はてなキーワード: 憐れみとは
サバイバーつっても、小学生の頃に兄の友人に体をまさぐられたり写真を撮られたくらいで挿入はされなかったんだけど、その頃の写真を見るとフラッシュバックして頭が真っ白になる。止めなかった兄へもずっと不信感があって、家を出てからは兄がいないときにしか帰省していない。過去のことと割り切れたりは全然しない。
じゃああなたのようなペドファイルに対して嫌悪感だったり、差別的な感情を抱くかというと、そんなことは全くないよ。いやまあ、厳密にはペドファイルではないみたいですけれども。
被害者だったからこそ、現実の子供へ手を出さないペドファイルには思うところはないというか、果たせぬ願望を抱くだけであることへ憐れみさえ感じます。現実の子供へ欲情するけれども、子供を傷つけるようなことは決してしたくないと苦しげに言う友人がいました。私は彼を軽蔑することなどできません。
そもそもチャイルドマレスターが必ずしもペドファイルといえるのかも私にはわかりません。イコールの関係であることももちろんあるのでしょうが、私に危害を加えた男はその後結婚も子を成すこともしました。もしかしたら性欲を発散したいときに手近にいた御しやすい異性だったから私が犠牲になっただけかもしれません。
俺普通のキモヲタ(20代)で同年代以下には全くモテない素人童貞フリーターだが、弁当屋のバイトで童貞捨てた。
やっぱり3人も子供産んでるとおっぱいも迫力があって、制服越しにずっとジッと見ていたら向こうも気づいたみたいでね。
最初はやだ変態!とか言われたけど、詰所で全然モテない事とかを相談したりして飲みに行く事になり、そのままやらせてくれた。
流石に母親と同い年のご婦人で童貞を捨てるとは思わなかったけど、めちゃくちゃテクニック上手くて何度もイカされてしまった。
おばさんになると子供がキモヲタになったり、様々な人生経験を経てキモヲタへの憐れみというか耐性がつくのかもな。
おばさんとのSEXは最高だぞ。
もし自分が今政治にたずさわっていて、少子化を本気で解決したいと思うならば、同性婚を許して日本人の家族を見かけだけでも増やすだろう。そうして特にGが子どもが持ちやすいようにする。(Lは体の構造上ついでにそうなる)Gが子どもをもつためにはまだ女体が必要だから、海外の代理出産エージェントを紹介するとともに国内の女性に対して若いうちかLGBTQ+についての啓蒙を始める。
憐れみや連帯でもいい。1人でも多くの女性に、子宮を一度でも多く使わせるために、理解増進は重要だ。
ゲイカップルは生まれた子どもを受け取るだけでいい。体を痛めることなく子を持てるから、産休が必要なく、育休だけで事足りる。男性は育休を取りやすい方がいい。子育てをしながら二馬力で働けるゲイのパワーカップルは、支援せずとも勝手に子どもへの教育を熱心に行ってくれるだろう。LGBTQ+への理解と連帯を示す方向に育ててくれるだろう。男児であれば、性対象が広く育つだろう。男女どちらでも愛せるようになるかもしれない。女児であれば将来、素晴らしいこととしてゲイカップルの子どもを出産してくれるかもしれない。
と、ここまで考えて、LGBTQ+活動家はどこまで見えているのだろうかと気になった。見えないふりをしているだけだろうか。
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
ヴィーガンなんかしょせん理想論で自分たちで勝手に肉を食わなくていい幻想の楽園作って現実から逃げてるに過ぎないだろ
それで気が収まるなら勝手にやればいいけど、そんな理想だけの正しさじゃ誰もついてくるわけないし、
お前らが現実逃避してる間にこれからの時代は発展途上国もどんどん豊かになって肉の消費は増え続ける一方だよってこと
ほんとに家畜たちに対して憐れみを感じるならもっと効果的なことができるだろってこと
「原罪」って言葉を出してくれたけど、宗教は置いといて現代的な倫理性を追求していっても、
