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はてなキーワード: 地の文とは

2018-12-28

怪談と隣人―波勢邦生「トナリビトの怪」を読む

【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店ネット書店最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネル選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます

当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的自己判断できる存在としての近代主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的イメージに対して、ハワイ日本沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます

いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。

知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子うつ適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)

この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談想像力」はキリスト教テクストにも見出されるという点です。

(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)

この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体区分による解釈は、恣意的グロテスクな切断」(34ページ)となりますしかバベルの塔神話が示すように、神は常に「言語文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。

「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉からだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)

ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たち理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)

「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述あくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります

たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰告白せずに死んだ祖父天国でないどこかへ行ったのではないか不安になった」という文章地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラスト文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)

聖書怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります

イスラーム法学中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰自身による学問考察のいくつかには、相対主義決断主義あいだでさまよう私たち課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます

以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。

2018-12-14

アニメ涼宮ハルヒの憂鬱』の功罪

京アニTVアニメ涼宮ハルヒを一気にメジャーカルチャー代表に押し上げたことは間違いない。しか作品自体を殺してしまたことも事実だ。

ここ数日の議論ハルヒを「殺した」のはエンドレスエイトだとか主役の声優だとかでているが、一番の原因は原作の続きが出なくて完結しないことが確定してしまたことだ。そしてその原因は京アニがこの作品絶対やってはいけないことをやってしまったためだと思っている。

それは主役のキョンを絵にしてしまたことだ。単なる登場人物にしてしまたことだ。

原作を読んだ人はみな知っているが、原作におけるキョン特殊人間だ。主要登場人物の中で唯一名前が出てこない(あおりをくらって「キョンの妹」になってしまった名無しの登場人物はいるが)。外見も描写されない。表情や態度を他の人物描写する台詞もない。完全に透明なキャラクターとして設定されている。

また、物語においてはキョンの登場しない場面は一切描写されない。地の文章と頭の中のモノローグと声に出したセリフ区別されない。他の登場人物は、しばしばキョンの頭の中で考えた言葉に反応する。

これはおそらく物語の根幹に関わる意図的表現だったはず。しか京アニはこれを破壊してしまった。

キョンに外見をあたえてしまった。口に出さない、内面の声に他の人物が反応することもなくなった。サムデイ イン ザ レインにおいては、あろうことかキョンのいない部室の様子を書かせてしまった。後書きで谷川流示唆していたが、これら一連の行為により、作者は予定していた完結編を書くことができなくなってしまったのだろう。

原作ファンとしては、非常に残念に思っている。

2018-12-05

anond:20181204232044

最初が 莫 みたいな字で4文字のやつじゃない? 

まあ漱石あたりもそのへんも、ずっと今でいう「当て字」だらけだが

中国旅行で見かける水瓶○○だの可口可楽みたいな商品名だと思えば

まだ地の文日本語なだけましかと

2018-11-25

anond:20181125162630

パーティーとかバーベキューだけは、北米では無理してでも家主の男がメインで仕事やりたがるんだよね

男の意地の文化であって、ネタにしたいのと真逆文化だよな

あれをフェミネタに使うとか、脳にうじ湧いてるから止めたほうがいいよ

この渡邉葉って人ニューヨークに住んでるそうだが、今までどこ見てたんだか

2018-11-15

anond:20181115112004

俺は元増田じゃないからいいんだけど、

小説を「人称と視点」で分けて整理するのって、

おそらく栗本薫あたりから広まったメソッドの一つにすぎず、

誰にでも通じるものではないから注意したほうがいいぞ。

そして「三人称主人公視点」というのは、

三人称で書くけど視点主人公に固定というだけで、

主人公地の文でべらべら喋るかどうかはまた別の話だぞ。

2018-10-31

anond:20181031170840

たとえば、凛とした誇り高き少女騎士であったアルトリアというヒロインは、下着姿を衆目にさらキャラクターに変えられてしまったり。

過去作品ラスボスであったキャラクターが、FGOから登場したキャラクターに倒されてしまったり。

これはしゃあなくねえか?

あのシリーズ20年ぐらいやってんじゃん(もっと?)

