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2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-12

褒められるの、地雷だなという気付き

覚えている範囲だと、中学生くらいから褒められることがとにかく嫌いだ。

そして本日、久しぶりに人に褒められてとても不快気持ちになったため、いっそのこと深掘りしてみようと思った次第である

相手が悪いのか、言葉が悪いのか、シチュエーションが悪いのか。

原因をみつけて今後の人生で避けていこう。

<前提>

・どう考えても煽りの"褒め"などはみんな苦手だと思うので今回の話からは省く。

・ド隠キャでそもそも他人が得意ではない

<言葉>

どんなシチュエーションでも言われたくない褒め

1.頭いいよね、物知りだよね

2.要領いいよね

3.育ちいいよね

これらの3つはいかなるときに言われても不快

理由シンプルにそんなことないかである

自分は要領が非常に悪く、学歴地方駅弁卒。

見当違いな褒め言葉ゴマすりにもなってなくて気持ち悪い。

想像してみてほしい。

例えばあなたの体型がマツコデラックスだとして、

スリムだね」と言われたら気持ち悪くないか

3については1.2とはちがい、めちゃくちゃ育ちが悪いのを自覚して、努力で最低限のマナー等身につけたのに、親(育手)の功績にされていることに腹が立つのだ。

元はクチャラーだし鉛筆の持ち方も箸の持ち方もめちゃくちゃで、障害者をみたらモノマネするような育てられ方をしてるのを知らずに、親を上げるな!と腹が立つ。

ちなみに「育ち良さそう」であれば嬉しい。

4.行動力あるね

5.すごい(単体)

4.5の2つについては、基本的不快だが、友人や自分をよく知っている関係性の人から言われる分には嬉しい場合もある。

そしてこのふたつについては、なぜ不快になるかよくわかってない。誰か考察があれば教えてほしい。

唯一誰に言われても嬉しいのは、

努力家だね」「いつも頑張ってるね」という言葉と、

数字に見えることに対する褒め(営業成績等)。

これは人一倍要領が悪い分、努力してきた自負もあることや、数字客観的にみて事実であるため嬉しい。

他には持ち物のセンスを褒められるのは嬉しいかも。

<相手>

家族、友人、尊敬している上司から褒められる分には1.2以外のことで褒められる分には素直に喜べる。

逆にそれ以外の人からだと、持ち物以外褒めないでほしいと思っていることを自覚した。

褒めることでコミュニケーションが円滑になる場面ならわかる。社会人だしね。

しかしそうだと感じない部分の褒めは意図がわからないため不快だ。

こうして文章に起こすと、数字に出ない能力に関する部分を褒められるのが嫌なのか?

しか自分も「〇〇さん飲み込み早いですね」などと感想半分褒め半分で後輩に言ってしまたことがある。

そのとき後輩は喜んでいるように見えたけど、実は不快だったのかなと反省

ただ、結果だけ褒めるのは良くないという論調もあるし難しい。

結局自分の考えすぎなのもわかるけど…と、

最終的になにがいいたいかというと、

褒められるの嫌いな人いる?

いたら何をor誰に言われたら嫌か教えてほしい。

2024-03-09

Xでフェミニズム恋愛婚活、反ミソジニー留学コスメなどについて解説して人気を博しているアカウント(裕福な家庭に生まれ育ち大学卒業後に外資系コンサル入社彼氏東大体育会系高身長の外銀勤務とのこと)の投稿を参照する限り、俺は社会的にも遺伝的にも底辺スペックらしい。

身長も低くガリガリで、顔もブサイクで、駅弁卒の地方公務員だが、俺だって決して怠惰に生きてきたわけではない。

自分なりには頑張ってきたんだ。

それでも俺は社会底辺

あのアカウント主の外銀彼氏が羨ましい。

俺もそういう男に生まれたかった。

低スペの遺伝子はここで止める。

2024-03-07

anond:20240307105754

上越新幹線とか2時間程度で駅弁食うのもなぁ、って気分になる

駅弁売ってんだし食っていいだろ!

