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はてなキーワード: 受動とは

2017-07-14

英語

通じればいいじゃん的な緩さで適当勉強(?)してたら、

全然点取れないかった。

通じればいいじゃんは会話であって、

読解でもないし記述でもないんだな。

そして几帳面にやった方が通じる。

しかし、日本英語はなぜ、

読解、文法単語記述リスニングという分類なんだ。

読解、記述、話す、リスニングであって、

文法単語はそれらをこなすための土台だろ?

それでもって、

読解とリスニング受動的で

記述、話すは能動的だ。

そして話す(speak)と会話する(talk)はちょっと違う。

などと屁理屈を言ってみる。

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170701132837

放映させないとつぶれるアニメ制作会社自転車操業し続けてるだけ。受動的に情報が得られるテレビ以外の媒体作品が日の目を見ることがいかに難しいかということかもしれない。(原作がない新作となるとなおさら

それでも何年も続いているのは、制作会社がつぶれても、人が他に流れていける契約個人事業主)だからというのと、単価が低い外注化でなんとか乗り切っていると思われるが、納期に間に合わず放送が飛ぶことも普通になってきている昨今、どうなっていくのだろう。アニメがなくなったらそれはそれで困る。

2017-06-28

がっかりするかもしれないと分かっていても真実を知ろうとするのか、

真実を知らずにいる可能性があると分かっていても知ろうとしないでいるのかで迷うことが多い。

知ることで得た落胆や戸惑いを乗り越えた上で対象と向き合いたいと思うこともあるから

自分に知らないことがある、と思うとなんだかそわそわして落ち着かなかったりもする。

そうやって何かを知ろうとして得たものは、自分場合プラマイゼロくらいかもしれない。

だけど、大きな視点で見れば私は圧倒的に何も知らずに生きている人間なんだろう。

からこそ今こうして、この状態生活することができているんだろう。

それも忘れてはいけないような気がした。

そう思うと、今日悩んだことについてもわざわざ知ろうとしなくていいのかなと思った。

もし受動的に知ってしまときがあったとしたら、それはそれでいい。

2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170627010934

男の性=能動、女の性=受動なので(オスがまず気に入ったメスにアプローチする=>メスは受け入れるか拒絶する)

なら、選ぶのはメスの側で、選ばれるのはオスの側だろ。

散々言われている今更な話を何故逆に思い込んでいるのか。

 軽自動車軽油を入れちゃう問題と、食間の薬を食事と一緒に飲んじゃう問題、似てる気がする。

 交通標識英語ではなく、日本語話者にとっても英語圏の人にも読みづらいローマ字表示をしていたり、重要なところでの言葉センスが変です、この国。

 それでいて、テレビ番組出演者が、いわゆる 「ら抜き言葉」 で話した際には、出演者発声していない 「ら」 が足された字幕が表示されたりする。

 「ら」 を足したら受動的になっちゃ言葉が多いのに、何も考えずに 「ら」 が足されているだろう。

https://anond.hatelabo.jp/20170626190949

いまさらだけど、男の性=能動、女の性=受動なので(オスがまず気に入ったメスにアプローチする=>メスは受け入れるか拒絶する)、女は相手に選ばれるかとまず考えるのに対し、男は自分の側が選ばれることに関しては思考範囲外で、自分の側が選ぶことしか考えない。

最近じゃ男も選ばれる側になってきたり、見られる側になってきたりしつつあるけど、基本はこれ。男は選ばれることに耐性ついてないから、発狂しがち。「女のように求められる男」に対する嫉妬もものすごい。

2017-06-19

20代後半の転職前後感想

転職して数週間経過。

全体的な研修も大方終了し、所属部署での振る舞いもすこーし慣れてきた。

職種・業種共に未経験での入社のため、会社内で交わされる言葉の90%がナニソレな状況。

(一部重なる部分もあるため、多少は大丈夫だよね。と思って入社も撃沈)

