り返った通り、彼がジャニーズに対して並々ならぬ思いを持つことは痛いほど伝わってきたし、
松尾氏の契約解除については冒頭で松尾氏のジャニーズ批判が原因であると明言している。
「はい、忖度してます。それで切りました」なのだが、山下達郎にとってYES/NOはおそらく重要ではない。
彼が伝えたかったのは「僕とジャニーさん、ジャニーズとの絆を忖度なんて言葉で呼ばないでくれ」ということなのではないだろうか。
忖度という言葉そのものは他人の心中を推し量ることという意味だが、この数年政治問題でこの単語が連呼されたこともあり
以前より一層ニュアンスとしては悪いものとなっている。そのような薄汚いイメージで僕とジャニーズの関係を表さないでくれというのが
山下達郎がコメントに至った原動力であり、正直松尾氏が自分の名前を出してどうこう言ったことはそこまで気にしていない可能性がある。
現に松尾氏の名前を挙げたのは序盤だけで、松尾氏の主張にも特に反論していない。
むしろコラムで言及されていた義理人情ストーリーを本人の声でしっかりと補足してしまっているぐらいである。
その一方で忖度という単語へのジャッジは厳しく、コメント終盤で
「このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。
きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」とまで言い切っている。
いや達郎、あなたの中でそれが絆だろうがエターナルだろうがどれだけ美しい言葉で形容できるものだとしても、
結果としてジャニーズをおもんばかって首切ってたら世間の受け止め方は一緒なのよ。
そんなに熱い絆があったのならしょうがない、ということであれば今まで忖度で追及されてきた政治家たちにも
おそらく夢を語り合った時間とか、何かを一緒に成し遂げた経験とか、誰かの成長を共に見守ってきたこととかあったと思うよ。
とぶった斬るのは簡単だが、細かい表現にここまでこだわってしまうのがアーティストらしいところである。
それを「多分ファン以外の世間には屁理屈にしか聞こえないです」って止められるひとがマジで誰もいないまま発信されたことが問題なだけで。
ラジオでの発言が物議をかもすたびに、ラジオ=クローズドかという議論が起こり、個人的には色々思うところがあるのだが、
今回に関しては本人がわざわざツイッター、インスタ、FBの代わりにここで発信すると宣言してからのこの展開なので、
世間一般との認識のズレの大きさだけが浮き彫りになってしまった形である。
ファンが今回の対応に疑問を提起すること自体を封じ込める踏み絵のようなものであり、全くスマートではないと思うのだが、
好意的に受け止めているファンもいて、ツイッターでも嫌なら聞かなかったらいいんです!と振りまわしている人が既に散見される。
わざわざこの一言をつけたことで、この踏み絵がファン以外、世間一般や企業、周りまわってステークホルダーに行きつく可能性もあるのだが、おそらくそこまでは考えていない。
この騒動自体は根深いながらもジャニー喜多川の性加害報道においてはあくまで場外乱闘なので
BBCなどの海外メディアが取り上げている様子は今のところない。
しかしこの性加害問題がなぜ外圧でしか浮上しなかったのか、という点においては本質的な部分を含んでいるため、
海外メディアが続編ドキュメンタリーを制作するとしたら、日本におけるこの問題に対する反応の例、
あるいはジャニー喜多川への信仰の例としてこの騒動を取り上げる可能性はある。
それでも会場は箱を貸すだろうし、CDも流通するだろうし、元々海外の配信プラットフォームとはほぼ無縁の存在なので山下達郎が食いっぱぐれることはないだろう。
今日の山下達郎のコメントから見えてきたものは、お前ら世間がどれだけ騒ごうが
自分の大事にしているものを譲るつもりは一切無ければ、うしろめたさを感じて取り繕うつもりもない、
またジャニー喜多川を堂々と称えることで被害者に与えるダメージも知ったことはない、
それでもファンと今までのキャリアが十分自分を支えてくれるという、THE重鎮THE大物らしい絶対的自信とその空虚さだけであった。