はてなキーワード: 冷房とは
サポートセンターに問い合わせれば、お客様に応じて適切な対処方法をアナウンスしてますよ。
何を言っているんだろう。カビで死ぬリスクと怪我で死ぬリスクは、比較するまでもないリスクの差でしょう?
それに、お客様によって環境が違いすぎるから、汚れについては個別のアナウンスをするには人力対応が必要なんですよ。
そして一番は使い方。特にエアコン稼働終了後にちゃんと自動清掃モード状態(クリーンモード)を維持しているか。
一番ダメなやつは、停止ボタンを押した時に連打をして、清掃モードを強制終了するやつ。これをやってるとあっという間に結露が起きてカビがはびこる。
説明書にしっかりと書いてある。しかし9割の人は読まないんだな、これが。
もっと具体的に言うと、例えば夏に冷房を使ったあと、30分くらい暖房を稼働させると良い。そういう細かな温度調整のメンテナンスをすれば、ものすごくエアコンは長持ちすして汚れはつきにくい。そもそもそれを自動で行うのがクリーンモードなわけだが、「ファンの音が気になる」とかで強制終了する人が多い。
適切じゃない使い方をして機器に負担をかけて、それで健康被害がどーこー言われても、そりゃ「説明書読めよ」としか言えんわな。
とにかく日本の白物家電はさっさとイヤーモデル型のビジネスやめないとダメ。日本の白物家電の良くないところは
といったところだろう。これらすべてがイヤーモデル制と関連している。基本構造はフルモデルチェンジの時以外は同じにして、高価な金型を5年ぐらい使い回して、毎年同じ時期に(季節家電は需要ピーク前に)新機種出して、毎年ちょっとずつカタログスペック上げるやつだ。型番見ると5年前の製品とほぼ同じ型番で、アルファベットの部分だけが1年ごとに順送りになってたりする。
ちょっとずつ機能を足すのに比べて、デザインを変えたり構造を変えたりするのはコストがかかりイヤーモデルの切り替えにフィットしないから、やらない。そしてイヤーモデルのベース設計は、トータルでは3年とか6年の間売り続ける想定で作られるから、プラットフォームとしての使い回しが重要で、意欲的なデザインや構造は投入しにくく、保守的な「箱」になりがち。
結果として、「毎年イヤーモデルを更新し、非本質的な「改良」をちょっとずつ行うことで、製品の値落ちを防ぎつつ、店頭での露出確保競争で他社と互して戦う」という販売側・マーケティング側の要請にもとづく、消費者無視の開発体制と販売体制ができあがっている。
そして、そのことはすでに多くの消費者に見透かされつつある。
こういう消費者動向は、たとえばkakaku.comなどを見ているとはっきりわかる。kakaku.com掲示板には「イヤーモデルの些細な違いよりも価格差のほうが重要だから、旧型モデルになるのを待つ」という声が非常に多い。実際、モデルイヤー更新のタイミングまで数ヶ月待てば同じ製品の値段が2/3になったりするのだ。別の例で言えば、ジャパネットたかたは、遂に型落ちエアコンであることを大々的にアピールして売り始めている。
もはや型落ちは消費者にネガティブな印象を与えていない。そもそも、すでに白物家電の分野では最新型であることが具体的なポジティブさにつながっていないのだから、当たり前だ。エアコンはそこそこの熱効率で暖房・冷房が効けばいい。電子レンジは食品をあたためられればいい。それ以外のところで細々と付加機能や性能向上をアピールされたところで訴求はしない。
こんな感じで、いまや大半の消費者は、家電のモデルイヤーが直近・最新であること自体に価値を感じなくなっている。にもかかわらず、日本の家電企業は、製品自体の訴求力向上の阻害要因となっている、古い開発体制と販売システムを維持している。大きく変えられない形状、大きく変わらぬ使い勝手、大して意味のない機能追加。それが納得感の低い価格政策で販売されている。
だから、この市場のハイエンドは欧州家電が、ローエンドはアイリスやジャパネットや中国家電のようなアウトサイダーが奪い、ミッドレンジでは日本製の家電が型落ち待ちで利益が極限まで薄まった状態で買われている。だから、日本の白物家電は死につつあるのだ。
珍しく、最初からラストまで集中して、楽しく観れた。昨日は蒸し暑かったけど今日は涼しくて快適。客がいないから昨日は冷房切ってたんじゃねえかと思ってんだ(陰謀論)
特別版はフェリーで表情加筆されてる、って前書いたけど、そうでもない気がしてきた。
常世ですずめと草太の距離が多分近くなってるの、サービスだろうし、椅子の時はもっと密着してたんだからまあいいんだけど、
草太の部屋でのシャワーとか、エロくない裸として演出してる気がしたし。シンエヴァのアスカの裸みたいな。天気の子のラブホはエロ寄りだったと思う。
でもさー、エンタメだとエロや暴力は入れるのが早いんだよね。ファンタジーって非日常的な欲望を擬似体験するわけだから、反社会的・反ポリコレになりがちなんよね。
高卒の20歳が家族3人を支えるって命を削る勢いで働いたのかと思いきや
追記によるとこの程度だったらしい。
それでやっていける仕事に就けてるだけでとてつもない幸運だっていうのは置いておいて
それならある程度育児をする余裕もあるだろうに育児に関する言及はゼロ
嫁と役割分担を話したら「金銭管理も含めて家のことは私に任せて」と頼もしいことを言ってくれた
嫁が切り詰めて頑張ってくれた
嫁が頑張ってくれた
俺はただ何も考えないで働く時間を増やしただけ
夏は扇風機だけだった
冷房すらない部屋で家事育児家計のやりくりは全部18歳で子供を産んだ妻に丸投げ。
唯一の言及は「日曜日は子供とごろごろして楽しかった~」だって
これはてなーが散々叩いてる「仕事を盾に普段家事育児に一切参加せずたまに子供と遊んでるだけ」って奴じゃね?