この社会ってのは涙を呑んで死ななければならなかった人が大勢いて、そういう多大な犠牲の上で成り立っているんだから、「原罪」のような決して拭えぬ根本的な罪深さを人間は持っていると感じるモノじゃないだろうか。
警告:私はシス女性で、この日記にはトランスフォビアが含まれます。
身近にLGBT当事者がいないのだが、人の不幸には興味があり、
このような感じの思想を持っている。
(個人的には、病弱なので子供をもたないし、女性らしさを好んでいる…。)
しかし、トランスジェンダーがらみの話だけは、疑問だらけになる。
apexのカタリストが好きだし、幼い頃に性同一性障害を知って気の毒に思った。それでもだ。
差別主義者といわれるのはキライなので、差別心をなくすために自分の頭の中を整理した。
一部のTRAがしているこの主張に、なぜ嫌悪感があるかというと、
カタリストは女性だけど女装おじさんは男性だよ、というのが一つ。
もう一つは、トランスならトランスと言ってくれるなら問題ないけども、
シス女性を騙るのはやめてくれ。めちゃくちゃ怖い。ということ。
トランス女性は女性ですの言葉は、シス女性の概念を破壊しようとしてるように聞こえる。
たとえ手術をしたとしても、男性として生きた経験がゼロの人とそうでない人が同値になることはない。テストステロンも。
女性が抑圧されている文脈がなければ、このことは問題にならなかったんだけどね。
そして、トランス女性は女性じゃない論の間違いをすっぱぬくという記事を読んだ。
現に社会の中で女性として生活してるから、女性だって書いてあるが、
シス女性がボーイッシュな格好して、男性と間違われることを肯定しているということにならないか?
パス度の低いトランスジェンダーに望む性別で生きる権利はないということ?
結局その記事は期待外れだったけど、
femaleとwomanの違いに思い至って、確かにトランス女性は女性かもしれないという結論になった。
なら女性という言葉はあげるから私はメスだけのスペースに行くわ。
私はメスでfemale。女性とwomanにはもう依拠できないんだ。
男女に非対称性があるから。だからこういう、喧嘩別れみたいな結論になった。
ずっと思っている疑問として、
そもそもパス度、パス、ジェンダーをトランスする、というもの自体が、
女は髪が長い、髪が長いなら女、という性別判定を前提としてるけど、
それはジェンダーバイアスそのものじゃないの? というものがある。
アライさんたちはこの点について説明してくれないと、私を味方にすることはできない。
私はほとんどの恵まれない人の仲間になりたいけど、トランスだけは理屈がガバガバだから、まだ仲間じゃないわ。
面接で男女を問われることもないし、仕事でも何もかも、性別を意識しなくて済む、
トランスの人たちはむしろ恋愛と生殖以外の場面で、アイデンティティを確認したいという。
その必要ってあるのか?
トランスセクシャルは、私が昔から共感して助けたいと思ってる人の一部。
トランスジェンダーは、私が解体すべきだと思ってるジェンダーの話なので、よくわからん。
今の考えはこうだ。
うーん…。ただそうあることがジェンダーバイアス強化じゃなくて、
性別移行に社会のジェンダーバイアスを利用していることを指摘してるんだよ。
単にフェミニンな装いがしたいだけならなぜ性別を変更する必要があるんだ?
フェミニンな装いをしたくないけど性別を変更したい場合、社会に扱われなければ性別変更ができない。
謎じゃん。
(余談)
ジェンダーは社会からの扱われ方で、パスしてないやつらはその性別ではない、といってる人たちがいるのにもかかわらず、
それとは異なる考え方にもとづくはずの、自己申告による性別変更という、セルフID制が出てきてるから、性別自体が崩壊してる・・・
ん?自己申告の性別変更って、もしかしてその、ジェンダーバイアスを利用した性別以降をさせないために作られたのか?
