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2020-09-02

児童性的虐待調査結果がヤバい

被害者の年齢は、10歳以下が2割、1114歳が5割、15〜17歳が3割。

・報告の件数は、2002年から2003年の間に出されたものが全体の3分の1を占める。

・報告は、4分の1が事件から10年以内になされ、半数が10から30年後、残りの4分の1が30年以上経ってからなされている。

加害者は、6割が1回だけ、それ以外が2回以上の嫌疑を受けている。

加害者の年齢は、初回の報告時点で半数が35歳以下。

加害者自身過去に何らかの虐待被害者だった例は7%以下。

加害者の2割はアルコールか薬物の乱用者だが、事件が起きたとき使用していたのは1割。

嫌疑を受けた加害者のうち、警察被害届けが提出されたのは4人に1人。あとはすでに死去しているなどの理由で取り調べもされなかった。

・取り調べを受けた千人ほどのうち、384人が起訴され、100人が収監され

セックスドール所有者でしょうか?

いいえ、カトリック教会です。

2020-08-18

山川世界史

教科書に良い表現があったので残しておく。

近世ヨーロッパでは、カトリック教会神聖ローマ帝国がかつてもっていた普遍的権威が動揺した。諸国自国の利害を求めて戦争妥協をくりかえし、恒常的な緊張状態にあった。しか戦争は長期化・大規模化し、軍事技術進歩していた。増大する兵員軍事費調達のために、各国は徴税機構を中心に官僚制を備えた行政組織を整備し、国内統一支配を強める必要があった。

2020-06-23

私と信仰

深夜に変なスピリチュアル広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。

乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。

これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレート大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。

私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。

そこで思うことがあった。宗教信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分気持ちに整理をつけることができた。

この記事はそんな私の20ちょっと人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。

私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。

からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。

幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関マリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。

ああそう、あとメダイちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会神父だ。園長って呼んでいたけど)から新年度になるたびに名札につけてもらっていた。

そんな幼稚園キリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。

卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。

既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。

当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵インパクトは強烈だった。

洪水翻弄されるノアの方舟モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。

それから数年経って、小学校卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。

西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。

そこでもう一度聖書ストーリー絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。

この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃん勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。

こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。

父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるとき仏壇の前に座ることがある。

お盆お彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。

から私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的日本人宗教なのだけど、困ったことに、私はとある宗教3世にあたる血筋でもある。

名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗

ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。

この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。

から、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏著作が置いてあった。

自身学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。

から3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。

実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。

祖父が亡くなった後、葬儀四十九日法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。

違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族祖母が参加した七回忌の法要だ。

いわゆる法事から自分認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族食事をする」というものだった。事実父方の祖父法事はお坊さんを呼んでいる。

だが、母方の祖父の七回忌法要は様子が違った。

まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。

いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。

「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。

どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員法要読経をするということを知ったのは、さらそれから2年ほど経った頃だ。

ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。

母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。

昔はよく祖母の家にお盆正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。

同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由祖母の家にあった新聞書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。

祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。

別にこの記事批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。

「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。

いま色々な宗教の事を学び、宗教社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉同意したい。

信仰自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。

そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。

母方の祖母我が家の仲はいい。祖母はい一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。

けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。

少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。

大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。

大学の最寄駅前には某証人人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘そもそも来たりした。迷惑から帰れ、と総スルーかましたが。

去年なんか、右翼おっさん一般人に絡んで暴行しかけた事件証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。

彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。

スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。

思ってしまうだけで、それを思いっきネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。

何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。

ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章から、大した感想も求めていないのだ。

ここまで読んでくれた奇特な方には、こんな感じで生活を送ってきた学生が一人居るというのを知ってもらえれば幸いだ。

2020-04-16

暗いと不平を言うよりもすすんで明かりをつけましょう

さいころ多分バブル崩壊前後だったかと思うんだけど、日曜朝のCMでよく流れていて(テレ東かな?)、

こわいなこわいなと思いながら見ていたんだけれども、情報伝達が速い時代に起きた困難に

不平しか言わないツイッタラーブクマカが闇を広げるにつれ、あの蝋燭の炎が思い出されて、

明かりをつけなきゃつけなきゃと思うんだけど、自分一人の明かりなんて何の役にもたたない。

やすものを忘れてしまった人、奪われてしまった人、失くしてしまった人。そんなの

ばっかりでつらいわ。

みんなも明かりをつけてください。

https://youtu.be/h2E9XfBs-_Q

まぁ、カトリック教会プロパガンダだけど。

2020-02-15

フェミはいい加減海外ガーと言うのやめた方が良いよ

そのオーストラリア実態(笑)

