はてなキーワード: もう一歩とは
核家族化して親戚活動が少なくなったことで、身近に結婚している若い夫婦がいないというケースの一方で、ネットのステレオタイプにまみれた不幸な結婚論ばかりが溢れている。
そのため「食わず嫌い」みたいなことが起きている
そこで、ごくありふれた結婚している若い夫婦の例を紹介したり、話を聞いたり、家族の短い旅行に同行したり、家に遊びに行ったり、と言う付き合いを通して、結婚というものを身近に感じてもらうと言うプログラムがある。
これは結構有効らしく、受講した人は結構早い段階で結婚して子供を作っているそうな。
ズバリ恋愛学としていて、ガチで単位がもらえるところから、コミュニケーション学として軽いスクールとしているところまで様々だが、きちんと順序立てて恋愛とはなにか、家族とは何か、結婚とは何かを教えると言う活動をやっている大学がある。
中にはもう一歩踏み込んで、共同の合コンみたいな合宿を用意しているところもあるとか。
社会問題として捉えて、高校生までだとなかなか教えづらい部分(生殖に適した年齢の話など)もタブーに切り込みやすい大学の良さをいかしてやっているらしい。
①前の2人組(日本語分からなそうな外人)が何を発券するでも無く、ちょっとのゴタゴタの末案内されて行った
②入口横に何かの発券タブレットは見えたが、「テイクアウトが云々」って文字が真上に見えたのと明らかに入店を察知した店員2名(どちらも忙しそう)が何も言わなかったので、入口横に避けてただ待つ
③後から来た人が入口で戸惑ってたら「発券してお待ちください」って言われて自分より先に発券
④しょうがねえなと思いつつ発券したけど待ってる間にイライラが募って行ったので退店
で滅茶苦茶イライラしててあと一歩で店員にキレかかる所だったんだけど、今別の店でモーニング食べながら考えると②でどうすりゃ良いか聞けば良かっただけで、自分の予想と違ったからってキレそうになるのもう一歩でクレーマーだなと思い認知が下がる将来が怖い
わかる。みてればわかるだろ。
でもそれは一観客としての自分だ。
国が同じでも格ゲーとか。ちょいちょい挑発しぐさを入れるのはそれでゲージためてるとか、やってみないとわからないことがものごとにはたくさんある。
それを事前に知りたい人もいるわけだ。
もう一歩ふみこむと、観客としては見るともなくみて流すシーン、
つくるとなるとどうやればこんな表現ができるんだろう、すんなり入ってくるようにするには?となやんだりする
だから言語化してくれるというのはけっこうありがたいものなのである
ただ「不穏なシーン」といえば済むことなのに「死ぬ!ほら死ぬ!」と騒ぐのは
こどもっぽいというかうざいので実際のところあまり見ないけど。
悪いけど、ちょっとオエッてなる。
大きい方がよいみたいな意図が見えて、嫌になる
大切なキャラなら、デカい胸を押し付けずに平均的なカップ数の胸にするべきだろうに
まあ楽しいんだろうね
本当にやめてほしいって思うけど、この傾向は変わらないだろうなぁ
漫画雑誌でもさ、グラビアの女性は胸を強調するし、あれもやめてほしい
そうじゃなくて、胸をアピールするのはなんかもう古くない?
そんなに胸が好きか?という話だよ
俺は漫画が読みたいのに、表紙がグラビアだからどうしても目に入ってしまう
話は好きでも胸がデカくて辛くなる
たとえばさ、僕ヤバとか
もっと小さくしてほしい…
あんな色気いらないんよ…
でも作者さんは好きでやってるんだし、仕方ないんだろうけどさ
個人的にはあの胸の大きさが雑音になってる
でも大きい方が読者も喜ぶし、Win-Winなんだろうなぁ
あー胸が大きいのが良い世の中なんて、生きにくい世の中だ
(追記)
寝る前に勢いで書いた増田がホッテントリ入りしててびっくりした。
一つ釈明させてもらうと、僕ヤバは初期は胸大きくなかったんだよ
https://mangacross.jp/comics/yabai/1
それがいつの間にか大きくなってて、こんなキャラだったかな?と感じるようになってしまった
やっぱり胸が大きい方が人気が出るのかな、商業誌だから仕方ないのかな、なんて思ってた
僕ヤバは大好きな作品なんだけど、そこがちょっと引っかかってしまってる
とにかく言いたかったのは、胸が大きい方が人気が出るみたいな傾向がある気がして、
自分のような大きいと引いてしまう層もいるってことが書きたかったんだ
その方が話にも集中できるしさ
ごめんなさい。筆者男です。嘘ではありません。
女と思った方は間違っています。
証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています。
(また追記)
俺は女だったのか・・・
匿名の相手の性別を間違えることは、誰にでも間違いはあるので仕方ないです。
でも、匿名とはいえ、他人をきちが◯とか犯罪者呼ばわりするのは流石に一線超えてませんか?
