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はてなキーワード: 築城とは

2021-07-15

anond:20210715150820

小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代武将甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆武田二十四将の一人に数えられる。

信茂の勝頼離反から滅亡

岩殿城

天正9年12月織田信長徳川家康武田領攻めを開始し(甲州征伐総大将織田信忠副将滝川一益)、信濃木曽郡国衆木曾義昌が離反する。また、これに伴い相模後北条氏武田領への侵攻を開始した。義昌の離反を契機に信濃領国は動揺し、翌天正10年(1582年)2月2日に勝頼は信濃諏訪上原長野県茅野市)に出兵し、『甲乱記』に拠れば信茂もこれに従ったという。2月29日織田信忠伊那郡高遠城仁科盛信(信盛)を攻め、信忠は矢文で盛信に降伏を促し、信茂らが勝頼から離反したと伝えているが、この段階で信茂が勝頼から離反していることは虚報であると指摘されている[15]。

勝頼は天正9年に新府城山梨県韮崎市)を新たに築城甲府から本拠移転しており、『信長公記』によれば同年3月3日に勝頼は新府城放棄し、小山田氏の郡内へ逃れたという。『甲陽軍鑑』によれば勝頼嫡男の信勝は新府城における籠城を主張したが、これに対して信濃国衆真田昌幸上野岩櫃城群馬県東吾妻町)への退避を提案した。しかし勝頼側近の長坂光堅小山田を頼り郡内の岩殿城大月市岡町)へ逃れることを主張したという。一方、『甲乱記』では信勝や昌幸の提案を記さず、勝頼が信茂に対し郡内への退避を諮問したとしている。

なお、岩殿城小山田氏の詰城とされているが、小山田氏の本拠である谷村城(都留市谷村城)から距離があることから岩殿城小山田氏の城とするか武田氏の城とするかで議論がある[16]。なお、天正9年3月20日岩殿城武田勝頼が在番衆派遣している事実も注目されている[17]。

武田勝頼一行が郡内領へ退避するさなか信茂は勝頼から離反。勝頼は田野(甲州市大和町)において織田方の滝川一益軍勢と戦い、武田宗家は滅亡した(天目山の戦い)。

信茂離反に関して、武田側の史料では、まず『甲陽軍鑑』に拠れば勝頼一行は郡内領への入り口である鶴瀬甲州市大和町)において7日間逗留し信茂の迎えを待っていたが、3月9日夜に信茂は郡内領への道を封鎖し、勝頼一行に対して木戸から郡内への退避を呼びかけると見せかけ、信茂の従兄弟小山田左衛門と勝頼の従兄弟武田信堯(のぶたか)が信茂の人質を郡内へ退避させ、信茂は勝頼一行に虎口から鉄砲を放ったという。信堯は正室御宿友綱の妹で、信茂とは相婿の関係にある。なお、『武田三代軍記』『理慶尼記』でも同様の話を記し、『理慶尼記』では信茂の離反を7日の出来事とし、信茂が郡内への入り口を封鎖した地を笹子峠大月市甲州市)としている。一方、『甲乱記』では信茂離反の日付を記さず、勝頼は柏尾甲州市勝沼町)において信茂を待ち、駒飼(甲州市大和町)に移動したところで信茂の離反を知ったとしている。

甲斐善光寺

一方、織田徳川方の史料として、『信長公記』では勝頼は小山田の館まで辿り着いたが、信茂は勝頼の使者をはねつけたと簡潔に記している。『三河物語』では小山田左衛門が登場し、勝頼が郡内領へ逃れる途中に小山田左衛門を信茂のもとに派遣したが帰還せず、信茂離反を知ったという。

織田氏・徳川氏勢により甲斐が平定された後、信茂は嫡男人質として差し出すために信長拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。

信長公記』では3月7日条に成敗した「小山田出羽守(信茂)」の名を記し、『甲陽軍鑑』では武田信堯や小山田左衛門らの名も記している。一方、『甲乱記』、『甲斐国志』に拠れば、3月24日甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたという。享年44。長生寺『月日過去帳』・森嶋本『甲斐国志草稿』に記される伝存しない同寺所蔵の位牌によれば戒名は「青雲院殿武山長文居士」。信茂の命日は『甲乱記』、長生寺『月日過去帳』に「24日」と記され、『甲乱記』では3月11日の勝頼自害から13日後としている。

人物

武田家において信玄の「弓矢の御談合七人衆」に両職の山県・馬場重臣と共に名を列ねている。

武田の小男と恐れられた山県昌景に「若手では小山田信茂、文武相調ひたる人物はほかにいない」と評される。

設楽ヶ原の戦いにおいては、早々に撤退して戦線を崩した武田信廉・穴山信君ら一門衆とは反対に、山県昌景隊の後備として最前線で戦い続けている。

鉄道唱歌(作詞福山寿久)には「川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し」と詠われており[20]、小山田信茂は「奸党」とまで蔑まれている。

2021-06-08

anond:20210607234817

満寵

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

満 寵(まん ちょう、? - 242年3月)は、中国後漢末期から三国時代の魏の武将政治家。字は伯寧。兗州山陽郡昌邑県の人。子は満偉・満炳・満氏 (司馬榦の妻)。孫は満長武・満奮。『三国志魏志「満田牽郭伝」に伝がある。

目次

1 生涯

1.1 酷吏として出世

1.2 軍人として活躍

1.3 呉との攻防

2 三国志演義

3 脚注

生涯

酷吏として出世

身長は8尺(約190cm)あったと伝えられる。18歳の時に県の役人(督郵)になった。郡内で私兵を率いて乱暴していた李朔という人物は、二度と乱暴しなくなったという。高平県令を代行した際、督郵張苞張飛の子とは別人)の横暴を見てこれを逮捕し、その場で拷竟(=拷問致死)した上で、そのまま自ら官職を捨てて帰郷したという逸話を持つ。

その後、曹操に仕えた。曹洪配下の将が曹氏の権勢を笠に着て略奪を行った時、満寵は速やかにこれを逮捕した。そして曹洪から曹操への働きかけがあった事を知ると、直ちに処刑した。この行為曹操に大いに賞賛された。

