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はてなキーワード: チャールズとは

2020-04-26

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれ白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあい台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズ化石彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれ化石などを作り出し、ベリンガー化石採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかし化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しか調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は共謀罪有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ケンペレンの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡りアメリカなどで大金を稼いだが、1854年火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、ルイ・ド・ロアン枢機卿を巧みに騙して首飾りの代理購入をさせ、王妃に渡すと言って受け取った首飾りをばらばらにして売りさばいてしまった。その後、事件が発覚して伯爵夫人逮捕された。かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。また「王妃はラ・モット伯爵夫人同性愛関係にあった」「この事件王妃陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアム戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアム父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女インド洋島国王女ラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女メアリー・ベイカーという家政婦で、架空言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ポヤイス国(1822年)

イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地役職通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーフランス高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュアヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人化石捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見たかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人化石見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハル観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい新聞記者から取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石捏造されたものだと断定された。捏造犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝艦隊見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざい変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当ものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アルバニア王オットー1世1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した。ただし、そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られており、新聞などでは人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報は「元アルバニア王オットー1世」に対するものだった。

アーン・マレー(1943年

オーストラリア現代詩誌『アングリーペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるセルから送られてきた。『アングリーペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派詩人であるジェームズマコリーハロルドスチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメものだった。この事件によりオーストラリア現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品シュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界から多額の寄付が集まり居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論特集に、アランソーカルから寄せられた『境界侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

2020-04-05

坂本龍馬大草原の小さな家の父さん

まり坂本龍馬チャールズインガルスのことなんだけど、龍馬が1836年1月3日生まれチャールズは1週間後の1月10日生まれって知ってた?俺は今知った。

もし龍馬がインガルス家を訪れてたら、エドワーズおじさんばりに、ローラと仲良くなってただろうな。

2020-03-27

anond:20200327204032

ボリスが死のうとチャールズが死のうとお抱えの製薬会社がガッポリ儲かればいいみたいなのが王道陰謀論なのでは?

ハグもするしハンカチで鼻かむしそんなものなんじゃないの

しろ加藤橋本岳がその後ケロっとしてるところに選民的な闇を感じるけどな

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2019-10-26

"チャールズ・ガンネル"

1 件 (0.30 秒)

絶対居ない名前を考えよう! | ガールズちゃんねる - Girls Channel -

https://girlschannel.net質問雑談

2019/07/08 - 匿名 2019/07/04(木) 12:28:52. 味乃本美味子. +0. -0. 151. 匿名 2019/07/06(土) 00:15:06. >>7 じわる‼ +0. -0. 152. 匿名 2019/07/08(月) 07:17:03. チャールズ・ガンネル. +0. -0. コメント投稿する. トピック投稿後30日を過ぎると、コメント ...

2019-10-24

anond:20191024164713

悠仁ちゃん最近グレ始めているらしい。


← ほう、そうなのかい? それじゃあチャールズちゃんの後追いだなw お仲間だねww

2019-06-05

無敵の人」に対して矛盾煽りを繰り返す人の心理状態名称

ってなんかあるの?

無職時代に俺のことをサンドバッグ扱いして楽しんでた自称友達がいたんだけど、引きこもり無職事件引き起こしニュースになるたびに「お前は親を殺す」とか「お前は親に憎まれてる」とか真剣な顔で煽りまくってきた。

多分俺が精神疾患になることを望んでいてそういうことを言ってきてたと今でも思う(彼女ができてやむなく就職したとき祝福されるどころかブチ切れられたし。ていうかつい最近彼女レイプまがいのことやらかしやがった。未遂だったけど)。

で、実際に俺はこの自称友達精神攻撃ダイレクトに病んだんだけどマジで自分通り魔とか親殺しになっちゃうんじゃないかって気になって震え上がってた。

実際のところ、別に世間は俺に興味ないし、両親は「病んじゃうくらいなら仕事する気になるまで家にいればいい」と寛大なスタンスでいてくれていたので被害妄想甚だしかったんだけど、当時は自称友達があまりに煽ってくるから仕舞いに自分は殺すか殺されるかの末路なんだって本気で思い込んじゃった

(ちなみに、今考えれば親のスタンスは「俺という人間にとって」物凄く妥当で、愛に溢れてて、そのおかげで今俺は健康毎日を送れてるわけだからひたすら有り難かったんだけど、この当時、自称友達は俺をせっつかないでいる両親のことをボロカス言ってたな。「本当にごめん。ご飯つれてってもらったりしたし親切だし本当にお前のご両親は大好きなんだけど言わせて。ゴミ野郎どもだな」って)。

そういうわけで「無敵の人」的未来約束されたものだと妄信した俺はすっかり疲れ切って、ある日、いつものように「もしお前が親殺したら〜」とか「でもお前が救われるのは通り魔くらいしかないだろうなあ…」とかさも悪気ないというスタンスを守りながら煽ってくる自称友達に対して、