以下、各ポイントで前職との比較備忘録的に。

※内資某メーカー外資メーカー

業務内容、専門分野

これはもう全然違いますね。

涙でるくらい。

新旧どちらも同じ市場で扱われる製品もあるし、とは思っていたけれどここまで違うとは。

若いうちは経験の有無よりも、今後吸収できるポテンシャルがあるかどうかが重要とか、

社内にない観点価値観があることの方が重宝されるとか言いますけど。

そもそもポータブルスキル活用機会が少ない技術専門性高の職種からなのか。

前職数年の経験は、あまり活用できなさそうな予感。


②社内の雰囲気

以前の会社は、穏やかな人が多いで有名な会社

から、社内で流れる雰囲気もゆったりしていた。

もちろん、多忙エリアだったのでまったりホワイトはいかないけども。

今回は、みなさん専門性が高いの一言。完全なる門外漢

でも、思ってたよりドライじゃないのね。

飲み会仲良いね


③社内システム

IT環境スバラシク改善

ハード&ソフト面共に充実してます

やっぱり外資を強く感じるのはこの部分かなあ。

みなさん無駄のない業務コミュニケーションを求めている感じ。

まあ今の所は、ヘルプデスクがカタコトの日本語なところ以外は不満はないかな。


給与

実はまだ初任給いただいてないのよね。。。

契約書では同等以上になるはず。

ただ、一般的な高給取りとは程遠いから、そこそこもらえればほんと最高なんですが。

でも、評価制度も厳しそうだし、心配よねえ。


⑤勤務体系、環境

ガチガチの固定勤務→フルフレックスなので戸惑いの嵐。

遅刻という概念がないのかあるのか、みなさんふらっとき業務されてます

まあ、各人ある程度の出勤時間を決めているわけで、実際はそんなに自由じゃないのかな。

あとは事実上活用されてないであろう制度がいくつか。

まあ、業務量が普通に多かったら調節できる部分なんて少ないもんね。

ただ、今までは制度受動的に管理されていた部分にも、これからは目を向けないとね。


結論

まだ比較箇所はたくさんあるけれど、もう少し慣れてきた頃に追加しようかな。

現状では専門知識語学力課題

すぐ弱音吐いちゃう豆腐メンタルのため、明日から口にはしないようにしよう。

2017-06-18

今日1日、外に出なかったので悟ったことを書いていこう

今日自宅警備員として24時間働いた。

わんわんを飼っていて仕事の取り合いになった結果、わんわんは1階(主にリビング)、僕は2階(主に自分部屋)を警備することにした。

業務内容はいたって簡単。なんとなくの1日を過ごすだけである

そんな自宅警備をしていて悟ったことを書いていこう。

本を読むことに意味はない。経験こそ全てである。ただ読むべきものもある。それは「読みたいもの」だけである。読まなければいけない本は存在しない。あるとすれば自伝

世の中には2種類の人間がいる。ジブリ鈴木氏曰く、

・将来に夢を抱いて突き進む人

自分に与えられた仕事をコツコツと積み重ねていく人

である

なぜ、この2種類がいるかからないが、わかれているのだ。

やりたいことやりたくないこと問題

自分のできないことをやりたくないからと投げ出す人がいる。端から見れば、傲慢自己中心的人間であるし到底理解できない。だがしかし、やりたくないという人は存在する。やりたいと言ったから、やらせたのにやっぱりやりたくないという人もいる。それは実際やってみたら思っていたのと違っていたかであるだがしかし、見えない責任のようなものを投げられる。

その責任を投げているのは他人ではなく、自分である

人間は1種類である

自分とは違うという人も、同じである。とても冷酷であるという人も。あなたもその立場なら同じことを考える。何を思うかは、その人の立場と状況だけによるものである

人は他人のことを思う人に寄せられる。なぜならば、自分のことを知ってほしいかである他人のことを考える人が好きとうのはつまり自分のことを考えてくれる人であって、極めて自己中心的である

男は強さを求め、女は美しさを求める。そして、それを得られぬものは優しさが与えられる。それはあくまでも、手に入れたものでなく与えられたものであって、何の価値もない。

手に入れたもの価値があり、与えられたもの価値がないのは、能動的か受動的ということである能動的に得たものとは自分の欲しいものである受動的に与えられたものは望んでいないものである。欲しいものにこそ価値がる。なぜならば潜在意識意識距離が近づくからでる。自分というもの出会きっかである