楊彪逮捕された際、荀彧孔融に手心を加えるよう頼まれたが、満寵は規則通り(注によると、笞打ち)に訊問した上で、曹操に「処罰するなら罪を明確にすべきである」と直言した。このため曹操楊彪赦免した。

これらの事からわかるように、満寵は于禁と同様に誰に対しても公明正大で法に厳しかったが、傲慢ではなかったので人からまれることはなかった。

軍人として活躍

官渡の戦いの時期には、袁紹郷里である汝南太守を務め、袁氏与党の軍を滅ぼし、農耕に従事させた。

曹操荊州征伐に従い、曹操が帰還すると奮威将軍兼務し当陽県に駐屯した。

孫権国境に攻め入ると、曹操は満寵を召し還して再び汝南太守とし、関内侯の爵位を与えた。

後に、曹仁参謀として樊城に駐屯した。219年、劉備軍の関羽が攻めて来た時は、救援に来た于禁ら七軍が洪水により壊滅し、樊城も水没して崩壊しつつあった。ある人が曹仁降伏を進言したが、満寵は「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」と反対した。曹仁は満寵の意見を良しとした。徐晃の援軍を得て関羽撃退されると、満寵は安昌亭侯に進封された。

呉との攻防

曹丕(文帝)の時代には揚武将軍となり、三方から呉を攻撃したときも、それに従軍した。呉との江陵での戦いで功績を挙げて伏波将軍に任命され、新野に駐屯し仮節鉞となった。半年曹真・夏侯尚・徐晃張郃・文聘らとともに朱然交戦したが、戦死者も数多となり、江陵を攻められなかったので撤退した。また、曹丕の南征に従って、敵の夜襲を見破り散々に打ち破ると、南郷侯に進封されたが、最終的に魏軍は呉に敗れた。224年には前将軍に昇進した。

曹叡(明帝)が即位すると昌邑侯に進封された。

228年、曹休司馬懿・賈逵が揚州荊州豫州雍州涼州の五軍の指揮を執り、石亭・江陵・濡須東関三方から侵攻した。満寵は賈逵の軍に胡質達と共に監軍として従軍し、武昌を目指し進撃していたが、揚州方面の軍の指揮を執っていた曹休孫権の計略にかかり大敗したため、犠牲者も数万人以上となり、敗れている(石亭の戦い・「賈逵伝」[1])。また、司馬懿張郃らも江陵を攻め落れずに退却した。

同年、曹叡は濡須東関に賈逵・満寵らを命じて再び攻めてきたが、陥落させることができずに負けた[2]。

曹叡は呉・蜀漢に対して完全に専守防衛に行い、賈逵の死後に豫州刺史兼任し、曹休の死後に都督揚州軍事となった。揚州への転勤の際、汝南の民や兵士の多くが満寵を慕って勝手についていったため問題になり、詔勅により親衛兵千人を率いていく事が許され、その他一斉が不問とされた。

230年には征東将軍となった。冬に再び孫権合肥に攻め寄せる気配があったため、兗州豫州の軍を召集する事を上奏し侵攻に備えた。孫権撤退する気配を見せたので、こちらも撤退するよう詔勅が下ったが、満寵は孫権撤退偽装と読み、引き続き備えを怠らなかった。孫権10日ほどしてから再び来襲したが、合肥を攻められなかったので無事に撤退した。

231年、呉の孫布という武将投降を申し入れてきた。王淩がこれを出迎えたいと申し出たが、満寵は投降偽装と読んだため、王淩に自重を求めた。偶然入朝する用事ができたため、留府長史には王淩が兵士要求しても与えてはならないと厳命しておいたが、王淩は自らの督将軍に僅かな手勢だけを与えて孫布を出迎えに行かせた。王淩は呉に敗れ、孫布の夜襲により兵の多く失うことになった。

満寵と王淩はこれ以前から対立しており、満寵が召喚されたのも、王淩の息のかかった者が満寵を老いと疲れにより耄碌していると讒言たからであった。満寵と目通りした曹叡は、満寵が壮健なことを確認できたため[3]、任地に返そうとした。しかし満寵はこのまま朝廷に留まることを願った。曹叡は満寵を馬援・廉頗に準え鼓舞した。

232年、呉の陸遜が廬江に侵攻してきた。部下達がすぐに救援に赴くよう勧めたが、満寵は落ち着いて対処すれば良いとした。軍を整え、陽宜口まで赴いたところで呉軍は既に撤退した。

233年、孫権は毎年のように合肥侵攻を企てていた。合肥城は寿春の遠く南にあり、江湖に近接した位置にあったため、過去の攻防戦においては呉の水軍の機動力の有利さが発揮されやすい展開が多くあった。満寵は上表し、合肥城の立地の欠点を指摘した上で、北西に30里の地に新たに城を築くことを進言した。蔣済がこれを弱気作戦であり、味方の士気を削ぐことになると反対したが、満寵は重ねて上奏し、兵法道理を引きながら築城長所を重ねて主張した。尚書の趙咨は満寵の意見を支持し、曹叡の聴許を得た。こうして合肥新城が築かれた。建設に莫大な費用がかかることもあって、合肥城ともども廃れていった。

同年、孫権合肥に攻め寄せたが、合肥新城が岸から遠い場所にあったため、敢えて上陸しようとしなかった。しかし満寵は、孫権武威を振るっているので、必ず陸に上がることに違いないと判断した。伏兵として歩騎兵を6千用意したところ、果たして孫権上陸したため、伏兵により百人の首を斬った。

234年、孫権は十万の軍勢である呼称合肥新城に攻め寄せてきた(「明帝紀」)。蜀漢諸葛亮の北伐(五丈原の戦い)は孫権呼応して(「満寵伝」)、二十万の軍勢である呼称し祁山に攻め寄せてきた。合肥魏軍が苦戦に陥り、これを恐れていた満寵は合肥新城放棄し寿春へ撤退する作戦を願い出たが、曹叡に拒絶されている(「明帝紀」)。満寵は、合肥新城へ救援に赴き、数十人の義勇兵を募り、松と麻の油を用いて風上より火をかけ、呉軍の攻城兵器を焼き払った上、さら曹操孫権の甥孫泰を射殺した。張穎達とともに力を尽くして戦ったが、呉軍は依然として頑強に猛攻した。魏の中央大軍が迫ったので、孫権は大損害を受ける事を避けて、曹叡の援軍が到着する前に撤退した(合肥新城の戦い)。