(余談おわり)
ジェンダー解体とトランスジェンダーが対立しないことを知りたい。と思いながら検索を続けた。
納得の行く記事があった。
好きでのっかってるわけじゃなく、ジェンダーバイアスにのっからないと同一性を疑われるという話だ。
それは確かになるほど。
私が、男性のマネをしたり、~だが、って話しても、どう見ても女でしょ、と思われてるのと違って、ということか。
でも、「(反対の性別)って言わないで」はわかるけど、「(反対の性別)で呼ぶのは差別だ」、は正しいのか?
属性を恨むことが差別であって、単にその人がどちらの性別に見える、という感想は、ときに残酷な意見…でしかないと思う。
正直、私は女性に見えない人を彼女と呼びたくない。彼と呼びたいわけでもないが、theyと呼ばせてほしい。
(男性は自称でいい。なぜなら、女性は男性より身体が弱いから。強いほうを自称するのはいい)
女性記号をつかわないと女性として見てもらえない不幸にみまわれている人たち。
そう思うと親身になれる気がする。
でも、どうやったら同情や憐れみもなしに、対等に見れるんだろう。
シス特権を指摘しないとしたら、ジェンダー解体への逆行という批判をしなければならなくなるパラドックスに陥る。
要約。
「トランス女性は女性です」への嫌悪感はなくせたが、female自認が強まった。(理由は、男性特権を経験した人を同胞と思えないから)
ジェンダー解体とトランスジェンダーは対立するが、かれらが、ジェンダー規範を温存することを強いられている、という理解をした。
なお、私の思う、男性特権とは、「テストステロンの量」「身体が強いこと」「ころされたり、奪われたりするかもという警戒をしないですむこと」、です。
被害者意識が強いのではなく、ちゃんと自衛していないと、被害者女が悪いと言われるからです。
収入とかはあまり興味がありません。ガラスの天井はなくなるべきだと思いますが、正直、専業主婦を望む女性も多いので、低収入はその結果もあると思います。
性差は確実にあります。女性は外向性と神経症傾向が強い。これは優位な差です。プロ棋士の女性がいないのは差別とは思いません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/96f03821dedaf7d270db7546e41ff7082d083fce?s=06
このニュースを読んで、学校の対応に疑問をもった方も多いだろう。
このケースについて要因を断言することはできないが、似たようなことが以前の勤務校にあったので、書いていく。
まず大前提として、私は既に教員を何年も前に退職し、今は会社員として人並みに働いている。
また、特定されないよう内容にはフェイクを混ぜている。参考程度に聞いてほしい。
某所の中学校。
私が裏口入学の中の人をやらされたのは、新卒一年目のことだった。
私学適性検査(私立教員就活のセンター試験みたいなもの)の点数がかなり良かった私は、偏差値も立地も給与もいい感じの学校に就職でき、担任も任され、まさにこれからといった感じであった。
母校でもなく、地元を遠く離れ、同期に同郷や同大学の先生はおらず、今思うとアウェーではあったのだが、当時は特に気にならなかった。
何より生徒が賢かった。振れ幅は勿論あるが、素直で真面目な良い子が多い。
生徒との関係もおおむね良好で、どたばたしつつ充実した毎日を送っていた。
入試準備の時期になると、作問者に抜擢された。大役である。手当も出る。
隣のクラスの先生にも「新任ではなかなかないですよ、期待されてるんですね〜」なんて言われて、責任を感じながらも喜んだ。
作業は大変だったが、作問も入試も滞りなく終わった。ここまでは良かったのだ。
採点の日が来た。
配点と採点基準は事前に提出しているため、それに従ってつければ良いだけなのだが、なぜか私だけ別室に呼び出された。
呼ばれたのは狭い部屋で管理職の教員が二人おり、私が席につくと一人がドアの前に立ち塞がるように立った。
完全に怒られると思った。問題に大きな不備が見つかったのだと思った。
固まる私に、管理職は「いや〜入試無事終わったね!ははは」みたいな感じで、朗らかに話しだした。
あれ?怒られないのか?と思っていると、管理職は封筒から受験生の回答用紙を一束取り出し、
「ちょっとこの束だけ先に採点してみてくれない?あ、回答用紙に直接点数書き込まないでね」
と言った。
よく分からなかったが、私はその通りにした。
採点が終わると、管理職は点数のメモを見ながら何やら考え込み、おもむろに回答用紙の目隠しを外した。
目隠しというのは、記名欄を隠しているものである。つまり公平性を保つために、採点者から見てどれが誰の回答かわからないようにしているものだ。
私はビックリした。えっ?それ外して良いの?
