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はてなキーワード: 飯田とは

2017-02-05

年収500万の人は埼玉にくると幸せになれるよ

新築戸建ては驚くほど安い

年収500で東京通勤圏に新築戸建てを持つって無理だと思うでしょ? 実は埼玉では新築戸建てがすごく安い。

30坪4LDKでも2,500万あれば志木あたりでも余裕だし、タイミングがよければ2,000万を大きく切るものも見つかる。

金利の今、2,000万の家を買ったとすると、フラット35で月々の返済はなんと5万円台。ワンルーム家賃並。

貸してくれるかどうかは別として、年収300万だって返せる。今は100%ローンが可能なので頭金すらいらない。

もっとも、諸費用等別途200万ぐらいはかかるので全く貯金なしでやろうとすると難しい。

でも、そのくらいは親のスネをかじっても許される。

新築戸建ての価格破壊

で、なぜそんなに安いのかというと、パワービルダー最近、よくCMやってる飯田グループとか)が安い家を建てるから

建築費は30坪で850万~と言われている。1,000万の土地に850万の家を建てれば、そりゃ2,000万未満でしょう。

土地の形状に対して既存建物設計を割り当てるので、設計費を大きく削減できる。そしてプレカット工法とかで職人の技を必要としない。そのあたりが安く建てられる理由

都心から20キロ

その1,000万台の土地外環から武蔵野線沿線あたりにかけて点在している。乱暴に言うと三郷から所沢にかけて扇状に。和光朝霞戸田あたりは高いのだけど、新座なんかは練馬区に隣接してるわりには安い。

そのエリアから山手線まで20キロぐらい。電車で30分程度。通勤圏、といって過言ない。

地震とか大丈夫

そんなに安普請の家で大丈夫かというと、これは実際に大きな地震がきてみないとわからない。熊本地震に関しては2000年基準で建てられた家の倒壊は7軒だそうで、これならば耐震基準を信じてもいいんじゃないだろうか。

耐震基準には等級があって、パワービルダーの中でも最高等級を取っているところもある。

揺れだけでなく大規模火災とかもありうるので、ダメときダメとして地震保険復興支援で888万の家を建てる方針いいんじゃないかと思う。なんせ土地は残ってる。

どうせ首都圏には近々大地震がくるのだから、持ち家はそれがきてからでも遅くないと思ってるうちに、家賃で1,000万以上払うことになった。払った家賃は家主の財産として吸われただけ。失うだけで、後に何も残らない。

軽自動車品質の家

色々安く作ってあるなと思うけど、居住の快適性はほぼ問題ないレベルだと思う。昔の家は高級車品質で作ってある。木造モルタルのみすぼらしい家だって職人の技でできてる高級品。

それに対して軽自動車品質で十分じゃね? というのがパワービルダー。でも、今の軽自動車はそこそこ快適。サスやらボディ剛性やらの乗り心地の差を感じる人は高級車を買うべきだけど、オーバースペックに金を払うのをナンセンスだと思う人はこちらがいい。

例えば、パワービルダーだと屋内の扉はダンボールに近い素材なのだけど、ぱっとみじゃ全然からない。ネコ用の扉をつけるのに穴開けてみるまで木だと信じてた。扉が本物の木である必要なんてなかった。いわば、ダンボールハウス

快適性

強度とか断熱性とか、実用上の不安を今のところ感じない。

そもそも、ある程度の住宅性能じゃないとフラット35S適用を受けられないから、その基準を満たすように作ってる。

実際、省エネ性能は目に見えて高くて、エアコン電気代とかびっくりするほど安い。エアコン自体省エネ性能が上がってるのは間違いないけど、家の断熱性が前提。

家の質感とか大事なのはわかるんだけども、倍以上の値段の一流メーカー戸建ての床も合板なので、モデルハウスなんかに足を踏み入れた瞬間の質感に大きな違いを感じない。設備は確実にいいけども、そういうのはあとから必要ものだけ変更できる。

ウォシュレット使用感は値段に大きく左右されるし、電気代も大きく変わる。安物だと、冬季電気代は2箇所のトイレで月に千円を超えるからバカにできない。ガスコンロも出力が低い。入居前にアップグレードができるならやっておきたい。

イニシャルコスト

最低限住めるようにするのに、新築戸建はカーテンとか網戸(付いてる場合もある)とかアンテナ(今の時代いらないかな)とか、一部の部屋にエアコンを入れて、30万。家に合わせたちょっといいダイニングテーブルとか食器棚とかソファーとかを買うと20万は軽く飛んでゆく。で、イケアとかニトリとか中古家具屋とかにしばらく入り浸るようになる。まあ、楽しい出費だけど。

床のコーティング永久のやつとかあるが、数十万。高いけど現実的に入居前にしかやれないから、すぐに決めなくてはならない。数十万は出せなくても、最低でも耐久性2年とかのウルトラタフコートワックスを塗っておきたい。コーティングなしだと床は10年と持たない。

駅まで遠い

問題はといえば駅までの距離で、安い土地を狙って宅地開発をやるので、必然的に遠くなる。

パワービルダー系は駅まで徒歩20分以上。通勤自転車とかでなんとかするとして、生活の足として車が欲しい。

車の維持費で大きいのはなんといっても駐車場なのだけど、戸建ての場合はこれが永久に0円で済む。

軽自動車なら税金車検点検整備、保険合わせても月1万ぐらいだろう。車両費も10年乗り潰すとすると月1万。ガソリン別。

月2万を高いとするか安いとするか微妙な線だけども、首都圏でも車があった方が楽しいし、便利。2万の価値はあると思う。

車にプラスしてスクーターがあれば5キロ半径が日常行動圏になる。125ccなら、20キロぐらいの遠出もこなせるから電車に乗らないで池袋に行くこともできる(駐輪場は探せばそこそこある)

資産価値

今後、人口減少してゆくので、資産として持ち家の価値が上がる可能性は皆無といっていい。

35年後(繰り上げ返済で20年後お金を払わなくても住める場所を確保することに魅力を感じる人向け。

賃貸では意識しない費用

賃貸では家賃に含まれているので意識しなかった出費として、固定資産税とか家の維持費とかかかってくる。

固定資産税10年間住宅ローン減税分でほぼ相殺できる。期間終了後でも、家屋価値が減少してゆくので安くなってゆく。大した金額ではなくなる。

急に駅ができて、土地価格が跳ね上がるとかであれば無視できないくらい上がるかもしれないが、そういうところはそういう情報を握ってる人が先に買い占めるので安心してよい。

維持費は屋根とか外壁とか給湯とかで定期的に100万の単位でかかってくることを覚悟しなければならず、それに備えて月に1-2万は貯蓄しておかなければならない。

2,000万の家なら、ローン返済とその他経費を足しても、賃貸に比べると、それ以上の金を節約できてる筈だから問題ないだろう。

探し方

スーモを例にとると、埼玉新築戸建で2,500万以下、土地建物面積をそれぞれ90m2以上の条件を入力すると、リアルタイム地域ごとに登録件数が表示されるので、そこからアタリをつけて。

2017-01-17

[]番外 「食漫画はこれからどこへ行くのか(前編)」

読み返してみたら「我ながら何書いてんだ」と思ったけれども、たくさん書いて勿体無かったので投稿しておく。

はじめに

歴史を辿るならば食べ物テーマにした漫画は以前からある。

けれども一大ジャンルにのし上がり、隆盛を極めようとしているのは現代だろう。

今回は関連する作品をいくつか挙げつつ、食漫画について考えてみようと思う(グルメ漫画表現しても便宜上問題いかもしれないけれども、一応は食漫画で)。

挙げる作品に偏りがあることは容赦して頂戴。

食のジャンル

差別化においてよく成されるのが、「食べ物ジャンルを絞ったり、特殊にする」ことだ。

『ごほうびおひとり鮨』は割烹や、『いぶり暮らし』の燻製

『メシ鉄』の駅弁や、『球場三食』は球場で食べられるもの

お嬢様アイスがお好き』のアイスや、『サチのお寺ごはん』は精進料理

『ほおばれ!草食女子』の草など、挙げていったらキリがない。

他にも“空想系”があるが、それに関しては気が向いたら語る。

ここで主張したいのは、食べ物ジャンルだけで絞ってもかなりの漫画が今はあるということ。

作る

漫画は大きく分けると「作ることに比重を置く」か、「食べることに比重を置く」かで、そこから更に様々な要素を付加して細分化されていく。

現在イメージとしては食べることに比重を置き、料理を作らない漫画の方が盛り上がっているように見えるが、作ることに比重を置いた漫画が少ないかといえばそんなことはない。

マンガ家 夜食研究所』や『カマドニアン』といった、作り方まで詳細に説明している実用性重視ものも今なお定期的に出てくる。

そこまで行かなくても、『甘々と稲妻』や『新米姉妹ふたりごはん』など、作ることに比重を置いた作品は多いのだ。

なぜかFateシリーズと組み合わせた『衛宮さんちの今日ごはん』といった節操のないものであるが、教養漫画に人気アニメ漫画キャラが登場するようなものなのだろうか。

いずれにしろ調理のものにも差別化は成されやすい。

『めしにしましょう』は初回から浴槽でローストビーフを作ったりしており、『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』はゲテモノ調理というインパクトで引き付けてくる。

また、そういう作ることの極致ともいえるのが、いわゆる「料理バトル」だ。

料理競技化、ド派手なパフォーマンス、過剰なリアクション

一見するとエキセントリックに見えるプロットだが、エンターテイメントの基本は非日常性にある。

人間にとって身近な料理というものを娯楽漫画に仕立てあげるのに、そういった表現シンプルな答えであり、必然なのだ

今なお系譜はあり、『食戟のソーマ』などがその例である

食べること

料理を作らなかったり、調理工程ほとんど描写しない、「食べること」に特化した漫画も多い。

代表格は何度もドラマ化までされている『孤独のグルメであることは間違いないと思うが、あれは原作10年以上も前に世に出て、近年ブレイクした結果新作が発表された希有な例でもある。

最近のだと、初めに挙げた『ごほうびおひとり鮨』、『メシ鉄』などもそうだし、他には『ヒメの惰飯』や『君花さんのスイーツマッチ』とかもある。

あと『ワカコ酒』もそうだし、『おとりよせ王子 飯田好実』なんてのもあったっけ。

さて、このテの食べることに比重を置いた漫画ありがちな要素は何だろうか。

真っ先に思いつくのは、“メシ顔”である

食べ物を目の前にしたとき食べ物を食べたとき、食べたあとにする“あの顔”である

エンターテイメントの基本は非日常性にある』と前述したけれども、当然これは食べる際のリアクションである

エンターテイメントとして、“メシ顔”は漫画視覚表現として実に分かりやすいのだ。

例えば『鳴沢くんはおいしい顔に恋してる』の主人公は、女性料理を美味しそうに食べている時の顔(メシ顔)が好きという設定である

『めしぬま。』なんて、食べているとき主人公恍惚の表情がテーマという開き直ったプロットだ。

余談だけれども、欧米には「フードポルノ」という俗語があるらしい。

これは「感動ポルノ」みたいな「ポルノ」の使われ方のようであり、何もセクシュアルな要素が含まれていることを指している訳ではない。

しかし、実際にセクシュアルな要素まで主体にしてくる食漫画もあるのだから笑える。

そういえば『食戟のソーマ』では食べると服が弾けるイメージ表現お約束だし、セクシュアルと食べ物は相性がいいんだろうね。

ここらへんで一区切り後編に続く。

2016-12-30

煩悩が強いアニメ女の子2016

今年見たアニメから煩悩が強くてかわいいと思ったキャラ適当に選出

めぐみん

汎用性が全くなくても動けなくなっても一途に爆裂魔法を追い求めるロマンが素晴らしい。

瀬川茜ちゃん

彼氏を作るとネトゲする時間が減る、というネトゲ愛に感動した。

小田双葉ちゃん

幸せそうにごはんを食べる子に弱い。

飯田小鳥ちゃん

幸せそうにごはんを食べる子に弱い。

草薙ゆまちん

対魔少女として有名人になってセレブになりたいという願いを語り、作中でも煩悩だと言われる。

烏丸千歳ちゃん

声優業舐めてるけど売れっ子になってちやほやされたいクズ娘。「売れちゃいましょう!気楽に!!」

終盤で頑張ると宣言してしまったことがちょっと残念。

里見

人が堕ちていくのが楽しいのすごい分かる。中身は女の子です。

2016-12-18

ついたブクマの数だけオナニーして、そのネタを報告するよ!

その2 -----> http://anond.hatelabo.jp/20161224192638

その3 -----> http://anond.hatelabo.jp/20161229102444

  • 12/18 するよ!

「aukusoe きたーーーー!!!!! 年末恒例のこの増田を見ないと年がこせねえんだよ!」今年もやるよーー

「msdbkm 期待 」してください。

「bkyun どこの2ちゃんだよと思ったら何、恒例なの?」3年連続3回目。

「murishinai 無理しないでください。 去年 http://anond.hatelabo.jp/20151219221021」無理はするけど無茶はしない。

「nezime スターの数だけ!(しません)」するか!

  • 12/19 寝て起きたらとんでもない数になってる。。。どうしよう。。。

「pribetch 支援支援ありがと。

「kenzy_n 腎虚に注意」腎虚ってなに?

「K-Ono 年末の風物詩はこういうのであってほしいのだ。いやそれもそれでどうなのか。」増田名物ブクマオナニー

「U-gou 報告には事後の写真つきでお願いします」写真?