235年春、孫権江北に兵を送り屯田を始めさせた。満寵は、収穫の時期に屯衛兵達が各地に点在し、陣が伸びきったのを見て、これを襲撃すべきと判断した。また各地の県長に軍を率いて東上させた。さらに各地の屯衛を撃破させ、穀物を焼き払った。詔勅により軍功が称され、鹵獲品は全て将兵恩賞とされた。

曹叡が没し曹芳(斉王)の時代になった238年3月[4]、老年のため中央召喚され太尉となった。家には余財がなかったため、詔勅により特別物資が下賜された。加増による領邑は9600戸になり、子と孫2人が亭侯とされた。

242年3月[5]死去した。景侯の諡号を贈られた。

子孫の満偉(子)・満長武(孫)・満奮(孫)もまた、身長が8尺あったと伝わる。満偉は人品に優れており衛尉まで上り、満長武は満寵の風格を有していたという。しかし、司馬昭に疎まれ殺害され、父の満偉もまた失脚し、平民に落された。満奮は満偉の弟の子であり、やはり満寵の風格があったという(『晋諸公賛』)。西晋時代尚書司隷校尉となった。

また、満寵のもう一人の子満炳は別部司馬となった[6]。

三国志演義

小説三国志演義』では、劉曄の推薦を受けて曹操の家臣となり、楊奉配下だった旧知の徐晃曹操陣営に引き入れることに成功するなど、物語の初期においては弁舌の士という描かれ方がされている。

2020-08-16

ボンバーガールのマスターB↔Cループを抜ける為に何をすべきか

マスターCの試合を観てるとしんどそうだったので、

自身が当時スーパースターAとマスターC(最上マッチマスターC~マスターAだった時代)に感じたこ

実際に最上マッチ環境で戦う為にやったことを簡単に記しておきます

◆はじめに

マスターCまではボマーとブロッカーの2ロールを使い続けており、

アタッカーシューターはほぼ未使用で進めましたのでその前提をご理解ください。

◆大きく感じた環境の違い

・ボマーでベースに到達できない

→今まではなんか走っていったり雰囲気ボム置くだけで通れていたのに急に通れなくなる。

 ベース周りも築城がしっかりあったり、フリーで到達できることがなく必ず1on1以上を強いられる。

 でもスーパースターに落ちるとボマーでダメージ取ってベース壊せるので何が悪いのかがわからなくなる

築城の違い

→攻めている時に築城がしっかりあると感じたところに加え、

 そもそも築城のやり方や上がる速度が違う(これがシューター使うか配信とかを観ないと違うことに気づけない

 リスポーンを埋めに行く判断基準も違う。

 特にスポーン埋めについては上手いシューターが指示チャットをくれるのですが、

 「え?そこで行って良いの?」 「それ任せて良いの?二人で倒すんじゃなくて今リスポーン行くの?」っという驚きが多い

 リスポーン埋まってるけど相手が開けにきてるからスポーンに行って欲しい。

 っていうチャットなんかは本当に指示貰っても最初は何を言ってるかわからなかった。

アタッカーレベルの違い

自分マスターCのときマスターBやAのプレイヤーマッチすることが多かった。

 そこでブロッカーの時に一番感じたのはアタッカーレベル事故死が単純に少ない。

 無いわけではないものの、ミンボーやショックボールで落ちることが少なかったり、

 単純なボムの無敵抜けミスなんかはほぼ起こらない。

 正直スーパースター帯までは普通にネックにボム置いてるだけで無敵抜けミス→ショックボール

 という黄金連携があったがそういう甘えはあまり起きない

実際にここまで明確な内容を感じたわけではないですが、

はっきりと思ったのは全てにおいてレベルが違うこと。

完全にゲームが違うな~と思いました。


上記を踏まえた上で取り入れたこ

・実況や解説がある上でマスターAの人がいる(プレイヤーマスターBとかCでもOK)配信を観ること

→よく言う座学と言われるものですが、厳しいことを言うと観るだけで『勉強したつもり』になってる人がすごく多いです。

 上記でも少し触れましたがブロッカーで考えた時にベース内で2対1を作る理由

 相方に任せてリスポーンを埋めに行く理由や行って良い展開

 こういうのを話してる瞬間がほんの一言二言ですがあったりします。

 例えばですけど「今のリス埋め良い判断ですね」この一言があった時に理由説明がなくても、

 そのシーンのその行動は正解だと上手い人が言ってるわけです。

 この一言を聞いた時に自分は巻き戻して下マップを観ます

 何故リス埋めに行ってよかったのかを自分の中で答えが出るまで観なおします。

 わからなくてもまた他の試合で同じような一言があればそこを観ます

 次に『良いリス埋めに行くタイミング』を複数シーン見た時に共通点はどこなのかを探していきます

 この共通点にしっかりと気づけた時、初めて自分の中で1つの答えを見つけたと言えると自分は考えます

 もちろん実況や解説理由をきちんと説明してくれている場合は、

 その理由を頭に入れた上でリス埋めに行く度にさっき言ってた理由と一致してるのか?

 これは行って良かったのか?っと他人プレイに対して自分の中で良し悪しをつけます。

 疑似体験に近いと思うのですがこうすることで自分が同じような状況になった時にどうするべきかという

 判断力を鍛え上手い人と少しでも同じような判断ができるようにします。

・上手い人のプレイ自分ならどうしたか、何故その行動をしたかを考える

→答えがわからないこともよくありますが、

 そういう時は自分ならここはこうする。と自分プレイしているように考えて

 自分の考えと、実際のプレイヤーがやっている行動で何が違うのかを考えます

 ただ上手い行動をしてるのに対して「上手いな~、そうすればいいのか~」ではなく

 自分ならこうしてたけど、上手い人はこうするのか。何故こうしたのか。

 どうすればこの状況を作れるのか?

