はてなキーワード: 愛想笑いとは
pixivの話。
ある作品名で検索すると十年以上前から幼稚園児が描くような画力でポルノ絵を投稿し続けてる人がいる
何十件何百件、数ページ以上その人の絵で埋めつくされてる
先日そういう人を「闇深絵師」と呼ぶと知った。単に闇が深いだけでなく話題として触れただけでこっちが悪人と眉をひそめられるような、いわゆる障碍者の方
そのジャンルは古く小規模で横のつながりが密だ
しょっちゅうコメントが飛びかうでもないが割とすぐにスタンプやいいねがつく
近年ある媒体で再び日の光を浴びたことでSNSでは祝い絵が出回り、pixiv投稿もそれなりに息を吹き返した
闇深絵師は変わらず投稿を続けている。あいかわらず幼稚園の壁にはりだされているような拙い線と色使いだけに、ちょろんとした簡素な性器と陰毛がやけに目を引く
失礼極まりないと承知しつつサムネで見る度にウッとなる。未就学児の絵面に赤裸々な性欲が付随していることへの抵抗感だ。十年以上前から絵と詳細なキャプションの投稿をしているのだからむろん子供ではないだろう
失礼を重ねるが自分はこの人を見るまで、こういった人たちにも性欲があるとは知らなかった。肉体的には成熟しているのだから当然といえば当然なのだが
裸体、裸体、たまに画面外からさしこむ何本もの性器と中心に裸体…
なぜか決まってカ××ィやポ××ンといったかわいげのあるキャラクターも一緒だ。いずれの作品も公式でコラボしたことはない。どういうわけか闇深絵師は好きな物を好きなだけクロスオーバーしたがるらしい
最初に目にした時から画力の向上は見受けられない。彼か彼女かどうかも知らない
プロフィールは妙に長々しく、ほとんどが好きなキャラや作品名の羅列だ。このスタッフロールじみた綿密な好意の開示も「闇深絵師」に共通する要素のようだ
時々彼(彼女)のコメント欄が賑わう。といってもほとんどが同類と思しき人種からのなかば日記じみた世間話に終始している
キャラ名羅列の前後かは失念したが「未成年の性的搾取に反対します!」との一文があった
ところで彼(彼女)のご執心キャラは未成年の男児である。自分は笑っていいものか迷った
闇深絵師の呼称を知ったのは暇つぶしに某掲示板のまとめ記事を閲覧した時だ
闇深絵師の作品や言動を笑い者にするスレッドがあり、障碍者に暇人が群がる愚かさを揶揄した記事だった
世の何もかもを喋る玩具と見做す住人も流石に呆れたか「一生懸命描いてこれなんだからしゃーない」と擁護していた
(あるいは擁護のふりして論っているのかもしれなかったが、それは重要ではない)
彼(彼女)は十年以上前から投稿を続けている。公式から何の音沙汰もないまま十年以上
同じように細々と投稿し続けたファンも公式からの供給を得て出戻ってきたファンも、彼(彼女)の作品には見向きもしない
腫物扱いどころか透明扱いだ。今も遡れば数ページに渡って彼(彼女)の作品だけが乱立している状況なのに
おそらく界隈は自分と同じ考えからスルーしているのだろう…こちらから反応を示したが最後適切な対応を取らねば一生涯差別主義者の烙印を押されかねない、という恐れ。あるいは面倒だから近寄らんとこ、という身も蓋もない理由
もちろん健常者同士でも感想が貰えないのは珍しくもない
特に二次創作は地雷、解釈違いという単語があるくらい個々の面倒臭さを煮詰めた世界だ
下手なら見向きもされないし、上手かろうと今度は嫉妬で叩かれる。どちらにしても通り魔的に燃やされかねない。最初に闇深絵師と呼び名をつけた人間も悪意から彼らを燃やしたのだろう
だからして「彼(彼女)の作品にもコメントしてあげるべき」などと偉ぶりたいわけではない
ただ昨今の多様性や人権といった聞こえのいい理想を耳にする度に、そこに彼(彼女)の作品が評価される居場所はあるのだろうかと思ってしまう
よく「オタクは現実から逃げた負け犬」と唾棄されてきたがその偏見の是非はさておき、オタクになって居場所を得た人は大勢いるだろう
今ではリアルとオタクの二足草鞋も珍しくもないがいまだにオタクは自虐として俺達はリア充ではない、陰キャだチー牛だとキャッキャしている
だが闇深絵師は最初からリアルの舞台にもオタク同士傷をなめ合う土俵にもいないのだ
健常者からは生温い愛想笑いを返され対等に扱ってはもらえず、逃げこんだオタク趣味のうちでも健常者オタクから存在しない風に扱われる
挙句闇深絵師と名付けられて監視を受け、口さがない者からは「検索汚染」などと罵られる…
世の中に発信した時点でそれは無限に続く批判の渦中に叩き込まれる覚悟を決めるってことじゃないのか?