「
aoi_tomoyuki 本当に報告があるのか恐ろしい恐ろしい」ええ恐ろしい恐ろしい

「
eroyama ネタを指定できたらさらにすごそう
」指定してくれればやりますよ。予算範囲内で。

「
sabacurry またキミか(3年目)。あまり無理するなよとも思うけど、あまりブクマつかなかったら物足りなくて勝手にやるんだろうな。」
やあお世話になっておりますsabacurryさん。

「pikopikopan ブクマ100越えた辺りで辛くなりそう/毎年恒例なのかー」100ぐらいからオナニーズハイがきますね

「ustam 1日でやりきってくださいね!」無理!

  • 12/19 序盤は心を無にして淡々としこるのみ

「usausamode 恒例なのか。初参加の人妻です。ドキドキ。 」人妻?ドキドキ。

「sotokichi やりすぎて身体を壊さないか心配なのでブクマ。 」体が壊れてからが勝負。

「c_shiika 随分と手抜きな増田だな」手抜き?右手で抜いてますよ。

「xKxAxKx 毎年恒例なのかー、と思ってたら去年もブクマしてたわ。がんばれ♡がんばれ♡」毎年どうもです。

「annuifok オナニーはどうでもいいから、いいネタあったら教えてくれ」こちらこそ教えておくれ。

「tottinghill もうこんな季節か・・・」寒くなってきましたねー

「bean_hero 煩悩の数だけ(違」108は超えるなー

「j_naito ちゃんと報告しろよ!」してるよ!

「S0R5 ほほう」ふふん

「oooooo4150 今年はアナルネタ禁止って縛りにしない?」それだけは断る。

「kowyoshi 六十路AVでよろしく 」40が限界だなあ・・・

「masumizaru しかたないにゃあ……(意訳:私のアイコンネタに使っていいぞ)」ん?

「shiromatakumi とりあえずブクマ。/Twitterで拡散しといたから頑張ってね♡ 」どうもー

「sekiu 紅白玉合戦」まだ紅玉は出てません。

「politru 2ch」っぽいでしょ。

「erukiti しょうがないにゃあ」しょうがないにゃあ。

「RM233 それが彼の最後の言葉だった」骨は拾ってくれ。

「gnt よかろう。進めたまえ。」はい、ずいずいと進めます。

「tomymot まーた恒例のアナルソムリエくんか」どうもです。

「p-2yan 今年初参加。報告はたぶんみない。」えーみてよー

「a006315851 ペニス拷問」アナルの拷問を見ながらペニスを拷問する

  • 12/21 仮眠を挟んでしこり続ける。もう汁はほとんど出ない。

「tydk27 年末にアナルネタを大量にぶち込んでくる増田がいるせいで、翌年、ケツの穴の緩い増田が排出されているのではないかと思う。」つかいすぎてゆるゆる

「rarirurero11 今年はアナルネタ以外もお願いしますよ」しばしお待ちを

「oya3 はてな歴長いつもりだったけどまだ知らない世界が山ほどあるようだ」増田アナリストの巣窟

「malash こ、これは大丈夫なのか?」まだ大丈夫

「nishiotsutomu 俺の知らないジャンル希望 」どんなんがいいかな

「yuki_2021 ほう?ブクマしてやるからちゃんとやれよ。」やってるよ

「yooks 2chの安価文化がここに侵食。三年前からだったか。」さーーんかーーいめ!

「locust0138 ♪ブクマの数だけ強くなれるよ ゴミ箱に咲くティッシュのように」ティッシュ使わない主義

  • 12/21 ネタストックが微妙になってきたので、古いやつを引っ張り出さないとだなー

「plagmaticjam オナニーしすぎて亡くなった人もいるから気を付けてね。あ、菊美かりんかわいいのでネタでどうでしょ」初めて聞いたひとだ。あとでチェイサー的にいれるかも。

「sayuremix 072ブクマじゃあ少ないので720ブクマまで行って欲しいね!」来年はいってほしいね

「elephantskinhead アナルソムリエ言われてるからアナニーしつつなのかと思ったらアナルモノで抜いてんのか。」自分のアナルは虐めない。女のアナルが傷めばいい。

「h5dhn9k 干からびろ。」もうすでに干からびとる。

「nobby81 途中で挫折するパターンや。」やりとげるさきっと。

  • 12/22 ここにきて勢いづいてきた。毎年この辺でナニが過敏になるので、ヌきやすくなる。

「yarukimedesu こんなん完全にテクノブレイクやん。年内に死ぬやん。」テクノブレイク都市伝説

「feita 大変そうなので私の分はヌいてくれていいよ」ヌくよ。

「itsonlytime こわい…紗倉まなで抜こう…」紗倉まなもやるよ。

「isakinkin やりすぎて腹痛おこしそう」いまのところない。

「kkzy9 今日中に96回もオナニーできんの?! 」暗黙の了解で年内ということに。

「ieyasuchan これの女性版をあの40代独身の人にやってほしい」だれ?

「i196ちょっとネタアナルに偏りすぎてるお」ちょっと

「wa_ogawa_ogaとりあえず」どうも

「sekretoブクマをつけた人をネタに頑張って欲しい。」はい

「mtane0412いいねぇ…」いいよぉ

「ore_de_work100超えた 増田しぬぞ...w」まだ死んでない

「weepおいらは1日1回を心がけている。」おいらは普段は3回

  • 12/23 まだ液体は出ますがフルボッキはしません

「yetch趣味が合わないよ。」アナルいいよアナルいいよ

「igusaこんなにしたら増田が死んでしまう」まだ死ねない

「lifefucker支援!」ありがと

bedtownこういうネタも懐かしくかんじるね」今年は良い一年でしたか

「user8107オナニーする(1日でやるとは言っていない)」年内かなー

「shinagaki無理せず、アドベントカレンダー形式にしよう(提案)」なにそれ

「ilokiペース遅くないか?今年中に消化できるのかよ」今年はきついなー

「mobile_neko だれかそろそろ、これをネタにした薄い本を描いてくれよ」マジで描いてくれよ

「undercurrent88 関係ないけど今月の快楽天は良かった」それ初めて聞いた。

「Qt6 ポップなようで犯罪ギリ。 な感じがハテナ正義感ぽくて面白い。 面白くない。」いや面白い

「dfg5ivestar はい」ほい

「mkyuri もうこの数は増田自身のアヌスを開発してドライイキを習得するしかなくなっているね」自分のアヌスは開発しない。傷つくのは女のアヌスだけでいい。

  • 12/23 しんどい!!!
  • 12/24 意外と精神的にはまだ勃つ。ネタはダブらないようにしてるんだけど、もうどれで抜いたかとかわからなくなってきた。





001 : アナル拷問 6 京野真里奈

今年も京野真里奈!

ただひたすらケツをいじめる人にただひたすら四つん這いでケツを向けてるのがいいね!最近このシリーズが買えなくなってるそうで、生きにくい世の中です。

002 : クチ・マ●コ・アナルどの穴でも男汁なら全部飲む!小便ザーメン3穴ごっくんファック 三原ほのか

今年これ結構はまった。このぐらいの感じの薄い色白女好きです。

003 : 監禁陵辱 4 村西まりな

村西まりなかわいいよかわいいよ。ビニ傘の柄でアナニーさせられるなど。

004 : 囚人専用アナル奴隷妻 ~ケツの穴で性欲処理をさせられて…~ 愛咲れいら

アナル専門家のひと。後半の全身網タイツエロい

005 : 浣腸そして潮吹きダブルで噴出!噴出!噴出! 大沢佑香

泣く子も黙る晶エリーキン肉バスターされながら浣腸噴出など。エロさよりバカバカしさのが強い。

(ここまで12/19 AM)

006 : 女子校生アナル援●交際 鈴木ありす

ずっと前貼りしてるから最初から最後まで本当にアナルしか使ってない。こういうの意外と珍しい。

007 : 処女アナル ケツ穴開発2穴FUCK 高山玲奈

序盤から相当太いの突っ込んでるので処女アナルではないと思います。

008 : 潮吹き美少女 2穴OK生中出しソープ 藤原ひとみ

なんか今年色々あってこの人の作品はもう手に入らなくなりました。

009 : Wポルチオ2穴責め アナル破壊 藤原ひとみ

このシリーズ好き。藤原ひとみは目がイッてるのがいいです。

(12/19 19:00)

010 : 潮吹き美少女 2穴OK生中出しソープ ありさ

ありさちゃん最高。ぬるぬるアナル

011 : 2穴拷問 アナル破壊 飯田せいこ

この娘かわいいと思うんだけど、豪速でハード路線駆け抜けて引退しちゃいました。残念。

012 : フィスト拡張拷問 アナル破壊 星川麻美

肛門おばさん。おえ。

(12/19 21:50)

013 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 朝倉ことみ

この時の朝倉さんはケツっていうか肌が汚い。だがそれはそれでまた良い。

014 : 悶絶腰砕け アナル拷問 水原さな

このひと尾骨が飛び出てるからケツアングルが萌えない。顔はきれい。

015 : 潮吹き美少女2穴OK生中出しソープ 桜ちずる

なんか幸薄そう。あんま好きじゃないし、早めにこなしとく的に処理。

016 : お漏らしアナルエッチ 辻井ゆう

あんま好みではないがバックでAFのシーンがエロかった。キャットバックの綺麗な女優のAFは良いです。

(12/19 24:00)

017 : なごみアナルセックス

ロリアナルをぶっこんでみる。この娘最初はあんまりだったけど、見慣れるとちんこ勃つようになった。

018 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 愛咲れいら

一回引退して復帰した後の出演作。なんか化粧が怖い。フルストロークピストンで肛門壊れそう。

(12/19 25:00)

019 : 潮吹き美少女 2穴OK生中出しソープ 上原亜衣

みんな大好き上原亜衣。自分は体型があんま好きでない。

020 : アナル拷問10 星乃まりん

ぼちぼちアナル拷問系を投入。いまいちリアクションの薄いひと。ケツからアオダイショウ入れられて号泣。

(12/20 8:30)

021 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 長澤あずさ

乳が無駄にでかいのよ。デカすぎるのは好きくない。顔は好きだけど。

022 : アイアンクリムゾン6 初美沙希

一応中盤でちょこっと拘束AFはしてる。いつもそこで抜く。

023 : お尻えっち ななみ

そんなに可愛くないのになんでこの娘はこんなに勃つのでしょうか。最後の対面座位でおもいっきアナル掘られて肛門めくれてるの最高。

(12/20 19:00)

024 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 南梨央

微妙にむっちりしててエロい。終盤のAFが激しすぎて肛門切れそう。

025 : お漏らしアナルエッチ 2 彩城ゆりな

パンパンパイパンが綺麗です。

026 : 天使アナル W中出しごみ

ときどきすげーブスになる。ケツのとこだけ穴空いてるパンツはどこで売ってるんだろう。

(12/20 21:00)

027 : 極太アナル拡張 羽月希

アナルのプロのお姉さん。極太とか銘打っておきながらマジで極太。終盤肛門周りが腫れててかわいそう。

028 : アナル拷問5 天城夕紀

分娩台の上で四つん這いになってうなぎ二匹ケツに入れられるの最高。この後すぐ引退した。

(12/20 22:00)

029 : クチ・マ●コ・アナル!3穴ごっくん30発芹沢つむぎ

ハードなのやりすぎて顔面が崩れてた頃のやつ。とりあえずアナルそこそこ使ってる。

030 : 悶絶腰砕け アナル拷問 中里美穂

デビューからずっとアナルものばっかりやってる珍しい人。あの長い棒でひたすらアナルを犯すやつは何が楽しいんだろう。

031 : 肛門診療所 2 小西まりえ

分娩台に縛られて口にガムテ貼られてひたすらAF。それを隣のナースが蔑んだ目で見てるのが最高。

(12/20 23:30)

032 : お尻の解禁。アナルはもう一つのマ○コだと教えられる。南梨央

ロリアナルもの。このぐらいの太さのバイブで乱暴するの良い。

033 : 非日常投稿動画スーパーヒロイン 令嬢アナルマニアック 中里美穂

前頭マスクとか鼻フックとか顔面破壊系。且つアナル屈辱的。

(12/20 25:00)

034 : 女スパイ暴虐拷問室4 美咲結衣

すげーハードなのばっかやってた人。乳がでかいアナルもデカイ。

035 : 浣腸陵辱 アナル破壊 姫乃未来

スカトロやるレベルのブス。さらっと流すのみ。

(12/21 8:30)

036 : 性処理肛門当番

朝日はながかわいい。謎の拘束具に入れられて身動き取れないまま10人ぐらい立て続けにひたすらアナル。最後ちょっと肛門腫れてる。

037 : 初アナル人妻 夫ともしたことなかったのにアナルSEXしてしまいました

最初は芹沢つむぎ目的で見てたが最近は篠田ゆうのアナルも好き。

(12/21 18:30)

038 : アナル拷問 7 相沢夢

最初の浣腸責めですぐギブアップして病院送り。病院帰りでそのままケツにマジック突っ込まれて「ごめんなさい」って書かされるシーンで大射精。最高すぎる。案の定この後すぐ引退。女優の墓場と呼ばれるだけのことはあります。

039 : 監禁24時間 ぶっかけ中出しアナルFUCK! 河瀬えまり

ブスなうえに終始この世の終わりみたいな顔してる。最後号泣しながらAFしてるシーンが良い。この後すぐ引退

040 : アナル拷問4 可憐

ケツにどじょう入れられて大号泣。こんな泣いてる女見たことない。

(12/21 20:00)

041 : お尻えっち ありさ

女子高生役がよく似合う。まったりアナル

042 : 薬漬けイジメ学級 優等生アナル・二穴ファック・パイパン・浣腸で∞(無限)発情 朝比奈みくる

薬漬けの演出ありましたっけ。貧相な顔だがバックで犯されてるのかわいい

043 : 彩城ゆりなの3穴レイプファン感謝祭

相変わらず顔パンパンバケツで水ぶっかけられて可哀想アナルは綺麗。

(12/21 22:00)