って心の中じゃ大声で言えるけど実際は駅に着いてベンチで食うしかねーわな・・・

ほんま世の中つれーわ

2024-02-25

地元最高!が1番幸せだけど、もう自分は戻れない。どうしよう。

小中学生の頃の自分はそこまで不満もなく生きていた記憶がある。

蓋を開ければ毒親祖父から性的虐待などそれなりに不幸だったのだけれど、当時はなんとなく嫌と思いつつ今ほどの絶望感は確実になかった。

んで、中学から高校に上がった時に、

通ってた中学自体の閉塞感やら、筋肉神話モリモリ、勉学への無関心さを実感して危機感を覚えた。

名前書けば入れるような高校クラスの大半が進学するような環境で過ごした自分からしたら、カルチャーショックがすごい。

高校にいったらみんな大学のことを考えていて、親から勉強しなさい!って言われて育てられたような子ばかりだった。

専門に行くにしてもやりたいことがあり、それを親と話し合えるような子たち。

このままじゃまずい!と思い、「大学なんて行っても無駄地元市役所職員を目指すのがいい」という親をおしきり、勿論塾なんて行かせてもらえなかった中でなんとか地方駅弁へ進学した。

更にそこでカルチャーショック

高校時代留学してたような子がちらほらいたり、親が同じ大学卒だったり。

うちの親は大卒どころか中卒。

もうこの時点で親は全く頼れなかった。

会話のベースになる知識(教養)量が自分と圧倒的に違った。みんながやりたいことを話していても半分はわからなかった。

COOP留学?じゃいか?とびたて?なにそれ?状態自分を置き去りに、同級生たちは続々とやりたいことに励んでいた。

自分バイトを頑張れるほどの熱意もなく、奨学金免除制度を使って生きるので精一杯で、あっという間に落ちこぼれた。酒とくだらない恋愛に酔って時間無駄にした。

それでもなんとかストレート卒業就職をしたけど、

次は自分空っぽさにカルチャーショック

就職先には趣味ゲーム日本〇位、とあるジャンルで有名ブログ運営海外教員をやっていた方、独立を目指す方など、仕事以外にもめちゃくちゃ面白い人ばかりだった。

お金を稼いで日々生きる以外のなにかをしてる人で溢れていた。

年1回は海外旅行にいけるお金の余裕、

優しいパートナー尊敬できる職場の仲間、趣味時間を得たのに、どんどん虚無感が増していく。

こんな自分は生きてる価値あるのか、みんなもっと頑張って何かを成し遂げているのに、自分は、とずっと追い立てられている感覚がある

金ない、教養もない、祖父性的虐待を受けている、それを自分のせいにしてくる親がいる状況より絶対今の方が幸せなはずだ

現に地元に帰れば、同級生のなかで自分が1番エリートな自信がある

でも満ち足りなさはステージを進めば進むほどましていく

このままの自分じゃ足りない、まだ何もできてないって

結局、似たような人たちで固まって、それしか知らずに地元最高!してる人たちの方が圧倒的に幸せなんだろう

海外旅行なんて行ったことない、センター試験なにそれ?(今は共テか)高卒すぐにデキ婚して親と同居!手取り15万でローンで車買いました!子供教育費?なにそれ?