だがしかし、ここで得られた価値のある自分は本当の自分ではないため、価値はあるが意味はない。

受動的に得られた、価値のない自分こそが意味のある本当の自分である

自分には価値はないが、生きてることにどれだけ意味を見出すかが人生である

今日もわんわんは1階を警備してくれているので、僕は2階を責任をもって警備する。

2017-06-05

Scigen

Scigenっていう自動論文を生成するプログラム

あるらしい。あれって凄い!そのまま提出してしまった人が

いるらしい。しか採録されたらしい。

Scigen的な発想って使えるよね!きっと。

コアになる部分だけは自分でしっかり書いてその他は半自動生成みたいな。

半自動生成のプリミティブな形が、いわゆるコピペでしょう。でも

これはバレル。Scigenはコピペチェッカーは潜り抜けそうな希ガス

なぜならば、ランダムコピペしてるから

そういう意味ではコピペってあほだよな。他人文章をかなりの長さで

そっくりそのまま書き写してるってことだから

受動態を能動態にするとか、文法的キープする範囲単語前後させるとか・・

関係代名詞を変えるとか・・なんかランダマイズさせる方法論を

駆使すればいいような希ガス

2017-06-04

趣味にハマりすぎな自分に疑問を感じる

これで良いのだろうか。

自分生き方に、ふと疑問をもつことがある。

生き方」なんていうと大げさに聞こえるけど、これから生活していくなかで必ず一度は考えなきゃいけない(し、考えていきたい)テーマだと思う。

その「生き方」に思いをはせるとき、私は「これで良いの?」と自問するようになった。いつからか。

ここでいう「生き方」は、これから仕事家族との生活お金のやりくり…とかではなくて、

もっと幅広く、かつ抽象的な問題―つまり人生に対する姿勢」とでもいえばいいのか―そういう部分のことを指している。

で、私の基本的な「姿勢」(と呼べるほど立派じゃないけど)は、「自分好きな物をとことん大切にする」「勉強仕事を頑張りつつ、趣味時間を持つ」こと。

好きな物が多い人生は救いの多い人生、だから趣味絶対おろそかにしないで生きよう!と思っていた。

だけど、最近はそういう「趣味人」としてやっていくことにすごく疑問を感じるようになった。

なぜだろう、好きな物ロックバンドカフェ巡り、ジャニーズ美術館巡りetc)に熱中している自分を冷めた目でみるようになった。

いつまでもそんなことやってて楽しいの?」「あんたの人生の中心ってソレなの?」と問いかけるようになってしまった。

なんだようるさいな、私は純粋楽しいことやりたいだけなのに。ちゃんと学校行って勉強やってるんだからいいじゃん。そう主張する自分がいる一方で、

やっぱりそうだよね、こんな生活やめてえよ、という自分もいる。

なぜやめたいのか?それは、自分があまりにも長い時間と体力を、趣味に費やしているから。

しかもその趣味っていうのの大体が、受動的なものばかり。何か練習して、結果を出すとか、達成感を得るとか一切なし。

ただ対象物を愛でて「はあ…」と感嘆の溜息をついて、終了!

よく、趣味を思いっきりやった後は「よーし、また明日から頑張るぞ!」って気持ちが奮い立つなんていう人いるけど、

私にはそれが全くない。「はあ…」で終了。頑張るぞのガの字も出てこない。むしろひどく疲れて、虚無感すらおぼえる。

これも、「こんな生活やめてえよ」の一因となっている。

何かもっと視野の広がるようなことをやりたい。何か、もうちょっとためになるようなことをやりたい。

なんて言ってる癖に、趣味はやめられずにいる。何も行動できずにいる。

http://anond.hatelabo.jp/20170604164250

別に女はやりたくないし、やらなくて済むなら大歓迎だけど、男が求めるのでする流れになっているから。男が求めなかったら「させてあげる」なんて言われなくて済む。

解決策は、(1)増田が女にセックス求めない、(2)女の方から求めてくる女と付き合う(レアだけどどっかにはいる)、(3)どっかの誰かがどっかの誰かに言ってる「させてあげる」は気にしない(他人コントロールすることは出来ないことを頭に叩き込む)。

真面目に答えると、女の性って受動的だから、する前に「したい欲求」はあんまし無いんよ。ゼロではないんだろうけど、男みたいに溜まって出したくなる的な要素が無い。動物としての生理に根ざした性質から、この非対称性は埋められないと思う。

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531204936

自民が悪い、野党は悪くない、でもいいよ?