真摯な批判ってのはときに相手の人格を顧みないものにならざるをえない。
仕事は仕事、感情は感情、そこをハッキリ分けないと身につくものも身につかない。
読者は作者のためを思って心を鬼にして口酸っぱいことを言うこともあるわけで、そうしたとき時には相手に対する敬意なんてものを持ち合わせる余裕がなくなるのも仕方ないだろ?
なんなんだろうね。
絵が下手くそなら下手くそと、パクリならパクリと、展開がありきたりなありきたりと、ハッキリ伝えてやってこそ次回作に活かせるってもんだろ。
本当に面白かったらもっと金を出してやろうってだけのシビアな関係でしょ。
なんなんだろうね。
つまんねえ作品につまんねえと言っちゃ駄目なの?
滑ってる作品に滑ってるぞと言ったらそれは相手の漫画家としての人格を否定するものなの?
むしろ逆だろ。
つまんねえのに愛想笑いで面白かったですよって言われる方が傷つくだろ。
プロなら尚更。
マジ意味分かんねえわ。
でも笑顔が使われた表現って、「私も笑顔にならなきゃ!」って強制性があると思う。ダンサーも物凄く苦しいのに笑顔(男女問わず)、ビッ友戦士も変身シーン?で鍛えられたような笑顔(それを視聴少女達も求めている。しかしその求めは洗脳では?)、街にあるポスターもデフォルトが笑顔(笑顔にしない理由があるときだけ非笑顔)。笑顔がいいことであり皆そうあるべきだ、隣の人が笑顔でないのはお前のせいだという恐ろしい宗教。だから会社でもみんな愛想笑いばかり。こんなのはディストピアだ。笑顔が体にいいなんて医学実験の結果をだそうとも、それはある種のプロパガンダなものであるとしか思わん。
これはなあ。おっさんなので記憶があるのだけど、2000年代前半頃、「らき☆すた」あたりが出てきた頃から潮目が変わったように思う。今で言う日常系だけど、辛いことや大変なことが何も起こらない世界というのをあからさまに押し出す考え方はそれまであまり無かったと思うんだよね。それらが流行ってどんどん求められるようになっていくのと並行して、元増田の言うような「笑顔!前向き!ハッピー!」みたいな、都合の悪いものから全力で目を逸らすことが当たり前になっていったように思う。東日本大震災以降はさらに「仲間と絆」みたいなものが加わって、「みんなで仲良く」とか「誰も傷つかない世界」みたいなコンセプトが強調されてきて、それが実現してることになっている気の合う人たちだけで構成された小さい世界が無数に作られて、世界同士が交わらないように分断されていっているのが今ここって感じがする。笑顔でないというのはその「小さな世界」の外側を意識させるもので、激しい拒絶が起こるんだと思う。辛いものにはもう耐えられないから見ない、見ないということは存在しないということで、だから世界には辛いものなんてないんだ!ハッピー!スマイル!それが現代の時代の気分なんだと思う。
おっぱいを強調された表現を出したって、「私もおっぱい出さなきゃ!」とはならんわけで、キモいと思う人がいるかいないかみたいなレベルの話でしかなく、その多数決をバカ達が互いに一生懸命やってるにすぎない。
でも笑顔が使われた表現って、「私も笑顔にならなきゃ!」って強制性があると思う。ダンサーも物凄く苦しいのに笑顔(男女問わず)、ビッ友戦士も変身シーン?で鍛えられたような笑顔(それを視聴少女達も求めている。しかしその求めは洗脳では?)、街にあるポスターもデフォルトが笑顔(笑顔にしない理由があるときだけ非笑顔)。笑顔がいいことであり皆そうあるべきだ、隣の人が笑顔でないのはお前のせいだという恐ろしい宗教。だから会社でもみんな愛想笑いばかり。こんなのはディストピアだ。笑顔が体にいいなんて医学実験の結果をだそうとも、それはある種のプロパガンダなものであるとしか思わん。