そんなんばかりだけど、彼らは人生に満足してそうで虚無感、満ち足りなさなんて微塵も感じない

例えば世間の平均の箱が100だとして、その人が10しか持っていなくても、周りも10しかもってなきゃその人の中で10普通になる

100あることを知らなきゃ十分満たされる

自分身分不相応なところに来てしまったんだな、自分にそのポテンシャルはないのに、運良く100とか500とかな人たちに囲まれしまったと強く思う

でも100を知ってしまった以上地元にも戻れないし、100の周りにも追いつけない

から満足することなんて一生できないんじゃないかと思うと、もう終わりにしたくなる

いまは情報へのアクセスがしやすい世の中になったおかげで、努力と運次第で身分不相応な場所に来れるようになってしまった。

でも井の中の蛙井戸の底だけ見つめとくべきだったなって話。

毒親じゃなかったのに幸福に思えないか子供要らない

毒親に育てられ、子供のころ不幸だったけど、自分育児を上手くやると思って子供作ってる人がいる。

毒親を恨んでるけど、自分毒親に似ている自覚があって、同じことを自分も繰り返しそうだから子供作らないという人もいる。

まり考えずに子供作って、案の定虐待連鎖させ、あまり考えずに自分欲求充足のことだけを考えてる人もいる。

子供を持つ持たない、反出生主義の賛成派反対派、などの界隈には毒親関係する人が多い。

私の親は別に毒親ではない。虐待されてないし所得は高いほうだったと思う。海外旅行にも連れて行ってもらった。

習い事も塾も行っていた。今考えると結構コストが毎月かかっていた。

でもなぜかうっすらと小4くらいのころから、生きていたい気持ちが薄かった。

消滅したいというか、死ぬのは痛くて苦しそうだし、はじめから存在しなかったことになりたいような気持ちがうっすらとあった。

いじめられてもいない。いじめターゲットにされるような目立ち方をしたことが無かった。

クラスメイト部活の先輩、先生、誰にも悪い印象は持ってない。部活の後輩にはなんかナメられてた気がしたけど、どうでもよかった。

社会のレールから脱落したこともない。中学受験メジャーではない地方都市高校受験をして進学校へ、そこから駅弁正社員就職

大学浪人就職浪人のような所属のない時期を過ごしたことがない。

うっすら憂鬱ではあるけど、明確な鬱状態になって勉強仕事ができない、部活に行けないなどのダウンをしたこともない。

恋人いたことも数回ある。周囲の人間に対して不満がない。周りの人間のせいで幸せが無いんだというふうには思わない。

生きていてよかったとか、子供を作り子供にも幸福を感じさせよう、という強い欲求を感じる器官が無いという欠損が、こちら側にあるから駄目なんだと感じる。

異性叩きや若年世代叩きや老害叩きや政治叩きや外国人叩きなどに熱心な人たちは敵を殲滅すれば幸福が得られると期待をもっていそうだ。

他人に怒るエネルギーを持っている人間のほうがよほど子供を持ちそうに思う。子供を持つには負のもの攻撃的なもの、害あるものを含めて「エネルギー」が必要だ。

何も考えずに子供を持ち虐待連鎖させる人間は「子孫をのこすタイプ人間」だ。

自分はとりあえず生きているだけで、怒ったり期待したりすることができない。

不幸でもない。生きていて金に困ったり暴力を受けたりしたことがない。

死ぬまで生きているだけなのだろう。交際は向こうから来たパターンしか発生していない。自分からは何もできない。

意欲が持てないのだ。恋人ができれば、結婚すれば、子供ができて育てばそこに幸せがあると期待できない。期待しないから怒らずに済んでいるのだが。

今の状態でも不幸は感じていないし、子供が夢を叶えただので親として強い幸福を感じる、といったことを求める気にならない。

子供が重度障害で生まれたり、子供犯罪を起こしたりして、強い不幸を味わうのも嫌だ。

要するに意欲がない。感情上下に耐えられるだけの元気がない。

2024-02-24

anond:20240224100437

あのーエリート様ならせめてきちんとしたところにツリーを下げてもらえませんかね

難しいこと注文しちゃってごめんね

書きぶりの馬鹿っぽさからし駅弁コンプに耐えられなかったパターンだと俺はまだ思ってるし、こういう他人の反応を待てずに連投しちゃうあたりが(しか文体から一人だとバレないと思ってるあたりが)増田に頻出する典型的アスペって感じだが

一連の内容がわからない、高校までの万能感を引きずってイキってる学部生ならそれはそれで痛いしそのまま頑張ってイキっててください

anond:20240224093251

なんというか哀れすぎる

俺も京大卒なんだけど(自称)、仮にお前も本当に京大卒(自称)として京大ユングがどうとかいきなり言ってくる自称理系社会不適合のヤバいしかおらんやろ

高校まで神童だったのに専門科目でついていけなくなって別のところでマウント取って精神を保ってる無能か、学部1年生以下の統計とかを使ってるから理系自称してマウントをとる境界領域の連中かどっちかくらいしか居ないしな

そもそも京大エリートとか言ってる時点でもう哀れって感じ

まぁこの書きぶりからはおそらくそういう連中ですらなく、駅弁あたりで拗らせて京大自称してるタイプ馬鹿だろうと思うけど、お前が一番自分のことわかってるだろうし頑張ってくれや

