はてなキーワード: バブル景気とは
・「西欧」が絶対。西欧の進んだ人権意識についていけない「野蛮人」(日本人、特に九州などの田舎者、アラビア人など)を差別しまくるのが「人権意識」だと堅く信じています。
・「対立と分断」。「フェミニズム」とは男性の人権を否定し、差別されて良い属性を男性の中にのみ求めることで十分達成されることだと信じています。ルッキズムも学歴差別も収入差別も年齢差別も、女性にやってはいけないだけで、男性にやることはむしろ「良い差別」だという固い信念を持っています。
・「選択的反知性」。こういう没論理、言葉のねじ曲げ、無責任な屁理屈を、「正しい目的(表層的なアップデートのアピール)」のために行うことは「良い屁理屈」だと本気で思っています。日本の人文系学会ではそれこそが「学術的に正しい行い」なので、大学人が率先してこの反知性行動に邁進します。
このように、日本では「リベラリズム」「人文科学」というものが、単に古臭い脱亜入欧意識を強化し、夏目漱石が「間口だけ立派なものを拵えて中身はガタガタ」と評したまんまのいつもながらの薄っぺらな真似事に終わりました。
欧米に追いついたつもりで馬鹿な侵略戦争に邁進した戦前、バブル景気に浮かれてまともな経済政策を放棄した失われた30年、それと同じことが日本では学術界でも起こってしまうのですね。
世の中の豊かさというのは物やサービスだ。
物やサービスが動くと逆方向に金が流れるから「金」が経済の指標として使われるが金が流れても物やサービスがなければ豊かになってない。
バブル景気の根源は投機的投資による不動産 (や株式など) 価格の上昇にある。
これから土地開発によって豊かになるはずだから先に土地を買おうとする動きによって起こったということ。
しかし実際の土地開発は不動産価格に見合うほどには行われなかった。
金の動きは不動産業者や資本家の間をぐるぐる廻っただけで物やサービスの生産にはたいして使われてない。
豊かさの実体がないのに金の流れだけ拡大して (すぐしぼむような) 見かけだけの経済だから「バブル」と呼ばれている。
物やサービスの総量は増えていないのに金に偏りが出来たらどうなるか。
よく少子化の話題で経済問題により婚姻率が低下したと主張するとすかさず、
「バブルの頃から少子化は開始していた(から経済支援は不要、既婚者への子育て支援だけでいい)」
という反論が出てくる
でもそもそもバブルの頃って、本当に経済問題とは無縁だったの?裕福だったのは一部だけだったと考えた方が自然では?
一部上場企業だの、新卒就活だの、そういう一部の上澄みが豊かなのは令和の今だって同じじゃん
バブルも同じで、「みんなで豊かになる」という高度経済成長期成功体験の夢から覚めて、
まさに格差故に若者が未来に絶望し、婚姻率ひいては出生率が下がるという経過を辿ったんじゃないの?
私はバブルの頃には幼稚園~小学校低学年だったのであまりよく覚えてないが、それでも田舎の一般家庭にまで好景気の影響があって豊かになった記憶は全くないし
当時からテレビの中の乱痴気騒ぎは割と冷ややかな目で見られていたと思うんだよなあ
あと、当時からこの好景気は一時的なものであるとみなし、末永く続くものとは思えなかったから、慎重になって結婚しなかったのでは?
