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はてなキーワード: 似て非なるとは

2019-05-17

BTSファン想像以上に頭が悪くて言語が通じない

人類似て非なる何かだと考えることにした

2019-04-23

anond:20190421215458

じゃぁ獣人はどうなのだろう?

人間だとは言わない、獣だとも言わない。

言うなら、獣と人間ハーフ

自分のことをどういう属性で呼ぶのが普通なのか認識が固まってれば良い。

もし自分が「ドワーフ」だったとして、自分のことを「ドワーフだ」という事が普通なのだとしたら

そういうだろうな。

人間似て非なる伝説生物である。姿は人間に近いながらも、人間と違った特徴を持つ生物であり、デミ・ヒューマン (demi-human) とも呼ばれる。

亜人て呼んだ方が、伝説および神様に近い存在から

しろ誇れるんじゃねぇ?

2019-04-13

育成要素はゲーム性を阻害する

RPGって探索や戦闘ゲームだけど育成やアイテム集めの部分はゲームとは似て非なるなにかだよね

・少なくとも競技意味するGameではないよね

三行しか読めない人向けまとめ終わり


少し前に、友達との付き合いかとあるソーシャルゲームを始めてね。友達ゲームに誘ってチュートリアルを終わらせるとなんかいろいろ貰えるよーってアレね。いやーしか友達誘えってのはあれだね。マルチ商法だね。はしたないね。でも宣伝しつつ遊ばせつつ辞めさせにくくさせるには最高の手段ではあるよね。

それは置いといてだ。

そのゲームを始めてチュートリアルの初期段階はまあそこそこ楽しめたんだよ。一応ゲームになってたからね。目の前に与えられた課題に対していくつかの選択肢の中から自分なりの正解を選んでいく遊びとして成立していたからね。行動順とバフ・デバフ属性管理するだけの遊びではあったけど、与えられたカードの中から自分なりの最適解を導く過程を感じられたよ。

始めて1時間ぐらいした辺りは実際楽しかった。このステージではこいうギミックを越えさせたいんだろうなとキチンと伝わってくる丁寧なレベルデザインと、程よい難易度バランスがあって、なるほど想像よりもしっかり作り込まれているなと感心していた。……のだけどね……そっから時間ぐらいした辺りから、もはや手応えなんて言葉では表現できないような数字暴力が始まっていくんだ。

それまで「このキャラとこのシステムをこう使っていくんだぞ」っていうデザインだったステージが、「このキャラをこれぐらいまでレベルを上るか。同じぐらいの攻撃力のキャラガチャから引いて持ってくるんだぞ」という風になってきてな。それが等加速度直線運動でひたすら酷くなっていんだよ。そして数日ほどすると、確定配布のキャラレベル上限が見え始めてきて、覚醒だの強化だのと言った言葉と共に「今ならガチャが安い!今だけ!一週間以内にガチャ買え!早く金払え!」みたいになってな……。まあそれはいいんだ。

問題は、そこで金を払わないと凄まじい待ち時間や単調な作業を繰り返してようやく進めるかどうかになってきたゲーム難易度(って言葉表現したくはない適当に入れたような数字の上昇)や、そこで金を入れた所で結局はひたすら数字を大きくするだけの作業の繰り返しだって事実への邂逅だよ。カンタムロボ最終回慟哭みたいなもんだ。終わりのないパワーアップインフレの繰り返しの果てに何があるんだろうっていう虚無感さ。

俺は友人にギブアップを伝えたよ……。

勘違いしないで欲しいんだが、俺がギブアップしたのは課金誘導だとか時間をやたら浪費させようとすることだとかじゃないんだ。

今後頑張ってレベルアップや星5収集を行って戦力を整えてステージクリアしても、それが自分の力によってステージ攻略したこととは別物に思えてしまたからなんだよ。結局それは積み上げた時間お金によるものしかなく、その過程によって磨かれた自分プレイヤースキルじゃないんだろうなってことさ。

ちょっと話を逸らすけどさ、「銀と金」っていう漫画に『金の橋』っていうギャンブルがあるんだ。薄暗い部屋に名画の贋作と真作が置かれていて、それをちょっと遠くから僅かな明かりを頼りに本物を選んでみろっていうギャンブルだ。この話が単にそれだけだとよくある千と千尋の神隠しラストみたいな奴でしかないんだが、福本伸行だけあって面白いこと考えてるのよ。金の橋っていうギャンブルはその名の通り、金を払うことでその金の厚み(1万円札で)と同じだけ絵に近づくことが出来るっていうルールがあるんだ。もし真作を当てた所でほぼ儲けがゼロになる事さえ覚悟すればほぼゼロ距離まで絵に近づけますよってぐらいの距離なんだなこれが。それでまあ絵画商のオッチャンは流石に暗くてよく見えねーってことでかなーり近くまで絵に近づいていくのよ。その過程コンコルド効果と、それに飲まれてアップアップになって目利きへの自信が薄らいだり逆に過信になってきたりするのが面白いわけさ。でも結局このギャンブルの肝は目利きでさ、異常な空気に飲まれながらでもめっちゃ近くまで来たなら、本物の目利き商なら贋作ぐらい何とか見極められるはずなのよ。最後ものを言うのは金じゃなくて腕なのね。そういうのってやっぱいいよね。競技ってのこうじゃなくちゃ。最後は腕で決まらんとね。

