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2019-06-12

うつ退職した人間から

久しぶりにはてな使うので使い方からググった。

パナを退職したり勤めてる人のを読んでると、自分が辞めた頃と変わってるところ変わってないところがあるので興味深かった。

https://anond.hatelabo.jp/20190612010558

相変わらず朝会や昼会で綱領信条、七精神の読み上げとスピーチやっているのは松下幸之助創業者文化伝承しているのだなと意外。

自分がいた頃は社歌も歌ってたが社名が変わってから止めたのか?歌詞に社名が入っていたかどうか忘れたが。

十数年、綱領信条、七精神毎日声に出していたが結局覚えられなった。

スピーチは毎回何を話したらいいか悩むことを、当時の上司雑談してる時に話したらマジで叱られたことがある。

「それを考えるのが技術者や」

今だにその真意はわからないでいる。ちなみに当時の上司は今のパナの社長をしている。

結局自分は1、2分のスピーチで笑いを一回はとることを目標にしていた。これは今でも役に立っている。

eチャレンジという社内転職制度は相変わらずあるのだな。

上司にも内緒社内転職先と交渉して転職が決定してから、あとは上司に報告すればよい制度

自分のやりたい仕事と違いスキルが生かせないと思えば転職先と交渉すればよい。

もちろん転職先で生かせるスキルもなく今の職場が嫌いとかの理由では先方にも相手にされない。

サービス残業がないとか書いてあったのでそこは良い方向に変わっている。

部署によるのかもしれないが読む限りは勤怠でごまかしが効かないシステム採用してるようだし。

自分の頃は当然のようにあったし有給消化なんかできなかった。その日に有給をとったことにして幽霊として職場仕事していた。

遠方の祖母が亡くなった時に2日休むことをルールに従って申請したら「そんなに休むんか」と言われたこともある。

ただ土日祝は確実に休めた。自己啓発ということで土日に出て勉強する制度を利用して仕事してる社員もたまにいた。

うつ病対象保険があるのもいいことだ。

今はうつ病に対して理解ある会社になっているのだろうか。

自分の時はメンタルヘルスに関して全く理解がない頃だった。

ここから自分エピソードだ。長文の恨み節愚痴になるだろうからラクガキ程度に思ってほしい。読みづらくあえて詰めて書く、

自分上記上司との関係が悪くなり、うつ病発症した。

全く連絡を受けてない会議に呼び出されて「なぜ会議に出ない?資料をなぜ用意してない?メールしたやろ」と

罵倒された場面はいまだにフラッシュバックとして発作として現れるし夢にも出る。

単純に上司自分メールしてなかっただけだったのだが、それを話すことすら怖くなっていたのでかなりの重症だ。

電車でも隣の車両上司がいるのではないかとか職場でもトイレで首吊ることばかり考えていた。LANケーブルはすぐそこにあったし。

対人関係スキルを身に着けることは大事なことだ。

ある日上司から呼び出され転属願を書かされた。転属理由上司が話す言葉をそのまま書き写すだけ。

転属後はお決まり休職復職を繰り返すパターンだ。

休職期間はかなり長くとれるし安くなるけど手当も出る。これはベンチャー企業では無理だろう。

ただ復職が難しかった。

主治医復職可能診断書を書いたので復職すると人事に持っていったら人事担当

うつ病は完治した」という言葉がないと復職は認められないと言う。

うつ病寛解という言葉はあるが完治というものはない。

当時のあの会社の人事ですらメンタルヘルスへの理解はその程度だったのだ。

その後も休職してしま復職可の診断書を持っていくと転属先上司人事部長と面談となった。

現在早期退職者を募っているので利用してはどうかと。一ヶ月後が締め切りとのこと。

聞けば早期退職は何ヶ月も前から募っていたそうだが今まで何も連絡がなかったということと、辞める気はない旨伝えたが

かなり色々言われた。こういう時はボイスレコーダーで録音しておくほうが良い。

理解できてないようなのでちゃんと奥様加えてご説明したいと自宅まで来るという。

妻も仕事を休まないといけないので断ったが強引だった。

その日の夜7時に来た人事部長の第一声は「会社と家まで遠い」だった。

距離は遠いが時間的には1時間半と普通範囲だし同じ駅から通っている社員もいる。

どうも電車の乗り継ぎがへたで余分に時間がかかっている。

この第一声はもちろん辞める理由にしてほしくて言っているのである

人事部長「私は〇〇さんは適応障害だと思うのです」

医者は別の病名を言っているのだが何故か人事部長が診断名をつけている。

で、社風と自分が合っていないのではないか。だから転職をすすめると。

一緒に来た転属先上司休職期間は何をしていたのか」

自分最初の頃は家にひきこもって療養してましたがおかげさまで外出できるようになりました」

上司図書館へ行って資格勉強をするとかしなかったのか」とあきれた顔で言う。

ボイスレコーダーで録音しておいたほうが良い。

当時の労働組合はこういう時は全く役に立たなかった。

組合活動動員で当時の某野党議員の多量のビラを各家屋に入れて最終電車帰宅とかやらされたのに役に立たん。

結局あきらめて退職して、今ではうつ病として障害者手帳まで持っている。

退職判断は今では結果的に正しかったと思うし、障害者になり低収入暮らしているが

家族とそれなりに幸せに暮らせている。

ついでながら

自分は当てはまらないが、パナは才能知識そしてスキルもある社員がたくさん集まっていた。

天才変態紙一重みたいな技術者もいた。

優秀なのにつまらない仕事ばかりでいやになって転職した先輩もいた。もったいない

今の社長就任する前まではそんな優秀な人材を生かせない会社だったのだろうとは思う。

記事を読む限り、今は変わってきてるようだ。

パナの制度環境をうまく生かして面白く働いてほしい。

2019-06-05

anond:20190605134832

長々うつになってるとそうやって疑心暗鬼になったりすることがある。同じ長々うつをやってる人間として申し訳なく思う。

家族だけでどうにかしようと思うと確実に潰れるし、薬だけでは寛解に至らないと確信している。

離れていい。大丈夫だ。

本人ではないけれど、自分がこうなったら見捨ててくれていい、と思ってる。

保健センターカウンセリング生活支援センター。なんでもいい。全員共倒れになる前に、他の場所とつないでほしい。医者に通うだけじゃダメだと自分経験で痛感した。

なんの救いもならないかもしれないけど、見捨てないでいてくれてありがとう。俺も家族に謝ることにする。

本当に良くしてくれて、ありがとう

もう楽になっていい。

愛だけでなんとかできるような病じゃないから、どうか他の家族自分を守ってほしい。

2019-05-27

うつ病患者の進路相談

○私のプロフィール

30歳

女性

うつ病患者(精神障害者手帳は未所持)

独身

簿記3級、普通自動車免許あり

これまでに正社員2社、契約社員1社、派遣社員1社(派遣先は3社)

一昨年末うつ病と診断、それから派遣先を変更するも遅刻、欠勤が目立ち昨年末派遣契約満了

現在主治医判断の元、治療に専念しています

無職になってもう半年近く経ちます

質問内容

無職状態でひたすら休養しており、そろそろ働きたいと思っています

主治医とも相談して社会復帰していきたいのですが、その際どんな仕事をしていけばいいかからず困っています

まずはどんな仕事をしていけばいいかわかりません

やりたいことは、事務職、または未経験ですがマッサージお仕事などをしたいです

人間関係が苦手なのでコールセンターなどの個人プレーの所もいいなとも思っています

ですが、この歳でとってくれる場所なんてない気がしますし

時給制の仕事不安定なので悩むところです

将来的には寛解および一人暮らしをしたいです

一人暮らしをしていくための賃金を稼ぐにはノースキル、糞履歴書の私には難しい気がしますが、どうにかしたいです…

2019-05-25

anond:20190521170419

私は統失の女で、私自身が結婚式をしたくないのと、幸い旦那の知人にも結婚式を挙げてない人がいたか同意の上で行わずに済んだ。

自分結婚式に呼べる友達がいないけど旦那友達が多いから、友達多寡相手方にどう見られるか考えるだけで嫌。ただでさえノリ気じゃないのに、結婚式をするまでに何度も打ち合わせや話し合いをしなければいけないということを、考えるだけで無理。

