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はてなキーワード: 助詞とは

2022-07-31

anond:20220731090654

あーおれもまっさきにそれが気になった

けど、まあ気にするだけ無駄というか、助詞なんて適当でいいんだろうなと思った

2022-07-15

ERROR: 不正PROXYを検出しました。1

問い合わせID

ホスト

名前

E-mail

内容:

>>251

「は」が本来表し得る音(ハ行転呼音の系譜上にあるパ、ファ、ハ)では、なく、今まさにその文字が読まれときの音(今回は「は」を「ワ」と読む)に対して音韻変化は起こる

に納得したのならそれ以上言葉尻捉えて噛みつくこともあるまいに

お前自身文字でなく音ありきで音韻変化が起こる例を他にもしっていて「音韻変化は文字じゃなくて音ありき」ということに納得してるならそれでいいじゃないか

何をそんなに必死になる必要があるのか

てか、中世口語って助詞としての「は」もファと読んでたのか?

2022-06-16

anond:20220616092613

少なくとも熊本方言はそんな感じやね。

雨が降った を 雨の降った という。

が と の が特定文脈で入れ替わることが多い。

肥筑方言

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E7%AD%91%E6%96%B9%E8%A8%80

主格を表す助詞に「の」が多く使われる。

2022-05-25

anond:20220525073127

口語発音文章を書く

「言った」を「ゆった」と表記したり、「これは」を「これわ」と書くのは未来人の特徴。

いや、そうでもないぞ。むしろ昭和以前の古代人の特徴だ。

助詞の「〇〇は」や「××へ」が公式に正しい書き方と認定されたのは、昭和61年の内閣告示からで、それ以前は発音通りの「〇〇わ」や「××え」でもよいとされていた。

これ豆なw (ソース朝日新聞

2022-03-26

五歳児と『Pokémon LEGENDS アルセウス』を遊んだ

親戚の子供が家に来ており、子供の親が作業をしている間に、少し時間をつぶしてもらう必要があった

ポケモンが好きだと話していたので、『Pokémon LEGENDS アルセウス』で興味を引くことにしたんだ

アクションゲームでかつ、ZRキーなどコントローラーの側面側も押す必要があるからプロコンを渡したら「重い」と言っていた

「さっと遊ぶのと最初から遊ぶのだったらどっちがいい?」と聞いたら「最初からがいい」とのこと

本人曰く、ひらがなは読めるとのことで、序盤のアルセウスとの出会いの場面と主人公名前を付ける場面は音読しながらクリア

カタカナは知らなくても「ポケモン」という単語は知っているので読めるが、「アルセウス」はカタカナを一字ずつ理解できているわけではないから「何て読むの?」と聞かれた

アルセウスだよ」というと「これ(カタカナ文字)がアルセウスかあ」と感心していた

博士出会う場面では一行送りの概念を知らないので、Aボタンを押してセリフが丸まる切り替わらず、前の行が残っていると、前の行から再び音読していた

漢字にはふりがなが振ってあるものの、テレビに映しても大きなサイズではないので、苦戦しており、読みづらそうにしているときは代わりに音読し、どういう話かを説明をした

発音としては「っ」を「tsu」と音読し、助詞の「は」をそのまま「ha」としていたが、途中から意味が察せられたのか、「は」を「wa」と発音していて、この子ゲームの中で成長している、すごい!となった

アクション操作についてはRスティックカメラ位置や照準を合わせるというのが難しいようだった

3D アクションは初めてっぽい感じもしたし、そもそもZRキーに指をかけながら親指でRスティックを触るというのが指が届かないという問題が生じた

このゲームは照準を合わせたところにモンスターボールを投げるアクションゲームの中心であるため、継続不可能かなと思ったが、本人が「楽しい」とのことだったので様子をみることにした

その後、カメラを動かさずに、主人公自体が捕まえないといけないポケモンの前に行き、照準内にポケモンが来るまで待つというテクニックで、最初御三家を捕まえるイベントクリアしていた

この後は会話シーンを飛ばして、概要を私が説明しながらプレイする方針に変えた

序盤の難関かなと思っていた、草むらからスニーキングしてムックルを捕まえる場面も、1回目のチャレンジではボールの照準が合わずあらぬ方向にポケモンボールを投げ、ムックルに気づかれて逃げられるも、