シリーズに切り替えずに大昔からの旧キャラクター全部出そうとしてるだけでも頑張ってるのに

その旧キャラクターが完全に昔通りじゃないとダメってか。

時代は流れてんだからまるっきり同じじゃ今ウケないだろうよ。

また、そういうのはだいたい今の目で見ると微妙(懐古老害はそう思わないかもしれないが)だからリファイン必要になる。

そのリファインにもケチをつけられたら動けなくなる。


だいたいFGOって露出度の高い女の子がウジャウジャ出てくるじゃん。

源頼光女の子とかアッティラ王が女の子とか意味わからんわ。

ナイチンゲールなんかコンドームぶら下げたコスチュームでなんとか礼装って言われててなんの礼装やねんと。

そういうトンチキなゲームを楽しんでるんだから、旧作の凛としたキャラ下着出したぐらいでピィピィ言うなや。

それはお前がずるいし懐古方面に偏ってるよ。


タイプムーンギャグは、年々、パロディと身内ネタばかりの寒いものとなっており、笑えるコメディアンポジションにすらなれないのが現状だ。

タイプムーン寒いのなんか昔からじゃんか。

俺は月姫ちょっとやって地の文鳥肌立って投げ出したわ。

アレを楽しめた奴が今更「寒い」とか言うな。ずるいわそれは。


fateを初期からやってて旧キャラに関する知識思い入れ豊富なんて奴は

100パーうるさいだけの厄介ファンであって

FGOの興隆はそういう奴等じゃなく新規ファン流入によるのだろう?しらんけどたぶん。

そりゃお前らの扱いは一等客席ではないわな。

なんでもそういうもんだよ。


全然ジャンル違うけど、

新日本プロレスというプロレス団体が再興したのも

うるさいだけでたいして金にもならずウン十年前でセンス新陳代謝がとまってて

「昔と同じことをやれ」って言い続けるクソオタディープマニア中高年を切り捨てたためなんだ。

2018-10-18

anond:20181018111901

こんにちは日本語警察です。

うまい」(旨し(古語))は、「甘い」を語源とする一般的食べ物の「良い味」を意味する言葉で、「うまい」というのは特に下品言葉でもなければ失礼でもありません。本来現代でも普通に使われて良い言葉です。

対して、古語「美し(よし)」を語源とする女房言葉だった(「よし」→「いし」に、美化語である「お」が付いた)「おいしい」は、その発生から女性使用して上品に感じさせる言葉」としての歴史をもっています。年配の方の一部では、女性語と受け取る人もいます

まり女性による「うまい」の使用がやや乱暴に感じられるのは、一般的に用いられる女性語としての「おいしい」をあえて選ばなかった、という言外の意味が生じるように受け止められるからでしょう。一方で、「おいしい」を女性語と感じない(単なる「ちょっと丁寧な言葉」と思う)人が増えた結果、「どうして女性が使うと下品に聞こえるのか」が分からなくなった、というのが今回の文脈ではないでしょうか。

なお、明治文豪等は、そもそも食べ物の味について云々すること自体をケシカランことと思っていた節もあるようですが、それを表現する際には、地の文男性語としてはおおむね「うまい」が選ばれていたようです。その後の用例をみると、明治末ごろから大正にかけて、女性作家児童文学作家などの文章普通に「おいしい」が用いられるようになっており、その辺り(時代場所から男女問わず用いられる今日の「おいしい」の用法が広まったのではないかと推測されます昭和に入ると、特にカジュアル口語表現において、男性場合も「おいしい」を使う例が増えているようですね。そこでは「うまい」はやや古風な表現という受け取られ方をしているようで面白いです。