さて、それじゃあ話を戻すけどさ。RPGとかで作り手に言われるままに強い装備を集めてレベルを上げて、そうしてそれらの積み上げた数字の力で勝利するのって果たしてプレイヤーの腕によるものだって言えるのかね?もし俺が他人にそう聞かれたら反射的に「バカ言ってんじゃねえよ。前提がおかしい。ドラクエボタンを押すだけでいつの間にかクリア出来ちまう所が国民的なんだよ。誰でもクリア出来ることの何が悪いんだ」と言っちまう気がするのよ。でもそれって、結局の所は育成要素にはゲーム性がありませんってのを認めてるようなもんだよな。友達頭が悪いことを馬鹿にされて、コイツバカだけど人当たりは良いから単なる悪口野郎よりもずっと社会必要とされてると思うぜって反論するのは、結局そいつの頭の悪さについては認めてることになるっていうあのパターンね。

でもまあ多少なら良いと思うんだよ。育成要素が強すぎてゲーム性がそれにより薄められちゃうのもさ。ひたすらストイックなだけなのも辛いし、下手くそは上手い奴と一緒に遊べませんってせずにハンディキャップ与えてもらえるチャンスがあるのはいいことさ。でもそれをやりすぎたらさ、ゲームゲームじゃなくなると思うんだわ。その境界線をどこで引くかなんだろうな。俺から見ると、ひたすら育成要素がドカドカ出てくるゲームはもはやゲームには見えなくなっていたけど、俺にそれを進めて結局俺が途中で飽きたからってことで俺の端末借りてチマチマ二人羽織りでクリアして限定キャラゲットした友人からすればゲームなんだよな。

好みの問題しかないんだってことは分かってるよ。昔からポチポチしているだけのゲーム大手を振ってゲームだと言ってきた歴史はさっきも言ったようにドラクエ証明してる。それが悪いとは言わんし、あのゲームの成長速度は程よいし、たまに詰まって1時間ぐらいレベリングしてから挑み直すときのワクワクはなかなかのもんさ。まあ時間感覚の違いなのかもなあ。俺からすれば「一ヶ月レベリングをする」とかはもうゲームじゃねえだろっていいたくなるわけだが、MMOとかずっと一日中やってる人からすればそれはゲームだもんなあ。でもなあ。ポロっと引いたレアキャラが今まで工夫してようやく倒した敵をただポチポチするだけでなぎ倒していく様子を見ちゃうとさあ……これは本当にゲームなのかあって感じちまうんだよ。

[] #72-1「僕は学んだ」

僕はこの『ヴァリアブルオリジナル』を読んで、正義とは何か、愛や平和とは何かを学びました。

まず序章では主人公ヴェノラの、現世での日常生活が丁寧に描かれます

僕はこれを読んだとき、「あれ、冒険は?」と思いました。

そんな疑問も長くは続かず、主人公は5ページ目あたりで幼馴染をかばって大型の貨物自動車に轢かれます

そして、どっかの神様が彼の決死の行動に感動し、異世界で新たに生きるチャンスを与えて序章は終わります

異世界での冒険を早く読みたかった僕は、最初この話を余計だと感じていました。

異世界行くんだから現世の話を長くやる必要はないんじゃないかと思ったのです。

だけど後になって、この序章は主人公人格を早めに読者に印象付けつつ、彼が異世界へ行くことに説得力を持たせるためのものだと気づきました。

おかげで僕は自然とヴェノラのキャラクターに魅了され、彼が異世界冒険することに何も疑問を持たなくて済んだのです。


続く第一章では、主人公を通じて異世界がどのようなシステムかが描かれました。

異世界は彼が元いた世界とは違う世界であり、勿論そこで生きる人々や動物似て非なるものです。

ロールプレイングゲームのような魔法スキルもあって、まさに異世界なんだと伝わってきます

そんな世界の違いに戸惑うヴェノラの姿にはとてもリアリティがあり、僕は「外国ホームステイたらこんな感じなんだろうな」と思いました。

だけど、生きていくためにヴェノラは試行錯誤してシステムを学んでいきます

僕は読んでいて最初は「うわー、勉強イヤだなあ」と思いましたが、ゲームのような世界観のおかげで分かりやすくて、スラスラ読むことができました。

ヴェノラが魔法スキル理解するのと同じスピードで、読者である僕も世界観を感じていくので、何だか二人三脚で走っているような気分でした。

僕はこの第一章で、自ら進んで何かを学ぼうとする姿勢の大切さを知りました。

(#72-2へ続く)

