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2021-06-17

三島由紀夫vs東大全共闘感想

ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消しま

東大全共闘三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeTBSが上げてるやつはもっとコンパクト

まず、三島議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的性的衝動というよりも衰弱したもの無気力ものを指している。他者オブジェとして捉え、他者予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。

文脈的に良いかいかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉

他者物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生共感ポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。

つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにの世界と関わろうと願っていた」と言う。

この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。

振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるとき自分が「本来自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界コントロール不可能であることも常にストレスだ。電車ダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレス根底にあるのは「自分世界フィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。

エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)

インターネットを見ていると昨今は「思想トレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想トレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。

つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種差別用語、下手にフラット思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。

しか三島はそれを良しとしなかった。

三島曰くこうした猥褻世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である

「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立他者というものイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」

三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。

そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しか三島自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界関係を持った。

ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的ものではないということをあの場で三島けが知っていたからだ。三島自分思想作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴス披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)

右翼左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動他者必要としないので自己完結で終わる。

脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的実在社会的関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのとき全共闘言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから

右翼左翼本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。

これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。

論理が無力だとは決して言わない、しか論理は使い手に媚びる性質があるのだ。

三島は途中、珍しく自分ノスタルジー全開で天皇腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分いかに立派に見えたか三島は強調しており、またそれが個人的経験であることも認めている。

三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。

三島保守ポジションに立つのは「意地」のせいであり、

それは自分個人的体験世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。

その意地>論理という三島イデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。

「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」

このとき東大学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。

ここで東大学生はこの日の討論における自分たちの勝利三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。

しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。

テン年代では没落していたひろゆきが今、ネット神様から論破神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル

この「判断放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者物体化」「エロティシズム」にほかならない。

彼を崇拝する現代ネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。

ひろゆき曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。

伊藤計劃ハーモニーから引用する。

「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」

ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。

しか三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。

ひろゆき批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。

論理的には正しいかもしれないんだけど…

この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的説明する人間がいてもおかしくない。

多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。

ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから論破」において強く見えるんだと思う。しか論破目的化してその先がないのだ。

ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから

ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆき提案する通りに世界運営してみたら、きっとそこに残るのは論理服従した人間たちの何もない荒野だろう。

全共闘との議論最後

「それで(三島全共闘と)共闘するんですか」

と聞かれた三島はきわめて朗らかにこう答えた。

「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘拒否します」

イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島学生たちの間にはあったのだと思う。

三島個人昭和という時代に生まれ天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅思想」だとは思えないのだ。

2021-05-26

そういう話じゃない スーパーカブ

アニメスーパーカブ』の6話で、免許取って間もない主人公・小熊がカブで二人乗りをする。

カスタムで125ccの第二原付にしているから「免許所得から1年経てば二人乗りはできる」が、

1年経っていないか違法。でもする。この描写についてネットでは

・これ、アニメなんだから という寛容派

・おいおい…… というモニョり派

が喧喧諤諤。

アニメアニメとして楽しめない人は悲しいね

そもそもバイク×違法なんてのはフィクション伝統で……

……「という話になっている」

「という話にされようとしている」?

全然ちがうって。

原作小説読んだか?

アニメアニメとして楽しめない人は」って言ってる人、絶対読んでないだろ。

俺は読んだ。で、この描写辺りの小熊の心情描写で小熊嫌いになったというか、

「この作者の価値観は無理」と思って読むのやめた。

捨ててしまたか完璧引用はできないけど、大体の言葉は覚えてるので書いとく。

単純に言うと、原作小説スーパーカブ」はかなり粗が多くて、下手。

全然話を書き慣れてない人が、1つ1つのエピソードを思いつきで書いてるのが丸わかりで、真面目に読むときつい。

コミカライズアニメで、どのように専業プロの手で整えられたのかは知らない。

ただ、小説については読んでいると状況について矛盾というか無理のある場面が多く(夏休み入って初雨とか)

