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はてなキーワード: 自然法則とは

2023-09-02

善悪好き嫌い区別が出来てない!って言う人がいるけど、どっちも快不快問題じゃないのって思う。

人を殺しちゃだめ。

なんで?

デカい目で見てみんな幸せになるから

で?

から人を殺しちゃいけない。

で?それは理屈になってないよね。そうなるには大前提として幸せにならなければならないだとか個人主義だとかいった考えを必要とするけど、それは自明道理じゃない。なら人を殺しちゃいけないという所にも一元的には繋がらない。

まあでも大抵の人は幸せになりたいだろうから、多くの人が共感するかもしれない。実際人権思想というものがあるくらいだし。でもそれは理屈じゃなく快不快問題であって、それに共感するかどうかの多数決ですよね。

人間という言葉で括れてしまうくらいだし、9割9分くらいは同じ構造の生き物なんだろうと思う。だから大多数が共感出来る事だってあるんじゃないかと思う。

まあ合意とか言うけれど実際は産まれた瞬間に「この国ではこういう考えがあるのですが、同意頂けますか?」「なるほど、納得しました」なんて言って誓約書サインする訳ではないし、人権は大切ですと教育を受けている訳だし。プリミティブな感じ方だけで決まっているかと言ったらそんな事もなくて、積み上げられてきた世の中の構造とかも多分に関わっているのだろうけど。

一方で全員が全員同じものを食べて同じものを着て同じ生き方をしている訳じゃなくて、その差異個性と呼ばれて尊重されるものだと思うし、それが故にぱっくり考えが割れる事だってあると思う。

好き放題殺し合える世の中が良いという人はあまりいないかもしれないけれど、資産が再分配される世の中が良いかどうかは考えが割れる。実際割れてると思う。

善悪というのはその大部分の共感個人の差違の境界を見定める事なんではないかと思う。

いくら理屈を並べて正当性を主張した所で、少なくとも一個人レベルでは「人を無差別に殺したいです」と言ったらけんもほろろに突っぱねられるのがオチだろうと思う。

社会の取り決めは善意共感頼りではいけない。理屈だったルールこそが必要だ。

なんていう事を言う人もいるけれど、その理屈だったルールを定めるのに共感抜きでは一生話が進まないと思う。規範というのは、リンゴは上から下へと落ちるみたいな個人感性を挟む余地のない自然法則の話とは違うから

別にそれでええやんと思うのだけど、頑なに「いや道徳善悪とは論理的理性的もので〜」って言う人がいるか不思議に思う。

自分の快不快と世の中の多数決混同していて、「自分がこう思うのだから世間一般もそう考えているに違いない」みたいな事を言う人を指してそういう区別がついてないと言うのならまあ分かるのだけど。

2023-07-28

地面に縛られた無能の戯言の中に1つの真実を見出す能力が私にはあった=東京の唯一の長所は国会図書館があること

自分が住んでいる場所に誇りを持つ人間バカ理由

ゆえに、自分が住んでいる場所を自慢するやつは、100%バカだと断定できる。

 

例:強盗が集まる場所

ユダヤ人は「神から約束された場所」と称して、中東特定地域固執し、他人が住んでる土地強奪して住み始めた。

「神の意思」と言えば何をやってもOKになるのか?そんなわけねーだろ!

 

から指示されたのでやったという詐欺師どもは、俺の目の前にその神を連れて来いよ?連れてこれないなら神はいないという証拠になる。

詐欺師どもは、神が存在してないと困るから、「理神論」という屁理屈言い訳を捻り出した。

 

理神論(りしんろん、英: deism)とは、神の存在を啓示によらず合理的説明しようとする立場

この宇宙創造主としての神の実在を認めるが、聖書などに伝えられるような人格存在だとは認めない。

神がおこなったのは宇宙とその自然法則創造だけで、それ以降、宇宙自己発展するとする。

人間理性の存在をその論の前提とし、奇跡・啓示・預言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。

神の存在を認めるという点において、有神論(theism)の一つと言えるが、啓示を肯定する他の立場との対比から、有神論とは区別する場合もある。

 

理神論は啓蒙時代流行した。

17世紀スピノザらを起源として、イギリスで論争が起こり、18世紀フランスドイツ啓蒙思想家(フィロゾーフ)たちに受け継がれ、フランス革命期の「最高存在の祭典」の思想的背景になった。

 

理神論=頭の中で考えだした神ならいてもいいよね?という妄想産物であり、基地外である証拠しかない。

 

戦争パレスチナ人を殺して土地を奪い、そこにイスラエル建国したユダヤ人は、他人から見れば単なる強盗しかない。

 

しかも、ユダヤ教一枚岩ではなく様々な派閥があり、イスラエル建国強盗方式ではダメというユダヤ人もいる有様だ。(タカ派ハト派

 

重力に縛られた旧人

今の時代でも、自主的鎖国している日本人ポンコツであるのと同様に、重力に縛られて自主的に地上にとどまっている人間ポンコツと言える。

いわば、鎖国ならぬ「鎖星」だなwww

 

地面から離れられない二本足の動物人間

 

地球という星の表面の一部、それを地面と呼んでいる。

重力によって地面に縛られた人間は、地面に愛着して、自分が住んでいる場所が好きだ!と叫び、俺が住んでる場所が最高!という思い込み形成していく。

その結果、都会に住んでいる者は都会が最高だといい、田舎に住んでいる者は田舎が最高という。しかし、それはどちらも間違いだ。思い込みであり、錯覚であり、単なる観念の1つに過ぎない。

 

もしも人間に翼があったら、人間ロケットエンジンがあったら、空でも宇宙にでも行けただろう。

そのとき人間とは地面とは切り離された、地面から独立した存在だった、と初めて認識できるだろう。

 

重力から解放された新人類

宇宙飛行士が「宇宙から地球を見たら国境線がなかった」と言っていた。

国境人間勝手に決めた線でしかなく、本来地球には国境はないのが真実だった。

重力に勝って宇宙に行ける新人類は、すなわち地面から解放された人間には、真実ありのままに見えるのだ。

 

 

 

ここまで丁寧に説明すれば分かるだろう。

東京最高とほざく増田貴様無能だ!

