はてなキーワード: 寛解とは
完璧に治るっていうか、考え方を変えることで肩の力を抜けるようにするっていうのが寛解じゃないかな
一度そういう状態になってしまったということは、そういうスイッチが入るような状態になったとも言えるから、昔のように愚鈍に幸せを傍受することは難しいと思う
実家ずみで結婚が決まり、部屋探しと引越しが全部決まり、結婚式の準備してる時に部署から人がバンバン辞めていなくなって、仕事が沢山降ってくる中補充人員の教育任されて。
あー、もうキャパ超えてる、結婚も引っ越しももっと後にしたい...みたいに思ってたら実家の父が難病に。介護の手伝い開始。
あーなんか疲れたーっておもってたら意味わかんないタイミングで涙がとまらないし寒いのに汗かくし暑いのに震えるし眠れないしもうぐちゃぐちゃで。
もう覚えてないんだけど寝る前になると『(仕事とか介護とか結婚式とか)どうしよう』って言い始めて毎晩泣いて眠れても悪夢見て叫んで起きるようになった。
それを見てた夫が病院行ってくれないか?と言ってくれて、ドクターストップがかかり休職。
薬飲んでゆっくり休んでたら眠れるようになってきたし、自律神経がボロボロだったのもよくなってきた感じがする。
でもまだ眠れない日はあるし、薬バリバリ飲んでて次の日朝からシャキッとなんて無理でゾンビ状態。メンタルも前みたいに〝楽しいことしたい〟つて前向きな気持ちがなくなっちゃった。毎日が過ぎていくのを他人事みたいにぼーっと見てる。
少しくらい眠れなくて会社に行くことなんて誰でもあると思うし、アレルギー薬飲んだせいで日中眠い人も普通に居ると思う。
鬱じゃなくても憂鬱な日なんて沢山あるよね。
こう思うといつ復帰していいのかわからなくなってる。
無理したら復帰できる気はする。これ以上前みたいになるのか?もうわからない。
自分のこの停滞はただの甘えなのかな。
せっかくなので、表題のような状況の人に向けたメモを残しておこうと思う
私の経験だけで話しているので、うつ病の全員に当てはまる訳では無いことを了承願いたい
私の場合、本能的な欲求として自殺したい気持ちが湧くことがよくあった
例えるなら空腹や眠気と同じ感じで死を求めるようになる
しかし理性で生存欲求を残しているので、矛盾に苛まれることとなる
でも行き過ぎると本当に死のうとする
よく「死にたいって言う人は実際死なないから〜」とか言う人がいるけど理性でどうにか止めてるだけで正直限界の状況
これが無かったら多分死んでいた
これが無かったら確実に死んでいた
閉鎖病棟に入れられると外出不可、自殺に使えそうなものは全部取り上げられるのでとても安心
あと死にたくなったら頓服薬がもらえるので苦しむこともなくなった
更に診察間隔が通院と比べて極めて短くなり、他の療法も短いスパンで受けられる
悪いところは他の患者さんが症状に苦しむ姿を見て自分もやられることくらい
メンタルやられると学校や職場から遠ざかり、結果話を聞いてくれる人がいなくなりがち
その分を補ったり、悩みを整理する手伝いをしてくれる
受けるとかなり楽になるけど、合うカウンセラーを見つけられるかが運ゲーできつい
もし新しく病院を探すなら、「カウンセラーさん合わなかったら変えてもいいですか?」って聞いた方が良いと思う
教員の方々にいちいち現状を説明する必要がなくなって感謝している
夜は通話待ち状態にすらさせてもらえないことがほとんどなので無理ゲー
運に自信があるならどうぞ
予算少ないのはわかるけど、もう少しなんとかならないかなと思うところ
専門知識がない人は当てになりません
監視役として使うならアリかもしれない
専門知識がない人は当てになりません(2回目)
要するに専門家に頼れ、なんか調子悪いなと思ったら受診しろ以上のことは言ってません
頼ろう!専門家!