044 : 幼い少女の肛門に拳!拳!拳! ノンストップアナルフィスト 飯田せいこ

飯田せいこ。別に拳ははいってないけど。

045 : お漏らしアナルエッチ4 菜々瀬美里

ブスですけど明るくAFするのがいいですね。

046 : 女教師 肛虐輪姦 西田カリ

全裸で股のぞきアナル乞いさせられるシーンで抜いた。

(12/21 24:00)

047 : アナルに狂った変態ドM水泳インストラクターの肛門中出し性交

アナルキ●ガイの羽月さん。肉付きがよくてエロい

048 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 芹沢つむぎ

芹沢つむぎのアナルデビュー作。アナルやりすぎて消耗する前なので可愛い

(12/21 25:00)

049 : 天使アナル W中出しごみ

まったりアナルいまいち勃たないなあ。

050 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 初美沙希

顔面左右非対称のひと。売れっ子なのにアナルやってくれるので嬉しい。

(12/22 8:00)

051 : 肛虐!女殺アナル地獄 参の章 森ゆきな

ラストの菊門吸い出し -> ビネガー浣腸でアナルが完全に壊れちゃった。「なんでこんなことするの〜」って泣いてるの興奮するわー。

052 : アナル、咲き乱れて… 羽月希

なにが咲き乱れてるのかわわかりませんが菊は開いてます。

(12/22 18:00)

053 : 私立肛門開発学院~入肛生募集中

ちょっと厳しめ。こしあんと芹沢つむぎのとこで抜く。

054 : 肛門診療所 3 朝倉ことみ みづなれい

みづなれいには興味ないが朝倉ことみの汚いアナルはまあまあ抜ける。

055 : 超イキまくり!媚薬2穴中出しFUCK ありさ

アナル騎乗位で抜いたあと肛門ばっくり完全にローズ状態、最高。

(12/22 20:00)

056 : 現役TVレポーター アナルレポート 美波さら

みなみさら好きだったなー。アナルばっかやってた印象。

057 : 恥辱の生尻肛門調教 肛衆便所にされた人妻家庭教師 北条麻妃

汚いババアが野太い声でぎゃーぎゃー言ってて汚い。だがそれが良い。

058 : 衝撃!筋肉美少女2穴アナルマニアックさくらここる

肛門に自ら極太ディルドを突っ込んでそれでタイヤ引きやらされてる。哀れ。

(12/22 23:00)

059 : 肛門中毒の女 希咲エマ

ハードアナルモンスターエマさん。エマさん的にはぬるめの内容だな。

060 : セレブ公開調教 サリー

おばさんたちに罵られながらアナル責め。あんま可愛い子じゃないなあ。

061 : ガンギマリアナル 4 佐伯奈々

マジでキマってるやつ。佐伯奈々のだらしない体がたまらない。

(12/22 24:30)

062 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 木村つな

アナルやりたくなくてOPから号泣。でもこの後スカトロまでやらされるんだこの娘。

063 : 人妻アナル痴漢 青木りん

おっぱいモンスター青木りんアナルもの。誰得だよ。「それだけ豚やったら乳でかいって!(浜田)」

(12/22 26:30)

064 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! 宇佐美なな

なんかずっと目が飛んでる。この娘アナル解禁以降ずっと変だったなあ。

065 : アナルSEXを懇願する巨乳若妻 宇野ゆかり

むちむちアナル。乳もケツも肉付きよくて気持ち良さそう。

(12/23 8:30)

066 : おじさん、お尻の穴にオチンチン入れないで 椎名みゆ

椎名みゆかわいいよアナルきついみたいでいたそう。

067 : ド田舎の川辺で見つけた生まれたての妖精 アナル生SEX なごみ

野外アナルのとことケツのとこだけあいてる全身タイツのとこで抜く。

068 : その後の自撮りM女 逃亡教え子匿い調教 中里美穂

バイブでアナニー。この子アナニーは壊れるんじゃないかってぐらい激しい。

(12/23 11:00)

069 : 薬漬けイジメ学級 優等生アナル・二穴ファック・パイパン・浣腸で∞(無限)発情 有本紗世

ハードアナルものやりすぎて完全に脱肛しちゃった頭のおかしい娘。これはまだ脱肛する前のやつ。ジャケ写エロい

070 : ぶっかけ中出しアナルFUCK!小向美奈子

捕まっちゃった人ですね。むちむちの域を大きく超えてただの豚。

(12/23 15:00)

071 : 肛門中毒の女3 花恵みみ

乳首が黒い。それだけ。

072 : Wポルチオ2穴責めアナル破壊 辻井ゆう

バイブ責めが肛門破壊する勢いだったので評価。

(12/23 16:00)

073 : アナルAVデビュー さようなら…普通だった私 さくらあきな

きゃりーPPみたいなコスプレでバックでAF。キャットバックと綺麗な肛門が良し。

074 : 催眠覚醒アナル拡張2穴ファック 水嶋あい

水嶋あいにしては普通のアナルもの。

(12/23 18:00)

075 : 媚薬2穴アクメトリップ宇佐美なな 芹沢つむぎ

序盤のいちゃいちゃがかわいい、からのWアナル

076 : ガンギマリアナル 大沢佑香

最後に意識朦朧としながら自らアナル穿ってんの怖い。

077 : 大学に通う真性ドマゾはアナルまでカッパカパ

かっぱかぱ。AVデビュー=アナルデビューのやつ。かわいくはない。

(12/23 20:30)

078 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! ありさ

パンパンのとき。浣腸我慢するとこかわいい

079 : 性処理肛門当番2

あくびちゃんは可愛いが後半出てくるブスババアが萎えるわ。

(12/23 22:00)

080 : 発情アナル犬 ちか

肛門に繋がれたリード散歩するやつ。最後白目向いてて怖い。

081 : ぶっかけ中出しアナルFUCK! Alice(鈴木ありす

黒子がかわいいありす。連続で掘られすぎてケツ締まらなくなるなど。

(12/23 25:00)

082 : 名家育ちの女流書道家が初アナルセックス 宇野ゆかり

ケツ犯されながら習字。ケツに筆さしてアナル習字。

083 : 肛門診療所 4 なごみ

ケツからおもちゃがどんどん出てくる謎設定。

(12/24 9:00)

2016-08-04

シン・ゴジラ評と称して村上龍評を書いたライターこと飯田一史氏

村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史) - 個人 - Yahoo!ニュース

シン・ゴジラ矢口は福一の吉田所長がモデル(巨災対は福一の現場モデル)だと思うし原発事故のあと福一の現場自衛隊以外は(東電幹部とか総理大臣とか)ぐだぐだだったり責任取りたくなくて腰引けてたりしてたとか、現場自衛隊がふんばったので東京壊滅なんとか防げたの踏襲してると思う

https://twitter.com/cattower/status/760838347665256448

自分の見たいものしか見ていないようだ。

巨災対や自衛隊気にいらんとかゴジラ進化して破壊し尽くすべきと言う人は福一もっと大爆発して関東圏3000万人避難生活震災当時菅直人が「想定してた」とあとから言ったもの)になったほうがよかったと思っているんだろう。想像の上では。自分にそういうカタストロフ願望がないとは言わないが……

https://twitter.com/cattower/status/760844337043296257

これを言っちゃうとアウトだよな。

藤田直哉あたりと同じ炎上芸人になってしまたかライターだけに。

2016-06-18

飯田キル”

約 262 件 (0.42 秒)

2016-04-16

日本の伝統建築世界一ィィィ?

熊本城崩壊加藤清正涙目m9(^Д^)プギャー

ふざけんな!崩れたのは再建された新しい部分で、築城当初から残る宇土櫓は無傷だし!

日本の伝統建築技術世界一チイイイイ!!

M7.3の本震発生!

…昨日のはアレは本震ではない…余の前震だ…

櫓、半壊ッ!繰り返す、櫓、半壊ッ! 

崩れたのは宇土櫓じゃないしー。飯田五階櫓(復元)だしー

実は宇土櫓の長櫓も倒壊してましたあああぁぁ ←今ここ

2016-04-05

みーなさんとありすお話

今更と言えば今更、佐藤亜美菜さん(みーなさん)の話がホッテントリ入りしているようで。

話がドラマチック仕立てになっていたとはいえ、みーなさん側の話だった。

ので、プロデューサーからの話も書いておこうと思う。

橘ありす比較的人気のあるキャラクターである

総選挙でもそれなりにアベレージがあったし、二次創作でも受けが良い。

大人に憧れる少女はいつの時代も魅力的だ。

さて、彼女にみーなさんが割り振られたのは2014年秋~冬のボイス争奪オーディションでのこと。

これは毎年やっていた総選挙とは別にボイスを付けるための総選挙として開催された。

最有力は塩見周子だと言われていた。

彼女自身の人気が高かったのは勿論あったし、

とりあえず速報」というシンデレラガールズ初期から愛されたまとめサイトが周子Pを公言していたことも要因の一つだろう。

事実中間発表は周子が1位で、ありすは2位だった。

中間発表の模様は絶賛発売中、2nd LIVE「PARTY M@GIC!!」のディスク確認出来る。買おう。

なお周子はその後の第4回総選挙で1位を取り、ルゥ・ティンさんが担当となった。

「青の一番星」、素晴らしいので聴こう。そして買おう。

最終結果はありすが逆転しての2位だった。

そして最終結果発表と同時にCVが発表され、ボイスが流れた。

この騒動で唯一、運営ミスと言えなくもないポイントがここにある。

投票終了から発表まで2週間。

この期間でオーディションが終わるのを短いと考えた人が多かったようで、

まとめサイトに「出来レース」という格好の批判材料を与えることとなった。

発表後2ヶ月ほど間を開ければ話は別だったかもしれない。

P界隈も反応はまちまちだった。

基本的には「橘ありすが好きでいてくれたらいい」という人が大勢を占めていた。私もそう。

ただ、元AKBということに露骨嫌悪を示す人もいた。

それはみーなさんにも伝わっていたのだろう。申し訳なく思う。

そこからアニメ2クール目、2015年8月あたりまで大きな動きはなかった、と思う。うろ覚え

アニメではプロジェクトクローネとして登場し、喋る機会も多かった。

そして、みーなさんは初期ボイスより上手くなっていた。

自然橘ありすを演じられるようになっており、努力の片鱗を見せていた。

そしてその頃、まとめサイトはこの話題に飽きていた。

CD発売は11月で、ライブの直前だった。

「in fact」の試聴が始まりラジオにもゲストで登場するようになる。

昔のミンゴスっぽい、というのが私の認識だ。語る時の語りっぷりは本当によく似ている。

ラジオに出演することで人柄が分かり、愛されるようになるのはアイマスのいつものことである

そして3rd Liveシンデレラ舞踏会」が11月末に行われた。

「in fact」は最終ブロック速水奏飯田友子さんの「Hotel Moonside」の後の一曲だった。

ラジオでみーなさんは飯田氏に助けられたと話していた。

同じ初ライブ、最終ブロックで、プロジェクトクローネメンバーとしてアニメでもよく話す間柄だったのだろう。

飯田氏とみーなさんはともかく、圧巻のステージを見せつけた。

みーなさんと飯田氏はその後もしばしばペアとして登場し仲の良さを披露してくれる。

アイマスタジオであったり、デレパの公録「あせかき」であったり)

今後も良い関係でいてほしいと願うばかりだ。

アイマスはいつも中の人情熱で成り立っている。

古くは765プロが道を切り開いたように、

佳村はるかさんが歌と向かい合ったように、

田所あずささんが体調を崩しながらも1stのステージに立ったように、

Jupiterがずっと待っていてくれたように。

から私もそれに応えたい。

そして(傲慢な考えではあるけれど)少しでも支えになれればと思う。

みーなさん、ありすを好きでいてくれてありがとうございます

これからもよろしくお願い致します。

2016-03-29

「おとりよせ王子」の拗らせホモ

「おとりよせ王子 飯田好実」読んだ。

……うん。

確かに面白いし、へーこんなお取り寄せあるんだーってなるし、美味しそう~ってなる。

でも、主人公の圧倒的な拗らせホモ感がきつい。

拗らせホモとは!

自意識過剰で、周りに人が集まらないし、集められない。

とにかく自分自分世界が大好き。

自分が大好きなので、自分以外、特に女の醜い部分ばかりを見る。

そのため当然恋人など出来ず、酸っぱいブドウ的反応で女を避け、「大好きな自分」と同じ性である男ならばと考え、自分ゲイであると思いこむホモ

実質的には女が好きなので、ゲイというよりバイ。

自分肯定してくれるものに飛びつくだけなので、自分を好きだという女とヤれればいいし、自分を好きだと言ってもらえるなら男とでもヤれる。

男が好きだからでなく、単に自分が大好きなだけなので、ゲイではなくファッションホモである場合もある。


いや、単に主人公女性目線で描いているだけなのかもしれないけれど、なーんか拗らせホモ臭がパない

同じ男(又は男的な肉食系女子)や、ゲイからは嫌われそうなところがまた拗らせホモっぽい。

というか、潜在的ゲイキャラを描きたいなら、もうちょっと隠し味くらいにすればいいのに。

あとは、「食の軍師」的な、絶対ノンケなんだけどなんとなく香る男同士の世界みたいな感じにすればいいのに。

まったくもう。

2016-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20160116163457

日本ドラマで行くと、ドキュメンタリー制作会社の色が強いけど

ドラマ制作会社じゃなくて、プロデューサー監督演出脚本のほうが影響強いかな。

日本ドラマだと、演出大事だね。海外もそうなんだろうか?