マジで最近そういうリアルな夢ばっか見る。本当に秋葉原加藤チャールズホイットマンになったみたいなリアルな夢見るようになってる」と告白したら途端に顔を真っ赤にさせて

「てめえみたいな腰抜けに人殺しなんてできるわけねえだろ!!!wwwwwなに!?通り魔しちゃいそう!?リムリムリム!!!陰キャなのに『通り魔しちゃいそう』、『親殺しそう』wwwwwうわー強えよこいつ強えわ!!!!wwwww」

みたいにずーっとずーっと鬼の形相でバカにされ続けた。めちゃくちゃ不愉快だったみたいで怒りまくってた。

無職のお前は通り魔になる。お前は親を殺す」

そう執拗煽りまくったその口で

「てめえみたいな雑魚陰キャ人殺しなんて大層なマネできるわけねえだろ!!!!」

身の程をわきまえろと激昂する。

人間心理上のこういう類の矛盾に対してなにか科学的な名付けはされてるのだろうか?

ネット上でも無職に対して完全に同じような矛盾煽り(ゆうちゃんは親を殺すwww→てめえらみたいな陰キャ殺人なんて大それた事〜)をしてくる連中は数多くいたので、ある意味では人間生理現象が表出した結果の矛盾なんじゃないかと疑ってる。

ちなみにこの自称友達は先日自殺した。

エリートだったのに。

2019-05-10

anond:20190510113728

日本人男性より英国人女性のほうが身体強健なのかチャールズくんが全部やってるかだろうな

不合理な拷問的な徹夜祈祷などもなさそうだし

2019-01-18

近藤麻理恵と本に関する議論に潜む無視できない階級意識人種差別

原文:https://www.bustle.com/p/the-marie-kondo-books-debate-has-classist-racist-undertones-that-cant-be-ignored-15796044

近藤麻理恵は一冊目の本である人生がときめく片づけの魔法」が2014年アメリカ出版されたときから社会現象であり続けている。「日本の片付けと整理の術」を詳しく記したその本は、コンマリ・メソッドまたは「Kondoする」と呼ばれる、持ち物に触ってときめきを感じる(it sparks joy)かで判断する片付け法を誕生させた。しかし、やはり近藤の人気が急上昇したのはNetflixで「近藤麻理恵とお片付け」(邦題:KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~)が放送されてからだ。ところが、この人気の急上昇により本にまつわる予期せぬ騒動が発生した。著述家であり「We Need Diverse Books」(多様な人種の子供に向けて本を与える活動をする非営利団体)の創設者の一人でもあるエレン・オーを含むSNS上の大勢の人々によれば、近藤への反発には明確な人種差別と階級意識の要素が含まれているという。Bustle(訳注:原文の掲載サイト)はオーにコメントを求めた。

韓国系でありながら子供時代日本で過ごし第一言語日本であるオーは次のように語る。「近藤麻理恵への反発が発生してからというもの、ずっと意図的に誤解している人々に嫌な思いをさせられています最初文化の違いのせいかと思いました。特に翻訳によって生じる問題についての意識のなさです。アジア言語英語とはかなり違います。どうやってもうまく翻訳できない言葉もあります」。ところが、オーが「人々が意図的近藤を誤解している」と確信するに至るまで長い時間はかからなかった。

すべての始まりはこうだ。Netflix番組の第5話で、近藤若いカップルが本を片付けるのを手伝う。番組の中で、そして著書の中で、近藤コンマリ・メソッドで蔵書を片付けるやり方について広く語っている。Deseret News記事に書かれた近藤が語ったことの要点はこうだ。読んでいない本や、いつかもう一度読むかもしれないという思いにとらわれている本がたくさんあるのなら、それは捨てるべきだ。また近藤は、もしほんの一部だけにときめきを感じるのであれば、一部のページだけをちぎって残すことも薦めている。

Twitter上での否定的な反応はすぐに発生した。

小説家アナカナ・スコフィールドはすぐさま近藤の本を捨てるやり方にSNSで憤慨したうちの一人だ。スコフィールドは「近藤麻理恵だかコンマリだかの本に関する意見に耳を貸すな」とTwitterに書いた。他の利用者たちもすぐに続いた。そのうちの一人であるジェニファー・ライトは「この女はモンスターだ」と既に削除されたツイートで記した。このツイートは「理想的には蔵書は30冊未満にしましょう」という吹き出しが書き足された近藤写真に対する返信として書かれたものだ。ワシントンポスト掲載された書評家のロン・チャールズの「近藤麻理恵よ、おまえのトキメキお片付けは私の本の山には無用だ」をはじめ意見記事もいくつか出た。