かなりの作者ルールを飲んで付き合うことを作者側から要求されるという感じ。

俺はそういう小説は「まだ全然上手くないな」と思って読むやつ。

ただ「おいおいおい」「そりゃないだろ」と思ったのがこの二人乗り前後の話。

原作小説三人称視点なんだけど、

全文キャラを立てようとしてないってぐらい淡泊な筆致のわりに、

たまに解説される小熊の心情はかなり歪みや偏りが見えてキツい。

特にねずみ取りしてる警察に対して「公道で小遣稼ぎをする泥棒」みたいな唐突な心情独白があって、

しかもそれがライダー全員の共通認識みたいに書かれていて、「マジか」と思った。

俺はバイク乗ってるけど、そういう認識全くなかったので「やめてくれ」と思った。

「それが常識と思ってるの、あんた(作者)だけでは?」と。

第一ライディングの経験が浅い小熊がなんでそこまで警察を目の敵にするか

(むしろないない尽くしの少女にとっては味方側だと思うのだが)が不明で、

小熊というより作者出ちゃってるなぁ、トホホという感じだった。

で、高校修学旅行に小熊は一人カブで向かうというたくましい話が続くのだけど、

その道中で「パンク修理すら自分でできない、情けないカブ乗り」の少年出会う。

俺は、プロであるディーラーに整備してもらうのも好きなので情けないとは思わないが、

小熊(淡泊物語られないので作者、としか思えない)にとってはそうらしい。

で、小熊はパンクを修理してあげたあと、

同じカブ乗りとして親近感を覚えて近づいてきた少年のすねだか膝だかに蹴りを入れて、そのままカブで逃走。

あんなやつがカブ乗りなんて!あんな情けないのと一括りにされたくない!」て感じでモニョりながら飛び出していく。

で、話題になってる「二人乗り」の話は、

原作だとその「自分ダサいカブ乗りとは違う」と描き切った直後の話なのだ

しか

免許を取って1年以内は二人乗りできないことは知っていた。しか重要な決まりとは思わなかった」

というものすごくサラッとした1行か2行かの地の文OKになり、礼子とタンデムするのだ。

小熊ヤバいというか作者ヤバイさらに言うと違法を知っててケツに乗る礼子の株も下がった。

からすると、さっきのパンク修理できない少年の何倍もダサい

これ成立するのか?この作者の中では?ってのが俺がこの作者無理だと思ったところ。

善なるヒロインとしてこのストーリーラインを受け入れてもらえると思ってるなら、かなり読者を選ぶ作品だなって。

ぶっちゃけ、同じバイクを愛する者?として俺は「この小説流行って欲しくない」と思った。

チンピラダブスタチンピラ漫画で書かれるなら全然いいのだけど、

ないない尽くしかカブっていう皆に寄り添う名機を手に入れた少女が、

カブを手に入れたことで当然に迎える「美しいもの」や「成長」のエピソードとして法軽視を書いてほしくなかった。

俺は警察ちゃん安全のために仕事してくれてると思うし、

1年経たない未熟な腕でケツに乗せて事故ったら責任取れない、

保険金払われないか任意保険入ってる意味もなくなるし、誰も乗せなかった。

ただでさえ白眼視されやすバイク乗りの誇りって、俺的にはそっちだと思ってたから。

変なこと言ってるとは思わない。

とまあ、そんなわけで、「小熊も、作者も、モラルはない」ってことが、

たぶん作者も気づかないままバッチリ書かれてるのが原作の話。

アニメからたぶんこの世界法律が違う」とか「アニメに突っ込む人間ダサイ」とかじゃなくて、

堂々と「仕事してる警察は敵」で違法行為は「重要と思わないから犯す」っていう、

美少女×ほのぼのスローライフとは親和性の低い描写

重要でない要素」としてサラッと出てきたのが視聴者に「……え?」ってなってるんだって

原作小説読んでたときの俺みたいに。

リアリティラインが違うヤンキー漫画コメディ漫画につっこんでるわけじゃなくて、

カブ文化を賛美すると標榜する美少女×スローライフ作品に「当然の確信違法」が入ったから、

