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2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170626215134

はい流行りの診断名がつけられただけのよくいるタイプですね。

20〜30年前だったらそのころ流行していた境界性パーソナリティ障害の診断名がつけられていたでしょう。

精神科において診断名は本質ではありません。

発達障害と診断された人(とくに知的障害を伴わない、成人になって初めて診断された軽症例)がなんか勘違いしてるのはそこね。

発達障害自体存在するけど、実はお前が発達障害だとは限らない。

なぜならバイオマーカーが存在せず、医師はお前の主観まみれの症状報告と生育歴の聴取に頼って診断しているから。

これも勘違いしてる人が多いけど、ナンタラ検査だのWISCだのWAISだので発達障害は診断できません。

そして発達障害と似たような症状が発現する精神疾患は多数あり、いずれも鑑別が難しい。

とりあえず、アホみたいなレッテル自分に貼り付けて絶望するくらいなら、まずはアレンフランセスの本、次にジョエルパリスの本くらいは読みましょ。

【追記を読んで】

ガイジ」ってネットスラングではあるけど、もともとは知的障害を持つ子ども揶揄する言葉だよね。

勉強だけはできた」人間自称するのに使用する言葉じゃねえだろ。

あとお前、病名間違ってるよ。

自閉スペクトラム症」か「自閉症スペクトラム障害」だから

ブコメへ】

ADHDには部分寛解という概念があります。現れている症状は固定されたものではなく変化します。

状態像は変化するということを踏まえて、最近診断基準からは不注意優勢型などのサブタイプが削除されていて、代わりに直近6ヶ月間ではどのような状態に近かったのかを特定する形になっています

元増田は薬を飲んだら日常生活に支障がないくらい症状がおさまった、と言っているのでは。

「2級相当は社会に出られない程度」というのも勘違いされているように思います

社会に出られない程度」の社会が具体的に何を指すのかがいまいちからないのですが、3級でも働けない人はたくさんいますし、2級でも働いている人はいます

障害者手帳等級判定においては、日常生活能力の程度が重視されていますね。

2017-06-09

私の通所している就労支援事業所B型

私はうつ病を患い、現在就労支援事業所B型に通所している。

精神3級の手帳交付されている。

役所的にはちょいキチガイって感じだ。

就労支援事業所には3つ種類がある。

A型 雇用契約を結び一般就労を目指す

B型 雇用契約を結ばず一般就労またはA型を目指す

移行支援 障害者一般就労を目指す、ただし利用期間に二年の期限あり

B→A→移行支援の順番で通所しているやつのキチガイ率が高くなる。

今通所している事業所は元々移行支援事業所だった。

ただ途中でB型と移行支援の多機能型というよく訳の分からない形態事業所になった。

私は元々移行支援ときに入所したが多機能型への移行のタイミングB型所属にしてもらった。

生活リズム改善目標だったため、また2年の期限が気になったためだ。

私の事業所では軽作業精神療法的アプローチプログラムなどを行っている。

当初はモリモリと回復していき、これ就職もいけるなーなんて思っていた。

移行支援利用者だけの時はコミュニケーションを取れる、空気を読めるなど障害を言われないと分からいくらいの人が多かったせいもあり、自分自身課題解決就労に向けての努力をすることが出来た。

が、多機能型への事業形態変更。これがガンとなった。

発達障害利用者が急激に増え、恐らく健常者がイメージしてるであろう「福祉作業所」に変わってしまった。

病態がまるで違う人達が一つの場所作業を強いられる。

独り言空気を読めない、軽作業でさえ出来ない、話しかけても反応がない、こだわりが強すぎなどなど。

これにより利用者間のトラブルが多発。

つかみ合いの喧嘩になりそうになったり、急激に怒りを爆発させたり。

カオス

支援者の手も圧倒的に足りてない。質もバラバラ

支援者改善を訴えても「障害には程度があるので理解を」と言われるのみ。

私の通所している就労支援事業所B型では精神障害者理解は十二分に学べる。

何の役にも立たないが。私は他人障害なんてハッキリ言ってどうでもいい。

寛解状態になりかけていた私は利用者が大声を上げて喧嘩を始めた時にパニック発作を起こしてしまった。

それからうつも再発。

今は違う作業所への変更も視野に入れているが、うつの時は重大な決断はしないほうがいいといわれている。

本当に困り果てている。

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519023230

元増田増田と、どっちの言ってることも正しいし、わかるんだけど、

無駄」ってことはないと思うなー。

自殺可能性のある人を声掛けで助けようなんて、網で水を救うようなもん。最悪その「声掛け」が自殺に繋がることだってある。

無駄から気に病むな」ってんなら同意するけど「無駄から何もするな」ってんなら違うと思うね。

ガン患者を治せる家族はいないけど、末期ガンじゃなけりゃ医者に通えば寛解するだろ。

うつ病も同じ。ただ、ガンと違うのは、孤独だとうつ病は治んないってこと。

元増田別に慰めの言葉を欲したわけじゃないだろ。

後悔するかもしれん人に、「出来る事はあるよ」って言いたかっただけだろ。

自分自身自死遺族から無駄ってのはわかるし、自死寿命って僕は思ってる。

からって全部が全部無駄ってわけじゃないんだな。

出来る事があっても、家族にその余力がないのが大半の現実だと思う。

けど、出来る事があるケースもあるよ。

それでも、自死寿命だと僕は思うけどね。

2017-03-30

昔、適応障害になった話

突然思い出しので、しっちゃかめっちゃかだが書いてみる。

特に意味はない。

数えたらもう5年も前のことだった。

いきさつは割愛するけれども、私は適応障害になったのだった。

何をしていても頭がボーッとして集中できず、当時の勤めていた職場は勿論のこと、当時住んでいた場所にいるだけで涙と激しい動悸に襲われて、とてもじゃないけど働き続けることはできない状態だった。