 っという展開をさかのぼって考えていけると更に良いと思います

 こちらも例を出すとアタッカーになりますが、

 相手のネック防衛に対して予備ボム(①)を設置。

  ③ ←相手ボム

 □自□

  ② ① ←自分ボム

 この状況で無敵を使ってネック抜けするシーンがあったりしますが、

 そもそもこれは展開が早くなり相手シュータースキル回復時間を与えずネックを抜けるという点だけでなく、

 『自分ボムが起爆点なので爆発するタイミングシングルでも練習可能。つまりシングルで無敵抜けできればネック抜けができる』

 っというネック抜けの方法とも言えます

 この2つの理由があるから上手い人は予備ボムを置いてネック抜けしてるんだな~と理解する。

 そしてこの方法を行う場合エメラが相手であればスレッドを撃った後にしないと全弾残ってる場合は狩られることを知っておく必要もあります

 これをただ「ネック抜け上手いな~」と言いながら観るのか、

 「何故この方法でネック抜けをしているんだろうか?」と思いながら観てメリットデメリット理解しようとするのか

 この差が今の環境で言うマスターBを維持できるかどうかだと思います

・上手い人に聞きに行く

→これは環境によっては不可能かもしれませんが、

 多少無理してでも上手い人がいるところに行って声をかけて教えてもらいます

 自分プレイの指摘もそうですが、他人がやってる内容に対してこれはこうだからこういう行動したんだよ

 っという解説を聞くとその場で良いプレイ理由がわかるのでプレイするのも大事ですが

 他人プレイを見たり他人プレイ解説してもらうのもすごく良いです。

 最近配信している店舗も多いので配信してる時であれば配信台周りの人は快く教えてくれると思います

大雑把ですが自分ループした時にやったことはこのような内容でした。

今でもわからないことが多いですし下手な部分も多いですが、

当時これをやったおかげでスーパースターAとマスターCのループは合計3回(スーパースターAに2回落ちました)

マスターBとマスターCではループ無し(一度も落ちてません)ですのでそこまで多くない回数で維持できたと思っております



結局のところ今回何が言いたかたかなのですが、

自分プレイを録画する前に上手い人のプレイ解説がある配信を観たほうが良い

・必ず下マップがある配信を観ること

・上手い人のプレイを観て勉強したつもりにならず、きちんと上手いと思ったところを見直し自分の中で何故その行動だったんだろう?を考えること

この3点に尽きます

もちろん全員向上心があるプレイヤーというわけではないので押し付けるつもりはありませんが、

ループしてることにストレスを溜めたり味方に文句を言う前にまず自分がどれだけできてるのか

どれだけ知っているのかを理解することが大切なのではないでしょうか。

最近では上手い人が初動等を画像付きでわかりやす記事にしてくださっているので、

そういう内容も併用して配信を観ていくことで理解が早くなると思います


余談ですが、あまり表向きにこういう内容を発言してるプレイヤーとして認知されるのが好きではないので

匿名記事にて投稿しております故、プレイヤーの詮索はご遠慮ください。

迷っている誰かの目に留まり

少しでも参考になれば幸いです。

2019-11-12

anond:20191112115112

やっぱそうよなわかってるよ、防衛線が城じゃないなら、ヨーロッパとか中国の長城も現代意味での城じゃなくなるな

じゃあやっぱり特になにか説明が無い限りは「城」ってのは石垣天守閣のある城を指すな。

日本語的に考えても「城」や「築城」って言って防御陣地やその形成のことを指すと思う人はほとんどいないんじゃないの?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E#%E6%97%A5%E6%9C%AC

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9F%8E_%28%E3%81%97%E3%82%8D%29/

2019-08-22

anond:20190822003505

事実の指摘だろ

夏侯惇一騎当千みたいに

つか、陳宮築城でも似たようなこと言ってるんやで

馬鹿だなあ

2019-06-02

anond:20190602141702

ニートの反乱なんて起きてないから大してプレッシャーなのは明白だ

天草四郎とか名乗って島原築城してない時点からそんなことを考える必要なし

2019-04-10

はてな界での「昔はヤンチャしてね」

ブログ他人idコールして噛みつきまわる(大人になると、相手意見自分が想定した反論としていやみったらしく書くだけ)

・2階ブコメでかみつく

自分批判したブコメハイク晒して呼び出す

増田特定人物粘着してる

あとなんかある?

参考になりましたか

築城:

はてなキーワード編集合戦

なにそれこわい

2018-11-19

[]【6】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119230657





4日目



慣れてしまえばどうって事ない


目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。

窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。

東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月気候にそれほど大きな違いはない。

今日がこの旅では広島最後の朝、昼には新幹線博多に向かう。

チェックアウト前に最後の一風呂を浴びる事にした。


初日否定的レビューをしてしまったホテルだが、古い設備バストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。

実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要存在を感じさせた。


洗い場の排水改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。

と、スマホ地図確認していると、広島城が案外近い事を発見した。

平和記念公園宮島観光時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。


江戸時代以前の城は火災戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後天守閣復元されており、中は歴史博物館になっていた。

海運の要衝として発展した広島歴史築城した大名、城内や城下暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。


チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。

全米ライフル協会医師発言揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。

全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。


アメリカ選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。

アメリカは「政治暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。

でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。

銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。

アメリカで銃が民政象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。

しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力行使」だ。

自分を脅かすものや気に入らないもの暴力排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。

侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。


ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。

倫理でも哲学でも政治でもない。感情として。

日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。

展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差小刀普段料理に使っている包丁と大した違いはない。

「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」

膝がすくみ上る気がした。

俺には無理だ。

だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。


「きっと、慣れてしまえばどうということはない」


【7】2018 晩秋、広島・博多・別府 3日目|グローカル へ >>

2018-03-12

○城(き)