あんま書くと身バレしそうなんだけど

たとえば、よく言われるのはフジの「踊る大捜査線」のチームだよね。

P亀山千広さんの、脚本君塚良一さん、演出本広克行さんあたりの名前は聞いたことあるんでは。

TBSの「半沢直樹」チームは

演出福澤克雄さん、Pの飯田和孝さんあたりが有名なのかな…。

同じチームで「流星ワゴン」、「下町ロケット」とかやってるよね。

フジだと、演出宮本理江子さんが有名で、この人お父さんが山田太一なんだよね。

山田太一知ってるかな?

昔のドラマ全盛時代の有名な脚本家で、鬼のように名作作ってる。

ふぞろいの林檎たち」の脚本家の人ね。

この宮本さんがほんとすごくて、「101回目のプロポーズ」「ビーチボーイズ」とか手掛けてる人。

最近のヒットだと「最高の離婚」かな。

このチームが本当にすごいんだよね。おもしろいんだ。

年配世代に人気なのは風のガーデン」っていって、北海道ロケ地巡りツアーとかあったりする。

まいいや、映画でもよく「○○組」って呼び方があるように、

テレビもやっぱりチームがあって、マニア的には「このチームがやるなら見る!」ってなるよね。

書き忘れたけど、日テレの遊川さんのチーム(家政婦のミタ)も有名だよね。

完全に固定メンバーじゃなくて、作品に合わせてちょっとずつメンツが入れ替わる。

ちなみに韓国ドラマは主流が脚本家で、脚本家によって見る見ないを決めてる人が多い。

きじゃない人から見ればどれも同じなんだろうけど、脚本家によって全然面白さが違う。

ホン姉妹の「僕の彼女は九尾狐」「美男イケメン>ですね」だとか、

ソ・ヒョンギョン。「華麗なる遺産」本当に面白かった。

オールイン」のチェ・ワンギュとか、歴史もの書くひととかも人気。

韓国ドラマ 脚本家 人気」で検索するといろいろ出てくる。

2015-12-03

☆☆遠回りまみれの青春タイプの人 福満 しげゆき

モテないのではない モテたくないのだ! ! カラスサトシ

食肉の帝王 (講談社文庫) 溝口

夜の経済学 飯田 泰之

あらためて教養とは (新潮文庫) 村上 陽一郎

プラットフォーム ブランディング 川上 慎市郎

キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編 (日経文庫) 大久保 幸夫

作家は行動する―文体について 江藤

出会う」ということ 竹内 敏晴

科学宗教 (サイエンスパレット) Thomas Dixon

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴

得手に帆あげて―本田宗一郎人生哲学 本田 宗一郎

小倉昌男 経営学 小倉 昌男

パイロット 万年筆 カクノ FKA-1SR-GYF 細字 グレー PILOT

疑う力 (PHPビジネス新書) 西成 活裕

レトリック人生 ジョージレイコ

リーン・スタートアップ エリックリース

☆なぜ、「怒る」のをやめられないのか 「怒り恐怖症」と受動攻撃 (光文社新書) 片田 珠美

広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門 谷口マサト

鉄道が創りあげた世界都市東京 矢島

会社の値段 (ちくま新書) 森生 明

☆反解釈 (ちくま学芸文庫) スーザソンタグ

☆(007)ダメダメ人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹

無意識に買わせる心理戦サイモン・スキャメル=カッツ

なぜこの店で買ってしまうのか ショッピング科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル

33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマ

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司

あのころ未来星新一の預言 (新潮文庫) 最相 葉月

☆儒教ルサンチマン宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバー

教育危機経済学 (御茶の水選書) 馬場 宏二

陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ

排除社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング

憲法で読むアメリカ史(全) (学芸文庫) 阿川 尚之

☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ

父が子に語る世界歴史〈2〉中世世界 ジャワハルラール ネルー

クリエイティブシンキング入門 マイケル・マハル

クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史

コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平

竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン

双頭の鷲〈上〉 (新潮文庫) 佐藤 賢一

子どもの難問 野矢 茂樹

☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上 塩野 七生

アメリカ史のアイロニー ラインホールド ニーバー

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ) ドナルド・B・クレイビル

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子

生命保険カラクリ (文春新書) 岩瀬 大輔

統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ

☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子

明治・父・アメリカ (新潮文庫) 星 新一

☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子

森有礼 悲劇への序章 (林竹二著作集) 林 竹二

林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二

フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤

教育立国フィンランド教師の育て方 増田 ユリ

オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン

コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ

演劇入門 (講談社現代新書) 平田 オリザ

フィンランド流「伝える力」が身につく本 北川 達夫

図解 フィンランドメソッド入門 北川 達夫

受けてみたフィンランド教育 実川 真由

話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき

Rules of Attraction Bret Easton Ellis

シェイクスピアハンドブック 河合 祥一郎

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴

ポストヒューマティーズ――伊藤計劃以後のSF 飯田一史

ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太

俺のイタリアン俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本

まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード

農業で稼ぐ!経済学 浅川 芳裕

足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校

ホテルメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ

ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ

りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也

ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー 森 達也

「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田

ファンタジーを読む (岩波現代文庫子どもファンタジーコレクション 2) 河合 隼雄

結婚できないのはママのせい? -娘と母の幸福五百田達成

大人のための私服の教科書 久保田卓也

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書) 川上量生

メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生

(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太

☆☆津波の墓標 石井光太

鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司

☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子

ニッポン定番メニュー事始め 澁川 祐子


金融商品にだまされるな! 吉本 佳生

金縛り]の謎を解く 夢魔幽体離脱宇宙人による誘拐 (PHPサイエンスワールド新書) 福田 一彦

国際メディア情報戦 (講談社現代新書) 高木

高校生からわかるマクロミクロ経済学 菅原

「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬

石油国家ロシア マーシャル I ゴールドマン

戦うハプスブルク家 (講談社現代新書) 菊池 良生

神聖ローマ帝国 (講談社現代新書) 菊池 良生

陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫) 酒見 賢一


秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子

B級ご当地グルメまちおこし: 成功と失敗の法則 俵 慎一

町おこし」の経営学ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム

☆なぜ富士宮やきそばB-1グランプリ覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦

中小都市の「B級グルメ戦略―新たな価値創造に挑む10地域 関 満博

決定力! :正解を導く4つのプロセス チップ ハース

習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ

波間の国のファウスト:EINSATZ 天空スリピングビューティ (講談社BOX) 佐藤

戸田誠二作品集リム奇譚 (ぶんか社コミックス) 戸田 誠二

2015-08-14

…気を取り直して、久々にガンダム実況をやるか。その前に昨日途中までしか見られなかったGATE1話を見るけど…

えーっと…アレだな。GATE見てるんだけど、なんでドラゴン竜騎士)が皇居城壁超えてこないの?という気持ちになったのわしだけ?いや、面白いかつまんないか以前に「変」と飯田がる人の気持ちはわからなくもない…

ほんと、「GATEは設定を掘り下げてたら面白くなりそう」という言い分は正しいと思う。禁書とか化物語的な「みんなが好きなもの詰め合わせましたが、ぼんやりしか設定してない」的な作品に見えてならない。

みんなが好きそうなものとか面白いものって割りと決まってるし、決まってるから類似した作品存在する。ただ、それだけじゃ面白くならない理由はそれらを組み合わせるときに共通の日常世界観問題意識・対立構造)が作れてないからじゃない?うまい人の創作と下手な人の創作ってそこの説明力かな…

例えば、最近見てるZガンダムなんかはこの「共通認識を作る」のがうまいんだよね…。みんなが戦争中だという認識は持ってはいものの、戦地国家権力との距離感に酔って各々微妙に考え方が違う。その違いや理解してなかったところが徐々に共有されていくさまを描くのがうまいんだよなぁ…。

2015-08-05

後藤 まき(ヤンキー

安倍 ほのか(主役補正

飯田 のぞみ(天然)

中澤 エリチカ(まとめ役)

保田 海未(ボケ

矢口 にこにー(小さい)

辻 凛(小さい)

加護 花陽(小さい)

石川 ことり(あざとい)

吉澤

辻加護加入あたりの頃のモー娘ラブライブを当てはめたらヨッシーだけいなかった

2015-01-02

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰5

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

情報収集

アイディアを生み出すための想像力は「鋭い観察眼と知識」によって培われるものだと西谷は言うが、こうした知識に対する態度は他の多くの作家にも多く見受けられる。例えばクーンツは何かを調べる際、それについての参考書一冊を読んで満足するのではなく、2冊から3冊は確認しなければならないとするし、五代/榊も知識を増やす労を惜しむようでは作家になるのは無理だとする。

知識の広げ方という点では、例えば榎本ネット有用だとして、わからない単語が出てきたら放置せずその場で調べる、新書辞典、専門書を読むことなどを推奨している。またキングテレビ否定し、読書重要だとしている。

重要なのは何かを盲信しないことである五代/榊は単純に何かを鵜呑みにしたり、逆に根拠なく切り捨てることは思考停止であり、これは「極めて危険」だと明確に述べる。クーンツ複数の文献を確認することへの指摘も同じことだろう。

一方、情報収集なぞ必要ないという主張も存在する。水島ラノベを書きたいならラノベだけ読んでいればそれでいいのであり、ラノベに限らず幅広い文献に目を通すべきだという意見作家の見栄に過ぎないと言う。

ラノベ作家を目指すのならばラノベを読んでおくべきだ、という指摘は至極もっともだが、しかラノベ以外の知識は不要だ、というのはいささか乱暴な主張と言わざるを得ない。もちろんそれでラノベを書くことはできるだろう。しかラノベしか知識がないのだとすれば、そこで描かれる内容は他のラノベで既に描かれたものの域を出ない。もちろん、大塚の主張するような抽象化と具体化による工夫は可能だが、そこで具体化するための材料もまたラノベから引っ張ってくるという引き出しの無さは、相当の才能が無い限りすぐに限界を迎えるだろう。

知識という点で、飯田作家オタクであることを求める。しか飯田がいう「オタク」とは流行ラノベを楽しみ、流行アニメを楽しみ、ニコニコ動画流行している動画を楽しむ人のことである

一方で五代/榊は「新しく入ってきてる人達は、オタクと呼べるほど濃くない」とそれをオタクではないと断じる。共に作家が「オタクであることを求めるが、両者の言うもの似て非なるものに思われる。とはいオタクとは何か、オタクの濃さとは何か、という問題に本稿で踏み込むつもりはない。

最後に、知識の無さはワナビ創造する登場人物の幅にも影響することは理解されておくべきだろう。プロアマわずラノベにはよく「天才」が登場する。問題はこの「天才」が知っている知識は作家本人の知識を限界とし、その発想力や考え方もまた作家本人の能力に制約される、という現実である

天才を出したいのならば、作家本人が天才の知識と思考模倣できなければならない。幸い、作中の天才と異なり作家には十分な時間をかけてあらゆる文献を調査する時間的猶予があるのである

おわりに

ワナビの書いたラノベはなぜ面白くないのだろうか。

何度となく推敲され書き上げられたものは珍しくない。にもかかわらず全く面白くないそのラノベ問題点を、例えば登場人物に魅力が無い、物語リアリティがないとあげつらうことは容易である。それが欠点であることは間違いないだろう。しかし仮にそれが解決されれば、つまり偏差値30が50になれば、それは面白いラノベなのか。

五代/榊はワナビを「自分が知らない事は考えたくない、考えたくないところは考えないですましている」と批判するが、ワナビはそもそも「面白さ」について、とりわけ学術的に考えることを避ける傾向があると筆者は思っている。先行研究調査思考の基礎であるが、ネット上で飛び交う様々な「面白さ」についての議論がそれらに言及することは残念ながら稀である

練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。

faridyu

本稿の整理が的を射ているとは限らない。しかし「面白さ」を構成する要素について、先行研究重要性を幾ばくか示すことができたのではないかと考えている。それが本稿をここまで読んだ時間ワナビにとって価値あるものだったかはわからないが、しかしせめて、なにかの気づきに役立つことができればと願っている。

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰4

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

原稿

原稿の段階においてはこれまでより表面的な文章それ自体に関する事柄が重要となる。冲方はこの段階を「肉書き」「皮書き」の2段階に分けるが、原稿執筆推敲をそれぞれ意味しているに過ぎない。本稿では表現上の混乱を招くだけであるため、特に冲方の分類には従わない。

さて、西谷のように本一冊を使ってこれを解説したているもの存在するが、その内容は全て基礎的な日本語文法の復習であり、独自の知見は少なく、例えばうなぎ文などを交えた日本語文法それ自体に関する細やかな議論があるわけではなく、また修辞技法に関する詳細な分類と効果について言及しているわけでもない。会話文の閉じカッコの前に句点は付けない、中黒ではなく三点リーダ偶数個使う、といった些末な作法をめぐるこれらの内容について本稿では特に言及しない。

文法、作法上の間違いではないが避けた方が好ましい表現についても、断片的ながらそれぞれの作家ごとに主張されている。例えば水島の「同じ語尾を連続して使わない」「台詞以外で「である」「なのだ」という語尾を使わない」「三点リーダ感嘆符の多用を避ける」、榎本の「三行以上にわたる一文は避ける」「会話の順番を固定し、誰がしゃべっているのかフォローの文なしでも理解できる方が良い」、西谷の「物事が起こった順番に書く」などである

はいえこれらは絶対に避けねばならないものではない。例えば同じ語尾を重ねることは畳語法として効果的に機能しうる一つの技術である。会話の順番を固定する、というのも、例えば5人の登場人物の会話順が完全に固定されて順に発言しているような状態が自然な会話文として望ましいとは思えない。それぞれ場合によって使い分けられるべきであろう。

よって本項では各作家によって提案されたいくつかの修辞技法についてを断片的ながら俯瞰するにとどめる。

水島の「ラノベ文体」と榎本の「ガイド

水島は「明るい文」「ラノベ文体」として、「難しい表現を使わず、何が起こったのか一目でわかる」こと、「読者がハイスピードかつリズミカルに読める」ことが望ましいとする。

具体例として次の例を挙げている。

「すごい美少女だ!」

俺は驚き、つい声を上げた。と、同時に……、

――ドカーン

背後で、謎の爆発が!

