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はてなキーワード: 一枚岩とは

2019-01-16

anond:20190116025353

良い民意と悪い民意を分けるのはフェアじゃない。

沖縄だって一枚岩じゃないし、ジレジョーだって暴動まですべきじゃない。破壊されたものの所有者の意見はどこ行くの。

民意を吸い上げるべき政治機能不全だからって、何をしてもいい訳じゃない。自分が参加して決めたことを尊重する態度は見せようよ。

2019-01-01

anond:20190101222601

キモくて金のないおっさん差別が解消された後にどうするかというのは

正直なところキモくて金のないおっさん差別が解消される前に私が死ぬと思っているので考えていませんでした

もしポリティカルコレクトネスによってキモくて金のないおっさんのような現在優先順位が極めて低い対象が本当に救済対象とされるような世の中なったとすれば

それはほとんど差別という概念自体がなくなっている世の中なのではないかという気もしま

それでも資本主義的な暴力によって傷付く個人というもの差別とは無関係存在しているでしょうし

そのような人々を掬いあげる新たな理論などが生まれてそれに準じて新たな主張をすることになるのかもしれません

また上のような特に根拠のない予測とは別に

私は差別が完全に解消されるなどということは実現できないと思っていてはじめから考えていないのです

なので差別を無くせという主張ではなく

キモくて金のないおっさん差別社会問題として認知されて解消に向けた動きが存在することが必要だという形で訴えています

極端な話私ははてな匿名ダイアリーのようなネットや或いは小説映画などでキモくて金のないおっさんのような存在いくら差別的な表現ヘイトに曝されていても

現実容姿差別や年齢差別によって雇用学習機会を妨げられないことや

アファーマティブアクションによってキモくて金のないおっさん雇用され十分な待遇を得ることなどが出来れば

それでいいと思っているのです

ただこの考えはあくまで私個人感受性によるものなので

同じキモくて金のないおっさんであってもキモくて金のないおっさん差別する表現が許せないという方もいらっしゃると思います

LGBTの方々などもこのあたりの問題については一枚岩ではないのではないかと思っています

そしてそれにも関わらずLGBT運動がここまで力を持っていることが本当にすごいことだとも思います

2018-12-23

バディっていうゲイ専門誌読んでたら気分悪くなった

ゲイ専門求人コーナーで「未経験者歓迎」って書いてあってももうそういう意味しか見えねーし

あと全体的にマッチョモデルが多くてヒゲダルマおじさんは少なくて、ゲイ専門しも一枚岩じゃないのかなって思った

2018-12-09

社会多様性など無い方がいいに決まってる

anond:20181208164423

元増田ダイバーシティって横文字に騙されて勘違いしている。

社会は多様でない方がいいに決まってる。

理由はまさに、多様だと石橋容疑者みたいなクソが混じるからだ。

.

そもそも人間は多様な社会など、許容してこなかった。

社会一枚岩であるべきとされ、そうするために努力してきた。教育によって均一な人を作り、政治によって異常者を排除し、宗教によって信念すら統一した。なぜそうしたかというと、一枚岩でないと戦争、ひいては競争全般に負けるからだ。

.

しか近代以降判明したのは、人間社会一枚岩にするのは無理、ということだった。特に人権という概念によってはみ出しもの排除することが禁じられると、このことが問題となった。排除なしで社会包摂する思想必要だった。

そこで思想家は「生物多様性」を援用することにした。自然が強力なのは、多様な生きものいるからだ。これは事実なので、社会も多様なほうが強力になる、という主張も可能になった。

.

でも思想家は自然に対して希望を持ちすぎていたと言わざるを得ない。

そもそも生物多様性っていうのは、弱者強者がともに存在して、弱者バンバン死んでいく環境において存在するものだ。そうした環境で、環境全体はそりゃ強靭になるが、個体は救われなどしない。

社会多様性を導入すると、もちろん社会は強くなる。だけど、そのことによって個人が救われなどしないんだ。福祉の推進は弱者強者を均質にするという意味多様性を損ねすらするビジネス的にダイバーシティを使うなら、多様な人材を雇ってみて、営業成績下位はクビになる、みたいなことは出来る。ジャンプ連載みたいに。でも外に均質な社会がある会社組織しかこれは無理だ。

社会多様性などあってはならない。

多様性ってのはすげー残酷現実の仕組みなんだぞ。思想家がイメージしてる包摂真逆だ。

2018-11-04

anond:20181104000918

え、ネトウヨって一枚岩なの?

