はてなキーワード: このラノとは
最強のラノベって何だよ?まずそう思うだろう。俺も正直深夜のテンションで筆が滑ってこう書いている。
だが、これから紹介したいラノベは唯一無二のラノベだ。少なくとも、俺の心を救ってくれた。
簡単にあらすじを紹介しよう。
主人公は2人いて、奇数巻は最強の女暗殺者ミズー、偶数巻は最強の精霊を瞳に宿す少女フリウが主人公だ。この2人がそれぞれに「心の実在を証明せよ」と語りかけてくる謎の精霊に立ち向かうという話だ。
いや、待って逃げないで。確かに俺もすごい厨二病っぽいと思う。でも違うんだ。フレーバーテキストっぽい「心の実在を証明せよ」というのをガチでやっちゃうからこのラノベは凄いんだ。
その証明は要約できない。このラノベは全部で10巻あって、それだけの文字数をちゃんとテーマを語ることに使っている。それだけの文字数を読むと要約しても伝わらないことが分かる。
それでも敢えて要約するとこんな感じになる。まず信じることは心の働きである。それならば、信じられるものがあれば心が実在すると言える。では、絶対に信じられるものとは何か?となるが、そんなものは存在しない。しかし、絶対はなくとも信じられるものはあり、それを信じることが心の実在の証明となる。だが、答えだけを求めるものにはこの証明は理解できない。
だから、このラノベがどういうところで俺の心を救ってくれたのかを説明することにする。
かつての俺は絶対に信じられるものを探していた。なぜなら心が不安定だったからだ。
もし絶対に信じられるものがあったとしたら、それに沿って生きていれば自分は悪くない。悪いのはいつも「アイツら」の方になる。
そんな気持ちで俺は絶対に信じられることを探して数学や物理の勉強に取り組んでいた。
そんな中でラノベ新刊として出てたのがエンジェル・ハウリングの第1巻だった。
最初はこの本が俺を救ってくれるなんてことは夢にも思っていなかった。ただ、当時好きだったラノベと同じ作者だったから手に取っただけだ。だが、「かつて地図には空白があり、空白には怪物が潜んでいた」という文章で始まる巻頭詩を読んで、この話はすごい話かも知れないという予感がした。
しかし本編を読み始めると何故かなかなかに読みづらく、1巻2巻くらいの間は途中で挫折しそうになったことは書いておく。
けれどもこの本は俺の疑問に答えてくれるかも知れないと思ったのが、物語の中盤でベスポルトという登場人物が語る思考実験のエピソードを読んだときだ。
真っ暗闇の世界に誰かいる。だがそこは光だけでなく音も熱も風もない。そんな世界で暗闇の向こうの誰かに自分の存在を気づかせることができるだろうか?
俺はこの思考実験の意味が理解出来たと思った。真っ暗闇の世界は人と人は分かり合えないという現実の比喩である、そう思った。もし暗闇の向こうの誰かに自分の存在を気づかせることが出来たなら、それは人間は分かり合えるということである。
そしてもし分かり合えたのならば、それを絶対に信じられることにできる。この本にはその方法が書かれているのか?そう思いながら読み進めると…
さすがにそろそろ寝ないとマズいしネタバレしすぎるのもアレなんでここら辺にしておく。
だが、この本は間違いなく信じられるものとは何かという俺の疑問に答えてくれた。
それは答えだけ読んでも理解できない類のもので、実際4巻の時点で答えだけなら書いてあるのに俺は何も気がつかなかった。
最終巻の10巻まで読んで、おぼろげにその形を掴み、より理解するために読み返しているところでこんなところにもう答えがあったとびっくりしたのだ。
最初の要約にも書いたが、絶対に信じられるものなどないとこの本は喝破する。だが、それでも俺の心が救われたのは、信じることとはどういうことなのか、言ってしまうと愛は何処にあるのかということにちゃんと答えを出してくれたからなのだ。そして信じる勇気を2人の主人公の行動をもって教えてくれた。
勝手に殺すな~~
積読消化を苦痛に感じながら、正直読書という趣味の継続に困難を感じてるんだよな。
この記事見て、また最近のラノベ叩きだとか内輪で騒ぐてめェーだよてめェー。(いや昔からつまんないラノベは沢山あったから、最近の話ではない)
人気投票でランキング上位見ても結局認知度調査でしかないんだよな。メディアミックスした作品が上位に来るのは当たり前だ。
おっと、このラノで言えば協力者票があるから、そういう認知度だけじゃないマニアの推薦する図書もランキングに入る仕組みはあるな。
そうだよ、てめェーだよてめェー。ゴミばっか推薦しやがって。
書評ブログとか、全く信用できなくなってんだよな。献本文化と、案件とかもらってんのか知らねえけど、批判しねえし、大した出来でもないゴミを過剰表現のオンパレードで絶賛してやがるからな。
ミミズクと夜の王とか、イリヤの空UFOの夏とかと比べて、お前らがここ最近で絶賛してた魔王2099とか、わたし、二番目の彼女でいいから。とか竜と祭礼がどれくらい面白かったのか、点数表示で愚かな俺様に教えてくんねえかなー。
バズった作品書籍化してりゃいいと思ってる編集者、てめェーだよてめェー。
ハーモニーや華竜の宮に比べて、最後にして最初のアイドルやJKハルは異世界で娼婦になったがどれだけ面白いのか比較で教えてくんねえかな。
俺には分かんねえんだよな。帯に適当な宣伝書いてる奴も同罪だからな。
与えられた餌食ったら全部美味しいって叫ぶ鶏どもがさ。発言権与えちまったばかりに検索を汚染してて迷惑してんだよ。出版社がそういう鶏向けの飼料メーカーでその従業員である自覚してんだったらいいけどさ。そしたら編集はバズの数字見てるだけの工員として自覚を持て、二度と作品の質に一家言ある風なツイートすんじゃねえぞボケ。
