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はてなキーワード: 町田康とは

2022-12-27

anond:20221227012813

しか町田康が昔著書で「プリプリの充填豆腐」とこきおろしてたけど、豆腐屋が激減する昨今ではもはや仕方なしとも思える

2022-09-02

大発表、なりたい苗字トップ3

わたし名前加藤英子(仮名)。アラサー独身会社員である

物心ついたときから自分名前の かと(うえい)こ ()内の母音が3つつながる部分が嫌でしょうがなかった。

間延びした音のイメージわたし自身愚鈍人間性を表しているようで癪だったのだ。漢字で書いたときの堅いイメージとのギャップにもまた腹が立つ。

なんかの手続きやらで電話口で名前を名乗る際には、かとう・えいこですとわざとらしく区切って発音する。

この・を表現するのに、一瞬腹と喉に力を入れて息を止める。その時必ず心の中で(最悪!)と叫んでいる。・と書いて最悪と読む。

そんなわたしだが最近将来のことを考えて婚活パーティーなんかに行き始めた。

市民会館の会議室で、簡易的なパーテーションに囲われた長机に着席して初対面の男性自己紹介をする。本当、色気もクソもねえなと思って毎回うんざりするけど、自分のためなんだから行くしかない。

今週末も婚活行こうかな、でもだるいなーとセンチメンタルになってきたので、かとう(最悪)えいこから脱するために結婚したい苗字でも考えて気分を上げることとする。

1位:松田(まつだ)

matsuda。MTD。子音の強さが最高。

松田優作やそのファミリー彷彿させるハンサムネーム

英語表記だとやはりMAZDAになるんだろうか?Zと書いてツと読む。最高にクール

2位:町田(まちだ)

上に同じく子音が強い。

町田町蔵(町田康)が好きなのであやかりたい。最近よく見かける町田啓太という俳優さんもイケメンだよね。

誰でも読み書きできるポピュラーな姓だけど、(わたし地域では)意外と珍しく人とかぶらないのがまた良い。

3位:津田(つだ)

津田英子という字面津田梅子っぽくて良い。育ちの良さそうな印象を与えられるかもしれない。

わたしダイアンファンでもあるのでゴイゴイスー。

ちなみに西澤だとにしざわ(最悪)えいこを免れないので、わりと対象外

ていうか、苗字最後文字が~田(多とかでも可)で(だ)と読むやつならなんでもいいんだよね。木田なんかもいいな。子音の鋭さこそプリオリティ

婚活増田の人いたら、お互い頑張りましょうね。

2022-02-23

三島由紀夫中島らも町田康の大ファンエッセイ含めて全作読破してるけど

シュタゲより面白い作品マジで1作たりともなかった。

権威のかけらもないのにシュタゲ凄い。

2022-01-28

anond:20220127232111

こぐまのゾルバとか出てくるやつだっけ

終盤頭蓋骨に穴開けて窓つけて脳が見えるようにするやつだっけ

町田康支離滅裂小説の筋を覚えても仕方ないけどな

2021-09-04

anond:20210904014426

ブローティガン文章が気に入ったなら町田康アンナ・カヴァンはきっとハマると思う。あとは岸本佐知子翻訳作品とか本人のエッセイも。

でも、そういう方向性で精力的にバリバリやってる人って想像つかないな。頑張るなって意味じゃなく無理するなって意味で。

anond:20210904012228

本人たちはエネルギーキラキラしてるのに不思議キラキラしてない人間気持ちがわかる一部の天才小説家の中にいるので、そういう人の文章を読んだら少し楽になるかも。

梶井基次郎とか夏目漱石とか内田百閒とか町田康とかカフカとかカミュとかヘミングウェイとかブローティガンとかアンナ・カヴァンとか。

2021-03-31

anond:20210330214225

https://ameblo.jp/nickey0305/image-12349040153-14122716132.html

こういうやつ、恥ずかしい

町田康がやってたINUは今聞いても恥ずかしくなかったからさすがだと思った

2021-03-08

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (2)

戻る→ anond:20210308081829

デュマ・フィス「椿姫

個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。

ちなみに主人公独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまものです」。……バレましたか

野尻抱介太陽簒奪者」

自分日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。

この作品は、太陽の表面に異星から物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。

ちなみに日本SF作家をより広く読むようになったのは大森望日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝

オルハン・パムク無垢博物館

三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公結婚約束をした女性から婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い