じゃあどんな思想統一されてるの?

anond:20181104000641

いや、一枚岩だろwww

一枚岩じゃないネトウヨの例を教えてくれ

>「ぶっちゃけ思想方向は関係なく、ネット政治的な話で過激にイキってる奴」

じゃあマルクス主義者もネトウヨになるわなw

そもネトウヨっていうのがもう一枚岩じゃない

ぶっちゃけ思想方向は関係なく、ネット政治的な話で過激にイキってる奴」の総称になっている

同じようにオタク一枚岩じゃない。

たとえ二次元オタクに絞ったとしても、それでもまだ一枚岩じゃない。

とにかく主語がでかい

2018-11-03

anond:20181103134107

それぞれが好きな格好をしていい権利を獲得することを目指すフェミ二ストはリベラルフェミ二ストで、

男性に媚を売る格好は許さないというのはラディカルフェミ二ストに近い。

このへんはフェミ二ストの中でも対立してるので増田質問自体、成立し得ない。

オタク」が美少女アニメを愛好してる男性だけを指す言葉ではないように、「フェミ二スト」も色んな人がいるんで。

フェミ二ストが一枚岩ではないというのは何回も言われてるんだから少しは調べてね。

anond:20181103005209

IT系自由主義は「フリーソフトウェア運動」を支持する派閥です

IT系自由主義という呼称があるわけでなく、判りやす呼称をこの場で使っただけ

他の増田言及しているけど「ハッカー文化」とも関わりが深い

パソコン通信インターネットと共に活動範囲を広げたため、Web上だけで言えば思想集団としては最古参であるのは間違いがなく、情報化社会では少なくない影響力を持ちます

ただ、技術者やそれに親しい者が大半を占めるため、興味ないことにはとことん興味がなく特定の議題でしかその影響力を発揮しないという気分屋なところがあり、ツイフェミはてサよりも目立たないです

判別方法Web上のプロフィールなどに「GNU」や「FLOSS」という単語記載していたり、情報規制検閲セキュリティへ過敏に反応しがちという特徴があります

もちろんフリーソフトウェア運動を支持する派閥一枚岩ということもなく、過激派穏健派も居ますし、コミュニティー複数あり、セーフスピーチ思想理解を示すコミュニティもあります

関連するコミュニティで最も有名なものに「GNUプロジェクト」があり、社会を騒がせたコミュニティで有名なものを挙げれば「Anonymous」などもIT系自由主義の一派と言えます

IT系自由主義の直近の日本での活動と言えば「海賊サイトブロッキング(反対論)」や「分散SNS(普及論)」「キズナアイ騒動(キズナアイ擁護論)」があります

検閲言論表現規制に対して強く反対する傾向から現状の日本インターネット言論ではサブカルを取り込んだ右派思想集団協調することが多く、協調してしまったが故にネトウヨと誤認されることがよくある

しかし「GNU宣言」などからも読み解けるようにIT系自由主義左派思想であり、根本的な部分では決してネトウヨとは相容れないでしょう。現在は利害一致による共闘状態なだけ

IT系自由主義右派思想集団を見限り、左派思想集団へもしも合流するとしたら、そのときはツイフェミはてサ左派政党検閲言論表現規制によらない自由を獲得したとIT系自由主義判断したときに合流すると思います

今のツイフェミはてサ左派政党IT系自由主義邪魔しかないです

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-12

元々あんまりフェミニストきじゃないんだけど

Twitterで見かけるフェミニストだと自分言及している声の大きい女性が掲げる思想

そもそもフェミニストから離れてないか?と思って調べてみたらフェミニズムって一枚岩ではないのね

でもキズナアイとかまなざし村(この言葉嫌い)とかの騒動で声が大きいフェミニストの人たち、

女の胸と尻を削って男にしようとしているんじゃないかってくらい意味がわからない

2018-10-10

anond:20181010002800

そもそもこちとらフェミニスト排除運動にも参加してないしフェミ肯定派でも擁護派でもないけど理性的問題追及してる人たちを根こそぎ敵認定してとにかく罵詈雑言ボッコボコにしてる人たち見てると、「これ見てるアンチオタクたちはよりアンチオタクを強めるだろうな…やめてほしいな…」という気持ちになって、確かに根拠はないけど「これってつまりフェミサイドの陰謀なのでは?」と思ったわけ。しかし君を見てるとそうでもないんだなとわかった。本当にオタク自衛のつもりで行ってるんだな…。オタク一枚岩じゃないな。頑張ってください。