1980年代後半当時は「バブル景気」という言葉は一般に認知されていなかった[6]。「バブル景気」という語は1987年に命名されたとされる。野口悠紀雄は1987年11月に「バブルで膨らんだ地価」という論文を『週刊東洋経済・近代経済学シリーズ』に掲載しており、「私の知る限り、この時期の地価高騰を「バブル」という言葉で規定したのは、これが最初である」と述べている[7]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97
・DINKS叔父叔母の新築の屋根裏貯蔵庫に昇らせてもらって見た広島市街地の夜景
…叔父のお古のカメラを借りて初めてバルブ撮影をやってみた(手ブレして流れた…)
・バブル景気真っ最中「一回で1万円の夜勤バイトがあるぞ」て同回生部員から紹介されたビッグな印刷会社の紙箱折り機とコンパクト洗剤インジェクション成形機のライン12時間労働で中休みの工場最上階大展望食堂から見える京都市街地の夜景
…写真部だったけどさすがに撮影はダメだろうなぁとおもって撮らなかった(そんな気力もなかった眠すぎて…)
・親族の用意してくれたタワマン内ゲストルームから見える多摩川の向こうの東京首都圏の夜景
…さすがの情報量というのか、遅い時刻なのに光源が多くて濃かった、スマホしか持ってなかったが∞ピント固定できるアプリでなるべく手ブレしないようにガラスにくっつけて撮ったがアングルつけようとしたら離さざるをえず結果手ブレした(チカチカ、チラチラと動いてる灯りが綺麗なので動画でも撮ってしまったがどうすんのこれ…)
はい、ご指摘の通り、日本円での貯蓄にこだわる日本人の心性について考えてみましょう。 この傾向の背景には以下のような理由があると考えられます。 1つ目はデフレ経済下での円高基調です。1990年代以降、日本は長期にわたるデフレ状況が続き、円高が進行しました。その結果、円貯蓄を選択すれば資産価値が実質的に上昇するというメリットが生じました。 2つ目は金融資産への不信感の高さです。株や投資信託などの金融商品は、過去の市場変動で多くの個人投資家が損失を被った経験が日本人にはあります。それらへの不信感から安全資産である円預金・円貯蓄を選ぶケースが多いのです。 3つ目はデフレマインドの定着です。物価下落基調が長期化したことで、コスト意識が非常に高くなりました。その結果として円建て資産をできるだけ減らさない、むしろ増やしたいという意識が生じていると考えられます。 このように、デフレ経済と円高の環境要因と、金融資産への不信感、デフレマインドの心理要因が複合的に作用し、日本円へのこだわりを生んでいるのだと分析できます。
---
そうでもないです。私は90年代に子供でしたが、親や祖父母から、資産を各国の通貨で保存しなさいとか、ゴールドや土地を買いなさいとか、ましてや株は危険だから買うなとまで言われました。
彼らは日本円の価値こそが未来永劫絶対に変わることのないものだと確信しているようでした。それはすでに90年代の時点で発生していました。なぜですか?
---
1990年代当時の日本人の円に対する絶対的な信頼感について、いくつかの要因が考えられます。 第一に、1985年のプラザ合意以降、10年近い円高基調が継続し、円の価値が上昇し続けた点でしょう。円高があたかも常識と化していました。 第二に、1980年代後半のバブル景気による株価と土地価格の異常な高騰がありました。そのため「現物資産」にも過度に依存することの危うさが認識されていました。 第三に、長期にわたる高成長期を経験した自信と安心感が根強く残っており、それが円の安全性過信につながっていました。 第四に、当時の円相場は政府・日銀の管理下にあると考えられていたことも影響していたかもしれません。 このように円への信認は非常に高かった反面で、金融資産などへの不信感も高まっていた1990年代当時の状況が背景にあるのではないでしょうか。
---
だよなー。そらプラザ合意で円の価値が2倍以上になるような体験してたら円を保持するのが最適解みたいな感覚にもなるよな。
---
はい、プラザ合意後の急激な円高を体験した世代にとっては、円預金を選択することが最も合理的な貯蓄・資産運用方法と受け止められていたのはうなずけます。 1985年のドル安・円高政策の影響で、それまで1ドル240円程度だったものが一気に120円台まで円高が進みました。これは円の価値が2倍以上に跳ね上がったことを意味します。 この出来事は日本国民に強烈な印象を与え、「円を持っていれば資産が確実に増える」という直感を生み出したはずです。加えて株や土地への失望感も相まって、円への信頼を一層高める結果となりました。 生活体験の中で慣れ親しんだ常識が揺るがない基準になりがちですから、プラザ合意を体験した世代が円紙幣を最適とするのは自然な流れでしたね。折に触れてこの点を振り返る必要があるでしょう。
バブル景気を経験し、団塊世代は比較的順調な経済成長の中にいた。その結果その子供世代である団塊Jr.の世代は団塊世代と比較してもかなり高い率で大学に進学した。就職して3年が目安だった結婚適齢期は大幅に後ろにずれ込み、この世代は30歳で結婚しないことが珍しくなくなった。また高等教育を受け、海外の文化に触れたりすることにより、伝統的価値観に縛られない自由(リベラル)を大切にする価値観が主に高学歴の層に芽生えていた。