なぜ難しい表現を避けるのかといえば、「読者は気合いを入れて読んではくれない」「メインターゲットとなる読者である中高生学校の登下校、勉強の合間などに読むので、集中して読んでくれない」からだとする。「ラノベは読み飛ばされるのが宿命」だと水島は言う。これに近しい意図を持つ指摘としては、榎本による「ガイド」の提案がある。ガイドとは榎本独特の表現であるが、「シーン冒頭に「これがどういうシーンなのか」がわかる描写を書き込む」もので、つまりそのあとの文を読み飛ばされても何が起きたのかざっくりとは理解してもらえる、という効果が期待されているものである

何が起こったのかわからないような文章を避けるべきなのは当然だろうし、テンポ悪くだらだらと薀蓄を書き連ねたようなものは(それをウリにしている作家もいることは事実だが)大体の場合避けるべき、というのはさほど違和感のない話である

はい学校の登下校、勉強の合間などに遊ぶテレビゲーム携帯ゲームは集中されないのか、といえばそうではないだろう。読者が集中してくれないのではなく、読者の集中を誘うだけの内容が無いからではないのか。

読者はバカからバカでもわかるように書きましょう、というのは、逆に言えば中身の無さ、文才の無さを読者に責任転嫁しているに過ぎないとも考えられる。筒井は様々な実験小説を書いてきたが、それは「読者の理解力に対する理解があってこそであった」と自分の読者ならわかってくれるという確固たる自負が見て取れる。もちろんそれは既に作家としての名声を確立した後だからこそ、という面は否定できないが、作家から読者をバカにしていく、という水島姿勢はいささか理解に苦しむところである

第一文と冒頭からの3ページ

クーンツ作家に与えられたチャンスは最初の3ページだという。第一文から始まる3ページで面白いと思わなければ読者はそこで読むのをやめる。そして読者を3ページで魅了するための技術として、過激なアクションに始まること、ユーモアを含ませ、一度冷静に状況説明をしてから再度緊迫した場面展開に話を戻す、という手順を紹介している。

一方で西谷は望ましい書き出しについて、いくつかのラノベの冒頭を並べてその傾向を述べており、主人公描写自己紹介、考え方から始まるタイプと、主人公の目に映るもの描写する書き出すタイプの2通りのいずれかが望ましいとしている。

また忌避すべき典型例として「壮大な書き出し」を挙げている。例えば人類の9割が滅んだ世界であることを厳かに説明するような文章は避けるべきと言い、それくらいなら他愛もない会話からはじめ、その途中で人類の9割が滅んだことを明かす方が望ましいとしている。

人類の9割が滅んだ、とは物語背景となる情報であり、重大だが具体的な動作を連想させる情報ではない。それに比べると会話文は動作とひもづくものであり、その意味ではクーンツの「アクションに始まる」という内容と大きく矛盾するものではない。

しかしながら、これも絶対的忌避されるべきかといえば難しい。

例えば名作と名高い「猫の地球儀」は

あれから七百年と半分が過ぎた。

朧はもちろん猫で、牡で、おいぼれで、最後スカイウォーカーだった。

と、まさしく壮大な書き出しで始まる。「同じ語尾を連続して使わない」に余裕で違反する3連続接続助詞「で」に加え、何の説明もなく独自専門用語を第二文目で出すなど言語道断である

しかし筆者は、上述の水島のドカーンはるか凌駕する圧倒的な魅力をこの書き出しに感じる(もちろんそうは思わない人もいるだろうし、それを否定する意図はない)。

作家に与えられたチャンスは最初の3ページだ、というクーンツの主張には、一読者としての経験則的に筆者も同意できるところではある。しかしではどういった書き出しが望ましいのか、といえば一概にこうでなければダメだ、というのは難しいように思われ、筒井による「いい書き出しかどうかは結局のところ作品全体の出来に左右される」という指摘がもっと妥当であるように思われる。

従って、アクションから入ろうが主人公身の回りから入ろうが壮大な書き出しで始まろうが、3ページで読者を作品世界に没頭させる内容が実現できればそれで問題は無いと言えるだろう。

情景描写臨場感

頭に浮かんだ順に適当に書いていくと散漫な記述になりがちであるとして、西谷は「自分が描こうとする場面を実際に図に書いて、どういう順番で描写するかを決める」のが効果的だとする。この主張はその場に存在する様々なものを具体的に詳細に想定しているかどうかの事前確認という意味合いが強い。

また、「目に見えるものだけを書いていると、リアリティーのない文章になってしまう」として五感への意識を促す。嗅覚については言及されることが少ないが、特に音については場所、方向、登場人物存在を示す役割を果たす効果的なものだとする。また西谷独特の主張として、足下の変化は触覚という点で効果であると主張する。

こうした西谷の指摘に加えて榎本による「静止したものだけでなく動作する物を混ぜる」という指摘を考慮すると、情景描写臨場感とはその情景における時間経過ではないか、と筆者は考えている。

止まった絵ではなく、音や匂いを含めた一定時間の流れを含めた「図」が望ましいという意味では、作家西谷の言うような「図」ではなく「絵コンテ」を書くべきだと言ってもいいだろう。

仮に作家自分想像を完全に文章化でき、そこから読者が作家想像通りに完全に場面を想像できるとした場合、静止画が再生されるよりも動画再生された方が臨場感が高いのは言うまでもないし、そこにに音や匂い付与されているのであれば、臨場感さらに高くなるだろう。

絵コンテという考え方はまたカメラワークへも影響すると考えられるが、映像作品におけるカメラワークセオリーとこうした娯楽小説における情景描写の順序や方法類似点、相違点については十分な調査検討必要と思われ、本項では今後の検討課題として割愛したい。

場面の切り替え

より良い場面の切り替えについて、クーンツによる指摘に触れておきたい。クーンツは「ひとつの場面が終わったら、すぐさま読者を次の場面へ案内しなければならない」こと、そして簡潔さを重視する。例えば主人公は一人自室でテスト勉強をしている場面Aと、学校テストを受けている場面Bを連結させるとする。この間にはもちろんさまざまな出来事、例えば寝て起きて朝ごはんを食べて家を出て電車に乗って学校に到着する、といった過程があるはずだが、それらをだらだら書くべきではなく、場面Aが終わった次の文ではテスト中の主人公を描くべき、という。

これは場面の切り替えにやっつけ仕事めいた過程を描く必要は無い、という単純な指摘に留まらず、各場面はプロット必要不可欠な要素であるべきで、必要のない場面を含めるべきではない、とも理解できる。例えば場面Aのあと電車ヒロインと遭遇させる必要があるのであればそれを場面Cとして独立させ、プロット上場面AとBの間に配置すべきである

会話文

クーンツは会話は全体の20~30パーセント必要だとする。一方で30ページ以上続く会話文も問題であるとしており、当然であるバランス必要である

その場に登場人物が2人しかいないときに、いちいちどちらの発言か説明しないと読者が理解できないようならその会話が悪い、という指摘や、「「言った」という動詞が連発しないよう、表現を工夫する、などというのは過ちである」というのはなかなか面白い指摘と言えるだろう。クーンツ発言内容が重要なのであれば、それ以外の「言った」という表現を「尋ねた」「口を開いた」「聞いた」など必死に工夫する価値はないとする。一方でアクションシーンでは動詞の選択は重要だとしており、その場で強調すべき要素とそうでない要素を区別することを要求している。英語日本語の違いはあれど、これは文章のメリハリを付ける上では面白い指摘と言いうるだろう。

ヒックスは会話の機能として、「ストーリー前進させること」と「登場人物を明らかにすること」を挙げるが、特に後者については人物の性格を読者に理解させる重要な要素だ、と換言できるだろう。

このようにクーンツヒックスはともに会話文を重要な位置づけにあるとみなすが、一方でラノベ作家からの指摘として、榎本は「キャラクターの会話ばかりで「そのシーンはどういう状況なのか」「今どうなっているのか」が全く書かれていない作品」を批判する。

この点については筒井が「描写や展開が面倒なのですべて会話で片付けようとする」ことを批判しており、何のために会話文を書いているのか、という目的意識に違いがあるように考えられる。すなわち情景描写が苦手だから、間が持たないから、といった問題を正面から解決するのではなく、会話文で埋めることでごまかすようなことが榎本筒井批判するところと言いうるだろう。

人称の効果と神の視点

説明するまでもないが、小説では一人称体、もしくは三人称体が多く用いられる。この人称に関しては、どの創作技術本でもありがちなミスとして、一人称体にも関わらず語り手の知り得ない情報記述してしまう、という点がよく指摘されるところである

一方で三人称体は登場人物の知りえない情報記述することができるという利点があるが、一人称体がその語り手が同化する先の人物への感情移入を惹起しやすいのに対し、三人称体はその点で劣ると言えるだろう。

このことから水島は、「楽しさ重視のコメディ一人称」が望ましく、「複雑なストーリー三人称が向いている」としている。では一人称体と三人称体を組み合わせて書けばいいのではないか、という意見については、それは読者の理解の混乱を招く手法として否定し、また三人称体においても実質的には「主人公が今どうなっているか」を中心に描くことが望ましいとしている。

一方で飯田三人称体をとるメリットは「キャラクターそれぞれの内面が描ける」点にあるとしている。実際「インフィニット・ストラトス」を例に、飯田一人称体と三人称体の混濁を否定せず、それどころか「主人公一人称視点と、ヒロイン寄りの三人称視点を使い分けて全ヒロインからの愛され感をもたらしている」と高く評価している。

はい三人称体として振る舞いつつ登場人物それぞれの視点に入ったり、といった視点を「神の視点」と表現し、これは避けるべきものだとする論調は少なくない。

一切言及されていないが、現実には三人称体に一人称表現が入り込む技法自由間接話法と呼ばれて存在し、主人公の知る由もない情報を描けるという三人称メリットと、感情移入を容易にする一人称メリットを同時に享受できる極めて強力な技法である

なぜ言及がないのかといえば、これを多用する作家はさほど多くなく、むしろ全く使わない作家の方が多いことから、おそらくはプロ作家自身、これを人に説明できるほどうまく扱える自信が無い、ということが原因ではないかと思われる。

他方、これと似て非なる技法に「神の視点」があり、これについて触れたものとして、クーンツは「ストーリーの途中で作家登場人物批評したり意見を述べるのは19世紀時代遅れ手法」としており、もはや使うべきではない技法だとしている。

端的に言えば「あぁ、神よこの男を憐れみたまえ」といった大仰なそれに対する指摘であるが、例えばH.P.ラヴクラフトなどは意図的かつ効果的にこの神の視点を用いていたように筆者は考えているし、町田康の有名な「あかんではないか」などは見事にこれを活用した好例と言いうるだろう。

筒井はこれを「劇化された語り手」であるとしているが、これについてはまた詳細かつ精密な議論必要であることから本稿では割愛する。

過去の回想/夢

水島は夢や過去の回想について、これらは今誰が何をしているのかがわかりにくくなる、述べており、またこの点についてはヒックスも同様の指摘をしている。「バック・ストーリー情報提示するのに最も効率が悪く気の効かない方法が、フラッシュバックである」と、フラッシュバックドラマの勢いを失わせるものだと注意を促している。

一方で、筒井による「遅延・妨害」に関する記述ある意味でこのフラッシュバック効果を逆用したものとも言いうるだろう。具体的内容としては、「読者の疑問を宙づりにしたまま進行させる」ものである特にクライマックスの直前など、いよいよ事態が緊迫し抜き差しならない状況であることを描いたところで、突如穏やかな場面に切り替えて「あれはどうなっているんだ」と読者の不満をあえて買い、じらした上で緊迫した事態の展開に再度移る、ということでより大きな満足感を読者に与える効果があるとする。

クーンツもその冒頭において、過激なアクションの次に一度冷静な場面を挟み、再度戻る、という手法を提案しているが、効果としては似たようなものだろう。

推敲

推敲重要性を否定するものは一つとしてない。しかしどう推敲するか、という点について具体的に述べているものはそれほど多くは無い。例えばキングによる6週間空け、そして1割削減する。ワナビにとっては6週間も余裕がないことの方が多いだろうが、一定時間を空けて自分自身で読み直すことの効果は少なくないだろう。

冲方推敲の要点として、「冒頭とラストインパクトと引きを作る」「事件とはあまり関係のない人間の登場を減らす」「専門用語は前半は少なく、後半は多くする」という推敲の指針を挙げる。最初の2点はプロットレベルでの書き直しが要求される内容でもあるだろうし、そもそも事件物語)に関係ない人物を登場させる意味はなにか、という疑問もあるが、専門用語の配分などは参考になるだろう。

最後に、推敲は一度で終わるものではない。アイディアプロット原稿まで順に進めるとこれまで述べてきたが、推敲によって再度プロットへ、またはアイディアまで戻ることはいずれの説においても当然のこととして主張される。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰5