それと、彼は自分の心身に我慢させて前職を続けることより働きやすさを選んだのだから、やりたくないことをやりきる余力がないんじゃないかな。

それでもあなたはやりたいというならやりようはあるんじゃないかな。

たとえば先に入籍だけして彼が「結婚式をやってもいい」と思えるくらいまで待つとか(結婚して2年くらいして、結婚後の自分という状態に慣れてから、すべての段取り旦那がつけてくれるなら結婚式してもいいくらいに私は思えた。できればやりたくないけど)。

彼不参加の、あなたと友人だけのパーティーを開くとか。

それと彼側の金銭負担はできる限り感じさせないように気を遣うといいかもね。

体調都合で前職を辞めて、鬱寛解状態での再就職ってことは、次の仕事を続けれることができるか本人目線では心配かもしれないし。運良く続けれても、会社都合で途中で雇用を切られる心配もあるし。

それと精神の薬の副作用男性勃起不全・射精障害になる人は多いらしいし(知人男性がそうだった)、男性にとっての勃起できない・射精できないは尊厳に関わるくらいショックなことみたい。だから夜の営みが少なくても、途中で失敗しても、責めないであげてほしい。

彼と続ける気なら子どもはできたら嬉しいくらいの気持ちがいいと思うよ。

2019-05-24

anond:20190521170419

私は友達10人もいないから、きっと婚約者の友人が全国から集まるパーティーなんか開かれたら死ねる。友人を呼ばないフォトウエディングはいいけど、婚約者友達パーティなんか興味ねえし金もかかるしやだわ。嫁と結婚して、嫁の家族と親戚になっただけであって、嫁の友達結婚したわけじゃないじゃん。自分は人の友人紹介されんの無理だし、鬱寛解状態なら尚更だろう。

増田旦那がどうだかは知らないけど。

anond:20190521170419

自分なら結婚式をやりたくない理由を掘り下げて対策と、やりたくない理由を上回るメリットをあげて説得かな。

彼が友達を呼びたくないということは、人付き合いは苦手なタイプでは?

例のBBQで泣いた増田のような感じなのかなと。

もしそうなら、新婦側の友達しかいない、顔も知らない人が多いパーティーは相当キツいと思います

新婦友達がまったく知らない思い出話しで盛り上がっているところ、新郎はただ頷くしかないとなると、かなり疎外感やストレスが溜まることか予想されます

特に精神的な余裕があるとかならまだしも、うつ病から寛解したばかりの彼には負担が大きすぎるかもしれません。

うつ病に完治はなく、寛解です。そして再発率も高い。

結婚式をなんとしても挙げたいのなら、彼のストレス源を除いた結婚式パーティー企画するか、頑張って彼をその気にさせるのが良いかと思います

2019-05-21

部屋の天井に貼ってご唱和ください

xevra 運動瞑想しない者の末路はいつも悲惨だ。なぜやらなかったのか?一度壊れた脳は二度と元へは戻らない、医者ありのままを伝えて寛解を狙おう。お大事

2019-05-13

anond:20190513134138

テレビシリーズ加味したら断然コナンのほうがきついと思う

言うてアベンジャーズ23本とかだし。ドラマ全然絡まないかスルーOK

(薬を飲むと一時的高校生に戻れるようになったらしいのが結構衝撃だった)

マジで?一日三回薬飲んで寛解、ってことでダメなのか

2019-05-12

移動時間を上手く使えっていうけど

あんなもん、乗り物に酔わない奴らの妄言だよ。

選民思想といっても過言ではない。

生憎と私は死ぬほど乗り物酔いをしやすい。

電車新幹線フェリー飛行機高速バス。なんでもござれで瞬時に酔う。

なんなら車の助手席で窓を開けてても偶に酔うくらいには酷い。

(自分運転してても段差が多かったり長時間運転してると酔う)

酔い止めもダメストレッチダメ三半規管を鍛えようと色々やったけど症状全く寛解せず。

そのせいで、乗り物に乗る時は、必死で前を見ているか眠ることしかできない。

横や後ろを見ていたら、十分もしないうちに気持ち悪さで限界になるから


から、私は移動時間を上手く使う発言が憎らしいし、同時に羨望の対象になっている。

新幹線スケジューリングとかPC作業をやるサラリーマンが眩しい。

夜行バス、隣の席でプロレスだかの週刊記事遂行して書いていたライターおっちゃんが羨ましい。

電車のどか山村地域をバックに、小説を読みふけっていた眼鏡のお姉さんが輝かしい。


そして、それらが出来ない自分が悔しくて、恨めしい。

移動時間を上手く使え、と執拗に言ってくる輩に文句の一つでも言ってやりたい。

その選択肢が無い人が、少なくともここにいるんだ、って。

2019-05-08

大学やめていちばん後悔してるのは、交友関係の変化だなあ

 

教養層は会話の前提が違いすぎてきつい

何かの拍子にうつ病の話になったときに、こころ病気は甘えみたいな人が普通にわくのが非常にダルい

 

精神病神経伝達物質の分泌や受容体に異常が出ていることも、そこに作用する薬剤で寛解する場合が多いことも、

まりは脳の障害であることもとっくの昔にわかっていることなのに

そういう知識の前提がないんだよな

2019-05-03

マーベル自分と7年+α の続き

なんか長すぎて表示されてないっぽいことに気付いたので、表示されてない部分のコピペ

これ

https://anond.hatelabo.jp/20190503032712

の続きです。

【注意】この文章には「アベンジャーズ/エンドゲーム」のネタバレが含まれます

【注意】自分語りがメイン。

【注意】とても長い。

病院とは、急性肝炎を起こしたことを切っ掛けにおさらばした。

劇症肝炎を疑われてでかい総合病院に転院→ただの急性肝炎だったし肝炎寛解→そのまま退院、自宅療養という流れ。

ICUでおとまりした。ディズニーホテル並に高かった。

今でこそ笑い話だけども、吐き気でげえげえいってるとき最初に運び込まれた先で医者が親に「劇症肝炎だったら50%確率、あと10日くらいで死にます」と言っているのが聞こえたのだった。

医者倫理観とは。

結局最初に運び込まれた先では対処できないとなって別のもっと大きな病院に運び込まれたんだけど、輸送中車の窓から花火が見えて、「死ぬ前の最後花火だあ~」と笑ってたら母親ガチ切れされた。

肝炎を起こしている時は絶食になるんだけど、数日の絶食ののち病院食が出たとき、別の意味死ぬかと思った。

食べるのにものすごく苦労する。一口噛むだけで汗が噴き出る。

最初食事は、看護師さんを待たせながら何十分もかけて食べたような気がする。脂汗がひどかった。

生きることは食べることってこういうことかあ、って今でも思っている。

大学食事に要するエネルギーはとても大きいとは習っていたけど、それを実感するとは思わなかった。

退院した後、母親関西旅行に連れて行ってくれた。

USJスパイダーマンライドに1日で3回くらい乗った。楽しかった。トニー(というかアイアンマン)を見つけて大はしゃぎした。

でも母親めっちゃ優しくてとても怖かった。

エイジ・オブ・ウルトロンに関してはほとんど記憶がない。

劇場を出て、トイレで泣いたのだけは覚えている。

ピエトロの死が耐えられなかった。

たぶん、MCU作品の中で最初に泣いた作品はこれだ。

劇場はしごする予定で席を取っていたものの、びえびえ泣いているもんだから、同行してた母親心配されたけど、涙が止まらなかった。

クイックシルバーなんて自分の中ではネタキャラ的な愛し方をしていると思っていたのに、いざ映画に出てみたら悲しくて悲しくて仕方がなかった。

でもこのときは、X-MEN権利を持っているフォックスとの兼ね合いもあって、ピエトロは一回きりにするしかないんだろう、そういう大人の事情があるんだろうと思って我慢した。

それでも、映画を見ているときエンディングまでのどこかで再登場するんじゃないかって、そう淡い期待を持って見ていた。

リントが子供名前ピエトロとつけたところでもうダメだと分かった。

AOUはその他にも、原作ではハンク・ピムが作ったことになっているウルトロン制作者がトニーになっていたり、JARVISが死んでしまったりと、ダメージが大きくて、今でもいいイメージがない。

