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はてなキーワード: 不器用とは

2018-01-20

同じ人の複数話題を1つにまとめて善悪を決めたがる人たち

同じ人の複数話題を1つにまとめて善悪を決めたがる人たちって、昔からこんなに多かったっけ?

今回の小室哲哉氏だけじゃないけど。不倫疑惑/ 妻の介護/ 自身の病/ 音楽活動引退は同じ小室氏関連の話だけど、それぞれは別の話で。

「妻の介護に疲れて、自身の病もままならず、不倫と取られるような行動をしたため、音楽活動引退します」

一見繋がる文章だけど、そんな簡単な繋がりじゃないってみんな分かってるでしょ?

ってか、一見も繋がってねーよ!

その人が善か悪かを定めたうえでじゃないとお話できないマンなのかしら。不器用過ぎるでしょ。

あと、公に発表し意見や思い出を話す内容って、今回だと『音楽活動引退』の話しだけで十分なんじゃないかな。

少なくとも、妻のプライベート小室哲哉氏の範囲からはみ出てるんじゃないかな、夫婦一心同体だとしても。

同じ人の複数話題を1つにまとめて善悪を決めるのって、ここ2年ぐらいでやたら目にするけど、私が気づいてなかっただけ?

2018-01-18

anond:20180117201357

増田

ブコメじゃ書き切れなかったので、以下に最近おすすめラブコメを書くね

エロくなくても良いとのことだったので

・五等分の花嫁

ぼくたちは勉強ができない

・忍ぶな!チヨちゃん

川柳少女

美人上司滝沢さん

うたかたダイアログ

まどからマドカちゃん

阿波連さんははかれない

彼女お借ります

上野さんは不器用

天野めぐみはスキだらけ!

ゆらぎ荘の幽奈さん

寄宿学校のジュリエット

からかい上手の高木さん

かぐや様は告らせたい

・逝けないカノジョのお手伝い

最近単行本が出た、「死神坊ちゃんと黒メイド」も良いぞ。メイドから迫ってくる感じのラブコメ

あとまだ単行本にはなってないけど、マガジンの「マコさんは死んでも自立しない」は結構お色気要素強い。

同じくマガジンで、始まったばかりだけど「先生、好きです」はエロいぞ。

長々と書いたけど、イチオシは「初恋ゾンビ」なので、そこんとこよろしく。

作品の詳細は以下に書いてるから、暇だったら読んでくれよな(最後にちゃっかり宣伝しておく)

http://www.itutado.com/entry/lovecome_17

http://www.itutado.com/entry/2016/11/13/%E6%9C%80%E8%BF%91%E3%81%AE%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%84%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%B3%E3%83%A1%E6%BC%AB%E7%94%BB%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%A6%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%81%84

女だけど若手俳優になりたい

若手俳優推しが何人かいる。推しみたいになりたいっていつも思う。

恋愛として好きなのは男だし、男装がしたい訳でもボーイッシュ女の子になりたいわけでもないけど

推しみたいなイケメン若手俳優になりたいな〜って度々思う。

女性モデルに憧れることはあまりないけど、それと似たような感情で。

スポーツブランドジャージ着てソールと紐まで真っ赤なスニーカー履いて稽古したい。

若手俳優稽古場用でよく使ってるNIKEスリッパが欲しい。

黒づくめのファッションマスクして渋谷歩いて共演した俳優仲間と服買いに行きたい。

推し御用達表参道美容室ヘアカットしてもらってインスタに上げられたい。

演出家にしごかれて同世代俳優稽古終わりに飲みに行きたい。

は〜推しになりたい。推しの顔で俳優がしたい。

量産若手俳優ファッション普通に好き。

俳優の、仕事なのに同世代と一緒に切磋琢磨できたりチームで頑張れる感じが熱くて好き。

まず昔からずっと、男子同士の集団青春したりばかやってるのに死ぬほど憧れる。

高校の時全国行くような部活の強豪校にいたけど、憧れるのは全然別。若い男子集団の輝きに勝るものはない。

あとは自分不器用から先天的愛されキャラ地頭とかカンがいい人に死ぬほど憧れる。

推しはおしゃれだしバカだけど才能があって誰からも愛されて2chオタクにも叩かれなくてスタイルも顔もいい。

イケメンなのに自分の顔に興味がないところがいい。なりたい。

そんで、無自覚ハイカーストに属したい。

私にとって愛情の最大表現は「なりたい」一択

2018-01-14

anond:20180114001756

元増田です。

Le Monde のあの記事を読むには、フランスにおける男女関係のあり方という背景を知らないと、正しく読めないなぁ、ということが、いろいろ調べてわかりました。

こちらでは、「不器用告白」と「セクハラ」の境目の曖昧さが熱心に議論されていますが、フランスにおける境目はそんなところで問題になっていません。

一応「ウザがらせる自由」と訳した liberté d'importuner ですが、辞書を引いたぐらいじゃニュアンス全然わかりません。

あるツイートに「 draguer とか séduire はokだけど、importuner は駄目」というのがありました。最初の二つは「ナンパする」とか「口説く」という意味です。

みなさんイメージされるように、フランスの男女の距離感は、日本のそれよりもずっと近いものです。ナンパすることは、男女どちらにとっても、ずっと容易なことです。

レイラスリマニの記事でも、自身が男を誘ったりしていたことがはっきり書かれています

日本ならば、ナンパ自体不快であるという人がいるでしょうがフランスでは、気に入れば付き合い、気に入らなければ振る、というそれだけのことです。

それはウザいかもしれませんが、そこを問題にしていません。だからウザがられる/ウザがらせるは、importuner ではありません。

ではdraguer, séduire と importuner の境目はどうなっているのか。ナンパがimportunerとみなされて不当に告発されることはないのか。

こうした議論ほとんど見受けられません。

なぜなら、前者でも十分近い距離感なだけに、 importuner に転んでしまうと、明白な性的侵害行為踏み込むからです。importuner とは以下のようなものです。

  • 無断での身体接触。急にキスしたり、抱きついたりする。胸やお尻に触る。
  • 直接的な性的表現女性の体を本人の前で品評したり、付き合ってもいないのに性的メッセージをいきなり送りつけたり。ツイートで挙げられていたのは「すげえ胸だな、一晩中やりまくろうぜ」といきなり声をかけられるというもの。(ヨーロッパ映画を見てると、こういうシーンがよく出てきます。本当にあちらはそんな輩が多いのでしょう)。

要するに、importuner はここで議論されているような不器用告白とかそんなものではありません。「ただイケ」でも許されない行為が importuner です。

ですから、liberté d'importuner とは、信じられないかもしれませんが、上記のような「性的侵害をする自由」です。

あの記事は、そんな自由を男に認めてやれ、というものなのです。

このとんでもない主張に賛同している人たちには、かなり特殊な性生活を公にしている方々が含まれていて、とてもフランス人女性代表するものではありません。

彼女たちの主張を噛み砕いていえば、こうです。

ちょっと触られたり、下ネタ言われたりしても、どうってことないじゃない。男の性欲はしょうがないんだから、軽くあしらうか、一緒に楽しめばいいじゃない。

それが女の性的自由よ。気に食わない相手なら、一発叩いてやればいいのよ。」

これが女性側におけるノーという自由です。

これに対してツイッターで紹介されていた記事

通りで急に抱きつかれた女性が男を引き剥がすと、逆上した男がナイフで突き刺した、というもの

これでも、ノーという自由があるのか、と。

先に、#BalanceTonPorc は攻撃的すぎる、と書きましたが、ツイッターではなく、このキャンペーンサイト匿名投稿欄を見ると、そのほとんどがレイプ、残りが未成年に対する性的行為です。

微妙セクハラ行為でっちあげているのではありません。怒るべき人が怒っているだけでした。

結論としては、日本における性的関係問題をこの記事をもとに語るのは、止めたほうがいいんじゃないか、ということです。

実は、はじめあの記事好意的に読もうとしていました。告白ハラスメントとか、おかしいと思っていますし。

ただ、後半に出てくる「痴漢にあっても、大したことないものと思ってもいい」とか「レイプされても、心は自由」とかが、

Le Monde に掲載されている記事とは信じられなくて、自分フランス語読解能力おかしくなったのかと思い、いろいろ調べだしたのです。

結果、あの記事は、穏当な言い方をするならば、私達とは別の世界に生きている人々によって書かれたものでした。何かの参考になるものではありません。

彼女たちは、不器用口説き(彼女たちだけは importuner を不器用さの結果ということにしたいのです)と本物の性的侵害区別はつく、と言っています

でも、その実、巻き込まれしま危険真剣に考えていません。大した事のないものと思っているからです。それが明白になったのが、昨日のテレビ討論会でした。

討論者は、署名者の一人、元ポルノ女優現在司会者として活躍している Brigitte Lahaie と女性の権利省の大臣 Caroline de Haas の二人。

あなた女性の性は弱いものだと思っているけど、そんなことないわ。女性性的魅力はパワーがあるの。母親は娘にそのパワーの使い方を教えてあげるべきなの」

「でも、その性的魅力のせいで、レイプされ苦しんでいる娘たちがいるのです。その人たちについてどう考えているのですか」

Lahaie は言いました。「あなたも知っていると思うけど、レイプされて感じたりすることもあるのよ」。

Haas 自身レイプ被害者でした。

「ウザがらせる自由」に対して:『あなたは、豚として生まれたの?』

(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語不自由になってました。恥ずかしい。

後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。

そして、さらに恥ずかしいことに、最後段落抜けてました。大急ぎで追加しました。

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ちょっとフランス語翻訳してみたくなったので、最近増田の流れで、一つ記事を訳してみました。

Leïla Slimani (レイラスリマニ)というモロッコ出身フランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。

なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランス代表するもの英米からmetooブームに対する、大陸から批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています

現在も、テレビ討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事署名者の一人です)が「レイプ最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。

フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグ使用されていて、意味は「あなた豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。

あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。

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(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。

でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。

「ウザがらせる」が正しいです。

不器用勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳からまれものであって、原文にはそうした解釈余地はありません。

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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。

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あなたは、豚として生まれたの?』

通りを歩く。夕方地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場子どもに乳をあげる。賃上げ要求する。

こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由要求します。私は、私の平穏孤独権利を、恐れることなく前に進んでいく権利要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。

私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。

というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。

私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコート射精した誰かに。私の出世に何が必要理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。

私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。

私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。

そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場場違いものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きますうずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています

カイロニューデリーリマ、モースル、キンシャサカサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。

私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。

http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913

2018-01-13

anond:20180113034454

誤訳の指摘ありがとうございました。

以下、ご指摘の点について修正検討させていただきます

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

さっそく冒頭で私の訳はダメですね。galanterieをgarantirと完全に読み間違えてます

恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順ですね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie

agression machisteは痴漢行為と訳すのが良さそうです。

violを指す犯罪crimeは殺人と同じくらいの犯罪なので、そのニュアンスの違いは入れるなら、

強姦殺人と同じくらい重大な犯罪だ。しかししつこかったり不器用だったりするナンパ犯罪ではないし、誘惑のお作法痴漢行為とみなすのも違う。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

ここは訂正どおりにさせていただきます

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

(この下りはかなり皮肉な書き方になっていると思います)

公共利益代表者気取りで

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。<<

実際の所、#metoo引き起こしたのは、報道メディアソーシャルネット上での密告と公開の場での糾弾キャンペーンだ。槍玉にあげられた人々は抗弁の余地も弁明の余地も与えられず、性暴力加害者と同じ俎上に乗せられた。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

豚野郎」たちを屠殺場に送り込もうとするこの熱狂状態は、女性が自立していくことを手助けするには程遠かった。それどころか実際には、性の自由の敵、宗教的過激主義者、最悪の反動主義者、そして善の本質的概念とそれに伴うヴィクトリア朝的なモラルを掲げ、女性を「別扱い」の存在にし、保護されることを求める大人の顔をした子供と考えるような人々に利益を与えてしまっているのだ。

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

mysogineはどちらの訳にもなると思われます

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

ここはご指摘の通りです

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

この概念攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)「権力」「権威」とそれをアンタッチャブルものにする空気ですので、「人の気分を害する」は避けたいところでした。

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

彼女給与男性平等に支払われるように注意していることができる。しかし、それは確かに犯罪なのだが、地下鉄痴漢に体を触られたからといって生涯消えないトラウマを植え付けられたと感じなくてもよい。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

たいしたことは起こらなかったかのようにさえ考えてもよい

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

女性としての私たちは、権力の乱用を告発することを越え、男性たちとセクシャリティへの憎しみという様相を呈しつつあるこのフェミニズムを、自分たちのものとして受け入れることはできない。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

ここは「ウザがられる自由」が男たちの側にあると解釈するのは無理ではないかと思います

性的提案(これはナンパかもしれませんし既に恋人同士の間で行われるものかもしれません)に対して「ノー」という自由は「ウザがられる自由」が無いと上手くたちゆかないということなので、

誘いを受けた側(これは男性であるとも女性あるとも異性愛者の間のこととも限りませんが)にあると考えるのが自然ではないでしょうか?

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

私たちの中で子供を持つことを選んだ人達のために、私たちの娘たちは十分に教育され、気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生謳歌できるように十分な知識を与えられ、意識的であるように育てられることが適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

女性の体を傷つけるようなアクシデントは必ずしも彼女尊厳を傷つけるものではないし、ときには極めて辛いものであったとしても、彼女を当然の様に永遠犠牲者としてしまうべきではない。

まだまだ検討余地はあるかと思いますが、ご指摘の点については以上のように。

2018-01-11

男嫌いが酷くなっていく

元々小さかった頃は今より男の人が嫌だった。あの頃はアトピーがあって、それを男の子からかわれてたからかもしれない。男の人の声の音楽は好きになれなかったし、クラスメイト男の子歌声さえ嫌だった。

少女漫画が好きだった。いつも主人公女の子マスコット的にかわいい女の子を好きになった。恋に憧れていた。

好きな男の子はいた。不器用だけど優しい男の子。彼の背伸びが可笑しくて、でもその滑稽さは自分も近い気がして、勝手に親近感を抱いていた。だけど後にその子に虐められてその子のことが好きだなんて思えなくなった。ちなみにその子高校中退してから行方知れずだ。なんて子を好きだったんだろう。

中学で、その好きだった子を嫌いになってから男の子と関わらない時期を過ごして、高校では恋愛を絡めないただの友人である男の子が増えた。男の人の歌声も、好きな人は好きになってきた。サカナクションとか、聞いてて心地よくて好き。未だにあんまりきじゃないことはあるけれど。

そんなとき、しゃべったことが1回しかないご近所の大学生メール告白された。本当に少ししか知らない人。しか告白に返事しあぐねていると、彼氏面をされるようになった。気持ち悪い、とあのとき感じてしまった。未だにあの感情がどこかに残っている気がする。はっきり断りをいれて、もやもやを抱えたまま、その人を避けるようになった。

高校では色恋沙汰なく、友人として男子と関わった。この頃には私の胸はかなり成長していて、父親にブラの話とかをされるのがいやになってくる思春期

少し潔癖な母親は、幼い頃から私に呪いをかけていた。「怖い人がいっぱいいる」「女の子なんだから」「力じゃ絶対に叶わないんだから」。それに加わる、告白とか一連のことで、すっかり私は自分女性として、性的に見られることが怖くなってきていたらしい。

高校友達の一人に告白された。高校で仲良かった友人の一人だから、好きになれるんじゃないかと思っていた。本当は少しだけ、少女漫画に憧れているのだ。でもだめだった。抱き締めたいと言われて嫌だと断った。どこを好きになったの?と聞いてて、胸の話をされそうだと気づいたとき嫌悪感が走った。2ヶ月だけ付き合って別れた。我ながら酷い奴だと思った。

大学に入った。ほぼ男子理系の科で、私はそこそこ友人を作った。彼氏を振ってしまったあとだったから、もうしばらく恋愛に絡みたくない、と思っていた。

クリスマスに、同級生の一人に二人で過ごしたいと言われた。瞬間、途端にああ、どうせ私は女の子としてみられているんだ、と、男の子にとって恋愛候補しかないのかも、と思ってしまった。上手く言えないけど、初めから恋がしたいから近づかれることが嫌だった。私が選ばれる理由なんて、容姿は良くないし胸ぐらいなもんだ。性格?ここに入り浸ってる時点で察してほしい。そんな目で診られるのもうんざりしてしまった。

そこからだ。本気で男性と関わりたくなくなって来てしまった。SNSで数年繋がっていた、ちょこちょこよくわからないリプを送ってくるおじさんをブロックした。数回ご飯に行ったお兄さんに、またご飯に行こうと言われて断った。

オナニーの報告をTwitterでする男性を見ると嫌悪感がわくようになってきた。シコいって言葉男性が使っているのが気持ち悪く感じた。

重症だ。どうしよう。

どうしようかなぁ。

2018-01-06

接客業をやめた話

半年前に退職したが、新卒で入った会社接客業をしていた。

接客業といっても色々種類があると思う。

自分がしていたのは駅ビル百貨店商品を売る販売員だった。

学生時代接客をするアルバイトをしていた経験もあったし、接客態度や感じの良さを褒められることも多かったので、新卒ではじめて社会に出る上で苦労することはあれど、なんとかやっていけると思ってた。

まあ結論から言うと全くダメだった。

まず最初に指摘されたのは挨拶の少なさであった。

挨拶といってもおはようございますお疲れ様ですといった類のものではない。

自分はお店に入って来た人や、目があった人、近くを通る人に対して「いらっしゃいませ」と言っていた。

しかし、それだけでは足りない、入店することはなく、店の前を通っただけの人にも幾度「いらっしゃいませ」と言うようにと指摘を受けた。

実践すると常時「いらっしゃいませ」と言ったままの状態になる。

ほぼずっと声を張っていることに加え、店頭にいる間は水を飲むことが出来ないので、毎日喉に痛みが走った。職業上、仕方のないことだと思っていた。

次に指摘されたのは笑顔の少なさだった。

もちろん、お客様と会話をしている時は笑いながら話しているが、その他の作業をしている時、(例えば掃除備品の整理など)真顔になっているので、作業中も口角を上げほしいとのことだった。

私はここで違和感を覚えてしまった。

接客業を長年されている方には常識なのだと思う。いつどこでお客様に見られているかからない、販売員はいつ見られても話しかけられやす雰囲気を保たなければならない。

その理屈は分かる。しかし、作業をしていく上でニコニコ微笑むよりも、集中して丁寧かつ早めに仕事を片してしまった方がいいと思ってしまう。自分不器用だったので、はじめは意識していても、集中してしまうと微笑むことが出来なかった。

退職する決め手になったのは、仕事中の雑談であった。自分の店は来店に波がある店舗で、時間帯によってはお客様があまり来店されないことがある。

その時間帯に店員同士が、雑談をするのだ。その内容は様々で、私生活自身についてなど、仕事関係ない内容も含まれていた。

自分はというと、その雑談に加わらなかった。

他人にあまり興味がないという自身性質に加え、仕事中に雑談をするという態度があまり好ましくないと考えたからだ。

客がいないからといって店員同士で話が盛り上がっていて、入りにくいお店を見かけたことがある人は少なくないと思う。

自分自身、そういうお店を見かけるといい気持ちにはならなかった。だから自分雑談には加わらなかった。他にやらなければいけない雑務を見つけてこなしていた。

すると、私は店員同士でコミュニケーションを取る気がない人物とみなされ、注意を受けた。注意のされ方は「雑談に加われ」ではなく、「もっと自分からコミュニケーションを図りに行くべきだ」という言い方であった。

もちろん、仕事必要最低限のコミュニケーションはとっていた。

報告連絡相談はすぐに行なっていたし、人間として必要な「おはようごさいますお疲れ様です、ありがとうございます、お先に失礼いたします」などの言葉意識して伝えていた。

それでもまだ、足りないと言われたのだ。

この時点で接客業というのは独特な世界であることに気がついた。

そもそも自分他人にあまり興味を持つことが少ない。

外面は良いとよく言われるが、実際に深く知り合いたいと思うのは心を許せる数少ない人だけだ。

それでも、表面上のコミュニケーションが取れればこの仕事はできると思っていた。

しかしそれは勘違いだった。

実際に来店するお客様にも、同じ店の従業員にも、興味を持って自分から相手を知りたいと思わないとやっていけないと注意を受けた。

そして気が付いた。接客業というのは、人に見られている意識が強い人、他人に興味が持てて、話すことが好きで仕方のない人が出来る仕事であると。

まあ仕事なのでそういう「フリ」が出来るようになるまで努力するべきだったのだろうけど、自分にはどうしても苦痛退職を決意した。

この他にも色々原因はあったのだけど、退職たことに未練はない。

不思議お客様関連で嫌な思いをした記憶ほとんどないので、その点に関しては恵まれ環境であった。

ただ、もう販売員はしたくないと強く思っている。

それと同時に、接客業をしている人の凄さを日々感じるようになった。

いつもお疲れ様です、ありがとう

2018-01-05

anond:20171230111228

「反出生主義、一理あるのかないのか」の議論は加熱しつつも平行線を辿りがちだ。

一方で、反出生主義者が何でこんな考え方を抱くに至ったのかはあまり触れられない。

自分は反出生主義者で、両者が何で分かり合えないのかがなんとなく分かるので、書いてみる。

※反出生主義を標榜する所以千差万別だと思うのであくまで一例です。

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生きていれば皆等しく嬉しいことも辛いことも経験する。

それでも世の中の大抵の人が、生まれてこれて概ね良かったと感じている。

ただ自分生来喜びとか快感といった刺激を自らに呼び込むのが下手で慢性的な充足感不足に陥っており、どうも生まれてこれて良かったという感想を持てない。

別に苦難の多い人生を経てきたとかではない)