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

ヒロイン

ほとんどの場合ラノベヒロイン必要不可欠である水島飯田は主張する。反例はもちろんあるが、ヒロインを据えたラノベがそうでないラノベよりも圧倒的に多いことは事実である

このヒロインについて、水島は「フラッグシップヒロイン」という独自単語を用いて説明している。フラッグシップヒロインとは、その出会いによって、主人公は平凡な日常から日常へと放り込まれる、という点で特徴を持つヒロインである水島はこのフラッグシップヒロインは一人であるべきで、また傍若無人タイプが好ましいと言う。日常が非日常へと変わるのは多くの物語で最初の1度であり、従ってそういった存在は必然的に一人であらざるをえないと言えること、前述の人物間のギャップを想定する場合ヒロイン傍若無人であるならば主人公は面倒見のいい親切な人物となり、このような人格は読者の倫理観を満足させやすく、ゆえに感情移入させやすい、という点で効率的である。ゆえにこの水島の指摘はこれまでの内容とも矛盾しない。

一部の例外を除いて、ヒロイン主人公に惚れなければならない。榎本はヒロイン主人公に惚れる理由はしっかりと、読者に分かる形で描写するべきだという。一目惚れ場合は「外見に惚れ、次に魂に惚れなおす」という形で段階を分けるべきだとする。

突如登場したこの「魂」についての説明は一切ないが、筆者が理解する限り、この「惚れる理由」や「魂」とは主人公の「行為」であり、精神的な何かではない。

クーンツ登場人物個性とは「行為」によって示されるべきだと言う。これは例えばヒロインは優しい性格の持ち主だ、と説明することよりも、読者がヒロインを優しい性格だと感じる行為描写することの方が好ましい、という指摘である

中の人物はテレパシー能力が無い限り他人の思考を読み取ることはできず、その人物設定の書かれた地の文を読むこともできない。ゆえにその行為によってのみ、どういう人物であるかを理解していくことになる。もちろんクーンツや榎本が指摘するように、それらの行為には動機必要である。現実と異なり、なんとなくで登場人物が行動していくことは読者は作家の思考放棄であり、ご都合主義だとみなす。

従って主人公ヒロインが惚れるに足る行為をなさねばならず、それは作中で明示的に描写されなければならない。

さらに、この指摘は主人公ヒロインに惚れることについてもまったく同じである美少女であるツンデレであるといった属性があるから主人公が惚れるのではなく、当該人物の行為によって主人公は惚れる必要があるのであり、さらにその行為が読者にとっても惚れうるものであればこそ、魅力的なヒロインとして意識づけられるものだろう。

登場人物オリジナリティ

水島登場人物オリジナリティなど不要であり、パクればいいとする。一方で五代/榊はそれを「チグハグで安っぽいもの」と批判する。両者の主張は実のところ特に対立するものではない。

西谷は次のような指摘をしている。

ライトノベル作家を目指している人の原稿を読むと、大ヒットした小説に登場したキャラクター名前だけを変えて自分小説に登場させ、自分ではそれに気がついていないことが多いのです

五代/榊が批判しているのはまさにこうした模倣だと筆者は考えている。水島意識的に模倣しており、さらにそれはバレないようにするべきだ、と言う。バレない模倣とは一体なにかについて水島特に踏み込まないが、この点で大塚既存キャラクター抽象化し、別の値で具体化することが正しい模倣だという。例えばオッドアイという属性を「左右で異なる目を持つ」と捉え、そこから「左右で見える世界が違う」と具体化する。

確かにこれは既製品の加工、変形に過ぎない。ゆえに大塚オリジナリティとは「パターンの組み合わせ」「パターンの再発見なのだとする。この2つは、クーンツの「われわれは古い物語の要素を新しく配列し直しているだけなのだ」という指摘、また榎本の「オリジナリティとは「全く新しいもの」ではなく「読者たちが知らないもの、見たことのないもの」の呼び名だ」という指摘を端的に表していると言えるだろう。

一方、様々な属性ランダムに組み合わせ、新たなパターンの組み合わせを発見しようというワナビは珍しいものではない。スクール水着巫女の組み合わせはこれまでにない!オリジナリティだ!といったそれに対し、大塚は「設定の上だけで奇をてらった個性オリジナリティを追求しても意味がない」と指摘する。

繰り返しになるが、大塚はそれが「主題」と深く結びついていることが必要不可欠であるとする。主題関係性を持たせられず、物語上の必然性もない「オリジナル属性」に価値は無いと言っていいだろう。

プロット

プロットについての学術定義としては例えばフォースターが有名であるが、それらを踏まえてプロット定義明確化した文献はフィールドぐらいしか確認できなかった。

よって本稿においては各説の最大公約数的に機能する定義として、「世界」や「登場人物」の変化を「出来事」とした上で、プロットとは「出来事配列」と定義することとした。

さてこの「プロット」について論じるにあたっては、当然ながらプロット不要論と向き合わねばならない。

プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然と生まれ出るのは、相矛盾することだから

キングはこのようにプロットを練る必要などないとする。

このキングの著作を高く評価し、手本としても例に挙げているクーンツプロットに関して次のように述べている。

作家にとって望ましいのは、ただひたすら登場人物たちの進んでいく方向に、ストーリーを方向づけていくことであるというのだ。どこやらあいまいなこの方法に従えば、より「自然」なプロットが得られるというのだ。ばかげた話である

作家登場人物小説の方向や狙いをすべてまかせてしまえば、必ずみじめな結果におわる。

ただしクーンツもごく一部の天才であればプロットを練らずとも名作を書きうるだろうとしていることは事実である。よってキングをその例外であるとすれば上記の見解の相違は回避可能となる。

ところが同様にプロットなど考えたりしないという主張は、例えば宮部みゆきや五代によっても主張されている。彼女らがクーンツより文才溢れる天才であり、キングと同格なのだとすることはさすがに暴論であろう。

しかしここでもこれは単なる手順上の相違に過ぎないと筆者は考えている。

まずキングは「原稿を寝かせる」ことを非常に重視している。書き終えた原稿キングは6週間寝かせるが、それは「プロットキャラクターの穴がよく見えるようになる」からだという。こうしてプロットの欠陥を認識し、書き直し、そしてまた6週間寝かせる。キングは欠陥を認識しなくなるまでこれを繰り返す。

確かにキングプロットを事前に練っていないが、これは推敲における徹底したプロットの練り直しに他ならない。もちろんキングが筆の赴くままに書いてもそれなりの内容を書くことができる、という前提はあるだろう。しかキングもまたプロットを最終的に納得いくまで練り込んでいるという事実は、単純にプロットなど不要だとする主張とは明らかに一線を画している。

宮部もまた、書き終えた後での推敲段階で物語の全面改稿を含む大幅な変更がありうること、よって発表後の現行を改訂できない連載小説などは「よく失敗」すると自嘲し、従って自分のやり方は非効率であるから真似するべきではない、と述べている。

このように彼らの意見をまとめると、プロットを先に練って書くことは確かに必須ではないが、それはプロットを練らないことを意味するものではなく、推敲段階で徹底して練り直さねばならない、ということと理解できる。先にプロットを練ることの効果は後で練るより執筆量の少ない段階で修正できることにあり、効率が良いという点に集約できるだろう。

プロットの手順

以上のように整理したところで、ではプロットを練ればそれだけで自動的に良いプロットになるのか、といえばそうではない。重要なのは魅力的なプロットを作り上げることで、練るという行為それ自体ではない。

練り方という点でラノベ作家陣は様々な「プロットの作り方」を提案している。その内容には「どのように作るか」という手順と「どのようなプロットであるべきか」という構造についての両方の側面があり、極端に言えば前者についてはどうでもよく、明確に意識するべきは後者であると筆者は考える。

従って手順について詳細に踏み込む必要は無いと考えているが、似て非なる様々な内容が提案されている点を簡単に紹介したい。

キング同様、西谷は「最初のシーンから順に次のシーンへと書いていく」というシンプルプロット作成手順を提案しており、そのメリットスケールの大きい物語ができること、デメリット時間がかかることだとしている。

他方、西谷は「主題をもとにして最初のシーンを考え、次にクライマックスとなるシーンを考え、その両者をつなぐシーンを考えていく」という手順も提案している。こちらは前者より物語構造を決めやすく、早く書き上げられる手順だという((この指摘はプロット不要に関する筆者の解釈とも合致するところである))。

水島の提案はこの西谷後者の説に類似しているが、「ヒロイン出会う事で主人公の平凡な日常がどのように変化するのか」「クライマックスで何をするのか」「ラストはどのように終わるのか」を最初に決め、次にその間を繋ぐ出来事を作っていくとするものである

榎本は「(人物)が(行動)をして、(結果)になる」を最小プロットとして位置づける。その上で登場人物たちの目的、遭遇する事件葛藤、対立、成長といった要素を盛り込みつつ、まず200字で作成するという。200字で納得のいくものが作れたら次に400字、800字と同様に徐々に増やしていく。これによって効率的プロット作成できるとしている。

大塚は上記とは全く異なり、下記の項目それぞれについて、暗示的な意味を付したカードオリジナルでもタロットのような既製品でも問題ない)をランダムに割り振ることでプロット作成できるとする。

割り振られたカードの暗示から想像を膨らませることで具体化するという。また、これとは別にグレマスの行為モデル主体、援助者、敵対者、送り手、対象受け手の6種の役割をもつ人や物によって物語構造化できるとする説)によってもプロットは作れるとしている。

これ以外ではさら物理的な手順への言及もあり、例えば榎本は単語帳やExcelで各アイディアカード化してこれらを並べ替えながら考えるのだとしていたり、大塚も場面単位で時刻、場所、人物、行動をカードに書き、それを時間軸に沿って並べて考えるのだ、としている。最後1972年初版であるクーンツの指摘を挙げて本項を終わる。

プロットカードとかストーリー構成リストとかの奇妙な発明品は、どれもかつて、作家アイディアを得るための手助けをすると称して売られたものであり、この手のもの現在もなお売られている。が、実際のところ、そんなものはまともな作家にとって、まったく無価値に等しい。


プロット構造

ラノベ作家陣によるプロット構造に対する言及曖昧なものが多く、またまとまった説明になっていないものが少なくない。

いくつか断片的にこの点について言及している部分を拾い上げると、例えば西谷は「キャラクターに新鮮みがあること」「魅力的なストーリーであること」「類似作品差別化できていること」といった要件を上げており、「魅力的なストーリー」とは何かという点については「主人公に苦労させる」「強い悪役を出す」「魅力的な仲間を出す」「新しい場所を訪ねる」としている。作中でそれぞれの出来事の起こる順番への言及特にない。

水島は順序について言及しているが、「タイトルも含めて最初に読者をツカむ」「ラストシーン一歩手前で盛り上がる」「ラストは短くだらだらせず、良い読後感を与える」「それ以外は読者が飽きないよう時々盛り上がるようにする」というもので、具体性に乏しいと言わざるを得ない。

あえて言えば「どんでん返し」と「天丼」への言及があり、「どんでん返し」はクライマックスの決着、直前、ラストシーン最後のいずれかに位置することで効果的に機能するが、当たれば評価を大きく上げるが外れると大きく下げる点に注意が必要だとしている。「天丼」は意外性があり、重要なことを最初は大袈裟に、二回目は間を空けた上でぼそっということで効果的に機能するとしている。

確かにこれらの要素は盛り上げるための1つの技術ではあるだろうが、プロット構造における要素とは言い難い。

さて、榎本は次のような構造プロットが持つことが望ましいとする。

クーンツもまた、古典的プロット成功パターンとして以下のようなプロット構造を推奨する。

念のため触れておくとクーンツミステリにはまた注意すべきプロット上の必須要素があるとして、それを15項目に別にまとめている。つまり上記だけであらゆるジャンルプロット必要十分条件であるとしているわけではなく、様々なジャンル必要十分条件最大公約数として機能するのだ、という指摘であると筆者は解釈している。

大塚プロット構造については後述するヒックスのそれが参考になるとして作中で丸ごと引用している。しかし同時にプロット本質的構造アラン・ダンデスを参考に「主人公の欠落が明かされる」「主人公は欠落の回復目的とする」「主人公は欠落を回復する」の三段階であるとしており、これは榎本やクーンツの主張をさら抽象化したものだと言いうるだろう。

ところでクーンツの主張するプロット構造は「三幕構成」と呼ばれるものである((三幕構成とは序破急であるという言説はラノベ作家の本でもよく見かけるのだが、あれは世阿弥風姿花伝における序破急概念を正確に理解した上でそう言っているのだろうか。まさか読んだこと無いけど字面的にたぶん同じだろといった糞みたいな思考で「教科書」と自称するものを書いているはずはないので、風姿花伝の解説書、待ってます))。榎本は「起承転結」を用いて説明するが、上記のように両者はそれほど乖離したものではない。この三幕構成はとりわけハリウッド映画脚本原則として確立されており、その端緒ともいうべきフィールド、そして大塚乙一などが参照するヒックスについて本稿では整理する。

フィールドプロット理想的構造を三幕構成によって説明する。三幕構成とはあらゆる物語はAct1, Act2, Act3の3つに分割可能だとする考え方である(その意味でいえばクーンツもまた「クーンツの三幕構成」というべき独自の三幕構成を定義しているというべきである)。これはパラダイムであり、ゆえに三幕構成は史上最高傑作にもメアリー・スーにも等しく存在する。

フィールドはこの三幕構成を下敷きに、次のような役割を持つ出来事が順に配列されることが望ましいとしている。

PlotPoint1と2はそれぞれ各Actの最後に、次のActへの橋渡しとなる機能が求められている。またMidPointはConfrontationの真ん中で起こることが望ましいされている。さらにはそれぞれのActはいずれも小さな三幕構成で出来ており、すなわちフラクタル構造であることが望ましいという(フラクタル構造への言及は榎本なども指摘するところである)。