「デフォルトの笑顔」表現を規制せよ。笑ってしまって笑顔なら全然問題ない。もっと生来の口角によらずハードルのない世界にすべきだ。
まあ感想は概ね世間の皆様が言ってる通りなんだけど、俺は「なんでこんな映画が商業ラインに乗ってしまったのか」という方に頭が行ってしまった。
プロデューサーは、名前がいっぱい出てきて誰がメインのプロデューサーかわからない。
この滑り続けるギャグの応酬を見て、背筋が寒くなったのは、「これ、誰もツッコミ入れなかったの?」という事実に対してである。
聞けば、演出指示はかなり細かく、「語尾まで含めて脚本と一言一句変えてはいけない」という厳しい演技指導のもと作られた作品らしい。
そりゃないよ。
「一つだけ種類の違うキノコが・・・」って何度言わせるんだよ。つまらんわ。
これ、監督が脚本書きながら「ウヘヘ。ここでドッカンドッカン爆笑くるぜ」と思って書いていたんだとしたらもう潮時だから引退した方がいい。
これは一体なんだろう?
まだ20代だった頃、転職してきた中間管理職のおっさんである。
全然面白くもないギャグや下ネタを言うだけ言って俺たちは愛想笑い。
面白いと思ってる人は誰もいないのだが、一応上司だから話は聞いてるふりをしなければならない。
そういえば、その会社の会長がある日気まぐれでキャバクラに連れて行ってくれた時も、延々とつまらない下ネタを繰り返し繰り返し話をしていた。その会社を辞めて何年か経って、また会長に誘われて再びキャバクラに連れて行かれた時、数年前と全く同じ下ネタとギャグを言っていて「人間は終わるとこうなるのか」と衝撃を受けた。
これが本当にヤバいと思う。周りの人は「それ面白くないですよ」とつっこめないし。
当然、金づるだと思ってるキャバ嬢が「つまんないよ」と指摘することもない。
去年のオリンピックの開会式で、「渡辺直美に豚のコスプレをさせよう」とか頭の沸いたアイデアを披露していた人と同じ匂いを感じるのである。
背筋が寒くなったのは、俺ももうとっくにそういうおじさん側の年齢に突入しており、いつ自分の冗談が愛想笑いに囲まれないとも限らない世界に生きているということだ。
ここ最近の炎上映画、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリーズ」とかも同じミスを犯している気がする。最近だと神山健治の「永遠の831」と「ひるね姫」とか。要は監督にしか理解できないストーリーが監督にしか理解できないテイストで雄弁に語られているのだが、誰にもその面白さがわからないまま話が過ぎ去っていく。
まあ感想は概ね世間の皆様が言ってる通りなんだけど、俺は「なんでこんな映画が商業ラインに乗ってしまったのか」という方に頭が行ってしまった。
プロデューサーは、名前がいっぱい出てきて誰がメインのプロデューサーかわからない。
この滑り続けるギャグの応酬を見て、背筋が寒くなったのは、「これ、誰もツッコミ入れなかったの?」という事実に対してである。
聞けば、演出指示はかなり細かく、「語尾まで含めて脚本と一言一句変えてはいけない」という厳しい演技指導のもと作られた作品らしい。
そりゃないよ。
「一つだけ種類の違うキノコが・・・」って何度言わせるんだよ。つまらんわ。
これ、監督が脚本書きながら「ウヘヘ。ここでドッカンドッカン爆笑くるぜ」と思って書いていたんだとしたらもう潮時だから引退した方がいい。
これは一体なんだろう?