2024-02-13

anond:20240213020411

馬面より気になるところいっぱいあって

首がほっそいし筋肉も毛もないし

お姫様抱っこだの駅弁だのを頻繁にするわりに腰が(重心の下に)入ってなくて

それだと腰イワすぞとおもう

あと男女向けどっちとも液量がひどい

貧血なるくらい出してる

モブおじさん全員貧血虚弱男性だとおもう

2024-02-12

anond:20240212030558

ぽまいら童貞やろ、セくーすに夢見すぎ……駅弁とか青感とかみんな語感だけですっきな気分になっとるやろが

2024-02-04

anond:20240204171534

SNSなどのコメントを見ていると「医学部教授なら良い」「(他候補学問を貶した上で)医学部教授学長になった方がいいでしょ」という意見

医学部優越ってより、他候補が人文だったのがあかんかった気がする

だいたいXでそういう呟きしてるのは人文とか文系って単語見ただけでピキる駅弁工学部卒だろうから工学部や融合理工学府の教授だったら反応は違った気がする

2024-02-03

40歳手前で人生終わりかけてることに気がついた

タイトル通りなんだけど、40歳手前で人生終わりかけてることに気がついた。

スペック

・37歳

独身

・1年付き合ってる遠距離恋愛中の彼女あり(思い切って病気のことを告白したら引かれたので多分別れると思う)

東海地方人口5,000人もおらず高齢化50%を超える自治体に住んでる

仕事自営業。と言っても、親が飲食店経営してるからそれを手伝ってる感じ

双極性障害で病歴15年。毎月車で1時間半かけて通院している

収入は親からもらえるお小遣い程度(月5〜8万)

借金奨学金はなし

趣味アマプラ・ネトフリ、あとはネカフェ漫画を読むこと

地方駅弁卒→元々コミュ症もあって、就活失敗し愛知中小企業就職ブラックで病む→ニート入院フリーター東京正社員→病んでまた入院実家に戻り現在に至る

この間久々に同級生と飲んだのだけれど、他の同級生年収◯◯円稼いでる、俺は××円くらい、▲▲はベンチャー入って結婚して家を買った、◻︎◻︎は子供が4人目が生まれる、

等々聞かされて嫌になった。

自己嫌悪に陥った。

それなりの努力はしたつもり。自分卒業した高校から駅弁なんて1割程度しかいなかったし、そこに入るために吐いたり血便出るほど勉強した。

お金を稼いでる同級生高卒司法書士だったり、看護師介護会社立ち上げたり、都内の働いてた企業のツテでベンチャー入って海外に居たりと様々だけど、

俺が高校時代に戻ったとしても、今更彼らのようになることは絶対できないだろう。

何が悪かったのだろうか。彼らのようになりたい訳ではない・・・と言えば嘘になる。お金を稼ぎたかった。結婚たかった。子供が欲しかった。

タイムマシンがあったとして、18歳の自分に戻れても、彼らのようになれる気はしない。

どうすべきだったのだろうか。

から勉強して資格を取るか?

行政書士司法書士宅建士・不動産鑑定士中小企業診断士

あたりなら勉強すれば取れそうだなと思った。でも資格を取ったとして、37歳職歴なしただ資格持ってる中年を雇う会社なんてあるのか?俺が社長なら雇わない。

田舎すぎて働き口がなく、何か学校通ったりマトモな時給の職に就くにも車でメンクリ近くの地方都市に引っ越し必須・・・

人生詰んでるのではないだろうか。

本当にコミュ症で人と話すのが苦手。顔色を伺ってしまう。それで鬱になる。会社に行けなくなる。

からどうしたらいい?

本当にわからなくなった。

誰か教えてくれ。

来世に期待!以外の道があれば。

2024-02-01

anond:20240131140400

増田早起き早出駅弁して、奥さんはあとから増田の分も荷物を持ってホテル直行、あとは別行動にすればよくない?増田も1日目からホテルに寄らず夜まで観光できるよ。奥さんはずっとホテルでダラダラできるし増田観光してる間もホテル代の元を取れる。バラバラ旅行行くより家の光熱費も節約できる。同じ場所に居ながらそれぞれの旅行を楽しんでると思えばいいんだ。