磐城いわき
茨城いばらき
頸城くびき
益城ましき
磯城しき
吉城よしき
築城ついき
結城ゆうき
家城いえき
板城いたき
坂城さかき
船城ふなき

2017-12-06

[]モット・アンド・ベーリー論法

モット・アンド・ベーリーとは中世ヨーロッパ築城形式ひとつで、

土塁(モット)の上に作られた館と、それを取り囲む曲輪(ベーリー)を意味する。

転じて、過激な内容と常識的な内容とを織り交ぜて主張し、

過激な部分にツッコミが入れば「私は常識的な主張をしている」と弁解し、

常識的な部分が論破されなければ「過激な主張が立証された」と強弁するような論法のことをそう呼ぶ。

2017-09-17

ここが駄目だったよRe:CREATORS

最終話

築城院真鍳ちゃん野放しだけどいいのか国外逃亡したしもうどうでもいいのか

官僚天下りしてハッピーエンドっぽい感じでいいのか

・被造物を安易に元の世界に戻していいのか

・多元宇宙論がどうこう言ってるが多分誰もちゃんと理解してないけど本当に大丈夫なのか

メテオラずっと残るらしいけどこれは世界の歪み的にはセーフな範囲なのか

適当に話でっち上げて終わらせたぜってセリフスタッフ本音漏れてないか

チャンバーフェス

・ソノウソホント奇跡を起こして解決物語的にどうなんだ

・真鍳ちゃん>アルタイル>>その他作中の全て みたいになってないか大丈夫なのかマジで

クリエイター雁首揃えて考えた攻略法アルタイルを倒すためにアルタイル下位互換を用意したましたは流石にショボくね

・セレジアの恋人カロンハゲにかました皮肉を見事にスルーするハゲ創作者としてどうなんだろうかお前の話ワンパすぎんぞって言われてるぞ

・トレパク疑惑のある絵師自分創作キャライチャイチャしてるのを真剣に見守る統率の取れた観客

承認力作中最強クラス 電車

そもそも承認力って何だったんだろうね

アルタイルベース二次創作から何でもありだぞというギミックに追加の説明は無かったですね

承認力で全部説明つくならステマしてバズらせさえすりゃスーパーシンジやU1みたいな感じで他のキャラチートし放題じゃねえか

・だが最強なのはからチートの真鍳ちゃんなのだ

デウスエクスマキナクラスキャラを都合よく使ってはいはい辻褄合わせましたよは本当よくないよ創作者の怠慢だよ盛り上がれないよ

ソレ以前編

・もう疲れたので一言だけ

あじゃらかもくれんきゅうらいすは台詞がダサすぎて何でバズったのか不思議でならない

・というか承認力による設定改変をもっと積極的にやれよそれがこの作品の肝だろ

・どうせ設定の雑さなんて浮き彫りになりすぎてこれ以上どうしようもないんだからもっと派手に動くべきだったんだよ

チャンバーフェスネタを取っておこうとしたんだろうがそれならもう1クールでまとめろよ

・22話って中途半端だな本当に


下駄

いやーとりあえず最終話終わりましたね。

ラストを見るまでは分からないという事で今まで色んな事言うのは我慢してきましたが流石にもう言います

ひどかったね今のアニメ

最終回で大逆転することはなくて、やっぱ駄目だったかとため息がでるような話でした。

とりあえあず個人的評価を100点満点で言えば40点ぐらいの作品でしょう。

そのうち大部分がネットでわいわい語り草にするのが楽しかった事による点数ですので、人に薦める場合の点数は100点満点で10点ぐらいです。

嫌いな奴に時間無駄に使わせようって時か、糞アニメ好きな人アニメ紹介する時ぐらいしか名前を出すことはないでしょう。

放送前の期待値は70点ぐらいだったのでそこからかなり下がってます

自分もまだまだ見る目無いなぁ。

1話の段階で「ん~~~~???これって伸びない可能性のほうが高いのでは~~~????」と思うには思ったのですが、それを放送前に感じ取れないと駄目ですね。

伸びないにしてももう少し低空飛行しそうに予想してたのですが、気づけば地中を潜っていたレベルになったのは予想外。

全体的な造りも荒いし細部の枝葉も荒かったですからねー。

たまーに細かい話を掘り下げようと頑張っていたのは見かけたんですが、世界観の造りが荒いせいかいまいちピンと来ない話ばかりになってた印象です。

そんな中でも作画音楽は頑張ってた事が多いと思います

「落とした?」としか思えない放送スケジュールもちょくちょくありましたけどねー。

内容の割にはリッチな絵作りしようとしてましたからねー。

そこまで頑張らんでいいのにと思って見てました。

あいいやこの辺で話終わりにします。

どこまでもやり続けるとヘボット放送時間なっちゃう。

2016-06-17

[]17:増田堤防

 みやこの喪失により増田家(八)の勢力は大きく後退した。

地元戦場となっただけに背走する軍隊からは大量の脱落者が生じる。

だが、その一方で増田家は致命的な一撃を敵にむけて放っていた。

 増田海に面した港町、増瀬から出航した船団がそれだ。

 増田中弐にひきいられた船団は、彼の旧領をめざして一路、西進。

途中で嵐に遭い、三万人のうち一万人しか残らなかったが、

指揮官の不屈の闘志に牽引され、満月大潮を活かし軍勢を増屋近くに上陸させた。

 このことを増田家(士)東征軍はまったく察知していなかった。

老兵ばかりの居残り部隊が送った急使は旧増田家(九)の陸橋部分で片っ端から始末された。

これは、忍びたちの働きによるものだ。また、占領されて日の浅い現地住民増田家(士)に非協力的であった。

 そして、西方での驚くべき活動が、当主たちの耳に入る頃には、みやこ周辺の情勢も、のっぴきならないものに化けていた。

 増田軍の手癖の悪さが原因である。常に文明先進地域占領し続けてきた増田軍には略奪癖がついていた。

 それがみやこを前にしても発揮されてしまい人々の恨みを買った。

最悪なのは宗教施設にまで手を出してしまったことで、増田軍は強烈な反発を招いた。

 前の支配者向けに用意されていた一揆が新しい支配者向けに発動され、占領軍出血分散を強いる。

 しかも、旧増田(七)領の西方国境城塞群は整備しなおされ、一揆勢を招き入れて強力な迎撃体制を整えていた。

腹背に敵を受けた状態では、とても抜けるものではない。

 増田軍は進退窮まった。一度も負けていないのに、増田島の覇権をめぐる戦争を失おうとしていた。

 逡巡の後、現実を認められない家臣たちを物理的に排除して、増田家の当主はみやこから撤退を決意する。