かについにベタニーの中身?が出現したのは嬉しかったけど、それ以上に悲しかった。

ビル・ウォーが公開されたときが一番面倒だった。

ファン意見割れた。もう映画のものを滅茶苦茶に叩く人がいっぱい現れた。

なんであんな口汚く罵れるんだろうって思うくらい凄かった。

トニーとキャップコンビが好きだった私もなんとなく熱が冷めて、少しアメコミマーベル映画から距離を置くようになった。

もともと人付き合いなんてめんどくせぇと思っているタイプだったのに、ファンの諍いなんて頼まれても見たくなかった。

トニーが一番好きだったけど、キャップのことも好きだったから、それぞれを悪く言っているのが辛かった。

その後のMCU作品は、CWほど足繁く通わなくなった。CWは少なくとも7回くらい見たらしい。

後半になるほど顕著で、アントマン&ワスプ劇場で見なかったし、キャプテン・マーベル劇場で1回しか見なかった。キャプテン・マーベルは公開前にトニー出るらしいよという噂があったから見に行っただけで、その噂がなければ見に行かなかった。ご存知の通り噂は嘘だった。確かドクター・ストレンジも1回しか見なかった。

トニーがいないからいいや、というくらいにはスキップするようになっていた。

それよりもWロバート主演の「ジャッジ」や、RDJが凄い変な役で1チャプター分だけしか出てない「シェフ」や、コードネーム U.N.C.L.E.を見ているのが楽しかった。

コードネーム U.N.C.L.E.はいいぞ。劇場10回見た。耐えきれなくなって既に海外で発売していた海外ブルーレイぽちって、届くまで一日おきに映画館に通った。公開してから20日目にブルーレイが届いたので、それから毎日家でブルーレイ再生していた。

エンドゲームは、吐きそうになりながらパソコンに張り付いて初日初回IMAXの席を取った。

入場者特典が欲しかったので、公開日2回、翌日も2回、席を取った。どの席もいつもだったら絶対に座らないようなクソみたいな席だったけど仕方がない。3日目は母親が同行してくれるとのことだったので、1回だけにした。

アベンジャーズとの出会いを果たした109シネマズグランベリーモールは休館中なので、その後オープンした二子玉川にした。

ビッグ3のみならず、アベンジャーズ初期メンバー6人の卒業公演になることはなんとなく知っていた。

前々からクリエヴァがキャップ役を卒業して映画監督をやってみたいと話しているみたいな話は耳にしていたし、それぞれのキャスト契約満了することも知っていた。

公開当日、恐怖のあまり3時に目が覚めた。

終わるのが怖かった。

ネタバレを一切見ないように気を付けて、家から劇場までノイズキャンセリングイヤフォンを付けて移動した。Twitterも見ないようにしていた。ニュースアプリの通知もきり、劇場フィギュアメーカーからメールも数日前から無視していた。

これまで見たことがないくらい混んでいる物販に並んでパンフレットを買った。ついでにグッズも売りきれる前にと買った。実際1回目を見終わった時点でいくつかグッズが品切れになっていたので買っておいて良かった。

映画は、素晴らしかった。

EG含め22作品アベンジャーズ一作目と出会ってから7年。全ての作品内包する出来だった。

笑ったし泣いたし、面白かったし苦しかった。

ビッグ3の結末はあまりにも悲しかったけれど、トニーとキャップに関しては、文句のつけようがなかった。

後述するけれども、ソーはちょっと今後の課題が残っている気もしている。

トニーは死んでしまったけれど、私は自分でも驚くくらい納得していた。

そういうことをするキャラクターなのは分かっていた。誰よりもヒーローっぽくなくて、誰よりもヒーローなのがMCUトニーだった。

お葬式のシーンを見ながら、私はぼーっと「これでもうトニーは苦しまなくて済むんだな」と思っていた。

数回見てようやく聞き取れたけど、トニーに言われたように、と自分人生を歩んだキャップにも納得がいった。

憑き物が落ちたように見えた。ヒーローであらねばともがいてきたキャップが、最後にようやくトニー(とナターシャ)の助言を聞き入れて、自分本来望んだ道を選んだのは嬉しかった。

(欲を言えば字幕にもトニーの文字を入れて欲しかった)

もちろん細かい突っ込みどころは沢山あるけれど、架空ヒーロー像に自分を当てはめてこれまで過ごしてきたキャップが、一人の人間としての道を選んだのは彼なりの成長だと私は思った。

もちろん、本当は大団円が良かった。

最初の6人が揃ってハッピーエンドを迎えて欲しかった。

でも、それはきっと無理なんだろうと、AOUピエトロが死んだときから思っていた。

JARVISが戻って来ない時点で、私の中の最高のハッピーエンドはもうないものだったのかもしれない。

ソーは、インフィニティ・ウォーから不安定だった精神が更にズタボロになって体型にまでそれが表れていた。

病気になると太ったり痩せたりとにかく健康に見えなくなるのは実体験としてよく分かる。

から、結局最後までお腹がひっこまなかったソーが今でも心配だ。この先ソーのその後が描かれるのかは分からないけど、正直綺麗に完結したトニーとキャップに比べちょっと扱いが酷いと思った。

最後のクイルとの会話もなんだか含みがあるように見えて心配が加速した。

それでも総評して映画は素晴らしかった。

EGを見て、こんなだらだらと長文をかいしまうくらいには。

初めてスクリーンアベンジャーズを見たあの夏から7年くらい。

いろんなことがあって、実際私は学生から社会人になった。

その7年間、私の部屋にはいつもアイアンマンがいた。

ありがとうと言いたい。

トニーに、トニーを演じたRDJに、映画を作ってくれた制作陣に、そのほか全ての関わってきた人たちに。

マーベル自分と7年+α

【注意】この文章には「アベンジャーズ/エンドゲーム」のネタバレが含まれます

【注意】自分語りがメイン。

【注意】とても長い。

忘れもしない2012年夏、109シネマズグランベリーモール

ダークナイトライジングるろうに剣心と2本続けて映画を見た私はがっかりしていた。

映画が期待した出来ではなかった。

ダークナイトヒース・レジャーの怪演に痺れた私はその完結編に多大な期待を寄せていた。

しかし、蓋を開けてみたら結局洋画によくある核オチだった。ハリウッドはすぐに核を使うよな、と核ネタが大嫌いな私は肩を落とした。

ヒース・レジャーの出ていた二作目の方が面白かったな、と思った。

続けて見たるろうに剣心は、もともと私が大好きな同名漫画の実写ものだった。

るろうに剣心」は、ガリ勉でつまらない人間だった小学生自分に多大な影響を与えた。

小学生のころ、親の願い通り某有名中高一貫進学校に行くために、毎日勉強をしていた。

勉強以外のことは何もしないし、興味もない本当につまらない人間だった。

父親が「勉強さえすれば家の手伝いなんかしなくていい」という教育方針だったため、その言葉通り勉強以外、何もしなかった。皿洗いひとつした記憶がない。ピアノ練習くらいしかしなかったし、ピアノも親の希望で習っていただけで、別に自分からやりたいと言ったわけではなかった。

本を読むのは好きだったけど、だからといってどうこうするアレは何もなかった。将来の夢なんてものバカにしていたので、同級生が将来○○になりたいと言っているのを見てなれるわけねーだろ、と思っていたし、そんなものを聞いてくる大人のこともバカにしていた。

でも、大人に気に入られないといい成績が手に入らないので、本が好きです、小説家になりたいですと答える口実にしていた。

いやな子供である

それはともかく、そんな折、1冊の本が自分を狂わせた。どこで出会ったのかは覚えてない。親が図書館から借りてきたのかもしれないし、塾で良い成績を取ったご褒美に本屋で買って貰ったのかもしれない。

それは「るろうに剣心」のノベライズだった。

これ。

https://www.amazon.co.jp/dp/4087030512/

漫画は買って貰えなかったので、もちろんキャラクターはみんな知らない。でもこの本はこれまで読んだどの本とも違う魅力があった。要は好きになった。

そして、漫画を一切読んだことがないのに、続きが読みたくて、でも買えないから、仕方ないので自分で書いた。

は?って感じだけど、なぜかそういう思考に至った。

はじめての二次創作。後に知ることになるものの、当時そういう文化があったり、同人誌を売り買いするシステムがあるとか知る由もなかった。

二次創作って自然発生的に生まれるんだよ!!!