でもさあ、野党に改めるべきポイントがないとすれば、野党反自民側ができるのは実際問題まり成果を上げていないやり方を踏襲することだけで、自民党チョンボをして勝手に自滅するのを受動的に待つっていう徳川家康みたいな待ちの戦略しか取れないよ。

それってしんどくない?

2017-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20170514161530

テレビって受動的な情報媒体からな。

情報を「自分検索する」習慣が身につかないから、テレビ「だけ」見てればバカになる。

テレビ見ないとバカになる」っていうのもある種正しい。情報媒体としてSNSしか使ってない奴と、SNSテレビを見てる層なら、後者のほうがより多くの情報に触れ得るわけだからな。たぶん前提として、そいつの周りはみんなSNSしか見ない層なんだろうよ。

2017-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20170513231022

受動的に年収が上がると考えないでよ。男性既婚者は養うために年収上げようと頑張ってるんだよ。

女性の既婚者が下がってるのがその証拠扶養を外れないように年収を下げようとするからね。

子どもがいればなおさら年収を上げる必要があるんだから

ブツクサ言う前に年収を上げるとか結婚するとか努力しなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20170513162828

そもそもドMマグロになってるのは気持ちいいのだろうか

テレビ見てるだけで何もせずに笑ってるみたいな受動性を感じる

はいえ何もしてなかったのがいきなり計画したり案出そうとしたりしても

独り善がりになりそうで怖い感じもある

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170511105719

新聞を読め、というのはあくまでもインターネッツがなかった頃の風説なんだと思う。

確かにインターネッツがなかった頃はある程度速報性のある文字媒体新聞しかなかった。

速報性、との限定を付けたのは雑誌書籍との比較である

そうすると、インターネットが本格的に普及した2000年までの数十年間は、文字媒体新聞しかなかったのだ。

そうすると、元増田のあげる

1.「テレビ受動的に見てるだけ」

2.「新聞は嫌でも周りの記事が目に入る」

3.「ネット見出しザッピングし、気になる記事しか読まない」

4.「新聞なら読めない漢字文脈理解できる」

のうち、3はともかく、124はまあテレビに対する反駁としてはそれなりに成り立っている。

ということを考えると、問題なのはいつまでもインターネット存在を受け入れられない連中である

新聞を読め」と推奨する人に物申したい

先日、会社から次回の研修に向けて課題が出された。

研修前1週間での新聞記事で気になったものについてまとめる、気になった理由も併せて」

ワシは就活生か。要は「ニュースを読め」って事なんだろうが、ソース新聞に絞る必要があるのだろうか。「新聞こそが正義テレビニュースはクソ!ネット?論外!」のような、カチコチに凝り固まった脳味噌の持ち主から出された課題のような気しかしない。そもそも就活生たちに新聞の購読を課す者たちの気が知れない。

自分なりに新聞を読む意義について考えたが、一瞬で反論できそうなものしか思い浮かばなかったので少し調べたが

情報が正確

知識が付く

文章力が付く

アーカイブ可能

⑤魚の調理掃除に使える

というのが主な理由らしい……

情報が正確

インターネットニュースがえてして不正確だとでも宣うつもりだろうか。二次情報三次情報まとめサイト比較しているのだろうか。各新聞社だって各自ニュースサイトを持っているが、それは新聞とは違って不正なのだろうか。

また「テレビ偏向報道が凄い」とよく言われるが、誰かが物事を綴る以上、記者や各社ごとの思想に基づいて書かれるのは致し方ないことだろう。偏り具合、正確さ等の点を見れば、良くも悪くも、ネット新聞テレビも目糞鼻糞だ。