2回目のチャレンジムックルの側面からしゃがんで近づくことで、気づかれないギリギリ位置からボールを投げることでゲットしていた

ここらへんで1時間くらい経っており、「もうちょい遊びたいなら先に帰るから送ってもらい」と親子さんが作業を終え、帰っていった

最終的にルクシオレベル15を倒していたところらへんで、「車の中でもプレイしていいから」と説得し、プレイを終了した

他に気になった点としてどうしてもキー名前を「Yキー」としか教えられないので、スーファミコントローラーみたいにキーに色がついていればいいのになとちょっと思った

個人としては人のカメラ操作でのアクションゲームを見ていたので、めちゃくちゃ3D酔いしてしまった

2022-02-24

彼女は悲しい」she is sad.「彼女は悲しんでいる」

このブログについての話だが。

彼女は悲しい」は「she makes me sad」か?

https://nakaii.hatenablog.com/entry/2022/02/22/210429

タイトルだけ見て何じゃこらと思っていたのだが、読み進めるうちになるほどなるほどと引き込まれる内容で面白かった。


ところで、she is sadの「自然日本語訳」として、ブコメでは「彼女は悲しんでいる」という訳があがっている。

自分もそれなら自然だなと思ったのだが、実はこれは純粋な形容詞?ではなく動詞?なので、「日本語形容詞の特徴」を説明してるブログとはまた話が違うらしい。

悲しい、が形容詞で、悲しんでいるは悲しむという動詞から文法的に違うという事っぽい。

(こういうことを細かく考え始めたら、「でいる」ってなんだよと混乱しかけたが、助詞の「で」と補助動詞「いる」らしい。「飛ぶ・飛んでいる」と同じような関係か)

この辺の国語は昔から全く理解できなかったので間違ってたらすまん。


とにかく、「悲しんでいる」はちょっと違うらしいので、他に何かしっくり来るものはないかと探していて見つけたのが、

説明文としての「彼女は悲しかった」。

書き言葉としてはこれがいちばん自然そう。


かなり客観的説明調で口語ではまず使わなそうだが、「彼女は悲しい」ほど違和感がない日本語として成立していて、

she makes me sad. とは取られない文章だと思うが、どうだろうか。

小説の文中なら、恐らく「彼女は悲しい」は使わないし、「彼女は悲しんでいる」というストレートすぎる記述もあまりしなさそうで、

多分「彼女は悲しかった。なぜなら〜だからだ」というような形がいちばん自然な気がする。

「悲しかっ-た」で、ちゃん形容詞連用形?のはず。

赤かった、寒かった。

(またしても「〜った」って何だよと思ったが、形容詞連用形に対する、助動詞「た」の接続用法らしい)


上記ブログ文中の例「彼は楽しい→彼は楽しかった」「彼は怖い→彼は怖かった」などでもイケると思ったのだが、誰も指摘していないようなので、もしかたらこれも何か間違っているのだろうか?

こういう事を考え始めるとゲシュタルト崩壊的な状態になって判断がつかなくなる。

(「彼女は悲しい」も、自然な気がしたりしなかったり訳がわからなくなってきた。「彼女は悲しかった」も変な日本語か?)

先ほども書いた通り、小中の国語の授業で躓いているので自分では何が間違っているのかもよくわからない。

誰か詳しい人がいたら、おせーて。

2022-02-14

どうでもいいなら聞くな anond:20220212150124

わず解説ちゃうだろw (三省堂スーパー大辞林」より引用)

① 断定または指定の意を表す。判断したり強く断定したりする。「彼は学生だ」「一足す二は三だ」

② 質問文に付いて,相手に念を押す気持ちを添える。「あなたはどなたでしたっ―」「なんという名前だったっ―」〔江戸語・東京語では「だっけ」「たっけ」の形しか用いられないが,関東方言では「見えっけ」「言っけ」などと用いることがある。〕

① 疑い・問いかけの気持ちを表す。「なぜ人間死ぬのでしょう―」「あなたはどなたです―」

2022-01-31

十二夜空の青を微分せよ街の明りは無視してもよい ある和歌分析

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華

概要構造構成分析結論を述べる。

概要
詠人

川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程ひとつだろう。

歌全体が試験問題体裁をとる。

単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニック掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。