困惑してるんだって困惑するのは普通だよ。

真夜中のガラガラ道路白バイとかねずみ取りかめんどくせえなあとは思うときはあるけど

警察は最低」まで共感されるものとして公言するライダーは、

けっこう前から俺の周りにはいないけどな。

そんなとこ。

なんか「アニメアニメとして見られない可愛そうな人」にされそうだったから、

公式も作者も焦って、今そういうことにしようとしてんだよ」って言いたくなった。

流行ってほしくないとは思ったが、

べつにこの作品がこういうスタイルを許されずに潰れてほしいなんて思ってない。

ただ意図的に描ききった描写が招いた因果に対して、

違う意味で上塗りして問題すり替えようとするのはセコイし、

全然違う変な結論を作り上げて、それで哀れまないでくれって感じ。

オタク同志たちがあっさり丸めまれてるのも見てて辛いわ。おわり。



追記

美少女×ほのぼのスローライフ、って言葉を使ったのは俺がショボかった。

俺の感想としては

純朴×スローライフ×成長譚×HONDAスーパーカブの素晴らしさがテーマっぽい作品で、

軽い気持ちで一線を超えた違法を美しいものとして書くのは困惑することで、

俺的には直前のエピソード整合性とあわせていろいろと無理に思った、その方が正確。

それが「フィクションフィクションとして楽しめないやつ」呼ばわりだから

いや、普段フィクションツッコミなんて入れないのに、

これは持ち出したコンセプトと照らしてツッコミ入れたくなるレベルからツッコミ入ってるんだよ、

しかツッコミに対して意図的論点ずらしまでするのかよ、

って言いたくなった。追記おわり

2021-05-03

ちょっといい感じの同期

追記

反応ありがとうございます小説練習がしたくて自分経験三人称で書いてみたのですが、非常に読みにくい文章になってしまいました。ご指摘ありがとうございました&一行目を訂正しました。

コメントの「夢を語ってもらえた」と捉える視点、素敵ですね。

現実的でないことを馬鹿にしてしまっている自分に気づかされました。

次に会うときはもう少し温かい目で見て、夢に向かうワクワク感を共有できればいいなー、とおもいました。

_____

Yは昨日会社の同期のMくんと会ってきた。

色々と買い物をしたら疲れたのでカフェに入り、Mくんはアイスコーヒーを注文した。Yは紅茶を注文し、一息ついている。 

Mくんは前日にオンライン会社の人と飲み会をしていたらしい。

共通趣味でもない限り、だいたいそういった場での会話は仕事健康人間関係の話になる。

Mくんは最近彼女に振られたので、やはりそのことがいじられるらしい。

やはり男子間で振られた話をすると「それなら遊んどけよ」と言われマッチングアプリを勧められたりするそうだ。

マッチングアプリとか似合わないからやめときなよ」とYは言った。

出会ったその日に〜とか、ナンパとかで性行為できたとしても気持ち良くないでしょ。

一瞬の快楽はあっても虚しくなるだけなんじゃないかなぁ。

快楽ホルモンドーパミンより愛情ホルモンセロトニンの方が持続性があるって言うし、セロトニンマッサージとかハグでも十分出るって言うし…」

Mくんにマッチングアプリをやって欲しくなくて始めた会話が、着地点を失った。

マッチングアプリするくらいなら私とお茶してよ」と言えば良いものを、Yは言えなかった。

「はぁー、結婚してぇ…」Mくんは深いため息をついた。

「そういえば、少し意地悪な質問だけど…なんでMくんは結婚したいの?」

好きな人がいて、その人とずっと一緒にいたい、と言うのならわかるが、「とにかく結婚したい」というのは理屈がよくわからない。

いつもテキパキしているMくんが珍しく考え込んでいた。

Mくんは「うーん」と手を後ろに伸ばして言った。

「いやなんかさあ、信頼関係って、いいじゃん。信頼できる人と一生一緒にいたいんだよね」

薄い。オカモトもびっくりの薄さである

「『信頼関係』なら仕事でも良くない?