なあ、鶏さんたちよぉ、紫色のクオリアや皇国の守護者に比べて星系出雲の兵站やねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンや彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~がどれだけ面白いのか教えてくれよ。
これはラノベに限らないんだけどネガティブ評価をしない文化が広まっていて、ツイッターはあてにならんし、アマゾンレビューでも一番参考になる星2ぐらいの評価が全然なくなった。
他にも今ではすっかり害悪として名高いラ研の書評を見てみよう。
2003年発売の涼宮ハルヒの憂鬱と、2011年発売のやはり俺の青春ラブコメは間違っているの読者投票の結果では、投票数に占める最高評価の割合が明らかに変化していることが見てとれる。
なんでも絶賛文化のせいで本当の傑作が傍から判別できず、結局ジャケ買いと大差ない判断力で買うしかないんだよな。そのせいでゴミを何十回と掴ませられるとかこんな文化もう滅んだ方がいいだろ……。
MF文庫が猛威を振るってた頃にラノベって結局ソフトポルノじゃんとか言ってたやつを思い出すわ。
今や、右も左もシチュエーションラブコメとか、縮小再生産みたいなジャンル小説、お題小説のオンパレードだ。
高齢化するオタクくんの性欲や社会での鬱屈解消のためになろうで生産されるゴミを読まされるのもこりごりだよ~。
なろう系はあくまでなろうランキングをハックするための工芸品だから、まあ読まなきゃいいだけなのでまだ良心的だ。
ライト文芸はひと昔前はラノベ表紙としては見向きもされなかったpixiv青春系の表紙が面陳で青一色とかになっててそれはそれで食傷気味なんだよな。結局さぁ!編集者が何のポリシーもなく後追いしかできねえからさぁ!
女性向けポルノっぽいのもここに集中してるから、それもまあ表紙見ればある程度判別できるから回避可能。
一般文芸読みにいってもアニメキャラみたいなのばっかなのは草。昔文学賞のクソ爺どもが言ってたことがちょっとわかるわ。インターネットを通じて、アニメの流行を通じて、作家の想像力や語彙力に明らかな影響を与えてるんだよな。まあそれはいいんだけど、肝心の内容がつまらんのよ。
一般で売れてたところで和菓子のアンとか、ライト文芸でSNSの身内褒めと宣伝だけやたら上手だった、「私が笑ったら、死にますから」と、水品さんは言ったんだ。とか、シンプルに筆折れと思ったもん。こういうプロモーションで出てきて内実がカスなの、将来の読者減らす結果になってる気がするんだが。
そん中だと閻魔堂沙羅の推理奇譚は頑張ってたな。上手いの分かるよ。medium 霊媒探偵城塚翡翠もまあまあよかった。作者のやりたいことは分かるわ。屍人荘の殺人もよかった。ミステリばっかじゃねえか。
てかよぉ、ライトノベルと呼ばれたくなくて、ライト文芸ってジャンル作ったってのに、何年経っても傑作が出たって話が聞こえてこねえんだが?
ブームの起点になってたビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~なんかは時代が下ればコピー品が増えてるし見劣りするかもしれんが、あの時点で出した作品としてはそれなりによかったと思う。ぼくは明日、昨日のきみとデートするあたりも意外と出来がよかった。傑作とは到底言えないが、この辺りぐらいは商品として維持してほしいクオリティだわな。
はてなでは嫌われている知念氏の天久鷹央の推理カルテも悪くない出来だと思うよ。一巻しか読んでないが。
君の膵臓をたべたいの読者層はもう昔からあの層ぐらいで諦めがついているけど、中身は読まないと確認できないから、食ってゴミなの確認するのやっぱつれぇわ。
正直言うていい?ラノベのラブコメ、だいたいマンガの劣化やろ。
小節の利点ってさあ、俺様みたいな貧困層出身のガキが購入する上でマンガに比べて価格と消費時間のコスパがいいってところぐらいだろ。
文庫本一冊の新刊を買うぐらいなら同じ値段でサブスクに加入すればいい。なんなら家族が加入していれば無料で、消費し尽くせないほどのコンテンツを浴びるほど楽しめる。
そうすると逆に時間の価値が高くなってくるんだよな。ラノベは一冊の消費にかかる時間が長い。ハズレを引いたときの徒労感が尋常じゃないんだよね。(俺は買った作品を途中で投げることがなかなかできなかった。作者がオチや終盤に全力を込めていた場合、そこまで読んでから酷評するのがマナーだと思うから)
今やラノベはコスパ最悪の娯楽だ。つまり貴重な時間を使って、一定以上の快楽を摂取したいという願望を速やかに満たすには、なろう系的なスカッとジャパンファンタジーやシチュエーションラブコメというほぼほぼツイッタークソマンガの劣化版をさらに劣化させた産廃を生産せざるを得ないのだ。悲しいねえ。
胸躍るようなものを見たけりゃアニメや映画見てればいいんだよね。単純に作者とイラストレーターと編集、校閲のせいぜい四名程度で制作してるコンテンツと何十人が力合わせて創ってるコンテンツ、どっちが面白いかなんか聞かなくても分かるし、市場規模が実質、客から見た面白さの差なんだよね。(クリエイター馬力理論と名付けよう)
マンガとラノベでなぜ売上が歴然と違うのか?ラノベがつまらねえからだよ。
あー すっきり・・・・・
しねぇんだよ
てめェーだよてめェー。
ラノベがディスられるたびにきっしょいお気持ちツイートばっかしやがってよ。フォロワーの間でお気持ち表明とよいしょで傷口ペロペロしとる作家ほど見たくなかったもんはねえよな。