2018-10-17

[]俺達の世界わ終っている。トゥルーエンド個別ルート

ノーマルEDだけだと★2くらいだったけど、オールクリアで★3.5くらいまで上がった

このご時世に完全新作ADVを出してくれただけでもありがたいってのはまずある

2chを見ると発売日がオカルティック・ナインかぶってたらしい

あっちはプロモーションに金かけまくってるからなあ・・・

テーマも似てるとくりゃこっちが売れる要素がない

まあオカルティック・ナイン地雷とわかってこっちに流れた人もいたみたいだけど

閑話休題

トゥルーエンド個別ルートは、実はノーマルEDは終わってなかったってところから始まる

んでエンディングまでは一本道

エピローグが各キャラごとに異なる

個別ルートは二人いる男にも用意されてる

中二病黒髪ロングメガネキャラ優遇されすぎてた

共通ルート中でも優遇されてんなとは思ったけど

からさまにひいきされててうーんとなった

チレイってキャラ絶妙に下手だなと思ったけどユーフォ主人公の声やってるくろかわともよ?だった

ダウナー系っぽい声がヤンデレには合ってたが

トータルで見るとそこそこのゲームだった

やって損はしないけど無理してやるほど面白くもないって感じ

個人的に駄目だったポイントシステム、一部の立ち絵、しつこい貧乳ネタだった

シモネタはいいとして、貧乳いじりがしつこすぎてほんと読んでてイライラする

時代的ないじりでもはや今ではセクハラを余裕でこえてる

たまーにあるくらいならまだいいけど、かなり頻繁にあるからほんと勘弁

しかゲーム会社っていう一応大学生~成人してるコミュニティから、なおさら

ラノベとかアニメみたいな高校生程度くらいのコミュニティならまだいいけど、いい大人がそれかよと思ってゲンナリする

システムサクラ大戦スタッフが作っただけあって制限時間つきの選択肢とかあるけど、ほとんど意味ない

動画サイトコメント風にしてる意味もないし

立ち絵クオリティの差があってひどい

前もかいたけど、杉田役のキャラの裸立ち絵がほんと気持ち悪い

あとテキスト地の文が多すぎてくどい

こういうアドベンチャーゲームなら背景と立ち絵立ち絵の動きだけで表現できるところをわざわざテキストで読ませるからすごい描写がかったるい

そこまで書くなら小説しろよという感じ

あとオマケで総集編という名の公式MADが見れるけど、それも寒すぎてつまら

2018-10-14

絵が描けないか小説を書く

二次創作をする文章書きの常套句だ。

かく言う私もそのうちの一人である

最初は絵を描いていた。

自分の頭の中にある妄想を、どうにか表現出来ないか試行錯誤した。

でも描き続けることは出来なかった。姉のほうが、私よりも絵が上手くてセンスもあったからかもしれない。そもそも絵を描くことが好きじゃなかったかもしれない。

とにかく絵は諦めた。今も全く描いてない。

次に手を出したのは小説だ。

最初に書いたものは、とても小説とは言えないものだった。

地の文に何を書けばいいかからなくて、誰と誰が話しているか曖昧な会話ばかりが増えていく。

語彙が乏しいから同じ表現しか出てこない。

登場人物がどこにいるのか判然としない。

オチワンパターンで終わった気がしない。

欠点を探し出すとキリがないくらいだ。

小説を書くのは難しいと思い知った。

今でも小説を書けているのか全く自信がない。

思い通りのものが書けなくて、書こうと思っても何も浮かばなくて、書きたいもの自由に書けない自分が腹立たしい。苦しい。辛い。悔しい。

反対に、作品を書き上げるのはとても楽しい自分妄想表現するのが心地よい。いつもオチに困るのは、自分の中に広がる世界に終わりがないからだ。

そんなことすら思ってしまう。二次創作オタクの分際で。

書くのは楽しいし、書けないのは辛い。出来るならずっと書いていたいし、いつか書けなくなる日がくるのが怖い。

このサイクルをもう十年も繰り返している。

絵は諦めた。上手く描けなかったから。

小説はまだ書いている。上手く書けないのに十年も。

ここまでくると、本当は小説を書くほうが好きだったのかもしれないとすら思う。きっかけが、絵が描けないからというつまらないものだっただけで。

単に二次創作をしたいだけなら、他にたくさん方法がある。

でも小説を書いている。諦めて次にいくこともせずに。

今も書けなくて、でも書きたくて、エディタを閉じたり開いたりしている。

結局書けないのでここにきた。自分の心象なら書けるかもしれないと思ったのだ。

しかし書けない。ようやく捻り出したのはこれだけだ。

もっと書けるようになりたい。というか、何故書けないのかが知りたい。

2018-10-13

エマ・ワトソン名言BuzzFeed記事を読んで分かれる反応

BuzzFeedのこの記事を読んで「ソースなかったのか」と受け取る人がいて面白い見出し誘導されてるのか

 

女の子がやってはいけない一番悲しいことは…」エマ・ワトソンの"名言"拡散、でもソースをたどると…

https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/emma-watoson

 