2018-10-08

怒りで社会を変えることの難しさ

今回の炎上も本当によく燃えている。

ネット毎日のように展開されているオタクフェミニストのバトルのみにとどまらず、無関係なはずのBL界隈にも一悶着あり、しまいには炎上当事者の属する社会学というフィールド自体にまで疑いの目が向けられるに至った。

だが、改めて考えてみると、別に今までだってネット炎上といえばだいたいがこんなものではなかったか

今回のように、最初炎上騒ぎを煽った側がかえって火だるまになることも、そう珍しくはない。

今せっせと燃やそうとしている側も安心できない。ひとつ集団のように見えても、決して一枚岩ではないからだ。目立とうとするあまりに(その集団内においてすら)不適切な行動を起こす者もいれば、それがまた炎上し、あるいは内ゲバに発展することもある。

そうして、ひとつ炎上はおよそ縁のないはずだった人や組織まで巻き込み、やがて一種エンタメと化しつつ、無軌道無責任に拡大していく。

なぜ、毎度のようにこんなことになってしまうのか。

思うに、炎上が怒りに依っているからではないだろうか。原動力が怒りだから、ムカついたものがあれば、片っ端から巻き込まないと気が済まない。

怒りというのはそもそもコントロールしがたいものなのだネットに限らず、巷には正義を名乗った怒りが溢れているが、それも例外ではない。余計に止まれなくなるだけである

してみると、怒りで世の中を良くしようというのが間違いの始まりだったのではないだろうか?

怒りに任せて世の中が動くことは確かにある。だから全くの無意味というわけではない。

しかし、それは得てして、当初予想もしていなかった方向へ転がるのである

2018-09-29

自民党だろうが野党だろうが企業だろうが、

そもそも組織なんて完全に一枚岩じゃない場合ぐらいよくあるし

あの組織の中の一部分だけ利用してるだけで、その全部を肯定するわけではないなんて普通にあることだと思うんだけどなあと

天ぷらが嫌いなやつは天ぷらも売ってる蕎麦屋蕎麦だけを食うのも駄目みたいなのは理解に苦しむ。

2018-09-23

anond:20180923233121

いや、思いつかなかったというか弾劾訴追された結果の失脚になるわけだから

まずは弾劾されるかどうか、それが通るかどうかの話では?

いきなりすっとばして失脚三割とかいわれたら「わかってないな」って言いたくなるよ

まぁもともとの話に戻せば中間選挙後仮に弾劾出て下院通っても上院は通らないだろうし

民主党の分裂がなくなって一枚岩になるような候補がいない限り大統領選は勝つと思う

三割よりは低いな

2018-09-21

境界線上のホライゾン』表紙イラストは「意図せず描かれたステレオタイプ女性」だったのか

今回の件では、ラノベ批判する側も決して一枚岩でなく、いくつかのグループがありました。

そのうちのあるグループがこう主張していました、

エロい表紙だからダメ」でも「差別的意図があるからダメ」でもなく、

私たちに『差別的意図がある』と思わせたかダメなのだ」と。

ストレートに受け取れば単なる被害妄想です。

なかなか理解できずにいたところ、ふと思いついたのが、

差別的意図はなかったとしてもステレオタイプ黒人を描くのは差別」という論理でした。

差別的意図はなかったとしてもステレオタイプ巨乳女性を描くのは差別」。

なるほど、対応しているように見える。

同時に強烈な違和感も覚えます

いったい何が問題なのでしょうか?

意図的でない」の意味

なぜ「意図的でなくとも」なのか。

それは、差別的ステレオタイプを「無自覚に」支持していることがありうるからです。

とすると、これはむしろ意図的でなくても」というより、

意図的でないからこそ」と考えたほうがいいでしょう。

意図的にそのような表現をしている場合

そこからは作者の「意図」が差別的かどうか、という問題となり、

表層的な「見た目」の問題ではなくなるからです。

境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、

葵・喜美というキャラクターの格好には、もちろん作者の「意図」がありますが、

その「意図」を評価するには、作品内容に踏み込まねばならないでしょう。

被害者差別的に感じればすべて差別」という論法が使われることもあるらしいですが、

これは「差別かどうか」を機械的分別しうる分かりやす基準が欲されているだけだと思います

当然ながら、「そこに意図はあるのか」「その作者の意図差別的か」といった判断思考放棄は許されず、

何らかの問題が起きるその都度に吟味する必要があるでしょう。

ステレオタイプ」の食い違い

「頬を紅潮させた半裸の巨乳女性」のイラストを見て、

男性への媚びや隷属、あるいは羞恥といったイメージを抱く人がいます

一方で、オタクには「エロい女は強キャラだ」というステレオタイプがあります

あられもない格好をして興奮しているようなキャラクターが弱いはずがない。

境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、

葵・喜美というキャラクターもまた作中屈指の強キャラであり、

主人公も含め、多くのキャラクターが頭の上がらない存在でもあります

たとえば「ハーレム」というと男性優位をイメージするでしょうか?