朝起きるとうわ言のように、「逃げたい逃げたい」呟いていたり、物を片付けるのさえも億劫で、部屋が物凄くとっちらかっていたのは何となく覚えている。

当時の詳しい出来事は今でも靄がかかったようで、あまりはっきり思い出せないのだ。

やっぱり正常な状態じゃなかったんだろう。うん。

そんなこんなで、何とか頑張っていたものの、ある日限界突破

上司に「辛くて耐えられないので辞めさせてくれ」と直談判した。

上司はえらく驚いていたが、「辞めると言わず、とりあえず実家に帰ってしばらく休んでみては」と言われ、実家に帰った。

から他の人から聞いた話だが、上司は私の様子に全く気がついていなかったらしい。

当時は、迷惑をかけまいと何とか普通に振る舞っていたつもりだったが、それがうまくいっていたようである

今になれば、「まったく、なにやってるんだ…」という感じだが。

実家に帰ったら、すぐに家族心療内科に引きずられていった。

そして、あっという間に適応障害と診断されたのだった。

先生の診察前にカウンセラーさんとはなしたとき不倫などの特殊恋愛をしていませんか?」と聞かれたときは、「ああ、そういう理由で疲れる人もいるのだな…」と思ったことだけてはなぜか良く覚えている。

適応障害になったことで、自分から離れていった人も何人かいた。

が、大抵の人は側にいてくれて、それだけでかなり救われた。

当時は一生なおらないんじゃないかと思ったりもしたが、薬を飲んで、きちんと休めば、嘘のように元気になった。

適応障害なんかの精神病気は、完治と言い切るのが難しいらしく、

寛解(全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること)

という、表現を使うらしいこともその頃知った。

が、勝手に完治したと私は思っている。

当時の仕事は辞めてしまったが、なんだかんだ次の仕事も決まり、今はすっかり元気で何の問題もなく働いているのだった。

あれは、一体なんだったんだろうな。

ただ、それだけ。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170315234045

この状態で鬱なんだったら自分なんかもう15年以上ずっと鬱だわ。

つかこういう状態デフォから自分ではてっきりいま寛解状態だと思ってたわ。

ちなみに最初の8年くらいが鬱病診断であとの7年が双極性障害という診断。

双極性障害場合元増田くらい動けなくても抗うつ薬などはなかなか出してもらえない。

まあ動けなくても仕方がないじゃない、今はそういう時期だからゆっくり休もうよって言われて放置プレイですよ。

風呂に1ヶ月近く入れず歯も磨けず、外出もできず、月1の通院も親の付き添いなしにできないのに放置プレイですよ。

最近になってやっと抗うつ薬を少量処方してもらえて通院は一人でできるようになった。

そういうわけで元増田鬱病なのか適応障害なのか双極性障害なのか発達障害二次障害なのか統合失調症の前駆期なのか健康な人の一時的抑うつ状態なのかは知りませんが、もしかしたら会社は辞めることになる可能性が高いかもしれません。

ようこそ精神障害ワールドへ!

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307144334

パニック障害は、適切に治療をすれば寛解するよ。

でも、無理解な夫がそばに居たら無理かもしれないから、慰謝料をたくさん上げて別れてあげたら?

