はてなキーワード: キャンバスとは
美術は別に詳しくなくて中学の授業ぐらいでしかやってないけど、家の壁が真っ白で寂しくて数年前から絵を飾ってる。
ただ、それこそ美術の授業でやったような作品は、現代の一般的な日本住宅にあまり合わない気がして避けている。(もちろん全部ではない)
で、最終的にたどり着いたのが https://www.icanvas.com
普通の日本人はまったく名前も知らないような、現代のアーティストの作品を、キャンバスや額付きのポスターとして送付してくれる。
ここででっかいキャンバスに印刷してもらって真っ白な壁に飾ると、すごく良い。
キャンバス自体の厚みもそうだし、キャンバス地の凹凸も相まってとても存在感がある。
絵の種類もとんでもなくあって、自分の部屋、インテリアに合うものをひたすらに選べる。
「ウルカヌスに驚かされるマルスとヴィーナス」ルイ・ジャン=フランソワ・ラグルネ作
である。
この絵はヴィーナス(嫁)が愛人(マルス)に寝取られて鬱勃起している夫(ウルカヌス)である。
この絵はどこに飾ってあったかというと、ルイ16世のベッドルームであり、おそらく性的興奮を得るためにこの絵が描かれたと考えられているようだ。つまりルイ16世は寝取られ性癖であったというわけだ。今どきならNTRAVの愛好者ということになるだろう。
この絵は楕円形のキャンバスに描かれている。これは窓から覗き見ていることを描写しているらしい。つまりルイ16世は寝取られ性癖の他に覗き趣味がある。今の世の中なら女子更衣室や女子トイレにカメラを仕掛けるような人物であろう。
名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的な位置づけがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。
おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的に吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈そのものの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。
そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。
この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。
それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。
金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋にイラストそのもの、物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルもコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。
ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋に視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。
全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。
まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。
素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。
自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体の問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。
絵の技法や歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。
ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。
素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体で表現しているのだろうし。
でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。
そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにはあんま興味ないけど。
カメラと写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。
おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。
TLを見ていて常日頃考えていること。
絵柄パクおよびトレパクをしているひとの絵を、それと気づかず称賛する人がまあ多い。
気づいてないんだろうなとも思うし、たまにその人をフォローしてる人にその人トレパクしてますよーって声かけに行ったりしてました。
でもそういう対応をしてると、大抵
「次もパクってるようなら考える」
とか言われる。
ことを荒立てたくないとか、問題にしたくないとか言われるのもまあわかるんですけど、側から見てると
「トレパクしてる人をフォローしてる人」
でしかないんですよね。印象悪い。
類は友を呼ぶと思われても仕方ない。
ていうか次パクるようなら考えるって、自分がパクられた場合何度も何度もやられても反省しないようだったら…ぐらいの感じなんですか?気づいた段階で嫌だなーとか一ミリも思わない?
自分がやられた立場になったことを考えてもいないようなら考えてみてほしいですね。
私はあなたが絵柄パクトレパクされて嫌だって言ったとしても「でも前にパクってる人容認したよな」
と思います。
話を戻しますが、個人的にはそんな人とはお付き合いしたくないので、気づいたら伝えに行ってたし
(最近は上みたいな人多いので行ってないです)、
そういう人とはお別れします。
だってトレパク容認してるのかどうなのかわからないし。近寄らないのが1番じゃないですか。
だからといってはなんですけど、私はトレパクしてる人をフォローしてる人については、トレパクしてる人をフォローしたままかどうかチェックしてるんですよ。
それに対して文句言われたので、悪質なトレパクしてる人を見抜けないご自身の節穴さを恥じろやと思いました。
(個人の感想です)
パクやってる人って案外見たらわかる。
同じキャンバス内で画力に格差あったり、メディア欄で画力に格差あったり。
(※絵描きさんに調子いい悪いがあるのはわかりますが今回言ってるのはそういう話ではないです。)
絵描いてる人間なのにパクってるかどうかも見分けつかないんだへぇ〜ふぅ〜ん…みたいな感じでその段階でもう私にとってはかなり印象悪いんですよ。
私にとっては。他の人がどう思うかは存じ上げないです。
私がなんでそんなにキレてるかって、
好きな絵描きさんがトレパクや絵柄パクの被害にあって筆を折ったことや、居なくなられて絵が見れなくなったことが一度や二度じゃないから
なんですよね。
絵柄パクを認めないやつは心が狭いとかトレパクは当事者同士で解決すべきで外野が口を挟むことではないとか言いますけど、
被害に遭われた人って相手とやり取りする心の体力が残ってなかったり、あとトレパクとか絵柄パクとかする人って基本的に話が通じないんですよ。
どれだけ建設的な話をしようとしても、なぜかは分からないけど言語能力が低かったり、質問に対して返答をせずひたすらすみませんごめんなさいしか言わなかったり。
まともな話し合いなんてまあできないんですよ。
話題になった人たちたくさんいますけど、他のトレパクやってる人たちもだいたいあれがちょっとかわいくなったもんぐらいの感じ。
ってなると話し合うぐらいならもう逃げてしまえ…って
なぜか被害者側が消えるんですよ。
なぜ?
悪いことしてるのは被害者側の人じゃないのに
なぜ?