それこそプロジェクトみたいに目的と期間が決められたものの方がいいような気がするけど」

Mくんの答えに、普通に突っ込んでしまった。

しかMくんに彼女がいた頃「30くらいで結婚したい」と言っていた。

当時はこのふわ〜っとした発言に(SDGs目標か?あるいは脱炭素計画か?)と心の中で突っ込んだ。

「兄が結婚して子供もいるんだけど、それが良くできた夫婦って感じで羨ましいと言うか…

兄もお嫁さんもお互いに信頼し合ってていいな〜って思うんだよね。

あと子供も欲しくてさ、なんか夢だけ広がっちゃって。

子供キャッチボールしたいな』とか『自転車練習に付き合いたいな』とか…」

逆上がり練習も?」

「そりゃあもう」

虚しくなってきたので、この会話はやめにした。

今のMくんの話は「東京大学に行きたいです!でも入試科目もどうやって出願するのかも知りません!」と言っているようなものだ。

夢だけしっかりしていて、プロセスがすっぱ抜けている。

カフェを出ると18:00を過ぎていた。

まりお腹は空いていないけど、なんとなく名残惜しいと言うか、帰るのが勿体無いような気持ちだった。 

「とりあえず駅まで歩きながら、次なにするか決めよう」とMくんが言ってくれた。

しばらく歩いていると、信号を待ちになり、Mくんがぼそりと言った。

「俺、お母さんからモテるように育てた』って言われたんだけどな〜」。

なぜか悔しそうである

かにMくんは荷物さらっと持ってくれる。

Yのことを「可愛い」と褒めてくれて、女の子として接してもらえるのは純粋に嬉しい。

Mくんは国家試験にも合格していて努力家な上、冗談を言って場を和ませたりもできる。

「たしかにMくんって接しやすいし、人から好かれそうだよね」

文章にすればMくんのいいところをたくさん挙げられるのに、瞬発力がいつだって足りない。

駅に着いて別れ、いつもの電車に乗る。

窓外を見て「これを言ってあげればよかったなぁ」といくつものシーンを思い浮かべている。

ひとまずは、乙女ゲーをたくさんやって「ちょっといい感じの同期」への接し方を学ぼうと思った。

2021-04-28

ゲーム好きだけどゲロゲロに酔う

一人称最初から避けるけど三人称視点でもわりと酔う

三半規管って鍛えられる?

2021-04-06

anond:20210406030311

増田増田文学だの脳内実験だのいって

この手の現実味のない妄想を垂れ流す人が多い場所からなぁ

これなんか三人称からまだマシなんだろうけど

きもちわるければ近寄らないほうがいいかもね

2021-03-26

好きな作家ツイッターしてほしくない

昨日追っかけてる小説家新刊が発売されたから早速読んだんだけど、小説の作者がネットミームに浸りすぎてるのがちょっと嫌になってきた。

その人は生粋ツイッタラーで、ツイート内でオタク構文も語彙もよく使うしたまにバズってるし、ファンの多くもおそらくそういうのが好きなんだと思う。フォロワーも多いし。

でも何というか作品までネットミーム系の単語侵食してるのってどうなんだよ。

別にインターネットとかツイッター精通してる訳じゃない(多分)キャラ台詞、それどころか三人称地の文とかでも結構な頻度で出てくる。

それがパンピにも受けると思ってわざとやってるのか? それともインターネットに浸かりすぎてミームだと思ってすらいないのか?