記事内容を簡単に書くと、

エマ・ワトソン名言botが「女の子がやってはいけない一番悲しいことは、男性の為に頭の悪いふりをすることです」とツイートしてバズる

ツイートにはエマ・ワトソン国連演説写真が添付されていた

エマ・ワトソン過去演説で、こんなことを言ったことはなかった

・調べると「The Leaky Cauldron」という「ハリー・ポッターファンサイト」の2006年記事掲載された「オクスフォードユニオン同大学生弁論団体)で講演した内容」だとわかった

・ただし「地の文」に書いてあるだけでかぎ括弧付きでないので、実際に何と言ったのか、エマ・ワトソン真意は分からない

・当時のエマ・ワトソンの講演の動画や全文ログがなかったので確認が取れなかった

 

自分はこの記事読んで、「エマ・ワトソン名言」の裏付けは取れたんだなと思ったが、「取れてない」「真偽不明だった」と受け取る人もいて不思議な感じだった。

記事では「The Leaky Cauldron」を「ファンサイト」と説明するだけで後は非常に疑ってかかってるので、確かに「このサイト日本まとめサイトのようなデマも報じるトンデモサイトなのかな?」とは思ってしまう。

しか確認してみると、2006年にこのエマ・ワトソンの講演記事を書いた「Melissa Anelli」なる人は、すごいハリー・ポッターファンとして世界で知られる作家であり、Wikipediaにも単独項目ができているほど。https://en.wikipedia.org/wiki/Melissa_Anelli 2005年にはJKローリングへの独占インタビューもしていたという。一定に信頼されているファンサイト記事だということだ。Twitterもやってるので本人に直接取材することもできるかもしれない。https://twitter.com/melissaanelli

当時書かれたレポート記事について「映像と全文ログがないから真偽が分からない」なんてなったら、過去新聞記事引用なんてのも絶対無理だと思う。

エマ・ワトソン本人が「そんな発言してない」とおかんむりなら、当時の記事発言捏造があったか、というのは疑って当然だけどそうじゃないし。

まあ12年前のエマ・ワトソンはまだハリー・ポッターの続編を撮影中で、活動家として講演したわけではないから「当時の真意」を知るには全文ログ確認したほうがいいし「フェミニズム発言として引用するな」とかも言えるかもしれない。

anond:20181013061909

ありがとうございます

本業の方に添削していただいて、文例まで書いていただけて恐縮です。

かにそのように書いた方が、ずっと没入感があり、感覚が刺激されますね。

かにこれは第2話という位置付けです。タイトルの「サトシ原子炉」をクリックするとカテゴリページに遷移するので、そこに第1話があります。もし読んでいただけたら嬉しいです。

地の文についてですが、神の視点の文は基本的にありません。タイトルにある名前登場人物視点で書くようにしています

ご教示いただいたことを踏まえて、全体との整合性にも気をつけて修正を加えていきたいと思います

追記

語尾については、その登場人物出来事を語っているように書いています。すなわち、基本が過去形で、臨場感をもたせたいところや、客観性が乏しく、その人物感覚感情比重が大きい部分は、終止形にするようにしています

anond:20181013044059

 

冒頭だけしか読んでないけど、さら添削すっぞ。

 

原文だと、香り香り匂い、と嗅覚情報ばっかり先に立って、本来最初に飛び込んでくる音の情報が遅い。匂いばっかりだと変化もないので適度に情報の種類を混ぜ合わせた方が楽しく読める。

 

言葉意味のかかり方についても、ちょっと不注意だ。「食欲をそそる肉の香りが、ネギ油の香りの中にほんのり広がる」だと、食欲をそそるのは肉の香りだけになってしまう。そういうわけでもないだろう? 両方にかかるように、文を工夫するといい。

 

鮭と鶏肉と、動物性具材をふたつも入れたら味が濁るんじゃないかという疑問もあるが、そこはまあ、妥協しよう。どっちもマリネされてるから味が濃くなりすぎないかというのも、ぎりぎりここでは妥協してやる。自分で反芻してくれ。

 

よろしくないのは、一人称なのか三人称なのかが冒頭だとちっとも分からんところ。第二話と書いてあるので第一話でしっかり出た情報なのかもしれないが、転換とともにそういうのが変化することもあるので、出来れば早くに、人称がどっちなのか、一人称なら誰の一人称なのかを示しておきたい。しかも、さりげなく。「とってもいい匂い」は口語なので一人称であることを示しはするが、口語地の文書くような素人も多いから、もうちょっと念押ししておきたいところだ。

 

フライパン鶏肉接触面」って。「接触面」って。そんなの料理中に心に浮かべるか?