地面にへばりついてるポンコツは身の程を知るがいい。(ガ○ダムとか宇宙アニメを見て喜んでるだけのヲタクも同様にポンコツしかない)

 

しかし、ポンコツ戯言にも一理あった。

国会図書館だってない。

 

そう、東京の唯一の長所は、国会図書館があること。

国会図書館がなかったら、東京は単なる雑踏に過ぎなかった。

 

国会図書館価値

国会図書館には、日本で発行された本がすべて所蔵されている。

インターネットではアクセスできない情報が、国会図書館に行けば見れるのだ。

 

東京に住むのは、勉強する学生時代だけで十分。

学校卒業したら、東京以外の場所に引っ越せばいい。

 

東京欠点

東京欠点は全て人が多過ぎることに由来するだろう。

他には?

 

日本以外にも別荘を確保しよう

外国語ができて、他の国でも生活できる人は、日本以外にも生活拠点を持った方がいいよ。

将来、中国台湾侵略したら、日本戦争に巻き込まれて、日本戦場になるリスクがあるからね。

今のうちに、安全場所を選定して、別荘を確保しておけば、いざ戦争が始まっても死なずに済みますね。

外国に行っても和僑が多い地域なら、言葉の壁も困りませんよ。

2023-06-08

生物がどうやって動いてんのか不思議でならなかった。

一点の損傷も無い死体(そんな仮定が成立するかは知らない)と生きてる人間の違いって何?

技術で生きている状態細胞と全く同じ物質を作り上げてプラモみたいに組み立てたらそれはひとりでに動き出すの?

核がどうのゴルジ体がどうのは習うけど、DNAの転写やらタンパク質の合成やら、それって何のパワーで動いてんの?ってずっと思ってた。

ある仕組みの中で、ひとりでに動くモノを知らない。常に何かの力に動かされている。

から離したリンゴ重力に引っ張られて動く。

川に浮かんだ葉っぱは水の流れに任せて動く。

車は人間エンジンをかけてアクセルを踏みハンドルを切って動く(内燃機関の仕組みもイマイチ分からんけど)。

じゃあ細胞は?構成要素の一つ一つは何に動かされてんの?

そしてそういうミクロな部分での話はそのまま生物ってなんで動いてんの?という疑問に拡大する。

なぜ筋肉意思通りに動かせるのか。そもそもなぜ筋肉を動かそうとする意思が発生するのか。

タンパク質だかの粒がひとつひとつ意思を持ち、自分の使命を理解して動いているとは思えない。

とある時、それはドミノ倒しみたいに連鎖的な動きなのではないかと思った。

ひとつ前の動作によって次の動作必然的に定まり、それを無限に繰り返していく。

具体的な話はよく分からんけど抽象的な理解として。

何かのアクションがあって磁石と砂鉄がくっつくみたくアデニンとチミンがくっついて、それがまた次に何かしらのアクションを呼ぶ。

この例えが適切かは知らんけど、そうやって連鎖的に動きが繋がっているんだろう。

しか物事には始まりがある。ドミノは並べて一押ししてやらねば始まらない。

生物、というか哺乳類の始まりと言ったら受精だ。

まり、やることやって受精した瞬間からドミノ倒しが始まるのだと思うとなんだか非常にしっくりきた。

いわば受精した瞬間に車のキーを回すようなもので、一度エンジンが止まってしまえば再度始動する事は二度と出来ない。

生物とは化学法則物理法則に則った連鎖的な現象なんだと。

限られた知識認識範疇アナロジーを多分に使ったものだし、果たして適切な理解であるかは知らんけど、腹落ちはした。

より具体的な話を理解するには基礎なし生物なりをやればいいんだろうけど、取り敢えずの納得は得たしそこまでするのは面倒くさい。

まあもっと言えばそのドミノはどうやって用意されたのとかはあるんだけど。

火の鳥ポストアポカリプス世界で不死身の主人公がなんかの物質を海に撒いて、そこから新しくナメクジみたいな知的生命体が現れる話があったな。

川に浮かべたプラモのパーツが偶然組み上がるよりもありえなさそうな事だけど、実際そんな感じだったんだろうな。無から有は発生しなさそうだし。

規範を取り扱うならともかく、自然現象理解するにあたって宗教はお役御免に思えるけど、やっぱり神様存在を信じたくなる気持ちはあるね。

一般人にはそれかエセ科学が結局一番腹落ち出来る。不条理不条理のまま受け止めてモヤモヤするのもいいけどね。

こういう話とか、宇宙の端っこってどうなってんのとか、時間って有限でも無限でも矛盾しねとか、そういう疑問はいっぱいあったな。

人間思考認識範疇では理解の及ばん領域もあるじゃろうて、で片付けるつまらない人間になってしまった。

小難しい物理とかではちょっと突っ込んだ話もあるんだろうけど、説明された所で多分理解出来ない。

どうせオチとしては「断言できる事はありません」みたいな感じだろうし。

あと生物細胞細胞膜やら核やら、概ね同じ要素で出来ていますって習ったけど、じゃあ異なる役目を持つ器官ごとの細胞の違いは何なんだよって思った。

これはググれば分かりそうだけど、こういう必然的に生じるであろう疑問に対してノータッチを決め込むのが気持ち悪くて勉強嫌いだったんだよな。

あいちいち突っ込んでたら高校レベルを逸脱してしまうのかもしれんけど。

しか生物自然法則に従った現象に過ぎないのなら、それって運命存在する事にならないかなって思った。

キャラクター脚本存在に気が付くメタフィクションはあるけど、人間自然法則理解して世界の筋書きに接近するのも予定された必然なのかなって。

自由意志も何もかも全て脚本の筋書きに過ぎないのかと思うとなんか恐ろしく思った。

自分ロジックよりもナラティブに魅力を感じる人間だけど、そのナラティブすらも論理必然から生じるものだと思うともうね。

思考停止は良くないとか言う人いるけど、どっかで思考停止しないと気が狂ってしまうよ。

2023-05-19

anond:20230518124715

新しい例というけど「それってパクリじゃないですか?」の土偶はにわダンスの回もこれだったろ>訴えるどころか独占権取得しようとしただけで風評被害

おまえのいってるゆっくり茶番劇ニコニコが「防衛商標」とろうとしてたじゃん

他社のふんどしであるタグに独占権取得しようとした商標出願者もあほだけど、

区分みてだだっぴろいものが該当するはずなのに適当審査しかしてない特許庁もわるかったよね(たしか取り消しだっけ?)