ただ不器用感受性に乏しいってだけだけど、生まれついてからずっとこんな状態に浸かっていると、自分人生愛着が持てなくなる。

自分人生愛着が持てない人間が、子を為すということに思いを馳せると反出生主義的な思想にたどり着いてしまう。

子を為すことを考えるとき、それは「あらためて自分が生まれ直したら」という想像をすることと似ている。

でも子の将来について考えるとき自分人生に対する自分の印象・見方しか参考にするものがない。

自分人生愛着を持っている人にとっては、子を為すことは「自分が嬉しいと感じていることを人にもしている」に過ぎない。

だが自分の生に愛着を感じられない人にとって子を為すことは「自分がされてもあまり嬉しくないことを人に強いる」ことになる。

自分行為により、今自分が自らの人生に対して持っている印象と同じような印象を自らの人生に対して持つ者が生まれ得る。

そんな想像をすると、それは可哀想だ、となってしまう。

自分自分人生愛着はないが、自分可哀想だとは思っている)

反出生主義への世の風当たりの強さから思うに、今の日本社会で子を育てれば、まさに案ずるより産むが易し、大抵は自分の生に愛着を持てる人間になるんだろうと思う。

でもそうとは言え、子供を作るということにはたくさんの不確定要素が付きまとう。

万一自分人生愛着を持てない人間が育つ、自分の子供がそうなってしま可能性を考えると、気持ちがよく分かるだけに辛い。

また自分は親に愛されて育ってきたので、親の愛情が多ければ我が子が自身人生への肯定感を育める…とは限らないということも知っている。

愛が万物治療薬とは限らない。

自分人生愛着が持てないというのは難儀な病で、生まれた子がこの病を抱えてしま可能性が0より少しでもあるんだったら、いっそ生まない 方がいいと思ってしまう。

万一このハズレくじを引かされた子に、愛でそれを肩代わりするみたいなこともできない。責任を取る手段がない。

それが可哀想でならない。

これも単に一つのエゴしかないことは分かっているけど、反出生主義者は反出生主義の再生産を何より怖れるのだ。

2018-01-02

anond:20180102060306

それぐらいのこと(って言ってごめんね)が出来ないんなら、家事に限らず普通事務作業仕事もままならないぐらいの不器用なのでは…?

料理が嫌いすぎて死にたい

料理をするのが苦手で嫌いだ。

いや、料理だけじゃない、女が得意だと喜ばれるようなもの全般苦手だ。

私はとにかく不器用すぎる。どれくらいかというと、周りの人が引くぐらいだ。

具体的にエピソードを挙げると、きゅうりの千切りを半年練習し続けたのに初めて切る人より酷い出来だったり、アルバイトラッピングをしたのだが見栄えが汚すぎて仕事を振られなくなったり(その後毎日練習したが一向に上手くならなくてとうとうクビになった)、裁縫は波縫いさえガタガタだったり。

練習すれば誰でも上手くなる」というが、周りの人とスタートラインが離れすぎていて一向に普通レベルまで辿り着けない。

女で壊滅的な不器用というのはとてもコンプレックスだ。なんとか料理を出来るように今も練習している。

だけど、毎日大嫌いなものをやるっていうのはとてもストレスだ。

そもそも食に興味もないのに、自分不器用さにイライラしながら、そこそこの味のものを食べて…。私には苦痛すぎる。カップラーメンのほうが何倍もマシだ。

食材管理しんどい。「消費期限が切れるなら今日はあの食材使わなきゃ」という義務感だけで献立を考えて義務感で食べるあの感じ。

他の人は私みたいにいっぱいいっぱいじゃなくて、もっとうまくやっているのに。

最近はもう包丁握ってると死にたくなってきて自分の腹に刺したくなる。

周りの友達はお弁当とかおせちとかちゃんと作れてる。

かわいい弁当とか、食材に切れ込み入れたり、そういうのが楽しいという人も多い。

私もそういう人間に生まれたかった。

なんでこんなダメ人間に生まれたんだろう。

死にたい

こんなことで本気で自殺を考えるようになるとは思いもしなかった。

2017-12-30

anond:20171230113927

お仕事であの不器用さは出せないよ

運動神経むっちゃ悪そうだし

多分ゲームやらせたらゼルダの始まり台地を抜け出せない増田といい勝負をすると思う

なにより本当は普通性格してるんだったらもっと友達いるっての

暗黒の学生時代をおくったりしないっての

2017-12-29

感情的になってしまった。

もううんざりだ。

いつ死んでもいいように生きるとかほざいて後悔しないよう連絡を取って見たものの、その行動はあまりに慎重さを欠いたもので、結局のところ相手自分うんざりしてしまった。

待っていたのは恐怖である。いろいろ自分に関することを話しすぎた。余計なことを言ってしまった。相手は怖がっているに違いない。人間関係がほんと苦手。自分では不器用不器用言っているが、不器用という単語ときで片付けてしまっていいものではない。年末なんかに何をやっているんだ私は。

私はアムラー全盛期の3年間に高校時代を過ごした。

wikiで調べてみたら1996年が最盛期だったというから、ばっちりあう。

女子高生たちのルーズソックスの丈は日に日に伸びて、顔はどんどん黒ずみ、白いテカテカ光る粉の厚みは増す一方、という時代であった。

当時、女子ヒエラルキーの頂点が安室奈美恵だった。

抜群のスタイル。お人形みたいな顔立ち。何をしてもカッコよく、超絶的な人気者。

彼女がそこに存在しているだけであらゆる価値を生じる――。そんな存在

なりたいものは何か、と聞かれたら、安室奈美恵、と本音では答えたと思う。

いくらスポーツができても音楽が得意でも、勉強トップクラスでも、安室奈美恵を乗り越えられることはない、絶対に。

どんな努力をしたって、私の顔が半分ぐらいに縮み、彼女と同じサイズになることはない。

奇跡が起こったって無理だ。

努力でなんとかなるものと、ならないものがある。

一流大学に入ったりお金持ちになったり、ビジネス成功したり、その道を極めたり、お金持ちの伴侶をみつけたり……

そういうのをするのは、努力である程度、なんとかなるかもしれない。

しか安室ちゃんのような、太陽のような存在になることは、

どんなに血を流しながらの努力をしても、科学いくら進歩しても、それは不可能と思われた。

(実際、そのときより20年以上が経過した今でも、いまだに顔の大きさが半分にできる技術など存在していないだろう。)

私はそのことで、根源的な失望感を味わったように思う。

彼女存在により、人生を諦めたように思う。

少しでも彼女に近づくための方法アムラーになることであった。

当時の世間を覆う雰囲気は、アムラーにあらずんば人にあらず、という雰囲気だった。

女子高生というだけでメディアはいつも注目されていて、輝いている存在のように映し出されていた。

ただその、アムラーになるためには過酷な条件があり、まず、小顔スタイルがよくないと、悲劇に見舞われるのだ。

ガングロと呼ばれる女子はそれでも、いろんな高校すべての女子100人いたとしても、そのなかでせいぜい数人ぐらいだったものと思う。

渋谷にはみなこぞって出現していたので社会現象になっていたが、それは総体のうちあくまで数%という存在女子たちだったと思う。

一般女子ほとんどは日々の生活で充実しており、そんな盛り場に出向くこともあまりなく、地に足のついた生活を楽しんでいた。

以上、何が言いたかたかというと、

私にとっての「雲の上の存在」が、まちがいなく安室奈美恵であるということ。

40歳目然の今でも、本能的にそう感じている。

大金持ち、ハリウッドスター、お偉い政治家とか大成功している経営者かには、

そういう憧れというか溜め息がでるような感じには、ならない。

まり羨ましくなることは、ない。

なのになぜ、安室ちゃんにだけ、このような思いを寄せ続けてしまうのだろう??

しかも数十年にわたって。

私は歌やダンスに興味があるわけでもなく、とくに芸能界に興味が強いわけでもない。

趣味読書であるようなおばさんである

そんな私がこのような有様であるから

間違いなく彼女は、ほぼすべての日本女子が、憧れを抱き続ける存在なんじゃないかと思っている。

そんな彼女の、収入面や私生活は、その国民的な憧れを引き受け続ける存在であるには似つかわしくないほど

派手すぎるというわけではない。

月給制だったとのことで金銭的にも成功した経営者なみの収入しかなかったようだし、

離婚もして、贅沢なくらしをしているというようにも思えない。

こんなにも思われている存在なのに、そのギャップは何なんだろう。

高校生時代は、彼女の華やかな、表面的なところしか見えていなかった。

安室ちゃんみたいに華をもって生まれていたら、世の中をすいすい、自在に、泳ぎ回れるんだろうな、

何をしようとしても、道は勝手に開かれていくんだろうなと。

でもこの年になって、わかった。

違和感のある引退報道を受けて、しばらく彼女のことを久しぶりに、思い出していた。

それで昔はなかったネットで、彼女の裏の顔を知ることができた。

彼女ダンスや歌は、後天的努力をして素質をのばしていたったものであること、

ツアーではそのストイックさに見た者は感激するということ、

女性は贅沢をさせてくれる結婚相手を求めがちだが、そういうことにも興味がなさそうだということ、

息子を大事に育てているということ。

彼女の中身は地味で真面目で、不器用女性なんだろう。

anond:20171229100718

発達障害っぽいね

俺の彼女も軽い発達障害なんだけど、とにかく会話がスムーズに進まない。

慣れたらそこまでしんどくはないけど、慣れないうちはかなり疲れると思う。

それを許容できるかは筆者の性格、というか性質次第。

関係が続くかどうかともかく、もうちょっと距離を詰めてみるのも良いかもね。

文を読む限りその人も不器用なだけで悪い人ではなさそうだし。

2017-12-28

ハルはいつまでスモーブを「スモーブ」と呼ぶのか

しつこくてすまん。増田だ。

さすがに『JKハル』について書く機会はもうないはず、と思ってたんだけど、とあるトラバをもらってそーだよねそこ引っかかったよねという気分になり、そこに触れずにいるのは誠実じゃないかもなーと思ったので最後にそれについて書きますすまん。ネタバレあるよすまん。