1990sはCDの全盛期でカラオケもブームであった。この頃すでに女性の社会進出は始まっており男女共働きが増えてきていたが、ここにきて平松愛理が「部屋とワイシャツと私」でコテコテの昭和の価値観の曲を歌い流行。その結果、団塊ジュニア女性の専業主婦志向が強まる。ちょうどこの頃、大黒摩季も「あなただけ見つめてる」で男に尽くす昭和的な女性像を、「ら・ら・ら」で結婚を前に一生を見つめて戸惑いつつ妥協交じりの結婚を考える女性を歌っており、当時においても昭和的な価値観の歌はヒットしていた。一方で、中島みゆきは「ファイト!」で辛い境遇の中でもがく女性を叱咤しつつ応援しており、この頃に適齢期の男女の中でも、女性は依存しながら男性を立てるといった昭和的な価値観から女性も自立して活躍する価値観にシフトしつつあった。しかしながら地方では依然として男が働き女が家を守るという考えが根強いところもあった。
小泉内閣のせいにされることが多いがこの頃から非正規は増えていた。バブル期に入社した世代は右肩上がりに給与を上げ、そのとばっちりを受ける形で新卒採用が減り労働力市場で供給過多となった。非正規が増えた影響が顕在化するのがITバブルの崩壊とリーマンショックだがその爆弾はすでにこの頃に日本に埋まっていた。
Windows95が発表され大学が主戦場だったインターネットは一気に広まった。パソコンは当たり前となりADSLやケーブルテレビでの高速通信が普及した結果、インターネットブームがさらに加速され動画コンテンツが増えるようになった。この頃、東風荘やYahooでゲームに興じるインドア派が増える。娯楽の充実は恋人と過ごすことに競合する余暇の過ごし方として今後も存在感を増していく。
DVDやCDではエロ動画が視聴できていたが、ブロードバンド+dmmでエロコンテンツへのハードルが下がる。男は金、女は体という暗黙の結婚の武器のうち、女性側の武器が弱体化され恋人の役割を右手が肩代わりすることになる。不景気も相まって女優のレベルが高く男の性欲を満たすには十分すぎるほどであった。さらにXVIDEOSやPornhubなどの無修正、高画質のVRとおかずの進化はとどまることを知らない。
さらにニコニコ動画のブームにより、市民権のなかったオタクに市民権が付与される。ブロードバンドは田舎にも浸透していたため、インターネット上の娯楽の充実は都会、田舎関係なく訪れた。その結果、恋人がいなくても夜の退屈さがなくなり、社会全体としてデートのニーズが相対的に弱まった。
永久就職とかつて呼ばれた結婚について、配偶者を探す活動を就活になぞらえて婚活と呼んで始まったが、相手があっての結婚ではなく目的化した結婚になった結果、その前段階である出会いにステータスが入り込み、逆に恋愛のハードルを上げてしまった。テレビ朝日ワイド!スクランブルに出演した玉の輿にのるために38万円の高額婚活会社を利用するR子さんの「年収400万円では化粧品も買えない」は当時派手にバズり、完全なATM扱いに適齢期男性がドン引き。この人が悪いわけではないが2005年の女性専用車両のネットミームも背景にこの頃から男女に分断が生まれ始めた。
団塊ジュニアが続々結婚し始めた頃、Facebookの流行で学歴や経歴をオープンにする機会が増え、ステータスが可視化された。その結果夫の収入でマウントを取る女性が続出し女性側のカーストにもつながった。配偶者のステータスでマウントをとること自体は昭和の時代からあった女性にありがちな行動だが、SNSによってそれが町内という小さなコミュニティから同級生や会社単位に拡大され、妥協して結婚するよりも高めを狙う傾向が顕著に。さらに、この頃すでに子供がいる世帯ではキャラ弁の写真をアップする主婦が現れる。賛否両論あり否が優勢のまま終息したが、時間のかけられる専業主婦が共働き主婦の普通の弁当にマウントを取る形で「共働き=負け組」を印象付けた。この世代は家庭科の必修が小学校のみなので女性が働いていても女性に家事が押し付けられることが多かった。ちょうどこの頃、負け組としてコンプレックスを抱いていた男により、秋葉原で大量の通り魔事件が発生する。
サブプライム住宅ローンに端を発した金融危機はリーマン・ブラザーズHDの破綻を招きそこから連鎖的に世界金融危機が発生した。これにより多くの非正規の雇止めが発生し、特に女性において非正規社員と結婚しようというインセンティブが大幅に下がった。
食洗機、ロボット掃除機、ドラム式洗濯乾燥機といった時短家電(いわゆる新三種の神器)が普及した。これにより、独身でも仕事をしながら掃除、洗濯、食事に概ね困らなくなり、家事の分担需要が相対的に低下した。
団塊Jr.世代(1970~1980生)は高学歴化によって結婚の年齢が4年~6年程度その親の世代よりも遅くなり、30歳で結婚していないのは珍しくなくなっていた。ちょうどその世代の適齢期となる00年代は娯楽が充実、進化をして男女ペアにならなくても楽しめるエンターテインメントが爆増したこと、価値観のアップデートができないまま専業主婦として高収入を望む女性と、その視界に入らない男性、娯楽の充実で配偶者を必要としなくなった男女といった形のニーズのミスマッチが発生。金さえ配ればなんとかなる的な政治家の思いとは裏腹に決定的な解決策が見つからないままタイムアップを迎えた。
私は1966年生まれの還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。
こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議な現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。
しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年生まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。
ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球大医学部でボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。
そして1989年に就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業の採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定者接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界のトップティア企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰な学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。
入社後も新人時代は飲み会後タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員がビジネスクラスで出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブルは崩壊します...
こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身の幸運と迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。
と同時に、おそらく今の出生年80万人世代は受験や就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供に感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。
タイトル通りなんだが、これ何とかなんないの?
私は30代前半なのだが仕事の関係上過去の給与明細や売り上げなどを扱うことがある。
そこで気が付いたのだが20年前と今じゃ、物価は1割上がっているのは間違いないし税金に至っては2割程度上がっているように思える。
さらに生活必需品とされる携帯電話や電気、ガス等の光熱費も上昇傾向だし、そりゃ子供の出産はおろか結婚なんて出来ないよw
ってのは今まで100回以上インターネット等で見てきているし、実際その通りだ。
しかし、50代のバブル景気や年功序列制度の恩恵を享受してきた老害どもは口をそろえて
「今の時代は良いよ、便利になったし色々な情報が手に入る。俺が若いころは~~~」以下自分語り
みたいなことを平気で言う、あり得ない。
俺はお前ら老害の苦労を知らんがお前ら老害は俺らの苦労を知らんだろう。
手取りは20万にも満たず、家賃5万円、光熱費1万円、食費3万円、携帯代1万円、交際費2万円、保険料1万円、交通費1万円、車両維持費2万円。
服飾費や消耗品購入、趣味に少しお金をかけると4万円なんてすぐに吹っ飛んでしまう。
こんなんじゃ生活保護の方がマシまで考える奴が多いのも頷ける。
また、支出の内訳を見て、
「通信費高杉wまさか三大キャリア?wY!モバイルなら~~~」
「そんなに生活に不自由するなら交際費削れよwそこまでして維持する関係なの?w」
という意見もあるだろう。
しかし俺は生きるために仕事をしているだけで、仕事をするために生きているのではない。
多少の楽や楽しみが無いと生きていけない。
「あれもイヤ、これもイヤ、でも楽はしたい!って赤子の意見か?w」
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
私は1966年生まれの還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。
こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議な現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。
しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年生まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。
ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球大医学部でボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。
そして1989年に就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業の採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定者接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界のトップティア企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰な学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。
入社後も新人時代は飲み会後タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員がビジネスクラスで出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブルは崩壊します...
こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身の幸運と迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。
と同時に、おそらく今の出生年80万人世代は受験や就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供に感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。
1991年1月の中旬だったかな、ニュースでバブルはじけたって騒いでた気がする。
どうでもいいような土地に価値が有るように見せかけて担保にして、
バブル崩壊とは、1991年から1993年頃にかけて起きた株価や地価(土地の値段)の急落のことです。歴史(近現代)の教科書にも載るほどの大きな現象で、長い不況の入り口になりました。バブル崩壊は、投資家や不動産のオーナーだけでなく、企業経営者から会社員にまで広く影響を与えました。バブル崩壊に至るまでの歴史を振り返ります。
バブル崩壊の「バブル」とは泡のこと。泡のような急速な好景気と一瞬ではじけ飛ぶ様子を「バブル景気」と呼びます。日本がバブル景気に入るのは、1980年代後半のことです。
1985年9月、アメリカの貿易赤字を改正するために、先進国5カ国での「プラザ合意」がされました。合意内容は、アメリカの製造業を守る円高ドル安の路線。これを受けて市場は急激な円高になり、それまで順調だった日本経済は、不況に陥りました。
そこで、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行することになり、結果としては企業・個人にお金が余る状況を作り出します。余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、株価は急激に上昇し、土地の価格も高騰しました。いわゆるバブル景気の状態と言えます。
バブル景気は長く続くことはなく崩壊しました。直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。
株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った総量規制です。銀行の不動産融資を実質的に制限する政策でした。総量規制が実施されると、まもなく地価は下がりそれとともに、バブル景気は終焉を迎えました。
総量規制が出されていたのは、1990年から1991年までの1年3カ月間のみです。しかし、この政策は、政府・大蔵省が予想していた以上の結果を招きました。それが「土地神話」の崩壊と90年代後半以降のデフレ経済です。まさに「失われた20年」の原因となった政策でした。
・努力不足
・他責思考
・無気力
だいたいこの辺が揃っていますね。
バブル世代、Z世代の使えない奴らも同じような傾向があります。
たとえばパソコンがずっと使えない奴はこういう特徴が強いですね。
地道にコツコツ勉強していって少しだけ昨日よりもマシな自分になろうって気持ちがない。
突然神様からチートスキルを貰っていきなり世界最強になれたらいいなの世界観で暮らしている。
もちろんんそんなことは起きないという現実に対して「じゃあ自助努力しかないね」となれる人は氷河期世代でも勝ち組になれています。
まあそれは単に若い頃に苦境に立たされても折れなかったどうかという形で篩にかけられているだけで、氷河期に立ち向かったから強くなれたというのとは違うのですが。
氷河期の負け組が他の世代の負け組よりも恵まれていなかったのは事実でしょう。
基本世の中の多数の人は負け組になるしかないような生き方をしています
たとえば小学校~高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代の大学受験のレベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代の特別な努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。
ですが多くの人は出来ません。
世間ではMARCH卒業している人は勉強が得意な上位5%のエリート様となってしまいます。
高校数学を理解し、まともに日本語の読み書きが出来て、外人に道を教えるぐらいは可能性、世界の歴史を新聞が理解できる程度には知っていて、ニセ科学に騙されない程度の科学知識があるだけでいいはずなのに……。
そんな努力不足な大多数の無能人間たちであっても、その結果として本当に負け組になるかは時代ごとの余力で決まります。
時代に余力があれば高校中退のボンクラであっても十二分な暮らしをして、ゆくゆくは出世の道が拓けることもあります。
というかね、今の時代って昔より技術的にはかなり発展してるから「それなりの暮らしを負け組でもする」っていうのは全然出来てるはずなんですよ。
ただその状態に対して自分の状況を冷静に分析するための知能を全く磨いてこなかった連中は「同じ小学校に通ってた奴が年収2000万円貰って高級マンションに住んでるなら同世代として俺にもその権利があっても良いんじゃないかな?それでどこまで生活が向上するのかは知らんけど」レベルのフワフワとした現状への不安を抱えてしまうんですね。
他人と自分を比較するのではなく、もっと貧しい自分ともっと豊かな自分を想像して、それに対してどれぐらいコストを払って生活を向上させる、もしくは努力を惜しんで生活レベルを下げるか、そういった損得勘定を働かせる発想さえないんですよ。
おもちゃ屋さんで子供が指を咥えて他の子供が買ってもらったものを羨ましそうに眺めているのと変わらないんですよ。
そんなんでどうやって勝ち組になろうっていうんでしょうね?