映画脚本における理論であることからフィールドはMidPointが上映時間のちょうど中央で起きることが望ましい、としている。

クーンツがあげる「ついに最悪の事態に陥る」はMidPointのようにも思われるが、クライマックスのようにも思われ、それが作中の後ろにあるのか中央にあるのか言及がないため、判断しかねるところである。これに対してフィールドは明確にそれを作品中央で発生するべきだ、としている点で、クーンツのそれをもう一歩先に進めたものだと言いうるだろう。

なお、MidPointは必ずしも派手なものである必要は無い。例えば映画マトリックス」におけるMidPointはネオ救世主ではないとオラクルに告げられる場面である。争いの無い静かな場面であり、生命の危機に直面しているわけではない。しか物語をこれまで動かしてきた大前提崩壊した瞬間である。MidPointはこのようにもはや後戻りができず、先の絶望的状況の回避方法が読者に容易に想像できない出来事であることが期待されているものであり、派手な出来事 Permalink | 記事への反応(1) | 20:47

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰2

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記の続きとして分割投稿されたものである

作家人格登場人物人格

西谷は「主人公作家分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。

このように見てみると登場人物作家関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。

この点でヒックス登場人物作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分嫉妬深い側面を誇張した人格創造する、というもので、全くの新たな人格創造するのではなく、そのベースあくま自分自身だとする。

これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。

登場人物作家自身である主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体作家人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。

キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物人格ベース自分自身である以上、ほとんど常に作家想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。

なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。

ヒックス登場人物創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックス否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。

ここでいう「夢」はその登場人物人格依存して考えだされるべきものである。これは大塚世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。

もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人人格しかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。

西谷ヒロインブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。

読者による登場人物への感情移入

以上のように作家登場人物関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。

西谷同様、筒井は「自分作品感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。

本格ミステリSFなど、感情移入必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説存在する。しか感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。

さて、基本的に読者の感情移入物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。

まず榎本水島主人公年代ターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベ主人公中高生であることが望ましいと言う。同じ理由性別男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズブギーポップのように女性主人公成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。

まず作者自身モデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。

主人公に求められる特質について、西谷榎本飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。

そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやす主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である

一方で「低スペックで卑屈、無個性へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公ラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。

しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。

さて、筆者はこれらの各説は人物の能力精神倫理区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。

能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能行為名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人能力を持っていても(それが物語必要ならば)問題ない。

次に主人公精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情オープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。

最後主人公倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子モテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。

一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である

Unlimited Blade Worksとかマジカコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しか倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。

さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難戦略だと言える。

こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入成功すると、自然ハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入効果が高いという指摘だと言えよう。

西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。

そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物ギャップである

登場人物ギャップ

本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。

飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面ギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。

ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレ多面的感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。

ツンデレ」は言動まで類型化された属性である本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。

良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶バイト事務的発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。

さて、さら飯田ギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充イメージと「オタク」が持つ根暗コミュ障イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである

このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効機能する。

例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的レベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。

西谷主人公ヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しか主人公ヒロイン親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

2014/1/1 全文が正しく表示されていないことに気づいたため修正した。遅ればせながら指摘に感謝したい。

はじめに

ラノベ作家になりたいワナビは二種類存在する。

才能のあるワナビと才能の無いワナビである

才能のあるワナビは己の思うがまま書き連ねればそれで問題ない。一次落ちなど経験することも無く、一発で新人賞を取ったり、取れなくても編集者が連絡してきたりして遅かれ早かれデビューに至り、そしてワナビに向けたラノベ創作論を書いたりする。私はこうやってプロとして本を書いてます、どうぞ参考にしてください。

これが意味するところは、才能のあるワナビ他人の書いた創作技術本を読んで必死トレースしたりなどしなかった、という非情現実であるノウハウ本を欲するのはいだって才能のないワナビで、そして才能の無いワナビ今日選考落ちの通知を見て顔を覆うのである。○○先生の本に書いてある通りにやったのにどうしてダメなんだろうか。何がダメなんだろうか。

ラノベ創作技術本は本当に役に立つのだろうか。

スティーブン・キングプロットなど不要だと言う一方でディーンクーンツプロットの無い作品など糞だと断じる。大塚がまずキャラから作れと言う一方で冲方世界から作らないようでは話にならないと言う。

ラノベに限らず小説創作技術本はそれぞれの主張がまるでバラバラであり、まとまりがない。もっともこの手の本は意識の高いサラリーマンがこよなく愛する成功体験本と同じカテゴリである。ゆえに真面目に考える必要は無いとするのも一理あるだろう。

しかし、本当に彼らの主張はバラバなのだろうか。

実のところ彼らは単に表現が違うだけで、最終的に同じことを述べてるのではないだろうか。

手順が違うだけで、結局同じことをしているのではないだろうか。

もしそうだとすれば重要なのは手順ではなく最終的にどういう状態であるかにあり、その状態がいずれの作家も共通しているのであれば、それこそが欠かすべきではない要素ではないのか。

大沢は「技術は教えられるが、才能は教えられない」という。だがヒックスは「モノを書くことでの才能の問題は、相当に過大評価されて」いるとして、「それはやっていくことで獲得」できるものだと言う。

Hard work beats talent when talent doesn't work hard.

Tim Notke

本稿は個別の手順というより、最終的にどういった状態を目指しているのか、という観点ラノベ創作技術本の各説を整理し、俯瞰する。筆者はワナビではなく、単なる興味本位でこの整理を行ったに過ぎない。しかし才能が無いことを自覚し、それでもなお努力によってこれを覆そうというワナビにとって、本稿がより効率的努力を実現する上での一助となれば幸いである。

ラノベ定義

本稿ではラノベを「ラノベの主要レーベル新人賞に向けてワナビ執筆する、新人賞を取りうる内容の小説」と定義し、本質的ラノベ定義へは踏み込まない。このことからカテゴリエラーをめぐる問題このラノベの本質的定義限界を探ることと同義であり、本稿では割愛する。

参考文献

本稿執筆にあたり参考とした文献を下記に記載する。

作家名で適当に並べたに過ぎず、記載の順に意味は無い。

まだ参照すべき文献は多くあるが、ひとまず本稿執筆にあたっては上記で一区切りとした。

ラノベの読者

ラノベ作家商業主義であらねばならない、と五代/榊は明言し、飯田キャッシュフローを生む作品こそが素晴らしい作品なのだという。実際、ラノベ新人賞商業的に売れるラノベの発掘を目的としているのであって、ワナビ承認欲求を満たすためにあるわけではない。

新城ラノベの読者の多くは男子中高生であり、すなわち「毎月のお小遣いが限られている学生であるとする。飯田さらラノベの読者はアニメ漫画ニコニコ動画を好むオタクであるとする。そしてラノベは彼らの限られた小遣いの使い道として選択される商品でなければならない。榎本西谷水島も、いずれも同様に読者が誰かを意識しろと主張する。

ところでワナビが書いた新人賞用のラノベの読者は、中高生ではない。

新人賞の下読みの多くは大学生バイトであり(あるいは主婦新人編集者)、選考するのはプロ作家であり、プロ編集者である。いずれにせよ選考過程中高生存在しない。

読者が誰かを考えるべき、という指摘はもっともだが、プロ作家ワナビでは立場が違う。ワナビラノベレーベルで勤めるサラリーマン編集者想像する『中高生』にウケるラノベを書かなければならない。榎本現実中高生とふれあい彼らの考え方を理解しろと言うが、本当にそんなことをすれば事案待ったなしのワナビは少なからずいるだろうし、現実中高生には圧倒的にウケる20代30代の編集者には全く理解できないものがあったとすれば、それは間違いなく一次落ちである

行頭は一段空けましょう、といった小説執筆上のお作法ができていなかったからといって間違いなく多くの中高生は気にしない。しかプロは気にする。そうした基礎的作法の欠如は中高生云々の前にまず彼らに不快感を生じさせる、という点を理解しておく必要があるだろう(応募に際してはあらすじを付すようにという指示に対して小説煽り文や序文を付けるといった無理解なども根は同じだろう)。

ラノベ創作の段階に関する整理と比較

最終的なラノベに至るまでの執筆上の段階や要素は論者の数だけ存在する。例えばキングによるアイディア原稿の2段階、クーンツを始めとするアイディアプロット原稿の3段階、冲方による能書き、種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの6段階などがある。

本稿では「アイディア」「プロット」「原稿」の3段階を用いて各説を俯瞰する。この各段階は「アイディア」が最初であるという点を除けば、随時行き来することがいずれの説においても許容される。一度「プロット」に移行したら「アイディア」へ戻ってはならないなどと主張されることはないし、「原稿」の完成に至ってから再度「アイディア」の段階に戻る作家存在する。

一方で、これらの「段階」はそれぞれ独立しているわけではないことに注意する必要がある。いずれもその前段階の上に構築されている。つまり、あるワナビが「プロット」に問題があると認識したとしても、その前段階に問題がある可能性は否定できない。これは感想や選評においても言えることであり、問題点の指摘がまったく的外れでなかったとしても、その問題引き起こしているそもそもの原因は何なのか、という点を突き詰めなければ、根本的な問題はいつまでたっても解消されないままだと言えよう。

以下、それぞれの段階についての各論に入る。

アイディア

アイディア」とは筒井がいうところの「妄想」であり、単語キーワードフレーズ、断片的な会話や場面など様々なものであり、その創作で用いるかもしれないし、用いないかもしれないネタである

冲方は「アイディア」を3段階に分けており、まず主題を考え(これを能書きと称する)、次にそこから様々な雑多なアイディア連想し(種書き)、今回はこのあたりのアイディアを使おう、と決めて整理する(骨書き)という。

しかし実際には冲方自身、これらを行きつ戻りつして執筆を進めていくとしており、「骨書き」の段階からは後戻りしないと固定しているわけでもないことから、本稿では参考として紹介するに留める。

この「アイディア」の種類についてもいくつかの主張があり、例えば冲方主題世界、人物、物語文体の5種であるとするし、榎本キャラクター世界設定、ストーリーの3種としている。分類それ自体意味を持つものではないが、それぞれが独自用語を用いて自説を主張している状態では整理のしようもないため、本稿では「主題」「世界」「登場人物」の3種に分けて整理する。

主題

本稿では主題テーマは同一の概念とみなすが、主題とは、そのラノベ創作において根幹となるアイディアのことである冲方大塚はこの主題を根として木構造状に各アイディアが繋がっていることを主張する。

主題を確定するタイミングについて冲方は真っ先に考えるとするし、大塚作成した主人公像の要素を深化させそこから主題抽出するとしている。榎本プロット作成の段階で必須としていることからそれ以前に考えておかねばならない。西谷執筆段階で突如として「物語の核」を意識する、と述べるが、この「物語の核」が主題とみなせるのであれば、プロット後に主題を決めてもいいということになるだろう。

このように主題をいつ考えるかは説によって大きな差があるが、結果としてラノベ創作において「主題」が必要不可欠だと多くの作家が述べていることに変わりはない。

繰り返しになるが、全てのアイディアの共通の祖先として「主題」は位置付けられる。従って本稿の分類で言うならば「世界」や「登場人物」は必ずこの主題関係する要素を持たねばならない。言い方を変えれば、「主題」はアイディアアイディアの共通要素として機能するため、ワナビ本人は主題として位置づけたが、それが「世界」や「登場人物」に関係していないのであればそれは「主題」ではない。

この「主題」があることの意義について、「読者は「設定資料集」を読みたいのではなく、「物語」を求めている」という榎本の指摘、また「「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです」という大塚の指摘を踏まえるなら、読者が「物語」と捉えるか「設定資料集」と捉えるかは「主題」の有無次第だ、ということになるだろう。

設定資料集が好きな人存在することは事実であるが、彼らは設定資料集ならなんでも好きなわけではなく、特定物語を好んだことで、その物語のより詳細な背景情報を知ることを好んでいるに過ぎない。興味のない物語設定資料集など誰も目を通してくれはしない。

このように「主題」は重要な要素であると考えるが、その表現方法に関して榎本主題台詞地の文で語ると胡散臭く、説得力が無くなるとしているし、クーンツ主題で読者を説教してはならないと注意を促している。台詞地の文での表現を避けるとなれば、多くの場合登場人物の行動、またそれによって引き起こされた出来事によって表現されることになると考えられる。

世界登場人物

本稿では会話文の主体になりうるものを形作る上で用いられる情報名前性格容姿、口調など)の総体を「登場人物」と定義する。「キャラ」「キャラクター」とこれを区別するものもあるが、特筆の無い限り本稿ではまとめて「登場人物」とみなす。

一方で、登場人物以外の全ての設定を本稿では「世界」と定義する。具体的には魔法の有無などの自然法則身分制のような社会構造、もしくは携帯電話の無い世界といった現代社会との差分もまた「世界である

いずれを先に考えるかについては諸説ある。例えば冲方水島世界が先だとするし、大塚西谷登場人物からだとする。榎本のように特に順序には言及しないものもある。

しかしながら冲方大塚の「世界」と「登場人物」が揃った状態についての言及は非常に似通っている。

冲方は「人物たちの性格や言動や行動の全般は、結局のところ、大半が、世界時代に左右されたもの」と言い、このような世界からこそ、そこに登場するこの人物はこのような設定になるのだ、という必然性要求する。

大塚もまた登場人物個性については「キャラクター所属する「世界」の物の見方価値観に由来するもの」があるとしており、その人物の設定は彼の存在する世界の設定から必然的に生じたこのような価値観に由来するのだ、という必然性要求する。どちらの側から見るかの違いだけで、冲方大塚も目指している状態は同じだと言っていいだろう。