ところでトルコという国は、女性スカーフを被るかどうかだけで政治的立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。

マヌエル・プイグ蜘蛛女のキス

映画オタクゲイ政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話であると同時に、ゲイお気に入り映画を語るとき調子推しについて語る幸せオタクのものである安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。

リチャード・ブローティガン西瓜糖の日々」

大学時代年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。

彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガン絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。

町田康パンク侍、斬られて候

就職のために架空宗教団体によるテロでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間クレーマーおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチ基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチギャグ結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。

トーベ・ヤンソン「たのしムーミン一家

ムーミンシリーズ以外のヤンソン文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。

児童文学短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。

全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニールヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。

マリオバルガス=リョサ「悪い娘の悪戯

嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽ存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。

これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこら悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。

バルガス=リョサには基本的にどれも面白い

D・H・ロレンスチャタレイ夫人の恋人」。

猥褻だということで昭和時代裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。

表現露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。

ピーターワッツブラインドサイト

最強のファーストコンタクトものひとつで、ネタバレするとオチは「意識クオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。

基本的構造は「宇宙ランデブー」の変奏で、未知のエイリアン遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配

それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼ゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?

以上。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-01-26

今更だけど2020年に読んだ本

1月(15冊)

池澤夏樹個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョンヴァインランド

前野ウルド太郎バッタを倒しにアフリカへ」

ドナルド・キーン「百代の過客 日記に見る日本人」★★★

岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆

ドナルド・キーン「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」★★

町田康くっすん大黒」☆

西村淳「面白南極料理人

町田康夫婦茶碗

西村淳「面白南極料理人 笑う食卓

青山潤「アフリカにょろり旅」

石川啄木ローマ字日記

今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★

奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らし人類学者が考えたこと」

ピーター・ゴドフリースミスタコの心身問題 頭足類から考える意識起源

西村淳 「面白南極料理人 名人誕生

現代語訳対照枕草子(上)」田中太郎訳注

2月10冊)

現代語訳対照枕草子(下)」田中太郎訳注

タミム・アンサーリーイスラームから見た「世界史」』★★★

ミカエル・ニエミ「世界の果てのビートルズ

アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」★

池澤夏樹マシアス・ギリの失脚

テッド・チャン「息吹」★★

田尻祐一郎「江戸思想史 人物方法・連環」

ピエールバイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆

子安宣邦江戸思想史講義」☆

イリヤ・ズバルスキーサミュエルハッチンソン「レーニンミイラにした男」☆

3月12冊)

「1491―先コロンブスアメリカ大陸をめぐる新発見」★★

マイクル・フリン「異星人の郷」上巻。

マイクル・フリン「異星人の郷」下巻。

ボッカッチョデカメロン 上」(河出文庫

ヤスミナ・カドラ「昼が夜に負うもの」。★

チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★

ボッカッチョデカメロン 中」(河出文庫

ジョン・サザーランドヒースクリフ殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」

甘耀明「神秘列車

ボッカッチョデカメロン 下」(河出文庫

東京創元社編集部「宙を数える」

4月12冊)

東京創元社編集部「時を歩く」

東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形

葉月十夏「天象の檻

春暮康一「オーラメイカー」★★

高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」

堀晃ほか「Genesis万年の午後 創元日SFアンソロジー

江戸川乱歩作品集I 人でなしの恋・孤島の鬼 他」

水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日SFアンソロジー 2) 」

江戸川乱歩作品集II 陰獣・黒蜥蜴 他」

今野真二「振仮名歴史」★★★

村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★

サリンジャー「このサンドイッチマヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。

5月(13冊)

江戸川乱歩作品集III パノラマ奇談・偉大なる夢 他」

林俊雄「興亡の世界スキタイ匈奴 遊牧文明」★★★

清水勲「ビゴーが見た明治職業事情

原聖「興亡の世界ケルトの水脈」★★

夢野久作「瓶詰の地獄

大森望責任編集NOVA 2019年秋号」

パク・ミンギュ「短篇ダブル サイドA」☆

パク・ミンギュ「短篇ダブル サイドB」

チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」

森谷公俊「興亡の世界史 アレクサンドロス征服神話」★

三方行成「トランスヒューマン ガンマ線バースト童話集」

三方行成「流れよ我が涙、と孔明は言った」

高山羽根子オブジェクタム」

6月12冊)