ヴァチカン高官、児童性的虐待で6年の禁錮刑 オーストラリア

https://www.bbc.com/japanese/47550018

児童性的虐待で有罪ヴァチカン元高官、控訴棄却

https://www.bbc.com/japanese/49416825

カトリック教会性的虐待事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6

最も規制に熱心なキリスト教が実際はこう言う訳だけど(笑)

オーストラリア聖職者の1割近いんだっけ?

そもそもオーストラリアに限らず、イギリスでも規制が厳しすぎた国は日本よりも遥かにこの手の犯罪が多かったりするんだけどね(笑)

フィリピン白人が買いに行く話もあるくらいだし。

当時からだけど、この手のフェミ仕草の連中って本当にオーストラリア好きだよねと思う。

捕鯨しろ環境保護しろいつもこの国出てくるからな。

ある意味国連の連中とも仕草が被っている印象すらある。

何にしろ当時指摘されていた厳しすぎる意味のない規制は寄り犯罪悪化を招く事を実証たから、これからどんどん彼等の言い分は潰れていく段階に入っていくと考える。

そもそもこいつら実在児童保護蔑ろにして、児童ポルノを盾に創作物規制ネット規制など関係ない所ばかりしていたのが本当に気に入らん。

2019-11-03

学知と異端

17世紀コペルニクス地動説を支持したガリレオ・ガリレイカトリック教会から裁判にかけられて2回有罪となり、今後地動説を唱えないことを約束させられ、著書は出版できなくなった。しかし後世の検証ではどちらが正しくどちらが誤っていたかは明らかである

このように、大勢人間が唱えるからと言って、それが学説として本当に正しいのかどうかはあとになってみないとわからないことで、この世は溢れている。それなのに現代の人々も自説とは異なる主張をする人々を愚か者呼ばわりし、罵倒する。

近年、GOSMIAではなくGSOMIAの方が正しいと高をくくって冷笑的態度を決め込む人々も、後世から裁かれる側の人間に属していることに気づかない。

誰がどのように騒ごうとも真理は変わらない。

GSOMIA誤記であり、正しくはGOSMIAである

2019-11-01

anond:20191101123323

聖人祝日ともいう。キリスト教においてすべての聖人を崇敬する祝日。この祝日においては,個々の聖人の崇敬よりも天国のすべての聖人の集いと地上における教会とが一つの神の教会に属するとの信仰の表明が重要である東方教会では4世紀以来聖霊降臨祭後の最初日曜日にすべての殉教者を祭る習慣があったが,西方教会ではボニファチウス4世が 609年5月 13日にローマパンテオンキリスト教聖堂にかえて以来,この日を全殉教者祝日とした。すべての死者を祝う習慣はアイルランドから入ったが,837年グレゴリウス4世はこの習慣を認め,11月1日万聖節と定めた。現在この日に万聖節を祝うのは,カトリック教会イギリス国教会である

しろ節度があるんだよ。

俺たちが祝っては失礼に当たるってね

2019-07-17

弱者男性/女性問題ジェンダーより福祉問題

強みを持っているのに、その強みは男性でないと/女性でないと活用できません、というのは性差別

弱者男性/女性問題は、

・生育家庭が貧困で、衣食住の環境が酷く、健康と衛生を保つ方法を家庭から学べなかった

・両親に発達障害精神障害があり、ネグレクト虐待を受けていた

発達障害で生まれ療育SSTを受けられず、失敗体験ばかりで育った

・軽度知的障害で生まれ支援学級ではなく健常児の中の最下層として、失敗体験ばかりで育った

上記のようなスタート地点の酷さにより精神障害になってしまった

こういうところに原因があり、男女差なんか無いよ。

 