しかしこの「理想」の蔵書数は30冊というのは、いったい何なのだろうか?この数字は、近藤コンマリ・メソッド自分の家を片付けたときに使ったものだ。「人生がときめく片づけの魔法」で、近藤自分の蔵書は30冊にするようにしていると書いている。しかし、近藤は誰もがこの30という数字を使うべきだと言っているわけではない。重要なのは近藤は一度も本をすべて捨てるべきだなどと言ったわけではないということだ。Refinery29のインタビューケイト・ムンロは近藤に、ガラクタの山や、本で破裂しそうな本棚ときめきを感じる人はどうすればいいのかを尋ねている。近藤は次のように答えた。

家がちらかった状態でもそれで本当に快適なら、それは良いことです。なにもおかしくありません。その上で、それぞれの物に決まった場所を割りあてたり、それぞれの物がどれくらいの量あって、必要な量はどれくらいなのかを把握したりすることをおすすめします。こういう意識を持つことは大事だと思います


オーは、アナカナ・スコフィールド近藤についてのツイートの後で書いたガーディアン誌の記事を、自分意見に合わせるために近藤言葉意図的に誤解している例の一つとしてあげている。「ときめき(spark joy)という表現が過剰に強調されていて、その言葉近藤が本当に伝えようとしていることが置き去りにされています」。「ときめき」は実際には喜び(joy)と同じ意味ではなく、鼓動や興奮や動悸を意味する。この基本的なことさえ理解すれば、本は喜びだけでなく挑戦や動揺を読者に与えるべきだというスコフィールドの主張が無意味だということがわかるだろう。「ときめき」という言葉意味するのは、本が読者に挑戦や動揺を与えてそれが良い反応をもたらすのならとっておくべきだということなのだ。

オーはさらライトが削除されたツイート近藤を「モンスター」と呼んだことについて言及する。「意図的な誤解は、近藤の助言はそもそも片付けをしたいと思っている人に向けられたものだという事実から目をそらすことから始まっています。片付けをしたくないなら、助言に耳を貸さなければ良いだけです」

近藤への反発は、近藤の流暢でない英語や、独特の言葉かいからかうことまであらゆることに及んでいます」とオーは語る。「ときめきという概念を笑いの種にするたくさんの画像を見て、私の両親が話す片言の英語意図的に誤解しておちょくってきた人たちのことを思い出さずにはいられませんでした」

今回の本を片付けることについての議論には、ある種の特権も絡んでいるとオーは語る。

階級意識エリート意識、たくさんの収納がある大きい家に住めるという特権。私には近藤への反発が何を根拠にしているのかはわからないけど、反発している人たちが特権的な立場にいるということはわかります」とオーは言う。「たくさんの本を持っていなければ賢い人間だとは言えないというエリート意識経済的階級意識です。かつて貧しかたころ、私が持っていた本は10冊もありませんでした。だから図書館は私にとって安らぎの場所だったんです」

以上の点について声を上げているのはもちろんオーだけではない。Twitter利用者ジョナー・ヴェンは一連のツイートで、コンマリ・メソッド本来目的に対する一般的無知についてこう書いている。「コンマリへの批判ネタ画像は、アジア、とりわけ日本文化や影響への無知により、目立たないが本質的人種差別的なものだ」

近藤への反発の人種差別的な側面についてSNS上で反応している人々は他にもいる。作家カットチョーツイートで「有色人種モンスターと呼ぶのはやめてください。既に社会の隅に追いやられている人たちを、人でなし扱いするような言葉を使わないで」と書いた。そして著述家ピューターセレステは「アジア人の女性を不当な理由からかうことに何の意味があるんだ?近藤麻理恵じゃなくてマーサ・スチュワート相手だったとしてもこれ以上続けるのか?違うだろう」とツイートした。

かに、本を捨てるという行為一部の人々にとってかなり感情を動かされるものだし、本の一部をちぎると図書館学校非営利組織などに寄付して役立ててもらうこともできなくなる。しかし、とどのつまり近藤の助言に対する反発は、近藤とは関係がない。むしろそれは、一部の読書家が、自分読書家としての自意識を維持するために必要だと考えている、本を所有するという行為近藤侮辱したという誤解に基づく怒りなのだ

近藤を支持している読書家もたくさんいる。Twitter利用者アレクサンドラダンカンツイートで「驚くかもしれないけど、図書館員として家の本棚コンマリ・メソッドで整理することを100%支持します」と書いている。

しかしたら年明けは、物理的な片付けについてだけでなく精神的な整理についても完璧な時期なのかもしれない。読者の皆さんも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれ本棚のものと、本に書かれた内容とどちらにときめきを感じるのか、自分に問いかけてみてはいかがだろうか。

2018-12-18

anond:20181218151736

エレベーターのほうが千年以上先輩らしいけどエレベーターはいからエレベーターと呼ばれていたのだろうか?