分析

配置

テスト12     

光景 夜空の青   

テスト微分せよ   

光景 街のあかり  

テスト無視してもよい

物理地学問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討する。

内容は上記のとおりテスト光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズム形成している。


リズムベクトル

テスト光景、ふたつの要素は卑近受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有神話的要素がうかぶ

テスト机上教室公共拘束試練事象命令

光 景天空外界自己解放自由心象想像



テスト光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムベクトルは、おとなとこども、他発と自発受動能動服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生生活リズムベクトルのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのもの表徴する。


単語分析

問十二

夜空

微分

明り

無視

良い


各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつ単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。

述部の分析

展開は三部で序破急をとる。

序・問十二

テスト問題からはじまる文章表現そもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。

十二は天文暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。


破・夜空の青を微分せよ

専門術語の唐突な投入は文脈を破砕し衝撃を生む。

この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空打ち上げる。

微分される夜空の青とは何か。

それは学問対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。


急・街の明りは無視してもよい

街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。


結論

この歌はテスト問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟想像記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。

上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春限定叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値限定できるのか。

そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為自己世界のはざまからまれ認識の、つまり哲学科学原初のすがたであり、その姿勢現代短歌流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。

結句を復唱したい。

俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。

時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものから

2022-01-29

anond:20220128120213

嫌さがよくわからないやつ

・ほんと大きくなったねぇ

・夜になった

運動するの好き

シートベルト必要なの、納得

・鶏をソテーするの、カリカリしてて好き

・信頼感ある人(信頼感「が」ある、の方がいいって話かな?上の3つも助詞を入れる派なのかな)

・○○では?←この短さで同種の言葉代替が思いつかない。増田は短文SNSは使わない人かもしれない。

そもそも←類語を調べたがぴったり代替になるのあるかなあ、ピンとこない…

正論という言葉を含むものは「正論のように見えるもの批判」も「そもそも(いったい/だいたいにおいて/本質的に)正論というものが成立するのだろうか」という問いも嫌なのかしら、いや、増田自分で使いたくないだけだから増田の想定する使い方で論ずるべきか。

2022-01-05

子育て難易度って生まれてきた子の特性でほぼ決まるんだなぁと。



 子どもを2人育てていて、同じ親からまれて、同じ家で育って、似たような顔をしてても、兄弟って全然違うんだなって当たり前のことを実感してる。


比較対象が2人しかいないので上の子と下の子でどうしても比較してしまうんだけど、親の育て方とか働きかけがどうこうの前に全く別の人間だし、同じように育ててるつもりでも異なる経過を辿るもんなんだね。子育てって面白いな。


以下、上の子場合と、下の子場合



悪阻

 思えば妊娠から生活全然違った。

 上の子の時は基本食べ悪阻吐き気はあるけど取り敢えず何か口に入れておけば耐えられたし、頑張って乗り切れる程度のしんどさだったから法定通りの産休まで普通に出社して働いていた。

 下の子の時はザ・吐き悪阻兎に角毎日吐いて歩くたびにえづいていたし、結局出産まで悪阻が続いて毎日必死だった。貧血も酷くて鉄剤飲んでたし、ベッドから全然起き上がれなくて有給フル消化して何とか産休まで持たせて、とにかく仕事だけは落とさないように頑張ったけど勤怠ガッタガタで申し訳なさの極みだった。


出産

 これは2人とも安産。2人とも出産日過ぎても産まれてくる気配が全然なくて、入院して促進剤打って産んだ。

の子6時間、下の子の2時間とかだったかな。もしも3人目産んだ場合、30分とかで産まれそうで怖い。まぁ予定ないけど。


夜泣き

 当時からうちの子まり泣かないな?と思っていたけど、上の子は結局夜泣きらしい夜泣きがなかった。新生児の頃は夜中の授乳で起こされはするけど3時間ごとの授乳タイマーって感じで無駄な泣きが全然なかったし、生後3ヶ月くらいからは普通に朝まで寝てた。

 下の子最後5ヶ月くらいからは朝まで寝てたけど、何で泣いてるのか分からない泣きが結構あった。3歳になった今でも夜中に不意にわぁーーん!みたいな泣き声を上げことがある。夢でも見てるのか?