説明してもらいたいんだけどさ、コナミ特許って、あれどこが「自然法則を利用して」るんだとおもう? 人為的とりきめちゃうの?

なんでカタンなどの新しめのボードゲームルールや知恵の輪は日本国特許とれないのにそれ電子化しますって一言つけただけで特許とれちゃうんだろうね?

 

あとこういうときだけ知財関係者がぞろぞろでてくるけど著作権ときだんまりなのどうして?

専権事項

ソシャゲ会社勤務だがそもそもソフトウェア特許有益なのか

KONAMIサイゲームス訴訟話題となっているが、企業が自社の利益を最大化するために行動するのは当然のことだと私は考えている。

これはもちろん任天堂コロプラ訴訟にも当てはまる。しかし、ITエンジニアとしてソフトウェア特許産業の発展に寄与しているのか、

あるいはアイデア保護として強力すぎないかという疑問がずっと浮かんでいる。ウマ娘パワプロと同じとされても、その議論不正

争防止法の範囲で争うべきではないかそもそも日本特許は「自然法則を利用した技術思想創作のうち高度なもの」と定義されて

いるが、特許庁の資料によれば以下のもの自然法則を利用していないため「発明」とは認められない。

2.1.4 自然法則を利用していないもの

請求項に係る発明が以下の(i)から(v)までのいずれかに該当する場合は、その請求項に係る発明自然法則を利用したものとはいえず、「発明」に該当しない。

(i) 自然法則以外の法則(例:経済法則

(ii) 人為的な取決め(例:ゲームルールのもの

(iii) 数学的な公式

(iv) 人間精神活動

(v) 上記(i)から(iv)までのみを利用しているもの(例:ビジネス手法のもの

https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/tukujitu_kijun/document/index/03_0100bm.pdf

多くのソフトウェア特許がこの(ii)あるいは(iii)に当てはまると私は考えているが、実際の特許請求項では、物理的なデバイス(例えばぷにコン

訴訟ではタッチパネル)や処理装置CPUで処理するという表現を使うことでデバイス扱いにする)などを絡めて申請が認められている。

私自身、これまでの業務特許訴訟に関与したことはないものの、数件の相手方企業からの問い合わせ対応や数十件の他社特許抵触していないか

調査法務と協力して行ってきた。

ハインリッヒの法則のように、1件の特許訴訟の背後には29件の企業交渉と300件の社内調査存在するのではないか

果たして、このような作業産業の発展に寄与しているのか、大いに疑問を感じている。

2023-05-18

anond:20230518001841

特許とは発明権利にした物。発明は「自然法則を利用した技術思想の<<<創作>>>のうち高度の物を言う」(特許二条

ちなみにコンピューター自然法則を利用した計算機だよ

で、どこが創作じゃないって?

anond:20230517235736

特許権にはうるさいのにUI特許にはクソ甘いネット民

自然法則を利用した技術思想創作のうち高度のものに当たらないとか、計算方法ゲームルール経済法則永久機関のような自然法則に反するもの自然法則自体(万有引力法則エネルギー保存の法則など)などは自然法則に当たらないとか、そんなことばっか言ってきやがる。

anond:20230518104444

法律には「自然法則を利用した技術思想創作のうち高度のもの」って書いてあるよね。ゲームデザインって該当するか?

anond:20230517235736

ゲーム特許なんて全部ただのデザインであって、「自然法則を利用した技術思想創作のうち高度のもの」ではないよね。全部無効だろ。

2023-03-15

生物がどうやって動いてるのか不思議でならなかった。

車がなぜ動くのかは簡単だ。人がエンジンを掛け、ハンドルを切りアクセルを踏んで動かしているから。

では、私が今腕を曲げようと思えば曲げられるのはなぜか?きっと脳がそうしろと指令を出したからだ。では、その脳はなぜ腕を曲げてみようと思ったのか?誰の指示を受けて?それは神様運命といったものではないのか?

高校生物基礎で、細胞内での色々な物質ミクロに受け渡され、それらのマクロ集大成として我々の活動があると教わった。

RNAの転写だの、核の分裂だのが行われているらしい。が、細胞には筋肉だとかいった複雑な機構はない。膜の中に液が詰まってあとは核とか諸々の粒が入ってるだけ。では、どのように動いているのか?

持ち上げたリンゴが上から下に落ちるように、砂鉄が磁石に引っ張られるように、そういった自然なモノの動きを組み合わせて動いているのか?では、誰が組み合わせたのか?誰がそんな複雑な設計図を引けたのか?何を起点に?

こんな条件があり得るものかは知らないが、生きている人間と内外に一切の損傷がない死体があったとして、その違いは何なのか?何が生物を動かしているのか?