2017-03-05

(毒)親との距離感

親に育ててもらったことへの借りを返す必要はない

人間的に尊敬できない親のことを感謝する必要はない

これから自分のことは自分自身で引き受ける。親には投げない

自己効力感を奪う親の存在は、人生のかじとりをしていく上で大きな障害である

もしほんとうにヤバいときはこちらから連絡するし、逆の場合も親を受け入れる


もう親とはこれくらいの距離感でやっていこうと決めた

親のせいでも親のためでもない、自分人生自分のものである

人によっては、このような親離れ・子離れのステップはあたりまえで、無意識的に達成されることかもしれない

しかし、親が自分のことを無力化して自己存在価値を高めようとする以上、こちらから決別するしかない

一度開けてしまったくさいものに再びフタを閉じてしまうことは、もうできない


父親は母を拒絶して家庭に居場所を失い、ワーカホリックとなってうつ病で死んだ

母は勉強しかできない無愛想な自分に、そんな様子じゃ社会でやっていけるはずがないというレッテルを張り続けた

そんな自分社会参加や人との交流を恐れ、もれなくうつひきこもりを経た。うつはまだ寛解への途中である

ところが、いざ働きはじめてみたら意外となんとかなっていて、業務以外の雑談すらできるようになっていた

それと同時に、母に植え付けられたセルフイメージのせいでずっと苦しみ続けてきたことへの憎しみが抑えられなくなった


正直なところ、自分は軽度のASDかもしれない。いわゆる「愛着障害」というものにも該当すると思う

勉強ができることで親が喜んでいると思っていたら、じつはそんなにデキのいい子どもはいらなかったらしい

世間から見ればうらやまれるような大学に入ってしまったが、そもそも母は「学び」や「教育」価値見出していなかった

母は死に体自分に、生産工場検査をするような仕事ならいくらでもあるから早くうちに戻っておいで、と言い続けた

そんな自分も、なにかの間違いでいい大学に入ってしまったが、本当は大卒になることすらおこがましい存在であると思っていた


ところが就活社会参加への恐怖とあいまって、母の望まない学問研究の道に逃げ場を見出し博士号までとってしまった

ただし心の奥では、また身の丈に合わない経歴をつくりあげてしまった、典型的高学歴ワーキングプアの完成である、と自虐していた

重度のうつと復帰のサイクルを繰り返していたころ、幸か不幸か地元にある大学教員ポストの紹介がきた

そのときうつ症状がマシだったので、ここで逃げ出してはいけないと思い、紹介を受けた

しかし次第に、また自分能力とは見合うはずのないところへ踏み出そうとしていることを自問し、うつに舞いもどった


それでも、やっとこれで親を安心させられると思い、安堵している部分があった。面接でも、なんとか健常人のフリをして押し通した

しかし母にとって、社会参加ができない無力な自分実験の「お手伝いさんしかできない存在であり、大学教員になるなどとは想像だにしていなかった

不安に耐えきれなくなって母にほんとうの気持ちを打ち明けたとき、なんでもっと身の程を知って行動しなかったのか、と責められた

今度も「お手伝いさん」の仕事をするのだと思っていた、こんなことになるなら、もっとちゃんと話を聞いてわたしが食い止めるべきだった、と言われた

自分も同じように反省した。自らの無力さにもかかわらず、できるようなフリをしてしまったことへの欺瞞からくる罪悪感で、心がツブレた


ところが今どうなっているかというと、上司ボスとは円滑にやっているし、決してデキのいいとはいえない学生たちをいかモチベートさせるか試行錯誤している

ある日、自分主体的に考えたり行動する能力がなく、いわれたことすら満足にできない無力な存在であったはずなのに、何かがおかしいと気づいた

たまたま自分に合った仕事につけて運がよかっただけかもしれない。しかしこれまでのセルフイメージとは全くことな自己の振る舞いに、自分自身がおどろいていた

もちろんクスリ底上げされている要素はかなり大きい。ただそれ以上に、自己像が根本から書き換えられていくようなフローがあり、かつてない大きな地殻変動を感じていた

これまでに双極性の症状を示したことはないが、このある種の成功体験がまた新たなうつの引き金となる可能性は当然あり、注意しないといけないと思う


地元に戻り、母から物理的な縛りつけを受けることによって、これまでの精神的な抑圧やダブルバインド的な母のやり口に気づくようになった

それからカウンセラーメンター意見も聞き、たどり着いた自分なりの結論が冒頭のものである


これから親との距離感を調整していく過程は、かなり難航するだろう

でも、そのことの負担リスクを引き受けた上で、自分自分のために行動することを決めた

2017-02-11

子供を持ちたいと思えない私は異常なのか

結婚してだいぶたち、結婚当初も今も、子供が欲しいという気持ちほとんど芽生えず、周囲が子持ちになっていくことに息苦しさを感じはじめています

そもそも子供が苦手、ということに加えて、自分精神疾患があったり(今はとりあえず寛解してる状態)、アダルトチルドレンの気がある。

復職後に病気再発を数回経験しているうえ、年齢的にも正社員としての再就職はほぼ無理。

在宅のお仕事をしつつも、生計立ててるといえるレベルじゃなくて、それはそれで自分が嫌になっている状態

この状態で、子供を持てる自分が全く想像できないのです。むしろ恐怖心しか湧かない。

夫は、私が病んでるときにも投げ出すことな治療に協力してくれた人。

子供がそこまで好きなわけじゃないらしく、「無理して子供持つこともないんじゃ?」と言ってくれている。

そして、「子供持つことになったら病気再発するんじゃ?」と心配している。私もそう思ってる。

孫の顔みせて一人前」とか、「子育てしてこそ大人」とか、そんなことを言われたら、今の私は一人前じゃないんだなぁ…とまた自分が嫌になる。

特に最近は、年齢的なことを心配されてか「今産まなかったら後悔するよ」とか言われるし。

そんな安易気持ち子供産んで、その後の子供に私の影を落とすようなことするほうがよっぽど辛いわ。

保育園落ちた、って話を聞いてると、「子無しでも苦しい、子を持っても苦しい」って思えてくる。