虐待女性問題とされがちだけど、性的オモチャにされて精神を病むのは女性だけに限った話じゃない。

虐待を受けて精神的におかしくなる少年問題はこれまで黙殺されてきて、

最近になってようやく告発する男性が登場して問題視されてきたところ。

ジャニーズ事務所少年虐待問題も、加害者が死んでやっと問われるようになった。

カトリック教会少年に性虐待していたことがアメリカ告発され始めているけど、

ヨーロッパでもずっと教会による少年への性虐待問題はあって、黙殺されてきた。

虐待性別を問わず被害者が出ているわけだからジェンダー問題ではないんだよ。

少年被害にあうわけだから女性特有の問題ではないよ。

被害女性問題とするのは、少年という被害可能性の高い弱者排除黙殺しており悪質だとすら感じる。

もちろん、平均的に筋肉の発達した成人男性であっても、性被害に遭う可能性はゼロではない

ジャニオタ少女ジャニタレに対して「ヤラカシ」をやるのも性加害のひとつと考えても良いくらい。

ヤラカシを知らない人はググると良い

 

繰り返すと、明らかな性差別が発生するのは「強みを活用できるか」の領域

医師適性のような「男性らしい強み」を持つ女性保育士適性のような「女性らしい強み」を持つ男性が、

医学部入試女子減点のように制度的に排除されて活躍の機会を与えられなかったり、

母親女性保育士らによる男性保育士いじめなどで退職余儀なくされるところにジェンダー問題がある。

医師男性仕事で、保育士女性仕事というような偏見をなくし、

性別よりも個人の強みを生かして職業選択できるようにするのがジェンダー問題解決だと思う。

弱者男性/女性問題は、「強みが無い人間必要とされない人間」の問題であり、性別とは無関係福祉領域になる。

貧困問題医療福祉社会人向け職業教育領域になる。

anond:20190716122944

2019-05-12

anond:20190512135901

本当に「反優生思想」と言えるのは今時カトリック宗教右派ぐらいのもんだし、彼らも最近旗色悪い

出生前診断禁止や、堕胎禁止などだよな

もっと過激宗教右派になると避妊禁止要求している

旗色が悪くなるのは、そうして生ませた子供の養育を彼らは担わないという無責任さが原因だろう

手伝わないし金も出さずに口だけを出す

地域カトリック教会に所属している一部の人は、ちゃんと金を出し、障害児のいる家族を手伝っている)

 

無限責任を取れるわけじゃないから、実際問題しょうがないだろう、というのもわからんでもない

でも所詮ごまかしでしかないし、偉そうに植松攻撃する資格が本当にあんのかと言いたくもなる

植松攻撃する人間は「攻撃する」という行為をしたいだけ

障害支援施設で働いて障害者を「支援する」という行為をしている人間とは根本的に違う

思想ポジションよりも「攻撃する」という行為か「支援する」という行為か、行為の内容だけが問題

2018-04-23

anond:20180422233623

「すべてのセクハラパワハラ」って言った人がおってな。

まりセクハラってのは、相手が逆らえん力関係が前提にあったうえで、意に沿わない性的関係を迫ることな

これ、男にとっても他人事やないんやで。

先ごろ角界でも行司ホモセクハラが発覚したけど、カトリック教会じゃ定期的に聖職者性的虐待スキャンダルが起きてるな。

帝国海軍でも男ばっかりで軍艦乗ってるからホモセクハラ日常茶飯事だったって証言がある(東映映画の『日本海海戦 海ゆかば』にはそれが暗示されてる)

その手のホモセクハラで、少年おっさん性的被害を加えた話ってあるか?

おっさんが年少で同性の部下に手を出すパターンばっかりじゃねえか!!