そんな奴がイクメンぶってピント外れの教育論ぶってるって普段はてなーが骨まで燃やす案件では?
37℃台の気温のなか車中に子供2人を放置して、夜9時頃から翌朝6時頃まで繁華街で飲み屋数件を練り歩いて男と不倫して、逮捕された後も保身のため「持病のため2時間ほどトイレに行っていた」と嘘をついていた母親でも、はてなブックマークだと↓これ。マジでイージーモード
maharada 親を責めても仕方がない。テスラだったらどうにかしてくれそう。
takanagi1225 海外じゃベビーシッターが当たり前だからこその子育てだし、そもそもが貧困な日本の子育て層と比べること自体無理がある。対策としてベビーシッター支援を出すべきだと思う、現金支給でなく無料で利用できる制度を。
ardarim こういう不幸は技術で乗り越えてほしい。こういうのこそフールプルーフだと思うのだが、自動車メーカーさんどうよ 社会
yuzumikan15 親を責めても何も解決しない。人為的なミスをカバーできるのは技術や仕組みだよ。
monacal 別記事見るとエンジンかけて冷房かけてDVD流して待たせていたのに、帰ってきたら暖房に変わってて子供がぐったりしていたみたい。お母さんなりに気をつけていたのにまさかだよね。気の毒すぎる。 常に他山の石とせよ
craprak ヤフコメのトップ「これだけこれだけこれだけこれだけ報道されてもまだわからんのか!!!」のマンスプぶりがめちゃくちゃキツい…
greenbuddha138 子どもを殺されるほどのミスではないよな。機械的な仕組みを作れないかな。
kaz_the_scum まともな親であれば慙愧の念に堪えられないだろう。虐待の前科があるとかでなければ、そっとしておいてあげようよ。
hotelsekininsya ゼロには出来ない事故に「この母親は何やってんだ!」つってもあまり意味ない気がするんだよな。/メーカーはコスト(対効果)があるので意外と対策しない。対策を強制すべきだろうな。
haru-k エアコンつけて離れても子供がいじって消しちゃう、とかありえるよね。ご家族の後悔、悲しみ、思うに余る。/30分限定の予約不要託児所を繁華街に作れないものかなと思う。子供二人連れてると1分の記帳さえ不自由。
shiitake157 かわいそうに
versatile みんなかわいそう。南無
ochanonde 猛暑の中、子供を連れて用事を済ませなければと必死だと自分の体調により判断能力が落ちても気づけない、でもミスは許されないから… お母さん辛いだろうな
centauro 子供ふたり、この年齢になるまでどれだけ大変だったろうと思うと何もいえない…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/1424e0f2750fe28fdd92cea808cea79a2769ad71
住宅街の一軒家である実家では当たり前に見かけたのに、築40年超のアパートを転々としつつ朝晩自炊する男がGに出会わないのは、そこそこ対策がうまくいっているのではないかと思う。
n=1だからこそ知見を共有して、今後の参考にしたい。
# 気にしていること
北海道以外では、2F以下に住んだことはない。
原則として、飲食物は、買ってきた後はDK以外の部屋に持ち出さない。(ただし、同棲していた間は彼女が自室で色々食べていたが、それでもGは出なかった。)
料理と食事の後は、机を拭き、床にモップをかけるが、それ以外の場所の掃除は適当。
暑い期間、自宅にいる間はほぼ24時間冷房をつけっぱなしにしている。
押し入れや戸棚の戸は隙間を開け、中まで冷やすようにしている。
家の出入口と排水口のある場所(玄関とベランダへの出入口、台所と洗面室と風呂)に撒いてる。
# 経験してきた悪条件
1Fに飲食店の入るビル。隙間だらけの古いマンション。玄関から2mのところにゴミ収集場所。駐輪場や廊下ではGを見かける。