顔に出ていたのだろう、管理職は私を一瞥すると「あ〜良いから良いから笑」と手を振った。
そして名前を確認して1枚の回答用紙を引き抜き、「これなんだけどさあ」と私の前に置いた。
男の子の回答用紙だった。削られていない、潰れた鉛筆で書いたのか、筆圧が高いのか、凄く太い線をしていた。字は汚い。
記述は必要以上にいらないことまで長文で回答しているものの、覚えてくれば答えられるような一問一答はことごとく間違えていた。
そして、試験時間中に紙をゴシゴシと擦ったのか、ところどころ変に黒くなり、破けていた。
「この子、点低いよね?」
管理職が言った。採点ミス?と思ったが、明らかにこの子の回答には点が高くなる要素がない。
私が黙っていると、管理職が口を開いた。
「この子、この教科が得意科目らしいんだよね、この子が合格になる感じにね…採点基準変えて欲しくて」
耳を疑った。え?何言ってるんだ?と思うと同時に、まずい、この子裏口入学?どうしよう、不正だよな、と思って動悸がした。
しかし、私は自己防衛に走り、適当に返事をして、その通りにした。
その子が合格するような採点基準に変えるというのは、ほとんど換骨奪胎だった。
一問一答の比重は著しく下がり、記述は余計なことを書いていてもとにかく意欲があればOKみたいな感じになった。
同じ束の中でも、点の下がった子がいた。字のきれいな女の子だった。逆に点が上がったラッキーな子もいた。
平均的にはそのままの子も多かったが、私が最初意図した試験とは違う結果になっていた。
そして全体の採点が終わり、家に帰った。
夕飯を食べながら、入試の日に保護者誘導で見かけた女の子のことを思い出した。
本校が第一志望なのだろうその子は、お母さんに抱きしめられ、絶対大丈夫!頑張って!と言われ、お父さんに大きく頷いて、お守りらしきものを握りしめて会場へ向かっていった。
あの子の点が下がっていたらどうしようと思った。
それから合格発表、新入生登校日があり、入学式を経て、新年度の始まりまで、誰にも不正のことは言わずそしらぬ顔して過ごした。
そして新年度、授業を受け持つ生徒の名簿を見た。
ヤバい子だったらどうしよう。しかし、新入生登校日にも入学式にも特に変な話は聞いていなかったので、大丈夫だと思い込んだ。
結果、ヤバい子だった。(以下、Aと呼ぶ)
床に寝る、騒ぐ、叫ぶ、殴る、人を突き飛ばしながら走る、窓から物を落とす、トイレでおしっこスプラッシュ、下半身を露出して女子を追いかけ回す、ゴミをぶちまける、他のクラス(なんと、上の学年にもだ)の教室にいきなり入って因縁をつける、考えうる悪行は一週間でほぼ全てこなした。
授業中も凄かったが、私の教科は自称得意科目なのもありまあまあ真面目に聞いていた。
それでも授業中に立ち上がり、他の子の筆箱を取り上げてぶちまけるくらいのことは平気でやった。目眩がした。
危険な道具を使う技術家庭ではほとほと困り果て、家庭科の先生は泣いてしまった。
すぐに教員のシフトが組まれ、Aくんには常に教員が一人以上つくことになった。私も何度かついた。
前述の通り、素直で真面目な子の多い学校だ。異質な彼の噂は瞬く間に広がった。
面白がる子もいたが、幸い同調する子は少なく、みな教員に協力的で、何か起きると何人もすっ飛んできて教えてくれたが、残念ながらAくんのクラスは学級崩壊に近かった。
担任している子たちには、あのクラスの授業をやってるなんてと哀れまれた。
Aくんの親はどんな連絡をしても悪びれなかったようだ。
そりゃそうだ、裏口入学させるような親なんだし。
Aくんの学年内では、教員も生徒も色々な理不尽があったと思う。