2019-02-28

美化の是非

 言い換えると「世界全体がキャラクターのためにお膳立てされている」とでも言いますか。

 これは「キャラクターを魅力的に描く」上でもよくないことだと思うのですが。

 お膳立てされた世界設定に甘えている状況なのに作中では「自分の力」みたいになるわけでしょう?

 メタ的な視点で見るなら「ゴルフ接待プレイ調子付いている」ようなものです。

 魅力的ですか?かっこ悪くないですか?

 (ジャンルギャグコメディなら別に構わないのでしょうが)

この作者ほんとうにこういうの好きだなって共感できたときとか

 好きなもの活躍させるために世界設定が歪められるなら「似て非なるもの」では?

 本当に好きなら欠点も含めてありのままに描いてこそでしょう。

 欠点がなかったこととされるのなら、それは好きになりきれていないのでは?

 世界設定を歪める作者は「分かってない」側なので共感はできないのですが……。

 もしかすると写真の「記憶色と記録色」のような好みの違いなのかもしれませんね。

 まぁ、創作物の楽しみ方は人それぞれでしょうし特に説得したいとかではないです。

 参考までに。

2019-02-18

セックス必要としない同性愛存在するのか


異性愛だと夫婦セックスレスだなんだといいながらもなんだかんだで関係が続いているという話を、テレビや知人からの話、小説などからも知ることができる。おそらくセックス必要としない異性愛存在するのだろう。

そう考えるとき私の中に毎回疑問が湧いてくる。「これって同性愛場合どうなのかな?」と。いわゆるBL漫画小説セックスが必ずと言っていいほど絡んでくるのだ。これでは同性愛セックスありきですよと言われているようで、あんまりじゃないか

相手のことが好きだから結ばれてセックスするのと、性の欲求が同性にしか湧かないから同性の相手を好きになるというのは似て非なるものなわけで。あんまりそういう事例を聞いたこともないし。

あるBL小説恋愛心理も深く書いてあって非常に感慨深く思う一方で、頻繁に表現される性行為にガッカリした部分もある。

私はただ同性愛者にも性欲抜きの愛があるかどうかを知りたい。おススメの小説漫画があったら教えてね。

最後一言

セックス必要としない同性愛存在するのでしょうか?」

2019-01-25

anond:20190125123957

お手本がなんであれ俺様お気持ち次第で取捨選択換骨奪胎するだけなんだから、そりゃ似て非なるものになるに決まっているだろう

ラーメンが食べたい夜増田寿丸良い食べたガンメーラ(回文

おはようございます

ダイエットなんて3日も続かないんだけど、

さすがに夜ドカ食いは厳禁だわ。

罪悪感の塊のラーメンなんてもってのほかよ!

でも果物ならOKという自然のものならローカロリーイメージあるけど

ミカン3つでラーメンカロリーは超えることはないから、

食べちゃうわよね!

自然のものならヘルシーな感じないかしら?

じゃ自然ラーメンがあったらそれはそれで

ヘルシーに罪悪感なく食べれるわよね、きっと。

自然ラーメン検索したら、

出てくるのは自家製麺のラーメン屋さんばかりで、

今まで製麺所の麺を使ってたラーメン屋さんが

いきなり自家製麺を謳うラーメン屋さんになった途端に

味が落ちちゃうなんてよくある話みたいよ。

でさ、

麺が固いのが好みなんだけど、

麺固で!ってオーダーするとなんかイキってる感じもするから

いつもデフォルトで頼んじゃうわ。

生きづらい世の中ね。

それよりも、

女子会で使えそうなラーメンだと

替え玉がないのよね替え玉が。

最初からの麺大盛りだと、

食べてるうちに麺のコンディションがバッドになるじゃない、

できればまた茹でたてのベストコンディションな麺をいただきたいわけ。

しかも!しかもよ!

替え玉メッカ九州系のラーメンなのに替え玉ができないだなんて

もうさ、

博多交差点の角っこに一夜にして店舗ができる眠らない街そう九龍城にあるラーメン屋さんのように、

朝になったらラーメン屋さんが跡形もなくなくなっているような。

砂漠で見付けたオアシスのように、

そのラーメン屋さんは突如夜にだけ交差点の角で営業されてるの。

ガンダーラ桃源郷のよう、

ユートピアとは似て非なるものだわ。

それはまるで、まーぼーろーしー!