希望がなくてつらい。

2017-02-07

アスペっぽくて人の心に寄り添えずに生き辛い

10代前半の頃、うつ病を患い人生で10年ほど頭がクラッシュした状態で過ごしていたが

寛解した後大学を出て働くに至った。診断されたのは20くらいの時で厳しい時代を生き残り

寛解して社会復帰出来たこと自体は良かったのだけど最近、元々発達障害の傾向があったか

もしくは後天的に脳が配線が発達障害のそれに似た物になっているのじゃないか

思うようになった。

うつとは別にから

・人の話をちゃんと聞いてない

・そそっかしくて忘れっぽい

ミスをしやす

・人の意図が読めない

所は私にも家族特に父と弟はその傾向が強い)にもあったのだけど

病気になってから個人に関してはそういう特徴はよりひどくなったと思う

職場で1つ目の部署はあらゆる意味で失敗だったと思う

1回のミスが下手をすると直接的に人の命に関わりかねない業務だったので

全く持って向いていなかった

2つ目の部署業務の内容が私の一番得意なスキルを含んでいたので

数年持ちこたえているが部署間での調整を図るような仕事や事前に決定されたフローにない業務の処理などでミスが多発する。

相手意図した事や、皮肉、表情の情報暗黙の了解がわから

社会人に基礎的ないわゆる報告・連絡・相談を満足に処理できてない

正しい業務の流れの認識特に難しいのは私とそれ以外の部署複数絡んでくるような内容の時だ

逆に得意な分野は暗黙の了解が成立しない場合で私には日本人相手にするより海外の人を相手にした方がコミュニケーションは進みやすい。日本の同僚なみんな私を宇宙人外国人のように感じているのではないだろうか

短期的に業務を回せる場所にいても長い間いて業務が安定してくると

暗黙の了解を前提としていないと話が進まない事が多くなってくる

結局うつ寛解からさらに10年ほど後に私は上司に(直接的には言われなかったけど)病気発達障害?)の可能性を指摘頂いたので病院行ってくることになったのであった

診断はもうすぐ受けることになるのでまだ結果はわかっていないが

仮に発達障害と言われたとしても鬱が出てた頃の地獄に比べれば生命に影響が及ばない状況だと思っているし

先天的障害と言われるこういう症状を持つ人々が長きに渡り自然淘汰を生き延び現代にたくさん生きていること

・変革と革新の激しいIT分野の業種で多いと言われている(私も一応その業種だ)

研究開発分野の集団とか東大生でもこういう傾向はある(と噂されている)

という事を思えば

これは障害というより群れの意向の影響を受けない個体一定割合

存在した事でそのコミュニティの中で前提とされたルールの体系外から

群れの問題解決するのに役立つ集団がいたと考えた方が私としてはしっくりくる

※仮説だけどこれは群れの中にある一定割合で出現するよう調整されているんじゃないか、よく言われている働きアリの法則のように

みんなが平和常識的暮らして満足している場所でははた迷惑しかならんだろうけど

でも上記のような群れが停滞した時に外部から問題解決に役立つよう

調整された集団という仮説が正しければ

社会技術の変革が急激に進む場所でそれとなく人々の役に立てる事はあるだろう、僕のいる分野も(一応)ITだし

たとえ常識範疇迷惑でも評価もされなくても

大型生物に生息地を奪われ海から陸に上がった生命のように

ギャンブラーのような生き方の中から多くは無駄に命を散らそうと大当たりを引き当てる個体は出てくるだろう。そのように自然が作り込んだのだと思う。

そして生命はそのやり方でこれまで上手く進化を回してきたのだろうと思う

はてなを見ると似たような状況でなかなか生きづらそうな人が多いと思う

生きづらい人も生き易い人も皆幸せに生きて欲しいと思う

その人達に話を聞いてもらいたかったり

自分の状況をまとめたかったりではじめて増田投稿してみた

僕の診断結果は近いうちに出るだろう

2017-02-02

首を吊られた話

http://anond.hatelabo.jp/20170201171042

きょうだいが首を吊って死んだ。

きょうだい精神的に不安定なところもあって、通院していた。

良い医師に巡り合えたようで、寛解はいかないがまあまあ安定していたはずだった。

それでも時々モノを投げつけたりしてくることもあったり吊り未遂をしていたりもしたので、比較的安定だったと言うべきかもしれない。

  

さて、きょうだいも吊り未遂時には暴れていたので、吊るのはやはり苦しいようだ。

私はきょうだいの隣の部屋で生活していたので、吊って暴れる音でいつも目が覚めて助けたりしていた。

正直に言えば、今日もうるさいな、迷惑だな、くらいの思いだった。

ところが、吊り成功してしまった日には驚くほど静かだった。

恐らく本当にスーッと意識を失ったんだろう。

きょうだいは痛い苦しいに弱かったから、苦しいのを我慢できたとは思えない。

  

私は自分では吊ったことはないので推測ではあるが、上手く吊っちゃって成功ちゃうと、静かに意識を失うようだ。

その結果、当たり前に死ぬ

きょうだいは、今朝は静かにしてるな、朝食を食べに起きてこないなと思ったら死んでいた。

  

私は吊っちゃった人の遺族であり、きょうだいが吊った原因の一部は、ひょっとして私や家族にあるのかもしれない。

それが故に特に自死肯定否定もしないが、それはそれとして、自宅で突然死なれると大迷惑だ。

まず通報しないといけない。

朝一から警察救急車が自宅にやってくる。

から近所に注目される。

既に出勤していた家族にも連絡して呼び戻さないといけない。

葬儀の手配もしないといけない。

油断すると泣いたり吐いたりしそうになるので我慢しないといけない。

死亡診断書に『縊死』と書かれているのを見て現実を再度突き付けられないといけない。

そんな診断書に対し、医師に所定の料金を払わないといけないのも、文句は無いが、気分は最悪だ。

  

グダグダ書いたが結論を申し上げる。

首を吊ったとかいう話をわざわざネットに書いて愉しんでるようなファッションメンヘラはいますぐ滅亡しろ

本当に不愉快だ。

2017-01-30

人格の使い分け、みんなどうしてる?