知識が付く

→こんなアホな話などない。

1.「テレビ受動的に見てるだけ」

2.「新聞は嫌でも周りの記事が目に入る」

3.「ネット見出しザッピングし、気になる記事しか読まない」

4.「新聞なら読めない漢字文脈理解できる」

こんな文言散見するが、新聞読者様が目の敵にするそこらのテレビ局よりも偏っている。

1.確かにテレビは画面から流れて来る情報を得るだけだが、新聞だってそこに書いてある以上の情報新聞からは得られない。

一方、2.の新聞は広げている以上は嫌でも周りの記事が目に入るらしいが、テレビだって垂れ流している間は興味ないニュースからクソみたいな芸能ニュースまで有りとあらゆる情報が流れ込んでくる。そもそも、自分が読んでいる記事の周りの記事なんて、デカデカと書かれた見出し以外は霞んで見えているはず。その点、3.のネットニュースに対してのそれと同等の状態だろう。

4.いや、調べようよ。漢字辞典の使い方、習ったじゃん。小学校の時に。読めなかったら、意味が分からなかったら、使おう。漢字辞典

文章力が付く

文字を読むという点で、ネットと同等。テレビは確かにその点では劣っている。

アーカイブ可能

確かに、新聞だけは他の2つの媒体と違い、形として保存をしておけるという利点はある。

と思ったのだが、ネットであれば、印刷ボタンをピッとすれば、A4サイズ統一で保存がし易いという最高の利点があった。新聞スクラッパーの皆さんがチョキチョキ新聞を切っている間に、どうやらネットではもう一つ記事が読めそうだ。

⑤魚の調理掃除、濡れ靴の吸水に使える

本当に頭が上がりません。恐れ入りました。テレビパソコンスマートフォンまな板に使うわけにはいかないし、靴に入れたら下手したら水没してしまう。かと言って、スクラップ用に刷ったA4用紙で魚を捌いたり靴に突っ込むのは勿体無い…。

詰まるところ、どの媒体も一長一短なのだ

テレビは、映像もあってわかり易い反面、欲しい情報が出て来るまで待たなければいけない。

ネットは、安価で欲しい情報を取捨選択することが出来る反面、印刷web魚拓なりの方法で保存しておかないと記事がいつ消えるかわからない。

新聞は、テレビ欄で今何か面白い番組をやっているか探したり、魚調理大掃除で大活躍する反面、他のメディアより飛び抜けて秀でた点が無い上に物理的に邪魔

新聞がクソだから廃刊しろ」などと言うつもりは無いし、毛頭思ってもいない。ただ温故知新の「温故」に留まり思考停止している新聞至上主義者に物申したかっただけ。

2017-05-10

[]インサイドヘッド(ネタバレあり)

エンターテイメントとしては面白かったけど作品メッセージロジックが駄目だ。あれだとカナシミの価値家出を思い留まらせる、という結果に依存した価値しかならない。

「ライリー幸せにできない」という台詞が何度かあったけど、あの作品ロジック

・(家出したりしないような)幸せ人生のために感情がある。

・それゆえに、家出を思いとどまらせたカナシミには価値がある。

なんだけど前提が間違ってる。

憂鬱に浸ることは実は精神を落ち着かせる心地良いものだ」、みたいなこと言った心理学者がいた(誰かは忘れた。記憶捏造かもしれない)。悲しみはそもそも不幸を取り扱う受動的な感情であって、能動的に幸福状態を獲るための感情じゃないんだよ。

なのでインサイドヘッドの作中で言えば、ロケットを捨てられたビンボンに寄り添っていたシーンの方がずっと本質的。不幸を回避することを目的とした感情なら悲しみより恐怖が相応しい。実際、ビビリ(両親から離れることへの怖れ)で家出をやめても矛盾しないはず。

