はてなキーワード: 呼び名とは
①書いてるやつは女だということ
②女性用下着専門店にはそうたいした回数ではないが行っていること
最初は大まじめにここから始めよう。なぜ下着をつけているのかという話だ。
女性用の下着は大半の人がご存じだと思うが基本的にブラジャーとショーツの2つで構成されている。昨今の問題においてよく取り上げられるのはブラジャーのほうだが、専門店ではセットで売っていることも多い。それぞれに以下のような枠割がある。
まずはブラの役割について。こういったことはやはり下着ブランドに頼るべしということでHPから引用させていただく。
・ブラジャーはバストを美しいカタチにととのえ、胸もとを美しく魅力的にみせる下着、というだけでなく、女性のカラダにとっても、必要なアイテムなのはご存知ですか?
ブラジャーには、実用的な側面から見ると、バストを保護したり、バストの揺れを抑えたり、年齢が進むに連れて下がっていくバストの変化をできる限り少なくしたりする効果もあります。
ブラジャーを着用することで、バストの形を整え、胸元(デコルテ)を美しく魅力的に見せることができます。そんなブラジャーには他にも大切な役割があります。
バストの下垂を軽減させる
バストはほとんどが脂肪でできており、大胸筋やクーパー靭帯で丸いバストを形成しています。ブラジャーを着けていないと、揺れや衝撃で大胸筋やクーパー靭帯を傷めてしまいます。そのため、ブラジャーはバストを守るアイテムとして、とても重要な役割を担います。
Triumph 初めてのブラ(ファーストブラ)は何歳から着けるべき?選び方やおすすめ商品も紹介! より
大半の人は特に機能面を重要視してブラを購入する。つまり「大きく動くと揺れて痛い胸を安定させ下垂を防ぐと共にクーパー靭帯が傷つくのも防ぎバストを正しい位置に持ってくる」ということを期待している。もちろん性的な魅力を高める目的でつけている人もいるだろうが、日常的に使っているものに関してはサポーターのような役割であることのほうが多いだろう。少なくとも私はそうだ。
・ショーツとは、デリケートな下腹部を保護し、汗や水分を吸収して衛生的に保つほか、体温調節の役割を持つ下着です。デザインや素材、機能が異なる多彩なショーツがあり、ブラジャーやインナーとのコーディネートもショーツを選ぶ楽しみのひとつとなっています。
・ショーツは、デリケートな部分を保護し衛生的に保つ役割を持っています。
こちらに関してはブラよりもわかりやすく「デリケートゾーンを守る」が目的だ。またパンツとショーツの違いはなく、前述のPEACH JOHNのHPにあるように呼び名が違うだけの同じものである。
男性用の下着は少なくとも私の知っている範囲ではパンツのみのことが大半だ。変態度の高いオタクなので金玉用の玉ブラなるものがあるのも存じ上げてはいるが、世の中の男性が皆着けているかと言われればそうではないだろう。ということでパンツの役割について調べてみた。あいにく男性用下着についてはあかるくなく、更にブランドについても良く知らないため最近GoogleについたAIによる概要を読んでみたところ以下の機能を期待しているようだ。
汗を吸収して蒸れを防ぐ
陰嚢と大腿部の密着を防ぐ
悪臭や皮膚病の発生を予防する
股ずれを防止する
冷えを防止する
なおリンクを確認したところ、開放特許情報データベースの下着の歴史から引用しているようだったので以下にリンクを置いておく。https://plidb.inpit.go.jp/pldb/seeds/2021/000/L2021000260/L2021000260.pdf]
つまり「男性器の位置を決めて群れやそれに伴う悪臭・皮膚病を予防する」が目的であるようだ。こちらに関しては女性用下着のデリケートゾーンを清潔にする役割と似たもののようだ。