こういう記事にお前の感性が老化したんだとか、他人のせいにして自分の作品のゴミっぷりから目を背けてるカスども。一部でも面白いと言ってくれる読者がいればいいとか言ってるカスども。
言っちゃ悪いがお前らの作品10年後には誰も口にせんし、覚えてもねえわ。覚えてるのはゴミ食わされて未だに下水の味が口に残ってる俺みたいな奴だけだわ。この記事書きながらうんこ垂れ流した奴らのことめっちゃ思い出したもん。
ここに例示した作品すべてを眺めて、なお自分の方が面白いと叫べるような奴いる?いてもどっかのvtuber小説の人みたいに自分の実力を過大評価してる奴ぐらいだろうが。
それでも俺は、小説には小説でしか表現できない面白さがあると思っている。
まあせいぜい気張れや。
そういえば せわになった ひともいたな・・・・・
いつもゴミの中から食べられるものを選り分けてくれるフォロワーありがとう。
どうもでした。
通称このすばはアニメも劇場版アニメも作られて原作は1000万部売れてる大ヒット作。
しかし、この作品の主人公は魔法で女の子の履いてるパンツを盗んで優勝したり
「お前のエロい肉体にしか俺は興味はない」とか女性を性的にしか見ていないクズ中のクズ。
こんな作品が一般向けラノベとして売られていて更に図書館で誰でも借りることができるという状態にあるというのだ。
少年漫画でスカートめくりされたとか女湯覗いたとか低レベルな話ではなく、女性の尊厳そのものが汚され続けている。
フェミニスト達も同意見であるはずだしそうでなければならない。
だって女性キャラが性暴力を受けていてそれを作品内で否定していないんだから。
はやく角川にクレームを入れてこのすばを燃やしてほしい。
ここまで書いて疲れたので寝る。
あとはよろしくー。
追記。言っておくが、あくまで私がハマったきっかけであって「至道流星」は何も悪くない。あとこの増田で書いてるのは羽月莉音の帝国じゃない。電撃SSガールっていう作品だ(絶版。のちに「世界征服」っていう名前で再販されてる)。もちろん羽月莉音も大好きだぞ。
おれはしょうきにもどった!
ってなわけで俺がDSを信じていたころの話をしたい。
今更ながら思い返すと、きっかけはなんかのブログ(「スゴ本」かまなめはうすのどっちかだったはず)で知った「至道流星」のラノベを読んだからだった。元々「ダビンチコード」の影響でイルミナティみたいな言葉に興味を持っていたという素地があったがきっかけは間違いなくこのラノベだ。
ストーリーは一人のJKが、己の頭脳だけを使って世界の富をかき集めて成り上がっていくというもの。
ただの高校生が大人たちをビジネスで鎧袖一触にしていく様といい、主人公の戦闘力である資産額がドラゴンボールもびっくりな勢いでインフレしていく様といい、テンポが早くてハチャメチャに面白かった。なろう作品好きな人は絶対に読むべき。なろうの俺ツエエ作品を極めたような作品だから。(後から知ったけど、これは陰謀論をネタとして大真面目に取り扱った作品だったらしい。まじめすぎて信じちゃったZE!)
しかしそんな最強の彼女も、DS的な存在(ロスチャイルドがモデルだと思われる)には歯が立たず敗れてしまう。
あらすじだけでも面白そうでしょ?
当時の俺には衝撃だった。立ち居振る舞いは優雅で穏やかでありながら、ラノベ主人公でも勝てないラスボスがいるとは!
しかもそれは現実の存在をモデルにしているというのだから鼻血モノですよ。
なので、ろくに本を読まない俺が興味を持ってロスチャイルドって単語を調べるとまぁわんさかDS陰謀論の本が出ていたので片っ端から読んだ。
で、これがまた面白いんだ。普通の人は、ロスチャイルドの歴史といってもワーテルローの戦いでナポレオンの負けに信用3階建て全力ベットしてぼろもうけしたくらいの話しか知らないと思う。あとは第二次世界大戦のアメリカの資金調達で非常に重要な働きをした、当たりくらいかな。
ところが、陰謀論の本のなかでは彼らはもっと暗躍している。そして人々の目に見えないところで世界を操っているみたいな設定になっていた。血族一人一人の経歴から何から調べ上げていかにこいつらが傑物であるかを語っていた。
これがねえ、また楽しかったよ。悪のように描かれているが、この人間たちは優秀であり、世界を滅ぼそうと考えているわけじゃない。むしろこいつらが世界を牛耳っていてくれるなら、我々は平和なのだみたいな描き方をしていた。そういう意味でも、難しいことを考えたくない俺には心地よかった。
今ならわかるが、そんな世界に都合のいい存在はいない。ロックフェラーもロスチャイルドも確かに一時期は凄かったし今でも相応の勢力はあるが、今は別に世界を牛耳るほどの力はないのだ。イタリアにおけるメディチ家みたいなものだと思えばいい。一時期は本当に一部地域を支配するくらいの力があったが、今はそこまでの力はない。没落こそしなかったものの新しく生まれたマイクロソフトやGoogleやアップルにぬかれたのだ。そもそも、一人一人の人間が追跡出来て私生活まで公開されてる人間に陰謀もくそもない。
そのことに気づいたのはいつだったか。確か何かの動画で「大統領選挙の結果を覆したサメ襲撃事件」というのを見たのだ。その動画がめっちゃ面白くてその人の動画を見るようになったのだが、その人がこれまた面白く陰謀論否定の動画をコンテンツとしてやってた。
それまで陰謀論をわかりやすく面白く否定してくれる人が全然いなかった。陰謀論にハマっていたからこそこれらの動画がこれまた最高に楽しかった。自分の考えの間違いをズバズバ斬られていくのはく、悔しいけど気持ちいいビクビク!