最近になって、生とは受精した瞬間から始まる化学反応物理現象連鎖なのだと思うとすごく納得が行った。と同時に、生物とは現象なんだ、とも思った。

機械アナロジーで考えるのもナンセンスだったが、強いて言えば受精した瞬間がエンジンをかけられたようなもので、そしてワークスマシンのバイクにように一度止まったらもう二度と自力ではエンジンがかけられない。

偶然の産物か、宇宙人手土産か、神様意思か、何であれ、いつだかに生物という現象が始まり、その連鎖は今の所好調だ。

そして生物という現象は、突き詰めると物理法則化学法則といった言わば運命に従って動くだけの奴隷しかないのではないかとも思った。

メタフィクション作品において、キャラクター世界の「筋書き」を知覚し、運命を克服するなんて作品は多々ある。しかし、更にメタ的な事を言えば、それだって結局は作者の筋書き通りのフィクションなのだ

人間自然の中に法則見出し、それを制御支配しようとしてきた。ゆくゆくは、人の頭にあるブラック ボックスを解き開いて、この世の筋書きを知るのかもしれない。しかし、それもまた自然法則という運命にそうさせられているだけなのかもしれない。

そういうラディカルな問いを考えると頭がおかしくなりそうなので、程々のところでやめておくようにしている。自由意志信仰して生きていた方が幸せになれそうなので。幸せというのも結局脳内化学反応が……という考えを押さえつけながら。

2023-02-17

anond:20230216202750

戦艦大和」ね。「鶴瓶」の名前もあわせてちゃんとおぼえてあげてね。

あとアルキメデス本人は大昔に死んでるから

彼の発見した自然法則は数千年もちゃんと働いてるんだよ。

「お値段」を測定するための定理ではないけどね。(古代ギリシャ昭和の日本とで物の価格は違うのがあたりまえでしょ)

アルキメデスはえいね

2023-02-03

anond:20230203211738

そりゃーまぁせやなって感じ

結局ほとんどのルール人間勝手に決めただけだから

人間が決めたルール自然法則混同してる人もたくさんいるけど

2022-09-30

科学に対する弾圧エセ科学

大学生になったばかりの若者が必ずする行いは「科学とはなにか」とググることだ。そして「反証可能性」「科学方法」といったWikipediaの項目にたどり着く。もっと深く知りたいと思った人はさらなる文献を調べる。その知識に感化されすぎて、Twitter非科学的な(と本人が思い込んでいる)言論を見つけるやいなや「お前たちの言っていることはエセ科学だ」と言い始める。

この段階を、科学レベル1理解と仮に呼ぶしよう。確かに科学について全く興味のない、学んだことすらないというレベル0理解よりは進歩しているかもしれないがまだ「レベル1」である

レベル2理解とはどういうものになるだろうか。私がそれについて見解を述べる前に「レベル1を超えるためには」という自問をしてみてもいいかもしれない。

私が思うに、レベル2とは「自然法則発見しようとする態度」だ。どっかの自称サイエンティストは「汎化性能」とか「再現性」とかいうかもしれない。ただ、それらは「自然がどうなっているか」ということとは直接関係しているわけではない。単に、人間の仮説に対して統計というアプローチ採用しているだけだ。

科学統計ではないアプローチがあるとすると何なのか。そこがレベル2に到達するための関門と自分は思っている。ショーンキャロル教授は「宇宙とは、ヒルベルト空間におけるベクトルである」という仮説を述べている。それではこの仮説はどこから来たのか。それは、エヴェレット解釈オッカムの剃刀的に機能し、コペンハーゲン解釈よりも仮定シンプルであることから来ている。何かを統計的に判断するよりも前の段階で、まだ人間発見していない自然法則を見つけるためには仮説そのものを見つけるセンスが要るのだ。

そのような仮説の多くは数理理論から来ている。「物理学者数学現実混同している」と揶揄する人もいるが、私が今書いているような自然言語よりも数学のほうが簡単だ。賢いか数学を使うのではなく、我々人間が愚かだから数学を使わなければまともな仮説が見つからないのだ。

まりレベル2理解とは、数理モデル化によって、まだ見つかっていない自然法則に関する仮説を見つけることだと私は考える。物理学数理モデル機械学習モデルとは少し違う。機械学習モデル目的予測だけだが、物理学上の数理モデル現象理解することに焦点がある。ひも理論が「我々の宇宙物理定数の値がなぜこうなっているのかわからいから、あらゆる定数値が可能だと仮定してみよう」といって、10^500ものバリエーション宇宙可能であることを数理的に示しているが、このような「理論から演繹的に見つかった仮説」というのは汎化性能のことを目指したのではない。

そういう仮説に対して「反証不可能からエセ科学だ」と言う人もいるが、なぜ「反証不可能」だとわかったのだろうか。「数理的にこういう仮説が演繹された。将来的にそれが観測されるかもしれない」という想像力さえあれば、彼はレベル1理解脱出することができただろう。「科学エセ科学境界」というものについて科学者ですら認識が異なるというのに、何がエセ科学であるかについて100%の確信を持っているというのは、ケツの青い証拠である

しかし悲しきかな、そのようなケツの青い青二才、つまりレベル1理解のほうが圧倒的多数であり、またレベル0理解はその人数を超えている。レベル1理解の者(IQに喩えるなら100の者)から見れば、レベル0とレベル2は両方とも馬鹿に見えるものから、境目なく「エセ科学」と言って弾圧をし始める。

「その仮説を俺は疑っている」「その仮説は反証された」「その仮説は反証不可能である」「その仮説が反証可能なのかどうなのかはわからない」「その仮説は、特定仮定から数学的に演繹された」ということを少なくとも区別したほうがよい。間違っても「その仮説はなんとなくエセ科学っぽい胡散臭さを感じるから弾圧しよう」などという非科学的な態度は取らないほうが良いだろう。