女性が下着を購入する際にすることがある。サイズを計測することとフィッティングをすることだ。胸のサイズは人によって違い、また太ったり痩せたりも影響するためこの2つはとても重要になってくる。よく胸のサイズで〇カップが好き!みたいな話を聞くが、下着には同じカップ数だとしても例えばA60だのA65だの細かなサイズ分けがあるのだ。この後ろについている数字は胸の下、アンダーバストと呼ばれる場所の数値で、ここが合わないととんでもない締め付けで苦しくなったり、逆にガバガバでサポーターとしての役割を果たせなくなったりする。そういったことを無くすための計測・フィッティングである。計測する際は胸の一番高い部分と先ほどのアンダーバストを測る。それで出た数値を元に合う下着のサイズを選びフィッティングするのだ。この2つの行為こそが女性が男性にできるだけ下着店にいないでほしいと思っている最大の理由の一つといっても過言ではない。なぜなら試着室の中で下着姿・あるいは上裸になるからである。
男性用の下着の専門店があるのか調べたところどうやらあるらしいが女性のようにサイズを測ったりするわけではないようだ。家族に聞いてみたところ、パンツの形で選んでいるとのこと。ブーメランタイプやボクサータイプなどそういった形を重視しているらしい。もちろん男性もウエスト周りや男性器のサイズなど人によって違うところがあるわけだが、女性ほど綿密な計測はないと言って良さそうだ(いや俺は測って買っている!という男性諸君がいればぜひ教えてほしい)。
大半の言いたいことははみなさんがtwitter(自称X)でワコールとか検索してもらえれば言ってもらえているのでそちらを見てほしい。私的に女性が下着店に男性が来るのを嫌がるのは試着中の無防備性と性的な目で下着を見ている人がべたべたと売り物に触る嫌悪感があると思っている。後者に関してはそもそも下着に限らず自分が買わない商品をべたべた触る奴はおかしいが、ネット上でデリケートゾーンに触れるところだけ触りまくる男性やなんなら精液をかけにいった男性が目撃されているので嫌だと思う気持ちが私にも大いにある。ここに関しては男性はパンツの自分の男性器に触れる位置を触りまくっている女性がいたら気持ち悪いのか教えてほしい(そして気持ち悪いなと感じたのだとしたらやらないでほしい。最もそう思ってくれる方は最初からやらないと思うが)。
前者は直接的に自分の体に襲い掛かるかもしれない恐怖によるものだ。これに対して男性の下着売り場に女性がいるのも嫌だと言っている方を見かけるが、それならぜひお互いにお互いの下着売り場に来るなという方向に行っていただきたい。そもそも大きな違いは「性的な魅力があると思われる(思われている、あるいはそう思う人が多い)部位をカーテンしか仕切りのない試着室で晒しているかどうか」である。男性も試着が必要で更衣室で下半身裸になりサイズを測らなければならないのなら対称性があるのだが、そうではないのだ。最近ではトイレに女性清掃員がいるのは嫌だという意見が見られるが気持ちとしてはおそらくあれに近いのではないだろうか。見知らぬ異性に下着姿、あるいはプライベートゾーンを見られるかもしれない恐怖や不快感。そういったものが男性が下着店にいると掻き立てられてしまう。プライベートゾーンを晒す場所に異性がいてほしくないというのは男女ともにある感情だと思うのだがどうだろうか。昨今ではLGBTQだと主張される方が増えてきたりもしたが、それを隠れ蓑に性的暴行を加える相手なのか、それとも本当に悩んでいる方かの見分けはできなくなってきている。それもあり余計に身体男性の方に入ってほしくないという声は大きくなるばかりだ。お気持ちバトルを止めることはできないが、せめて女性が下着をなぜ長い時間をかけて選びお店で何をしていてどういう機能を期待しているのかくらいは覚えていってほしい。そして女性の知らなそうな下着事情があれば教えてほしい。
タイトル通り、百合の対極の概念が欲しい。「いや、BLがあるだろ」って言われそうだけど、違うんだよ…。
百合ってもっと恋愛に限らないふわっとした概念というか、女の子同士が仲良くしてるだけでそれはもう百合じゃん?
