「助詞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 助詞とは

2024-07-03

anond:20240703002559

一万歩譲って「A擁する」=「Aが擁する」は成立したとしても、

「擁するB」は「Bを擁する」にはならねーだろ。

助詞の省略だけじゃなく、語順も変えないといけないんだから英語じゃないんだし。

ということでこの人相当なバカです

2024-06-21

アシモフの「I, robot」の日本語訳は、原文にも助詞がついてないから「わたしロボット」とかなんじゃないのかな…

2024-06-11

anond:20240611094841

奄美野黒兎

アマミノクロウサギの「ノ」は、場所所属を示す助詞「の」ではなく、野ウサギの「野」。これ豆なw

2024-05-31

頂き助詞「り」「り」「ち」「や」「ん」

2024-05-28

男の人のLINEってなんで甘えてくるんだろう

男の人って普段言葉遣いかなり丁寧というか、メールでもLINEでも文面きっちりしてるイメージ

特に仕事とかちょっとした知り合いの人と話すとき 友達同士で話すときはよく知らない)

軽い挨拶でも絵文字とか使う人あんまりたことないしさ

でも付き合うと文面急に変わらない?

なんか甘えたになるというか

「ねね!笑 来週映画いこ🥺」

「はよあいたい すき」

「みせよやくした!18:00ね😇」

「てかむかえいくよ!笑まちあわせどこする?」

みたいな文面にならない?

助詞とか抜けて絵文字+ひらがな主体の文になる感じ

これは私が付き合ってた人の例なんだけど

付き合い始めた頃にこんなん送られてきて結構面食らった記憶がある

そして、こういうタイプの男の人と4人付き合ったことがある

というか付き合った男の人が皆このタイプだった 確率が高すぎる

いちいち聞くことでもないか特に突っ込まなかったけど

かといって実際に会った時は普通の口調なんだけどね

気を許した人にだけこんなLINE送るんだと思うけど、

友達彼氏の話とか聞いてる感じ、結構多くの男の人がこのタイプになるんじゃないかと思ってる

元々オタクっぽい人は知らない そういう人は多分文面変わらないよね、幼稚な文体抵抗があると思うから

あと、別にこの人たちは頭の悪い人ではない

しろ勉強できるタイプの人 普段は幼稚な文章絶対書かないのに交際相手にはこうなるっていうだけ

こういう文章の延長線上におじさん構文があるのかな

おじさんも普段普通文章を書いてて、好きな子にだけああい砕けた口調のLINEを送ってるのかもしれない

2024-05-26

anond:20240526164821

わたしタコト違うよ」がカタコであることを説明するのが難しい?不必要主語があり、必要助詞が抜けていて、動詞選択おかしいと指摘できますよね。「カタコトじゃないよ」が自然日本語であるといえますよね。

2024-05-14

anond:20240513141130

「を」じゃなくて「が」か「で」なら分かるんだけどなあ

主体側の助詞に「を」を使う方言があるのかな

2024-04-30

anond:20240430101231

日本語助詞はかなりゆるいんだよ。「ケーキを切れない非行少年たち」「ケーキが切れない非行少年たち」「ケーキの切れない非行少年たち」ぜんぶ使えるわけ。

2024-04-23

頂き助詞りりちゃんは何の助詞を頂いてこのような罪に問われてるんだよ…!

まぁパパ活っていう単語自体助詞を敢えて省くことで隠語としての意味合いを深めてるところはあるか

2024-03-28

anond:20240325113521

×レベル

レベルには

京大卒ならそんな助詞の使い方しないと思うよ

2024-03-12

anond:20240312084527

お前も助詞を知らんアホの子からちょうどいいやでという話

2024-03-11

日本語のいいところは助詞がはっきりしているのと

漢字平仮名片仮名があって全体的にイラスト的なところ

筆記用具使ってたら線書きが上手くなりそう(適当

2024-03-04

anond:20240304173028

古語から古いオタクなんだろう。

ぞ〔係助詞「ぞ」から〕


(終助)


文末にあって,活用語の終止形に付く。


自分判断を強く言い切ったり,主張したりするのに用いる。「ぼくの方が正しい」「これならきっとうまくいく」「そら,やる」


②疑問詞と呼応して,反語や疑問を強めるのに用いる。やや文章語的な言い方。「一体だれがこの難問に答えられよう」


(副助)


文中の疑問詞を受けて,不定の意を表す。「だれに聞いてくれ」「なん食べ物はないか」〔の終助詞近世以降の用法,の副助詞中世以降の用法〕→ぞ(係助)


ぞ


(係助)〔古くは「そ」。上代から中古にかけ次第に濁音化し,「ぞ」が一般的になる〕体言活用語の連体形・種々の助詞などに付き,取り立てて強く指示する意を表す。


文中にある場合。文末の活用語は連体形で結ぶ。


①一つの物事特に取り出して強調する。「峰高く,深き岩の中に聖入りゐたりける/源氏物語」「野中に岡だちたる所に,ただ木三つたてる/更級日記」


②文の調子を整えるのに用いる。この場合動詞連用形に付き,サ変動詞「する」で受ける。「折りてみば落ちしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露古今和歌集」


文末にある場合。その文を強く言い切るのに用いられる。「我をいかにせよとて捨てては昇り給ふ/竹取物語」「この西なる家には何人の住む/源氏物語」→ぞ(終助・副助)


2024-02-22

anond:20240221094404

略称のののみたいなラノベなかったっけ

ゆゆゆ別ある知ってる ヴヴヴみたいなも(アニメ?)