つか、運動部でもその手の話は絶えない(薄めの野獣先輩ごろごろいる)

……いやだからホモの話がしたいんじゃなくて、逆らえない力関係を前提に、意に沿わない性的関係を迫るられるのは、男にとってもイヤだって

からセクハラって充分そんなに重大な問題だと思うよ

とりあえず俺は、仮にお前が職場上司だったとして、俺の同意なく俺の金玉を触ってきたらイヤだ、すげーイヤだ

2018-02-09

ガンダム教養」で本当にいいのか?

https://twitter.com/nakatsu_s/status/961229701162283008

https://twitter.com/Beriya/status/961753995403345920

その昔、ローマ帝国ではキリスト教徒がボロカス軽蔑され弾圧されていた。ところが数百年後、ローマ貴族がみんなキリスト教徒になり、さらに数世紀が過ぎるとカトリック教会異端ボコボコいじめるようになった。

俺が20代のころ(1990年代当時)、自分らは高級車とか高級ブランド品とかゴルフとか料亭とか興味なく、漫画アニメゲーム教養で、実際にゴルフとか料亭とか面白くもなんとも思えないけど、本当にそれでよいのか? と、ばくぜんとした疑問があった。

ゴルフとか料亭とかを「好きになる」必要はないんだろうけど、上の世代と付き合うための基礎教養って身につけてないと大人としてダメなんじゃないかという不安

上記ツイート見ると、若いころの俺みたいな不安必要なくなったみたいだけど、自分世代の方が抑圧者になってしまった、この居心地の悪さは何なのだろうか。

俺は今、中世ヨーロッパキリスト教への改宗拒否してゲルマンの神やケルトの神を拝んでいた連中の気持ちがわかるような気がしてる。

2017-11-08

anond:20171108201928

トラバ増田です

kash06 プロテスタント場合信徒のいない地域でも、開拓伝道をするための伝道所として始めるケースも多いです。規模が望めないのがわかっていつつ、教会のない地域を少しでも減らしたい情熱で始める事も多いと思います

ありがとうございます

以前遠いカトリック教会に行ってみようと思ったけど「巡回教会」ってやつで日曜しか開いてなくて断念しました

興味はまだあるので近くのプロテスタント教会に行ってみようかな・・・

ただ日曜仕事だと長続きしないかもねって知り合いに言われたか心配

2017-09-19

内容[編集]

基本的な内容は、国家社会主義ドイツ労働者党ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、己がいざ迫害対象になると、社会には声を上げる人は誰もいなかったというもの

強いメッセージ性を内包するため、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして世界各国で広く引用されてきたが、ニーメラー自身もしばしば言い回しを変えたことや、引用者によって修正・付加されたりしたため、多くの版が存在する。こうした版では新たな迫害対象に追加される集団には、共産主義者社会主義者社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人障害者カトリック教会エホバの証人都市労働者などが挙げられ、順序も前後する[2]。

ニーメラー1976年インタビューで、「共産主義者労働組合社会民主党ユダヤ人」の順序で言及したもの最初であると回答しているが、1946年には「共産主義者、不治の病の患者ユダヤ人エホバの証人ナチスによって占領された国の人々」の順で言及したスピーチがあり、彼の回想は正確ではないと見られている[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/彼らが最初共産主義者攻撃したとき

ふーん

ニーメラー1946年の回想か

1946年

2017-08-30

反脆い戦略こそが正しいのか?

 情報は反脆い。情報を広める努力よりも、情報を壊す努力のほうが、情報にとっては糧になる。たとえば、自分の名声を守ろうとするばっかりに、かえって名声に傷をつけてしまう人は多い。

 

 賢いヴェネツィア人は、秘密だと偽って情報を広めるすべを知っていた。あなたも噂を広めるとき、こんな実験をしてみるといい。誰かに秘密を教える。そして、それが秘密であることを知らしめるために、「誰にも言わないでね」と釘を刺すのだ。秘密にするよう頼めば頼むほど、噂は広まるだろう。

 

 誰でも若いころに気づくように、本や思想は反脆く、批判を糧にする。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスストア哲学実践する作家のひとり)の言葉を借りれば、「火は障害物を糧とする」のだ。

 