宮内悠介「スペース金融道」。

草野原々「最後にして最初アイドル

石川宗生「半分世界」★

「ガラン版千一夜物語 1」★★★

「ガラン版千一夜物語 2」

「ガラン版千一夜物語 3」

「ガラン版千一夜物語 4」

「ガラン版千一夜物語 5」

「ガラン版千一夜物語 6」

オースン・スコット・カード無伴奏ソナタ

ジョン・サザーランドジェイン・エア幸せになれるか?―名作小説さらなる謎」★★

イアン・マクドナルド火星夜想曲

7月12冊)

ジョン・サザーランド現代小説38の謎 『ユリシーズからロリータ』まで」

J・P・ホーガン未来からのホットライン

ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語迷宮へ」★

クリストファー・プリースト奇術師

ルーシャス・シェパード「竜のグリオールに絵を描いた男」

ウィルワイルズ時間のないホテル

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★

栗田伸子・佐藤育子「通商国家カルタゴ」★★

アーヴィングアルハンブラ物語」上巻☆

アーヴィングアルハンブラ物語」下巻

J・P・ホーガン創世記機械

J・P・ホーガン未来の二つの顔」

8月10冊)

ジュリアン・バーンズフロベールの鸚鵡」

松谷健二カルタゴ興亡史 ある国家の一生」★★★

イアン・マクドナルド黎明の王 白昼の女王

松谷健二「東ゴート興亡史 東西ローマのはざまにて」★★

ピーター・S・ビーグル「完全版 最後ユニコーン

松谷健二ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢」★

オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆

ユヴァル・ノアハラリ「ホモデウス テクノロジーサピエンス未来」上巻☆

ユヴァル・ノアハラリ「ホモデウス テクノロジーサピエンス未来」下巻

シュティフター晩夏」上巻

9月(14冊)

シュティフター晩夏」下巻

岡嶋裕史「5G 大容量・低遅延・多接続のしくみ」

住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★

西田龍雄アジア古代文字の解読」☆

山内進『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』★★

マリオバルガス・ジョサ(リョサ)「嘘からたまこと」

吉岡乾「現地嫌いなフィールド言語学者かく語りき。」

原田実偽書が揺るがせた日本史」☆

ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」

オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」

森安孝夫「興亡の世界シルクロード唐帝国」★

後藤明「南島神話」☆

A・レシーノス原訳「マヤ神話 ポポル・ヴフ」

杉勇、屋形禎亮「エジプト神話修集成」。

10月(15冊)

八杉佳穂「マヤ文字を解く」★

トンマーゾ・ランドルフィカフカ父親

加藤文元「宇宙宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」★★

スティーヴン・ミルハウザー「三つの小さな王国

エイミー・B・グリーンフィールド完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国密偵大航海物語

リン・ディン「血液石鹸

ヴァールミーキ著、中村了昭訳「新訳 ラーマーヤナ1」

ザカリーヤー・ターミル「酸っぱいブドウ はりねずみ

ヴァールミーキ著、中村了昭訳「新訳 ラーマーヤナ2」

ダニヤール・ムイーヌッディーン「遠い部屋、遠い奇跡

ヴァールミーキ著、中村了昭訳「新訳 ラーマーヤナ3」

プラープダー・ユンパンダ」☆

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」

チュット・カイ「追憶カンボジア

馬場隆弘「椿井文書 ――日本最大級の偽文書」★★★

11月(12冊)

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」

タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆

井伏鱒二山椒魚」(新潮文庫)★★

志賀直哉清兵衛と瓢箪網走まで」(新潮文庫)★★★

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」

ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★

カズオ・イシグロ充たされざる者

池上英洋・川口清香美少年美術史: 禁じられた欲望歴史

ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」

プラープダー・ユン地球で最後のふたり」☆

ソーヴァデーヴァ「屍鬼二十五話―インド伝奇集」☆

プラープダー・ユン「鏡の中を数える」

12月(12冊)

グレアム・グリーン第三の男

ローデンバック「死都ブリュージュ

ショレム・アレイヘム「牛乳屋テヴィエ」

池上英洋・荒井咲紀「美少女美術史 人々を惑わせる究極の美」

ヤスミナ・カドラ「カブールの燕たち」☆

ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」

カズオ・イシグロわたしたちが孤児だったころ」★★

ロレンススターン紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻

ロレンススターン紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻

ロレンススターン紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻

ハン・ガン菜食主義者」★★★

マリオバルガスリョサ「継母礼賛」★

漫画(22冊)