エスカレーター呼称のほうは最初期、こんなふうにブレていて面白い

リボルビング・ステアズ(revolving stairs)」 ネイサンエイムズ 1959年特許だけ。動かない。

ステアウェイ(stairway)」 レモン・ソウダー 1889年

エンドレス・コンベア(Endless Conveyor)」 ジェシー・W・リノ 1892年

インクラインド・エレベーター(inclined elevator)」 ジェシー・W・リノ 1896年 ※初めての動作するエスカレーター

チャールズシーバーガーが1900年エスカレーター(escalator)」 の商標を使って製品販売し始める。

シーバーガーのオーチス社が商標権を取得する。

1950年ホートン・エレベーターとの商標権争いの末、オーチス社が商標権を失う。

https://en.wikipedia.org/wiki/Escalator

2018-12-08

ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション

ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション について、いろいろな人がいろいろな価値判断がくだしていると思う。ここではなるべくそういったことをせず、主に筆者が気になった部分のみについて思ったことを書き留めておく、いわば個人的備忘録である。それらはハイエボ1、もしくはこれまでのシリーズ作品を突き詰めればわかることかもしれないし、ハイエボリューション3への伏線かもしれない。

当然のことながら、ネタバレありきのエントリであるので未見の方は注意してほしい。

誰の物語――ハイエボ1とは何だったのか

ハイエボリューション3部作であり、それぞれあるキャラクターを中心としたストーリーになっている。普通に考えればANEMONEは当然アネモネがメイン、そしてハイエボ1はレントンがメイン、となるだろう。しかし、ANEMONEにおいて明かされたある真実によってハイエボ1という作品意味を反転させた。

その真実とは、これまでのエウレカセブンシリーズが、実はレントンを喪って絶望したエウレカの見た夢だったということである。これにより、ハイエボ1はレントン物語であると同時に、レントンの思い出を反芻するエウレカの心の中の物語でもあったことがわかるのだ(個人的には、ハイエボ1は単体で好きな映画だったため少しショックではあった)。

ここである画像を見てほしい。ネット検索で「ハイエボ」などと調べると出てくるであろう。左から順にエウレカアネモネレントンの顔が描かれた画像である。これは、ハイエボリューションという企画が発表された最初キービジュアルだった記憶がある。それはさておき、この画像を見るとわかることがある。そう、「2017公開 ハイエボリューション1」の文字とともにあるのはエウレカの顔なのである。そして、ハイエボリューション2はアネモネの顔、3はレントンの顔のとセットになっている。

以上を考えると、ハイエボ1がエウレカ物語である、ということはあらかじめ決まっていたことなのかもしれない。かもしれない、という言い方になるのは、ハイエボ1を単体の映画として観ると、やはりレントン物語からである

とはいえ制作過程でいろいろあったという考え方もできる。ハイエボ1はエウレカ物語にするつもりだったが、様々な事情によりレントンの話にせざるを得なかったのかもしれない(余談だが、昨今アニメというコンテンツが、いか資本に歪な形で介入されているのかということを知らないで物を言う人が多いように思う)。

どちらにせよ、エウレカセブンシリーズにおいて、エウレカレントンという存在は切っても切り離せないものであり、ハイエボ1はどちらの物語なのかを考えることに意味はないのかもしれない。

金色の闇とデューイノヴァク、そしてスカブの卵

アネモネが何回目かのダイブで初めてエウレカ接触し、エウレカ石井賢の死に際を再現したシーンの最後であるエウレカの体に赤い電撃が走り、「金色の闇」に押しつぶされてしまう、というようなことを口走ったはずだ。金色の闇とは何なのか?

一方、ANEMONEに登場する、ASSIDに拘束されているデューイノヴァクの目隠しが取れるシーンがあったと思う。その目は黒い白目(なんとも矛盾した表現である)に金の瞳であった。

そして思い返せば、テレビシリーズにおいてアドロックダイアンレントンたちが邂逅するシーンなどは金色を帯びていた。

さらに、ANEMONE終盤でデューイノヴァクが「我々は受肉した!」と叫んだときの目は、金色ではなくコーラリアンの目であった。

以上のことが指し示すことととはなんだろうか?そういえば、アネモネ石井賢の思い出の場所ススキヶ原は「金色の海」だった。何か関係があるのか?

いろいろ考えてはいるのだが、長くなりそうだし、まだ整理がついていないのでここでは疑問の提起にとどめておく。

話は少し変わって、卵のことを考えたい。

ANEMONEのほぼラストスパートにおいて、空から降ってきた謎の卵を破って、ニルヴァーシュZが出てきた。ところで、ハイエボ1にも同じような卵が出てきたのに気づいただろうか?