 禁書には独特の魅力がある。禁書禁止命令に対して反脆いのだ。私が子どものころに初めて読んだグレアム・グリーンの本は、『権力栄光』だった。その本を選んだ理由はほかでもなく、カトリック教会禁書目録に載っていたからだった。10代になると、国外在住のアメリカ人ヘンリー・ミラーの本をむさぼり読んだ。彼の主要作が23州で発禁になると、1年で100万部が売れた。『ボヴァリー夫人』や『チャタレイ夫人の恋人』にも同じことがいえる。

 

 本に対する批判は、紛れもない正真正銘の注目の証であり、その本が退屈でない証拠でもある。本にとって最悪なのは退屈なことだ。アイン・ランド現象を考えてみてほしい。彼女の著書『肩をすくめるアトラス』や『水源』は、残酷なくらい辛辣批評や、彼女を貶めようという画策にもかかわらず(いや、むしろそのおかげで)半世紀以上にもわたって数百万、数千万人に読まれつづけている。いちばん大事情報は、批判の激しさであって、内容じゃない。評論家がその本を他人に読ませないためにどれだけ必死になるか。人生全般でいえば、相手こき下ろすのにどれだけ必死になるかだ。だから、誰かに本を読ませたければ、怒りを込めて「評価されすぎだね」と言えばいい(「評価されなすぎだね」と言えばその逆になる)。

(「反脆弱性」より)

 

脆弱性・歩く・マネーマーケット|新・山形月報!|山形浩生cakesケイクス)

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cakes.mu/posts/17337

 

よって、個人的には、上記の山形氏およびブクマ家諸氏のコメントは全く評価していない(と書けば、反脆さが発揮されるか(笑)?)

2017-04-12

教会に行きたいけど

どうすりゃいいのか分からない。讃美歌歌えとか言われたら死ぬ聖書は買ってぼちぼち読んでる。ぐぐったらカトリック教会の方がいろいろ良いらしい。どうしよう。

2017-03-18

既得権益者の逆ギレと、日和見菌パラサイト

安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。

近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチン安倍トランプも生み出されている。

自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれ人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である

残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから友達(笑)である。妻や恋愛友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。

既得権益者は、贅沢な地位民主党政権時代抑制され、被害妄想に陥った。恵まれ身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコント漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金ケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。

逆ギレである

ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)

けど実害が甚大だから困る。物凄く困る

社会の既成構造政体があって、そのなかで権力権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。

同様に人生牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能みえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。

残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。

男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。

保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実封建制度。この封建制度ってのも、たかだか近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。とき儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト社会構造。そして、そうした構造奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。

こうした遺物洞察して反省して革新しないと、いつまでたっても人類はクソ未満なんだろうと思う。

2017-03-03

「第九」歓喜意味

ベトヴェンの「第九」日本人にやたらと人気があり欧米かぶれの一種信仰みたいになっています

何に歓喜しているかって、ようやく解放されたこと。つまり中世封建社会から解放という意味です。そういうと大概の人は思い違いをして、単に一般庶民農奴身分から解放されたことであるかのように思うでしょうね。

誰が何から解放されたのか? それは、賢い人が、既成社会体制に利用されるという「権力の犬」の身分から解放されたということ。

中世では、社会体制を疑う能力のあるような人は、普通に暮らしていてはならなかったわけです。社会体制を変える素養のある人が居てはならなかった。普通に定住して大手を振って暮らすことは許されなかった。

例えば、クラシック音楽というのは、教会音楽です。カトリック教会布教教化に用いられる技術で、つまり社会統治体制を保つための技術です。ですから、その技術のタネを知っている音楽家というのは、世間普通に暮らしていては困るわけですよ。

例えば建築家もそうです。教会カテドラルの建て方を知っているような技術者が、その辺に居てネタバラシをしたら困るわけです。

こういう技術者達は、旅芸人の一座みたいに各地を転々とし、当地権力者に利用されることで食っていたんです。これを「フリーメイソン」といいます

それが、社会体制が変わり誰もが政治に携わる社会になって、社会体制を疑うことがタブーではなく、むしろ疑い批判することが必要時代になりました。技術特定身分の人しかもってはならないものではなく、ネタバラシをすることもタブーではなくなりました。