入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)

浅野いにお短編集 ばけものれっちゃんきのこたけのこ

八木ナガハル物質たちの夢」

詩野うら「有害無罪玩具」★★

詩野うら「偽史山人伝」

道満晴明ニッケルデオン」【赤】【緑】【青】

中村明日美子「Aの劇場 新装版」★★★

panpanyaおむすびの転がる町」

中村明日美子「Bの劇場 新装版」

石黒正数「Present for me」

水上悟司「放浪世界

須藤佑実ミッドナイトブルー」☆

澤江ポンプ「近所の最果て」

道満晴明メランコリア上下巻★

カシワイ「光と窓」

ヨシジマシウ「毒百合乙女童話

総評

月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。

数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。

1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に4月から6月SFファンタジーほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。

また、芥川賞をはじめとした日本現代文学ほとんど手に取っていない。ベストセラーエンタメホラーもない。逆に、韓国タイペルーチリなど、日米欧以外の海外文学割合が高い。

意識してきたわけではないが、自分の好むジャンル科学歴史ノンフィクション神話、行ったことのないラテンアメリカアジア文学メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典であるようだ。一方で、女性作家割合は低く、特に日本現代女性作家ほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガン自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。

割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつから例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。

今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。

以上。

2020-11-28

anond:20201128232308

ウソでもうれしいぞー。作品の中身は別にして、現代作家だと町田康舞城王太郎、昔の椎名誠もっと前だと漱石翻訳だと岸本佐知子柴田元幸が訳してるやつが、純粋に読んでて楽しい

2020-09-27

駄目な人間が駄目なまま終わる作品が知りたい

駄目な人間が成長しようと藻掻くみたいな話はもう嫌やねんシンドイねん。

町田康くっすん大黒みたいなの教えてくれよ。

2019-11-30

自分の事を「〜な人」っていう人

例えば「私、夜は早く寝る人だから」とか言う人。

「人」という単語は、誰かと話しているときに「あの人は確か山形出身だよ」みたいに三人称に使うものだし、

なんとなく尊敬意味合いを含む気がする。

から「人」という単語一人称として使うことにものすごい違和感を感じる。

こういう場合一人称としては「人間」という単語適当ではなかろうか。

10年くらい前にはこんな使い方をする人は殆どいなかったように思うが、

ここ最近急に増えてきて、私の周りにも5,6人いる。

そんで身内にもいるものから聞くたびに気になって気になって仕方がない。

まりにも気になるものから一度身内に「その使い方はおかしいと思う。」と指摘したことがある。

その時は、「言っている意味がわからない。」と返されてしまった。

ネットを調べてみても、この使い方のおかしさを指摘する人はいない模様である(単に私の探し方が悪いだけかもしれないが)。

日本国中でこの使い方に違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。

私の感覚世間と完全にズレているのだろうか?

そう思うとなんだか寂しい。

【備考】町田康小説くっすん大黒」にこの使い方をする女(主人公彼女)が登場するが、

文脈から察するにあえて正しくない使い方の例(言葉は悪いが、あまり教養のない人間が使う語法の例)

として用いているような気がする(少なくとも主人公はこの使い方をしていない。)。

2019-06-29

anond:20190629212539

町田康みたい

なんかわかるよお疲れ様

うちの近所のコンビニは真ん中のレジの前の通路商品棚の間)が並ぶ位置になってて戻ることはないけどどっちがいいかよくわからない

並びながら左右の棚のお菓子物色してるけど同時に2レジ空いたりして列が速く進むとほしかったお菓子に手が届かなかったりする

2018-08-27

anond:20180827073928

町田康がやたらフォーク並びの話してた気がするから関西は徹底されてんのかと思ってた

2018-03-22

『幸色のワンルーム』はつまんないかダメ

女子ストーカー男が監禁して結婚約束をする話題漫画を読んだ。

結論としては実写化するやつはアホ。

なぜならこれはつまらいから。


もうちょっと書く。

この作品が叩かれてるのは言うまでもなく「朝霞誘拐事件被害者叩きしてた連中の言い分をそのままなぞっているから」で、

擁護派の言い分は大きく二つ。

・作者がフィクションだって言ってるから関係ないんです!