悲しみの必要性作品メッセージにできるよう構成し直すなら

1.家出を主導するのはヨロコビ

   持ち前のポジティヴ思考で「ミネソタに帰れば状況が好転する」と考える

2.しかし状況が改善しない

   友達を頼るけど親を呼ばれて連れ戻されそうになる、など

3.引越し現実を受け入れ、心から悲しむことで平静を取り戻す

   これによって心の世界崩壊が止まる

って感じかな。

2017-04-29

文語体が無くなった。

最近気づいた事だが、頭の中から文語体を生成する機能が無くなった。

硬い表現を分かりやすく伝えようとすると、必ず同じような文体(口語体)で生成してしまう。

かつては表現した内容と表現形式が一致しているということに敏感だった。

表現形式、つまり文体、が持つ機能理解を立ち止まらせることで、読書という受動行為思索に転じさせる抵抗の役割であった。

近年出ている本やネット文章でこの抵抗を感じるのは、主張が自分と相容れないかエキセントリックな内容か、である。いずれにしても、分かりにくいから頭を使うのではなく、分かりたくないから、頭の中で粗を探してしまう。

そういう事を繰り返したからなのか、自分の中で、内容を構造に落とし込む、という思考形態が取れなくなった。

現在生活の中で、湯水のように文章が溢れているが、それを読む行為は以前より知的行為でなくなった。ある文を読む事は知識を積むことであり、内容以上にはモノの見方を変えない行為になっていないか。以前には、ある文を読むとモノの見方が変わったものであったはずなのだ

だが、今の自分はどうだ。内容を伝えようとした途端に説得させ相手理解させようとしてしまう。相手思考を待てないのである

古くから残っている本の内容をわかりやすくしてしまえば、誰でも簡単理解できるのであるしかし、古くから残っている本の著者の思考形態原著によってしか手に入れることが出来ない。

大事なのは、分かりやすくしても同じ内容にあるのではなく、思考過程とかモノの見方かいわれる知性そのものの方だ。

営業って何してるの?

スマホが普及した昨今、気になることがあればすぐに調べることができる。

新聞雑誌テレビみたいな受動的な情報源だけじゃなくなった。

消費者が賢くなった。

一昔前なら、いわゆる腕力ってやつで営業出来ていたんだと思う。

でも今はそうじゃない。競合と比較した優位性を説けないと話にならない。

ノリや勢いや酒の席で話が決まる世界じゃなくなったら、古典的営業は何をするのだろう。

2017-04-28

能動的な意思決定は本当に大事か?

先日、某フリマアプリ運営する企業の人事が「就職/転職活動に悩むみなさんへ」と言う記事投稿話題になっている。

twitterなどの反応をみると割と好意的意見が多いようだが、私はとても違和感を感じたのでそれについて書いてみる。

この記事の内容を要約すると、

「豊かな人生をおくるには、他人評価意見に委ねるのでなく自分意志決断たか大事である。よって就職/転職先は、自分意志で決めましょう。」

と言うことになると思う。果たしてこれは正しいでしょうか。

私の意見としては、そんなに夢みたいなことを言っていては何もできないし、はっきり言って幻想にすぎないと思う。

その根拠は2つある。

まずひとつは、人生というのは自分意志コントロールできる部分が極めて少ないと言うことだ。

これは、歴史勉強すればわかることで、どんなに強い意志や才能を持っても不遇な一生を送る人間は山ほどいる。逆に自分意見を殺して決断他者に委ね、時代迎合することで豊かに暮らしてきた人間も山ほどいる。

決断というのは、自分意志で決まると言うよりは環境などのしがらみで"そうせざるおえない"状況で決まることが多い。

身近なところで言えば、仕事部署自分意志と言うよりも、組織の都合で決まることが多い。

また、政治世界で考えてみると、財政問題外交問題は現役の総理大臣責任というよりは、歴史的に蓄積されてきた問題であることがほとんどだ。他人がこれまでしてきた決断の積み重ねの上に現在業務があり、本意でない仕事も多いはずだ。言い方は悪いが他人の尻拭い的な仕事が大半だ。それでも葛藤しながらも日々の業務をこなしていることだろうし、それが仕事というものだ。