 

語尾がウ段の終止形ばっかりでリズムがない。注ぐ、入ってくる、塗り広げる、広がる、砕いていく、音を発てる、ご飯を加える。すっごい単調。意図がない限り、同じ語尾はせいぜい2回続けるくらいに抑えておけ。

 

細々指摘するのも大変なので冒頭数行だけいっそ改変してみる。

 

 

 

 よく熱したフライパンに適量のネギ油を入れると、弾けるような音といっしょに香ばしい匂いが広がった。

 鶏皮を使って油を全体に延ばすと、動物性の脂と溶け混じって、いっそういい匂いになる。パチパチという音まで美味しそうだ。いい感じだぞ。

 香りが立ったところで、いよいよ具材を炒め始めよう。まずは鶏肉、火が通ったら野菜も加える。リズミカルにじゃっじゃっ、と音が鳴るようにしゃもじでまぜていく。立ち上るいい香りを大きく吸い込んだら、「あー、絶対美味しいよこれ」と思わず声が出た。私史上、最高かも。フライパンを煽ると、具材と一緒にぱっと炎も宙に躍った。わっ、なんだか気分がアガってくる。

 

 

 

 いちおうプロだった俺が書くと、こんな感じ。

 だらだら料理手順の説明を続けても読者は面白くない。よほどのことがなければ、何を入れたのかこと細かに説明する必要はない。まとめて省略してしまっていい。具材に何が使われているのかは、この小説面白さに必要か?

 人物が、楽しそうに料理している様子を描く方が、まだしも読者も同調して楽しんでくれる。「調理」じゃなくて、それをしている「人」を書いてくれ。

 

 

 以上。今後の健闘を祈る。がんばれや。

2018-10-12

非常識広報担当者記事のチェックでやりがちなこと4つ

しがないウェブ編集者です。

ウェブに載せる記事コラムを書いたり編集したりしています

そうした記事企業が関わることがあります

その場合お金をもらってないので広告記事じゃないですが、念のため、その企業に公開前の事前確認をしてもらうことがあります

その企業広報担当者の中に、時々、非常識修正依頼や要望をしてくる人がいます

経験の浅い広報担当者に多いです。

非常識(1)【タイトル見出し地の文インタビュアー言葉まで直してくる】

これは最も非常識

そもそも企業確認をお願いすること自体、それが広告記事でない限り、あくまサービスとして事前に見せています企業に求められなければそもそも見せないことも多いです)。

事実に反することや誤った表現があれば指摘してほしい、くらいのことです。

企業確認をお願いしているのは、あくま企業に関わる箇所だけであり、それ以外に口出しする権利はありません。

これが一度あると、この企業には確認をさせないようにしよう、ひいては面倒だからそもそも取材を控えよう、となります

業界は狭いので、その一つの媒体だけではなく、他媒体にも噂は広まっていきます

もちろん、タイトル見出しインタビュアー言葉であったとしても、ちゃん経験のある広報担当者であれば、「ここは〇〇と変えるのもアリかと思いますが、あくまでご提案です」といった大人のやり取りをしてきます

非常識(2)【代替案を出してこない】

その企業に関わる箇所で修正したいところがあれば、どう修正したいかを明確に提示すべきです。

なぜなら、こちらは100%良いと判断した状態のものを見せており、企業によってその一部を変えるのであれば、どう変えるかをこちらが考えるのは本来不要だった仕事からです。

あくま広告記事ではない、というのがこの話の前提です。

もちろん、事実関係の誤りだったり、それが公表資料をあたればすぐ分かる情報だったりすれば、代替案を明示せず、「ちゃんと調べろ」でもいいと思います

非常識(3)【修正履歴を付けない】

これは無料記事だけではなく、広告記事にも当てはまることです。

どこをどう直したか、それが全く分からない形で戻ってくることがあります

もちろん、例えばWordなら、元ファイル比較する機能があるのでこちらでやりますが、特に無料記事こちらの仕事無駄に増やすのはやめていただきたいです。

Googleドキュメントなら修正履歴自動で全部残るからいいのですが、Wordを使う場合でもこちから事前に、「修正履歴を残してください」と案内しています

それでもやらない人がいる。よほど自分修正に自信があられるのでしょうか。それとも、履歴さなくても、こちらが全文を目で見て照らし合わせるとでも思っているのでしょうか。