疑うきっかけにどうぞ
下に行くほどやばい
2日に一回しか寝られない、寝ても3時間くらいで起きる、そのまま寝つけない等等
めちゃくちゃ重労働に感じられて入ることができない
このレベルになると死にたくなってくる
本当にやばい
なんやかんやあって鬱だと自覚できる範囲では人生二度目の鬱状態になった。
一度目の鬱の時は投薬等もあり治療開始から一年程で寛解と言える状態に至ったが、今回は通院もしていない。
今後の人生お先真っ暗。。。と言いたいところだが、実際のところ一社会人として一応の社会適応だけはできている。
何とか通勤し仕事をこなしそれ以外は布団の中で鬱と格闘するような状態なので決して健康的とは言えないとは思うが、
これを絶望全開で語ろうとするほど図々しく生きていないつもりである。
(この「普通の」社会人生活を消化できているという事実だけが自分の心の支えになっていると思う。)
前述の通り社会人として一応の体裁は整えられているものの、もう四捨五入すれば30歳といった年齢の域に達していながら
友人はおらず、恋人には手ひどい裏切りを受け、生得的に持っている身体障害は緩やかな悪化の一途であり、精神的にはまあ最悪の60%くらいといったとこか。
人生をいつどこで間違えたのか明確なターニングポイントはおそらくない(敢えて言うならば身体にハンデを抱えて生まれてきた時点で間違っているのだろうけど)のだが、
何をどう間違えたかは案外明確な気がしている。
ちょっとそのことについて書き散らしたいなあと思った次第。
衣替えしてたら、2年くらい前までよく履いていたスキニーパンツが出てきた
今の体型では絶対に履けない
これはウエストいったい何センチなんだ…と思って測ってみたら60センチ
待てよ、今のわたしのウエストは?と思って測ってみたら、80センチだった………
体重の増加(15キロ)も体型の変化も認識はしていたのだが、ウエスト20センチ分、と思うと何か新鮮なショックを感じた
いやーびっくりした
デブなんだな…
抗うつ剤を飲み始めてから太った たぶん副作用なので、薬を続けている限り元の体型に戻るのは難しいのかもしれない
鬱は絶対に寛解に持っていきたいので薬を勝手にやめたりするつもりはない
しかし、この体型の変化じたいが精神に負担をかけている気がする…
今「ウエスト20センチ増えた」と思ったらますます「ウッ…」となってしまった
や…痩せたい…
俺、既婚子持ちの40歳。
30過ぎて技術職から営業に異動したのがきっかけでADHDが発覚。全検査IQはMENSAには全然入れる程ではないものの比較的高めだったし、1番低いWMでも102だったので、2Eかそれに近いタイプなんだと思う。
一応オープン就労ではあるけれど、特に個別に配慮を受けてる訳ではなく。というか障害関係なく、困り事があって業務遂行に問題がある場合は、障害の有無関係なく話を聞いてくれて、何かしらのサポートをしてくれる、超ホワイト企業。
後出しジャンケン式オープンってのもあって、この前の源泉徴収票では600万円超えてた。それだけの働きが出来ていたのか、正直貰いすぎなのかは何とも言えんけど。ちなみに社内の40歳男子平均で見ると、これでもぶっちぎりで平均以下。なので、社内ではやっぱり期待値ほどはまだまだ成果足りてないよね、という扱いなはず。
妻が結婚直前に、何かしらの発達の疑いを自覚していたことをカミングアウト。とは言えもう惚れ込んでたし、今更それだけを理由に婚約破棄ってのも考えられず、予定通り結婚。
翌年末、めでたく長男が生まれました。1歳半検診で指摘があり、その後知的ボーダーのASDが発覚。