その動画ではダビンチコードの話もあって自分が陰謀論を信じる土台であった話も崩れてきた。そのあたりから、ようやく自分で疑うってことができるようになった。一度疑いだすと後はすぐだった。
ここまで読んでくれた人にはわかると思うけど俺はすっごい馬鹿なのね。バカだったからDS陰謀論を素直に信じてた。
でも不思議と後悔はしてないよ。俺はSNSでそういう陰謀論にハマってる人たちとかかわったことはなかったしただ自分が面白いと信じていただけなので引き返しがついた。信じている間は、すごく楽しかったし、むしろ感謝していると言ってよい。数年間仮面ライダーとかプリキュアのアニメみたいなフィクションにハマっていたようなもんだと考えるようにしてる。プリキュアとか仮面ライダーもディープステートみたいな存在を描いて単純化してるしね。
電撃文庫で「幼馴染が絶対に負けないラブコメ」が重版となり、このラノ1位の大人気作「りゅうおうのおしごと」では典型的負けヒロイン味がある空銀子が大勝利を手にしたことなど、幼馴染ヒロインに復権の気配が出てきたことに界隈がざわついたことは記憶に新しいところですが、馴染みスト的には幼馴染ヒロインは言うほど負けていないのだということを強く訴えたいと思います。
少し前の漫画でも「政宗くんのリベンジ」では幼馴染が最終回の1話手前まで負けヒロインムーブかましながらも最終回で逆転サヨナラを決めましたし、絶賛クライマックスに突入している「五等分の花嫁」と「ぼくたちは勉強ができない」でも幼馴染枠ヒロインが結ばれるだろう雰囲気を醸し出しています。いうほど負けてはいないのです。
それなのに実態としてあまり多いとまで……まあミーツヒロインと比べてしまえば少なからず負けてはいますが、例えばセクシー系年上ヒロインみたいな話題に上げることすらされないような本物に比べれば、そこまでというほどではないのに負けヒロインの印象が染み付いてしまっているのは、こうすれば勝っていたのにというifが容易に想像できてしまい、それ故に話題に上げやすいからだと思っています。今でいうと武元うるかちゃんが典型的ですね。まあうるかは勝ちそうですが。
なお中学生からの付き合いは幼馴染なのかどうかという議論もありますが、個人的には義務教育までで馴染み具合が高ければ幼馴染でいいのかなと思ってます。異端派ですね。
たまに今の関係を壊したくないから~とか言ってるから幼馴染好きじゃないとかいう人いますけど、経験上そういう幼馴染はそんなにいないしその上でそういう幼馴染ほど勝つ幼馴染だと思います。
負ける幼馴染は好きな気持ちに気づかなくて気づいたときには手遅れだったパターンですね。気づかなかったのは気づいたのが遅かったから仕方がないってなりますけど、告白していればよかったのほうは単純に後味悪いから作者的にもやりたくないんじゃないかと思います。勝手な推測です。
幼馴染ヒロインの魅力といえばまずギャップですよね。知っていた、知っている姿と今の姿のギャップが王道パターンです。
大きく分けると5つあって、
1つ目は再会したヒロインが昔とぜんぜん違う見た目になりながらも、ふとしたときに昔と同じところを見つけて幼馴染であったことを実感するパターン。
2つ目は再会したヒロインと昔と変わらないような様子で接していながらも、ところどころで成長したところを見つけてしまって変わったことを実感するパターン。
3つ目はいつも一緒にいてなんでも分かっているつもりでいながら、急に知っている彼女と違うところを見てしまい動揺するパターン。
4つ目は疎遠になっていた幼馴染となにかの拍子に再び交流することになり、昔の仕草を見つけて再び関わり始めるパターン。
5つ目は何でもわかり合っている幼馴染同士がイチャイチャしているパターン。
見て分かる通り5つ目を除けば全部ギャップ萌えなんですね。古今東西ラブコメといえばギャップ萌えなので当たり前といえば当たり前なんですが、日常の象徴としての幼馴染もやっぱギャップなんですよ。昔からの繋がりだけではヒロインレースに勝てません。ドラマが必要なのです。
5つ目は単体ヒロインでしかやらないから例外です。これは強すぎてヒロインレースになりません。
彼のような発信力のある人がそんなこと言ったら、批判されるだけで何にもならないじゃん、という愚痴である。
著者が言うのは仕方ないかなとも思うけど、編集者の立場で言うのはナシだ。
まとめサイトとかで吹き上がれば外圧になる?ならないよ、版元の偉いさんの鈍感力舐めんなよ!