2022-09-19

circulate daemons

<不満>

現実ってのは現状報告で、既に済んだ事。

それらは、これから自分が何をするのかを考える材料

現状に不満があるなら不満を持っている自分自身が何とかしねければならない。

不満を持っていない人が現状を変えようとする訳がないのだから

もし、その不満が自分自身ではどうしようも無いものなら諦める。

その不満を持つ事自体問題があるのかも。

元々どうしようもない事に対して不満を持つってのは訳分からんもんな。

自然法則に不満持たれてもしょうがないけど、

人がやってる事なら何がしか方法はあるでしょ。

でも、不満そのままぶちまけたってどうにもならないでしょうけどね。

2022-03-20

anond:20220310024603

文系コミュ力特化するようなカリキュラムなくて、

理系コミュ力低いとするならそれは日頃自然法則対話していて、人間もその一部のノリで対話しようとするとなんかおかしいぞってなるような

2022-01-24

学者不道徳であれ」というのはそれほど間違っていない

以下のツイートとそのブコメ着眼点一面的で残念だったので考えを述べる。

ツイート

@koshian

というか学者なんてのは真理探求のために一般よりずっと不道徳であることが認められたり奨励されたりするもんでしょ

道徳観念で固められてたら死体解剖も動物実験もできないっしょ

https://twitter.com/koshian/status/1485127978162229252

ブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1485127978162229252

不道徳であることを恐れる学者学問に対して不誠実だ。

学問哲学というものは新しい物事発見概念創造であり、

とき世間に対して世界観道徳観の変更を迫る。

その変更が主流派にとって受け入れられないものであれば不道徳批判される。

自由保障されない政治体制では弾圧されることだってある。

しかし主流派が受け入れられない飛躍的な世界観の変更こそが

パラダイムシフトと呼ばれるような重大発見であり、学者はそれを目指すべきだ。

 

中世神学的な道徳に反してコペルニクス地動説を主張したり、

ニュートンが地上も神の世界である宇宙も同じ自然法則物体が動いていると証明たからこそ、

素朴な感覚に反して実験と理性が導き出した世界観採用する科学という営みが生まれた。

それを継承して相対性理論量子力学遺伝学を生み出し、人類科学技術はここまで発展できた。

逆にソ連では共産主義的に道徳的なニセ科学あるルイセンコ農法を採用し、

大量の餓死者を発生させ、正当な遺伝学社達を投獄・粛清して生物学の後退を招いた。

学問のために不道徳であることを恐れない学者と、道徳のために学問を利用しようとする学者だったら

おそらく後者の方が問題を引き起こすであろう。そもそもそれは学者ではなく活動家だ。

 

では、学者道徳必要ないのか?

ダビンチや平賀源内時代は間違いなく解剖という当時としては非道徳で奇妙な行為必要だった。

現代だって治験という人体実験必要とする。

ただ現代では過去の失敗やいざこざがあってこういう手順でしましょうねって基準がある。

そういった基準を守る方が、世間理解を得られて研究資金得られるし、

手順が洗練されるから効率的安全学者本人のためにもなる。

そういう意味での道徳はあった方がいい。道徳的に不道徳学問をしよう。

2021-09-18

結論は無

エントロピーは増大するのだから

まり結論から論理的にとか言う奴は

大体が文系脳の低能

相手に要点をまとめて簡単に、

話して欲しいなら

自身要求自然法則

逆らっていることを自覚

どこまで凝縮させるか指定するべき

2021-07-14

小説は私に、他人にも「人生」存在することを信じさせてくれる

私が小説を飲むのは、自分以外の人間にも、自分と同じような「人生」存在するのを自覚するためだ。

というのは、自分以外の人間自分と同じような「人生」を持っていることに、いまだに納得できていないからだ。

だって、私が目を離した場所で、その人間が常に意識を持って生存しているとは限らないじゃないですか

彼らは私が目を離した瞬間にその機能を停止し、次回私と会う地点まで、自走か何らかの方法回送されているのかもしれない。

何なら、私が目を離した瞬間に、「職場上司」や「電車で会う見知らぬ人」なる人々は、溶解か風化でもして個々の分子に分かれ、

次回私と会う地点で、その場にある分子によって同じ物質比、そこに服装やら顔色やらのチェンジを加えて再構成される。

から、その「上司」や「見知らぬ人」は目を離した瞬間に別人であるのだ、なんてことまで考えてしまっている。

まり私は、自分以外の人間を、生活思考を持たないロボットぬいぐるみみたいな存在だと考えているわけだ。

なんで彼らのような存在が在るのかというと、きっと神様的な存在(それは、自然法則みたいな機能的な存在だ。

人格的に存在しなくても構わない)が、私の人生に何らかの働きかけを行おうとして存在させてくれているのだ。

いや、ここまで普段他人に話さない(他人が「ロボット」ならば、話す意味そもそも無いわけだが)正直な思いを吐露したが、これは妄想なんだ。

これが妄想でなくては、毎日苦痛を以て職場に通う意味が無くなるじゃないか

他人のために働く意味なんて無いじゃないか

から他人「人生」存在することを無理やりにでも納得しなくてはいけない。

自分人生肯定するために、他人「人生」を認めなくてはいけない。

それこそ、私が小説を飲む最大の理由だ。

たかも生きているかようなキャラクターを、物語の流れの中に見いだすことによって、

私は他人にも本当に「人生」存在するのだと誤魔化されようとする。

そんな態度で小説を飲むもんだから小説を飲む度に、他人にも生活存在することにたびたび驚いてしまう。

ましてや、感情があったり理屈を述べたり、なんだこの「ロボット」たちは!と混乱してしまう。

しかし、その混乱を抑えながら小説を読み進めることで、物語としての出来の良さに、

理屈でなく感情によって他人にも本当に人生があるのだと納得してしまう。

納得は理屈じゃなく感情なのだと思う。

そういえば、自分以外の人間が「ロボット」だと考えるのなら、こうして、他人に向けてその考えを書き連ねることに何の意味も無いだろう、

その他人は「ロボット」なんだから、その考えを受容する「人生」が無いんだろう、といったツッコミブクマトラバで受けると思う。

いやまあ、他人が本当に「ロボット」だったら、そんなツッコミも返ってこないわけで、私がそんなツッコミを心から期待しているのは、

私が他人「人生」を信じようとする萌芽なんだろう。私が妄想から解放されるチャンスなんだろう。

いや、そのツッコミは、私の人生への働きかけとして、つまりロボット」の機能として返ってくるのか?

ツッコミを行う人間「人生」の一行為としてツッコミが返ってくるのではなく、

ツッコミを行う機能が与えられた人間の一機能としてツッコミが返ってくるのか?