考え直してください。
続き
NTRジャンルはAV界でも盛んだが、これをもう一歩踏み込んで実践的にやろうという試み。
まず、特定の推しを定め、その女優さんとアダルトVRで徹底的に親しくなる。
動画だから先方は親しくなってくれない。だが、同じ女優さんのVR動画を繰り返し見ているうちに、自分のほうには特別な愛着が芽生えてくるだろう。
なのでVR作品はなるべく彼氏彼女という立ち位置がはっきりしたイチャラブ系がよい。ほかにも妹系とかオナサポ系とか、心理的親密度が高い作品ほど望ましい。逆に、風俗系ナンパ系や家出少女、ハーレムものなど心理的紐帯の弱いものは向かない。
(2D作品でもできなくはないだろうが、アダルトVRは立体的な主観映像なので、特定の女優に対する愛着を育む力が2D作品よりはるかに強い)
実際にVR動画を見ながら会話を交わすのも効果的だ。「○○ちゃん、また会えたね」とか、問いかけに返事をしたりとか。
これを真剣にやっていると、そのうち推しがAV女優・セックスワーカーという記号を脱ぎ捨て、自分の中でひとりの女性になる。そうなると、推しが服を脱ぐだけでめちゃめちゃ興奮するようになる。
さて、キスをしようと迫って来られたら狼狽するくらいまでに感情移入が仕上がったら、推しの2D作品を鑑賞しよう。
言うか迷ったけど、言うね。
逆に悪魔だと思ったのは赤い羽根の透明なベストを着たボランティアさん。
被災して避難所生活の中、毎日同じものを食べてる老若男女のど真ん中でほか弁的なものを談笑するボランティア集団。
子供たちが食べたい、お腹減ったと狂ったように泣き叫んでいる中平然と食べてる光景を見て、本気でこの人たちを殴り倒してお弁当を奪っても許されると思ったよ?
ちなみに自衛隊の人は仮説トイレの裏でこそこそアルファ米食べてました。
この人たちに暖かいお弁当を届ける費用になるなら募金しないと決めたから。
ボランティアさんにお伝えしたいんだけど、気持ちはありがたい。
ただ、被災して心が荒んでいるからちょっとの事が気になるんだよ。
だから衣食住自分の分を確保して行くだけじゃなく、もう一歩踏み込んで気遣ってほしい。
わがままかもしれないけど、災害を体験した個人の話をちょっとだけ頭の片隅に入れて欲しい。
https://twitter.com/BWm7LDaUhfW1TPC/status/1742500737421381770
嫌なことがあったわけではないが、死にたい、という漠然とした悩みがあった。
正確な時間は覚えていないが、夜にその気持ちがピークに達して、死にたい気持ちが頭を支配した。
本当に死んでしまったら大切な家族に迷惑がかかるから、死ぬ前に誰かに相談して、思いとどまろうと思った。
死んだ後もお金がかかってしまうから、というのもあるし、私と違って私の家族はいい人なので、家族の力不足のせいで私が死んだとか思われるのは嫌だった。
私は、自分の内側の大切なところを声に出して話そうとすると喉が詰まってなにも言えなくなる。電話相談しても、きっとなにも話せないだろう。無言の時間が続いて、結局何も話せず切ってしまったら、相談を受けようとしてくれた人や、私が話していたせいで話せなかった私よりももっとつらい人に申し訳ない。だから、文章で相談できる場所を探した。
まず、前から入れていたオンラインカウンセリングのアプリを開いた。オンラインカウンセリングは、どこも料金が高い。仕事をしておらず、親に面倒を見てもらっている私にとっては、すごく高い。こんなものなのだろうけど、3回のやりとりで数千円とか、何回もやりとりするなら月に二万円近く払うとかは、私にとっては高かった。このお金を払うとしたら親だ。親に迷惑をかけたくないから他の誰かに相談して解決したいのに、それをするために親に迷惑をかけていたら本末転倒だと思った。借金して未来にお金を返すとしても、中学のころから週五日、あるいはそれ以下の日数で学校に通ったりバイトしたりしようとしてはすぐに通えなくなって引きこもっているこんな私に、それができる保証はない。カウンセリングが成功して踏みとどまれるかもわからない。
だから、お金を払ってカウンセラーに相談するのは一旦諦めて、無料だった、AIを使って自己分析する機能を使った。相手が人間でなくても、気持ちを吐き出したら冷静になれるかもしれないと思った。スマホ代を払わせるのも申し訳ないと思いつつ、機能を使わせてもらったが、あまり落ち着けなかった。私の問題を解決するにはおそらくこのAIでは力不足なんだろうと思った。