もうストーリーはすっかり忘れたけど、ひとつだけ覚えていることがある。ノベライズには弥彦道場居候しているという情報がなかったので、自分弥彦が別の家に住んでいると思っていて小説を書いた。後に漫画を読んでびっくりしたのでよく覚えている。それしか覚えてないけど。

そこらのノートに汚い字で書いた小説は多分今読んだら火を付けるレベルだと思うけど、あの頃はそれを書くのがひたすらに楽しかった。学校にいく、帰る、宿題をやる、家で決められたドリルをこなす、それが終わったら毎日机にかじりついて小説を書いていた。

中学受験成功した暁にはどうしても欲しかったるろ剣追憶編のLD(当時、VHSLDの二択だった)を横浜アニメイトで買って貰った。

合格発表の帰りだった。そのあと、初めてパフェを食べた。今までダメと言われていたのに、あの日はじめて親がパフェを食べることを許してくれたのだった。

更に、将来の夢がなかった私にしょうもない夢ができた。

追憶編で剣心が身分を隠すために薬師を偽っていたのを見て、薬剤師になろうと思った。

その後、本当に薬剤師になった。けど、流石に親にすらこの動機は言えていない。しょうもなさすぎる。

話を戻すと、そんな感じにるろ剣によってただのガリ勉からクソオタクに成長した私は実写版るろ剣にも高すぎる期待を抱いていて、ダークナイトライジングハリウッド予算を見ろ!という派手な演出のあとのしょぼい予算がひしひしと伝わる映画にとても悲しくなった。

映画の中身は良かったけど、牙突のすごいワイヤーな感じと、道場の庭の「この面しか作っていないのでカメラを動かせません」「予算がないのであさがおは造花です」という素人が見ても分かる残念な感じに打ちのめされてしまった。脚本はすごいよかった。佐藤健は頑張っていた。

溜息をついてロビーに戻ったそのときアナウンスが聞こえた。

あと15分で「アベンジャーズ字幕版」上映開始します。

私は思った。

CMで「日本よ、これが映画だ。」って喧嘩売ってるクソむかつく映画だ。これを見なくちゃ映画ファンじゃないってのか?アクションなんてみんな中身ないんだから見てもしょうがないじゃん…

でも確かRDJが出てたような気がする…ポール・ベタニー声の出演をしていたような…

後述するけど自分はこの二人の俳優のことがその当時からそこそこ好きだった。もともとかわいいおじさんが好きだったので。ベタニーは若かったけど。

2本映画を見て、1000円×2払って、もやもやを抱えたままの私は、苛立ち任せにその場でチケットを買った。

見て駄作だったらネットでけちょんけちょんに貶そうと思っていた。

シアターから出てきた私は本気で震えていた。パニックを起こしそうになっていた。

こんなに面白映画を初めて見た。ダークナイトライジングるろうに剣心で抱えたもやもやは完全に吹き飛んでいた。

その日は、私がはじめて「映画館で一日に3本映画を見た」日になった。

帰りの電車のなか、出演俳優のことを必死で調べた。

家に帰って、ウェブに溢れる感想を読み漁った。pixiv感想イラストコメントを端から端まで読んだ。アベンジャーズで初めて見たおしりかわいい弓のおじさん(ジェレミー・レナーのこと)の出演作を調べた。

そして耐えきれず、親に馬鹿にされながら、終演間近にもう一度劇場に足を運んだ。

アベンジャーズ」は、私がはじめて「劇場複数回見た」映画になった。

あんなクソむかつくキャッチコピーを考えてくれた配給には本当に、心の底から感謝している。

ちなみにアベンジャーズも核オチといえばそうなんだけど、別にむかつかなかった。ごめん、ダークナイトライジング

クソオタク根性を発揮し、もの凄い勢いで転げ落ちた。

エルシャダイにはまったときは、ゲームプレイした一週間後には関連書籍を全て読み終わりエノク書が載っている聖書外典とかまで読んでいたくらいなので、アベンジャーズも例に漏れなかった。

家の中を捜索したら父親が買ったらしいアイアンマン1のDVDが見つかったのでそれを見たし、pixivにアップされていた「これまでのまとめ」を熟読した上で親に頼み込んでMCU過去作を全てレンタルした。

俳優が変わっていたのでインクレディブル・ハルクだけは見なかったけど、結局後にインクレディブル・ハルクを含むブルーレイを全部買った。

映像を見終わってしまい、次に手を出したのはアメコミだった。

アベンジャーズ原作」と銘打ってある、小プロの出していた「アルティメッツ」。

これ。

https://www.amazon.co.jp/dp/4796871381/

そしてなぜか、一緒にマーベルゾンビーズも買った。本当になんでか分からないけど一緒に買った。なんでだろう。

これ。

https://www.amazon.co.jp/dp/4863323638/

とにかく飢えていた私はひたすらに邦訳アメコミを読み漁った。

そして同時に、アベンジャーズではじめて認識した俳優陣の過去作の映画を見まくるという暴挙に出た。

話を少し戻すと、私はもともと小説が好きだった。

特に海外ミステリサスペンスが好きで、シャーロック・ホームズとかが好きだった。あとハンニバルシリーズダン・ブラウンラングトン教授シリーズ

おわかりですね!シャーロック・ホームズものからと見に行ったガイ・リッチーの「シャーロック・ホームズ/シャドウゲーム」でRDJに出会い、ラングトン教授シリーズ実写化からと見に行った「ダ・ヴィンチ・コード」でシラス役をやっていたポール・ベタニー出会った。

シャドウゲームの、最後教授と一緒に落下する寸前のRDJの表情に殺された。原作では赤い目という設定だったのにも関わらず、カラコンせずシラス役に挑んだベタニーの瞳は恐ろしくなるほど綺麗だった。

火が付いた形になってしまい、RDJ、ベタニー、レナーの過去作メインで映画を見るためレンタルに通い詰めて、レンタルにない作品ぽちった。なんて便利なアマゾンありがとう

その後レナーを初めて見たのはアベンジャーズではなく、友達に半ば無理矢理連れて行かれたS.W.A.T.であったことが判明してひとりで腹を抱えて笑ったりもした。

(なんてしょうもない死に方をするラスボスなんだと思っていたひとがレナーだった)

しかも私はS.W.A.T.を契機に「アクション映画はクソ」という思い込みをするようになったので、それがレナー出演作であるアベンジャーズ払拭されたのはなんだか面白い。

そのまま趣味映画鑑賞になり、アメコミを読むことになった。

アメコミもなんとなくトニー(アイアンマン)とクリント(ホークアイ)が出てくるのをメインに集めた。かわいかった。

この辺から、トニーに傾倒するようになった。

スパイダーマンはその時MCUキャラクターではなかったのと、既にたくさん邦訳が出ていてどうしていいかからなかったので手を出さなかった。

邦訳アメコミを買い集めていた時、参考にしようと思ってTwitter邦訳アメコミ原書を読んでいる人のアカウントを探してはフォローしていて、その内の一人が「トニー死んだwwww」と画像をあげているのを見つけた。

衝撃。だってなんかトニーが頭かち割られて心拍停止するページの画像だったんだもん。脳みそ出てるし。

なんじゃこりゃあと出自を調べて初めてアメコミ原書リーフ)で買った。

英語気合いでなんとかした。

調べたらこれは616(マーベル正史アース。多数存在する世界線ごとに番号が振られていて、MCUももちろん振られている)ではなく、先述したアルティメッツ・1610アース出来事だった。

アルティメッツは2までしか邦訳されていなかったので知らなかったのだけど、その後も本国の方ではお話が続いていてトニーのお兄さんが出てきてソーに殺されたりトニーが脳腫瘍だと思っていたのが実は7つめのインフィニティストーンでそのせいで他の人には見えない子供姿の自分のような幻覚アンソニーくん)が見えたりしていたのだった。

アンソニーくんと一緒にカートゥーンを見るトニーという図はめっちゃかわいかった。キャップにはそれって君のイマジナリーフレンドでしょ?と気持ち悪がられていたのも面白かった)

そして、世界を救うという名目のもとインフィニティストーンを集めていたリードリチャーズさんに捕まって頭からインフィニティストーンを奪われた、という展開だった。

すごいリョナじゃん。なんなの?

脳みそ!?!?