 

んで。

言いたいことはタイトルから察してもらえる通りで、ハルってスモーブに「スモーブ」ってあだ名をつけてそう読んでるけどそれって明確にハラスメントじゃないのん、ってことなんだけど。

とある会社セクハラを受けていた人物が、別の場所では特定属性をいじって批判を浴びたように、暴力的セックスをされている時のハルはたしか被害者なんだけど、スモーブを「スモーブ」と言っている時のハルって加害者なんじゃねーのかと。

 

JKハル』の中核テーマひとつに「人格気持ち尊重されず雑に扱われたり抑圧されたりすることへの痛み」があると思うんだよね。

男尊女卑が行き過ぎたあの世界では往々にして女がそうやって抑圧され、それはハルセックスを通して描かれる。相手気持ち勘違いしたセックス千葉)があれば相手気持ち無視した暴力的セックス(2話のモブおっさん)もあり、一方で不器用ながらも相手と向き合ったセックス(スモーブ)なんかもある。

俺が『JKハル』に凄みを覚えるのは、そういったコミュニケーションの有り様を上記のようなセックス描写することにとどめなかった点だ。缶蹴りんぐの少年たちのようにハルを友だちとして遇することができる子どもたちが、しかしいずれ男尊女卑価値観に染まってしまうんじゃないかという危うさを描いたり、あるいはホモソーシャル的な圧力によって恋人を性玩具として差し出すことを強制され狂う男を描いたり、と問題根深さや辛さをジェンダーに収斂させない慎重な手つきが素晴らしい。

男と一口に言ってもいろんな男がいるし、男も男社会特有空気の中で辛い目に遭っている。

ジェンダーによって常に強者弱者加害者被害者か決まっているわけではないし、誰しも時に加害者たりうるし、ある加害者が別の側面では被害者かもしれないという可能から目を背けない。そうやってキャラクタを一個人として目配せできるところがあの作品の秀逸なところだ。

そしてそれは主人公である小山ハルもまた例外ではない。

ハルは元いた世界教室千葉のことを「キモオタ」と呼んでいた。

「俺や、俺の友だちのこと前からそうやって呼んでたの知ってんだよっ。俺らのことをネタにしてたのも知ってたっ。自分たちと違う生き物みたいに俺らのこと見てたよね。でもあそこ、おまえらだけの教室じゃねーし! 俺らのもんでもあんのに! ハルは、いっつも真ん中でヒロインポジで仲間に囲まれてくっだらねーことでゲラゲラかい声で笑ってっ、モテてっ、楽しそうにしてたよな!」

ここにおける千葉の怒りは正当だ。千葉やその友人を「キモオタ」と言ってしまハルはただのいじめっ子であり、徹頭徹尾なんの言い訳も許されないレベルの悪だ。

はいえこれは物語の中でちゃんと消化されている。ひとつ千葉本人がちゃんとキレてるということ。ハル千葉の主張を受け容れないが、少なくとも千葉本音をここで知る。象徴的な意味ハルは「このキモオタが」と殴り、千葉が「えらそうにすんな」と殴り返している。最低ではありながら最低限のコミュニケーションが取れている、と俺は見る。

また、こういう千葉に対するハルの態度を、ルペちゃんがチクリと指摘することによって物語の中に批判的な視座を設けられているところが良い。

しかしスモーブを「スモーブ」と呼ぶことに対してだけは、こうやって弁護する余地が作中にない。千葉と違ってスモーブがクッソいいやつなだけに、なんでこんな呼ばれ方をされ続けにゃならんのだという気持ちにもなるし、何らか苦言を呈する奴もいない。ハルも悪いと思っている節がない。だからモヤモヤけが残る。

これが別の作品だったら何とも思わなかっただろうが、『JKハル』はこのあたりを中核的テーマに据えている作品だけに、このハルに対し何の批判も向けないのは明確に瑕疵だと思う。

俺としては、ここで千葉が「ハル、お前がダメなのはそういうところだ、スモーブってひでーだろ、そういうこと言うのやめろや」って怒れば良かったんじゃないかと感じている。千葉なればこそ実感を伴って批判できるわけだし、千葉他者共感を示すという点でも意味があったはずである

ハルがすぐに「スモーブ」呼びをやめられるかというのはともかくとして、物語の中で批判しておくのは重要なことだ。

 

この主張を瑣末、あるいは言いがかりって感じるひともいるだろう。しかしさっきも言ったように『JKハル』は「人格気持ち尊重されず雑に扱われたり抑圧されたりする痛み」を描いた作品だし、「そういうのって変えていけたらいいよね」っていう方向性を持っているだけに全く指摘せずにやりすごすのは違うんじゃないかと。

ハルはある種の超人であっても聖人ではないし、嬢仲間と裏で客の批評をしたりする卑近さが却ってキャラ存在感を持たせているしそこが良さでもあるのだが、スモーブを「スモーブ」呼びしたり、ルペちゃんが千葉土下座させるくだりだけはどうしても共感できない。

2017-12-26

別冊図書館戦争水島弱者男性弱者女性論について

有川浩の人気シリーズ図書館戦争」の別冊Ⅱに水島というキャラクターが登場する。

郁の後釜で柴崎の同室となった女子容姿は地味。性格は卑屈でコミュ障KY。真面目なだけが取り柄だがそのKYなまでの真面目さで柴崎からひたすら疎ましがられる。そして卑劣犯罪に手を染め、供述で痛い勘違い女ぶりを披露し、誰から共感されない惨めな悪役として終わる。

その散々な描かれ方に、水島気持ち悪い嫌いという声に混じり、同じく地味でコミュ障自称する女性読者から水島同情論」が聞かれたりする。(私もその一人だ。彼女達の発信を読むまでは、作中の嫌われ者水島に同情し柴崎に対して僻む自分を認めたくなく、「じ、自分はここまでじゃないし!…多分」と思い込もうとしていた)

しかしその同情論は、あくまで卑屈で真面目なだけに大それたことはできないはずの水島に対してであり、卑劣犯罪に手を染めた勘違い女水島に対してではない。正直私も、卑屈な筈の水島自分手塚に愛されてると思い込み柴崎に対してあれ程固辞していた呼び捨てをしながら嫌悪侮蔑を容赦無く露わにする様は、これまでの水島キャラとちぐはぐな印象を与えた。「有川は嫌いなタイプをとかく貶めたいがためにキャラに合わなくとも悪者にすりゃいいと思ってんじゃないか」とすら思った。

でも水島供述を読んでいると気づいた事があった。柴崎言動全てを悪く受け取り、「柴崎はズルい」「美人からって」「チャラチャラしている。手塚さんに相応しくない」と僻む様が、「真面目で不器用で善良な俺達がモテず、悪いイケメンヤリチンチャラ男DQNばかりがモテる」と僻む、ネット自称弱者男性に重なったからだ。

水島弱者男性女性版だったのだ。いやもう、こんな言い方しないで弱者女性と言おう。

そう考えれば納得できる。「ネット上のおまえら現実おまえら」のように、水島も影ではいくら柴崎を悪し様に言えても貶められても面と向かってはおどおどするしかない。真面目なだけが取り柄で、恋愛面でも真面目に努力してきたつもりの彼女にとって、美人簡単に近づける柴崎存在は「ズルい」と思えたのだろう。

水島弱者女性問題についてこのブログが参考になるだろう。

若い女性に多い自殺願望☆地味な女子は負け?『別冊図書館戦争2』と座間遺体殺害された女性被害者について」

http://urx2.nu/HJP5

柴崎手塚のような、顔が良くて優秀で皆に好かれる強者女性強者男性は正しくて幸せになれて、一方水島のような弱者女性(や弱者男性)は悪役で惨め。残酷な程の対比は、水島タイプ弱者女性を益々卑屈にさせる。有川浩はこれに限らず、男女共に対してマッチョ主義な所がある。主要登場人物大抵顔が良いし。

弱者女性弱者男性はその境遇ゆえにコンプレックスを抱え、性格がひねくれているかもしれない。好かれないのも仕方ない。弱者男性のお友達になると言ったエマワトソンも手に追えないだろう。では、彼ら彼女らが救われる方法はないのか?

私はと言えば恋愛友達も諦め一人の気楽さを満喫している。しかしそれは多くの弱者男女にとって救いではないのだろうな。

岡田准一担降りする。

タイトルの通りである

さあ帰れ帰れ。

これは准担だった自分の記録です。


最初に言っておきたい。

基本的結婚は歓迎です。


博が結婚した時、とってもとっても幸せ気持ちで満たされた。

彼にとっては私など何でもない1人だけれど

本当に幸せをもらってる気持ちでいっぱいだった。

それを嬉しそうなメンバーJフレのみんなの顔も。

もちろん博を大好きな准くんが幸せそうなのも全部全部嬉しかった。

ジャニーズであろうと一人の人間であり、自担には幸せでいてほしいと思っている。

それに准くんはずっと「男として家庭を持ちたい」と言っていた。

子供だってとっても大好きだし、准くんの子供は絶対かっこいいし可愛い

結婚はするだろうなと思っていました。

それは10年以上前から




結婚はいいねん。


そう、結婚はいいねん。



こちとらずっと自担ですからね。

知ってるんですよ。


自担から!!!!!!

