前回の続きで、そちらをあらかじめ読んでいること推奨。
もっと主観バリバリ、かつ雑に展開させた方が読んでいる人たちもツッコミやすいし、筆者も書くの飽きてきたので今回はもっとテキトーに書いていくことにするよ。
食に関することは基本的に作るか、食べるかだけれども、細分化していけば目の付け所はいくらでもある。
要はコンセプトによる差別化だ。
『胃弱メシ』は胃が弱い人の、『女くどき飯』はデートでキメるとき。
『将棋めし』は将棋で勝つためのゲン担ぎといったように、「食とどう関わっていくか」ということも差別化の一つともいえる。
『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』や、『食の軍師』などといったように食に関する独特な拘りを主体にしたものもある。
他には、食べ物自体は絡むものの、その他の要素に比重を置かれているパターンも。
定番なのが人間ドラマで、『ゆきうさぎのお品書き』や、前回挙げた『甘々と稲妻』などはその傾向が強い。
料理やそれを食べる要素は必ずあるものの、それによって紡がれるドラマが主体なのだ。
これはどちらかというと帰結ともいえ、食べ物そのもののエンターテイメント性の弱さを補完しようとすれば、過剰な演出を除けばストーリーやコンセプトに目を向けることになるのだ。
その点では『ゴールデンカムイ』もその要素を持つといえるが、これをグルメ漫画と認識している人は少ない。
バトルやドラマ、コメディなど、主体となる要素、テーマが他に多くあるからだと思う。
では、食の要素を持ちつつ、食漫画と認識されにくいものには他にどのような例があるだろうか。
完全な持論だが、それは茶化したり、弄ぶことによる“破壊系”だと思う。
代表格は一部の「料理バトル」モノで、過剰な演出とエキセントリックなプロットを突き詰めていく過程で真面目に食べ物や調理を扱わなくなった。
数年前だと『マジカルシェフ少女しずる』という漫画が印象的である。
最近だと『人魚姫のごめんねごはん』という漫画がホッテントリになっていて記憶に新しい。
ディズニーアニメの『リトル・マーメイド』でコックが魚を料理する歌があるのだが、架空の設定で見方を変えさせることで、印象を鮮烈にするというのは手法としてある。
まあ正直ここまでくると、食が関係していてもグルメ漫画というよりはコメディ漫画寄りだから、今回の話で扱うのは趣旨がズレているかもしれないが……。
主張したいのは個人的にこの“破壊”を許容されることで発生する、ジャンルの多様化もあるのではないかということだ。
つまり「破天荒さ」と「グルメ」を両立しているにも関わらず食漫画としての体裁を保った、そんな奇妙な読み味の漫画たちである。
グルメ漫画のほとんどは現実世界をモチーフにしていることが多く、料理もまたそれに準拠している。
だが、それに拘る必要がないのではと思い始める作品も出てくる。
例えば『異世界駅舎の喫茶店』、『信長のシェフ』などといったように、舞台を別の世界にしたもの。
しかし、食べ物まで空想の産物にした代表格は『ダンジョン飯』だろう。
RPGに登場しがちな空想の生き物を材料に、大真面目に調理工程が描かれるのである。
以降も異世界の架空の食物を扱った『幻想グルメ』や、妖怪を材料にした『美味しい妖』などの作品が続いていく。
もはや食漫画は、舞台、調理工程、登場人物、食べ物あらゆるものが多様化したのである。
だが悪くいえば、ほぼ手垢まみれの状態となりつつある、ともいえる。
私みたいに食傷気味になっている人間ならまだしも、様々なジャンルの漫画をそこそこ読んでいる人なら、一つのジャンルの隆盛などあまり意識しないだろうし、漫画自体をほどほどにしか読まない人なら尚更である。
「こんなに食漫画があるんですよ」と挙げても、それらを全部読んでいる人なんてまずいないからだ。
そもそも現代は漫画が供給過多の状態なので、全体を見渡せば食漫画自体はそこまで多くはない。
読み返してみたら「我ながら何書いてんだ」と思ったけれども、たくさん書いて勿体無いので投稿しておく。 はじめに 歴史を辿るならば食べ物をテーマにした漫画は以前からある。 ...
http://anond.hatelabo.jp/20170117185612 土山しげる「闘飯」について意見を聞きたい。