非常識(4)【社内で意見統一する前に戻してくる】

一度戻ってきて、その修正を反映させてこれで完了、と思っていたら、次から次へと修正事項の連絡が来るやつです。

時には、そちらが修正した部分についてさら修正すると言い出し、こちらの元原稿に戻ることさえあります

いえ、その議論過程はあってしかるべきですが、全ての関係者のチェックを、社内で全て終えてから戻してほしい。

そうしないとこちらは全てそれに付き合わされて作業することになり、二度手間、三度手間なのです。ご勘弁いただきたい。

非常に偉そうに書きましたが、これは全て媒体企業とどちらもが幸せになるために書いたことですので。ご理解いただきたく。

2018-10-08

おかし文章を書いているとおかしな人と思われる

例えば、やたら、句読点が、多かったり。

スペースを とにかく やたらと 入れまくったり 

改行が

多かったり

なんでもかんでも安倍のせいにしたり(そりゃ労働時間関係とかがっつりかかわってる案件もあるけどさーそうじゃないのでも総理のせいにする人いるし)

反応を得たくてわざとやってるのかな?

それはそれとして私の地の文章がおかしいと思ったならそれは私の力不足です。おかし文章と思われないような学習がしたいのでおススメのwebページとか本とか教えてください

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-10-07

Leon主題歌にもなっているstingのShape of My Heart

序盤の

those who play never suspectで

playが目的語に取るのは人だっけ?とか思って調べたら

カードをするとか争うとかい用法があってへーって思った。

勿論play cards with the girlsみたいにも使えるらしくて

ちょっとこの違いを勝手妄想逞しくして考えて見た。

1.play 人の場合

これは誰かとplayするといったらカードに決まってんだろ?という賭場に入り浸る人、その筋の人が気取っていう。

昨日三万すったと近いニュアンス

2.play cards with the girlsの場合

ちょっと背伸びしたい年頃の男が、週末何していたか聞かれて、

トランプ遊びをしていたのさ、女の子たちとね!

と寧ろ誰と遊んでいたかを際立たせる表現

英語スポットの当たっている語は後に来やすい事と合わせるとありそう。(例えばitなどの代名詞は前に来る)

そもそも話者遊んだ女の子達と焦点を当てているがtheをつけたものの、聞く方は誰よそれって感じである

公平な地の文だと無冠詞girlsにすべきなのだろうか。

日本語小説ではあまりこういう部分は問題にならないが英語小説だとどうなんだろう。

2018-09-20

anond:20180920173411

大阪舞台小説書いてるけど全員関西弁から語尾で発言者判別させられなくて苦労してる。

「~や」

せやな

 ○は×に向けそう言った。

みたいな説明的な地の文を入れないとどうにもならない。

どないしたらええんや

2018-09-12

色々なジャンル的外れすぎてムカつくアンチ意見見てきたけど一番「やりきれなさ」というか「どうしようもなさ」を感じたのがFateUBWのアニメの初戦で「アーチャーイリヤスフィール狙ってれば終了だったかガバガバ」ってやつ

それはちゃん理由がある…と反論する自体ネタバレに繋がりかねないからかみんなスルーしててこれで心象悪くなってたら嫌だなと思った

選択死がないからか地の文がないからか子供騙しに見えるみたいでそこもな 原作やってる時はそんなこと全く思わなかったんだが…葛木の初撃必殺(=二度目以降は通用しない)、凛の肉弾戦が何故切り札になったか衛宮士郎がなんでギル渡り合えたかetc地の文ないとわからないし、小説原作アニメ限界を感じた いや好きですけどね

2018-09-06

メダロットガールズミッションのよくあるやつ

とあるごとに蒸し返されるのでここに何度もループしている話題について書き残しておく

エロじゃん

エロでございますね。

選手たちは服が破かれるのを想定して下着のかわりに水着を着用しているかエロと思うほうがエロとか言う人もいるけど服が弾け飛んでおにゃのこ悲鳴を上げる演出はちょと言い訳できないですね。

・爆死した?