ちょっと前、服屋の店員に「戒め」ってオタク語彙と気づかず使って驚かれた漫画が回ってきたけどそんな感じがするんだよ。

単語ならまだ対策できるだろうけどそれ以外の部分、例えば比喩インターネット臭いってのはもうどうしようもないんだろうな。ここら辺は自分でも何を基準にしてるか曖昧だけど具体的にこの文がってのはある。

会話の掛け合いとかも全部そう。なんか複数人対話でも一人で喋ってるみたいに見える。自分発言に対して括弧つかってセルフツッコミするやつの弊害なんだろどうせ。芸人コンビじゃないんだからいつでもベストな返し出すなんて無理だろ。

とか言っても売れっ子作家に変わりはないし自分がメインの読者層から外れたってだけのことなんだろうな。

2021-03-12

anond:20210312131049

男は一人称ポルノを、女は三人称ポルノを好む傾向にあるという論文を見たことがある気がする

2021-03-07

anond:20210307184616

日本語乗り物に対して「処女」という言葉を使うのを問題視しているのか、英語三人称女性代名詞乗り物に使うのを問題視しているのか、英語女性代名詞と "maiden" の対応が一貫しているのかを疑問に思っているのか、読んでいてさっぱりわからん

なお有識者に聞くまでもなく、OEDで "she" と "maiden" 項目における引用例の出典年代年代指定スライダースライドさせながら比較すればすぐに分かる。

2021-02-22

小説を書き始めた

小説書いてたんだけど、言葉を膨らませられなくて難しい。

一人称主観三人称客観があるってことが分かった。私の小説一人称主観から、その領域が出ないように自分イメージで書いていくんだろうな。

2021-02-19

APEXLegendsとかいゲームが癪に触りすぎてインターネット破壊したくなっている

基本的にこれは俺の逆恨み正当性は全くない。

だが正当性があろうとなかろうと怒りの感情を燃やしてそれをぶちまける権利くらいあろう。

まず前提として俺はFPS、というか一人称視点ゲームがあまり好きではない。自機が被弾する、死亡する時のストレス三人称視点ゲームのそれより高いからだ。そしてPvPもそんなに得意ではない。対人戦を本気でやりこんだ覚えのあるゲームは、ポケモンエスコンくらいだ。そしてFPSメインコンテンツ基本的に対人戦である以上、どうしても自分には合わないと感じる。正確なエイム、毎秒変化する敵味方の位置の把握、それに応じた適切な動きなど、FPS要求する能力が高いのだ。発達障害が入っている俺には正直このようなスピードと精度を要求されるタスクはこなせない。なので、FPSを楽しんでる人間を見ると、体育の授業で自分だけ上手くできなかったことを思い出してしまう。ジャンルわず様々なフォロワーがAPEXとかいFPSを楽しんでるの、普通に理解ができない。なんであんな高度なタスクがこなせるんだ。あれか、お前らは健常者ってやつか。

次にAPEXLegendsというタイトルについてである。このゲームを開発したEAタイタンフォールというロボゲーを作っていると聞いている。俺はロボゲーが好きで、特にアーマードコアに関してはPS3で出来るタイトルだけだがそれなり以上にやりこんだと思っているし、未プレイの分際で軽率闘争コピペを使うやつの家を燃やしたいと思っている。ただし対人戦に関してはそんなにやっていない。何よりハマるのが結構遅かったので、オンラインに残ってるのは酔狂強者しかいない状態だった。そんな状況で対人戦に乗り込むなんざ嫌すぎる。対人戦もやってないのにAC好きを名乗るんかなどと宣うやつがいれば殺す。話がそれたが、そんなACシリーズ2013年から捨て置かれ、フロムはダクソだのブラボだのばかり作っている。そしてそういうやつのが売れてるらしい。これまで作っていたロボゲーが捨て置かれ、一般受けしそうな新タイトル世間で持て囃され、捨て置かれたゲームは忘れ去られるという状況はタイタンフォールとACで似た者を感じる。俺はタイタンフォール2を馬鹿みたいに安くなってる時に買うだけ買って積んでおり、このゲームの内容についてはキャンペーン評価が高いことあまり知らないが、世間からは「APEXに似てる」「タイタンいらなくね」などと言われてるらしい。大変腹が立つ。「○○はカゲプロパクリ」とか言ってた連中と似たようなもんだろう。くたばって欲しい。もしタイタンフォールをプレイしてこのゲーム愛着があれば、恐らくもっと腹が立つのであろう。