 だが、すべては遅すぎた。

 今度は増田家(八)の南海岸側の船団が三万の上陸部隊を満載して陸橋部に突進、かつての経験を活かして上陸成功させたのだ。

そこに増田家(九)の旧臣が続々とあつまり、臨時の砦を築き、破却された山城を修繕した。

本領回復した増田中弐も援軍を送り込んできた。彼の船団から嵐ではぐれた二万から合流する者もあった。

 本拠への帰還をいそぐ増田軍は一揆勢の追撃を受けながら、この足止め部隊と衝突した。

 足止め部隊をひきいるのはお馴染みの増田大学である

彼は八万から五万に減った敵の鋭鋒を受け止めず、陣地を活用して逸らし続けた。

 勇猛で後のない敵の攻撃で陣地は次々と陥落したが、そのかわりに敵は貴重な時間を失った。

しかも、陸橋の後方では新しい陣地が建設されつづけていた。さながらアキレスと亀状態である

 これは増田家(七)の築城技術者を連れてきたおかげだ。

 武具が傷つき、腹を減らした増田軍(士)の有様は無惨なもので、ついにやせ我慢の限界を超えた。

後生大事に持ち帰っていた略奪品など何の役にも立たない。

陣地ではインフレが発生し、ひとにぎりの食料が非常な高値で取り引きされた。

ちょっとしたことでの諍いから殺し合いが発生するのも日常と化してしまう。

 そんな有様も増田同盟軍忍者は逐一上司に「ウェーイ」「キィヤー」☆報告「……」等と報告した。

「そろそろか……」

 増田大学増田中弐から送ってもらったある部隊に連絡を取った。増田匿兵衛に授けられた計略を実行するときだ。

 その夜、前線の陣地から増田家(士)が多用する戦闘用熊、武熊の雄叫びが繰り返し響いた。

 こうして、彼らの本拠地占領され、帰る場所もないことを敵に知らしめたのだ。

実際はまだ縁辺部を侵しただけだったのだが、心理的効果は絶大だった。

ちなみに本来武熊を使役する立場増田軍では武熊は食料に化けてしまっていた。

 絶望した増田から自殺者や脱走者が続出し、当主も弟に後をたくして腹を斬った。

一週間後、増田家は完全に降伏した。最弱の将と軍が、最強の将と軍を倒したのだ。

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2016-06-04

[]6:増田希望

 このころ、みやこの河原には、こんな戯れ歌が流行した。

藁人形カラスを追い払う。

カラス雑魚ナメクジより強い。

ゆえに、藁人形増田(八)兵よりなお強い。

 これを藁人形論法と呼ぶ。

 だが、ナメクジも数万を集めれば、ギザギザの舌歯によって藁人形を食い尽くしてしまう。

 負け続き、不祥事続きの増田家が希望をたくしたのは、この圧倒的な数のパワーであった。なにせ人口だけは有り余っている。

社会全体が不安定時代だけに職をもとめて都にあがってくる人間も多かった。

 そんな連中にも声をかけて増田家があつめた兵力は八万!国力の限界に迫る根こそぎ動員に、他の方面をまったく無視した兵力集中で増田軍は鉄壁で知られる増田家(七)に攻め込んだ。

 西の国境を接する増田家(九)は、みやこに関心がなく、北東の増田家は複雑に絡み合った東国の戦いに手を取られている。

 その好機をついた侵攻だった。

 攻められた増田家には自慢の国境城塞群があったが、その配置は西以外にも北や東に及んでおり、守備兵は広く分散している。

 しかも近年何度も撃退されている増田家を甘くみて西側は大規模な攻勢への警戒が甘くなっていた。

 だが、人の海となった増田軍は落とせない城は迂回し、落とせる小さな城だけを攻めつぶした。

増田家領内が増田家でも随一の豊かさを誇るのをいいことに、現地調達で兵糧を補いながらどんどん奥地に進んでいく。

 余力のある国境城塞は出撃して、敵の小部隊をいくつも撃破したが、続々と送り込まれる敵増援部隊なかにいつしか埋没していった。周囲を敵に満たされた恐怖に脱走する兵もあいつぐ。

 さすがに今度は増田軍が勝ちそうだとみた野武士勢力までもが掠奪の果実をもとめて勝手に加わり、増田軍はその司令官にも把握できない状態に膨れ上がった

――最初から把握するつもりなどなかったのかもしれない。

 増田家(七)は多くの兵を国境に張り付けていたことが完全に徒となった。

 想像以上の規模で攻撃を受けてしまったため、国境要塞地帯を超えて浸透してきた敵を各個撃破できるのは、本拠地の親衛部隊しかない。

 当主は豊かな領地を守るためには一刻を争うと判断した。そこで機動防御部隊を送り出すと同時に、比較的安定している東方国境地帯から守備兵を本拠地に呼び寄せる。

 だが、この判断は大失敗だった。本拠地が手薄になった絶妙タイミングで海から増田水軍が現れたのだ。

 それはほとんど偶然だったけど、防衛側の士気を阻喪させるのに十分だった。まるですべての手が敵に読まれしまっているように感じたのだ。

 築城にこだわりのある増田家の本拠地は豪華絢爛大規模すぎて少数の兵で守るにはまったく向いていなかった。

 なお、増田水軍には滅亡した増田家(十)の船団が加わっている。根拠地をうしなった元当主はうまく潜り込んで家を乗っ取ってやろうと、増田家に入り込んだ。

 ところが計画には誤算があった。

当主肛門にゆるみきった増田家中には同じ野心を抱く人間が多すぎて、

誰もがどうにも身動きがとれない状態になっていたのだ。

(これでは脱糞するのも無理はない)と元当主は妙に納得したのだった。

 しかたがないので家中での地位を地道にあげるべく、戦働きをしている。

桟橋にせまる増田軍(士)から逃げる地獄をくぐり抜けた増田船団は上陸作戦手際もよく、

増田島最高の格式をほこる六層七階のメタブ天主に、いの一番に取り付いた。

 そして自慢の手銃を撃ちまくる。メタブ天主漆喰がつぎつぎと砕けて飛び散った。

 いつもはそろばん勘定にいそしんでいる死の商人も流石に観念した。

「是非もなし……火を放て。雑魚ナメクジを侮りすぎたわ。やんぬるかな」

 増田当主白装束に着替えると、最後の詩を詠んだ。

 人生雑魚ナメクジ 下痢のうんちに比ぶれば 雪マシュマロのごときなり

 かくして増田本拠地増津は落城

 増田島の戦国時代は新しい段階に突入した。

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2016-04-16

日本の伝統建築世界一ィィィ?