まあメーカーが想定したとおりの売り上げといったところでございましょうか。

もちろんイマジニア内部でどういう計画になっていたのかは知りようがありませんが公開されい決算資料を見ても売り上げが極端に少ないといったような事実確認できません。

これが嘘ならたぶん粉飾とかになるので告発すればいいと思いますよ。

・売れなくてメダロットが死んだ?

ゲームの新作は今のところガールズミッションが最後ですが2017年12月に1~5を収録したメダロットクラシックスが発売され年が明けた6月にはアークビートルプラモデルが発売され更に二体のキット化が発表されて

いるんですけどこれたぶん死んではいないと思いますよ。

センセーショナルプロモメダロットが今でも動いてるってことを知らせる目的もあったらしいけどその点については大成功しか言いようがないですね。

炎上商法まがいなことやるような状況になったのはまあ残念ですけど。

美少女とか脱衣とか余計なことしなければもっと売れたのでは?

メダロットDUALがあの程度しか売れなかったのおかしいですよね。僕もそう思います

でも美少女で売れるかはともかく美少女を脱がせるゲームじゃなかったらお前もメダロットゲームが出るってこと自体知らずにいたんじゃね?

クソゲーなの?

ロボ格ゲーとしては評判のよかったDUALのロボトルをそのまま引き継いで今までにないタイプ主人公たちとメダロットを描いたストリーモードが添えられたなかなかの逸品なんですけども、オンライン対戦のために

パーツ集めやメダルの育成をやろうと思うとこれがなんとも不親切でここでクソゲー判定されたとしても仕方がないでございますね。

ストーリーに関しては大会を勝ち進んでいく合間に挿入される登場人物の掛け合いという一般的格闘ゲームと同じ形式なんでございますが総勢20名の女子高生によるそれぞれのメダロットとの関わり方はナンバリング

の「少年メダロット」とはまた違う世界を存分に楽しめるまさにフルコースなのでございます。まあメダロットストーリーに絡まない子がいたり単なる道具で終わってたりする子もいるでございますがそれもメダロ

ットのあり方のひとつでございますよ。

ただ演出面では予算が足りなかったのでございましょうか、普通なら画面を光らせて効果音を鳴らす場面を地の文表現したり立ち絵やボイスが場面にあっていない部分も見受けられました。

ボイスは合うのがないなら作ればいいのに素材の中から一番マシなのを配置したようなのも少しあってこれはマイナスだなぁと思うでございます。あ、でもつばさちゃんは「キャハッ☆」とか「ぶぅー」みたいなボイス

の使いやすさが異常なおかげでかなり出来のいいパートボイスでございました。パートナーのペッパーキャットもかわいいのに本人がメダロット人格を軽く見てるタイプのメダロッターでメダロットとの会話が一切な

いのが惜しいでございますね。

エロ画像RTしながらハイパーフィニッシュにキレる香具師なんなの?

性欲はほとんどの人間にありますがそれはそれとして人によって好きなエロなんとも思わないエロ嫌いなエロが違うのです。

でも自分趣味無限に許されて自分が嫌うもの無限に叩いていいとか言ってるのウケるよな。

メダロットって小学生とかが遊ぶゲームじゃないの?

DSや7で子供向けの雑誌タイアップした過去もあります児童ターゲットを絞ったやりかたはいろいろ無理だったみたいですよ。

でも大きなお友達や昔小学生時代にメダロッターだった人とかには多少売れるからこういうことになった。

それからボンボンだけどあれ実質的廃刊になってるから

「これは子供向け!アンタ向けじゃないの!」とか言ってたのにアンタ向けのゲームを作ってそのアンタに叩かれてるのは残念な話ですね…。

anond:20180906090140

君の膵臓を~の原作テキストが無いので(電書は今日買った)盾の勇者比較になってしまうけれども、そこはゴメン。

例えばこのセリフ

「こっちの意思をどれだけ汲み取ってくれるんだ? 話に寄っちゃ俺達が世界の敵に

回るかもしれないか覚悟して置けよ」

「こっちの意志」ってのが話し言葉としては変。

なんでかっていうと、発音が「こっちのいし」であり、異世界にコッチ・ノイシという人がいたらその人を指す固有名詞かと勘違いしてしまうし、「いし」はEC(エレクトロコマース。電子商取引の略)なのか「医師」なのか「石」なのかがはっきりしない。