まだ20代だった頃、転職してきた中間管理職のおっさんである。
全然面白くもないギャグや下ネタを言うだけ言って俺たちは愛想笑い。
面白いと思ってる人は誰もいないのだが、一応上司だから話は聞いてるふりをしなければならない。
そういえば、その会社の会長がある日気まぐれでキャバクラに連れて行ってくれた時も、延々とつまらない下ネタを繰り返し繰り返し話をしていた。その会社を辞めて何年か経って、また会長に誘われて再びキャバクラに連れて行かれた時、数年前と全く同じ下ネタとギャグを言っていて「人間は終わるとこうなるのか」と衝撃を受けた。
これが本当にヤバいと思う。周りの人は「それ面白くないですよ」とつっこめないし。
当然、金づるだと思ってるキャバ嬢が「つまんないよ」と指摘することもない。
去年のオリンピックの開会式で、「渡辺直美に豚のコスプレをさせよう」とか頭の沸いたアイデアを披露していた人と同じ匂いを感じるのである。
背筋が寒くなったのは、俺ももうとっくにそういうおじさん側の年齢に突入しており、いつ自分の冗談が愛想笑いに囲まれないとも限らない世界に生きているということだ。
ここ最近の炎上映画、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリーズ」とかも同じミスを犯している気がする。最近だと神山健治の「永遠の831」と「ひるね姫」とか。要は監督にしか理解できないストーリーが監督にしか理解できないテイストで雄弁に語られているのだが、誰にもその面白さがわからないまま話が過ぎ去っていく。
人と話すのが苦手という人は多いと思う。
私もその1人で、人と会話するととても疲れる。逆に人との会話が楽しくて体力回復になる人もいるそうで羨ましい。
昔から、私は周りの人とは会話の内容というかテンポというか、何かが違うぞ、というのは感じていた。
周りの人と比較してみて気付いたのは、私は会話中に笑わない。コミュ力を身に付けたくて、周りの人の会話を聞いていると、とにかくよく笑っている。
多分私は愛想笑いが一切できないのだろう。
小さい頃から他人との会話が苦手だったせいで会話中は常に苦しく、笑えない。
また、会話を広げる事が出来ない。
これについても自分なりに分析してみた結果、相手に興味が持てない為と思われる。
人見知りなため会話している相手がいつまで経っても他人のままで距離が縮まらないのだ。
相手を他人から友人に認識を変える、相手に興味を持つ事で雑談ができるようになるのではないかと思っているがそれが出来ない。
上記の通り死ぬ程会話が下手くそな私が最近マッチングアプリを試してみている。
メインの目的は婚活だがメッセージのやり取りでコミュ力を付けたいという目的もある。
最初の挨拶に返事をしてくれる人はいるのだがそれ以降音沙汰がない。
基本的に最初の挨拶やそれ以降の話題の提供は男性から行う事が殆どなので、苦手なりに何か会話しなきゃと当たり障りの無い質問をしてみるのだが返事が来ない。
今時珍しいかもしれないがLINEもやっておらずメッセージのやり取りの経験がほぼ無い私は、ビジネスメールの様な堅苦しい何の面白味も無いメッセージしか書けない事を知った。
マッチングアプリは男性比率が恐ろしく高く、女性からすればメッセージの相手は掃いて捨てるほどいるので、私みたいなコミュ障に無理して付き合う必要は全く無いのだろう。
月額料金が高めなので諦めるか続けてみるか真剣に悩んでいる。