そこは考えれば考えるほどよくわからなくなってくるが、とにかく、そのツッコミ妥当ものだとは思う。

私の妄想を私がまともに信じているのであれば、他人に向けて考えを書き連ねるその行為に、自分日記ノートに考えをまとめる以上の意味は無い。

それでも、思考上の無理を押してでも書き連ねるのは、他人「人生」存在しないという考えが妄想なんだと自分に言い聞かせるためだ。

わざと、他人「人生」存在仮定した行為を行うことで、その存在を自らに信じこませているというわけだ。

なんなら、この文章小説だとするなら、あなたにも私に「人生」存在すると理解してもらえたでしょうか、とでも締めておこうか。

2021-05-17

anond:20210516175548

分かる人だけに分かる俺に隠された最強の力

異性から向けられる性的まなざし

実はそこにあるもののありがたみ(インフラ技術自然法則など)

2021-04-19

占いは信じないが「神様」を信じている。だから、日々の占いを好んで読む

占い手法はどれも胡散臭いと思う。

それでも私は日々の占いを好んで読む。

こう述べると相手は必ずその矛盾らしきを指摘してくるが、私の中では何も矛盾していない。

なぜなら、私は世界を統べる「神様」という存在を信じ、胡散臭い占いにも、その「神様」の意図が示されていると思うからだ。

さらに言うなら、「神様」には、世界自分の思う方向へ向ける何らかの意図があり、

学習付けとして、その意図に沿う人間には何らかの利益がもたらされると思っているのだ。

まり占い手法自体は信じないが、占いの結果に「神様」が好ましい意図を含ませていると信じているので、好んで読むというわけだ。

なお、世界を統べる「神様」を信じるということは、特定宗教を信じることとは全く異なる。

どちらかというと、重力だとかの自然法則存在を信じるのに近い。

なんでこの世界はこんな上手く回っているんだろう!と思うから科学者自然法則としてその仕組みを数式化するように、

私はそれを統べる「神様」の存在仮定し、それを信じているというわけだ。

から既存宗教施設である寺や神社教会にはめったに行かないし、宗教儀式にも特に関心はない。

ただ、宗教儀式ではなく宗教的結果、例えば、おみくじ神託なんかは好きだ。

それらはどうやって導かれたか不明瞭で、内容も抽象的でバーナム効果だとか馬鹿にされがちだが、

それでも、示されるのは「AまたはBまたはC」みたいな優柔不断さではなく、きっちりとした唯一の解だ。

そもそも社会には仕組みがわからないものはたくさんあるだろう。

から不明瞭さや抽象性は、おみくじ神託などを批判する要素にはならない。

しかし、再度繰り返すことにはなるが、私はそのおみくじ神託をもたらす宗教自体を全く信じていない。

ただ、世界にはその全てを統べる「神様」が居て、その存在おみくじ神託なりに

その好ましい意図を含ませていると信じているから、それを好んで読むというだけだ。

そういえば、「神様」の存在を信じる理由は述べたが、その「神様」が意図を持ち、意図に沿う人間優遇すると信じる理由を述べていなかった。

それは、「神様」がそういうゲームを行っていると思うからだ。

すなわち、「神様」は自身存在をあらわにせずに、占いだとか天気だとか偶発的なもの操作することで

自身意図にじませながら、自身の思う世界を作るというシミュレーションゲームを楽しんでるんだと思うのだ。

だって宗教の説く神様っておかしくないですか?

人間をある高みに導くために、この世界に降りて宗教言論を説いて人間馬鹿にされ、迫害された上で、

この世界から去った後も、たった一人でこの世界メンテナンスし続けるなんて、そんな慈善活動を誰が好んで行うというんだろう?

それだったら、「神様」はシミュレーションゲームとしてこの世界を楽しんでいるのだ、という理屈の方がまだ納得できる。

から、これまで述べてきた「神様」という存在も、わかりやすいからこの表現を使ってみただけで、

宗教が説くような、人間を高みに導く存在というよりは、モルモット操作する実験者というのが私のイメージに近い。

なんなら、「神様」という言い方が気にくわなければ、「実験者」とでも言い換えてもらってもいい。

そうすれば、占い意味も改めてわかってもらえるだろう。

占いは、シミュレーターであるこの世界に、実験者が隠れた意図を示すためのコマンドひとつというわけだ。

それなら、実験者としては、その意図合致すれば、この世界存在がそれを学習するために好ましい動機付けをするはずだ。

から胡散臭いだろう占いを私は信じる。

占いの結果としてではなく、ゲームコマンド、つまり実験者の意図として信じるのだ。

私達にはその結果が偶発的に見えるからこそ、占いには実験者の意図を潜ませる余地があると私は信じているのだ。

最後一言

神様」が自らの存在をあらわにしないのは、ゲームとしての楽しみを保つためだ。

神様」が自らの存在を明らかにして、自分とこの世界関係を述べれば、この世界人間は確実にそれに従うだろう。

しかし、それではもはやチートモードであり、ゲームとしての難しさは消え、興を削ぐ。

から、「神様」は自分存在を消しながらこの世界を何らかの方向に向けるという、回りくどいゲームを続けているのだ。

そういや、興を削ぐと述べたが、本当に「神様」がゲームとしての面白みを感じなくなったら、この世界はどうなるのだろう。

そんな不安を感じながらも、今日占いを読み続ける。

2021-02-19

anond:20210219143644

古典先生おしえて!

古典は、なぜ義務教育の科目なの?

まぁ自国の古の言葉から国民として学ぶべき」とか精神論なのかな。愛国心の育成とかなのかな。

例えば、理系科目は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」とかで納得。

社会は「組織機能させるため、他国と競うため」とかで納得。

現代文は「他社とのコミュニケーションのため、論理的思考力を養うため」とかで納得。

では古典は?

「故きを温ねて新しきを知る」はその通りだと思う。

けど、一次情報に各個人アクセスする必要あるか?翻訳された文で十分じゃないか

文化の発展」のためか?