職場とかFacebookとかでさ、本当に自分が思っていること、言いたいことを言ってしまうと変な雰囲気になるよね。ネットリテラシーとして常識なんだろうけど。

職場とか家庭とか趣味とかネットとかそれぞれの場所で、人格を使い分けている人は多数いると思う。

俺も人格を使い分けながら社会に適合してうまくやってるつもりだった。

自分職場では、昔ながらの体育会系的な価値観が正しいとされてて、営業から出世した人間が大半だから所謂旧来型の価値観人間ゴルフやるヤツは偉い、社内政治&出世は最重要ミッション、客の靴を舐めてでもビジネスを勝ち取れ、アニメとか見てるヤツはロクなのがいないという考え、等)が多い。そして創業者の作った、この会社で働くならこういう人間に成れ!という本が全社員に渡され、この内容を完全に記憶実践したものけが出世を許されている。

一方自分エンジニア職で、アニメマンガも大好き、ラノベもたまに読む。ゴルフは嫌いだし、出世とか社内政治に一切興味が持てない人間だ。

人に合わせることが出来ないわけではないので、適当上司に話を合わせながら、求められる姿を演じつつ本来の嗜好性を隠して仕事をやっていた。その時は事業部エースと呼ばれる程度に社内での評価も高かった。

でも数年前にキツいプロジェクトを掛け持ちしながら無理をした結果、うつ病になってしまった。休職して時短勤務を続けて、時間を掛けて何とか寛解状態まで持って来たが、以前と同じように求められる姿を演じて振る舞う事が非常に苦痛に感じるようになってしまう様になった。

これから20年30年という長い時間をこれからも素の自分を偽り続けていけるのかと問うと、難しいのではないかと思う。

みんなはどうやって折り合いをつけて生きてるんだろうか。参考にさせていただきたいので、コメントもらえると嬉しいです。

anond:20170129190558

横だけど、自分のかかってた医者は完治という言葉は使わず寛解と言っていたよ。

再発の危険性がゼロになることはないらしいから。

2016-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20161211145048

休職するほどひどい鬱になったことがある。その間に友達も随分減った。

気になることも増えて、相手にそんな気がないとは思いつつも苛立ってSNSブロックしたこともあった。

元気になって思うのは「鬱の人は焦ったりせず休んでほしい」ということ。それこそ生活保護もらいながらでもいいと思う。

でないと残りの長い人生、人につっかかってばかりじゃ生きていけないと感じた。

運良く寛解したけど、そうじゃない人が多いのだし。

2016-11-27

抗うつ薬への精神依存

やめるとき離脱症状がひどいことで有名なパキシル断薬して3週間がたった。

はじめ1週間は、ひどい吐き気めまい、船酔いのような感じが強かったが、もう収まった。

時たまシャンビリがきたり、動悸がしたりはいまだにある。

眠りも浅くて3時間おきに目覚める。

かと思えば仕事中に強烈な眠気が来て、帰宅後早々に布団にもぐり込む→悪夢で目が覚める。

体は疲れていて眠りたいのにぐっすり眠れない、というような。

仕事は、半日と、1日半欠勤してしまったが、何とか踏みとどまって通っている。

精神症状のほうもきつい。

パキシルは力価の強い薬で、ハッピードラッグとも言われる。

私には特によく効いて、中~重度のうつから救ってくれ、はつらつとした明るさをもたらし、人間関係での病みも減らしてくれた。

うつが治って服薬しながら社会復帰した頃は、人に会いたい、話したい、笑いたい、そんな欲求がこれまでの自分じゃない別の所から沸いてきて、

「パワーがあるね」「めっちゃ明るいね」と周りからは思われていたと思う。

そんな自分が割と好きで、薬のおかげでうつ寛解就職もできたと思っていた。

担当医を信じきって、精神的にも肉体的にも薬に依存していた。

いま、脱力感、無気力マイナス思考ループ、泣きたくなるような衝動死にたいような気持ち

に襲われている。

薬との付き合いはもう7年になる。20代の半分以上を服薬しながら過ごしてきた。

以前の自分がどういう性格だったのか、本来自分というものがあまり思い出せない。

もともと人付き合いは苦手で内向的、悩みやすく神経質、真面目で不器用なう親和的性格だったように思う。

治療のためだっとはいえ、パキシルで、うつっぽかった性格底上げされたような気がする。

離脱症状はいつまで続くのだろうか。引きこもりたい、誰にも会いたくない、眠っていたい

こんな症状はいつか終わって、またハッピー性格になれるのだろうか。

薬なしで?

離脱症状不安ネガティブ思考が強まっているせいもあるのだろう。

それが終わったあと、薬なしの自分はあの頃の自分なのだろうか。

それとも、もう少し元気で強い私に成長しているのか?