サマー・オブ・ラブのシーンである。若きデューイノヴァクがサマー・オブ・ラブの爆心地で奇跡的に生きているわけだが、そのあとに出てくるのは割れた卵のようなものに入ったKLFがある(このKLFはもともとデューイが乗っていたものに見える)。

果たしてこれは何か。

ハイエボ1と共通するものとしては、赤いリボンのものもある。ハイエボ1では、これまたデューイシルバーボックスシステム確認しに行ったとき、急に赤いリボン状の何かに飲み込まれた(これが卵の素?)。ANEMONEでは、エウレカセブン暴走怪獣になったところで、ゲオルギウスが赤いリボンのものに飲み込まれそうになっていた。

赤いリボンと謎の卵。スカブに関連していることはわかるが、それが何を意味するかまでは筆者にはわからない。

シルバーボックスとは結局なんなのか

ところで、前節においてシルバーボックスという言葉が出てきた。しかしこのシルバーボックス、混乱している人も多いと思う。どうやらハイエボ1のシルバーボックスとANEMONEでエウレカが言うシルバーボックスは、何か共通するところはあるらしいがまったく同じものではないらしいのだ。

ハイエボ1のシルバーボックスは、アドロックの開発したスカブコーラルを倒すための音楽兵器であった。

しかしANEMONEでは、エウレカシルバーボックスに触れたことにより何か能力を得て、それが暴走してレントンが死んでしまい、エウレカの夢が始まるということになっている。

そしてデューイによるとシルバーボックスの力というのは「神の力」らしい。

さらデューイラストスパートでこんなことも言っていた。卵から出てきたをニルヴァーシュZを見て、「依り代をなくした神の力は、自らそれを作りたまう」と(うろ覚えなため正確ではないかもしれないが、おおよそこんな感じだったと思う)。

ということは、である。まず神の力=シルバーボックスの力は、やはり並行世界を行き来する力なのだと思う。そして、エウレカがその力を失ったいま、ニルヴァーシュZがその力を持っているだろうと思われる。

とはいえハイエボ1のシルバーボックスとの関係はまだよくわからないところもある。そもそもハイエボ1のシルバーボックスには謎がある。シルバーボックスは司令クラスターに着弾したが、うまく動作していなかった。そこでスカブちゃんと繋がっていないのだろうと思われ、デューイホランド派遣されたのであるしかデューイが確かめにいくと、なんと物理的に繋がっていたということがわかるのだ。

正直なところ、よくわからない。アドロックはきっと何かに気づいていたのだとは思うが……。

最後レントン

ANEMONEの最後最後は、レントンで終わる。しかし、その最後レントンは一体何者なのか。

アネモネ最初エウレカセブンダイブしたとき石井賢が取り付けた発信機は、ニルヴァーシュレントン側のコックピットで光を放っていた。つまりレントンが目印かつ、エウレカセブンの中心なのである

そして、そんなレントンはことごとく死んでしまう。それがエウレカ絶望である

だが、最後レントンは死んでなどいない。いったいどこの世界レントンなのだろう?

アイドルとしてのアネモネと謎のフォント

ANEMONEが公開になる前から分かっていた情報のなかで、最もよくわかってないものの二つが、タイトルにも挙げたように、アイドルとしてのアネモネと謎のフォントである

アイドル問題のほうは比較的わかる。ハイエボ1の予告のような形ではなかったが、ANEMONEでは実際、アネモネ世界を救うアイドルになっていた。そういえばラストスーパー6がエウレカセブンから出てきていたし、もしかするとハイエボ3においてよりアイドル的な、つまり歌って踊れるということをするかもしれない。

だが、ハイエボ1の様々な箇所にアイドルアネモネが写っていたことの意味はよくわからない。

もっとよくわからないのが、フォントである

ハイエボ1の円盤にて見ることができるPV0にて、EUREKA SEVEN HI-EVOLUTIONと思われる文字列が変わったフォントで出てくるカットがあるだろう。このフォントは、ANEMONE中にも出てくる。

筆者が気づいたのは二点しかない。実際もっとあるのかもしれない。

ひとつは、ゲオルギウスの側面。もうひとつは、喫茶店みたいなところにかかっている絵画の中。

果たしてこのフォントが何を意味しているのか、まったくと言っていいほどわからないのである

ANEMONEという映画

結びに、ANEMONEの終わりにも言及しよう。

ANEMONEをエンドロールまで観ても予告がないことにガッカリした人もいるかもしれない。果たして予告はあえて作らなかったのか、様々な事情で作れなかったのかはわからない。しかし、このことによりANEMONEはこれまでのエウレカセブンとはまったく異なったものになったと解釈できる。

これまでのエウレカセブンシリーズとまったく異なるものでありながら、それらを否定しなかったわけにするでもなく、すべてを受け止めて包括していく。

ANEMONEという映画は、そういう強度をもった作品だと思う。

触れられなかったことは多々ある。

たとえば、ミーシャ意味深な「あったことをなかったことにする。編集って最低の行為よね」発言

ANEMONEラストシーンで現れたゲッコーステイトの面々やチャールズレイたちはいったいどこの並行世界からやってきたのか(ANEMONEの舞台現代からゲッコーステイトの連中の恰好はかなり目立ちそう)。