もちろん歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化だと思うよ。でも義務教育でやるほどなのか?趣味レベルじゃないのか。

古典の代わりに、法律情報処理のが国民必要教養ちゃうんか?

古典を学ぶことは意味がないとは思わないが、学ぶ人数が多すぎると思う。

(と、書いていて思ったけど、そんなに学習時間多くないか?)

---

(追記)

義務教育って書いたけど、高校も含んで。履修する人多いから!

mazmot 国語教師の中に勘違いしてるのが多いけど、国語科は基本的英語と同じ語学教育古文は、現代語を理解する上で役に立つ。ただ、漢文に関してはねえ。 https://mazmot.hatenablog.com/entry/2017/04/06/233342 2021/02/19

かに現代語を学習するときに、由来や成り立ちとして古文が登場するときあるかも!

素人としては、そんな説明なくてもよいと思うけど、言語学者的には必要という判断なのかな。

B2igwzEE 「理系科目」「社会」というくくりのなかに義務(+高校)教育必須かどうかで議論の分かれる要素はあると思うが、なぜ国語だけを細分化して考えるのだろう

大分類でも、理由共通して記載できるからまとめて書いているんだよ!

下記みたいに個別に書いても同じだよ!

化学は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」

物理は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」

国語を細分化しているのは、物事理解するためには、階層や項目に分けて問題点特定していくためだよ!

primedesignworks 現代文の「〜の気持ちを答えよ」の方が余程無駄時間だと思う。著者は登場人物でないから正解が不明問題よりも、古文漢文は正確に読めるかの方が多いから楽。ぼくは、古文漢文のお陰で国語の点数が成り立ってた。

「〜の気持ちを答えよ」は「〜の気持ち文章を基に論理的に推測せよ」と質問しないとだめだよね!

mats3003 お前ら、科学の基礎研究に対する発見に「それは何の役に立つんですか?」というマスコミ質問小馬鹿にするくせに、学校教育については平気でこういうこと尋ねるんだなwww

どういうこと?

基礎研究に対する「何の役に立つの?」には、「医療分野の新薬の開発に役立つ可能性がある」とか「暗号化アルゴリズムに応用できる可能性がある」とか説明できるし、しているよね?

理由があるなら、それを答えればいいんじゃないの?

結局、古典は何で義務教育対象なの?

jminmin 人文系の基礎体力みたいなものからじゃないの。歴史学にしろ文学しろ数学語学と一緒。

そうなんだ!

「人文系の基礎体力」となる理由をおしえて!

例えば、数学は「化学物理などの自然法則定量化して原理を利用するために使われる」とかみたいな感じで!

takinou0 古典やらないと日本人過去に考えてきたリソースアクセスできないからじゃないかな。明治よりも前の話が読めなくなると思う。 誰かに翻訳して貰えばいいじゃん、というのは英語も同じこと言えちゃう

古典必要理由」じゃなくて「古典義務教育対象となっている理由」を知りたいんだよね!

英語は、英語の文献はリアルタイムで増えていて、自身で一次情報アクセスするメリットがあるよね!

古典は、新たな文献が発見されたとして、量はたかが知れていて、専門家翻訳すれば足りるよね!

ぜんぜん同じことは言えちゃわないね

take-it 文法を事細かにやるより、言葉の変化や文化の変遷、逆に変わらない人間精神を学んだり、長年読みつがれてきたものを読む、原点に当たるという学問的態度こそが、古典の授業で大事だと思う。

言葉の変化や文化の変遷」:それをまとめた結果を読めばいいんじゃないの?

「逆に変わらない人間精神を学んだり」:現代文翻訳文じゃだめなの?

「長年読みつがれてきたものを読む」:精神論的なアレ?

「原点に当たるという学問的態度」:英語を修得したほうが効果大きいよね!

caps_lock 巨人の肩の上ではないのかも知れないけど、文学社会でも我々は積み重ねられてきた何かの上に立っている。その何かを学ぶのは義務教育としてそう的外れではないのではないかと思う。

「その何かを学ぶのは義務教育としてそう的外れではないのではないかと思う。」この理由説明してほしいんだよね!

まり古典を学ぶ」→「●●●という作用がある」→「義務教育として必要」って説明してほしいんだ!

about42 漢文を知って英語見直すわかるぞ感がある。こちらは語学しろだとしても、現代語訳だけで原典を読める技術を与えなくていいって、有史以来から行方正でとプロパガンダきてもファクトチェックもできへんぞ?

漢文を知って英語見直すわかるぞ感がある」:ストレート英語勉強したほうが効果大きいよね!英語を修得するために、その補助のために古典義務教育としているの?

有史以来から行方正でとプロパガンダきても」:ちょっと何言ってるかわからないです!

ファクトチェック」:古典ファクトチェックで具体的にはどんな文献?それって専門家がいれば足りることじゃないの?

2020-12-16

マア、何を読んでいらっしゃるの。

から顔を上げると、コオヒィを運んできた女給のマチコが本を覗き込んでいる。

これはフェニミ神という古代オリエント神の言葉をまとめた本で、現在まで続くフェニミズムという神秘主義原典にあたるのだ、これに後世の学者解釈文をあわせて、一般的にはディルドオと呼ばれているのだよ、と私は講釈をぶったものである

この小さく爪で引っ掻いたような痕が文字なのねえ、と彼女はコオヒィをテエブルに置きながら不思議そうに眺める。

これはシュメエル語と言って、古代の人がもともとは粘土に刻んだもので、後の世代宗教思想儀式を記録するために使われたのだ、人類歴史の中でも最も古い言語の一つだが、それを使って書かれたディルドオに現れている思想は、きっと君でも驚くような先端的なものなのさ、と私はますます得意になってまくしたてる。

すごいわねえ、フェニミズムって、どんな思想なの。

ひとことでいえば、徹底した自然法則の崇拝だね。人権などというもの存在しない。すべては自然が司っているという思想さ。人間勝手に作り上げた「思いなし」を洗い流して極限まで自然に従って生きるようにすれば救済が待っているという思想さ。