賢い人は、世を忍んで一生を終えた時代から普通に暮らしていい時代になり、ようやく日を浴びて大手を振って歩ける時代になったわけです。

中世は、知恵のある人は権力構造に組み込まれなければ生きていることを許されなかった。迫害の世の中でした。ヘイトされまくり権力者は、都合の悪い人間を干して、地元庶民をそそのかして嫌悪させていました。未だに、ユダヤ人嫌悪されているのも、フリーメイソン理解されないのも、もとはそういう経緯です。

賢い人がうっかり権力に都合の悪いことをしてしまうと、世の中から消されます。生きていることすら許されず、人間として扱われなくなりました。例えばマルティン・ルターもそうやって社会から消されて、カトリック教会支配を嫌うとある領主にかくまってもらって何とか生き延びました。

ユダヤ人であれ、ピューリタンであれ、既成の社会体制に都合の悪い人々はヘイトされ、その中からアメリカ大陸に渡って生き延びようとした人も出てきたわけです。USAというのはもともとそういう国です。

それに比べて、日本人は、革命を知りません。デモクラシーリベラリズムを知りません。

それどころかそもそも未だに、賢い人間社会体制に組み込まねばならず、「踏み絵」に応じないような人は叩き潰されます。利用価値のある人間でなければならないわけです。

例えば起業家であれ、既存社会体制に逆らってはならず、革命を起こしてはならないわけです。

芸能人なんか、社会体制に利用されることで食っていく職業です。うっかり真実を語ってしまってはならないわけです。山本太郎にしても、どこぞの資本家に拾ってもらって生き延びて、「民主主義」の時代からうまく国会議員にはなりましたが、だからって結局はおそらく日本社会を変えられずに終わるんじゃないかという気がします。

会社従業員にせよ、会社の存続と体制維持のためには、おかしなこともさせられますね。放送局権力にシッポを振り、人気を利用し流行捏造して売上を出し、生き延びるのに必死です。近年の安倍体制のもとでは、放送局も、そこの従業員も、平気でおかしなことをし、せねばなりません。そうして「美人女子アナ」でさえも平気でえげつないことを言ったりしますよね。

さて例えば、亀渕というニッポン放送社長にまでなった元アナウンサーがいますが、村上世彰と戦わされたとき社長です。株主総会でも社長として矢面に立ち、フジサンケイの日枝体制を維持するためにメチャクチャな総会運営をしてまで逃げ切っていました。そのときの彼の姿を私は忘れられません。かわいそうでしたね。会社従業員正社員管理職生え抜きによる支配体制を保つために、修羅にでもならなくちゃいけない。社長を退任してただの一介の批評家みたいな立場になってからは嬉々として活き活きしているようにみえます

そして、社会革命分子であったところの村上世彰にせよ堀江貴文にせよ、叩き潰されましたね。堀江貴文に関しては、ムショを出てからは、中途半端しか目立たないところに居て、社会体制に逆らわずしろ組み込まれるような感じで活動するようになってしまいましたね。

日本社会というのは未だにそういうところです。

愚かな人は自分の才能の無さを憂うのでしょう。けれど、実際に才能をもって賢く生まれたらもう、正しく生きていくことは不可能です。

悲惨な国です。そして、社会体制に組み込まれる人々と、ホイホイ釣られる愚民構成される日本人というものは、実に卑しいですね。

2016-12-13

[] エスコラピオス修道会

エスコラピオス修道会エスコラピオスしゅうどうかい、羅: Ordo Clericorum Regularium pauperum Matris Dei Scholarum Piarum、

略称: S.P.、西: Escolapios)は、キリスト教 カトリック教会男子修道会。総本部ローマ

  

青少年人間的・キリスト教的な教育を通して、社会刷新を図ることが目的創始者ヨセフ・カラサンスは「幼い頃から教育」が

重要であるとした為、活動の重点は基礎的な教育およびキリスト教要理の教育目的とした小・中学校に置かれている。

  

広く哲学神学の分野にも着目し、ガリレオ・ガリレイトマソ・カンパネッラを認める等、各々の時代における革新的な面に大いに

貢献して、神学校指導中央ヨーロッパでの反宗教改革運動にも加わり実績を残している。

  