むしろそういう軽いイチャイチャこそが百合で、セックスまでするのは百合を超えてガチレズってイメージ。
でもBLはというと、むしろ軽いイチャイチャ程度はBLとは呼べず、明確に恋愛感情がないとBLではないって感覚の人が多いと思う。
自分は男キャラ同士が仲良くしているのは好きなのだが、恋愛まで行くとちょっとゔッッてなる。キス以上は明確に苦手だ。分かりやすく説明すると、きらら系のごちうさやゆるキャン△は好きだけど、桜Trickは苦手みたいなタイプ(それの男女逆)といえばよいだろうか。
あのさん、ねえさん。良い呼び名じゃないですか。
この説明について、主要な点を検証していきましょう。 「姓」「氏」「名字」の区別について: 正しいです。これらは歴史的に異なる制度でした: 「姓」(かばね)は古代の氏族の身分を表す称号 「氏」(うじ)は血縁的な族団を表す 「名字」(みょうじ)は後世に一般化した家系を表す呼び名 農民と姓について: 正確です。「姓」は朝廷から与えられる身分標識で、一般農民には与えられませんでした。 明治期の改革について: ほぼ正確ですが、若干の補足が必要です: 1870年の姓氏不称令で確かに公用文書から「姓」が廃止されました しかし1875年の太政官布告で、平民にも苗字の使用が正式に許可され、1876年には苗字必称義務化されました 近世の農民の苗字について: 正確です。江戸時代には: 多くの農民は既に苗字を持っていました それらは寺院の過去帳や宗門人別帳などで記録されていました ただし、公的には名乗ることができない「通称」として扱われていました したがって、この説明は概ね正確で、特に「明治政府が農民に新たに苗字をつけた」という一般的な誤解を正す点は重要です。ただし、明治期の改革については、姓氏不称令だけでなく、その後の苗字必称令まで含めて理解する必要があります。
コピ・ジャクオ(インドネシア語:Kopi Jakhwo)とは、ヒト科パームシベット属のジャクシャダンセイの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことである。「コピ」はコーヒーを指すインドネシア語、「ジャクオ」はジャクシャダンセイの現地での呼び名である。
だいたい弱者男性。
主にリベラルかフェミニストなど弱者男性と対立している攻撃的な人達が使う。
もしくは、なんGなどチー牛板の自虐ネタ。
ヨワオ派
だいたい女さん。
ヨワオの語感だけは確かにカワイイと思うけど、お前がカワイイかは別だかんな。
韓流被れの女さん。
たまに統一教会と弱者男性を結びつけるヤベー奴いるけど、ヤンナム派とは別な存在。
じゃくだん派
中高年。
Z世代なら弱者と呼ぶか男性って呼ぶから覚えとけよ?これは増田界隈の言語学者による発表で学んだ。
じゃくお派
バカ。
略し方で分かるが、確実にバカ。
じゃくなん派
異端気取りの凡人。
じゃくお派と違って頭の出来は普通なのが救い。
凡人って悪くないと思うよ。
たぶんバラモン左翼と絡めて言ってるんだろうけど、対の存在が右翼ではなく弱者男性ってリベラル左翼も落ちぶれたもんだな。
話す内容も大体この中で一番賢い。
ジャック・オー派
弱き者男性
恐らくモテない。
定型句でしか喋れないので、なんG民の鳴き声みたいなもん。親戚かな?
もちろん滑ってるし面白くない。
これで全部だと思うけど、他に呼び方なんかあった?
実際に弱者男性概念の誕生と関わりもあるし、フェミニストへのカウンターとして登場した。
あまり片付けたく無いですし、ゴリゴリのセクハラになっちゃいますが……
実に当たり前の事なのですが、人を見た目で蔑んではいけません。これは、匿名記事でも基本的にはそうです
匿名記事でも相手を見た目で dis れるという事は、貴女は本当にそのようにお思いになったと言うことです。つまりは、貴女は人を見た目で蔑める性格をなさっているという事になります
基本的には何事もマイナス評価を見る性格をされているんだろうなと感じられます
結婚をお望みであり、なかなかうまく行っていない場合は「さよなら婚活チャンネル」あたりをオススメします
微妙なゲームをやらされたのは大変だったのでしょう。しかしながら、それで談笑が進むテーブルがあったのも事実ですよね? あくまでもゲームは会話のきっかけだったのでは無いですか? しかし、男性陣とは盛り上がらなかった。残念です