性癖を刺激されすぎてそのまままっすぐ原書沼に飛び込んだ。

それまでお金をかけていた別の趣味ほとんど諦めて、アメコミ映画にひたすらお金をかけるようになった。

その時小遣いのみならずお昼代に貰っていたお金を一切使わず趣味に費やした。昼をカロリーメイトだけにしたまま数年間過ごしたのでとても痩せた。まあ別の要因もあったけど。

リーフだけでも月に5000円くらい買っていたと思う。レートが上がったときにだいぶ絞ったので、トニー誌とホークアイしか買わなくなった。あと、表紙が気になった奴。それからTwitterで集めた情報によりトニーが出てると判明したやつ。

並行してTPB(リーフをあつめたやつ。単行本みたいなもん)も買うようになった。TPBだけでも棚一つ分くらいは買った。

おもちゃも買った!フィギュアーツ、ホットトイズコスベイビー、レゴ……ちょっと金額に換算したくないくらいには買った。ホットトイズの一体数万円するフィギュアなんて、最初ありえね~と思っていたのに、気付いたらトニー買うわブルースバナー買うわホークアイ買うわスティーブ買うわ……

トニーを買ったら隣に誰かいないとかわいそうと思ってスティーブを買い、サイエンスブロスも好きなんじゃあ、そしてきっとラファロのフィギュアなんてもう二度と出まい!と思ってバナーを買い、同じ理由レナーのフィギュアryホークアイを買い、カラーリングすいかみたいだけどベタニーryヴィジョンも買った。

アイアンマンスーツの方は更に高くて流石に買えなかったので、フィギュアーツで我慢した。

(トニーの隣に並べるにあたってスーツ版じゃなんか釣り合いが微妙だなと思ったので、キャップの格好してるやつじゃなくて、私服スティーブを買った。おまけでキャップもついてきたけど)

アベンジャーズショックから数年経って、だいぶずぶずぶになってくると、問題点もいくつか浮上するようになった。

Twitterでの面倒な人間関係

映画の展開へのそれぞれの受け止めかた。

ついでに、私の健康問題

他人はどうなのか分からないけど、私は興味のないことはすぐに忘れる。自分過去のことであっても忘れる。都合の良いことも、悪いことも、興味がなくなればすぐ忘れる。その代わり、趣味のことに関してはもの凄く記憶力がいい。あと、成績命だったので勉学に関しても集中力記憶力だけは自信があった。たぶんキャラメイクの時に数値の振り方を間違ったんだと思う。

なので、実は転がり落ちた時の記憶は鮮明でも、その時と現在の間の数年間の記憶ほとんどないのだ。ごめん。

思い出せることだけ書きます

Twitter人間関係については特定されそうだから詳しく書くのはやめておくけど、面倒になりすぎてアカウントを何回か消したくらいだった。オフ会とか、イベントでのやり取りとか、もうひたすらに面倒だった。

小説を書いて同人誌にしてイベント頒布して、というのは楽しくて何度かやったものの、結局読む読まれるの関係にすら疲れてしまってだんだんと足が遠のいた。

特にアニメ化されたときの界隈の動きが大きかった。

ディスクウォーズアベンジャーズ。私は好きだったけど、フォロワーにけちょんけちょんに貶す人が現れた。

そのうち、そのフォロワーに影響されて、見てないけどクソだと思う!とか叫び出す集団が出来上がった。

訳分かんねえと思って縁を切った。

トニーの扱いが不満だったようだけど、キャップ差し置いて主人公とタッグを組んでるトニーという破格の待遇のどこが不満なのか全然からなかった。

アイアンマン3が公開されたとき入院していた。

その時大学生だったのだけど、前述の通り剣心のせいで薬学部に進学したので、どうしても倫理について学ぶ機会が多かった。

薬の受け渡し間違いで死人が出る界隈なので、当たり前だけど。

私は自分のことを悪人だと思っているけど、実は理想主義者だったらしい。違法行為をはたらき、適当に薬を出し、患者悪口を言う。履歴なんて捏造するのが当たり前。実習でそんな現場を見てしまって、精神的に病んだ。

かわいがっていたペットにも死なれた。

ごはんが喉を通らなくなって、何を食べても吐くようになり、プリンしか食べられなくなって、やや間はあったもの病院送りになった。

それまで自信のあった記憶力は水を吸わないスポンジの如くボロボロになり、何を言われても覚えられなくなった。

仕方がないので毎日メモをとった。

勉強しても、昨日勉強したはずのことが何も覚えられなくなった。

それどころか、それまで勉強してきたこともみんな思い出せなくなってしまった。

することがないので病院アメコミを持ってきてもらって、メモを取りながら毎日読んでいた。

そんな折に公開されたのがアイアンマン3だった。

どうしても見たくて、病院最寄りの映画館までの所要時間を調べて、主治医許可を貰って、一週間に一回、外出して映画を見て戻る、を続けた。

一ヶ月かけて4回見た。字幕2回に吹替2回。私は必死だった。

病院とは、急性肝炎を起こしたことを切っ掛けにおさらばした。

劇症肝炎を疑われてでかい総合病院に転院→ただの急性肝炎だったし肝炎寛解→そのまま退院、自宅療養という流れ。

ICUでおとまりした。ディズニーホテル並に高かった。

今でこそ笑い話だけども、吐き気でげえげえいってるとき最初に運び込まれた先で医者が親に「劇症肝炎だったら50%確率、あと10日くらいで死にます」と言っているのが聞こえたのだった。

医者倫理観とは。

結局最初に運び込まれた先では対処できないとなって別のもっと大きな病院に運び込まれたんだけど、輸送中車の窓から花火が見えて、「死ぬ前の最後花火だあ~」と笑ってたら母親ガチ切れされた。

肝炎を起こしている時は絶食になるんだけど、数日の絶食ののち病院食が出たとき、別の意味死ぬかと思った。

食べるのにものすごく苦労する。一口噛むだけで汗が噴き出る。

最初食事は、看護師さんを待たせながら何十分もかけて食べたような気がする。脂汗がひどかった。

生きることは食べることってこういうことかあ、って今でも思っている。

大学食事に要するエネルギーはとても大きいとは習っていたけど、それを実感するとは思わなかった。

つづく。

言及先に続きあります

2019-04-30

個人的鬱病軽減についてのまとめ

仕事で何度もパワハラ食らって、適応障害が完全に鬱に進行してしまい、死にそうな目に遭ったが、なんとか今、寛解に近づきつつある。

恐らく他の人とは違うアプローチをしているので、まぁちょっと書いてみる程度で。推奨はしない。自分のまとめ。

(1)まず職場を変える、会社を変える

 最近のそこそこしっかりした会社だったら、糞上司が居たら職場を変えてもらえる。ホント上司地獄に落としてほしいが、「お前のやってる事はパワハラなんだよ」と言って衝突するなんて非精算的だし(だってそいつ絶対に変わらないもの)、仕事なんていくらでもあるし、だから上司の上に言って職場を変えればそれでいい。何か会社自体ダメっていうなら、今の世の中転職なんて簡単から、変えちゃえばいい。

(2)体を変える……他人に変えてもらう

 色々行ってみたけど、秋葉原の「エナジールーム」というマッサージ屋さんがすごかった。60分コースで体を触ってもらっただけで、その日の帰りには鬱が完全に消えていた。当然次の日には復活しているのだけれど、1日であれ、鬱が体から消えるという経験ができるのがでかい

 医者に行くと「脳の病気」と説明されるが、絶対にそれだけではないという事に気が付かされる。

(3)体を変える……自分で変える

 「一本歯下駄」という下駄を履いて散歩。40分ほど続けると「背筋を伸ばす意味」が判ってくる。いやホント。背筋を伸ばすのって無理にやってる感があるじゃない。そうじゃなくて、楽にしたいから背筋を伸ばす感覚が判る。

(4)体を変える……ストレッチ

 ストレッチする時、体が上手く曲がらない時は、からだのどっかに余計な力が入っているからだ。力みまくってるからだ。そこを探して力みを取る一番の方法ストレッチだ。

 自分は、背骨全体がギュっと閉まってしまっている事や、横隔膜がきゅっと上に上がっちゃってる事、目の奥の筋肉ゴリゴリに固くなってるのが判った。1つ1つ、ゆっくりストレッチして、そこら辺にある「コリ」を取っていく。

 その際、コリを取ろうとして、怒られるシーンがフラッシュバックする事がある。そう、怒られた時の「ビクッ」は、意識しなければ、体に残るのだ。そしてその「ビクッ」を取る時、それがフラッシュバックするのだ。

 そしてそれは、気持ちの整理とともに、ゆっくり取っていくものだ。

(5)考え方、思考を変える

 まぁ鬱になるケースってクソも悪いけど、ジウbンにも能力がないことだ。能力と言うか、思考の幅が狭いんだよな。その幅の狭さを認識して、どんどん広げるしかない。

という感じで、やっと少しはまともな方向に戻ってきているわけです。一度鬱になって、復職先が超ブラックで鬱再発、次の職場パワハラオッサンにあたったせいでまた再発しそうになって。