日本には、1950年10月に同会の司祭2名が横浜来日

以来、多数の修道会会員が来日しており、青少年教育や、小教区司牧等に携わっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%AA%E3%82%B9%E4%BF%AE%E9%81%93%E4%BC%9A

2016-04-17

カトリックカレンダーから削除されているバレンタインデー

現在カトリック聖人カレンダーバレンタインデーという日はない。ローマカトリック教会バレンタイン司教実在しない人物として聖人認定を取り消したからだ。この事実日本に広まる事はあるのだろうか?

日本カトリック教会バレンタインデーがすでに存在しない事実広報することに対しひどく及び腰である

年間数千億と言われる経済効果信仰心すら曲げるようだ。

2016-02-01

日本キリスト教団聖公会カトリック

それぞれ通ってみた。

説教が分かりやすい順

カトリック

聖公会

日本キリスト教団

ハードコア

日本キリスト教団

聖公会

カトリック

人が声かけてくれる順

日本キリスト教団

聖公会カトリック

神秘的順

カトリック

聖公会

日本キリスト教団

風貌

カトリック

日本キリスト教団

聖公会

共通

・とにかく優しい人が多い

・風変わりの人の率が普段生活してる時に関わる割合より少しだけ多い

まあ数ある教会の中で10にも満たない所に通って何が分かるかってところだろうけど。


■追記

初回参加時に挨拶を求められる

日本キリスト教団聖公会

カトリック(小さめのところでは挨拶を求められる。)

id:sugimurasaburo

はじめて行くときは私もとても緊張しました。

カトリック(4つの教会に行きました)については出席の時に、記名を求められないので、一番入りやすいです。

大きめの教会でしたら、さらっと入って何事もなく帰ることができます

大きめのカトリック教会は規模の大きさを活かしてクリスマスミサ複数回開催していたり、

初詣のような年明けミサがあるので忙しい日本人生活リズムにあわせやすいと思います

仕事教会ミサ礼拝に参加できないという状態にはカトリックが一番陥りにくいと思います

また、バチカントップとする階層構造であるのと引き換えに、所属教会概念には縛られづらい印象があります

一方で日本キリスト教団日本家族的な温かさの雰囲気があります

何十年という長い付き合いという面では、とても安心感があるように思えます

ちなみに私は複数の教派の異なる教会に通っていますが、まだ洗礼を受けていない求道者からです。

2015-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20151005033535

ニセ科学信奉者は善意で人を救おうとしている

その、悪意のない嘘、と言うのが世の中で最も怖いのだが。。。

カルト教団と同じだよ?

オウム事件とかだって、誘ってる人間は本気で善意で人を救えると思って誘ってた信者たちだって居るんだよ?

そして、それは社会的断罪されたわけだが。

まさか、それらも、善意で人を救おうとする限りは許される、とでも言うわけ?

ニセ科学批判者は悪意で馬鹿を嘲りたいだけ

それが一体どれだけ居る?それこそ「善意」でダマされないように、と言ってる人たちのが多いのでは?

レベルじゃないよバーカ

そうだね、善意で人を騙す人のが余程怖いね

おまえ自分馬鹿だって自覚ある?

お前は宗教否定しているのか?

宗教の話はここまでは出してないが、

上にも書いたように、人を騙して落とすような事は決して許されない、たとえそれが信者自身善意だと思っていようが。


そして現代ではまともな宗教ほど科学事実否定することはしない。

科学」とは、言い換えれば単に「人間が知った事実」であり、それを理論的に置き換えたものに過ぎない。

その「理論への置き換え」の部分で解釈に違いが出ることはあれ、

人間が知った事実自体否定することをするのはただの愚行。

からカトリック教会なんかはむしろ科学を非常に深く理解していて、如何にに自分たち論理矛盾なく説明できるか、を研究してる人達もいる。


一方、ニセ科学とか放射脳、ってのは、科学事実一方的無視する。

それはまともな宗教家から見てもただの愚行でしかない。

理解できますか?

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