他にもいっぱい指摘したいことはありますが、あまり傷つけるのもよく無いですし、割愛します。とはいえ、コレだけは、言わせてください。
相手の男性を『Sレア』(それ以外をそれ相応の呼び名で)評価するのは
セクハラです
「シャドウゲイト」
「ビーストウォーズ」
うーん、こうやってみるとシリアスな作風の作品を翻訳する際にコミカルな味付けにしてしまうパターンか
こういう作品群をひとくくりにして何と呼ぶかわかれば検索が捗るのだが
「ギャグローカライズ」とでも呼ぶべきか?これと言った呼び名はないようにみえる
軽くぐぐって見たが海外でも同様の例はたくさんあるみたいだな
【1970年代 (1)】日本アニメの再登場、改変されたガッチャマンとヤマト - 日本のアニメの海外での人気って実際どうなの?(志水鳴蛙) - カクヨム
「改変された」は間違いないが「別の魅力を得た」と断言してしまうと問題がある気もするな
それはそれとして、全体的に日本のアニメが海外に輸出されてローカライズされるとコミカルな味付けがされるように見える←ひと昔もふた昔前の話
日本の漫画アニメはいつ大人が読んでも恥ずかしくないのような風潮が生まれ始めたんだ?そういやこれについて知らないな
ぐぐれば簡単に出てきそうだ
今では大人が少年漫画を読むのは当たり前ですが、昔は少年漫画を読む大人... - Yahoo!知恵袋
ソース無しの知恵袋の投稿だが検索ワードを拾って調べるとっかかりにするには便利だ
「1985年に「ビジネスジャンプ」が創刊」、というのは確かに象徴的だなあ
話題を戻すが、そう考えると今の時代にローカライズでコミカルな味付けにするなんてのはもう新しく生まれえないのだろうな
コミカルにするというのはこども向けにする意図から生まれるものだろうし
「海外作品を翻訳した結果コミカルな作風になっている」という体の日本オリジナル作品とかあれば面白そうだな
ニンジャスレイヤーの話をしている?
していません
さて昼飯食うか
日記終わり
Xって呼び名がダサすぎて
なんとなく昔のことを思い出して、もしかしたら同じような思い出を持っている人がいるんじゃないかなと思ったので、ここに書いてみることにした。
中学生だったある日、担任の教諭からクラスに「今日からだるまさんカードというものを始める」と言い渡され、ハサミで画用紙を切り抜いたようなカードを10枚ずつ配布された。それらは呼び名にふさわしくだるまさんの形で、それぞれ、手書きでユーモラスな表情のだるまさんが描かれていた。
このカードは、校則に違反している生徒を発見したときに、その違反行為を指摘した上で、1件につき1枚、発見者が違反者から取り立てることができる、そういうルールだという。たとえば、廊下を走っているのを発見したら1枚、校内でジャンプしているのを見かけたら1枚、大声を出したら1枚、といった風に。ゲームのような感覚で楽しんでいるうちに、校則を守ることができるようになる、という効果を期待してのことなのだという。
カードをすべて失ったときはどうするのか、という質問には、あまりハッキリした回答がもらえなかったと記憶している。カードを失ったとしたら、それは校則をたくさん破った印なのであるから、担任のもとに行き、大いに反省の意を示し、懇願したうえで、やっと再発行を受けられる「かもしれない」くらいの言い方だったはずだ。簡単に再発行されてしまうようでは、本気で校則を守ろうとしなくなるから、カードを簡単に失うわけにはいかないぞ、という意識を持たせたかったのだろう。生徒たちは、なるほど、という顔で、神妙にそのカードを筆箱にしまいこんだ。
こうして「だるまさんカード」の制度が学年中に(全学年ではなかったと思う)敷かれたわけだが、その日から、ちょっとした地獄としかいいようのない風景が展開しはじめた。
気の強い生徒は、すこしでも大声だと思った、廊下を小走りにしていた、といった生徒に、片っ端から「カードをよこせ」と請求した。それほど強気でもない生徒は、はじめは、他人をとがめて罰を与えるような行為をしたくないと感じていたようだが、自分の手持ちが少なくなって不安になりはじめると、おそるおそる、他人の「校則違反」と思われる行動を指摘し、カードを請求した。気の弱い生徒は、ひたすら周りの指摘を恐れながら、身を潜めて学校生活を送った。全体として、じつに簡単に、小さな相互監視社会のようなものができあがってしまった。