彼は何でも天才的なスピードで器用にこなす。

ピアノドラムギターもできる。水上ござ渡りだってできる。

めちゃくちゃな体当たり企画だっていつも成功する。

いつも遠くに目標を見据えている。

めっちゃくちゃ鍛えてる肉体だって決して見せびらかすために脱いだりはしない。

チャンスが回ってきた時のために黙々と準備をできる人だ。

そしてあまりに遠くを見つめて手元が見えなくなることがある。

不器用な人だってこと。

あほで、正直。




岡田くんに初めて生で会ったのはV6コンサート

ステージに飛び出してきたV6アイドルという空気はなく、

めちゃくちゃに躍り続け走り回りアクロバットを決めるコンサートに圧倒された。

だけどMC学校へ行こう!みたいだった。

うそれはそれはめちゃくちゃ笑った。

一気に虜になった。

学校へ行こう!とも木更津キャッツアイとも違う姿で

ステージの上に立ちながらもクール自由岡田くんに引かれた。

彼が俳優岡田准一として世間に認められる前のことだ。

数々のインタビューでは「人一番努力しなければいけない」と語る志の高さに尊敬の念を抱いた。

中学生の私にはキラキラした世界にもいながらも日陰を歩こうとする姿に、こんな人がいるのかと衝撃をうけた。

別世界人間だけど、芸能人だけど人間味があった。

准くんのように努力を積み重ねて生きられたらどんな夢も叶う気がした。

自慢の自担であり、本当に尊敬する背中だった。


反抗期岡田くんは語るようになる。

アイドルを辞めようと思っていた。」と。何度も。

知ってたけど。

少なからず傷ついたけれど、逆にもう辞めることはないんだなと思った。

それは挑戦のスタートなのだと。

そのころ岡田くんは毎月何十冊もの雑誌に載っていた。

控え目に言ってもメンバー内で圧倒的な露出を誇っていた。

V6は十周年を迎えていた。

何ヵ月もどの雑誌を読んでも「俳優を~」「お芝居が~」と語り、メンバーのメの字も出てこない。

これが不思議ものでね、何十冊とリアルタイム雑誌を読んでるとね、

どれが本音でどれが建前で話しているのか手に取るようにわかちゃうんですよね。


たまに出てきたメンバーの話や数文字感謝言葉にも飛び付いて一喜一憂

それを基準雑誌を厳選していたファンは多かったと思う。


やはり露出が多いメンバーグループの顔だ。

外での活動グループ還元グループ自体ファンの母数が増え、また個々に仕事が増えるというのが理想だ。

しか岡田反抗期

ジャニーズからV6から貰えた俳優仕事だなんて誰にも言われたくない空気を態度で晒した。

グループ還元しようと思っているんだなと思える瞬間は私には感じられなかった。

全ての俳優仕事俳優岡田准一として結果を残したいという意地であり

まあ、なんというかワガママみたいだった。

あのころ他担のファンには申し訳いねと話していた岡田担は多かった。

それでも好きだった。

芸能人アイドルなのに眼差しは鋭く、それはそれは美しかった。

めちゃくちゃ近くでファンサを貰っても遠くにいるような不思議な人だった。


彼は挑戦者だった。

ジャニーズという立場にありながら俳優として認められたいという挑戦の途中にいた。

新しいことを挑戦する時は風当たりが強いものだし。

彼が俳優岡田准一として認められるのには時間がかかるだろうけれど

一緒に挑戦の気持ちで寄り添いたいと思った。


だって担当から

いつだって味方だから

数々の映画だって何本も何回も見に行った。

岡田ファンが何回も行ったか数字が取れた」って言われたくないか

少なくとも私はセリフ覚えるくらい見ても黙ってた。

自担の挑戦だから応援たかった。

准くんは感じることもなかっただろうけどね。


准くんの「お芝居が…俳優が…」モードが続いて疲れてしまった時、思ったことがある。

そんなに俳優が好きならアイドル岡田准一も演じてくれよ。と。


准くんは決してそんなことはしなかった。


たぶん、きっと、できなかった。

彼は正直で不器用

V6で隅っこで下むいて口下手で、急に振られたら気の利いたことも言えず

テンションがあがって話してるうちに声が上ずっちゃう准くんは

本当に正直なV6岡田准一で、岡田准一自身であるんだなと思った。

ハッキリ言って甘えん坊だ。

そして恐らく彼が甘えることを許された唯一の場所だった。


俳優お仕事のために大阪弁封印した岡田准一

楽屋では大阪弁が出ちゃう准くん。


ただ黙って見守ってくれるお兄さん達がいた。

最高のメンバーやねん。

ときどきただの変人なのメンバーからバラされちゃったりして

ずっと准くんは准くんだった。

からずっとV6を愛せた。

からずっと岡田担だった。


准くんの反抗期が終わる頃、ファンが増えた。

後輩のお尻追っかけまわす変態ゴリラ地上波に登場していた。

そこに私の好きになった岡田准一は既にいなかったのかもしれない。

でもその准くんもその准くんで好きだった。



幼い頃から芸能界で働く人たちは、

世間人達が思う以上に本当に幼かったりする。


准くんは自分責任感や立場は敏感に背負うくせに

自分がどれだけ愛されてるか今も知らないんじゃないかと私は思う。

20年頑張ったからもう大丈夫でしょ。ジャニーズ若い子たちいっぱいおるからね。」

みたいに本気で思ってそうやし、アイドル岡田准一の代わりはおるって恐らく思っている。

言っとくけど、おらんで。




あと宮崎あおいをただ純粋に愛しているんだと思う。

自分も博みたいに祝って貰えるって思ったんやろうか。

准くん、あほやな。

知ってたけどな。

「これから感謝気持ちを忘れずに一緒に歩んでいきましょう。」

という諭すような健くんの言葉がなんというか全部わかってて。

本当に涙がでるね。



愛や恋が育てる芸もあると思う。

芸の糧になるならばとスルーできたけれど。

自分が出席した結婚披露宴花嫁結婚できる岡田准一

自分旦那ピンチの時に家を出て行く宮崎あおい

家庭の問題を男に相談する宮崎あおい

しか自分友達蒼井優の元彼って。

ファンがこれから何度も何度もクリスマスのたびに思い出すこの感情

予想できないあほ男の岡田も、予想したであろう宮崎あおいも。

もし子供が産まれても何の罪もないのに人生ハードモードすぎるし。

ここまでの数行すべて私の倫理観では正直処理できないし

2人の人生は2人の勝手だといえど、

正直バレてもいいやと思ってるとしか思えない撮られ方や

ここ数年の振る舞いがプロじゃなくてとても嫌だった。

数年先、彼らが「色々あったけど幸せです」なんて言われた時

よかったねって気持ち絶対まれないと確信できてしまった。

ここ数年間の上記の噂の数々がどこまで真実か考えるのも疲れてしまった。


赤い封筒が届いて、ずっと昔から下手くそな見慣れた“岡田准一”の筆跡を見た時

ギラギラとする岡田准一をただ純粋に好きだった頃に戻りたいと思った。


今みたいに携帯にたくさんの音楽画像を入れられる時代じゃなかったか

画素の低いカメラで撮った一番かっこいい画像を厳選して待受にしてた。

ファン友達を見つけるのは掲示板書き込みだった。

自分HTMLを打ってホームページを作った。素材は自分で作った。

画像数枚読み込むのに数分かかる時代から動画サイトなんてもちろんないし、

WSは手分けしてダビングしたビデオを送り合いっこした。

CM起用された日にはチラシが配布される場所を把握するだけでも必死だった。

本当に大好きじゃないとオタクなんてやってられない時代だった。

だけど全部楽しかった。

それが生活だった。

中学生にはコンサート何本も入れるお金もないけれど

自担アイドルの准くんが「ただいま」って言ってくれるから

大阪に1本入れるだけで幸せだった。

わかるかな?



戻りたいと思った瞬間から

あの頃以上に声援を送れる自分はいないんだと気付いてしまった。

から思った。

准くんのいう“変わらないご声援”は私には無理だ。


今は気軽に気になるジャニの数年分の映像なんかYoutubeいくらでも漁れるし

映像だって雑誌だってパシャパシャ撮って何枚でも保存して

公式なんて買わなくてもいつでもどこでも好きに映像を見て

発売前の雑誌の写り具合すらもチェックできる。

そんな時代からファンになった子たちはわからないだろうなと思う。

結婚でなんで降りるのかとか、好きじゃなかったんだとか。


そういうことじゃないねん。

わかんへんやろ。

わかってたまるかよ。



他のGが好きなジャニオタ友達と3誌手分けして買って交換したり

V6振り付け他Gのジャニオタ5人に覚えてもらってV6ごっこしたり

学校へ行こう!取材がきたらどうするか妄想してふざけ合ったり

青春時代の全部の思い出にV6がいる。

しかったなぁ。

きっとこれからも一番好きなドラマ木更津キャッツアイだろうし

夏の終わりにはFDFを見るんだろうけど

それはもう自担の出演作品としてではなくなるでしょう。

もやもやとした気持ちで年越したくないし

こんな気持ちカウコン祝福ムードとかたぶん耐えられなくて消すだろうし

もう一度言うけど“変わらないご声援”は私には無理だと思った。

でもね、

ジャニオタを、V担を、カミ担ね、降りられるわけない。

大好きとかもうそういう言葉以前に、これもう生活から

V6の売上は落としたりしないよ。まかせて。)

自担じゃないって思ったら

とても純粋気持ちでV担としてカミ担として

カウコンも今後も全部楽しむことができる。

と思う。




大好きだったか

もう彼の言葉により添えないと思った今日

岡田准一担当は降ります


さよなら准くん。

16年とても楽しかった。尊敬してたよ。

またひとつ夢叶ってよかったね。

長々と書いてしまったけど、

今までの月日に比べたらたった数行だよね。


これからV6コンサート楽しみにしてるね。

2017-12-25

メリークリスマス!元気にオタクやってる!?わたしもひとりクリスマスから安心してください!(?)

メリークリスマスクリスマスですね12月25日ですね

この日ってクリスマス以上に大切な思い出、というか、大切な節目でして。

完結に言えば大好きなアニメ最終話放送日でした。そういうオタクだよーー!!!!!

今年で4年経つみたいです。

は?4年ごときで何いってんの?と思われる方達もいらっしゃるかとは思うんですけど、長く思い続けていらっしゃる皆々様につきましては、尊敬の念を抱かざるを得ません。

ただ、単純にアニメおわっただけで原作まだつづいてまーすとか、グッズ出てまーすみたいなのはちょっと話が違うので黙っててください。

毎年クリスマスだなあ、ってなるとあれから何年か…って思い出すから正直クリスマス=思い返しの日になってます

以下気持ち悪いこじらせてしまったオタクの文なので気分が悪いと思ったらすぐブラウザバック(最近使わない?)お願いします!😆

今日は、その作品の中で生きる大好きな大っ好きな推しくんとわたしの話をします。推しくんの名前はAくんとしま

シリーズもの最新作の1キャラクターとして生まれたAくんは、メインビジュアルには入らないけど主人公ライバルグループのひとり、ってそんなポジションの子です。

陰と陽でいえば陰。過去の話を描いて頂いてるんですが、友達もいなくて、陰からきな子を見つめてる。みたいなスト… ではなくとても純粋で優しすぎて、とっても不器用な(手先は超器用!)子です。〜な子って表現想像つくかもしれないんですが、年下です。知った時点で年下でした。Aくんの話はいくらしても終わりがないのでまあ辞めにして。

最終話のあと、円盤が発売されたりしてそこのサイドストリーみたいなので描かれることはありましたがそれも3月くらいまででした。それ以降は、正直なにもない。時間とともにああ、終わったんだ、その事実けが自分にかかるわけです。追っかけたいオタクから動かない作品いつまでも一途に好きでいるなんてできなくて、もちろん今も、その3月過ぎたくらいからも、別ジャンルに移動しました。でも、そのAくんを推しとして、Twitterのbioから外すことはできなくて。なんでだったのか、思い出せないけど、まだすきなんだよね。その時も、今も。今だってちゃんと活動として追いかけてるのあるけど、はそのジャンルとは全く関係ないところです。

話は戻って、4年前の12月25日。この日、Aくんの物語ストッしました。このあとも彼らは生き抜いていろんな道を進んでるの。なんて想像から語ることは簡単です。でも、私が求めているものはそれじゃなくて。その25日にエンディングを迎えたあとの話を紡げるのは公式サイドだけなんです。これだけは譲れない。

から、Aくんの時間は4年前のクリスマスの日で止まっているんです。だって続きが描かれてないから。

この事実、受け入れられますか?