直近は男性向けラノベ。数年やって、最近現場を離れた。メディア化、中ヒットくらいまでは経験がある。
いまやっていることまでは黙っておく。
電子売上を逐一見れないというのはウソである。いや、平林氏は見れなかったのが本当ならウソというと語弊があるが。
Amazonはじめ、情報は取ればいくらでも手に入る(買うことも多い)。自分は週ごとくらいには電子売上を見ていた。
ではなぜ売上が見れないなどと平林氏ほどの人が言うかというと、会社によっては買ってなかったり、営業しか見られなかったりするからだろう、という問題の他に、
電子売上が見られても大した働きかけができない、というのがある。
ライトノベルで言えば、紙の書籍の売上数の10~20%くらいが電子書籍で売れている(モノにもよるがだいたいそんなに変わらない。売れたものでも売れなかったものでも似たような数字になる)。
10000部売れている本なら、それプラス1000~2000部の電子売上がある、と考えてだいたいよい。
そしてその2000部があったとしても、続刊判断とか重版判断の材料にはなかなかしにくい。というか、電子の利益は加味した状態で採算をとっている続刊判断なのだ。
この売上比率が50%を超えるくらいの外れ値をだしたら流石に考慮するに値するだろう、営業もバカじゃないので。だがそんな数字にお目にかかったことはない。
あと、紙の書籍は取次に納品すれば現金になるのでそこからイラスト、デザイン、DTP、校正とかの固定費を払うのだが、電子書籍は売り上げるまで版元に金が入らないので、固定費を捻出する別の財源が必要になり、それが中小だとそれがなかなか苦しく、紙である程度刷れない作品を出すのは難しくなる。
※実際いちいち取次と現金のやり取りをしているわけではない。念のため。
この辺、業界的になんとかならんかったんかと現場としては思うが、木っ端編集者としては何もできないので置かれた場所でやりくりするしかない。
紙で委託販売を維持するなら、電子書籍の納品でミニマムギャランティーとるとか?市場が死にそう。
委託販売がもう無理なんだろうな、とは思っている。取次の流通能力もかなり落ちていて、システムが崩れていく最中だというのは感じる。書店も体力ないし、その書店ならでは施策が上がってくることがどんどん減っている。
電子を毛嫌いする編集者とかもまだまだいるけど、全体の流れとしては、現場では電子軽視の雰囲気はなくなってきている。確実に利益になるし、個人的には紙の客を奪っているとも思わない。
ただ、印刷費がないから利益が増えるんでしょ、というほど簡単な話でもない。AppleやGoogleだと3割ぶっこ抜かれるし、Amazonも条件きついし。
電子書店用のプロモーション方法が確立されていないのも難しい。やっぱり欲しいものをピンポイントで検索して買うことが多くて、書店の店頭をざっと見るような買い方とは違ってしまう。でも頑張らねばならぬ。
平林氏は星海社だから、音羽基準の話かもしれない。音羽みたいにクソデカ規模になると、ランキングとかも追いきれないのかもしれないね。普通に仕組みの開発を怠っていただけだと思うけど。
自分は、作った本のアマランくらいは追っていたし、会社でもデータとっていた。だいたい悲しくなるから見たくないけどね、仕事だから。
だから平林氏もそういうこと言うのか……という(勝手な)失望があり、見る人がいるのかわからない無駄に長いこんな文を書いている。
ただ実際問題、初速が出なかった商品がその後売れるようになるかというと、少なくともライトノベルにおいてはほぼありえない。
いまの出版システムが、どんどん新刊をつくって納品して、書店の棚を回転させ続けるというかたちで成り立っているので、1ヶ月も新刊が書店に置いてあることが稀なのだ。
都心の書店を見ていると棚が充実しているのでわからないが、地方の中規模郊外店なんかだと顕著だと思う。
特に回転が早いのがマンガとライトノベルの棚で、もう新刊点数が多すぎる。一般の文芸文庫なんかはもうしばらく残るので、それなりにジワ売れもしたりする。
ラノベで初速が出なかった場合、あとから売れる例外は「このラノ」1位をとるくらいだろう。そういう意味では『錆喰いビスコ』は羨ましい。売上ランキングからはわからない埋もれた面白い作品を取り上げるという、「このラノ」のもともとの趣旨にもあってるしね。俺の編集した作品のほうが面白いと思ってるけど!