普通、そこまでなったらとっくに働けなくなってるだろうなーと思いつつ、今は回復に向かっている。

一本歯下駄という言葉で判る通り、日本古武術等、かなり色々な本を読んで勉強した。呼吸法特別なのをやってる。書くの面倒になったからこのへんで。次書けるようなら食べ物編とサウナ編を書きたい。

抗がん剤治療中に出会って救われた作品を挙げていく -本・漫画編-

ドラマ編はこれ

https://anond.hatelabo.jp/20190429201600

思ったより需要なさそうだけどせっかく途中まで書いたしコメントもらったので続き書く。

お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。

漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。

あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。

あくま患者本人が自分意思で読むものではないかと。


漫画

アル中ワンダーランド

最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品

自身アル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。

再飲せずにこれからもいい作品を描きつづけていって欲しい。


『僕と大家さん』

2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部エッセイ漫画

アパート大家さんである婦人矢部との心温まる交流を描いている。

ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争老い介護孤独といったテーマさりげなく混ぜ込まれている。


『元気になるシカ』『元気になるシカ2』

アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。

病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。


海街diary

これもまた有名な吉田 秋生の名作。

漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。

話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。



【本編】

昨夜のカレー、明日のパン

「すいか」とかのドラマで有名な脚本家木皿泉の初の小説

夫の入院からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。

実は木皿泉夫婦ユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手シンパシーを感じていた。

もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。

『ナミヤ雑貨店奇跡

東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。

ファンタジー要素あるのはいいね現実逃避ができて。


あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル

転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。

よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。

そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。

やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。

こんなところからなあ。

よく考えたら映画が無かったけど、何でだろう。メッセージ性が強すぎるかな。

2019-04-29

抗がん剤治療中に出会って救われた作品を挙げていく

10連休暇なので書いてく。

丁度5年前癌になって手術したんだが、その後地獄抗がん剤治療8ヶ月が待っていた。

抗がん剤中でも上手に調整して出歩いてる人もいるみたいだけど、自分はずっと白血球値が低いままだったし体調も良くないし、メンタル的にもやばかったので病院に行く以外はほとんど出歩かなかった。今思うとちょっと鬱っぽかったのかもしれない。

で、その間に読んだり観たりして救われたと思う作品を挙げていく。

治療後に、これ治療中に知りたかったと思ったのも含まれているので時系列的におかしいとこもあるけど勘弁な。

治療中に下手な本読んだり映画を観たりして登場人物自分と同じ病気で死んだりするとダメージくらうし、かといって主人公が元気にはねまわってるのを観て今の自分境遇と比べて落ち込んだりするし、なかなか難しいんだよ。

病気療養中の人、あるいは周りに病気の人がいてお見舞いに本でも持ってこうかという人はよかったら参考にしてほしい。

ちなみに自分は以前はサスペンスとかホラーとか好きだったんだけど、癌になってからは一切受け付けなくなった。一番最初死ぬ登場人物感情移入してしまうので。

あと『きのこを食べたら癌が治った』みたいな本をお見舞いに持って行こうかと考えてるやつは自分が死んだらいいと思うよ。マジで


ドラマ編】

名探偵モンク

ちょうどHuluで公開されていてこれはマジでよかった。エミー賞も受賞したアメリカの人気ドラマ

主人公探偵モンクが重度の強迫性障害を持っているんだけど、同時にそれが事件の謎をとくヒントともなっているところがうまいモンクを取り巻く元上司警部看護師モンク強迫性障害に振り回されてうんざりしつつも暖かく見守っていくという構図になっている。

探偵ものなので当然殺人シーンはあるけどソフト表現されていて何とか大丈夫レベルシリーズになっていて話数が多いのも助かる。基本コメディ


『dinner』

江口洋介が主演の日本ドラマ

登場人物の一人ごとスポットを当てていく形式だけど、誰もスネに傷持つ訳ありの人ばかり。

さな希望を胸にまた明日も頑張ろうとする姿に励まされた。視聴率が悪くて話数が削られてしまったのは何とも残念。

ラスト一人ラジオ聞く江口洋介の姿に泣いた。サカナクション主題歌もいいよね。


カルテット

社会的には落ちこぼればかりの現実離れした夢の共同生活。明快な答えも解決策もない日々になぜかほっとして救われる。

例の前夜、ゲームやとりとめのない会話を楽しむ4人のシーンは何度も観てしまった。マキさんの「ちょっとトイレ」にも泣いた。

軽井沢に行きたくなっちゃうけどね。


鹿男あをによし

玉木 宏が鹿になっちゃうやつ。幻想的な作品なので現実逃避にもってこいだった。でも良くできてるよね。


行列48時間

國村隼主演のNHK

仕事定年退職したサラリーマンが妻と娘のため正月福袋行列に並ぶというドラマ。これも面白い


ドラマHulu配信されて入ればHuluで、なければ無料動画配信サイトで観てた。

あんまり褒められたことじゃないけど抗がん剤治療はとにかく金がかかるので大目にみてほしい。

癌の種類にもよるけど自分場合は1回あたり15000円、それを月3回8か月続けるのよ。

みんな生命保険大事だよ。元気なうちに入っとこうね。


あと漫画とか本も書こうと思ったけど以外と大変だし読んでくれる人もいるかからないのでここまでにしときます

需要ありそうなら続き書くわ。


--


漫画・本編こっちにまとめました。コメントくれた人ありがとう

あとドラマ編で『植物男子ベランダー』忘れてたわ。NHKの30分深夜ドラマおっさんマジ癒し。途中の変な小劇場飛ばしちゃうけどね。


お陰様で経過は順調です。自分の癌は10年で寛解と言われてるけど、5年を無事経過して再発の可能性は大分低くなったと医者にも言われました。

漫画や本など、闘病記はたくさんあるけど、「癌になったけど家族が支えてくれたから立ち直れました。やっぱり家族は大切だよね、妻Love」みたいのが多くて、結婚していない子供もいない自分はどうすりゃいいんだと逆に落ち込んだりした。闘病記なら何でもいいわけではない。

あと闘病記って健康な人がお見舞に持ってくものではないと思うよ。これ読んで元気出したまえって何様だ。

あくま患者本人が自分意思で読むものではないかと。


漫画

アル中ワンダーランド

最近誰もがお察しの理由でまんしゅうきつこからまんきつに名前を変えたまんしゅうきつこさんの改名前の作品

自身アル中と、そこからの復帰を描いている。このひとの絶望を笑いに変えて昇華する力は本当にすごいし才能だと思う。

再飲せずにこれからもいい作品を描きつづけていって欲しい。


大家さんと僕』

2018年4月時点で累計発行部数75万部を突破した、今更いうまでもないお笑い芸人カラテカ矢部エッセイ漫画

アパート大家さんである婦人矢部との心温まる交流を描いている。

ほのぼのとしたやり取りの中にも、戦争老い介護孤独といったテーマさりげなく混ぜ込まれている。


『元気になるシカ』『元気になるシカ2』

アラフォーBL漫画家藤河 るりさんの闘病記(1)から仕事復帰(2)まで。

病名で検索するのがやめられなくなってしまうなどの癌患者あるあるネタも多く、頑張りすぎない自然体の作者に共感できる。


海街diary

これもまた有名な吉田 秋生の名作。

漫画家ってすごいなあと思った。自分が死んだことがないのになぜ死ぬ人の気持ちがわかるんだろう。

話の途中で癌になったおばさんの話が出てきて、そこはさすがに辛いので飛ばして読んだ。


【本編】

昨夜のカレー、明日のパン

「すいか」とかのドラマで有名な脚本家木皿泉の初の小説

夫の入院からの帰り道、パン屋で焼きたてのパンを買った妻が「悲しいのに幸せにもなれるのだ」と思うシーンが忘れられない。

実は木皿泉夫婦ユニット名でご主人は脳出血でまひがある。そんな背景にも勝手シンパシーを感じていた。

もし癌が再発することがあったら、この本を母親に渡そうと密かに思っていた。


『ナミヤ雑貨店奇跡

東野圭吾の本で泣くなんて自分もヤキが回ったなあと思ったけど。

ファンタジー要素あるのはいいね現実逃避ができて。


あとはYoutubeにあがったお笑い動画とかよく観ていた。主にアンタッチャブル

転移してるかどうかの検査の結果待ちとか、もうどうしようもない時に観ていた。

よく「悲しくて胸が痛い」みたいな表現があるけど、辛すぎると本当に体が痛くなるのよ。

そんなときしょうもないお笑いをみてるとふっと体が楽になった。

やっぱり笑いの力ってすごい。アンタッチャブルまた活動してくれ。

こんなところからなあ。

よく考えたら映画が無かったけど、何でだろう。メッセージ性が強すぎるかな。

人生を振り返る

私の体に異変が起こり始めたのは、中学生の頃だった。

眠い。とにかく眠い寝不足かと言うとそうではない。10時には寝て6時半に起きていたので、けして夜更かしはしていなかった。

授業中に居眠りが増えた。成績は良かったので、先生にはおそらく調子に乗っていると思われていたんだろう。ネチネチ言われることもあった。普通に居眠りはよくないことなので反省するけれど、一向に治らない。