奥さん増田荷物ホテルに持って行く代わりに増田は現地の料理奥さんの翌日のあさごはん)をお土産に買ってくる。

最強のタッグ

anond:20240131140400

妻がしたいのは旅行じゃなくてリフレッシュだろうね。快適な部屋で家事を何もしないでのんびりするのが好きなんだと思う。別に遠出でなくても近くのビジホでぼーっと何もしない時間を過ごすとかがベストなんじゃないかな?ビジホに14時にアーリーチェックインして、だらっとして、お腹が空いたらコンビニ適当に買って食べて、戻ってだらっと寝て、翌日はレイトチェックアウトで12時に出る、これが至高なんだと思う。私もこれが好き。朝は弱いから、早朝(10時より前)から出掛けるぐらいなら、夜から出掛けて機中泊とか着いたら寝るだけとかの方がいいね。夜型人間はそうなんだよ。そして電車駅弁が好きというのはどっちかというと特殊趣味の類だよ。

2024-01-31

anond:20240131140400

露天風呂付きの、客室に泊まるのはどうよ?

奥さんの話を読んで、増田の好みも見て、

これなら折衷案というか2人とも満足できると思った。

紅葉景色、見晴らしがいいお部屋で、

源泉掛け流し温泉で、個室露天風呂つき

お部屋でのご飯付きなら

まず外に出なくても充実感が半端ないよ。

(加えて、旅館内に大浴場があったりバーラウンジがあったりすると ホテルから出ないw いい旅館だと部屋だけで満足するので、部屋からも出ない)

食事は朝夕 できるだけ好きな時間にセッティングしてくれるからゆっくりで、部屋食べれるし。

シェフ板前がいるような旅館だと食事クオリティ高く、楽しめる。

お高いなと思ったら、ワインとかビールとか家から持ってきちゃう

箱根修善寺熱海別府湯布院草津伊香保有馬などなど。このへんは、そういう宿は多い。

住まいによるが、比較的近場なところはあるだろう。

私もアクティブ旅行するのは好きだ。

から夜までパンパンスケジュールを組んで

弾丸旅行。ただ、これは同じペースで回るのが苦にならない人と行くしかない。

しか日常から解放というのを目的で旅するのも良さがある。何もしないでいる贅沢。厳選の湯に浸かる贅沢。

奥さんはこっちタイプだと思うので、

こういう切り口で、増田が、楽しみ方を開発してゆくといいんじゃないかな

私の家族ホテルステイ趣味だったので

ただホテルに泊まるだけという旅行が多かった。

そういう家族旅行もなかなか乙。

さて、あえて近場を選び、こういう旅館ホテルに泊まって

お部屋でご飯食べてお風呂入って

景色をながめたり、気がむいたらまたお風呂入って、

横になって、テレビ見たり、家から持ってきたカードボードゲームでもして、お酒飲んで寝て、帰る。

ってそれはそれで贅沢で最高だよ。

ちなみに、帰り際にその土地ならではの特産品を買いに行ったり、お寺や神社によってお参りしたり、

帰りの電車で食べる駅弁買うといい。

一泊2日で充分に癒される。

完全にSNSやら仕事について考えることから遮断するのがミソ。

(あと数泊ダラダラして、ホテルの周りを散策したいが、それはまたの機会。)