デューイはどのような経緯で半身になってしまったのか。

並行世界をつなぐキューブ(っぽいが)、もしくは結び目のようなもの(ANEMONEに出てきたかはわからないが、ハイエボ1のサマー・オブ・ラブのシーンではキューブが結び目に変化していた)は何を意味するか。

からないことは多いが、ともかくハイエボ3が待ち遠しい、ということに尽きると思う。

追記

思っていた以上に反応があって驚いた。

それはさておき、ネット上で、これまでのエウレカセブンシリーズエウレカの見た夢だ、というのではなく、並行世界なだけだという意見を見た。これに関しては、上では特に何も述べなかったが筆者はこう考えている。つまり、少なくともシルバーボックスの力を得たエウレカにとっては、夢を見ること=並行世界を行き来するということである

そもそもコーラリアンであるエウレカにとって、人間と同じように「夢を見る」ことはできるのかどうか、わからない。ましてやシルバーボックスの力を得たエウレカにとっては。

筆者は何も、これまでのエウレカセブンシリーズがすべて、人間主人公アニメでよくあるような「夢オチ」だったのだと言いたいのではない。むしろエウレカの見た夢=並行世界並行世界として存在しており、ただしエウレカにとっては、レントンが結局死んでしまうからその多くの並行世界を受け入れられなかったため、普通人間にとっての夢と変わらないものだった、と言いたいのであるシルバーボックスの力とは、マルチプライズだかセブンスウェルだかが起きて(このあたりの用語も、筆者はあまり整理できていない)そういった並行世界への扉を開き、干渉できる力だと思う。

これまでの文章を読めばわかると思うが、筆者は無責任に思いつきをダラダラ述べているだけであり、文章推敲などいっさいしていない。そのため、これまで述べたことは相互矛盾していたり、論理がごちゃごちゃしていて結局何を言いたいのかよくわからなかったり、誤字・脱字がおおいにあるだろう。見落としや、勘違いも多々あるだろう。現に、主題歌PVを見ていたら、「受肉した!」と叫んだときデューイノヴァクの目は、コーラリアンの目などではまったくなかった。最後にそれを注意しておく。

2018-07-01

本来そういうバレバレの嘘を掘り下げてネットリンチする集団範囲外だから

https://anond.hatelabo.jp/20180701104345

今、炎上してついに自宅周辺まで諜報活動食らった主婦のなりきりしてたハゲおっさんとか

AKB名前も聞いたことないような下っ端をナンパして食った武勇伝をよりにもよって2ちゃん披露してクビにまで追い込まれ消息不明になった元陰キャかいたじゃん

そういう連中に興味がない世界からってだけじゃない?

ハゲオッサンだってネトウヨになるまでは誰も気にしてなかったわけで

経歴詐称したって絶対にバレるしチャールズトーマスくんも

英語全く喋れないと嘘がバレて三下り半突きつけられたか逆ギレ殺人事件に発展したって経緯だしね

2018-06-28

hagexチャールズトーマスくん

その気になれば人殺すことなんてなんとも思わない無敵の底辺相手に煽って小銭を稼ぐなんてハイリスクローリターンな商売してて恐らく今年、世界で一番しょうもない死に方をしたhagex

たった60日足らずでバレたとはいえ、超がつく上級国民世間知らずのお嬢様経歴詐称で騙くらかして変×プレイまで仕込むことに一時期でもフェアリーテイル成功した三鷹ストーカー事件チャールズトーマスくん

なぜかhagexの死に様を見るたびに彼を思い出す

学歴、生い立ち、経歴、知力、体力ともに対照的なこの二人、どちらが有能だったんだろうか、と

2018-06-20

チャールズヘンリー・ダウ(1851-1902)とハーバートヘンリー・ダウ(1866–1930)

ダウ平均株価のダウとダウ・ケミカルのダウは別人だったのか

2018-06-13

清朝時代フランシス・ゴルトンについて若干の考察

進化論チャールズ ダーウィンの従兄弟であり、

優生学近代統計学の父と呼ばれている。

ダーウィン思想的影響を受けて、

優秀な男+優秀な女=より優秀な子供と考えた。

http://d.hatena.ne.jp/fhn/20151020/1445321234

彼は身長について慎重に統計データを1000組の新調した。

結果は 高身長男+高身長女=高身長子供ではなく

高身長男+高身長女=親より低身長子供

身長男+低身長女=親より高身長子供

という意外な結果に。当時に新調があったら、おお喜びで雑誌記事にしてたんじゃないかな。

2018-05-23

非モテ その存在意義

チャールズは観察を続けるうちに、繁殖に参加しない雄が存在することに気がついた。産まれてくる時点では雌雄の比はほぼ等しいが、繁殖に参加する個体の性比は少数の雄に対して多数の雌という構図が存在するのだ。