あとはマツコ・デラックスが取り上げるとか?そういう外部要因がないと難しい。
アニメ化でもない限り、新刊のタイミングが最も耳目を集めやすく、書店もそうでなければ置いてくれない。
紙で初動出なかったけど、電子書籍はめちゃめちゃ売れてます!というケースも寡聞にして聞いたことがない。少なくともライトノベルでは。
マンガは識者も多いし、映像化もじゃかすかあるから、埋もれた名作があとから売れることもあるかもしれない。ジワ売れもたぶんラノベよりはあるだろう。
初速が出なくても、そういうのを待って考えれば?と言いたくなることもあるかもしれない。ただかなりのレアケース、宝くじみたいなレベルだと思う。
版元に好意的に解釈すると、作家の人生を考えたときに、売れなかった作品を売れるまで待つくらいなら、次の作品で売れることに賭けた方がいいよね、という話だと言えると思う。
特にマンガは兼業でやるのが難しいし、並行連載ができる人も限られた一握りの筆の早い人だけだから、諦めて次にいく、という判断を早めにするべきだということなのではないか。
会社員の編集者は既刊が売れるまで待ったりそればっかり宣伝していても上司に怒られるだけで給料はもらえるが、その間、作家にはお金をあげられないわけで。
版元の本音を言えば、売れない作品にかかずらってないで別のやればいいじゃん、ということになる。これはまあ商売だからある程度仕方ないよな、と自分で納得するしかない。せめて続きが出ないときには、そう読者に言ってあげるのが誠実なんだろうな。
他の作品で売れたときに、過去作の続きを書かせてあげるご褒美システム的なものは電撃文庫などでやっていたけど、過去作の方の続きは結局売れないんだよね。
問題意識はあるのだが、目の前の本を作って飯を喰うので精一杯、業界的に旗振れるような立場があるわけでなし、独創的なアイディアがあるわけでなし……
無力感を覚えるので、業界構造について考えるのはしばらく前にやめてしまった。
一通り書いた結果、結局ユーザーに甘えていることを言い訳しているだけになってしまった気がする。
ただ初速で、というのを変えるのは難しいよなあ……。たとえば新発売のお菓子だって、初動の売上悪かったら生産量落とすと思うし。
統計ではラノベ市場が伸びていると言われることがあるが、数字上の話であり、実感としては縮小している。
点数・金額が増えているのは、いわゆるなろうモノをやるレーベルが増えており、合算しているから。
文庫市場は小さくなっている。特に新作を伸ばすのがめちゃくちゃ難しい。
B6、四六判市場も飽和しており、1作品あたりの売れ部数は少なくなっている。というか、読者の絶対数が少ないのに参入障壁が低いからってわらわらと各社レーベル作りすぎである。
ここ2年で四六判に参入したレーベルでマトモに売っているところはないので、もしなろう作家がいたら、悪いこと言わないから新しいところはやめておけ。
eb、カドカワBOOKS、GA、HJ、MFBあたりを狙いたい。アース・スターとGCとOVLもそこそこ。レジェンド、マッグガーデン、ツギクル、ドラゴンノベルス、サーガフォレスト、BK、プライムノベルス、Kラノベブックス、ガガガブックス、Dノベル、宝島社、ディヴァースノベルには自分が著者だったら渡さない(個人の見解です)。電撃の新文芸もアカンっぽい。というか四六判レーベル多いね……
他社のレーベルは早く潰れればいいと思っていたし、なんなら自分のいたレーベルもラノベ市場のことを考えたらやめるべきであった。会社員だから無理だけど。低クオリティのものが量産され過ぎている。
なろうはクオリティを低く妥協しようと思えばいくらでも妥協できるので……
現場としては何言ってんだだが、音羽一橋飯田橋の偉いさんには届かない。
思えば漫画村からブロッキングの時点で現場は「はぁ……?(呆れ)」みたいな感じである。
長くなったし疲れた。
思いついたらまた書く。
結局何が書きたかったかというと愚痴なのだが、冒頭にも書いた通り、ネガティブな業界問題をお客さんに押し付ける宣伝はしてほしくない。俺は怒っている。
みんなが不快な気持ちになって、よく知らない人には「出版ってこんなに駄目なのね」って思われて、従来のファンは「業界は進歩しないのね」って思われて、そのうち愛想つかされる。
もっとポジティブに、面白い!すごい!神!って言って楽しい気持ちで作品をひろめていこうと思っているし、みんなそうあってほしいです。
>昔は電子0%だった~
一理ある。でも同時に各作品の刷り部数も売れ部数もどんどん下がっているから、そして全体のコストは下がらない(たぶんほぼ人件費なのでそこまで上がってないとは思うけど)から、そこの穴埋めに充てちゃってる現状だと思う。
特に一部大手は編集者のコストが高すぎるとは思っている。給料も高けりゃ経費も使いすぎ。まだ90年代の頭してる。
ほんとうにござるか
ミニマムギャランティとかを仮に導入したとして、マンガ、ラノベ、ビジネス書のベストセラー、エロ以外の電子書籍は死ぬと思う。
マジで売れてないので、電子書店が入れたがらなくなってしまう。
返品同様、売れなかった電子書籍に対しては版元がお金返すとか?
リアル書店の仕組みとして良し悪し両面あるものの、返品できるから気楽に店頭に並べられるというのはあると思う。出版文化の多様性に寄与している。
電子営業やったことないし肌感覚が足りないので、あまりわからないことにこれ以上言及するのはやめておく。
これも一理ある。俺も期待している(誰か、もしくは未来の俺に)。
データに強い人、分析ができる人というのを版元は重視してこなかったから、そういうプレイヤーが業界にいない。
たとえばそこの売上5%の差違を分析する間に、『SLAM DUNK』の復刻版がめちゃめちゃ売れるわけだから、そっちの仕事した方が儲かるし高い評価になっちゃう。
経営層にもうちょい踏み込ませないと、というのは内部的な話なのでもっと頑張りたいところですね。
バズった!初めて増田書いたし普段はてブもホッテントリみるだけだったから、不思議な気分。仕事するふりして更新しちゃう。
みんな出版業界の話好きね。こういう関心持ってもらえるうちが華だから……
レーベルの話とか筆が走ってぶっちゃけて書きすぎたし、違法ダウンロードの話は要らんね。いま編集者の立場で発言するなら触れとこうかと思ってしまったけど。
文庫と四六判は別で考えてるし、人によって版元や編集者の良い悪いの条件は変わるから、話半分程度で。
基本的に、やったことのある範囲の話しか知らないし、大きくズレてはいないと思うけど他社の話はまた違うと思うので、絶対じゃないよ。
読んでくれてありがとう!