ふうん、ちょっとよくわからないわねえ。

まり人間がそれぞれ自然に定められた動きに従って生きよということさ。それに従えば女は産む機械から、どんどん性交してどんどん子を産むがいい、だが母子愛情とはじつは人為的ものから、作った子供を必ずしも愛情を持って育てる必要はないということさ。現代日本でも赤ちゃんポストというものがあるらしいが、古代にはもっと進んでいて、男も女も育児院という場所自由子供を置いていけば、あとは国家が大量に子育てを行っていたのさ。そこに来て子供労働力として買っていくこともまた自由だった。

それならなんだか私にもわかる気がするわ。最近もっと自由になって、ここではないどこかに行ってしまいたいって、思ってばかりいるのですものマチコは隣に腰掛けて潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。

扉が開いて、詰襟制服学生たちが入ってくる。我が物顔で奥に陣取ると、ウインナアコオヒイなどと大声を上げている。マチコは立ち上がって注文を取りに行った。

窓の外を見ると、灰色の空にまた雪がちらつきはじめていた。

2020-07-07

ゲームの独占権はほとんどない

https://twitter.com/yonemitsu/status/1278132426615611392

ブクマだと文字数に限りがあるからこっち

・まず脳内ルールブックだけができた状態アイデアの独占権はだれも絶対保護しない。できるなら「あの映画はオレが5歳のときに見た夢として独占権がある」っていいだすやつが続々出てくる悪夢からね。

・「保護してほしい、金がいらなくても敬意だけでもほしい」のならその国の政府法的根拠を出させる努力大前提。いら●とやさんのような善意の(業界にとっては悪夢の)フリー素材多いから。医者だって敬意もらうのに医師法つくってニセ医者占い師瀉血から自分たちを守ったでしょ。

・ちなみにゲームとおなじくらい独占権がない(敬意ごと搾取され放題)のがJ系タレント自分顔写真さえ自由にできない。これも肖像権法的根拠が相当薄いからだ。写真著作権のほうが強すぎる。あともとめる敬意の幅がひろすぎまとめきれなさすぎてまだしばらく法制化できないだろう。

・で、ゲームメーカーは敬意をもとめるなら戦わないといけない。そしてどのルール(=ゲーム)で戦うかを決めないといけない。

・新しいことを考えた努力(=アイデアの新しさ)とを盾にするのなら産業4法が強い。中国産類似ゲームも輸入できなくなる。

自然法則を利用して新しい思想をつくったらゲームへの敬意を特許権で守れるが、ゲームてのはたいてい人的ルールである。知恵の輪特許日本基準だとヤバい。(例外ビデオゲームの、描画処理速度・品質の向上や、つかいやすいUIの実現など純粋技術的な部分はガンガン特許になってる)

・新しい美的センスを加えたデザイン工業デザイン)は意匠権でまもれるので、カード独自デザインなら守れるが、デザインを買えた派生ゲームまでは防止できない。(画面デザインこっち)

商標権タイトルマークを守る。「はぁっていうゲーム」というフレーズだけをロゴ化して守る。響きが似ていても守れるし万が一新しくなくても使用が盛んならどうにかなる。

・次に強いのが著作権法。一番独占しづらいが求めるものに一番近くはある。「改変権」や「著作人格権」を侵害されたと訴えればおそらく現状のままでも勝てる。ルールブックの記述特に特徴としてみとめやすいだろう。ただし教育無料転用していいときめてあるのも著作権。よくよめばその場合人格権移転されないとか教科書場合補償金払うとかいろいろかいてあるから一番最初につつくべきはそこなんだろう。無駄になっても。

・ところではぁっていうアイデアは本当に新しいのか。演劇学校だのガラスの仮面だのですでに演じ分けとして訓練をやっていたのでは? 自然発生的にカードにしていたかも。最初にいった「●●という映画のあらすじは僕が5歳のときに夢でみたもので」という後出しジャンケン妄想やろうと同じ論理を振りかざしてないか

・新しく作られるゲームの中にも特許でまもれる、意匠でまもれる、商標でまもれるもの、いろいろある。アイデアの塊だろうということは部外者から想像がつくが、苦労した新しさがどこにあるかがゲームによって全く違うので一様なアドバイス専門家でもむずかしい。本歌取り関係もいりくんでいるだろう。リバーシオセロとか(知るヒトぞ知るが外部からみたら同じもの)。それは自分たちボードゲームカードゲームメーカーとして業界内の整理たとえば標準化や許諾ルートづくり、勉強会や共同登録会といった努力をしたりして世間要求していくべきだとおもう。薄い本みたいに!薄い本みたいに!赤松健みたいに!あるいはボドゲカドゲ版JASRACだのをつくるとしたらなにが足りないか考えればわかりやすいかもしれない。

一番たりないのは「一発屋」でおわらないだけの君たちメーカーの遵法意識だとおもうよ。許諾もしてないのにパクり類似ゲームがでても訴えないで悲しいですっていっておわるじゃん。悲しいですじゃねえだろがよ。もっとひどいと不勉強から知りませんでしたって有名ゲームとおなじルールで盤面だけちょこっとおしゃれにしたのを美術系の若いヒトがつくってくるとか。それ「悲しみ」で押しつぶすの?乱戦たのしい?どこまではなれればようやく古典と違うと認めるのか、とか、似ていることはわかった上でどういうライセンス手続きをとれば古典と似ていても市場に出して売っていいか、といったことをしっかりきめないで市場判定にまかせるからそういうことになる。

ツイッターで流したお願い」を教育者なり中国人なり外国マネっ子メーカーが守ってくれるとおもったら大間違いだから

法的根拠を揃えた上でどんどん訴えて(侵害警告書と請求書くらいは出して)いこ

国内競争にまけてたら国際競争にはとても勝てないよ

学術論文とおなじ

追記

https://anond.hatelabo.jp/20210706021144

あと不正競争防止法電子ゲームにはかなりフォローするようになったからそれも考慮しなね

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