厚労省のサイトから、並行して無料相談できるサービスにメッセージを送った。三か所。「込み合っていて返信に時間がかかる」と返ってきて、30分経って、一日たった今も返信はない。
25:30になって、死にたさは膨れるばかりで、声が出なかったとしても、電話相談するしかないか、と思って、24電話相談する場所に二か所電話をかけたが、どちらもつながらなかった。
なんだかテンションが高くなってきていた。そもそも大して不幸な出来事があったわけではないし、いつも頑張って仕事やら勉強やら家事やらをしている優しい両親やきょうだいを持っているという幸福な現状で、働けもしないのになんとか実家の一室で生かしていただいているくせに、死んでしまいたいとか思っている自分勝手な私に、他人の手を煩わせる価値はないと言われてるみたいに感じて、そりゃそうだ!と愉快になった。
でも、やっぱりつらいものはつらいな、とも思った。
もし、私が自殺したら、過去、困った顔で「みんな大変なのは同じなんだから」って言ってきた人に、その「みんな」の中でも、もう一歩つらかったというか、死ぬくらいにはつらかったんだよって、信じてもらえかな、信じてもらいたいな、という気持ちが強くなった。愉快で元気な気持ちのまま、裸足を靴に突っ込んで死ぬために家を出てみた。
どこかで踏みとどまらなきゃ、という理性は残っていたし、まだ返信が来る可能性もあったから、スマホだけは持っていった。充電は20%で、途中で切れたらいよいよ死んでみようかと思った。死ぬ方法についてはあんまり考えていなかった。考えたら本当に死ねてしまうので、考えないようにしていた。
夜風が冷たくて寒くて、空は曇っていて星が見えなかった。とりあえず、まっすぐ、行けるところまで、引き返す気が起きるところまで進もうと思った。
家のすぐそばの坂をずっと下っていけば、踏切がある。ここで立ち止まって轢かれてみたいな、いやいや、どれだけお金と迷惑がかかる思ってるんだ、こまでイカれてはいない、なんてやりとりを自分の頭の中でしながら通り過ぎた。終電は終わっているから、電車が来るわけない、ということに気づいたのは、引き返し始める少し前くらいだった。24時間電車が走っていたら、自殺者はもっと多かったかもしれないなと思った。
踏切をすぎて、ずっと進むと工場地帯にさしかかった。煙突から煙がもくもく出ていて、まだ働いている人がいるのかしら、働いているなら、本当に尊敬するな、と思った。働いているすべての人がうらやましくて、ヒーローみたいに見えた。
T字路になって、ずっとまっすぐ、ができなくなったので、とりあえず左に曲がった。クラピカを思い出した。次の十字路は右に曲がった。また左に曲がったら、家の方に戻ってしまうからだ。
左、右、と交互に曲がりながら進んでいたら、川にたどり着いた。広い河川敷に降りてみた。下流に進むと人が多い場所についてしまうな、と思って、左の、上流のほうに進んだ。
川を歩くころには、今引き返したら、家族が起きる前に家にたどり着いて、家を出た事実をなかったことにできるな、とか思うようになっていた。引き返した方がいいのはわかっていたけど、進んだ距離が自分の辛さの証明になる気がして、歩けるまで歩いてみようと歩き続けた。
筋肉痛と靴擦れで足が痛くなって、河川敷から上がってベンチに座った。
そのころには、もう帰ろう、という気持ちになっていた。もし自分が外にいる間に家の人が起きてしまったら心配をかけてしまう。そのときもし私が死んでいたらすごく悲しくなるだろうし、周りの人に何を言われるかわからない。死んでいなかったとしても、家を出たことを知ったら迎えにこようとしてくれるだろう。どう転んでも申し訳ないから、もう帰って、家を出たことすらも最初からなかったことにしてしまおう。
ようやくスマホを開いて時間を見たけど、一時間くらいしか経っていなかった。歩いた距離も、直線にすれば、最寄駅の次の次、二駅先まで来た、くらいの距離だ。
自分の辛さなんて、二駅歩いたら小さくなる程度なんだ、本当に大したことないな、と少し面白く、少し残念に思った。自殺を試みる人にはきっと到底かなわない。
ところで、「みんな辛いんだから、比べるものじゃない」と言葉は、比べるな、と言いながら目の前の人とみんなを比べているよな、ということは、行く道で何度か考えたことだ。