私の居眠りはついに不可解な展開へ。合唱練習の途中に、立ったまま寝るようになった。隣の子にぶつかって慌てて起きて、しばらくするとまたうとうとして前の人にもたれかかって、を繰り返した。みんな優しかったので「ウケる〜」と笑ってくれたのが救いだったが、私は「やべえ」と思っていた。

仲のいい国語先生がいた。いつも私を褒めてくれた。(でもむっちゃ厳しくって同じくらい怒られた)その先生最近居眠りやばいんだよ〜、って話をした。他の先生みたいにてっきり怒られるかとおもったが、国語先生は顔色を変えて「はやく病院に行って診てもらいな!」と、印刷したWebページを見せてくれた。

そこには「ナルコレプシー/特発性過眠症」と、耳慣れない言葉が書いてあった。

結論から言うと、私はナルコレプシーではなかった。特発性過眠症の特発性、というのは原因不明みたいな意味なので、当てはまるとしたら後者ですな、と医者に言われ、薬を処方された。

発達障害ADHD)が睡眠障害を併発する。このことを知ったのは、大学生になってからADHDの診断を受けた時だ。中学生当時、このことは、まだ知られてなかったか、もしくは研究の段階だったのだと思う。だから私の居眠りは「特発性過眠症」として処理された。

まあ、ともかく、診断名がついたことで、誤解が解ける!そう思っていたのが甘かった。

居眠りをしてしまった分、積極的に授業中に発言をしたし、テスト結構対策して8割は維持していた。成績も、体育以外すべて5になった。でも、そのうちわけの「関心・意欲・態度」はずっとBだった。Aをくれたのは国語先生だけだった。

職員室で、とくはつせいカミンショーなんです、と言ってみた。「ほんとにそんな病気あるの〜」と笑われた。悲しかった。

今なら、中学生なんてガキの言うことだし、真面目に受け取られなかったんだろう、とか、成績のつけ方も決まりに従っただけで、理解されなかったわけじゃないんだろう、と思える。しかし、当時の私はそれはそれはショックで、ついにふてくされてしまった。

「頑張っても報われないじゃないか」「だったらもうこれ以上がんばりたくない」そう思うようになった。

私は、「がんばる」ことは他者から評価を得る、ということでしかなく、自己評価他人依存しすぎていた。褒められなくなったら頑張る必要もない、そう切り捨ててしまったのだ。なまじさかしらだったために。

早熟は未熟に終わる。そんな言葉をずっとあとに知ってから、私のことだ、と思った。

高校入学してその傾向は加速した。しかしまだ、1年生の前半は、部活勉強に、頑張っていた。部活合宿も楽しかったし、成績は中学に比べて落ちたけど、がんばって平均点を超えよう、なんて思ってたのだ。

秋の中間テストは、ばっちり対策をして、いい感じだった。明日は最も苦手な数学だけど、いつもより勉強たか大丈夫、そう思いながらお風呂に入っていた時だった。

部活楽しい彼氏もできた。成績は良くないけど勉強もがんばろうって思える。なんて幸せなんだろう。充実感に浸りながらふと、せっかくこんなに楽しい人生なのに、いつか終わりが来るのか、と思った。その瞬間、地獄の引き金が引かれた。

私は風呂を飛び出して、リビング晩酌をしていた父に、「死んでしまう、怖い」と泣き叫んだ。父は困惑していた。

そこから記憶は飛び飛びだった。怖い、怖い。一晩中叫んでいた。母親はいい加減にしろと怒られた。

目に入るすべてのもの死の恐怖に結びついた。窓を開けたら飛び降り死ぬ電球の紐で首をつって死ぬ。好きだったバンドポスターを見ても、メンバーが二人死んでいる。死ぬってことは全てなくなるということ。なくなるのが怖い。怖すぎる。

ほんとうにほとんどのことをどうやって乗り切ったのか、記憶がない。必死病院に行きたいと訴えて、精神安定剤を処方されてから、ましになった。たった一錠の薬にあれほど感動したことはない。

こうして私は、特発性過眠症にくわえて、パニック障害も背負うことになった。そのせいで過眠症の薬も一時中断した。もう、ここまでくると、頑張る気力もすべて削がれた。部活もやめ、勉強もしなくなった。彼氏には振られた。ギャンギャンうるさく愚痴をこぼす私に、親友は当たり前のように愛想をつかした。

高校時代は、たくさんの人に迷惑をかけた。誰にも理解されないという思いをこじらせて、奇行に走った。宿題は当然出さなかったし、私はこれでいいって思っていた。突然泣き出したり、人に迷惑をかけても、「こういう風にしか生きられないんだから仕方ないじゃん」と開き直っていた。いつも自分被害者だと思っていた。

人に迷惑をかけるメンヘラっていうのは、自分は変わらないと思っている。変えようとしても無駄から、人に迷惑をかけて生きていく。そうしてますます孤独になって、こじらせていって、それでもどこかで、こんな自分をそのまま愛してくれる人が現れてほしい、と都合のいい幻想を抱いている。

変わろう。そう思って、やっと生活が劇的に向上したのは、

もっと後の大学2年の時だった。それまでずっと、私は被害者ヅラをして生きていた。

そんなこんなで、当然受験もうまくいかなかった。ほぼうつ状態で、毎日寝るかスマホいじるか、勉強しようとノートを開いても、ノートの綴じ目を見つめるだけで平気で2時間くらい経ってた。親にためしにうけなさいと言われて受けたいわゆる早慶は、受験料と、地元から上京資金で、合計20万近く払ってもらったが……白紙で出して帰ってきた。雪の深い日だったと覚えている。

親は私が進学校に入ったこである程度頭いいものと思っていたようで、まさか滑り止めに落ちるとは考えておらずショックを受けていた。私は滑り止めは白紙で出さなかったので、普通に頭が悪かった。

私は浪人したいと親を説得した。どこかで、開き直りきれずに、また中途半端プライドを振り回して、早慶に受かろうと決めた。

なんとなく、学歴があればクソみたいな人間でも生きていける気がした。

上京して寮に入った。狭い世界で生きていた私は、自分がどれほど恵まれいるか当時わからなかったが、こうして東京に出てきたことは大きかった。

パニック発作ピークより治まりつつあったが、たまに思い出したように襲われる日々は変わらなかった。過眠症も変わらず、せっかく高い学費を払って予備校に来ているのに一日中寝ている時もあった。そして、圧倒的に集中力がなかった。みんな平気で8時間とか勉強しているのに、私は1時間と持たない。そんな自分イライラしたし、当然E判定ますます腹が立った。

ある日、英語の長文読解を説いていた時。課題文は、『アメリカにおけるADHD診断の増加』。ADHDとは…?

調べると、すごく自分に当てはまっている。これ、私のことでは?

しかし、病院で診断を受けるまでに長い時間がかかること。お金もかかること。なにより親に言い出しづらかった。

頭をひねっていると、私が過眠症の時に処方されていた薬が、かつてADHD治療に使われていることを知った。確かにあのころ、居眠りに薬は効かなかったけれど、成績がすごく上がっていたのを思い出した。これだ!