部屋Yシャツ私、俺お前大五郎 と 複数結構思いつく いとしせつなし恋せよ乙女

の 複数タイトル少なそう 副詞? 略してもほとんど意味通じる

略称がのののみたいなラノベなかったっけ

ゆゆゆが別にあるのは知ってる ヴヴヴみたいなのも(アニメ?)

部屋とYシャツと私とか、俺とお前と大五郎とか と が複数結構思いつく いとしせつなし恋せよ乙女

の が複数タイトルって少なそう てか助詞? 略してもほとんど意味通じる

2024-02-19

anond:20240219160830

形態素解析って品詞名詞動詞助詞... に分割するんだろうけど、

その中に「なちゅ」って言葉が有るのか不思議

2024-02-07

「チャニゴシ」にみる日本語の将来への不安

チャニゴシってなんだ?

…ああ、「茶濁し」か。

文脈で「お茶を濁す」の省略形だとはわかる。

口語なのだからかいところにケチをつけるべきではないかもしれない。

しかし「お茶を濁す」くらいきちんと言ったらどうか、と思う。

最近とみに思うのだが世間で見られる日本語がいつからおかしくなってきているのではないだろうか。

中でも表現の過剰な省略化と助詞(てにをは)の欠落の二点が目立つように感じる。

自由に変化してこそ言葉だ。だからこそ言葉面白い。それはその通りである

現代風の柔軟な日本語問題があるというより、現代話し手の話し方や言葉選びに日本語をしっかり使おうという意識がなかなか感じられないのが問題に感じる。

言葉を軽んじているようにも見える。

言葉の使い方、言葉の力、それによって起こる影響について慎重に考えている人がきわめてすくない。

そんな思考のままでいるかSNSにおける誹謗中傷人間トラブルといったものが止まないのではないか?(というのはいささか暴論であるが)

日本語の将来が私はとても心配である

2024-01-26

anond:20240126180439

いや、そこじゃなくて、助詞「が」の使い方が紛らわしいぞという指摘だったのではないか、と言いたかったわけなんだが、、、

例文:この机は引き出し「が」出し入れしづらい。

2024-01-25

anond:20240125181304

小学校国語教科書で「助詞」の勉強をしよう、なっ!

ピーマンの肉詰め」ってさ

正しくは「ピーマンに肉詰め」だよね。

2024-01-11

anond:20240111100856

言いたいことはなんとなくわからんでもない。

が、なによりおれ的には

20年間で初めて知ったは。」

みたいな「は」の使い方の方が嫌い。

完全な間違いというわけではないかもしれんが気持ち悪い。

助詞「わ」なので「初めて知ったわ」と、書く方が一応は正しいと思う。

anond:20240109232811

創作検定4級ってところかな

助詞選択は正確で日本語能力は申し分なし。底辺を見下ろす立場にいるという設定でひたすらベタな展開を書くのは底辺の特徴なので、次作はレベルアップ目指して行こう。

2023-12-14

卒論代行してる

体調不良就活説明会を交互に挟んでゼミに半分も来ない、来週締め切りだってのにRQの設定すら出来ていない。実験調査もしなかったかデータがない、論じるものもない。

論文どころか本も読んでないしニュースも見てないから基礎知識が欠如している。文章助詞の使い方レベルで直しが必要だけど、何度言っても学内ピアサポート的なサービスは利用しない。一度引っ張っていったんだけどね。友達がいないしゼミでも孤立してるから相談相手がいない。

ゼミの進捗報告会も指定資料すら作らず口頭で忙しいからやれませんでしたを連呼する地蔵になるだけ。たまに来た授業も終わったら一瞬で消えるから連絡が取れない。電話は着信拒否してんのかってレベルで出ない。ゼミ内の連絡ツール普段のやり取りからすると見てない。

で、腹くくってご家族にもう非常に厳しいとご報告したら突然焦りだしたけど、明日バイトからできないってさ。そもそも単位落としまくってるから4年後期でもがっつり授業取ってるんだけどね。

上長相談したら明確には言わなかったけどおまえが卒論書けって。喜べ、あなたは一生つきまとう卒論代行という負い目を追うことで卒業できる。私も不正に関わった研究倫理皆無の教員になるけどな。