面白い話なんですけど、トレパクとか絵柄パクしてるやつに限ってTwitterの bioとかに「無断転載・トレパク禁止」って書いてあるんですよね。
ハイブランドの服って接客コストがむちゃくちゃ高いんじゃないかと思うんだわ。
コスメの接客はある程度マニュアル化できるし、基本は物を売れば終わりだけど、服の場合は、試着のための個室、それも広めでラグジュアリーな空間が必要、次に微妙に合わないところとかはお直しに出したり、数はつくらないからお取り寄せしたりとイレギュラーが多いはず。
ごくごく限られた芸能人とか資産家しかファッションオタクしか相手にできない。10万とかにして庶民が来ると割に合わないんだと思う。
バッグは見栄のために持ち歩くものなので、見栄が張れるだけの価格にしないといブランド価値が下がる。
おそらくだけど、富裕層のトラベルラゲージ由来のヴィトンは、ファッションブランドより下のポジションに行きたくない、でも、ファッションブランドからすると、言うて自社職人がそれなりに頑張って作ってるものがキャンバスにビニール張りのバッグより安いっていうわけにもいかないからヴィトン並みに上げる。
そういう感じで値上げ合戦になってそう。
なんでそうなる。んなわけないでしょ
様々なテーマで描く絵描き(勿論その他のアーティストも含め)が、「表現」の一部である「性的なもの」を取り上げられることに反対するのは当然って話をしてるんだよ
ほんで「エロばっか描きたがる人」であっても、その人に対して「そういった作品を作るな」とは言えない
ただ、あなたの言う通り「商業ベース」の場合は「作品の発表を請け負っている企業」はコンプラがあるわけだから、それに反する場合はそもそも「発表を請け負わない」ってことになるだろう
そうやって発表の場が無くなる可能性はあるけれども、最後に言った通り「違った場」を模索していくことになるだろう
模索というか、結局のところはネット上での取引となるだろう。クローズドになれば「誰の目にも容易く触れる状態」ではないから件の論議も不要になるし
NFTが導入されているんだから、その流れは加速するだろうね
「紙に刷られた作品、キャンバスに描かれた作品」が消えてしまうのは哀しいことだけれども
「トラックの荷台に車を載せて撮影(実際にその車を走らせているわけじゃない)」する場合でも「シートベルトは必要か」って話になるのよ
たとえ外国の超大作の様に大枚はたいて道作って撮影したってシートベルトはするだろうよ(つーか日本でだって撮影の為に道貸し切りしてんだから別にシートベルト要らんのよ。本来)
主眼は「おいおい、車に乗ってるのにシートベルトしてないのは道交法違反じゃあねえか」って言われたら困るから、実際に走ってない車だとしても(表現の邪魔になるにも関わらず)シートベルトをして撮影してるってことなのよ
「アニメで未成年がタバコ吸ってる場面出さない」とかも似たようなもので、誰が「承太郎は未成年だろ!タバコ吸ったらあかんやろ!」って言うんだって話だけど「配慮」してるわけじゃん
そういった配慮を「くだらん」と思うことすら許されない感じで、なんて息苦しい社会かと思うね
ただただみんなビクビクして表現を狭めている
でもそれが当たり前になる世界に変化してって誰も気にしない様になるんだろうな。今は過渡期なんだろ
富。
僕が物心つく頃には、人はこれしか求めていないんだということを薄々と感じはじめていた。
それなのに、向上心を感じられないのはなぜだろう
そんな違和感はどこにいても僕から離れてくれることはなかった。
遠くを目指したい。
そう思ったのはスイスの高校に留学中、先生の授業を聞いていたときだった。
窓にふと目をやると、旅客機が空の青いキャンバスに白のラインを描いていた。
僕には目指すものがない。
すでに生まれた時点で将来が決まっていた。
親を選べなかったように、なりたいものも選べなかった。
家が裕福なおかげで、ほしいものも、やりたいことも不自由なくできていた。
学友に恵まれ、充実した日々は決まっている将来の前ではどこか虚しいものがあった。
彼らは人類が成し得なかった、空を飛ぶという夢を飛行機に託した。
ヒトは、鳥のように大空を羽ばたくことはできないが、ずっと遠くまで飛ぶことのできるものを作ることができる。
将来が決まっていても、何かを作って託すことはできるのではないだろうか。
目指していたのは、ただ遠くどこまでも誰よりもその先。
それは今日まで変わることはなかった。
10月13日、我が国は過去最長の4600kmの飛距離を実現した。
目指していたのは、ただ遠くどこまでも誰よりもその先。
それは今日まで変わることはなかった。
発達障害や注意欠陥障害に配慮した番組作りなのか「相手の気持ちを考えよう」「そう言った時の結果を考えよう」「効率よく物事をしよう」的な、空気を読んで集団の輪を乱さないお利口人間大量製造計画的な番組多すぎや。
人形劇やアニメも昔みたいにガキ大将タイプのキャラとかワガママ放題のキャラとか、ステレオタイプなキャラクターが全然出てこない。
男は主人公でも妙に腰が低く苦笑いしているような相手を立てる草食キャラばっかり。
女はひとつもムカつくところがない見せ方の違うかわいらしさを取り揃えただけで現実にはいないキャラクターばかり。
オシャレで知的で綺麗なキャンバスの教育テレビなんて本当に子供の役に立つと思うか?
絵が好きなら、キャンバスとか持ち込んで絵を書いたら?