そんな感じで最近悲しい思いをしたのでより一層コミュ障を克服したいと思った。
楽しそうに笑いながら会話をしている人を見ると本当に羨ましく思う。
文章を書くのは別に苦手では無いのだが会話となると何も思いつかない。
暇だし途方に暮れたので日記を書いてみた。
久しぶりに親戚が集まった正月、昔から良くしてくれた叔母にそう言われた。
叔母の夫婦には子供ができなかったこともあってか、僕は生まれた頃から実の息子のように可愛がってもらっていた。
叔母は頭がよかったため、勉強を教えてもらったり、進学の相談に乗ってもらったこともあった。
僕は叔母を本気で尊敬していた。
僕はその話に適当な相槌を打つ。ちゃんと聞いてるつもりなのに、話が頭に入ってこなかった。
あれだけ聡明だった叔母が、何故反ワクチンなんかにという疑問。
見慣れているはずの叔母の顔が、どんどん気持ち悪く思えてきた。
昔ネット上で聞いた陰謀論の一つだ。叔母はどこでその話を知ったんだろう。
そんな話はデマだと言ってしまいたかった。けれどそれができなかった。
今まで僕に色々なことを教えてくれた叔母に対して、強く反論する勇気がなかった。
反ワクチン派の中では、イベルメクチンこそがコロナの特効薬で、それをワクチンを広めるために政府が隠蔽しているという話があることは聞いたことがあった。
これがそのイベルメクチン。まさか実物を手にする日が来るとは。
「何かあったら飲んでみます。ありがとうございます。」頑張って作り笑いをしながらそう言って、僕は叔母から逃げるように離れた。
家に帰り少し落ち着いてから、叔母がイベルメクチンをどうやって入手したかが気になりインターネットで調べた。
見ると、この薬は通販で買えるのだという。
僕が貰った箱と同じものが1万円で売られているのを見た。
1万円、結構な額だ。少なくとも人に配ってまわる物の額ではない。
それを考えると、叔母は本気で僕のことを心配してくれていたんだと思う。
自分が正しいと思うことを伝え、僕の身の安全を考えてイベルメクチンを渡してくれたのだ。
やっていることは昔と変わらない。ただ今の僕とは思想が違うだけだった。
その叔母に対してできる恩返しは、真っ向から反論して喧嘩をすることか、大人しく相槌だけ打って愛想笑いをすることか、黙って遠ざかることか。
何が正解なのか、僕にはわからない。
今後どういう形で叔母と関わっていけばいいか、じっくり考えようと思う。
どういうタイミングで加入するんだろう。
ある日ポストに謎の招待状が入ってて
ジメジメした階段を降りた先にドアがあるんだけど
ドアにある小窓に招待状を差し込むと
ギィってドアが開くのよね。
中は明るくて色んな人がグラスを片手に話をしてるんだけど
男の人は黒い皮のメガネみたいなやつ、女の人は羽根がフワフワしたメガネみたいなのをしてるわけ。
自分も渡されたやつをして所在なさげにお酒飲んだり愛想笑いしてるんだけど
燕尾服をきた太っちょのおじさんが、バニーガールとステージにあらわれて
筋肉お化けみたいな二人組に無理やり引きずり出された僕のシャツを剥ぎ取って
右の肩甲骨に焼き印を押してきて激痛と
肉の焼ける匂いに頭がくらくらしてる僕の目の前に
銀のお盆の上にのった何かを渡してくれたんだけど、あまりの痛さにそこで意識がなくなっちゃたのよね。
次に気がついた時は自分のベットで普通にパジャマを着て寝ていたんだけど
財布を開けてふと見ると、そこにゴールドカードが入っていて
あぁ昨日のことは現実だったのか
って僕は思ったのでした。