実在事件モデルにした作品なんていくらでもあります

(擁護派同士で殴りあえばいいのに。結局関係あるのかないのか)


前者については「お前頭大丈夫?」としか言えない。

関係してないわけねーだろ。事件のあとにあの設定でニュース見てないわけねーーだろ。

百万歩譲ってニュースツイッター2chも見てないで、朝霞事件のこと全く知らずにあの漫画書いたとして(発表ツイッターだけど)、

漫画の発表の数ヵ月前に酷似した事件が起きてると知ってノーリアクションなのおかしいだろ。

フィクションでーす、って言い張ればなんでも許されると図々しく思ってるからしれっと描き続けてるんだろうが。



で、後者について。

かに冷血も熊と踊れも八墓村もある。

町田康告白個人的もものすごく好きな小説だ。

時間が経過していたらいいのか」

関係者が没していればいいのか」

というのも本質的問題ではないように思う。

たとえば東京大空襲原爆を粗雑に描かれたら、やっぱり怒るだろう。


と、考えると、やはり問題はあの作品むちゃくちゃ薄っぺらくてつまらないことに尽きるのではないか


まらないというのは、つまり物語に厚みがなく熟慮されていないということだ。

誘拐によるストックホルム症候群であっても、

虐待からの「正しくない」方法での逃避であっても、

ストーカーにならざるを得なかった男と少女共依存であっても、

どれひとつとっても、真剣に向き合い考え抜いた結果ならば

たとえ「正しくない」内容であっても面白いはずだ。

「正しくない」人間を描いても魅力的なはずだ。

描く対象に、真摯に向かい合った作品ならば、正しくなくても面白い

そして、そこに至るまで考え抜かれたストーリーは、

新しい視点を読者に提供する。



だが、実際にはこの作品がとった方法

誘拐犯以外の人間さらにクソにする」だった。

クソしかいない世界で、比較的クソではない誘拐犯と少女が微笑み合う。

そこになんの真摯さも感じられない。

感じられるのは「だからこの誘拐犯は悪くないんだよ~」という言い訳がましさばかりだ。


と、書くと、「それはお前の主観だろうが!」「面白い面白くないは誰が決めるんですかー!」と言いにくる奴はいるだろうけど

悪いが、優れた作品とそうでない作品は厳然と存在する。

そしてこれは優れていない作品だ。

それはもう断言して構わないだろう。


ただ、視点を変えればものすごく優れた作品と言える。

まり、「中学生くらいの女子をうっとりさせる」という点においては

どんな名作文学でも太刀打ちできないくら優れている。

それは理解できる。

漫画というメディアにとってとても大事能力だし

面白さ」とは別ベクトルで、金を出させるに値する価値だと思う。

もうちょっと言っちゃうと、

砂糖をぶちこめば甘くなり、甘いものを食べたい人にとっては価値がある

みたいなことで、

萌え要素をぶちこめば、萌えたい人には価値があるのだ。

それは軽薄な単なる「消費」ではあるが、サブカルチャーとして正しい姿勢でもある。

だが。

しかし、この作品に限っては、前述の「朝霞事件関係していないわけがない」からこそ、

その軽薄な「消費」に巻き込んではいけない。

ごく真剣に、誘拐犯と少女のことを考えに考え抜いた「面白い作品ならば、

それを考える間に、実在少女の心情に、家族に思いが至るだろう。

その上で苦渋の取捨選択をした上でストーリーが組み立てられるだろう。

そこに真摯さがあれば、いたずらに誰かを傷つける作品にはならず

仮に誰かの傷に触れたとしても、その批判作品として真正から受け止めるだろう。

しかし実際にはこの作品は単なる萌え要素をぶちこんだ消費でしかいから、

まらないし、フィクションだと言い張って逃げるし、批判を正面から受け止めることができない。

『幸色のワンルーム』は単なる実在事件萌え消費だ。

考え抜かれていないからつまらない。

不誠実だからまらない。

この作品を持て囃して実写化まで企てている連中はアホである

人を傷つけてまでやることか。これが。

2018-02-26

小説セリフ

小説なんかを読んでいると,「みんな随分上手に話すなぁ」と思う.口下手な主人公でも,頭の中ではちゃん言葉になっているのだ.

僕は基本的自分の思うように話せることなんてほとんど無いし,頭の中なんて解析不能である.だから,うまく思考言葉にできている小説登場人物を,異世界の人のように思える.でも,小説は好きだし,感動したりする.