◆肌トラブル

 上の子は肌トラブル切なかった。お風呂上がりに保湿して終わり。

 下の子は早々におむつ被れが悪化して、おむつ替えの度にお尻洗ったり薬塗ったりが面倒だった。2人目で慢心してオムツ替えの頻度が悪かったのかなと反省したけど、多分普通に肌が敏感だったんだなと成長した今も保湿剤塗りながら思う。


◆発育

 上の子は首の座りも、腰の座りも、ハイハイも、つかまり立ちも、全てが早目で、ハイハイした翌週に掴まり立ちした時は、母子手帳大分違うな?!ってなった。

 下の子は、全てゆっくりで、離乳食始まった時点で腰が据わってなかったかベビーチェアじゃなくて膝の上に抱っこしてあげてたな。ハイハイは結局一度もせず、長いずり這い期間を経て立って歩いてしまった。ハイハイ機能搭載されてなかった。


食事

 真面目に離乳食作って長らく大人とは別メニューで育ててたら薄味好みに育ってしまい、外食に行くと辛い(味が濃い)とよく言っていた。肉魚が苦手で野菜煮物とか汁物とかが好きな子だったから、お子様メニューに食べれるものがなくて、お子様とは??となってた。

 下の子は上の子反省を踏まえて多少雑にメニューを考えていたというのもあるけど、割と何でも食べる。肉魚の方が好きかな。焼き魚をむしゃーっと鷲掴みして食べた時は驚いたし、ポテトとかナゲットとかオムライスとか上の子全然興味なかったもの普通にむっしゃむしゃ食べるので、想像の子もの食の好みだ!となっている。


言葉

 上の子言葉説明すると理解してくれる子で、発語する前からこれは危ないから触らないでと一度言うとその後一切触らない子だったので物を壊したりとかのトラブルが全くなかった。1才10ヶ月くらいで2語文を話し出したなぁと思ったらあっという間に文章になり、2才過ぎには助詞がついた普通の会話になっていた。

 下の子は2才前後で2語文になって、2才半くらいまでは、とーちゃ、ぷんぷん、やなのぉー(=お父さんが怒るのが嫌だ)みたいな赤ちゃんしゃべりを長らくしてたな。未だに滑舌ちょっと辿々しいかもしれない。言われたことは理解するけどそれより自分好奇心が勝るタイプで、3秒前に怒られた内容を繰り返して話聞いてた?!ってなる事が多々ある。


◆人見知り

 上の子はとにかく人見知りで知らない人がいる場所では絶対母親から離れない、知らない人とは一言も話さない、で人混みでの迷子とは一生無縁な感じだった。6歳の今ではまぁとりあえず挨拶くらいは普通にできるけど、知らない人は割と警戒してるかな。

 下の子場所見知りも、人見知りも全然しないで、知らない人の前に行ってやぁ!って勝手挨拶するタイプお菓子くれる人がいたらそのまま着いて行って誘拐されそうな気がする。言い聞かせてはいるけれど。


◆イヤイヤ期

 イヤイヤ期っていつからなんだろうなって思ってる間に大きくなって、結局上の子はイヤイヤ期がなかった。子どもらしくぐずったり泣いたりはあったけど、話して説明すれば納得してくれる感じ。後、断固母親派だったので、父親だと拒否することも母親提案すると受け入れてくれたりしてたので大変ありがたかった。

 下の子最近終焉を感じるけれど、よくイヤイヤしては世界の全てが嫌になっていた。エレベーターボタンが押したかった、ドアを自分で閉めたかった、とかで良くそんなに泣けますね?ってくらい号泣してはその後の一切を拒否して、あぁこれが例のイヤイヤ期というやつですね…とこちらは遠い目をしてた。


◆識字

 上の子絵本より身体を使って遊ぶ方が好きで文字に興味を持つのが割と遅く、ひらがなの読み書きが出来るようになったのは年中。今でも文章より数字・図形の方が得意な印象。読むより耳で覚えるタイプっぽいなとも思ってる。

 下の子は2才くらいから上の子あいうえお表で遊び出して、とにかく上の子の真似がしたくてくっ付いているうちに勝手ひらがな読めるようになってた。勝手絵本やら図鑑やら広げて読んでるから楽。


