はてなキーワード: レトルトとは
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。
あしたは出勤します。
明日は新しい日が始まりますが、私はレトルトパックを持っていく予定です。親子丼のレトルトを選びました。オフィスにある炊飯器でお米を炊きます。この炊飯器は電子レンジ専用で、数年前にダイソーで購入したものです。コロナが流行する前の購入でした。親子丼は水を使わずに温められるレトルト加熱器で温めます。水を使わないのは、とても便利ですね。オフィスの個室で静かに食べる予定ですが、熱すぎると食べられないのでしょうか?私は猫舌ではないので、大丈夫かもです。
全国のレトルトカレーを巡る旅のように、高価なレトルトセットを通販で購入するかどうか迷っています。津々浦々レトルトカレーを取り扱う店舗が近くにあれば便利ですが、地方ではなかなか見つからないこともあります。しかし、心配無用です。北野エース公式通販サイトでは、全国各地のレトルトカレーを豊富に取り揃えており、6,480円(税込)以上のお買い上げで送料無料で自宅に届けてくれます。
疲れてるので回答が殴り書きになる。申し訳ない。
料理あまり知らない方だと伝わらないかもだが、ひとまず書いてみる。
気分を上げるための料理Tipsの項目には⭐のマークを付けてみた。
レパートリーが増えると実利が得られ、気分上げる料理が作れると「俺Sugee」と自炊モチベが上がる。
どちらも大事だと思う。
・調理用ハサミ買おう
■パスタの類*
知られてる通り、専用容器とレンジがあればパスタを茹でられる。
IHとフライパンでパスタソースを作ればレトルトなんかとは段違いの美味い飯が食える。
美味いパスタソース作るのにまな板は必須ではないことも指摘しておく。
気分を上げたい場合は、ルッコラ、バジル、パルミジャーノ・レッジャーノを使う。
お高い店っぽい味、香りが楽しめ、笑えるほど手軽にQoLが上がる。
ちなみに、ルッコラ、バジルはちぎって生のまま乗せれば良い。包丁不要。
だから、もったいぶらずにじゃんじゃん削ろう。好きなだけ盛ろう。
■蒸し野菜*
シリコンスチーマーを買えば、蒸し野菜+お好みのソース※で一品できる。
麺に乗せても良いし、サイドメニューにしても良い。
これがあると、「具無しの素ラーメン」とか「ディナーはかけそば」とかがなくなる。文化的な生活っていいよね。
ソースはマヨ、味噌、焼き肉のたれ、食べるラー油の類でも良いが、ちょっと凝ったものを使っても良い。
私はハナマサの麻辣蝦醤を勧めておく。これを使うと、なんでも美味い。
外側から1枚ずつぺりっとはがして適当に手でちぎるだけで良い。
これら野菜を使うと、料理にまな板は必須ではないってことが良く分かる。
そのまま麺と一緒に鍋で煮ても良いし、フライパンで野菜炒めにしても良い。
何にでも合うのでとても使いやすい。
これらは手でむしるだけで良いんだ。他キノコと違い、石づきを切り取る必要がない。
野菜、キノコを適当に炒め、最後に焼き肉のたれをかけておけば、米がもりもり進む立派なおかずになる。
小間切れ肉も使えば、十分にごちそうになる。
大きめの調理用ハサミを買う。野菜でも肉でも、鍋やフライパンの上でちょきちょきすれば良い。
まな板スペースで美味い飯を諦める必要などない。自炊で美味いもの作ると最高の気分になれる。
■米*
間違いだ。実に簡単に試せる。
魚が嫌いでなければ、一度は挑戦してほしい。
アルミホイルさえあれば、フライパンでホイル焼きが簡単。王道の一品だ。
まずは鮭とキノコで試すと良い。キノコはエノキでもマイタケでもシメジでもなんでも良い。
鮭のホイル焼きはまず失敗しない、比較的万人受けする料理として有名。
ぜひ試してほしい。
一点注意を書くならば、鮭には「生鮭」と「塩鮭」とあるが、塩鮭を使う場合は辛口を避け、甘塩を使った方が無難ということくらい。
(辛口は昔ながらの塩鮭に近い味付けで、現代人には塩辛すぎるため。一敗)
レンジで焼き魚を作るシートがある。焼き魚は簡単で美味い。久々に食うと飛ぶ。
そんなものを自炊で食べた日には、「俺の自炊レベル、すごくない?」って誰かに話したくなる。
だが、こうしたたくさんのコツを、最初からやろうとすると途端にハードルが上がる。
慣れてから少しずつ挑戦で十分。
まずは上達したい料理一品を決め、手が覚えるまで何度も作る。すると上達が早い。
そのうち、びっくりするくらい美味いものを自分で作れるようになる。
自分でも感動する。人にふるまいたくなる。
購入してしまいましたが、問題ありません。そのように考えます。このアイテムは使いやすく、職場での調理を控えめにしたいという点でも最適です。お湯を沸かすといろいろびちゃびちゃするの心配だし、低温調理だとモーター音が心配ですが、レトルト加熱器ならそういった問題もなく、スマートな職場ランチライフの良い結果が得られるはずです。
レトルトカレーの多様性は確かに特筆すべき点ですね。牛丼や親子丼、麻婆丼のレトルトが少ないのは、需要や市場のニーズの違いも影響しているのかもしれません。
パスタソースをお米にかけるというアイデアは面白いですね!トマトソースやクリームソースなど、様々な味わいが楽しめるかもしれません。例えば、ミートソースをかけると洋風の丼ぶりになったり、ペペロンチーノ風のソースを使えば新しいスタイルのご飯に仕上がります。これによって、レトルト食品の選択肢が広がり、アレンジも楽しめるようになるでしょう。新しい食文化の創造に繋がるかもしれませんね!