作品上でキャラクターは歳を取らなくて年齢差開く(笑)とかはまあよくある話ですよね。それとは違うんです。分かってもらえなくてもいい、けどとにかく正直すごい辛いですわたしは4年も歳をとったのに、Aくんはなにもかわらない、あの日のまま。記録としてただのこっている。彼に沢山支えられた。Aくんの生き方が大好きなんだ。不器用でも精一杯なにかに挑戦できるAくんがかっこよくて大好きなんだ。時間が経てば経つほど一番くるしいときに思い出すのはその瞬間追いかけてる推しではなくAくんなんだ。尊敬、憧れ。Aくんは目立つキャラクターではなかったから、作品が終了した今、二次創作ですらいきてはいけない。でも、私の中ではずっと生きてる。だからこそ、辛い。ふとした時に自分とAくんのズレを感じる。そしてなにも変わらない自分にも腹が立つ。Aくんが毎日を生きてる日々は本当に花畑を歩いているような毎日だった。そんな幸せを思い出しただけで泣けて来る。そして、きっとAくんに頼りすぎたわたしはだめな人間になっている自覚がある。正直ありえない話なのだけれど、Aくんの片思いが実ったら、その想像をした時の嬉しい、嫌だ、嬉しい、嫌だこの気持ちの渦はすごい。ああ、これが恋か、会いたくて会いたくて震えるとはこれか、と。クリスマスがそうさせるのか、Aくんが私をそうさせるのかはわからない。でもわたしはAくんが大好き。世界で一番Aくんのことが大好き!!!

もう日にち変わりそうだからやめるね、これは今日じゃなきゃだめだから。

ありがとう これからも、たまにでいいから、たすけてくれたらうれしいな。

https://anond.hatelabo.jp/20171224192503

女性世界マッチョイズムというと、別冊図書館戦争Ⅱの柴崎水島を思い出してしまう。

美人コミュ力があって優秀で異性にも同性にも人気な強者女性(正しくて幸せになれる)と、地味でコミュ障不器用KYで異性にも同性にも疎まれ弱者女性(悪役で惨め)との残酷な程の対比。

有川浩は男に対しても女に対してもマッチョ主義な所あるから仕方ないけど。

参考

https://goo.gl/dd3qtN

2017-12-24

メリー処女

学生時代は夢見がちな小デブ喪女ピエロとしてブイブイ言わせていた。彼氏が居ない。好きな人少女漫画の彼。太った。たったそれだけのネタを繰り返し、ゼミでも女子会でもSNSでも笑いを取っていた。嘲笑だろうが苦笑だろうが別に良かった。エンターテイメントとして消費されることで、無味無臭なこの人生意味を持たせたかったのかもしれない。

  

2015年祖母が死んだ。

かなりの大往生だったのもあるし、遠方に住んでいて関わりが薄かったのもあるかもしれないが、悲しい以上にいいなあという気持ちが沸いた。

大勢の子どもとさら大勢の孫に見送られ天寿を全うした祖母尊敬した。

そこではっとした。彼女の孫である私は就職してX年。二十云歳にもたって彼氏ゼロのド処女だ。このままじゃ独りで死ぬしかないし、親に孫のひとりも抱かせてやれない。

祖母は片手で足りないくらの子を産んだ。既に母が自分を産んだ歳になっていた。

私は焦った。子どもが欲しい。

もともと子どもが好きで、漫然と産みたいな~とは思っていたけれど、このときはっきりと思った。産まなければ。

行きずりの男とではない、家庭をつくり子どもを産んで親を、そして天国祖母安心させたい。あと自分の老後のこともある。

そして私はそれから合コンと聞けば飛んでいき、友達からは男の紹介を募り、挙句婚活サイト登録したりして本腰を入れて彼氏を探すことにした。

 

彼氏がいない、彼氏ができないとは言っていたがなんのことはない。本気を出してなかっただけ。

そして一年後の2016年クリスマスイブ、初めての彼氏ができた。

 

 

相手は同じ歳、同じ血液型、おおらかで優しい人だ。趣味もそこそこ合って、2人ともおしゃべりなほうではないけれど無言も苦にならない(少なくとも私は…)穏やかな時間を過ごせる人。ちょっと不器用なところがあるけれど、そんなところも可愛い。あと多分童貞だ。

 

2人とも仕事が忙しく、住む場所はそこそこ距離が離れていた。だから会う回数はそれほど多くなかったし、お互い連絡不精でLINEすらままならなかったけれど初めての彼氏から何が正解かわからない。

童貞に違いないと思っているが、聞いたことはない。けれど、こういうの不慣れだからと言っていた。私も初めての彼氏、彼にとっても、多分初めての彼女。2人らしくゆっくり進んでいけばいいし、連絡も会うのも、2人のペースでいい。

 

そして1年。気づけばまだ処女だった。

処女どころじゃない。ファーストキッスも、それどころか手を繋いだことすらない。

 

 

?????????

 

 

ちょっと私、経験不足でそういう知識少女漫画BL同人誌しかなく申し訳ないのですが、二十云歳の恋愛って、そういうの割とすぐやってくるもんじゃないんですか?確かに少女漫画は手を繋ぐにもだもだしてますけど、でもそいつらは所詮中高生。出てくる二十代はみんな経験豊富な顔して大人ぶってますがな。女子中学生ヒロインアドバイスなんかしちゃってさ。BL同人誌なんかすごいよ。大体付き合うと同時にセックスしてますもん。

 

えー、いや。正直いくら牛歩でも3回目のデートくらいでキスくらいするのかなー、と思ってたし、経験値ゼロはい大人からホテルに連れ込まれることも想定してたんですけど、そう来たか

 

彼氏ができたと言うと、友達はみんな祝福してくれる。

喪女仲間は、完全に非処女を見る目で見てくるし、学生時代には普通に恋愛しつつ今たまたま彼氏がいない友人は完全に非処女仲間を見る目で見てくる。

久しぶりに会った彼氏持ちの友人は、「した後さー、筋肉痛にならない?」とか言ってくる。

え?そうなの?

BL同人誌じゃ腰とか尻とかよく痛いって言ってるけど、筋肉痛の件は存じ上げないんですけど。推しカプがスポーツマン同士だからかな???受けちゃんの趣味筋トレからかな??????

 

からない。

どうしてこうなったんだろう。

いや、どうしてどうにもなってないんだろう。

 

女は盾、防ぐか貫かれるか。

まさか目の前に剣士が立ちながら、攻撃ひとつも受けないとは思わなかった。

貫かれようにも、そもそも剣士が剣を構えてないんだもん。

から当たりにいけばいいのか?処女になんて重荷を背負わすんだよ世界は。

守る方法ばっかりで蹴散らし方教えてくれなかったじゃんかよー!

 

恋人を作ったら、自然消滅するものだと思ってた。処女

 

 

なんだろう。すっごくセックスがしたいわけじゃない。だって二十云年の人生で一度もしたことないし、せずにこれまで生きてきたから、これからもしなくたって生きていけると思う。

けど、この、処女と言う称号。これはなんとかしたい。できるだけ若いうちに、一分一秒でも若いうちに何とかしないと可能性はどんどん低くなっていく一方だ。

あと結婚したいし子どもが産みたいんですよ。この調子大丈夫なの?あれ?子どもってセックスしないとできなくない?じゃあ一生しないじゃすまなくない??

 

とりあえず女側の行動として何があるのかと大好きな襲い受けのBL同人誌を読んでみた。なんか攻めに薬盛ってピッキングして部屋に乗り込んでた。

そんな薬は現実には存在しないしピッキングはできない。はーい、打つ手なし。

 

 

そんな私に朗報です。

2017年クリスマスイブ辺り、ちょっと車で遠出しない?と彼氏

月曜は仕事から23日に出発してさなんて。

 

 

 

きた…………!!!

 

 

付き合って一年クリスマスイブ

遠くまで行って夜まで一緒。パーフェクトだ。こんなの、何もないはずがない。

 

しかし、ルナルナ先生がお前の次の生理12月22日だと告げている。これはよくない。

私は焦って産婦人科に行き、問診票の『性交渉経験』という悪夢みたいな欄を埋めて生理移動のためのピルをぶんどってきた。

うっすらとした吐き気と戦い数週間。前々日から毛の処理を開始し、当日朝には内洗浄までした。ボディスクラブを塗りたくり、ボディミルクもいつも以上に浴びた。よし、生理は来ていない。

もちろん不安もあったけど、覚悟は決めた。バージンさよなら時間だよ。

 

 

迎えた12月23日

彼の車に乗り込んで長い旅。車内での談笑。PAでの買い食い。無言の時間景色を眺めるのすら楽しかった。

 

そうしてついた目的地。そのとき、彼のスマホが鳴った。

昼ごはんのため話題のお店に並びながら彼は電話をする。

会話はわからないけれど、聞こえた単語は『明日』『了解

 

電話を終えた彼にどうかしたかと尋ねた。

平たく言うと、明日、同僚の引っ越しを手伝うことになったらしい。

 

はぁ、

明日ってーと、クリスマスイブですがな

それどころか、付き合って一周年記念日ですがな

 

 

いやいやいやいや、まさかまさかそんな!!

まぁ、ね!別に記念日にうるさくしたいわけじゃないし、大事だよね、同僚。

頼られるのは良い事だし、同僚といい関係を築いているとこ本当にすごいと思う!

ここから地元まで、5時間くらいか明日お昼とかに出発して夜手伝うとか?

えー、大丈夫?疲れとか…。タフだね…。うん…。

 

聞けなかった。そうなんだとしか、言えなかった。

明日?何時?私はどうするの?これからタイムスケジュールを教えて!?