台所の中での食べ物の保存場所はわりと適当で、野菜なんかは床の上の段ボール箱に放り込んである。
……というわけで、たいしたことはしていないのだが、買ったGジェットプロをまだ一度も使わずに済んでいる。
他方、実家では、母は毎日4,5回は掃除機をかけるという少々病的なくらいの潔癖症なのだが、Gとはお別れできていない。
自分の経験を一般化できるなら、自宅外のGの巣と自宅内の餌場との間をGの嫌いな冷気と匂いで遮断することが重要そうに思える。
来客がキッチンシンクを皿用スポンジで洗いやがった、清潔観念がおかしいもう絶縁だとか、旦那がそれやりやがった、もう離婚考えているとか、シンクをスポンジで洗う事で発生するトラブルは多い。
これは畢竟、ケガレの観念の問題だ。シンクは下(シモ)の範疇になっているのである。
実は日本人のこのシンク=シモの感覚というのは20~30年前に定着したもので結構新しい。それまではシンクは上(カミ)の範疇であり、1990~2000年頃はこれらが混じり合った状態だった。また、調理の現場ではまだシンク=カミだ。
ところで古い国鉄時代の特急などでレバーやボタンを放すと即座に水が止まってしまって手が洗えない洗面台に困惑した事はないだろうか?
シンクというのは元の意は「溜め」だ。水を溜めて使うのがシンク。これとは別に「流し」もあった。これは小学校のプール付属の長いのが判り易いね。
故にキッチンシンクも水を溜めて使う、流しとして使うの二つを兼ねる事が前提になっていた。これは洗面台も同じ。
だからキッチンシンクにも洗面台も水を溜める為の栓が必ず付属していた。
また、1990年代前半までのシステムキッチンのCMでは、シンクに水を張ってそこに野菜をまるごと投入して洗うというシーンがよく登場した。それは清涼感の演出のためであり、つまりはシンクはカミだったのだ。
洗面台ではゴム栓だけではなく、もっと機能的なレバーやノブ式の排水栓が一般化していた。洗面水栓の近くにあるノブなどを引っ張ると水がたまるのだ。
今では洗面台ボウルは手を洗った水受けや歯磨きうがいした後の水の吐き出し受けになってるから洗浄後でも水を張ってそこに顔を付けるという行為はしたくない人が多いだろう。つまりはシモである。
このシンクやボウルに水を張って使うというのは80年代後半~90年代に廃れ、キッチンでもシンクにボウルを入れてそこで洗うというのが一般的になった。
この為に2000年代前半から各調度品メーカーは水溜めの栓とか排水蓋を付属しなくなる。洗面台のレバー式排水栓も廃止された。
こうなると利用者の方のケガレ観念も完全にアップデートされてシンク、ボウルはシモのケガレあるものとなり「皿用スポンジでシンク洗いしやがった、信んじらんねぇ!」となるようになったのである。
一方、プロの調理場の方ではシンクは水溜めのままだ。シンクに水溜めて食材洗うし食器のすすぎもする。カミのままなのだ。
だから皿用スポンジでシンクを洗った人は調理場で働いている可能性もある。汚いという意識が発生しない(排水口の網などは別だ。ここは単純に不衛生だ)。
増田も「気まぐれクック」で金子がシンクに魚置いているのを見て「不潔だな」と思う口だったが、実際に自分でも魚捌きをやるようになると、シンクの中でやらないといけない作業が結構ある。
すると食材をシンクに置くなんてとんでもない!というケガレ意識はなくなった。
特急で多客期や臨時列車などで国鉄時代の電車が来ることがある。
トイレが和式なのも困るが、後に手を洗おうとするとすると、出水レバーやボタンから手を離した途端に水が止まってしまうので両手をすり合わせての手洗いが出来ない。一定時間で止まる装置が壊れちゃったのか?
しかもお湯と水の二つのボタン、レバーがあるが、お湯の方を押すと火傷する熱さで手洗い出来ない。なんだこれ!どうやって使うんだ!?
こういう体験した事ないだろうか?