下手、読みにくいと思った人は、良かったら具体的にどこが読みにくいか教えてほしい。参考にする。
自分の書いた文章なので、読みにくさをなかなか感じにくいのです。
平林氏は若くてめちゃくちゃすごい有能な編集者で、ベストセラーたくさん出してる。マジですごい人。担当作もだいたい買ってる。
でも電子売上が見れないとかの主語が無駄にでかくて嫌で、初週売上とかでお客さんを脅迫するような言説も嫌で、星海社で社長と直接話ができるような立場にいた人が、手詰まりで必死な作家と同じような宣伝をするのに勝手に悲しくなって、勢いで書いた文章なので、触れざるを得ない。
ここ読みにくいね!
編集者ではなく作家に近い立場になったので、言いたくなる気持ちはわかるけど。
実名でやれって一蹴されたのも、そりゃそうだと思います。向こうは顔出してるんだから。
でも実名でこれ書いたり議論したりして、俺の担当作品が売れるようにはならないからね。
>お前ら内輪の事情なんぞ知らん、的な
その通りだと思う!
だからそういう暗くなること言って宣伝するのやめたいねっていうのが本義。余計なこと書きすぎた。
あと、電子でも紙でも好きな方で買ってください。売れればOK、ちゃんと数字は見てる。
そして読んで、面白かったら「面白かった」ってツイートしたり知り合いに薦めたりしてほしい。
KADOKAWAのブックウォーカー優先も終わって、大手ラノベレーベルはどこも紙と電子同発になったんじゃないかな。そもそも配信してないところを除いて。
業界のことは俺たちプレイヤーが考える問題、本来お客さんに押し付けるものじゃない。
でももし外から新しいことを考えられる人が来てくれるのなら、歓迎したい。そういう意味で、いま感じている実状を書いたので、提言してくれるのはすごく嬉しい。
なんで諦めてるんだ、偉い人はなにやってるんだってトラバにあるけど、結局頭が切り替わらないと無理なんだと思う。
古い体制にしがみつく編集者にはなりなくないから、自社内でチマチマ動くことや、社外でも同世代と意識を共有することは少しずつ。
自社だけ動いても意味がなく、せーのでみんなで変わらないといけないことだと思うので、大手を説得できるようになりたい。材料も能力も足りない。
錆喰いビスコを読んだ。すごい、このラノベ。大盛のカツ丼を、無理やり食べきった後みたいな読書感が得られる。それがいい。
文章は軽妙で、表現も端的。展開に至ってはものすごく速くて、山場しかないもんだから、全体的に胸焼けするような濃さがある。
好きなものを詰め込んで、なおかつ読みやすさを確保してあるから余計にそう感じたのかもしれない。
デストピア的な世界観はもちろん、いろいろなものから影響を受けたであろうパロディの数々を見つける楽しさもあるかも。あんな世界でどうやってビスコ作ってんだよって思ったけど、稼働してる工場があるんだろうなあ。
キャラも分かりやすくてぶれないのがよかった。詳しくは描かれないけど、きっとこんな理由で行動してるんだろうなって想像できるのもいい。
でも、一番すごいなあって思ったのが最初の挿絵だった。あの一枚絵は本当にすごい。
前文までの展開と絵の内容がどんぴしゃりではまっていて、なおかつそこでタイトルコールを行うような演出がされているもんだから、一気に引き込まれた。没入感が凄まじい。
物語としては、最終部で終わりそうで終わらない展開が続いたため、まだやんのかよってちょっと嫌気がさしたけれど、全体的にはちゃめちゃかつ高品質なエンターテインメントになってたと思う。
ここではそれぞれのジャンルが本質的な意味においての差異を持っているかを論じることはしない
ジャンル形成の過程とそれにおいて生まれる状況というのを語ってみたい
まず第一にある一定の傾向を持つと認識される作品群が意識されそれを求めるもの、好むもの達が生じる
ここに需要が生じ供給が生まれるこの時点でこのジャンルは過去に対してのそのジャンルの類型の再発見ではなく二次的にジャンルそのものを扱ったを作品を創出するという過程に至る
またそのジャンルという認識の確立が様々な媒体、社会に間接的に直接的に影響を与え、様々な領域へと拡散、浸透していくこうしてそのジャンルが一定数以上の知名度を得、また一定以上領域へ拡散するとそこに社会的文脈が生まれる
このジャンルに対しての評価に大きな役割を担うのは二次的にジャンルそのものを扱い創出された作品群であると考えられる
そしてこの時にくだされた評価によりそのジャンルを肯定する意志と否定する意志が生まれる
この辺りからそのジャンルに対しての本格的な定義付け議論が生まれる
容認される領域と容認されない領域の間で少しずつそのジャンルの存在可能な範囲が確定するようになる
例えばラノベというジャンルがあるがこれは軽薄であまりに稚拙であるという評価から様々な分野から攻撃を受けており
最も厳密と思える定義の仕方で言えばレーベルという出版社から出版されているもの極めて限定的な範囲に押し込められる結果となっている
それどころかラノベは小説や文学にさえ含まれないと言った論調すら生まれている
このラノベに対する定義付けは一定の解決を見るには至っていないそれは私見ではあるがその共通項がラノベが持つ構造により見出されたものではなく読み手側の持つ感覚により見出されたものだからだと思う
次に純文学を見てみよう
こちらに対してはあまり詳しく知らないため多くを語ることはできないが語ってみる
他ジャンルと差別化を図り自らを自らの内に神格化したように感じる
その結果、彼らは過去に縛られ新しい作品を作る術を失ったようだ
次に私の好きなSFだ
SFは当初、低俗な大衆文学であるとされていたようだが現在は地位が向上し特に否定されるような作品ではなくなった
最近ではSF作品自体の勢いは衰えているように感じるがこれは人類に対して未知の部分の多くが失われたからだろうか?