天災社会情勢、歴史的なしがらみなど、自分では如何ともしがたい運命翻弄されながら、それを受け入れた上でベスト妥協策を探ることが重要なんではないかと私は思う。

ふたつめは、自分の知りうる情報は極めて限定的であるという問題だ。

自分収集しうる情報から論理的な最適解を導いてもそれは局所解でしかない。

これについて興味深い示唆を示しているのが、アメリカ社会学者マーク・グラノヴェッター提唱している「弱い紐帯の強み」と言う概念だ。これは、例えば転職活動をする際、自分のことをよく知っている人より関係性が薄い人(パーティーたまたまあった人とか)からもたらされた情報で選んだ会社の方が満足度が高いという話である

これは、自分帰属している環境から日常的に得られる知識はかなり偏りがあるということを意味している。

この問題を解消するためには、意図的自分意志に反することをする必要があると思う。

冒頭で紹介した記事の中に「人に言われて何か学ぶ」「流行りだしたから始めて見る」っていうことに否定的意見が述べられているが、私はむしろ自分普段選択しないものから自分思考が発展していくと思っている。

特に変化が激しい現代社会においては、自分が最適だと思っている選択陳腐化しやすい。

自分思考の幅を広げながら柔軟に生活するには、受動的な決断に身を委ねることも必要なんではないかと思う。

このように、これら二つの要因から能動的に意思決定することが必ずしも有効とは限らないと思う。

確かに決断の回数が人を成長させることは一理ある。

しかし、その決断が豊かな人生につながるほどシンプルではない。

私の周りを見回してみると、自分意思決定をしたいとロマンを追い求める人ほど社会に出てから思い悩むことが多いし離職率も高いように思う。「自分の本当にやりたいことは別にあるんじゃないか?」など答えのでない問いを繰り返す傾向がある。

逆に自分意志が反映されない環境・状況であっても、これが現実と割り切って粛々と実務をこなすタイプの方が長続きするし周囲から評価も上がり豊かな生活を送っていることが多い。

環境を変えるより自分自身を変えることの方が簡単だし効果的だ。

まとめると、偶然や不確定性を受け入れ、自分ではどうすることもできない残酷運命翻弄されながらも、それを楽しむ度量が必要なんじゃないだろうか。

身も蓋もないことだが、人生運ゲーだ。

2017-04-15

何人でも腹を立てるでしょう

聞きたくもない話を学ばされるのが日本史なのですから

受動系の謙譲語で語られるのがヤマト民族なのですから

嫌になって当然です

2017-04-02

友人・人間関係のことを支離滅裂

私はもういい年の三十路の女です。

最近SNSで知り合い仲が良くなって、頻繁に遊びに行ったり、自分の部屋に呼んで飲んだり泊まったりできる友人(女性)ができた。

それなりの時間をかけて、トラブルもなく順調に仲良くなっていって、本音も少しずつではあるけど話せるようになっていった。

しかし、それは突然終わりを告げた。

ある日、SNS上で見かけないな、と思って確認した。

つながりを切られていた。

切られたことに対してのショックはなく、純粋に驚いた。

ネット上だけの関係なら繋がりを切ることに躊躇など必要ないとは思うのだが、自宅に行き来するような仲でもそういうことができるのか、と。

しかし、切られたことに対して攻める気持はないし、あちらからしたらその程度の関係だったということだろう。

と、思ってはいるのだが、これがキッカケで「友人を作る」ということの難しさをまた痛感することになった。

誰しもそうだとは思うが、人間関係で大きかれ小さかれトラブル経験すると「マイルール」ができてくると思う。

それは事あるごとに変化していくものだが、今回の件でそのマイルールが全て無駄だったと思った瞬間、友達を作ることができなくなるのでは、と恐怖を覚えた。

仲を深める、ということは、会話が重要だと思う。

自分はなるべく会話で相手を知る、自分を知ってもらおうと思っている。

突然だが私は、数年前に親友を亡くしている。自殺だった。

当然、後悔している。

「あの時、なんで話をちゃんと聞いてあげなかったのだろう」

「あの時、もっとちゃんと言えばよかったかもしれない」

「あの時、ああ言わなければよかったんじゃないか

よくある、と表現するのは不適切かもしれないが、本当にそう後悔している。

死ぬまで後悔しつづけると思う、だからこの後悔は当然マイルールに影響している。

おそらく誰しもがそうしてるであろう内容なので、書かないといけないのか?と思われるかもしれないが、自分メモとして、ざっと書き出してみたい。

相手の話を聞く立場の時

相手の話は相手の気が済むまで聞く。

・相槌は必ず打つ。

相手立場になって話を聞く。(相手の心情をなるべく理解できるように)