◆成長

 上の子は標準サイズで産まれちょっと細身かなと思ったまま成長してずっと平均より背が低い感じ。背の順はずっと前の方。去年大きめで着た服が今年ピッタリという感じで服が2シーズン着れる。

 下の子は少し大きめで産まれてそのまま成長を続けて、平均より背が高い感じ。背の順は後ろの方。夏の初めに大きめで買った服が夏の終わりにギリギリになるから服はあっという間にサイズアウトしていく。

 小さめの上の子と大きめの下の子身長差がどんどん縮まってきており、歳の差の割にあっという間に下の子身長抜かしそう。



親の育て方の影響も全くないとは言えないけれど、子ども特性って結局本人が生まれ持ったものなんだなと痛感してる。

もしかしてうちの子って育てるの楽な子なのでは?と上の子の時に薄々思ってたけど下の子が生まれて疑問が確信に変わったし、別に親の育て方が上手かったとかそういうの全然関係なくただそういう子ってだけだった。


 でも人間難しいもので、上の子を育ててる時の方が圧倒的に神経が張り詰めてて、初めての子育てで緊張していたというか、ちょっと目を離したら死んでしまいそうで乳児期はずっと怖かった気がする。育児ノイローゼとまではいかないけれど、何をそんなに頑張ってたんだろうなと振り返って思う。


 多分この先も2人は全然違った成長をしていくのだろうし、大変だなと思うところと楽だなと思うところもそれぞれなんだろうけれど、当人同士は今の仲が良い関係を維持していってくれたら嬉しい。

いやー、でも性格全然違うと思春期入ったら結構しかったりするかな。この先反抗期とかもあるだろうし、どうなっていくんだろうな。

(何となくだけど厨二病面白いことになるんじゃないかと思ってる笑)



自分一人っ子だったのでそもそも家の中に子ども複数人いることが新鮮だし、子どもそれぞれの個性を間近で見比べるのはとても興味深い。

同じ赤ちゃんでも、同じ年の子でも、全然違うものなんだね。まぁほんと、当たり前のことなんだけれど。


2021-12-30

anond:20211229235123

そこまで読みにくいとかまとまってないとは思わなかったけど

匿名な読者」とか(匿名"の"読者?)「見えない相手に対して、おもてなし力」の部分とか(見えない相手に対して"の"おもてなし力?)とか、助詞の使い方が独特な印象を受けた、あと読点の位置も気になったかも(これは人それぞれなので直さなくてもいいと思う)

あと、「脳内直帰」って書いてたけど脳直って意味かな?脳直はあれ自体ネットスラングみたいな感じで正式名称はないし、付けるとしても「直行」かな?と自分は思った(増田が書いてる「直帰」だとどこに帰るの?って思っちゃう)

そこが脳内をそのまま出力してる所以なんだろうけども

そもそも増田自体文章をたくさん読んでる?色んな種類の文章インプットもっとやすと「自然で読みやす日本語」の引き出しが増えると思うよ(助詞の使い方も改善されると思う)

読むだけだとうまく蓄積されないっていう時は文章をそのまま模写というか、書き写して(スマホメモとかでもいいけど)みると、他人自分文章の書き方の違いが分かりやすくて面白い

2021-11-30

カッコ内(に書かれてる文字等)を省略すると変な文章(とか助詞がなくなってしまう)のが嫌い

出来る限り()の中を読んでも飛ばしても日本語としてちゃんと読めるようにしようと気を付けてるんだけど気にしない人も多いんだろうな

2021-11-25

anond:20211125160858

助詞警察です

「~しないわ、~出さないわ」は「は」ではなく終助詞の「わ」です

はを使うのは素で間違ってる人と昔の2ちゃんねらーだけです

2021-11-11

anond:20211111230103

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00008&fileid=00000001&/Yaponesian_Vol2summer_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~前半の部~)

千葉大学にて1月開催

発言者遠藤光暁、青山学院大学教授中国語音韻史・方言学、アジア地理言語学

    木部暢子、国立国語研究所副所長、日本語方言

    風間伸次郎、東京外国語大学教授アルタイ言語言語類型

    福井玲、東京大学教授朝鮮語

    吉川佳見、国立国語研究所非常勤研究員アイヌ語

    児倉徳和、東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所准教授ツングース満洲語学

...................