肉体的にもだけれど、薬への精神依存が一番やっかいなのかもしれない。

2016-10-25

安易双極性障害診断に異議あり

最近やたらとネット上で「私は双極性障害です。」というカミングアウトが目立つ。医師がそう診断したというのが根拠だ。


ネット上でメンタルヘルス界隈を見続けて18年超の私から申し上げると、「一昔前までは、双極性障害を自認するメンヘラーはまずいなかった」という事実がある。病名が、躁うつ病 → 双極性障害 に変わったから当たり前なのだが、じゃぁ以前に「躁うつ病」とカミングアウトしたメンヘラーがいたかといえば、とても少なかった。(うつ病自称者はウジャウジャいた)

精神医学商売にもトレンドがある。世紀をまたぐ頃から長らく「うつ病の診断とSSRI抗うつ薬)の処方」という流行があった。それがここ数年で「双極性障害の診断とラミクタールの処方」に変わった。かなり露骨・・・

SSRI抗うつ薬)に反応しない患者双極性障害治療をしたら治癒するシチュエーションは確かにある。双極性障害なのにうつ病診断されていた患者に、適切な病名が告げられるようになったともいえるかもしれない。

しかし、そんな医学進歩的理由が主因だとは思えない。今、メンタルヘルス医者が儲けようとしたら、薬価の高いラミクタールとエビリファイという、うつ病治療とはベクトルの違う処方をした方が単純に儲かる。加えて、うつ病だと寛解したら治療が終わってしまうが、双極性障害の診断をすれば長期的な通院が期待できる。この二つが真の理由(あえて断言したい)

医療世界でもメンタルヘルス界隈ほど製薬会社戦略安易に乗っかる分野はない。SSRIを売りたいトレンドでは「心の風邪」なる言葉と共に不必要な人にまで抗うつ薬が胃薬のように安易に処方された。それが今、双極性障害の診断の名の下に高価な薬がやたらと処方されている。それだけなのだ

厄介なのが双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、後者抑うつがメインで躁状態は軽微というパターンで、これはうつ病との診断の見極めが難しい。ちょっと前までは「新型うつ病」の新しい概念を使って患者を量産してきた、それに疑義を唱える雰囲気が濃厚になった昨今、精神科医が胡散臭くなくて、薬を選びやす双極性障害Ⅱ型に診断名を変えてきただけだ。こんな恣意的診断にも医療費健康保険から支払われる。長谷川豊的嘆かわしさだ。

私の個人的経験から帰納すれば心療内科メンタルヘルスクリニックの大半は他の医療分野と比較してあからさまにレベルが低い。安易になされた双極性障害診断に納得してはいけない。((参考:気分障害の当事者活動と「双極性Ⅱ型」について))

2016-10-18

鬱病は脳の病気説はオワコン

鬱病は脳の病気だとよく言われているけど、実態は全身どこかの身体疾患の副次的結果なんじゃないか(つまり症候群)という説もある。

例えば、腸内環境悪化ストレスホルモンによる免疫系不全、運動不足なんかがあると慢性化して薬では治らない。

糖尿病患者鬱病とよく似た精神状態になることはよく知られているけど、これは炎症性サイトカインと関連が疑われている。

抗うつ剤には長期服用した際に副作用としてサイトカイン放出を抑える働きがある)

以前どこかの精神科医が「薬で治らないウツは偽物のウツ」と断言していたが、それは誤りで、薬で治る典型的鬱病はむしろ少数。

薬を飲み続けて寛解しても完治しないのは、問題本質である身体症状の方を放置しているからだ、という説を支持するエビデンスもある。

でも、ハード鬱病患者食生活改善したり、ストレスコントロール技法を学んだり、運動したりする精神的余裕はほぼないので、どうしようね。

とりあえず、糖質摂取量を抑えめにする(ただし糖質ゼロNG)。発酵食品を良く食べる。カフェインの過剰摂取を避ける。

睡眠は1日7,8時間程度。少なくともストレッチ程度の運動は続ける。この程度のことから始めるといいのかも。

生活習慣病を防ぐ生活基本的鬱病も防ぐ効果があるので、メタボだけは避けよう。

2016-09-30

あなた宇多田ヒカルありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

私の父は厳格な人だった

ゲームテレビ子供教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた

お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった

高校入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった

しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた

2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった

それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった

母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた

ゲーム漫画もうちにはなく、テレビ自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由時間を満喫していた

今考えれば迷惑子供だっただろうと思う

そして中学入学した頃、色々なことが変わった

私は休日に外出するのを禁止された

私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した

父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた

ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった

流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった

父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた

母は何も言わずに私を見ていた

父は家族食卓という時間を設けた

私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族食卓に遅れた

父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った

私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった

ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と

それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒病院に運ばれた

私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた

それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった

私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た

父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった

私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった

父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった

私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした

私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家平穏を取り戻していった

私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった

私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った

愚かな私は他人気持ちを考える事が出来なかった、自分気持ち正当化するために家族悪者に仕立て上げた

父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった

私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった

父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった

父の症状はみるみるうちに悪化していった

私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した

私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと

それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった

なのに私は全てを無視して、他人気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った

その日父は死んだ

私が高校2年生の春だった

父は書き置きを残した

私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった

知人だけでなく親族にも自死だという事は隠した

家族3人しか知らない

父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった

私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った

私には明確に父を殺したという意識がある

ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと

同時に思う、自分はそんな可哀想自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと

しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと

そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間死ねば良い、どちらにしても自分死ねば良いとそう思う

自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが

ひとえに母と弟のお陰だと思う

私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったか

高校に行きながらバイトをして、大学入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した

お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金実家まで持っていった

それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た

母は私が死なないように心配していたのだと思う

私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった

父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う

でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった

時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる

おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う

そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ち確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない

今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた

用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた

弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった

弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した

続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した

どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた

泣きながら、ごめんごめんと言っていた

ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた

兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった

ホントもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった

でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう

弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた

本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ち無視していた、自分のことだけを考えていた

弟は帰りに誕生日プレゼントをくれた

私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストアルバムをくれたのだくらいに思っていた

http://anond.hatelabo.jp/20160930010427

このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った

しかしたら弟はこのプレゼント話題きっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが

とにかく、知ることが出来てよかった

衝動的に書いたので読み辛いだろうけど

ありがとう

追記

昨日発作的にこの文章を書いてから、少し後悔していました

笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした

父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです

意を決してこのページを開き、はてなブックマークコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました

おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした

結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません

もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分気持ちを本当にこんな簡単言葉で表す事ができるかは分からないのですが

今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます

改めて元の記事を書いてくれた方と宇多田ヒカルさんへ

そして優しいコメントをくれた皆さんへも

ありがとうございます

2016-08-15

セロトニンデプレッション

セロトニンが出ないと鬱病になるとか言って薬を処方しているけど、何だよ。

鬱病なのにセロトニンちゃんと出てる人とか、逆に出ていないのに鬱病じゃない人とかもいるらしいじゃん。

じゃあ、セロトニンって何なんだよ。鬱病関係ないんじゃないか

SSRIを飲んで鬱病が完治(寛解)する人って服用者の半分もいないのか。意味不明じゃん。

2016-06-25

超絶ネガティブな俺が3年間ネガティブなことを言わずに過ごした結果

結果だけを10つ列挙する。

1. 親との関係悪化した。どうやらネガティブなのは親子関係を安定させる何かだったらしい。母は世話焼きタイプ

2. 交友関係が劇的に変わった。周囲にポジ脳というか、ちょい意識高い系ばっかりになった。やや疲れるが別に嫌じゃない。

3. 会社スピード出世した。「無理です」と言わなくなったので、自動的に困難なルートばかり歩むようになったので。

4. 人脈が広がった。飲みの誘いやイベントへの出席を断らないので、結果的コネが増えた。

5. 無趣味になった。前はTVゲーム趣味だったが、仕事が忙しく休日も人付き合いで潰れるので趣味時間がなくなる。

6. 鬱病寛解した。高校時代から鬱っぽかったが、ネガティブ自己暗示をやめて行動力が増えた結果か。

7. 彼女と別れた。相手メンヘラで(所謂共依存関係だったが、俺のポジ転向関係悪化→お別れに。

8. モテなくなった。今までは病み系の女子とばかり仲良くしてたせいかポジ界隈に多いキラキラ女子から距離を置かれる感じ。

9. 悩まなくなった。忙しくて悩むヒマがない&人付き合いに耽溺しているので寂しさを感じにくい。

10. 不安が消えた。コネが増えて仕事も順調、メンタル改善したので、将来が前向きに考えられるようになった。

結論として言えば、現状には満足しているが、良い事ばかりではない。

人生前半の経験の蓄積が通用しなくなった分、生まれつきポジ脳の連中と比べると中途半端な感じなんだろう。直感的に見抜かれるみたいだ。

結局のところ、変化の結果は割りとどうでも良くて、結構人生って意識がけ次第で色々と変わるんだな、という方が良い経験になった。

自分人生に退屈しまくっていたので、ポジ転向後の刺激の多い生活は悪くないと思っている。

けど、疲れたらまたネガ脳に戻ろうかな。その余裕があるうちは戻るつもりはないけどね。

2016-05-03

婚活サイトに1か月間いてわかったこと

当方スペック

70年代まれ。♀。身長161センチ、ややぽっちゃり大学理工系)卒。結婚歴なし。

自分で言うのもなんだがちょっとツンケンとした美人系だと思う。

年末に大病を患い仕事をやめ実家に身を寄せている。うまく言えば「家事手伝い」。

 

なぜ婚活サイト登録たか

病気はどうやら寛解一歩手前までたどり着いたものの、通勤不可能

同じく大病を経験した友人に打ち明けたところ、

絶対婚活したほうがいい!」

彼女経験を基に強く説得されたので、なんとなく登録

 

登録して1か月経ったいま感じていること

もうあんな所無理。ダメ絶対

 

なんで無理なの? なんでダメなの? 根性ないなお前。

ではその理由を詳しく説明します。

いっき主観で書いていくのでその辺は勘弁。

 

日本語すらままならないヤツが多い

一行だけ

「おつきあいして下さい。よろしくお願いします!」

とだけ送ってくるヤツが結構いる。

大抵そういうのはプロフィールも貧弱で、どこから話のとっかかりをつかめばいいのかわからないレベル

それでもこちらは返事を返す。丁寧な文面を考えてね。

するとこちらの文章表現はガン無視

「僕は日本語が下手なので文章は書けません! とにかくおつきあいして下さい! よろしくお願いします!」

と返事が返ってくる。お前はオウムか?