・わからない部分があれば、解釈が合っているか確認する。

自分が話をする立場の時

相手が嫌がるような話をしない、言葉を使わない

・誤解を招く表現をしてしまった場合、即座に訂正すること


これは私が相手にすることであって、相手が必ず私にしてくれることではない。

から相手によって微妙対応を変えるし、内容も変える。

他にも、会話の内容だけではないが、自分にとっての常識他人にとっての非常識場合もあるし、その時の相手精神状態などもあるだろうから、一概に全てをこのマイルール適用させることはあまりない。

そうやって色々、相手のことを考えつつ、自分のことも考えて築いていくのが人間関係なのだと、思っている。

私にはそれができない、できていないようだ。

「気が合う友達」というのが親友以外名前を挙げれないのだが、親友は私に対してそう思ってくれていたのか、今では確認のしようがないか不安と疑問と恐怖でいっぱいだ。

から

いって、その気持を払拭するために、もし今後「気が合う友達」ができた時に「私はこう思っているがそう思ってくれているか」なんて聞けることもないだろう。

私は「遊びや旅行などに誘いあえる」「なんでも話ができる」「助け合える」ことができる友人が欲しいと思っている。

突き詰めていけば、もう一人自分がいればいいのだが、この世にコピーロボット存在しないから無理な話。

しかしどうすればそんな友人ができるのだろうか。

そもそも、人付き合いがとても苦手なのだ

理由はよくある幼少期のいじめ

容姿いじめられたり、何をしてもいじめられたりした。

から受動的になったというか、自分から率先していくことはなくなった。

それでも人間関係は生きている以上、存在する。

自分から見て、この人とは付き合わないほうがいい、と思って離れると、自分けが離れてしまうことばかりだった。

いつも孤立する側で、周りに人が残らなくて、全てリセットされてしまった。

その度「私がおかしいのだ」と思ったし、今でも思っている。

改善しようにも、わからない。

それと私には「人を見る目がない」から友人がいない。

たまに「あなたは人が良すぎる。もっと自分を出したほうがいい」と言われるのだが、そういうことばかりだと自分はなかなか出すことができない。

どうにかしないと、と思って入るが、出会いの場もそもそもどこにあるのかわからない、一般的に使われているSNS以外のどこで友人ができるのだろうか。

皆どこで友人を作っているのだろう、出会っているのだろう。

人と繋がりたいと思っても、手段がわからない。

よく「趣味の集まりで」等きくが、その集まりはどこでできた集まりなのか。

そこには人と人の繋がりがあってできる集まりと、ネットサービスでの集まり等様々があるのだろうが、そもそもそこにたどり着くプロセス形成できない。

仕事でも社内以外の人間と接することは一切ないただの事務職なので、その繋がりを作ることもできない。

もし仮にまたできたとしても、コミュ障特有気持ち悪いしゃべりしかできないので、そこから関係を広げられるかどうか不安もある。

不安を言い出したらキリがない。

そもそも、人と付き合うことに対して恐怖を持っているのかもしれない。

私は「親しくなりたい」と思ってもらえない人間なのだろうとも思う。

どうすればそれを覆せるのかもわからない、多分今までもそう思って行動を取っていたかもしれないが、失敗しているんだろう。

こんな人間結婚できると思えないし、そもそも結婚願望もない、子供がほしいとも思わない。

ずっとこのまま孤独で、孤独死していくんだろうな、と思う。

ただ、諦めることはなく、これからも友人を作りたいとは思っている。

ずっとこんな気持でいながら作らねばならないのか、と気が重くはなるが。

ここまで読んでくれた人、ありがとう

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