その日はほとんどなにも食べていなかったから、お腹がすいていた。駅の近くに行って、コンビニにでも寄って、なにか食べて、線路に沿って帰ろうと思った。
24時間のコンビニには、年配の男性店員と、若い男性店員がいて、客も順番に数人入ってきていた。店員さんはもちろん、この時間にコンビニに買い物に来ている人も、みんな偉いな、と思った。
商品を選んでるとき、年配の店員さんが、レジでうとうとしていて、深夜3:00になっていたし、そりゃ眠いよな、体大事にしてほしいな、と思った。
甘いものでも食べようかと思ったが、なんとなく贅沢してはいけない気がして、焼きそばとおにぎりが入った250円くらいの弁当と、爽健美茶を買った。お金は、申し訳ないことにもらっていたお小遣いと、かつて一瞬バイトしていたときのお金を貯めた銀行口座のものを使った。2万円くらいしか入っていないので、カウンセリングを満足いくまで続けるにはちょっと足りないけど、コンビニで安い弁当を買うくらいなら十分だ。スマホのバーコード決済をしてから、レジ袋が必要だと言い忘れていたことに気づいて、もう一度5円のレジ袋を買うためにバーコードを当ててもらって、申し訳なかった。嫌そうな顔をされなかったのは、店員さんが私に興味がないからか、私が泣き続けていて顔を腫れさせていたからかどっちかな、とか自意識過剰なことを思った。
駅のベンチで冷たい弁当を食べた。ヤマザキパンのトラックがコンビニの前に止まって商品をおろしていた。働いているすべての人に敬意を感じているので、やはり尊敬した。
コシの片鱗もないぷつぷつ切れる焼きそばと、鮭フレークと青菜のおにぎりと、ケチャップがかかったコロッケ。どれも誰かが作ってくださっているもので、とても美味しかった。寒い外で冷たい弁当を食べたので寒かった。
爽健美茶をちょっと飲んで、ゴミを持って、線路に沿って帰った。
帰り着いたのは午前四時すぎだった。Twitter(今はX)を開いたら、偶然起きている人がいて、私の数時間前のツイートにエアリプしていたので、エアリプで一時間くらい元気に会話した。創作で繋がった人だ。創作と、好きな漫画の話をした。漫画は、タイトルを挙げようかと思ったけど、こんな人間が推しているのが申し訳ないので伏せる。(さっきクラピカの名前を出してしまったけど、そっちはミームだからいいとする。)きっと相手はついさっきまで会話している相手が死ぬために家を飛び出していたとかは思いもしないだろうな、と思った。インターネットの、そういうところが好きだ。
5:00くらいにその人が寝たので、靴擦れで血が出ていたが放置して寝た。
13:30くらいに起きて、親と会ったけど、深夜に家を出た話はできなかった。
Twitterのおすすめ欄に、はてな匿名ダイアリーが流れてきた。なんとなく調べてみて、匿名で日記が描ける場所なのだと知った。
資格取得を目指す系の学部だとまずはここから始まることが多い。
理系の大学でも、1,2年などの基礎的な科目は何があってもこれかなあ。
これは修士(大学院の博士前期課程)以上ならこれ。ただしたくさんなんて書けないので、「ちゃんと書く」の方じゃないかな。
ただ、修士課程ではない普通の大学生も、卒論のために研究活動の真似事をやるので、それを自分で調べて、どうやって「答えが無い」事を調べてまとめていくかと言うやり方を学ぶ事になる。
ならないですね。こう言う勘違いしてるアホいるけど。
ゼミナールはあくまでも続けている研究行為の進捗会議みたいな役割である事が多いのでは。
足りません。大抵の大学の授業は、授業の3倍以上の自習をすることを前提にカリキュラムが組まれている(と言う建前)になっています。ちゃんと自習しましょうね。
これは「大学生という身分が使えるのは4年しかないが、バイトはその後でもできるだろ」と言う意味だと思います。
色々な説はあるだろうけど「教科書にない専門的な事を自分で調べ自分で学ぶ方法」がメインじゃなかろうか。
あるいはもう一歩進んで、「大学生」って看板を使って色々とやってみることまでいければよい。例えば若手の社会人がそれなりに名が通った人に話を聞きたいとか言っても門前払いだが、大学生だとスッと受け入れてくれたりすることがある。
地方国立大とかだと結構看板がバカにできなくて、いろんな事ができるから、それを最大限利用することもできたらいいんだろうと思うけど、まぁ卒業してから気付くよねそういうのw