なぜ繁殖に参加しない個体が出現するのか?資源の浪費であり、種の存続に不利なのではないか

疑問に思ったチャールズ実験を行った。その結果明らかになったことは、繁殖に参加しない雄は、成熟した生殖器をもち、妊孕性があるということだった。一方で繁殖に参加しない雄の子孫にも正常な雄が出現した。

結局、チャールズ繁殖に参加しない理由を明らかにできず、「生理的にも解剖学的にも、僅かな差異さえも発見されなかった。したがって、何らかの心理的理由によって繁殖を避けていると考えられる」と結論づけた。

当時は増田には極めて限定的学習能力と僅かな語彙があるだけで、人間のような精神意識があるとは考られていなかった。そのため、チャールズの主張は科学者のみならず宗教家からも厳しく批判された。はてはチャールズ子供がいないことを揶揄して、チャールズ匿名日記をつける風刺画掲載する新聞も現れる始末であった。

2018-04-29

anond:20180428175436

映画ショーシャンクの空に

ストーリーの流れは概ね原作通り(スティーブン・キング)。ただエピソードの追加が多数あって、これが良い。スパイス以上のものになっている。原作を読むと物足りなく感じてしまう珍しい作品

 

映画『シャンドライの恋』

10ページの短編小説ジェイムス・ラスダン)を約90分の映画化。設定の変更はあるが別物と言うほどではない。表情、音楽カメラワークなどで心の揺れが表わされている。映画しか表せないものに仕立て上げられた素晴らしい作品

 

映画ポテチ

伊坂幸太郎の中編小説を70分の映画化。同作家の他作品からエピソードの借用あり。『アヒルと鴨のコインロッカー』も大変に良かったけど『ポテチ』も好き。なぜかと問われてもうまく説明できないのだが、好きなんだ。

 

アニメ『Just Beause!』

アニメ脚本が先にあって、後から小説化(鴨志田一脚本も同じ)されたので正確には原作本ではないのだが、とにかくアニメが良かった。そして、原作本発売のタイミング完璧だった。

 

映画大いなる遺産』(アルフォンソ・キュアロン監督のもの

原作チャールズディケンズの有名な小説ストーリーの大枠は同じだが、舞台現代に移したための少々の改変はある。素晴らしく美しい作品統一感のある色使いや流れるようなカメラワーク映画ならでは。

2017-10-02

テロリスト」という職業はない ~近現代テロ組織テロリストを例に挙げて解説

最近ではレッテル張りのようになってたり、アニメ漫画じゃまるでテロリストなんていう職業技能があるかのような勘違いをしている人が多いか大学時代研究論文を要約して書いてみようと思う

まず第一に、テロリストという職業はない、厳密にいえば、テロリスト仕事とした場合、その仕事成功したら、それはもう「テロリスト」とは呼ばれないからだ

例としては毛沢東チェ・ゲバラフィデル・カストロレーニンといった「成功した人たち」がこれに当たる

これを見ればわかるが、レーニンは「政治家」だし、毛沢東は「軍閥(軍事勢力)の指揮官」だし、ゲバラカストロは「ゲリラ部隊指揮官」で、軍事的政治的技術技能テロリズムに活かしただけで、テロリストという職業が成立する「専門技能」というのはないということがわかる。

第二に、世間一般に一昔前想像されたテロリスト像、これが一番テロリストというステロタイプに近い、冷戦時代テロリストたち

例えばPFLPイスラエル軍と正面戦闘で戦えるだけの立派な「軍事勢力」だし、赤い旅団日本赤軍、その他イタリア「鉛の時代」のテロリストたちや、ETAIRA、80年代まではテロリストといえば、PFLP系かIRA系のイメージが強かったが、これらもPFLPソ連から直接訓練や支援を受けて動いたスパイとして育てられたエージェントだし、IRA暫定派やバスク祖国と自由テロ技術ルーツは、第二次世界大戦イギリスが編成した「SOE」のノウハウが元というのだから、彼らは「スパイ」や「破壊工作員」であって「テロリスト」という技術ではなく、スパイや準軍事的技術テロに応用しているだけである。(超有名な「カルロス・ザ・ジャッカル」も、パトリス・ルムンバ名称民族友好大学スパイ破壊工作員として訓練を受けた超万能のコマンドエージェントであって、その技能テロに応用してソ連支援を受けて動いていただけである

※余談だが冷戦時代舞台映画漫画で「ソ連テロリストとしての訓練を受けた~」という元ネタは、このパトリス・ルムンバ名称民族友好大学で行われたパルチザンスパイカリキュラムのことを指す

あとはIRAに至っては、全盛期のその9割近くの日常業務が、違法煙草違法薬物の密売パトロールと称したみかじめ料徴収、地道なイギリス軍への諜報活動裏切り者スパイ摘発捜査・そして裏切り者処刑暗殺と、過激暴力団とやっていることはたいして変わらない、では暴力団IRAテロ組織といわれる違いは何か?