福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています

遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。

福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称普通倭人字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。

遠藤:それが現在中国東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています

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風間:2つほどあります別に私が言い出した事ではなくて、以前Vovinさんらが日文研から刊行した日本語系統についての本にも書かれていますが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説です。先ほど遠藤先生中国語などと比べると日本語全然違ったタイプ言語であるとおっしゃっていましたが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説を考えていく必要はあると思っています。昨日も木部先生がおっしゃっていましたように、古代日本語の語はほとんど一音節です。一方、母音の数は現在よりおそらくもうちょっと多かった。助詞自体にも個別の声調があって、現代のテ形のテの部分などにも独自の声調があった。つまり膠着的ではなく、文法要素も独立した語の性格を持っていて、孤立語的だったということです。助詞助動詞には自立語起源説明されるものがかなりたくさんあり、声調があって単音節、という事になると、まるで孤立語であるということになります

遠藤:ええ。それは歴史時代の話ですよね。

風間はい、今まさしくそ歴史時代日本語の事を考えなくてはいけないんだと思います。それを考えるとやっぱり孤立語だったという可能性についてよく検討していくべきではないかと思います

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遠藤:文献言語史的な証拠から言うと日本語はせいぜい1500年前ぐらいしか遡れないですね。あるは『魏志倭人伝』とかの頃ですよね。高句麗かいろんな北方民族の記録については中国側の正史などの東夷伝とかもありますが。考古学の方からするともっと古い情報がわかって、宮本一夫先生の説によると、まず日本語を話す人たちが朝鮮半島に入ってきて、そのあと朝鮮語を話す人たちが現在でいう中国東北部から朝鮮半島に入ってきた、といったことが先史時代に起こっている可能性があるので、そうすると日本語朝鮮語ツングース語を話す人たちっていうのは中国東北部先史時代に非常に密接な接触をしている可能性があることになりますね。われわれは普段そういうことを考えないんですけど、そういうのはどうでしょう。かのアルタイタイプ諸語のTurkic、Mongolic、Tungusic なども地理的な分布範囲歴史時代先史時代ともかなり移動しているんじゃないでしょうか。

福井考古学との関わりという意味ではやはり今後参考にすべきところはいろいろあると思います。昨日の私の話だと主に韓国語から日本語への借用ということを中心にお話しましたけど、まあその逆の場合もありうるわけで。日本朝鮮半島の間で考古学的な遺物共通している場合があります。これは歴史学の人から聞いた話ですけれども、例えば日本式の甲冑韓国のある一部の地域でかなりたくさん出てくるとか、その時期そのあたりで接触があったということは明らかであるし、前方後円墳朝鮮半島でも見つかっていて、それは歴史をやっている人たちからするとむしろ日本から渡ったものではないかという説もあります

遠藤古墳時代ぐらいになるとそういう方向もあるみたいですね。遺伝学的な根拠からしても半島南部のところで縄文DNAが見つかったとかいうこともありますしかし、文献言語史で考えるくらいのタイムスパンだと日本列島には既に日本語が入っていて朝鮮半島朝鮮語が優勢であってツングース語はシべリアから中国東北部にいた、といった現代の状況を投影して考えがちですが、もっと全然違った居住地域で一緒に雑居していて遥かにドラスティック言語接触を考えてもいいんじゃないかってこのプロジェクトに入ってから思うようになりました。言語学的にそれを証明することは非常に難しいと思うんですが。語族単位でやっていると非常に細かい違いが目に入ってくるかもしれませんが、もっと大きいアジア全域といったマクロ範囲で見るとやっぱりアルタイタイプ諸語の共通性が際立って見えるんですね。

.....