根はクソ真面目なパパ。発覚と同時にうーんこれは、子供の各成長段階で最適な療育なり福祉支援をしてやらなきゃいかんねと。そのためには親がちゃんと福祉を理解してないとってことで、通信制の某マンモス福祉大学に入学。これはADHD特有の衝動性もあったかもしれん。今思うと、何で社福を選ばなかったんだろうなんだけど、仕事と並行して、大学の単位戻り、実習も経験してから精神保健福祉士も無事取って、大学も卒業。
よーしパパ、これから日々家庭内でソーシャルアクションをやるぞー、って張り切ってたのですが、ここら辺で燃え尽きました……。
適応障害って診断されたけど、もう半年以上経って回復してないから、反復性うつ病性障害にシフトしてる感覚はある。あと、神経過敏とADHD特有の衝動性が相まって、攻撃的な性格になったり、多弁傾向が強くなったりと、躁転の症状も出てる。現に、こんなクソ長いまとまりのない文章を垂れ流してる段階でお察し。
理由は全く想定外していなかったADHD父とASD男児の相性の悪さ。毎日、家庭内で息子からストレスを浴びせられる毎日。
そして妻はメシは作れるし美味いんだけど、家事能力無しの汚部屋製造機でした。厳密には、他人から指示されると作業は出来る。でも、自分で段取りを決めて、主体的に動くってのが出来ないみたい。
それでコロナ禍の影響で、汚部屋環境下で耐えながら日々続ける在宅勤務。もともとストレス耐性はそんな強い方ではないので、半年くらいでパンクしました。で9月から休職中。手帳は元々持ってましたが、加えて障害支援区分2を取って、身体介護と家事援助の居宅介護を取りました。妻が家事出来ない分、私の枠を使ってなんとかしのいでる状況。
だから主治医からは家庭環境起因の発症だから、家族と別居して環境を変えない限りは治らないと言われています。実際、3週間入院した時はすっかり寛解したんだけど、自宅に戻ったら2週間で再燃しました。
今、妻にも心理検査を受けさせてます。でもウェクスラーは終わったっぽいけど、MSPAがまだみたいで、順番待ちでざっと半年待ちだとか。最近の発達障害ブームに加え、コロナ禍で今まで見えてこなかったグレーゾーンの人が一斉に顕在化したんだろうから、そりゃそうだろうなとは思います。で、妻の判定は相当先になりそうなので、先に障害支援区分を取らせて、妻にも居宅介護がつけられるように、現在画策中です。
これが済んだら、私はショートステイかグループホームに移って、擬似的単身赴任みたいな感じで家族と別居生活をする予定。家族と同居してると、一向に治らんので。
月々の生活費は、元々の基本給が35万円くらいあったので、それベースの傷病手当金が健保組合から出てるので、意外と困ってない。ずっと働けてなかったので、まだ有給休暇のうちに障害年金を申請して3級は通ったんだけど、就労不能で3級はねえだろと、審査請求を視野に入れて原因分析中です。
ここまでなんやかんやでギリギリやれてるのも、自分がMHSWの資格所持者で、計画相談支援とか、その手のサービスが世の中にある事を知ってたからだろうなあと思う。
一方で、会社の人事がここら辺の知識が無能過ぎるのが問題。復職支援ではなく、復職の邪魔をしている。完全に治るまでは会社の敷地を一歩も通させん、という姿勢なので、これじゃ治るもんも治らない。
ここまで書いて気付いたんだけど、これ愚痴じゃなくてただの自己紹介だよね。ADHDだと、主部と述部が全く異なるはよくある話。
双極性障害。それが俺に付けられた病名だ。
もともとプログラムが好きで、子供のころからBASICなんぞでゲームを作って遊んでいた。好きが高じて大学もコンピュータ系の学部に進み、大学院まで出た。当然のように就職先もSIerだった。
30を過ぎた頃、炎上プロジェクトに投入された。2000年代初頭だ。この頃、残業規制など今ほど厳しくなく、残業時間は年間1000時間弱。月平均で80時間。立派に過労死ラインだ。月80時間残業しようとすると、大体土日も出勤するようになる。それでいて、平日は普通に出勤だ。