おためしあれ

妻に合わせると旅行がめちゃくちゃつまらない

妻はただどこかへ行って泊まれれば満足らしく、ただ部屋でゆっくり過ごすだけ

夕食もファミレスコンビニ弁当で済ませるし、朝食はパンおにぎりを買ってきて部屋で食すだけ

昼までだらだら過ごしてチェックアウト直前に慌ただしく出て行ってあとはもう帰るだけ

出発の時だって、家を出るのも遅い。夕方ごろになってようやく出発する

から遠出はできない、近くへしかまれない

こんなつまんない旅行あるかよ

温泉だって入りたいし観光だってしたいしホテルで夕食や朝食を楽しみたいだろう

だいたいオレは電車で食べる駅弁が好きなんだ

そのためには午前中に出発しないといけない

昼時を車内で過ごして、着いたら荷物を預けて散歩にでも出かけて、観光名所にこだわらなくてもいいよ、知らない街の知らない施設を探索したいじゃないか

場末ゲーセンで遊んでちょっと疲れたら寂れたカフェに入ってさ、美味しくない珈琲を飲みながらあっちの方も行ってみようなんて話をしたいんだよ

温泉地だったら足湯だってあるしさ、タオル持ってきたら良かったーなんて言い合いながらあったまりたいだろう

旅館の部屋食だったら最高だけど、そうでなくても少し奮発していいレストランに行ってさぁ美味しいねぇ来て良かったって思いたいよ

朝は早起きして支度してホテル朝食会場で食べたいもの好きなだけお皿に取ってくるんだ、君はブッフェとなるとたくさん食べるんだからちょうどいいじゃないか

今日計画的にこの地ならではの行きたかったところへ行こうよ、旅行ってそういうものじゃないか

オレは悲しくなってきたよ



意外と伸びてるから追記

オレもそこそこ旅行好きだけど、妻の方が旅行好きなんだよね。この謎の宿泊イベント旅行と呼ぶのかはわからないが

からホテルも一緒に選ぶわけだけどこの選び方がもう全然違う

オレが夕食・朝食付きのホテルで絞り込みかけてホテルの一覧を出しているのに、妻がわざわざその中から素泊まりプランを選ぶんだよ

絶対にこだわりがあるよこれは 旅先のファミレスは至高!みたいな考えなんだろうか、聞いても要領を得なかった

朝に関しては早起きしたくないらしい、ホテルの朝食って時間決まってるから

部屋から一歩も出ずにゆっくり朝ごはんできるのがいいと聞いた オレはホテルの朝食を食べたくて旅行に行くからまったく理解できないが

観光については、行く前は観光もする気みたいだがホテルに着くと移動で疲れた(orこれから疲れる)から観光はやめとこうってなるらしい

そうだよね、1人で行けばいいんだよね なんかそれも寂しいけど

追記

家事分担は関係ないと思う、オレはテレワーク多いので在宅のとき掃除洗濯料理くらいはしている

ただ、疲れてはいるみたい。妻は立ち仕事で朝早く出ていって帰ってきてからはもう疲れたーっていつも言ってるから 家事ゼロでも仕事で疲れるんだからどうにもできない

食事に関して節約してるってことはないと思う、すごい高給取りではないけど共働きだし困るような家計ではない

いまさら気づいたけど、妻の実家に帰った時とまったく同じムーブじゃないか コンビニ飯ではなく義母が作ってくれるのが違うくらいで

追記

洗濯については言い過ぎた 妻の下着とか一緒に洗っていない物はある

妻の方が旅行好きというのは、この宿泊イベントを言い出すのが妻だからである

2024-01-14

年代学位のある女性結婚したい

28

年収は750万円

駅弁医学部医学

メジャー診療科の後期2年目

身長が低い(166cm)

・髪は余裕である親族ハゲなし)

田舎母子家庭まれ一人っ子

・細身

性格はわからない

イケメンではないが二重で母が父に捨てられる前の幼少期に歯科矯正しているので極端なブサイクではないはず

女性の扱いは慣れていない

年上のナース専門学校卒のナース専門学校卒の臨床検査技師などから好意を寄せられたり食事に誘われることはあったけど、同僚の女性医師大学同級生女子サークルの他大学女子看護学部卒のナース大卒コメディカルから好意を寄せられたことがない。

仲良くなった薬剤師女性にも最近振られた。

学位を持っている同年代女性恋愛して結婚したいが、学位を持っている女性総合点で見るため極端に低い身長実家の母(一緒に暮らすことはない)の存在からナシと判断されているのだと思う。

人とのコミュニケーション継続し、思いやりのある人間でいられるように心がけ、30代に入って同年代女性ハードルが少し下がってから勝負に出る。

2024-01-13

anond:20240113091226

両者の合意がないと成立しない体位ってなんだろう

駅弁

2024-01-10

ハプ・バーで知り合った男の子と遊んできた

私 :169*89*35 ポグバ

相手:184*98*27 宮野真守小野Dを出して割る2したような顔

お互いにミリオタサバゲレーションの話で盛り上がってて意気投合

最寄駅が微妙に近いらしく一度飯でも行かない?という流れに。

初対面でボディタッチが多くてこれは…と思ったね。

予定調和というかなし崩し的にホテルへ。

結局一緒に風呂入ってそのままやった。

駅弁一発、逆Aで一発。

初対面・・・つか付き合ってもないのにやったのは初。

ハプバーはんぱねーわ。ヤリチンが来るとガチで出来るなこれ。

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