これはもうただたんに「目的」の違いでしかない、IRA自治権議会設置の要求が最終目標で、それが達成すれば一応は武装闘争放棄して市井市民に戻った。

暴力団思想的背景はなく、恒常的に犯罪行為で金を設けてる営利団体から暴力団である、それが政治的目的かそうでないか重要で、やっている技術のものはたいして変わらないのだ。

そして現在吹き荒れるテロも、テロリストたちの大半はイスラム国戦闘員かその訓練を受けて母国に戻ってテロ事件を起こしている形で、youtubeなどでイスラム国の訓練映像を見ればわかるが、どこの軍隊もやっている新兵教育の内容で、その軍事技術テロに応用しているという形である

唯一「バックボーン」の存在しないローンウルフテロリストというのも最近多くなってきているが、アメリカ統計によれば、ローンウルフテロの6~7割が軍に身を置いていた経歴があるので、その技術テロに応用しているにすぎないということがわかる(余談だが残りはスクールシューティングテロリスト等で、彼等のバックボーン競技射撃である、たまに連続狙撃事件や銃撃テロにもこのバックボーンタイプがいる)

繰り返しの結論になるが、結論としては「テロリスト専門の技術ノウハウ存在してそれを準拠テロリストというクラス職業のようなものがある」という認識は誤りで

軍隊式・警察式・競技式といった技術バックボーンとしてそれを応用してテロを起こした者がテロリストと呼ばれているだけ」ということである

少しでも理解を深めることが、テロ根絶の第一歩になると思うので書いた次第である

余談…銃や爆弾を使ったテロの傾向について

ゴルゴ13映画LEON」などのイメージで、テロ戦術として狙撃ポピュラーというイメージがあるかもしれないが、実はこれは大きな間違い

FBI統計では、テロ暗殺事件に分類される銃犯罪の内、57%が「拳銃で至近距離から撃たれる」というのが殆どで、35%が「自動火器小銃による無差別乱射」で、残りにようやく狙撃のロングキルが入るほど、テロ暗殺において狙撃は使われなかったりする。

理由としては、7.62ミリクラスであっても、一発で即死させようと思えば、発射から30m以内のところまででないと、それ以上は急所キレイに当たらないと、重症にはなるが即死する確率はぐんと減るからである(国内の事例を挙げれば昭和の頃に自衛隊で起きた自動小銃乱射事件の時は、至近距離で撃たれた隊員は即死、その後ろの隊員は弾丸が貫通して重症(後に全治)でさらに後ろの隊員の体内に弾丸がめり込み重症(後に全治)というものなどがある)

イスラエルモサドや、イスラム系テロリスト、70年台のIRAが多用したように、車爆弾や時限爆弾ターゲットが近づいたところを爆破するという方法が、唯一「テロとしてのみに特化した手法」といえるであろうか。

追記

狙撃有用ではない」という意見も出たが、厳密にいえば暗殺テロにおけるステロタイプ狙撃というのは、ハッキリ言って非常に困難で準備に手間がかかるから選択されないというだけである

まず狙撃銃というのは、かなり高価な部類に入るうえに、たった1~2発を撃つためだけに、狙撃ポイントを下見して、ターゲットの行動や予定を下調べをして、逃走経路から時間帯まですべて指定、手配した上で、それが本当に予定通りにいくかもわからない中で、狙うというのがそもそも無理筋なので、フィクションの中での話が大半だ、というのがFBIアメリカ軍テロ研究見解といわれている。

テキサスタワー乱射事件チャールズホイットマン(M70に1-6×32スコープ搭載)や、近年起きたDCスナイパー事件(AR-15クローンに、ホロサイト、フォアグリップタクティカルライトを搭載)のように、立て籠もったり、徘徊しながら無差別狙撃をして回るというというものならいざ知らず、こういったステロタイプ狙撃での暗殺事件は、史料上ではケネディ大統領暗殺事件しか存在していない(それもほとんど推測の域を出ていない)からだ。

その上でも、チャールズホイットマンがあれだけの殺傷ができたのは、長距離特性を合わせた30-06弾というライフル弾をしようしていたからであり

アサルトライフル標準的な実包というのは、実は5.56ミリでさえ、弾道特性上150mくらいで重症は負わせられても即死は難しいという結果がある(初速がそれだけ低下するうえに、ヨーイングといって風邪で左右にずれていくからだ)

そもそも暴力を背景とした行為脅迫生業として行うから職業テロリスト存在するというのなら、日本国内の最大のテロ組織山口組ということになるし

ヤクザは全員テロリストということになるかと言われれば全くそうではないという簡単な話である

「くぎを打つのに斧を使う馬鹿はいない」し「馬と鹿が似ているから馬も鹿も一緒というわけがない」ということである

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