また、最近Vtuber界隈がAPEX同好会と化してるのも要因の一つとしてある。自分が好きなライバー配信があると思ったらAPEXだった時は落胆するし、新しくチャンネル登録する際にはアーカイブがAPEXだらけになってないか確認する。俺がAPEX嫌いという以前に、折角素敵な電子肉体を手に入れたのに、ひたすら流行りのFPSをやるだけってのはあまりにつまらなくないか。それが好きでそれを極めたいならいいが、それならもっと別の道もあっただろう。お前がそのガワ被ってやりたいことは他にないのか。

とこのように様々な観点からAPEXが嫌いという話をしていたが、初めに述べたように、単なる逆恨みしかない。APEXユーザーにも、EAにも、Vtuberにも罪はない。それでも、自分が好きではないものが遍く楽しまれているインターネットが居心地が悪すぎる。義務教育の体育と違ってこれが出来ない、やらないからといって何か不利益を被らないだけまだ救いがあったし、こういった負の感情を投げる場があるだけありがたい話である。どうにかしてこの粘つく悪感情と向き合っていくしかないのだろう。

2021-02-15

友達いなさすぎて文中で人の会話が書けない

俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係友達勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラス映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)

大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。

なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。

俺は高校大学友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。

サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係トラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。

俺は完全に一人になった。孤立という自覚さえない一人だった。

暇なときイヤホンで外界の情報遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。

これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかバカなだけだった。

どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学サークル名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。

とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるとき雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネット小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。

そうしてある日、気付いたことがある。

俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。

それまでは星新一ズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。

ブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパート差し掛かり、そこを頑張って、ウィットエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。

出来なかった。

どうやっても平面的な、話している人間人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラ即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…

とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。

要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。

反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポート論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章からだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。

相手がどういう感情主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケ一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。

なんのことはない。俺が普段人の感情機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。

好機を逃さず利用することを中国故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)

とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。

いろいろな作家の言では、脳内キャラクター像をしっかり組めばストーリー舞台範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。

仕方なくマネキンポーズを手作業ちょっとずつズラして、それを繰り返したもの描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然ものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。

やっぱり、友達いないとダメかなあ。友達がいたら創作活動なんて手出してないと思うんだけど。

2021-02-08

性別なしで話せないかな?

はてなではもう何年も何十年も男と女の果てしない罵り合い愚痴り合い貶し合いが続いていていい加減疲れました。性別を明らかにした話題ジェンダー論によって無益な戦いに巻き込まれて後には何も残りません。

一人称二人称三人称idアイコン文章の内容など一切に性別を出さないようにして話せないかなと思います

(例)