それで「あなたが書いたプロフィール以上のことを私は知りたいんです。あなたのことを聴かせてくれませんか」

と返事すると、いきなりお断りメール

それも、サイトの標準装備でお断りの文面を生成するサービスがあるので、

だいたい6〜7行ある、よく練られているけど慇懃無礼定型文が返ってくる仕組み。

 

いっそ最初に送るメール自動で文面を選べる機能にしたらどうだ?

 

ここまでひどくなくても、こっちは「身体が弱いのでスポーツ系の活動はできません」

プロフ最初に書いてるのに、

「一緒にフルマラソンに出ませんか」

とか書いてくる奴もいた。もうこの時点で泣きそう。

 

アプローチコミュ障っぽい

いきなり初対面(というか、顔すら会わせてない)人間に、

ボッティチェッリ展を観に行ってそのあとラブホテルに行きましょう」

かいメールを送るか??

 

ほかにやりとりが続いた例としては、なんとなく流れでこちらは今日起こったことを書いているんだけど、

返事が

「なるほど、それはよかったですね(^^)」

といつも返ってくる。いつもこの1行だけ返ってくる。それでも眼をつぶってた。

ある日

「うちのねこ喘息発作を起こして心配です」

と書いたら

「なるほど、それはよかったですね(^^)」

ときたもんだ。即座にお断りしました。自動生成ではない文面で。

 

LINEユーザマジ勘弁

プロフに「LINEは使っていません」と書いていたんだけど(単に嫌いで使っていなかっただけ)、

あんまりにも

LINEID教えて」

というリクエストが多いので、しかたなく入れました。

そうしたら、いちにちの半分くらいLINEに費やす状態になってしまった件。

こちとら無職で、就職活動してるんだけど、そういう事情無視

「どうしてすぐ返事をくれないの?」

とか、お前はほんとうに30代(それ以上もいた)か? と文句つけたくなった。

 

こちらもだんだんすり減ってきて、LINEID携帯電話契約ごと解除して、

メールしか連絡しません、とプロフ変更した。

それ以降知り合った人間とはGmailで遣り取りをしたんだけど、

今度はGmailがいちにちチャット状態

バイトの休憩時間メールチェックしたら40通以上メールが入ってたときも。

 

結局Gmailアカウントごと潰しました。

 

これから婚活サイト登録しよっかな、というひとへ

まず登録婚活につかうメールアドレスヤフーメール無難

Gmailはやめとけ。

ヤフーメールだったらエイリアスも使えるし、着拒もできる。

 

それと、上で書いたディスコミュニケーションは「ほんの序の口」だと思ってね。

ほんとうはここに書けない事情警察にまで行ってしまったので

ストーカー行為と思ってくれればほぼ正しいです)。

 

それでも婚活サイト登録しようとするなら、

いちにちの半分以上は婚活に費やされると考えたほうが適当

下手すると仕事に影響が出かねないレベル

あ、あとソメイヨシノには気をつけて。男女ともに。

気をつけていても引っかかりそうになる。それくらい多かった。

 

そういうワケで、婚活サイトはもうこりごりです。

 

このGWから婚活していることを周りに公にしていますが、

みんな案外親切にしてくれて、

最初からオープンにすればよかった…と反省してる。

眼鏡で見られる、と思っていたけど、そんなことはぜんぜんなかった。

婚活サイトでのこともいつか笑って話せるようになれますように。

2016-04-28

境界性人格障害のなれのはて

アラフォーのおばさんです、10代~20代典型的ボダでした。

お決まり自殺未遂パニック障害、薬物依存セックス依存に買い物依存摂食障害

幸か不幸か見た目がよく尻が軽かったため次から次へと言い寄ってくる男性渡り歩き、

共依存のアリジゴクに相手を引きずり込んで追いつめてきた。

一般的ボーダー成熟によって寛解することが多く、

30代半ば以降は半数以上の人は表面上は「ふつう」の人として暮らしているという。

私も例にもれず、症状のひどかった20代半ば~後半に安定した正社員仕事を失い、

30代にかけては離婚も二度経験したが、30代半ば~40代にかけて徐々に落ち着いて、

現在契約社員ながら一応職もあり、イネイブラー傾向を持ってはいるがそれなりに真っ当な恋人同棲中。

さんざん自殺未遂してきてくたばりぞこなっているから、死ぬまで淡々と生きるしかないと腹はくくっているが、

今も時々どうしようもなく死にたくなる。

この年になって劣化して寄ってくる男も激減したし、

自分性質を知り抜いたうえで、性的に逸脱しないような環境自分を追い込んでいるため、

恋人以外の人とは寝ないようになったが、

時々むしょうにほかの男性と無茶なセックスをしたくなる。

一生こういう風に心のどこかに消えないむなしさを抱えて、

自他を傷つける衝動がくすぶったまま生きていくのかあと思うとしんどいなー。

有意義人生幸せなんていまさら望みもしない。

今息をするのにせいいっぱい。

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