2023-12-09

anond:20231208235807

自分がその文才が」→「自分に」

同じ助詞が続くのは違和感ある。

2023-11-10

anond:20231110134336

まず何が逆なのか分かんないし、前後文章が繋がってないので意味がわからないし。単語を知ってても接続詞助詞の使い方が下手くそだとこんな意味不明な文章になるんだな

2023-11-07

マナー講師嫌悪する奴ら

正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。

大方の意見ネット民と同じだと思っていい。

しか提言するべきことがある。

重要なのはマナー講師を何故胡散臭いと感じるかだ。

理由簡単マナー講師の奨めるマナーというもの一般的ではないように感じるため。

まり恣意的なんだよ。

マナー講師独自マナーを作ってそれを流布しようとしている。

けどそれって、あなたルールですよね?というわけだ。

だが少し待ってほしい。

恣意的ものというのは果たしてマナー講師マナーだけだろうか?

本題に入ろう。

ここから言語の話だ。

日本人であれば当然「てにをは」のことは知っているだろう。

掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。

例えば、次のような文章があるとしよう。

1.私は増田が好きである

2.私は増田は好きである

一般的に正しいのは1。

では2はどうだろうか?

違和感を覚える?そうだろうね。

でも、2が間違っているわけではない。

それはただ読み難いというだけに過ぎない。

しか試験で2のように書けば×をもらうだろう。

そもそも我々が「は」を「が」と同様にしない理由はあるのだろうか。

はっきり言おう。

そんなものはない。

そこに必然性はなく、あるのは恣意性のみだ。

馬鹿を言うな。そんなことを是としてしまえば世が混乱する。

ええ、その通り。だからこそ世の中のルールというのはおおよそが恣意的である

にもかかわらず、恣意性であることに気づいていない人が大半なのは悲しいことだ。

しかしこれは悪いことではない。寧ろ必要なことであり通念がなければ社会は成立しない。

要するに、社会というのは洗脳されなければ成立しない。

からこそ必然性のない恣意性を我々は教育として受け入れ、それを是として正しいと認識する。

緩やかな洗脳必要悪。それは洗脳と呼べばそうであろうし、常識と呼べば好まれる。

からこそマナー講師糾弾するというのは同時に、自分洗脳に対する嫌悪でもあるはずなのだ

世はSNS全盛期。

人々は情報に踊らされ、偏った情報洗脳されている人々を笑う。

洗脳されている奴らを洗脳されていることに気づいていない奴らが笑う。

人生喜劇である

巷でたまに聞くこの言葉意味は、そういう意味なんだよ。



追記

拙い文章ながらブクマコメントいただきありがとうございます

初めての増田投稿のためドキドキしながらも嬉しいです。

そしてコメントにおいて何点か気になるものがあったため追記しました。

君は自分が思ってるほど頭良くないし作文も上手くない。もってまわった言い回しを全部切って文量を半分にすると頭良くなるし作文も上手くなる。騙されたと思ってやってみな。

まず、これは頭が「良い」や「悪い」の話ではありません。

そのため本文の内容を理解できたのであれば感想として「頭が良い」「頭が悪い」といったものは出てきません。

何故なら本文が示す意味準拠するものを問うからであり、意味理解したなら「そもそも頭が良いとは何か?」といった感想になるはずです。

まり「分かりやす文章を書けた方が”頭が良い”のならば、その分かりやすさはどの程度の知能を基準とするのか?」という問題です。

本題と言いつつ本題ではない部分だけど、文法的に通じることと同じ意味として通じることを混同している。愛の告白をする時に「僕は君は好きだ」なんて言ったら十中八九「じゃあ誰が嫌いなの?」って返されるよ。

あえて混同させています

その上で「じゃあ、どうしてそれを”混同”と呼び、差異を認めるのか?」といった話です。

ただ例として出した文章が分かり難いといったことは否めず、それは完全にこちら側のミスと言えるでしょう。

すみません…。

格助詞「が」と副助詞「は」は同じではないよ。

問題は、それら「が」と「は」が同じではないとして、では何故同じではないのか?という話です。


本文を書くきっかけは、部下と言語についての話をしたことでした。

私は言語学や記号論を学んでおり、当時はそれらが時代の潮流に乗り、栄えた時代でもありました。

部下は著名な大学を出ており、専攻は文学と聞いていました。

そこで私がジェラール・ジュネットマリー=ロール・ライアンを持ち出して話をしたところ、ポカンとした表情を見せられ、

じゃあロラン・バルトについてはどう思うのかと聞きました。

すると彼は「それってガンダムキャラクターですか?」と笑って尋ね、私は愕然とし、構造主義としての思想はもはや廃れてしまったのか?

憂慮する思いを抱きつつ、多少の啓蒙目的で本文を書き記した次第なのです。

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