最初の症状は不眠だった。もともと仕事が増えると寝つきが悪くなる傾向にあったのだが、それが常態化し始めた。それで、不眠に効くというメラトニンの錠剤を個人輸入して服用し始めた。これのおかげで、何とか眠れるようにはなった。
それがかえって良くなかったのかもしれない。炎上プロジェクトは炎上し続け、俺のチームは朝から終電まで働き続けた。そして、俺の症状は徐々に悪化し始めた。たまの休日は寝て過ごすようになった。何かをするのが億劫になり始めた。
そして、勤怠が悪くなり始めた。遅刻が増えた。仕事中に居眠りをするようになった。居眠りと言っても、よくあるような眠気を感じて寝てしまうのではなく、いきなり何の前触れもなく電源が落ちるような感じだ。我慢が足りないとかそういう問題ではなかった。
そんな俺を周囲はただの怠け者のように見るようになった。上司は俺に対して「居眠りをしたら、残業しても時間を認めない」などと言い出した。今なら多分労基行きだろう。
症状はどんどん悪化していった。仕事に集中できなくなり始めた。集中できないから残業が増える。悪循環だ。ある時タイムカードの計算に午前中いっぱいかかってしまったことがあった。ただ時間を集計するだけの単純作業に3時間もかかるほど、能率は落ちていった。
そんな俺を、周囲は白い目で見ていた。「なんだこの怠け者め」という感じだろうか。ある時、面と向かって「給料泥棒」とまで言われた。言い返す気力もなかった。俺は自分を責めた。「なんで俺はこんな怠け者になったんだ?」と。客観的に自分を観る余裕などなくなっていた。
さらに症状は悪化した。廊下でどうにも気分が悪くなり、へたりこんだ。会議中ずっと机に臥せったまま過ごしたこともあった。だが、周囲は俺を心配することも、注意することすらなかった。
そして、決定的におかしくなった。夜眠れない。朝起きられない。起きても頭が睡眠不足のように鈍重に感じるようになった。遅刻が連続して上司に「真面目に働く気があるのか?」と詰められた。
さすがに自分でもおかしいと思い、自分の症状をネットで調べてみた。うつ病だった。すぐに精神科に予約を取り、やっと「うつ病でしょう」と言われた。
この時、やっと安心できたのを覚えている。安心のあまり、滂沱のごとく涙があふれ出た。「自分は怠け者でも無能でもなく、病気だったのだ」と。
3年間の激務の結果は想像以上に深刻だった。1年間の休職期間はあっという間に過ぎ、退職になった。それでもうつ病が寛解することはなく、その後10年以上に渡って俺を苦しめ続けた。ついに病名が「双極性障害」に変わった。以前は躁うつ病と呼ばれていた病名だ。うつ病が中途半端に続くと、こうなることもあるらしい。
そして50歳になった。今さらこの歳で正社員で雇ってくれる会社などなく、派遣で食いつなぐのが精一杯だ。結婚などとうに諦めた。自分ひとりを養うのもままならない男と結婚したい女などいないだろう。
お前らに声を大にして言っておきたい。
私は過失による犯罪は許すよ。許されざるのは再現性がある犯罪、その人の性質による犯罪だ。
倫理観が欠如している人と、感情が制御できない人と、快感を求めるのを抑えられない人が、教育によって更生されるとは思えない。
実際目の当りにしたらわかる。たぶん一種の脳の障碍なんだ。
私は窃盗や食い逃げを繰り返す人を知っていて、その人は罪の意識もないし知人のものだろうと平気で盗む。その人はなぜそれがダメなのかを理解していないし理屈で理解させようとしたけど無理だった。
感情を抑えられない人を一人知っているがその人は私の言うことを聞かない。自分に嫌な思いをさせる人を敵認定するので外部から変えさせるのは困難だろう。
アルコール・ドラッグ・セックスなど快楽に取り付かれた人を何人か知っている。いったん快楽を覚えると当人の意志とは関係なくそれを求める別の人格が形成され、元に戻ることはない。