どんだけ!って話よ。

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドハムサンドしました。

今日だけ特別に朝早かったので、

眠いんだけど眠い目を擦って頑張るわ。

あんまり目は擦っちゃ駄目よ!

タマサンドがあるから頑張れるような気がする!

デトックスウォーラー

ホッツレモンハチミツウォーラー

ゆっくりほのかに甘くレモン香り漂うホッツが

身体を目覚めさせるわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-01-16

anond:20190115213133

バース」は、「ユニバース」とか「マルチバース」が省略された「バース」で、「世界」「次元」みたいな意味で使われている。

オメガバースは「特殊性別存在する世界の話」。

スパイダーバースは「いろんな世界スパイダーマンが集まってくる話」。

モンスターバースは「ゴジラキングコングなどの様々な映画怪獣が集まってくる話」。

「この世界似て非なるパラレルワールド」とか「複数世界からキャラを集合させるコラボ作品」とかに使われる。

やりたいことなんてない

「今いる職場で」やりたいことが何もない。

既にいるところだから就活で聞かれるような「当社でやりたいことは何ですか?」という類の問いとは似て非なるもの

夢や理想だけを方って済むようなものじゃない。

私は半分抜擢、半分年功序列的に役職者の立場になっており、しばしば上司または上司上司から「(今の事業部で)やりたいことはあるか?」と聞かれるが、はっきり言って答えるほどのことは特に何もない。

強いて言うなら、「今の立場を維持継続発展させ、今よりも多くの収入安定的に得たい」ということくらいである。

もちろんこれでは問いに対して期待された回答ではないので、とてもじゃないが口にできない。

そもそも上司はそのような(「私はこうしたい!!」というような)発信をしていない。

上司上司は時折するが、必ず最後に「好き勝手言ってるだけだけどw」がつくので、どこまでが本気でどこまでが単なる夢語りなのか不明

それなのに私にだけ求められても…と思わざるを得ない。

この問いの狙いは、単にこういう「夢」を語らせたいだけなのだろうか。

あるいは、一旦私の意思表示をさせた上で「(上としては)こう考える、だからそのために◯◯をやってくれ」と思い通りの方向に向かせるための前振りの意味なのだろうか。

いずれにしてもこの類の問いは大嫌いである。

時代的なものもあるのか、少しでも間違いを犯せば言葉尻だけをとらえられて悪者扱いだから…。

世の労働者たちは一体何を思ってその仕事をしているのだろう。

たとえば某上場企業法務担当している知人がいるが、「我こそは当社の法の番人である」みたいな強い意思微塵も感じられないけど皆そんなもんじゃないの?

2019-01-15

コインハイヴと広告

利用者にその存在を明記せずに動かしたコインハイヴと広告似て非なるものではないでしょうか?

サイトを作る側が性善さを捨てるなら法規制を切られても仕方ない状況になりそうです

2019-01-14

イケダハヤト先生炎上Voicyについて思ったこ

イケダハヤトがVoicyにツッコミどころまみれな投稿をなさっていた。

そしてそれが大絶賛炎上中な訳であるが、思う事が沢山あったので匿名ダイアリーに記録を残そうと思う。

問題のVoicy

これ。

https://voicy.jp/channel/585/37282

イケダハヤトユーザーの心に不安を残したまま人を追い出している事実に気が付くべき

自分達の中にいた荒らし排除したまで」という発言があった。

どうやら矛盾を叫んでいる人間らは荒らしのような存在で、不当に攻撃をしてきていると言いたいらしい。

では、追い出しを喰らった人たちは荒らしと言える人たちだったのだろうか?

ここにいしかわさんのノートから感じた事を述べてみたいと思う。

https://note.mu/ishi_kawa/n/n868d6c0f48c6

荒らそうと思ったなら、

・どんなノウハウか外部にばらす

チャットなどが出来る所に無意味投稿を繰り返す

・脱社畜サロンとは関係のない話を延々と垂れ流す

etc

というような悪意に満ちた内容になると思うのだが、そんな話は聞かない。

しろ質問者は、荒らしたかったというより心地よくサロンを使いたいか疑念を晴らしたくて質問したというのが妥当ではなかろうか?

しかし、それに対しては「排除」という回答を返した。

さて、

・心に不安を抱えたユーザー放置するのは、果たしてまともなサロン運営者のする事なのだろうか?

ブログでもSNSでもノウハウを実行していただく時に、疑念不安が頭の中をかすめ続けるままやってもらうつもりだったのだろうか?