世界登場人物リアリティ

ワナビの「世界」について「リアリティ自分身の回り3mくらいしかない」「おまえの世界には学校コンビニと自宅しか存在していないのか」と五代/榊は批判し、リアリティには細部の設定が必要不可欠だ、という立場をとっている。一方で「登場人物」の細部情報への批判としては「異能力の内容だけやたら細かい」にもかかわらず「話に全然関係ない」としており、両者をまとめると「主題」の宿る細部こそが必要不可欠であり、それ以外の細部の設定は不要だとする大塚説とほぼ同一と言っていいだろう。

冲方は「そのテーマが内在する世界を、しっかり構築することができるようにならなきゃ話にならない」と世界における主題を重く位置づけた上で「実際にその世界について書かなくても、少なくとも自分は知っていたいし知らないと駄目」と細部の設定の充実に言及する。

その一方で登場人物については、冲方はそれが主題関係しないのであれば「性別や年齢をあとから決める」とする。水島登場人物プロット上の必要性が出てから作れと述べ、最初長大キャラ表を作るというワナビありがちな行為を繰り返し否定する。ヒックスは事前定義表に基づいて穴埋めで作られた登場人物を「組み立てられた登場人物」と表し、そして「最良の脚本には、組み立てられた登場人物存在していない」と断じる。

だがこれらは登場人物に細部の設定が必要ない、という意味にはなりえない。例えばクーンツプロットをまず作ることを前提とした上で、リアリティを持った人物描写のためには、登場人物に関しても細部設定が必要だとして、身長体重、体型、年齢といった肉体的特徴、声や話し方、動作や仕草など多岐に渡る項目の設定を列挙している。

登場人物」であれ「世界」であれ、リアリティは細かな設定によって得られるものだ、という点はいずれの主張とも矛盾しない。その細部の設定が「主題」と関係する場合最初に考えるべきとする見解はあるが、関係しない場合、それがとりわけ「登場人物」の細部設定の場合、これを最初に考えることは多くの見解で明示的に否定されている、ということになる。

これとは相反する主張として、西谷はまず人物設定から始めるべきだとする。「積極性」「肉体的な強さ(美しさ)」「いざというときリーダーシップ」「やさしさ」「辛抱強さ」「頭の良さ」で点数をつけてチャート作成するのが良いとして、さらには性格趣味、髪の色からメイクの仕方、ブラジャーの形状までを設定例として挙げており、そこには「主題」との関係性への言及はない。

ところが西谷は実際の作例において仮置きの主人公を用意するに留めており、チャートについては一切触れず、細かな設定も一切用意しない。まず最初に「世界」と「主題」に取り掛かり、「企画を練り上げる段階で、主人公を変えてしまう」「主人公を引き立てる脇役は、書いている途中で思いつく」とすら述べる。

最終的なこの作例が実際の西谷の手順なのだとすればその手法はむしろ冲方寄りである Permalink | 記事への反応(5) | 20:41

2014-09-22

[]天皇葬儀から宗教色を排する取り組み

吉川春子君 官房長官にお伺いいたします。

 葬場殿の儀というのは、どうも皇室の私的な行事ではなくて、国として見ても公的な行事のようですね。国事行為である大喪の礼、そして皇室行事である葬場殿の儀、これを一連の行為として時間的にも連続性を持たせて場所も同じところで行うというのは、テレビに映し出されるのを見ている国民からもあるいは諸外国代表からも当然一つのものとして映るわけです。かつて吉田総理葬儀国葬として行われた際に、カトリック教会で個人の宗教によって私的に葬儀を行って、そして一週間後に東京武道館宗教色を排除して国葬が行われています

 今度、こういう天皇葬儀についても、憲法政教分離を厳密に貫くべきでありますから、そういうような配慮をどうしてなさらなかったんですか。

国務大臣小渕恵三君) 吉田元首相の例をお挙げになられましたが、立派な方だと尊敬はいたしておりますが、天皇陛下におかれては憲法一条規定をされた我が国の象徴国民統合象徴でございますので、同じような考え方に存するものではない、このように考えております

吉川春子君 そうしますと、宗教色を排してやるというようなことではなくて全部一つとして、それは天皇葬儀として連続して行われて、宗教色の盛り込まれているものも交互にあるわけですけれどもそういうものでやっても天皇場合差し支えないんだ、これが政府のお考えですか。

国務大臣小渕恵三君) 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居撤去すること、大真榊撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます

吉川春子君 大喪の礼もそれから葬場殿の儀も儀式の内容というのは旧皇室喪儀令で定められているものほとんど違わないわけですね。こういうもの部分的に取り出してここだけは国事行為だといっても、憲法政教分離規定クリアできないと思うんです。憲法十条というのはまさにそういう儀式を行うこと自体を禁止しているわけです。

 政府は、大喪の礼のみではなくて葬場殿の儀にも出席を要請して、節目節目には一同に起立を求める方針だと、こういうふうに言われています。これは宗教行事への参加ではないですか。

 そこには、先ほども話がありましたけれども、神道象徴である鳥居が建てられている。大真榊が置かれる。

 広辞苑によると、鳥居というのは神域、神の領域を示すものであると言われています。これをくぐることは神社への崇敬の念を示すことになるわけです。榊は神のよりしろとして枝に白幣をつけて神霊象徴として祭礼が行われるわけですね。

 こういうような宗教儀式総理が出席されるというのは、これはまさに憲法違反じゃないですか。

政府委員(味村治君) 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます

 国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居撤去し、大真榊撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます

 その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございますしかしながら、そこに総理総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国象徴であり日本国民統合象徴あられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定宗教助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣総理大臣としての資格皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます

第114回国会 内閣委員会 第3号

平成元年二月十四日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003c.html

2014-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20140701030756

行きの電車の中で、少しだけウキウキしていたんだ。

独りだけのオフ会

しかもメイン垢とサブ垢3人のオフ会で、3人にドタキャンされた体でやる無意味オフ会だ。

単に4名予約して、独り寂しい感じで4人前を食べる宴会

そして「どうしていきなりこれなくなったの?独りだったよ……」とかidコール愚痴シメまで考えている。

返信も「ごめんね」とか「それじゃ無理してでも行けばよかった」とか「4人前食うとデブるぞ」とか。

アロハを来てカラのスーツケースを持って朝早く羽田空港まで行って、屋上で日焼けして飛行機を見て帰ってくるみたいな、

なんだかDPZみたいだろ?っていう、そういう日曜の過ごし方に、実は少しウキウキしていた。

すぐに悲しそうなのは変かな?とか、スマホでチェックするふりもいるかな?とか。

でもそんなちょっとしたウキウキも、受付をしてくれた店員の返答で消し飛んだ。

「あ、増田様ですね。お連れの方、揃われてますよ」

宴会は、何故か和気あいあいとした雰囲気で始まった。

「あ、やっときた。私はアイディmasu_okaこと、岡田です」

はじめまして、アイディmasu_takeこと、竹田だよ」

「俺はmasu_oreこと、飯田だ」

「ま、増田です。アイディはmasudaです」

じゃあ、ビールで良いかな?という気遣いを見せる竹田君が注文をしてくれて、手際良くコースが開始される。

「やっと4人で会えたね。結構idコールする仲なのに、オフ会したことなかったし」

幹事最後に来るなんて、ちょっとした大物だな増田

「まあまあ、とりあえず乾杯しようよ」

カンパーイ、の声とともに、先に揃っていた3人がさっきまでの話題を僕に教えてくれる。

「実は増田さんが来るまでの間に、オフ会の難しさについて話し始めてたんだよ」

竹田くんは、もっと議論するような堅いのがオフ会なんだと思ってたんだって

「俺は飲めれば何でもいいけどな」

「あ、そ、そうなんだ」

増田くんは、あ、幹事してくれてありがとう結構雰因気良さ気なお店だね」

「あ、ああ。前に会社で来て、安い割に美味しかたから」

「例の部長が絡んできた宴会だろ?もっとガツンと言えばいいんだよ」

無礼講って言っても、上下関係あると面倒だからね」

女子なんてもっとメンドイよ。お酌とかさー。あたし気も利かないし」

は、ははは、と作り笑顔で笑いながら、心の中はハテナマークでいっぱいだった。

というか、誰なんだ一体。

確かに、masu_okaはネカマとして僕が作ったサブアカウントだ。

女性っぽいアカウントだと、ディズニーダッフィー好きを表に出せるし、ネカマは完全に別人格面白い

今もジェラトーニの話をしてる。そう、あの猫は僕も好きになれそうなんだ。

masu_takeは、気さくでちょっとリア充サブアカウントだ。

普段非モテだの孤独だの言う事が多いけど、そうじゃないこともある。そういうのを書きたいときに便利だ。

今も如才なくサラダを取り分けたり、おかわりを聞いたりしている。岡田さんの隣りに座ってても緊張していない。

masu_oreは、攻撃的な言説を取り扱う専門のサブアカウントだ。

会社愚痴とか、ちょっと攻撃的すぎるかなと思ったブコメを残すときに使う。例のNGリストにも無事載っていた。

飲めればいいと言うだけあって、よく食べてよく飲む。思っていたよりも嫌なヤツ感は無いけど。

「で、増田はどう思うんだよ?」

集団的自衛権とか、難しいよね?」

「まあまあ二人とも。増田さんは、政治ネタって大丈夫な人だよね?」

「そ、そうだね。国連では認められてる権利だけど、憲法では使えないだろうって解釈の話だから

解釈っていうか、周りに対するメッセージ問題だろ?」

自分の国での取り扱いから入るのも、一つの切り口だと思うよ」

「ねー、ディズニーとかそういう話に戻ろうよー」

割合に楽しく時間が過ぎていき、何故か成功したオフ会雰囲気が漂った形で宴会はお開きになった。

日曜日だし、みんな社会人だもんね。次はどっか遊び行ったりしようよ」

「それも良いかもね。お酒抜きで遊ぶのは、社会人だと珍しいよね」

「俺は飲みたいけどな。まあ、たまにはいいか」

じゃあね、と店の前で比較的あっさりとした別れ方をして、ふわふわとした気分のまま帰りの電車にのった。

なんというか、すごく楽しかった。

4人で、しかも話も合って、お互いにネット上に載せてることは知っている。

直接会うから喧嘩にもならないし、適度に散漫で、適度に理知的で、良いオフ会だった。

会計の精算をしそびれたけど、次に遊ぶときにで良いだろう。切り出すタイミングが難しいけど。

そういえば連絡先交換しなかったなと思いながら、電車の中でさっそくidコールで三人に感想を送った。

結構悩みながら文面を考えたけど、結局は「楽しかった。またぜひ遊ぼうよ」って。

ブブブとスマホメールの着信を知らせる。

新着通知が3件ある。

少し強めの冷房が効いた車内に、次が自宅の最寄り駅だと知らせるアナウンスが流れている。

2014-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20140319141631

「支持」の意味については了解

「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」という表現を見たときに、「もっと多くサンプルを取れば疫学的に影響が見られるんでしょう?どうせやってないんでしょう?」というのを感じ取った。些細なことだけど、これがものすごく嫌。動物実験のくだりもだけど、この人の発言から科学者蔑視を感じる。

いや、100mSvの根拠が原爆被爆者調査だってのはこの手の話では前提でしょう。サンプル増やせないのは承知で生身の人間での調査の限界ってことで言ってると思う。

低線量被曝については原発労働者対象としたもっと大規模な調査があって、100mSv以下でも有意差出たって論文はある。数十mSv単位だっけな。でもまだ定説にはなってない。

その先を疫学的に調べて閾値見つけるのは現時点では難しいってことは、飯田氏も計量経済学で専門的に統計やってる人だからわかってると思う。

中西氏の動物実験の話は、安全科学では閾値が想定できる毒性でも動物実験で毒性が出たら人間への影響は安全係数かけて(100倍とか)安全側に寄せて規制するから安全科学専門家としては当然の物言いだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20140319112119

http://anond.hatelabo.jp/20140319112119

増田の言う「LNT仮説を支持」ってどういう意味で?

僕は二人とも「放射線防護の基準としてLNTを採用する」って意味では支持してるとは思う。そして、今現在公衆衛生上の問題として放射線防護の話をする際には、閾値仮説を持ち出すべきでない、と考えてると思う。

そこは僕も原則として賛成なんだけど、増田は反対なのかな?

まあ、飯田氏の方は「より科学的真理に近そう」と思って支持してるニュアンスは出てるけど、あくまで素人直観と断った上での物言いから「どうしようもなくダメ」とまでは思わないなぁ。

デマちゃう

http://anond.hatelabo.jp/20140317101757

まあ確かに、飯田氏の直観とは逆に、生物やってる人の直観は「どっかに閾値があってもおかしくない、けど、100mSvではないだろう(あれはあくまで統計学的限界)」あたりが相場だと思う。元増田が言うようにDNA修復機構もあるし。

でも安全科学(中西氏の専門)の考え方では100mSv以下のどこに閾値があるっていう積極的な根拠がないなら外挿してLNTでやりましょう、ってことでコンセンサスができてる。これは発癌物質の毒性(遺伝毒性)についても同様。その上で社会的に許容される(様々なリスクとのバランス考慮した)閾値を考えるのが安全科学

安全性について「真実」がわからない状況だけど社会は何か決定しなきゃいけないって時に、少しでもマシな決定をするための方法論が安全科学なわけ。対談だからわかりにくいとこもあるけど、何々説が「真実」だなんて話はしてないから、そのつもりで読み直して欲しい。

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