また、昭和中期の古いホテルや旅館に泊まると、同じように水栓が湯水二つあり、こっちは普通の蛇口で出しっ放しには出来るものの、お湯の方はやはり熱くて使えない。
しかもメインのボウルの他に小さなボウルがある。これは一体どうやって使うんだ…。
これも説明しよう。
例を用意した。
これは戦後すぐに製造or改装された旧型客車の手洗いで、ボタンを押している時だけ湯水が出る、洗面ボウルの右にワンタッチ排水栓がある、メインのボウルの左手前に小さいボウルがあるというこの問題の全入り品だ。
https://twitter.com/ma_mere_loye/status/1642412578201800704/photo/1
小さいボウルがある。水栓は湯/水二つ式だったのを潰して後付け水道管に変更されている。
なんでこうなっているかというと、今の人は手も顔も水を出しっ放しにして手を洗い、流水を掌に受けて顔を洗うだろう。
だが昭和中期までの日本人は流水でそんな事をしなかったのである。ほぼ必ず洗面器のボウルに水を溜め、それを掌で掬い、顔を洗ったのだ。だからお湯と水を洗面台で混ぜて適温にしていた。
昔は冷房も無く窓を開けていたので蒸気機関車の煤煙で顔が汚れた。長時間の乗車も多い。夜行列車も多かった。だから洗面は必須だった。
そしたら歯磨きしたりうがいした吐き出しはどうすればいい?
それが手前の小さいボウルなのだ。ここは吐き出し専用で、痰が残ったりしたら手で水を掬って水で流すのだ。
つまりは洗面台=手を洗うところ、夜行なら歯磨きや洗顔の排水受け、または化粧直しの場という風になったのは昭和後期であり、それまでは洗面台はその名の通りに水を張って顔を洗う場所だったのだ。
因みに洗面器という名もその通りで、水を溜められない流しなどでは洗面器に水を張って手で掬って顔を洗う為の物であった。その洗い方では石鹸で水が汚れるが、そしたら水を交換して2回くらいで洗顔する。
ただ、この洗顔法は昭和後期には誰もやってなかった筈であり、感覚的にも大勢が痰や唾を吐いたり手洗いの排水受けた洗面ボウルに水張って顔洗えるかという感覚だった筈だ。国鉄は融通が利かずに規格化されたこのタイプの洗面台を発注していたが当時から手洗いしにくい不便なものという評価だったと思われる。
だからJRになると今のと同じ、自動水栓や時間水栓に交換されたりした。
そういう訳でシンクや洗面台に対する日本人の清潔感情、ケガレの意識がアップデートされ、それによって水を溜めるという構造の調度品が作られなくなり、それでまた更に清潔感情がアップデートされ、となって来た。
故にシンクを皿用スポンジで洗うと非常識に驚き、古い構造の洗面台は使い方すら判らない、という事になるに至ったのである。
だが調理場ではシンクは未だ水溜めて使うカミのものであるから、そういう従事者が他業種の人と交差するとトラブルになる。
またハードな料理をすると家庭でもどうしてもシンクで食材扱うようになるから感覚は変わる。
乱視を凍結する技術とは、視力が悪い人にとって夢のようなものです。
この技術は、レーザーを使って角膜の形を変えるのではなく、液体窒素で角膜を凍らせて固定するというものです。
この方法なら、角膜が傷つく心配もなく、視力が安定するという利点があります。
それは、凍結した角膜が溶けると視力が元に戻ってしまうということです。
つまり、この技術を受けた人は、常に涼しい場所にいなければなりません。
夏は冷房の効いた部屋から出られなくなりますし、冬でも暖房をつけることができません。
さらに、感情が高ぶると体温が上がるので、恋愛やスポーツなども禁止されます。
田中一行先生のジャンケットバンク(漫画)が好きすぎてルーチンワークしながら次回の展開予想してる。
①決着がつかない場合、両方の室温を100℃にして1時間放置、それでも死ななければ「より多くじゃんけんに負けた側」が死亡する
→室温100度で死ぬの?水が大量に配られたことといい、それまでに凍らせたペットボトルで身体を冷やせば(あるいはサウナみたいに撒けば)生き残るんじゃね?
ただし、
②室温30℃、ラウンド終了時-10℃される×4ラウンド(つまり何もしなくても-10℃でゲームを終える)
どっちかが3勝しなければラウンドやり直しなのでモタモタしてると極寒になってしまう
→これが曲者ルールで、①の勝ち方をするにはここで良い勝負してしまうとお互いに冷えすぎて共倒れになってしまう(ので、マフツはとにかくマイナスカードでもいいから勝ち続ける必要がある)
③ラウンドで失う温度は最高でも-7℃×4ラウンド=最終ラウンド-28℃(何もしなくても減る室温と合わせて-38℃)
→-38℃は軽装の人間には耐えられないだろう、たぶん。
つまり「マフツはプラス・マイナスのどっちのカードでもひたすら勝って、もらった水を凍らせた後にほどほどの室温であいこになる(そして1時間のサウナを生き残る)」必要がある。
…けど、この読みじゃ作者は越えてきそう。
マナベが「君ならそう考えると思ってた」とか言ってカードを出し渋るとか(カードを選ぶ時間はルールになかったので一度優勢になったら何時間でも待てば勝てそう)。