と、思う事は多い。

仮にイケダハヤトの脱社畜サロンの内容が良質なものであるにしても、心のしこりに対して何れかの対処はすべきだったのではないだろうか?

スマイリーキクチ事件イケダハヤト炎上似て非なる事象である

Voicyの中で言及されていたスマイリーキクチ事件自分の事を重ねる発言に関してもツッコミどころが多数ある。

まずスマイリーキクチ事件解決できなかった理由に「やってない証拠を出せ」と言われた事が挙げられる。そしてイケダハヤトはその件を引用して自分と同じと発言していた。

しかし、今回の件では「やってない証拠」なんて求めていない。「正田氏の経歴の証拠を見せろ」という話なのである

まり「ない事を証明しろ」じゃなくて、「やっていた証拠になる何かを1つで良いから開示せよ」という話なのである



証拠になるものが1つたりとも存在しないなんて考えにくい。仮に自宅が燃えて全ての書類が消えたとしても、買収に関わった相手会社の引き出しに自分名前の1つや2つ乗っているだろうし、ウェブ自身運営した会社残滓が残っている事だろう。

しかSEO会社と聞いた。「ブログ証拠は出せません」とは言わせません。たとえブログが無くなったとしてもウェイバックマシーン(https://archive.org/web/)で証拠サイトを提出する事だってできます

※補足…ウェイバックマシーンは、ある名前ドメイン過去にどう運営されていたのか記録を残してくれるサービスです。2000年代の頃のデータももちろん出せますから正田氏が起業する1年前である14歳の時のデータだって出せるのです。


しかし、それも出ない。出せない証拠もなく「訴える!」と叫ぶ始末。疑念不安を持つサロンユーザー気持ちが解らないのだろう。

真実を語る機会をわざと逃すイケダハヤト

「悪意は拡散されやす善意拡散されない」と述べている。

が、これもおかしな話である。何故Voicyという絶好の拡散できる所で事実を語らなかったのだろうか?

嘘が蔓延やすいというのは解る。人間だれしもゴシップ的な情報に流されやすいからだ。

でも求めているのはそんな「嘘の構造とは?」の情報じゃない。「正田氏の話は事実かどうか?」なのだ

19/1/14現在、Voicyの総合ランキングトップイケハヤラジオなのである。そして本人のツイッター現在は注目の的である

何故その影響力で真実を語ろうとしないのか?何故嘆きの言葉しかつぶやかないのか?不思議な限りである

イケダハヤトの嘆きはもうよく解った。そろそろ真実を語られてはどうなのだろうか?


今までどんな人を育ててきたか振り返ってみよう

ここまで矛盾点を指摘してきたが最後に大きな視点に立ってイケダハヤトが何をしてきたのかおさらいしてみようと思う。

世の中の影響力の大きな人は自分のやり方・哲学を広く教える、そしてその教え子はそれの血脈を継いだかのように動くものである

野球でもサッカーでもまずは指導者のやり方を真似てそれがその人の芯に残るのと同じである。そして大成した後は「〇〇先生のおかげでここまで来れました」というまでがお約束であろう。

さて、振り返って今までのイケハヤから卒業した書生達の中でブログ大成したものはどれだけ居るだろうか?

イケハヤの何かを受け継いで成果を上げたものがどれだけいるだろうか?

一体全体、イケダハヤトとお付き合いして何かを得られた人間はどれだけいるのだろうか?

それなりな成果を残した元卒業生が居るなら、イケハヤのおかげで今の自分があると感じているのだろうか?

疑念は多い。

最後になるが、今回の脱社畜サロンから実力をつけて成果を挙げるものがどれだけ出るだろうか?データを取ってみたら面白い結果になりそうなものである

2019-01-04

anond:20190104213945

ちょっと違う。

他人学歴攻撃する奴は少なくとも低学歴ではないだろうから

バカって言ったらそいつバカというのとは、似て非なる感じ。

そいつ攻撃スタイルコンプレックス特定できるんじゃないの?って話さ。

anond:20190104115005

自信と自己承認似て非なるものだし、世界で一番エビデンスのある心理療法であるところの、認知行動療法洗脳と言われたらもう完全に会話が成り立たん。

学術的な知識なんてかじった程度にしかないが、少なくともこっちはかじった程度にでも学術的な知識をバックに話してるわけで、お前の脳内定義上の話でその知識を覆されたらもう何も言えんよ。

2018-12-28

ネットゲーム収益性必要なのはストーリーライティングよりは課金喚起の仕組み

どんな事業スタイルであってもサービスを受ける側の価値観提供する側では重視する価値観似て非なるものではある

金に直結しないスキル報酬評価も低い

それが嫌ならより直接的に結びつく場に移るしかない

2018-12-10

日本経済新聞社退職しました」を読んで

https://sisidovski.hatenablog.com/entry/2018/12/09/191500 を読んだ。

新聞社はもとより旧来型メディア特有の人事について理解をしておかないと、この退職エントリに関する事情を深く理解することはできない。メディア業界の置かれている環境エンジニア役割を正しく認識し、できるだけフェアな視点を保ち、注意深い筆致で書かれているが、やはりキーとなる一文がこれ。