熊本城崩壊加藤清正涙目m9(^Д^)プギャー

ふざけんな!崩れたのは再建された新しい部分で、築城当初から残る宇土櫓は無傷だし!

日本の伝統建築技術世界一チイイイイ!!

M7.3の本震発生!

…昨日のはアレは本震ではない…余の前震だ…

櫓、半壊ッ!繰り返す、櫓、半壊ッ! 

崩れたのは宇土櫓じゃないしー。飯田五階櫓(復元)だしー

実は宇土櫓の長櫓も倒壊してましたあああぁぁ ←今ここ

2016-01-22

受験必勝メソッド】線を引くのは面白いと思った箇所にしなさい【ではない】

勉強を好きになるには面白いと思った箇所に線を引き、面白くないけど覚えないといけない箇所には線を引かないか別の色で線を引くのがオススメなんだよねこれが。

これは俺の兄が慶応大学医学部に一発で受かった受験必勝法ではないが、俺が資格マスターアドバイザーとして採用しているメソッドではあるのだ。

面白いと思った箇所にだけラインマーキングしているとどんどんそのマーキングしておる本が面白くなっていくという誠に面白い現象が起きるのである本当に。

だって面白いと思える部分がハイライトされているわけだからね当然だよね。何周も本を読むほどガンガンズンズングングンゲームのごとく面白い本に仕上がっていくのはこれ自明の理なり。

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しかしながら勉強なんて面白いと思えねーよと名前を忘れたけどある著明な宗教家に言われて愕然としたことがある。

なぜ面白いと思えないかというと常識レッテル先入観でべったべたに世界を埋め尽くしたような認識フレームワーク築城もとい構築しているからといえる。

はぁ~仮初めにも宗教家というのは本来先入観から自由であらねばならないがそれがいつしか綛糸のごとくもとい高手小手のごとくぐるぐる巻きに己を縛りあげて魂の牢獄を築いてそこに安愚楽をかいている状況なのは想像に難くない。

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そんな人は迷わずリゲインを飲んでまず面白いと思える感性から作っていきたい所であるが、スレッド雰囲気から察するにそちらの手法を詳しく紹介するのは止めておいたほうが良さそうなので、

今回は即効性の高い方法として目新しさに着目するメソッドを勧めておこう。佶屈聱牙かつ晦渋混濁なる小難しい参考書面白いと思えないのは措くとしてもだ君、逆に考えるんだ

難しいからこそ目新しい記述だらけだろォからそこに着目する。こんな細々とした知識やら難解な理論を頭に入れないとIKENAIのかYOなんて考えるのでわなく初体験玉手箱や~と考えなさい。

初体験という事実意識したそのときヒト脳は最もk s kしフル回転する。そして実際のところ人生初体験連続であるからして何も退屈することはないのであるよ決して。やるなら今でしょ

.

で、どうだね?初体験を探そうとすると奇妙なことに、視界が突如パーッと開けて明るくなるかのような感覚が得られただろうか?いやそんな訳はないと思うだろうが本当なの!

何もいかがわしい話でもいやらしい話でもなくて、頭がフル回転すると視界って広く明るくなると思うんだけどどう思う?思い当たる節があるんじゃなかろうもん?

何故そんな不可思議現象が起きるかというとそれは目新しさを探そうとし気付こうとすると必然的アナタ世界を入念に観察しようとするのでより大量の情報が目に飛び込んでくる。

から視界が広く明るくなったかのように錯覚するって寸法さあ(適当)。

.

これで点と線が繋がったことにお気づきか。面白いと思う箇所に線を引く勉強法面白いと思うための未だ嘗て無いメソッドと塩少々を混一もとい渾一させて御覧。

前者は本エントリタイトル通り「受験必勝極秘メソッドではない」が、後者を合わせることで受験必勝極秘メソッドになったことにお気づきか。いや公然と広言しておいて極秘もクソもねーわなw

受験必勝メソッド」ということでここは1つ。たまには良いこと言うでしょ。

2015-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20150524093050

自分大阪お菓子を持っていくならルピノー焼き菓子かな。

菓一座は大阪ご当地ネタお菓子のネーミングに入ってておもしろいよ。

ホームページで個々の商品名は見つけられなかったけど、

「浪速の夢の又ゆめ  殿下ティーブレイク」 アールグレイ紅茶ケーキ

大阪築城 どや石 壱千六百弐十年」 ショコラシュプレーム

「どやっ!! 丁稚上がり」 大番頭フィナンシェ

「月がよし 雨もまたよし 難波」 法善寺横丁 柚子ケーキ

こんな感じ。

http://www.le-pineau.com

2012-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20120208155738

寓話を観光資源に転換しようとした際には、売り込み方が変わってくるのでマネジメント的には重要

吉四六さんとか、遠野物語とか、ある程度観光資源化できる具体的な情報や諸説の取集などやることはいっぱいあるわけで。

例えば、ワシントンの斧を観光資源化しようとしたならば、

目的に沿うような木を探してこないといけない。

この際に、桜の木を探すか桜桃の木を探すかの違いがまず出てくる。

ここで桜の木を探して来たら、桜なんてあの時代にねーよwという事になる訳で、探すのは桜桃の木にしないとならない。

この手の観光資源化は当時の品物とか風俗の展示がセットなので、当然それと売り込みの柱である寓話が乖離しないようにしなければいけない。

とまぁ、全くのフィクションだったとしても、事実により近いだろう情報が無いと酒飲み話にしかならんのよ。

寓話とは多少ずれるが、ディズニーランドのこの手の努力ってのは凄まじいものがあるぜ。

どうやって、実際のアミューズメントアトラクションに落とし込むかとか。

ノイシュヴァンシュタイン城をモデル眠れる森の美女の城をデザインし、そこからシンデレラ城をデザインしているわけで、元ネタ築城技術に詳しくないとデザインとかできない。