まあ何にせよこのような全盛に比べれば少し停滞気味の状況とSFの持つ2つの特性から面白い状況が生まれる
1つ目の特性は極めてその定義付けが難しいこと2つ目の特性は多くの作品に対してSF要素を見つけやすいということだ
こうしてSFを広めたいものや商業的にSFを盛り上がらさなければいけない者達は多くの他ジャンルの作品群にSF的要素を見出しこれをSFだと吹聴して回るのだ例えばガルパンやまどか☆マギカなどがそれに当たる私としてはアイロニーを感じてとても良いと思うが
話を戻そうこういった様々な場所や形においてそのジャンルを肯定しようとする意志とそのジャンルを否定しようとする意志が衝突する
先ほどの例でも見たようにこの肯定と否定には様々なレベルとベクトルが存在する
こうした中で生まれてくる本格的定義議論とその様々な結論によって更にこれらのジャンルは影響を受けそのジャンルの本質とされる部分がクローズアップされその点が更に深められた作品群が生まれる
このような過程においてはレーベルから出版されたものがラノベであるという解釈は単に便宜上そのように定めた事実を表すに過ぎず意味を持たない
この時にその作品群は本質的とされる意味の深化とともに無駄な要素が削ぎ落とされる、この過程を繰り返し最終的にそのジャンルは別の分野やジャンルを侵犯する能力を失う
有り難いことにSFはこの過程が未だ生じておらず縦横無尽に傍若無人にに他人の畑を荒らすことが出来るのだ
なぜなら、ちょうどそのころ、高校時代から引きずっていた恋が終わって、カネが欲しかったからだ。まとまったカネと名声があれば、失った恋が戻るか、戻らなくてもちょっとは癒されると思った。
ちょうどファンタジー小説の文学賞ができたところで、じゃあこれに応募して大賞をとってやろうと思った。
とはいっても、書きたいことはただひとつしかない。失った恋のことだ。
だから、主人公はふられたばかりの若い男で、それが思いがけず別れた恋人と同じ屋根の下で暮らす、という設定にした。
主な登場人物は5人。2人はもう書いた。残る1人は弁護士かなんかをやってる中年男で、その年齢の離れた嫁さんが主人公の同級生。そして、この弁護士の大学時代の同級生で元カノでリケジョで大学に残って理論物理学やってる研究者。この研究者の研究室のボス博士が、「世界に穴をあける」方法を発見する。サイクロトロンかなんかで加速した素粒子をなんかにぶっつけると、この世界と並行して存在するいくつものパラレルワールドのどれかひとつとつながる穴ができる、というわけだ。
で、これはすぐに最終兵器に転用できる。その危険性を察知した彼女は、それを世の中に知らせようとするが、最初は研究の守秘義務がうんたら、そのうちにこれを国防に利用しようとする政府機関の手によって追われるようになり、ついには生命を狙われるようになる。
そして頼ったのが、弁護士である元カレだ。彼が法律の力で対抗しようと準備するのを知った闇の組織は、ボス博士の研究を利用して、この弁護士の家ごと二人をパラレルワールドにふっ飛ばしてしまおうとする。その家にいる嫁さん、そしてたまたま遊びに来ていた同級生も巻き込まれる。そして最後の瞬間、この嫁さんと電話をしていた主人公が電話回線越しに巻き込まれて、5人が家ごと奇妙なパラレルワールドに飛ばされる。
その世界は、重力が鉛直方向じゃなく水平方向に働く世界で、つまりは地面が垂直の崖。どこまでも続くこの崖にできた小さなテラスに家ごと引っ越しする。そこでなんとも奇妙な日常生活が始まるわけだけれど、その平穏な日常を脅かすようにこっちの世界から刺客が送り込まれ…。
とまあ、プロットだけ並べたらそこそこのラノベぐらいにはなりそうな気もするが、なんせ下手くそだった。ちなみに、この「どこまでも続く崖」の世界にしたのは、当時まだマイナーなスポーツだったフリークライミングに興味があったからで、山場で主人公が決死のフリークライミングをする場面を入れたかったから。そういう意味でも何十年たって感慨が深いものがあるわ。ともかくも、予選すらかすりもしない、惨めな駄作だったなあ。
当時、まだあんまり普及していなかったワープロで書いたんだけど、なにせメディアが1Dのフロッピーディスク(これが後に2D、2DD、2HDと進化していく)だったもんで、データを救出できなかった。だから、もう復元はできない。復元しても、あんまりにも下手くそで、顔を赤らめずに読めないだろうなと思うけどね。なんか思い出したんで、書いた。