人事異動に透明性と納得感があれば、あるいは会社を離れずに済んだかもしれない。」

先日のNTT武蔵野通研の退職エントリとは似て非なるもので、結果としてGAFAに行ってしまったのは一緒だが、給与から見通せてしまう先々の人生設計絶望したというわけでもなければ(日経給与一般産業界平均で見ても高め)、プアな社内環境絶望したというわけでもない。

旧来型メディアの人事は、編集局や報道局といった記者中心の組織に行われている。記者出身者を頂点に、会社組織ピラミッド構成している。人事部社員よりも、編集デスク部長の方が権限が強いのもしばしばだ。日経場合でいえば、総務局人事部より、編集局の方が権限が強い。編集局のお偉方の鶴の一声で、人事異動が通ったり通らなかったりする。編集局内にその論理が閉じていればそれでもいいのだが、他の局にも影響力を持っていることすらある。このあたりは『週刊ダイヤモンド』10月27日号の特集「メディアの新序列」に詳しい。

そうした状況の中、紙を中心に考えてきた記者あがりの上長や、上記のような異常な風習を是としてきた組織体制が、エンジニアデジタル系の人材特に中途採用)の業績を正しく評価し、キャリアパスを考えていくなどできるはずもない。旧来型メディア企業の、年次至上主義年功序列人事の中で彼らをどう位置づけるか。日経に関しては電子版がはじまった当時から何も決まっていない。

おそらく彼は、日経歴史をあまり知らないのだろう。成功事例になりうるビジネス認識されると、編集から落下傘的に「偉い人」がやってきて、その手柄をせしめるということが繰り返されてきたのだが、電子版でもそれがあったというだけだ。かつて電子版を立ち上げる準備段階でも、ここままいけば成功というのが見えてきたタイミングで急遽編集から人が降ってきた。また立ち上げ後も、電子版をリードしてきた人たちが急に子会社に飛ばされ、執行役員から外されることもあった。電子版が単月黒字になることが見えてからは、対外的広報活動に精を出して活躍してきた人に対し、編集もっと金を出せという圧力をかけると共に、突如なんとか長という謎の中間上長を上にかぶせて冷や飯を食わせている。

そうした人事に抗う人に対しては、懲罰解雇も恒常的に行われている。たとえばGoogleサービスは便利だし、今どきのエンジニアなら必ず使いたがるものだが、いちいち「クラウド利用申請」なるものを出さなければならず、それに違反すると譴責減給なども行われる。中にはデジタルなのに労働組合所属していたから目をつけられ職場を追われた人もいる(裁判になっているようだ)。また、退職エントリを書いた彼も席を並べていた時期があると思うが、不正アクセス禁止法などの罪に問われた社員もいた。会社姿勢に抗議する意味社員約3千人分の賃金データなどを外部に漏洩させた社員もいた。

双方の言い分を聞かなければ本当のところの事情はわからないが(中には明確に犯罪もある)、彼はそうした組織に身を置き続けるリスクを実感として感じていたのではないか。優秀なエンジニアから日本企業を捨ててGAFAへ、というのは一面的見方しかない。

2018-12-09

あっちの人が言うgeekって基本的ITができる奴のことをいうんだよね

からドラマでもお前コミック好きなくせにPC出来ないのかよ?ってツッコミが成立する

日本オタクアニメ愛好者とは似て非なるもの

追記:トラバ1個目の人とそれ以降の会話全部自分じゃないのでよろしく

2018-11-26

その後の紆余曲折についての疑問が散見されたので、簡単に概略しようと思います。概略の分量でも無い気がしますが。

都会に飛び出してから数年は、まだまだ地獄のような生活を送っていました。他人を人と思わないサイコパス気質と持ち前の高慢さ・プライドの高さや、さしたる目標が無かった上に、非常に怠け者というのがありました。職は責任感もなく、入ってはすぐ辞めてと、点々としていました。同僚と思うように関われず、一方で女遊びは続けていました。同僚はどんなにふざけた人でもぼくから見れば異様なほど仕事熱心で、お金を稼いで生きることに特に疑問を抱いていないようでした。会話が噛み合わないことも多く、どこでも孤立していました。女遊びは、遊ぶというより、それが唯一の生きがいとして、ひとつミッションのように感じていました。経験人数が1人増えるごとに自分が認められているような気がしたからでした。