物を壊された生徒は多数。
職員室でAくんの学年の教員が管理職に怒鳴られているのを何度も見た。
教員内で情報共有はなぜかされなかった(生徒指導部ではしていたのかもしれない)が、意外と生徒たちの方が詳しく、生徒づてに色々な事件の話を聞いた。
職員室では、なんであんな子がうちに入ってきたんだという話が頻出するようになった。
「裏口入学なんじゃないか?」と言われるたびにどこからともなく出る台詞が、「でも、実際得意教科でガッツリ点とってるんだよなあ」
冷や汗が止まらなかった。
その内、Aくんがクラスでこんなことを言うようになった。
「ここの理事長は俺の手下なんだ、俺に楯突いたらお前ら退学だからな」
男子は真に受けなかったが、意外と女子が真に受けて怯え、教員への不信感をつのらせた。
たぶん、Aくんの保護者(もしかしたら年齢的に祖父母かもしれない)が家でAくんに言ったのだろう。
不正の結果ヤバいことが起きた人なら分かると思うが、こうなるともう本当に怖くて仕方なかった。
バレる夢を何度も見た。げっそりしている担任に申し訳なかった。何より生徒にバレたらと思うと恐ろしかった。
俺が殴られたのは、私が追いかけ回されたのは、物を壊されたのは、授業をまともに受けられないのは、先生が不正を許したからだと恨まれるのが怖かった。
ここは母校でもなく、地元でもなく、同期に同郷や同大学の先生はおらず、何より忙しすぎて親睦を深める余裕はなかった。
よくしてくれる先輩はいたが、皆裏口入学なんて当たり前だと思っているかもしれない。
先輩たちもみんな通った道なのかもしれない。
今思うと考えすぎなのだが、当時はそんな風に考えていた。
作問担当に決まったとき、「期待されてるんですね」と言われたが、なんのことはない。
どこかにチクるツテの無い私はうってつけだったのだろう。
で、まあこれだけが理由ではないのだが、他にも普通に忙しすぎるとかやっぱり地元に帰りたいとかもあって、しばらくして私は教員をやめた。
先生方とはそれっきりだが、生徒とは今も連絡を取り合っている。
このことを、機会があって母校の恩師に愚痴ったところ、慰められたが微妙に言葉を濁された。母校でもありそうな感じだった。
多少は清濁併せ呑んで働くべきだったのかなと思った。
以上である。
【追記】
本文中に発達障害という言葉は意図して使いませんでしたが、コメントを見ていると逆に良くなかったと思うので追記します。
私はAくんの保護者に会ったことがないので深く触れませんでしたが、裏口入学を依頼する親と受け入れる学校が悪いのは明らかです。
子どもは得てして欲望剥き出しの生き物です、親が提示した裏口入学に分別なく飛びついても責められません。
冒頭に貼った記事の児童も、Aくんも、親さえまともならどこにでもいるただの「支援が必要な子ども」に過ぎなく、これ自体に善悪はありません。
発達障害には天才も含まれるとのコメントをいただきましたが、それは当然として、他の圧倒的多数を占める「平凡な発達障害児」と比べてもAくんの問題は明らかです。
たしかにAくんの障害は(おそらく)重度ですが、この場合は「裏口入学をさせるようなクズ親に育てられたこと」と「重度の発達障害を持っていること」が掛け合わさって問題が生まれています。
発達障害と一口に言っても程度や種類は様々で、それぞれ色々な生きづらさや問題を抱えていると思いますが、Aくんを取り巻く問題はその中でも外れ値です。発達障害全体の話題として捉えられるのは本意ではありません。
また、発達障害の方に、自分もAくんのように周囲を困らせていたのかもしれないと思わせてしまうのも申し訳なく、本意ではありません。