風間:もう1つ目についてお話しするには今日はもう残念ながら時間が残っていないと思います。先の話の続きですが、やや推論の上での推論ということになりますが、孤立語だった日本列島言語を話していた人々を大陸から来た別の集団征服して、それが上層言語となり、下層言語孤立語ものだったけれども、最終的に日本語がSOVで膠着的なアルタイ型の言語文法タイプに再編成されたという可能性はあり得ると思います

遠藤縄文語(諸語?)が孤立語タイプで基礎語彙がそこから継承されて、弥生時代大陸から入ってきた膠着語タイプ言語によって文法が組み替えられたというわけですか。私などは『三国史記』で半島大陸部にJaponic地名存在するということからして、むしろ日本語半島とか大陸にあった時代に非常に密接に接触するチャンスがあったのでは、という仮説に傾いているのですが。

風間大陸接触してから列島に入ってきたということでもいいとは思いますが、その支配者層はそれほど多くの人数でなかったとしてもかまわないと思います

遠藤漢語について言うと、遣隋使遣唐使が行って、ごく少数のエリートが本をもってきて、仏典も含めてずっと勉強していく過程日本列島舞台として日本語の中の漢語の中の比率が増えていくわけですよね。そういう事は文化語彙については英語などでもギリシャ語ラテン語フランス語が大量に入るといったことは起こりますが、言語の中核的な部分で民衆言語まで浸透するためには、そういう文化的な学習だけじゃなくて日常的なレベル普通庶民バイリンガリズムとかの状態になっていないと、そういう風な組み換えは起こりにくいんじゃないでしょうか。あるいは完全に支配者の言語に取って代わられる例っていうのは中南米スペイン語とか枚挙にいとまないですけど。

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00009&fileid=00000001&/Yaponesian_2_%E3%81%82%E3%81%8D%E5%8F%B7_1120_ALL_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~後半の部~)

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風間ゲノムをはじめとする他の学問分野での推定とどのような関係にあるのかはわかりませんが、言語学シナリオとして唯一あり得ると考えられるのは、日本語孤立語タイプから現在膠着語的なタイプへと、何らかの理由で変化してきたという可能性ではないかと思います。それを示唆するような痕跡的特徴は日本語にある程度存在するのではないかと思います。その中でも一番問題になるのはアクセントもしくは声調と呼ばれる現象さらにはその両方が日本語にあるということだと思います。ただ、アルタイ諸言語がどの言語弁別的アクセントを持たない、ということもあり、私は日本祖語は無アクセント言語だったのではないかという仮説に深く関心をもっています山口幸洋さんをはじめとする何人かの研究者提案されている仮説です。

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木部:これから先は想像世界ですけども、古くは日本列島各地に今の大和ことばではない言語、何語であるか分からないような言語日本列島にいっぱいあって。

遠藤:たぶん縄文時代とか。

木部:縄文時代縄文語かもしれない。それが無アクセントであったという事はあり得るとは思います。そのあと、大和琉球共通祖語、日琉祖語が上にかぶさって、元の言語は日琉祖語に取り替えられたけれども、アクセントにはサブストレータム(基層語)としてもとの無アクセントの特徴が残った地域があって、現在、各地に点々と残っているということはあるかもしれません。元々、声調の区別をもっていなかった言語が新しい言語を受け入れたときに、アクセント区別をしなかったという事はあると思います。無アクセント言語アクセントのある言語から借用語を取り入れるときに無アクセントで取り入れるという事はよく起きています

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遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセント境界線のあたりにABOの血液型境界線がひかれるんですね。A型瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックスプランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。それで、服部四郎が『アクセント方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。もしかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人北九州にもたらした日本語アクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいたことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。つまり一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。もう40年ほど前から日本語系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。