いろいろと挫折したあと、2度ほど地元Uターンし、でもまた熱に冒されて都会に出るというようなことも繰り返しました。両親の状況も糞のようになっており、順風満帆とは言えませんでした。でも、そういうふうに生きているうちに「自立することが大事」だと思うようになっていきました。当時はそんなふうに言語化できていませんでしたが。曲がりなりにも仕事をして、めちゃくちゃなりに人生を生きて、他人と接し「これが現実か」とうなだれていました。

ある日「こんな人生はもう嫌だ」と思い至りました。この時点ですでに当時から5年ほど経過していました。そんなことは常に抱えていた問題だったとはいえ「何かしら対策を打たなければいけない」とここで初めて思いました。すでに「死ぬ」という選択肢はかなり小さいものになっていて「ぼくにとってやりたいこととはいったいなんだろう」という風に考えていました。大してやりたいこともなかったわけなので全然思いつきませんでしたが、「もしこうなっていたらいいな」という夢物語のようなものがありました。それは漠然としていて、およそ目標とは言いがたい、「世界平和になったらいいな」というような感じの類のものでしたが、とにかくそれを考えました。これはぼくのアイデンティティに関わってくるもので、身バレしてしまうので伏せておきます。いつか話したいと思っています。以下すべて抽象的な話になりますが、申し訳ないです。

ともかく、ぼくはそれに身を捧げる覚悟を決めました。首を吊ったとき覚悟とある種同じで、大した勇気はいらず、ただ、よしと決めて落ちればいいだけでした。情熱とか成功とかそんな上品ものではなくて「俺はこれで生きる」「これで失敗しても構わない」「これで終わって地獄に落ちても仕方がない」「少なくとも今よりはマシだろう」という悲愴に満ちたネガティブな、他のもの犠牲にする落ち方でした。「死ぬ気でやってみろ」という言葉ポジティブさとは似て非なるものだと思います

「怠け者が一夜にして努力できる人間に変わる」なんてことはありませんでしたが、離散的だが継続的であるような一定献身によって、少なくとも状況がだんだんマシにはなっていきました。少なくとも日常世界では、何かに殉じる人はそれほど多くないからかもしれません。ぼくの選んだものが良かったからかもしれません。ただしそんなにうまく行かず、その後、絶望と言えるほどではないけどまた鬱々とするような状況がやってきました。死がどうとか考えるときがありました。ただ、これはもはや癖みたいなもので「死なないって決めたからなぁ」のようなのんびりとした気持ちもありました。今度は金が尽きかけたときに「そろそろ働かないと」「ただただ働きたくない」という思考になりました。すでに地獄の底ではなくて、地獄の地下1階程度にまで移動していました。

そうした好循環によって、ある日「人生制御可能」だと思えるときがやってきました。「お金に困らなくなった」という状況も心に余裕を産ませる原因になりました。「自分が動けば事態は良くなりはじめる」という信念が、非常に強固なものになりました。それで、まあ、そんな感じです。あまり参考にはならないかもしれません。

2018-11-08

結局の所、博士課程院生文系)の民間企業就職って、そんなにいいも

はじめに

近年、諸要因に伴う労働プールの枯渇と求人倍率の上昇により、博士課程院生キャリアパスとして、日本でもようやく民間就職現実味を帯びつつある。

例えば、この前も数学科?の博士課程修了の方が研究職を諸事情により諦め、民間就職シフトしたことについての総括エントリをまとめ、バズっていた。

http://wakabame.hatenablog.com/entry/2018/11/04/190441

こうした潮流自体はもちろん喜ばしいことであると思う。しかし一方で、一人文社会科学院生であり、かつ一応数年間民間企業で働いていた人間として、民間企業でのキャリアパスが確保されること=バラ色の未来とはとても思えなかったという経験がある。

これは、①本質的博士課程院生日本民間企業で雇う際の歪み(特に非エンジニア職制の場合)と、②いわゆる「役に立たない」ことを研究している院生は、本質的民間企業価値規範にそぐわないメンタリティーを、大学院教育の中で滋養しているという二点に起因していると思う。

というわけで、極めて私的経験かつ、まったくもってエゴイズムの塊のような問題提起をあえてしておきたい。これは、前述したような近年の博士課程院生民間就職を過度に褒めそやす風潮に対し、挫折し結局研究業界に戻ってきてしまった人間として嫌味を言っておきたいという気持ちによる。

コンサル研究職、その似て非なる性質

私は修士終了後、まあいろいろあって博士課程進学と同時に民間企業就職をした。コレ自体、かなりイレギュラーではある。

仕事内容はまあ、詳しく言うと確実に特定されるので防ぐが、政策調査地方自治体計画策定コンサルである官公庁調査案件請負、クソみたいな――時々インターネット炎上するような――分析鉛筆なめなめを行い、官僚様と政治家様の願望にそぐう数値をでっち上げ仕事である