私は過眠症診断書を持って睡眠クリニックに駆け込み、無事薬をゲットした。

そこから成績はみるみる伸びた。(⇦ことわっておきますが、こういう薬の使い方はダメでした。スマドラってやつです。安易にこういうことをすると、規制されてほんとうに必要な人に処方されなくなってしまうかもしれないので、ダメです。私はたまたま睡眠ポリグラフデータ等諸々あったので処方されたので、普通の人が過眠症かもって病院に行ってもこの薬はもらえません。)

生活に余裕ができると、友達も増えた。隠れ家バーで行われる読書会とか、社交的な場にも参加するようになり、たくさんの大人相談に乗ってもらえた。地元にいた頃じゃ考えられなかったような出会いに恵まれて、少しずつまともになろうと思い始めた。けれど、そうすぐには変わらないので、一進一退を続けた。

春、私はなんとか早慶に補欠合格し、進学した。

今度こそ、人生は良くなる、と思った。

そんな期待に反して、私はうつ病を患った。友達もいたしきぼうの専攻にも進めたのに、生きていくだけで溜まり続けたストレスが爆発した。居眠り、パニックを経て、「どうせ頑張ってもどうにもならない」という無力感が次第に私を蝕んでいった。おまけに、どうがんばっても遅刻するし、レポートも出せない。だんだんすべてがプレッシャーになり、気づくと一日中ベッドで過ごしていた。電車に乗ると酔って一駅で吐いてしまう。がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、ここまできたんだから。そう自分に言い聞かせても、からだは動かない。部屋はぐちゃぐちゃでハエが集り、三日風呂に入れなく、自分から信じられない臭いがした。ますます参っていった。

精神ますますやばい方向へ向かっていった。私は悪くない。世の中が悪い。本気でそう思うようになった。よく、ツイッターで「沼w」と笑われている、電車でさわいでいるおばさんの動画。私はあんな感じだった。だから私は、大学でみんながちしょ*とかいってるのが怖い。あの人たちの気持ちがわかってしまう。余裕がなくなってしまったのだ。

電車で隣の人の靴をわざと踏んだ。そういうことした日は家で泣いた。優しい自分になりたいのに、人に悪意をぶつけてしまう。

歯医者の予約に間に合わなかった日。受付の人に、「三十分以上の遅刻診療できません」と言われた。私は遅刻したくてしたわけじゃないのに!

受付のお姉さんが差し出した手を、わたしははたき落した。お姉さんの顔は、恐怖でも驚きでもなく、ゴミを見るような目だった。

泣きながら家に帰った。精神科医には、「他害が出るなら、入院検討してもらいますが」と強い口調で言われた。

変わりたい、でも被害者のふりがやめられない。私はもうわかっていた。私は加害者だと。

発達障害の診断をしてくれたのは、別の医師だった。主治医斡旋で、専門の医師のもとに行った。

あなたはもともとすごく天真爛漫で…でもきっと、いろんなことがうまくいかなくて、自信をなくしてしまったんだろうね。もう大丈夫だよ」

その言葉は、今でも忘れられない。こんなクズに、優しくしてくれる人がいるなんて。そう思った。

私はすべてをぶちまけた。中学のこと、高校での過ち、自分の態度が悪くて人に嫌われたのに開き直ってしまたこと、部屋が汚いけど本当はともだちを呼んだりしたかった、高校の時ひとりでお弁当を食べたくなかった、大学サークルでがんばりたかった、それなのに全部自分台無しにしてしまった。

医師は、すべて受け止めてくれた。彼が主治医になって、心理検査カウンセリングを行い、新たな治療がはじまった。

発達障害向けの治療を始めて私はぐんと生活が向上した。鬱、パニック障害ともに、今では症状は寛解。居眠りだけはまだたまにしてしまうけれど、生活に支障はない。レポートも出せるようになったし、部屋もそれなりに片付いた。まあまあ安定した生活を送れるようになった。

副作用が出たので、現在は薬も飲んでいない。ひとをいたずらに傷つけることもなくなり、たくさんの友達ができて、ずっと欲しかった日々が手に入って、2年以上経つ。

この2年は、本当に幸せだった。

人に悪意を向けることもなくなった。なんか考えてもしょうがないな、と思えるようになったし、ほんとうにあの時はどうかしてたんだと思う。

自分が報われない悲劇のヒロインだと思っていた頃が恥ずかしい。

今、ことさら自分が不幸とは全く思わないけれど。新たな悩みができてきた。

この2年間で、人並みに社会生活を送れるようになり、「私もやればできる」という自信がついた。

最近、また不注意が増えた。しかも、自分がそうと気づかないうちに失敗は起こる。

バイト先で、店長に渡してと頼まれ荷物を、頼んだ人も荷物も目の前にあるのに、店長が来てからもすっかり忘れていた。思い出したのは一週間後だった。普通の人だったらしないような不注意が増えた。

出席カードを隣の人の分も回し忘れる、メールを一方には返信してもう一方には返信し忘れ、無視しているのかと怒られる、数えたらきりがないが、その全てを私は「大丈夫」だと思って行動している。だから疑いようがないうちに、ミス回避できない。普通の人はそんなミスしないから、怠けか、悪意か、そういった目で見られる。これは当たり前だと思う。

なんとかして、ミス回避したい。人にもうこれ以上迷惑をかけたくない。それが新たなプレッシャーになりはじめた。

メモをこまめにとるようにしてはいものの、一向にうまくいかない。

まあ、自分も変わるわけだから、不注意が増えたら今までとは違う対策をしなきゃいけないのはそうなのだけれど…。

考えすぎて、いったい何なら自分は確実にできるのか、確信が持てなくなってしまった。

また私は自信を失い始めている。私はできる!と思ったところから、「やっぱりできなかった」という事実はけっこうしんどい

しかも、誰にも相談できない。友達にも、ましてや彼氏なんてもってのほかADHD言い訳にしていると思われたくない。世の中、ADHD認識されたからって、それらに理解が進むわけじゃないのだ。実際、ADHDで社会を生きていくことは厄介だ。だから誰にも相談できない。私はなにもできない可能性が高い、と思って生きていくのもしんどいが、はじめからそう予防線を張っているほうがいいのかもしれない。そんなことを考える。

この間、デート中に居眠りをしてしまって、彼氏に怒られてしまった。そりゃそうだよな。寝不足自己管理問題、って認識が先にくるもの。実際その日は体調管理が悪かったので、謝って許してもらったが、これが自分でどうにかならないことが原因でも、世の中ってのは常に自分のことをみてはくれないので、さてどのようにカバーしていくか、考えなければならないのである

障害はつらいし、理不尽だけれども、これは障害があるなしではなく全ての人に言えることで、ありのまま自分を受け入れてもらうことは空想の中にしかない。ちゃんと、素材は洗って、下ごしらえをして、味をつけて、調理して、盛り付けて…そうしないと、まず食べてもらえない。

言うなればゲテモノ素材に生まれしまった私は、よっぽど才能があるとか、愛嬌があるとか、真面目であるとか、そういう味付けでいくらかマシにならないと、食べてもらえないので。

から日々、自分をどう調理しようか考えている。

世の中、努力でなんとかなるわけではないが、ある程度頑張らなければ先に進まないのは事実だ。私の今の生活にせよ、自分メンヘラからできない、と諦めていたら絶対手に入らなかった。だから、これからも私は頑張りたいと思ってる。

ただ最近ちょっと疲れている。だからって、昔みたいに「やってもどうせ報われない」と腐りたくない。

今ここで頑張って不注意を直さないと、やばいなって思いながら、ゴールがわかんなくなっちゃったからこのグダグダ文章増田に投げる。

2019-04-19

anond:20190419154514

じゃあなんで治癒と言わず寛解って言うのか教えて。

2019-04-18

anond:20190418211202

いやー焦るよね、焦る。早く寛解したいよ。俺せっかちだから、あー薬飲んであったかくして寝たらさっさと治んねーかな!って思っちゃう

良くも悪くも変化が分かんないと実感ないから、柄にもなく日記付け始めたわ。あーこんなとき余計調子悪くなるんだなーって分かって自分には合ってるきがしてる。

2019-04-17

anond:20190416235556

寛解は数ヶ月くらいじゃ認定されない。

何年か一定状態を保てて薬もかたまって寛解になるはず。

でも最後主治医のさじ加減によるから一概には言えない。

2019-04-16

anond:20190416233409

じゃぁわかるでしょ

投薬がなければ安定しない

いつ不安定になるかもわからないが

安定になっていない人と明らかにはちがう

寛解っていうのはそういうこと

から手帳交付される

anond:20190416214750

寛解してない人雇うってことにびっくりよ。

それを前提に上司と密に情報共有しなきゃいけないと思う。

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