2021-10-17

anond:20211017233048

最近ネット助詞が混乱してる文章をよく見かけるようになって教育レベルの低下を感じてるんだよね

考察記事なんかを書いてるちょっと普通の人よりは教養ありそうな人の記事ですら日本語不自由感出てたりさ

2021-10-14

anond:20211011181250

助詞の使い方や文字数区切り方がライターやって稼いでる奴のそれ。

事業とかで稼いでる奴が、金の搾取正当化している言い方に見える。

100人いて3人しか有能な生徒出せないその能力をまず反省するべきでは

2021-10-12

はいつもあるのだ思う所が

はいつも空を眺めながら、電信柱の回路を読み込み思う事がある。

いつも目の前の電子版によって飛ばされたハエが、コンセントにより散った火花飛び込み死ぬ確率

考えても仕方ないと思いつつ、さまざまなカットワカメ日本語の愁眉に頭を悩ませる毎日を過ごす。

「私を飼うのを」のような不鮮明な助詞に導かれ、犬は虹の橋渡りコップに溢れ出た水はカビが生える。

ワセリンが塗られた青い空に手を伸ばせば、青く血みどろの物体が手につく。

それを払おうとしていると死んだハエこちらを見て笑うのだ。

一億千のつたない命たちが、コンクリートの一粒となり私の目を虐める。さながらバットエンドの飛行機のようで、私は涙するのだ。

思う所がある所に、星一つ一つに混じっているコンソメ花火沖縄のなんと気色悪い事か。

などと思っていると、今いる世界現実味を帯びてくる。

本当に私の見ている世界は本物か、それとも虚実なのか。論理事実によって構成されている世界は、少しも嘘を含まないのか。

青い空を見て思うが、この空を見た時に感じるものは人の作り出した偽物なのか。

考えても仕方ない事が多くて、毎日が辛く感じる。ただ虚ろに毎日を生きてコーヒーを啜るのが、果たして人間的かと言われると疑問だ。

2021-10-11

助詞「は」を「ゎ」って書くのは〇〇構文になりえるか

今日ゎ雨で 私ゎつらい・・・」みたいなやつ

若い人がこの書き方をケータイという文化の中で書き始めたのが2006年ごろだった。

15年前だ。

ツイッターを眺めているといまだにこの書き方を見かけることがあるが、年齢をみるとやはり30歳よりは上だ

当時15歳~20歳くらいだった人がこの書き方が染みついてしまい。令和の今も使っているのだろう。

30代の人の子世代はまだまだ小さいけれど、これが5年くらいたつと思春期になるだろう。

中学生になると親世代文化が古臭いと感じるようになり、その印象が若者世論形成していく。そうすると「ゎ」文化も急速に、古く気持ち悪い平成文化とされてくるだろう。

オジサン構文のようにオバサン構文とか、そんな名前が付けられてくるのかもしれない。

もっともオジサン構文はオジサンから若い人に接触をした時の文化軋轢により発生しているが、オバサン構文は若い人とつながらず内輪で使い続けられるだろうからしかしたら今後もバレないでひっそりと生き続けるのかもしれない

2021-09-19

anond:20210919133903

タイピング練習って指定された文章ローマ字入力の打ち方に沿って正しく打てみたいな形式じゃん。

自分の思ったことと思うと同時に実況のように打ち込んでいくのってまた独特の慣れが求められると思うんだ。

タイピング自体が速くても思ったことをまとめてから文章を打ち始めるのと、一文あるいは文節や単語助詞が浮かぶごとに打っていくのとでは前者では避けられないロスが出る。)

往来のネトゲチャット文化というか、昔はそういうのに触れてないと得られない特殊能力だった→オタクプロファイリングされてたと思う。

で、今はって話。

2021-09-11

助詞力の低下

外国に住んでるうちに「てにをは」が曖昧になって~』みたいなこと言ってる人って元々の日本語力が相当低い人なんだろうなと思ってた。しか外国に住んで5年過ぎたあたりから自分日本語が変な感じがするようになり、年々悪化している。何度読み返しても変な感じがするし、副詞場所が変な気がする。時々、英語関係詞節を直訳したかのような醜悪な文を生成している。元々の日本語能力は決して低くなかったと思うからなおさら、足場が崩れていくような感覚があって怖い。←後、単に思考力が低下してるのかもしれないけれど、こういう前後関係あるようなないような文を適当にくっつけた非論理的文章を書いていることも多い。どうしたらいいんだろう。

2021-09-02

なんで文章タイトル小説は侮られるのか

なのに君の膵臓を食べたいはいいのか

月は無慈悲な夜の女王だって実質は主語+述語の完結した文だ。断定の助動詞がないだけ。

百万回死んだ猫は絵本だけども「猫は百万回死んだ」の倒置と考えれば本質的には文章タイトルに属するはずだ。体言止め錯覚させられているだけ。

博士の愛した数式だって「数式(は)博士の愛した(ものだ)」の省略かつ倒置と考えれば文章の変形にすぎない。

こう考えると文章タイトルと言われないのはアルスラーン戦記複合語含む1単語だけで構成されたものか、「ハリッポッターと○○」みたいな並列の助詞単語を並べて作られたタイトルに限られる。

2021-08-26

anond:20210825132748

一応を「一様」と書く。

助詞「わ」と「は」の混同(例∶そうだは

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