一人称→私

二人称あなた

id記号とか苗字

アイコン風景とか

夫とか妻→配偶者

父とか母→親

息子とか娘→子

彼氏とか彼女恋人

余計な情報がなくてスッキリとした議論考察ができそうな気がしますがどうでしょうか。

まあ男女の罵り合いがはてなの本質なのかもしれませんが。

2021-02-07

anond:20210207095349

文才がないか

一人称でいっていても、やってみろ、と言われる。

文章もっと勉強すりゃよかった

しかに、三人称に聞こえる

2020-12-31

完璧主義童貞ブサイクな女

気になる女の子映画デートへ行った。いや正しくいうなら気になろうとしている女の子であろうか。以前私は配信者の男がこう語っているのを聞いた。まずはブスと付き合え。衝撃を受けた。モテてない奴はまずは誰でもいいから付き合って練習しろというのだ。妙に納得してしまった。私はこの日からストライクゾーンダイジョーブ博士にでも頼んだかというぐらい広くなった。そこで今日バイト先の女の子映画デートへ行くことと相成ったのである。けれども正直可愛くない。可愛くないが一緒にいて気取らなくていいので落ち着く。そんな子だった。アニメ映画を観た。140分もあったものから頻尿な私は途中でトイレに行きたくならないかとても心配になった。結果として大丈夫であった。水分を取らないことが幸いして上映中にトイレに立つことは無かったし、上映外も常人レベルトイレ回数だったと思う。上映中彼女お腹が鳴り恥ずかしそうに鞄を抱き抱えているのが可愛かった。厳密に言えば特に何も思わなかったが可愛いと思い込もうとしていた。何か可愛いポイントそうじゃないか。そういうところ。けれどもコンプレックスであろう口を隠してたのはとても可愛かった。僕の嗜虐性をとても刺激された。女性男性の嗜虐性を刺激すればブスでもモテると思う。所謂弱みを見せるということになるのであろうか。相手を幾らか笑わせることはあっても特に楽しい会話もなく私が楽しくないと思っているのだから相手も恐らくそう思っているのではあるまいか。そう思うと少し申し訳ないことをした気がする。家から映画館まで往復で1000円もかかるらしいのだ。悪いことをした。私が誘ったのだから私が楽しくエスコートする必要があったのではないか。私は自分ですら楽しめていなかった。何が楽しくなかったのだろう。中々どうして理由はわからないが今日のことを思い出してみても相手存在認知することができないのだ。私が1人で映画を見てハンバーグを食べて帰ってきたのと同じ記憶である。私は本当は1人だったのではないか?とそう思えるほど相手存在を感じとれなかった。私が普段街で脳内会話しているのと同じレベルである。何の話をしたであろうか。食事中に喋るのはいけなかっただろうか。容姿を褒めてやることが出来なかった。私は完璧主義であるから自分の思い通りにならないと気分が悪くなる。けれども、あと2、3回遊びに出かければ彼女三人称代名詞としてではなく恋人としての彼女になるのだろうな。とも思えてしまう。それ程私は今自己陶酔している。病的である。あるいはまさに拗らせ童貞なのである。あゝ彼女欲し。

2020-12-28

anond:20201228235039

三人称単数形が「あやつ」で複数形は「あやつら」でござる

anond:20201228234814

それは二人称だけど

おじさんおばさんは三人称にもなるじゃん

2020-12-02

anond:20201202234544

三人称一人称にする発想はなかった。恥ずかしいけどありかもしれない。ありがとう

一人称がうまく使えない

小さい頃から一人称がよくわからなかった。物心ついた頃は僕を使っていたと思う。思春期は俺になりそうだった。今は畏まった文章なら定型的に私を使うけど、口語ではどれもしっくりこない。そうやって生きてきたので、一人称を使わず文章を作れてしまう。ことばの世界自分という主体はそんなに必要ないんだなぁと思う。

そんなに自己主張したいこともなくて、一般論とか論理的に言えることしか言ってない。私はこう考える、というより、こういう理屈でこう言える、という話をしている。趣味にしたって変わらない。感情をことばで表現するには理屈を立てないとできない。なぜそう感じたか一般化すると、自分固有の話は消えてなくなる。やっぱり一人称がなくてよい。

とはいえ言葉として一人称を使った方が自然なシーンはある。だいたいは「自分はこう思う」みたいな三人称表現で誤魔化している。「自分」が一人称だという感覚あんまりない。妥当言葉が他にないからそうつかっているだけ。「俺は〜」「私は〜」で話せる人はすごいなって思うし、なんだか話し方が違うなと思う。