こうやって,なんとなく意味のありそうな言葉を書いている僕は,それを読んでいる人から見たら異世界の人だと思うんだろうか.

町田康を読むと,頭の中って適当だよね,とちょっとだけ安心できる.

2018-02-07

教養豊かな人なら読んでいて当然の日本文学102選(戦後編)

三島由紀夫金閣寺』『豊饒の海

谷崎潤一郎細雪』『鍵』

川端康成山の音』『眠れる美女

坂口安吾堕落論

梅崎春生『幻化』

武田泰淳ひかりごけ』『富士

佐多稲子『樹影』

安部公房『壁』『砂の女』『箱男』『密会』

大江健三郎性的人間』『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『さようなら、私の本よ!』『美しいアナベル・リィ』『水死』

中上健次千年の愉楽』『日輪の翼』

開高健『輝ける闇』

高橋和巳邪宗門

大西巨人神聖喜劇

安岡章太郎ガラスの靴・悪い仲間 』

小島信夫『うるわしき日々』『残光』

庄野潤三プールサイド小景静物

津島佑子『火の山―山猿記』『ヤマネコドーム

稲葉真弓半島へ』

古井由吉『杳子・妻隠』『槿』『白暗淵』

後藤明生挟み撃ち』『壁の中』

黒井千次『群棲』

藤枝静男『田紳有楽空気頭』『悲しいだけ・欣求浄土

倉橋由美子夢の浮橋

田中小実昌ポロポロ

色川武大狂人日記

金井美恵子『愛の生活・森のメリュジーヌ』『タマや』

富岡多恵子『波うつ土地・芻狗』

河野多恵子 『みいら採り猟奇譚』

石牟礼道子『苦界浄土

村上龍コインロッカー・ベイビーズ

村上春樹回転木馬のデッド・ヒート』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル

高橋源一郎さよならギャングたち』『ジョンレノン火星人

笙野頼子『母の発達』『金比羅』『だいにっほん、おんたこめいわく史』

車谷長吉『鹽壺の匙』『赤目四十八瀧心中未遂

玄侑宗久アブラクサスの祭

池澤夏樹マシアス・ギリの失脚

保坂和志カンバセイション・ピース

堀江敏幸河岸忘日抄』

多和田葉子『雪の練習生』『尼僧とキューピットの弓』『雲をつかむ話』

阿部和重アメリカの夜』『ABC戦争』『無情の世界』『ニッポニア・ニッポン』『シンセミア』『ピストルズ

松浦理英子ナチュラルウーマン』『犬身』

中原昌也ニートピア2010』

町田康夫婦茶碗

舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。』『九十九十九』『ディスコ探偵水曜日』『淵の王』

綿矢りさ『かわいそうだね?』

金原ひとみマザーズ

中村文則『何もかも憂鬱な夜に』『教団X』

柴崎友香『その街の今は』

岡田利規わたしたちに許された特別時間の終わり』

川上未映子愛の夢とか』『あこがれ』

水村美苗本格小説

前田司郎『愛が挟み撃ち

諏訪哲史ロンバルディア遠景』

本谷有希子『嵐のピクニック

磯崎憲一郎『往古来今』

青木淳悟『私のいない高校

朝吹真理子『きことわ』

小山田浩子工場

今村夏子『こちあみ子』

滝口悠生『高架線』

高橋弘希『指の骨』

崔実『ジニのパズル

2017-11-04

anond:20171104183611

町田康の笑いのセンスって、あんまり理解されてないような気がする。

俺は彼と同じ大阪堺市から結構わかるけど、

充填豆腐に妙にこだわる話とか、隣の部屋に人の気配がするだけで眠れない話とか、

どれだけこの面白さが分かる人がいるのか、いつも疑問だわ。

2017-06-11

恋人趣味があわない

23歳の時、37歳の男性と付き合っていた。

彼とはあまり趣味があわなかった。はじめは、年齢が14歳も離れているのでジェネレーションギャップは仕方がないと思っていた。しかし、付き合いが長くなってくると、私と彼の趣味の相違は年齢が原因ではないことに気がついた。「この人と同級生でもあまり話があわなかっただろうな」というタイプだったのだ。

美大に通っていた私は、いわゆる青文字系サブカルチャーみたいなものが好きだった。好きな芸能人ピースの又吉と小松菜奈好きな音楽くるりtofubeatsや好きな映画岩井俊二とグザヴィエ・ドラン。赤い口紅をつけて、現代アート展覧会デートたかった。