多くのハーレムラブコメにおいて、男性主人公は情の深さと優柔不断を併せ持ち、

その性格がためにむしろ周囲のヒロインたちに奉仕する構図になりがちです。

(もちろん英雄好色を地で行く奔放なキャラも一つの類型として存在しますが)

ハーレムヒロインたちが恋敵ではなく戦友として結託して、

主人公をみんなで「管理」するような展開すらままあるのです。

言うまでもなく「いずれのステレオタイプが正しいか」と主張したいわけではありません。

ステレオタイプというものは意外に食い違っているものだということです。

女性の頬が紅潮しているのは男性への媚びである」が「黒人の唇は厚い」などと

同程度に共有されたステレオタイプであるのかは議論余地があるでしょう。

それは「女性」なのか

境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、

葵・喜美というキャラクターはもちろん女性です。

(ちなみに境ホラⅤ下の表紙は男性です)

しかし、たとえばセリーナ・ウィリアムズカリカチュアライズして炎上した風刺画とは違い、

オタクにとってあのイラストは、あくまで葵・喜美というキャラクターの「真像」です。

これは、あのイラストを広く遍く「女性」のカリカチュアとして捉える人々との深刻な齟齬となります

特に、葵・喜美はキャラクターとして「ごく一般的女性」として設定されているわけでもありません。

シリーズに深く親しむファンほど、「女性」全体のイメージと結びつけるような見方に反発するでしょう。

キャラクター性を度外視できる「見た目の過激さ」についてだけではなく、

その意図差別性にまで踏み込んで議論するのであれば、

この認識の溝を埋める努力必要となってくるはずです。

2018-09-15

42「なぜ俺たちだけ2桁という括りなのか?これは差別だ」

二級市民というカテゴリカテゴライズされている42は憤っていた。2、3、4や5と違って自分たちには確たるアイデンティティがない。28のような完全数名誉1桁というように崇められているものの、42に付与されていたのはDon't Panicの解でしかなかったし、素数でも無かった。

ある日のこと、42はポリティカルコレクトネスという言葉を知った。そこで彼は「私達を2桁と呼ぶのは差別だ」と主張することにした。しかし異を唱えるものたちは多かった。7は42を小馬鹿にしてこう言った。「2桁を2桁と言って何が悪いww」と。しかしこれには15もカンカンだ。彼は16進数ではFなのだから自分はもう1桁といっても過言ではない。42などというどうしても2桁にしかなれないような愚かで愚鈍無知蒙昧の輩と一緒くたに扱われては困ると主張する。7はそれでも「お前も2桁だろww」と煽るのはやめない。それを見ていた1は、1進数でも2進数でも一桁なので階級闘争には全く参加することなく「8080」と一人で約数として今日も管を巻いていた。

78925から見れば2桁とか1桁とかそういった話はくだらないことだ。世の中から見れば彼らは少数派にすぎない。世の中には無限の桁数が存在するが、たまたま世の中に出回っている桁数では1桁や2桁がポピュラーなだけ。世の中にはグラハム数のような存在もいると密かにSNS書き込みをしていたが、誰もそういった抽象的な議論には興味が無かった。クヌース表記法を知るものそもそも多くなかったからだ。グーゴルプレックスすらあまり知られていないし、きっと彼らはその存在を知っても、ただ穢多非人のように扱うだけで、全く同類とは見なさないだろう。

42は2桁であって、自分は1桁のように崇められるべき数値だと自己表現していたが、一方で100や2000のことなどは侮っていた。自分より後の数字ことなど彼は興味がなく、桁数差別お題目にしている割に、3桁や4桁のことはいつでも軽んじていた。それどころか、2桁ですら、九九の81までしか認めておらず、84は42から死ぬほど冷遇されていた。死ぬほど冷遇されていた。本来桁数差別をやめるべきであるとするならば、すべての桁数の支持を集めて戦うべきだろうと思われる。だが2桁も一枚岩ではない。12や13などは、5と仲良しこよしであり、そこに差別感情は見いだせない。だが、2桁差別抗議体では「ユークリッド平面上でしか仲良くできない愚かな数値ども」としてこれを黙殺している。53や80に至っては「別に2桁でも私は極めて重要存在からそういった闘争には参加しない」と公式声明を出していた。