軽率に校則違反を繰り返した生徒は当然カードを失っていったが、カードを失ったのは必ずしも明確な違反行為をした生徒だけではない。そもそも「大声」とはどの程度のものか、「走る」とはどの程度のものか、という基準は決められていないし、指摘するのは個人の主観次第である。証人も不要だ。気の弱い生徒は、抗議もせずにカードを失いがちだったし、そうでない者は、今のは違反ではない、と言い返し、ときには言い争いになった。筆者は、あるとき、友人と雑談をしていて、歌舞伎役者はこのようなポーズをするときがあるね、と言いながら、手のひらを前に差し出して、チョンチョン、と跳ねた。すると前方にいた無関係の生徒が「今、ジャンプした」と死んだような目で筆者に指摘した。怒りに腹が煮えるような気持ちで、だまってカードを渡したという記憶がある。
手持ちのカードが0枚になると何が起こるのかわからない、どういう不利益をこうむるのかわからない、という不安があった。再発行のルールが明示されていないのだ。おそるおそる職員室を訪ね、カードをすべて失いました、私は悪い生徒です、どうぞお許しください、とでも言わなくてはならないのだろうか。普段から怒られ慣れている生徒はともかく、他の生徒は、絶対にそんな目にあいたくないと感じていた。実際に再発行を受けた生徒は、そのときのことをあまり語ってくれなかった。
教諭が言い争いを仲裁するときもあったが、学校のすべてにはとても目が届かないから、違反した、しない、という言い争いは尽きることがなかったし、公平な裁定を受けるチャンスなどは当然なかった。皆が疑心暗鬼に陥り、互いを嫌いになっていった。
クラスがあまりに殺伐とした雰囲気になったことに教諭たちが気付いたのか、この制度はひと月くらい(だったかな?)で中止になった。それにしても、地獄はそんなに長い間続いたのだ。このゲームで、少なからず心に傷を負った生徒がいたと思う。もっと長い間続けていたら、いじめによってカードを取り上げられる例や、金銭でカードをやりとりするような例も出てきたかもしれない。それとも、筆者がたまたまそれを知らないだけだろうか。
カードは、手書きでつくった台紙から画用紙にコピーして切り抜いたのだろう。その分、だるまさんには10数種類の微妙な表情の差があった。舌を出してみたり、悲しい顔をしてみたり、といった、ちょっとした遊び心がほどこしてあった。今でも、筆箱のなかでヨレヨレになったそのカードのことを思いだすたびに、実に嫌な気分を思い出すことができる。
誰がこんなことを考え出したのだろう、と思うに、きっと「クラス運営のヒント集」みたいな感じの冊子かつて存在していて、こういうルールのゲームをやらせると効果があるよ、という紹介がされていたのではないだろうか。今の話を読んで、そういえばウチも似たようなことをやっていたぞ、という声がたくさん挙がってきたら、その可能性が高い。どうでしょう。
テントウムシは英語でladybug、日本語の漢字表記でも紅娘という書き方がある
なぜか
調べましょうね
以下思いつくままにメモ 後でぐぐったり書籍を探したりするとき用のとっかかりとして
海外、キリスト教圏でテントウムシがフィクション作品に登場する時の扱われ方
女性的、というのは英語圏では違う?マリア的であって女性的とは違う可能性
英語圏でテントウムシを擬人化したようなキャラがどの性別に割り振られるか?の調査
『赤の歴史文化図鑑』ミシェル・パストゥロー (著), 蔵持 不三也 (翻訳), 城谷 民世 (翻訳)
男は青、女は赤のイメージは日本ではいつから?歴史でみる色分けについて-No.123 - トイレマークつれづれ
「青=男性、赤=女性」というジェンダーイメージは1964年以降に定着した。西洋でも歴史的にイメージは二転三転している!? - 着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2
「テントウムシは赤いからladyとか娘のような呼び名がある」というのは偽っぽいな
紅娘
語源がはっきりしない 初出を国会図書館デジタルコレクションで探す、の前に大きな辞書を引くべき リファレンスの返答で私はそれを学んだはずだ
男性は黒/青、女性は赤というイメージはいつから/どこから? ←このテーマを掘るの面白そう→チコちゃんがとりあげてた
メダロットnaviでテントウムシ型メダロットが女性型ティンペットだった
なんかこの呼び方は中国っぽさを感じるが、関係はあるのか?ないかも 一応軽くググるか
一旦ここまで、日記