大手メーカー営業をしていた彼が選ぶものは、私の感覚と少し違った。好きな芸能人磯山さやか好きな音楽キロロミスチル、好きな映画インディペンデンスデイ。カラオケ好きな人で、キロロの「長い間」という曲を覚えて歌ってほしいとリクエストされた。彼は赤い口紅を嫌っていたし、ゴッホゴーギャン区別ができなかった。

私には彼の趣味がよくわからなかった。磯山さやかかわいいし、キロロの「長い間」はいい歌だし、インディペンデンスデイは今日の土曜ロードショーだった。それらの良さがわからないわけではないが、そういうものを「良い趣味」だと感じることは難しかった。これからも難しいと思う。

彼は、私が赤い口紅をつけると「ちょっと派手だな」と顔をしかめた。彼とデートするとき、私はピンク口紅をつけ、赤文字系の店で購入したワンピースを着るように心がけた。彼はとても優しく、マメ性格で、仕事を精力的にこなしており、私はそんな彼が好きだった。ただ時おり漠然と、「この人は私のパーソナリティーにあんま興味なさそうだな、興味ないってか私の趣味領域について考えたこともなさそうだな」と思って寂しくなった。

結局、「早く結婚して子どもが欲しい」という彼の期待に応えることができず、半年もたたず破局した。

そのすぐ後、ものすごく趣味があう男性出会った。彼は当時26歳だったので、年齢も近い。ただ、「この人とは年齢が離れてても話があうだろうな」と思うような人だった。

彼の好きな芸能人二階堂ふみ好きな音楽くるりtofubeats、好きな映画ダージリン急行だった。ガロ系漫画町田康小説が好きで、とにかくサブカル臭がすごい人だった。恋に落ちるのに1秒もいらず、私は久しぶりに赤い口紅をつけて彼とデートを重ねた。彼は私の口紅をほめてくれた。音楽映画小説お笑い、彼の話はどれも面白く、「世の中にこんな趣味のあう人が存在しているんだ」と私は有頂天になった。彼は無精な性格で、仕事への情熱はあまりなかったが、それでも私は彼を好きだった。

しかし、彼とは2回目のセックスのあと連絡がとれなくなってしまった。「愛してる」、でもまさかね、そんなこと言えなかった。彼とはそのまま終わってしまった。

趣味があわない人とも、あう人とも、私の恋は上手くいかなかった。

2017-02-28

村上春樹が好きだと言いづらい

僕は村上春樹が好きだ。

町田康とか舞城王太郎とか池澤夏樹とか、他にもいろいろな作家が好きだけど、一番好きな作家を選べと言われたらやっぱり村上春樹だ。

今回発売された新作『騎士団長殺し』も、マスメディアで恒例として取り上げられて騒がれている。

マスメディアで騒がれると当然、全く興味のない人の目にも付く。

そこで、職場でも今日たまたま騎士団長殺し』の話題になった。

(正確には「たまたま」ではなく、ある意味では必然的ともいえる。マスメディアかく恐ろしや)

Aさん「そういえば新作出たねー。まあ全然興味ないけど」

Bさん「本屋で大量に平積みしてますねー。自分も春樹は1冊も読んだこと無いけど」

Cさん「同じく1冊も読んだこと無いっすね…」

そこに居合わせた僕は入社時に村上春樹が好きだと言っていた。

おそらく、この人達はそれを分かって言っているのだと思った。

この話題スルーしようと思ったけど、

僕を試すようにわざと言っていると思ったので、

とりあえず一言

僕「ハルキストほどじゃないですけど自分は春樹好きです」

Aさん「ほー・・・

見事にスルーされた。それ以上なにか聞かれたりはしなかった。

おそらく「村上春樹に興味がない人」にとって、「村上春樹好きな人」は得体が知れない人物だと思っているのではないか

転職したばかりでただでさえ上手く馴染めていない職場の人たちとの断絶が深まった気がした。

ももっとうまい言い方があっただろう。

しかしなぜ、ただ好きなものを好きだと発言することに引け目を感じなければならないのか。

なぜ「村上春樹が好き」だと言うことに引け目を感じてしまうのか。

初対面の人との話題タブーとしてよく挙げられるものに、

「ひいきのプロ野球チーム」とか「政治思想」とか「宗教」とかがある。

そのラインに「村上春樹」も食い込んできている気がする今日このごろ。

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