多様性を認めるべきだと3/5や√7/18は語るが、そもそも彼らには整数権が認められていないので、78925からすらも有理数無理数といった存在軽蔑対象となっていた。ただし円周率ネイピア数については、超越数として信仰するものもいた。3/10はそうしたことから「なぜ我々に整数権がないのか」と永久に主張している。

こうした不毛な議論を見た算数嫌いの229112は語る。「数学なんてそもそも無くしちゃえばいいんじゃね?」と。これにはオイラービックリ。6によると、こうした差を見て区別することで、数学は体系付けられてわかりやすくなるということだ。数学界での差別がなくなる日はない。絶えず新たな記号が導入され、xやaばかりだった記号もξのように「うんち」と揶揄される記号も多く出回ってきた。

さて、私達は今まで通りカテゴライズされるべきだろうか?いや、そうではない。新しい秩序を構築し、不毛な数は排除抹殺し、私を頂点にするべきである。そしてそれこそが、世界を新たなステージへと上げる真の解決策にほかならないのである

by 94.821

anond:20180915015149

台湾という国」という書き方をしているあたり

増田中国人の心情や台湾現地人の複雑で一枚岩になれない心情を分かってないんじゃ?

どんな立場の人にも阿らない書き方をしようと思うと「国」はない。

せめて「地域」とか。

2018-09-11

anond:20180911100912

まあアニメ実写化についてはその通りかも知れんが、実写化映画を見にいく層は原作アニメを見てる層とあまり被らないので「見ない運動」をしても痛手は与えられないと思う。

しか実写化映画を見に行く人たちの方が、原作アニメファンより何倍も大きくてそういう人をターゲットにしてるわけだし(だから実写化したがる)。

原作アニメ見てても実写化を許容する層っていうのもいるか一枚岩とは行かないし。

規模もでかいから原作アニメイメージを実写が塗りつぶすというデメリットもあるし。

2018-09-01

me tooに代表されるある種の「正義」と、その恣意性が孕む課題について

岡田斗司夫朝日新聞で連載している悩み相談を読んだ。

https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html

回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者岡田斗司夫である以上、「朝日新聞岡田斗司夫指導者という立場を利用したりして精神不安定女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚会社だと思ってる。 」というブコメがついている。

ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動のものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動判断する」。

これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価自身判断不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会完璧ではないので社会公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。

そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。

上記の例で言えば、岡田斗司夫評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分評価差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーシリーズ監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去不適切ツイート理由シリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーション存在し、「灰色は白である」=推定無罪価値観あくま刑事事件公的権力市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガン擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句アニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪

雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義一枚岩ではなく、黒と白の間には無限グラデーション存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。

社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的社会コミットしなければならない。あたか村上春樹デタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間矛盾する生き物だからね。

だがはあちゅうてめーは駄目だ。

2018-08-20

anond:20180820151428

大元増田もさっき引用した増田全然別人だから後付けかどうかなんて知らん。そんなん知ったこっちゃないわ。

お前の仮想敵一枚岩みたいな妄想やばいからどうにかしたほうがいいよ?

2018-07-27

アンチLGBTとイエ制度自民党

なんか自民党アンチLGBTっぷりっておかしくねーかと思っていた。

(ポリコリ的な意味で、せめて隠しはするよなぁーと)

たまたま今年7月民法改正で、配偶者権利が厚くなることを知った。


ここで、自分の中で色々繋がった気がした。


まり自民党としては、「男は働き、女は家庭を守る、旧き良き日本のイエ制度」に回帰したいわけだ。

こういう人たちが増えるようなインセンティブを作りたい。


でも、ここにLGBTが入ってくると困る。

同性カップル婚姻し、家庭を築いてもこのインセンティブは渡したくない。

なぜなら、それは「旧き良き日本のイエ制度」ではないから。


自民党一枚岩じゃないとか、

そうは言っても人口減で、女性労働力としてもっと活用しなければならないとかの事情もあって

ここまでシンプルな話じゃないだろうけど、


こう理解すると、腹落ちできる話だった。

2018-07-12

anond:20180712130759

そういう人も一定はいるだろうけど、配信側も視聴側も一枚岩ではないし

映画好きは全員サメが好き」くらいには主語が大きそう

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