なんて聞けなかった。

そういえば、普通にお泊まりだと思ってたけど…そんな話は一度もしていなかったね。

 

それから、まぁ何事もなかったかのようにおいしいごはんを食べ、きれいな景色をみて…

 

 

そして夜。

さぁ帰ろうかってなった。

 

あ、やっぱ帰るんだ…。

でも既に夜。帰ったら完全に真夜中になってしまう。

私はペーパードライバーだしそもそもAT限定運転を代わることはできない。

私は勇気を出して言った。所詮処女のちっぽけな知恵と勇気だ。けれど、私にとっては決死一言だった。

 

「今から大丈夫?どこかで休んでからでも…」

大丈夫!」

 

もうめっちゃ頼りがいがすごい

 

 

そして出発。

 

 

私も疲れで限界で、度々寝落ちしまっていたけれど、彼だってもちろん限界だったらしい。

正直車のふらつきに気づいていたし、ああ私は処女を失うことなくこの命を失うのかもしれないと思ったりもした。

 

けれど、まぁいいや。

このまま、処女のまま生きていくよりは、彼氏とのドライブ死ぬのも悪くないかもしれない。

寝ぼけた頭はそんなことまで考えていた。

 

 

そんなとき、転機が訪れた。

長く危険ドライブの後半も後半に差し掛かった時、彼がナビを無視したのだ!!!

 

予定では、申し訳ないことに私の地元まで送ってくれることになっていた。

それから少し引き返して彼は自分の家に帰るはずだった。

 

ナビはもちろん、私の家を指示している。けれど彼がそれを無視して進んだ方向の標識には、彼の家がある地名が書かれていた。

 

 

逆転ホームラン

 

完全に眠気が吹っ飛んだ瞬間だった。彼は疲れで限界で、今も車はふらついている。だから意識的にか無意識にかはわからないけれど、自分の家に向かっているのではないか

ただでさえ色々なところを歩き回った上に、長時間運転時間は既に0時をまわりクリスマスイブを迎えている。

一周年だもんね。クリスマスイブだもんね。

疲れたよね、いいよ、このまま彼の家に行って、ゆっくり休もうよ。わざわざ私の家なんて遠回りする必要ないよ。明日自力電車で帰るから

 

 

まぁナビは軌道修正してきて普通に私の家にたどり着きましたけどね。

 

 

最後のチャンスだった。

「うちでちょっと休んでく?」

言ってやろう。言うしかない。これが、最後のチャンスだ。

 

 

でも、我が家は今荒れ放題だった。

今日のためにどれにしようかと迷った服や下着が散乱し、プチシャワーセペの箱は転がっている。

あとBL同人誌も開かれている。

 

 

まぁ、言えないよねー。

気を付けてねと彼を見送り、そして昼まで寝て、泣きながらやけくそでこんなものを書いているクリスマスイブ

 

 

でもね、もし言えていたとして、断られたら。

今度こそ処女は立ち直れなかったから私の部屋が私を守ってくれたんだと思う。

それにね、どれだけ肌のケアをしたって、小デブは小デブなの。

なんなら今最強にフォルムやばい。小なんていらない。デブ

から、今じゃなかったんだと思う。

次のチャンスまでに痩せておくから。部屋もきれいにしておくから

そうして自分を守ってばかりで、一生処女なのかもしれない。

 

 

二十云歳、処女ネタにできているうちは余裕だった。彼氏を作って、合わなかったら別れたらいい。行動すればちゃんと恋人くらいつくれるはず。そう思ってた。実際できた。

で、彼氏ができて、ここからどうしたらいいのかわからない。少なくとも、今も処女だし、来年処女かもしれない。処女のまま、三十路を迎えるのかもしれない。彼氏がいるのに。

例えば別れて、次の人が見つかるだろうか。次の人が見つかったとして、スムーズにことが進むという確証は?そもそも彼に文句があるわけじゃない。私の処女を奪う気がないなら別れましょうなんて言えるなら、そもそももう処女じゃない気がする。

彼も、同じなんだろうか。彼女はできたがここからどうしたらいいのかわからないのかな。

ていうかそうじゃなきゃ困る。このデブは抱けないけど、とりあえずキープと思われているならもう開放してほしい。

 

 

どうしよう、未来不透明すぎる。

N君。もしみていても引かないで。

ただデート中、ちょっと休もうかってなったとき喫茶店じゃなくてホテルに連れてってくれてもいいんだよ。

連れていきたくないっていうならせめて…せめて、結婚のことや子どものことについてどう考えているのか教えて…。

重くてごめん。アラサー女は不安なんだよ。

 

 

とりあえず、食べるものがないから家を出た。近所のケーキ屋にカップルがいっぱいいて砂を吐きたくなったけどそんな権利はない。だって私には彼氏がいる。同僚の手伝いをしている優しい彼氏がいる。ひとりで寂しいけれど誰からも連絡はない。だって彼氏いるから。

はぁ…牡蠣買って帰ろう。

 

 

メリークリスマスイブ

2017-12-20

劇団 竹の公演『人形を殺す』を見に行った記録

ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。

というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。

(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)

キッカケは、

  https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

この劇団で。

でもって、出演していたキャスト新宿ゴールデン街バイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。

いろいろと話も聞きたかったし。

.

そしたら、その女優さん。

舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。

思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。

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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)

そして、ちょっと前に劇場に行ってきた。

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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。

随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。

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■全体として

いろいろと語りたいことはあるけれど。

まずは。

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      まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。

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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。

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全体のアウトラインとしては。

(もう公演も終わったことだし、ネタバレいいよね?)

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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子ミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。

子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。

回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。

すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。

.

という感じ。

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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。

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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。

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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。

命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。

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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。

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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。

そこに、キリスト教ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……

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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!

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これまたベタワードだけど、他に形容のしようがない。

(どうしても想像が及ばない人は、ここで、

 “もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族自己修復ドラマ

  お得意の悪夢タッチケレン味タップリに撮ったら”

 というのを想像してみてください。

 当たらずといえども遠からずのはず)

.

うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。

「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」

というのがテーマ

そして俺、爆泣き。

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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。

.

まず、基本はダイアローグ(1 on 1のトーク)。

モノローグでもポリローグでもなく。

回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグカウントする)

ストーリーライン全体は

.

 隠し子ミツルと長女ツグミの対話

 ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、

   育まれてきたミツルの姿が明かされる

      ↓

 ツグミと長男シュウタの対話

 ーーいまではヤンママシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発

      ↓

 シュウタと連れ子ヒデフミの対話

 ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、

   ここでシュウタの最大にして最後の働きかけが大爆発

.

という大枠の流れに、回想シーンとして

 ・父フトシと母ノリコの外食

  (後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)

 ・フトシとヤスコの逢瀬

 ・堕胎をうながす継母サダコと反発するツグミ

 ・夢の中でシュウタに、出奔という自分ギリギリの選択を明かす母ノリコ

.

といずれも1 on 1。

対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。

(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)

.

というわけでダイアローグ主体の作劇なので。

最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオ後日談が語られることで代替されている。

というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。

.

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

俺「おおっ! あなたツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」

ラムネさん「んふふ~」

.

と、明確な答えは得られず。

ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。

.

余談。

確かなことは。

無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。

ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。

余談終わり。

.

もう1つ。

ストーリーを裏から支える暗喩のレベルが。

.

 気にしなければ流すこともできる。

 気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。

.

というレベルキッチリ統一してあるのが気持ちいい。

(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)

たとえば。

ミツルツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。

ヒデフミが現在ではロザリオ製造業に努めていて、毎日キリスト十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。

.

いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。

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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。

冒頭、中間エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。

.

1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。

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2回目は、うーむ、解釈に困る。

シヴァヴィシュヌガネーシャブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ

BGMはタブラ4つ打ちデトロイトっぽいミニマルテクノ

ことなく、今敏っぽい。

無理して考えれば、愛人ヤスコ隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。

.

というか、ストーリーのキーアイテムがいくつかあって。

1)キリスト教

家族システム自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。

.

2)多神教シャーマニズム

愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズムスピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。

.

3)フトシ人形

元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。

そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。

その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。

.

余談。

この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。

と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。

まじで何か乗り移ってね?

余談終わり。

.

ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング後日談)とスタッフロール

ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。

.

と、合計3回のビデオなんだけど。

うーむ、評価に困る。

なんというか、悪くは無いんだけど。

編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。

芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。

逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。

.

ラムネさん「あのビデオなんですけど~」

俺「おお! ラムネさん! ビデオがなんですか?」

ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」

俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」

.

観劇

で、さてさて。

終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。

.

俺「グスン、あ、あの、最後後日談ビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」

(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)

竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。

あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」

.

え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   ズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。

と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。

俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」

竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   またまたズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?

.

ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」

俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」

ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」

俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」

ラムネさん「まあ、あのヒト、照れ屋さんですからね~」

.

うーむ。

いろいろと事情はあるようだ。

.

あらためて全体として

というわけで、あらためて全体としては。

.

もう、激烈に良かった!

チケット代の倍くらいのモトは取った!

劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!

という感じ。

.

キャストスタッフについて

本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。

.

  こんな気持ちのいい観劇、生まれて初めて!!!

.

映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル

舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル

フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!

サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!

後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!

.

今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?

.

ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」

.

ですよね~。

照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。

何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、

シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。

ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!

彼らにはノーベル賞ピューリッツァー賞紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。

それくらい気持ちよかった。

.

劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。

ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー

この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?

.

ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」

俺「ふむふむ」

ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」

俺「なるほど」

ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」

.

うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。

.

そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。

キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!

どうなってるんだ!

これ、どうやって集めたの? スカウト? オーディション

.

ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」

俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

.

うむ。ノーコメントなり。

.

というわけで。

.

■石川雄也(フトシ)

一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。

コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル

回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。

劇団竹に所属

地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。

上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。

もっといろんな所で見てみたいと思った。

いやだから見世物小屋の司会とかじゃなくて!

(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)

.

■森川武(シュウタ)

長兄ってツラいよな。

いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。

そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。

それは、

.

 神はどこにいるのか。

 それは天上界でもオリュンポス山でもない。

 神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する

.

ってこと。

わからんけどね。あくまで俺の解釈)

ツグミの嘆きを受け止める。

そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。

ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。

そして俺、爆泣き。

劇団竹に所属

こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。

.

ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」

俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」

(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)

.

■江花実里(ツグミ

劇団 架空畳に所属。通称ラムネさん。

あれ、おっかしーなー。

つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。

いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンシンママだよ。

彼女の後悔の号泣からストーリーが本格的に回転し始める。

しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。

最初はミツル人生を聞いたとき。

次に自分人生を振り返った時。

最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。

役者ってすっげーな!

でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。

でも、それでいいと思う。

この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。

あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。

「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。

これが彼女のミッション

いや、実に良かった。

.

■辻村尚子(ノリコ)

フトシの最初の妻。

夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。

舞台が2018年の設定なので、旦那事業の立ち上げ期が80年代末。

キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの

なんかW浅野時代の浅野温子が乗り移った感じだった。

彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。

つまり天丼なんだけど、

なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。

なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。

劇団 竹に所属

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■大森華恵(サダコ)

フトシの後妻。

うつ病で自殺。

なんというか、いろいろと痛ましい。

(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。

この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。

2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。

そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。

ここでも天丼(繰り返し)が重たい。

なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。

クレジットがないからフリーの役者さんか?

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ところで、ストーリーに挿入される白装束ダンス

石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。

ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。

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佐々木光弘(ヒデフミ)

子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。

わかる。

そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後キャッチボールを決別の儀式として実行する。

と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。

キャッチャーシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。

おそらく板に座布団とか、そういうギミックボールを受けているはず。

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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」

俺「おいマジですかい?」

ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」

俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」

ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」

うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。

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空飛ぶ猫☆魂に所属

みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。

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■森川結美子(ヤスコ

沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス

なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。

ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。

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■山川恭平ミツル

フトシとヤスコの子供(つまり隠し子)。

鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。

朴訥。

観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。

それも当然で。

俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。

キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。

父フトシのハグ。

彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。

この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。

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んー、こんな感じか。

ともかく、全体としては。

この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。

次の公演にも注目して良いです。

自分もそうするし。

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2017-12-16

自分アイドル応援する理由に気づいてしまって悲しい

AKB劇場公演ロビー観覧していて、じわじわと心に浮かんだことがある

うちはアイドル応援することでコンプレックスを解消していたんだと思った

抽選ギリギリ外れてしまったので、劇場外にあるロビースクリーンに映る公演を見た

サイリウムコール禁止から、ただただ泣くことしかできなくて、ある意味冷静に見れたと思う

自分はどちらかというと年相応にふけるタイプのブスで、可愛いふわふわ女の子にはなれないと思ってた

セーラームーン亜美ちゃんおジャ魔女どれみはづきちゃんみたいな大人しくて上品可愛い女の子になりたかった

でも「可愛い女の子になりたい!」っていうのを目標にするのは分不相応というか、恥ずかしいことだと思ってた

アイドルが大好きで、ステージ上で輝く彼女たちを尊敬してる

まさに偶像崇拝って感じで、人間だけど神を目指す美しい存在、それがアイドルだと思ってた

青春時代アイドル活動に捧げて色んな我慢をして、みんなの憧れとして存在してくれたのが本当に嬉しくて、心から大好きだと思う

推し結構有名な事務所所属してるし、48グループ以外の外仕事結構ある方だと思う

48グループの中では珍しい、芸能人!って感じの華があるタイプメンバー

つるつるしっとりしてて、ピンク色に蒸気する綺麗な肌

ぱっちり二重にくるんくるんのまつ毛、すーっとした鼻筋、ピンク色が似合う綺麗な唇

白くて細くて長い手足、華奢な肩、まるで絵みたいな美しい首のライン

甘くて砂糖菓子みたいな可愛い

可愛い表情、セクシーな表情、切ない表情、元気な笑顔…すべてが美しかった

楽しいことは楽しい、嫌なことは嫌ってはっきり言うところも好き

握手会事件があった時、マナーの無いファンコメント正論叩きつけてたのが印象的だったなあ…

良いところだけじゃなくて、自分が正しいと思ってることをはっきり口に出すところを尊敬してた

わがままも臆病も不器用さも全部が可愛かった

自分に無いもの、目指すことすら恥ずかしいものを全部持ってる憧れの存在

もちろん最初から全てを持ってるわけじゃないし、色々な努力我慢の上に成り立ってるのはわかってる

それでも、「可愛い」を目指せるって特別なことだと思うんだよ

着てる服はいつもおしゃれで素敵だった

流行りの服を着こなすってものすごいことで、誰にでもできることじゃないと思う

いいなあと思う服は試着してみるけど、大体は現実叩きつけられてユニクロとかでシンプルな服買って着てるよ

似合わない服を着るよりも、自分をましに見せれる服を着ることの方が自分にとっては価値が高いんだよね

年相応におばさんみたいな服を着て安心してる方が現実を生きるために必要だと思ってしま

キャッチフレーズの「誰もが恋するお人形」は、本人は冗談みたいに言うけど本当だよって思う

AKB劇場最終公演で着てたドレスは本当に素晴らしかった

可愛くて、美しくて、凛としてて、見るたびにあなたに恋してた

憧れの女の子卒業する今、これからどうやって生きていけばいいのかな?ってずっと考えてる

2017-12-15

定義づけとか表現する用語ができて助かったと思う言葉たち

そもそもタイトルから分かりにくくて申し訳ない。けどね、自分中高生ぐらいのときから何となく違和感を覚えていて、「自分は他の人と違うんじゃないか」と不安になっていたことがきちんと言語化されたり、定義づけされたり、原因究明されて「そういうことか!」と腑に落ちたことがいっぱいあるのでそれを書きたかった。

具体例を挙げると「空気読めない」「コミュ障」「発達障害アスペルガー症候群(この二つを一緒にしていいのか分からないけど)」あたりが一番私を救ってくれた。人付き合いが基本的に苦手で、皆が暗黙の了解としていることが理解できず、「どうしたの?なんで?」と聞きまくっても答えてもらえなかったり、会話のキャッチボールが上手くできなくて飲み会とかで会話がはずまなかったり、ちょっと自分からしかければ仲良くなれるかも知れない人にうまく声をかけられなかったり…というさまざまな現象が「空気読めない」「コミュ障」という言葉でくくって説明できる。そして世の中に自分と同じような人種がいっぱいいて、コミュニケーション下手ゆえに苦しんでいるということに救いを感じる。

あと、私は不器用で、仕事でも家事でも複数のことを同時進行でやれない。例えば仕事で一つのことに取り掛かろうとしているのに途中で電話がかかってきて、「そっちの用件も速攻でやれ」とか言われるとパニックを起こす。元々締切のある仕事でもぎりぎりにならないと取り掛からないタイプなので、そこに想定外仕事が割り込んで来たりするともう大変。しか自分のペースで仕事を進めたいので、自分が「こういう順番でやろうかな」と思っているもの上司かに「○○をすぐやれ!」とか言われてペースを崩されると相手を殺してやりたくなる。あと、部屋や書類の片付けも苦手。絶対に捨ててはいけないものとかなくしたらやばいものは早めにファイリングするようにしているんだけど、途中段階の半端な代物をその辺にほったらかすのでカオス状態になってしまう。

ぎりぎりにならないと仕事かに取り掛かれないのは、単にスケジュール管理能力が低いだけかも知れないけど、複数のものを同時進行できないことに対して、「それは能力不足じゃなくて一種病気なんだよ」と言ってもらえたらどれだけ救われることか。正直どこかの医者に「この人は発達障害から仕事を早くやれとせっついたり、同時に何種類もの仕事やらせないようにしてください」という診断書を書いてほしいぐらい。「仕事休みいから「この人はうつ病です」という診断書が欲しい」というのと同じ発想だとは思うけど、出世とか上司評価とかどうでもいいか自分のペースで最低限の仕事だけやっていきたい自分にとっては切実な願いだ。ま、こういう輩が増えるから特に心身に問題のない健康な人」の負担が増えるんだとは思うけど。

2017-12-12

研究室内でハブられてて精神ヤバい

これはフィクションです.実在人物団体などとは関係ありません.

今,大学院研究室にいるんだけどハブられてるっぽい.なんとなくそれに気づいたのは向かいの席の奴が急によそよそしくなったこと.以前に一度いじめを受けているので知っているが,これは黄色信号.だいたいいじめとかって中核にいる奴と傍観している奴の2通りいて,向かいの奴は性格的に傍観しているタイプ.中核にいる奴らが陰口叩いているところを見て自分に矛先が向かないように保身のために無視し始めたりハブり始めたりする.今回は多分,中核にいる奴らがある程度大人なので,本人の目の前であからさまにハブいたりしていない.なのであまり気づかなかったが,傍観している奴があまりにも不器用であからさまな態度とってきたのでわかった.そんでもって今日陰口叩かれているのを聞いて中核にいる奴が判った.

で,今2つの意味ヤバい

1つは研究室内の同期が1人が数ヶ月前に中退たこと.彼は元々態度に問題があったため研究室内での評判が悪かった.で,まあありがちな話ではあるが,結束を高めるためのターゲットとなり,めでたくハブられて病んでしまってやめてしまった.特に彼と親しかったわけでもないが,陰口叩かれているのを見ててなんとなく居心地の悪さを実感していた.訳あって研究室内でちょっと外れているのがのが俺なので,次ターゲットにされるのは自分だなとちょっと思っていた.多分これから激化するだろうなということでヤバい

もう1つは俺が今,うつ病真っ盛りってこと.これとは別件で文字通り布団から出られなくなって病院行ってうつ病であることが分かってた.正直言ってこの件のせいでパフォーマンスがだだ下がりしてる.進捗がヤバい自殺願望はないが,研究室行くのがちょっとつらくなってきている.幸い,別のコミュニティにも参加しているので,そっちに逃げることでなんとかなるかもしれない.

で,感想なんだけど.人間誰しも合う合わないあるし,人間まれ一枚岩にはどうしたってなれない.そんなことは百も承知である.でも人の悪口を共有し始めると上記のようなことが起きるんだなあ,みんなそこまで他人に興味があるんだなあなどと思ってしまった.

こっから妄想.この状況で思い出したのが若松孝二の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」.ここで描かれているような分派は言ってみれば人間の本性なんじゃなかろうか.研究室は言ってみれば研究内容で分かれたセクトなのかもしれない.当然その中は一枚岩たり得ないし,その中で不満が生まれるのもある程度は仕方のない.でも勘違いした連中が不満のない仲良しクラブを作りたがって枠に当てはまらない人を暗黙のうちに「総括」して,だから彼は研究室内で「敗北死」したんじゃないかな.決して死人が出たわけじゃないけど,なんかそう思った.

ああ,ここまで書いてて思ったが,やっぱり病んでるな,自分.全部被害妄想で,本当は誰も自分のことハブたりしてないじゃなかろうか.たまたまタイミングが悪かったりしただけなんじゃないだろうか.そう思いたい.大体,赤軍研究室を結びつけている時点でどうかしている.端的に言って頭おかしい.人間社会に向いてない気がしてきた.

訳が分からなくなってきた.

明日病院行ってきます

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