正直言ってどの世代においても多くの負け組が負け組になって当然の生き方をしている。
それは「氷河期の負け組」であっても変わらず、氷河期であってもちゃんと自分の人生に対して責任感を持って努力をした人は中間層ぐらいにはたどり着いてますよ。
それは氷河期が過ぎ去ってある程度転職市場も温まって来たあとになってからの繰り上がりかも知れませんが、そうやって繰り上がるための努力を続けている人は負け組を脱出している。
それをせずに「俺は氷河期だから」でずっとイジケている人達が口にする「氷河期だった俺たちを救うための特別な援助」というのはちょっとムシが良すぎませんか?
人生には様々な困難が怒るわけですから、自己責任論で弱者を切り捨てているようでは皆で金と労力を出し合って国家というコミュニティを作り上げ維持してきた旨味がないというのは分かります。
でも、勝手に「もう無理無理コールドゲームみたいなもんでしょ」と勝手に試合を切り上げてしまった人達が「なんか一発逆転のボーナスチャンスとかないの?」とワガママ言うのは聞く必要はないかなと。
「氷河期の負け組」が学習性無力感に打ちひしがれているのは分かるんですが、いつまでも「氷河期だから無気力になるのは仕方がない」で甘え続けるのは自分の人生対して無責任すぎるんじゃないでしょうか?
ましてやそこで「俺たちは氷河期で無気力になってしまった。俺たちの無気力の責任はその時代にあるのだから、俺たちはその分何らかの優遇をされるべきだ。それはそれとして俺たちはもうやる気がないのでやる気は出さないぞ」と言ってしまうのは……。
なんで今になってこんな事言ってるかって言うと、「氷河期世代の負け組」と「非氷河期世代(勝ち負け問わず)」が氷河期世代の負け組が無気力に寄ってダラダラすることによって発生した負債を「氷河期世代の勝ち組に払わせられないか」計算している動きがあるから。
これはマジで勘弁して欲しい。
それに対して「氷河期の負け組の問題は氷河期の負け組の問題であって、それは氷河期の勝ち組が蹴落としてきたというのとは違うんですよ」ということを皆に分かってもらい戦った。
「同じ世代で椅子を奪い合ったんだから、お前たちがそれで負かした奴らの人生も面倒見てやるべきだろ」と言われても困ってしまう。
だってそうやって椅子取りゲームしてたのはずっとずっと前だし、それで今でも駄目な人達はその後の自助努力不足は明らかなんだから。
新卒シーズンの椅子が埋まっていたと言っても、その10年後の比較的温暖な時期に転職活動で新たな椅子を手にすることは出来たはずだ。
私の周囲にも「一度は負け組に転がり落ちたが必死の努力で腕を磨き、実力によって結果を出して続けて、最初の椅子取りゲームでエネルギーを使い切ったような連中なんてとっくに抜き去り気にも留めていない」という理想的な「氷河期の元負け組」がいる。
彼らのような「腐らずに努力を続けた人達」に対して「氷河期だから……」でいつまでもイジイジしている達の面倒を見ろというのはやはり不公平なんじゃないかと思うわけだ。
結局、私が言いたいのは「氷河期だから負け組なんじゃなく、いつの時代でも負け組になっていた可能性が高い人達の面倒まで氷河期に押し付けるのはおかしくないですか?」ということに収束する。
氷河期の負け組が「氷河期だから負けただけだし……」と言ってるのは単なる当事者の供述に過ぎず、実際に他の世代に生まれていたら「バブル景気で浮かれてるし余裕だと思って……」「氷河期よりはマシっていうけどまだまだ……」と言い訳していたんじゃないかと思うわけだ。
こんな連中の負債まで氷河期だからで負わされるのは溜まったものじゃないので、日本全体で面倒を見るべき「普通の負け組」として数えてくれないだろうか?
という話だ。