妥当一人称をどれにするのがいいんだろうとたまに思うんだけど、一人称のないことばの世界に慣れてしまってるのでやっぱりしっくりこない。この感じどうすれば解消するんだろう?

anond:20201201202726

ネットでもリアルでも一人称使わない派

仕事でやむを得なければ「私」または三人称っぽく名字を使う

2020-11-17

久々に二次創作小説を書いてみた

限界腐女子による小説の書き方講座

https://note.com/skt_pnt/n/n10a8d8aa9ab0#2YYMU

これに影響されて久々に二次創作小説を書いてみたので感想を書く。

スペック

オタク。書いた原作ラブコメもので男女カプ。

執筆経験は5~6年前まではSS速報にSS形式10本程度。一人称形式で4本程度書いてた。

今回はnoteに影響されて三人称で書いてみた。というかシリーズ形式なので書いてる途中。

感想

影響されて三人称にしたのは完全に間違いだった。書いたことない上に数年ぶりで進まねえ進まねえ。

プロットが広がってシリーズものの分量になったのも失敗。もうちょっと簡単なのにすればよかった。でも思いついたのがこれなんだから仕方ないね

あとは

しかし、オレは未来人なので予言しておくが、お前が初めて書いたその小説は、びっくりするぐらい読まれない。感想なんてひとつもつかないし、ランキングなんてかすりもしない。

このとおりマジでまれなくってビックリした。ピークがすぎたとはいえアニメ化もしてまだ連載中なのにこんなに読まれないもんか。

SS速報に書いてたのとかまとめサイトでビュー数1万近く行ったのもあったしそうでなくともほぼ4桁は行ってたのに閲覧数100も行かない。1話目でこれだから今後伸びることもないだろうし、正直1話目が一番つまらないだろうから増えるともあまり思えないし。

これは俺ガイルとか五等分のSSがどんどん増えるのわかるわ。やっぱ読まれたいもん。人気が人気を呼ぶのよく分かる。ただまあ俺は他のジャンル書くつもりはないし、書いたやつも感想は来たからすげえ嬉しい。

あんまりまれないのは残念だけどやっぱ書くのは楽しいね。妄想だけはしてたけど出力するとやっぱ違うわ。後で自分で読み返して楽しむことも出来るし書くのはいいね

とりあえずもうすぐ原作の連載が終了しそうなのでそれまでには終わらせたい。頑張ろう。

2020-09-28

三人称を使ったセルフトーク自分制御するには有効だとか何とか

しか有効なのかもしれないが、これって精神病を誘発するのではなかろうかとちょっと思った。

離人症とか立派な病気扱いでしょ?

2020-08-26

性別のないものに無理矢理性別を当てはめる言語ってなんなの?

英語でいうなら「It」みたいな第三人称代替できないの?

言語自体性的消費してるじゃん。

2020-08-06

anond:20200806231021

一人称はずっと主人公が交代しないものや、主人公内面を掘り下げる純文タイプだとむしろ楽。

三人称は大なり小なり表現が乾くので難しい。使える形式も減る。

例えば「彼はその時そんなふうに思えただろうか、いや、そう思えなかったに違いない」

という問いかけを三人称でやると、それ自体二人称視点になってしまう。

要するに人称自体がブレる。だから必然的表現の幅は狭まり、難度が増す。

上の問いか形式でも一人称ならそのままでいい。

「それはきっとxxに違いない」という文、一人称なら問題はないが、三人称では人格が混入するので使えない。

anond:20200806124301

ツッコミキャラとして置いておきたいとすると、一人称がいいんだろうね。

三人称だと「声に出してないけど思ったこと」を地の文説明しきるのが大変そう。

情景描写は、本来三人称なら違和感なく書けるところを前述のようなストーリー上の理由一人称にしたとすると、作者の中で【地の文で書きたい描写】【地の文説明しなきゃいけない描写】が混在してしまうのかな、と思う

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