で、これは当然のことながら人文社会科学系の研究者の価値規範と真っ向から相反する。というのも、私たち人文社会科学系の研究者は、扱うデータがどのようなものであれ、そのデータ分析においては仮説を用意したとしても、最初から結論を用意するということはしないかである。ところが、この業界――まあいわゆるシンクタンク業界なんだけど――においては、最初から結論が決まっているので、データ分析はいかに結論でっち上げるかという方向に労力が注がれる。

これはなんでそうなるかというと、この手の仕事コンサルから派生しているかである。すなわち、元々コンサル業界倫理観においては客の求める結論をはじき出すということがある程度正当化されているので(外コンのプレゼン術を名乗る本は多くの場合ただのごまかしである!)、それに基づいて目の前のデータを弄ることに抵抗がないのだ。ただ、そのデータを弄る際に、人文社会科学スキルセットを援用するというだけなのである

で、問題はこのスキルセットが活用できるという理由でもって、人文社会科学系の院生がこの業界を志望し、実際雇われているという現実であるサンプルサイズは極めて少ないが、私の周囲を観察するのならば、このギャップにやられて会社を辞める人間は実に多い。特に「優秀」――ここでの「優秀」とはアカデミアでの評価である――な人間ほどである

事実、私は「優秀」ではないが、こうした現状に辟易して、言い換えるのならばアホなクライアント上司妄想に無理やり付き合うことに疲れて退職してしまった。

批判精神の醸成って、日本企業においては完全なディスアドバンテージなんだよね

なぜこうなるのだろうか。それは、人文社会科学系の教育カリキュラム価値規範が、現代日本企業と致命的にあってないかであると思う。

よく人文社会科学系の先生は、「常識を疑うこと」や、「新しい仮説を立てること」を大学教育の美点として強調する。私ももちろんこれらのことが本質的に良いことであることには同意したい。だが、これが現代日本新卒就職においてよく働くかといえば、まったくもって嘘である。というのも、少なから日本企業においてこれらのスキル必要となるポジションは、多くの場合前頭葉が退化した老人によって占められており、我々若手社員がやりうることは、老人が出した意味不明結論に向けて数字でっち上げることだからである。この作業は、前述した批判精神と真っ向から相反する者である私たちは、今まで培ってきたスキルセットをもってクソの世話をするのだ。

であるからにして、私は現在アカデミア教育は、少なくとも人文社会科学系に限るのならば、民間就職に対し逆作用しか生み出していないと考える。ただ、これはアカデミアが悪いとは必ずしも言えない。繰り返すがこれは高スキル社員を作り出せず、無駄に高コストジェネラリストという名の無能を社内に飼いながらスペシャリスト下請けを買い叩くという、日本企業伝統構造に起因しているかである。鶏が先か卵が先かは言い難いが、そもそも日本企業において、一部理工系エンジニア(計量系の経済社会心理なども含めてもよい)以外は、「無能」――ここでの「無能」とはアカデミックにおける「無能」を意味する――でなくては生きていけないのである

というわけで、現状の日本企業構造をそのままにしていては、博士院生をふくむ多様なキャリアを持つ社員活用なんかできっこないし、実際出来てなかったよ、ということを本エントリは主張するものです。

というわけで

金はないけどアカデミック最高!好きなことを好きにやれる環境って、結局俺たちには大学しか無いの。俺たちには理研産総研産学連携ベンチャーもない。同情するなら金をくれ。役に立たない研究しかしないけどね。

2018-10-31

anond:20181031133205

説明下手だから伝わってるかわからないのだけど、

たとえば20分のゲーム中での10秒の些細なミス(orミス以前の見逃しや小テクニック等)だけを語り、それ以外のプレイ評価をしないとか、

ゲームの進行に影響のないバグについて「だけ」ごちゃごちゃ言ってる感じ。

掲示板とか見るとそういう割合が多くてね。

どうも英語圏サイト見てたときそういうものを見かけることが少なくて、文化的ものだなーと。

文章のものではなく、誤字についてだけ指摘して、それについて盛り上がってるといえばいいかな。これはニコニコツイッターでも見かける。

ミスが小さすぎて全体から見て無視できるレベルだったりするのよ。

期待すべきでない場所で期待する、コンビニバイトの話とは似て非なるものかも。

(説明下手で出歯亀とか藁人形と言われてもしょうがないけど、空気違うなーって思った話だし、あんまり分析したわけでもないので)

2018-10-23

考えてみれば「清潔感がある」と「清潔である」って似て非なるものだな。

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