強化遠近法とか使っているから、変なラインとか残ってたら破たんするしな。

2011-06-20

http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201106190090.html

あり得ない! ハナシにならない! まず家康信玄を師だなんて言ってたけどそんなはずないよ、三方ケ原の戦いで信玄に踏みにじられているんだよ。

幕府的には「家康武田との敗戦を糧に成長した」ことになっているので、家康信玄を師だと言うのはわりと史実に基づいているよね。

家康=神、家康に勝った信玄戦国最強ということで、三方ヶ原の敗戦は、むしろ江戸時代武田が神格化されるきっかけとなったんだ。

家康はのちに軍法も甲州流にあらためているしね。いろいろ事情があってのことだけど。

政宗を襲ってきたヤツが石田三成だとは思わなかった。政宗を恨んでるなら畠山義継かと思った。だいたい三成は文治派っていって計算能力なんかに長けている人だから直接戦場で戦う人じゃない。三成じゃなくてあの役は加藤清正の方がピッタリなんじゃないの。

三成は、賤ヶ岳では槍働きで功を立てているし、小田原攻めでも朝鮮出兵でも前線で軍を指揮している。

加藤清正はロクな戦功を挙げていない上に、治水・築城のほうが有名なんだから、よっぽど三成より計算能力に長けているよね。

2008-11-28

竜王戦第四局個人的メモ

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このメモは個人的なものであり誤りが大量にある筈なので、くれぐれも絶対だとは信じないこと。指摘大歓迎。

1.将棋には、タイトルのひとつとしての竜王と、駒のひとつとしての竜王がある。駒の一つとしての竜王飛車という駒が裏に成ることにより現れる。

2.相掛かりでなければUFO銀や棒銀は珍しくない。

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最高位の座を名人位と二分するタイトル竜王[1]、四連覇中の若き渡辺明竜王挑戦者するのはこちらも計六度竜王であった有名な羽生善治名人、どちらも五連覇もしくは計七度保持すればえられる永世竜王それも初代をかけた戦いになった。

渡辺は第三局まで三連敗の上に内容が悪くなっていっているのではとも噂されはじめ、しかも四局目は戦型を選びにくく不利といわれる後手番であった。

その渡辺羽生は近年凄まじい高勝率をあげている相掛かりという戦法で襲い掛かる。普通なら角道を開けて拒否するのだが渡辺には「相掛かりを受けて立って悪くなるはずがない」という信念があり、真正面から受けて立った。

相掛かり自体は前例がたくさんあるのだが、早くから羽生好みの銀が「右」からUFOのように昇っていく形は珍しいらしい[2]。少しでも踏み外せばあっという間に勝負がつきかねない激しい変化にもかかわらず局面はどんどん進行していく。

速い戦いにせざるを得ないと読んだのだろう、渡辺は玉を真っ直ぐひとつ上がり守りの駒を少し離して「中住まい」にした。この利点は守備が早く完成する事、駒を均等に配置するので持ち駒を放たれてしまう隙間が少ない事、そのわりに玉が逃げ回る空間は広い事である。

しかしなんと羽生UFO銀を「左」に下げて守りに使い出した。

矢倉といえば普通は金矢倉であり、銀矢倉は最近姿を消していた。それは主に築城にかなり手間がかかり、その間に相手に好き放題されてしまいかねないからである。しかしそれを羽生は成し遂げた。

この固い守りに渡辺はすぐに手が出せない。かといって渡辺が本来得意とする、熊が冬眠するような堅い守りにしようとすると、組み上げるときにどうしても避けられない大きな隙を狙われるため不可能。対して羽生は隙をみせずにもっともっと守りを固めていくことができる。これは一日目にして既に勝負あったのではないかと考える人もいたようだ。

もはや渡辺には攻め抜く道しか残されていなかった。

銀矢倉でほぼ自陣を固めきった羽生に対し、極限まで駒を攻めに向かわせた渡辺渡辺の陣容はその左右対称性からインベーダーとも呼ばれた。美しく見える人もいたかもしれないが、いざ攻められると非常に脆く崩れやすい。ここで手が封じられて翌日へ…。

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いよいよ渡辺の猛攻が始まった。苦悩の果てに羽生の銀矢倉への正面突破をみせる。だがそれに応じ羽生は銀矢倉から更に硬い囲いに組み上げた。観戦する誰かが局面を後手の渡辺側から見てみろよと言い出すと、方々から渡辺絶望的との声が上がる。そして渡辺は貴重な守りの駒さえもひとつ犠牲にする。

と、ここで渡辺は駒を渡す。また千日手(繰り返し)のようで千日手ではない似たような手順を繰り返す。妖しい手に戸惑う観衆。その手順から渡辺飛車が間隙を縫って、羽生の守りとは離れたところに突入し、竜王[1]と成った。

竜王を頼りに敵陣に突入できるできるかもしれない、と微かに望みが繋がった渡辺。とはいえ、その間に羽生は激しい攻撃を繰り出したり、かと思えば絶妙のタイミングで守りに切り替えたりして、渡辺を崖っぷちから逃さない。

竜王を頼りに敵陣に突撃してゆく渡辺の玉、させまいとする羽生。もし突入されてしまうと、規定により駒数が少なくなってきた羽生は負けかねない。複雑な変化を掻い潜るなかで、遂に羽生の手が震え始める。

「手が震えたという事は、羽生ギリギリの勝利を確信したのか?」と噂され始める。敵陣に突入しかけるが更に厳しい迎撃に合う渡辺。お互いに勝負を決する難解な選択が連続する。やがて震えることもなくなり力強く渡辺竜王を取り飛車として駒台に乗せる羽生。勝負はあったのか…?

対局の直前に渡辺は「諦めたらそこで試合終了だよ」と嫁に励まされていた。

なんと再び羽生の手が震え始める。その中で玉が非常に危険なのにも関わらず果敢に飛車を打ち込む渡辺、そして再び成って竜王とする。羽生は全力で渡辺の玉を追うが、なんと打ち歩詰め禁止のルールゆえという際どさで凌いでいた。

加えて将棋は後ろに攻めにくいようになっているので、羽生陣の奥に突入された渡辺玉はもう捕まらない。だから勝敗は駒の数で決する規定が適用される事になるのだが、それも渡辺玉を捕まえるために手放し過ぎてしまった。遂に羽生は敗北を認めた。

第5局は12月04日・05日、和歌山県西牟婁郡白浜町むさし」で行われるようだ。

メモ

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