実際にこのセリフを音で受け取ったときに「え、いしって何のこと?」と聞き返される可能性はかなり高いだろう。

これが地の文にあるならおかしくは無いが、リアルコミュニケーションでいきなり相手意味確認が取れてないワードを使い出したら<あっ、これはダメなやつだ>って思うだろ。

こういうディスコミ気味なセリフがなろうの持ち味だってのは理解しないでもないけど、

流石に「こういう語で話す集団がいる」は想定としてはキツいよ。こじらせた陰キャじゃんか。

anond:20180905235157

なろうのセリフは全て「」の後に【というようなことを言った。】とでも書いてあると思えばいい

そうすれば地の文だと思って読める

そしてそういう書き方になってるのはある意味なろうとしての最適化を図った結果でもあり、単純に語句選択が下手だとも言い切れない

小説ではなくスマホ小説という別のジャンルであることを理解しなければならない

勿論さっきも言ったがそれを他メディアにそのまま持っていくのは愚の骨頂でありそういう意味あなたの言うことは理解できる

2018-09-05

anond:20180905234710

盾の勇者原作読んでないけど漫画は読んだ。痛い描写はそこそこあるけどセリフ周りなどには特にそこそこおかしい点はない。

小説→他のメディアになる際にそこらへん調整されるんだってんなら、それは「君の膵臓を〜」もそうであるべき。

第一ドラマもやってるんだろ? ドラマキャスト上野樹里x松田龍平ならともかくそうじゃないなら明らかにあい台詞回しはアスペトークやぞ。

追記:今まさになろうの方で読んできた。完全に「痛い」のはこういうセリフ

「人の同意なしでいきなり呼んだ事に対する罪悪感をお前らは持ってんのか?」

 剣を持った男、パッと見だと高校生くらいの奴がローブを着た男に剣を向ける。

「仮に、世界平和になったらっポイっと元の世界に戻されてはタダ働きですしね」

 弓を持った奴も同意してローブの男達を睨みつける。

「こっちの意思をどれだけ汲み取ってくれるんだ? 話に寄っちゃ俺達が世界の敵に回るかもしれないか覚悟して置けよ」

 これは、アレだ。自分達の立場確認と後の報酬に対する権利の主張だ。

 どれだけたくましいんだコイツ等は、なんか負けた気がしてくる。

「ま、まずは王様と謁見して頂きたい。報奨の相談はその場でお願いします」

全般的セリフ部分の語彙が地の文と同じになっていて、「話し言葉」としてはありえない(痛い)セリフになっている。

単純に語句選択が下手なんだな。

ただ、こういうセリフは通常アニメ化などの際は調整ないし削られる。そりゃ変だから

漫画なんかもセリフを厳選しなきゃいけない中で、こういうのは徹底して削って行っているはず。

ところが、アニメ映画版「君の膵臓を〜」はこういう荒削りセリフリライトなしに突っ込んできてるからな。

違和感バリバリないわーって思うよ。こういうところでなろう感出さんでええ思うねん。

anond:20180905224216

なろうの会話文は会話のダイジェストであって会話そのものではないと読み取ったほうがよい

たとえば普通小説で、地の文に「彼は近所の猫が死んだという話をした。」と書いてあったなら

会話の中で何かそういう内容の発言をしたんだろうと想像するのが普通であり、文字通り「近所の猫が死んだ」とだけ言ったのだとは普通読まない

なろうでは直接的に彼のセリフとして「近所の猫が死んだんだ」と書いてあったとしても同様の推測を働かせる方が自然に読める

何故こうなったかというと勿論これもスマホで読むために最適化されたなろうノウハウひとつ

画面の横幅という協力な制限の中で引っ掛かりなく読めるものけが淘汰されずに残ってきた結果と考えられる

2018-08-31

「本当の小説というもの地の文が多くて台詞は少ないものだが、それに比べてWeb小説台詞だらけで…」みたいなこと言ってんの、たいていブンガクどころかラノベすら読んだことなさそうなアニオタだったりするんだけど、あれはどういう現象なんだろう。

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